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【秀頼】 大坂の陣総合スレッド 3 【家康】

1 :人間七七四年:2015/08/02(日) 22:39:09.43 ID:KpDjSjIw.net
慶長3年(1598)8月18日に豊臣秀吉が亡くなると、豊臣政権内部の対立が激化し、慶長5年9月15日には関ヶ原合戦が起こり、徳川家康率いる東軍と石田三成ら西軍が激突。
この合戦に勝利した徳川家康は慶長8年2月12日に征夷大将軍に任ぜられ、江戸に幕府を開きます。
けれども大坂城には秀吉の遺児豊臣秀頼が母淀殿とともに未だ健在で、徳川家を凌ぐ権威を保持したまま君臨していました。
この豊臣家と徳川家という二大権力の最終決着戦となり、戦国時代最後の大合戦となったのが「大坂の陣」です。
慶長19年10月〜12月には「大坂冬の陣」、翌20年5月には「大坂夏の陣」が起こり、慶長20年5月7日に大坂城は落城し、翌8日に秀頼・淀殿が自害して豊臣家は滅亡しました。

大坂の陣400年天下一祭
http://www.osakanojin400.com/
大坂の陣歴史検定 公式サイト
http://www.kentei-uketsuke.com/osakanojin/
大阪城歴史トークライブ《大坂冬の陣》
http://www.mbs1179.com/fuyunojin/

前スレ
【陰謀】 大坂の陣総合スレッド 2 【南禅寺】
http://hello.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1337983344/
【冬】大坂の陣総合スレッド【夏】
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1233143817/

大坂の陣への軍事考察
http://anchorage.2ch.net/test/read.cgi/army/1233315874/
大坂の陣で豊臣家が幕府軍に勝利する方法
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1201589307/

368 :人間七七四年:2016/04/12(火) 00:20:07.55 ID:S6GX9Q3/.net
>>363
>家康が問題視しているのは牢人を集めている事と秀頼と秀忠が不仲な事
>これに関しては片桐だけじゃなくて、ちゃんと大蔵局にも改善を求めている

これって史料あるの

369 :人間七七四年:2016/04/14(木) 23:42:28.39 ID:TjJX1NZg.net
>>366
家康が関白を殺したうえで自分が関白になったのなら簒奪で間違いないけど
関白を殺したのも武装蜂起による謀反を起こしたのも三成であり
家康は豊臣がまったく関係しない将軍に天皇から要請されてなっただけなのに
どうしてそれが簒奪になるのか理解できない
むしろ豊臣が三成を制御できなかった不満を家康にぶつけて逆ギレしているだけで
はっきりいって家康の方が被害者だろう

370 :人間七七四年:2016/04/15(金) 21:52:39.24 ID:VwPYmkg0.net
『真田より活躍した男 毛利勝永』
今福 匡

http://www.amazon.co.jp/dp/4801600468/

371 :人間七七四年:2016/04/15(金) 21:59:58.33 ID:O0YSjgR4.net
勝永なんて書くことないだろうに

372 :人間七七四年:2016/04/16(土) 07:42:54.63 ID:wbBjx7G+.net
家康は誓詞等で明らかなように秀頼に忠誠を尽くす立場であったのは
天下周知の事実。
実権を握り続けたことは致し方ないかもしれないが、
暴君でもなかった秀頼を攻め滅ぼしたことは大義名分論的に云えば逆臣の誹りを免れない。
江戸時代から種々の理由をつけて正当化を試みていたが、家康好きなら
居直りしてないで「ダーティー」な神君をも愛せよ。
戦国最後にして最大の下剋上の体現者が家康。

373 :人間七七四年:2016/04/16(土) 08:29:35.96 ID:INre0ztP.net
だから征夷大将軍に任命された時点で豊臣家の臣ではなく天皇の臣になったんだよ
秀吉が関白になって織田家の臣ではなくなったのと同じ

374 :人間七七四年:2016/04/16(土) 09:18:36.95 ID:HEFVgs9G.net
>>373
それを言い出すなら下級の官位を貰っている時点で建前上はそうなっているはず。
その解釈はおかしい。
秀吉も家康も単に官位も実際の力も超えたから偉そうにしはじめただけ。

375 :人間七七四年:2016/04/16(土) 09:20:20.77 ID:3x7u35CQ.net
統治能力なければ離反しても問題ない

376 :人間七七四年:2016/04/16(土) 09:24:23.05 ID:HEFVgs9G.net
家康の場合は自分が死んだら徳川家がどうなるかわからんという
思いから関白家を攻め潰したんだろ。自己防衛だし、秀頼も若すぎたから
致し方ない面もある。

ただしそれは明らかに簒奪だし逆心。
だからこそ家康は大坂の陣直前に色々な大義名分を学者に打診していた。
本当に誰からもそしりを受けないのであればそのような行為自体が必要ない。

377 :人間七七四年:2016/04/16(土) 09:27:30.02 ID:HEFVgs9G.net
×逆心
○逆臣

378 :人間七七四年:2016/04/16(土) 09:38:03.93 ID:IXEKxh2C.net
>>370
勝永厨が歓喜しそうなタイトルだな
今福って人良く知らないけど、どんな歴史研究家なんだ

379 :人間七七四年:2016/04/16(土) 09:57:57.65 ID:INre0ztP.net
>>374
言い方が悪かった
要するに天下人として国内を統治するだけの実力に伴う名分を朝廷に保障されたということ
その段階で豊臣政権の大老として天下の仕置きを行うのではなく
徳川政権の長として自立したと考えていいだろう

380 :人間七七四年:2016/04/16(土) 10:03:52.66 ID:fe3M1aB/.net
>>378
上杉関係の研究者だろ。『上杉景虎』はわるく無かったが

381 :人間七七四年:2016/04/16(土) 10:06:44.94 ID:B2v0MbWh.net
>>376
当時、誰から誹りを受けたの?
受けてないなら、大義名分は正当性があったわけだ。

382 :人間七七四年:2016/04/16(土) 10:23:43.30 ID:Vq0Tf0Fv.net
>>381
あの時代にそのような事を堂々と言えるわけなかろう。
大坂と幕府との書状のやり取りを暴露した1600年代中ごろの町人が
斬首になったように、幕府にとっては非常に都合が悪かったようだがね。

だって家康自身が何を怯えたのかしらんが、大義名分論を盛んに探している。
これで議論は終わっているんだよ。
さっきも言ったが完全に正当ならそんな事自体をする必要が無い。
探すという事自体正当ではない、ということの裏返しだ。
でも幕府の力を恐れてみんな(表向き)だまっただけ。

北朝鮮の指導者に誰も物が言えないのと一緒だわ。彼らも暴君のそしりを
受けていてしかるべきだが、表向きは誰にも受けていない。君の理屈なら
正当性があるって事になってしまうわな。

383 :人間七七四年:2016/04/16(土) 10:28:12.14 ID:3x7u35CQ.net
>>382
講義させただけで、議論終了とは嗤わせる

384 :人間七七四年:2016/04/16(土) 11:08:51.48 ID:B2v0MbWh.net
>>382
力によって何も言えない状況を作れるのなら、、そもそも大義名分など必要ないのでは?

北朝鮮は世界中から誹りを受けていると思うが?

385 :人間七七四年:2016/04/16(土) 11:48:30.44 ID:ZcivFdlj.net
将軍になったことで実質、国内の統治権を認められたわけでしょ?

下位の役職や官位と同列視していいのかな?

386 :人間七七四年:2016/04/16(土) 11:56:36.51 ID:1DUm3NZE.net
当時の学者の議論は、秀吉は暴君で豊臣政権は非道な政権だから
それを倒すことはむしろ賞賛されるべき行為である、というものだったと思う。

これを否定するためには、秀吉の非道性は一代きりで
秀頼とは関係ないということにしなければならないだろうな。

秀吉と関係を断たれれば秀頼には何の存在価値もなくなるが。

387 :人間七七四年:2016/04/16(土) 12:02:58.59 ID:ZcivFdlj.net
親が非道だと子どもも非道なの?

388 :人間七七四年:2016/04/16(土) 12:40:07.12 ID:3x7u35CQ.net
秀頼は自身の意志で徳川・豊臣の両属関係にある且元も殺そうとした

389 :人間七七四年:2016/04/16(土) 15:30:50.98 ID:mdWJlZDC.net
>>372
家康にだって正当防衛の権利はあるんだよ
豊臣は上杉を使って家康を挑発して誘い出して
三成という刺客を背後から放って殺害を企てた
その後も浪人を集めて武装したり家康の殺害計画を止めなかったのだから正当防衛で豊臣を倒してかまわない
豊臣の陰謀に対して黙っていたら秀次のような目にあうことは現実に証明されているのだから問題ない
秀頼は直接的に手を下していないだけで間接的にはとんでもない暴君だよ

390 :人間七七四年:2016/04/16(土) 18:29:45.82 ID:wbBjx7G+.net
↑駄目だこりゃ

391 :人間七七四年:2016/04/16(土) 20:58:11.48 ID:mdWJlZDC.net
暴君というのは周囲の取り巻きを含めて評価されるべきものだろ
秀頼の取り巻きは邪魔だと思えば関白だろうが筆頭大老だろうが構わず命を狙う危険な連中ばかりだ
しかも関白の妻子まで処刑したり空前の規模の大戦を仕掛けたりと撒き散らす被害は類を見ない
そういう意味では秀頼は日本史上最悪レベルの暴君といえる
むしろ秀頼は生まれてきたこと自体が間違いだといえる存在だろう
家康を非難するとしたら暴君秀頼を倒すのがあまりにも遅すぎたということだけだ

392 :人間七七四年:2016/04/16(土) 22:48:51.78 ID:qTnhEtyc.net
秀吉の関白制は、建前上は天皇の権限の代行者。
大名は、秀吉、豊臣家に対して忠誠を誓うのではなく、天皇に忠誠を誓ってる。
家康を含む大名は、豊臣家の家礼、門流になったにすぎない。
天皇が家康を、関白を従わせられる将軍に任命した時点で関係は逆転する。

393 :人間七七四年:2016/04/16(土) 23:12:04.36 ID:ivQYpWPw.net
>>391
その割には、危険人物池田輝政(豊臣秀次の義兄)を生かしておくという
致命的ミスをしているけどね。

394 :人間七七四年:2016/04/16(土) 23:53:50.23 ID:3Huqc/uT.net
夏の陣勃発までの家康の対応を見るに、豊臣に対しては
大大名クラスの領土と公家勢トップとしての体面はそのまま残すから
天下人としての椅子は徳川によこせって方針だったのだろうか?
単に潰したいだけならもっと手っ取り早い方法があっただろうし

395 :人間七七四年:2016/04/16(土) 23:55:43.47 ID:RylAs9Fj.net
ゲームじゃねぇんだから理由もなく潰せるかよ。

396 :人間七七四年:2016/04/17(日) 00:02:09.80 ID:GYgJs5iT.net
>>392
一応関白は天皇の代理人だから形式的には将軍よりもはるかに上だぞ
おそらく家康は関白殿下と呼ばれる身になりたかったんだろうがそれだと露骨
に簒奪になるので、将軍を選んで豊家を煙に巻いて騙したのだろう。
形式的な立場は下でも豊家を潰してしまえば無問題だし。
だから結局は徳川家は秀吉が定めた清華家相当というものを江戸時代を通して
超えられなかったわけだ。

397 :人間七七四年:2016/04/17(日) 00:04:53.49 ID:0Teq9ZWc.net
この時代のことは絶対善や絶対悪というものはまずありえず、
相対的に善かったとか悪かったと言えるだけだろう。

その意味では、豊臣が滅んで徳川の平和が訪れたことは
日本にとって多分善いことだったとは言えるだろう。

398 :人間七七四年:2016/04/17(日) 00:07:10.98 ID:GYgJs5iT.net
>>395
当時の家康なら「おれが気にいらんから」で潰せるだろ。
大義名分が欠けていてもそれだけできる実力はあった。
でもその後の政権がどうなるかは別だけど

399 :人間七七四年:2016/04/17(日) 09:52:29.17 ID:rsQt2mX4.net
当時の徳川が豊臣を無理に潰す必要はないんだよな。
そもそも徳川家は豊臣家の姻戚で、家康は秀吉の義弟で秀頼の義祖父
秀忠は秀吉の相婿兼秀頼の義父、お江さんは秀頼の義母で実の叔母、
千姫は秀頼の正室で淀の姪。これだけ姻戚関係が重なっている。
本来なら大坂の陣が起こるような対立関係になるよりも、両家の和合に
よる平和関係が続くと見るのが普通。
家康もそのつもりでいたんじゃないのかな?
二条城の会見にしても、武家の豊臣家秀頼を呼びつけて臣従を強いた
というより公家の豊臣秀頼を招待したというように大坂方で対応すれば
ややこしいことにならなかったと思うぞ。

例えば
二条城まで牛車に乗り、公家の伴揃えで行く。
その際に清正を同行させず、家康との会見の際も片桐を同伴させる。
あるいは、千姫も同伴させるなどして臣従というより公家の秀頼と大御所
家康の義理の孫と義祖父の会談の体にすれば、俗説のいう家康が秀頼
を殺す決意をしたって話も出なかっただろう。

400 :人間七七四年:2016/04/17(日) 10:00:58.26 ID:v4bMZsxw.net
>>399
お前が豊臣家にいたら滅びずにすんだのにな

401 :人間七七四年:2016/04/17(日) 11:12:42.86 ID:d0IXQNZA.net
加藤、福島はそれをよく理解して動いている。
豊臣一門でもある2人は、自家も徳川家と姻戚関係となり、
幾重にも豊臣徳川の関係を強固なものとしている。

402 :人間七七四年:2016/04/17(日) 11:17:35.75 ID:0Teq9ZWc.net
>>399
言うほど簡単ではないだろうな。
もともと武家というのは揉め事を起こして
それに勝ち抜いて力をつけていくという発想のものだから、
ある時突然自分から力を求めることを放棄するということは、
ある意味至難の業。

豊臣以外の他家に武力による徳川幕府転覆の意図を放棄させるためにも
大坂落城と豊臣滅亡は、徳川方にとっても避けて通れない関門だったのかも。

403 :人間七七四年:2016/04/17(日) 11:25:08.79 ID:AZiA5rzo.net
>>396
勘違いしているけど天皇の代理人として権限を代行しているのは将軍だよ
将軍には朝廷から離れた場所で天皇の権限を自分で行使することが認められている
遠征地からいちいち天皇の許可を貰わずに迅速に戦をするにはどうしても代理権が必要だからね

建前上の関白はあくまでも天皇のアドバイザーであって勝手に代理権を行使することはできない
側に天皇がいるのだから天皇にアドバイスすれば形式的には事足りるはずだからそうなる
また関白は天皇を補佐するだけで上皇や大臣を補佐するわけではないから院政にも口出しできない
武士が台頭する以前から既に関白を名誉職でしかなく絶対権力者の称号などではなかった
秀吉は成り上がりの身で名誉を何より欲しがったから関白を選んだだけで
別に関白が将軍より凄いからなったわけではない

404 :人間七七四年:2016/04/17(日) 12:04:22.36 ID:/ITwSmsl.net
>>399
清正や浅野幸長が大坂からずっと御供してきたみたいに言われてるけど、
実際清正が御供していたのは娘婿の頼宣で、幸長はやはり娘婿の義直の御供で
二人とも京都で秀頼を出迎えてるんだよな

405 :人間七七四年:2016/04/17(日) 14:16:52.33 ID:rsQt2mX4.net
まあ夢物語だが、ウルトラCで大阪城を徳川に譲って、京都の第二聚楽第を築くというのも手の一つかな?
第二というだけに石垣付きの城タイプではなく、築地塀の大型公家屋敷(といっても内裏より小さいが)でも
作って住めばよい。天守閣の代わりに五重や七重の塔でも作ればよい。
下手に寺社を造営するよりも、そういう方向で金を使って、領地の管理も徳川に譲って京都で公家生活すれば
滅ぼされることもなかっただろう。七手組などの連中は、大阪城を譲られた徳川が城番衆として準旗本待遇で
雇用すればいいと思うんだ。

406 :人間七七四年:2016/04/17(日) 18:51:13.55 ID:bOIw0egu.net
>>403
>勘違いしているけど天皇の代理人として権限を代行しているのは将軍だよ

征夷大将軍ってなんの職か知っているのか?
それは戦に関してのみだろう。基本的には。
だが、関白も将軍もそれだけでは無意味である事は同意する。力がないとな。
当時の家康では関白を選ぶ事はあまりに都合が悪いのもあっただろうし選べなかった
んだろうがな。

>>405
すでに京都新城があったろ

407 :人間七七四年:2016/04/17(日) 21:59:23.01 ID:AZiA5rzo.net
関白は親から子へと世襲できる職じゃないし子供はなれないから継承に使うには不便だ
それに名誉はあっても本来は権力を独占するような職ではないから旨味がない
それまでの天下人が関白にならなかったのは凄すぎてなれないからでなくメリットがないからというだけだった
秀吉は卑賤の身で何より名声を望んだから関白を選んだけど
家康からすればたとえ豊臣がなくても関白みたいな不便で使いづらいものは論外だっただろう

408 :人間七七四年:2016/04/17(日) 22:23:06.28 ID:8KDL/Cpn.net
関白は世襲されてる時代もあるけど

409 :人間七七四年:2016/04/17(日) 22:36:19.31 ID:5Ls7e75o.net
秀吉→秀次

410 :人間七七四年:2016/04/17(日) 22:43:03.26 ID:6QLK+mjq.net
>>408
そういう訳の分かんない事言ってても話にならないから

411 :人間七七四年:2016/04/17(日) 22:54:48.92 ID:bOIw0egu.net
征夷大将軍は幕府を開けるけど幕府に謀反を起こす事=即皇室に謀反とはならない。
でも関白は朝廷直属の役職である上、天皇の代理人であるため即朝敵になる。

家康が武家関白を選んでいたら、後に公武合体論が出る事はなかったろう。
でも秀頼をさしおいて関白になっていたらその後は怪しいけどね。

412 :人間七七四年:2016/04/17(日) 23:00:37.14 ID:AZiA5rzo.net
現役関白が俺の子供の邪魔だ死ねの一言で
関白の方が謀反人扱いされて妻子もろとも粛清されていることは無視ですか?

413 :人間七七四年:2016/04/18(月) 00:42:25.52 ID:slgg6ClG.net
>>412
なんの話だ?
将軍とか関白とか所詮は肩書きにすぎんから実際はそんな所に力が
あるわけじゃないが、形式的には

幕府に逆らう=朝廷とは別の組織なので朝敵とは限らない
関白に逆らう=朝敵になる 

となるといっただけだ。実際の力がこれを曲げる事だってあるさそりゃ。
たとえば江戸時代前期ごろに朝廷が徳川家の将軍職を取り上げると言い出せば
幕府にとっては「主上御謀叛」となるだろうし。

414 :人間七七四年:2016/04/18(月) 00:50:21.59 ID:y76qEgG7.net
>>404
清正はともかく、幸長は秀頼のお供は死んでも断るだろうね。
何が楽しくて秀次公の仇(幸長は廃嫡の上秀次事件に能登に配流され、
秀吉の死まで許されていない)のお供なんてせねばならんのだ。
秀次の妻子の供養をして喧嘩まで売ったのに。

415 :人間七七四年:2016/04/18(月) 00:52:15.16 ID:y76qEgG7.net
ついでに、幸長が紀伊に関が原後に配置されたのは、秀頼に対する家康の
嫌がらせだから。姫路の池田輝政も同様。ここに秀次派の両巨頭を置くことが、
何を意味するか、大坂も判っていただろう。

416 :人間七七四年:2016/04/18(月) 08:24:14.06 ID:8+onWnI4.net
それは気付かなかった

417 :人間七七四年:2016/04/18(月) 19:43:46.97 ID:3ubP6WFI.net
鵜呑みにしてどうする

418 :人間七七四年:2016/04/18(月) 22:57:28.65 ID:7hN69ejX.net
>>413
君の理屈だと将軍だって朝廷直属の役職で天皇の代理権があるから即朝敵だろ
それに関白は天皇のアドバイザーであって代理人ではない
天皇の側で助言はできるが将軍と違い天皇の権限を行使するのは関白ではなく天皇本人になる
関白に逆らう=朝敵になるなんて秀吉が作った理屈であって関白の形式でもなんでもない

そもそも関白職は藤原が親戚同士で数年ごとにたらいまわしにしている職であり
関白だけ飛び抜けて偉く逆らったら即朝敵なんて危険な役職にしたら藤原自身が困るんだよ
あくまで名誉職だから気兼ねなくたらいまわしにできるわけ

秀吉が唯一の例外であって基準ではないということをいい加減気付いてくれないかな

419 :人間七七四年:2016/04/18(月) 23:56:23.98 ID:8+onWnI4.net
そういう訳の分かんない事言ってても話にならないから

420 :人間七七四年:2016/04/18(月) 23:57:41.24 ID:GJv3wocx.net
訳の分かんないなら黙ってれば

421 :人間七七四年:2016/04/19(火) 08:28:58.65 ID:gh+IwhxY.net
>>420
独自理論を偉そうにいわれてもな。

422 :人間七七四年:2016/04/19(火) 11:37:29.21 ID:GV4T9+U1.net
関白に逆らえば朝敵になるという主張は豊臣を持ち上げる時にたまに出てくるけど
秀吉時代以外に実例があったら知りたいな
源平や南北朝でもそういった例は聞いたことないし
藤原同士の内部抗争だったら相手を朝敵にするまでは行かないから
秀吉以前にやった人間がいるなら純粋に知りたいよ

423 :人間七七四年:2016/04/19(火) 13:47:32.95 ID:8+Uuc3dY.net
>>399
> 当時の徳川が豊臣を無理に潰す必要はないんだよな。

いや、あるだろ
あるから潰した
そもそも公家のフリしろって、公家は兵を抱えて城に住んだりしないよ
姻戚関係あれば平和ってのもおかしい
姻戚同志でいくらでも戦争起こってるだろ

424 :人間七七四年:2016/04/19(火) 13:59:59.88 ID:azv2AkpG.net
大阪城を明け渡して公家専業になれば残ったろうな。

425 :人間七七四年:2016/04/19(火) 14:32:00.97 ID:l9K9toaz.net
>>423
いや潰したのは冬の陣の講和すら破って再度敵対したからだろ。
こんなん豊臣じゃなくても常識的に潰すわ

426 :人間七七四年:2016/04/19(火) 18:31:56.67 ID:iKDop6AP.net
またいつもの人か

427 :人間七七四年:2016/04/19(火) 20:19:23.41 ID:Y8SD5ECC.net
大坂城を明け渡し、大和郡山五万石の小大名として転封に従えば、大廊下上の間席、親藩格、徳川御三家の上座は保証されていたのである

428 :人間七七四年:2016/04/19(火) 22:32:38.56 ID:gh+IwhxY.net
>>422
秀吉がそれをやった時点で前例ができたということだよ?
家康はそのうまみを当然学習しただろう。朝廷と己の権力を同一視される
というのは権力者にとってすごく都合がいい。
将軍は幕府を作れるけど、それは朝廷とは別組織を意味する。後世にここを
薩長につけこまれたからこそ公武合体なんて話がでてきた。
徳川幕府が秀吉は将軍を望んだが、身分が卑しくて将軍になれなかった、と
いう風説を後の世に流したか?これは家康が(環境的に)関白を選べなかった
事への不満の裏返し。将軍のほうがずっと偉いんですよ、と宣伝するための虚構。
関白の地位を相対的にDisっておけば将軍がいかにも関白の上であるかのように
人々に思わせる事ができる。

429 :人間七七四年:2016/04/19(火) 22:39:33.71 ID:Y8SD5ECC.net
はい作文やり直し

430 :人間七七四年:2016/04/19(火) 22:48:02.11 ID:gh+IwhxY.net
後の世に大政奉還後の徳川慶喜が関白になる話もあったけど
結局実現する事はなかったし秀吉を超えられなかったわけだわ。

431 :人間七七四年:2016/04/19(火) 23:48:28.12 ID:7l9E/FCE.net
戦国板のキチガイはなぜか幕末が大好き

432 :人間七七四年:2016/04/20(水) 22:27:37.47 ID:hqGzD6f6.net
>>428
豊臣厨って何で関白はこんなに偉いんですって必死なんだろう?
秀吉時代の末期でさえ関白職はなくてもいい職に成り果てていたのに
豊臣厨だけが関白を神様のように崇めたてて将軍より偉いんだと必死に連呼するさまは滑稽だよ

433 :人間七七四年:2016/04/21(木) 00:49:56.76 ID:67N08e8+.net
>>432
実際秀吉は天下人で位が関白太政大臣だったんだから偉いだろ

434 :人間七七四年:2016/04/21(木) 00:55:33.38 ID:D9Yi3YKJ.net
平家・建武・豊臣とやり方は違えど朝廷の権威に自分の権力を合体させようとした体制は全て短命に終わり
別組織として幕府を作る体制を選んだ場合だけ長期存続ができる
朝廷と己の権力を同一視されるというのは権力者にとってすごく都合がいいと素人が浅はかな考えを抱いたところで
現実はそう単純ではないのが面白い

435 :人間七七四年:2016/04/21(木) 01:07:18.32 ID:jLP9G8Hq.net
>>433
関白を殺し空位にして、こんなものいらねえをやったのも秀吉だけどね
それなのに豊臣厨は関白を称えるのに必死なのが滑稽でしかない

436 :人間七七四年:2016/04/21(木) 21:39:11.34 ID:OEGVZCkP.net
>>434
旧陸軍も然り

437 :人間七七四年:2016/04/21(木) 23:47:20.78 ID:6K1Uo/EW.net
>>434
大政奉還後の慶喜の関白職就任案は究極の公武合体
慶喜が関白殿下と呼ばれるようになっていればもう少し続いたかもよ

438 :人間七七四年:2016/04/22(金) 00:22:12.43 ID:+wrt6VBf.net
戦国板のキチガイはなぜか幕末が大好き

439 :人間七七四年:2016/04/22(金) 11:50:56.52 ID:by9ZZ02x.net
笠谷あたりは二重公儀体制を主張しているけど、
秀頼ら大坂方にそれだけの政治力とかあったのかなぁ

440 :人間七七四年:2016/04/22(金) 12:06:00.39 ID:Vtujy8a3.net
ある訳ない。
結論ありきの机上の空論。

441 :人間七七四年:2016/04/22(金) 12:42:06.40 ID:2lqOvncG.net
まぁいきなり65万石になるわけもなく
ある程度の公儀性はあったんだろう

442 :人間七七四年:2016/04/22(金) 12:56:11.34 ID:MFxpPp8e.net
なにをもって公儀制とするか。諸大名が年始の挨拶にくることか、普請工事の助役をすることか。

443 :人間七七四年:2016/04/22(金) 15:25:58.97 ID:2lqOvncG.net
>>442
定説では「減封」されたはずの蔵入地から引き続き収入があったとか、諸大名の家政に介入したり。
歴史は資料で判断するものなのに家康贔屓のクソ学者が結論ありきで「定説」を決めてしまうからウンザリ

444 :人間七七四年:2016/04/22(金) 16:34:09.50 ID:mETxaFOz.net
>>443
それ清正の親切レベルとか、家政介入といってもそれが何か実行力あったのかというレベルなのだが

445 :人間七七四年:2016/04/22(金) 17:03:46.69 ID:NaIn20fo.net
>>415
輝政は美濃と播磨どっちがいい?と家康に聞かれて播磨を選んだんじゃなかったけ
播磨になったのは偶然じゃね

446 :人間七七四年:2016/04/22(金) 17:47:28.87 ID:Qlm7sFUg.net
と、>>443みたいな豊臣びいきのクソ素人が申しております

447 :人間七七四年:2016/04/22(金) 18:18:17.17 ID:dNME5/3L.net
クソ素人とかきめつけんなガキ

448 :人間七七四年:2016/04/22(金) 20:01:01.76 ID:QhqB6hUS.net
>>439
笠谷とかいまだに二条城の会見では清正と幸長がずっと秀頼の御供してたとか
北政所は秀頼が秀吉の実子だと思ってるから、二条城の会見に同席したとか言ってる人でしょう

449 :人間七七四年:2016/04/22(金) 22:43:58.83 ID:/moEPqtf.net
>>443
どこの家政にどんな介入したの?
調停・停戦・攻撃指示などの無意味な書状乱発は、末期の足利将軍家もやってたよね
その程度のことじゃね?
大坂の陣の時だって、諸大名に使者送ってたけど、誰も言うこと聞かなかったじゃん

450 :人間七七四年:2016/04/22(金) 23:03:45.56 ID:MHwWn1lj.net
>>449
443じゃないんで俺も家政介入は詳しくは知らんが
浅野氏ら豊臣大名に知行宛行は独自にしてたらしいよ
ソースは平山優著の真田信繁

451 :人間七七四年:2016/04/23(土) 00:03:42.87 ID:jjlXADRN.net
>>439
二重公儀というのは豊臣公儀と徳川公儀が別々に独立活動しているのではなく
家康が従来の豊臣公儀と新しく立ち上げた徳川公儀の両方を支配している状態だからな
別に秀頼は豊臣公儀の支配者ではなく、あくまでも家康が豊臣公儀の支配者のまま
だから南北朝のように日本が分裂しているわけでもなんでもない
そして豊臣公儀をさっさと閉店したい家康に自分が豊臣公儀の支配者になりたい秀頼が喧嘩を売っただけ

二重公儀というと南北朝のような状態をイメージさせるから名称が悪いのは事実だろうね

452 :人間七七四年:2016/04/23(土) 00:08:20.68 ID:w2u3Ypgw.net
徳川家康が豊臣家大老という肩書きで政令を発するか、征夷大将軍・大御所という肩書きで政令を発するかの違いをもって二重公儀体制とする、ということかね

453 :人間七七四年:2016/04/23(土) 03:51:01.64 ID:xKcQIW7Z.net
従来の豊臣公儀なんて豊臣家の脳内にしかなさそう

454 :人間七七四年:2016/04/23(土) 20:40:49.51 ID:FNxVeqnt.net
>>450

>浅野氏ら豊臣大名に知行宛行は独自にしてたらしい

所領増加と安堵が第一の大名達にとって実行力を伴わない
知行宛行なんて何の価値も無いだろう

455 :人間七七四年:2016/04/24(日) 04:45:42.87 ID:HiVxBhjF.net
清正と幸長は毒盛られて死んだんですよ

456 :人間七七四年:2016/04/24(日) 08:54:49.90 ID:x5tfXXmn.net
>>455
大坂方にね。
反豊臣筆頭の浅野
絶対恭順派の加藤

どちらも豊臣公儀から見れば奸臣だからね。

池田も徳川派だから豊臣に粛清された。

457 :人間七七四年:2016/04/24(日) 09:10:11.43 ID:XarK8Mym.net
偶然にしても絶妙なタイミングすぎる。
特に清正、お前もうちょっと頑張れなかったのかと言いたい。

458 :人間七七四年:2016/04/24(日) 09:37:52.46 ID:4vRt7rPR.net
家康信仰者にとっては暗殺説も羽柴家がやった事になってんのかw
そんなの聞いた事ないわw

459 :人間七七四年:2016/04/24(日) 09:52:51.38 ID:XN0rFwYx.net
暗殺説に対する皮肉にも気付かんのかw

460 :人間七七四年:2016/04/24(日) 13:02:07.45 ID:ebZCEP16.net
>>458
家康がやったよりははるかに信憑性がある。
実際に、池田、浅野はいずれも秀吉時代は秀次の側で(ついでに池田輝政は
秀次の正室の義兄)、秀頼は秀次の仇敵として憎んでいた。
加藤も元々は秀吉の一族なのに、簡単に徳川に屈したから、憎まれていたんだろうね。

461 :人間七七四年:2016/04/24(日) 13:08:36.08 ID:ebZCEP16.net
家康でも、池田、浅野が秀頼と親しかったら、流石に隣におかない。
あそこに置いたのは、池田、浅野とも秀頼を秀次の仇敵として憎んでいて、
万に一つも協力関係にはなり得ないと踏んだから置いた。

462 :人間七七四年:2016/04/24(日) 13:24:14.28 ID:OUMQt7Bt.net
親しいという意味では秀頼は豊臣恩顧の誰とも関係がないな
あくまで恩顧たちが親しんでいた秀吉の息子というだけで秀頼個人との親交なんてない
そもそも秀頼は生まれついて恩顧たちとは身分が天と地ほど違うから
恩顧たちは秀頼に平身低頭するだけで交流なんてものはない

463 :人間七七四年:2016/04/24(日) 13:24:26.03 ID:ebZCEP16.net
逆に、秀頼の側からすれば、池田輝政、浅野幸長は直接自分に敵愾心を抱いており、
まだ家康のロボットで直接は利害関係はない譜代大名の方がマシ、という
隣国として一番望ましくない存在だった。除きたくなるのは当然だろう。

464 :人間七七四年:2016/04/24(日) 13:35:22.84 ID:ebZCEP16.net
そもそも豊臣恩顧は事実上秀次事件で崩壊している。実際に恩顧の臣と秀次との
関係は深く、秀頼を無理に後継者にしたことで、内心かなり疑問を抱いていただろう。
あとは恐怖で秀吉に従っていただけ。死んですぐ朝鮮出兵が終わったのが、
恐怖で従っていた典型例。

死んでいきなり牙をむきだした池田輝政、浅野幸長は極端としても、他も秀頼個人に
恩を抱いている人は少なく、彼らの空中分解は時間の経過とともに避けられなかった。

465 :人間七七四年:2016/04/24(日) 13:38:50.14 ID:o6h8tKT7.net
近親憎悪という奴だな。
秀吉が秀次事件でドジ踏んだからしょうがないが。
秀次出家後謎の死(毒殺)
秀次の男子も..
秀次の妻妾は出家ぐらいにしておけば良かった。

466 :人間七七四年:2016/04/24(日) 13:41:14.85 ID:ebZCEP16.net
>>465
徹底的にやるなら、正室の池田家は族滅しておくべきだったね。
池田家を残すと、条件さえ整えば、必ず秀次の仇討ち名目に、残党を糾合することは
目に見えていたし、実際にその通りとなった。

467 :人間七七四年:2016/04/24(日) 15:06:19.30 ID:XN0rFwYx.net
だって池田潰すと岳父の家康が激怒するし

468 :人間七七四年:2016/04/24(日) 15:10:29.99 ID:x5tfXXmn.net
>>466
もともと秀吉が、北条から出戻った家康の娘と男やもめになった池田を
バツイチ婚させたのだから族滅は無理w
その結婚の際、池田が家康の思考の斜め上を行く神対応して、家康と
めんどくさい三河武士のハートをゲットした為、池田は家康のお気に入り
族滅なんぞしたらは即家康と敵対関係にになり秀頼の地位と命が危ない。


以下余談ながら池田の神対応エピソード
家康の娘との見合いの為に家康屋敷に赴いた池田
縁談話も終わってからおもむろに
「ところでうちの親父をぬっ殺した永井って人に会いたいですが」
家康および三河武士一同(来たぁぁぁーーーー)
「あんたが永井か?なんで白装束?」
「すまん。あんたの親父さんを殺して・・・・」
「あ〜、それよりも。あんたいくらもらってるの?」
「???・・・・5000石」
「家康さんよ。俺の親父の首がたった5000石ぽっちですかい」
「いや、その・・・・年明けに1万石に加増するんだが」
「なら、よし。娘さん幸せにしますぜ」
家康&三河武士(漢だ、漢の中の漢だ)

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