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【秀頼】 大坂の陣総合スレッド 3 【家康】

1 :人間七七四年:2015/08/02(日) 22:39:09.43 ID:KpDjSjIw.net
慶長3年(1598)8月18日に豊臣秀吉が亡くなると、豊臣政権内部の対立が激化し、慶長5年9月15日には関ヶ原合戦が起こり、徳川家康率いる東軍と石田三成ら西軍が激突。
この合戦に勝利した徳川家康は慶長8年2月12日に征夷大将軍に任ぜられ、江戸に幕府を開きます。
けれども大坂城には秀吉の遺児豊臣秀頼が母淀殿とともに未だ健在で、徳川家を凌ぐ権威を保持したまま君臨していました。
この豊臣家と徳川家という二大権力の最終決着戦となり、戦国時代最後の大合戦となったのが「大坂の陣」です。
慶長19年10月〜12月には「大坂冬の陣」、翌20年5月には「大坂夏の陣」が起こり、慶長20年5月7日に大坂城は落城し、翌8日に秀頼・淀殿が自害して豊臣家は滅亡しました。

大坂の陣400年天下一祭
http://www.osakanojin400.com/
大坂の陣歴史検定 公式サイト
http://www.kentei-uketsuke.com/osakanojin/
大阪城歴史トークライブ《大坂冬の陣》
http://www.mbs1179.com/fuyunojin/

前スレ
【陰謀】 大坂の陣総合スレッド 2 【南禅寺】
http://hello.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1337983344/
【冬】大坂の陣総合スレッド【夏】
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1233143817/

大坂の陣への軍事考察
http://anchorage.2ch.net/test/read.cgi/army/1233315874/
大坂の陣で豊臣家が幕府軍に勝利する方法
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1201589307/

732 :人間七七四年:2016/05/21(土) 21:53:49.64 ID:PNqlr6ys.net
豊臣の使者が諸大名を説得する際、家康が老年だから
長引けば戦途中に死ぬからって事を言ってたそうだが
それは要するに跡継ぎの秀忠が父親に及ばない
凡将って見られてただからってことなんだろうけど
秀頼はそれ以上に武将としての実績が皆無で諸大名から
乳飲み子扱いされてた事を自覚し、諸大名たちの
自分に対する評価を調べる能力にも欠けてたのかな

733 :人間七七四年:2016/05/21(土) 21:58:27.70 ID:bQvk2gRM.net
「御所柿は独り熟して落ちにけり木の下に居て拾う秀頼」

という落書きの意味を知ったほうがいいよ

734 :人間七七四年:2016/05/21(土) 22:07:59.98 ID:PNqlr6ys.net
>>733
落首を書く層は今で言うマスゴミ連中
自己の弁に何の責任も持たず好き勝手書く連中だろう
家を守ろうとする大名連中のなかで、家康さえいなければ
勝つと思って豊臣方に味方した大名がいたか
福島正則利でさえ馬鹿な事をするなと大坂に
忠告してるくらいなのに

735 :人間七七四年:2016/05/21(土) 22:40:14.06 ID:bQvk2gRM.net
>>734
とはいっても>>721にあるとおりの事もしている
戦に絶対はないから保険をかけておいたのだろうが

736 :人間七七四年:2016/05/21(土) 22:58:04.95 ID:MJ+Dsnbs.net
>>735
そのあたり、特に毛利の佐野道可なんて、勝手に毛利から出奔した50年後くらいに、毛利家の中で大坂の陣に関わった
人間がみんないなくなった頃に、子孫を名乗る人間が長州に突然あらわれて

「道可はこれこれこういう理由で毛利のために大阪に入城したのだから我らを帰参させてほしい」

っていってきた、かなり怪しい話なんだよなあ。
毛利側にはこれに関する記録も口づても一切なかったということだし。多分佐野道可は、毛利家の認識関係なく
勝手に出奔しただけだぞ。

737 :人間七七四年:2016/05/21(土) 23:21:13.95 ID:Y17VOXgI.net
常識的に考えると、大坂の陣の段階に至っては保険を掛ける必要は全くない。
むしろ、バレた時のリスクの方が高くつく。

738 :人間七七四年:2016/05/21(土) 23:29:39.37 ID:wDoNpGc5.net
細川家も米田是季が大坂方として参戦したのに戦後に上位の重臣として復帰させてるのをみると
興秋の方はただの親子喧嘩の結果としか思えない

739 :人間七七四年:2016/05/22(日) 04:44:19.18 ID:2aXLHwm/.net
>>732
家康逝去待ちは結局のところ、ほかに好要素のない豊家陣の楽天的というか、自分らの徹底不利をみないようにしてた現実逃避だったと思う
秀忠をなめるのもあったとは思うけどあくまで巨艦家康にくらべて小粒感あるだけで征夷大将軍なのだから大敵であるのは変わらない
二度までも徳川を退けた昌幸の「息子」が参陣してる、ってこともわずかな光明だったろうな

なんにしろ秀頼は開戦よりその時分でも一般的な凋落戦をしかけるだけの頭がなかったのは致命的だよな
意地とかそういうのをはきちがえてる

740 :人間七七四年:2016/05/22(日) 09:46:24.15 ID:Bf+Mj0o/.net
>>733
その落書を書いた人間を(秀吉のように)処罰することもなく放置していた家康の余裕についても考えるべきだな

741 :人間七七四年:2016/05/22(日) 10:15:34.34 ID:7bAO7oAw.net
家康>>>自分と自覚してたから秀忠は、
「家康に過ぎたるものが二つあり唐の兜に本多平八」
を意識して、西国無双を再雇用したんだろう。
家康 本多忠勝 榊原康政、井伊直正の三傑を意識して
秀忠 立花宗成(西国無双)、水野勝成(THE血槍)、井伊直孝(夜叉掃部)
参謀総長、前線部隊長、親衛隊長を揃えた秀忠を大坂方びいきは甘く
見すぎてるな。

742 :人間七七四年:2016/05/22(日) 10:33:23.65 ID:S/7cRyds.net
九戸政実の乱は九戸城に篭城する5000の兵に秀次の討伐軍6万で力攻めして結局
落城させているけどこの時の状況よりはマシであろう
莫大な金銀と大坂城と10万前後の軍勢があれば絶望的とは言いがたい

諸大名も家臣や一族衆のごく一部を出奔と称して大坂方に参加させているのは
そりゃ懐疑的に見られるのは仕方ない そんな事に証拠を残すほど彼らもバカ
ではないからな 佐野道可はおそらく毛利家の苦肉の策

743 :人間七七四年:2016/05/22(日) 10:38:45.41 ID:Bf+Mj0o/.net
>>742
証拠がないのが証拠ですね。アホか

744 :人間七七四年:2016/05/22(日) 10:52:39.36 ID:sB3MPoz0.net
大坂には遠征する力はないので万が一勝っても、大大名なら戦後に帰順すればいいだけのこと。わざわざリスクを犯して両天秤にかける必要性が乏しいと思う。

745 :人間七七四年:2016/05/22(日) 10:58:41.13 ID:7NwJooPo.net
大坂方は、負けないかもしれないが、最終的には絶対勝てない戦なんだよ。
いかに、条件の良い和睦を引き出すかが着地点なわけ。

そこに諸大名が東西両建の保険をかける必要はない。
関ヶ原時とは全く質が違う。

746 :人間七七四年:2016/05/22(日) 11:41:30.39 ID:M8YHpYb5.net
>>740
この手の狂歌って江戸も中期になってからとかが多かったらしいよ
すでに完全に安定期の話。
時の施政者にたいする不満をもしも万一○○さまの世だったら、と歴史のifで言うだけのたわいもない話

747 :人間七七四年:2016/05/22(日) 21:16:32.11 ID:yy/wxhUl.net
>>742
10万前後の軍勢と言っても、ほとんど負けは決まった時点で
逃げ出した連中が大多数だろう
そんな忠誠心の欠片も無い、その時だけの銭目的連中が多数いたところで
統率力が絶対的に欠ける秀頼の下でどれだけ戦えたと言うのか

748 :人間七七四年:2016/05/22(日) 21:24:15.03 ID:ZnumGM4O.net
>>742
九戸城を知らんが
大阪城ほど籠城、対水攻め、対火攻めを考慮しちゃいないだろ?


大阪城籠城組なんて、知識階級、大大名なんかいないんだから、秀吉の小田原攻めしか考えてなかったんだろ
火矢や水攻め程度と思ったら大砲を打ち込んできたのが計算外だったんだろ

749 :人間七七四年:2016/05/22(日) 22:04:13.22 ID:hWUR1EZn.net
城一個でなんとかなると思ってるあたりぬるいよな
いずれ豊家恩顧の臣がかけつける、なんて期待するならそのように情報戦をやらないといけないのに。
本当に無能集団だな大阪組。

750 :人間七七四年:2016/05/22(日) 22:40:01.26 ID:ZnumGM4O.net
>>749
ぬるいとか無能ってわけじゃないだろ
無知というか、そういった立場に無かった人間が寄せ集まってたんだろ
国主或いはそれに準じる立場にあったのなんて明石と長宗我部くらいじゃないのか?
夏の陣の時に、
徹底抗戦するか、出家するかの二択からの選択が出来てたら違った展開もあったかもしれん

751 :人間七七四年:2016/05/23(月) 01:49:56.57 ID:7tdMgcvg.net
>>750
つまりは無能じゃないか

752 :人間七七四年:2016/05/23(月) 02:09:55.59 ID:C82dFD9x.net
講和前提のぬるい戦いだもんそりゃぬるいさ。夏の陣にいたる謎の大暴走を抜かせば

753 :人間七七四年:2016/05/23(月) 04:46:13.71 ID:aJ3JRXim.net
講和条件が総構え打ち壊しと総堀り埋め立てならば
摂津・河内の本領安堵お墨付きくらい貰えたろうにな

五奉行もいないし外交工作も失敗か

754 :人間七七四年:2016/05/23(月) 06:05:32.42 ID:swtsBWj0.net
秀頼は最終的に自分の売り方が下手だったよな
いつまでも豊家の天下ではないのに気がついて公家として生きるべきだった
有楽斎や細川道糞のようにしていれば徳川もそこまで追いつめなかっただろうに。

755 :人間七七四年:2016/05/23(月) 09:54:20.88 ID:6+CQ3xLU.net
>>754
>公家として生きる
関白殺しの息子がか?

756 :人間七七四年:2016/05/23(月) 11:29:20.28 ID:swtsBWj0.net
>>755
先代秀吉が悪いだけ、で秀頼が直接秀次殺害したわけじゃないから
また朝廷や公家も徳川が納得するなら文句はないはず

757 :人間七七四年:2016/05/23(月) 11:56:48.35 ID:6+CQ3xLU.net
>>756
徳川が納得して送り出したはずの織田秀信って哀れな最期じゃなかったっけ

758 :人間七七四年:2016/05/23(月) 13:42:25.55 ID:swtsBWj0.net
そこは面倒みてもらうがわも努力しないとダメってことだろう
今川のバカ息子も後北条もなんだかんだで徳川に助けられているのだから

759 :人間七七四年:2016/05/23(月) 20:04:51.47 ID:dNUJBjsC.net
>>757
まさか高野山の連中がまだ信長による焼き討ちを根に持っていたとは思わなかったからな

760 :人間七七四年:2016/05/24(火) 07:24:39.60 ID:niAE0vZh.net
豊臣に普通の現実認識能力と多少の妥協性があれば、
高家あるいは喜連川家くらいの立場で存続出来たかもしれないのに

761 :人間七七四年:2016/05/24(火) 11:01:47.35 ID:2r3YEYzY.net
>>760
早目に大和郡山転封飲んどきゃ良かった。
それでも秀吉在世中の織田秀信より待遇いい。

762 :人間七七四年:2016/05/24(火) 12:25:48.26 ID:d5+lGcfA.net
家康が死ねば復権もあり得たから素直に飲むわけにはいくまい。
秀頼が関白になれば将軍は従わざるをえなくなるからな

763 :人間七七四年:2016/05/24(火) 12:36:35.38 ID:X6tkIBmb.net
釣れますか

764 :人間七七四年:2016/05/24(火) 13:20:04.04 ID:dvquAoUn.net
家康が亡くなったら逆に徳川のほうが仕掛けてくるんじゃない?

765 :人間七七四年:2016/05/24(火) 13:27:55.58 ID:l+FTwqx0.net
秀忠家光辺りは容赦なさそうだしな

766 :人間七七四年:2016/05/24(火) 15:42:25.43 ID:fAAiPgt8.net
>>762
関白は関ヶ原直後には九条兼孝が慶長10年では関白相論で
二条昭実と関白位を争いで秀吉に関白をとられた近衛信尹が
関白についてるから無理
信尹関白に執着してたし、豊臣家に恨み持ってるしなぁ
秀吉の七回忌にも十三回忌にも顔を出さず引きこもりの秀頼に
朝廷工作なんて無理だろう

767 :人間七七四年:2016/05/24(火) 16:02:57.32 ID:vp1hkVt3.net
家康が亡くなったとしても秀頼に勝ち目があるように見えないんだが
亡き秀吉の声望が秀頼に加わったとしても秀忠にも家康のそれが加わるわけだし
秀頼と比べて譜代の家臣も多く親類や縁組した外様の大名も多い
なにより大坂の陣の体たらくを見ると秀頼自身に秀忠を上回る器量があるとは思えない

768 :人間七七四年:2016/05/24(火) 16:37:15.48 ID:wfuIjmbH.net
>>767
家康が死ぬ→後釜は、関ヶ原で遅参して腹切れとか言われたらしい秀忠か→もう一波乱起こせるかも
by島津、細川、伊達…
DQN四天王って3人しかいなかったっけ?

豊臣『方』の方針としたら内乱を巻き起こして食い扶持を得たいだけだろ
家康が死ぬ可能性が高いだけで十分じゃね

769 :人間七七四年:2016/05/24(火) 17:52:23.88 ID:vp1hkVt3.net
>>768
秀忠以上に実戦経験がなく大坂城外に出ることすら稀な秀頼に期待するほど馬鹿じゃないと思うよ
伊達も島津も細川も幕府との関係はかなり重視してるし
波乱を期待するとすれば豊臣方として起つのではなく幕府方としてだろう
伊達政宗は娘婿忠輝の処遇に不満を持ってたらあるかもしれないけど

770 :人間七七四年:2016/05/24(火) 19:06:18.96 ID:BRYILfi3.net
>>762
一時の下降に甘んじてたらまだ再興できたかもしれんけどそれすらイヤイヤしてたらそりゃ滅ぼされるわ

771 :人間七七四年:2016/05/25(水) 08:44:42.76 ID:g9akRsox.net
>>733>>746
秀頼の諱が入ってる時点で、当時の物か怪しいよね

772 :人間七七四年:2016/05/25(水) 10:01:19.40 ID:C3GnRq8O.net
豊臣寄りの落書のはずなのに、秀頼の諱を使うと言う不敬を犯しているのは変だよなぁ

773 :人間七七四年:2016/05/25(水) 11:47:52.70 ID:JdM2yE6P.net
>>772
国家安康の豊臣だから、諱なんて何ともおもってないんじゃね?

774 :人間七七四年:2016/05/25(水) 12:19:03.41 ID:uPFSScDu.net
諱をそのまま書くことは織豊期はむしろ敬意の表れとして扱われる
国家安康は諱じゃないからアウトだった

775 :人間七七四年:2016/05/25(水) 14:23:39.26 ID:4/B3iYED.net
この時代、どうも譜代家臣の立場だと、主君の諱を使うのも一種の尊敬表現だったらしい

776 :人間七七四年:2016/05/25(水) 19:32:28.02 ID:ch2SAxht.net
だいたいこういう狂歌をたのしんだのは武将じゃなくて町民なんだが。

777 :人間七七四年:2016/05/25(水) 19:37:50.07 ID:n3Jcb+y6.net
いろんなところで政宗と書かれていたのは敬意の現れだったのか

778 :人間七七四年:2016/05/25(水) 20:00:37.91 ID:tBCM3294.net
政宗の場合は敬意という形でネタにされてそうでもある

779 :人間七七四年:2016/05/25(水) 20:06:42.61 ID:PddE3mHW.net
政宗は「もう、通称じゃなくてちゃんと政宗って呼んでよぉ」つって歩いてたからまた別やな

780 :人間七七四年:2016/05/25(水) 21:36:56.58 ID:DtbjuIwm.net
親しみ込めて国家安康ってやったら
ガチギレの振りされたんやな

781 :人間七七四年:2016/05/25(水) 21:47:42.69 ID:4/B3iYED.net
>>780
親しみ云々以前に無断で家康の諱を使用したのが大問題。

782 :人間七七四年:2016/05/25(水) 21:48:21.86 ID:wtjzTK1R.net
調子こいてました、すいません、って正銘担当の僧侶があやまってたよな

783 :人間七七四年:2016/05/26(木) 07:02:29.09 ID:ZHw7FaWL.net
アレは以心崇伝らしいが・・・ということは

784 :人間七七四年:2016/05/26(木) 13:24:53.56 ID:isnUTMiD.net
清韓、大坂の陣が終わった後、わざわざ探しだして処罰しているくらいだから
よほど腹立ててたのかな

785 :人間七七四年:2016/05/26(木) 13:35:21.79 ID:KhOqgRW0.net
あれは大坂城に入ったのがまずかったんじゃないか
それで戦後に投降するでもなく逃亡したら拘禁されるのも無理はないような気が

786 :人間七七四年:2016/05/26(木) 13:44:54.81 ID:kWfovEN6.net
主命に従っただけの元からの家臣以外で籠城した者は罪人扱いだでな

787 :人間七七四年:2016/05/26(木) 18:09:35.98 ID:GRKVhERO.net
>>772
ようは当時の価値観でも難癖と言われるレベルだったって事だよ

今でもいただきます、をして食事をしましょうとか言われるがそんなの
やってない人も多いが、一応形式的には生産者に対する不敬だからな
あげつらえば難癖つけられなくもないが、そのレベルの話

788 :人間七七四年:2016/05/26(木) 18:47:41.55 ID:Fuik+Qgj.net
>>787
> ようは当時の価値観でも難癖と言われるレベルだったって事だよ

言われてねえよアホか。

789 :人間七七四年:2016/05/26(木) 20:20:49.63 ID:PGP31LmS.net
難癖というか、無理言っていい奴と、ダメなやつがいるだけかと。

790 :人間七七四年:2016/05/26(木) 20:29:53.54 ID:+niXi4KX.net
>>774
>諱をそのまま書くことは織豊期はむしろ敬意の表れとして扱われる

不勉強何で教えていただきたいのだが、これはなんて研究家が唱えてる説?
その根拠となる具体的実例とかあるの?

791 :人間七七四年:2016/05/26(木) 20:33:49.38 ID:Fuik+Qgj.net
>>790
当時の書状や、信長公記や家忠日記などで主君の諱を呼び捨てで使う事例が多く見られ、
現代ではこれらは、総合的に判断された結果、「諱を尊称として使っている」と解釈されている。
中世歴史学の世界ではほぼ定説であり、まっとうな研究者の中でこれに反論している人間なぞ居ない。

792 :人間七七四年:2016/05/26(木) 20:34:44.75 ID:nIe3po70.net
秀吉の時代、徳川は源氏を称している、征夷大将軍を目指すもの
であり謀反の心ありと断ずる、として難癖をつけ徳川家を攻め潰す
話が書かれた小説を思い出したけど、つけようと思えばどんなイチャモン
でも付けられるのが権力者 ま、それをしたら品格も下がるけどね

793 :人間七七四年:2016/05/26(木) 20:37:09.21 ID:PGP31LmS.net
いみな、を知って使うから身近に感じるとかそういう気楽な視点からすると相当後世の話っぽいよな

794 :人間七七四年:2016/05/26(木) 20:39:21.94 ID:PGP31LmS.net
>>791
こんな学説初めて見るけどね
いみな、と言うより幼名だよな

795 :人間七七四年:2016/05/26(木) 21:07:57.41 ID:Fuik+Qgj.net
>>794
それは君が勉強していないだけの話じゃ…

796 :人間七七四年:2016/05/26(木) 21:13:55.72 ID:PGP31LmS.net
>>795
そんなことはないよ
なんでもかんでもあがってる話を鵜呑みにしてもね

797 :人間七七四年:2016/05/26(木) 21:16:04.78 ID:Fuik+Qgj.net
>>796
いや絶対昨今の専門書なり論文なり読んでないでしょ…

798 :人間七七四年:2016/05/26(木) 21:28:35.79 ID:PGP31LmS.net
えー、そんなこと言われても納得いかないな

799 :人間七七四年:2016/05/26(木) 21:37:23.28 ID:fQHovqcI.net
>国家安康

そういえば、国家安泰って使えばいいのにね。家康との関係が悪化してるのに危機感なさすぎだろ。なんでわざわざ国家安康なんてギリギリの火遊びするんだよ。
この文章作った奴、バカだろ?文章チェックする係の奴も気づけよ。俺だったら「うわ〜、なんかこれ家と康って文字が隣り合わせじゃん、なんかヤバイだろ!これ表現変えろよ!」って言うわ。

800 :人間七七四年:2016/05/26(木) 22:21:48.24 ID:rEj7+FK9.net
秀頼陣営は危機感がまるで抜けてたし、全部緩すぎだったんだよな
自己分析もできないのでは滅ぼされても致し方なさすぎ

801 :人間七七四年:2016/05/26(木) 22:52:35.84 ID:7yLG+/g5.net
松平元康が家康に改名したのは遠い将来敵を滅ぼすのにこの名前の方が都合がいいということを
ノストラダムスの予言から読み取っていたからだったんだよ!

802 :人間七七四年:2016/05/26(木) 23:32:15.76 ID:peERaKU/.net
いちいち笠谷和比古の妄言に
真面目に付き合う必要があるのかね?

崇伝みたいな若造にイチャモン付けさせても
畿内の最高の学問を学んできた豊家が
常識的な事を知らなかったとか有り得ないから

803 :人間七七四年:2016/05/27(金) 07:41:20.57 ID:7e9WUD82.net
>>802
イチャモン付けたのは崇伝では無い
後、鐘銘は五山の僧の見解でも問題有り

804 :人間七七四年:2016/05/27(金) 10:16:02.60 ID:x2ATJ2Ew.net
>>803
南禅寺住職の崇伝はその五山を統括する立場にいたのだよ

805 :人間七七四年:2016/05/27(金) 14:56:04.79 ID:7e9WUD82.net
>>804
彼が介入した形跡は史料から見られ無い

806 :人間七七四年:2016/05/27(金) 15:49:14.15 ID:oaZQnmOt.net
都合の良さそうな地位に居るのになぜか蚊帳の外やな

807 :人間七七四年:2016/05/27(金) 20:00:11.68 ID:IgZ/o2eg.net
>>791
定説ならネットとかでも簡単に調べられるんだろうから、お勧めのホームページでも教えて頂けないかな

808 :人間七七四年:2016/05/27(金) 20:25:26.48 ID:itnL1gb5.net
定説って怪しげな宗教用語じゃなかったっけ?
日本人なら通説だろ

809 :人間七七四年:2016/05/27(金) 21:00:30.38 ID:Y7ns1tSa.net
自分の目の黒い内に豊臣滅ばしたくて実際やってのけたけど、史実より早く夏の陣の前に家康が没してたら
どうなってたでしょうか?秀忠が後を継いで大勢には影響無しですかね?

810 :人間七七四年:2016/05/27(金) 21:07:32.58 ID:7e9WUD82.net
別に家康はそういう意志は無かったよ
豊臣家が壮大な自爆しただけ
ちなみに秀忠なら家康より苛烈なので、絶対滅ぼす

811 :人間七七四年:2016/05/27(金) 21:16:43.55 ID:itnL1gb5.net
>>809
秀頼側近にロキみたいなのがいて
尚且つ
松平秀康と小早川秀秋が生きてたら
秀頼がどうなるかは別にして、
秀忠の幕府は吹っ飛んだと思う。

812 :人間七七四年:2016/05/27(金) 21:28:48.39 ID:v8auAMio.net
秀忠も言うほど無能ではない
家康がビッグすぎたので小さくみえるだけ

813 :人間七七四年:2016/05/27(金) 21:32:34.99 ID:Yaznlfl7.net
秀忠が大坂方に過激だったのは己の器量が足らぬ事をしっていたための
方便だぞ 
実際に家康がいなければたいしたことはできまい
家康が全て卑劣だっただけのこと

814 :人間七七四年:2016/05/27(金) 21:34:34.22 ID:7e9WUD82.net
>>813
違う違う、秀頼の余りの夜郎自大振りにキレていた
秀忠は大坂の陣時の秀頼の歳で実質関東の徳川領を采配していた

815 :人間七七四年:2016/05/27(金) 21:42:08.95 ID:Yaznlfl7.net
>>814
別に議論するつもりないが?
秀忠を格段下げるつもりないがカリスマ性が皆無だから諸将がついてこん
それだけのこと 意見を変えるつもりはない

816 :人間七七四年:2016/05/27(金) 21:49:30.30 ID:ACay4HfX.net
>>808
具体的研究者や論文もも挙げず、定説だからって発言する奴への皮肉だろう
2チャンのレスで定説だからと言っても具体的例を示さなければ
お前が勝手に言ってるだけだろうって話になる
>>813
秀忠が足りなかったのは武将としての才能くらいで
政治家としては優秀だし、個人として資質を見たなら
躰は筋肉質体質だったらしいし、自制心には富んでるし
人の意見を取り入れる器量もある
武将としても政治家としても才能の欠片も無く
図体がデカいだけの肥満体で精々字が上手いくらいの
個人的資質が優れた逸話が皆無だった秀頼と比べたら全然マシ
だから秀頼を持ち上げる連中は抽象的な実は隠れたカリスマの持ち主で
家康がそれを恐れたって根拠のない話を創るしかないんだよな

817 :人間七七四年:2016/05/27(金) 21:57:57.52 ID:X/HxmD6i.net
>>815
心配しなくてもあの時点で秀忠さま支持路線は磐石
それは家光によってさらに完成された

818 :人間七七四年:2016/05/27(金) 22:06:07.70 ID:Yaznlfl7.net
太閤秀吉と関白殿の前例を見ているんだから上手くやれなければ只の阿呆

819 :人間七七四年:2016/05/28(土) 01:34:01.76 ID:/BIToiXn.net
>>815
カリスマ性W、政宗や悪久、三斉様、NAGAMASAなどはそんなもんに重きを置かないわな。
言行一致、掌返ししない、嘘をつかないという平和な時代に求められるリーダー像を具現化
したのが秀忠で、家康より圧倒的に諸侯の信用度が高かった。
立花宗成を召し抱える時、いきなり親衛隊の大番として採用して、絶対無比の忠臣化させる
等、太閤並みの人誑しぶり一つを見ても、ただの豊臣家の貴公子秀頼が勝てる相手じゃないぞ。

820 :人間七七四年:2016/05/28(土) 02:26:42.68 ID:0BrMm3u9.net
偉大な先代からあれだけ破綻せずに引き継げたのだから施政者の資質ばっちり

821 :人間七七四年:2016/05/28(土) 08:57:17.97 ID:UkIA00uN.net
秀頼なんて秀忠以上にカリスマ性ゼロだろう
親父の威光にすがりつく以外に秀頼に出来ることは何もないからな
ここまで親のすねかじりな2代目は他にいない
とはいえひたすら親父の遺産に頼りきっていたからこそ浪人を集めて形としては戦が出来たというのも皮肉な話だ

822 :人間七七四年:2016/05/28(土) 09:13:19.96 ID:DbzJOgAw.net
大阪の陣にも秀忠って今度は無理なスピードで進軍し、兵馬を使い物にならなくし家康を呆れ
させた

もう軍事面では致命的に才能に恵まれてないな 仮にも将軍なのに話にならん

823 :人間七七四年:2016/05/28(土) 09:39:30.92 ID:fm6nsnra.net
>>821
もはや秀吉の威信すら関係なく、負け組がダイナミック自殺する『みこし』に使われただけな気もする。

824 :人間七七四年:2016/05/28(土) 09:48:36.54 ID:tL0A0Xm8.net
>>822
前線で指揮して銃創負っているから、引き篭もりの秀頼よりは万倍マシではある

825 :人間七七四年:2016/05/28(土) 09:50:54.06 ID:/BIToiXn.net
>>822
これは意図的な親子芝居だよ。
家康は、大阪城ほどの城を囲む諸侯の軍がただの烏合の衆になりかねない
状況を引き締めるために、将軍秀忠に急行軍させたたんだと思う。
現征夷大将軍が、怒髪天を突いた状態で軍を急伸させるって状況下で
対大阪戦に召集された諸侯が気を抜けるはずもない。
おかげで諸大名の活躍で大坂の重要拠点で物資搬入の生命線だった
木津川口の戦い、博労淵の戦いで勝敗の帰趨が決まり今福や鴫野も
徳川方に接収されて長期籠城すら厳しくなり、わずか数か月で和睦する羽目になった。
その真田丸の戦も、前田などが威力偵察もせず、抜け駆け的攻撃をして敗退しただけで
敗戦に怒り狂った秀忠が総攻めの命令を出し、家康がそれを押しとどめるって小芝居で
諸侯の気を引き締め直している。
大体、戦上手の立花宗茂が参謀総長格で付いてるのに、急行軍を押しとめないのがおかしい。
むしろ煽っていた可能性すらあるかもしれない。

826 :人間七七四年:2016/05/28(土) 10:46:29.41 ID:Njfja8Ri.net
冬の陣の頃にはそれまで戦の無い時代が続き過ぎて兵隊の上から下までヒヨッコ以下になってて、
家康が現地で直接指導してミサイル避けの防壁の作り方とか教えなきゃならなかったという話を聞いたのれす

827 :人間七七四年:2016/05/28(土) 11:12:52.28 ID:w2suKpEo.net
>>822
偉大な大権現さまをひきたたせるために出汁に使われてるだけなんだけどな

828 :人間七七四年:2016/05/28(土) 20:22:42.21 ID:vT51O8wb.net
>>805-806
崇伝が統括していた五山の見解などは家康のイチャモンを
正当化するものにならないってだけで十分な話しだから

829 :人間七七四年:2016/05/28(土) 21:47:35.61 ID:ATWCx4Uv.net
>>816
人の意見を聞き入れる器量と言う話なら
戦場に出て、味方の士気を上げてくれって意見は悉く退けたのに
蔵に逃げ込み千姫でもなんでも使える物は
なんでも使って命乞いをすると言う意見は取り上げる
秀頼の器量はある意味凄いな

830 :人間七七四年:2016/05/28(土) 22:47:06.22 ID:DbzJOgAw.net
一度失敗している事を挽回しようとして今度は行きすぎて失敗って秀忠はよく将軍で居続けら
れたな まさに恥

831 :人間七七四年:2016/05/29(日) 01:53:01.50 ID:/wrjyO7K.net
徳川はだいたいそんな人物ばかり
でもそれを越えられた武将もいない

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