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【秀頼】 大坂の陣総合スレッド 3 【家康】

1 :人間七七四年:2015/08/02(日) 22:39:09.43 ID:KpDjSjIw.net
慶長3年(1598)8月18日に豊臣秀吉が亡くなると、豊臣政権内部の対立が激化し、慶長5年9月15日には関ヶ原合戦が起こり、徳川家康率いる東軍と石田三成ら西軍が激突。
この合戦に勝利した徳川家康は慶長8年2月12日に征夷大将軍に任ぜられ、江戸に幕府を開きます。
けれども大坂城には秀吉の遺児豊臣秀頼が母淀殿とともに未だ健在で、徳川家を凌ぐ権威を保持したまま君臨していました。
この豊臣家と徳川家という二大権力の最終決着戦となり、戦国時代最後の大合戦となったのが「大坂の陣」です。
慶長19年10月〜12月には「大坂冬の陣」、翌20年5月には「大坂夏の陣」が起こり、慶長20年5月7日に大坂城は落城し、翌8日に秀頼・淀殿が自害して豊臣家は滅亡しました。

大坂の陣400年天下一祭
http://www.osakanojin400.com/
大坂の陣歴史検定 公式サイト
http://www.kentei-uketsuke.com/osakanojin/
大阪城歴史トークライブ《大坂冬の陣》
http://www.mbs1179.com/fuyunojin/

前スレ
【陰謀】 大坂の陣総合スレッド 2 【南禅寺】
http://hello.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1337983344/
【冬】大坂の陣総合スレッド【夏】
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1233143817/

大坂の陣への軍事考察
http://anchorage.2ch.net/test/read.cgi/army/1233315874/
大坂の陣で豊臣家が幕府軍に勝利する方法
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1201589307/

304 :人間七七四年:2016/03/12(土) 13:57:30.27 ID:6WNGFxPs.net
>>302
流通の基軸たる大坂が回らないと京を初めとした畿内全域が困るので、
幕府が実務を行っただろう

305 :人間七七四年:2016/03/13(日) 09:59:29.20 ID:Dw2yUHOR.net
本気で徳川と戦う決意があったなら、関ケ原後に立花宗茂、後藤又兵衛くらいは召し抱えてるだろう。
家康の将軍宣下時に立花を、又兵衛浪人時に又兵衛即召し抱えして七手組以外に新手の親衛隊を
立ち上げるくらいでないと、いざ開戦といった時点でどうしようもないことぐらい、まともな武将教育を
受けた者なら常識だが、公家教育しか受けていない秀頼には「無理、無理、無理」だな。

306 :人間七七四年:2016/03/13(日) 15:00:53.74 ID:vG4orbgu.net
淀ばばぁがいる時点で無理ゲー

307 :人間七七四年:2016/03/13(日) 15:16:49.85 ID:1JlNAgns.net
本来なら当主であり総大将である秀頼が決めるべきことなのに
淀のせいにされてることって多いんだろうな

308 :人間七七四年:2016/03/13(日) 15:47:52.13 ID:tYEh3v+K.net
最後の最後まで出陣しなかった時点でな
優秀ならばばあが止めても行っただろう

309 :人間七七四年:2016/03/13(日) 16:17:11.28 ID:xS1RCwSr.net
貴人は敵の手にかかっちゃいけないので負け濃厚では出陣出来ません。あしからず

310 :人間七七四年:2016/03/13(日) 16:23:42.49 ID:1JlNAgns.net
千姫使って助命嘆願するくらいだし本人は死ぬ気ないでしょ
信長みたいに武者働きした後切腹でもすりゃ印象も変っただろうに

311 :人間七七四年:2016/03/14(月) 21:54:07.85 ID:apclAuJC.net
結局天下人の息子としてのプライドだけ高くて
肝心の天下人の素質が皆無だったんだろう
それでも福田千鶴みたいな贔屓の引き倒しみたいな研究者もいて
いまだ持ち上げられることがあるからな

312 :人間七七四年:2016/03/15(火) 08:30:16.96 ID:jf0YB0mO.net
>>305
「関ヶ原後に」って、秀頼は何歳だよw

313 :人間七七四年:2016/03/15(火) 09:22:48.39 ID:9EZvJQB6.net
>>309
足利義輝ww

314 :人間七七四年:2016/03/15(火) 19:04:00.11 ID:Wd37drCd.net
千姫のエピソードも入るだろうなw

315 :人間七七四年:2016/03/31(木) 22:33:20.92 ID:3hsKKsRJ.net
家康はまだしも秀忠は豊臣滅ぼす気満々だからな
武将としては兎も角、政治家としては家康に比べて
極めて冷徹だし、舅の自分にまったくの礼節を示さない
秀頼に苛立たしく思ってたかも知れないし

316 :人間七七四年:2016/04/01(金) 07:10:22.17 ID:DdbB5vrf.net
「江〜姫たちの戦国〜」では秀忠は徳川と豊臣の二巨頭体制を目指していましたが

317 :人間七七四年:2016/04/01(金) 09:01:04.87 ID:6ipnfBMJ.net
>>316
あんな笑止ものの、ファンタジー大河持ち出されても

318 :人間七七四年:2016/04/01(金) 11:50:33.46 ID:7CPbIWu/.net
所詮、大野の種だしな…

319 :人間七七四年:2016/04/02(土) 00:28:43.21 ID:p6TMkn09.net
治長があれだけ権勢誇ったのはやはり何かあるんだろうな

320 :人間七七四年:2016/04/04(月) 00:34:58.09 ID:Jn2SGg1z.net
秀頼が異常に存在感が無いのが原因で淀や大野の存在が相対的に大きく見えるのではないか

321 :人間七七四年:2016/04/06(水) 09:44:00.43 ID:vY95KbxK.net
福田千鶴とか一所懸命に未完の大器みたいに
擁護したり持ち上げたりしてるけど、
秀頼は実際に政治家としても武将としても
褒められるところないしなぁ
最期にしたって味方の主だった武将が敗れて
勝負が完全に決まった後、命乞いだし

322 :人間七七四年:2016/04/07(木) 12:44:11.16 ID:+FnzAPPp.net
>>317
大河と言えば時代考証してる人を見ると
真田丸では冬の陣は大坂方の勝ちみたく
描かれるのかな

323 :人間七七四年:2016/04/07(木) 13:08:04.20 ID:QXB0PF/A.net
大阪の陣で活躍したのはっ真田信繁だけではなく大坂牢人五人衆+大野
やはり毛利勝永と強盗又兵衛は無視できない
最後の最後で家康と秀忠に手痛い一撃を加えた大坂牢人五人衆+大野

柳生宗矩と立花宗茂がいなければ二代目将軍秀忠は戦死で
どんでん返しがあったかも

家康に人を見る目があったので秀忠はなんとか助かり
家康自身も勝永の特攻からなんとかギリギリで逃げおおせたのだろう

324 :人間七七四年:2016/04/07(木) 13:15:39.62 ID:p5esZawi.net
>>321
秀頼が室町将軍家の帝王学教育受けてた!すごい!とか書いてあるけど、その講座2回受けただけでやめてるんだよなあ秀頼。
むしろ馬鹿なのを再認識させてくれる話だと思った。

325 :人間七七四年:2016/04/07(木) 13:15:59.88 ID:QXB0PF/A.net
柳生宗矩と立花宗茂はそれなりの戦績(徳川幕府の恩人)があり評価が高いけど
負けた方は真田信繁だけが評判が高く
実際には一番危険で強く家康を本気で震え上がらせた毛利勝永の評判が著しく低い

ちょっと残念かな
もう少し評価があってもいいとは思うんだけど

ちなみに夏の陣で一番若く血気盛んだったのが毛利勝永(30代)
真田信繁は初老だったので体力の面では家臣に頼るしかなかった

326 :人間七七四年:2016/04/07(木) 13:17:33.63 ID:p5esZawi.net
>>323
一次資料で家康にせよ秀忠に出よ、その本陣が攻撃された記録は一切存在しない。
真田にせよ毛利にせよ、夏の陣でのその活躍はあくまで軍記物の中だけのファンタジー

327 :人間七七四年:2016/04/07(木) 13:20:08.39 ID:QXB0PF/A.net
いやいや一次資料はたくさんあるでしょう
ただ徳川方の正式な記録には載せていないだけで
夏の陣での毛利勝永の活躍だけはなんとか隠ぺいしたかったと思うよ まじでしゃれにならないレベルだから

328 :人間七七四年:2016/04/07(木) 13:21:58.30 ID:QXB0PF/A.net
柳生宗矩と立花宗茂は家光の師匠でおかしなくらい英雄扱いだし
これはね、戦下手の秀忠がまじで死にかけでこの二人に助けられたからだよ

329 :人間七七四年:2016/04/07(木) 13:23:32.12 ID:p5esZawi.net
>>327
でたでた徳川陰謀論。徳川以外の一次資料にもねえよ。

330 :人間七七四年:2016/04/07(木) 13:27:15.43 ID:p5esZawi.net
真田信繁にせよ毛利勝永にせよ、最後はヤケクソの特攻かましたけど、衆寡敵せず幕府の大軍にすり潰されて死んだ。それだけのこと。
それに変なロマンを後世の人間か勝手に付け足したにすぎん。

331 :人間七七四年:2016/04/07(木) 13:28:19.21 ID:QXB0PF/A.net
陰謀論とかじゃないからw
中には徳川家康がこの時に死んだとされる説もあるくらい
徳川方の記録ではすぐに終わったと書いているが
実はそういう展開があった
徳川信者には認められない事実かw 徳川信者は信じなくてもいいんじゃないのか?

332 :人間七七四年:2016/04/07(木) 13:38:58.84 ID:nN/joG22.net
ここの所あちこちで暴れてるなこいつ

333 :人間七七四年:2016/04/07(木) 13:42:41.10 ID:p5esZawi.net
もしかして本物のバカを相手にしてしまったか

334 :人間七七四年:2016/04/07(木) 14:04:56.74 ID:HX5Xkl97.net
宣教師も毛利勝永の事には言及しているのに
徳川信者は本当のバカなのか?
自分の好きな武将の事しか見えないようだ

335 :人間七七四年:2016/04/07(木) 14:08:58.53 ID:HX5Xkl97.net
家康は優秀な武将だったとは思うが
あまりに持ち上げすぎるのもどうかとは思うがw
天下を取ったのだからそれなりに当時からかなり持ち上げられているのが理解できないのかな?

336 :人間七七四年:2016/04/07(木) 16:38:59.38 ID:nKVTCNau.net
そういう観点からこれまで過小評価され、現在も研究者はそういうスタンスだが、
最近のネット界隈では、「むしろ神君神話除去して史料読むと、更に凄いのだが」となっている

337 :人間七七四年:2016/04/07(木) 16:45:26.38 ID:TzaCX0Yg.net
利根川東遷、江戸湾埋立とかのインフラ整備は後世への遺産

338 :人間七七四年:2016/04/07(木) 19:53:32.17 ID:ctVTXXv/.net
勝永と信繁の最後の突撃は命がけだからできたことだろ
家康は油断していただけしかも総大将は将軍の秀忠だろ 家康は大御所として参加
家康の馬印が倒されたのも信玄とこの時だけ
時間にして一時間くらいの出来事
勝永は淀と秀頼と大坂城でその後に朽ち果てる
信繁は休んでいたところを、、、何とも哀れではないか

一時間の出来事をなかったことにするのは信繁も勝永もかわいそうだわ
散りゆく武士に花を持たせるくらいではないと風流であるとは言えまい

339 :人間七七四年:2016/04/07(木) 19:59:19.95 ID:nKVTCNau.net
史実と浪花節を同一視するのはどうかと

340 :人間七七四年:2016/04/07(木) 20:06:06.22 ID:ctVTXXv/.net
家康は神君扱いでいまでも知らぬものはない有名な天下人
真田信繁と同じく戦国時代のドラマや映画にひっぱりだこの人気者が家康
毛利勝永は秀吉の恩義に報いようとした忠義の人
しかし最後の突撃は知る人ぞ知る事実で真田幸村に手柄を取られて一般に人にはあまり知られていない
ここからが本当のファンタジーでその手柄は全て真田十勇士に盗まれている
ここが本当はおかしい点だ

そんな勝永の最後の活躍の部分まで家康可愛さに否定するなんてなんと度量が狭い奴と思うわ

341 :人間七七四年:2016/04/07(木) 20:08:09.98 ID:ctVTXXv/.net
家康ファンは真田丸で痛い目にあっているので知りたくももないだろうが
少しは史実かどうか?調べてみれば?
知らなければ知らないで黙っていればいいと思うわ

342 :人間七七四年:2016/04/07(木) 20:28:23.78 ID:P03G7BOq.net
こんなにヘタクソな対立煽りも久々に見たな

343 :人間七七四年:2016/04/07(木) 20:45:42.92 ID:pePQfLn2.net
>>315
家康は豊臣家を滅ぼす気満々でしょ
秀忠はそれに忠実に従っただけだ

344 :人間七七四年:2016/04/07(木) 20:52:24.02 ID:nN/joG22.net
そうでもない

345 :人間七七四年:2016/04/08(金) 15:37:56.12 ID:TpunhZED.net
国家安康で血祭りになるのだから昔も今も

キジも鳴かずば撃たれまいやねw

346 :人間七七四年:2016/04/08(金) 15:58:54.79 ID:wX2tR8C9.net
そもそも開戦のきっかけはその方広寺鐘銘事件ではない。秀頼による片桐且元への攻撃。

347 :人間七七四年:2016/04/09(土) 12:31:21.94 ID:DUOX0F7T.net
>>343
豊臣家を滅ぼす気満々だったのは淀だろ
家康は淀の暴走に巻き込まれただけ
家康でなくても鎮圧に向かわざるをえない方向へと淀に追い込まれた

348 :人間七七四年:2016/04/10(日) 09:40:57.55 ID:FgItB/Ci.net
摂河泉で60万石くらいらしいけども
腐るほど金もってたらしいが大阪方

349 :人間七七四年:2016/04/10(日) 09:47:00.27 ID:NWbo9MtS.net
実態は何万石かはわかってないみたいね。
諸大名に加増した分とされる領地の金や米が豊家の蔵に入っていた
証拠もあるし

350 :人間七七四年:2016/04/10(日) 10:28:20.35 ID:BX2FmqZR.net
その上領地の行政も徳川に委託していて、豊臣は本当に遊んで暮らしているだけだった

351 :人間七七四年:2016/04/10(日) 10:48:56.06 ID:Xr75Nght.net
遊んでないよお寺立ててたよ!

352 :人間七七四年:2016/04/10(日) 22:23:39.13 ID:HdQIhrHd.net
そのまま秀吉時代の栄光の思い出の中に生きて
供養のみしながら生きていけばよかったのに、
足利義昭みたいに実力も無いくせに、
天下人の息子と言う名前に見合った権力と権威等を
欲しがるから、滅ぼされるしかないんだよ
せめて大坂城を捨てれば生き残れたかもしれないのに

353 :人間七七四年:2016/04/10(日) 23:01:45.82 ID:/b6zu0ed.net
三法師様が秀吉に対して"国家安泰"みたいな挑発をしてたらどうなっただろうか?
と考えると、家康が秀頼にした対応はそこそこ我慢してたほうだと思うがね。
最低でも二度は生き残りのチャンスを与えてるし

354 :人間七七四年:2016/04/11(月) 09:30:03.85 ID:g5NPkXWK.net
家康にしてみれば強気者には従うと言う様な当時の常識から考えて
臣従させられると思ってたんだろうな。
だから出来るだけ軟着陸出来る様孫娘を嫁がせたり、官位を上げたりと
気を使ってきたのに、あちらは牢人集めて暴走
土壇場になって嫁さん使ってまで命乞いと醜態を晒して終わり

355 :人間七七四年:2016/04/11(月) 19:31:29.42 ID:84y0fQb1.net
それでも家康は簒奪者。
謀反人のそしりは免れぬ。

356 :人間七七四年:2016/04/11(月) 20:11:49.23 ID:cYWaCuKj.net
( ´,_ゝ`)プッ

357 :人間七七四年:2016/04/11(月) 20:14:10.85 ID:CLUnimpC.net
( ´,_ゝ`)プッ

358 :人間七七四年:2016/04/11(月) 20:29:47.95 ID:KgfSvav4.net
朝廷の力を使って主家との主従関係を逆転させる手は秀吉が先にやってるから、家康だけ責めてもな。

359 :人間七七四年:2016/04/11(月) 21:17:49.56 ID:fsfzbRz3.net
>>355
もちろん豊臣の羽柴秀吉太閤殿下も簒奪者
謀反人のそしりは免れぬwwww

所詮、魔神たる第六天魔王様の式神だった
猿と狸、獣人同士やったことに大差はない。

360 :人間七七四年:2016/04/11(月) 21:24:19.59 ID:CLUnimpC.net
獣人?頭大丈夫?

361 :人間七七四年:2016/04/11(月) 21:32:17.23 ID:IoCtMYLU.net
統合失調症の疑いがありますな。

362 :人間七七四年:2016/04/11(月) 21:33:31.31 ID:9ODn4jx5.net
豊臣を簒奪したのは三成だろ
関白を殺したうえに謀反を起こして秀頼を監禁することで豊臣を簒奪した
家康は三成の謀反を鎮圧しただけであり
三成のせいで無主物になった天下を治めてほしいと天皇から将軍就任の要請が来たため応じたに過ぎない

363 :人間七七四年:2016/04/11(月) 21:52:48.35 ID:swM7AXIe.net
》353
家康は鐘銘に関しては不快に感じて問い質してはいるけど、不問にしている
家康が問題視しているのは牢人を集めている事と秀頼と秀忠が不仲な事
これに関しては片桐だけじゃなくて、ちゃんと大蔵局にも改善を求めている

364 :人間七七四年:2016/04/11(月) 22:31:25.86 ID:fsfzbRz3.net
>>360 >>361

猿と狸と言われてる秀吉と家康だぜ。
しかし天下人の二人を獣呼ばわりは気の毒だろうw
よって獣人と書いたんだよ。

洒落のわからん人らは無粋だね。

365 :人間七七四年:2016/04/11(月) 23:25:19.74 ID:IoCtMYLU.net
>>364
洒落の使いドコロがわからない人間ほど惨めなものはないんだぞ?今後また恥をかかないように覚えておこうな。

366 :人間七七四年:2016/04/11(月) 23:53:28.78 ID:84y0fQb1.net
>>362
それを簒奪という

367 :人間七七四年:2016/04/11(月) 23:54:12.29 ID:IoCtMYLU.net
>>366
言わねえよ。

368 :人間七七四年:2016/04/12(火) 00:20:07.55 ID:S6GX9Q3/.net
>>363
>家康が問題視しているのは牢人を集めている事と秀頼と秀忠が不仲な事
>これに関しては片桐だけじゃなくて、ちゃんと大蔵局にも改善を求めている

これって史料あるの

369 :人間七七四年:2016/04/14(木) 23:42:28.39 ID:TjJX1NZg.net
>>366
家康が関白を殺したうえで自分が関白になったのなら簒奪で間違いないけど
関白を殺したのも武装蜂起による謀反を起こしたのも三成であり
家康は豊臣がまったく関係しない将軍に天皇から要請されてなっただけなのに
どうしてそれが簒奪になるのか理解できない
むしろ豊臣が三成を制御できなかった不満を家康にぶつけて逆ギレしているだけで
はっきりいって家康の方が被害者だろう

370 :人間七七四年:2016/04/15(金) 21:52:39.24 ID:VwPYmkg0.net
『真田より活躍した男 毛利勝永』
今福 匡

http://www.amazon.co.jp/dp/4801600468/

371 :人間七七四年:2016/04/15(金) 21:59:58.33 ID:O0YSjgR4.net
勝永なんて書くことないだろうに

372 :人間七七四年:2016/04/16(土) 07:42:54.63 ID:wbBjx7G+.net
家康は誓詞等で明らかなように秀頼に忠誠を尽くす立場であったのは
天下周知の事実。
実権を握り続けたことは致し方ないかもしれないが、
暴君でもなかった秀頼を攻め滅ぼしたことは大義名分論的に云えば逆臣の誹りを免れない。
江戸時代から種々の理由をつけて正当化を試みていたが、家康好きなら
居直りしてないで「ダーティー」な神君をも愛せよ。
戦国最後にして最大の下剋上の体現者が家康。

373 :人間七七四年:2016/04/16(土) 08:29:35.96 ID:INre0ztP.net
だから征夷大将軍に任命された時点で豊臣家の臣ではなく天皇の臣になったんだよ
秀吉が関白になって織田家の臣ではなくなったのと同じ

374 :人間七七四年:2016/04/16(土) 09:18:36.95 ID:HEFVgs9G.net
>>373
それを言い出すなら下級の官位を貰っている時点で建前上はそうなっているはず。
その解釈はおかしい。
秀吉も家康も単に官位も実際の力も超えたから偉そうにしはじめただけ。

375 :人間七七四年:2016/04/16(土) 09:20:20.77 ID:3x7u35CQ.net
統治能力なければ離反しても問題ない

376 :人間七七四年:2016/04/16(土) 09:24:23.05 ID:HEFVgs9G.net
家康の場合は自分が死んだら徳川家がどうなるかわからんという
思いから関白家を攻め潰したんだろ。自己防衛だし、秀頼も若すぎたから
致し方ない面もある。

ただしそれは明らかに簒奪だし逆心。
だからこそ家康は大坂の陣直前に色々な大義名分を学者に打診していた。
本当に誰からもそしりを受けないのであればそのような行為自体が必要ない。

377 :人間七七四年:2016/04/16(土) 09:27:30.02 ID:HEFVgs9G.net
×逆心
○逆臣

378 :人間七七四年:2016/04/16(土) 09:38:03.93 ID:IXEKxh2C.net
>>370
勝永厨が歓喜しそうなタイトルだな
今福って人良く知らないけど、どんな歴史研究家なんだ

379 :人間七七四年:2016/04/16(土) 09:57:57.65 ID:INre0ztP.net
>>374
言い方が悪かった
要するに天下人として国内を統治するだけの実力に伴う名分を朝廷に保障されたということ
その段階で豊臣政権の大老として天下の仕置きを行うのではなく
徳川政権の長として自立したと考えていいだろう

380 :人間七七四年:2016/04/16(土) 10:03:52.66 ID:fe3M1aB/.net
>>378
上杉関係の研究者だろ。『上杉景虎』はわるく無かったが

381 :人間七七四年:2016/04/16(土) 10:06:44.94 ID:B2v0MbWh.net
>>376
当時、誰から誹りを受けたの?
受けてないなら、大義名分は正当性があったわけだ。

382 :人間七七四年:2016/04/16(土) 10:23:43.30 ID:Vq0Tf0Fv.net
>>381
あの時代にそのような事を堂々と言えるわけなかろう。
大坂と幕府との書状のやり取りを暴露した1600年代中ごろの町人が
斬首になったように、幕府にとっては非常に都合が悪かったようだがね。

だって家康自身が何を怯えたのかしらんが、大義名分論を盛んに探している。
これで議論は終わっているんだよ。
さっきも言ったが完全に正当ならそんな事自体をする必要が無い。
探すという事自体正当ではない、ということの裏返しだ。
でも幕府の力を恐れてみんな(表向き)だまっただけ。

北朝鮮の指導者に誰も物が言えないのと一緒だわ。彼らも暴君のそしりを
受けていてしかるべきだが、表向きは誰にも受けていない。君の理屈なら
正当性があるって事になってしまうわな。

383 :人間七七四年:2016/04/16(土) 10:28:12.14 ID:3x7u35CQ.net
>>382
講義させただけで、議論終了とは嗤わせる

384 :人間七七四年:2016/04/16(土) 11:08:51.48 ID:B2v0MbWh.net
>>382
力によって何も言えない状況を作れるのなら、、そもそも大義名分など必要ないのでは?

北朝鮮は世界中から誹りを受けていると思うが?

385 :人間七七四年:2016/04/16(土) 11:48:30.44 ID:ZcivFdlj.net
将軍になったことで実質、国内の統治権を認められたわけでしょ?

下位の役職や官位と同列視していいのかな?

386 :人間七七四年:2016/04/16(土) 11:56:36.51 ID:1DUm3NZE.net
当時の学者の議論は、秀吉は暴君で豊臣政権は非道な政権だから
それを倒すことはむしろ賞賛されるべき行為である、というものだったと思う。

これを否定するためには、秀吉の非道性は一代きりで
秀頼とは関係ないということにしなければならないだろうな。

秀吉と関係を断たれれば秀頼には何の存在価値もなくなるが。

387 :人間七七四年:2016/04/16(土) 12:02:58.59 ID:ZcivFdlj.net
親が非道だと子どもも非道なの?

388 :人間七七四年:2016/04/16(土) 12:40:07.12 ID:3x7u35CQ.net
秀頼は自身の意志で徳川・豊臣の両属関係にある且元も殺そうとした

389 :人間七七四年:2016/04/16(土) 15:30:50.98 ID:mdWJlZDC.net
>>372
家康にだって正当防衛の権利はあるんだよ
豊臣は上杉を使って家康を挑発して誘い出して
三成という刺客を背後から放って殺害を企てた
その後も浪人を集めて武装したり家康の殺害計画を止めなかったのだから正当防衛で豊臣を倒してかまわない
豊臣の陰謀に対して黙っていたら秀次のような目にあうことは現実に証明されているのだから問題ない
秀頼は直接的に手を下していないだけで間接的にはとんでもない暴君だよ

390 :人間七七四年:2016/04/16(土) 18:29:45.82 ID:wbBjx7G+.net
↑駄目だこりゃ

391 :人間七七四年:2016/04/16(土) 20:58:11.48 ID:mdWJlZDC.net
暴君というのは周囲の取り巻きを含めて評価されるべきものだろ
秀頼の取り巻きは邪魔だと思えば関白だろうが筆頭大老だろうが構わず命を狙う危険な連中ばかりだ
しかも関白の妻子まで処刑したり空前の規模の大戦を仕掛けたりと撒き散らす被害は類を見ない
そういう意味では秀頼は日本史上最悪レベルの暴君といえる
むしろ秀頼は生まれてきたこと自体が間違いだといえる存在だろう
家康を非難するとしたら暴君秀頼を倒すのがあまりにも遅すぎたということだけだ

392 :人間七七四年:2016/04/16(土) 22:48:51.78 ID:qTnhEtyc.net
秀吉の関白制は、建前上は天皇の権限の代行者。
大名は、秀吉、豊臣家に対して忠誠を誓うのではなく、天皇に忠誠を誓ってる。
家康を含む大名は、豊臣家の家礼、門流になったにすぎない。
天皇が家康を、関白を従わせられる将軍に任命した時点で関係は逆転する。

393 :人間七七四年:2016/04/16(土) 23:12:04.36 ID:ivQYpWPw.net
>>391
その割には、危険人物池田輝政(豊臣秀次の義兄)を生かしておくという
致命的ミスをしているけどね。

394 :人間七七四年:2016/04/16(土) 23:53:50.23 ID:3Huqc/uT.net
夏の陣勃発までの家康の対応を見るに、豊臣に対しては
大大名クラスの領土と公家勢トップとしての体面はそのまま残すから
天下人としての椅子は徳川によこせって方針だったのだろうか?
単に潰したいだけならもっと手っ取り早い方法があっただろうし

395 :人間七七四年:2016/04/16(土) 23:55:43.47 ID:RylAs9Fj.net
ゲームじゃねぇんだから理由もなく潰せるかよ。

396 :人間七七四年:2016/04/17(日) 00:02:09.80 ID:GYgJs5iT.net
>>392
一応関白は天皇の代理人だから形式的には将軍よりもはるかに上だぞ
おそらく家康は関白殿下と呼ばれる身になりたかったんだろうがそれだと露骨
に簒奪になるので、将軍を選んで豊家を煙に巻いて騙したのだろう。
形式的な立場は下でも豊家を潰してしまえば無問題だし。
だから結局は徳川家は秀吉が定めた清華家相当というものを江戸時代を通して
超えられなかったわけだ。

397 :人間七七四年:2016/04/17(日) 00:04:53.49 ID:0Teq9ZWc.net
この時代のことは絶対善や絶対悪というものはまずありえず、
相対的に善かったとか悪かったと言えるだけだろう。

その意味では、豊臣が滅んで徳川の平和が訪れたことは
日本にとって多分善いことだったとは言えるだろう。

398 :人間七七四年:2016/04/17(日) 00:07:10.98 ID:GYgJs5iT.net
>>395
当時の家康なら「おれが気にいらんから」で潰せるだろ。
大義名分が欠けていてもそれだけできる実力はあった。
でもその後の政権がどうなるかは別だけど

399 :人間七七四年:2016/04/17(日) 09:52:29.17 ID:rsQt2mX4.net
当時の徳川が豊臣を無理に潰す必要はないんだよな。
そもそも徳川家は豊臣家の姻戚で、家康は秀吉の義弟で秀頼の義祖父
秀忠は秀吉の相婿兼秀頼の義父、お江さんは秀頼の義母で実の叔母、
千姫は秀頼の正室で淀の姪。これだけ姻戚関係が重なっている。
本来なら大坂の陣が起こるような対立関係になるよりも、両家の和合に
よる平和関係が続くと見るのが普通。
家康もそのつもりでいたんじゃないのかな?
二条城の会見にしても、武家の豊臣家秀頼を呼びつけて臣従を強いた
というより公家の豊臣秀頼を招待したというように大坂方で対応すれば
ややこしいことにならなかったと思うぞ。

例えば
二条城まで牛車に乗り、公家の伴揃えで行く。
その際に清正を同行させず、家康との会見の際も片桐を同伴させる。
あるいは、千姫も同伴させるなどして臣従というより公家の秀頼と大御所
家康の義理の孫と義祖父の会談の体にすれば、俗説のいう家康が秀頼
を殺す決意をしたって話も出なかっただろう。

400 :人間七七四年:2016/04/17(日) 10:00:58.26 ID:v4bMZsxw.net
>>399
お前が豊臣家にいたら滅びずにすんだのにな

401 :人間七七四年:2016/04/17(日) 11:12:42.86 ID:d0IXQNZA.net
加藤、福島はそれをよく理解して動いている。
豊臣一門でもある2人は、自家も徳川家と姻戚関係となり、
幾重にも豊臣徳川の関係を強固なものとしている。

402 :人間七七四年:2016/04/17(日) 11:17:35.75 ID:0Teq9ZWc.net
>>399
言うほど簡単ではないだろうな。
もともと武家というのは揉め事を起こして
それに勝ち抜いて力をつけていくという発想のものだから、
ある時突然自分から力を求めることを放棄するということは、
ある意味至難の業。

豊臣以外の他家に武力による徳川幕府転覆の意図を放棄させるためにも
大坂落城と豊臣滅亡は、徳川方にとっても避けて通れない関門だったのかも。

403 :人間七七四年:2016/04/17(日) 11:25:08.79 ID:AZiA5rzo.net
>>396
勘違いしているけど天皇の代理人として権限を代行しているのは将軍だよ
将軍には朝廷から離れた場所で天皇の権限を自分で行使することが認められている
遠征地からいちいち天皇の許可を貰わずに迅速に戦をするにはどうしても代理権が必要だからね

建前上の関白はあくまでも天皇のアドバイザーであって勝手に代理権を行使することはできない
側に天皇がいるのだから天皇にアドバイスすれば形式的には事足りるはずだからそうなる
また関白は天皇を補佐するだけで上皇や大臣を補佐するわけではないから院政にも口出しできない
武士が台頭する以前から既に関白を名誉職でしかなく絶対権力者の称号などではなかった
秀吉は成り上がりの身で名誉を何より欲しがったから関白を選んだだけで
別に関白が将軍より凄いからなったわけではない

404 :人間七七四年:2016/04/17(日) 12:04:22.36 ID:/ITwSmsl.net
>>399
清正や浅野幸長が大坂からずっと御供してきたみたいに言われてるけど、
実際清正が御供していたのは娘婿の頼宣で、幸長はやはり娘婿の義直の御供で
二人とも京都で秀頼を出迎えてるんだよな

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