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【秀頼】 大坂の陣総合スレッド 3 【家康】

1 :人間七七四年:2015/08/02(日) 22:39:09.43 ID:KpDjSjIw.net
慶長3年(1598)8月18日に豊臣秀吉が亡くなると、豊臣政権内部の対立が激化し、慶長5年9月15日には関ヶ原合戦が起こり、徳川家康率いる東軍と石田三成ら西軍が激突。
この合戦に勝利した徳川家康は慶長8年2月12日に征夷大将軍に任ぜられ、江戸に幕府を開きます。
けれども大坂城には秀吉の遺児豊臣秀頼が母淀殿とともに未だ健在で、徳川家を凌ぐ権威を保持したまま君臨していました。
この豊臣家と徳川家という二大権力の最終決着戦となり、戦国時代最後の大合戦となったのが「大坂の陣」です。
慶長19年10月〜12月には「大坂冬の陣」、翌20年5月には「大坂夏の陣」が起こり、慶長20年5月7日に大坂城は落城し、翌8日に秀頼・淀殿が自害して豊臣家は滅亡しました。

大坂の陣400年天下一祭
http://www.osakanojin400.com/
大坂の陣歴史検定 公式サイト
http://www.kentei-uketsuke.com/osakanojin/
大阪城歴史トークライブ《大坂冬の陣》
http://www.mbs1179.com/fuyunojin/

前スレ
【陰謀】 大坂の陣総合スレッド 2 【南禅寺】
http://hello.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1337983344/
【冬】大坂の陣総合スレッド【夏】
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1233143817/

大坂の陣への軍事考察
http://anchorage.2ch.net/test/read.cgi/army/1233315874/
大坂の陣で豊臣家が幕府軍に勝利する方法
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1201589307/

2 :人間七七四年:2015/08/02(日) 22:39:38.92 ID:KpDjSjIw.net
明石全登
幕府に依る激烈な禁教令下に集まったキリシタン部隊の中心人物。
鉄砲指揮から部隊指揮までなんでも出来る名将中の名将。
関ヶ原では杭瀬川の戦いでの指揮、福島粉砕劇など華々しい活躍をみせている。
戦後執拗な明石狩りが行われた。

長曽我部盛親
元大名。関ヶ原では西軍として活躍している。
大部隊を指揮した事がある数少ない武将であり、その点期待されていた。
藤堂隊を破るなど活躍をみせた。

大野治長
事実上の総大将。兄弟治房・治胤が戦場に立つ中秀頼を補佐。
後に和平交戦と意見をころころ変えたため兄弟仲は決裂。
最後は秀頼と自害。豊臣宰相としての器は足りなかったようだ。

真田幸村
昌幸の息子。真田丸を築き武功をあげる。
籠城を決められる際に宇治川−瀬田川ラインでの野戦主張などをしていたが実際それが有効かは未知数。
道明寺の戦いでは伊達政宗と戦い、天王寺口の戦いでは家康本陣を崩した。

毛利勝永
父は豊臣古参大名の勝信。
関ヶ原では伏見城の戦いにおいて、格別の働きにより首脳たちより感状を受けている。
天王寺口の戦いでは、次々と敵陣を突破して家康を追い詰め、
大坂城への生還を最後に果たす。

大野治房
治長の弟。主戦派の中心人物。本町橋の夜襲戦を成功させる。
大部隊の指揮は未熟だったが、岡山口の戦いでは秀忠に奇襲を仕掛け、
豊臣勝利寸前の処にまで持ち込む。
生死不明で幕府は長く探索を行った。

後藤基次
軍功豊富な事実上の参謀長。
大野治房を戦術面で補佐し、遊撃部隊としても活躍した。
道明寺の戦いでは先鋒を務め、進軍に不慣れな後続が遅れる中で、
幕府軍の先鋒大将水野勝成の大軍と長時間渡り合った。

木村重成
秀頼の元小姓。開戦論に関わった一人。遊撃部隊を率いる。
基次と共に今福の戦いでは佐竹を破り、真田丸の戦いにも加わった。
若江の戦いで叔父宗明と共に藤堂、井伊に大打撃を加えた。
木村・後藤の残存兵が、天王寺口の戦いで、勝永・幸村に道を開いている。

3 :人間七七四年:2015/08/02(日) 22:40:06.88 ID:KpDjSjIw.net
冬の陣(鴫野の戦い)
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/b/bc/Battle_of_shigino_ja.png

冬の陣(今福の戦い)
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/8/84/Battle_of_Imafuku_ja.png

大坂冬の陣布陣図
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/ja/3/31/%E5%A4%A7%E5%9D%82%E5%86%AC%E3%81%AE%E9%99%A3.png

夏の陣(小松山の戦い)
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/2/2a/Battle_of_Domyoji_1of2_ja.png

夏の陣(誉田の戦い)
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/a/ab/Battle_of_Domyoji_2of2_ja.png

夏の陣(八尾・若江の戦い)
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/2/2f/Battle_of_YaoWakae_ja.png

夏の陣(天王寺・岡山の戦い)布陣図
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/9/95/Osaka_no_eki_summer.png

4 :人間七七四年:2015/08/02(日) 22:41:58.73 ID:KpDjSjIw.net
慶長5年(1600年)、家康は豊臣家の蔵入地220万石を、摂津・河内・和泉の約65万石を残し、東軍諸将に配分。

慶長6年(1601)、福井城が諸大名により普請。藤堂高虎が膳所城普請。池田輝政が姫路城普請。浅野幸長が和歌山城普請。

慶長7年(1602)、本多忠勝が加納城、高虎が二条城を普請。

慶長8年(1603年)、2月、家康は伏見城で征夷大将軍に就任、江戸幕府を開く。江戸城普請。
同年7月、徳川秀忠の娘である千姫が、秀吉の遺言に基づき子の豊臣秀頼に輿入。

慶長7年(1604年)、京極高次、藤堂高虎らにより、彦根城普請。

慶長10年(1605年)、正月に家康が、つづいて2月に秀忠が伊達政宗ら奥羽の大名を加え10万以上の大軍を率いて上洛。
同年4月、家康は将軍職を辞して将軍職を秀忠に譲る。秀頼は右大臣。

慶長11年(1606年)、諸大名により江戸城増築。

慶長12年(1607年)、結城秀康死去。
同年12月、駿府城失火。池田輝政、加藤嘉明らが普請。

慶長13年(1608年)、高虎が伊勢・伊賀22万石に移封、安濃津城普請。
片桐且元が、秀頼による85件にものぼる寺社普請の1つ、方広寺再建を命じられる。

慶長14年(1609年)、高虎が亀山城を普請。

慶長15年(1610年)、大久保長安、加藤清正ら諸大名により名古屋城普請。

慶長16年(1611年)3月、後陽成天皇の譲位を受けての後水尾天皇即位に際して家康が上洛。
二条城で秀頼が、反対もあったが、加藤清正や浅野幸長ら豊臣家恩顧の大名らの取り成しもあり家康と会見。
同4月、家康は在京諸大名に、幕府の命令に背かないという誓詞を提出させる。ただし、秀頼からは誓詞を提出させていない。
高虎が伊賀上野城を拡張。
浅野長政・堀尾吉晴・加藤清正、死去。

慶長17年(1612年)、3月、岡本大八事件採決。本多正純一派は一時その勢力が衰退。一方で旗本に棄教令。
東国諸大名に誓紙を提出させる。

慶長18年(1613年)、2月、金地院崇伝がバテレン追放の文を起草。全国的な教会打ち壊しや主だった教徒の国外追放の開始。
大久保長安「金の棺」事件。正純一派が復権し、長安一派を粛清。
片桐且元が家康の命により、秀頼の領地より1万石の加増。
池田輝政・浅野幸長死去。

慶長19年(1614年)、4月、且元が、南禅寺長老の文英清韓に銘文を選定させた半鐘が完成。
同5月、前田利長死去。
且元が使者に立ち、方広寺の大仏開眼日を家康に具申。
同6月、イギリス・オランダに大砲、硝煙、鉛を注文。国友鍛冶に大鉄砲・大筒・石火矢の鋳造を命じる。
同7月、大坂城内にて織田信包が吐血死。
板倉勝重の報告により、家康が方広寺開眼供養と大仏殿上棟・供養の延期を命じる。
同8月、家康が南禅寺以下五山の僧及び林羅山に鐘銘文の見解を出させる。且元、大蔵局が別個に釈明。
同9月、家康が西国の大名から誓詞を提出させる。織田信雄、石川貞政が大坂城退去。
同10月1日、同日、家康が板倉勝重からの通報により出兵を命じる。片桐且元退去及び茨木城篭城。
同2日、秀頼が檄を飛ばし、諸大名の大坂蔵米を接収。
同7日、勝重大坂封鎖。長宗我部盛親は突破して入城。高山右近が長崎からマニラへ追放。
同9日、真田幸村・幸昌父子が、九度山脱出。
同11日、家康出陣。
同12日、大坂方が堺から鉄砲などを接収。
同16日、伊達政宗が江戸到着、秀忠軍先鋒を命じられる。
同19日、家康が西国諸大名に参陣命令。
同22日、家康二条城到着。
同11月4日、薄田兼相が平野焼討。
同11日、秀忠が伏見城到着。
同15日、家康・秀忠父子が京都を発ち、大坂へ着陣。

5 :人間七七四年:2015/08/04(火) 21:30:41.55 ID:Mi8FfqdQ.net
基次と勝永にはもっとしっかりと
評価されて欲しいものだ

6 :人間七七四年:2015/08/05(水) 10:28:37.60 ID:JNV1jUM6.net
大坂の陣で人攫いが多発したけどどこに攫われたんだろう?

7 :人間七七四年:2015/08/06(木) 07:38:56.01 ID:fcT+tkjz.net
家康が大名らに推奨したから
家族離散し全国津々浦々に連れ去られた。

8 :人間七七四年:2015/08/06(木) 19:38:47.20 ID:mCVzAMs7.net
ニダ

9 :人間七七四年:2015/08/20(木) 20:43:15.05 ID:yWTbtc1V.net
大坂の陣の時の徳川軍の大坂民衆大虐殺は本当に酷かったらしい

10 :人間七七四年:2015/08/20(木) 20:56:01.88 ID:GagBjnxs.net
ニダ

11 :人間七七四年:2015/09/02(水) 22:37:35.92 ID:KSRZNXSn.net
和睦をチラつかせて
相手の士気を削ぎながら
外堀を埋めていく

外堀を埋めるって慣用句になってるけど
語源の大坂の陣のスレで用いるのは難しいな

徐々に縛っていく
って感じか

12 :人間七七四年:2015/09/03(木) 23:01:54.08 ID:q57AgPnQ.net
>>11
真綿で首を締めるように

13 :人間七七四年:2015/09/21(月) 10:53:04.90 ID:+XwlyNTt.net
真田幸村の発案した通り京都に出撃して迎え撃てば
西軍有利に戦局を進められたんじゃないかと思う。

14 :人間七七四年:2015/09/21(月) 17:23:32.13 ID:KbCyzEqE.net
無理。
夏の陣では近場なのにまったく連携がとれず各個撃破されたわけで、
遠征なぞしたらもっとひどいことになるのが目に見えてる

15 :人間七七四年:2015/09/22(火) 10:19:44.27 ID:VYfmd8iy.net
そもそも京都なんて豊臣の領域でもなんでもない場所だからな
そんなところまで遠征できるわけがない

16 :人間七七四年:2015/10/01(木) 09:20:25.43 ID:az8/UmTJ.net
>>13
伏見も突破できねえよ

17 :人間七七四年:2015/10/03(土) 23:40:00.42 ID:p8+nc4TF.net
>>5
大野治房もな
いくらなんでも不当すぎる

18 :人間七七四年:2015/11/03(火) 06:45:02.23 ID:jmvZMOjh.net
徳川の豊臣いじめの集大成

19 :あぼーん:あぼーん
あぼーん

20 :人間七七四年:2015/11/07(土) 20:49:54.89 ID:PT31fwD3.net
姫路に豊臣秀次の義兄の池田輝政、紀伊にこれまた秀次恩顧の浅野幸長を入れた段階で、
豊臣秀頼への嫌がらせ以外の何者でもない。実際に、池田、浅野は豊臣方より嫌がらせに
耐えかねて暗殺されたと言う説が有力だしね。

21 :人間七七四年:2015/11/07(土) 23:23:51.12 ID:AbTjC43c.net
どこが有力なんだよwwwww

22 :人間七七四年:2015/11/08(日) 07:00:25.74 ID:Szg3r0qD.net
国家安康の時点で秀頼がミスを認めて徳川家に恭順の意を示し、家康の目が届く関東かまたは岩手秋田青森の北東北に国替えしていたら、豊臣家も滅びなかったんじゃないの?

23 :人間七七四年:2015/11/08(日) 13:09:06.51 ID:ORUbHaBD.net
>>22
家を残したいなら領地を幕府にやって公家として生きればええ

24 :人間七七四年:2015/11/08(日) 13:40:57.71 ID:muhHw7jd.net
何百年の伝統を築き上げた名門家なら当人達にも家を残そうという意識も働いただろうけど
豊臣家なんて誕生したばかりの新興家だから
淀や秀頼も権力を諦めてまで家を残そうという発想はなかったのだろう
むしろ権力のない豊臣家なんて存在価値のない粗大ゴミくらいの感覚だから
淀や秀頼も迷うことなく大坂の陣に走ったと言える

25 :人間七七四年:2015/11/08(日) 17:28:28.57 ID:b1xX5AGj.net
>>22
関東か駿河あたりに国替えで江戸定府なら存続したんじゃないか。

26 :人間七七四年:2015/11/08(日) 17:40:25.80 ID:nTtqwEAD.net
自分が苦労したり親くらいが苦労しているとこ見て育っきて築き上げた家なら屈辱や忍従に耐えても残そうと頑張れるんだろうし、
累代続いて、次代への家政や外交の継承のノウハウが確立できている家なら処世もできるんだろうがな。

毛利の秀就とか、家臣に隠居させられた綱広とかもそうなんだけどさ、
そういう苦労や大変さを見ていないで、育っちゃっうと矜持ばかり高くなっちゃっててさ、
自分がいまあるものの価値を保つことがどんなに大変なことかが判らずに軽く見がちになるんだろうね。

27 :人間七七四年:2015/11/08(日) 18:17:03.44 ID:b1xX5AGj.net
最初から織田秀信並の扱いをしとけば、秀頼本人のためになったのにな。

28 :人間七七四年:2015/11/09(月) 12:17:02.33 ID:KHaJPgyo.net
織田は平家の傍流
徳川も源氏の傍流

しかも本当に平家や源氏の末裔かは怪しい

秀頼は源平藤橘以来なかった、朝廷から姓の下賜を受けた豊臣の本家本流
織田徳川とは身分が違う
おいそれと織田秀信と同程度ので扱いになど出来ない

29 :人間七七四年:2015/11/09(月) 19:04:16.31 ID:27GhJe3z.net
阿呆ですか。
毛利の先祖の大江広元は中原氏から大江氏に改姓してるし、
豊臣下賜は大江氏のときの手順を掘り起こして手本にしてるんですけどー。

30 :人間七七四年:2015/11/09(月) 19:46:55.79 ID:Loj5vuSN.net
>>28
じやあ、近衛家並みに3000石弱のこくだかでOK

31 :人間七七四年:2015/11/10(火) 02:16:07.73 ID:XfAvy9YY.net
>>28
源平は少なくとも天皇の父系子孫だし。

32 :人間七七四年:2015/11/10(火) 21:52:23.33 ID:Mxnt+2gz.net
豊臣なんて歴史も伝統もない姓を新しく作ってしまったから
権力が持てないなら別になくなってもいいかという意識が淀にも秀頼にも働いたんだろうな
それで自暴自棄になって母子そろっておかしな振る舞いを始めて自滅した

33 :人間七七四年:2015/11/11(水) 15:03:06.83 ID:nQ9qObZg.net
真田十勇士は実在したのかな?

モデルになった人物はそれなりにいたみたいけど

34 :人間七七四年:2015/11/11(水) 16:50:14.01 ID:S/IQq76U.net
実在しない

35 :人間七七四年:2015/11/16(月) 21:25:11.57 ID:hDu9nxmH.net
>>33
実在はしないかな?

三好兄弟は実在したみたいだけどね

36 :人間七七四年:2015/11/18(水) 14:48:31.76 ID:N6vtZ/km.net
大河ドラマ「真田丸」で、佐助が出るようです。

37 :人間七七四年:2015/11/18(水) 19:32:13.52 ID:xYFEt1gp.net
霧隠才蔵も出るのかね

38 :人間七七四年:2015/11/19(木) 18:31:24.06 ID:IKbKhr3C.net
>>13
東軍の主力はまだ遠いところにいたし
早めに動いていれば善戦は出来ただろうな

39 :人間七七四年:2015/11/19(木) 18:40:35.25 ID:iKzaHn25.net
>>38
まぁ、実際どうかはわからんけど淀やら大野やらがなぁ、幸村の作戦飲んでたら勝機はあったのにね

40 :人間七七四年:2015/11/19(木) 22:40:22.17 ID:PZ4zuJOu.net
そもそも単なる雇われ浪人に作戦の発案権なんてないから
まして淀たちは自分が天下人だと思っているから戦っているのに
身分の低い浪人の言うことなど聞けるわけがない
浪人側の作戦を飲むなら戦う理由が根本的に揺らいでしまうという矛盾を豊臣は抱えているわけ

41 :人間七七四年:2015/11/19(木) 23:15:28.21 ID:iKzaHn25.net
>>40
どっちにしても、秀頼終わってるやん。

42 :人間七七四年:2015/11/20(金) 01:16:18.43 ID:z977fcY7.net
つか昨日今日集まったばかりで編成云々で時間が必要だったのは豊臣方
先手を打つ自体机上の空論

43 :人間七七四年:2015/11/20(金) 06:36:46.75 ID:QOW4gxpj.net
じゃあどうやっても豊臣方は勝てなかったということですか?

44 :人間七七四年:2015/11/20(金) 07:34:56.34 ID:sYr5V2NX.net
淀と大野が癌だよね。本当
幕府主力軍が畿内入りするまでの1カ月間何もせず
敵が集まるのを待ってただけだったし

45 :人間七七四年:2015/11/20(金) 08:20:41.27 ID:co12XW+q.net
>>43
太平洋戦争で日本がアメリカに勝利する程度の可能性はあったんじゃないw

46 :人間七七四年:2015/11/20(金) 09:21:14.35 ID:2UTfGLhG.net
幕府軍より先に兵糧弾薬が尽きはじめてるようじゃ話しにならない。

47 :人間七七四年:2015/11/20(金) 09:24:22.97 ID:1crn29sI.net
>>46
仕方ない、家康さんにうまくのせられて、色んな所に寄進しまて財力削らされたからね

48 :人間七七四年:2015/11/20(金) 09:25:33.86 ID:1crn29sI.net
>>40
つか、その浪人たちを仮でも正規雇用してやれば良かったのでわ?

49 :人間七七四年:2015/11/20(金) 10:29:08.49 ID:z977fcY7.net
その浪人たちに任せた夏の陣ではまったく連携取れずに各個撃破されてぼこられたんだが

50 :人間七七四年:2015/11/20(金) 10:55:58.37 ID:2UTfGLhG.net
>>47
その辺り見ても豊臣家に戦うつもりが全くなかったことがわかるよね。
和平恭順軟着陸路線に賭けたのはわかるし、結果が悪くてもそれが正しかったとも思うけど、いざ破綻した時にはどうしようもなくなる。
だって合戦用の軍隊なんて鍛えてないんだから。

51 :人間七七四年:2015/11/20(金) 11:01:52.91 ID:co12XW+q.net
>>47
あれは豊臣家の意志で、寺社仏閣への寄進は天下人の義務という発想に基づくもの

52 :人間七七四年:2015/11/20(金) 12:13:12.82 ID:NPIzt+WZ.net
>>49
そりゃあ連携とれんやろ?恩賞なしだとさ、正規雇用してやるって約束してやれば連携取れたかもしれんけどね

53 :人間七七四年:2015/11/20(金) 12:15:03.00 ID:NPIzt+WZ.net
>>50
まぁ、和平路線が崩壊するってのを考えて無かったんでしょうね

あと国替えに応じてたら良かったのにと思うんだけどね

54 :人間七七四年:2015/11/20(金) 12:20:14.20 ID:z977fcY7.net
>>52
活躍したら正規雇用は当たり前だが?恩賞なしのソースって何?
現に豊臣は冬の陣と夏の陣の間に浪人を正規雇用するための加増を幕府に要請している

55 :人間七七四年:2015/11/20(金) 17:32:42.67 ID:zld8dki2.net
ヤクザ並みの因縁つけてまで潰しに来てるのに和議が成立するわけない
そんなことすら分からなかったのがそう責任者やってたというのがなあ

56 :人間七七四年:2015/11/20(金) 17:53:56.95 ID:yOBrY2+W.net
アホか。大坂の陣は誰がどう見ても豊臣からの挑発で始まってる

57 :人間七七四年:2015/11/20(金) 18:22:20.71 ID:BzM9eSa8.net
>>56 詳しく頼む

58 :人間七七四年:2015/11/20(金) 18:23:27.67 ID:zHLYlodN.net
>>54
いやいや、わしが言いたいのは幕府じゃなくて豊臣家が浪人を正規雇用を何故しなかったのかって事がいいたいんだよ

59 :人間七七四年:2015/11/20(金) 18:45:26.51 ID:z977fcY7.net
だから豊臣家が浪人を冬の陣の功績で正規雇用したわけで
でも60万石大名に落ちぶれてた豊臣家には多数の浪人に与える領地がないわけで
正規雇用したのに知行与えないわけに行かないので
豊臣家が幕府に豊臣家の領地を増やしてくれと頼み込んだわけ
ちなみに講和のときに加増を条件に入れたら蹴られたので2回目

60 :人間七七四年:2015/11/20(金) 19:28:53.63 ID:co12XW+q.net
>>57
56とは別人だが
・鐘銘は五山の僧が非礼と断じている
・豊臣家と徳川家の両属状態にある片桐且元を改易して、それを事後承認で幕府に伝える
・幕府が出兵を命じる前に浪人募集、兵粮・武器の集積を始める

61 :人間七七四年:2015/11/20(金) 20:02:44.61 ID:zHLYlodN.net
>>59
なるほど、教えていただきありがとうございます

62 :人間七七四年:2015/11/21(土) 01:28:49.87 ID:VPOBpCoA.net
秀頼が癌。

秀頼が何ができたとか、してきたというわけでもないのに、
それなりに安定した政治してきた実績のある徳川から離れる理由がないじゃん。

で、やからしたことが親父秀吉の最大の癌である朝鮮役、勝てなさそうなのに体裁のために
大名たち出兵させて疲弊させたことの二の舞いやりますよ、でまともな面子が集まるわけないだろ。

63 :人間七七四年:2015/11/21(土) 01:38:30.26 ID:irUXCaOf.net
総構え取り壊しさえなければ篭城できたろうにな
女官と淀殿さえいなければ・・・干殺しでも3年くらい耐えたというのに

64 :人間七七四年:2015/11/21(土) 01:57:11.61 ID:gtey7se+.net
方広寺鐘銘梵鐘の銘文を起草した清韓は実は本当にかくし題として意図的に「国家安康」「君臣豊楽」を考えたという話もある

65 :人間七七四年:2015/11/21(土) 06:20:41.83 ID:VPOBpCoA.net
>>63
で最後に自分の首と引き換えに、カツカツの男共の命乞いか。
そのほうが城内の人間ほっときっぱなしにして自分だけ隠れてコソコソ切腹より総大将らしくていいけどね。

66 :人間七七四年:2015/11/21(土) 08:32:07.94 ID:oNZOJZhw.net
>>63
年内には坑道戦術で惣構も破壊される予定
何より火薬が欠乏していて火力も消耗するだろうし

67 :人間七七四年:2015/11/21(土) 10:40:59.70 ID:UkrWyjUd.net
>>63
開戦してすぐに兵糧が尽きかけていました。
3年どころか半年もたない有り様です。

68 :人間七七四年:2015/11/21(土) 11:02:48.60 ID:lyCIg6tG.net
>>63
最大兵力の織田頼長ボイコット、南条元忠が内通で切腹、大野兄弟不和、三派閥対立と
城内の士気もボロボロで長期の籠城は無理でした

69 :人間七七四年:2015/11/21(土) 16:32:59.89 ID:c2GWyhbb.net
兵糧不足に陥ったのは徳川方。
当時は兵糧は現地調達だったこともあったし
20万人分の兵糧はなかなか厳しかったようだな

70 :人間七七四年:2015/11/21(土) 20:25:42.19 ID:oNZOJZhw.net
>>69
あれは人員を優先させたための一時的なもので、直ぐに大量の兵粮が送られていた
輸送も大坂は水運に恵まれた上に、その水運は完全に徳川方が掌握できたし

71 :人間七七四年:2015/11/21(土) 21:31:35.96 ID:sqRNqMr1.net
ねえよ。大規模な兵站が可能になったのは
世界的にも見ても近代に入ってから
それ以前は現地からの買い付けや略奪が主流
どれだけ日本は進んでたんだよw

72 :人間七七四年:2015/11/21(土) 22:30:55.76 ID:rbnDyd1C.net
小田原も勝つ見込み‥はさすがに無いが良い条件で講和にまではいけただろうに

73 :人間七七四年:2015/11/22(日) 03:49:51.43 ID:FCjZi4bG.net
石山本願寺の跡地だぞ
陸路での兵站線ではなく水路からでも補給できる
長陣になればなるほど大阪方有利だったのに・・・真田丸から長駆して
徳川方の大砲蹴散らせば伝説になったのにな幸村w

74 :人間七七四年:2015/11/22(日) 07:48:11.98 ID:n+aRVOeS.net
いや、幸村はそんなことしなくても現時点で十分伝説になってるし

75 :人間七七四年:2015/11/22(日) 07:58:47.36 ID:NlqmZzPX.net
小田原の陣も豊臣方が後半は兵糧不足に陥ってたからな
もう少し粘ればそれなりの条件を引き出せたかもしれないのに残念

76 :人間七七四年:2015/11/22(日) 08:49:11.69 ID:thCv20GH.net
>>71
水運が可能なら同時代の欧州でも大規模兵站は行われていたけど

77 :人間七七四年:2015/11/22(日) 09:06:00.72 ID:wxTUTihW.net
>>76
具体的には?欧州で数十万人規模の軍勢を賄える
兵站が行われてたとか聞いたことがない

78 :人間七七四年:2015/11/22(日) 09:13:23.18 ID:thCv20GH.net
>>77
先ず前提条件の修正として、兵数は日本では後方要員を含み、他では戦闘要員のみなので、数倍から場合よって10倍近い差がある

79 :人間七七四年:2015/11/22(日) 09:18:09.01 ID:AK5Eiqn5.net
>>75
でもさ忍城とかは落とせなかったしね

80 :人間七七四年:2015/11/22(日) 09:24:16.27 ID:thCv20GH.net
>>78
その上で『補給戦』では、マウリッツが二万五千近い兵(戦闘要員のみ)を動かす場合に、
河川を外れた場合は兵站の問題でその行軍に多大な困難を生じたとあるが、逆に言えば河川が近くにあれば、
兵站に問題は無かったことになる

81 :人間七七四年:2015/11/22(日) 09:44:02.59 ID:wxTUTihW.net
>>80
前提条件が違い過ぎると思うが
大阪城を囲んでた幕府軍は20万だったけど・・・

82 :人間七七四年:2015/11/22(日) 09:55:05.93 ID:NlqmZzPX.net
言っておくがヨーロッパ史はスレ違い。やるなら他でやれ

83 :人間七七四年:2015/11/22(日) 10:23:43.30 ID:thCv20GH.net
>>81
だから日本のは後方要員も含めた数

他には馬車や大砲の有無も指摘されるが、
大坂の陣では京都付近には運送用の牛車があり、
また家康は大砲を数百門単位で運用している

欧州でも大砲の輸送には水運を活用しており、
大坂の陣で大砲の大量運用を可能とした一因も、
水運が発達した場所故と言える

84 :人間七七四年:2015/11/22(日) 10:41:37.16 ID:AAlTs53h.net
大坂も小田原も補給不足が報告されてたのは序盤だけで後は解消されてた。

85 :人間七七四年:2015/11/22(日) 11:48:21.61 ID:wxTUTihW.net
>>83
後方支援って・・・
その理屈でいけば10万が篭る大阪城を包囲してた
徳川方の戦闘員は2〜5万ってことになるだろ

>>84
中近世で20万の軍勢を賄う兵站は不可能
補給路が確保されてても輸送力が圧倒的に足りない

86 :人間七七四年:2015/11/22(日) 11:51:44.69 ID:AAlTs53h.net
小田原はともかく大坂は日本一の米の集積地やで。まぁ菅沼系は何言っても聞かないだろうけど

87 :人間七七四年:2015/11/22(日) 12:32:36.48 ID:thCv20GH.net
>>85
侍と足軽に限定すればそんなもんだよ
そして槍持・甲冑持等がいる大坂方も似たようなもの

輸送力はありますよね、船が

88 :人間七七四年:2015/11/22(日) 13:17:53.40 ID:wxTUTihW.net
>>86
その米は豊臣方に接収されてたんだけどね
だからこそ現地調達の目論見がはずれ兵糧不足に苦しんだ
豊臣領外からも調達はしてたようだけど
当時の輸送能力じゃ20万人分は賄いきれなかった

>>87
戦闘してたのは侍と足軽限定じゃないけどね
船ねえ。当時の造船技術はかなり低かったし
幕府は初期から大型船を規制してたよ

89 :人間七七四年:2015/11/22(日) 14:12:02.18 ID:AAlTs53h.net
これから摂取する予定と書状には書いてたけど大部分は幕府側に行ったのよね
なぜなら大阪商人が幕府に味方したから、おかげで堺は焼き討ちされたけどね
実際に大坂米を分配したのは幕府側。書状も残っている
中近世は〜とか言ってるけど現地調達は現在でも活用かつ重視されてる
輸送だけで賄うのはコストがかかりすぎて現実的ではないからね

90 :人間七七四年:2015/11/22(日) 14:19:57.58 ID:+0xMlWY4.net
福島正則の兵糧を接収したりしたんだろ?
可哀想に豊臣恩顧ではあるけどもw

91 :人間七七四年:2015/11/22(日) 15:47:46.72 ID:thCv20GH.net
>>88
当時の最大である500石積みでも500石の米を運べるのだけど
20隻あれば1万石を輸送できることに成る

後、500石積みの制限は西国大名のみ

92 :人間七七四年:2015/11/22(日) 20:46:44.67 ID:qnY+rD32.net
>>90 あいつは本物の阿呆だったから自軍の食料をええかっこしたいがためだけに
回りの東軍にばらまくぐらいやってそうだけどな 酒飲んでたら尚更

93 :人間七七四年:2015/11/22(日) 21:24:05.09 ID:wxTUTihW.net
直轄領はそうだけど豊臣領の大部分の米は
豊臣方に接収されたよ。あの時点じゃまだ幕府軍は
遠く離れてたからね

>>88
当時の船って遅いんだよ
小田原攻めで秀吉が兵糧を用意させようとしたけど
上手くいかず兵糧不足になったし
九州平定の際も、瀬戸内海を使って行軍してたのに
兵糧不足に陥った

94 :人間七七四年:2015/11/22(日) 22:16:15.13 ID:thCv20GH.net
>>93
家康は11月28日に小堀政一に命じて蔵米8万石と
豊臣氏の没収知行米5万8千石を兵糧とするように命じている

九州征伐は内陸侵攻後の話
大坂は瀬戸内海と直結しているようなもの

95 :人間七七四年:2015/11/22(日) 22:26:05.15 ID:NlqmZzPX.net
兵站軽視は日本のお家芸
物量がものをいう時代になってからも精神論が優先されてた

96 :人間七七四年:2015/11/23(月) 18:46:36.97 ID:bUmPhUPI.net
>>94
>家康は11月28日に小堀政一に命じて蔵米8万石と
>豊臣氏の没収知行米5万8千石を兵糧とするように命じている

これ他でもない家康自身が兵糧を
現地調達しようとしてるってことなんですけど

>>94
直結してるようなものくらい海上交通の便がよくても
九州平定では兵糧不足に陥った
いかに当時の輸送力が脆弱かを表している

97 :人間七七四年:2015/11/23(月) 19:50:44.56 ID:/MjGxVBb.net
輸送してるってことはヘイタンの概念があるってことやん。
後の時代と比べて脆弱かどうかは別の話しやろ。

98 :人間七七四年:2015/11/23(月) 19:54:30.55 ID:KkNxFHAH.net
軍が崩壊してないのが兵站が機能して査証やね。いくら史料や理屈を曲解しても結果が付いてきてないね

99 :人間七七四年:2015/11/23(月) 20:31:04.55 ID:ef/GG/Kh.net
>>96
そりゃ近いに越したことはない
それに蔵米は備中辺りも含む

100 :人間七七四年:2015/11/24(火) 12:18:44.40 ID:WMSjQc40.net
戦国時代は現地調達がメインと習ったが違うのか?

101 :人間七七四年:2015/11/24(火) 15:11:34.94 ID:iqtb5W5w.net
「上杉景勝」に対して寝返りの確約をとっておいて、
徳川方の背後を突いて貰うってのは無理だったのかな?

102 :人間七七四年:2015/11/24(火) 15:21:26.04 ID:vwjsqUS/.net
>>100
賄いきれなければ、他所から運ぶか軍隊そのものが移動する

103 :人間七七四年:2015/11/24(火) 23:16:32.99 ID:ph7rkegt.net
一応小荷駄隊ってのがあったけど
全軍の分は到底賄えないからそれ以外は現地調達

104 :人間七七四年:2015/11/25(水) 14:58:49.40 ID:UcHro6Is.net
大坂の陣400周年だけど、何か今年あった?

橋下の大阪都構想とかって現代版大坂の陣みたいだ

105 :人間七七四年:2015/11/25(水) 15:31:32.39 ID:GQCXR77E.net
夏の陣で大阪城が落城した時も城内には大量の金銀があった
兵糧は知らね

106 :人間七七四年:2015/11/25(水) 19:32:22.49 ID:poQrfTzv.net
来年の大河ドラマが真田幸村になったくらいだな

107 :人間七七四年:2015/11/26(木) 00:15:22.36 ID:O0tqWUOQ.net
タイトルからして大坂の陣が主舞台になりそうだな

108 :人間七七四年:2015/11/26(木) 00:21:38.86 ID:wvV1oh8j.net
配役はまあまあだが脚本家に不安が残る

109 :人間七七四年:2015/11/27(金) 00:16:03.35 ID:24YwrI3A.net
>>98
>>軍が崩壊してないのが兵站が機能して査証やね

大本営参謀本部みたいな考え方だな・・・
戦中にこういうのが実権を握ってたから
太平洋戦争であんなに餓死者を出したんだろうね

110 :人間七七四年:2015/11/27(金) 01:29:49.68 ID:tlks9wAX.net
意味不明。因果関係を述べよ

111 :人間七七四年:2015/11/27(金) 18:20:56.49 ID:3bHZXtjG.net
日本語がおかしい輩にレスしてるのは自演か?

112 :人間七七四年:2015/11/28(土) 12:41:24.67 ID:xXzZHHS/.net
>>104
一応去年からやってるらしい
www.osakanojin400.com

113 :人間七七四年:2015/12/05(土) 10:05:51.89 ID:nuJPtZcG.net
あと1年粘れば家康が胃癌で死んだのにな
それまで兵糧弾薬が持つかは不明だが

114 :人間七七四年:2015/12/05(土) 10:38:15.12 ID:j1pse5gb.net
逆やね。
大坂の冬陣は講和が前提の見せかけ挙兵だから
秀頼に甘い言動が多く関ヶ原を経てなおまだ律義者評価の家康には生きていてもらわないと困る
強硬派の秀忠相手じゃ男の算段もたたないからね

115 :人間七七四年:2015/12/05(土) 10:40:14.34 ID:N6HL/FGd.net
体制的に秀忠に移行済みだし、
大坂の陣で豊臣滅に積極的だったのも秀忠だから一年待っても無駄。

116 :人間七七四年:2015/12/05(土) 10:47:05.28 ID:j1pse5gb.net
男の算段ってなんや。なんの算段もね

117 :人間七七四年:2015/12/05(土) 11:50:31.47 ID:3274uLpb.net
「男の算段」でもなんとなく意味が通じるからドンマイw

118 :人間七七四年:2015/12/06(日) 09:31:40.43 ID:atwC30at.net
>>113
一年も必要ないかと。東軍の食糧難は深刻だったし半年も経てば勝手に引き揚げてた
何せ相当数の軍馬バラして喰うまで追い詰められてたからな

119 :人間七七四年:2015/12/06(日) 09:40:57.00 ID:o1s1BgM1.net
まだいってんのか

120 :人間七七四年:2015/12/06(日) 16:51:29.09 ID:C44OmvmJ.net
>>113
秀忠だったら勝ち目ありそうw
家康が無茶な力攻めしたのは秀忠だと
不安だったからな気がする

121 :人間七七四年:2015/12/06(日) 22:23:19.86 ID:3fiA2Q4j.net
「家康が」「無茶な力攻め」?

122 :人間七七四年:2015/12/06(日) 23:50:18.97 ID:C44OmvmJ.net
孫子も力攻めは下策だと言ってるだろ
秀吉だったら味方が多数死傷する力攻めはしない

123 :人間七七四年:2015/12/06(日) 23:52:50.63 ID:C44OmvmJ.net
結局力攻めじゃ落とせなくて謀略使う羽目になったし・・・

124 :小説の話かな:2015/12/07(月) 00:00:35.13 ID:ebCATt4P.net
小説の話かな

125 :人間七七四年:2015/12/17(木) 17:36:42.26 ID:bDJDhewJ.net
>>122
秀吉、小田原合戦で前田の城攻めが緩いとか叱責してなかったか
その所為で利家次に攻めた城、秀吉の意に叶う様に無茶苦茶力攻めした筈

126 :人間七七四年:2015/12/18(金) 22:20:29.69 ID:UTAEMY7W.net
>>122
兵站上、当時の輸送力では20万の大軍勢を
一箇所に留めておけるのは3〜4カ月が限界

島原の乱のように籠城側の兵糧が尽きた頃に力攻めをするのが理想だけど
豊臣方は十分な兵糧を領内から接収してたので兵糧攻めは難しい

127 :人間七七四年:2015/12/19(土) 08:07:36.81 ID:YHu7a5p5.net
>>126
大阪城はもう火薬が無いです

128 :人間七七四年:2015/12/22(火) 17:31:44.70 ID:dS7BPhVR.net
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129 :人間七七四年:2015/12/23(水) 01:09:38.29 ID:RWib6GNz.net
>>127
淀と大野は火薬が足りないのに
なんで銃火器がメインの籠城戦を冬の陣で選んだんだろうな・・・
後詰が期待できない中での籠城はただ消耗するだけなのに
討って出ればまだ可能性はあったのかもしれないし

130 :人間七七四年:2015/12/23(水) 01:18:30.42 ID:xj8dqUME.net
火薬も足らん、薪も足らん、兵糧も足らん。
けっこう???な篭城やな

131 :人間七七四年:2015/12/23(水) 07:12:37.13 ID:6IgasZvn.net
そもそも戦争起こそうとした時点でアレだからな
太平洋戦争突入を決断した日本並みに意味不明

132 :人間七七四年:2015/12/23(水) 10:01:01.77 ID:t7Fkqa1s.net
暴力団並みに酷い因縁つけてまで潰しに来てるのに悠長なこと言ってられないかと

133 :人間七七四年:2015/12/23(水) 10:10:25.83 ID:9M3+s+hz.net
酷い因縁……?

134 :人間七七四年:2015/12/23(水) 10:32:42.87 ID:ayKZQDrJ.net
むしろ色々別の道を提示されたのに、
そして自身は何の政治的実績もないのに
「オヤジみたいに天辺寄越さな滅んでもえーわ」な態度に出たんで
恩顧大名にも見捨てられたんだろうに。

135 :人間七七四年:2015/12/23(水) 11:08:02.66 ID:xj8dqUME.net
太平洋戦争でいえばハルノートどころかその前々々段階くらいの大使にこちらの要求打診した時点で
なぜか豊臣爆発だから圧力は掛けていたが外交的には酷い因縁とはいえない程度だわ
圧力をかけてた事は確かな家康ですら一報を聞いたとき困惑してたし

136 :人間七七四年:2016/01/04(月) 23:13:35.39 ID:gt8i3VLA.net
大名にしたって自分達の領地を左右できる実力者に付くのが当たり前であって、
親の遺産にすがりついてプライドだけは一人前の奴に付くわけないよな
秀吉に従ってたのだって建前上はともかく、秀吉が関白だったからじゃなくて、
当時最大の実力者だったからだし

137 :人間七七四年:2016/01/05(火) 06:40:03.57 ID:pDCNKxLs.net
時の天下人に逆らえば、かつての主君の息子だろうが
信雄の様に所領没収、追放が当然だからな
じゃないと秩序が成り立たない
それを拒否した挙げ句、武装蜂起したらな

138 :人間七七四年:2016/01/07(木) 10:57:31.34 ID:JnpfEP/F.net
まあ、先のある身では強い方に味方するのが当然だよな

139 :人間七七四年:2016/01/07(木) 22:03:02.19 ID:i9RlBGtj.net
成り上がりの羽柴には譜代の臣がいないからね
秀吉という個人に従う人間は大勢いたけど、羽柴家そのものに忠誠を誓ってたわけじゃない

140 :人間七七四年:2016/01/08(金) 10:15:26.28 ID:+1rmuEhy.net
時代の変わりだったかな。
下剋上が終わりする側がされる側に変わり安定謀ってたし、
口では戦国、実際は保身安寧秩序だか
ら過去の遺物の大掃除が大坂の陣。

141 :人間七七四年:2016/01/08(金) 10:31:36.09 ID:UX17K2iL.net
戦国負け組と莫大な資金が結合してさらに巨大要塞まであるという状態なんだからさ

今の企業も同じだけども経営者が借金無くしてから次代に引き継ぎたいとかいうのは邪念で
継続可能な形で引き継ぎすることこそが必要なわけで
無借金継続不可能な環境を作った秀吉の責任問題といえる
次代でこの環境を変えるのはほぼ無理
最終的に豊臣政権は家業の域を超えられなかったから家康にやられた

142 :人間七七四年:2016/01/08(金) 18:20:29.43 ID:RmBrfP/A.net
土台がどっしりしてるのは間違いなく家康の方なのに、何で一遍は秀吉に天下持ってかれたのよ?

143 :人間七七四年:2016/01/08(金) 19:32:44.31 ID:m/eKCP60.net
その分、秀吉が自身を含めた全てを酷使して、それを上回ったから

144 :人間七七四年:2016/01/09(土) 03:35:24.55 ID:d/A2rUiS.net
実質的に力攻め・総攻めじゃ落ちてないんだよな
講和で総構えなくなってからだから

145 :人間七七四年:2016/01/09(土) 08:05:05.25 ID:RMlNNwIg.net
>>144
囲まれて物資不足やら城内の不和やらに陥って講和せざるを得なくなったんだから、そういうのを落城っていうんだよ。
小田原城だってそのパターン。
じゃないとあんな戦闘力を完全に喪失させるような講和条件受けないし。あれは降伏だよ。

146 :人間七七四年:2016/01/09(土) 13:37:16.09 ID:x6Ee8u/v.net
>>144
君の理屈なら、備中高松も鳥取も三木も本願寺も落城じゃないね。
北ノ庄や有岡みたいなのが落城の基準?

147 :人間七七四年:2016/01/09(土) 14:08:18.32 ID:V4WHw1Ik.net
言いたい事は分からんでもないが、明け渡してない城は落城とは言わんだろ。

148 :人間七七四年:2016/01/09(土) 14:10:20.87 ID:5YsYVEUj.net
>>145
H山(真田丸考証)「大坂冬の陣は豊臣の勝利!勝利ですぞー!」

149 :人間七七四年:2016/01/09(土) 15:01:16.78 ID:x6Ee8u/v.net
>>147
うーん
実質城割りされた城は落城じゃね?

150 :人間七七四年:2016/01/09(土) 16:04:22.12 ID:muBJRvdn.net
石山本願寺も勅命で明け渡しなので実質落ちてないな

151 :人間七七四年:2016/01/09(土) 16:16:26.14 ID:boO7HrhS.net
屁理屈の応酬になりそう

152 :人間七七四年:2016/01/10(日) 00:12:44.12 ID:UeW8MOvP.net
言緒卿記でも大坂の陣を「大坂ノ陣」と表現しているらしく、
現在の呼び方と当時の史料が一致している珍しいケースらしい

153 :人間七七四年:2016/01/10(日) 17:32:32.59 ID:Po6rJgZJ.net
>>151
大阪冬の陣が豊臣の勝ちっていうのは強弁でしかないわな。アレが豊臣の勝ちなら、あんな降伏そのものの
講和条件を受け入れた理由がわからなくなる。

154 :人間七七四年:2016/01/10(日) 18:42:14.12 ID:2roLV5ZW.net
>>148
その人って
「日本の戦国時代に騎馬軍団がいた」と提唱した人だよね
菅沼遼太が推してたんで覚えてるよ

155 :人間七七四年:2016/01/10(日) 19:49:01.54 ID:/oABi1/k.net
白峰とかと同じで、徳川史観を否定することに囚われて
多少物事を客観視出来なくなっているんだろう

156 :人間七七四年:2016/01/10(日) 22:08:38.43 ID:UeW8MOvP.net
そんなんでも今の歴史研究者の中では上位の方だからホント今の歴史学会闇だわ

157 :人間七七四年:2016/01/11(月) 11:53:15.76 ID:Q5CRmvLs.net
>>154
武田の騎馬隊は騎馬軍団じゃないんですか?

158 :人間七七四年:2016/01/11(月) 13:57:06.38 ID:meu5I/Ec.net
>>157
その先生と菅沼遼太はそう言っています。ですからご当人に聞いてください。

159 :人間七七四年:2016/01/11(月) 21:41:22.27 ID:02Wifcz0.net
>>148
ちなみにこの人は、どういった根拠で
冬の陣は豊臣の勝ちだと言ってるんですか?

160 :人間七七四年:2016/01/11(月) 22:09:42.75 ID:gkxQekUa.net
>>159
当時の宣教師の記録には「豊臣が優勢で、戦は和睦となった」と書かれている!
宣教師の記録に描かれているからには当時の日本でも大坂冬の陣は豊臣家の勝利だと認識されていたのだ!
といった感じだったと思う

161 :人間七七四年:2016/01/11(月) 22:35:07.46 ID:ec3QsGx4.net
>>160
つか大阪城に籠城してた宣教師ならそう言うわな。

162 :人間七七四年:2016/01/11(月) 22:51:08.51 ID:fcTqGukY.net
豊臣は和睦の条件に加増を入れてきたり勝ったという認識だからね
最後のチャンスを与えたつもりの幕府には当然蹴られたけど

163 :人間七七四年:2016/01/11(月) 23:02:50.56 ID:uCRFAeDH.net
>>160
この人は当時の宣教師が徳川と豊臣、それぞれに対してどんな感情を持っていたかすら知らないのか

164 :人間七七四年:2016/01/12(火) 16:29:34.03 ID:bytQ4cUo.net
>>157
大坂の陣からはずれるけど、藤本正行が長篠の戦いの反論本出すみたいだね

165 :人間七七四年:2016/01/12(火) 16:32:40.35 ID:ud67Zp+N.net
また出すんかい?

166 :人間七七四年:2016/01/12(火) 17:33:10.67 ID:giFWsHmC.net
>>162
加増されたやん
大坂城の堀埋め立てたぶんの領土増えたやんwwww

秀頼と淀君は「領土が増えたって」大喜びだったらしいよ

167 :人間七七四年:2016/01/12(火) 18:42:38.02 ID:w/APStNy.net
>>166
お前天才w

168 :人間七七四年:2016/01/12(火) 22:14:27.27 ID:nU3XdJe6.net
>>165
多分、これだろう

藤本正行 著
再検証 長篠の戦い 「合戦論争」の批判に答える
http://www.yosensha.co.jp/book/b186615.html

169 :人間七七四年:2016/01/12(火) 22:39:23.77 ID:ud67Zp+N.net
それやろなチラッと読んだが従来の繰り返しで中身はなかった

170 :人間七七四年:2016/01/12(火) 23:20:05.58 ID:8m7NGoOc.net
浅井、柴田、豊臣

三度の落城滅亡を体験した淀君凄いな

171 :人間七七四年:2016/01/12(火) 23:43:18.98 ID:w/APStNy.net
もの凄いさげまんだな

172 :人間七七四年:2016/01/19(火) 12:14:13.97 ID:NClk4hEh.net
母親からして二度の落城、亭主は二人とも切腹だからな
中妹は無難なところに収まり、末妹は三番目の亭主で
大当たりを引いたが

173 :人間七七四年:2016/01/21(木) 05:12:07.28 ID:+NPEbW6/.net
北の庄も凄い規模の城だったらしいが
北陸方面軍の拠点で
難攻不落の小谷も大阪も落ちたしなw

174 :人間七七四年:2016/01/21(木) 10:46:55.85 ID:zhRAjMEd.net
火器の普及と人口増加による大兵力化によって、巨大城郭が無意味化していったんだろうね。

175 :人間七七四年:2016/01/22(金) 13:53:10.69 ID:Q4avDepJ.net
大坂夏の陣で冬の陣で活躍してた上杉とか佐竹がどうしてたのか知りたいんだけど、情報ある?
上杉が京都警備をしてたことはwikiに書いてあるんだけど、なんで京都警備だったのかがよくわからない

176 :人間七七四年:2016/01/22(金) 16:52:54.13 ID:3Orw1Z6M.net
冬の陣では元西軍の上杉佐竹はミソギの意味も込めて先陣だったが
夏の陣では冬の活躍のおかげでVIP待遇。ついでに佐竹は遅刻

177 :人間七七四年:2016/01/22(金) 20:52:39.64 ID:Q4avDepJ.net
>>176
なるほど遅刻か
京都警備ってのはやっぱりお得な役割なのかな

178 :人間七七四年:2016/01/22(金) 20:58:54.27 ID:WXmvaIR5.net
>>174
巨大城郭が無意味になったのは空爆が行われるようになってから
もう少し勉強しよう

179 :人間七七四年:2016/01/22(金) 21:16:08.49 ID:7uFuUlp7.net
大坂冬の陣は大砲により後ろ堅固が無効化したことを示した

180 :人間七七四年:2016/01/22(金) 22:22:23.61 ID:2QFOPtH9.net
あれは淀が馬鹿なだけだ。要塞の守備力は第一次世界大戦までは重要だった

181 :人間七七四年:2016/01/22(金) 22:25:41.68 ID:ZmwmC8oq.net
>>178
おちついて戦争の進化を勉強しような。

182 :人間七七四年:2016/01/22(金) 23:08:55.59 ID:WXmvaIR5.net
>>181
お前こそ勉強不足
中世はもちろん。近世。近代においても
巨大城郭を主とした要塞は
重要な戦略拠点として機能してた

183 :人間七七四年:2016/01/23(土) 00:49:17.09 ID:7Gw5EFHY.net
>>182
お前戦争の進化の意味をなんにもわかってないわ

184 :人間七七四年:2016/01/23(土) 11:06:53.66 ID:4cWYp1ud.net
日露戦争でも旅順要塞は重要拠点だったな
ただ使い方が分からないと意味無い箱

185 :人間七七四年:2016/01/23(土) 12:50:01.61 ID:iPzifJ12.net
むしろ大坂を要塞化しすぎたせいで輝元や秀頼のような凡将は出陣するリスクを負えず
引き篭もりを選択して敗北したといえる
どんな要塞もしょせんは一拠点に過ぎないからな
出陣して外を制圧できなければ何の意味もない単なる引き篭もり部屋でしかなくなる
大坂城はそういった大切なことを教えてくれる良い反面教師だろう

186 :人間七七四年:2016/01/23(土) 23:47:31.09 ID:o30isRQU.net
後の家康も城の要塞化は進めてるんだけどな・・・
江戸城、駿府城、名古屋城、大阪城と
重要拠点に堅固な城を築き、江戸時代を統治してたわけで

187 :人間七七四年:2016/01/24(日) 00:47:09.24 ID:+2Tq5rBj.net
途中の重要拠点ならともかく豊臣の大坂や徳川の江戸といった本拠地そのものの場合
本来ならそこまで敵が侵攻してきた時点で終わりだから
過度に堅固にしても悪あがき以外の意味はないんだよな
豊臣の場合は素人のおばさんと子供がトップだったのでそれを理解できず徹底的に悪あがきを続けてしまったわけだが

188 :人間七七四年:2016/01/24(日) 00:52:14.12 ID:CMyT5hcF.net
小田原城「そうかなぁ」

189 :人間七七四年:2016/01/24(日) 01:27:26.42 ID:5u59TA18.net
いまいち理解不能な理屈だな
将軍や大名が何のため防御力の低い城を拠点にしなきゃならんのだ

190 :人間七七四年:2016/01/24(日) 11:48:24.10 ID:Ze2ZkdiE.net
安土城

191 :人間七七四年:2016/01/24(日) 12:57:04.70 ID:+2Tq5rBj.net
近世に近づいてくると政権の本拠地は経済都市の要素も強くなってくるようになるから
例えば鎌倉みたいに経済性を軽視して絶壁に囲まれた要塞としての価値を重視するというのも難しく防御力にも限界がある
それに経済都市になると焼け野原上等の本土決戦で徹底抗戦することの迷惑ぶりは単なる要塞とは桁違いになる
豊臣の大坂は近世型の経済都市を目指しながら最後は鎌倉時代並みの思想に戻ってしまったという中途半端な場所だろう

192 :人間七七四年:2016/01/24(日) 21:08:11.84 ID:9mBWiDfJ.net
大阪城は西国支配の為に幕府も金と時間を掛けて増改築してる。
それくらい政治的にも戦略的にも重要な要所。

193 :人間七七四年:2016/01/25(月) 15:24:48.66 ID:An3EKKWY.net
熊本城は西南戦争で西郷軍の攻撃をしのいだな。
加藤清正の築城は偉大だ。

194 :人間七七四年:2016/01/25(月) 15:41:09.59 ID:UKjEpOPq.net
縄張りは藤堂高虎じゃないの?熊本城

195 :人間七七四年:2016/01/25(月) 16:30:28.00 ID:Oh2x50Ry.net
>>186
つか大阪城は大坂の陣時点では旧式の要塞だな。
江戸城も含めて関ヶ原以後に建築されたものは、関ヶ原での知見を加えて色々とバージョンアップしてる。大筒対策とか。

>>193
清正時代の熊本城は本丸のみの規模の小さなもの。西郷軍の攻撃を防いだ革張りは細川時代に作られた。

196 :人間七七四年:2016/01/26(火) 00:27:15.01 ID:xa3Qcou1.net
国崩しは秀吉が大坂城を築城したときはそれほど
メジャーな兵器じゃなかったから仕方ないとは思う

197 :人間七七四年:2016/01/27(水) 22:43:49.75 ID:TTCISsd4.net
徳川史観を否定するって頑張っている白峰は関ヶ原だけじゃなくて、大坂の陣の本とかは書かないのかな

198 :人間七七四年:2016/01/27(水) 22:54:27.63 ID:ilPKAsn4.net
まず中途半端な主張の関ヶ原をどうにかしないと

199 :人間七七四年:2016/01/27(水) 23:07:51.79 ID:WkYqHK6i.net
そもそもあいつは徳川史観の定義すらちゃんと出来てない

200 :人間七七四年:2016/01/29(金) 18:27:35.91 ID:Bwg6fV4M.net
小田原攻めで開城させたときの因果応報か・・・

201 :人間七七四年:2016/01/30(土) 11:42:47.90 ID:tYpTYAEY.net
意味わからん

202 :人間七七四年:2016/02/01(月) 12:04:05.40 ID:Al+N2U2s.net
大坂の陣のトンデモ研究本とかないのかな

203 :人間七七四年:2016/02/15(月) 19:36:25.78 ID:1jrab1Pr.net
そもそも冬の陣で家康軍20万って少なくね?豊臣軍は寄せ集めとはいえ10万だぜ
城攻めの鉄則は、攻め方3倍とも10倍ともいうし、相手は天下の名城だぜ
家光の上洛時で30万動員できたんだから、俺ならそれくらい連れてくけど

204 :人間七七四年:2016/02/15(月) 20:07:51.79 ID:rVdsWfKR.net
食い物どうすんだよ…
動員は出来ても軍として維持出来ないだろ

205 :人間七七四年:2016/02/15(月) 20:22:50.40 ID:HdFWZIG+.net
>>203
> 城攻めの鉄則は、攻め方3倍とも10倍ともいうし
豊臣方は大阪城内に完全に閉塞させられたんだからアレで正解だったんだろ

206 :人間七七四年:2016/02/15(月) 21:23:06.39 ID:ON88u0Ev.net
1591年1月時点の豊臣一族 ()は未誕生
大政所
  豊臣秀吉
  豊臣秀吉室・豊臣吉子・寧
    豊臣鶴松
    (豊臣秀頼)
  豊臣秀長
    毛利秀元室・大善院
    豊臣秀保室・おきく
  日秀
    豊臣秀次
      梅小路家室
      真田信繁室・隆清院
      豊臣仙千代丸
      (豊臣百丸)
      (豊臣十丸)
      (豊臣十一丸)
    豊臣秀勝
      (九条幸家室・豊臣完子)
    豊臣秀保

 ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ 

1596年1月時点の豊臣一族 ●【】は死亡、▲【】は賜死・処刑
●【大政所】
  豊臣秀吉            [男]
  豊臣秀吉室・豊臣吉子・寧  [女]
    ●【豊臣鶴松】
    豊臣秀頼          [男]
  ●【豊臣秀長】
    毛利秀元室・大善院   [女]
    豊臣秀保室・おきく    [女]
  日秀               [女]
    ▲【豊臣秀次】
      梅小路家室       [女]
      真田信繁室・隆清院  [女]
      ▲【豊臣仙千代丸】
      ▲【豊臣百丸】
      ▲【豊臣十丸】
      ▲【豊臣十一丸】
    ●【豊臣秀勝】
      九条幸家室・豊臣完子[女]
    ●【豊臣秀保】


(´・ω・`) こりゃ滅びても仕方ないよね・・・

207 :人間七七四年:2016/02/16(火) 00:15:04.98 ID:HwNK+L5P.net
>>203
当時の輸送力上20万が限界
それでも同規模の兵を動員した九州平定や小田原攻めはもちろん
冬の陣でも兵糧不足に悩まされている

208 :人間七七四年:2016/02/16(火) 03:13:19.45 ID:mVKmccQx.net
寄せ手の大将は籠城戦苦手なんだから
野戦しなければ勝てたろうにな和議で総構え壊さなければ
3年くらい篭城で家康が横死とかあったかもなw

209 :人間七七四年:2016/02/16(火) 03:19:10.25 ID:17eDvpXT.net
>寄せ手の大将は籠城戦苦手なんだから
司馬の創作ェ

210 :人間七七四年:2016/02/16(火) 10:58:38.15 ID:KjbGjZJb.net
戦国負け組が危険物とともに引きこもってるところに
命がけでゴリゴリ行きたい勝ち組はいないのだよ

211 :人間七七四年:2016/02/16(火) 11:02:49.70 ID:A0WsZp+o.net
アメリカやロシアもイスラム国に地上部隊で攻め込むのは嫌がっているしね
社会に行き場をなくした連中が外から戦闘員として集結している大坂は
イスラム国と同じように危険な場所といえるだろう

212 :人間七七四年:2016/02/16(火) 20:44:05.81 ID:jL8sujCe.net
まあそうだろう

213 :人間七七四年:2016/02/16(火) 20:53:25.38 ID:9nnHp+jf.net
本願寺なんて畿内完全に抑えられても10年以上
持ちこたえたというのに海内随一の城であっけなく落城して情けない

214 :人間七七四年:2016/02/16(火) 23:14:48.94 ID:pwQL/1UW.net
>>208
3年とか無理
長期戦するのであれば、逆に将兵多すぎて食糧がもたない
実際、講和の理由の一つに大坂方も食糧・弾薬が欠乏していたという問題があった

群雄割拠の戦国時代であれば、それでも包囲が穴だらけで食糧を外部から
買い付けできただろうが、すでに大坂以外はすべて敵の状態
講和しない限り物資が手に入らない

215 :人間七七四年:2016/02/16(火) 23:40:44.56 ID:9nnHp+jf.net
やはり昌幸の言うとおり瀬田の唐橋まで突出していたら
豊臣恩顧の諸将が大阪城に馳せ参じてきたのか?たらればやね

216 :人間七七四年:2016/02/16(火) 23:47:02.20 ID:GKn4rhpC.net
夏の陣の近場でさえ連携取れなくて各個撃破された烏合の衆が瀬田まで遠征するとなると恐ろし事になるな

217 :人間七七四年:2016/02/17(水) 01:06:32.14 ID:h+ChTA//.net
名軍師真田昌幸の遺言通りにしていれば少しは勝機あったかもな

218 :人間七七四年:2016/02/18(木) 00:15:24.86 ID:EQH6+YVJ.net
>>215
秀忠率いる8万の幕府主力軍と百戦錬磨の伊達政宗、上杉景勝、
佐竹義宣、南部利直といった主戦力が到着する前だったら可能性はあったかもしれない
あの時点では家康以外に碌な武将は畿内にいなかったから
畿内制圧もそれほどは難しいわけではない

219 :人間七七四年:2016/02/18(木) 08:55:10.00 ID:VzbKeOD3.net
>>218
無い、そもそも伏見城に5,000人程いるから、それを攻略する間に畿内の大名が援軍に来て、タコ殴りで終了

220 :人間七七四年:2016/02/19(金) 01:06:13.39 ID:90z3lLxy.net
明石全登も大阪城に籠ったらしいが・・・明石狩りで見つからないということは?

221 :人間七七四年:2016/02/19(金) 11:52:15.83 ID:yqLAnvZf.net
NHKの番組で大坂落城目前に家康が和睦を申し込んだって言ってたけど、
初耳なんだけど本当なんかね?

222 :人間七七四年:2016/02/19(金) 12:37:06.86 ID:6GnhhRL1.net
冬の陣の事ならそういう面もあるな

223 :人間七七四年:2016/02/19(金) 13:52:49.84 ID:KqeGQR92.net
浪人衆10万も大阪城に入れて、和睦も突っぱねて敵対し続けたのに
最後の最後で出陣拒否して、千姫に助命嘆願してもらうとか
何がしたかったのかさっぱりわからん
武士らしさもないし、かといって政治の才能があるわけでもない

224 :人間七七四年:2016/02/19(金) 14:29:26.78 ID:6GnhhRL1.net
摂家嫡男に武士らしくと言われても困ります

225 :人間七七四年:2016/02/19(金) 15:23:36.37 ID:KqeGQR92.net
>>224
摂家と言われても秀次で終わってて、秀頼は無位無官でしょ
それに徳川に恭順するのを拒んで、対決姿勢を崩さなかったのは秀頼自身だし
挙兵したら徳川恩顧が味方してくれるとか甘い考えで通じないのが分かったら
自分の為に命懸けで戦ってる家臣見捨てて出陣もせず
奥さん頼りに命乞いとか情けなさすぎるよ

226 :人間七七四年:2016/02/19(金) 15:37:24.46 ID:6GnhhRL1.net
終わってないですよ

227 :人間七七四年:2016/02/19(金) 16:06:10.20 ID:2fmnXVf9.net
>>225
無位無官(正二位・前の右大臣)

228 :人間七七四年:2016/02/19(金) 16:14:16.03 ID:NZcXGY4y.net
>>227
無官だが無位ではない。

229 :人間七七四年:2016/02/19(金) 16:16:26.53 ID:Yrnan1sB.net
摂家ならつべこべ言わず大坂城出ろですな

230 :人間七七四年:2016/02/19(金) 16:17:20.62 ID:NZcXGY4y.net
>>224
公家らしく城を出て京都の公家屋敷に大人しく住んでりゃ存続できただろう。

231 :人間七七四年:2016/02/19(金) 19:29:55.13 ID:paSBM7Zm.net
>>215
昌幸は青野原に布陣する作戦
つまり関ヶ原に移動するまでの東軍陣地に逆に布陣する作戦じゃなかったか?

戦上手で徳川軍を二度も破った昌幸自身がやれば勝機を感じた豊臣恩顧の武将が参戦する可能性がある
しかし信繁では名前を知られてないから不可能って

232 :人間七七四年:2016/02/19(金) 21:50:43.29 ID:2fmnXVf9.net
軍記ソースに何を言っても…

233 :人間七七四年:2016/02/19(金) 23:35:53.41 ID:LKsQkfal.net
逆張りの昌幸がか?

234 :人間七七四年:2016/02/20(土) 01:23:53.17 ID:viHO/4RC.net
>>223
歴史秘話ではいよいよ秀頼公出陣ということで盛り上がり(本人もやる気)
秀吉の面影を見て皆涙したとか、大将出陣の知らせに士気が大いに盛り上がり
大坂方に勢いが出て、一時よもや大坂方が勝利するのではとおもわれたが
味方が裏切って秀頼が出陣すればすぐ討ち取られるというニセ情報が
伝えられ秀頼は動くに動けなくなったとか言ってた。
新しい資料なんかもどんどん発見されてるんだろうか。
定説とは違う内容が多かった。
けっこう面白かった。水曜に再放送。

235 :人間七七四年:2016/02/20(土) 02:43:36.03 ID:0tatiNEz.net
定説と違うって、そりゃ予め番組のために作ったストーリーに見合うような史料の恣意的な取り上げ方や
強引で整合性の取れない解釈していたからだろうwww

236 :人間七七四年:2016/02/20(土) 14:22:00.95 ID:I67k+YeP.net
ヒストリアは番組に都合がいいように資料を解釈するよ
あれ真に受けてる奴がいたのか

237 :人間七七四年:2016/02/20(土) 15:10:23.53 ID:rPdWh11a.net
真田といえば幸村よりも昌幸
これ定説

238 :人間七七四年:2016/02/20(土) 17:08:39.87 ID:iQms7vK9.net
家を存続させた信之

239 :人間七七四年:2016/02/20(土) 17:34:34.17 ID:7LCCkgOA.net
その時時代が動いたが終わってヒストリアになってから
腐女子が喜びそうな、馬鹿っぽい俗説をさも史実のように演出し始めて萎えるんだけど
もうちょい真面目に検証して欲しいよ
歴女ブームの頃始まったから仕方ないけど、今は落ち着いてるしさ

240 :人間七七四年:2016/02/20(土) 20:43:48.82 ID:iQms7vK9.net
英雄たちの選択、知恵泉との役割分担かな。

241 :人間七七四年:2016/02/21(日) 11:56:57.11 ID:7NLypHYQ.net
>>231
無意味
後世のでっちあげか、信繁のでっちあげか、昌幸が本当に言ったとしたら
信繁に身の程を知らせるために言っただけで本気じゃないだろう

主力を大坂城から離して近江・美濃方面に展開しても、家康の姻戚で
やる気満々の池田利隆・池田忠雄らが播磨方面から大坂城に攻め寄せて来るし、
近江・越前の井伊直孝・松平忠直・前田利常が琵琶湖西岸周りで京・大坂方面に
侵攻すれば、大坂城との間を遮断されて孤立して終わる

242 :人間七七四年:2016/02/22(月) 00:06:57.66 ID:w0qeWK/a.net
講談俗説を嫌う奴が多いけど、それの何がいけないのかね?
正味の史実なんて地味で盛り上がりに欠ける事が大概なんだから、お話として面白い方がいいじゃないかよ。

243 :人間七七四年:2016/02/22(月) 02:29:10.25 ID:FEdnN7AJ.net
あほ

244 :人間七七四年:2016/02/22(月) 12:59:21.08 ID:cP69jIXi.net
>>242
ならお前は創作板にでも行ってろよ

245 :人間七七四年:2016/02/22(月) 23:47:47.57 ID:pWKJcdp3.net
>>241
大坂城は堅城だから主力が出ても守れる
それに井伊直孝・松平忠直・前田利常は真田丸でフルボッコにされた愚将
幕府主力軍と百戦錬磨の東国の大名たちが来る前に
信繁の具申を受け入れ畿内に展開してたらまだ勝機はあった

246 :人間七七四年:2016/02/23(火) 09:29:59.74 ID:WdzuTFCx.net
☆ 日本の核武装は早急に必須ですわ。☆
総務省の『憲法改正国民投票法』、でググってみてください。
日本国民の皆様方、2016年7月の『第24回 参議院選挙』で、日本人の悲願である
改憲の成就が決まります。皆様方、必ず投票に自ら足を運んでください。お願い致します。

247 :人間七七四年:2016/02/23(火) 12:07:17.44 ID:NKcMQ8TJ.net
>>245
籠城戦と野戦とでは条件が違うだろう
そもそも大坂方が近畿に出るまでの間の
幕府方の城等を突破するのに要する時間とか考えてる

248 :人間七七四年:2016/02/23(火) 22:00:30.95 ID:ImOEkuVS.net
>>247
家康の京都入り自体が10月20日過ぎだし
秀忠率いる幕府主力軍と東国の諸将は10月はまだ遠いところにいる
畿内を制圧する時間は十分にある

249 :人間七七四年:2016/02/24(水) 07:36:52.58 ID:I2bfNlM6.net
そう簡単に伏見城は落ちん

250 :人間七七四年:2016/02/24(水) 17:03:59.52 ID:OZ8/vebl.net
そもそもそんな精緻な作戦計画を実行できるようなら豊臣はあんな無様に負けないって

251 :人間七七四年:2016/02/24(水) 17:58:40.30 ID:rNviTEn9.net
伏見城おとせてたらだいぶ戦略な幅は広がるな

252 :人間七七四年:2016/02/24(水) 18:13:01.44 ID:OZ8/vebl.net
お、IFにIFを重ね始めたぞ。仮想戦記始める気か?

253 :人間七七四年:2016/02/24(水) 22:05:56.44 ID:OHQurqyH.net
>>251
というか伏見城を落とさなければ畿内制圧は無理
伏見城を放置して近江なんていけない

254 :人間七七四年:2016/02/25(木) 22:24:02.67 ID:wXW785OG.net
幸村は伏見城を落とせると考えてたってことだな

255 :人間七七四年:2016/02/25(木) 22:28:55.46 ID:XfVVnq2u.net
幸村つか、作者が、だろ

256 :人間七七四年:2016/02/26(金) 00:11:06.23 ID:KXFIxcQv.net
>>254 >>255
家康も到着してないし堅城とはいえ伏見城を守る
総大将があれじゃあ10日ももたんからなww

257 :人間七七四年:2016/02/26(金) 00:29:38.07 ID:rVEZlCrD.net
なんのこっちゃ

258 :人間七七四年:2016/02/26(金) 00:39:13.69 ID:BOOoXAE2.net
もう妄想に取り込まれているようだ

259 :人間七七四年:2016/02/26(金) 23:21:44.03 ID:Xe4PN/SM.net
長宗我部も大阪の役じゃ藤堂隊を散々突き崩したらしいが
関ヶ原の時の陣取りがやる気なしだもんなw

260 :人間七七四年:2016/02/26(金) 23:28:26.50 ID:rVEZlCrD.net
木村隊と二部隊掛かりでぼこってた時はいいけど井伊が来て対等に成ったら瞬殺された長宗我部がどうしたって?

261 :人間七七四年:2016/02/28(日) 11:42:16.98 ID:QQhYFDN9.net
そもそも西国無双が浪人してたのにスカウトしなかった点からみて淀君に幕府と対抗する意思はなかった。
秀頼が成長するにしたがって取り巻きどもが、家康が死んだら徳川の天下も終わりと妄想し始めたんだろう。
大阪城に引きこもっている側近どもの現状認識は、冬の陣直前は、豊臣が決起すれば尾張以西の大名どもが
徳川旗下からさって豊臣の旗のもとに尻尾を振って馳せ参じると思い込んでいた節があるな。
だから無名の真田信繁の遠征案は阿保な愚策だったのだろう。
京都へは前田と松平忠直の連合軍が北国街道を南進し、山陽道は毛利と池田の連合軍が抑え、九州では
島津と加藤が決起して黒田、細川を撃滅するくらいの壮大な妄想があったのだろう。

262 :人間七七四年:2016/02/28(日) 13:51:30.38 ID:RTpfv5yA.net
>>259
関が原は豊臣家の家臣同士の戦いだから
特に家康は秀頼の外戚でもあり、元服するまでの政務を秀吉から任されている
三成挙兵の発端である、上杉征伐だって淀から秀頼代行として任されたわけだし
三成と家康、どっちが豊臣家に近いかと言うと家康だったもん

263 :人間七七四年:2016/02/28(日) 13:57:33.76 ID:RTpfv5yA.net
大坂の陣の発端は、幕臣である片桐を殺そうとしたことだもんなぁ
秀頼にとっては片桐は自分の家臣だから攻撃しても問題ないと思ってたんだろうが
豊臣ですら、徳川の家臣化してた時勢に、やっちまったなぁ…
家康も、それを待ち望んでたとは思うし、戦の口を実与えてしまった
やるならやるで最期出陣すればよかったし
やらないならやらないで、徳川に恭順するしか生き残る道はなかった

264 :人間七七四年:2016/02/28(日) 18:39:15.28 ID:sLbewIy0.net
秀吉の老害化で既に豊臣家は終わっていた
徳川政権は来るべくして来たとしか言いようが無い

265 :人間七七四年:2016/03/03(木) 20:35:17.54 ID:ZZySP7aG.net
淀殿等秀頼の取り巻きがいない
秀頼が出陣
開戦があと数年早い
福島正則等豊臣恩顧武将の寝返り
後藤 毛利 真田 大野等が計画的に行動

ここら辺あれば勝てたのかなぁ
最低でも家康 秀忠を撃てたら変わったけど

266 :人間七七四年:2016/03/03(木) 21:44:59.82 ID:23E5b8t+.net
そもそも関ヶ原は豊臣vs徳川ではないと何度

267 :人間七七四年:2016/03/03(木) 21:49:28.43 ID:9blDwD+X.net
徳川vs豊臣のスタートは江戸幕府成立

268 :人間七七四年:2016/03/05(土) 09:50:09.46 ID:+s28mCkH.net
>>266
こういう事言う奴って形式だけ見て本質が見えてないよね。
歴史クイズだけ上手いタイプ。

269 :人間七七四年:2016/03/05(土) 10:08:20.64 ID:Ikr2iE0k.net
>>268
本質的にみてもどう見ても豊臣VS徳川ではない件

270 :人間七七四年:2016/03/05(土) 11:17:25.99 ID:Tei+J+UQ.net
むしろ関ヶ原は豊臣VS石田だろう
石田が徳川の脅威を煽り利用して豊臣を乗っ取ろうとした

271 :人間七七四年:2016/03/05(土) 11:33:22.84 ID:ebhloy8c.net
今でもそうだが、戦国時代に集団指導体制なぞ、機能しないのは分かり切ったこと。
家康を排除しても毛利じゃ天下を押さえられんし、小禄の石田でも無理。
どうするつもりだったのか。

272 :人間七七四年:2016/03/05(土) 18:13:59.20 ID:fNhW2+R2.net
>>269
豊臣「政権」 vs 徳川家康

三成は、前田利家のシンパではなかったがその流れを継いだわけだし。
民主党(当時:野田佳彦) vs 民主党離党・分裂を企む小沢一郎みたいなもの。
家康は勝利したが、小沢一郎は大失敗して没落した。

273 :人間七七四年:2016/03/05(土) 18:15:44.08 ID:3KJccw/e.net
>>272
クーデター起こした連中が「政権」ねえ…

274 :人間七七四年:2016/03/05(土) 20:03:42.48 ID:fNhW2+R2.net
>>273
つまんない煽り
石田三成・宇喜多秀家・上杉景勝・毛利輝元らがクーデター派で
家康が豊臣家の守護者とか、この匿名スレ以外の場所で主張したら
痛い架空戦記被れの中二病の烙印確実だわw

275 :人間七七四年:2016/03/05(土) 20:07:35.04 ID:3KJccw/e.net
>>274
お前はどれだけレベルの低い場所に普段いるんだよ?

276 :人間七七四年:2016/03/05(土) 20:41:41.76 ID:VOrhaSC7.net
>>274
少なくとも形式的にはそっちが正しいぞ

277 :人間七七四年:2016/03/05(土) 22:51:45.24 ID:NGp+D3Cd.net
普通に西軍がクーデター側だが何言ってんだ

278 :人間七七四年:2016/03/05(土) 23:01:26.57 ID:VOrhaSC7.net
>>277
そういう意味で言ったつもり

279 :人間七七四年:2016/03/06(日) 00:05:38.27 ID:uER3+Duf.net
西軍が正義みたいな史観て、小説とかゲームを鵜呑みにしてるんだろうなぁ。

こういうの見ると、従軍慰安婦とか南京大虐殺が史実だと思われても無理ないのかも、
と思ってしまう。

280 :人間七七四年:2016/03/06(日) 00:50:13.67 ID:3B7NtcGI.net
なんだお前ら全員ネトウヨかよ
がっかりだぜ…

281 :人間七七四年:2016/03/06(日) 10:30:58.53 ID:14Pr7O3W.net
西軍はクーデターどころかテロリストだろ
関白や筆頭大老を次々に殺害して日本を混乱に陥れようとした
西軍が政権などというのはISISが国家だ政権だと自称しているのと同レベル

282 :人間七七四年:2016/03/06(日) 12:45:51.43 ID:vKWTvKv7.net
無理やり現代に例える人って基本的に頭悪いよね

283 :人間七七四年:2016/03/10(木) 13:12:10.44 ID:j7byUf8k.net
家康が正義なら、なんで豊臣家の領土を削ったのか

284 :人間七七四年:2016/03/10(木) 13:33:23.64 ID:Xt3CguRU.net
本領は削ってない。
豊臣が蔵入地なんてことをやってたから。

285 :人間七七四年:2016/03/10(木) 14:41:58.63 ID:BEThe8NH.net
そもそも奉行衆が機能して初めて蔵入地なんて運営できるのに、
奉行衆が崩壊したからその維持は不可能。
つか豊臣家の行政力の無さって異常なくらいだぞ。
お膝元の摂河泉すら、幕府が代官出して豊臣家のために年貢の徴収
やっていたらしい。

286 :人間七七四年:2016/03/10(木) 19:13:08.46 ID:KfN+yD+5.net
豊臣政権って、超重税だったらしいね
隠し畑も禁止されて、そりゃ一部の人間以外は豊臣をありがたがることないよな
明入りで九州の民衆はお米を真っ先に取られるから飢えまくってたと言うし

287 :人間七七四年:2016/03/10(木) 19:40:30.96 ID:maRv489H.net
隠し田に関しては脱税手段だから禁じて当たり前だろ

288 :人間七七四年:2016/03/10(木) 19:57:47.11 ID:KfN+yD+5.net
でも有史以来ずっとお目こぼしされてきたものだから
急な戦で米を徴収しても、農民が困らない程度の米は残しておくという
有効な統治方法だったんじゃないか
領民を痛めつけたら合戦でも使えないし反発も起こって後々良くない

289 :人間七七四年:2016/03/10(木) 20:05:45.76 ID:FZTEnlMP.net
逆だな
隠し田を持たない良民が困窮し脱税を繰り返す悪民が栄える亡国の統治
だから室町時代は下克上とか悪人正機が流行ってグダグダなのさ

290 :人間七七四年:2016/03/10(木) 20:16:16.16 ID:Xt3CguRU.net
今でもサラリーマンの自営業への不公平感があるな。

291 :人間七七四年:2016/03/10(木) 20:18:53.09 ID:KfN+yD+5.net
自営業は無年金大杉
いま稼いでるから払わなくても平気と過ごし
老後食い詰めて子供に面倒見させたり生活保護になったり…

292 :人間七七四年:2016/03/10(木) 20:56:28.86 ID:YlI0jDU2.net
そもそも有史以来、脱税を容認する国家権力など存在しない
全てを摘発する事は不可能がから、ある程度は黙認するだけだ
豊臣は農民のやり方を良く心得ており、その分だけ効果的な摘発ができただけであろう

293 :人間七七四年:2016/03/10(木) 22:29:08.71 ID:JJwoJpCV.net
豊臣政権は『落日の豊臣政権』で触れた「ならかし」に代表される外道な真似をしているけどね
金を無理矢理貸して利息をふんだくるなんてサラ金も真っ青だわ

294 :人間七七四年:2016/03/10(木) 23:14:53.15 ID:tGjW1vQR.net
>>285
あのさあ、それってどう考えても豊臣家の行政力の無さでもなければ、
家康の親切心でもないだろ

295 :人間七七四年:2016/03/11(金) 07:40:50.14 ID:6IjYeYke.net
文藝春秋SPECIAL 2016春

 カリスマ考証家が語り尽くす大河ドラマ「真田丸」の世界 - 二木謙一
  http://blogos.com/article/163052/

 メガヒットゲーム『信長の野望』創造と破壊 創造者は語る?シブサワ・コウ(コーエーテクモホールディングス代表取締役社長)
  http://blogos.com/article/163054/

 世界史のなかの戦国時代?石見銀山が世界経済を動かす - 岡本隆司(京都府立大学准教授)
  http://blogos.com/article/164535/

 世界史のなかの戦国時代?異常気象 小氷河期が戦乱を生んだ - 田家康(日本気象予報士会東京支部長)
  http://blogos.com/article/164537/

 戦国大名 究極のサバイバル戦略?今川義元 桶狭間に散った「東海王国」の野望 - 小和田哲男(静岡大学名誉教授)
  http://blogos.com/article/165961/

 戦国大名 究極のサバイバル戦略?武田信玄 風林火山「人は石垣」の人事術 - 加藤廣(作家)
  http://blogos.com/article/165962/
 

296 :人間七七四年:2016/03/11(金) 14:40:05.36 ID:CVF9U/Bu.net
>>294
では何?
ちなみに大坂での米積み出し制限に関連して、法令の実効性や苦情処理には
板倉勝重等が必要とされたので、大坂城下の支配すらできていない豊臣家

297 :人間七七四年:2016/03/11(金) 16:15:02.70 ID:rk+4VtAJ.net
秀頼は23歳迄の間に武将や政治家として、具体的な優れた素質を示す説話がほとんどないのがなぁ

298 :人間七七四年:2016/03/11(金) 21:52:22.30 ID:sSRLRqGu.net
奥田忠次って、マタベーと戦って死んだこと以外に、何か逸話はありますか?

299 :人間七七四年:2016/03/11(金) 22:11:53.99 ID:kIQK3Ocd.net
秀頼は、公家としての英才教育は受けたが、武将としては?だな。

300 :人間七七四年:2016/03/12(土) 10:44:11.86 ID:Hphtd2wu.net
>>296
米流通・経済の中心地だから、家康が権力をかさに代官を送り込んでるだけのことだろ
同時に、豊臣家を経済から遠ざけ権力を削るとともに、監視下においただけにすぎない
「豊臣家に行政能力がない」のではなく、「豊臣家に家康の介入をはねつけるだけの政治力・武力がない」
ということだ
信長だって、上洛した際に、畿内の平定までは手を広げられなかったが、堺など経済の要衝地には
代官を送り込んでいる

301 :人間七七四年:2016/03/12(土) 11:16:17.70 ID:y5ta8Keg.net
>>300
典型的な陰謀論だなあ。
そもそも豊臣家の側に基本的な行政力を取り戻そうとする活動が、大坂の陣で滅亡するまで遂に見られなかったのに?
徳川の方も別に豊臣家の領主主権を侵そうとする意思は見えない。あくまで委託業務をこなしているだけ。

豊臣の権力を削るとか監視下に置いたとか、そう主張したいならそれを示す史料を提示しないと

302 :人間七七四年:2016/03/12(土) 12:34:53.52 ID:Se1Wc2iT.net
>>301
仮にそうだとしても、「主家が不甲斐ないながら家老が頑張って補佐してる。」って”分”を守る意思からの行動ではない。

303 :人間七七四年:2016/03/12(土) 13:43:21.74 ID:WVluU4DZ.net
秀頼は太閤の子としてのプライドはあったが
若気の至りで曲げることを知らず突き進んだ結果が滅亡だからな
純粋培養だったんだろうな良くも悪くも
人のいいキムジョンナンだと思えばいい

304 :人間七七四年:2016/03/12(土) 13:57:30.27 ID:6WNGFxPs.net
>>302
流通の基軸たる大坂が回らないと京を初めとした畿内全域が困るので、
幕府が実務を行っただろう

305 :人間七七四年:2016/03/13(日) 09:59:29.20 ID:Dw2yUHOR.net
本気で徳川と戦う決意があったなら、関ケ原後に立花宗茂、後藤又兵衛くらいは召し抱えてるだろう。
家康の将軍宣下時に立花を、又兵衛浪人時に又兵衛即召し抱えして七手組以外に新手の親衛隊を
立ち上げるくらいでないと、いざ開戦といった時点でどうしようもないことぐらい、まともな武将教育を
受けた者なら常識だが、公家教育しか受けていない秀頼には「無理、無理、無理」だな。

306 :人間七七四年:2016/03/13(日) 15:00:53.74 ID:vG4orbgu.net
淀ばばぁがいる時点で無理ゲー

307 :人間七七四年:2016/03/13(日) 15:16:49.85 ID:1JlNAgns.net
本来なら当主であり総大将である秀頼が決めるべきことなのに
淀のせいにされてることって多いんだろうな

308 :人間七七四年:2016/03/13(日) 15:47:52.13 ID:tYEh3v+K.net
最後の最後まで出陣しなかった時点でな
優秀ならばばあが止めても行っただろう

309 :人間七七四年:2016/03/13(日) 16:17:11.28 ID:xS1RCwSr.net
貴人は敵の手にかかっちゃいけないので負け濃厚では出陣出来ません。あしからず

310 :人間七七四年:2016/03/13(日) 16:23:42.49 ID:1JlNAgns.net
千姫使って助命嘆願するくらいだし本人は死ぬ気ないでしょ
信長みたいに武者働きした後切腹でもすりゃ印象も変っただろうに

311 :人間七七四年:2016/03/14(月) 21:54:07.85 ID:apclAuJC.net
結局天下人の息子としてのプライドだけ高くて
肝心の天下人の素質が皆無だったんだろう
それでも福田千鶴みたいな贔屓の引き倒しみたいな研究者もいて
いまだ持ち上げられることがあるからな

312 :人間七七四年:2016/03/15(火) 08:30:16.96 ID:jf0YB0mO.net
>>305
「関ヶ原後に」って、秀頼は何歳だよw

313 :人間七七四年:2016/03/15(火) 09:22:48.39 ID:9EZvJQB6.net
>>309
足利義輝ww

314 :人間七七四年:2016/03/15(火) 19:04:00.11 ID:Wd37drCd.net
千姫のエピソードも入るだろうなw

315 :人間七七四年:2016/03/31(木) 22:33:20.92 ID:3hsKKsRJ.net
家康はまだしも秀忠は豊臣滅ぼす気満々だからな
武将としては兎も角、政治家としては家康に比べて
極めて冷徹だし、舅の自分にまったくの礼節を示さない
秀頼に苛立たしく思ってたかも知れないし

316 :人間七七四年:2016/04/01(金) 07:10:22.17 ID:DdbB5vrf.net
「江〜姫たちの戦国〜」では秀忠は徳川と豊臣の二巨頭体制を目指していましたが

317 :人間七七四年:2016/04/01(金) 09:01:04.87 ID:6ipnfBMJ.net
>>316
あんな笑止ものの、ファンタジー大河持ち出されても

318 :人間七七四年:2016/04/01(金) 11:50:33.46 ID:7CPbIWu/.net
所詮、大野の種だしな…

319 :人間七七四年:2016/04/02(土) 00:28:43.21 ID:p6TMkn09.net
治長があれだけ権勢誇ったのはやはり何かあるんだろうな

320 :人間七七四年:2016/04/04(月) 00:34:58.09 ID:Jn2SGg1z.net
秀頼が異常に存在感が無いのが原因で淀や大野の存在が相対的に大きく見えるのではないか

321 :人間七七四年:2016/04/06(水) 09:44:00.43 ID:vY95KbxK.net
福田千鶴とか一所懸命に未完の大器みたいに
擁護したり持ち上げたりしてるけど、
秀頼は実際に政治家としても武将としても
褒められるところないしなぁ
最期にしたって味方の主だった武将が敗れて
勝負が完全に決まった後、命乞いだし

322 :人間七七四年:2016/04/07(木) 12:44:11.16 ID:+FnzAPPp.net
>>317
大河と言えば時代考証してる人を見ると
真田丸では冬の陣は大坂方の勝ちみたく
描かれるのかな

323 :人間七七四年:2016/04/07(木) 13:08:04.20 ID:QXB0PF/A.net
大阪の陣で活躍したのはっ真田信繁だけではなく大坂牢人五人衆+大野
やはり毛利勝永と強盗又兵衛は無視できない
最後の最後で家康と秀忠に手痛い一撃を加えた大坂牢人五人衆+大野

柳生宗矩と立花宗茂がいなければ二代目将軍秀忠は戦死で
どんでん返しがあったかも

家康に人を見る目があったので秀忠はなんとか助かり
家康自身も勝永の特攻からなんとかギリギリで逃げおおせたのだろう

324 :人間七七四年:2016/04/07(木) 13:15:39.62 ID:p5esZawi.net
>>321
秀頼が室町将軍家の帝王学教育受けてた!すごい!とか書いてあるけど、その講座2回受けただけでやめてるんだよなあ秀頼。
むしろ馬鹿なのを再認識させてくれる話だと思った。

325 :人間七七四年:2016/04/07(木) 13:15:59.88 ID:QXB0PF/A.net
柳生宗矩と立花宗茂はそれなりの戦績(徳川幕府の恩人)があり評価が高いけど
負けた方は真田信繁だけが評判が高く
実際には一番危険で強く家康を本気で震え上がらせた毛利勝永の評判が著しく低い

ちょっと残念かな
もう少し評価があってもいいとは思うんだけど

ちなみに夏の陣で一番若く血気盛んだったのが毛利勝永(30代)
真田信繁は初老だったので体力の面では家臣に頼るしかなかった

326 :人間七七四年:2016/04/07(木) 13:17:33.63 ID:p5esZawi.net
>>323
一次資料で家康にせよ秀忠に出よ、その本陣が攻撃された記録は一切存在しない。
真田にせよ毛利にせよ、夏の陣でのその活躍はあくまで軍記物の中だけのファンタジー

327 :人間七七四年:2016/04/07(木) 13:20:08.39 ID:QXB0PF/A.net
いやいや一次資料はたくさんあるでしょう
ただ徳川方の正式な記録には載せていないだけで
夏の陣での毛利勝永の活躍だけはなんとか隠ぺいしたかったと思うよ まじでしゃれにならないレベルだから

328 :人間七七四年:2016/04/07(木) 13:21:58.30 ID:QXB0PF/A.net
柳生宗矩と立花宗茂は家光の師匠でおかしなくらい英雄扱いだし
これはね、戦下手の秀忠がまじで死にかけでこの二人に助けられたからだよ

329 :人間七七四年:2016/04/07(木) 13:23:32.12 ID:p5esZawi.net
>>327
でたでた徳川陰謀論。徳川以外の一次資料にもねえよ。

330 :人間七七四年:2016/04/07(木) 13:27:15.43 ID:p5esZawi.net
真田信繁にせよ毛利勝永にせよ、最後はヤケクソの特攻かましたけど、衆寡敵せず幕府の大軍にすり潰されて死んだ。それだけのこと。
それに変なロマンを後世の人間か勝手に付け足したにすぎん。

331 :人間七七四年:2016/04/07(木) 13:28:19.21 ID:QXB0PF/A.net
陰謀論とかじゃないからw
中には徳川家康がこの時に死んだとされる説もあるくらい
徳川方の記録ではすぐに終わったと書いているが
実はそういう展開があった
徳川信者には認められない事実かw 徳川信者は信じなくてもいいんじゃないのか?

332 :人間七七四年:2016/04/07(木) 13:38:58.84 ID:nN/joG22.net
ここの所あちこちで暴れてるなこいつ

333 :人間七七四年:2016/04/07(木) 13:42:41.10 ID:p5esZawi.net
もしかして本物のバカを相手にしてしまったか

334 :人間七七四年:2016/04/07(木) 14:04:56.74 ID:HX5Xkl97.net
宣教師も毛利勝永の事には言及しているのに
徳川信者は本当のバカなのか?
自分の好きな武将の事しか見えないようだ

335 :人間七七四年:2016/04/07(木) 14:08:58.53 ID:HX5Xkl97.net
家康は優秀な武将だったとは思うが
あまりに持ち上げすぎるのもどうかとは思うがw
天下を取ったのだからそれなりに当時からかなり持ち上げられているのが理解できないのかな?

336 :人間七七四年:2016/04/07(木) 16:38:59.38 ID:nKVTCNau.net
そういう観点からこれまで過小評価され、現在も研究者はそういうスタンスだが、
最近のネット界隈では、「むしろ神君神話除去して史料読むと、更に凄いのだが」となっている

337 :人間七七四年:2016/04/07(木) 16:45:26.38 ID:TzaCX0Yg.net
利根川東遷、江戸湾埋立とかのインフラ整備は後世への遺産

338 :人間七七四年:2016/04/07(木) 19:53:32.17 ID:ctVTXXv/.net
勝永と信繁の最後の突撃は命がけだからできたことだろ
家康は油断していただけしかも総大将は将軍の秀忠だろ 家康は大御所として参加
家康の馬印が倒されたのも信玄とこの時だけ
時間にして一時間くらいの出来事
勝永は淀と秀頼と大坂城でその後に朽ち果てる
信繁は休んでいたところを、、、何とも哀れではないか

一時間の出来事をなかったことにするのは信繁も勝永もかわいそうだわ
散りゆく武士に花を持たせるくらいではないと風流であるとは言えまい

339 :人間七七四年:2016/04/07(木) 19:59:19.95 ID:nKVTCNau.net
史実と浪花節を同一視するのはどうかと

340 :人間七七四年:2016/04/07(木) 20:06:06.22 ID:ctVTXXv/.net
家康は神君扱いでいまでも知らぬものはない有名な天下人
真田信繁と同じく戦国時代のドラマや映画にひっぱりだこの人気者が家康
毛利勝永は秀吉の恩義に報いようとした忠義の人
しかし最後の突撃は知る人ぞ知る事実で真田幸村に手柄を取られて一般に人にはあまり知られていない
ここからが本当のファンタジーでその手柄は全て真田十勇士に盗まれている
ここが本当はおかしい点だ

そんな勝永の最後の活躍の部分まで家康可愛さに否定するなんてなんと度量が狭い奴と思うわ

341 :人間七七四年:2016/04/07(木) 20:08:09.98 ID:ctVTXXv/.net
家康ファンは真田丸で痛い目にあっているので知りたくももないだろうが
少しは史実かどうか?調べてみれば?
知らなければ知らないで黙っていればいいと思うわ

342 :人間七七四年:2016/04/07(木) 20:28:23.78 ID:P03G7BOq.net
こんなにヘタクソな対立煽りも久々に見たな

343 :人間七七四年:2016/04/07(木) 20:45:42.92 ID:pePQfLn2.net
>>315
家康は豊臣家を滅ぼす気満々でしょ
秀忠はそれに忠実に従っただけだ

344 :人間七七四年:2016/04/07(木) 20:52:24.02 ID:nN/joG22.net
そうでもない

345 :人間七七四年:2016/04/08(金) 15:37:56.12 ID:TpunhZED.net
国家安康で血祭りになるのだから昔も今も

キジも鳴かずば撃たれまいやねw

346 :人間七七四年:2016/04/08(金) 15:58:54.79 ID:wX2tR8C9.net
そもそも開戦のきっかけはその方広寺鐘銘事件ではない。秀頼による片桐且元への攻撃。

347 :人間七七四年:2016/04/09(土) 12:31:21.94 ID:DUOX0F7T.net
>>343
豊臣家を滅ぼす気満々だったのは淀だろ
家康は淀の暴走に巻き込まれただけ
家康でなくても鎮圧に向かわざるをえない方向へと淀に追い込まれた

348 :人間七七四年:2016/04/10(日) 09:40:57.55 ID:FgItB/Ci.net
摂河泉で60万石くらいらしいけども
腐るほど金もってたらしいが大阪方

349 :人間七七四年:2016/04/10(日) 09:47:00.27 ID:NWbo9MtS.net
実態は何万石かはわかってないみたいね。
諸大名に加増した分とされる領地の金や米が豊家の蔵に入っていた
証拠もあるし

350 :人間七七四年:2016/04/10(日) 10:28:20.35 ID:BX2FmqZR.net
その上領地の行政も徳川に委託していて、豊臣は本当に遊んで暮らしているだけだった

351 :人間七七四年:2016/04/10(日) 10:48:56.06 ID:Xr75Nght.net
遊んでないよお寺立ててたよ!

352 :人間七七四年:2016/04/10(日) 22:23:39.13 ID:HdQIhrHd.net
そのまま秀吉時代の栄光の思い出の中に生きて
供養のみしながら生きていけばよかったのに、
足利義昭みたいに実力も無いくせに、
天下人の息子と言う名前に見合った権力と権威等を
欲しがるから、滅ぼされるしかないんだよ
せめて大坂城を捨てれば生き残れたかもしれないのに

353 :人間七七四年:2016/04/10(日) 23:01:45.82 ID:/b6zu0ed.net
三法師様が秀吉に対して"国家安泰"みたいな挑発をしてたらどうなっただろうか?
と考えると、家康が秀頼にした対応はそこそこ我慢してたほうだと思うがね。
最低でも二度は生き残りのチャンスを与えてるし

354 :人間七七四年:2016/04/11(月) 09:30:03.85 ID:g5NPkXWK.net
家康にしてみれば強気者には従うと言う様な当時の常識から考えて
臣従させられると思ってたんだろうな。
だから出来るだけ軟着陸出来る様孫娘を嫁がせたり、官位を上げたりと
気を使ってきたのに、あちらは牢人集めて暴走
土壇場になって嫁さん使ってまで命乞いと醜態を晒して終わり

355 :人間七七四年:2016/04/11(月) 19:31:29.42 ID:84y0fQb1.net
それでも家康は簒奪者。
謀反人のそしりは免れぬ。

356 :人間七七四年:2016/04/11(月) 20:11:49.23 ID:cYWaCuKj.net
( ´,_ゝ`)プッ

357 :人間七七四年:2016/04/11(月) 20:14:10.85 ID:CLUnimpC.net
( ´,_ゝ`)プッ

358 :人間七七四年:2016/04/11(月) 20:29:47.95 ID:KgfSvav4.net
朝廷の力を使って主家との主従関係を逆転させる手は秀吉が先にやってるから、家康だけ責めてもな。

359 :人間七七四年:2016/04/11(月) 21:17:49.56 ID:fsfzbRz3.net
>>355
もちろん豊臣の羽柴秀吉太閤殿下も簒奪者
謀反人のそしりは免れぬwwww

所詮、魔神たる第六天魔王様の式神だった
猿と狸、獣人同士やったことに大差はない。

360 :人間七七四年:2016/04/11(月) 21:24:19.59 ID:CLUnimpC.net
獣人?頭大丈夫?

361 :人間七七四年:2016/04/11(月) 21:32:17.23 ID:IoCtMYLU.net
統合失調症の疑いがありますな。

362 :人間七七四年:2016/04/11(月) 21:33:31.31 ID:9ODn4jx5.net
豊臣を簒奪したのは三成だろ
関白を殺したうえに謀反を起こして秀頼を監禁することで豊臣を簒奪した
家康は三成の謀反を鎮圧しただけであり
三成のせいで無主物になった天下を治めてほしいと天皇から将軍就任の要請が来たため応じたに過ぎない

363 :人間七七四年:2016/04/11(月) 21:52:48.35 ID:swM7AXIe.net
》353
家康は鐘銘に関しては不快に感じて問い質してはいるけど、不問にしている
家康が問題視しているのは牢人を集めている事と秀頼と秀忠が不仲な事
これに関しては片桐だけじゃなくて、ちゃんと大蔵局にも改善を求めている

364 :人間七七四年:2016/04/11(月) 22:31:25.86 ID:fsfzbRz3.net
>>360 >>361

猿と狸と言われてる秀吉と家康だぜ。
しかし天下人の二人を獣呼ばわりは気の毒だろうw
よって獣人と書いたんだよ。

洒落のわからん人らは無粋だね。

365 :人間七七四年:2016/04/11(月) 23:25:19.74 ID:IoCtMYLU.net
>>364
洒落の使いドコロがわからない人間ほど惨めなものはないんだぞ?今後また恥をかかないように覚えておこうな。

366 :人間七七四年:2016/04/11(月) 23:53:28.78 ID:84y0fQb1.net
>>362
それを簒奪という

367 :人間七七四年:2016/04/11(月) 23:54:12.29 ID:IoCtMYLU.net
>>366
言わねえよ。

368 :人間七七四年:2016/04/12(火) 00:20:07.55 ID:S6GX9Q3/.net
>>363
>家康が問題視しているのは牢人を集めている事と秀頼と秀忠が不仲な事
>これに関しては片桐だけじゃなくて、ちゃんと大蔵局にも改善を求めている

これって史料あるの

369 :人間七七四年:2016/04/14(木) 23:42:28.39 ID:TjJX1NZg.net
>>366
家康が関白を殺したうえで自分が関白になったのなら簒奪で間違いないけど
関白を殺したのも武装蜂起による謀反を起こしたのも三成であり
家康は豊臣がまったく関係しない将軍に天皇から要請されてなっただけなのに
どうしてそれが簒奪になるのか理解できない
むしろ豊臣が三成を制御できなかった不満を家康にぶつけて逆ギレしているだけで
はっきりいって家康の方が被害者だろう

370 :人間七七四年:2016/04/15(金) 21:52:39.24 ID:VwPYmkg0.net
『真田より活躍した男 毛利勝永』
今福 匡

http://www.amazon.co.jp/dp/4801600468/

371 :人間七七四年:2016/04/15(金) 21:59:58.33 ID:O0YSjgR4.net
勝永なんて書くことないだろうに

372 :人間七七四年:2016/04/16(土) 07:42:54.63 ID:wbBjx7G+.net
家康は誓詞等で明らかなように秀頼に忠誠を尽くす立場であったのは
天下周知の事実。
実権を握り続けたことは致し方ないかもしれないが、
暴君でもなかった秀頼を攻め滅ぼしたことは大義名分論的に云えば逆臣の誹りを免れない。
江戸時代から種々の理由をつけて正当化を試みていたが、家康好きなら
居直りしてないで「ダーティー」な神君をも愛せよ。
戦国最後にして最大の下剋上の体現者が家康。

373 :人間七七四年:2016/04/16(土) 08:29:35.96 ID:INre0ztP.net
だから征夷大将軍に任命された時点で豊臣家の臣ではなく天皇の臣になったんだよ
秀吉が関白になって織田家の臣ではなくなったのと同じ

374 :人間七七四年:2016/04/16(土) 09:18:36.95 ID:HEFVgs9G.net
>>373
それを言い出すなら下級の官位を貰っている時点で建前上はそうなっているはず。
その解釈はおかしい。
秀吉も家康も単に官位も実際の力も超えたから偉そうにしはじめただけ。

375 :人間七七四年:2016/04/16(土) 09:20:20.77 ID:3x7u35CQ.net
統治能力なければ離反しても問題ない

376 :人間七七四年:2016/04/16(土) 09:24:23.05 ID:HEFVgs9G.net
家康の場合は自分が死んだら徳川家がどうなるかわからんという
思いから関白家を攻め潰したんだろ。自己防衛だし、秀頼も若すぎたから
致し方ない面もある。

ただしそれは明らかに簒奪だし逆心。
だからこそ家康は大坂の陣直前に色々な大義名分を学者に打診していた。
本当に誰からもそしりを受けないのであればそのような行為自体が必要ない。

377 :人間七七四年:2016/04/16(土) 09:27:30.02 ID:HEFVgs9G.net
×逆心
○逆臣

378 :人間七七四年:2016/04/16(土) 09:38:03.93 ID:IXEKxh2C.net
>>370
勝永厨が歓喜しそうなタイトルだな
今福って人良く知らないけど、どんな歴史研究家なんだ

379 :人間七七四年:2016/04/16(土) 09:57:57.65 ID:INre0ztP.net
>>374
言い方が悪かった
要するに天下人として国内を統治するだけの実力に伴う名分を朝廷に保障されたということ
その段階で豊臣政権の大老として天下の仕置きを行うのではなく
徳川政権の長として自立したと考えていいだろう

380 :人間七七四年:2016/04/16(土) 10:03:52.66 ID:fe3M1aB/.net
>>378
上杉関係の研究者だろ。『上杉景虎』はわるく無かったが

381 :人間七七四年:2016/04/16(土) 10:06:44.94 ID:B2v0MbWh.net
>>376
当時、誰から誹りを受けたの?
受けてないなら、大義名分は正当性があったわけだ。

382 :人間七七四年:2016/04/16(土) 10:23:43.30 ID:Vq0Tf0Fv.net
>>381
あの時代にそのような事を堂々と言えるわけなかろう。
大坂と幕府との書状のやり取りを暴露した1600年代中ごろの町人が
斬首になったように、幕府にとっては非常に都合が悪かったようだがね。

だって家康自身が何を怯えたのかしらんが、大義名分論を盛んに探している。
これで議論は終わっているんだよ。
さっきも言ったが完全に正当ならそんな事自体をする必要が無い。
探すという事自体正当ではない、ということの裏返しだ。
でも幕府の力を恐れてみんな(表向き)だまっただけ。

北朝鮮の指導者に誰も物が言えないのと一緒だわ。彼らも暴君のそしりを
受けていてしかるべきだが、表向きは誰にも受けていない。君の理屈なら
正当性があるって事になってしまうわな。

383 :人間七七四年:2016/04/16(土) 10:28:12.14 ID:3x7u35CQ.net
>>382
講義させただけで、議論終了とは嗤わせる

384 :人間七七四年:2016/04/16(土) 11:08:51.48 ID:B2v0MbWh.net
>>382
力によって何も言えない状況を作れるのなら、、そもそも大義名分など必要ないのでは?

北朝鮮は世界中から誹りを受けていると思うが?

385 :人間七七四年:2016/04/16(土) 11:48:30.44 ID:ZcivFdlj.net
将軍になったことで実質、国内の統治権を認められたわけでしょ?

下位の役職や官位と同列視していいのかな?

386 :人間七七四年:2016/04/16(土) 11:56:36.51 ID:1DUm3NZE.net
当時の学者の議論は、秀吉は暴君で豊臣政権は非道な政権だから
それを倒すことはむしろ賞賛されるべき行為である、というものだったと思う。

これを否定するためには、秀吉の非道性は一代きりで
秀頼とは関係ないということにしなければならないだろうな。

秀吉と関係を断たれれば秀頼には何の存在価値もなくなるが。

387 :人間七七四年:2016/04/16(土) 12:02:58.59 ID:ZcivFdlj.net
親が非道だと子どもも非道なの?

388 :人間七七四年:2016/04/16(土) 12:40:07.12 ID:3x7u35CQ.net
秀頼は自身の意志で徳川・豊臣の両属関係にある且元も殺そうとした

389 :人間七七四年:2016/04/16(土) 15:30:50.98 ID:mdWJlZDC.net
>>372
家康にだって正当防衛の権利はあるんだよ
豊臣は上杉を使って家康を挑発して誘い出して
三成という刺客を背後から放って殺害を企てた
その後も浪人を集めて武装したり家康の殺害計画を止めなかったのだから正当防衛で豊臣を倒してかまわない
豊臣の陰謀に対して黙っていたら秀次のような目にあうことは現実に証明されているのだから問題ない
秀頼は直接的に手を下していないだけで間接的にはとんでもない暴君だよ

390 :人間七七四年:2016/04/16(土) 18:29:45.82 ID:wbBjx7G+.net
↑駄目だこりゃ

391 :人間七七四年:2016/04/16(土) 20:58:11.48 ID:mdWJlZDC.net
暴君というのは周囲の取り巻きを含めて評価されるべきものだろ
秀頼の取り巻きは邪魔だと思えば関白だろうが筆頭大老だろうが構わず命を狙う危険な連中ばかりだ
しかも関白の妻子まで処刑したり空前の規模の大戦を仕掛けたりと撒き散らす被害は類を見ない
そういう意味では秀頼は日本史上最悪レベルの暴君といえる
むしろ秀頼は生まれてきたこと自体が間違いだといえる存在だろう
家康を非難するとしたら暴君秀頼を倒すのがあまりにも遅すぎたということだけだ

392 :人間七七四年:2016/04/16(土) 22:48:51.78 ID:qTnhEtyc.net
秀吉の関白制は、建前上は天皇の権限の代行者。
大名は、秀吉、豊臣家に対して忠誠を誓うのではなく、天皇に忠誠を誓ってる。
家康を含む大名は、豊臣家の家礼、門流になったにすぎない。
天皇が家康を、関白を従わせられる将軍に任命した時点で関係は逆転する。

393 :人間七七四年:2016/04/16(土) 23:12:04.36 ID:ivQYpWPw.net
>>391
その割には、危険人物池田輝政(豊臣秀次の義兄)を生かしておくという
致命的ミスをしているけどね。

394 :人間七七四年:2016/04/16(土) 23:53:50.23 ID:3Huqc/uT.net
夏の陣勃発までの家康の対応を見るに、豊臣に対しては
大大名クラスの領土と公家勢トップとしての体面はそのまま残すから
天下人としての椅子は徳川によこせって方針だったのだろうか?
単に潰したいだけならもっと手っ取り早い方法があっただろうし

395 :人間七七四年:2016/04/16(土) 23:55:43.47 ID:RylAs9Fj.net
ゲームじゃねぇんだから理由もなく潰せるかよ。

396 :人間七七四年:2016/04/17(日) 00:02:09.80 ID:GYgJs5iT.net
>>392
一応関白は天皇の代理人だから形式的には将軍よりもはるかに上だぞ
おそらく家康は関白殿下と呼ばれる身になりたかったんだろうがそれだと露骨
に簒奪になるので、将軍を選んで豊家を煙に巻いて騙したのだろう。
形式的な立場は下でも豊家を潰してしまえば無問題だし。
だから結局は徳川家は秀吉が定めた清華家相当というものを江戸時代を通して
超えられなかったわけだ。

397 :人間七七四年:2016/04/17(日) 00:04:53.49 ID:0Teq9ZWc.net
この時代のことは絶対善や絶対悪というものはまずありえず、
相対的に善かったとか悪かったと言えるだけだろう。

その意味では、豊臣が滅んで徳川の平和が訪れたことは
日本にとって多分善いことだったとは言えるだろう。

398 :人間七七四年:2016/04/17(日) 00:07:10.98 ID:GYgJs5iT.net
>>395
当時の家康なら「おれが気にいらんから」で潰せるだろ。
大義名分が欠けていてもそれだけできる実力はあった。
でもその後の政権がどうなるかは別だけど

399 :人間七七四年:2016/04/17(日) 09:52:29.17 ID:rsQt2mX4.net
当時の徳川が豊臣を無理に潰す必要はないんだよな。
そもそも徳川家は豊臣家の姻戚で、家康は秀吉の義弟で秀頼の義祖父
秀忠は秀吉の相婿兼秀頼の義父、お江さんは秀頼の義母で実の叔母、
千姫は秀頼の正室で淀の姪。これだけ姻戚関係が重なっている。
本来なら大坂の陣が起こるような対立関係になるよりも、両家の和合に
よる平和関係が続くと見るのが普通。
家康もそのつもりでいたんじゃないのかな?
二条城の会見にしても、武家の豊臣家秀頼を呼びつけて臣従を強いた
というより公家の豊臣秀頼を招待したというように大坂方で対応すれば
ややこしいことにならなかったと思うぞ。

例えば
二条城まで牛車に乗り、公家の伴揃えで行く。
その際に清正を同行させず、家康との会見の際も片桐を同伴させる。
あるいは、千姫も同伴させるなどして臣従というより公家の秀頼と大御所
家康の義理の孫と義祖父の会談の体にすれば、俗説のいう家康が秀頼
を殺す決意をしたって話も出なかっただろう。

400 :人間七七四年:2016/04/17(日) 10:00:58.26 ID:v4bMZsxw.net
>>399
お前が豊臣家にいたら滅びずにすんだのにな

401 :人間七七四年:2016/04/17(日) 11:12:42.86 ID:d0IXQNZA.net
加藤、福島はそれをよく理解して動いている。
豊臣一門でもある2人は、自家も徳川家と姻戚関係となり、
幾重にも豊臣徳川の関係を強固なものとしている。

402 :人間七七四年:2016/04/17(日) 11:17:35.75 ID:0Teq9ZWc.net
>>399
言うほど簡単ではないだろうな。
もともと武家というのは揉め事を起こして
それに勝ち抜いて力をつけていくという発想のものだから、
ある時突然自分から力を求めることを放棄するということは、
ある意味至難の業。

豊臣以外の他家に武力による徳川幕府転覆の意図を放棄させるためにも
大坂落城と豊臣滅亡は、徳川方にとっても避けて通れない関門だったのかも。

403 :人間七七四年:2016/04/17(日) 11:25:08.79 ID:AZiA5rzo.net
>>396
勘違いしているけど天皇の代理人として権限を代行しているのは将軍だよ
将軍には朝廷から離れた場所で天皇の権限を自分で行使することが認められている
遠征地からいちいち天皇の許可を貰わずに迅速に戦をするにはどうしても代理権が必要だからね

建前上の関白はあくまでも天皇のアドバイザーであって勝手に代理権を行使することはできない
側に天皇がいるのだから天皇にアドバイスすれば形式的には事足りるはずだからそうなる
また関白は天皇を補佐するだけで上皇や大臣を補佐するわけではないから院政にも口出しできない
武士が台頭する以前から既に関白を名誉職でしかなく絶対権力者の称号などではなかった
秀吉は成り上がりの身で名誉を何より欲しがったから関白を選んだだけで
別に関白が将軍より凄いからなったわけではない

404 :人間七七四年:2016/04/17(日) 12:04:22.36 ID:/ITwSmsl.net
>>399
清正や浅野幸長が大坂からずっと御供してきたみたいに言われてるけど、
実際清正が御供していたのは娘婿の頼宣で、幸長はやはり娘婿の義直の御供で
二人とも京都で秀頼を出迎えてるんだよな

405 :人間七七四年:2016/04/17(日) 14:16:52.33 ID:rsQt2mX4.net
まあ夢物語だが、ウルトラCで大阪城を徳川に譲って、京都の第二聚楽第を築くというのも手の一つかな?
第二というだけに石垣付きの城タイプではなく、築地塀の大型公家屋敷(といっても内裏より小さいが)でも
作って住めばよい。天守閣の代わりに五重や七重の塔でも作ればよい。
下手に寺社を造営するよりも、そういう方向で金を使って、領地の管理も徳川に譲って京都で公家生活すれば
滅ぼされることもなかっただろう。七手組などの連中は、大阪城を譲られた徳川が城番衆として準旗本待遇で
雇用すればいいと思うんだ。

406 :人間七七四年:2016/04/17(日) 18:51:13.55 ID:bOIw0egu.net
>>403
>勘違いしているけど天皇の代理人として権限を代行しているのは将軍だよ

征夷大将軍ってなんの職か知っているのか?
それは戦に関してのみだろう。基本的には。
だが、関白も将軍もそれだけでは無意味である事は同意する。力がないとな。
当時の家康では関白を選ぶ事はあまりに都合が悪いのもあっただろうし選べなかった
んだろうがな。

>>405
すでに京都新城があったろ

407 :人間七七四年:2016/04/17(日) 21:59:23.01 ID:AZiA5rzo.net
関白は親から子へと世襲できる職じゃないし子供はなれないから継承に使うには不便だ
それに名誉はあっても本来は権力を独占するような職ではないから旨味がない
それまでの天下人が関白にならなかったのは凄すぎてなれないからでなくメリットがないからというだけだった
秀吉は卑賤の身で何より名声を望んだから関白を選んだけど
家康からすればたとえ豊臣がなくても関白みたいな不便で使いづらいものは論外だっただろう

408 :人間七七四年:2016/04/17(日) 22:23:06.28 ID:8KDL/Cpn.net
関白は世襲されてる時代もあるけど

409 :人間七七四年:2016/04/17(日) 22:36:19.31 ID:5Ls7e75o.net
秀吉→秀次

410 :人間七七四年:2016/04/17(日) 22:43:03.26 ID:6QLK+mjq.net
>>408
そういう訳の分かんない事言ってても話にならないから

411 :人間七七四年:2016/04/17(日) 22:54:48.92 ID:bOIw0egu.net
征夷大将軍は幕府を開けるけど幕府に謀反を起こす事=即皇室に謀反とはならない。
でも関白は朝廷直属の役職である上、天皇の代理人であるため即朝敵になる。

家康が武家関白を選んでいたら、後に公武合体論が出る事はなかったろう。
でも秀頼をさしおいて関白になっていたらその後は怪しいけどね。

412 :人間七七四年:2016/04/17(日) 23:00:37.14 ID:AZiA5rzo.net
現役関白が俺の子供の邪魔だ死ねの一言で
関白の方が謀反人扱いされて妻子もろとも粛清されていることは無視ですか?

413 :人間七七四年:2016/04/18(月) 00:42:25.52 ID:slgg6ClG.net
>>412
なんの話だ?
将軍とか関白とか所詮は肩書きにすぎんから実際はそんな所に力が
あるわけじゃないが、形式的には

幕府に逆らう=朝廷とは別の組織なので朝敵とは限らない
関白に逆らう=朝敵になる 

となるといっただけだ。実際の力がこれを曲げる事だってあるさそりゃ。
たとえば江戸時代前期ごろに朝廷が徳川家の将軍職を取り上げると言い出せば
幕府にとっては「主上御謀叛」となるだろうし。

414 :人間七七四年:2016/04/18(月) 00:50:21.59 ID:y76qEgG7.net
>>404
清正はともかく、幸長は秀頼のお供は死んでも断るだろうね。
何が楽しくて秀次公の仇(幸長は廃嫡の上秀次事件に能登に配流され、
秀吉の死まで許されていない)のお供なんてせねばならんのだ。
秀次の妻子の供養をして喧嘩まで売ったのに。

415 :人間七七四年:2016/04/18(月) 00:52:15.16 ID:y76qEgG7.net
ついでに、幸長が紀伊に関が原後に配置されたのは、秀頼に対する家康の
嫌がらせだから。姫路の池田輝政も同様。ここに秀次派の両巨頭を置くことが、
何を意味するか、大坂も判っていただろう。

416 :人間七七四年:2016/04/18(月) 08:24:14.06 ID:8+onWnI4.net
それは気付かなかった

417 :人間七七四年:2016/04/18(月) 19:43:46.97 ID:3ubP6WFI.net
鵜呑みにしてどうする

418 :人間七七四年:2016/04/18(月) 22:57:28.65 ID:7hN69ejX.net
>>413
君の理屈だと将軍だって朝廷直属の役職で天皇の代理権があるから即朝敵だろ
それに関白は天皇のアドバイザーであって代理人ではない
天皇の側で助言はできるが将軍と違い天皇の権限を行使するのは関白ではなく天皇本人になる
関白に逆らう=朝敵になるなんて秀吉が作った理屈であって関白の形式でもなんでもない

そもそも関白職は藤原が親戚同士で数年ごとにたらいまわしにしている職であり
関白だけ飛び抜けて偉く逆らったら即朝敵なんて危険な役職にしたら藤原自身が困るんだよ
あくまで名誉職だから気兼ねなくたらいまわしにできるわけ

秀吉が唯一の例外であって基準ではないということをいい加減気付いてくれないかな

419 :人間七七四年:2016/04/18(月) 23:56:23.98 ID:8+onWnI4.net
そういう訳の分かんない事言ってても話にならないから

420 :人間七七四年:2016/04/18(月) 23:57:41.24 ID:GJv3wocx.net
訳の分かんないなら黙ってれば

421 :人間七七四年:2016/04/19(火) 08:28:58.65 ID:gh+IwhxY.net
>>420
独自理論を偉そうにいわれてもな。

422 :人間七七四年:2016/04/19(火) 11:37:29.21 ID:GV4T9+U1.net
関白に逆らえば朝敵になるという主張は豊臣を持ち上げる時にたまに出てくるけど
秀吉時代以外に実例があったら知りたいな
源平や南北朝でもそういった例は聞いたことないし
藤原同士の内部抗争だったら相手を朝敵にするまでは行かないから
秀吉以前にやった人間がいるなら純粋に知りたいよ

423 :人間七七四年:2016/04/19(火) 13:47:32.95 ID:8+Uuc3dY.net
>>399
> 当時の徳川が豊臣を無理に潰す必要はないんだよな。

いや、あるだろ
あるから潰した
そもそも公家のフリしろって、公家は兵を抱えて城に住んだりしないよ
姻戚関係あれば平和ってのもおかしい
姻戚同志でいくらでも戦争起こってるだろ

424 :人間七七四年:2016/04/19(火) 13:59:59.88 ID:azv2AkpG.net
大阪城を明け渡して公家専業になれば残ったろうな。

425 :人間七七四年:2016/04/19(火) 14:32:00.97 ID:l9K9toaz.net
>>423
いや潰したのは冬の陣の講和すら破って再度敵対したからだろ。
こんなん豊臣じゃなくても常識的に潰すわ

426 :人間七七四年:2016/04/19(火) 18:31:56.67 ID:iKDop6AP.net
またいつもの人か

427 :人間七七四年:2016/04/19(火) 20:19:23.41 ID:Y8SD5ECC.net
大坂城を明け渡し、大和郡山五万石の小大名として転封に従えば、大廊下上の間席、親藩格、徳川御三家の上座は保証されていたのである

428 :人間七七四年:2016/04/19(火) 22:32:38.56 ID:gh+IwhxY.net
>>422
秀吉がそれをやった時点で前例ができたということだよ?
家康はそのうまみを当然学習しただろう。朝廷と己の権力を同一視される
というのは権力者にとってすごく都合がいい。
将軍は幕府を作れるけど、それは朝廷とは別組織を意味する。後世にここを
薩長につけこまれたからこそ公武合体なんて話がでてきた。
徳川幕府が秀吉は将軍を望んだが、身分が卑しくて将軍になれなかった、と
いう風説を後の世に流したか?これは家康が(環境的に)関白を選べなかった
事への不満の裏返し。将軍のほうがずっと偉いんですよ、と宣伝するための虚構。
関白の地位を相対的にDisっておけば将軍がいかにも関白の上であるかのように
人々に思わせる事ができる。

429 :人間七七四年:2016/04/19(火) 22:39:33.71 ID:Y8SD5ECC.net
はい作文やり直し

430 :人間七七四年:2016/04/19(火) 22:48:02.11 ID:gh+IwhxY.net
後の世に大政奉還後の徳川慶喜が関白になる話もあったけど
結局実現する事はなかったし秀吉を超えられなかったわけだわ。

431 :人間七七四年:2016/04/19(火) 23:48:28.12 ID:7l9E/FCE.net
戦国板のキチガイはなぜか幕末が大好き

432 :人間七七四年:2016/04/20(水) 22:27:37.47 ID:hqGzD6f6.net
>>428
豊臣厨って何で関白はこんなに偉いんですって必死なんだろう?
秀吉時代の末期でさえ関白職はなくてもいい職に成り果てていたのに
豊臣厨だけが関白を神様のように崇めたてて将軍より偉いんだと必死に連呼するさまは滑稽だよ

433 :人間七七四年:2016/04/21(木) 00:49:56.76 ID:67N08e8+.net
>>432
実際秀吉は天下人で位が関白太政大臣だったんだから偉いだろ

434 :人間七七四年:2016/04/21(木) 00:55:33.38 ID:D9Yi3YKJ.net
平家・建武・豊臣とやり方は違えど朝廷の権威に自分の権力を合体させようとした体制は全て短命に終わり
別組織として幕府を作る体制を選んだ場合だけ長期存続ができる
朝廷と己の権力を同一視されるというのは権力者にとってすごく都合がいいと素人が浅はかな考えを抱いたところで
現実はそう単純ではないのが面白い

435 :人間七七四年:2016/04/21(木) 01:07:18.32 ID:jLP9G8Hq.net
>>433
関白を殺し空位にして、こんなものいらねえをやったのも秀吉だけどね
それなのに豊臣厨は関白を称えるのに必死なのが滑稽でしかない

436 :人間七七四年:2016/04/21(木) 21:39:11.34 ID:OEGVZCkP.net
>>434
旧陸軍も然り

437 :人間七七四年:2016/04/21(木) 23:47:20.78 ID:6K1Uo/EW.net
>>434
大政奉還後の慶喜の関白職就任案は究極の公武合体
慶喜が関白殿下と呼ばれるようになっていればもう少し続いたかもよ

438 :人間七七四年:2016/04/22(金) 00:22:12.43 ID:+wrt6VBf.net
戦国板のキチガイはなぜか幕末が大好き

439 :人間七七四年:2016/04/22(金) 11:50:56.52 ID:by9ZZ02x.net
笠谷あたりは二重公儀体制を主張しているけど、
秀頼ら大坂方にそれだけの政治力とかあったのかなぁ

440 :人間七七四年:2016/04/22(金) 12:06:00.39 ID:Vtujy8a3.net
ある訳ない。
結論ありきの机上の空論。

441 :人間七七四年:2016/04/22(金) 12:42:06.40 ID:2lqOvncG.net
まぁいきなり65万石になるわけもなく
ある程度の公儀性はあったんだろう

442 :人間七七四年:2016/04/22(金) 12:56:11.34 ID:MFxpPp8e.net
なにをもって公儀制とするか。諸大名が年始の挨拶にくることか、普請工事の助役をすることか。

443 :人間七七四年:2016/04/22(金) 15:25:58.97 ID:2lqOvncG.net
>>442
定説では「減封」されたはずの蔵入地から引き続き収入があったとか、諸大名の家政に介入したり。
歴史は資料で判断するものなのに家康贔屓のクソ学者が結論ありきで「定説」を決めてしまうからウンザリ

444 :人間七七四年:2016/04/22(金) 16:34:09.50 ID:mETxaFOz.net
>>443
それ清正の親切レベルとか、家政介入といってもそれが何か実行力あったのかというレベルなのだが

445 :人間七七四年:2016/04/22(金) 17:03:46.69 ID:NaIn20fo.net
>>415
輝政は美濃と播磨どっちがいい?と家康に聞かれて播磨を選んだんじゃなかったけ
播磨になったのは偶然じゃね

446 :人間七七四年:2016/04/22(金) 17:47:28.87 ID:Qlm7sFUg.net
と、>>443みたいな豊臣びいきのクソ素人が申しております

447 :人間七七四年:2016/04/22(金) 18:18:17.17 ID:dNME5/3L.net
クソ素人とかきめつけんなガキ

448 :人間七七四年:2016/04/22(金) 20:01:01.76 ID:QhqB6hUS.net
>>439
笠谷とかいまだに二条城の会見では清正と幸長がずっと秀頼の御供してたとか
北政所は秀頼が秀吉の実子だと思ってるから、二条城の会見に同席したとか言ってる人でしょう

449 :人間七七四年:2016/04/22(金) 22:43:58.83 ID:/moEPqtf.net
>>443
どこの家政にどんな介入したの?
調停・停戦・攻撃指示などの無意味な書状乱発は、末期の足利将軍家もやってたよね
その程度のことじゃね?
大坂の陣の時だって、諸大名に使者送ってたけど、誰も言うこと聞かなかったじゃん

450 :人間七七四年:2016/04/22(金) 23:03:45.56 ID:MHwWn1lj.net
>>449
443じゃないんで俺も家政介入は詳しくは知らんが
浅野氏ら豊臣大名に知行宛行は独自にしてたらしいよ
ソースは平山優著の真田信繁

451 :人間七七四年:2016/04/23(土) 00:03:42.87 ID:jjlXADRN.net
>>439
二重公儀というのは豊臣公儀と徳川公儀が別々に独立活動しているのではなく
家康が従来の豊臣公儀と新しく立ち上げた徳川公儀の両方を支配している状態だからな
別に秀頼は豊臣公儀の支配者ではなく、あくまでも家康が豊臣公儀の支配者のまま
だから南北朝のように日本が分裂しているわけでもなんでもない
そして豊臣公儀をさっさと閉店したい家康に自分が豊臣公儀の支配者になりたい秀頼が喧嘩を売っただけ

二重公儀というと南北朝のような状態をイメージさせるから名称が悪いのは事実だろうね

452 :人間七七四年:2016/04/23(土) 00:08:20.68 ID:w2u3Ypgw.net
徳川家康が豊臣家大老という肩書きで政令を発するか、征夷大将軍・大御所という肩書きで政令を発するかの違いをもって二重公儀体制とする、ということかね

453 :人間七七四年:2016/04/23(土) 03:51:01.64 ID:xKcQIW7Z.net
従来の豊臣公儀なんて豊臣家の脳内にしかなさそう

454 :人間七七四年:2016/04/23(土) 20:40:49.51 ID:FNxVeqnt.net
>>450

>浅野氏ら豊臣大名に知行宛行は独自にしてたらしい

所領増加と安堵が第一の大名達にとって実行力を伴わない
知行宛行なんて何の価値も無いだろう

455 :人間七七四年:2016/04/24(日) 04:45:42.87 ID:HiVxBhjF.net
清正と幸長は毒盛られて死んだんですよ

456 :人間七七四年:2016/04/24(日) 08:54:49.90 ID:x5tfXXmn.net
>>455
大坂方にね。
反豊臣筆頭の浅野
絶対恭順派の加藤

どちらも豊臣公儀から見れば奸臣だからね。

池田も徳川派だから豊臣に粛清された。

457 :人間七七四年:2016/04/24(日) 09:10:11.43 ID:XarK8Mym.net
偶然にしても絶妙なタイミングすぎる。
特に清正、お前もうちょっと頑張れなかったのかと言いたい。

458 :人間七七四年:2016/04/24(日) 09:37:52.46 ID:4vRt7rPR.net
家康信仰者にとっては暗殺説も羽柴家がやった事になってんのかw
そんなの聞いた事ないわw

459 :人間七七四年:2016/04/24(日) 09:52:51.38 ID:XN0rFwYx.net
暗殺説に対する皮肉にも気付かんのかw

460 :人間七七四年:2016/04/24(日) 13:02:07.45 ID:ebZCEP16.net
>>458
家康がやったよりははるかに信憑性がある。
実際に、池田、浅野はいずれも秀吉時代は秀次の側で(ついでに池田輝政は
秀次の正室の義兄)、秀頼は秀次の仇敵として憎んでいた。
加藤も元々は秀吉の一族なのに、簡単に徳川に屈したから、憎まれていたんだろうね。

461 :人間七七四年:2016/04/24(日) 13:08:36.08 ID:ebZCEP16.net
家康でも、池田、浅野が秀頼と親しかったら、流石に隣におかない。
あそこに置いたのは、池田、浅野とも秀頼を秀次の仇敵として憎んでいて、
万に一つも協力関係にはなり得ないと踏んだから置いた。

462 :人間七七四年:2016/04/24(日) 13:24:14.28 ID:OUMQt7Bt.net
親しいという意味では秀頼は豊臣恩顧の誰とも関係がないな
あくまで恩顧たちが親しんでいた秀吉の息子というだけで秀頼個人との親交なんてない
そもそも秀頼は生まれついて恩顧たちとは身分が天と地ほど違うから
恩顧たちは秀頼に平身低頭するだけで交流なんてものはない

463 :人間七七四年:2016/04/24(日) 13:24:26.03 ID:ebZCEP16.net
逆に、秀頼の側からすれば、池田輝政、浅野幸長は直接自分に敵愾心を抱いており、
まだ家康のロボットで直接は利害関係はない譜代大名の方がマシ、という
隣国として一番望ましくない存在だった。除きたくなるのは当然だろう。

464 :人間七七四年:2016/04/24(日) 13:35:22.84 ID:ebZCEP16.net
そもそも豊臣恩顧は事実上秀次事件で崩壊している。実際に恩顧の臣と秀次との
関係は深く、秀頼を無理に後継者にしたことで、内心かなり疑問を抱いていただろう。
あとは恐怖で秀吉に従っていただけ。死んですぐ朝鮮出兵が終わったのが、
恐怖で従っていた典型例。

死んでいきなり牙をむきだした池田輝政、浅野幸長は極端としても、他も秀頼個人に
恩を抱いている人は少なく、彼らの空中分解は時間の経過とともに避けられなかった。

465 :人間七七四年:2016/04/24(日) 13:38:50.14 ID:o6h8tKT7.net
近親憎悪という奴だな。
秀吉が秀次事件でドジ踏んだからしょうがないが。
秀次出家後謎の死(毒殺)
秀次の男子も..
秀次の妻妾は出家ぐらいにしておけば良かった。

466 :人間七七四年:2016/04/24(日) 13:41:14.85 ID:ebZCEP16.net
>>465
徹底的にやるなら、正室の池田家は族滅しておくべきだったね。
池田家を残すと、条件さえ整えば、必ず秀次の仇討ち名目に、残党を糾合することは
目に見えていたし、実際にその通りとなった。

467 :人間七七四年:2016/04/24(日) 15:06:19.30 ID:XN0rFwYx.net
だって池田潰すと岳父の家康が激怒するし

468 :人間七七四年:2016/04/24(日) 15:10:29.99 ID:x5tfXXmn.net
>>466
もともと秀吉が、北条から出戻った家康の娘と男やもめになった池田を
バツイチ婚させたのだから族滅は無理w
その結婚の際、池田が家康の思考の斜め上を行く神対応して、家康と
めんどくさい三河武士のハートをゲットした為、池田は家康のお気に入り
族滅なんぞしたらは即家康と敵対関係にになり秀頼の地位と命が危ない。


以下余談ながら池田の神対応エピソード
家康の娘との見合いの為に家康屋敷に赴いた池田
縁談話も終わってからおもむろに
「ところでうちの親父をぬっ殺した永井って人に会いたいですが」
家康および三河武士一同(来たぁぁぁーーーー)
「あんたが永井か?なんで白装束?」
「すまん。あんたの親父さんを殺して・・・・」
「あ〜、それよりも。あんたいくらもらってるの?」
「???・・・・5000石」
「家康さんよ。俺の親父の首がたった5000石ぽっちですかい」
「いや、その・・・・年明けに1万石に加増するんだが」
「なら、よし。娘さん幸せにしますぜ」
家康&三河武士(漢だ、漢の中の漢だ)

469 :人間七七四年:2016/04/24(日) 15:42:15.85 ID:o6h8tKT7.net
>>467
小牧長久手で家康に池田恒興、元助親子が討たれてるがな。

470 :人間七七四年:2016/04/24(日) 16:07:56.35 ID:CedUQ9/b.net
父親と兄貴を殺害された恩讐を棄てて婚姻した池田輝政という人物に恐ろしさを感じる。一物で百万石をゲットする大器と存ずる

471 :人間七七四年:2016/04/24(日) 16:56:39.28 ID:XN0rFwYx.net
>>469
そこら辺を乗り越えた輝政を家康は高く買っているし、輝政もその辺は作戦立案者の秀吉に含むものがありそう

472 :人間七七四年:2016/04/24(日) 19:48:03.85 ID:44GhppKd.net
親兄弟討ち取られるなんてよくあることじゃん

473 :人間七七四年:2016/04/24(日) 20:33:46.92 ID:CedUQ9/b.net
だったら同じ立場になってみろバカタレ

474 :人間七七四年:2016/04/24(日) 21:17:14.20 ID:/uHr2aKe.net
徳川水軍の将の一人で御船手奉行になった向井正綱も
父と義兄を徳川軍に討たれているけど、武田滅亡後には
徳川家に仕えているな
隆慶一郎が小説に書いていた。残念ながら絶筆になってしまったけど

475 :人間七七四年:2016/04/24(日) 21:27:15.58 ID:XarK8Mym.net
隆慶一郎は秀忠になんの恨みがあったんだ…

476 :人間七七四年:2016/04/24(日) 22:06:55.59 ID:eXjhZjVi.net
>>450
平山優って冬の陣は大坂方の勝ち
何故なら宣教師がそう書いているからとか言ってる人じゃなかったか
真田信繁関連本なら相川司のが面白かったかな
>>474
「見知らぬ海へ」だっけ。面白かったけど関ヶ原直前くらいで終わりなんだよなぁ
長宗我部元親の扱いが悪かったんだよな

477 :人間七七四年:2016/04/24(日) 22:31:46.38 ID:APh14GR1.net
>>472
中川秀成なんかもそうだな
父親を殺した佐久間盛政の娘と結婚したし
そして家康の娘に押し出されて、離婚した輝政の妻は、中川秀成の姉妹
死別じゃないよ離婚だよ

478 :人間七七四年:2016/04/25(月) 00:40:56.32 ID:XUt5s9GA.net
まともに死んだ奴が少ない一族

豊臣秀吉    ○
   鶴松    ■病死(若死)
   秀頼    ▲自害
   淀殿    ▲自害
   北政所   ○
   秀秋    ■病死(若死)

豊臣秀長    ○
   小一郎   ■病死(若死)
   おきく    ○
   大善院   ○

日秀尼      ○
豊臣秀次    ▲切腹(大坂の陣)
   仙千代丸 ▲処刑(畜生塚)
   百丸    ▲処刑(畜生塚)
   十丸    ▲処刑(畜生塚)
   土丸    ▲処刑(畜生塚)
   露月院   ▲処刑(畜生塚)
   お菊     ▲処刑(大坂の陣)
豊臣秀勝    ■病死(戦地)
   完子    ○
豊臣秀保    ■病死(不審死)

479 :人間七七四年:2016/04/25(月) 01:10:22.43 ID:BY7R2qpS.net
隆清院 ○
隆清院の姉 ○

480 :人間七七四年:2016/04/25(月) 09:14:12.80 ID:+R9xb4gU.net
>>476
ていうか戦闘では実際に大坂方が勝ってるじゃん

481 :人間七七四年:2016/04/25(月) 09:38:54.59 ID:FINhhWu8.net
まぁ戦闘とやらで勝つまで無理しなかったんだけどね

482 :人間七七四年:2016/04/25(月) 11:53:10.00 ID:L+anlrnm.net
>>478
秀次連座で有力大名も離反したんだろうな
秀勝・秀秋も病死とあるが・・・

483 :人間七七四年:2016/04/25(月) 14:35:28.91 ID:uDiaW7d3.net
>>480
出城尽く潰され大阪城内に引きこもるだけに成ったことを勝ったとは言わない

484 :人間七七四年:2016/04/25(月) 14:52:15.36 ID:zx33P+2p.net
そうだそうだ!

485 :人間七七四年:2016/04/25(月) 18:04:02.84 ID:Kpsc1iR2.net
>>480
真田丸のことなら
局地的勝利にすぎない

486 :人間七七四年:2016/04/25(月) 19:18:46.44 ID:BY7R2qpS.net
東軍もあれ以上戦闘が伸びたら一旦撤退になってたらしいからな。
撤退になってしまうと求心力は落ちるしいいことは一つもない。
馬や牛に手をつけだしたら末期だ

487 :人間七七四年:2016/04/25(月) 19:24:01.98 ID:uDiaW7d3.net
>>486
そんな話は一切ない

488 :人間七七四年:2016/04/25(月) 19:42:28.33 ID:Dsz0cbqq.net
>>482
ほんの数年のうちに、
秀勝が朝鮮で「病死」、
秀保が「病死または自殺または他殺の不審死」、
そして秀次は「切腹」、その子供は「処刑」、その父は「流刑」

秀吉の姉は、息子たちも男子の孫たちもその領地も全て消え失せた時、確信しただろうな
秀吉の悪意を

489 :人間七七四年:2016/04/25(月) 19:43:43.25 ID:BY7R2qpS.net
>>487
お前の中ではそうかもしれんが牛馬の骨が大量に出てきて
兵糧はカツカツだったからあれ以上長引けば撤退も視野に入ってくるのは事実

490 :人間七七四年:2016/04/25(月) 20:15:25.02 ID:uDiaW7d3.net
>>489
牛馬の骨が出てくるのと兵粮カツカツという話がどうしてリンクするのか

491 :人間七七四年:2016/04/25(月) 20:33:55.17 ID:FINhhWu8.net
大坂方もカツカツなんだけどな

492 :人間七七四年:2016/04/25(月) 20:42:06.16 ID:zx33P+2p.net
武器商人の懐は、ほくほくです

493 :人間七七四年:2016/04/25(月) 20:50:11.46 ID:A3vbsQR+.net
どんな状況でも儲けてる奴はいるよなきっとww

494 :人間七七四年:2016/04/25(月) 21:12:17.81 ID:BY7R2qpS.net
>>490
米の類は大坂方が買い占めていて、はっきり言って攻める側は
兵糧が不足していた。で、最終的には城攻めには使わない馬や牛に
手をだす有様ってことよ。おまけに寒波に悩まされていたしな。
(ちなみに城方は兵糧はまだあっても弾薬が不足気味になっていた)
あのまま続けばチキンレースになっていたわけ。撤退を余儀なくされたら
面目も丸つぶれになるし、和睦の道を探っていただけのこと。

495 :人間七七四年:2016/04/25(月) 21:18:04.47 ID:Z23buSN0.net
>>494
兵糧は周辺から運ぶように命じたので、早晩に解決する見込みなのだが

496 :人間七七四年:2016/04/25(月) 21:22:00.39 ID:BY7R2qpS.net
>>495
なのだが、と言われても兵糧不足で和議の交渉していたのは事実じゃないか

497 :人間七七四年:2016/04/25(月) 21:23:08.52 ID:Z23buSN0.net
>>496
和議は兵糧不足が理由ではなく、当初からの方針

498 :人間七七四年:2016/04/25(月) 21:37:01.75 ID:BY7R2qpS.net
>>497
兵糧不足も原因ではやめただけのこと

499 :人間七七四年:2016/04/25(月) 21:55:43.79 ID:Z23buSN0.net
>>498
徳川方は早めていない
砲撃に屈した豊臣方が徳川方の和議の条件を飲んだだけ

500 :人間七七四年:2016/04/25(月) 21:56:02.71 ID:mV0hQrqr.net
そもそも和睦の条件を見れば豊臣方の負けが分かるだろうに
それとも丸裸な城にされようとも、大坂城を出なくて済んだから
大坂方の勝ちとでもいうつもりなのか

501 :人間七七四年:2016/04/25(月) 22:04:43.68 ID:V+tZc6ym.net
>332 人間七七四年 2016/04/25(月) 21:52:20.90 ID:BY7R2qpS
>勝者が自分の敵を良く書くわけは無いので、豊臣のネガティブイメージは
>だいたいは誇張があるとみている

やっぱりこいつ豊臣厨だったか

502 :人間七七四年:2016/04/25(月) 22:14:53.94 ID:BY7R2qpS.net
>>499
それ書いたの勝者側だし

503 :人間七七四年:2016/04/25(月) 22:35:51.59 ID:FINhhWu8.net
君の理論で幕末史もみなおしてくれw

504 :人間七七四年:2016/04/26(火) 00:37:46.44 ID:X57IM2SP.net
またこのアホ来てんの

505 :人間七七四年:2016/04/26(火) 10:21:52.64 ID:J1pmqi8j.net
勝者の記録改竄は、秀吉は熱心に行っているが、徳川は適当というか殆ど行っていない

506 :人間七七四年:2016/04/26(火) 10:38:33.10 ID:v8SFOqz5.net
>>505
> 秀吉は熱心に行っているが、徳川は適当というか殆ど行っていない

ソースかエビデンスは?

507 :人間七七四年:2016/04/26(火) 10:56:49.12 ID:xFyIu241.net
デマ。よってエビデンスはナイザンス

508 :人間七七四年:2016/04/26(火) 12:32:40.82 ID:J1pmqi8j.net
>>506
駿府記や東武実録は天正記とは比較にできない程にマトモな記録

509 :人間七七四年:2016/04/26(火) 13:04:23.68 ID:X57IM2SP.net
駿府記は一次史料に類するものだから比較対象にならんだろ

510 :人間七七四年:2016/04/26(火) 13:22:33.79 ID:+mq0YqlH.net
>>508
誰がまともと判断するの?

511 :人間七七四年:2016/04/26(火) 13:51:58.35 ID:X57IM2SP.net
お前じゃない事は確かだな

512 :人間七七四年:2016/04/26(火) 15:17:52.85 ID:J1pmqi8j.net
>>509
『当代記』は伊勢辺りの大名が編纂したものだから『駿府記』を挙げたが、確かにそうだね
後、官選というと『東武実録』と同じ松平直冬編纂の『家忠日記増補追加』位か

『松平記』『三河物語』は官選と言い難いし、『慶長見聞録案紙』は背景が不明だし

513 :人間七七四年:2016/04/26(火) 19:25:42.10 ID:X57IM2SP.net
惟任退治記とか戦国大名お得意の大本営発表的な外交書状の延長上にあるガチプロパガンダだから
国史や家譜と比較するのもちょいと違和感がある。家譜系で探してもしっくりくるものは無いだろうな

514 :482:2016/04/27(水) 04:31:14.65 ID:v72LxtIA.net
羽柴秀勝と豊臣秀勝がいるのか?
於継丸のほうを言ったんだが

どっちも怪しいなw>>488

515 :人間七七四年:2016/04/27(水) 10:03:18.02 ID:bF+BBa3L.net
豊臣秀勝は、秀次事件の3年前死亡だから、あまり関係なさそう。

516 :人間七七四年:2016/04/28(木) 09:30:35.17 ID:CTJ3MH49.net
>>476
冬の陣が大坂方の勝ちとか、関ヶ原の島津の敵中突破の評価並の過大評価じゃないか

517 :人間七七四年:2016/04/28(木) 20:48:14.94 ID:aV1p/0an.net
>>355
謀反もクソもねえよな

518 :人間七七四年:2016/04/30(土) 12:38:46.64 ID:OGW0jkRx.net
イエヤスが征夷大将軍についた時に秀頼はもっと保身を図るべきだった
親の威光に頼りすぎ

519 :人間七七四年:2016/04/30(土) 13:28:24.71 ID:up1JW6Nm.net
茶々が承知すまい。あの女子、太閤殿下逝去の砌、落髪もせず、いまだに大坂城の女主として居座っておる
その茶々を排するに、北政所殿と手を組まずして、一体誰と手を組むつもりじゃ

520 :人間七七四年:2016/04/30(土) 14:14:04.70 ID:OGW0jkRx.net
世に名をのこした名将は身内の愚行をたしなめる
あるいは排除もおこなう

淀殿が豊家のガンだったのだから秀頼はなんとかして家中の長としての力を確保すべきだった
まあ単にそれができないボンクラだったのだろうが。

比べる意味もないが織田信雄よりアホだったんじゃねえのかな

521 :人間七七四年:2016/04/30(土) 14:16:03.81 ID:ToWEQtWy.net
家名を残した時点で織田信雄も今川氏真も秀頼万倍マシ

522 :人間七七四年:2016/04/30(土) 14:22:26.87 ID:OGW0jkRx.net
確かに。

両者とも強者の庇護にはいれるだけの人脈と、頭をさげるだけの智恵はあるよな

秀吉薨去で豊家は終わってた、のをまわりが延命しすぎたな

523 :人間七七四年:2016/04/30(土) 14:37:37.92 ID:Z2J1yOl/.net
氏真と氏政が勝頼に勝利したか

524 :人間七七四年:2016/04/30(土) 14:57:26.76 ID:vioHOJbs.net
氏直だろうな

525 :川合伸旺:2016/04/30(土) 15:09:21.40 ID:up1JW6Nm.net
大坂の陣に河内狭山藩の大将として幕府軍に参与したは美濃守氏信

526 :人間七七四年:2016/04/30(土) 19:10:11.20 ID:sNoMg3Cp.net
>>521-522
織田信雄は大坂の冬の陣がはじまる前、自分が総大将に担がれるのを嫌って大坂城から逃げたんだよ

527 :人間七七四年:2016/04/30(土) 21:15:24.28 ID:fy1R70fK.net
>>526
有楽斎とかもそうだけど、身の程をわきまえてたよね
織田の血筋とかいつまでもそれを頼みにしてなかった

528 :人間七七四年:2016/04/30(土) 21:21:19.41 ID:JU8ozFTm.net
>>521
豊臣はほんの少し前に誕生したばかりで何の歴史も伝統もないからな
逆に言えば家名だけでも残す意味というのが当人たちには存在していなかった
むしろ権力のない豊臣なんて単なる粗大ゴミにも劣る無価値な代物というのが淀と秀頼の考えだろう
そもそも豊臣に権力がなければ親の仇である猿の側室になるなんてありえなかったわけだし
豊臣なんて無意味な家名だけ残すくらいなら博打のチップに使って滅んだほうがマシと考えるのも無理はない

529 :人間七七四年:2016/05/01(日) 09:11:13.89 ID:i+DvabiH.net
キチガイ

530 :人間七七四年:2016/05/01(日) 11:08:48.36 ID:EF4x+0mY.net
>>528
それはない

秀吉の遺した権力にしがみついて離れられなかったんだろ、淀殿も秀頼も。
だけどもうそこにろくな力は残ってなかったと。

531 :人間七七四年:2016/05/01(日) 13:58:05.81 ID:WnptDDhK.net
家康ってまったく愛されてないし不人気だしデブだし救いようがないな
唯一インパクトある出来事がうんこの件だけだし
可哀想になるくらいクソだなw

532 :人間七七四年:2016/05/01(日) 14:09:52.27 ID:8Ylp1/9b.net
秀吉が関白を殺して海外遠征を泥沼化したまま死んだからな
後始末を家康が負う羽目になって秀吉が招いた混乱を収拾するため
家康が天下人になって日本を治めざるを得ないように追い込まれた
家康もまた秀吉の悪政の被害者だろう

533 :人間七七四年:2016/05/01(日) 16:19:06.09 ID:min3MWEK.net
>>531
イエヤスは人気あるだろ
その分アンチも多いだけ

534 :人間七七四年:2016/05/01(日) 16:26:14.31 ID:MO3BOhmN.net
家康は、董卓のような暴虐を行ったわけじゃないからな。
民を圧政で苦しめたり、私腹を肥や下、わけじゃない。
豊臣家を滅ぼした事に関しても、全国の大名は合意済み。
『義』のお家柄であるはずの、上杉も積極的に攻め立てている。
徳川家の簒奪ではなく、豊臣家が見放されただけの話だな。

535 :人間七七四年:2016/05/01(日) 17:23:54.10 ID:6HKEBik5.net
英雄は何をするかわからないが、家康なら英雄っぽさがないかわりに無茶な事を強いないという安心感があるって、言っていた

536 :人間七七四年:2016/05/01(日) 17:38:49.85 ID:4DJoJLx9.net
あの時代、集団指導体制なんか無理だしな。今でさえ連立政権は難しい。
秀吉の死後、天下を回せる力量があったのは家康くらいだろう。
残りの大老、奉行は残念なのばかりだったし。

537 :人間七七四年:2016/05/01(日) 17:39:11.40 ID:yRiP5CW9.net
あの時代、集団指導体制なんか無理だしな。今でさえ連立政権は難しい。
秀吉の死後、天下を回せる力量があったのは家康くらいだろう。
残りの大老、奉行は残念なのばかりだったし。

538 :人間七七四年:2016/05/01(日) 17:52:10.68 ID:GXYtd421.net
宣教師の報告を信じるなら、関ヶ原後の家康は圧倒的な「善政」を行っている。
そして庶民層も含めて高い支持を得ていたとされる。

539 :人間七七四年:2016/05/01(日) 18:20:31.89 ID:QEjdi+k6.net
史実が正しいかどうか誰も確かめようがないからね

540 : 【末吉】 :2016/05/01(日) 18:31:42.34 ID:fGd9e6V2.net
浪人たちに再就職機会が無かったくらいかな?

541 :人間七七四年:2016/05/01(日) 18:38:05.35 ID:N5Amvi4W.net
高度成長期で何処も人手不足の江戸初期に再就職の機会が無いわけないだろ

542 :人間七七四年:2016/05/01(日) 18:55:33.07 ID:6HKEBik5.net
武士以外なら、そうだろうさ

543 :人間七七四年:2016/05/01(日) 18:58:25.12 ID:N5Amvi4W.net
つ帰農

544 :人間七七四年:2016/05/01(日) 21:03:34.73 ID:QowOasBq.net
家康の場合、傭兵で海外だな

545 : 【大吉】 :2016/05/01(日) 21:07:25.60 ID:fGd9e6V2.net
武士が向いていない浪人たちは帰農しただろうが
武士しか向いていないようなのには辛い世の中だな

546 :人間七七四年:2016/05/01(日) 21:57:09.45 ID:JTwi0FEk.net
>>535
わかるわかる
徳川の無理強いイメージは家康というより家光のせいだよな

547 :人間七七四年:2016/05/01(日) 22:06:37.79 ID:f8leeAi9.net
>>534
家康絡みで暴虐というか理不尽な命令をしたエピソードと言ったらなんだろう。
死ぬ直前、家康自己流じゃないふつうの薬を処方しようとした医者を怒って追放した奴ぐらい?

548 :人間七七四年:2016/05/01(日) 22:12:39.23 ID:JTwi0FEk.net
>>547
嫡男の切腹をさけたいのに家臣にオマエ等察しろよと好展開を期待したところかな
まあこれは小説の話だろうが。

549 :人間七七四年:2016/05/02(月) 00:29:04.51 ID:0faeWSt+.net
>>545
関ヶ原後の東軍大名や幕府による大量雇用から漏れてるということはそもそも武士に向いてないってこったよ
真田や後藤といった罪人組みは別問題というかそれ以前の問題だし

550 :人間七七四年:2016/05/02(月) 00:47:16.10 ID:8Or8Nelr.net
>>547
やっぱり、豊臣家を滅ぼした事だろうね。
ただし、そこに至るまでの過程で、豊臣家に対する逆意の形跡が全くない。
で、小説なんかでは面従腹背の腹黒い家康像が形成されていくわけね。
もちろん根も葉もなく、証明出来ない。

551 :人間七七四年:2016/05/02(月) 00:50:23.30 ID:dUhMSx8v.net
>>550
豊家討伐は理不尽でもなんでもなく残当

552 :人間七七四年:2016/05/02(月) 00:56:51.12 ID:2L8XpJ7K.net
>>549
そういう決め付けで放置したから徒党組まれて
秀頼一人殺すためだけの戦争で痛い目に遭わされたんじゃ?

553 :人間七七四年:2016/05/02(月) 01:00:29.11 ID:0faeWSt+.net
ほっとけば大部分が帰農して生産力になる存在を捕まえて皆殺しにしろとでも

554 :人間七七四年:2016/05/02(月) 01:03:14.90 ID:v8QJ/wi3.net
国家安康君臣豊楽のような難癖をつける輩が理不尽でないと?

555 :人間七七四年:2016/05/02(月) 01:04:45.84 ID:dUhMSx8v.net
いつまで鐘銘事件を難癖と言い張るつもりだよ

556 :人間七七四年:2016/05/02(月) 01:08:24.28 ID:2L8XpJ7K.net
>>553
農民に向いてなかったから浪人だったんだろう

そして結果的に徳川にやられたが
貧弱な武装で痛い目には遭わせる事に成功した

557 :人間七七四年:2016/05/02(月) 01:10:42.45 ID:0faeWSt+.net
だから皆殺しして解決すればよかったのかよ。生ポでも与えるのかよ

558 :人間七七四年:2016/05/02(月) 01:35:39.42 ID:v8QJ/wi3.net
>>555
それが史実である以上やむを得まいて

559 :人間七七四年:2016/05/02(月) 02:05:18.54 ID:URQFfZvA.net
>>

560 :人間七七四年:2016/05/02(月) 02:10:31.12 ID:URQFfZvA.net
>>558
それが史実としても、結局豊臣家滅亡関連時の事象でしょ?
それ以前に、豊臣家に逆意があった事は証明出来んよね?

561 :人間七七四年:2016/05/02(月) 05:46:14.45 ID:tdyh1TGO.net
>>558
お前の史実の捉え方はおかしい

562 :人間七七四年:2016/05/02(月) 06:28:27.56 ID:4zm9LeS9.net
この時代の諱の重さを知らないのか
そもそも鐘銘を書いた清韓本人が
家康と豊臣の字を入れた事を認めて
弁明しているのに

563 :人間七七四年:2016/05/02(月) 09:36:22.06 ID:cKirr8X+.net
重さがあることと戦争の大義名分になるかどうかは別

あれは誰がなんと言おうといちゃもん

564 :人間七七四年:2016/05/02(月) 10:35:43.87 ID:iEf5QaJy.net
戦の大義名分は、両属関係にある片桐且元を、勝手に秀頼が殺そうとしたからだよ

565 :人間七七四年:2016/05/02(月) 11:38:21.32 ID:dUhMSx8v.net
>>563
まーた「俺がそう思うから鐘銘事件はいちゃもん」か
史料だせよ史料を

566 :人間七七四年:2016/05/02(月) 13:01:35.92 ID:+bRFXHma.net
家康がイチャモンつけたら、豊臣が切れてテロ。

567 :人間七七四年:2016/05/02(月) 13:03:54.77 ID:Lh+VQFSS.net
いちゃもんというより挑発だろう
大坂方に徳川への敵愾心を増長させるように仕向けて戦の準備をさせ、
後へ引けないようにさせる
浪人を大量に城内に蓄えればいつかは暴発するので、
大坂方も戦をせざるをえなくなる

568 :人間七七四年:2016/05/02(月) 13:42:12.41 ID:w1gxilXl.net
>>553
帰農できるのは、帰農する土地をもっている昔からの国人・地侍あがりだけだ
秀吉・家康が各大名家を転封したり、自分の家臣を新たに大名に取り立てて
入植したため、帰るべき地盤を持たない武士が大量に生まれた
それが、江戸時代の大量浪人発生の原因となっている

569 :人間七七四年:2016/05/02(月) 14:08:42.77 ID:cpzbw9Pa.net
そんな相手に戦争の準備させての開戦なんて臆病で慎重な家康はやらんでしょ
単に公儀としての徳川幕府からみて豊家のワガママぶりが目に余り、
それでも以前の主家として気を遣ってたら淀殿秀頼が頭に乗ってしまった
いい加減看過できなくって転封ふくめて処置しようとしたら豊家暴発
そして開戦へ、と。

570 :人間七七四年:2016/05/02(月) 16:11:21.76 ID:cKirr8X+.net
二重公儀だからそんなもんだろ

571 :人間七七四年:2016/05/02(月) 16:31:59.02 ID:ic1TYy4k.net
>>570
まだそんなヨタ話信じているのか。

572 :人間七七四年:2016/05/02(月) 16:34:46.22 ID:cKirr8X+.net
>>571
資料にあるから仕方ない
お前は資料よりも自分の願望や結論があるからだめなんだわ

573 :人間七七四年:2016/05/02(月) 17:39:29.25 ID:dUhMSx8v.net
>>572
ところでお前は鐘銘事件がいちゃもんだという史料をいつ出してくれるの?

574 :人間七七四年:2016/05/02(月) 18:01:51.35 ID:+xSS6T0o.net
>>572
何の史料に「二重公儀」と出てくるんだよアホが

575 :人間七七四年:2016/05/02(月) 19:55:45.64 ID:cpzbw9Pa.net
>>574
二重公儀制論を唱えたのが笠谷和比古という研究者。
豊臣秀吉が天下人となって公儀を担っていたが関ヶ原以降に徳川幕府が誕生
本来公儀は本来幕府に移管する、わけだが秀頼が自分の勢力下で公儀っぽく権力をふるまってたことで二重公儀ってこと、らしいよ

また徳川も将来秀頼の関白任官を想定してある程度ゆるく見てたらしく江戸の普請に協力した秀頼が発令した書類が公儀のものだったのを咎めてない、とか

そういう話らしい
ただ一学説でしかない

576 :人間七七四年:2016/05/02(月) 20:12:05.58 ID:0faeWSt+.net
>>568
だから入植者募集してるちゅーの

577 :人間七七四年:2016/05/02(月) 20:56:58.32 ID:7Pg4mfiu.net
そうじゃないんだよ。徳川家康が五大老として関ヶ原合戦後に大名の加封や移封をしたことと、江戸幕府のCEOとして統治権を行使した場合のような使い分けをもって二重公儀政体論と言うのだよ

578 :人間七七四年:2016/05/02(月) 21:15:45.13 ID:cpzbw9Pa.net
いやそんな、たいそうな事でなくて
徳川幕府の公儀移行にいきつくまでの猶予期間があったってだけの話でしょ
秀頼関白政権、があるかもしれない、としてゆるゆるとその可能性が無くなっていった
そして徳川盤石へ。

579 :人間七七四年:2016/05/03(火) 00:49:24.31 ID:rj03dpNs.net
>>562
まだその学説唱えてる学者がいるのか?

580 :人間七七四年:2016/05/03(火) 08:22:08.61 ID:CEbPzQyk.net
>>579
上で名前が出ている笠谷とか渡邊とか色々いるだろう
逆に否定している人の名前を出してみなよ

581 :人間七七四年:2016/05/03(火) 09:21:06.03 ID:yhFl7u7z.net
>>580
その二人しか居ねえよ。外はほぼ否定してるわ

582 :人間七七四年:2016/05/03(火) 09:29:25.35 ID:KRml8b+x.net
否定している奴は学者じゃねーよ。
歴史は資料で判断するのにその資料を偽文書と言っている時点でおかしいわ

583 :人間七七四年:2016/05/03(火) 09:39:05.91 ID:amSsdqyd.net
二重公儀は史料の解釈が針小棒大としか言いようが無い

584 :人間七七四年:2016/05/03(火) 11:02:37.05 ID:lHhQpBZ7.net
二重公議政体論は徳川家康の肩書き如何によって変化した政策の

585 :人間七七四年:2016/05/03(火) 11:31:02.43 ID:7d8qmmFo.net
二重公儀状態といっても秀頼のほうは徐々にその力を失っていった、ってことで不変の話じゃないよね

586 :人間七七四年:2016/05/03(火) 11:43:17.02 ID:DCEsABst.net
二重公儀ちゃは関ヶ原もしくは将軍宣下で一気に一大名に落ちた訳じゃないよ、徐々に政権関与から外されて行ったよって話だろ
ああそうだねってくらいで、別段おかしくない。笠谷も大げさに言い過ぎてる面はあるがね
おかしいのは大坂の陣まで豊臣は徳川と同等の二重公儀の座にあった、
だから徳川はいちゃもんつけて豊臣から簒奪した事になるって徳川攻撃の手段に利用する輩

587 :人間七七四年:2016/05/03(火) 11:50:34.84 ID:yhFl7u7z.net
二重公儀状態があったとしてもせいぜい家康の将軍宣下まで

588 :人間七七四年:2016/05/03(火) 13:44:58.82 ID:npVJ08DY.net
将軍宣下までは徳川は公儀ではないからそもそも二重にもなってないよ

せいぜい、を言うなら征夷大将軍となった年から8年くらいあとの二条城会見じゃないか
あれで秀頼が臣下の礼をとったから。

589 :人間七七四年:2016/05/03(火) 13:47:40.86 ID:npVJ08DY.net
本来は徳川幕府開府によって公儀は移管してたのに、豊家による摂家政権が復活するとあきらめなかった淀殿秀頼とそのまわりが勝手なことしてたから二重公儀状態にみえてただけ、だよな

590 :人間七七四年:2016/05/03(火) 20:11:15.29 ID:ehnW+rLm.net
>>581
その二人以外だと圭室文雄とか宮本義己とか山本七平とか相川司とかいるな
他の奴らはみんな否定してるとかいうならその代表的な名前を上げろよ
豊臣信者の反論はいつも具体性に欠けているんだよな

591 :人間七七四年:2016/05/03(火) 23:10:46.11 ID:DCEsABst.net
森田恭二、渡邊大門、本多隆成とか、つかもとから二重公儀は異論の多い論説だろ

592 :人間七七四年:2016/05/03(火) 23:16:40.78 ID:MaWiuu6K.net
二重公儀じゃなくて鐘銘事件の話だろ

593 :人間七七四年:2016/05/03(火) 23:17:20.65 ID:DCEsABst.net
あ、すみません。寝ます

594 :人間七七四年:2016/05/04(水) 00:05:11.31 ID:VUbbBOq6.net
>>590
ただのロートルや小説家を挙げられても

595 :人間七七四年:2016/05/04(水) 00:33:48.04 ID:VUbbBOq6.net
笠谷は根拠も無く変わった事が言いたいだけの
ネットで菅沼に利用されてるただの馬鹿

山本七平は二十年以上も前に死んでいるが圭室文雄ってまだ生きてるのか?
相川司は小説家

渡邊大門は知らんな
何を言ってるんだ?

596 :人間七七四年:2016/05/04(水) 00:40:02.81 ID:VUbbBOq6.net
>>562
んで通説と違って諱がそんなに重たいものなら
なぜ大蔵卿や淀殿や秀頼その他側近連中が家康が怒っていないと考えて
家康が怒っていると報告した且元を反逆者扱いしたのか教えてもらいたいな

信繁や勝永や又兵衛みたいな名士たちも
当然常識的に知ってる事なんだよな?

597 :人間七七四年:2016/05/04(水) 01:11:50.11 ID:wi8ZQwjL.net
且元が家康に超怒られたのは且元が鐘銘作成の責任者だったためで残念でもなく当然
あと、大蔵卿らとの面会と且元との面会の間に秀忠の介入があったのもある
家康以上にキレてたのが秀忠

598 :人間七七四年:2016/05/04(水) 01:26:54.52 ID:VUbbBOq6.net
なるほど且元は鐘銘作成の責任者として個人的に超怒られたのを
豊臣への怒りと勘違いして「参勤交代か国替えか淀殿人質を飲むしか無い」主張して
豊臣や浪人たちに裏切り者と勘違いされ追い出されたのか

そして家康は「且元を追い出すとは許せん」と豊臣を滅ぼしたのか

悪いのは勘違いした且元と勘違いさせた家康と秀忠って事だな

599 :人間七七四年:2016/05/04(水) 01:49:59.48 ID:wi8ZQwjL.net
悪いのは現実見れてなかった秀頼じゃありませんかね

600 :人間七七四年:2016/05/04(水) 02:19:32.46 ID:D96bGWvh.net
大坂の陣の後、問題の鐘ってどうなったの?

601 :人間七七四年:2016/05/04(水) 03:09:55.67 ID:cjy3ivj/.net
当時の豊臣家は浪人集めたり、「徳川となんかあったら味方してね」という使者を前田家に送ったりして
戦の準備をしているのではないかと幕府に警戒されている状態だからね
その状況で鍾銘事件で家康の諱を無断使用という不敬行為を行った挙句
両家の融和を求められて献策を行った和平派の且元を追い出したら
豊臣家は徳川と敵対するつもりだと判断されても仕方ない

602 :人間七七四年:2016/05/04(水) 03:41:09.00 ID:eJDalRXt.net
まぁ、そもそも豊臣家を維持せにゃならん理由でもあるの?
擁護してる人も、豊臣家自体ではなく周辺の武将(石田とか真田)を贔屓したいだけでしょ?
真に国内政治の安定を考えたら滅ぶべき存在よ、豊臣家は。

603 :人間七七四年:2016/05/04(水) 06:05:08.67 ID:vlHB5waF.net
維持したいのは秀頼淀殿当人と、徳川から相手にされてない木っ端連中
豊臣はビッグネームだからなんとかしたかったのだろうが凋落確定なんだから少しは自重すべきだったわな

604 :人間七七四年:2016/05/04(水) 06:09:33.73 ID:S3Gkf2iR.net
>>602
徳川側としたら主家筋ではあるので義理は欠けなかった
だから一度に取り潰しはできない
それこそ少しずつ外堀うめて簒奪者の汚名をさけて政権を盤石にしていったのだろうよ

605 :人間七七四年:2016/05/04(水) 10:54:19.15 ID:VI4mG10R.net
ゴールデンウィークは読書しましょう
このスレに来る人へのお勧めはこれ

 「落日の豊臣政権 秀吉の憂鬱、不穏な京都」
   http://www.yoshikawa-k.co.jp/book/b214110.html
  レビュー http://togetter.com/li/929433

606 :人間七七四年:2016/05/04(水) 17:49:52.95 ID:5rzNX5NM.net
>>598
実際の片桐且元てイメージと違ってかなり粗忽者だったらしいな

607 :人間七七四年:2016/05/04(水) 17:59:46.88 ID:vlHB5waF.net
色々とまとめきれない結果からして相当無能だよな片桐

608 :人間七七四年:2016/05/04(水) 18:01:25.78 ID:VUbbBOq6.net
>>601いう両家の融和のための且元の献策が
参勤交代か国替えか淀殿人質

ただの無条件降伏だろ

609 :人間七七四年:2016/05/04(水) 18:16:28.26 ID:vlHB5waF.net
>>608
家光の先取りをするナイス献策

610 :人間七七四年:2016/05/04(水) 18:52:44.86 ID:cjy3ivj/.net
>>608
前田家だって芳春院人質に出して無条件降伏してるんだから
豊臣家だってその位やる必要あるだろう

611 :人間七七四年:2016/05/04(水) 18:55:50.72 ID:TrB6bK2F.net
つか家康はぬるすぎる。

612 :人間七七四年:2016/05/04(水) 21:55:17.35 ID:kob5ctTn.net
>>594
ロートルや小説家評論家だとしても名前を上げさえしない豊臣信者よりはマシだろう

613 :人間七七四年:2016/05/04(水) 22:38:05.53 ID:nz0PB8Xh.net
>>611
秀吉が織田秀信に対して教育係を送り込んでまでそうしたように
「いいか。父(秀信は祖父)は偉大な人物だがおまえ自身はただの凡人な。身の程をわきまえろ」
としつこく何回も秀頼に言い聞かせたほうが良かったのだろうかね。

614 :人間七七四年:2016/05/04(水) 23:57:34.53 ID:o+Vrshe0.net
そのとおりだな

615 :人間七七四年:2016/05/05(木) 01:04:12.60 ID:krOUCMxy.net
無理だな
「いいか。父は太閤様でお前はその子だ。徳川は我が豊臣家の家臣に過ぎない」
と、四六時中洗脳し続ける人が側にいる限りは

616 :人間七七四年:2016/05/05(木) 09:01:56.57 ID:hLyr/slY.net
>>611
ぬるすぎるんじゃなくなかなか豊臣家臣の立場を越えられなかっただけ
関白のようなガチで格式ある位ではなく将軍職
みたいななんちゃって権威を選んだのはその証

617 :人間七七四年:2016/05/05(木) 09:07:16.98 ID:8QYaBbM0.net
お、今日も無能な働き者が来たな

618 :人間七七四年:2016/05/05(木) 10:45:05.49 ID:+MJe/Fg6.net
>>612
諱を使った程度じゃ主筋の家が滅ぼされる程の理由にはならないなんて
通説以前に常識って事だろ

豊臣家はそれこそ畿内の貴族や僧侶たちから
贅沢に教育を受けられる環境にあったのに

619 :人間七七四年:2016/05/05(木) 10:45:36.20 ID:bKScyZfW.net
秀頼は関白でもないのに関白気取りだからな
こういう勘違い人間はどうにもならない

620 :人間七七四年:2016/05/05(木) 12:39:44.72 ID:2J/Px6X1.net
>>619
関白秀次処刑後、関白の権威は地に落ちたからな。
大坂方の意識は大坂の陣勃発までは下のようだったんだろうw

淀君>>太閤の息子秀頼>太閤秀吉>>>天地の距離>>>>>>関白>>>>>絶壁>>>>>征夷大将軍

621 :人間七七四年:2016/05/06(金) 19:16:48.09 ID:EI6eYuLq.net
大坂陣日記や細川忠利、浅野忠吉の書状とか見ると
本丸を残して惣堀、二の丸、三の丸を埋め立てる事が
和睦の条件になってるのに、なんで騙して内堀まで埋めた話になったんだろう

622 :人間七七四年:2016/05/06(金) 19:37:27.70 ID:dNRP1eku.net
>>621
一説には内堀うめるのは大阪方の役目だったそうな
徳川の謀略どころか自分等で埋める約束だったらしいよ

623 :人間七七四年:2016/05/07(土) 02:37:18.26 ID:DQhUK1UJ.net
冬の陣の和議が成った後、秀頼が大坂城天守閣を新たに建て直しさせたというのは真実ですか

624 :人間七七四年:2016/05/07(土) 04:32:14.55 ID:vFuVLssk.net
そんな暇はない

625 :人間七七四年:2016/05/07(土) 12:15:43.21 ID:eTYFsGSz.net
>>621
程度の問題かもな
実際子供でも登れるくらいにまで埋め立てられて
水が流れなくなったら生活や船での商売に困るし

626 :人間七七四年:2016/05/07(土) 12:30:55.59 ID:D6jxs/h8.net
>>625
大坂城内堀ならそういう問題は無いと思うが

627 :人間七七四年:2016/05/07(土) 14:07:52.59 ID:fNB126gt.net
>>625
堀と運河は違うと思う

628 :人間七七四年:2016/05/07(土) 15:02:50.40 ID:3sGErCUR.net
道頓堀は掘ってる最中に陣勃発で道頓さん戦死して陣後に完成か

629 :人間七七四年:2016/05/07(土) 16:00:28.60 ID:NAZ3qA5t.net
岡田斗司夫が「進撃の巨人(実写版)」に関して、「塀より先に堀を作るべきじゃね?」と指摘していた
城壁と堀、どっちが先か・・・

630 :人間七七四年:2016/05/07(土) 16:32:29.85 ID:IPI8h6Xa.net
>>629
つか堀を掘った土で塀をつくるものなので、基本日本では堀と塀はセットだ

631 :人間七七四年:2016/05/07(土) 16:55:52.42 ID:40grm2uj.net
堀は埋まって巨人はいり放題って論破されてたよな

どっちかなんて言わず城の防御あげたいなら堀も塀も建てるべきだな

632 :人間七七四年:2016/05/07(土) 17:23:52.57 ID:TtGhYx1x.net
堀だけ

━━┓┏
   ┗┛

塀だけ

  ┏┓
━┛┗━

堀+塀

  ┏┓
━┛┃┏━
   ┗┛

難易度が倍になる

633 :人間七七四年:2016/05/07(土) 21:37:48.84 ID:tp3Sf+zn.net
本丸残して堀はすべて埋めると言う和睦条件だったけど
内堀は豊臣が埋める担当だったのを、それまで徳川がやったんで
いつの間にか徳川が騙して埋めたって話になったのかな
埋め立て時にあったトラブルの話は一次史料には無いって事みたいだし

634 :人間七七四年:2016/05/08(日) 01:45:51.79 ID:llzlj8T2.net
埋め立て担当の資料は残ってるから一次資料はあるんでしょ

635 :人間七七四年:2016/05/08(日) 07:04:48.90 ID:rsDahlpe.net
>>631
コスト管理の勉強してこい
その金はどっから出すんだ?
兵隊減らすのか?
食料を減らすのか?
そんなことやってる時間はタイムマシンでも用意して巻き戻すのか?

全部が遅すぎた
秀康、秀秋まで死んだ後じゃ内乱をばらまくのも難しいし
それこそ、最初の面会で秀頼に家康暗殺をさせる以外に勝ち目は無いだろ

636 :人間七七四年:2016/05/08(日) 09:41:09.24 ID:L12L/G1N.net
>>634
本多親子の惚けた芝居とか徳川家臣が豊臣の侍女をからかった話とかの事じゃないの

637 :人間七七四年:2016/05/08(日) 10:10:09.67 ID:diSJaPfk.net
単に城の防御力の話してただけなんだがな
大阪城の話かどうかは知らんよ

638 :人間七七四年:2016/05/08(日) 11:21:35.95 ID:QJQlgxK/.net
>>636
講話時の取り決めの話で、大坂方が申し出て、家康が京極忠高を奉行とすることを条件に認めたと、
『大坂冬陣記』にある

639 :人間七七四年:2016/05/08(日) 11:36:02.88 ID:9Xtez/W5.net
飛び道具があるから塀か掘りかと言われれば塀のほうがいい気がする

640 :人間七七四年:2016/05/09(月) 05:50:56.94 ID:Z12pSt1W.net
総構えを埋め立てたら裸城同然だろ・・・
大阪城退去で国替えのほうがマダましなのになw

641 :人間七七四年:2016/05/09(月) 09:31:25.20 ID:pdLvmNpO.net
>>640
だから冬の陣はほぼ完全な降伏と言っていい

642 :人間七七四年:2016/05/09(月) 11:39:55.10 ID:jY7ZtcKm.net
奉行が惣構を取り壊すと聞いたってのは事実なんだろうけど
実際に首脳陣間でどういう内容の話があって双方がどう理解したのかって
のとはまた別の話しだからな

信繁たちも最初は平和が保たれると信じていたようだし
そもそも方広寺事件から且元離間策まで家康は色々と仕掛けているしな

結局のところは豊臣が徳川に騙されたってのが大きいんだろう

643 :人間七七四年:2016/05/09(月) 13:05:54.73 ID:I8G/UsPj.net
本質的な部分がなんも解決されてないのにその考えは脳天気すぎるわな

644 :人間七七四年:2016/05/09(月) 13:24:04.51 ID:pmxRNSQO.net
太閤は秀次を消す時に謀反の疑いで消しているが、そうではなく秀次を暗殺で消し、家康の仕
業ということにして謀反の罪で斬罪にすれば良かったものを

645 :人間七七四年:2016/05/09(月) 13:44:27.34 ID:ggQhXdAL.net
西国の大名が兵を率いて他所の国と戦争してる最中に
東国の抑えに濡れ衣着せて大規模な反乱でも起こされたら洒落にならんだろ

646 :人間七七四年:2016/05/09(月) 16:01:22.56 ID:bcEtyhnA.net
>>644>>645
根本的に違うから理屈が合わないんだろ

秀吉にとって家康は、かつて主君信長が信頼した格下の同盟者でありかつ、自身にとって信頼出来る部下だろう
佐々や柴田なんて信長の家来って意味では同じなのに逆らいまくったのと比べて
家康は秀吉を立てまくった。
次代にとって秀次が最大の敵であったのが前提で話をするべき

結果論でいけば石田三成を連坐させるべきだったな

647 :人間七七四年:2016/05/09(月) 19:33:50.16 ID:ZwDbkc9/.net
>>642
不利なことを押し切られたってならわかるけど
騙されたはねえよな

648 :人間七七四年:2016/05/09(月) 19:35:29.04 ID:ZwDbkc9/.net
>>646
そもそも家康が強力すぎて無理強いができなかった
秀吉としてはなんとか飼い慣らそうと努力しないとどうにも出来ないのが家康だった

649 :人間七七四年:2016/05/09(月) 19:57:20.81 ID:VlaSAyzc.net
家康は特別待遇だからな。妹と母親人質に出して臣下の礼とってもらうとか。
秀次事件後き内大臣に昇進させてるから、家康を頼ってたし。

650 :人間七七四年:2016/05/09(月) 20:32:50.14 ID:/uh26NrK.net
>>648
小田原攻めくらいならまだわかるが、天下統一後なら力の差が
ありすぎて徳川家をむりやり取り潰す事も十分可能だったと思う

651 :人間七七四年:2016/05/09(月) 20:39:18.06 ID:oGGyI1MM.net
自家の保全よりも戦国時代をいかに早く終わらせるかを考えたのだ
事実、信長、秀吉、家康は、類い稀な友情で結ばれ、家康は、あくまで和議に拘り、徳川幕府は、侵略をせず、侵略を許さずの泰平を築いたのであった

652 :人間七七四年:2016/05/09(月) 20:40:15.00 ID:I4myWKEJ.net
太閤から見た五大老評価

宇喜多=秀家は良い子だが、親父の遺臣どもがねぇ・・・・・・
毛利=上辺は従ってるが、お家乗っ取りが家業だからな。
上杉=お館の乱を見てると、義=偽の家だよな。会津にでも飛ばすか
前田=賤ヶ岳のことは忘れないぜ。まあ又佐に天下取りの度胸はない罠、まあ安牌だな。
徳川=信長との同盟破ってないし、怒らせなきゃ問題ない奴だな。
    俺の妹婿だし、息子は俺の相婿だし、まあ家族も同然だ。

こんなもんじゃないかな。

653 :人間七七四年:2016/05/09(月) 20:40:56.03 ID:ZwDbkc9/.net
>>650
そこは徳川の演技巧者ぶりが光るんだろうな
従順なふりをしながら機を見計らうと。
秀吉もそんな徳川をどうこうするより朝鮮でも攻めとけやと現実逃避したかな

654 :人間七七四年:2016/05/09(月) 20:51:08.52 ID:F2B3vFrZ.net
関ヶ原で勝利するまで、家康は豊臣家から天下を奪おうなんて毛ほども考えていなかったと思う
だから秀吉も信用した

655 :人間七七四年:2016/05/09(月) 20:56:14.03 ID:jY7ZtcKm.net
>>647
「孫婿を粗末にするわけがない」みたいに油断させたんだろう
あと且元を追い出した以上は家康を信じるしか面目が立たなかったのもあったのかもな

656 :人間七七四年:2016/05/09(月) 21:03:24.19 ID:LErP7Mq/.net
日本統一が遅れても、家康を潰すべきだった。アホの秀吉。自分の妹や母親を人質に送って家康にご機嫌とり、バカだよコイツ。
たぶん自分の人誑しキャラがうまく行き過ぎちゃって気持ちよくなっちゃって止められなくなっちゃったんだろう。
小牧長久手で一度自分に牙剥いてる相手なんだからどんな卑怯な手を使っても家康を徹底的に捻り潰すべきだった。

657 :人間七七四年:2016/05/09(月) 21:14:58.32 ID:VD5S3AoK.net
>>655
実際千姫と秀頼の政略結婚はないがしろにしないための布石だったよな
それを台無しにした淀殿と秀頼

658 :人間七七四年:2016/05/09(月) 21:17:29.93 ID:3SBpHy5R.net
>>656
真っ正面からやりあったらまた負けるかも、って気持ちもあったんだろうな
負けない、にしても痛手はおうし、それでまた反旗をひるがえす武将もでてくるだろうから秀吉としては搦め手でいくしかなかったろうよ

659 :人間七七四年:2016/05/09(月) 22:17:46.33 ID:jY7ZtcKm.net
>>657
「千姫の婿である秀頼をないがしろにするはずがない」みたいな良識で
家康を測っちゃったのが間違いだったのかもね

660 :人間七七四年:2016/05/09(月) 22:20:22.43 ID:pdLvmNpO.net
秀頼を蔑ろにしたのは家康ではなく秀忠だぞ

661 :人間七七四年:2016/05/09(月) 22:45:03.10 ID:NdFekDUL.net
ないがしろというか「娘婿なのになんたるざま!」と激怒してそう>秀忠
忠輝・忠直・忠長と大名に不適合と見るや身内でもバシバシ潰すからな

662 :人間七七四年:2016/05/09(月) 23:25:03.72 ID:F6L8DutJ.net
>>652
いや秀吉は家康が取って代わることを生前に予測する発言を行ってる
ソースはフロイス『日本史』

663 :人間七七四年:2016/05/10(火) 00:25:47.08 ID:yTdIdsK8.net
>>662
まあ1次資料とは思うが、そもそもフロイスでしょ。
ええと、あの人、確か誇張、捏造した報告を書くんじゃないって先輩に
叱られていませんでしたか?

664 :人間七七四年:2016/05/10(火) 00:52:19.07 ID:lAxndqL/.net
ルイス・フロイスは秀吉より先に死んだ人間
つまりフロイス『日本史』は秀吉が死んで家康が天下取りに動き出すより先に書かれている
もし誇張、捏造で>>662の内容を書いたのなら、
それこそフロイス自身の未来予想能力が凄かったことになる

665 :人間七七四年:2016/05/10(火) 00:56:35.88 ID:x2EeTHwE.net
>>656
家康と戦っている時は秀吉に子供はいないだろ
秀吉が時間と労力をたっぷりかけたところで得するのは秀次ということになる
秀吉は秀次一族の繁栄のために天下を取ったのではないから
強敵を残してもいいから一刻も早く天下人になって自分が贅沢三昧をすることを優先するのは当たり前だろ
そして最初の子が死ぬと朝鮮出兵という大博打を始めるところからも
秀吉は自分の死後に秀次が家康に倒されても構わないと考えていたのは間違いない

子供のいない時期といる時期を分けて考えると秀吉はその時々で合理的な選択をしている
問題は各時期が交互に入り乱れるため全体を通してみると秀吉が支離滅裂な行動をしているように見えるというだけ

666 :人間七七四年:2016/05/10(火) 11:05:45.84 ID:t0kXK3ya.net
主君であった秀頼を殺した逆臣家康公
戦国最大最後の下剋上の完成者
(そして現代、三河物語によるむなしい強弁をする崇拝者…)

667 :人間七七四年:2016/05/10(火) 11:47:10.17 ID:45dbMJgJ.net
またお前か

668 :人間七七四年:2016/05/10(火) 11:51:35.77 ID:lb204hGM.net
強者であり人気者でもある家康
アンチもそりゃ居るわな

669 :人間七七四年:2016/05/10(火) 11:57:37.86 ID:t0kXK3ya.net
>>668
俺はアンチじゃないよ
どの歴史上の人物にも憎悪など抱かない
現代において三河物語まんまの強弁をする崇拝者が面白い

670 :人間七七四年:2016/05/10(火) 12:19:35.24 ID:4GY4R9VO.net
>>669
はいはいお前には三河物語そのままに見えるのね無知が

671 :人間七七四年:2016/05/10(火) 12:55:25.64 ID:lb204hGM.net
家康礼賛の書物よりも伝記やら演劇ふくめて家康たたきの物のほうがはるかに多いのにな
判官贔屓で。

それなのに家康自体の人気はしっかりとある
地元の英雄という見方も当然あろうが。

それ以上に、人気を得るだけの実力も人間性のよさも、成果もあるからな
人気あってしかるべし。
もちろん嫌いなやつも居ていいんだよ
戦国武将なんてほとんど好きずきなんだから

672 :人間七七四年:2016/05/10(火) 13:58:26.11 ID:t0kXK3ya.net
>>671
江戸時代の多くの書物で神格化されていたり、曲筆されているよね
それにより現代でも知らず知らずの内に一般人は元より
学者にも先入観を与えている場合があるなど影響が大きい
(これは批判的な人にも当てはまる時がある)
つーかここ、小説なんかも対象なのか?
アカデミックな研究者の書いた物で「あえて」家康叩きを意図している物なんて極少数だろう

673 :人間七七四年:2016/05/10(火) 17:31:33.32 ID:OnzM+d13.net
確かに歴史研究の著作で家康批判のものは少ないな
だって当たり前だよね
戦国時代のスタンダードに照らしてそんなおかしなこともしてない

家康ムカーって人はやはり歴史小説の影響強いかもね

674 :人間七七四年:2016/05/10(火) 21:24:12.91 ID:lcqIM6jf.net
>>673
家康公が戦国時代最高のスーパースターなのは強く美しいパーフェクト戦国武将というだけでなく
時に、怯えてうんこを漏らすような人間的な弱さも併せ持ってるところなんだ。

675 :人間七七四年:2016/05/10(火) 21:29:36.93 ID:lR6hllkm.net
>>674
家康「それ忠佐が勝手に言ってただけなんだけど……」

676 :人間七七四年:2016/05/10(火) 22:00:35.86 ID:lcqIM6jf.net
>>675
なるほどね、君の言う事にも一理あるね。うんこ以外にも強く美しいパーフェクト戦国武将の家康公の魅力は緊張すると爪を噛む癖があった所が人間的な弱さも併せ持ってるところなんだ。

677 :人間七七四年:2016/05/10(火) 22:23:30.29 ID:qQYHJh37.net
戦国時代ではマシな性格だと思うが
聖人君子でなきゃ嫌だって信者さんが困ったもんだよね

678 :人間七七四年:2016/05/10(火) 22:32:09.66 ID:uHQ1ch6d.net
あと食い逃げもしたんだっけ

679 :人間七七四年:2016/05/10(火) 22:41:43.73 ID:yTdIdsK8.net
家康公の良いところは太閤殿下に言ったら、一族皆殺しにされて畜生塚に
ぶっこまれても文句を言えないような失言や悪口、愚痴、悪口を眼前で吐いても
苦笑いして許しちゃう点だな。
世界史の英雄を見ても、こんな人いないんじゃないかな?

680 :人間七七四年:2016/05/10(火) 22:44:55.22 ID:uHQ1ch6d.net
>>679
太閤も古狐呼ばわりされてるが、不問にしているが

681 :人間七七四年:2016/05/10(火) 23:04:32.81 ID:QRfwflLI.net
福田千鶴とかが必死で秀頼持ち上げてるけど
諸大名が誰一人味方せず、参陣したのは
牢人だけと言うのが、当時の支配者階級の人々の
秀頼に対しての評価がどうだったかを
如実に物語ってるんだよな
伊達とか細川は徳川拠りだって見られてるから
その書状の内容を豊臣信者は低評価だけどね

682 :人間七七四年:2016/05/10(火) 23:18:19.10 ID:uHQ1ch6d.net
せいぜい毛利家が出奔と称して家臣の一団を大坂城に送り
福島家も米8万石を提供し、福島一族の一部が大坂城に入り
大名でも織田長益とか七手組の小大名が入っただけだわな
でも糟屋武則みたいなのは家康に堂々と大坂入りしたいと願い
出ているから心情的には参加をしたがった大名はいたかも

683 :人間七七四年:2016/05/10(火) 23:23:55.66 ID:x2EeTHwE.net
秀頼のせいで関白一族が妻子まで殺されて
秀頼のせいで日本史上空前の規模の戦が起きて半分近くの大名が改易や減封にあい
秀頼のせいで牢人どもが集まって暴れ始めているわけだからな
自分自身は何もしない無能のくせに二十数年間も世の中に大混乱を振りまいただけのクズだろ
支配者階級なら秀頼など評価しようがない

684 :人間七七四年:2016/05/10(火) 23:43:59.35 ID:yTdIdsK8.net
>>680
それねねさんの妹婿の浅野長政だから、かろうじて許されただけ。
家康公は、譜代の家臣どもの言いたい放題を笑って受け流すのがデフォですから。
本多三弥「大樹様は聖人のようなお方ですな。どこぞの方と違って嘘を言いません。
      あのようなお方に牙をむくなど狂人しかおりません」
成瀬さん「二代様は、人格、識見で、大御所様の十数倍も優れたおかたですな」

685 :人間七七四年:2016/05/11(水) 00:01:50.30 ID:t1Ixky9H.net
戦場脱糞、一向衆への講和破り、食い逃げ失敗、今川の館で立ちション、動けるデブ、元祖死ぬ死ぬ詐欺、最も人を恐れた男、経産婦好き、ロリコン、鯛の天ぷら←ネタ的に美味しい逸話
浮気者禿鼠、茶聖切腹、無謀な唐入り、関白切腹、関白一家公開処刑、耳塚、ションベン垂れ流し、血縁のない実子←ドン引きする逸話

686 :人間七七四年:2016/05/11(水) 00:02:36.63 ID:1zaLXt7G.net
大御所になった後の家康を「糞漏らしw」と煽っても死にはしないだろうけど
太閤になって以降の秀吉を「性的不能w」なんて煽ったら生きて帰れる気がしない…

687 :人間七七四年:2016/05/11(水) 00:04:50.90 ID:yZoPKyHS.net
家康は死んだ家臣の墓を暴いて死体の首を刎ねて晒し首にして胴体も磔に
しているでしょ?度がすぎればキレるだろうよ

688 :人間七七四年:2016/05/11(水) 00:10:19.55 ID:t1Ixky9H.net
>>687
禿鼠托卵されてるぞ

689 :人間七七四年:2016/05/11(水) 01:01:13.03 ID:dMp4nQ/H.net
>>687
それは創作だという話はおいといても長安の件は残念でもないし当然

690 :人間七七四年:2016/05/11(水) 01:52:13.62 ID:wFLgwxfu.net
>>683
一部秀次の評価が混じってる

691 :人間七七四年:2016/05/11(水) 01:54:23.17 ID:wFLgwxfu.net
>>689
頭首が硬軟おりまぜるくらい当たり前の話だよな

692 :人間七七四年:2016/05/12(木) 11:55:20.71 ID:demN/fyy.net
信雄がよく親に似ない阿呆扱いされてるが
秀頼はそれ以上に親に似ない時勢が読めない
阿呆だったんだろうな

693 :人間七七四年:2016/05/12(木) 12:04:36.51 ID:UXjCknSe.net
統率力がまるでないよな

694 :人間七七四年:2016/05/12(木) 20:21:59.48 ID:1ik3v4sm.net
まあ物心ついた時から天下の名城に引きこもってる
だけの人生じゃ統率力なんて

695 :人間七七四年:2016/05/12(木) 20:42:09.44 ID:U/VKhsy+.net
昇進の際に京都新城に行くくらいかね

696 :人間七七四年:2016/05/12(木) 20:51:53.56 ID:fQe7oTts.net
贅沢しすぎでデブデブすぎた、とか
馬にも乗れない状態だった、とか
ホントかね
今川義元も似た噂が後世に流れたけどあれは息子の話がまざってそう

その割に二条城会見では立派に務めたって話もあるから秀頼の真価はよくわからん

697 :人間七七四年:2016/05/12(木) 21:37:45.53 ID:UWDLL7Kl.net
茶会が子供の頃から公卿的学問や礼儀作法とかはしっかり学ばさせたんじゃないか
その反面武人、総大将としての教育はほとんどしてなかったんだろう

698 :人間七七四年:2016/05/12(木) 22:02:25.50 ID:aF5eUa69.net
秀頼は秀吉の遺志により大坂城に移って以降、二条城対面の時以外は大坂城から出たことがなく、広い城の周りをジョギングすらしたことがなく、栄螺ばかり食っていたので有った

699 :人間七七四年:2016/05/12(木) 22:07:37.07 ID:IvJSGDRG.net
>>697
二条城会見で徳川に臣下の礼をとったのならもっとうまく立ち回ればよいのに
結果からして真っ向からぶつかってる
やっぱまわりの反徳川の連中をおさえられなかったのが秀頼の末路を示したか

700 :人間七七四年:2016/05/13(金) 00:55:24.39 ID:SDQF7pO8.net
似たような境遇の平敦盛は武士らしく戦って散ったのにひたすら引きこもった秀頼が有能または名君とはとても思えない

701 :人間七七四年:2016/05/13(金) 21:06:33.96 ID:pu+yQPvZ.net
二条城の会見ではずっとそばを離れず忠臣の鑑みたいに言われてる
清正にしても幸長にしても、実際は自分達の娘婿になる家康の息子達の
御供をしてたわけだし、そんな事実を見れば諸大名の心が自分達から
離れてるのも分かりそうなものだけど、大坂の陣の前の行動を見るに
理解できてなかったんだろうなぁ
そもそも秀吉の死後豊臣家から新恩と呼べるを恩賞を貰った大名がどれほどいるのか
その事すら考えていなかったんだろうな

702 :人間七七四年:2016/05/14(土) 07:29:32.34 ID:mnd5mq7r.net
秀吉の死後どころか豊臣から最後に貰った恩賞なんて
ほとんどの大名が小田原攻めか、西日本の大名なら九州攻めが最後だろ
関ヶ原の時点でも10年以上も新恩と呼べるを恩賞を貰った大名がほとんどいない状態だった
大坂の陣にいたっては最後の恩賞から25年も経過しているのに
淀と秀頼の勘違いはもはや迷惑以外の何者でもない

703 :人間七七四年:2016/05/14(土) 07:33:32.09 ID:Gt/1sDHq.net
>>702
延々やってた唐入りは基本的に誰も得してないしな。
「小早川秀秋が減封されてそのぶんを三成が貰う」
みたいな内部の食い合いが多少走った程度。

704 :人間七七四年:2016/05/14(土) 08:46:54.01 ID:QZ1qe/jC.net
転封加増の場合は、旧領の方が良かったと恨まれてるのもあるしな。

705 :人間七七四年:2016/05/14(土) 10:36:19.92 ID:B+5UpVeW.net
>>702
朝鮮出兵はまさに各武将が持ち出しなんだよな
それまでに何かもらってても台無し

706 :人間七七四年:2016/05/14(土) 21:46:30.13 ID:JhrBZwAH.net
相川司の真田信繁を読んだら落城直前、蔵に入る前
常高院を講和の使者にに出したとき講和の条件として
淀殿は秀頼の助命と大和国を賜る事を条件に出したってあったけど
なんの史料にあったんだろう
さすがにまさかとは思うけど、もし本当だったら呆れる他無いね

707 :人間七七四年:2016/05/14(土) 22:31:26.85 ID:QZ1qe/jC.net
>>706
その段階になっても淀に主導権握られてる秀頼情けなさすぎ。

708 :人間七七四年:2016/05/14(土) 23:46:50.06 ID:kAAtWXO0.net
>>701
そもそも豊臣家の恩賞そのものの大半が秀長秀次の政策や利休の茶道によるもの
だと秀吉自身が気付いていない節がある
最も気付いていたら利休切腹や朝鮮出兵や大名の後継者指名に介入したり秀次切腹なぞ絶対にやらないがな
むしろ大名によっては恨まれても仕方がないだろ

709 :人間七七四年:2016/05/15(日) 05:54:19.35 ID:l9VyZT7R.net
>>706
総八の徳川家康だと大和国転封は冬の陣より前に徳川側から提案されてるな
大野ブラザーズが台無しにしたが。

710 :人間七七四年:2016/05/15(日) 22:58:35.81 ID:6vtHtg2u.net
>>706
仮に本当だとしたら、今まで散々突っぱねてきたけど
もうどう仕様も無くなったから、お望み通り大坂から
転封してあげるので、助命してねって事か
呆れる他無いね

711 :人間七七四年:2016/05/15(日) 23:32:11.84 ID:J8VFhDbX.net
関ケ原と大坂の陣で、徳川に対する立場を逆にした人、
知ってるだけ教えてほしい。
東軍→豊臣方は、後藤基次
西軍→徳川方は、上杉景勝、直江兼次、立花宗茂しか知らない。

712 :人間七七四年:2016/05/15(日) 23:51:39.79 ID:EashS/Mm.net
西軍は減封で生き延びた大名は全員徳川方だよ

713 :人間七七四年:2016/05/16(月) 00:20:20.06 ID:uEVBYzOE.net
関ヶ原東軍で大坂の陣豊臣方といえば大野と有楽斎

714 :人間七七四年:2016/05/16(月) 00:23:23.07 ID:I7nbPlMe.net
有楽斎は冬の陣終わったあと全力で離脱してるんだよね。
死の匂いを感じとるあたりは流石と言うか。

715 :人間七七四年:2016/05/16(月) 22:30:03.75 ID:+DY7GJvF.net
家康の子供と強く疑われる小笠原権ノ丞が秀頼の元にはせ参じたのは
表向き宗教の事になっているが、万が一徳川家が負けた場合に徳川の
血筋を残すため、とは考えられないかな?

彼の首を見せられた家康は何も言わなかったらしいが

716 :人間七七四年:2016/05/16(月) 23:53:12.33 ID:JWFXXoTI.net
関係ないだろ

717 :人間七七四年:2016/05/17(火) 09:25:47.49 ID:LG+6yRmV.net
秀頼生存説はこのスレ的にはどうなの?

718 :人間七七四年:2016/05/17(火) 12:35:29.37 ID:Np1wxnrj.net
逃げても追っ手があきらめるわけがない

719 :人間七七四年:2016/05/17(火) 13:36:42.63 ID:KgFSRngf.net
後藤又兵衛ってすごいよな
討ち死にした後に家康討ち取ったり秀頼を逃がしたりした伝承逸話小説がある

720 :人間七七四年:2016/05/17(火) 19:16:37.42 ID:e3ZAe2aF.net
>>719
一流の武士というのは
時間を無視し、そして必要に応じて蘇るものなんだよ。
佐々木四郎しかり九郎判官しかり

721 :人間七七四年:2016/05/17(火) 22:05:45.58 ID:QvSu0Pbb.net
>>715
その説はまぁ面白いな
家康自身の指示だとなお面白い
細川家の細川興秋とか毛利家の「佐野道可」とか
あるいは伊達家でも家臣が送り込まれたり家の存続のために
色々やってるのは興味深い
家康が70超えて何時死んでもおかしくなく、そうなればどう変わるか
読めないからね

722 :人間七七四年:2016/05/18(水) 22:40:01.85 ID:y1pMaG22.net
>>717
源為朝みたいに琉球王になったとか義経みたいに成吉思汗になったみたいな
生存説ならともかく、ただ生きてただけでしかも酒で廃人になったみたいな
感じの生存説だからなぁ

723 :人間七七四年:2016/05/18(水) 22:54:27.10 ID:/+9Q5RqK.net
牢人三人衆   統率武勇知略政治 合計
 長宗我部盛親 76 73 41 35  225
 毛利勝永    83 81 75 45  284
 真田幸村    92 99 82 43  316

追加五人衆
 後藤基次    80 83 63 20  256
 明石全登    81 77 69 61  288

創造PK

724 :人間七七四年:2016/05/19(木) 09:19:39.14 ID:9w47wGM3.net
茶々は秀頼に学問はしっかりやらせてたみたいな話があるが
その所為でこの時代にそぐわない儒学的な君主家臣観を
持ってしまったとかあるかな


無理か

725 :人間七七四年:2016/05/19(木) 23:11:06.33 ID:T29MYClf.net
>>723
光栄は真田幸村が好きで堪らないんだな

726 :人間七七四年:2016/05/20(金) 01:52:31.19 ID:ZGfuwSrS.net
正直大阪しか活躍してないのに破格だよな

727 :人間七七四年:2016/05/20(金) 06:00:59.09 ID:QKXGBvUz.net
>>723
御宿政友は数字低いんだよな
人らしい人は御宿勘兵衛くらいらしかったが

橙武者も出るのかね例の大河()

728 :人間七七四年:2016/05/20(金) 06:10:36.67 ID:kqbHyEkq.net
歴史小説というか講談ものの人気で武将のステータスを決めていくのはまあ致し方ない
ただ、一武将風情がなにができたか、くらいのリアリティはほしいよな

729 :人間七七四年:2016/05/20(金) 06:53:35.44 ID:QKXGBvUz.net
そういえば木村重成は誰がやるんだろうな例の

名古屋山三郎()並らしいが

730 :人間七七四年:2016/05/21(土) 21:19:51.63 ID:9e9lp0f6.net
司馬遼太郎の『城塞』を通読したのだが、あまりの内通者無双ぶりに草不可避
作者は書いてて無理があるとか思わなかったのだろうか

731 :人間七七四年:2016/05/21(土) 21:42:47.60 ID:nAGOKn1n.net
主人公だから活躍させないわけにはいかないというのと
ラスト付近でその無双の主人公が野心の割りにこすい手柄稼ぎしてる姿を書くあたり
割と作為的に主人公をああいう風に描いたんじゃないか

732 :人間七七四年:2016/05/21(土) 21:53:49.64 ID:PNqlr6ys.net
豊臣の使者が諸大名を説得する際、家康が老年だから
長引けば戦途中に死ぬからって事を言ってたそうだが
それは要するに跡継ぎの秀忠が父親に及ばない
凡将って見られてただからってことなんだろうけど
秀頼はそれ以上に武将としての実績が皆無で諸大名から
乳飲み子扱いされてた事を自覚し、諸大名たちの
自分に対する評価を調べる能力にも欠けてたのかな

733 :人間七七四年:2016/05/21(土) 21:58:27.70 ID:bQvk2gRM.net
「御所柿は独り熟して落ちにけり木の下に居て拾う秀頼」

という落書きの意味を知ったほうがいいよ

734 :人間七七四年:2016/05/21(土) 22:07:59.98 ID:PNqlr6ys.net
>>733
落首を書く層は今で言うマスゴミ連中
自己の弁に何の責任も持たず好き勝手書く連中だろう
家を守ろうとする大名連中のなかで、家康さえいなければ
勝つと思って豊臣方に味方した大名がいたか
福島正則利でさえ馬鹿な事をするなと大坂に
忠告してるくらいなのに

735 :人間七七四年:2016/05/21(土) 22:40:14.06 ID:bQvk2gRM.net
>>734
とはいっても>>721にあるとおりの事もしている
戦に絶対はないから保険をかけておいたのだろうが

736 :人間七七四年:2016/05/21(土) 22:58:04.95 ID:MJ+Dsnbs.net
>>735
そのあたり、特に毛利の佐野道可なんて、勝手に毛利から出奔した50年後くらいに、毛利家の中で大坂の陣に関わった
人間がみんないなくなった頃に、子孫を名乗る人間が長州に突然あらわれて

「道可はこれこれこういう理由で毛利のために大阪に入城したのだから我らを帰参させてほしい」

っていってきた、かなり怪しい話なんだよなあ。
毛利側にはこれに関する記録も口づても一切なかったということだし。多分佐野道可は、毛利家の認識関係なく
勝手に出奔しただけだぞ。

737 :人間七七四年:2016/05/21(土) 23:21:13.95 ID:Y17VOXgI.net
常識的に考えると、大坂の陣の段階に至っては保険を掛ける必要は全くない。
むしろ、バレた時のリスクの方が高くつく。

738 :人間七七四年:2016/05/21(土) 23:29:39.37 ID:wDoNpGc5.net
細川家も米田是季が大坂方として参戦したのに戦後に上位の重臣として復帰させてるのをみると
興秋の方はただの親子喧嘩の結果としか思えない

739 :人間七七四年:2016/05/22(日) 04:44:19.18 ID:2aXLHwm/.net
>>732
家康逝去待ちは結局のところ、ほかに好要素のない豊家陣の楽天的というか、自分らの徹底不利をみないようにしてた現実逃避だったと思う
秀忠をなめるのもあったとは思うけどあくまで巨艦家康にくらべて小粒感あるだけで征夷大将軍なのだから大敵であるのは変わらない
二度までも徳川を退けた昌幸の「息子」が参陣してる、ってこともわずかな光明だったろうな

なんにしろ秀頼は開戦よりその時分でも一般的な凋落戦をしかけるだけの頭がなかったのは致命的だよな
意地とかそういうのをはきちがえてる

740 :人間七七四年:2016/05/22(日) 09:46:24.15 ID:Bf+Mj0o/.net
>>733
その落書を書いた人間を(秀吉のように)処罰することもなく放置していた家康の余裕についても考えるべきだな

741 :人間七七四年:2016/05/22(日) 10:15:34.34 ID:7bAO7oAw.net
家康>>>自分と自覚してたから秀忠は、
「家康に過ぎたるものが二つあり唐の兜に本多平八」
を意識して、西国無双を再雇用したんだろう。
家康 本多忠勝 榊原康政、井伊直正の三傑を意識して
秀忠 立花宗成(西国無双)、水野勝成(THE血槍)、井伊直孝(夜叉掃部)
参謀総長、前線部隊長、親衛隊長を揃えた秀忠を大坂方びいきは甘く
見すぎてるな。

742 :人間七七四年:2016/05/22(日) 10:33:23.65 ID:S/7cRyds.net
九戸政実の乱は九戸城に篭城する5000の兵に秀次の討伐軍6万で力攻めして結局
落城させているけどこの時の状況よりはマシであろう
莫大な金銀と大坂城と10万前後の軍勢があれば絶望的とは言いがたい

諸大名も家臣や一族衆のごく一部を出奔と称して大坂方に参加させているのは
そりゃ懐疑的に見られるのは仕方ない そんな事に証拠を残すほど彼らもバカ
ではないからな 佐野道可はおそらく毛利家の苦肉の策

743 :人間七七四年:2016/05/22(日) 10:38:45.41 ID:Bf+Mj0o/.net
>>742
証拠がないのが証拠ですね。アホか

744 :人間七七四年:2016/05/22(日) 10:52:39.36 ID:sB3MPoz0.net
大坂には遠征する力はないので万が一勝っても、大大名なら戦後に帰順すればいいだけのこと。わざわざリスクを犯して両天秤にかける必要性が乏しいと思う。

745 :人間七七四年:2016/05/22(日) 10:58:41.13 ID:7NwJooPo.net
大坂方は、負けないかもしれないが、最終的には絶対勝てない戦なんだよ。
いかに、条件の良い和睦を引き出すかが着地点なわけ。

そこに諸大名が東西両建の保険をかける必要はない。
関ヶ原時とは全く質が違う。

746 :人間七七四年:2016/05/22(日) 11:41:30.39 ID:M8YHpYb5.net
>>740
この手の狂歌って江戸も中期になってからとかが多かったらしいよ
すでに完全に安定期の話。
時の施政者にたいする不満をもしも万一○○さまの世だったら、と歴史のifで言うだけのたわいもない話

747 :人間七七四年:2016/05/22(日) 21:16:32.11 ID:yy/wxhUl.net
>>742
10万前後の軍勢と言っても、ほとんど負けは決まった時点で
逃げ出した連中が大多数だろう
そんな忠誠心の欠片も無い、その時だけの銭目的連中が多数いたところで
統率力が絶対的に欠ける秀頼の下でどれだけ戦えたと言うのか

748 :人間七七四年:2016/05/22(日) 21:24:15.03 ID:ZnumGM4O.net
>>742
九戸城を知らんが
大阪城ほど籠城、対水攻め、対火攻めを考慮しちゃいないだろ?


大阪城籠城組なんて、知識階級、大大名なんかいないんだから、秀吉の小田原攻めしか考えてなかったんだろ
火矢や水攻め程度と思ったら大砲を打ち込んできたのが計算外だったんだろ

749 :人間七七四年:2016/05/22(日) 22:04:13.22 ID:hWUR1EZn.net
城一個でなんとかなると思ってるあたりぬるいよな
いずれ豊家恩顧の臣がかけつける、なんて期待するならそのように情報戦をやらないといけないのに。
本当に無能集団だな大阪組。

750 :人間七七四年:2016/05/22(日) 22:40:01.26 ID:ZnumGM4O.net
>>749
ぬるいとか無能ってわけじゃないだろ
無知というか、そういった立場に無かった人間が寄せ集まってたんだろ
国主或いはそれに準じる立場にあったのなんて明石と長宗我部くらいじゃないのか?
夏の陣の時に、
徹底抗戦するか、出家するかの二択からの選択が出来てたら違った展開もあったかもしれん

751 :人間七七四年:2016/05/23(月) 01:49:56.57 ID:7tdMgcvg.net
>>750
つまりは無能じゃないか

752 :人間七七四年:2016/05/23(月) 02:09:55.59 ID:C82dFD9x.net
講和前提のぬるい戦いだもんそりゃぬるいさ。夏の陣にいたる謎の大暴走を抜かせば

753 :人間七七四年:2016/05/23(月) 04:46:13.71 ID:aJ3JRXim.net
講和条件が総構え打ち壊しと総堀り埋め立てならば
摂津・河内の本領安堵お墨付きくらい貰えたろうにな

五奉行もいないし外交工作も失敗か

754 :人間七七四年:2016/05/23(月) 06:05:32.42 ID:swtsBWj0.net
秀頼は最終的に自分の売り方が下手だったよな
いつまでも豊家の天下ではないのに気がついて公家として生きるべきだった
有楽斎や細川道糞のようにしていれば徳川もそこまで追いつめなかっただろうに。

755 :人間七七四年:2016/05/23(月) 09:54:20.88 ID:6+CQ3xLU.net
>>754
>公家として生きる
関白殺しの息子がか?

756 :人間七七四年:2016/05/23(月) 11:29:20.28 ID:swtsBWj0.net
>>755
先代秀吉が悪いだけ、で秀頼が直接秀次殺害したわけじゃないから
また朝廷や公家も徳川が納得するなら文句はないはず

757 :人間七七四年:2016/05/23(月) 11:56:48.35 ID:6+CQ3xLU.net
>>756
徳川が納得して送り出したはずの織田秀信って哀れな最期じゃなかったっけ

758 :人間七七四年:2016/05/23(月) 13:42:25.55 ID:swtsBWj0.net
そこは面倒みてもらうがわも努力しないとダメってことだろう
今川のバカ息子も後北条もなんだかんだで徳川に助けられているのだから

759 :人間七七四年:2016/05/23(月) 20:04:51.47 ID:dNUJBjsC.net
>>757
まさか高野山の連中がまだ信長による焼き討ちを根に持っていたとは思わなかったからな

760 :人間七七四年:2016/05/24(火) 07:24:39.60 ID:niAE0vZh.net
豊臣に普通の現実認識能力と多少の妥協性があれば、
高家あるいは喜連川家くらいの立場で存続出来たかもしれないのに

761 :人間七七四年:2016/05/24(火) 11:01:47.35 ID:2r3YEYzY.net
>>760
早目に大和郡山転封飲んどきゃ良かった。
それでも秀吉在世中の織田秀信より待遇いい。

762 :人間七七四年:2016/05/24(火) 12:25:48.26 ID:d5+lGcfA.net
家康が死ねば復権もあり得たから素直に飲むわけにはいくまい。
秀頼が関白になれば将軍は従わざるをえなくなるからな

763 :人間七七四年:2016/05/24(火) 12:36:35.38 ID:X6tkIBmb.net
釣れますか

764 :人間七七四年:2016/05/24(火) 13:20:04.04 ID:dvquAoUn.net
家康が亡くなったら逆に徳川のほうが仕掛けてくるんじゃない?

765 :人間七七四年:2016/05/24(火) 13:27:55.58 ID:l+FTwqx0.net
秀忠家光辺りは容赦なさそうだしな

766 :人間七七四年:2016/05/24(火) 15:42:25.43 ID:fAAiPgt8.net
>>762
関白は関ヶ原直後には九条兼孝が慶長10年では関白相論で
二条昭実と関白位を争いで秀吉に関白をとられた近衛信尹が
関白についてるから無理
信尹関白に執着してたし、豊臣家に恨み持ってるしなぁ
秀吉の七回忌にも十三回忌にも顔を出さず引きこもりの秀頼に
朝廷工作なんて無理だろう

767 :人間七七四年:2016/05/24(火) 16:02:57.32 ID:vp1hkVt3.net
家康が亡くなったとしても秀頼に勝ち目があるように見えないんだが
亡き秀吉の声望が秀頼に加わったとしても秀忠にも家康のそれが加わるわけだし
秀頼と比べて譜代の家臣も多く親類や縁組した外様の大名も多い
なにより大坂の陣の体たらくを見ると秀頼自身に秀忠を上回る器量があるとは思えない

768 :人間七七四年:2016/05/24(火) 16:37:15.48 ID:wfuIjmbH.net
>>767
家康が死ぬ→後釜は、関ヶ原で遅参して腹切れとか言われたらしい秀忠か→もう一波乱起こせるかも
by島津、細川、伊達…
DQN四天王って3人しかいなかったっけ?

豊臣『方』の方針としたら内乱を巻き起こして食い扶持を得たいだけだろ
家康が死ぬ可能性が高いだけで十分じゃね

769 :人間七七四年:2016/05/24(火) 17:52:23.88 ID:vp1hkVt3.net
>>768
秀忠以上に実戦経験がなく大坂城外に出ることすら稀な秀頼に期待するほど馬鹿じゃないと思うよ
伊達も島津も細川も幕府との関係はかなり重視してるし
波乱を期待するとすれば豊臣方として起つのではなく幕府方としてだろう
伊達政宗は娘婿忠輝の処遇に不満を持ってたらあるかもしれないけど

770 :人間七七四年:2016/05/24(火) 19:06:18.96 ID:BRYILfi3.net
>>762
一時の下降に甘んじてたらまだ再興できたかもしれんけどそれすらイヤイヤしてたらそりゃ滅ぼされるわ

771 :人間七七四年:2016/05/25(水) 08:44:42.76 ID:g9akRsox.net
>>733>>746
秀頼の諱が入ってる時点で、当時の物か怪しいよね

772 :人間七七四年:2016/05/25(水) 10:01:19.40 ID:C3GnRq8O.net
豊臣寄りの落書のはずなのに、秀頼の諱を使うと言う不敬を犯しているのは変だよなぁ

773 :人間七七四年:2016/05/25(水) 11:47:52.70 ID:JdM2yE6P.net
>>772
国家安康の豊臣だから、諱なんて何ともおもってないんじゃね?

774 :人間七七四年:2016/05/25(水) 12:19:03.41 ID:uPFSScDu.net
諱をそのまま書くことは織豊期はむしろ敬意の表れとして扱われる
国家安康は諱じゃないからアウトだった

775 :人間七七四年:2016/05/25(水) 14:23:39.26 ID:4/B3iYED.net
この時代、どうも譜代家臣の立場だと、主君の諱を使うのも一種の尊敬表現だったらしい

776 :人間七七四年:2016/05/25(水) 19:32:28.02 ID:ch2SAxht.net
だいたいこういう狂歌をたのしんだのは武将じゃなくて町民なんだが。

777 :人間七七四年:2016/05/25(水) 19:37:50.07 ID:n3Jcb+y6.net
いろんなところで政宗と書かれていたのは敬意の現れだったのか

778 :人間七七四年:2016/05/25(水) 20:00:37.91 ID:tBCM3294.net
政宗の場合は敬意という形でネタにされてそうでもある

779 :人間七七四年:2016/05/25(水) 20:06:42.61 ID:PddE3mHW.net
政宗は「もう、通称じゃなくてちゃんと政宗って呼んでよぉ」つって歩いてたからまた別やな

780 :人間七七四年:2016/05/25(水) 21:36:56.58 ID:DtbjuIwm.net
親しみ込めて国家安康ってやったら
ガチギレの振りされたんやな

781 :人間七七四年:2016/05/25(水) 21:47:42.69 ID:4/B3iYED.net
>>780
親しみ云々以前に無断で家康の諱を使用したのが大問題。

782 :人間七七四年:2016/05/25(水) 21:48:21.86 ID:wtjzTK1R.net
調子こいてました、すいません、って正銘担当の僧侶があやまってたよな

783 :人間七七四年:2016/05/26(木) 07:02:29.09 ID:ZHw7FaWL.net
アレは以心崇伝らしいが・・・ということは

784 :人間七七四年:2016/05/26(木) 13:24:53.56 ID:isnUTMiD.net
清韓、大坂の陣が終わった後、わざわざ探しだして処罰しているくらいだから
よほど腹立ててたのかな

785 :人間七七四年:2016/05/26(木) 13:35:21.79 ID:KhOqgRW0.net
あれは大坂城に入ったのがまずかったんじゃないか
それで戦後に投降するでもなく逃亡したら拘禁されるのも無理はないような気が

786 :人間七七四年:2016/05/26(木) 13:44:54.81 ID:kWfovEN6.net
主命に従っただけの元からの家臣以外で籠城した者は罪人扱いだでな

787 :人間七七四年:2016/05/26(木) 18:09:35.98 ID:GRKVhERO.net
>>772
ようは当時の価値観でも難癖と言われるレベルだったって事だよ

今でもいただきます、をして食事をしましょうとか言われるがそんなの
やってない人も多いが、一応形式的には生産者に対する不敬だからな
あげつらえば難癖つけられなくもないが、そのレベルの話

788 :人間七七四年:2016/05/26(木) 18:47:41.55 ID:Fuik+Qgj.net
>>787
> ようは当時の価値観でも難癖と言われるレベルだったって事だよ

言われてねえよアホか。

789 :人間七七四年:2016/05/26(木) 20:20:49.63 ID:PGP31LmS.net
難癖というか、無理言っていい奴と、ダメなやつがいるだけかと。

790 :人間七七四年:2016/05/26(木) 20:29:53.54 ID:+niXi4KX.net
>>774
>諱をそのまま書くことは織豊期はむしろ敬意の表れとして扱われる

不勉強何で教えていただきたいのだが、これはなんて研究家が唱えてる説?
その根拠となる具体的実例とかあるの?

791 :人間七七四年:2016/05/26(木) 20:33:49.38 ID:Fuik+Qgj.net
>>790
当時の書状や、信長公記や家忠日記などで主君の諱を呼び捨てで使う事例が多く見られ、
現代ではこれらは、総合的に判断された結果、「諱を尊称として使っている」と解釈されている。
中世歴史学の世界ではほぼ定説であり、まっとうな研究者の中でこれに反論している人間なぞ居ない。

792 :人間七七四年:2016/05/26(木) 20:34:44.75 ID:nIe3po70.net
秀吉の時代、徳川は源氏を称している、征夷大将軍を目指すもの
であり謀反の心ありと断ずる、として難癖をつけ徳川家を攻め潰す
話が書かれた小説を思い出したけど、つけようと思えばどんなイチャモン
でも付けられるのが権力者 ま、それをしたら品格も下がるけどね

793 :人間七七四年:2016/05/26(木) 20:37:09.21 ID:PGP31LmS.net
いみな、を知って使うから身近に感じるとかそういう気楽な視点からすると相当後世の話っぽいよな

794 :人間七七四年:2016/05/26(木) 20:39:21.94 ID:PGP31LmS.net
>>791
こんな学説初めて見るけどね
いみな、と言うより幼名だよな

795 :人間七七四年:2016/05/26(木) 21:07:57.41 ID:Fuik+Qgj.net
>>794
それは君が勉強していないだけの話じゃ…

796 :人間七七四年:2016/05/26(木) 21:13:55.72 ID:PGP31LmS.net
>>795
そんなことはないよ
なんでもかんでもあがってる話を鵜呑みにしてもね

797 :人間七七四年:2016/05/26(木) 21:16:04.78 ID:Fuik+Qgj.net
>>796
いや絶対昨今の専門書なり論文なり読んでないでしょ…

798 :人間七七四年:2016/05/26(木) 21:28:35.79 ID:PGP31LmS.net
えー、そんなこと言われても納得いかないな

799 :人間七七四年:2016/05/26(木) 21:37:23.28 ID:fQHovqcI.net
>国家安康

そういえば、国家安泰って使えばいいのにね。家康との関係が悪化してるのに危機感なさすぎだろ。なんでわざわざ国家安康なんてギリギリの火遊びするんだよ。
この文章作った奴、バカだろ?文章チェックする係の奴も気づけよ。俺だったら「うわ〜、なんかこれ家と康って文字が隣り合わせじゃん、なんかヤバイだろ!これ表現変えろよ!」って言うわ。

800 :人間七七四年:2016/05/26(木) 22:21:48.24 ID:rEj7+FK9.net
秀頼陣営は危機感がまるで抜けてたし、全部緩すぎだったんだよな
自己分析もできないのでは滅ぼされても致し方なさすぎ

801 :人間七七四年:2016/05/26(木) 22:52:35.84 ID:7yLG+/g5.net
松平元康が家康に改名したのは遠い将来敵を滅ぼすのにこの名前の方が都合がいいということを
ノストラダムスの予言から読み取っていたからだったんだよ!

802 :人間七七四年:2016/05/26(木) 23:32:15.76 ID:peERaKU/.net
いちいち笠谷和比古の妄言に
真面目に付き合う必要があるのかね?

崇伝みたいな若造にイチャモン付けさせても
畿内の最高の学問を学んできた豊家が
常識的な事を知らなかったとか有り得ないから

803 :人間七七四年:2016/05/27(金) 07:41:20.57 ID:7e9WUD82.net
>>802
イチャモン付けたのは崇伝では無い
後、鐘銘は五山の僧の見解でも問題有り

804 :人間七七四年:2016/05/27(金) 10:16:02.60 ID:x2ATJ2Ew.net
>>803
南禅寺住職の崇伝はその五山を統括する立場にいたのだよ

805 :人間七七四年:2016/05/27(金) 14:56:04.79 ID:7e9WUD82.net
>>804
彼が介入した形跡は史料から見られ無い

806 :人間七七四年:2016/05/27(金) 15:49:14.15 ID:oaZQnmOt.net
都合の良さそうな地位に居るのになぜか蚊帳の外やな

807 :人間七七四年:2016/05/27(金) 20:00:11.68 ID:IgZ/o2eg.net
>>791
定説ならネットとかでも簡単に調べられるんだろうから、お勧めのホームページでも教えて頂けないかな

808 :人間七七四年:2016/05/27(金) 20:25:26.48 ID:itnL1gb5.net
定説って怪しげな宗教用語じゃなかったっけ?
日本人なら通説だろ

809 :人間七七四年:2016/05/27(金) 21:00:30.38 ID:Y7ns1tSa.net
自分の目の黒い内に豊臣滅ばしたくて実際やってのけたけど、史実より早く夏の陣の前に家康が没してたら
どうなってたでしょうか?秀忠が後を継いで大勢には影響無しですかね?

810 :人間七七四年:2016/05/27(金) 21:07:32.58 ID:7e9WUD82.net
別に家康はそういう意志は無かったよ
豊臣家が壮大な自爆しただけ
ちなみに秀忠なら家康より苛烈なので、絶対滅ぼす

811 :人間七七四年:2016/05/27(金) 21:16:43.55 ID:itnL1gb5.net
>>809
秀頼側近にロキみたいなのがいて
尚且つ
松平秀康と小早川秀秋が生きてたら
秀頼がどうなるかは別にして、
秀忠の幕府は吹っ飛んだと思う。

812 :人間七七四年:2016/05/27(金) 21:28:48.39 ID:v8auAMio.net
秀忠も言うほど無能ではない
家康がビッグすぎたので小さくみえるだけ

813 :人間七七四年:2016/05/27(金) 21:32:34.99 ID:Yaznlfl7.net
秀忠が大坂方に過激だったのは己の器量が足らぬ事をしっていたための
方便だぞ 
実際に家康がいなければたいしたことはできまい
家康が全て卑劣だっただけのこと

814 :人間七七四年:2016/05/27(金) 21:34:34.22 ID:7e9WUD82.net
>>813
違う違う、秀頼の余りの夜郎自大振りにキレていた
秀忠は大坂の陣時の秀頼の歳で実質関東の徳川領を采配していた

815 :人間七七四年:2016/05/27(金) 21:42:08.95 ID:Yaznlfl7.net
>>814
別に議論するつもりないが?
秀忠を格段下げるつもりないがカリスマ性が皆無だから諸将がついてこん
それだけのこと 意見を変えるつもりはない

816 :人間七七四年:2016/05/27(金) 21:49:30.30 ID:ACay4HfX.net
>>808
具体的研究者や論文もも挙げず、定説だからって発言する奴への皮肉だろう
2チャンのレスで定説だからと言っても具体的例を示さなければ
お前が勝手に言ってるだけだろうって話になる
>>813
秀忠が足りなかったのは武将としての才能くらいで
政治家としては優秀だし、個人として資質を見たなら
躰は筋肉質体質だったらしいし、自制心には富んでるし
人の意見を取り入れる器量もある
武将としても政治家としても才能の欠片も無く
図体がデカいだけの肥満体で精々字が上手いくらいの
個人的資質が優れた逸話が皆無だった秀頼と比べたら全然マシ
だから秀頼を持ち上げる連中は抽象的な実は隠れたカリスマの持ち主で
家康がそれを恐れたって根拠のない話を創るしかないんだよな

817 :人間七七四年:2016/05/27(金) 21:57:57.52 ID:X/HxmD6i.net
>>815
心配しなくてもあの時点で秀忠さま支持路線は磐石
それは家光によってさらに完成された

818 :人間七七四年:2016/05/27(金) 22:06:07.70 ID:Yaznlfl7.net
太閤秀吉と関白殿の前例を見ているんだから上手くやれなければ只の阿呆

819 :人間七七四年:2016/05/28(土) 01:34:01.76 ID:/BIToiXn.net
>>815
カリスマ性W、政宗や悪久、三斉様、NAGAMASAなどはそんなもんに重きを置かないわな。
言行一致、掌返ししない、嘘をつかないという平和な時代に求められるリーダー像を具現化
したのが秀忠で、家康より圧倒的に諸侯の信用度が高かった。
立花宗成を召し抱える時、いきなり親衛隊の大番として採用して、絶対無比の忠臣化させる
等、太閤並みの人誑しぶり一つを見ても、ただの豊臣家の貴公子秀頼が勝てる相手じゃないぞ。

820 :人間七七四年:2016/05/28(土) 02:26:42.68 ID:0BrMm3u9.net
偉大な先代からあれだけ破綻せずに引き継げたのだから施政者の資質ばっちり

821 :人間七七四年:2016/05/28(土) 08:57:17.97 ID:UkIA00uN.net
秀頼なんて秀忠以上にカリスマ性ゼロだろう
親父の威光にすがりつく以外に秀頼に出来ることは何もないからな
ここまで親のすねかじりな2代目は他にいない
とはいえひたすら親父の遺産に頼りきっていたからこそ浪人を集めて形としては戦が出来たというのも皮肉な話だ

822 :人間七七四年:2016/05/28(土) 09:13:19.96 ID:DbzJOgAw.net
大阪の陣にも秀忠って今度は無理なスピードで進軍し、兵馬を使い物にならなくし家康を呆れ
させた

もう軍事面では致命的に才能に恵まれてないな 仮にも将軍なのに話にならん

823 :人間七七四年:2016/05/28(土) 09:39:30.92 ID:fm6nsnra.net
>>821
もはや秀吉の威信すら関係なく、負け組がダイナミック自殺する『みこし』に使われただけな気もする。

824 :人間七七四年:2016/05/28(土) 09:48:36.54 ID:tL0A0Xm8.net
>>822
前線で指揮して銃創負っているから、引き篭もりの秀頼よりは万倍マシではある

825 :人間七七四年:2016/05/28(土) 09:50:54.06 ID:/BIToiXn.net
>>822
これは意図的な親子芝居だよ。
家康は、大阪城ほどの城を囲む諸侯の軍がただの烏合の衆になりかねない
状況を引き締めるために、将軍秀忠に急行軍させたたんだと思う。
現征夷大将軍が、怒髪天を突いた状態で軍を急伸させるって状況下で
対大阪戦に召集された諸侯が気を抜けるはずもない。
おかげで諸大名の活躍で大坂の重要拠点で物資搬入の生命線だった
木津川口の戦い、博労淵の戦いで勝敗の帰趨が決まり今福や鴫野も
徳川方に接収されて長期籠城すら厳しくなり、わずか数か月で和睦する羽目になった。
その真田丸の戦も、前田などが威力偵察もせず、抜け駆け的攻撃をして敗退しただけで
敗戦に怒り狂った秀忠が総攻めの命令を出し、家康がそれを押しとどめるって小芝居で
諸侯の気を引き締め直している。
大体、戦上手の立花宗茂が参謀総長格で付いてるのに、急行軍を押しとめないのがおかしい。
むしろ煽っていた可能性すらあるかもしれない。

826 :人間七七四年:2016/05/28(土) 10:46:29.41 ID:Njfja8Ri.net
冬の陣の頃にはそれまで戦の無い時代が続き過ぎて兵隊の上から下までヒヨッコ以下になってて、
家康が現地で直接指導してミサイル避けの防壁の作り方とか教えなきゃならなかったという話を聞いたのれす

827 :人間七七四年:2016/05/28(土) 11:12:52.28 ID:w2suKpEo.net
>>822
偉大な大権現さまをひきたたせるために出汁に使われてるだけなんだけどな

828 :人間七七四年:2016/05/28(土) 20:22:42.21 ID:vT51O8wb.net
>>805-806
崇伝が統括していた五山の見解などは家康のイチャモンを
正当化するものにならないってだけで十分な話しだから

829 :人間七七四年:2016/05/28(土) 21:47:35.61 ID:ATWCx4Uv.net
>>816
人の意見を聞き入れる器量と言う話なら
戦場に出て、味方の士気を上げてくれって意見は悉く退けたのに
蔵に逃げ込み千姫でもなんでも使える物は
なんでも使って命乞いをすると言う意見は取り上げる
秀頼の器量はある意味凄いな

830 :人間七七四年:2016/05/28(土) 22:47:06.22 ID:DbzJOgAw.net
一度失敗している事を挽回しようとして今度は行きすぎて失敗って秀忠はよく将軍で居続けら
れたな まさに恥

831 :人間七七四年:2016/05/29(日) 01:53:01.50 ID:/wrjyO7K.net
徳川はだいたいそんな人物ばかり
でもそれを越えられた武将もいない

832 :人間七七四年:2016/05/29(日) 02:05:06.84 ID:wgx26QR+.net
            打率 本塁
1(一) 後藤基次 285 27
2(中) 大野治房 246  7
3(二) 毛利勝永 292 22
4(遊) 真田信繁 286 32
5(左) 長宗我部 271 24
6(三) 薄田兼相 256  8
7(DH) 塙直之   245 10
8(捕) 明石全登 278 14
9(右) 仙石秀範 253  3
代打  御宿政友 266  6
代走  木村重成 232  2
守備  速水守久 245  1

833 :人間七七四年:2016/05/29(日) 04:46:18.40 ID:rIDNikPJ.net
なにこれ、負け組で打線組んでみた、か
ホントにまったくうだつのあがらない連中ばかりだとよくわかる

834 :人間七七四年:2016/05/29(日) 10:47:47.62 ID:FvIsVeYc.net
>>832
石川康勝は?

835 :人間七七四年:2016/05/30(月) 21:54:17.17 ID:RP2mqOOP.net
アンギラス:後藤基次 
エビラ:大野治房 
ゴジラ:毛利勝永 
キングギドラ:真田信繁 
ラドン:長宗我部 
ビオランテ:薄田兼相
クモンガ:塙直之
ヘドラ:明石全登 
カマキラス:仙石秀範 
ジラ(マグロ食ってる奴):御宿政友 
メカゴジラ:木村重成 
ミニラ:速水守久 

836 :人間七七四年:2016/05/30(月) 22:32:58.64 ID:WiemMqfX.net
豊臣方を何かに例えるのでも流行ってるの?
そのうちガメラとか仮面ライダーとかウルトラマンとか
戦隊ものとかガンダムにでも例える奴が出てきそうだな

837 :人間七七四年:2016/05/30(月) 22:50:09.11 ID:hdVRj0IM.net
仙石秀範って、大野兄弟や真田・毛利・長宗我部の旧西軍大名子弟、
後藤・明石のような高名な牢人武将とならぶ待遇を受け、
一説に3万石相当の所領を秀頼の領地から分け与えられたとか。
そして、大阪方の諸将の中では彼らに次ぐ兵力を率いていたんだよね。
なんで、こんなに厚遇されてるんだろう?

838 :人間七七四年:2016/05/30(月) 23:39:37.23 ID:RP2mqOOP.net
徳川家康 ウルトラの父
徳川秀忠 ウルトラマンゾフィー(バードン戦ヴァージョン)
伊達政宗 ウルトラマンベリアル
松平忠輝 ダークザギ
上杉景勝 ウルトラマン
佐竹義宣 ウルトラマンジャック(新マン)
水野勝成 ウルトラマンレオ
立花宗茂 ウルトラマンティガ(グリッターヴァージョン)
松平忠直 ウルトラマンゼロ

839 :人間七七四年:2016/05/31(火) 01:25:46.40 ID:9XDIfMCn.net
>>837
豊臣古参の家柄で本家が5万石クラスなんだから妥当なところなんじゃね

840 :人間七七四年:2016/05/31(火) 01:53:40.28 ID:wmYOyIFd.net
>>837
正直負け武将のイメージだよなセンゴクさん

841 :人間七七四年:2016/05/31(火) 11:32:45.39 ID:2ZsOfoLY.net
>>840
江戸時代を乗り切り、明治には華族にもなってるんだから
大名家としては仙石家は勝ち組なんだろうけど、
戸次川の戦のイメージが悪すぎるよな

842 :人間七七四年:2016/05/31(火) 15:39:40.32 ID:tCCmHlwh.net
江戸後期にはお家騒動でゴタゴタしたあげく減封をくらい
幕末はさっさと新政府側につくあたりもご先祖そっくりな仙石さんち

843 :人間七七四年:2016/05/31(火) 18:02:37.84 ID:j+YbXTPB.net
なんかもう小物が風にとばされそうになって右往左往してるよなセンゴクさん

844 :人間七七四年:2016/05/31(火) 22:02:46.41 ID:ZTHF7dCG.net
>>829
お公家さんの教育したらほんまにお公家さんみたいになってしまいました。ものすごい素直な優等生だったのかもね、秀頼

845 :人間七七四年:2016/06/03(金) 21:48:37.12 ID:RSl5KE6Y.net
江戸時代と違って戦国時代の武士は奉公すれば新恩を与えてくれる、
領土を安堵してくれる、その力がある者に対して与力するのに
とっくの昔に死んだ親の権威だけで諸大名が味方してくれると思っってたんだろうな
豊臣家の連中は
ある意味天皇だから、世の者は皆自分の言うこと聞くべきだと思っていた
後醍醐天皇並みに宋学的思想に囚われていた莫迦というべきか

846 :人間七七四年:2016/06/04(土) 10:15:20.42 ID:kOZnpjPF.net
かつて信雄が秀吉の転封命令拒否して処罰された様に
かつての主君の息子だろうが、時の最高権力者に逆らえば
どういった事になるか、理解できていなかったんだろうな

847 :人間七七四年:2016/06/04(土) 14:25:29.65 ID:UUhcxUX2.net
あー確かに、秀吉の政権て古代王権に依拠してた後醍醐の建武政権の再来だよね
秀吉は関白になるということが本来武家と原理的にも歴史的にも対立する王朝に
自ら取り込まれることを意味するということをどの程度自覚してたんだろうか?
平氏政権も建武政権もそれで結局滅ぼされたわけだし
封建体制がなお現役のときに、時代遅れの関白に就任した時点で致命的な失敗だったし
相手が徳川でなくてもいずれ滅ぼされる運命を選んだとしか思えない

848 :人間七七四年:2016/06/04(土) 15:51:38.86 ID:9smIpcz+.net
>>846
そういやその大減封をくらった信雄本人が大阪城に居なかったっけ。
徳川と決戦だ!なんて気勢を上げてる豊臣家に自らの若い頃を思い出したりしたかもね

849 :人間七七四年:2016/06/04(土) 16:40:11.06 ID:BsrrIFud.net
>>848
決戦が決まったら早々に逃げ出したけどね
しかも且元に淀達が且元殺害を考えている事を告げた上で
その後今まで散々迷惑かけてきた家康にちゃっかり保護されて大名に復帰しているんだからなぁ

850 :人間七七四年:2016/06/04(土) 18:12:01.51 ID:aALLBo6C.net
信雄は現代に伝わっているほどバカ無能って訳ではなかったってことだろうな
時の有力者にふりまわされ落ち目になってもそこそこの立ち位置を保持できる頭はあったわけだ

851 :人間七七四年:2016/06/04(土) 18:18:25.82 ID:fhquBQUK.net
>>844
秀頼の教育を担当したのは公家の舟橋秀賢だが、彼の日記からは、秀頼に講義を行ったのは2回しか確認されない。
どうも秀頼が2回やって早々に飽きた可能性がある

852 :人間七七四年:2016/06/04(土) 18:29:13.48 ID:aALLBo6C.net
秀頼は馬にも乗れないほど肥満してたって説も聞いたことがある
相当に甘やかされてただろうな

853 :人間七七四年:2016/06/05(日) 20:24:37.07 ID:mSVYX5xA.net
>>849
しかし御袋様と秀頼はよく信雄を大将として担ごうとしたな
豊臣家に対して信雄にしてみれば、恩と恨みを比べれば
恨みの方が大きかっただろうに

854 :人間七七四年:2016/06/05(日) 20:34:19.26 ID:S7dYONHX.net
>>837
旧大名衆の毛利勝永、真田信繁、長宗我部盛親はいずれも徳川または
預かり先の大名の監視下にあったのに対して、
仙石秀範は関ヶ原で西軍に参加したとはいえ、徳川ににらまれたわけではなく
家康をはばかった仙石秀久が勘当して浪人しただけ
他のメンツに比べ、速やかに秀頼のもとに駆け付けることができた

また、秀範の母親は、大坂城七手組の野々村幸成の娘
そして、秀範は兄の仙石久忠が失明して嫡男に昇格するまでは、豊臣家の
小姓・近習だった
ある意味、ガチ譜代
だからこそ、父親に逆らって西軍、そして大坂方についたのだろうし、
秀頼もわざわざ3万石を分け与えて家老級の待遇を提供したのだろう

855 :人間七七四年:2016/06/05(日) 21:39:15.96 ID:Sqcp2L+3.net
>>853
淀君の言い訳としたら、従兄弟を頼って何が悪い(泣)じゃね?

本来なら浅井一門総出で来るべきなんだろうけど、
浅井は全滅してるもんな

856 :人間七七四年:2016/06/05(日) 21:49:02.80 ID:r8IvZlCC.net
夏の陣で千姫を解放させたお初さんすごいと思ふ
淀達から見れば自分達を救命させる最後のカードだったろうに
(かと言って最初から家康がそのカードで折れるとは思ってなかったろうけど)

857 :人間七七四年:2016/06/05(日) 22:23:10.52 ID:S7dYONHX.net
>>853
徳川家康は、織田(信長)のパシリだったから、織田家の名前を見たら、
恐れ入って秀頼のためにアンパンと牛乳に買いに行ってくれるという
想いがあったんじゃない?

858 :人間七七四年:2016/06/05(日) 22:42:16.96 ID:cuH5yn19.net
>>856
千姫は淀の実の姪、養女として育てた完子の異父妹で、只の嫁じゃないというのもあるだろうね。

859 :人間七七四年:2016/06/05(日) 22:57:21.89 ID:uRfp4+2t.net
>>857
ずっといじめられっ子だったお前らしい発想だわ

860 :人間七七四年:2016/06/05(日) 23:06:22.58 ID:z3S3kLFz.net
>>854
秀頼の領地の65万石って数がでてきたのはたしか幕末の史料だった
それが「正史」になっているけど、実態はよくわかってないんだよね
関が原の際に蔵入地を大名に配分した事になっているけど、その後も
その地から収入があった事を示す史料があるのは明らかに矛盾しているし

蔵入地にたいした変化がないなら3万石くらいなら別に優遇ってほどでもない気が

861 :人間七七四年:2016/06/06(月) 00:20:28.46 ID:wqwWYTMO.net
>>860
東北は解消されたとする論文があった

862 :人間七七四年:2016/06/06(月) 00:55:58.29 ID:NO1Ahiff.net
>>848
信雄は織田信成という立派な子孫を遺したからセーフ

>>857
そんな考えなら豊臣が滅ぶのは自明の理だな
奇しくも同じ滅び方をした北条氏の一族北条氏照の怨念が25年越しに叶ったのには感動すら覚える

863 :人間七七四年:2016/06/06(月) 03:32:12.60 ID:MYYLot6D.net
>>860
例え豊臣家に100万石ぐらい実収があったとしても、3万石なら優遇でしょ
大和郡山100万石時代の豊臣秀長の家臣団でも、家老のうち3万石越えしているのは
「三家老」と呼ばれた宿老の横浜一庵(5万石)、羽田正親(4万8千石)、小川下野守
(3万5千石)だけ
それに続く家老中堅の藤堂高虎だって2万石しかない
徳川家康だって、関東に移る前に3万石越えしていた家臣なんて数えるほどだ
秀頼の付家老の織田信包が丹波柏原3万8千石、片桐且元は大和竜田2万8千石
七手組で3万石越えているのは筆頭の速水守久(4万石)だけ

譜代とはいえ、大名家の当主ではなかったため、戦や行政の手腕に実績がなく、
親父に勘当されてからは寺子屋の師匠やってた浪人にいきなり3万石なら
超破格の待遇
その程度の者に3万石も与えるなんて、いかに豊臣家が孤立し、譜代駆けつけに
狂喜していたかが良く判る

864 :人間七七四年:2016/06/06(月) 03:39:04.93 ID:CvIc/Fpy.net
>860-861
細川家内で松井康之が預かってる代官地も関ヶ原後の10年弱で所有者が移り変わってるっぽい

865 :人間七七四年:2016/06/06(月) 05:14:10.74 ID:X6jPoawF.net
>>862
へー
織田信成って信雄の子孫なんだ

866 :人間七七四年:2016/06/06(月) 20:44:48.20 ID:B5eQ1t+r.net
>>853
信雄に逃げられたあと大将にしたのが有楽だったんだから
茶々の中では織田ブランドはやっぱり大きいものがあったんだろう

867 :人間七七四年:2016/06/06(月) 22:18:19.35 ID:UlM7prKE.net
元々は、織田信包(老犬斎)がお市と三姉妹の保護者で、秀頼も補佐してたので、その後釜だな。

868 :人間七七四年:2016/06/07(火) 01:25:26.47 ID:CJ0sCRZS.net
淀が織田ブランドに頼ってたのが事実だとすると、秀吉も報われないよな
織田の息子どもを必死に抑えてやっと天下人になったのに。
また淀だって織田は親の敵だったろうに。

869 :人間七七四年:2016/06/07(火) 03:45:54.72 ID:7yJHtSNL.net
血縁が織田生き残りしかおらんし秀吉も親の敵だがな

870 :人間七七四年:2016/06/07(火) 05:32:29.66 ID:ehmd1fzC.net
>>869
それでも天下人ってことで利用してやれと淀はわりきったってことでしょ

871 :人間七七四年:2016/06/07(火) 05:45:17.12 ID:bmQjtMok.net
秀頼は(特に豊臣の)親戚少ないから仕方ない

872 :人間七七四年:2016/06/07(火) 12:12:01.51 ID:kyt40V8F.net
淀も、お江と妹婿の秀忠に頭下げておけばよかったんだよ。

873 :人間七七四年:2016/06/07(火) 13:23:40.94 ID:Ej6Lo8tN.net
せっかく江の姉という強力な立場なんだしな
恐妻家秀忠だから融通のきかない生真面目将軍もなんとか折れたかも知れんよな
どうせ秀頼の自決も母親へのポーズだけだったろうし

つか自決も実は徳川史によるねつ造かもな
気の利いた家臣が根絶やしにしただけで。

千姫による助命嘆願からして降伏する気満々だし

874 :人間七七四年:2016/06/07(火) 18:57:01.32 ID:Lm8AYlFv.net
>>873
江だって我が子がかわいい
姉と姉の子を生かしておいて、将来リスクになる可能性があれば
「淀なんか死ね」と考えたかもしれないぞ?

875 :人間七七四年:2016/06/07(火) 19:20:26.62 ID:VHAAV9Qg.net
>>874
うーん、それもないとは言えないか

ただもう徳川と豊臣の力量差は決定的なわけで。
淀の助命→仏門いり、秀頼の助命→徳川の監視下で千姫とあわせて蟄居、大坂城という器のない状態でもう謀叛とかありえない
そこまで心配する必要もないと思うが。

876 :人間七七四年:2016/06/07(火) 23:32:05.68 ID:m59Mi6Ve.net
何代か後に男系ではないが徳川の血を引いてるからと神輿にされて火種になるかも

877 :人間七七四年:2016/06/08(水) 01:59:31.29 ID:WJAH7e+Y.net
>>876
豊臣の書き間違いだろうが、確かにそうなるだろうね
秀頼の庶子も処刑されたわけだし、家光の弟すら

878 :人間七七四年:2016/06/08(水) 02:34:19.03 ID:mrEuZqdb.net
秀頼と千姫との間にできた子の系統ってことじゃないかな?

879 :人間七七四年:2016/06/08(水) 12:50:24.08 ID:YNedHejP.net
>>878
そのつもりだった
源平藤橘と同等の家格+徳川と織田の傍系って摂家将軍にもってこいな気が
家康が傾倒した鎌倉幕府で前例があるわけだし

880 :人間七七四年:2016/06/08(水) 13:28:49.71 ID:ybAPczvl.net
秀忠に跡継ぎある以上、秀頼千姫間の子供はどこまでも傍流
しかも敗戦武将、浮きの目はないよ

881 :人間七七四年:2016/06/08(水) 13:44:29.92 ID:+reW0Zy4.net
秀頼に松平名字を与え、吉井藩程度の扱いをすればよい。

882 :人間七七四年:2016/06/08(水) 14:20:43.99 ID:xpLMYynR.net
摂家将軍が欲しいなら和子の子孫から天皇家と徳川の血をひく人間を選べばよくね?
秀吉の記憶が新しい秀頼の時代でさえ反徳川で担ぎ上げる大名はいなかったのに
数代の後に豊臣の血筋に反徳川の価値を見出す大名はいるとは思えんが

883 :人間七七四年:2016/06/08(水) 15:57:17.91 ID:uY2/Ma/D.net
>>882
摂家将軍なんてめんどくさいこと書いてるから分かりにくいだけで

平家にとっての源頼朝の例がある。
頼朝だって義朝郎党は全部平家に鞍替えしたし
源氏一門といっても武田や新田は親平家だった。
そして、くっついた女も、どこの馬の骨か分からん程度の北条の娘だ
それで、終わってみたら平家が擁立した天皇諸共滅びてるんだから
秀頼を警戒したとしても仕方ないところはある。

884 :人間七七四年:2016/06/08(水) 16:39:11.44 ID:ybAPczvl.net
>>882
ほんそれ
結局強い武家がにらみを効かせられるかどうか、だけで
弱体化した豊家に誰も魅力を感じない
恩顧武将ですらあのていたらくなんだから。

885 :人間七七四年:2016/06/08(水) 16:49:35.60 ID:xpLMYynR.net
頼朝の場合は挙兵以前の段階で皇族が挙兵してたり清盛の支配が揺らいでる状況だし
挙兵以来関東を転戦して名を上げた頼朝と大坂落城まで陣頭に立つこともなく名を落とした秀頼を同一視するのは難しい
秀頼の死に関しては秀忠が言ったとされる「一度ならず二度はない」という言葉が全てじゃないか

886 :人間七七四年:2016/06/08(水) 16:49:56.27 ID:ybAPczvl.net
だいたい秀吉の晩年にあれだけ他家に苦労を強いて人心を離れさせてはおいて
豊家の春ふたたびなんて思うバカはいない
豊臣恩顧の人間もあの調子

大坂の陣にいたってはあぶれものしか居なかったのが現実だろうに。
矮小な世界となった豊家ワールドの中でその中のわずかな人間が夢をとなえていたばかり

887 :人間七七四年:2016/06/08(水) 16:53:45.07 ID:ybAPczvl.net
>>885
凋落し朝敵となった平家、に対して大義名分そろえた鎌倉方
ある意味秀頼と徳川にあてはめることはできると思うけどね
秀頼も秀吉も天皇家をゆるがすところまでそもそもいけなかったのは清盛とは違うのだけれど。

888 :人間七七四年:2016/06/08(水) 17:04:11.40 ID:VZUPYeBU.net
ま、時代が変わって天皇の権力が低下してたから
わざわざ揺るがさなくてもよくなってたのはあるけどね

889 :人間七七四年:2016/06/08(水) 17:06:52.56 ID:uY2/Ma/D.net
>>887
近視眼に過ぎる
頼朝は、まさに謀反人の子供からのスタートだ
徳川の世は永久に盤石なんて信じてるバカでも無い限り、秀頼が生きてるなんて気持ち良いもんじゃないだろ

890 :人間七七四年:2016/06/08(水) 17:21:29.70 ID:Obe9P6ry.net
大した史料の裏付けも無いのに「家康は頼朝の例を恐れた」とか言っちゃう人って……

891 :人間七七四年:2016/06/08(水) 17:22:33.54 ID:Obe9P6ry.net
結局それって「俺が家康だったら秀頼を生かしておきたくないから家康もそう考えたに違いない」でしかないのよね
連投ゴメン

892 :人間七七四年:2016/06/08(水) 17:30:07.79 ID:ybAPczvl.net
>>889
そもそも頼朝は親兄弟を殺されてるからな
徳川よりも相手に対して恨みも深いし、警戒感も強かっただろうよ

俺の意見と誰かの意見を混同されてるかも知れんが俺は豊家小物論だから。
豊家にむらがる食いっぱぐれどもが天下の大物にふみつぶされ、それを嘆いたのは時代の判官贔屓
時代は徳川の流れでしかなかった

秀吉から連なる悪政に豊家支持なんて本来はなかっただろうよ、
せいぜい窮屈な徳川の世に現実逃避してこれが太閤さまの世の中だったら、と後ろ向きした連中が秀頼が存命だったらとか妄想ぶっこいただけと言う感じか。

893 :人間七七四年:2016/06/08(水) 17:31:51.90 ID:ybAPczvl.net
俺論は徳川=頼朝、秀頼=平家ってことだな
摂関将軍の話してたんだから当然そのことだと思ってたんだが他の皆はちがうのか

894 :人間七七四年:2016/06/08(水) 18:12:39.88 ID:CmxE+Ops.net
>>893
お前は文章を読むという国語レベルから勉強しなおしたほうが良い

895 :人間七七四年:2016/06/08(水) 18:27:26.59 ID:xpLMYynR.net
鎌倉幕府の場合、頼朝の血筋が幕府内の争いでいなくなっちゃったから摂家将軍を迎えることになったんだし
親族が沢山いる徳川家がわざわざ摂家将軍を担ぐ必要性があるとは思えない
仮に摂家将軍を迎えるにしたってに豊臣家の血筋が入っていることは重要にはならんだろう
酒井忠清が家綱が死んだ時に摂家将軍を迎え入れようとしたそうだけど
その候補にだって結城秀康の血が入ってるわけだし

896 :人間七七四年:2016/06/08(水) 18:31:55.37 ID:CmxE+Ops.net
つか徳川幕府の親王将軍なんて俗説中の俗説をまだ信じてる奴が居るのか

897 :人間七七四年:2016/06/08(水) 18:35:35.00 ID:7uAGawVR.net
候補の順あっての話だしな
千姫ひとりの血が混ざってようがそんな傍流が世嗣となれるには江戸どころか昭和の世でも無理だったわな

898 :人間七七四年:2016/06/08(水) 19:41:10.07 ID:uY2/Ma/D.net
>>891
その通りではあるが
通説でも、秀頼の降伏を家康も拒否したはずだが?違ったっけ?

899 :人間七七四年:2016/06/08(水) 20:20:35.49 ID:Obe9P6ry.net
>>898
実紀では千姫の助命嘆願に対して
家康「儂は降伏認めます。でも秀忠の許可をとってね」
秀忠「認めません。そもそもなんでお前秀頼と一緒に死んでないの?」

900 :人間七七四年:2016/06/08(水) 21:18:59.72 ID:/hoGHxU5.net
秀忠が、淀殿・常高院・崇源院の熟女姉妹ドンブリに男の浪漫を感じていたら
秀頼は生き延びれたはず
秀忠は草食系

901 :人間七七四年:2016/06/08(水) 22:32:38.59 ID:mrEuZqdb.net
淀がうちのかみさんと同じくらいか
当時と現代とで老けかたにどれくらい差があるんかのう
化粧が濃そうだから素肌はぼろぼろか?

902 :人間七七四年:2016/06/08(水) 22:44:15.70 ID:vfATcv1Y.net
主家に弓引いといて秀頼を殺さない選択はないだろう
元々放置していたら再び関白殿下と仰がなければならない位置になりかねない
相手だったのだから多少無理してでも消すのが正解

だが、秀勝-完子のほうの血筋に手をださなかったのは何故かな

903 :人間七七四年:2016/06/08(水) 23:25:48.15 ID:Obe9P6ry.net
>>902
実際殺さない方針を取ろうとしていたのが家康
それを蹴ったのが秀頼

904 :人間七七四年:2016/06/08(水) 23:26:38.26 ID:Obe9P6ry.net
ああ、でも夏の陣の段階まで行ったら家康ももう滅ぼす気だったと思う

905 :人間七七四年:2016/06/09(木) 00:03:55.03 ID:ebmWR2Gn.net
>>902
大坂落城時点で殺さなくてももう関白とか絶対にありえないよね

906 :人間七七四年:2016/06/09(木) 00:12:49.99 ID:fVLpYWGy.net
>>905
さぁな?
家康が死んでどう転ぶかはわからんのだし
それは今の歴史を知っている者だから言えること
今のおれらだって、このまま民主主義国家として続くと
信じているが、よく考えたら根拠はない
それと同じく当時の権力者もエスパーではないのだから
殺しておく事が一番安心できる方法だろ
一度主家に矛を向けた以上は殺し尽くさないと意味がない

907 :人間七七四年:2016/06/09(木) 00:34:20.88 ID:bVrROHxE.net
>>906
史料がないなら妄想としか言えない

908 :人間七七四年:2016/06/09(木) 01:50:42.88 ID:ebmWR2Gn.net
>>906
確かに後生の人間は結果を知ってて言う節もあるが
どう考えてもパワーゲームに負けて逆転するなんてありえない
史記じゃあるまいし。

909 :人間七七四年:2016/06/09(木) 01:53:09.44 ID:ebmWR2Gn.net
>>906
そも秀頼自体が再起の目があるかというより他への見せしめだったり、叛逆を許せるか許せないかで言ったら当然殺されて当たり前

910 :人間七七四年:2016/06/09(木) 02:34:32.13 ID:fxd/leNy.net
>>902

完子はシエの子だしその夫は九条関白家で徳川家にとって利用価値があった。だから九条忠栄は関白に就任している。
ちなみに、完子は秀忠の養女にもなってる。
九条家は、徳川和子のために尽力してる。

911 :人間七七四年:2016/06/09(木) 04:19:39.37 ID:ML+SPppz.net
徳川は微にいり細にいり気配りが行き届いてたんだな
苦労人は心配性だ

秀頼はなんにも考えないボンボンだったんだな

912 :人間七七四年:2016/06/10(金) 21:55:27.23 ID:jqfSftIA.net
豊臣信者は何かといえば秀頼は家康より上の立場だったって主張するけど
秀吉の息子と言う立場以外、位階も官位も従二位中納言の秀頼より
正二位内大臣の家康の方が上なんだよね
秀吉も信雄より上位の位階、官位を手にすることにより信雄の上に立ったんだよね

913 :人間七七四年:2016/06/10(金) 22:08:33.02 ID:3SvmNdP+.net
>>912
豊臣姓大坂羽柴家は関白になれる摂関家相当、徳川家は清華家相当
家格が違うのよ
そりゃ幼児より長年努めてきた年長者のほうが官位が上なのは当たり前
徳川将軍家に生まれた赤子なんかでも最初は無位無官ですよ。

914 :人間七七四年:2016/06/10(金) 22:18:41.12 ID:xKzO/YBD.net
「祖母の前で詫びながら自害しろ」という意味で高野山で切腹させたとも言えるのでは?
秀吉が大政所の菩提寺が血で汚れたことに怒ったってなんにも史料ないんだろ?

915 :人間七七四年:2016/06/10(金) 22:22:00.81 ID:jqfSftIA.net
>>913
秀吉が摂関家相当と見做されたのは天下統一の実力があったればこそ
朝廷にしても成り上がりの豊臣家の実力を認めたからこそ重く扱ってきた
朝廷にしてみれば、自分の利益に直結する側に付くのが当然
まあ私的な日記等で愚痴くらいは言うだろうけど

916 :人間七七四年:2016/06/10(金) 22:32:34.45 ID:xKzO/YBD.net
あ、誤爆

917 :人間七七四年:2016/06/11(土) 10:27:31.51 ID:c9ftaUqC.net
>>913
関白になれるって便利な表現だよね
実際に関白になれなくても、なれるかもしれないと言い張れる

もっとも摂関家は常に5つ(豊臣の成り上がりを含めれば6つ)で
将軍家は当代に1つだから1対1なら将軍家の方が上だけどね
摂関家が全部合体すれば将軍家より上だけどそんなことはありえないからね

918 :人間七七四年:2016/06/11(土) 10:51:38.95 ID:KtJBzfsW.net
足利義満以降は、将軍家>五摂家だろう。

919 :人間七七四年:2016/06/11(土) 11:44:21.17 ID:DnhhEd1B.net
天子に奏上して関白職にしてあげる

920 :人間七七四年:2016/06/11(土) 20:45:17.43 ID:st6tpdZ9.net
>>911
豊臣政権や豊臣恩顧大名の関連で柵が多い家康が存命のうちに、「秀頼の血筋存続」を
最優先にして妥協しておくべきだったな。大和一国くらいの領地で、御三家と同等の家格、
大坂城は明け渡して、婚姻は徳川家をメインにして、一族の有力者は常に江戸在住ーー等の
条件なら大丈夫だったと思う。

仮に対立したまま家康が急病死すると、秀忠が却って将軍としての権威誇示のために無理に
討伐にかかりそうな気がする。家光の代までしのぎ、忠長問題で将軍家を立てれば安泰だろう。

921 :人間七七四年:2016/06/11(土) 21:37:25.41 ID:JpxAIOSo.net
まさしくそのとおりじゃないの

結局秀頼が欲をかくか、そこが豊家のラストチャンスだったろうね

パワーバランスというか豊家は実力を把握出来てなかった

922 :人間七七四年:2016/06/12(日) 10:46:28.32 ID:6bAjxrXG.net
そもそも現役関白を殺して関白職を返上した時点で豊臣家は摂関家でもなんでもなくなったわけで
しかも有無を言わさず朝廷に関白を要求するパワーも秀頼には存在しないんだから
秀頼が関白に就任して天下人なんていうのはありえない夢物語でしかなかった
淀や秀頼はそういった現実を理解できず自分たちが未だに摂関家などという妄想に入り浸っていたため
生き残るチャンスをずべて棒に振るってしまったに過ぎない

923 :人間七七四年:2016/06/12(日) 21:05:36.07 ID:D+VexT2N.net
そもそも大坂冬の陣直前くらいまで関白だった近衛信尹は
関白位に執着してた上、秀吉に色々と恨みがあったから
秀頼に関白を譲るとは思えないな

924 :人間七七四年:2016/06/13(月) 21:15:48.39 ID:KAWhQaF8.net
秀頼が、何事もなく摂津大坂60数万石の大大名で在り続けるなら、
貧乏朝廷・公家が秀頼の関白就任でばらまかれる金を求めて
関白に推すことはあるんじゃないか?

925 :人間七七四年:2016/06/14(火) 09:21:56.11 ID:BkhDdi+4.net
関白は公家が関白を放棄する必要がある
しかも豊臣は永久独占したいのだから裏を返せば公家が永久放棄を受け入れなければいけない
金だけではそんなものは飲めないよ
圧倒的な力を取り戻さない限り秀頼が関白になることはありえない

926 :人間七七四年:2016/06/15(水) 15:47:01.35 ID:ay0EHa+Z.net
摂河泉で65万石くらいの実高しかないんだから
関八州350万石に人質でも出せばよかったのにな豊家w

あまりに時勢が読めなすぎたということか五摂家と縁戚にでもなれば
よかったのになw

927 :人間七七四年:2016/06/15(水) 16:09:10.36 ID:MHCYpvef.net
>>926
完子が九条家に嫁いだから、一応縁戚。
ただし、九条家は将軍家御台所の婿でもある。

928 :人間七七四年:2016/06/15(水) 16:19:16.12 ID:2aXQpeex.net
所詮は形骸しかない豊臣家がどう動いたところで、幾十幾百に余る手足を有する幕府というバケモノを従える徳川家に勝てるはずもない

929 :人間七七四年:2016/06/15(水) 23:36:35.74 ID:QdH7N1L1.net
完子がかろうじて血筋を残せたもんだしまぁまだマシかな

秀頼の実高って65万石ってのは疑わしいが

930 :人間七七四年:2016/06/16(木) 08:51:57.41 ID:4ghB1mWe.net
>>929
かろうじてというか、九条家出身の貞明皇后が昭和天皇を生まれているので、皇室に豊臣やシエの血が入ってる。
九条家には尾張徳川家の血も入ってるから、皇室にはその血も。

931 :人間七七四年:2016/06/17(金) 10:47:12.74 ID:y6RlPsGl.net
関ヶ原で南宮山の毛利が家康本陣突き崩せば
維新もなかったのにな

明軍の呪いかw 

932 :人間七七四年:2016/06/17(金) 20:36:10.91 ID:/1Ql4fo5.net
もはや勝ち目は無かったよな
せめて豊臣恩顧なりアンチ家康が後方で反乱でも起こさない限り

933 :人間七七四年:2016/06/17(金) 21:49:50.99 ID:JCUWkHAu.net
そこは抜かりないのがイエヤスさん
間が抜けてるが秀頼のボンボン

934 :人間七七四年:2016/06/20(月) 21:44:33.65 ID:kqF2ugtY.net
だいたい国崩しで講和しなければよかったのにな
やっぱり淀殿は○鹿だから

935 :人間七七四年:2016/06/21(火) 10:10:13.98 ID:EhRkEurU.net
家康の狡猾さと執念が勝ったと褒めてやろうぜ

936 :人間七七四年:2016/06/21(火) 10:47:03.12 ID:iQk2NBkT.net
>>934
国崩はフランキ砲だから旧式
最新式は英蘭から購入した大口径前装砲

937 :人間七七四年:2016/06/21(火) 23:01:42.09 ID:Kwg7PCaW.net
秀頼さま言ってるバカは逃走したのか

938 :人間七七四年:2016/06/23(木) 19:06:15.45 ID:jGgjkjR/.net
そもそも当時の人間は秀頼を秀吉の息子だと信じてたんかね
秀頼君の長所って秀吉の息子ってことだけだけど
これが疑わしかったら誰もついていかないと思う

939 :人間七七四年:2016/06/23(木) 21:36:22.78 ID:WOJXO+VZ.net
>>938
現代もそうだけど当時から誰の種だ、って話はあったと思うよ
ただそれを口にして秀吉に消されるのが怖い感じでまともに主張できないだけで。
大野だの光成だの色々説があるよね

あとはもう淀からしてひっこみつかねえしグレーなのは触れないってことで話は進んだんだろうなあ

940 :人間七七四年:2016/06/23(木) 22:11:52.07 ID:xfcatptm.net
豊臣秀頼は、関ヶ原の戦い後に蔵入地を奪われ、220万石→65万石に
転落したといわれている
その220万石なんだが、それは「秀長・秀次生前から220万石だった」のだろうか?
それとも、「秀長・秀次死後に220万石に増えた」のだろうか?

それぞれ付家老・国人家臣などをふくめて、秀長は大和郡山100万石、
秀次は尾張清洲100万石と称された
秀長・秀保の家系、秀次の家系がそれぞれ途絶えた時、大和・紀伊・和泉・河内・
近江・伊勢・尾張・但馬などが放出されたが、関が原の合戦前のそれらの地域の
大名たちの所領を見る限り、それらの国の全ての土地が各大名に配分されたとは
思えず、秀吉・秀頼本家の所領に組み入れられた土地があるのではないか?

だとしたら、秀頼の「関ヶ原前220万石」は、秀長・秀次生前にはもっと少なかった
と考えられる
秀長・秀次生前の豊臣本家の所領は、蔵入地を入れてどれぐらいだったのだろうか?
200万石を切っていたのか?

941 :人間七七四年:2016/06/24(金) 01:19:22.46 ID:CvLMw3NH.net
>>939
後は陰陽師と乱交して妊娠したって説もあるね
もしこの説が本当で秀頼に秀吉の血が流れて無いんなら
豊臣恩顧の癖に秀頼裏切ったって恨み節も何か哀れだな
だって最初から恩も何も無いって事になる

942 :人間七七四年:2016/06/24(金) 01:21:08.97 ID:9u2YZm3I.net
秀吉直臣に移行してる大名未満の小身の秀長・秀次旧臣領を見落としてると思われ
秀長・秀次の預かり地の太閤蔵入地も勘案してないだろうし

943 :人間七七四年:2016/06/27(月) 23:09:03.12 ID:Vfs6Ra9a.net
>>941
服部英雄の説だっけ?「河原ノ者・非人・秀吉」って面白いの?

944 :人間七七四年:2016/06/27(月) 23:50:15.75 ID:xIwt/IjX.net
>>943
いわゆる同和関連の記述はともかく、秀吉関連の記述は全部ファンタジー

945 :人間七七四年:2016/06/28(火) 04:00:51.62 ID:SNvnlTW4.net
>>934
あれで侍女が死んだんで、ヒステリー起こした説有りますね。
あの時代の大砲は、巨大な砲弾が飛ぶだけだから余程運が悪く無いと当たる事は
無いんですよね?
それと日本に硝石が産出しないんで、火薬を大量消費する大砲は経済的に無意味な
兵器らしいです。
大量の火縄銃隊を編成した方がましらしいです。
夜間に大声出して城方を寝不足にしたと言う話も有るし、家康は相手の心を折りに
きてるんだよね。
でも、あのまま城方が粘ると火薬とか足りたんだろうか?

946 :人間七七四年:2016/06/28(火) 06:09:32.05 ID:LRU8NjNj.net
大阪側も後詰めのあてもないわけで、もしも持久戦になったらとか考えてもあまり意味はないかも。

947 :人間七七四年:2016/06/28(火) 07:12:26.92 ID:PVW0Y3Tq.net
>>943
秀頼実子派の福田千鶴あたりの本と読み比べてみたらいいんじゃないかな

948 :人間七七四年:2016/06/28(火) 08:18:51.78 ID:wFtaLX1O.net
>>945
大砲なんか城壁が吹っ飛ばせたら十分だろ

逆に大砲も無しで、どう攻めるつもりだ?
服部半蔵影の軍団とか裏柳生、それとも飛騨の赤影でも連れてくるのか?

949 :人間七七四年:2016/06/28(火) 08:58:12.22 ID:4l7fs89i.net
城攻めにおいて最も弱い箇所を狙うのは基本中の基本で、
そしてそれは人の心

950 :人間七七四年:2016/06/29(水) 19:49:32.46 ID:5SW186M7.net
それまでに体験したことのない攻撃で実際に被害が出ると
対処法がわからずパニックになるらしいしな

951 :人間七七四年:2016/06/29(水) 21:14:45.78 ID:eJCEUGrJ.net
正直大砲でねらわれて建物壊されてたら穏やかでは居られないよな

952 :人間七七四年:2016/06/29(水) 21:25:52.26 ID:9mrh7FPF.net
なお、北東から撃たれると近弾は兎も角、遠弾は本丸奥御殿に落ちる

953 :人間七七四年:2016/07/01(金) 20:39:02.69 ID:fzwkPrTW.net
>>945
火薬は十分足りてるけど、兵糧の方が不足してた
20万の軍勢を長期間一箇所に集中させるには
鉄道などの近代的な輸送がどうしても必要だからねえ

>>948
当時の大砲に石垣や土塁を吹っ飛ばす威力はない
せいぜい城門を破壊できる程度

954 :人間七七四年:2016/07/01(金) 21:40:18.76 ID:jacrXbT7.net
城壁って書いてあるやん?

955 :人間七七四年:2016/07/01(金) 22:06:03.40 ID:7ONP/k8r.net
西洋砲なら石垣や土塁の破壊は可能

956 :人間七七四年:2016/07/01(金) 23:20:18.03 ID:fzwkPrTW.net
戦国時代の大砲ってのは単なる金属球であって榴弾じゃない
あと城壁で使われてる石材の後ろには土が盛られるのが一般的
榴弾みたいに弾そのものが爆発するなら石材の破壊は可能だが
ただの金属球にそこまでの破壊力はない
というか石垣を破壊出来ないから榴弾が発明されたわけ

957 :人間七七四年:2016/07/01(金) 23:45:24.31 ID:jacrXbT7.net
釣られんな

958 :人間七七四年:2016/07/02(土) 07:45:10.85 ID:m21h8Rg8.net
>>956
金属弾は硬い施設を破壊するためで、大型西洋砲の弾は数メートル単位で土塁にめり込む

959 :人間七七四年:2016/07/03(日) 01:54:33.42 ID:qdqWvJpB.net
石山本願寺と豊臣
あそこで籠城したら縁起が悪い

小判鋳つぶして弾造れるほど金銀財宝あったらしいが

960 :人間七七四年:2016/07/03(日) 16:08:11.09 ID:mNniwc6S.net
>>959
あの時代にはまだ「小判」という貨幣はない。

961 :人間七七四年:2016/07/06(水) 19:30:57.28 ID:cnEw3gD5.net
豊臣は大判だな

962 :人間七七四年:2016/07/06(水) 21:47:58.73 ID:4XwX3DKV.net
大坂の陣の入場の際に支払われたと言われてるのは竹流し二枚だね
ところで竹って融けた金の熱に耐えられるの?

963 :人間七七四年:2016/07/06(水) 22:21:27.87 ID:5+PduBLo.net
無理っぽい

964 :人間七七四年:2016/07/07(木) 21:18:09.45 ID:o1Adejuq.net
金の融点は約1064度くらいだから
竹の正確な耐熱温度は知らないけど
普通に考えれば燃えるよな
そうすると「大坂御陣山口休庵咄」なんかに出てくる
竹流しって実際はどんなものだったんだろう

965 :人間七七四年:2016/07/07(木) 22:01:55.24 ID:CYqb1dNf.net
筒状の鋳型に流し込んで棒にしたやつ
鋳型を竹筒に見立て竹流し金という

966 :人間七七四年:2016/07/07(木) 23:20:28.67 ID:CNEetCzm.net
>>958
貫徹力=破壊力ではない

967 :人間七七四年:2016/07/08(金) 07:53:42.54 ID:iufuCxtK.net
>>966
丸弾だから貫通に伴う破壊力は周囲に伝播する

968 :人間七七四年:2016/07/08(金) 13:42:19.24 ID:ZJnkuYmP.net
時代として十分脅威たる兵器だわな
国崩し

969 :名無しさん@そうだ選挙に行こう! Go to vote!:2016/07/10(日) 14:33:37.30 ID:clYX0/wa.net
大判なのか
なにしろ金銀財宝がうなってたらしいが

その秘宝はどこへ消えたのか

970 :名無しさん@そうだ選挙に行こう! Go to vote!:2016/07/10(日) 14:42:10.93 ID:yAt7ys7B.net
幕府が回収しました

971 :人間七七四年:2016/07/10(日) 23:02:17.24 ID:hBcRb8X/.net
ガチな話を言うと、秀吉が貯めこんだ黄金よりも、大坂の陣前の家康が駿府に溜め込んだ黄金のほうが多かった模様

972 :人間七七四年:2016/07/12(火) 22:19:54.51 ID:ATyFu/ff.net
>>971
確か駿府城の一層目の金蔵が満杯になったので、二層目の部屋を金蔵にしたら
金の重みに耐えきれず、床が抜けて天井の梁がへし折れたって逸話があったはず

973 :人間七七四年:2016/07/12(火) 23:29:53.46 ID:V3dY/7jy.net
金は鉄よりも重いからな

974 :人間七七四年:2016/07/13(水) 00:03:27.51 ID:fJJ4e/g0.net
子供のころ、親父が川原へ行って、俺たち兄弟のために庭の砂場を作るために
砂をクルマに積み込み始めた。多少つみこんだところ、タイヤがぺちゃんこに
なった。砂って予想以上に重い。金塊ならもっと重いだろう。

975 :人間七七四年:2016/07/20(水) 21:19:55.05 ID:CPIXlbOq.net
>>970
駿府記とかだと回収した金が二万八千六十枚で銀が二万四千枚だっけ

976 :人間七七四年:2016/07/21(木) 09:38:29.20 ID:5rrgbdl8.net
>>951
相当数の数の砲弾発射したみたいだから、
心理的負担は結構あったんだろうな

977 :人間七七四年:2016/07/21(木) 10:05:44.25 ID:tqn6+OqU.net
淀殿は二度落城を経験してるから大坂城への大砲での攻撃は相当トラウマがあったと思われ

978 :人間七七四年:2016/07/21(木) 11:09:28.11 ID:ff/4iI/E.net
大砲撃たれたのは初めてです

979 :人間七七四年:2016/07/21(木) 13:54:32.70 ID:ttE4Q6P/.net
世の中には家康に反感を持っている宣教師連中の報告を根拠にして、
冬の陣は豊臣方の勝利と主張する研究家もいるようだね

980 :人間七七四年:2016/07/21(木) 15:47:37.33 ID:CP3jJOqE.net
豊臣が好き、とかそれは別にだれも否定しないのにね
豊臣信者は被害者意識が強すぎる

981 :人間七七四年:2016/07/21(木) 19:36:10.24 ID:tXw4/iVm.net
藤吉郎さりとてはの者にて候

982 :人間七七四年:2016/07/21(木) 21:44:29.12 ID:ttE4Q6P/.net
ところでそろそろ次スレの頃かな

983 :人間七七四年:2016/07/22(金) 07:54:28.43 ID:hCaHUFnh.net
豊臣方も勝ったと思ってたから講和の時、加増って条件持ち出したのかもしれないな
完全に拒絶されて、堀を総て埋めるという屈辱的条件飲まされたけど

984 :人間七七四年:2016/07/22(金) 08:43:09.95 ID:dGDWMNdR.net
その後で「身の程知れや」てな感じで砲撃を喰らい屈した

985 :人間七七四年:2016/07/22(金) 12:33:52.43 ID:ll1Lqb8/.net
次スレ

【豊臣】 大坂の陣総合スレッド 4 【徳川】
http://hanabi.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1469158293/

986 :人間七七四年:2016/07/22(金) 17:41:21.19 ID:7fIWw210.net
秀頼がポジションだけでイケメンになるのは無くなってほしいわ

987 :人間七七四年:2016/07/22(金) 19:47:45.72 ID:oVhbjp/E.net
イケメンにすることくらいしか美点が作れないからだろ。

988 :人間七七四年:2016/07/22(金) 21:16:27.50 ID:oG4z3SM+.net
大坂の陣の時、みんながスマホ持っていてPokemonGoをプレイしていたら、豊臣方が勝っていた

989 :人間七七四年:2016/07/22(金) 21:39:03.84 ID:1eVj6Y3j.net
もうこちらは埋めちゃうか

990 :人間七七四年:2016/07/22(金) 21:39:24.10 ID:1eVj6Y3j.net
990

991 :人間七七四年:2016/07/22(金) 21:40:06.36 ID:1eVj6Y3j.net
埋め

992 :人間七七四年:2016/07/22(金) 21:40:39.94 ID:1eVj6Y3j.net


993 :人間七七四年:2016/07/22(金) 21:41:07.13 ID:1eVj6Y3j.net
うめ

994 :人間七七四年:2016/07/22(金) 21:41:36.20 ID:1eVj6Y3j.net
埋め

995 :人間七七四年:2016/07/22(金) 21:42:03.89 ID:1eVj6Y3j.net
995

996 :人間七七四年:2016/07/22(金) 21:42:31.01 ID:1eVj6Y3j.net
996

997 :人間七七四年:2016/07/22(金) 21:43:02.66 ID:1eVj6Y3j.net
997

998 :人間七七四年:2016/07/22(金) 21:43:25.71 ID:1eVj6Y3j.net
998

999 :人間七七四年:2016/07/22(金) 21:43:45.77 ID:1eVj6Y3j.net
999

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