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実は創作だった通説・俗説4【コピペ・レッテル貼禁止】

1 :人間七七四年:2020/01/24(金) 19:40:36 ID:PM+3RRbR.net
史実かと長年思い込んでいたが、実は講談や軍記物、
あるいは小説や映画大河ドラマなどの創作だった。
そんな話を語るスレです
自分の気に入らない主張に対してコピペを連投したり
レッテルを貼ったりする等をはじめとした荒らし、煽り行為は禁止です
その様なレスはスルーでお願いします
次スレは>>980でお願いします。無理な場合は次レス番を指定してください

前スレ
実は創作だった通説・俗説3【コピペ・レッテル貼禁止】 https://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/sengoku/1472636283/

デジタル大辞泉より
そう‐さく〔サウ‐〕【創作】
[名](スル)
1 新しいものをつくり出すこと。「新式の工具を―する」
2 文学・絵画などの芸術を独創的につくり出すこと。また、その作品。「物語を―する」「―舞踊」
3 つくりごと。うそ。「そんな言い訳は彼の―だ

2 :人間七七四年:2020/01/24(金) 19:42:52 ID:PM+3RRbR.net
過去スレ

実は創作だった通説・俗説2【コピペ・レッテル貼禁止】(c)2ch.net
http://hanabi.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1457874321/

歴史作家の作った通説・俗説 [転載禁止]©2ch.net
http://hanabi.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1431750387/

3 :人間七七四年:2020/01/24(金) 19:43:35 ID:PM+3RRbR.net
前スレのURLの位置がずれてしまった

4 :人間七七四年:2020/01/25(土) 09:33:42.95 ID:AyFqqHBV.net
>>1
乙に候

5 :人間七七四年:2020/01/25(土) 10:53:22.56 ID:KFb9wEKM.net
うどんうどんうどんスープ♪

6 :人間七七四年:2020/01/25(土) 18:50:20 ID:hu0H7duB.net
この近年、正直新説が色々出過ぎて、生き残っている昔からの通説って何があるのって感じだけど

7 :人間七七四年:2020/01/25(土) 18:56:25 ID:3EFufHX6.net
だいたい生き残ってる。俗説はいっぱい死んだが

8 :人間七七四年:2020/01/25(土) 20:47:55 ID:KFb9wEKM.net
いま明智光秀の大河ドラマをやっていますが、
明智光秀に関する通説・俗説も創作ですか?

本能寺の変で黒幕がいたとか、
信長にいじめられて恨みを抱いたとか

9 :人間七七四年:2020/01/26(日) 15:18:29 ID:13Mzbk6c.net
>>6
早雲素浪人説、道三一代説、死亡
桶狭間、関ヶ原、戦闘経過が不明瞭に
今川義元、公家文化かぶれの武将、否定的に。庶子の可能性も出てきた
秀吉、貧農の子か怪しくなっている
信長、革命児から保守家に
謙信、義将ではない
勝頼、輝元、氏政、秀忠、言われている程愚人ではない
山本勘助、実在の人物で子孫のその後も判明
思いつくもの、いくつか上げてみた

10 :人間七七四年:2020/01/26(日) 17:37:12 ID:qP0FpSTd.net
>>8
黒幕説否定の本として、鈴木眞哉・藤本正行「信長は謀略で殺されたのか」を
勧めたいが、現在入手不可なので、呉座勇一「陰謀の日本中世史」を読むといい

11 :人間七七四年:2020/01/26(日) 19:54:14.03 ID:eEWPU0Uq.net
>>10
ありがとうございます

謀反を起こした本当の理由は
今でもわかってないんでしょうか

12 :人間七七四年:2020/01/26(日) 20:04:02.39 ID:Khkap7O0.net
諸説あるけど全部憶測

13 :人間七七四年:2020/01/27(月) 08:39:35.19 ID:awwBny9+.net
光秀自ら理由を書き記した書状でも発見されない限り永久に分からんだろうな

14 :人間七七四年:2020/01/27(月) 15:12:28 ID:JqqMFXXZ.net
そんなもん出てきても本心とは限らんちゅう問題は付いて回る

15 :人間七七四年:2020/01/27(月) 15:19:57 ID:sb/0qnFh.net
>>13
あるぞ
「自分たちの子供のため」つってたぞ

16 :人間七七四年:2020/01/27(月) 15:21:23 ID:evGfP5sX.net
>>15
長岡藤孝を引き入れようとする書状の中での記述、って但し書き付きだけどな。

17 :人間七七四年:2020/01/27(月) 18:22:10.49 ID:UVlt89eh.net
マイナーだけど今川氏真の側近の朝比奈泰朝は主君とそう年の離れてない武将と見られがちだけど、今川家と観泉寺によれば実は結構な年寄り
再就職できなかったのはそのためと思われる

18 :人間七七四年:2020/01/27(月) 21:08:27.98 ID:/qqYy9Ha.net
ぶっちゃけ本能寺の変の黒幕がいようがいまいが明智の本心がどうとかって史学的な意義薄いし
まぁその薄くてまともな史学者は手をつけないものに、わざわざ新設見つけたとか言って陰謀説くような人はお察しって感じ

19 :人間七七四年:2020/01/27(月) 21:50:31 ID:gebDCx1Y.net
https://i.imgur.com/16EufRI.jpg

20 :人間七七四年:2020/01/28(火) 11:31:03.65 ID:bOH6+jG7.net
本心がどうかってのはわからないのだけど
その状況を解読するって意味では
史学的には意味があるんだよね。
特に信長の存在は大きいし
その前後も複雑に展開してるし。

21 :人間七七四年:2020/01/28(火) 12:37:35.73 ID:szUU8rsH.net
秀吉軍は中国大返しから光秀を倒したと見られてるが、実際は消耗が激しかったので討伐の主力にはなれなかったらしいね

22 :人間七七四年:2020/01/28(火) 15:32:16.11 ID:1Jb5CYeK.net
光秀の根回しが大半空回った事を考えりゃ秀吉抜きでも織田信孝の軍が光秀を倒すのはそう難しくなかったかと

23 :人間七七四年:2020/01/28(火) 16:07:08.98 ID:ragijW84.net
フロイスの記述をそのまま鵜呑みにすると
せいぜい千かそこらの高山勢が明智勢を敗走させて
そのまま勝敗が決したことになっちゃう

これは報告者の高山右近による手柄の自己申告と
記録者のフロイスの切支丹活躍史観という
二重のバイアスがかかった結果かと

24 :人間七七四年:2020/01/28(火) 16:09:00.85 ID:1Jb5CYeK.net
創作では嫌な人とされるのが多い秀忠継室お江与だけど、実際はそう取られる史料はなかったりする

25 :人間七七四年:2020/01/28(火) 16:11:37.55 ID:1Jb5CYeK.net
>>23
>>9の戦闘経過は不明瞭なのは山崎の合戦にも当てはまるのかな

26 :人間七七四年:2020/01/28(火) 17:53:31 ID:h1lS9z46.net
可児才蔵は朝倉宗滴の後落胤。
という、俺の創作を広めたいw

あり得ないかな?才蔵を調べてたら、母は朝倉氏(誰かはわからない)の側室で、美濃に流れて可児郡願興寺で才蔵を生み、幼時は願興寺で育ったとあったんだけど。

才蔵の生年が1554年
宗滴の没年が1555年

景紀か一族関係者が、宗滴没後の争いを懸念して、妊娠が判明した山岡氏に暇を出したとか。古渓も出家させられてるし。

27 :人間七七四年:2020/01/28(火) 18:11:23 ID:bOH6+jG7.net
>>21
それもあるし、秀吉の、兵温存、というのも
あったんじゃないかな。

山崎の戦闘も、直に見た人がいないから
正確なことはわからない。
記録にあるのは二次ばかりだし。

28 :人間七七四年:2020/01/28(火) 18:31:12.72 ID:mIIme36F.net
巷に広がっていた光秀の銃の名手説や55歳説も後世の史料のみというね

29 :人間七七四年:2020/01/28(火) 18:34:37.74 ID:VFA0F6Hg.net
>>9
そういえば「天王山の戦い」は無かった。もあったな

30 :人間七七四年:2020/01/28(火) 18:59:42 ID:ragijW84.net
>>25
天王山の攻防とか否定されたのはあるんじゃない?
ただ同時代史料少ないながら具体的で
矛盾も少ないので不明瞭というとちょい違うかもね

フロイスの記述と秀吉側の記録だと山崎に陣取った兵を
3筋に分けて敵を切り崩し明智方が勝竜寺城へ落ち包囲
次いで京都、坂本へと落ちていった
という大筋は共通してる

それぞれの道筋を進軍した面々に差異はあるけど
それは恐らく戦場に近く一番に現地入りしたろう摂津衆と
全軍揃ってから指示を出したであろう秀吉の認識の差
高山(切支丹)と秀吉で誰の手柄を強調したいかの差かと

31 :人間七七四年:2020/01/28(火) 20:05:49 ID:ThVuaeH+.net
関ヶ原の戦いの時、真田親子がどっちにつくかを話し合ってる最中、ウッカリ声をかけて
投げつけられたぞうりを顔面キャッチして前歯を折った、って人
実は京都だかにいた、と当時の本人の書状で分かった
と「真田丸」放映時に出た記事で読んだな

32 :人間七七四年:2020/01/28(火) 20:44:45.01 ID:g5XXBsJ6.net
真田の史料として長らく信頼されてきた加沢記だけど、今見てみると兵の数云々を抜きにしてもあまり頼りにしてはいけない感じがするな

33 :人間七七四年:2020/01/28(火) 20:45:34.89 ID:fmFubY52.net
>>31
その逸話、草履じゃなくて下駄じゃなかったっけ?

34 :人間七七四年:2020/01/29(水) 04:16:16 ID:gxKpS2kA.net
>>33
そう下駄
だから犬伏の会談もあったか怪しい

35 :人間七七四年:2020/01/29(水) 12:13:50 ID:QnyOZgTw.net
真田とか村上とか前田とか佐竹とか
単純に今までずっと内包してた家中不和が東西分かれる合戦で表面化しただけちゃうんかな

ちょうど戦国大名から近世大名に脱皮させられてる最中の家ばっかりだし

36 :人間七七四年:2020/01/29(水) 21:44:42 ID:yM1EdnHN.net
>>8
黒幕なんかいるような流れですらない
そんな動きもない
ただ謀反を起こして秀吉に壊滅させられただけの話だ

信長にイジメられたというより、いつも一歩届かない能力の光秀を叱っていただけ
信長は実力主義
一応はそれなりのポジションにつかせているのだから、キッチリとやれと言うこと
それを光秀はできない事の方が多かった
一方、秀吉は期待以上の働きをしてた超有能武将

明智が追い込まれて目先の天下に目が眩んだ
こういう無能は現代にも沢山存在する

37 :人間七七四年:2020/01/29(水) 22:12:29.17 ID:QnyOZgTw.net
光秀、畿内任されてるしバリバリの実力派やと思うが
尾張美濃時代に家臣ですらない人間が馬揃えでも血縁抜けば1位の位置だかのはずだしくっそ有能の部類やろ

黒幕いないってのは普通に肯定するが、それ否定するために変な意見入れるのはどうかと思うわ

38 :人間七七四年:2020/01/29(水) 22:18:40.24 ID:AhFoPZmV.net
斎藤道三が二代目のボンボンだったなんて興醒めだわ。がっかりな感じがする。

39 :人間七七四年:2020/01/29(水) 23:07:27 ID:yaYGWATn.net
光秀は本能寺前まで重用されてるんだよな
そんな中でも内心不満なり不安があったのか、信長に対して心証悪化するような何かがあったのか、
それとも魔が差したような突発的行動だったのか
どれもあり得そうな話なんだよな

40 :人間七七四年:2020/01/29(水) 23:58:21 ID:GZmC5v3J.net
光秀への折檻の話は後世の史料でそれこそこのスレの対象でしょ
佐久間への折檻状でもむしろめっちゃ褒められてる

41 :人間七七四年:2020/01/30(木) 00:45:14.20 ID:W/A/BT47.net
言われてる程暴君じゃなかったってだけで信長それなりにヒステリックだと思う
塙直政戦死で塙一族没落するし、思い出したように佐久間と林追放するし、あとは竹生島の女房衆成敗も信ぴょう性結構あったっけ

そりゃどんなキレ方だって理屈つければ正当なお叱りだと言い張れるかもだけど
ミスでかいとはいえ1ミスで没落させるしなんなら思い出したら追放だしって普通にきつい

ちょうど今名前挙がった2人は明智と同じ畿内任されてた組か、そういえば

42 :人間七七四年:2020/01/30(木) 00:47:05.72 ID:jE5S4wgK.net
>>37
光秀は実力は無い
それこそ史実とは違う偏見を組み込むのは御門違いも甚だしいよ

43 :人間七七四年:2020/01/30(木) 00:49:33.45 ID:W/A/BT47.net
なぜ実力ないと断定してるのか、いくつか根拠あげてみ
というかそんな奴に畿内任せたり各地転戦させる信長はなんやねんって話になるよ

44 :人間七七四年:2020/01/30(木) 01:03:49.98 ID:jE5S4wgK.net
>>43
任せるくらいはする
望む結果に足りないから叱責される
これを実力があると言い張る方が無理がある
戦も長けた力は無い
築城含め内政にはそれなりの能力はあったが、武将としめ眼を見張るような力は無い、断じて無い

45 :人間七七四年:2020/01/30(木) 01:10:16.34 ID:W/A/BT47.net
まず、叱責から離れようか
つーか叱責なら秀吉だって勝手に陣離れんなってブチギレメール貰ってる
実際は天正お馬揃えでも読み取れる通り織田家の筆頭格になってる
戦だって赤井直正で苦戦したってのだけを言ってるんだろうけど他だって十分戦功上げてる
ましてや武将なんて言葉でまとめてるけど、奉行もできなきゃそれこそただの木っ端武者だよ

きつい事を言うけれど、君は史実に沿ってると言いながらその実自分が作った妄想に酔ってるだけ

46 :人間七七四年:2020/01/30(木) 01:15:48.83 ID:+2hC+kwJ.net
>>45
秀吉に対する叱責と同列に語ってる時点でもう冷静に能力分析できてない
ただ光秀の実力の無さを認めたくないと躍起になってるだけのレベルじゃ話にならないよ
お疲れさん

47 :人間七七四年:2020/01/30(木) 01:18:44.11 ID:W/A/BT47.net
感服状調べたりそれこそ佐久間の折檻状でも褒められてるのも読みもしてないんでしょ?
それこそ光秀が実力のない人間だと思い込みたいために躍起になってるんだよ、君は

恥は知らないとダメだよ、それじゃあお疲れ様

48 :人間七七四年:2020/01/30(木) 01:23:47.06 ID:+2hC+kwJ.net
さすがに実績を見て実力者とするのはもはや無理がありすぎる
あけちけんざぶろうの本でも見て感化されたか、光秀のように能力の無い側に共感してしまうタイプなんだろうな

49 :人間七七四年:2020/01/30(木) 01:24:16.61 ID:Xt7Yd0o4.net
光秀への叱責ってそもそも確かな史料だと
どの程度確認できるんだっけ?

同時代になくて明智軍記、常山紀談で現れる逸話と
フロイスがソース不詳の人々の噂として書いた話
(口論があり1、2度足蹴)

他にあるかな?
同時代史料ベースだと割とひたすら褒められてね?

50 :人間七七四年:2020/01/30(木) 01:25:56.26 ID:W/A/BT47.net
多分この人史実史実って言いながら全然当時の史料一切調べてないんだと思う
具体的な根拠出しもしないし

51 :人間七七四年:2020/01/30(木) 01:33:36.20 ID:Ii3m2zTb.net
ただマウントを取ったと自分が思い込めればいいだけの人だから、相手しないのが一番だよ。
野良犬みたいなもんだ。

52 :人間七七四年:2020/01/30(木) 01:39:46.87 ID:KgloGQj6.net
光秀が有能なんてネットでしか見た事ないな。
あり得ない与太話と大差ない。全く現実を直視できてない。創作してるのと同じだろう。

53 :人間七七四年:2020/01/30(木) 01:40:15.32 ID:Ii3m2zTb.net
ID変えて出てこなくていいから

54 :人間七七四年:2020/01/30(木) 01:44:52.15 ID:Xt7Yd0o4.net
いやその人のことは結構どうでもよくて
単純に明智への叱責って言われるものって
どんなのがあったっけかな?って興味ね

55 :人間七七四年:2020/01/30(木) 01:47:49.36 ID:KgloGQj6.net
>>53
いやお前が複垢で1人で自演してるから突っ込んでやったんだが。逆張り構ってちゃんなんてネットじゃあるある。あーまた出てきたか程度にしか思われてないよ。ニワカすぎて。

56 :人間七七四年:2020/01/30(木) 01:48:05.03 ID:Ii3m2zTb.net
逸話レベルなら、甲州征伐の時の発言で欄干に頭を押さえつけられたやつとか、
家康への安土饗応の時料理について折檻された話とか、
そのくらいだな。

一次史料では皆無。むしろ佐久間折檻状に見られるように、他者への叱責の際に
「光秀を見習え」とある。

57 :人間七七四年:2020/01/30(木) 01:50:00.49 ID:Ii3m2zTb.net
お、とうとうありもしないことを口走り始めた。これは被害妄想の症状だな。ID:KgloGQj6

58 :人間七七四年:2020/01/30(木) 01:50:51.74 ID:W/A/BT47.net
自分も一次史料で明智が叱られてるのって言われると出てこないっすなぁ

59 :人間七七四年:2020/01/30(木) 01:57:02.82 ID:KgloGQj6.net
調べても分からないとかもう正気の沙汰じゃないな。完全に統合失調症の類。弱い犬ほどよく吠える。現実も直視できずにファンタジーを構築して自分を慰める。そして自演しかできない。こういう手口で屁理屈を捏ねれば歴史をひっくり返せるとでも思ってるのか。
力の無いものを持ち上げる事で自分と重ねて合わせてるんだろうな。
頭がおかしい。

60 :人間七七四年:2020/01/30(木) 09:06:00.97 ID:Xt7Yd0o4.net
俺の知る限り同時代史料での光秀への叱責・折檻話は
>>49にあるフロイスの記した噂くらいだね

それは誰がそれを見たのか、誰がそれを話してたか
フロイス自身も書くほどの確証がない文字通りの噂話
それも書き振りとして恐らく折檻が起きた時じゃなく
謀反が起きた後に謀反の理由が取り沙汰される中の噂

つまり同時代人的には実際にあったことと受け止めて
特に書き記すほどとも思えないレベルで
その噂はあったんだろうね

61 :人間七七四年:2020/01/30(木) 10:55:09.72 ID:W/A/BT47.net
やっぱり噂程度ですわな
他ではおっしゃられてる通りべた誉めの部類だし

62 :人間七七四年:2020/01/30(木) 13:21:17 ID://jFimPG.net
>>38
え、それ今さら?
ずっと前から言われてるじゃん

63 :人間七七四年:2020/01/31(金) 21:09:25.97 ID:+mabIV8i.net
そういやツイッターまとめ?かなんかで
松永が普通に切腹or焼死したってのから、1950年代から火薬で平蜘蛛爆破になり最後爆死に至るまでが綺麗にまとまってるのがありましたね

元々は死んだ日が大仏焼いた日と奇しくも同日、また大仏と同じく燃え落ちたって部分が因果応報的に語られる比重が大きかったみたいですね
そもそも焼いたときに久秀その場にいないから割とこの時点でとばっちりだと思うけども

64 :人間七七四年:2020/02/01(土) 08:47:25.79 ID:/otWL8So.net
平凡社から出ている金子拓氏の鳥居強右衛門は、伝説がどのように膨らんでいったか考察してて面白かったな

65 :人間七七四年:2020/02/05(水) 19:13:16.11 ID:/xaupLab.net
>>25
逆に明確な戦の方が珍しいんなじゃいかな
有名な戦程俗説が多い気がする

66 :人間七七四年:2020/02/05(水) 20:45:33 ID:1+5PdDNQ.net
当時の人たちからしたら極論勝ったか負けたかが分かってればいいわけで
どんな感じで戦が推移したとかは割といらん情報よね
ましてや今戦ってる合戦が後世有名になるとかも知らんわけだし

後世の人間は有名な戦いでどんな戦い方したのかを物語として楽しみたいから結果俗説が増えるって感じかねー

67 :人間七七四年:2020/02/05(水) 20:57:44 ID:2tR0xF/m.net
大坂の陣とかも昔は豊臣の悲劇みたいだったのが、今は豊臣と浪人達の派手な自爆って感じだしなぁ

68 :人間七七四年:2020/02/06(木) 19:53:21.49 ID:TNJT4yzX.net
御舘の乱とかも、きっかけとか随分変わったぬ

69 :人間七七四年:2020/02/07(金) 20:15:12 ID:+udV74WW.net
宇佐美定満有能説
実際は無能で説自体発祥は江戸時代初期に武田家対抗馬上杉謙信ブランドを利用したい別家の大名の創作だった

70 :人間七七四年:2020/02/07(金) 21:03:30.28 ID:CVa/UkgV.net
上杉景勝って有名武将の獲得に結構意欲的なのよね
人質時の真田信繁の護衛やってた矢沢頼康を勧誘したがってたのが地方史に載ってた
通説では無愛想で無口とされるけど、実際は結構な手紙魔

71 :人間七七四年:2020/02/07(金) 21:16:39.21 ID:ho3rY9kO.net
普通に笑ったり喋ってる記述もあるはずなんで
景勝も割とキャラ盛り盛り

72 :人間七七四年:2020/02/07(金) 23:49:42 ID:IZ6lb1Mp.net
景勝は自意識過剰のカッコつけっぽい感じがしたが三条手切れを知ってやっぱりなという感じがした

73 :人間七七四年:2020/02/08(土) 17:00:26.03 ID:ON1cVtL0.net
実はこうだった、というほど確定的な話ではないけど、
以前よく「織田信長は、日本を統一した後、明を征服するつもりだった。秀吉はその真似をしていたにすぎない」
みたいに言われてた気がするけど、最近読んだ本では、「フロイスは、日本や明の布教が遅れているのをごまかすために、
ちょっと大げさに報告書に書いたと思われる」とかあって笑った

信長は案外当時としても普通のおっさんだったという説や、フロイスのこういう話を聞くと、一気に親近感がわいて来る
「常識に縛られない、時代の先駆者ノブナガ」も、それはそれでいいけど

74 :人間七七四年:2020/02/08(土) 20:30:09.50 ID:/pSdw5MN.net
かの第六天魔王の名乗りも、信玄に対抗してのおちゃめ説がガガ

75 :人間七七四年:2020/02/08(土) 23:45:50 ID:POWo705j.net
説というか、そこでしか第六天魔王なんて言ってないはずだし
信玄が天台座主沙門として比叡山焼いた信長しばくって書状出してきたことへの返書でしょ?

どっちかというとこれはお前のどこが天台座主沙門名乗れる程殊勝なやっちゃねんって信玄にツッコミ入れたいレベル

76 :人間七七四年:2020/02/09(日) 11:13:27.23 ID:Mmxfg7Ne.net
おいフロイス聞いてくれよ、信玄から書状来たんけど署名が天台座主って書いてあんのw
あの信玄が座主www生臭すぎるwwwじゃあ俺も第六天魔王って署名しちゃうもんねwwww

みたいな

77 :人間七七四年:2020/02/09(日) 18:48:10.79 ID:ju/e3Sno.net
↑こういうw満載のきっしょい奴って本人的には面白いと思ってやっているんかね?

78 :人間七七四年:2020/02/10(月) 00:11:43.46 ID:6NgIINaY.net
よく時代小説とかで、忍びのことを、「乱っ破、素っ破、草・・・・」などと別名が書き出されて、
その中に「軒猿」というのもあった、とされてたけど、それが実は、江戸時代に書かれた
「越後軍記」という軍記物による創作だと本で知った時は、びっくりしたなぁ

79 :人間七七四年:2020/02/10(月) 00:49:33.34 ID:q3BcV4BZ.net
天台座主沙門だから、天台座主の弟子って言ってるわけで不遜とかそういう意味合いはないっすね
実際天台座主の覚恕親王保護してるんで

ただまぁ領国の寺焼いた量考えるとお前が言うんか信玄感はすごいですね

80 :人間七七四年:2020/02/13(木) 07:46:15.64 ID:zBA8Pb1N.net
自称から後世につけられたものも含めて、戦国武将の渾名は不釣り合いなものが多い気がする

81 :人間七七四年:2020/02/13(木) 15:44:33.94 ID:zuDogJUQ.net
浅井長政が好漢扱いされたのは判官贔屓に過ぎないのだろうか
強い恨みを買ったのか息子はともかく母親まで惨たらしく殺されたみたいだし

82 :人間七七四年:2020/02/13(木) 17:33:48.16 ID:g4riyVtP.net
長く続く江戸の将軍様のご血統の一部だし、悪く書きにくいわよね

上手いこと断絶して悪く書いても咎める人の少ない朝倉家っていうスケープゴートもあるし

実際は非常に国衆然とした動きしてただけみたいだけども

83 :人間七七四年:2020/02/13(木) 18:38:54.87 ID:zuDogJUQ.net
朝倉は今や浅井より評価されてる気がする

84 :人間七七四年:2020/02/14(金) 01:09:29 ID:aYUF2rvP.net
浅井氏調べてるとか朝倉氏調べてるとかならまだそれはあるかもだけど
世間では普通に浅井長政は義の将で朝倉義景は暗愚扱い

朝倉義景辺りは再評価受けていいと思うけどね、勝頼とか氏政のように

85 :人間七七四年:2020/02/14(金) 01:12:39 ID:G4QW53Z1.net
家康が、信長の命令で、息子信康を泣く泣く自害させたという話
江戸時代の「当代記」や、古い版の信長公記だと、信長に「好きにしていいよ」と言われて、
自ら処断した、徳川家中を息子との勢力争いで、直前まで二分しかねない状況だった、
と最近言われてるけど、これも家康が天下を取った後、息子らを自分のために処分したとなると
世間体が悪いから、「暴虐な信長」に強要されたことにしてしまった可能性があるとか
あと、明智光秀がひたすらいじめられる構図も江戸時代の芝居からで、判官びいきから
光秀はけっこう人気だったと「麒麟がくる」のドラマガイドに書いてあった

「暴虐な織田信長」のイメージは、江戸時代に確立したんだろうかね
そのイメージを「時代を切り開く風雲児」に変えたのは、やはり司馬遼太郎なのかな

86 :人間七七四年:2020/02/14(金) 01:44:44 ID:b/R8eNG4.net
自分の子供の頃(30数年前)はまだ信長は虐殺者のイメージは色濃く残ってた気がする
ヒトラーとあと一人は誰か忘れたけど世界三大虐殺者に数えられてたのを何かで見た記憶がある

87 :人間七七四年:2020/02/14(金) 02:24:57.10 ID:aYUF2rvP.net
暴虐イメージはわりかし本人自身がイメージ戦略として作ってた部分もあるのと
そのあとの権力者である秀吉とかもそれを否定せずに定着

時代を切り開く人扱いは確か一番最初は徳富蘇峰が言い出してたとかのはず
もちろん司馬遼太郎の影響も大きいだろうけども

88 :人間七七四年:2020/02/14(金) 03:32:56.55 ID:rRiWjsLW.net
歴史詳しくないけど信長公記を割と客観的な記録に近い正史の三國志とするなら
世間のイメージ作った脚色本としての甫庵信長記が三國志演義みたいな感じ?

89 :人間七七四年:2020/02/14(金) 09:17:12 ID:LiDNJXV0.net
信長のイメージ改善は坂口安吾や山岡荘八だろう

90 :人間七七四年:2020/02/14(金) 10:02:19.50 ID:G/QC8D3M.net
今は甘いイメージがある信長だが、日帰りで女中の不祥事を発見した際は容赦なく処刑したという
あと鬼武蔵

91 :人間七七四年:2020/02/15(土) 00:09:35.74 ID:dCFS/Cjw.net
江戸時代の半官贔屓って忠臣蔵を英雄にしちゃってるから信用できん

92 :人間七七四年:2020/02/15(土) 00:42:32.19 ID:KC/ziRxO.net
「判官」贔屓な。ちゃんと覚えておこうな。

93 :人間七七四年:2020/02/15(土) 00:49:13.64 ID:FLxqZrHR.net
>>91
「判官びいき」は、信用云々は関係ないんじゃないの
あれはあくまでもその時代の大衆の空気感というか世評を表してるんだから
「判官びいき」をしている、大衆の側が生きている「時代の文化」と捉えないと

94 :人間七七四年:2020/02/15(土) 01:47:16 ID:XIIR+oGq.net
史学としちゃ客観的に見なきゃなのに贔屓してる時点で、そりゃ参考にはならんでしょうよ

上の方がおっしゃってる通り贔屓してるという事実としてとらえるのがいいんでしょうね

95 :人間七七四年:2020/02/15(土) 01:57:08 ID:KC/ziRxO.net
歴史エンタメと歴史研究を一緒くたにするなよ

96 :人間七七四年:2020/02/15(土) 14:00:22.95 ID:7iq3uCNV.net
松平信康がいいやつだったという説
実際は褒めてたのは三河物語の作者くらいで、それ以上の信憑性のある史料だと正室とうまくいってなかったらしい事と謀反をしてたと取れるくらいしか情報が見当たらない

97 :人間七七四年:2020/02/15(土) 14:47:39.82 ID:iMW7hbFy.net
信ちゃんは、岡崎だとほんとに無視された存在やで
岡崎市民より

98 :人間七七四年:2020/02/15(土) 15:06:31 ID:7iq3uCNV.net
母の築山殿の方がまだ事跡はあるし、このスレ向きと思う

99 :人間七七四年:2020/02/15(土) 15:55:14.68 ID:MCROnW0v.net
豊臣秀吉種無し説の反論の証としてよく挙げられる織田家臣時代の秀吉実子とされる初代秀勝
実際は実子と「伝えられる」肖像画があるだけで、その画も写真越しだという

100 :人間七七四年:2020/02/15(土) 16:01:57.17 ID:iMW7hbFy.net
信ちゃんの首塚がある神社なんて、本当に忘れられてる…(T_T)

101 :人間七七四年:2020/02/15(土) 16:04:04.88 ID:n4pA8HmY.net
個人的に信康がもっとも輝いていたのは影武者徳川家康の漫画版

102 :人間七七四年:2020/02/17(月) 00:36:17.28 ID:gxdR+xN5.net
忠臣蔵は朝鮮人が絶賛した義士
だから安重根を朝鮮人は義士と称する

103 :人間七七四年:2020/02/17(月) 07:49:54.50 ID:a88EHebC.net
いきなり気持ち悪いのが現れたな

104 :人間七七四年:2020/02/17(月) 15:48:07.67 ID:jqwFatA0.net
世界中でも朝鮮人ほど義から遠いミンジョクは無さそうなんだが。

105 :人間七七四年:2020/02/18(火) 10:04:18.49 ID:uokp1gAX.net
朝鮮語には受動態がないらしい。
女房に逃げられたと言えば、逃げられたほうにも責任があるが、
女房が逃げたとしか言わないらしい。自分の責任は認めない。

106 :人間七七四年:2020/02/18(火) 12:39:21.71 ID:+UQraf0+.net
不便な言語だな

107 :人間七七四年:2020/02/18(火) 14:28:49.93 ID:bnZf3phi.net
通説俗説について語るスレやから、いい加減にしときなよ

108 :人間七七四年:2020/02/18(火) 16:29:15.33 ID:QmDefKJG.net
スレチは死ね

109 :人間七七四年:2020/02/18(火) 16:41:29.52 ID:GgYWxZcU.net
朝鮮といえば、加藤清正の有名な虎退治の話が、実は黒田長政のエピソードだった、
というのを大河ドラマの「軍師官兵衛」で初めて知った
古ーいボクシング漫画の名作「B.B」にも描写される話だったのに

110 :人間七七四年:2020/02/18(火) 18:42:49.18 ID:SJ7dt7iK.net
吉良を斬殺した武林の祖父が朝鮮半島から来たのは桃山時代
戦国時代よりあと

111 :人間七七四年:2020/02/18(火) 19:39:53.25 ID:9fX2upYs.net
>>9
>勝頼、輝元、氏政、秀忠、言われている程愚人ではない

愚人のイメージがあると言えば斎藤龍興(一色龍興が正しいらしいが)は
あまり再評価されないな

112 :人間七七四年:2020/02/18(火) 20:19:21 ID:CmAIjs8H.net
輝元は……

113 :人間七七四年:2020/02/18(火) 20:23:39 ID:bnZf3phi.net
のほほんとした2代目のぼんぼんじゃなく
野心ある人物だったことは確かだし、よく言われてるようなタイプの愚ではないかな

114 :人間七七四年:2020/02/18(火) 20:39:15 ID:+1bpg8jL.net
>>111
龍興、センゴクとか信長の忍びとかでは結構格好よく描かれていた気がする

115 :人間七七四年:2020/02/18(火) 21:44:09 ID:BuTooJvB.net
>>113
野心はあっても、それを可能にする能力も決断力もなければ
やはり愚人じゃね。

116 :人間七七四年:2020/02/18(火) 22:55:55.90 ID:xk5hj4Wp.net
輝元は野心も知恵も中途半端にはあった
中途半端すぎて「近頃の世は万事逆さまで」ということになる

117 :人間七七四年:2020/02/19(水) 02:34:06.14 ID:aD5Y6kim.net
>>114
朝倉や本願寺の助力を背景に美濃奪還を謀って兵を挙げたりしてるんだよね
まあ冬に決行して雪のために断念したらしいけどw

118 :人間七七四年:2020/02/19(水) 03:33:32.73 ID:f3hu2bKd.net
>>115
それ言うと五奉行や大坂牢人集も含まれるぞ

119 :人間七七四年:2020/02/20(木) 02:18:40 ID:ESupygtZ.net
竜興といえば竹中による稲葉山城乗っ取られ事件があるけど
あれも単純に安藤らがクーデターで乗っ取ったけど誰もついてこなくて放棄よね
あれのせいで暗愚扱いされるようになったけども

祖父は土岐氏にクーデターするわ親父は祖父にクーデターした挙句若死にするわで
二十歳いかずに竜興が当主と、そりゃあ安藤らもクーデター狙うしなんならよく取り返せたレベルだわ

120 :人間七七四年:2020/02/20(木) 14:10:13 ID:cF+463lv.net
>>116
輝元は野心を実現するだけの能力までは無いが、
野心がコケた時のリカバリーをする能力はあるからな
伊達家のアレと似たようなもん

121 :人間七七四年:2020/02/21(金) 08:10:13 ID:gz2bHU64.net
家康は良き武人的な逸話が多いけど史料を見る限りそういったキャラ付けは豊臣臣従以後の感じがする
それ以前は良くも悪くも典型的な戦国大名なイメージ

122 :人間七七四年:2020/02/21(金) 13:17:08 ID:nacFRxdW.net
まあ家康はあくまで相対的だけど、それでも戦国大名の中では「信頼できる方」という
認識がされていたのも確かだと思われる。

123 :人間七七四年:2020/02/21(金) 14:33:08.38 ID:8niFvQI9.net
>>121
地元岡崎市民だが、味付け前の家康が全く見えないねぇ。ここでは。

124 :人間七七四年:2020/02/21(金) 15:16:33.49 ID:msDEfzgV.net
織田と同盟後の築山殿の非難に対する返事やら、小牧・長久手の戦前の強引な徴兵など相応の冷徹は見え隠れはしてるけどね

125 :人間七七四年:2020/02/21(金) 15:28:53.75 ID:jJm/Ei18.net
徳川家康はサイコパス

126 :人間七七四年:2020/02/21(金) 17:30:22.69 ID:gqlp0QD7.net
今川家なりの打算もあるとはいえ
安祥松平という「家」を守り、広忠復帰〜元康の相続までお膳立てしてくれたにも関わらず
同時代的にも珍しい、偏諱の「元」の字を一方的に捨て、
新たに自分との縁で三河取次役?になった義父を見捨てて独立

同盟者で何度も助けてくれた水野家を織田家とともに騙まし討ちに滅ぼす


戦国大名らしい表面上でも取り繕おうともしない冷徹さの部分

127 :人間七七四年:2020/02/21(金) 18:24:14.52 ID:YSP8YpGM.net
水野家、忠重が継いで滅んでないだろう

128 :人間七七四年:2020/02/21(金) 19:11:02 ID:GXUj2Luz.net
案外滅んでない家が多いよね

129 :人間七七四年:2020/02/21(金) 19:19:01 ID:nacFRxdW.net
他の戦国大名と比べて家康が特異な所は別に無いな

130 :人間七七四年:2020/02/21(金) 19:30:13 ID:/TtymbLW.net
当主を殺しても後継居れば家は続く
逆に家を潰すということはその一族郎党が露頭に迷う訳で
当主殺すよりずっと頑強な抵抗が続きかねない

131 :人間七七四年:2020/02/21(金) 19:40:59 ID:jJm/Ei18.net
わりあい義理と人情でなれあう戦国大名が多い中でここまでサイコパスは珍しいよ>家康

132 :人間七七四年:2020/02/21(金) 21:15:08 ID:4urM91fG.net
家康が三河で踏ん張ってる間今川がまるで織田への仇討に動かなかったわけで
まぁふざけんなよとなるわなともとれるし

こういうのでわざわざ恣意的に選んだ部分を取り上げてる時点で論ずるに値しないわね

133 :人間七七四年:2020/02/21(金) 21:26:27 ID:nacFRxdW.net
だな。家康は桶狭間後も織田と交戦している。にもかかわらず北条などと一緒に東方を優先したのが今川氏真だったわけで。

134 :人間七七四年:2020/02/21(金) 21:48:19 ID:4urM91fG.net
そう考えるとあんな時期に今川に救援求めた北条が悪いし、その北条を攻めた長尾景虎が悪い
なんだこの玉突き衝突

しかもこの玉つき事故起こした長尾と今川が同盟結んだり結んだけど機能しなかったり
氏真が大名じゃなくなったらお前もう大名じゃないんだから俺に直接連絡取ってくんじゃねーぞって手切れするし

東国事情は複雑怪奇

135 :人間七七四年:2020/02/21(金) 22:25:51.96 ID:gqlp0QD7.net
>>127
書き方が悪かった
織田・徳川両家にとっての「独立した大名」水野家は滅んだ(滅ぼした)
忠重らには罪は及ばなかったけど、旧水野領が返還されるのは佐久間信盛追放後

136 :人間七七四年:2020/02/22(土) 09:39:11.74 ID:DngXL+y+.net
>>129
水野信元関連は謎が多いよね
状況的に織田徳川双方にとって目障りだから殺した感じだけど

137 :人間七七四年:2020/02/23(日) 04:05:00.10 ID:n44l1s/h.net
武田についてた疑惑でやられたって話が一応有力だっけ?水野
そんで佐久間が失脚したことで冤罪晴れてって話であると

武田と通じてた人がいるってのは織田徳川間で他にも事件なってるしなぁ

138 :人間七七四年:2020/02/24(月) 16:40:41.56 ID:UafZz/sc.net
長篠以後の武田家に付く旨みはないと思うから、内通したとしたら長篠以前かねえ
通じてるとされてる割には三方ヶ原直後に信元は家康助けたらしいけど

139 :人間七七四年:2020/02/24(月) 23:26:08 ID:Gy2CsQhh.net
内通なり謀反なりって結局理由わからんままなのが殆どですしね
なんなら取次程度の話を盛られたかもしれないしそもそも実体なんてなかったかもしれないし

ただそこは理由わかんないねーとかどんな理由があったのか調べる方向へ向かうべきであって
理由わかんないけど滅ぼしたから滅ぼした側が何か含むところがあったに違いないとかまでいくと、陰謀論かなって

140 :人間七七四年:2020/02/25(火) 01:44:48 ID:vNmXtXxK.net
武田氏とひそかに通じた、という話は、あの明智光秀でさえ「甲陽軍鑑」でネタにされているので、当時としては定番のスキャンダルだったのかも
なにしろ相手が滅んじゃってて確認のしようがないし
光秀の話なんて、穴山梅雪に武田氏への密通をバラされるのを恐れて本能寺の変を起こした、とか、関係者がみんな死んじゃったのをいいことに
言いたい放題

141 :人間七七四年:2020/02/25(火) 05:13:24.36 ID:ydv4cnIc.net
江戸以降の編纂物では 確証はないけど佐久間の讒言 となってる
これ自体も怪しいけど、本当に讒言があったにせよ決めたのは信長で、
信康事件を見るに信長も水野を家康に無断で処断するのはありえない
必然的に信長と家康と佐久間の間で何らかの合意があったのは確実

142 :人間七七四年:2020/02/25(火) 08:55:01.00 ID:O3g1RK8d.net
信康とかと違って水野信元逃がされて生存伝説って聞いたことないな
それとも地元では何かあるのかな

143 :人間七七四年:2020/02/25(火) 14:11:40 ID:8e/Jbv8n.net
同情される要素が(若くして殺されるとか)ないんで・・・

144 :人間七七四年:2020/02/25(火) 14:15:10 ID:YgZvsA88.net
そもそも結果的にだけど、水野信元殺された後の方が水野家は繁栄するわけだしな。

145 :人間七七四年:2020/02/25(火) 17:53:36 ID:EJy9DH9V.net
>>142
岡崎市民だが、何にもない
むしろ忘れ去られてる
首塚のある神社すら忘れ去られてる

146 :人間七七四年:2020/02/25(火) 18:38:13 ID:ryaqK3Jh.net
>>138
後世の人は甲州征伐の顛末を知ってるけど当時の武将からしたら依然として脅威には違いないかと

147 :人間七七四年:2020/02/25(火) 23:09:24.21 ID:FhO6sLwP.net
水野は信長、家康の両英傑に挟まれて影薄いわな

水野処分に繋がる佐久間の讒言の内容は
秋山の岩村城への内通と兵糧入れ
信康処分は比較的古い史料では家康からの信長に
許可を求めての処分で罪状は謀反とだけ

徳姫の讒言で内容は武田への内通というのは
三河物語だがそんな内部事情が手に入る理由も希薄で
3年前の水野処分に影響された創作か当時の噂を
書き残したと考えた方が妥当な気はする

148 :人間七七四年:2020/02/27(木) 08:01:22.46 ID:FpRz9M6C.net
>>143-145
142だけどサンキュー
地元のバックアップのない戦国武将はツラいな
孫との落差がヒドいわ

149 :人間七七四年:2020/02/29(土) 22:13:58.59 ID:AiXZw3PM.net
創作と言えば家康が今川に人質に送られる途中、戸田に金で織田へ売られた話ここ最近の説じゃ創作らしいけど
創作したのはやはり大久保彦左かな?
仮にそうだとしたらそんな創作する程、戸田家に悪意を持つ理由が彦左にあったのかな?

150 :人間七七四年:2020/03/01(日) 15:22:32.37 ID:UbaTShX9.net
或いは都合が良かったかってもあるのでは?
こいつなら悪役にしても大丈夫みたいな

151 :人間七七四年:2020/03/02(月) 10:04:39.69 ID:li4pF9rp.net
戸田康光が直後に嫡男ともども敗死して没落しちゃったのは
悪役にされた理由の一つとしてあるだろうね

152 :人間七七四年:2020/03/02(月) 17:37:26 ID:TmCwFvKt.net
織田に岡崎城が攻め落とされて降伏の人質として竹千代を出したのが事実ならそんなことを書きたくなかったのかもな

153 :人間七七四年:2020/03/02(月) 17:45:05 ID:TmCwFvKt.net
あと戸田康光の次男や弟の家系は後に大名に取り立てられている
神君を誘拐した大罪人の家に縁戚とはいえそんな厚遇をするのかね

154 :人間七七四年:2020/03/02(月) 19:32:15.55 ID:KUlnzDLg.net
松平氏・戸田氏が今川と織田に挟まれて二重外交をしてた
ってことかなんじゃないかな

織田に攻められて苦境に立ったから戸田介して
竹千代人質に差し出して和睦
リアルタイムではそれが記録されてた

今川向けの説明は「戸田にしてやられて竹千代は織田に
人質として取られたけど今川に味方しますよ」
で、それが最終的に竹千代が今川方で成人したことで
公式見解になり従来説として残った

155 :人間七七四年:2020/03/02(月) 19:37:37.58 ID:rLJvXCKW.net
竹千代が売られた話って三河物語が初出?
それともそれより前に書いた史料があるの?

156 :人間七七四年:2020/03/02(月) 20:09:47 ID:H0TlzflY.net
竹千代が普通に織田への人質なら広忠が今川に寝返った時点で竹千代殺されないとおかしくない?
そもそも人質ってそのためにいるんだし
まあ外交カードとしての利用価値を考えたのかも知れんけど殺した方が相手にダメージあるじゃん

157 :人間七七四年:2020/03/02(月) 20:50:26.09 ID:4H5gRwvY.net
根も葉もない創作なら、戸田家がそれこそ必死に否定すると思うんだけど、そういう動きがあったのかねぇ

158 :人間七七四年:2020/03/02(月) 21:01:09.44 ID:DuF1mwVK.net
その点は結構微妙

天文16年竹千代織田の人質に、岡崎落城?
天文17年小豆坂の戦い(第二次)
天文18年広忠病死、竹千代今川の人質に

という流れ
小豆坂の戦いはこれまで織田が今川方の松平を攻め
今川の援軍に撃退された戦とされてきた

ところがその前年に岡崎陥落という文書が出て
松平岡崎が攻め落とされたから今川が奪回しにきて
織田の援軍が撃退されたという解釈になった

織田から見た竹千代の扱いは戸田の裏切りで
偶然手に入った人質ではなく落城によって得た人質
と変わる
翌年広忠が今川方に復したのは織田の救援失敗のため
ということになる

159 :人間七七四年:2020/03/02(月) 22:13:18 ID:U6Tjntw0.net
分からない以上は迂闊に断定すべきじゃなさそうだし
研究家はこの辺りどう扱ってるんかな

160 :人間七七四年:2020/03/03(火) 08:36:21.10 ID:Xf3NQ4XZ.net
実際岡崎落城を伝える文書に対して専門家も
意見が割れてるようだね

従来説通り広忠を基本今川方として
落城して一時織田方に着いたが
翌年すぐ復帰したという見方と

戸田と独立を策して今川が戸田を織田が松平を
それぞれ攻める曲面があったとする見方と

161 :人間七七四年:2020/03/03(火) 10:46:17.48 ID:kGMqNyH7.net
「戸田に売られた」って話は
信秀が竹千代がいるから織田につけという勧誘をしてくるも、
天晴れ広忠は多年の旧好があるからあくまで今川に尽くすと拒否、
その義心に信秀も義元も感心した

って話とセットだから
仮に独立を図って織田に降伏したのが事実だとしても
徳川家の公式見解が「あくまで今川に尽くした」が「戸田に謀られた」である以上
江戸時代に戸田家が否定するのは勇気がいる

162 :人間七七四年:2020/03/03(火) 19:33:49.06 ID:g5swyh1+.net
「売られた」話は三河物語にしろ松平記にしろ
広忠当時に生まれてない人が書いたことで
松平、戸田の中枢にいた家系でもない

三河者の間にそういう風聞(陰口)があったって
いう程度なんじゃないかな

163 :人間七七四年:2020/03/03(火) 19:41:28.35 ID:LPdSoi/a.net
影武者が自分は幼いころ売られたって語ったのに尾ひれが付いて本物の話にされたとか
本当に影武者がいたのならだが

164 :人間七七四年:2020/03/03(火) 21:10:50 ID:laQstKEL.net
家康願人坊主説ってのもあったぐらいだしね。
それと小豆坂も本当に二回あったか、という疑問も
あるし、案外わかってない信長上洛前。

165 :人間七七四年:2020/03/05(木) 10:40:02 ID:CHigvBQl.net
広忠なんかも刺客に襲撃されたにせよ病死だったのが
地元三河の伝承史料だと話が盛られて殺害になったみたいな話もあったな
相当早い段階で人質として売り払われたって風聞が発生して
徳川家も都合がいいから積極的に採用したとも取れるね

166 :人間七七四年:2020/03/05(木) 14:12:52 ID:kPnsgWsM.net
>>163
それ逆

晩年の家康が「子供の頃売られた話」をした
という話が駿府政事録という本にある
それを元に明治時代に影武者説を展開する本が出た

駿府政事録自体は史料としてそれなり信頼されてるが
普通に考えたら戸田康光に売られたとされる事件を
書いたものと解釈するのが普通

そこを捻って最近まで神君とされた家康の出自が
粉飾されたもので卑しいものだったという
センセーショナルな話を創作した訳だ

という訳で織田への人質入りを「売られた結果」
とする見解は戦国末期の家臣団の間で
そこそこポピュラーだったと思われる

167 :人間七七四年:2020/03/06(金) 12:19:49.71 ID:VISAfdJk.net
>>109
加藤清正が具志堅用高みたいな漫画との関連は

168 :人間七七四年:2020/03/10(火) 20:26:53.74 ID:eZ7fzUeR.net
例の、明治時代に日本軍の参謀が、関ヶ原の役の布陣図をドイツの軍人に見せたら、即座に「西軍の勝ち」と答えたという話、
もはや、史実かどうかどころか出どころさえ不明となってしまってるが、あの話の出どころ、ひょっとしてラジオからなのかも、
と思えるようになってきた
いや、単なる思い付きでしかないが

「いだてん」のストーリーブックで初めて知ったが、戦前のそれも初期の頃のオリンピック中継は、生中継ができなかったので、
「再現実況」みたいなことをしてた、というのはドラマの通りだが、その手法を生かして、戦国時代の有名な合戦を実況中継をする、
という番組を作って、好評だったんだとか
ひょっとして、そういう感じで広まった話なんじゃなかろうか
あの話を紹介した、今のところ文献上で一番最初と思われる海音寺潮五郎の文章でも、誰からとは書いてないが「聞いた話では」と、
断ったうえで紹介してるし

169 :人間七七四年:2020/03/10(火) 20:55:43.84 ID:55VQdY51.net
あの布陣図だけ見せられれば誰でも西軍の勝ちだと言うだろうから
史実でも創作でもどうでもいい話やな

170 :人間七七四年:2020/03/10(火) 20:58:42.75 ID:U79o0d6K.net
>>168
へぇ面白い
「おおっと! 黒田長政隊が島左近隊に突っ込んでいったぁ!」みたいな?w
今もできそう

171 :人間七七四年:2020/03/10(火) 21:58:36 ID:DXn9xH9T.net
>>169
どうでもよくない
事実のように語る人が後をたたないのを何とかしたい

172 :人間七七四年:2020/03/10(火) 22:09:47 ID:55VQdY51.net
どうでもいいよ
問題なのはその布陣図が後世の作り物だってことだよ

173 :人間七七四年:2020/03/11(水) 01:06:48.58 ID:CQeiB5sk.net
そういう問題でもないな。参謀本部の合戦図は正確ではないとしても大枠では変わらんよね

174 :人間七七四年:2020/03/11(水) 06:06:43.92 ID:N85MBXej.net
大筋で間違っている。

175 :人間七七四年:2020/03/11(水) 11:52:16 ID:gB3fVOHk.net
>>172
どうでもよくない
間違った認識が広まっているのは問題
君が言っている通り後世の作り物なんだから

176 :人間七七四年:2020/03/11(水) 15:14:07 ID:ZqcoMl33.net
後世の歴史家や歴オタたちが、あたかもあの布陣で戦ったと思い込んでるのやばいだろ
取り返しのつかなくなるまえに、事実じゃ無いのはきっちりしとくべき

177 :人間七七四年:2020/03/11(水) 15:26:24 ID:gB3fVOHk.net
すまん、そもそも布陣が違うのか?
どっちが勝つとかいう話じゃなくて

本当はどういう布陣だったんだ?

178 :人間七七四年:2020/03/11(水) 16:49:48 ID:y3dxDsQE.net
諸説多い。
白峰説が最新かな。

179 :人間七七四年:2020/03/11(水) 17:34:51 ID:N85MBXej.net
>>177
石田三成が笹尾山に布陣していない
徳川家康も関が原にいない

180 :人間七七四年:2020/03/11(水) 18:06:45.46 ID:+hlYSKfP.net
最近は開始即小早川が裏切って西軍は瞬殺だったって説があるじゃん
いくら天下分け目の大合戦とはいえ敗走した西軍が近くの城に集結するわけでもなく木端微塵になるのは通説では異常だわな
もし通説状況で小早川が裏切らずに東軍が敗走したとしても清須城あたりに集結するわな

181 :人間七七四年:2020/03/11(水) 18:08:35.31 ID:ZqcoMl33.net
長篠の戦いみたいな決戦じゃなくて天目山の戦いみたいな最後の抵抗に過ぎないとしたら納得いくわな。

182 :人間七七四年:2020/03/11(水) 19:40:41.03 ID:AzaHxbhO.net
>>169
いやいや、スレタイがそもそも「実は創作だった通説・俗説」で、ドイツの軍人が云々という「通説」が、
実は「創作」だったかもしれない、という話なんだから、どうでもいいわけないでしょ

>>177
実は、両軍の布陣もどんな戦いだったのかも分かっていないそうな
当時の一次史料で、いわゆる「関ヶ原エリア」ではなくその西側の「山中エリア(やまなかエリア)」だったかな、
で井伊軍や福島軍が西軍と激突して、島左近とかが討ち死にしたとか、そのとき同時に小早川軍や
脇坂軍らが東軍に寝返った、とかが確認できるくらいらしい
現在お馴染の関ヶ原の戦いの経緯と布陣図は明治時代に参謀本部が編纂した日本戦史「関ヶ原の役」による
ものみたいだけど、経緯は軍記物を参考にしたらしいが、参謀本部が何を元に布陣図を作成したかは不明なんだとか

内容は知らないけど、太田牛一が「関ヶ原軍記」とかいう記録も書いているそうなので、いずれにしても全体として
関ヶ原で戦いがあったんだろうけど

183 :人間七七四年:2020/03/11(水) 21:58:09 ID:GSVXddVj.net
「通説扱いの布陣図に誤りがある」のと
「布陣図を見たドイツ軍人の発言が創作」なのかは
また別の話だわな

前者については作成者の意図はわからないものの
史料と照らし合わせて誤りがあるのは確実
後者については出典がはっきりしないので
なんとも言えない

184 :人間七七四年:2020/03/11(水) 22:40:26.92 ID:CQeiB5sk.net
合戦図が正確ではないなんて今更なことを偉そうに言いたいだけだろ

185 :人間七七四年:2020/03/11(水) 22:43:28.97 ID:Hliwvj4c.net
と、知らなかったやつが悔し紛れに書いております。

186 :人間七七四年:2020/03/11(水) 22:57:03.97 ID:CQeiB5sk.net
刺さったん?

187 :人間七七四年:2020/03/11(水) 23:33:51.67 ID:w2w4eI+J.net
まあなんにせよ明治時代の逸話なんてどうでもいいじゃん

188 :人間七七四年:2020/03/12(木) 00:37:40 ID:++D41a1P.net
うっさいハゲ

189 :人間七七四年:2020/03/12(木) 00:51:08 ID:U3ndZPma.net
うっさくないわ
ドイツの軍人が事実だったとしてそれで誰かの何かの評価が変わるわけでもないじゃん

190 :人間七七四年:2020/03/12(木) 10:55:48 ID:L/DZ/KPX.net
秀忠の遅参の理由も創作みたいなものだよね
もともと信濃制圧が目的だったうえに大雨で使者の到着が遅れたのが理由だから
秀忠の真田嫌いのキャラ付けも本当かどうか怪しい

191 :人間七七四年:2020/03/12(木) 11:21:16 ID:1FqlKvsr.net
>>187
どうでもよくない
事実かどうか気にするのがこのスレ

192 :人間七七四年:2020/03/12(木) 20:08:16.37 ID:FQIMNS7i.net
ソース元すら確定できないので事実かどうか分からない。が、答やね

193 :人間七七四年:2020/03/13(金) 14:47:18.34 ID:lfjrNPVU.net
メッケルの話は司馬遼太郎の創作と聞いたが
司馬がどこからその話を仕入れたかが不明だとか

194 :人間七七四年:2020/03/13(金) 15:28:07.79 ID:kCgVnNVE.net
>>193
創作っていうのは普通、脳内から
考え出すものなんじゃないかな

195 :人間七七四年:2020/03/13(金) 15:36:52.84 ID:lfjrNPVU.net
>>194
そうそう司馬が出典を明かさなかったし裏付けが全く取れないのでメッケルを使った司馬の創作なんじゃねえのかって話

196 :人間七七四年:2020/03/13(金) 20:30:34 ID:G4ByZ3Zk.net
海音寺潮五郎の武将列伝の方が先だから司馬の創作ではないでしょ
武将列伝を読んだ司馬が膨らませたか、今は知られていない共通の元ネタがあって二人ともそこから引っ張ってきたかのどちらか

197 :人間七七四年:2020/03/13(金) 20:40:34 ID:dLeneHZ3.net
https://togetter.com/li/1149748

198 :人間七七四年:2020/03/13(金) 22:42:09 ID:kCgVnNVE.net
メッケルの話は司馬の創作
その布陣図も間違い
ようやく結論が出たな

199 :人間七七四年:2020/03/13(金) 22:46:46 ID:bhFZTmX7.net
>メッケルの話は司馬の創作

この根拠は?

200 :人間七七四年:2020/03/14(土) 03:08:47 ID:R5qZZppH.net
証拠を言え

201 :人間七七四年:2020/03/14(土) 08:52:37 ID:ZSeeQOPB.net
>>197
なるほどおもしろい

軍事関係者の間で雑談レベルで流布してるうちに改変され
それを自作に導入したのが海音寺、司馬
というのはなんとなく説得力があるな

202 :人間七七四年:2020/03/14(土) 14:43:28 ID:rg41bAF1.net
以前から疑問に思ってることなんだが、前野小右衛門長泰の履歴って、よくドラマとかで描かれる中で、
どっからどこまでが史実で、どの部分あたりが「武功夜話」からのものなんだろう
「寛政重修諸家譜」だと、秀吉の家臣で但馬守だったこととか「但馬国出石」の城主だったとかは書いてあるけど、
それ以外のことは書かれてない
あと、大河ドラマ「軍師官兵衛」の頃だったかに買った解説本に、伏見城だかどこだったか黒田官兵衛と一緒に城割を担当した
という文書が残っている、みたいに書いてあったことも覚えてる

豊臣秀次の家老になって聚楽第で政務を執ってたとか、秀次事件に連座して嫡男と一緒に切腹した、とかいうのは本当なのかな
大河ドラマの「功名が辻」でも秀次と一緒に切腹したんだっけ?
あと、嫡男の景定の夫人は、細川ガラシャの娘だったとか、ちょっと諸々濃すぎてほんとなのかと疑いたくなってしまう

203 :人間七七四年:2020/03/14(土) 15:48:46 ID:ZSeeQOPB.net
大こうさまくんきのうちで連座(殉死?)して後日切腹した中に名前がある
秀次事件当時の家老なのは確実だが高野山について行った訳ではないね
同じように名前が列挙された6人のうち最後に記されてるから家老の筆頭格でもないのかな

204 :人間七七四年:2020/03/14(土) 15:56:25 ID:rg41bAF1.net
>>203
ありがとう
そこは創作じゃないのか
なんか、解説本とかでもほとんど「武功夜話」からの引用っぽい書き方されてるので
どこからどこまで本当なのかと

205 :人間七七四年:2020/03/14(土) 16:01:35 ID:3B7eiIu2.net
>>199
ソースも何もない話が司馬の小説に書かれてただけなら、
そうなんじゃね

206 :人間七七四年:2020/03/14(土) 17:17:54 ID:p18/bqoY.net
関ケ原の展開が大嘘だとしたら大坂の陣とかも実際は全然違うのかな

207 :人間七七四年:2020/03/15(日) 22:13:44 ID:5SIHdAJN.net
>>206
数年前に出た徳間文庫の、旧参謀本部編纂の「関ヶ原の役」と「大阪の役」
「関ヶ原の役」は、日付やら文書やらを引いて詳細な描写により、ドキュメンタリー風な展開で、本当っぽかったけど、
「大阪の役」の方は、読んでて明らかに軍記物が元ネタだろうって分かるくらい、小説みたいだった
どっちも面白かったけどね

208 :人間七七四年:2020/03/20(金) 07:43:45.55 ID:hND/rZkt.net
大坂の陣というか豊臣関連だと、加藤清正とか創作で得しているよな
実際は徳川べったりなのに

209 :人間七七四年:2020/04/02(木) 12:23:25 ID:0DAepX0l.net
良すれ

210 :人間七七四年:2020/04/02(木) 13:04:39.94 ID:W224jZYN.net
保守

211 :人間七七四年:2020/04/02(木) 15:32:12 ID:+d2nJ9u+.net
小早川が裏切り者呼ばわりされたのは早世・無死断絶されたのが大きいのかな
賤ヶ岳で裏切りかました利家がほとんど言われないのは自身の大成と幕末まで外様最大だった加賀百万石の威光かね

212 :人間七七四年:2020/04/02(木) 19:47:39 ID:/rWu8iT5.net
宮本武蔵が関ヶ原では西軍の宇喜多、大坂の陣では豊臣方と敗軍方に付いていたと言う逸話は
いつ頃出来たのかな。あと貧乏そうなイメージとか
実際は関ヶ原では東軍の黒田、大坂の陣では水野勝成と勝った側に付いてたみたいだし
お金にもそんな困ってなかったみたいだけど

213 :人間七七四年:2020/04/02(木) 20:41:09.22 ID:DT1QufI5.net
ぶっちゃけ吉川英治じゃない?

宮本武蔵を足軽の「たけぞう」として関ヶ原で
敗残兵として追われてる物語を始めた
「作州浪人」という名乗りもするので当時美作を治めた
宇喜多家中と比定してると思われる

ただし記憶の範囲では吉川英治は大阪の陣について
書いてなかった気がするのでそれは別だと思う

214 :人間七七四年:2020/04/10(金) 21:54:28 ID:WgOQWrdb.net
保守

215 :人間七七四年:2020/04/13(月) 19:57:52 ID:N4e6PatR.net
真田信繁の幸村や織田信勝の信行、伊勢盛時の長氏など
他にも有ると思うけど、こう言った史実と異なる諱の元ネタってなんなんだろうか?

216 :人間七七四年:2020/04/14(火) 00:00:13 ID:uOqvUJp8.net
それぞれ一次史料にあったりするから
混乱するんだよね。江戸期の草子類で
広まったというのもあるだろうし。

217 :人間七七四年:2020/04/14(火) 09:43:00 ID:wKITc2tn.net
一次史料にあるのは幸村、信行、盛時だろ
幸村は江戸期の軍記物、信行は系図が初出というね

218 :人間七七四年:2020/04/14(火) 09:44:06 ID:wKITc2tn.net
すまん嘘書いた

一次史料にあるのは信繁、信勝、盛時です
幸村、信行は後世の編纂物

219 :人間七七四年:2020/04/14(火) 12:27:15 ID:q+NnAgsJ.net
その編纂物の元ネタは何かってことだな

220 :人間七七四年:2020/04/14(火) 12:35:45 ID:6aCbtoz1.net
>>219
元ネタなんてあるのかね
司馬遼太郎と同じく脳内ソースじゃないの

221 :人間七七四年:2020/04/14(火) 16:05:01 ID:zARCu7+7.net
昔の人間だって歴史上の人物をもじったオリキャラ作ったりもするだろ
真田幸村は十勇士を従えてたりするからさすがに本名で書くのははばかられたのでは

222 :人間七七四年:2020/04/14(火) 16:29:10 ID:fe5zHOLu.net
斎藤道三を「マムシ」と呼んだ最も古い例は坂口安吾著『信長』(1950年?)
それ以前には見つからないらしい

223 :人間七七四年:2020/04/14(火) 16:41:23 ID:b9Y9nuNL.net
諱って基本的には普段呼びあったりはしない、というかしちゃいけないものなんで
生前広まってんのは通称や受領名、法名の方なんよね
織田信勝なら当時を知る人に取材したはずの信長公記ならあくまで「勘十郎」殿

なので余程の有名人以外は諱は忘れられたりも普通にある
そこに当時の一次史料で公式に出した書状や願文など諱で署名するものがあると
状況と照らし合わせて同一人物とみなせる場合ようやくその人の諱と認定される

そういう史料が手に入らなかったりそもそも大して気にしない編者の場合
曖昧な口伝や推測で書いちゃうってことがある

224 :人間七七四年:2020/04/15(水) 17:55:56 ID:Z7y9HLEZ.net
幸村は名乗った可能性があるとか言っちゃう自称歴史家さんとかいるからなぁ

225 :人間七七四年:2020/04/15(水) 18:26:40.50 ID:o+6NoH36.net
嫡子の名前の幸昌も後世の創作だっけ
実際は大助の

226 :人間七七四年:2020/04/15(水) 19:43:35 ID:flrofTim.net
>>224
そんな奴いるか?

227 :人間七七四年:2020/04/15(水) 20:07:46.48 ID:MKrM8XEr.net
名乗った可能性あるとか言い出したら
ひょっと斎と改名したが記録に残ってないとか、何でも言えてしまう

228 :人間七七四年:2020/04/15(水) 20:28:25 ID:MoPZ2DxB.net
その辺は本気でわからなくなるんだよ

江戸時代に真田本家の松代藩まで系図で
「幸村」を採用しちゃってる話はおもしろい


Wikipediaで恐縮だが

>文化6年(1809年)、徳川幕府の大目付から
「幸村」名についての問い合わせを受けた松代藩・真田家は、
「当家では、『信繁』と把握している。『幸村』名は、
彼が大坂入城後に名乗ったもの」
との主旨で回答している。

229 :人間七七四年:2020/04/15(水) 20:34:26 ID:NvtJvVmt.net
史料上は死の前日まで、信繁の署名を使ってたことははっきりしてるらしいけど、
ほんとうに当日、死の直前に「幸村」って名前に変える、って言ったのかもしれないね
たまたま、近くにいて運良く生き残った誰かがそう伝えたのかも
それくらい、どっから出てきたんだその名前、ということでしょう

230 :人間七七四年:2020/04/15(水) 21:27:21 ID:MoPZ2DxB.net
「幸」は幸隆、昌幸、信幸と続く通字
「村」は徳川に仇なすと言われた妖刀村正からの連想

という説は非常にもっともらしい

そう名乗った理由としてじゃなくて
軍記物作者が採用した理由としてね

231 :人間七七四年:2020/04/15(水) 21:32:45 ID:Z7y9HLEZ.net
>>226
某言霊怨霊作家さんなんだけどね

232 :人間七七四年:2020/04/15(水) 21:45:54 ID:QXa43FvP.net
初代山本菅助の晴幸並に怪しい諱なら分りやすいんだけどね

233 :人間七七四年:2020/04/15(水) 22:12:10.30 ID:jv7TOCdb.net
そういえば村正が妖刀扱いされ始めるのっていつ頃から?

234 :人間七七四年:2020/04/15(水) 22:13:49.28 ID:MoPZ2DxB.net
幸村ってのもめっちゃわかりやすくね?
わかりやすく格好よいから広まったんだろし

信勝、信成→信行 は初出がどうやら系図類とのことで
崩字の誤読誤伝の気もする

勝 http://codh.rois.ac.jp/char-shape/unicode/U+52DD/
成 http://codh.rois.ac.jp/char-shape/unicode/U+6210/
行 http://codh.rois.ac.jp/char-shape/unicode/U+884C/

苦しいか

235 :人間七七四年:2020/04/15(水) 22:29:08.26 ID:1IPQy4ZX.net
三河物語に清康が千子(村正)の刀で斬られたとある
広忠のもあるかと思ったが気のせいだったか見つからない

わざわざ千子の刀と書くのだから意図がありそうでもあるが
あっさりした書き方だから違うかもしれん

236 :人間七七四年:2020/04/15(水) 23:03:53 ID:EcQk6Odg.net
村正はwikipediaが結構詳しくまとめてある

237 :人間七七四年:2020/04/15(水) 23:38:04 ID:jv7TOCdb.net
>>236
おお、ウィキペディアに珍しく村正の項目はがっつり出典がかなり細かめに載ってるんですね
ありがとうございます

238 :人間七七四年:2020/04/16(木) 14:09:42.06 ID:yYVDxTt7.net
幸村と村正、両方関係

桃源遺事 53

一、西山公御はなしの次に仰られ候は、真田佐衛門佐信仍[割注:幸村と云うは誤りなり]は、
  東照宮へ御敵対仕候はじめより、千手村正の大小を、常に身にはなさず指候よし、
  其故は村正の道具は、当家へたゝり候と申説を、信仍聞候て、当家調伏の心にての事なり、
  士たる者は、平生かやうの事にも、忠義を含み、真田がごとく心をつくし候事、尤に思召候、
  
信仍(ルビだと のぶたか )これも由来不明の諱

239 :人間七七四年:2020/04/17(金) 18:31:23 ID:lPZmsRbc.net
信繁の繁の字の下が見えなくて仍と読み違えられたって話を聞いたことがあったような

240 :人間七七四年:2020/04/18(土) 20:18:58 ID:R+1MPsO/.net
山崎の合戰に関して秀吉軍が主力で勝ったというのは創作で
信孝軍が実際は主力だったと言うのをネットで見たがどうなんだろうか
ちなみに秀吉軍は強行軍のため大して役に立てなかったらしい

241 :人間七七四年:2020/04/18(土) 20:30:33 ID:gJo8hobo.net
もしそうだとしても主力の猿の大軍が控えているから信孝如きでも明智軍を倒せんたんだろ
でもその後の流れが信孝がそんなに頑張ったならもっと推されて良かったと思うが

242 :人間七七四年:2020/04/18(土) 20:35:19 ID:dYVfPYPU.net
その説はフロイスの記述をどこまで信じるかだな

243 :人間七七四年:2020/04/18(土) 23:10:52 ID:rvvktvPC.net
フロイスは信孝軍じゃなく摂津衆
キリシタンの高山の活躍を喧伝したいというバイアスはある

244 :人間七七四年:2020/04/19(日) 12:02:10 ID:N0Za9ne3.net
小田原の陣は北条家臣の猪俣が主家に命じられて真田家臣の鈴木を攻めて開戦されたとされてるが、当時の家康や真田信幸の書状や北条の慌てたような反応からして猪俣あるいは鈴木が前述の三者以外に陥れられた感じっぽい

245 :人間七七四年:2020/04/19(日) 12:47:31 ID:ASEOFbZ/.net
>>244
真田太平記の秀吉か

246 :人間七七四年:2020/04/19(日) 18:33:45 ID:JZV9OthG.net
>>242,243
でも、戦いの経緯自体は、当時の日記や軍記物の記述でも、おおむねフロイスの記述通りらしいけど
日記の記述では、戦い自体はすぐに終わってしまったととれるらしいので、合戦の内容は創作が色々混じってるのかもしれないが

247 :人間七七四年:2020/04/19(日) 18:50:56 ID:m/gHqPGA.net
ちょっと何言ってるかわからないな
フロイスの記述と誰の日記とどの軍記物を比較してんの?

248 :人間七七四年:2020/04/19(日) 19:25:41 ID:tQ7CW1Ft.net
中央の街道沿いは高山中川ら、南側は池田と秀吉旗本、山側は秀長黒田らが進んでそれぞれ切り崩した(秀吉書状)

秀吉軍は1万に満たなかったが信孝、長秀、堀、摂津勢が加わった。弔い合戦なので士気は高かった
これを三軍に分け街道、川の手、山の手、から一斉に攻めて追い崩した(惟任退治記)

ジェスト(高山右近)は街道、中山は山側、池田は川沿いを進んだ
ジェストは明智軍が山崎の門を叩いたため我慢しきれず1000にみたない兵で切り込んだ
彼らはキリシタンはゼウスの加護があるので損害無しで光秀軍をボコって瞬時に高名な者の首を200取った
その後に池田と中川が到着すると光秀軍は逃げ出した。秀吉軍は疲れていて間に合わなかった。大軍がまだ控えているので光秀軍士気を挫いた。
デウスの御加護で勝った。ジュストはもっとも尊敬される武将になった。ジュストがキリシタンだから勝てたと信孝が褒めた。
(フロイス日本年報)

249 :人間七七四年:2020/04/19(日) 19:36:12 ID:tQ7CW1Ft.net
まぁ先鋒を3手に分けたこと先鋒だけで勝って秀吉本隊は参加してないなど概ね布陣は一緒。太閤記などの軍記もだいたい同じ
質問の焦点は秀吉本隊の不参加の理由が先鋒だけで勝ったので出番がなかったのか疲れて役立たずだったか
秀吉軍先鋒すら参加してなかったのかというあたりだろうけど
正直上司に虚言癖があると評されたフロイスのこの宗教バイアスバリバリの文章を信じれる人がいるのだろうか

250 :人間七七四年:2020/04/19(日) 19:55:30 ID:M/qQmt7A.net
秀吉の兵の大半は姫路に置いてきたって話があるけど
その根拠となる史料はあるのかねぇ?

251 :人間七七四年:2020/04/19(日) 20:25:17.16 ID:m/gHqPGA.net
いやいや3手に分けたのはおなじだけど
それで後世の軍記物で天王山なんかが創作なのはわかる

でも秀吉書状は摂津衆、秀吉旗本、秀吉配下で分けて
惟任退治記はどう分けたかには触れず
3手が同時に攻めて敵を崩したとする

対してフロイスは摂津衆だけで3手に分かれ
高山が一手で大活躍し摂津衆が援軍に来て決着

惟任退治記は大村由己が秀吉に近侍して書いたもので
豊臣政権の公式見解に近いものなので秀吉の見解は
戦直後の手紙とその後の記録でそう変わらない

フロイスの記述の違いが何故生まれたのかは
鵜呑みにする前に考える必要がある

>>248
ありがと!話がわかりやすい

>>250
単純に大村由己の1万弱が正し意図した場合
備中高松攻めの3万を大半残したことになる
ってこじゃない?

姫路に残したか宇喜多領で毛利に備えたかわからないけど

252 :人間七七四年:2020/04/20(月) 10:09:48.27 ID:5Lx5NMbe.net
>>240
それは史実でいいんじゃない。
昔からそういわれてるし。

253 :人間七七四年:2020/04/20(月) 12:25:13.38 ID:yWF+3Bi2.net
対毛利での軍はともかく、秀吉を始めとする指揮官クラスは現地で指示くらい出せたからその時の立ち回りが後に影響するくらい評価されたんじゃなかろうか

254 :人間七七四年:2020/04/20(月) 12:39:15 ID:5Lx5NMbe.net
>>250
史料と言うか、姫路を守る兵もいるし
高松から帰ったばっかりの兵は少しは
休ませないといけないし、先発秀吉と同行した
兵がそんなに秀吉軍すべてではない
という感じやね。

255 :人間七七四年:2020/04/20(月) 15:16:36 ID:fUoCRoRR.net
惟任退治記に1万無かったと書いてるのは知らなかった
それを基にすると国元に半分以上残してる計算になる

一般に秀吉軍2万以上とするのはのちの太閤記等の
記述による筈だが今更天王山の戦いを事実としない訳で
兵力についても基になった先行する大村由己の記述を
無視する理由はないように思える

256 :人間七七四年:2020/04/20(月) 20:07:25 ID:PiYGTE1W.net
毛利攻め3まんこの内宇喜多勢が1万ぐらい入っていてそれは丸々置いてきたし、部隊によっては高速進軍に着いていけないのも結構いたんじゃないかな
姫路に万近くを置いて来たならそれなりの守将と与力が必要だったと思うけどな

257 :人間七七四年:2020/04/20(月) 20:09:57 ID:PiYGTE1W.net
まんこ→万 (¯―¯٥)

スマホの変換がおかしいんだよな

258 :人間七七四年:2020/04/20(月) 20:13:59 ID:1Qohyt7e.net
スマホ 「日頃の使用頻度に基づき優先変換シマスタ」

259 :人間七七四年:2020/04/20(月) 20:15:02 ID:/QgOVNdy.net
スマホ君は正直だなー

260 :人間七七四年:2020/04/21(火) 12:10:40.03 ID:jMEIm1tV.net
これは伝説になる悪寒

261 :人間七七四年:2020/04/23(木) 19:26:59 ID:T3WTJeBe.net
家康が鯛の天ぷらの食あたりで死んだって俗説は
誰が創作していつ頃広まったんだろうか
当時の人がそう認識してたら、茶屋四郎次郎とか
ただじゃ済まないと思うけど、御用商人続けているし

262 :人間七七四年:2020/04/23(木) 21:15:34 ID:YvGG9/w2.net
鯛の天ぷらは俗説

実際は鯛を揚げてニラ(ニンニクの可能性あり)をかけたもの
揚げる時に衣をつけたという記録はない

出典は徳川実紀なので幕府の公式見解
ただし食したのは死の数ヶ月前で夜に腹痛を起こしたが
食当たりが死因とは考えられない
また茶屋四郎二郎は料理法を教えただけ

263 :人間七七四年:2020/04/23(木) 22:29:17.10 ID:g1WBpdjv.net
>>261
それ、今でも日本人の大半が信じてると思う
ほとんどの人はそこまで史実に詳しくないし

264 :人間七七四年:2020/04/23(木) 22:45:45 ID:gVqh7Vec.net
>>263
アスペみたいなこと言うと、大半の日本人は老衰かなんかだと思っていると思う
「鯛の天ぷらで死んだ」ということまで言える人は割と少ないんじゃないか

265 :人間七七四年:2020/04/23(木) 22:53:00 ID:kXPsAvTb.net
一番知名度を得そうなドラマとかでも明らかに鯛のせいで死んだとは描かれてないしな

266 :人間七七四年:2020/04/23(木) 23:06:50 ID:RLOzJhC0.net
食当たりで死んだのは俗説だが
鯛の揚げ物食べた後腹壊して伏せって
その後死んだのは公式記録

267 :人間七七四年:2020/04/24(金) 01:35:56 ID:Ge2xSQYm.net
≫266
食当たりで死んだのは俗説だが
鯛の揚げ物食べた後腹壊して伏せって
その(4か月)後
死んだのは公式記録

268 :人間七七四年:2020/04/24(金) 15:09:30 ID:lBnZaLev.net
>>262
最近は胃ガン説が多いようだ

269 :人間七七四年:2020/04/24(金) 15:20:59 ID:FAijYLAj.net
現代医学の人間が直接検死したわけでもないし
わからないものはわからないにしとくのが正解なんだろう
変に断定しようとすればするほど主観でしかなくなるし

270 :人間七七四年:2020/04/24(金) 17:33:57 ID:LCk9vBAC.net
食べて死ぬまで時間がかかってるから
食中毒や食べ過ぎではないね

>>267
揚げ物食べたのは元和2年正月
死んだの4月だから3ヶ月後だね

271 :人間七七四年:2020/04/24(金) 18:38:04 ID:4EdOaEr0.net
どの出版社のだったのかまでは覚えていないけど、子供の頃読んだ学習日本の歴史マンガで採用されていたな、鯛の天ぷらが原因で死ぬ話

272 :人間七七四年:2020/04/24(金) 20:39:03 ID:4t6MbMwC.net
揚げ方は当時は3種類あった。
衣をつけた記録はないが、一番贅沢な揚げ方
だから、タイのテンプラで死んだ、というのはそんな俗説でも
ないだろう。

273 :人間七七四年:2020/04/25(土) 17:06:06 ID:GQqNIpEp.net
鯛の天ぷらなんか食ったら現代でも死ぬわ

274 :人間七七四年:2020/04/25(土) 18:32:26 ID:qBgTnppx.net
まじかじゃあ俺死ぬんか

275 :人間七七四年:2020/04/26(日) 08:47:40 ID:jfYnLLxU.net
戦国武将の死因に関する創作なら、暗殺説が多種多様だな
やっぱり毒殺説が一番多いのかな?

276 :人間七七四年:2020/04/30(木) 04:22:38 ID:uFsAZvOe.net
家康と言えば堺に家康の墓があるのは、通説でもないけど家康影武者説の根拠にもなってるよね。隆慶一郎も小説書く前に色々調べたらしいけど、実際のとこどうなの?どれほど荒唐無稽なの?

277 :人間七七四年:2020/04/30(木) 12:42:15 ID:5mLtE7WY.net
1%の可能性もないほど荒唐無稽だよ

278 :人間七七四年:2020/04/30(木) 13:32:13 ID:0IbAXjBj.net
あの墓なんなんだろうなぁ
神君伝説人気にあやかりたくて菩提を弔う形で出来たのか
家康この地でしんだ事にしたら面白くね?の精神でふざけたやつが作ったのか

まぁどっちにしろ墓がある=その地でしんだではないんで、荒唐無稽

279 :人間七七四年:2020/04/30(木) 17:00:15 ID:RYkoUMVm.net
墓自体の来歴ははっきりしてて昭和のもの

南宗寺史の記述は幸村の突撃に追われて
前日に死んだはずの後藤又兵衛が槍で突き殺し
焼けてたはずのお堂の下に死骸を隠したと

「太閤のお膝元」を自認する堺の町衆にそういう話を
おもしろがる気分があったという照査だね

280 :人間七七四年:2020/04/30(木) 17:21:53 ID:IPPa5c4x.net
元は東照宮だったとか。
秀忠家光が参詣したとか出てきたから、その頃の寄進か何かが縁になってんのかね

281 :人間七七四年:2020/04/30(木) 18:43:29 ID:0IbAXjBj.net
せめて江戸時代くらいからかと思ったら昭和なんだ

大坂って太閤の恩恵そんなに受けてないというか、下手すりゃ吸われる事のが多いし太閤が大坂にいたの少ない期間だし
発展に寄与したの徳川秀忠とかになると思うんだけど

なんでこんなに太閤好きなんかね

282 :人間七七四年:2020/04/30(木) 20:39:14 ID:q/NDPBbs.net
政治的に支配されてるお上(徳川)への反感とか
経済的に急成長した江戸への対抗意識とか
形になったのが太閤好きだと言うよね

あと江戸時代に家康の墓作るとかは
多分普通に無理だったと思うわ
洒落にならない

283 :人間七七四年:2020/04/30(木) 23:03:10 ID:NeKQhX0T.net
大阪は江戸時代の御当地大名がいない土地だしな

284 :人間七七四年:2020/04/30(木) 23:14:33 ID:NBmVLBmO.net
>>281
最初に大坂の城と街を作ったのが太閤だしな
熊本や上田で清正や真田が人気があるのと同じでは

285 :人間七七四年:2020/04/30(木) 23:15:11 ID:0IbAXjBj.net
はー、なるほどなぁ
オラが地元の殿じゃなく、なんか当世のうさ晴らしに使えるキャラが太閤だったって感じなんすねー
太閤で対抗と

286 :人間七七四年:2020/05/01(金) 01:22:38 ID:XzzSD+zq.net
>最初に大坂の城と街を作ったのが太閤だしな

そう思い込んでる一般人が多いって意味ならともかく、史実ではないな

287 :人間七七四年:2020/05/01(金) 02:13:41 ID:cwnMUbsW.net
大坂は元から栄えてる所に太閤が乗っかったって形っすな
本当に栄えるための素地固めたのは秀忠あたりでしょうなぁ

太閤下水なんて名前の物すら太閤の時代にないっていうね

288 :人間七七四年:2020/05/01(金) 02:40:57 ID:k6q+MPzU.net
便利な場所ってのは大昔から変わらんから遡れば何かしら原型が出てくる。
とはいえ日本で平野に大きな街を作れるようになったのは1600年前後だから、現代に繋がる都市の起点はその頃の城下町になるよね。

289 :人間七七四年:2020/05/01(金) 20:59:44.78 ID:jxzIN72X.net
太閤さんは兵糧攻めの話がエグすぎてどうにも好きになれないわ。味方の被害を抑えるのに最適とはわかるんだがどうにも。

290 :人間七七四年:2020/05/01(金) 21:14:43.57 ID:Xr2NSyQJ.net
三木城降伏後、城兵の命は助けた話は創作ぽくって、実際は皆殺しにしたって説があるね

291 :人間七七四年:2020/05/01(金) 21:22:20.70 ID:09/+fnMm.net
メジャーな話ではないと思うので、ちょっとスレ違いだが、「名将言行録」に明智光春(秀満)のエピソードとして、
本能寺の焼け跡から信長の首をせっかく見つけたのに、「かつて信長が、武田勝頼の首に罵詈雑言を浴びせかけたようなマネを、
主君光秀にさせては、世間の支持が得られない」と判断して、信長の首を隠してしまった、という話が載っていた

明智光春は立派な武士として褒められることが多いと思うけど、学者が挙げる本能寺の変後の光秀の失敗の一つとして、信長の首を
見つけることができず信長の死を世間にアピールできなかった、ということが言われてる今、このエピソードはなかなか皮肉だと思う
一つの創作について、江戸時代の武士階級の美学では良い事でも、後から見ると「余計なマネしやがって」ってことになってしまうという

292 :人間七七四年:2020/05/01(金) 23:55:42 ID:ZSHna9wb.net
林秀貞の処分理由を20年以上前の「信行に味方した事」の
蒸し返しだとするのも一種の俗説なのかな

信長公記には「仔細は先年信長公御迷惑の折節、野心を含み申すの故なり」とあるだけで
同時に処分された顔触れ観ても20年以上前の蒸し返しとは断定できない

Wikipediaの記述で追放後安芸に下向してそこで死んで
今も墓があるというのを観て驚いたんだが確かなんだろうか
謎の墓の話で思い出した

293 :人間七七四年:2020/05/02(土) 01:20:16.01 ID:cKLRcn3s.net
そういえばそもそもどういうポジションだったか分かってないんだよな>林秀貞
「寝返り」狙ったとして、どれほどの身代だったんだろか

294 :人間七七四年:2020/05/03(日) 18:56:36 ID:NRfPEE2D.net
>>279
家康の大坂の陣死亡伝説とは反対に秀頼生存伝説があるけど
なんであんな酒びたりな話なんだろう?
どうせ生存説創るならもう少しマシな話に出来なかったのかな

295 :人間七七四年:2020/05/03(日) 19:19:08 ID:IB/7vxsf.net
秀頼の話に飲んだくれの尾ひれがついたんじゃなくて
飲んだくれの話に秀頼の尾ひれが付いたからじゃないの

296 :人間七七四年:2020/05/03(日) 19:24:23 ID:7iKYqZbB.net
どっちも大坂の陣の落武者にそういう人がいて、後から家康だの秀頼だのに話が膨らんだんだろう

297 :人間七七四年:2020/05/03(日) 19:26:34 ID:dvIQ7Dze.net
豊臣家が残ってるってこと自体にはロマンがあるけど、秀頼自体は成人しての行動が自爆で家潰したしかないレベルの暗君だし
しかもどんだけ美化した上でも成人した大人が幼児の安徳天皇ばりの扱いだし

当時のひと的にも秀頼当主の器にあらずみたいなのは共通認識されてたんじゃね

298 :人間七七四年:2020/05/03(日) 19:57:12 ID:9eFJ54qD.net
でも江戸時代の風潮では家を潰しても母の言いつけには従うのが美徳らしいぞ。
歌舞伎のキャラクター助六は実は仇打ちを狙う曾我兄弟の弟 曾我五郎時致で
暴れん坊なんで母の言いつけで紙子(紙製の着物)を着せられて、絶対にこれを
破ってはなりません、と約束している。そこへ仇が現れたけど着物が破れないように
敵討ちを諦めるという設定になっている。江戸っ子はそれが美徳だと思っていたわけだ。

299 :人間七七四年:2020/05/03(日) 20:09:39 ID:dvIQ7Dze.net
曽我の助六一つでそうとも限らんし
そもそも仇討諦める話と家潰すがイコールなのもわからん

300 :人間七七四年:2020/05/03(日) 23:29:30 ID:/XVEwqFt.net
仇討ちを諦める→家の再興を諦める→家を潰すって理論だと思うけど、江戸時代の風潮がって持論はまったく同意できんな

301 :人間七七四年:2020/05/04(月) 05:58:35 ID:CW27woVu.net
ベッキー「わしが刀で雷を斬ったというのは作り話なんじゃ。がっかりさせてすまんのう

302 :人間七七四年:2020/05/04(月) 08:35:52 ID:KnWjmPIV.net
そもそも助六も最終的に本懐遂げるやんけ

303 :人間七七四年:2020/05/04(月) 14:57:50 ID:E16S0Bdv.net
だいたい都合いいようにアレだってな
三河武士の出自とかもデタラメらしいがw

304 :人間七七四年:2020/05/04(月) 19:26:10 ID:uy+gZ4tf.net
>>298
茶々は人質になることに応じようとしたのに、秀頼が反対して戦になったのだから
母親の言う事に逆らった上に、家潰しているんじゃないのか

305 :人間七七四年:2020/05/04(月) 23:12:55.09 ID:u5i5FCvp.net
え?そうなん?
それも最新の研究の成果()ってやつ?w

306 :人間七七四年:2020/05/04(月) 23:39:45 ID:QnD6anOi.net
だいーぶ前からわかってる研究結果すら最新の()とか言っちゃうの
むしろ無知がばれてしまうから少しはアンテナ立てておいた方がいいと思うよ、本当に

307 :人間七七四年:2020/05/06(水) 15:49:36 ID:ORQSKQ8y.net
家康が最も恐れた男という謳い文句の創作ものはいくつかあるけど、信長が最も恐れた男とか秀吉が最も恐れた男とか言うのは見たことな

308 :人間七七四年:2020/05/06(水) 16:20:45 ID:6Olvuog1.net
権現様は怖がり過ぎだな

309 :人間七七四年:2020/05/06(水) 17:23:59 ID:ulFcD6tT.net
>>307

信長は分からんけど、「秀吉が最も恐れた男」というキャッチコピーは、大河ドラマ「軍師官兵衛」をやってるころ、
黒田官兵衛関連の本で、割と見た気がする

310 :人間七七四年:2020/05/06(水) 17:48:37 ID:sLeug1SW.net
官兵衛も実像とどえらくかけ離れた評価が一般的なのがねー
キャッチーなうたい文句が出てる時点で眉に唾つかなきゃいけないってのを世間の人に求めるのは酷か

311 :人間七七四年:2020/05/06(水) 19:49:38.77 ID:aloPvCsX.net
信長が最も恐れた男も稀によく観るキャッチフレーズ
信玄謙信道三あたり

312 :人間七七四年:2020/05/06(水) 23:55:07 ID:YG3Y5MQw.net
>>308
権現様は、信長・秀吉の最も恐れた男になってることもあるから
差し引きゼロってことで


信長が最も恐れた男  約 1,400,000 件
秀吉が最も恐れた男  約 ....482,000 件
家康が最も恐れた男  約 ....427,000 件

ググル(笑)さんだと信長が一番のビビリ

313 :人間七七四年:2020/05/06(水) 23:57:15 ID:H/10o6z5.net
それは意外

314 :人間七七四年:2020/05/07(木) 02:03:39 ID:9sS5gO1K.net
秀吉が最も恐れた男って信長じゃないのけ?

315 :人間七七四年:2020/05/07(木) 02:18:34 ID:0mKjd9UZ.net
どうだろ、手取川で勝手に帰ったり信長の意に反して宇喜多と和議結んだり、俺は信長ほど甘くないって記述とか
結構舐めてるような気が

316 :人間七七四年:2020/05/07(木) 07:56:22 ID:F2oZ70yU.net
>>312
家康は二人に最も頼りにされている男でもあるしな

317 :人間七七四年:2020/05/07(木) 08:10:47 ID:qu2qJgv7.net
「織田がつき羽柴がこねし天下餅座りしままに食うは徳川」なんていうけど酷い家康への誹謗だわな
信長がつくのも秀吉がこねるのも家康無しではできなかったことなのに

318 :人間七七四年:2020/05/07(木) 15:03:38 ID:J/ShY+in.net
>>317
秀吉の場合は家康がいない方がスムーズだったまであると思うが
まさか北条が東海5カ国を手中にして天下取るとかないだろうし

319 :人間七七四年:2020/05/07(木) 15:49:22.59 ID:iFcBPlbv.net
家康に東北と関東の事丸投げできてるんだからいなきゃままならんよ、秀吉の天下は
秀次の領国経営のサポートまでしてもらってるし

秀吉政権のもう一本の大黒柱よ、家康

320 :人間七七四年:2020/05/08(金) 04:34:57 ID:xpU6lofN.net
軍団長とか言われるクラスは全滅してるしな。
旧臣でその次席あたりの大名だと急に領地が増えたばっかで、さらなる負荷には耐えられんだろうし

321 :人間七七四年:2020/05/08(金) 09:34:35 ID:k8RM481p.net
織田家に仕えた竹中半兵衛が三顧の礼をもって迎えられた秀吉の軍師だったってのも俗説でしょ
秀吉の家来だったという証拠すらない

322 :人間七七四年:2020/05/08(金) 12:28:03 ID:Wu9RcYey.net
半兵衛は秀吉の家来じゃなくて織田家直参で秀吉の与力だったような気がする

323 :人間七七四年:2020/05/08(金) 15:42:26.14 ID:y/ExZMRJ.net
秀吉軍団は本能寺前から家臣化が進んでたとか言われるけど、そういう事にしといたほうがお互い都合が良かったというのはある

324 :人間七七四年:2020/05/08(金) 15:47:48.22 ID:5k6DlU/3.net
秀吉の本当の家臣だった人らは粛清されていくんだよな

325 :人間七七四年:2020/05/08(金) 16:14:47 ID:n+imSxwi.net
半兵衛、官兵衛が張良陳平に例えられていたとか半兵衛が今孔明とか呼ばれたというのも俗説だよね。当時中国古典がそこまで浸透していたか怪しいし

326 :人間七七四年:2020/05/08(金) 16:23:50 ID:UkSAmB4F.net
さすがに中国古典自体は当時のインテリ層の必須教養だから浸透してるんじゃない?
小瀬甫庵とか、そういうたとえよく使ってたはずだし

もちろん実際に彼らがそう例えられたってのは眉唾だと思うけども

327 :人間七七四年:2020/05/08(金) 16:34:34 ID:BV4ho5qZ.net
両兵衛のうち、官兵衛は秀吉の知行宛行状が残ってるから(天正8年)
秀吉家臣化してたのはほぼ間違いない
ただし、小寺家も滅び、秀吉も播磨の領国化を進めていた官兵衛と、
本貫地は秀吉無関係の半兵衛は事情が違いすぎるからなぁ

328 :人間七七四年:2020/05/08(金) 18:08:37.75 ID:uPQGdIjg.net
黒田官兵衛は有岡城幽閉で信長の家臣としては
所領も(秀吉が)接収して完全に失脚してる筈
有岡城陥落後に秀吉が安堵して陪臣になったんだろね

長政を半兵衛が匿ったというのは黒田家公式見解だけど
半兵衛も秀吉も織田直臣と考えると若干趣が変わる

329 :人間七七四年:2020/05/08(金) 20:07:30 ID:lsOFu8r5.net
>>297
愚鈍中の愚鈍だったら、さっさとお家ほっぽりだして、高家として池袋辺りで
慎ましやかに生きて居られたかもしれない。

330 :人間七七四年:2020/05/08(金) 20:09:17 ID:lsOFu8r5.net
>>294
今のコロナだって

PCR検査は抑制していたのか?していたとしたら誰の指示か?
何が原因か?

50年後だって明確に分かりそうにないぜ。あと福島第一原発の対応とかもな…

331 :人間七七四年:2020/05/09(土) 12:39:49.05 ID:lnGsIsnt.net
>>329
秀吉が秀頼の伏見城居住を遺言してたら大阪城は徳川に接収されて山城国の一大名として生き残れたかもな

332 :人間七七四年:2020/05/09(土) 12:43:17.89 ID:z0McEqDK.net
>>328
幽閉以前は小寺家家臣じゃないの
むしろ織田の家臣になったのはその後では
黒田家自体は留守居の父が織田方を貫いたのか城を追い出されて路頭に迷ったとかいう話も聞かないし

333 :人間七七四年:2020/05/09(土) 13:38:04 ID:yzjGW6x9.net
黒田家は官兵衛が幽閉された後当主生死不明で
隠居の父親が復帰して織田方に止まったんじゃなかった?

その時点で織田直臣なのか秀吉配下陪臣かはわからないけど
有岡城開城が天正7年11月なので天正8年に秀吉の宛行があるなら
それ以降は秀吉配下の陪臣で間違いない

334 :人間七七四年:2020/05/11(月) 01:14:08 ID:yoHd+RL8.net
普通に見れば官兵衛は働きに見合った恩賞を貰っているんだよね

335 :人間七七四年:2020/05/11(月) 01:24:16 ID:LbbxIGpC.net
なんちゃら史観というならそれこそウチの家が一番や史観が結構厄介よね
黒田家譜なんかは知ってる人からは盛りすぎやろみたいなのわかってるけど、世間じゃまだまだだし

336 :人間七七四年:2020/05/11(月) 12:50:17.84 ID:7X8FsmHb.net
>>334
最終的に豊臣政権では清正や政則より少ないというのは妥当かあ? 官兵衛一代ではなく長政も働いてるのに

337 :人間七七四年:2020/05/11(月) 13:18:50 ID:LbbxIGpC.net
正則と清正は一応秀吉の血族だしなぁ、特に正則の方はより近いし

338 :人間七七四年:2020/05/11(月) 15:42:57 ID:1BUkOOFq.net
小西と加藤で半国づつだろ? 1国の黒田の方が上じゃね?

339 :人間七七四年:2020/05/11(月) 17:56:38 ID:uSGC8gS5.net
筑前ほぼ一国当てがわれたのは関ヶ原後だよ

豊臣政権下では豊前の内17万石
加藤清正・小西行長は肥後半国約20万石
ともに従五位で織田時代の家臣からの抜擢としては
まあトップクラスの評価てことでいいと思う

340 :人間七七四年:2020/05/11(月) 19:54:44 ID:7cylFrF0.net
黒田と縁戚だった蜂須賀が17万石、三中老も同じかそれ以下
蜂須賀は上方に近いから重要度高い

とは言っても瀬戸内海に面している豊前もかなり実入りは多そう

341 :人間七七四年:2020/05/11(月) 20:09:48 ID:lFSaomS3.net
秀吉「ホントはそなたに一国与えるつもりだったが、あまりにキリシタンにハマってるから2郡削るぞ官兵衛よ」

って話がフロイスによって伝えられてるね

342 :人間七七四年:2020/05/11(月) 21:03:00 ID:fPSAZjJS.net
>>340
三中老という役職は創作らしいけど、初出はなんだろう?

343 :人間七七四年:2020/05/11(月) 21:04:51 ID:LbbxIGpC.net
唐入り重要視してたなら九州側ってのはむしろ当時の考え手的にはメリットになるんじゃ?

344 :人間七七四年:2020/05/11(月) 21:21:28.04 ID:diCsiAk0.net
黒田は差し出し検知で実高はもっと高いという話もあるな

345 :人間七七四年:2020/05/11(月) 22:48:06 ID:moAFX9GE.net
クロカンは同時代から失脚という評価もされたりするけど陪臣あがりの身分からすれば十分評価されてたし
当人も秀吉が死んだ時に広家宛の書状でどっちかというと満足気味な事言ってた

346 :人間七七四年:2020/05/11(月) 22:54:57 ID:ywMYlv2J.net
蜂須賀正勝は阿波の重要性に加えて官位も従四位で
所謂中国方面軍時代からの家臣の中でも
多分意図的に筆頭扱いされてる

キャリア考えたらまあ妥当だと思うけどね

浅野長政も従四位なのは親族だしこれもキャリア長い
福島正則の清洲24万石従四位は文不相応な高評価とも
取れるけどそれは秀次事件の功績とされる

347 :人間七七四年:2020/05/11(月) 23:01:18 ID:LbbxIGpC.net
あーそういや取次とかの役割がどんどんなくなってるって事で失脚してるっぽいってのがあったっけ
ただまぁ土地が不遇みたいなのは首肯しづらいかな

348 :人間七七四年:2020/05/12(火) 00:56:38 ID:ZPd77Bmt.net
蜂須賀正勝の生前や浅野長政の豊臣時代の官位は従五位下やろ

349 :人間七七四年:2020/05/12(火) 01:55:09 ID:GS6jQw6Q.net
>>339
黒田の17万国は自己申告の検知で、低すぎる=軍役減らそうとしたのでは?って言われてる

350 :人間七七四年:2020/05/12(火) 02:16:48 ID:ht4cJ0Mq.net
>>349
「さぁ朝鮮行くぞ」つって期待されて最前線に配置されたのに
それを透かすとは悪いなw

351 :人間七七四年:2020/05/12(火) 09:49:15 ID:Mx/Ac0Rs.net
>>348
蜂須賀の従四位は天正13年じゃない?

浅野は四位日時分からなかった
秀吉が昇格してる時期には五位しか確認できないので
四位は徳川政権下かも知れない
関ヶ原前に隠居してるから豊臣政権下かなと思ったけど

>>349
政権からの評価の話をしてるので
差し出しでもその点は変わらないよ

黒田も加藤小西も豊臣政権においては
一国は当てがわれず同程度の官位という評価

352 :人間七七四年:2020/05/12(火) 12:00:40 ID:wKt71fw1.net
一国丸ごと貰っても肥後半国より石高が低い場合もあるし石高次第じゃないの
豊臣譜代で一国丸ごと貰ってるのは浅野の甲斐と蜂須賀の阿波くらい? それでも肥後半国と同等か以下だけど

353 :人間七七四年:2020/05/12(火) 12:27:54 ID:Mx/Ac0Rs.net
政権の成立期には宛行の後に検地する例もあるので
数万石の差が政権の意図的な格付けかは微妙じゃね?

気前よく大領宛行連発してるイメージの豊臣政権だけど
元々の家臣団からの大名は多くて20万石前後止まりで
黒田はその中のトップグループ扱いと思うよ

354 :人間七七四年:2020/05/12(火) 17:38:53 ID:jlk7Tepq.net
蜂須賀政勝に並ぶ最古参と言われている前野長康でも11万石だしなぁ

355 :人間七七四年:2020/05/12(火) 20:11:27 ID:7/147aGv.net
徳川政権下の譜代大名でもそんなもんでしょ

356 :人間七七四年:2020/05/13(水) 04:31:09.77 ID:wxC9UmO3.net
領地に関しては、都合よく空いた土地ってそんなに無いから、そのくらいの単位で割り当てるしかなかったんじゃね?

357 :人間七七四年:2020/05/13(水) 07:21:37 ID:E2ZBf812.net
https://www.google.com/amp/s/www.nikkansports.com/m/general/news/amp/202005120000609.html

大閤御所 発掘

358 :人間七七四年:2020/05/13(水) 10:32:30 ID:rS6/ir68.net
ねねって秀吉死後控え目に暮らしてたイメージだけど凄い所に住んでたんだな

359 :人間七七四年:2020/05/13(水) 13:47:20 ID:M7KVheSH.net
本人がその気なら北条政子になりえたかもしれんしな
もっとも北政所が西軍派だったのが事実ならたいした影響力は無かった可能性もあるが

360 :人間七七四年:2020/05/13(水) 23:54:27 ID:dyHcK+9A.net
秀忠に慕われてたっぽいから
時期が上手く合えば徳川豊臣合体の立役者になってた可能性もある
そうなれば北条政子並の扱いを受けたかもしれないな

361 :人間七七四年:2020/05/15(金) 18:39:10 ID:aGUmgHrb.net
北政所も結構盛られた人物だと思うけど
全くなかったとは言わないけど、子飼いにそこまで影響力あったのかね

362 :人間七七四年:2020/05/15(金) 19:48:08 ID:pg5adtF0.net
子飼が秀頼裏切るのに都合よく理由にされただけやろ

363 :人間七七四年:2020/05/15(金) 19:48:52 ID:nyAYH7qz.net
巷説通り養い児みたいな関係だったなら、いわば相撲部屋のおかみさんみたいなもんだろうし、
それなりにあったんじゃね。

364 :人間七七四年:2020/05/15(金) 20:01:54 ID:QlsvnCYa.net
>>361
影響力がなかったら、東西両軍から、相手を説得する材料のひとつに名前を出されたりはしないのでは
そういう事態の際に名前を出されるだけの人望はあったんだと思う

365 :人間七七四年:2020/05/15(金) 20:47:11 ID:iX0iDQCr.net
当主の正室って普通に権力者みたいだし
北政所の化粧料だけで1万5千石だっけ?

366 :人間七七四年:2020/05/15(金) 21:37:30 ID:VgiuDcM9.net
「そこまでの影響力あったのか」という時
逆にどこまでの影響力を想定して言ってるのか気になる

367 :人間七七四年:2020/05/15(金) 22:15:41 ID:60xwbd7w.net
その手の女性権力者が上手くいくパターンは実家の力があってこそじゃない?
人脈だけじゃ何の保証にもならん

368 :人間七七四年:2020/05/15(金) 22:36:05 ID:5GNaJQbC.net
実家の太さってやつね

369 :人間七七四年:2020/05/15(金) 23:34:59 ID:4NGbik8B.net
高台院が尼将軍になれたかというと
その点では確かに疑問よな

豊臣恩顧の特に子飼いの大名家と繋がり深くて
出来れば面子を立てさせたい相手だったと思うけど
意思決定にそこまで影響してるかは微妙だよな

おね様が「内府に味方せにゃあかんでよ」って
言ったから加藤福島らが東軍に走ったと
司馬遼太郎は書いてた記憶があるけど
それって史料的に検証できるのかね

370 :人間七七四年:2020/05/16(土) 08:44:07 ID:4KnBtImp.net
源平でいうなら北条政子ではなく八条院みたいな感じかな

371 :人間七七四年:2020/05/18(月) 18:08:42 ID:BLaaSHdy.net
子飼いの代表みたいなイメージのある清正だって、豊臣にそれほど忠実って感じじゃないし、北政所に言われて動くっていうより、保身第一って感じだからなぁ

372 :人間七七四年:2020/05/18(月) 18:23:52 ID:fkL6+6ni.net
大坂近辺に領地持ってたら分からんかったけど、彼らにしてもまず自分ち守らなきゃ始まらないしねぇ。

373 :人間七七四年:2020/05/18(月) 21:25:39 ID:vknL+GhC.net
徳川に着く方がまだ豊臣に忠実やろー
明らかに西軍おかしなことしてんもん

374 :人間七七四年:2020/05/19(火) 06:51:12 ID:vZD/tbXw.net
代表な創作は本能寺の変
そもそも本能寺の変は江戸時代に書かれた歴史小説である「軍記物」によって創作され歌舞伎や人形浄瑠璃に広まってしまう

375 :人間七七四年:2020/05/19(火) 08:09:01 ID:UKmhMUzy.net
そうかー信長公記は江戸時代なのかー

376 :人間七七四年:2020/05/19(火) 13:20:57 ID:4InFjqDv.net
>>373
普通に考えたら大阪城と秀頼を押さえた時点で西軍が正統だけどね
応仁の乱の場合は義視vs義尚という玉同士の対立軸があったけど

377 :人間七七四年:2020/05/19(火) 13:28:39 ID:wZ86I7gp.net
大坂城武力を背景に無理やり入ったのを正統と言い張るのはあまりにも無理あるわ
実際最後まで豊臣は西軍を正統と認めた書状なんて出してないし

378 :人間七七四年:2020/05/19(火) 13:36:47 ID:wZ86I7gp.net
これが豊臣が檄文飛ばして西軍招いたとかならそりゃ正統と言うのもできるよ
実際は呼ばれてもないのに押し込み強盗したわけで、こんなんむしろ奸臣と言われてしかるべきの暴挙よ

379 :人間七七四年:2020/05/19(火) 16:16:00 ID:1LJQWg9X.net
>>371
二条城の対面の秀頼の側を離れない清正の姿とか、創作もいいところだからな

380 :人間七七四年:2020/05/19(火) 16:18:29 ID:UKmhMUzy.net
そもそも秀頼幼少で意思決定できないから
混乱が起きてるのに正統もクソもない

381 :人間七七四年:2020/05/19(火) 18:17:57 ID:/ktdsHhO.net
主君を擁立している人間Aが外出した隙に、対立している人間Bが主君を押し込めてAを排斥すると言ったら正統って考え方か

382 :人間七七四年:2020/05/19(火) 18:37:20 ID:xSWUdkSo.net
明治維新もそんなものでしょ

383 :人間七七四年:2020/05/19(火) 19:21:48 ID:hvTmbdGR.net
勝てば官軍かもしれないが負けてるしな

384 :人間七七四年:2020/05/19(火) 20:28:27 ID:/ktdsHhO.net
>>382
ついこの間までテロ活動してた連中が帝を抱き込んだおかげで日本を主導するようになるとか結構凄いことだと思うわさ

385 :人間七七四年:2020/05/19(火) 20:45:09 ID:X+qGBZ+2.net
やり方が微妙に違うだけで権威と実力の関係って古来そんなもんじゃろ

386 :人間七七四年:2020/05/20(水) 01:52:49 ID:ei0ATdCt.net
帝なんて狡猾な存在だよ

387 :人間七七四年:2020/05/21(木) 01:50:31 ID:GV28PwnO.net
浅井裏切りの織田軍殿って秀吉だけじゃなく光秀も参加してたのか
裏切り者だから歴史改ざんされて可哀想になぁ

388 :人間七七四年:2020/05/21(木) 02:23:58 ID:hTo4lfHK.net
別に改ざんってほど知られてない話でもないと思うが

389 :人間七七四年:2020/05/21(木) 03:27:46 ID:z+FdQTsn.net
あー、まぁBSの秀吉VS光秀とかいうテーマの歴史番組でつい先日やってたからな。ニッコリ

390 :人間七七四年:2020/05/21(木) 09:24:16 ID:cEFyJ1ZT.net
池田勝正も殿だったというのは
史料的な根拠は何なんだろう?

391 :人間七七四年:2020/05/21(木) 15:49:50 ID:TgUF7SLp.net
>>384
ドラマだと幕府=腐りきった旧体制、打倒すべき悪の枢軸みたいになってるのが、また凄い

392 :人間七七四年:2020/05/21(木) 18:32:50 ID:9IlsDVc4.net
>>387
光秀といえば有名な肖像画、別人説があるみたいだな。まあ、木像とかだと印象かなり違うけど

393 :人間七七四年:2020/05/21(木) 19:39:28 ID:qRl3rtfS.net
肖像画なんてそんなものじゃないの
例えば豊臣秀次の肖像画、瑞泉寺と京都地蔵院の奴じゃ全然イメージ違うし

394 :人間七七四年:2020/05/22(金) 00:52:03 ID:bZ12MQuq.net
一つ間違えると首が飛ぶかも知れない時代に絵師がただ真実通りに描いているなんて事はないよな

395 :人間七七四年:2020/05/22(金) 11:11:19 ID:CDqoenV0.net
絵師が本人に会ったこともないケースも多い
明治時代の西郷の肖像画ですらそう
顔に傷痕があろうとアザがあろうと書かないしあくまでイメージ画

396 :人間七七四年:2020/05/22(金) 11:16:57 ID:CDqoenV0.net
>>387
光秀は言うほど不当な扱いは受けてないのじゃない
本能寺という大事を起こしたイメージやショボい奴に信長が殺されてると困るという思惑(のちの豊臣・徳川政権や織田旧臣)で逆に盛ってる可能性もある

397 :人間七七四年:2020/05/22(金) 12:21:07 ID:sX5KeUli.net
当時の肖像画は基本的には遺影なんで本人見て描いてないからな、
さらに残ってるのが33回忌、100回忌とかのだったりするからもう。
さらに寄贈されて保管してる寺社が数百年のうちに取り違えちゃってたりするから人物確認が大変よ

398 :人間七七四年:2020/05/22(金) 13:55:42 ID:oTO4WNcs.net
>>391
つ 「白虎隊」「八重の桜」「獅子の時代」 

399 :人間七七四年:2020/05/22(金) 16:07:31 ID:M68P2lHM.net
ソシャゲの武将の絵とかと本質的には変わらないってこと?

400 :人間七七四年:2020/05/22(金) 17:21:52 ID:yM3W6k2Z.net
本質とは

401 :人間七七四年:2020/05/22(金) 17:36:38 ID:XZ9aAm+c.net
豊臣秀吉とみられる木像新たに見つかる これまでで最大 大阪
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200521/k10012439661000.html

402 :人間七七四年:2020/05/22(金) 19:09:32 ID:bxaIkjnu.net
本質くらい辞書で引けよ

403 :人間七七四年:2020/05/22(金) 20:11:12 ID:Fydjl7u1.net
>>393
瑞泉寺の方は悪意を感じる絵面なんだよな
>>397
逍遙軒が描いた信虎像とかは割と信憑性がありそうな気がする
>>401
これも別人だったらどうなるのかね

404 :人間七七四年:2020/05/23(土) 10:34:59 ID:HCvwPPon.net
どマイナーな話題だが真田昌幸三男昌親は加沢記からして関ケ原は東軍の信幸に着いたとされてたが、当時の仙石家文書の内容や戦後の罪人同様の扱いからして実際は昌幸側に着いたらしい


>>403
身内の残した肖像画といえば晩年の今川氏真夫妻のがあるけど、妻の早川殿は現代風の美人と取れる容貌なのが意外だったな

405 :人間七七四年:2020/05/23(土) 18:09:28 ID:Vg7OtDVi.net
流れ関係ない&技術的な話であれだけど、
酒に灰を入れると澄酒ができるの知識が正しいとされてる(認識されてる)の、かなり謎だ
灰を入れてできるのは灰持酒で、これは延喜式からあるし
透明な酒は現代でさえ沈殿が必要で灰なんかでは解決しないし
やっぱ鴻池家関係とかそっちの都市伝説が膾炙してるのかなぁ

406 :人間七七四年:2020/05/23(土) 19:09:02 ID:wAJ7H+E9.net
小田氏治最弱説は実は・・・とかないの?

407 :人間七七四年:2020/05/23(土) 19:17:07 ID:0+Mh3Pli.net
別に最弱でもないし

408 :人間七七四年:2020/05/23(土) 19:44:56 ID:/1VESRQI.net
不死鳥やぞ

409 :人間七七四年:2020/05/23(土) 20:43:07 ID:6IcZJW5g.net
小田城周りに何もなさ過ぎて守れる気がしない
ちょっと後ろの筑波山に建てればよかったのに

410 :人間七七四年:2020/05/23(土) 20:45:55 ID:Xz2OUtzz.net
>>406
まじめな話をすると、もともと勢力のある名家だったから、新興勢力のターゲットにされまくってた。
そして新興勢力側は小田家の実力がわかってたから、戦うときは連合組むなどして常に小田家を上回る軍勢をそろえてから攻撃してきた。
小田家は自軍以下の規模の敵に負けたことはない。

そして、勢力を拡大する気がなかったから、自軍より小規模の勢力に自分から攻撃して勝ち星を稼いでない。
よって、負け数だけがカウントされてる。

411 :人間七七四年:2020/05/23(土) 23:39:48.63 ID:uGoIJVeh.net
氏治さまは大掾にちょっかいを出してカウンターを食らっていたような気が
軍記に出てくる狐の子が20年くらいはやく実在していたとしても、周りの言葉に耳を傾けない氏治さまでは結果は変わらないんだろうなあ

412 :人間七七四年:2020/05/24(日) 00:05:41.42 ID:B7yyK1lo.net
>>405
灰とかで余計な不純物(?)とかを取り除くんでしょ?
で、滓なんかは濾すなり上澄みだけを繰り返し抽出して仕上げるんでしょ
灰だけで綺麗になるなんて思ってる人間はそんなにいないんじゃないのかな?
あと、鴻池は現代の清酒のはしりだから名前が挙がるんでしょ
それに灰持酒の作り方自体は出雲の地伝酒から知っていたであろうって記事も目につくから不思議でも何でもないんじゃないかな

413 :人間七七四年:2020/05/24(日) 04:38:52 ID:LQzqtD8R.net
金ヶ崎の退き口は秀吉が殿軍を買って出て光秀が援護したみたいな話が広まっているが
実際は池田勝正が殿軍の大将であって秀吉と光秀が指揮下にいただけ
秀吉が信長に褒められた逸話が有名になっただけ

414 :人間七七四年:2020/05/24(日) 10:21:35 ID:8cqTUjRW.net
>>412
>灰とかで余計な不純物(?)とかを取り除くんでしょ?
>で、滓なんかは濾すなり上澄みだけを繰り返し抽出して仕上げるんでしょ
後者は正しいが、前者は正しくない
用いるのは活性炭(or木炭)で、使うことで色を透明にし、諸々の匂いを取り除くとのこと
一応、別の用途として、酵母に草木灰を入れることでアルカリにし、
雑菌を殺して麹菌(アルカリに強い)を残す活用法はあるけど、段階が違うし

>あと、鴻池は現代の清酒のはしりだから名前が挙がるんでしょ
現代の清酒の定義は濾してあることなので、別に古代でもあったと思われる
そうでない清酒の定義(透明度)であれば、灰持酒や火持酒が挙がるが、前者は昔からあるし
どちらにせよ「鴻池は現代の清酒のはしり」というのは正しくない
(というか、灰を酵母以外にいれるとそれは現代一般的な日本酒ではなくなるので、主張として変)

まぁ、変に語ってしまい申し訳ない

415 :人間七七四年:2020/05/24(日) 10:51:32 ID:rR8W1qw3.net
食いもの系の歴史って学問としての研究も少ないから、戦国以上に言ったもん勝ちみたいになってる所あるよね
長らく肉じゃがはビーフシチュー作ろうとしたら偶然できたっみたいな与太まで信じられてたし

416 :人間七七四年:2020/05/24(日) 11:42:37.59 ID:u1l2KovQ.net
お好み焼きの戦前史だな

417 :人間七七四年:2020/05/24(日) 15:07:44 ID:B7yyK1lo.net
>>414
啓蒙活動でもしたらいいのでは?
ネットの発達でそういうのもやりやすくなったんだし、おかしいと思うならやってみるべきだよ
それが広まれば新しい常識になっていくだろうし

418 :人間七七四年:2020/05/24(日) 15:11:03 ID:y/hTZ2Ls.net
>>417
よくわからないが、酒と灰の関係を語ったのは、ここが
>実は創作だった通説・俗説4【コピペ・レッテル貼禁止】
だからで、別に啓蒙したいわけじゃない
明文化されてないけど実はそういうルールがある、とかであれば申し訳ない

419 :人間七七四年:2020/05/24(日) 19:18:26.75 ID:B7yyK1lo.net
そっか
てっきりそういうのに不満があるのかとちょっと深読みしてた
ごめん

420 :人間七七四年:2020/05/24(日) 22:04:42 ID:LNTdsEqx.net
鴻池といえば鹿之介の話もだな

421 :人間七七四年:2020/05/26(火) 19:19:31 ID:Ijy9tES3.net
息子の処遇を頼んだ忠次に「お前も子は可愛いのか」って家康が言ったって話は
後世の創作らしいけど出典は何だろう?
ついでに関ヶ原で家康が「伜(信康)がいれば」って言ったって話も

422 :人間七七四年:2020/05/26(火) 20:35:44.19 ID:XRI6ySqx.net
>>421
>ついでに関ヶ原で家康が「伜(信康)がいれば」って言ったって話も

これはおれも知りたいんだよなー
前から気になってた
おれが初めてこのエピソードを目にしたのは、「影武者徳川家康」なんだけど、その後
大河ドラマの「葵〜徳川三代〜」ってまったく同じ場面が出てきて、でも司馬遼太郎の
「関ヶ原」ではなかったので、まさかジェームズ三木がパクった?とか思ってたら、
昨日BS-TBSでやってた歴史捜査でも紹介されてて、なんとどこかに出典があったのか、と

両方ともおれの手元の「三河物語」には見当たらない
「名将言行録」に載ってそうなエピソードではあるけれど、少なくともおれの手元の、抄訳版のにはどっちも載ってない

423 :人間七七四年:2020/05/27(水) 11:47:03 ID:Gk6ybKhs.net
出典は分からないけど、司馬遼だと覇王の家にはなかったっけ

424 :人間七七四年:2020/05/27(水) 13:42:44 ID:MHR4p7VT.net
本当に信康のことを言ったのかな
秀忠に対して愚痴ったのを忖度されて伝わっただけだったりして

425 :人間七七四年:2020/05/27(水) 13:51:53 ID:GEBVrZCY.net
>>424
自分で殺しといて言うわけないだろ

426 :人間七七四年:2020/05/27(水) 15:18:18 ID:MHR4p7VT.net
>>421もそうだけどそもそも信康事件自体が創作っぽいからな
実際は美濃斎藤親子や甲斐武田親子みたいな家臣団の派閥を巻き込んでの親子対立だったっぽいし

427 :人間七七四年:2020/05/27(水) 15:59:17 ID:nS98mHrR.net
そもそも発言なんてもんが正確に後世に伝わるんじゃろか?

428 :人間七七四年:2020/05/27(水) 16:26:58 ID:II/R/aI4.net
>>423
俺も覇王の家で見た気がする少なくとも司馬遼太郎だったはず

429 :人間七七四年:2020/05/27(水) 16:36:57 ID:7pxICae7.net
ウィキペディアの記述上だと東武談叢にその記述があるって事になってる
内容を見れてないので信ぴょう性が不明だけれども

430 :人間七七四年:2020/05/27(水) 16:41:24 ID:mbHy8KT8.net
武田といい斎藤といい島津といい徳川といい親子で争ってるところはロクなことにならんな
織田氏、後北条氏、毛利氏が栄えたのは三代四代の結束もあるんだよ

431 :人間七七四年:2020/05/27(水) 16:48:21 ID:9lDsi92X.net
徳川以上に栄えた武家とかあるか?
将軍家としては言わずもがな維新後も公爵だし

432 :人間七七四年:2020/05/27(水) 17:26:09 ID:81c5a6Rk.net
徳川は家康信康で争ったよな

433 :人間七七四年:2020/05/27(水) 19:18:40 ID:YOmdG75n.net
>>427
大体は伝わるんじゃね
都合の悪い発言は駄目だろうけど

434 :人間七七四年:2020/05/27(水) 19:20:27 ID:/T0IAHsO.net
父子の争いと言えば伊達氏だろう。稙宗と晴宗、晴宗と輝宗と争っている
輝宗というと山岡荘八のせいかお人好しのイメージがあるけど
れっきとした戦国大名だしな

435 :人間七七四年:2020/05/28(木) 10:52:29.77 ID:xFtUPCCb.net
>>430
島津がろくなことにならずに下の3家が栄えてるって・・・・ 織田は兄弟で争ってるし
北条はむしろ割れた方が史実より大きな形で残ったのじゃないか 鎌倉北条みたいに仲良く族滅するところだったし

436 :人間七七四年:2020/05/28(木) 19:33:53 ID:OIGjb8K5.net
>>430
毛利氏はさておき、信長や早雲こと伊勢宗瑞なんかは嫡男を上手に育ててるよね
織田信忠は成長しきる前に親と一緒に殺されちゃったけど
それこそ信忠は、後世の史料だと頼りない息子のように書かれてるけど、史実だと、
覇王信長の後継者として、かなり順調に育っていたし、信長自身もずいぶん気を使って
嫡男として育てていたとか

437 :人間七七四年:2020/05/28(木) 20:10:21 ID:12Y8U5Zk.net
織田信忠は親の七光りに隠れて地味だったり松平信康の逸話で凡庸の旧来イメージあったりするけど
二十歳過ぎくらいから自分の考えで動いてて最後には信長の言う事を聞かずに親のお株を奪う電撃戦で武田で滅ぼしてるからな
若い頃の信長を彷彿と名将の片りんを見せてただけにもったいなかったな

438 :人間七七四年:2020/05/28(木) 20:13:39 ID:cRoYd58S.net
身内で殺し合った足利とか武田とか朝倉とか今川とか斎藤とか羽柴とか、滅びるべくして…と言った感じだな
徳川や島津や上杉(長尾)、おめーらも他人事じゃねーからなw

439 :人間七七四年:2020/05/28(木) 20:39:03 ID:12Y8U5Zk.net
全部やん

440 :人間七七四年:2020/05/28(木) 21:27:09 ID:m3ETBo3/.net
>>430はギャグだろ

一族の争いは何処にもあるけど
それで滅ぶ家も勝ち残った方が栄える家もある

441 :人間七七四年:2020/05/28(木) 21:53:30 ID:SwZ3PtOk.net
運よねもはや
一族でもめて内紛早めにやったら、結果的に当主権力が集中したりとか
揉め続けてグダグダのうちに滅んだりとか

最適解がどれってもんでもないし

442 :人間七七四年:2020/05/29(金) 01:44:31 ID:v9zuwJYL.net
織田信忠有能説の根拠って何だ?

甲州征伐は別に信忠主体で行われた戦争じゃないぞ
信長が事細かに指示出してる

443 :人間七七四年:2020/05/29(金) 01:53:33 ID:RXD9hGGt.net
各地を転戦して本願寺勢と戦ったり松永久秀と秋山虎繁と武田勝頼を見事に征伐してる
大ヘマは二条城に立て籠もったことくらいだが勇敢すぎるゆえかもしれない

444 :人間七七四年:2020/05/29(金) 03:53:49 ID:ho20PWxU.net
むしろいまどき信忠が無能とか凡庸とか言ってるやついるのかな
5chの逆張りバカ以外に見たことないぞ

445 :人間七七四年:2020/05/29(金) 12:22:05 ID:f8zPBWTd.net
織田をちょっとでも褒めると突っかかってくる奴一匹住み着いてるからな

446 :人間七七四年:2020/05/29(金) 13:10:03 ID:Z8umGS7O.net
>>442
弟達に比べたら有能ってことじゃないの
本能寺変で死ななかったら
普通に活躍したでしょ

447 :人間七七四年:2020/05/29(金) 13:47:44 ID:mRyk6vyT.net
運要素や致命的なワンミスを除外するいまどきの評価ってのも何かなーって思う
大名の世継ぎなんだから平均以上の基礎能力はあって当然だし、腐っても組織だから通常業務程度はトップの資質に関係なく回るもんじゃない?

448 :人間七七四年:2020/05/29(金) 14:06:35 ID:ZNMt9i7J.net
だからよほどの悪評立てられつつ致命的な失態を冒し続けたとか性格がどうかんがえてもあれとかいう記録でもない限りフラットで評価するのは近代歴史学では当たり前だと思うが

従来は暗愚といわれた信雄ですら周りの扱いとか実績とかみたら運が悪かっただけで意外と普通以上だったんじゃないの?となってきてるが

よほどでもない限り史料の少ない時代の人物を暗愚扱いしないというのはことさら英雄扱いもしないということだからな

つまり織田信長と今川氏真の評価の距離は近寄ってきてるんだよ

449 :人間七七四年:2020/05/29(金) 14:38:29 ID:AlFgv1AP.net
親が現役のうちに信忠以上に実績を挙げた後継者なんてそうそういない

450 :人間七七四年:2020/05/29(金) 15:49:07.47 ID:O1/tRKcZ.net
せいぜい徳川秀忠くらい?
それでも信忠ほど果断な槍働は伝わってないけど
政治家としてはかなり活躍しましたが

451 :人間七七四年:2020/05/29(金) 17:28:39 ID:v9zuwJYL.net
根拠は?と聞いただけで顔真っ赤とかノブ信沸点低すぎだろ

「俗説」じゃないまともな根拠を示せばいいだけじゃん
というかそういうスレだし

452 :人間七七四年:2020/05/29(金) 17:41:24 ID:W1G/8613.net
>>447
>大名の世継ぎなんだから平均以上の基礎能力はあって当然だし、腐っても組織だから通常業務程度はトップの資質に関係なく回るもんじゃない?

それはつまり有能な訳では?

453 :人間七七四年:2020/05/29(金) 17:45:06 ID:6GDMF4DK.net
「俗説」はむしろ信康より無能だから殺させたとか
信忠無能説の方で顕著だと思う

有能説の方は同時代史料的に戦や領国経営をしてて
特別敗北も失政も記録がないというだけであって
軍記物の軍師や架空戦記の英雄のような有能
って訳ではもちろんないだろうが暗愚とする根拠はない

454 :人間七七四年:2020/05/29(金) 18:55:44 ID:v9zuwJYL.net
で、結局有能と断言できるだけの根拠はあるんか?

無いんなら、「史料がないから有能か無能か分かんねえ」ってのが
現時点での信忠への評価として妥当だと思うが

455 :人間七七四年:2020/05/29(金) 19:00:33 ID:f8zPBWTd.net
自分独自の判断で速攻しかけて武田を粉砕した。が最大の功績やろな

456 :人間七七四年:2020/05/29(金) 19:09:33 ID:W1G/8613.net
それ以前にも岩村城から始まって信貴山や
畿内のあちこち転戦してるし5年以上
織田の家督と岐阜城主として濃尾を治めてる

それは全部親の七光だとか重臣達に
やって貰っただけだとかっていう人もいるけど
それこそ別に史料的な裏付けはないかと

457 :人間七七四年:2020/05/29(金) 19:12:19 ID:ho20PWxU.net
天下の儀も御与奪なさるべき旨仰せらる

あの信長に後継者として認められたというのがすべて
物を知らないか、知らないふりをしている阿呆が意味不明ないちゃもんつけてるのが滑稽すぎる

458 :人間七七四年:2020/05/29(金) 19:19:02 ID:f8zPBWTd.net
有岡城攻め播磨攻めでさくっと仕事済ませて勝手に帰かえるとか結構早くから独自の判断で動いてるのが分かって
親や重臣におんぶにだっこの坊ちゃんじゃないし凡庸評価も調べれば史料価値の低いものばかりっとなったあたりでガラッと評価が変わった雰囲気やね信忠

459 :人間七七四年:2020/05/29(金) 19:20:25 ID:v9zuwJYL.net
高遠城攻めみたいな槍働きの話をしてんのか?
てっきり織田家嫡男・当主としての評価の話だと思ってたんだが

460 :人間七七四年:2020/05/29(金) 19:22:18 ID:f8zPBWTd.net
そんな話はしてないがいつも通りただのアホだったか

461 :人間七七四年:2020/05/29(金) 19:33:26 ID:6GDMF4DK.net
甲州征伐での信長の詳細な指示ってのは
具体的にどんな史料から言えるんだろうか?

信長公記で見る限り引き金になった木曾義昌の内通も
信忠を介して申し入れられている

それを受けて出兵命令は当然信長が下しているけど
知らせから2日、命令即日信忠軍団の先鋒が出陣して
信長は慎重にと言ってるのを現場判断で急いで
信長が織田領入る前に滅ぼしてる

それら記述が間違いで俗説に過ぎないという主張は
一体どんな史料的な根拠による説なの?

462 :人間七七四年:2020/05/29(金) 19:35:05 ID:6GDMF4DK.net
>>459
有岡城や播磨攻めは総大将として出陣してるのが通説
それが槍先の武功に過ぎなかったと言える根拠は何?

463 :人間七七四年:2020/05/29(金) 19:36:51 ID:ZNMt9i7J.net
大仕事をいくつも高評価で終わらせてるわけで当主としても武将としても史料からは凡庸以下とする根拠は見つからない
光秀、秀吉、一益を使いこなしてるし、戦場で果断に采配を振るった記録もある
側近の斎藤利治との関係も良好

まだ何か文句ある?

464 :人間七七四年:2020/05/29(金) 19:58:17 ID:v9zuwJYL.net
>>456
お前のスレは「濃尾統治の功績が、信長のおかげだったのか、重臣のおかげだったのか、
はたまた信忠の能力のおかげだったのか、史料がないから分かんない」
ということだと気づかないか?

>>458
>凡庸評価も調べれば史料価値の低いものばかりっとなったあたりでガラッと評価が変わった雰囲気
凡庸説に根拠がない、は有能説の根拠にならんだろ。有能である根拠があるんなら教えてくれや
いや、『雰囲気』で書き込んでるだけなのが分かったから反応はいらんのだけどさ

465 :人間七七四年:2020/05/29(金) 20:08:49 ID:ZNMt9i7J.net
大仕事を複数成し遂げた人物に特段ケチつける史料が無いなら有能で良いんじゃないの

神の如き采配と言われたとか、誰それを恐れ入らせる発言をしたとか、少数で多数を制したとか、家康を恐れさせた男とか、そういう逸話でも欲しいのかね

それこそ盛ってる可能性あるだろ

466 :人間七七四年:2020/05/29(金) 20:15:09 ID:f8zPBWTd.net
>>464
君が人の話を聞かないのは分かった。つか知ってる

467 :人間七七四年:2020/05/29(金) 20:19:52 ID:ZNMt9i7J.net
>>464 が無能という史料はたくさん残っちまったな

468 :人間七七四年:2020/05/29(金) 21:15:12.72 ID:mRyk6vyT.net
あそこで何で逃げなかったのか…
誰か気の利く奴近くにいたら引き摺ってでも脱出させたよね

469 :人間七七四年:2020/05/29(金) 21:15:31.20 ID:huR/894S.net
数えの21歳のときに初めて織田軍の大将として、信長抜きで松永久秀を滅ぼして以降、
織田家総大将として責任を果たし続けたんだから、充分有能でしょう
信貴山城攻めでは謀略戦も行われたそうで、謀略の手柄自体は家臣の誰からしいけど、
少なくとも、ただ力まかせに猪突するだけじゃない、謀略戦も選択できる指揮官だってことも
示されてる
当時の公家衆等の記録にも、「信忠が率いる織田軍が、どこそこで戦った」みたいな書き方が
されてるそうで、信長の後継者として、ちゃんと独立した武将として見られていたのもわかる

小瀬甫庵の「太閤記」にも、「信忠卿は才勇兼ね備わりし明将」と書かれてるとか
江戸初期までは、世間でもそういう認識だったんでしょう

470 :人間七七四年:2020/05/29(金) 21:23:49.52 ID:O1/tRKcZ.net
信忠が将軍位になる準備があったって本当かね
そうなれば歴史が変わってたかもな

471 :人間七七四年:2020/05/29(金) 21:26:35.63 ID:W1G/8613.net
>>464
信長も重臣達も信忠とは別の城や部隊にいるのは確認できる
他の統治者と違って別の者が代行したなら少なくとも
指示するための書状なり文書の流れなりがないとおかしい

逆にその痕跡がないのに「重臣のおかげ」「信長のおかげ」
とする方が根拠がないよね

んで?甲州征伐で信忠が独自に行動してたのは
信長公記にはあるんだが
信長が事細かく指示したとどんな史料から言えるのかな?

472 :人間七七四年:2020/05/29(金) 21:27:14.33 ID:0yS8FLL1.net
信康こそ有能を示す史料とかあんの?
秀忠が本領をキッチリ治めてたからこそ
家康が上方で思う存分働けたってのは
同時期の前田や上杉が本領から動けなくなったとこを
家康に付かれてることからしても
その功績は伺えるが

473 :人間七七四年:2020/05/29(金) 22:01:42 ID:6GDMF4DK.net
逆にそれなりに一次史料も二次史料も残ってる中
他の者と残り方に差異がないのであれば
特別に異なった指示等はないと考えるべき

そうでないなら信長も秀吉も誰かに指示されてた
みたいな話が成り立ってしまう

474 :人間七七四年:2020/05/29(金) 22:16:35 ID:L7elLEAQ.net
>>457
嫡男は母の地位で決めるものだよ
能力は関係ない

475 :人間七七四年:2020/05/30(土) 10:20:45 ID:eiTtDshu.net
織田信忠が有能であった方が歴史のifを語る上で都合がいいのは確か
もし信忠が生き残ったら、秀吉が天下を織田からかすめ取る事は不可能だったかも
というのはいろんなところで描かれている

476 :人間七七四年:2020/05/30(土) 11:05:17 ID:trf0endI.net
まず有能説を否定したい人がいてその人が
根拠不明な「信長が事細かな指示」を主張したので
それを無能説と呼んで否定されただけでは?

信忠が並外れた、傑出した有能さを持ってる
というような主張がここでなされたわけではない

477 :人間七七四年:2020/05/30(土) 13:28:44 ID:amHkMzXV.net
大名の功績を家臣のおかげと切り捨てたら大抵の生まれながらの大名に当てはまると思うのだけど
ましてや大大名なら自分が直接できることの割合は限られる
信忠の場合、完全に独り立ちした時の能力は未知数だが嫡男としては優秀な結果を残している
秀忠の場合は逆に嫡男としては微妙だったが独り立ちした後は有能 戦の無い時代というのもあったけど
信康の場合、嫡男として特に優秀な逸話もなく当然当主としてどうかは未知数

まあ信忠の場合、本能寺当日の一瞬だけ独り立ちしてるから逃げない判断で当主として無能の烙印を押したいなら否定はしない

478 :人間七七四年:2020/05/30(土) 14:49:07.61 ID:gvjJQ9Z3.net
その逃げない判断も完全に運だけの話だしなあ

父親を殺害した謀反人相手に後ろを見せないって当時の感覚からしたら武将としても子としても称賛されこそすれ悪評立てられることではないし
逃げられない可能性が高いと判断したのも後世の意見ではアレコレ言えるが当事者の信忠にも何かしらの言い分はあるだろう

長益や前田玄以などが逃げきれたのは状況があまりにもわからんので運が良かったとしか言えないし
もし長益たちが捕まってたとしたら信長が本能寺から逃げなかったのと同じく信忠の奮戦を判断ミスという人は皆無だったはずだからやはりうがった評価としか思えない

長益は江戸時代初期からかずかずの悪評を立てられてるからやはりあの状況で逃げ出すのは武将としての感覚としてはあり得なかったんだろう
前田玄以などは信忠の命を受けてたから決死の脱出かもしれず本当に2人とも運が良かっただけなんじゃないか

479 :人間七七四年:2020/05/30(土) 16:29:55 ID:w3PHtr2y.net
有名どころでは有楽・玄以・山内康豊あたりが逃げてるが信忠が逃げた場合と二条御所に籠もった場合とでは状況が違いすぎる
逃げた連中が速攻で逃げ出したのなら信忠が明智を引きつけたから助かったのかもしれないし隠れてたのなら信忠が所在不明なら山狩りならぬ街狩りをされて発見されたかもしれない
主な連中は本能寺と二条御所で討ち取ってるわけで織田父子討死確実の状況ならそこまで執拗に追わないでしょうよ

480 :人間七七四年:2020/05/30(土) 17:48:59 ID:13gJUPSC.net
>>477
信康の場合、三河物語という分かりやすい持ち上げ要因があるからなぁ

481 :人間七七四年:2020/05/30(土) 17:59:55.54 ID:trf0endI.net
信康も少なくとも武功があったのは確かでしょ

武辺者で話と言えば戦と武具だけだとかも
大名の跡取りとして微妙かもしれんが
彦左衛門は褒め言葉で言ってる

482 :人間七七四年:2020/05/30(土) 21:08:07 ID:UbKphp1g.net
前田玄以って、変の当時は岐阜にいたってのが有力だとどっかでみた。

483 :人間七七四年:2020/05/30(土) 23:25:57 ID:EL4NK/Xg.net
長坂の趙子龍のごとく、幼君を抱いて京都から岐阜まで単騎で敵中突破

みたいに思ってる人多いんだろうか

484 :人間七七四年:2020/05/31(日) 01:28:44 ID:VQbzocLM.net
a.本人は京にいて脱出して岐阜の三法師のもとへ
b.本人も三法師も京にいて玄以が救出

バリエーションあるけどいずれかの書き方するケース多い
「前田玄以 三法師」でググって上位のヒットを読むと
学術的な記事はないながらどちらかのパターン

485 :人間七七四年:2020/06/01(月) 19:41:05.08 ID:5YdhoeT+.net
>>483
単騎と言えば本多平八が姉川の戦いで一万の朝倉軍に
単騎で突入した逸話があるな
何に出てくる話か知らないけど、多分創作だろうな

486 :人間七七四年:2020/06/02(火) 13:00:06 ID:GkNfleec.net
>>485
平八は無鉄砲なふりしても常に計算高いから生き残ったんだよ
ゲームじゃあるまいし一人瞬殺だよな

487 :人間七七四年:2020/06/02(火) 13:03:33 ID:KlsmzsIm.net
一方で井伊直政はガチで頭に血が上るタイプだったようだな
最後も鉄砲受けて亡くなったし

488 :人間七七四年:2020/06/02(火) 13:20:57 ID:I2zGLYIG.net
 元亀元年六月織田右府の援兵として姉川に御出陣あり、
 朝倉義景が兵百騎ばかり惣軍をはなれて備えたるを、
 忠勝其機を察し、まづこれを追いはらふべしとて御旨をうかがひ、
 彼備に馳向ひ忽これを追崩す。かくて味方の兵朝倉が大軍とたたかひ……
 東照宮みづから号令を下して兵をすすめたまふ。
 ときに忠勝真先にすすみて大軍の中に入て奮戦し、抜群の武功をあらはし……

さすがに単騎駆けは認められてないけど、姉川はこれを脹らませた格好
ただ、三加野の戦いなんかでは

 鎗を提てひとり両陣の間に馬を乗入、はせめぐりて味方の兵を退かしめ

みたいな活躍もあるので全くの荒唐無稽ではなかった模様

489 :人間七七四年:2020/06/02(火) 13:32:14 ID:1uSSZG/t.net
井伊が鉄砲受けて亡くなったってのもかなり語弊があるような
あれはそもそも関ケ原前から大病患ってたし鉄砲受けてから亡くなるまで1年半くらいは生きてるし

490 :人間七七四年:2020/06/02(火) 13:34:24 ID:8aCFRLwV.net
鉄砲傷が悪化して死んだのじゃないの?
当時の治療技術なら普通にあり得ると思うけど

491 :人間七七四年:2020/06/02(火) 13:39:54 ID:evazoaqs.net
過労死の面が強いかな

492 :人間七七四年:2020/06/02(火) 13:52:48 ID:1uSSZG/t.net
少なくとも鉄砲傷以外にも死ぬ要素いっぱいあるし鉄砲傷が元って断定するのはスレ的にも学問的にもよろしくないかな
過労だし前から大病患ってるし鉄砲受けて1年以上別に寝込んでた訳じゃなく奔走してるし

493 :人間七七四年:2020/06/02(火) 14:10:31 ID:LvM+lz7C.net
>>490
どこで読んだか忘れたが、半年とかならありうるにしても
1年半って期間でそれは考えられないらしい
ほんとかどうかは分からん!

494 :人間七七四年:2020/06/02(火) 14:48:02.54 ID:BW01X8aa.net
>>492
その大病って何なの? 関ヶ原前も普通に政治工作に参加してたのじゃなかったっけ?

495 :人間七七四年:2020/06/02(火) 15:22:07 ID:KlsmzsIm.net
昔の医療技術では怪我をこじらせたら簡単に死ぬし弾丸を取り出せないならジワジワと鉛中毒で発狂死するよ

496 :人間七七四年:2020/06/02(火) 15:29:31 ID:1uSSZG/t.net
>>494
なんなのって言われても当時病名が載ってる訳ではないのでなんとも
ただ馬に乗れないほどだったっていう記述がある

それと当時にあり得たからきっとそうだってのは、記述ないけど陰謀論ではこうだと大差ないからやめた方がいい

497 :人間七七四年:2020/06/02(火) 16:27:55 ID:igKt+6gV.net
銃で撃たれて一年後に死んだ武将って、ほかに誰がいるの?

498 :人間七七四年:2020/06/02(火) 16:31:07 ID:8aCFRLwV.net
>>496
記述というか通説では鉄砲傷が元って話じゃないのか
大病が元でってのも陰謀論と大差無くない? 本当にそうなら部分的にでもそう伝わるはず

499 :人間七七四年:2020/06/02(火) 16:33:36 ID:1uSSZG/t.net
だから、大病が死因なんて言うてないのよ
わからないものはわからないで置いておくべきであって銃創が原因とか勝手に決めつけるなって主張してる訳よ

500 :人間七七四年:2020/06/02(火) 17:10:46 ID:Vg88eHrj.net
わからないなら通説の通りでいいじゃん

501 :人間七七四年:2020/06/02(火) 17:24:33 ID:1uSSZG/t.net
わからないはわからないで置いておくべきものであって
わからないからじゃあ決めつけようは学問でもなんでもない

502 :人間七七四年:2020/06/02(火) 17:30:25 ID:Vg88eHrj.net
>>501
わからないことを証明してみたら
一次資料に鉄砲傷に関する記述がまったくないとかさ

503 :人間七七四年:2020/06/02(火) 17:34:33 ID:KlsmzsIm.net
史料には鉄砲に撃たれてそのあと死んだって書いてあるから鉄砲傷で弱って死んだという解釈が妥当だろ
別の死因の史料でも出てこない限り

504 :人間七七四年:2020/06/02(火) 17:36:45 ID:1uSSZG/t.net
あなたはもうちょい落ち着いて物を見た方がいい
私は関ヶ原合戦時に井伊が撃たれてないなんて一度も言ってない

そのあと1年以上も生きてるのになぜ銃創が死因と決めつけるのか、わからないものはわからないにすべきと言ってるんだよ
無いものの証明を求めるなんてバカげた事しないでよ
むしろ銃創が原因で亡くなったと言い張る証拠はあるのか?

505 :人間七七四年:2020/06/02(火) 17:37:12 ID:1uSSZG/t.net
どの史料に鉄砲傷が元で亡くなったって書かれてるの?

506 :人間七七四年:2020/06/02(火) 17:43:51 ID:Vg88eHrj.net
>>504
>私は関ヶ原合戦時に井伊が撃たれてないなんて一度も言ってない
そんなことは論じてない お前が落ち着け
1年以上生きてたら銃創が原因じゃないってのは当時にあり得たからきっとそうだじゃねえの

507 :人間七七四年:2020/06/02(火) 17:47:52 ID:1uSSZG/t.net
>一次資料に鉄砲傷に関する記述がまったくないとかさ
こんなことを聞いておいて今更何を言ってるんですか?
鉄砲傷を受けたことは最初から認めてるんですよ、それが死因だと決めるのはおかしいと言ってるでしょうに
どこに、鉄砲傷が元で亡くなったと書かれているんですか?

当時的にあり得たなら餅のどに詰まらせて亡くなったでもなんでも言い張れますわ

508 :人間七七四年:2020/06/02(火) 17:49:46 ID:Vg88eHrj.net
>>507
言葉足らずだったな
鉄砲傷(で死んだこと)に関する記述な

509 :人間七七四年:2020/06/02(火) 17:49:51 ID:1uSSZG/t.net
蓋然性の低いものを無理くり死因に決めつけるなって言ってるだけですよ
これが鉛中毒の症状なり出てたとか、銃創特有の症状で苦しんでいたとかならまだ蓋然性も高いでしょうが

あり得たからきっとそうだは学問じゃなくて妄信ですよ

510 :人間七七四年:2020/06/02(火) 18:04:40 ID:8aCFRLwV.net
ここってわからない(もしくは知識が無い)通説を否定するスレなの?
通説はこうだけど実際は違うって判明したものをネタにするのじゃなく

511 :人間七七四年:2020/06/02(火) 18:08:17 ID:1uSSZG/t.net
通説はこうだけどこうこうこういう形で違うってのが判明したってのも
通説でこう言われてるけど実際は確定できるほどじゃないよねも一緒ですよ

変な断定はしない、これが研究への敬意の大前提でしょ

512 :人間七七四年:2020/06/02(火) 18:09:31 ID:KlsmzsIm.net
井伊年譜くらい読めよ
鉄砲傷が祟って狂乱のうちに薨ると書かれてあるだろ

513 :人間七七四年:2020/06/02(火) 18:14:22 ID:1uSSZG/t.net
井伊年譜に書かれているのですね
ではその井伊年譜は当時の記述ですか?

家譜は盛られるってのは家譜を読んだことのある方なら知ってると思うのですが

514 :人間七七四年:2020/06/02(火) 18:17:34 ID:KlsmzsIm.net
史料があっても認めない発狂スタイルかよwww

515 :人間七七四年:2020/06/02(火) 18:18:52 ID:kzEVxECe.net
「通説」という以上、そう主張する学術論文があるってことなんか?
まあ、日本史の場合、法学なんかと比べて「通説」の用法ガバガバだけど

516 :人間七七四年:2020/06/02(火) 18:21:58 ID:1uSSZG/t.net
だから、当時の記述かどうか聞いてるんですよ
他人を狂人扱いする前に研究がどう行われてるのか少しでも読んだらどうですか
家譜や年譜は祖先顕彰のためによほど盛られる史料ですよ、ゆえに当時の記述かどうかを聞いてるんです

といっても死因なんてものはその場で叩き斬られたとかでもない限り決めつけるべきでないと考えますが

517 :人間七七四年:2020/06/02(火) 18:49:23.52 ID:KlsmzsIm.net
もういいよこいつ
井伊年譜も知らねえんだもん

518 :人間七七四年:2020/06/02(火) 18:54:06.32 ID:1uSSZG/t.net
ましてや死因を下に生きてた頃の性格推し量るなんて言語道断ですよ
少なくとも創作だなんだというなら科学的な見地に立って物言うくらいはしましょうよ

当然井伊直政の死因についても最近は研究進んでて銃創が元ではないのではないかと言われてるのもご存知でしょうし

519 :人間七七四年:2020/06/02(火) 19:05:28.91 ID:KlsmzsIm.net
こいつがどうしょうもねえのは「家譜は認めねー!」とか言いながらその手の史料に記載されてる銃撃された話とか大病で死んだ話とかは「確定してる」とか言い出すところなんだよ

だからみんなにバカにされている

520 :人間七七四年:2020/06/02(火) 19:05:29.36 ID:Vg88eHrj.net
>>518
追撃中に鉄砲受けて負傷だけで性格推測には充分でしょ
即死ならともかく後に死んだからって性格とは関係がない

521 :人間七七四年:2020/06/02(火) 19:09:31.92 ID:1uSSZG/t.net
どこに大病で死んだが確定してるって私が書いたんですってばだから
頭に血がのぼってるからって他人の発言捏造するのやめてくださいよ

当代の史料かどうか聞かれただけでそこまで噴きあがって何がしたいんですかあなたは


勿論追撃中に射撃されたのも性格を推測する一つの重要な要素ですよ
でも、こう死んだからこの人の性格はこうだ、なんて言い方はしないですよ

522 :人間七七四年:2020/06/02(火) 19:10:27.88 ID:1uSSZG/t.net
家譜の性格と書状とで史料としての性格が全然違う事までご存知ないわけではないでしょうに

523 :人間七七四年:2020/06/02(火) 19:12:06.30 ID:1uSSZG/t.net
勝手にみんなにバカにされてるなんてだーれも言ってない事まで言い出すし
あなた自分で自分の信ぴょう性うさん臭くしてどうするんですか

524 :人間七七四年:2020/06/02(火) 19:14:59 ID:Vg88eHrj.net
落ち着けもそうだったが頭に血が上ってるもブーメランだよなあ

525 :人間七七四年:2020/06/02(火) 19:18:04 ID:1uSSZG/t.net
で?当代の記述ですか?井伊年譜は
そして私がいつどこで大病が死因だって言い出したんですか?

他人バカにできるほど偉いこと言えてないですよ?あなた

526 :人間七七四年:2020/06/02(火) 19:20:00 ID:KlsmzsIm.net
こいつ関ヶ原で撃たれた井伊直政なみに顔真っ赤になって自分が何を言ってるのか分かってないのかwwww

527 :人間七七四年:2020/06/02(火) 19:24:24 ID:1uSSZG/t.net
まーたレッテル張り
聞かれた事に答えられないで何言ってるんですかあなたは

挙句井伊が顔真っ赤だったとか余計な事まで言って自分の品位まで落として

死因が特定されてないって話がそこまで気にくわなかったんですか

528 :人間七七四年:2020/06/02(火) 19:42:34 ID:Vg88eHrj.net
逆に死因の話がそんなに気に食わないのかと問いたいわな しかも自分で話振っといて

529 :人間七七四年:2020/06/02(火) 19:44:18 ID:Vg88eHrj.net
あと最近の研究で新説があるのなら披露すればいい
わからないから決めつけよくない連呼じゃなくて

530 :人間七七四年:2020/06/02(火) 19:50:50 ID:1uSSZG/t.net
だから、研究の結果が別に死因銃創じゃない可能性あるよねなんだってば

自分の話した事の正確さを担保できないのに話しておいて指摘されたら逆ギレってどうなの

531 :人間七七四年:2020/06/02(火) 19:51:48 ID:1uSSZG/t.net
わからないものは決めつけずにちゃんとわからないと言うのが科学だってわかってる?

532 :人間七七四年:2020/06/02(火) 19:54:51 ID:Vg88eHrj.net
>>531
未確定事項は通説では○○でよくない?と思ってるので

533 :人間七七四年:2020/06/02(火) 19:56:52 ID:Vg88eHrj.net
>>530
ちなみにその研究に使われた資料は? それは一次資料として確かなの?
昔の有名な研究家の説が嘘八百だったとかあるからなあ

534 :人間七七四年:2020/06/02(火) 20:02:40 ID:1uSSZG/t.net
ああ、主張に使われてるのは井伊年譜や他にも関ケ原後の井伊が出した各家宛て書状各種ですね
年が空きすぎな点やその後の奔走ぶりを踏まえての研究ですね

未確定なものは未確定、と踏まえた上で通説では何々、とおっしゃってるなら
非常によく研究へ敬意を払った姿勢だと思います

535 :人間七七四年:2020/06/02(火) 20:22:24 ID:Vg88eHrj.net
>>534
やっと喧嘩売ってるのは自分だと理解したか

536 :人間七七四年:2020/06/02(火) 20:24:25 ID:1uSSZG/t.net
最初から言うべき事も言わないでごたごた言った挙句他人にレッテル張りしたりいらん一言いう悪癖さえなければなおよかったですね

537 :人間七七四年:2020/06/02(火) 20:50:14.52 ID:Vg88eHrj.net
>>536
最初に言ってるってのw >>500
むしろ言うべきことを言わずに通説を否定してかかったのがお前
わからないからとか言わないで最近の研究ではと言えばいいのに

538 :人間七七四年:2020/06/02(火) 20:55:59.22 ID:1uSSZG/t.net
わからないのなら通説のままでいいじゃんって発言で
未確定を未確定のまま踏まえてるかどうかわからんでしょ

言うべき事が足りてないんだよあなたは、そのくせ一言いらんこという

まぁそもそも井伊直政が頭に血が上りやすいどうたらこうたら言ってた人が問題だったわけだけれども

539 :人間七七四年:2020/06/02(火) 20:57:35.69 ID:E1kJKxp8.net
レスバは最後に〜を信じている人同士だと争いは終わらないなw

540 :人間七七四年:2020/06/02(火) 20:58:35.89 ID:1uSSZG/t.net
他人との話に割り込んできて最初から言え云々は筋違いにも程があるわ

541 :人間七七四年:2020/06/03(水) 00:51:08 ID:VOvT1hUb.net
IDが赤備えになってるし、こいつ直政じゃね?

542 :人間七七四年:2020/06/03(水) 01:07:38 ID:AJJS9asB.net
しょーもない煽りをしてるんちゃうわ

543 :人間七七四年:2020/06/03(水) 10:48:04 ID:KykCfgs0.net
対象人物存命中の手紙や記録などの類しか史料として認めない
身内が書き残したり保存してた記録は盛ってるに違いないから認めない
このキチガイ理論はなかなか凄いな

ちなみに井伊直政に対してこれをあてはめると……

本能寺の変以後の合戦で名前が見られる
なのに徳川家康に仕えた譜代家臣の中で高崎城主12万石などトップの恩賞を受ける
関ヶ原で福島正則と共に先手をつとめた
その功績としか言いようがないが石田三成の佐和山を与えられ徳川幕府最高の評価を得て子孫は幕末まで隆盛を誇った

これしか語りようのない人物になるwww

井伊直政を狙撃した柏木源藤が、直政が亡くなったと聞いて申し訳ないと弔いの旅に出て帰らなかった話とかも、島津領内で伝わってるだけの史料だから全部無しなwww

544 :人間七七四年:2020/06/03(水) 10:59:03 ID:RmkKn6RD.net
最近の研究とか言い出したら従来の関ヶ原合戦は相当盛られてるという話だが
しかし本能寺ですら歴史は原因ではなく結果だと動機研究はスルーされ気味だったのに直政の死因を研究してる人なんているのな

545 :人間七七四年:2020/06/03(水) 11:26:36.08 ID:M0ohFr8S.net
「井伊直政」野田浩子(戎光祥出版)だと、同時代史料での病気にも言及してて単純な銃創説には懐疑的だった

546 :人間七七四年:2020/06/03(水) 11:27:15.47 ID:AJJS9asB.net
史料が一次史料か二次史料か聞かれただけで認めないと思ってる愉快な脳みそのが問題やろ

547 :人間七七四年:2020/06/03(水) 13:29:05 ID:+xZnN13P.net
わざわざ煽る必要もないと思うけど

548 :人間七七四年:2020/06/03(水) 17:47:15 ID:H5ip6rrB.net
病気といえば大谷吉継、ハンセン氏病じゃなくて眼病だったらしいから吉継の病気関連の逸話は全て創作か?

549 :人間七七四年:2020/06/03(水) 18:52:08 ID:KykCfgs0.net
石田三成の茶の話は史料が残ってない

550 :人間七七四年:2020/06/03(水) 19:44:17 ID:AJJS9asB.net
眼病で膿が垂れるってのもなさそうだしなぁ
じゃあいつ頃からハンセン病と扱われるようになったのかも気になる

551 :人間七七四年:2020/06/03(水) 20:39:37.65 ID:qtNYOSXI.net
WIKIPE調べで申し訳ないが「関ケ原合戦誌記」「関ケ原軍紀大成」あたりだって書いてあるな
関ケ原合戦誌記は年代不明で関ケ原軍紀大成は1713年頃に完成したんだっけ?

552 :人間七七四年:2020/06/03(水) 21:11:48.73 ID:+GjoHgOE.net
吉継、島津と酒飲んで二日酔いで動けなくなっているしな
関ヶ原の頃は普通に動けたんじゃないかな

553 :人間七七四年:2020/06/03(水) 21:14:51.46 ID:AJJS9asB.net
>>551
おお、ありがとうございます 少なくとも1713年時点でハンセン病扱いになってるんですね

吉継、逸話ばかりが有名で肝心の実像がほんと知られてない人物ですよね

554 :人間七七四年:2020/06/04(木) 01:51:03.88 ID:zooui/se.net
そもそも吉継の茶の話は後世の創作でしかも相手は秀吉。更にその後三成との話に改変された

555 :人間七七四年:2020/06/04(木) 11:31:46 ID:vH213pum.net
大谷吉継はあんな少ない兵で小早川と東軍両方に備えていたってバカなのかな
といっても当時の史料では関ヶ原の経緯は全く不明なので戦略についてああだこうだいっても始まらんけどね

小早川の裏切りで勝負が決まったことと家康からの見返りが凄かったことと
世間から非難されるくらい酷い裏切りだったことしかわかっとらん

556 :人間七七四年:2020/06/04(木) 11:46:07 ID:d6VMZawc.net
小早川の裏切りって当代からそんなひどい呼ばわりされてたっけ?

557 :人間七七四年:2020/06/04(木) 11:59:59 ID:vH213pum.net
されてたよ
小早川家臣の松野重元なんか主君の卑怯さに憤慨して離脱したくらい
これを評価されて戦後は田中吉政に雇われた

558 :人間七七四年:2020/06/04(木) 12:53:57 ID:d6VMZawc.net
松野の出奔とか当代の史料として裏切りに憤慨してって記述してあるの?
誰がそんなこと書いたの?

559 :人間七七四年:2020/06/04(木) 13:05:50 ID:d6VMZawc.net
返り忠とみなされたならそもそも加増にはならないし
であればあらかじめ東軍につくと約束したうえでの行動で、それは当代では当たり前の行為
しかもご存知の通り問鉄砲は創作

松野が出奔した事とそのあと田中家に雇われたってのはわかるけど、そこの理由付けは本当に関ケ原での離脱が評価されたのか

小早川の行動が当時からひどいと評されていたってのは、どの史料を基に言われているか 確認できる?

560 :人間七七四年:2020/06/04(木) 13:59:07 ID:vH213pum.net
うるさいなあ
中臣祐範記に載ってるよ
自分で調べろよ

こいつ前に顔真っ赤にしてた家譜は認めない厨じゃね?

561 :人間七七四年:2020/06/04(木) 14:31:57 ID:a5wYUA+d.net
此度の事は武勇の事とは言え旧孝の事とは言え
卑怯なおこないとして世間から嘲笑されている。
中臣祐範記9月15日項

まぁどう繕っても手返しなんで非難する人は非難するやろな

562 :人間七七四年:2020/06/04(木) 15:52:40 ID:nqTnWg47.net
>>560
外出先なのでID変わってます
ありがとうございます、ただ出典聞いただけでうるさい呼ばわりは意味わからん
匿名の言ってる事なんだから確認取るなんて当たり前じゃん、別にあんたが嘘言ってるなんて貶した訳でもないのにそこまで言われる筋合いないわ
確認取られたくらいでキレるくらいなら書くなよ気持ち悪いなぁ

563 :人間七七四年:2020/06/04(木) 16:29:43 ID:nqTnWg47.net
ましてや中臣氏で9月15日てもろ関ヶ原当日かそこらで、西軍が思いっきりお膝元にしてる畿内にいる人物やんけ

そういう背景も考えて書状がどの程度信用できるか頭使うんが研究つーもんやろが
批判や疑問入っただけで顔真っ赤にして他人バカにするならお前なんも学べてないわ

564 :人間七七四年:2020/06/04(木) 17:30:49.35 ID:a5wYUA+d.net
横からですけど顔真っ赤ですよ

565 :人間七七四年:2020/06/04(木) 17:36:14.84 ID:ajTJ+wPG.net
僕も横からですけど教えてもらっておいて「気持ち悪いなぁ」は酷いと思います

566 :人間七七四年:2020/06/04(木) 17:47:43.82 ID:gp4i4kpL.net
なんで関西弁になってるの こいつ

567 :人間七七四年:2020/06/04(木) 18:07:07.92 ID:nqTnWg47.net
普通に教えてもらえれば怒らんわ
バカにされて怒るのはおかしいって、それこそおかしいだろうがよ

喧嘩売った側に言えや

568 :人間七七四年:2020/06/04(木) 19:46:59 ID:ijdlnucp.net
奈良周辺における風説という点では一次史料だが、
その他の点においては二次史料だからなー
松野だ田中だは明らかに言い過ぎ

というか、大谷が「小早川と東軍両方に備えていた」って
のはどっから出てきた話よ

569 :人間七七四年:2020/06/04(木) 19:57:19 ID:zooui/se.net
下手すると明治後の話だな

570 :人間七七四年:2020/06/04(木) 20:05:43 ID:gp4i4kpL.net
よくある関ヶ原ストーリーだと大谷は小早川だけなら持ちこたえてたが脇坂らの裏切りが致命傷ってことになってるな
大谷が一時的にせよ小早川を押し返したってのも今となっては信ぴょう性に欠けるか

571 :人間七七四年:2020/06/04(木) 20:29:49 ID:UJk5Nti9.net
その辺の記述は江戸中期成立の関ヶ原軍記大成が出典とみかけたけど
著者の宮川忍斎くわしく知らないけど若狭出身の兵学者って知って吉継に盛ったか?って気はした

572 :人間七七四年:2020/06/04(木) 21:28:57 ID:zooui/se.net
一次資料だけ見れば大谷吉継は瞬殺されてるな

573 :人間七七四年:2020/06/05(金) 12:29:07.20 ID:LF7+Motl.net
大谷って逸話的な評価は高いのに石高が低いのはなんでや

574 :人間七七四年:2020/06/05(金) 13:09:57 ID:4rSJlDau.net
逸話的な評価だからだろ

575 :人間七七四年:2020/06/05(金) 13:12:41 ID:LzhS+0Yt.net
他奉行が大体10万石超えるくらいのころ合いでちょうど眼病でドロップアウトしてたからじゃないかな?

にしてもウィキペの大谷吉継の項
秀吉冊封に際し、吉継は石田三成、小西行長、宇喜多秀家、増田長盛とともに大都督の官位を受けることになっていた
って書いてるけど小西独断だったことや秀吉による修正案にも触れないし、嘘ではないけどわざと歪んだ情報だけ切り抜いててたちが悪い

576 :人間七七四年:2020/06/05(金) 17:57:31 ID:eq7iCimC.net
>>573
大坂の陣で息子もしょぼかったし実はたいしたことないのでは

577 :人間七七四年:2020/06/05(金) 18:02:45 ID:Qa8Dryqd.net
息子は関係ないだろうが息子はよォォォ!!?

578 :人間七七四年:2020/06/05(金) 18:13:55 ID:FFw4emdI.net
大谷や島左近あたりはこいつらくらいは
凄かったことにしておかないと
関ヶ原が盛り上がらない感

579 :人間七七四年:2020/06/05(金) 18:16:26 ID:UDd6ISGP.net
三成持ち上げられないから、代わりに持ち上げられただけじゃないの?
その過程で業病だの百万の指揮だのと色々おまけが付いていって

580 :人間七七四年:2020/06/05(金) 18:46:02.29 ID:xI1ciClq.net
大谷持ち上げは幸村の岳父だったことも影響ありそう

581 :人間七七四年:2020/06/05(金) 19:05:22.09 ID:6TYNqRWh.net
吉継のあの白頭巾姿のイメージはいつ頃出来たんだろう

582 :人間七七四年:2020/06/05(金) 19:10:48 ID:eq7iCimC.net
>>577
いや真田と大名時代の石高とかたいして変わらんのに扱いがなあ
そもそも信繁は嫡男じゃないし真田は元々は外様だし
豊臣恩顧の元有力大名の嫡男が入城したならもう少し存在感があってもよかったのじゃないか

583 :人間七七四年:2020/06/05(金) 19:21:16 ID:ApR/FUiB.net
その点で行くと増田盛次なんかは過小評価になるのかな

584 :人間七七四年:2020/06/05(金) 19:29:31 ID:wt4PFcb/.net
>>582
あの頃の豊臣家じゃもうどれだけ兵隊連れてこれたかが評価基準みたいなもんだしな

585 :人間七七四年:2020/06/05(金) 20:56:07.23 ID:5rbkdbqi.net
>>576
大谷吉治は吉継の実享年36からして実子じゃなく弟かつ養子だった可能性が高いぞ

586 :人間七七四年:2020/06/05(金) 22:35:11 ID:auQQP1zt.net
近年の説だと
幸村は秀吉馬廻で1万9000石、従五位下佐衛門佐と歴とした大名だから
大坂の大将の中では長宗我部や毛利と同じ改易大名(本人)組
改易大名の嫡嗣子とはやはり差があるんでは

もっとも改易大名組には氏家行広や南条元忠とかいるけど

587 :人間七七四年:2020/06/06(土) 01:48:40 ID:w+FlTO6A.net
元20万石大名の長宗我部
元親子兄弟合わせて10万石大名の後継者の真田
元親子で10万石大名の後継者の毛利
元17万石の筆頭重臣の後藤
元50万石の筆頭重臣の明石

任せられた兵力が5000人と言われ10万石規模だから10万石の格が必要だったんじゃないかな
あるいはもっと現実的に10万石規模の運用を間近で見ていた経験と教育を重視したか
まぁ経歴はよく知らんが仙石秀範も条件にかなっちゃうかもだが

588 :人間七七四年:2020/06/06(土) 06:14:22 ID:TOKbRwpz.net
>>586
真田の犬伏の会談は大名かつ現当主の昌幸と、息子かつ家臣の信幸と信繁の話という雰囲気で伝わっていたけど
実際は大名3人のやり取りなんだね
そんでその犬伏の別れも近年の関ヶ原研究でなかった可能性が高いという

589 :人間七七四年:2020/06/06(土) 15:24:53 ID:mle7AMOq.net
>>585
当時なら30半ばの親に元服した息子がいても特におかしくはない
大谷吉治が大坂の陣の時に50歳だった説を取ると計算が合わないけど これだと吉継とほぼ同年代ということになる
真田信繁の嫁も吉治も吉継の実の弟妹だとすると世代的にはちょうどいいのかね

590 :人間七七四年:2020/06/07(日) 21:21:48 ID:p5sNJl13.net
国松への処置のせいか処断されたようなイメージがあるけど
西軍首脳の遺族、生き残っているんだよな
三成、吉継の子息は勿論、長束の子供も生き残っているし

591 :人間七七四年:2020/06/08(月) 09:10:10 ID:DQl4tspx.net
そもそも大坂の陣でも子供にまで処罰が及んだのって豊臣家くらいじゃないの
信繁の子息でも自主的に殉死した嫡男以外は生き延びてるし

592 :人間七七四年:2020/06/08(月) 09:36:32 ID:VdfXadqO.net
古田織部

593 :人間七七四年:2020/06/08(月) 10:07:02 ID:DQl4tspx.net
あれ内通だし全然事情が違うでしょ
それに息子の方も関わってた(もしくはそう判断された)可能性が高いんじゃないの

594 :人間七七四年:2020/06/08(月) 10:53:57 ID:pQDAj75C.net
関ケ原だと西軍に参加してた子息でも許される事が多かったから
それに比べると処断は厳しいと言えば厳しいかな
ただ徳川方の武将の嘆願で助命される事もあるなど例外も多い

595 :人間七七四年:2020/06/08(月) 11:51:08.58 ID:iRM7GFQX.net
とりあえず降伏って形になってそれを素直に履行した関ケ原と
殆ど降伏みたいなもんだけど和睦が一回成ったのに和睦条件を守らずにまたやった大坂の陣の差じゃない?

関ヶ原と比較するなら大坂冬の陣の方で、あれは超甘々

596 :人間七七四年:2020/06/08(月) 13:26:53 ID:nD7VvvNq.net
>>591
土佐に残ってた毛利勝永の男子は斬首されてる 長宗我部盛親の子も殺された
逆パターンでは子が参陣した増田長盛が切腹させられている

597 :人間七七四年:2020/06/08(月) 15:28:57 ID:X0YbKkSL.net
「関ヶ原では息子は許された」と一概に言っていいか
息子達の立場も生き延びた経緯も違いすぎてかなり疑問

石田の息子達は父が失脚しても秀頼に仕えて大阪にいた
とされるので父とは別個に仕えていたとも取れる
関ヶ原当時は単に若年だからか、父のために工作してたか
父とは別個の政治的立場をとったか理由は不明だが
関ヶ原に出陣はしていない
仏門に入ったり匿われたりして難を逃れた

大谷吉治は父に従って関ヶ原にいた
敗軍の将で捕まったら確実に許されないが落ち延びた
その後どこにも士官できず大阪入り

長束助信はおそらく若年のため父とは出陣はせず
正室の縁を頼って細川幽斎といた
東軍→降伏した幽斎に匿われてのちに小倉藩士

598 :人間七七四年:2020/06/08(月) 15:43:32 ID:X0YbKkSL.net
大阪の陣における長宗我部盛恒は本人が大阪に入城して
戦って捕まった末に斬首になってる
処分する側のりくつとしては盛親の息子だからとかでなく

増田長盛の息子も本人が入城してるし
そもそも戦死であって処分ではない

599 :人間七七四年:2020/06/08(月) 16:09:04 ID:i0jOJLzu.net
毛利勝永は経緯を考えると当然の処分というか
下手に温情かけたら山内家に疑いがかけられかねないケースだからなあ
それでも妻と娘は助命されてる

600 :人間七七四年:2020/06/08(月) 16:22:23 ID:nD7VvvNq.net
>>598
盛親は盛恒だけでなく下の息子も殺されてる まあ土佐に逃げた息子の処刑は山内家の思惑もあるだろうけど
増田は盛次参陣の連座で親の長盛が切腹した逆パターンだっての

601 :人間七七四年:2020/06/08(月) 16:35:32.10 ID:X0YbKkSL.net
盛親の下の子どもらは歳も動向もよくわからないけど
おそらく幼年だろうし連座かもね

長盛の罪状は息子が大阪に入るのを認めて止めなかったこと
所謂連座とはまたちょっと違う
義直が許してたという話はあるけどそれはまたちょっと違う話

602 :人間七七四年:2020/06/08(月) 21:07:51.49 ID:iRM7GFQX.net
これ斬れって言った主体が徳川じゃないパターンの人もいくらかいそうよね

関ヶ原の時も毛利が証拠隠滅か点数稼ぎたかったのか知らないけど小西行長の倅斬ってるし

603 :人間七七四年:2020/06/09(火) 12:50:10.96 ID:lHVFmpbH.net
代表的な例では毛利が内藤元盛の息子を自刃させてるな
幕府というか家康は息子のことを不問にしたそうだが毛利が自己判断でやった
増田の息子のことも家康は豊臣に対する忠義者よと褒めた逸話があるし家康の感想と幕府の思惑が一枚岩とは限らんわけだが

604 :人間七七四年:2020/06/09(火) 13:09:40.91 ID:i65sWrKq.net
明智光秀は持ち上げられすぎでそのために織田信長の天下取りの歴史まで歪められている気がする

その中の一人が森三左衛門可成だと思う
まず織田信長ははじめは尾張の大うつけと呼ばれるくらいバカにされて柴田勝家も敵に回るくらいバカにされていた
身内意外で味方になったのは佐久間と森くらい俗に言う木綿藤吉、米五郎左、掛かれ柴田に、退き佐久間 攻めの三左
この中で一番はじめに信長を支えていたのが森三左こと森可成と佐久間信盛と丹羽 長秀
特に稲生の戦いでは信長の軍は総勢700人で
柴田勝家の軍に攻められてあわや打ち取られる寸前までいったが(この時の信長の周りには40人しかいなかった)
織田信房・森可成の奮闘でようやく切り抜けた

その後に時間をおいて柴田勝家は許されて信長の軍に復帰する
それで桶狭間の戦いに進むわけだが、やはり主力は森三左で常に信長の側にいた
時には単独で今川の領内に入り込みスパイ活動もした
その中で前田利家も許して貰えるように参戦していた

つまり初期の織田軍では明智光秀の姿はなくほぼ森蘭丸(お乱)の父三左(可成)の力で成り上がってきた

思うに美濃攻略までの主力であり三左がいなければ信長は稲生の戦いで消えていた可能性が大きい
三左は信長より10歳くらい年上で既に歴戦の名将でおそらくは信長が外部の美濃から召し抱えたはじめての武将だと思う
そこから三左は信長のために奔走する

森三左衛門可成は早くに死んでしまうけど、もう少し評価してもいい気がする
特に初期の信長軍においては筆頭であり桶狭間の戦いも三左の緻密な奇襲攻撃がなければ勝てなかった思う
今川軍の位置を信長に知らせたのが簗田政綱という説を支持したい
三左自身も今川軍にスパイ行為を行っているので大戦ではこのくらいの準備はしていたと思う
信長公記でも信長は従来の家老を信用していなのは明白で内密で動いていた
そしてこれらの裏での緻密な戦術が木下藤吉郎や蜂須賀小六に引き継がれたと思う

605 :人間七七四年:2020/06/09(火) 13:20:35.36 ID:i65sWrKq.net
思うに桶狭間の戦いこそが信長の戦での真骨頂だと思う
その戦いは実は緻密で本当に気の許せる家臣にしかその全貌は知らなかったと思う
今川軍の位置を知るためにあらかじめ配置していた簗田政綱だけではなく
その他諸々の準備をしていたのは想像に難くない
何の準備をしていないふりをして身内から騙していったのが桶狭間の戦いだと思う
既にその頃には三左だけではなく信長自身も歴戦の将だったのだから

606 :人間七七四年:2020/06/09(火) 14:33:30 ID:BqTzU4ms.net
簗田政綱の功績が諜報によるというのは
司馬遼太郎の説だっけ?

>>602>>603
当時の大名家中や領内の警察権を持ってるのは
原則としてその大名家だからね

「大阪に篭って敵対した」のは幕府に対する反逆だが
「身内が敵方に奔った」「それを手助けした」というのは
それぞれの家中の問題じゃないかと

もちろん大名家の方では公儀に楯突いた者を罰して
大御所や幕閣に対しておもねる意図はあったろうけど
それぞれの法度に照らしても勝手な出奔は当然違法だろうし

607 :人間七七四年:2020/06/09(火) 15:02:30 ID:+naCq3dn.net
大坂の陣の戦後処理はケースバイケースではあるが大きく分けると
本座(秀頼譜代)は首脳陣以外は主君秀頼に忠で従っただけなので改易だけで済まされ1年後には幕府や他藩への仕官も許された。
新座(浪人衆)は行かなくてもいいのにわざわざ幕府に反抗しに言った連中なのでガチに罪人扱い
身元引受大名が強く許しを請うなど例外を抜かせば仕官も禁止され全面解除されたのはなんと35年後の由井正雪の乱の事後処理改革の時という

608 :人間七七四年:2020/06/09(火) 15:37:22.77 ID:+naCq3dn.net
増田長盛親子の場合は関ヶ原で改易された後に幕府に旗本として登用されしかも駿府衆といわれる家康の親衛隊だったわけで
ただの浪人の大坂入城じゃなくて謀反人というべきものなので親は腹くらい切らなきゃどうしようもない
外様大名の関係者などは江戸幕府はイメージと違って外様大名を優遇したたのでわざわざ取り扱いを訪ねたり身柄を引き渡してる

609 :人間七七四年:2020/06/09(火) 16:15:09 ID:i65sWrKq.net
>>606
>簗田政綱の功績が諜報

『三河後風土記』や小瀬甫庵の『信長記』に出てくる記述が概ね正しいと思うけど
思うにこの桶狭間の戦いで利用された幾つかの秘匿された戦術が
木下藤吉郎(後の豊臣秀吉)に継承され利用されて
徳川家康もかなり恐れていたと思うんだよね

で最後の最後の大阪夏の陣で毛利勝永(元々は森家の一族)が爆発したと思う
家康も森三左衛門可成を思いだし腰を抜かして一時的にせよ退却したと思う

桶狭間の戦いの因縁は結局は戦国の世の最後の最後の戦いにまで大きな影響を及ぼしたと思う

610 :人間七七四年:2020/06/09(火) 16:20:24 ID:i65sWrKq.net
>>604
ここでは攻めの三左こと森三左衛門可成だけ書いているけど
実際にはいろいろな森がいて実は三左衛門を支えていた

611 :人間七七四年:2020/06/09(火) 16:27:57 ID:901HHrQz.net
爆発?

612 :人間七七四年:2020/06/09(火) 16:49:40 ID:lHVFmpbH.net
>>609
妄想するのは勝手だけど55年前の戦術が通用するのかねえ
鉄砲の普及でいくさの仕様も変わってるし

613 :人間七七四年:2020/06/09(火) 17:07:23 ID:IXn8r9jm.net
>>609
実戦とゲームの攻略法は分けて考えような

614 :人間七七四年:2020/06/09(火) 17:17:39 ID:6IFVQ9dM.net
思う思うばっかで考証するに値する段階ではない
参考にしてる史料も三河後風土記と小瀬甫庵信長記とか眉唾ものだし

なんというか自分に酔ってそうって感じでもっと客観的な視点で見るようにしてくれとしか

615 :人間七七四年:2020/06/09(火) 17:40:23 ID:BqTzU4ms.net
ニンジャアクション小説のプロットだろ?
最後毛利勝永と真田人軍が家康爆殺を狙って服部半蔵と戦うってなってるし

616 :人間七七四年:2020/06/09(火) 18:28:06 ID:jNidjC97.net
>>612
その55年前の信長軍も鉄砲は所有していたよ
むしろ鉄砲を使わない森一族とかあり得んわ

617 :人間七七四年:2020/06/09(火) 18:34:43 ID:jNidjC97.net
>>614
まあ信長公記みてもわかるけど
森三左衛門可成はかなり活躍しているけどね
この部分はむしろドラマなどの方に間違いが多いんだけどね

桶狭間の戦いは秘匿された部分が多いからね
断言はできないが俺は三河後風土記と小瀬甫庵信長記(小説の要素が多い)にも正しい部分はあると思うよ



あと森蘭丸についていうと完全に親父の功績のおかげで可愛がられているね

618 :人間七七四年:2020/06/09(火) 18:36:50 ID:jNidjC97.net
>>613
だからお前のようなのが歴史をつまらなくするのな
徳川の史料とか徳川側にだけ有利なように書いていないからな

619 :人間七七四年:2020/06/09(火) 18:53:13 ID:jNidjC97.net
>>611
表現が悪かった
秀忠家康の本陣突破な
大混乱した本陣だが立花宗茂の指揮で態勢を整えた徳川軍は真田軍を追い込み勝利した

620 :人間七七四年:2020/06/09(火) 19:00:18 ID:6IFVQ9dM.net
主張に客観視を求められてるのにつまらない面白いの話してる時点で論外
ましてや史料批判すら理解できてないのはさすがにもうちょい今の史学研究がどう行われてるか程度は調べておけよと

こんだけ言われてわからないならそもそも話の通じない人やぞ

621 :人間七七四年:2020/06/09(火) 19:03:47 ID:jNidjC97.net
>>620
だから信長公記の話も出しているだろう?
まあつまらないとかは確かに余計な表現だったな

622 :人間七七四年:2020/06/09(火) 19:09:18 ID:6IFVQ9dM.net
首巻の信長公記がどういう扱いなのかくらいは調べとけよ
言っとくけど森の活躍を否定してるのではなく、あんたの主張がまるで実証どころか筋道にもなってない点についての批判だから

分からないけど継承されたはずだ、なぜならわからないからとか論外

623 :人間七七四年:2020/06/09(火) 20:25:57.07 ID:J9qG5+AR.net
>>622
まあ俺の主張にもいい加減な部分が多かったな
毛利勝永も森は森でも近江や尾張の森なんだな
この部分については謝るわ
同じ信長の森でもちょいと系統が違うのな

624 :人間七七四年:2020/06/09(火) 21:05:51 ID:J9qG5+AR.net
>>617
ついでに桶狭間の戦いでも奇襲説は『織田軍記』『甲陽軍鑑』が唱えている

625 :人間七七四年:2020/06/09(火) 22:38:24 ID:U/ZZeNUb.net
桶狭間の奇襲説こそスレタイに相応しいな
何十年も前に藤本の正面攻撃説で否定されたのに
令和の時代にもまだ信奉者がいるのが驚きw

626 :人間七七四年:2020/06/09(火) 22:40:14 ID:6IFVQ9dM.net
なぜかIDころころ変えるし 荒らしっぽいなぁ

627 :人間七七四年:2020/06/10(水) 01:30:49.24 ID:vfNncNzR.net
>>625
藤本の正面攻撃説に反論する本も出版されているけどね

桶狭間合戦の真相―中島砦発にして用意周到・機略に満ちた奇襲戦だった (日本語) 単行本 – 2012/10/1

628 :人間七七四年:2020/06/10(水) 11:21:38 ID:aX3H8dID.net
>>625
信奉者とかじゃなくて、あまり詳しく知らない人でしょ

629 :人間七七四年:2020/06/10(水) 11:56:02 ID:txXHiSnL.net
いや桶狭間正面攻撃説も確証などない「推測」に過ぎないのだが

630 :人間七七四年:2020/06/10(水) 12:13:31.27 ID:Xm0lNAWV.net
ネットの藤本の正面攻撃説で否定された!信者乙!という奴に限って藤本の本読んでないからめんどくさい

631 :人間七七四年:2020/06/10(水) 13:08:21 ID:3zWE3NkZ.net
桶狭間の奇襲説も長篠の武田軍が柵の前で壊滅説も映像化等で有名すぎるからねえ

今年の大河では今川軍少数説が取り入れられてたけどな(駿河残留部隊を引いたら尾張侵攻軍は1万半ば)
あの理屈だと後の武田軍2万5千も1万5千くらいになるのだろうか
今川の場合は駿遠三の約70万石で2万5千以上とか多すぎると前から言われてたけど

632 :人間七七四年:2020/06/10(水) 13:15:10 ID:txXHiSnL.net
>>631
そのへんの石高換算も、太閤検地以降のいろんな思惑込の数字なのであまり信頼しないほうが良い。
石高は決してその土地の生産性を正確に表しているわけじゃない

633 :人間七七四年:2020/06/10(水) 13:22:45 ID:3zWE3NkZ.net
>>629
仮に本隊を正面攻撃したのだとしても分散した大軍の間を縫って本隊だけを攻撃するのは広義では奇襲じゃないのかな
従来説だと暴風雨だの飲み食いして油断してただの本隊攻撃自体も奇襲になってるだけで

小牧・長久手の戦いでは豊臣別働隊を徳川が奇襲したことになってるが池田や森が討死した長久手の戦い自体は普通の野戦

634 :人間七七四年:2020/06/10(水) 13:28:54 ID:74xH0kho.net
>>630
確かにみんな読んでなさそうだなw読んでてこれかも知れんが

635 :人間七七四年:2020/06/10(水) 15:44:52 ID:Iz1R2rul.net
桶狭間だけじゃなく奇襲と言われてるのは大体奇襲じゃないのでは

636 :人間七七四年:2020/06/10(水) 16:16:38.71 ID:e4msM04H.net
日本三大夜戦とか奇襲だか言い出したのは頼本陽だっけ?

637 :人間七七四年:2020/06/10(水) 16:32:23.25 ID:TAxAby2G.net
桶狭間が奇襲なら毛利勝永と真田信繁の家康本隊攻撃も奇襲なのかよw

638 :人間七七四年:2020/06/10(水) 17:19:12 ID:Ye6DAZxo.net
>>635
川中島で啄木鳥が成功してたら奇襲?
史実で下山した越軍が甲軍本隊に襲い掛かったのも奇襲と言えなくもない?
あれも桶狭間も偶発的遭遇戦という意見もあるけど 桶狭間の今川側は特に

三方ヶ原は結果的に正面衝突だけど奇襲で武田のケツを叩こうとした徳川軍を待ち構えてた武田が逆奇襲したと言えなくもない

639 :人間七七四年:2020/06/10(水) 18:00:47.06 ID:C3+YOjIh.net
奇襲を意図したけど発覚して失敗することも
期せずして奇襲になることもあるでしょ
軍事的な常識からして最初から最後まで
計画通りにいかないことの方が多い

640 :人間七七四年:2020/06/10(水) 18:09:30.13 ID:pJgRixGO.net
>>636
頼山陽と津本陽がフュージョンしとるよ

641 :人間七七四年:2020/06/10(水) 18:14:32.76 ID:e4msM04H.net
>>640
お、ほんとっすね 指摘ありがとうございます

642 :人間七七四年:2020/06/10(水) 20:22:25.33 ID:TfKZ7pU/.net
「奇襲」って子供でも知っているけど、よく考えたら定義が不明瞭な言葉だな

643 :人間七七四年:2020/06/10(水) 20:28:45.03 ID:aX3H8dID.net
真珠湾攻撃は奇襲でOK?

644 :人間七七四年:2020/06/10(水) 20:34:11.27 ID:mD0E4RCr.net
奇襲とは相手の不意を突く意図で攻撃をしかけることだな
遭遇戦になってたまたま相手が崩れたっぽいのも奇襲に含めようとする奴がいるせいで言葉が乱れる
桶狭間山の戦いは後者の可能性がある

もしくは最初は正面から衝突してたが崩れたので後退しようとした時に思わぬ追撃を受けたとかならその段階のみ奇襲だったのかもしれん
いずれにせよ信長と義元双方の作戦意図は伝わってないので永遠に解けないパズルのピースになってしまった

645 :人間七七四年:2020/06/10(水) 20:35:08.32 ID:mD0E4RCr.net
>>643
ありゃ本能寺の変なみの奇襲
相手を怒らせてしまった

646 :人間七七四年:2020/06/10(水) 21:26:34 ID:5OPCELFj.net
信号弾二発撃って強襲扱いになったんだっけか

647 :人間七七四年:2020/06/10(水) 22:37:45 ID:cC05xYa1.net
>>645
スレチなのでこれだけにしとくが、あれはハルノートから続く相手側の規定路線だろ。怒るのも計画なんだから、奇襲したつもりでも相手の手のひらから出ていない

648 :人間七七四年:2020/06/11(木) 03:04:47.52 ID:ezR+puxI.net
長篠本戦前の酒井忠次による長篠城包囲軍への攻撃も奇襲かね。

649 :人間七七四年:2020/06/11(木) 03:42:46 ID:tgC13eC6.net
>>629
確かに正面攻撃説はない
暴風雨で偶然紛れ込んだはないね
敵に化けて紛れ込んだもあるかもしれないけどそれだけじゃないね
とにかくそんな行き当たりばったりなやり方を信長はやらない
今川本陣から丸見えだから正面攻撃しかないと言うのも浅はか過ぎる

650 :人間七七四年:2020/06/11(木) 10:32:42.44 ID:JDgNghZv.net
誰それならしない、あるいはやるっての
大概自分の理想化したって文言が前についててまるで信用できん

なによりもまず実証を行うべきで願望入れちゃいかんやろ

651 :人間七七四年:2020/06/11(木) 12:18:13 ID:ieq09LC9.net
信長ならやらないとか言い出したらそもそも寡兵で戦う男では無いのだが
でも天王寺砦の援軍とか必要ならばやる
そもそも義元本陣と認識して攻撃したかも不確定だからドラマとかでよくある狙いは義元の首のみという台詞も実際はどうだか

652 :人間七七四年:2020/06/11(木) 19:53:43 ID:2jLilLfT.net
歴史上の有名な台詞って大抵創作らしいしね
有名な創作台詞の「敵は本能寺に有り」は
大河ではやっぱり採用するのかな

653 :人間七七四年:2020/06/11(木) 19:55:09 ID:VjWg7rQ8.net
敵は本能寺にありは江戸後期、もう幕末の創作だわな

654 :人間七七四年:2020/06/12(金) 02:52:11 ID:/sbl/YhD.net
江戸初期でしょ。

655 :人間七七四年:2020/06/12(金) 03:56:31 ID:Xlzbw3qA.net
豊臣時代は光秀sageだから、流布するのはやはり江戸初期なのかねぇ。
徳川sageの幕末にあえて持ち出す必要はないだろうし。

656 :人間七七四年:2020/06/12(金) 12:38:39.73 ID:xCzNumKk.net
是非もなしは信長公記からその他の史料も関係者から聞いた話をまとめたりしている

657 :人間七七四年:2020/06/12(金) 12:41:05.83 ID:xCzNumKk.net
信長と森蘭丸の会話や是非もなしは近くにいた女中から聞いている
本能寺の変では坊さんや女は開放されていた

658 :人間七七四年:2020/06/12(金) 15:23:16 ID:xOZTW0QL.net
早朝の混乱時に女中が近くに侍ってるものなのですかね

659 :人間七七四年:2020/06/12(金) 18:26:31.56 ID:9Y2p4+eD.net
「敵は本能寺にあり」(正確には「敵ハ四条本能寺二条城ニアリ」)の初出は
『明智軍記』で、最低でも元禄以降の成立なので、まあ江戸中期だな

660 :人間七七四年:2020/06/12(金) 18:33:27.02 ID:huiY9Y23.net
誰だよ幕末つったやつ

661 :人間七七四年:2020/06/12(金) 18:53:33.63 ID:KwvmnKqJ.net
>>657
それで蘭丸なの?
乱じゃなくて?

662 :人間七七四年:2020/06/12(金) 19:24:19.20 ID:9Y2p4+eD.net
>>660
「敵は本能寺にあり」(吾敵ハ本能寺ニ在リ)は頼山陽の日本外史なので、まあ江戸末期ではある

663 :人間七七四年:2020/06/12(金) 20:34:03 ID:1hwMxmg3.net
「是非もなし」っていうか、「是非に及ばず」じゃないの?

664 :人間七七四年:2020/06/13(土) 09:08:51 ID:xe6uSifO.net
光秀というと金柑頭って渾名はいつ頃出来たのかね?一次史料にはなかったと思ったけど

665 :人間七七四年:2020/06/13(土) 13:37:16 ID:zMVpTEoO.net
>>658
いないでどうする?
貴人の身の回りには常に世話する者はいるぞ

666 :人間七七四年:2020/06/14(日) 13:29:35.98 ID:khyD8QFa.net
その女中にたまたま牛一がコメント聞けたのも
かなりの偶然な気がする。
伝聞の伝聞でたまたまうわさになってたのならわかるけども。

667 :人間七七四年:2020/06/14(日) 13:40:07.35 ID:/oRxdoKJ.net
牛一なら普通に聞けるでしょ

668 :人間七七四年:2020/06/14(日) 14:39:07.11 ID:qGXy4u0D.net
たまたまと言うか上様の最後の様子なんて
当事者に会って聞けない理由もなけりゃ
噂にならない筈もない

669 :人間七七四年:2020/06/14(日) 14:47:19.39 ID:5aa1qQf0.net
牛一って織田家の歴とした士だからな

お付の女共も、
信長が最後の最期に女は逃げろって言って腹切るために奥に引っ込むまで
寺内で待機してるわけで、武家の女中達だから当然のように命張ってる
ある意味では信長の最期の言葉や状況を伝えるために残ってるわけだし

670 :人間七七四年:2020/06/14(日) 17:51:55 ID:dWadqL55.net
秀吉が大村由己に書かせた『総見院追善記』によると、本能寺当夜の信長は
「将軍(信長)も深関に入り、佳妃好嬪を召集め給ひ、鴛鴦の衾、連理の枕、夜中の私語、寔に世間の夢の限りにあらずや。」
という事だそうで、つまり寝室に女の子をたくさん集めてエッチなことをしていたらしい。

671 :人間七七四年:2020/06/14(日) 18:00:41 ID:GO9sX4I2.net
大村由己か…軍紀物作家が好き勝手書いたんだな

672 :人間七七四年:2020/06/14(日) 18:01:51 ID:4MBgNTTU.net
本当は男の娘を集めてだったのに

673 :人間七七四年:2020/06/14(日) 18:08:26 ID:/oRxdoKJ.net
その日は公家衆接待してたから酒と女くらいしか娯楽ないし

674 :人間七七四年:2020/06/14(日) 18:48:04 ID:ImBIn7kW.net
>>670
美女集めて宴なんだから少なくともホモじゃないなw

675 :人間七七四年:2020/06/14(日) 19:31:42 ID:GpPjBNgV.net
>>670
おなじ大村由己の「惟任退治記」もそうだけど、中国の演義というか戦記物の影響をかなり受けてるよね
信長が、本能寺で美女を侍らせて、最後はみんな刺し殺してから自害するとか

676 :人間七七四年:2020/06/14(日) 20:26:11 ID:khyD8QFa.net
>>667
みんな、ありがとう。
で、逃げ出した女中たちはその後大変だっただろうからね。
「待機してた」とまで言い切っていいものかどうかは
検証がいるだろうし、その「言葉を聞いた」女中がどこにいるかも
なかなかわからないでしょう。
そこへ会いに行って、話を聞く、というのもそんなに簡単かな
とは思う。

お坊さんたちの方が、逃げた後どっかの寺に行けばなんとかなるけど
女中さんたちはしんどかったろうな、と。
最後に「逃げろ」と言ったなら、戸を閉めて、なんてとこまではわからなかったかもしれないし
そんな状況はもう火がかかって、敵もウヨウヨしてて、無事逃げ出せたかも
わからない。

まぁ、今となっては謎なんだけど、そんなに簡単な問題でもないかな、と
思ってさ。

677 :人間七七四年:2020/06/14(日) 20:30:40 ID:6oCj4M6j.net
何言ってんだこいつ

678 :人間七七四年:2020/06/14(日) 20:43:46.55 ID:/oRxdoKJ.net
信長の身の回りする侍女はだいたい家臣の縁者。女中とは別
比較的信長の近辺に居た牛一にとっては知り合いの知り合いの姪くらいのレベルだから取材魔の牛一ならアポ取るのも容易
光秀にとっても知り合いの知り合いの姪くらいのレベルだから余裕があれば酷い事にもならない
それと当時の本能寺はほぼ城だから住職と住んでるのは別の所。坊さん居ない

679 :人間七七四年:2020/06/15(月) 09:44:00.80 ID:/oDU1dWV.net
牛一って名前ひどいな

680 :人間七七四年:2020/06/15(月) 12:34:56.42 ID:tYLlqO9b.net
>>679
かっこいいじゃん

681 :人間七七四年:2020/06/15(月) 12:42:27.36 ID:FUJyT+vk.net
>>631

川中島から北信一帯に高坂弾正が一万二千。
これは長篠からの撤退部隊の収容に使われた。
駿河在番も5、6千はいるだろうし。

682 :人間七七四年:2020/06/15(月) 18:03:37 ID:UMYZXrCC.net
>>681
長篠の時は武田軍1.3万 三方ヶ原の時は2.5万 後者は高坂も参戦してる
対上杉の情勢も違う(三方ヶ原の時は将軍の依頼での出陣を標榜してた上に越中の一向宗とかをけしかけてた)
三方ヶ原の時の北信に万単位の兵が張り付いてたということは無いのでは

683 :人間七七四年:2020/06/18(木) 18:45:48 ID:vmstWs+Y.net
>>590
家康は陰湿残酷ってイメージがあったからな
どちらかというと今は秀吉がそんなイメージだが

684 :人間七七四年:2020/06/18(木) 18:54:37.42 ID:c8BTiqzk.net
陰湿じゃないのなら長曾我部を寺子屋の先生にまで落ちぶれさす必要があったのだろうか
真田親子も死ぬまで許さない方針だったみたいだし
大坂の陣まで生き延びた連中は15年許されなかったってこと
前田利政なんかは本人や加賀藩の意向もあったのだろうが死ぬまで30年以上復帰できずに終わったし

685 :人間七七四年:2020/06/18(木) 19:36:38 ID:Nrq/LRl5.net
毛利氏なんて、明治維新で徳川家を蔑めたわけだから、代々の怨念はこわいね。

686 :人間七七四年:2020/06/18(木) 19:38:15 ID:4Y+5sXxa.net
関ヶ原で味方しなかったやつらを処刑せずその後の面倒見なかったから陰湿ってのは
さすがに狸おやじ家康好きでもないわーってなる

687 :人間七七四年:2020/06/18(木) 20:24:41 ID:c8BTiqzk.net
>>686
面倒見ろとまでは言ってない
せめて放免して自由にさせろと 真田や前田なら地元に帰ってもいいのだし
陰湿じゃなければ終身刑にするかね もちろん家康個人がどうより秀忠や幕府も絡むが

688 :人間七七四年:2020/06/18(木) 20:33:48 ID:aGn1N01H.net
やったことが違うわ

長宗我部は関ヶ原の問題だけでなく一揆収束できないっていう大名としての能力のなさ露呈させてんだし
関ヶ原での敵対だけならそこまで大ごとなってないわ

689 :人間七七四年:2020/06/18(木) 20:48:41 ID:aGn1N01H.net
ていうか放免もなにも奉公構えにされたとかでもなく
ただただ単純に本人の努力不足で寺子屋の先生になってるだけ

大名や旗本に返り咲きたきゃ江戸に行くなりすればよかったのに、それもしないで京阪に居座り続けて座って好転する時ないか待ってただけでしょ
長宗我部が許されなくて畿内にいたとか聞いたこともないぞ

690 :人間七七四年:2020/06/18(木) 20:53:24 ID:7HmJL8Lz.net
盛親の寺子屋の話は俗説説あるな
というのは置いといて

蟄居なので自由になんてなる訳ないし
大名復帰は極めて稀なことで仕方ないと思うぞ
寺子屋やら真田紐やらの話が事実とするなら
武家としての活動以外は自由だったことにも

その手の困窮話は真偽が微妙過ぎるのだけど
真田親子は生活費はお兄ちゃん持ち
特に困窮で有名な後藤又兵衛や塙直之なんかは
幕府より主家からの奉公構えで苦労している

これは本当酷いと思うのだが秀吉なんかは
馬廻の神子田尾藤を追放の上奉公構にしてしまい
困窮して泣きつくまで追い込んだ上殺した
さらに匿った家まで小田原で武功立てたのに改易

主家に逆らって渡り歩く戦国の風俗を
儒教的な安定した主従関係に転換させる
必要もあったんだろうが

691 :人間七七四年:2020/06/18(木) 21:04:25 ID:aGn1N01H.net
目ざとく江戸に行って活動した宗茂と見る目なく京都に居座ってた盛親

ひとえにこの差では

692 :人間七七四年:2020/06/18(木) 21:14:54 ID:b2ZQ99/X.net
昔はおれも、家康には「陰湿」イメージがあったけど、それは大阪の陣前での豊臣家を追い込む手段からくるもので、
関ヶ原の合戦後の西軍参加者への処置には、なんとも思ってなかったなぁ
西軍は、今川義元と同じで「教科書での歴史上のヤラレ役」イメージしかなく、負ける側につくヤツが悪い、と
その後、司馬遼太郎の「関ヶ原」とか読んで、石田三成が大っ嫌いになってからはますますそう思うようになった

693 :人間七七四年:2020/06/18(木) 22:09:45 ID:/+bLZfWJ.net
>>688
一方で浦戸一揆は改易に伴う浦戸の接収(及び改易に伴う一領具足の身分剥奪)への反抗って説もある訳だが?

694 :人間七七四年:2020/06/18(木) 22:13:07 ID:im6DXQNP.net
陰湿の印象は関ヶ原後から大坂の陣終了までの
豊臣に対する扱いから来ているんだろうけど
昔の通説は基本家康の言動を悪意的に解釈しての評価だからね
今は秀?の自爆的行動が原因って味方が多いみたいだけど
秀吉が改めて主家である織田宗家に立てた信雄だって
官位が逆転してからは辨えて臣従しているし

695 :人間七七四年:2020/06/18(木) 22:30:18 ID:/+bLZfWJ.net
>>694
大坂の陣が始まる年まで秀頼の官位を秀忠より上にしとるから普通に気を使ってるからね
大人しく転封に従ってくれれば少なくとも秀頼の代は大名家として残った可能性が高いやろな

696 :人間七七四年:2020/06/18(木) 22:39:52 ID:aGn1N01H.net
説があるってだけでどうって言われてもすげぇ困る
どちらにせよ一揆が起きてしかも自分たちで解決できてないし

697 :人間七七四年:2020/06/18(木) 22:50:29 ID:/+bLZfWJ.net
>>696
逆に聞くけど浦戸一揆の原因はなんだと思ってるの?
一揆起こしたのは別に百姓とかでなく長宗我部家臣で一揆が起こったのも浦戸接収のタイミングで盛親は本国に帰れてもいない状況だからね

698 :人間七七四年:2020/06/18(木) 22:57:10 ID:aGn1N01H.net
家督相続時の揉めとそれに伴う当主権力の弱さ

699 :人間七七四年:2020/06/18(木) 23:15:07 ID:/+bLZfWJ.net
>>698
それを直接的な理由にするにはタイミングがズレ過ぎ
遠因として挙げれるぐらいでしょ

700 :人間七七四年:2020/06/18(木) 23:20:17 ID:aGn1N01H.net
いや、まさしく当主が失敗かました時に当主権力の弱さが露呈した形でしょ
一番よくあるパターンじゃん

701 :人間七七四年:2020/06/18(木) 23:21:39 ID:fUP0YMbL.net
浦戸一揆って長宗我部改易後だよな 盛親の責任か?

702 :人間七七四年:2020/06/18(木) 23:32:25.04 ID:aGn1N01H.net
改易は後
堪忍領がもらえるところで一揆が起きてさらに自分たちで鎮圧できず他家の手を借りる形になったため改易

703 :人間七七四年:2020/06/18(木) 23:38:12.94 ID:Re/qrZfp.net
>>701
関ヶ原後に領地没収(ただし減封されるものの代替地が約束されてた説あり)

接収時に反抗して一揆発生

上の説によると一揆の責任で代替地の約束が反故

大体こんな流れ
家督相続の問題以上に一領具足の処分が問題で起こった一揆と考えた方が自然で江戸時代を通じて幕末までの遺恨になった

704 :人間七七四年:2020/06/18(木) 23:57:05.01 ID:s7L3jsJD.net
そもそも長宗我部盛親は改易後に親族からすら見捨てられてるからな。寺小屋云々の身の上に成ったのはそのせい。
色んな意味で関わり合いになりたくない人物だったのだろう

705 :人間七七四年:2020/06/19(金) 00:04:25.43 ID:1/thv5KA.net
不遇というならむしろ豊臣家から大名と認められてなかった可能性あることでしょ、盛親
秀吉から偏諱もらえてないって中々不憫な

706 :人間七七四年:2020/06/19(金) 00:22:33 ID:1/thv5KA.net
信用できる史料で寺子屋の先生になったっての確認できるのあったっけ
あの話お話としてよくできてて印象に残り続けるはわかるけども

707 :人間七七四年:2020/06/19(金) 00:32:51.63 ID:pCROEzIS.net
>>704
そもそも親族揃って浪人状態で盛親食わせるどころじゃないからしょうがない
それでも大坂では旧臣を主体に牢人衆最大の千人集めてるし親戚筋の戸波親清も駆けつけてる

708 :人間七七四年:2020/06/19(金) 00:53:28 ID:wn2h8lz6.net
家康が激怒したといわれる津野親忠殺しについては
元親存命中に蟄居させられてるので規定路線だったって話も
盛親が大名として認められなかった可能性(偏諱と官途)についても元親の責任じゃないかなぁ
豊臣公儀の為に信親は戦死したわけで
伊達政宗ですらできた無理矢理元服偏諱任官は十二分に可能だと思われる

709 :人間七七四年:2020/06/19(金) 01:27:34 ID:BczmDHla.net
仙石秀範も寺小屋の師範だったな 『大坂陣山口休庵咄』
当時の京は秀吉以来の浪人追放令出てたから許可か手に職ないと居られないからそういう話が出るんだろう

710 :人間七七四年:2020/06/19(金) 01:36:54 ID:A3E0IVhU.net
盛親の寺小屋云々は土佐物語だっけ

711 :人間七七四年:2020/06/19(金) 01:40:01 ID:BczmDHla.net
>>707
家康の御伽衆になった蜷川親永や他藩に仕官してた香宗我部から敬遠されてた事を言ってんじゃないかな

712 :人間七七四年:2020/06/19(金) 11:05:20.72 ID:qVnSDwjw.net
関ヶ原が色々言われているけど、大坂の陣の通説も創作が多いからな

713 :人間七七四年:2020/06/19(金) 12:13:17.67 ID:qpZRopVT.net
>>711
とは言っても他に預けられたり匿われてたり身内の大名から援助受けたりもせず仕官活動もしないで牢人やってられる時点で
その辺りの親類や家臣から援助受けてたと考えるのが自然やろな

714 :人間七七四年:2020/06/19(金) 12:53:36.87 ID:CFLXqjJJ.net
なんらか援助はあったと考えた方が妥当

規模は不明で困窮して寺子屋必要だったか
暇だったから寺子屋やったのか
そもそも寺子屋は俗説かは知らんけど

あと仕官じゃなくて大名復帰の働きかけをしてた筈

715 :人間七七四年:2020/06/19(金) 13:52:37.08 ID:K8wLi/GB.net
>>714
それは飯の種にならん

716 :人間七七四年:2020/06/19(金) 13:57:15.14 ID:CFLXqjJJ.net
別に大名復帰運動で食えると主張したつもりはないが
そのように受け取ったならすまない
仕官活動もそれだけじゃ飯の種にならんやん?
それと一緒

717 :人間七七四年:2020/06/19(金) 14:36:37.82 ID:K8wLi/GB.net
>>716
今日明日食うのに困ってたら難易度MAXの大名復帰活動じゃなくて仕官活動しとるって事や(例は後藤又兵衛)
何を目指して活動してるかを見ればそもその経済状況が推察出来る
仙石みたいに改易されながらも秀吉から金出てるなんて状況はなかなかない

718 :人間七七四年:2020/06/19(金) 15:09:27.50 ID:BczmDHla.net
なんのこっちゃ

719 :人間七七四年:2020/06/19(金) 15:30:48 ID:K8wLi/GB.net
要は盛親の生活自体は結構余裕あったと言うこと
まあ再就職出来なかった旧家臣も大量にいただろうから大名復帰が何よりの宿願だったんだろうなとは想像できる

720 :人間七七四年:2020/06/19(金) 16:03:54.88 ID:Xj1iI/CC.net
大阪城に入って命まで失うんだからバカだよね

721 :人間七七四年:2020/06/19(金) 16:20:49.17 ID:CFLXqjJJ.net
>>717
うーんだから俺も別にそこまで困窮してないと思って
「なんらか援助はあったと考えるのが妥当」と書いたんよ

なんか盛親が困窮してるとか、大名復帰運動は稼げるとか
俺が主張をしてると思って否定したいようだけど
なんでそう取られたのかよくわからんのよね

722 :人間七七四年:2020/06/19(金) 16:21:51.27 ID:gBwnqbsA.net
縁戚に春日局がいたのになあ
大坂の陣で徳川方の陣借りでもしてたらワンチャンあったかもしれないのに
まあ一応縁戚というだけで当人同士は縁もゆかりも無いと思ってたのかもしれないが

723 :人間七七四年:2020/06/19(金) 17:00:13 ID:gBwnqbsA.net
>>721
飯の種にならないのは寺子屋のことじゃないのか?
大名復帰運動のことを言ってるのならチンプンカンプンだし逆に費用が要るだろう

724 :人間七七四年:2020/06/19(金) 17:34:47 ID:VNS3r4T6.net
仕官先を探せって言ってる人がいるが盛親が蟄居中か否かで状況が変わると思うが
蟄居中ならまず赦免活動でしょ
国主クラスの元大名の仕官先なんて幕府か大大名くらいしか無いと思われるし

725 :人間七七四年:2020/06/19(金) 18:55:37.01 ID:CFLXqjJJ.net
>>723
飯の種どうこう言って絡んできたのはID:K8wLi/GB ね

俺もなんのつもりで絡まれてんのかチンプンカンプンだわ

726 :人間七七四年:2020/06/19(金) 21:29:10 ID:1hz+K8CX.net
>>722
縁があるかどうかは本能寺後に春日局が土佐に逃れたのが事実かどうかだな
事実としても扱いや土佐の心象が悪かったのなら逆効果もありえる
いくらいとこ(それも義理?)とはいえ長宗我部と関わったことがないのなら期待はできないだろう
元親と稲葉正成なら会ったことくらいはあるのかもしれないが

727 :人間七七四年:2020/06/21(日) 07:01:23 ID:AXWqyaa+.net
長曾我部関連だと、山内家中で旧長曾我部旧臣が一律、下士として差別されてた、ってのも龍馬以来はびこってた俗説だよな

728 :人間七七四年:2020/06/21(日) 08:26:55.94 ID:BobDYF7d.net
>>727
武市半平太の身分時点でそんな俗説すらないやろ

729 :人間七七四年:2020/06/21(日) 08:39:39.32 ID:4RBakM2z.net
龍馬以来が『竜馬が行く』のことなら
旧長宗我部家臣の上士や上士格(吉田東洋や武市瑞山ら)も出てくるし、
作中その説明もされてたはず

730 :人間七七四年:2020/06/21(日) 12:30:57.75 ID:qTLLtOxr.net
あの板垣も土佐侍が禿んとこの仮冒しただけだつたのか。

731 :人間七七四年:2020/06/21(日) 14:58:36.45 ID:W9H/kEU5.net
>>727
それ俺も信じてた
すまんな、素人で

732 :人間七七四年:2020/06/21(日) 16:41:24 ID:3Rb4UrMZ.net
作中で言及されても大筋が拡大されて誤解されたまま世間に広まるってままあるよね

733 :人間七七四年:2020/06/21(日) 19:41:27 ID:ls/P+Uo+.net
長宗我部盛親と言えば丸橋忠弥が盛親の息子という説があって
風雲児たちでも使われていたな

734 :人間七七四年:2020/06/22(月) 07:22:53 ID:ypcXxgWg.net
来週は「利家とまつ」か、まつの賢夫人のイメージは加賀騒動の時の逸話の影響が大きいんだろうけど、
騒動の時まつは上方で人質だったからあれも創作なんだよなぁ

735 :人間七七四年:2020/06/24(水) 02:43:38 ID:bqS4EDu+.net
https://youtu.be/Jo-o2AwRBuQ

736 :人間七七四年:2020/06/24(水) 08:00:13.95 ID:g7VISrQH.net
やっぱり一条のお膳立て坊主は伊予におるのか?

737 :人間七七四年:2020/06/26(金) 19:45:15 ID:Y6ddaGd0.net
戦国時代の賢夫人というと北政所や千代とかの印象だけど
永井路子とか杉本苑子とか女性作家はヤな女扱いだったイメージがあるな

738 :人間七七四年:2020/06/26(金) 19:47:14 ID:eTRbMDGw.net
女城主だった岩村殿は?

739 :人間七七四年:2020/06/26(金) 19:49:28 ID:TYefUbp6.net
よほどの悪女じゃなければ有名大名の妻なら真実・捏造含めて良いエピソードの一つや二つはありそうだけどな

740 :人間七七四年:2020/06/26(金) 19:59:47 ID:Dkw/ahVT.net
おつやの方は境目の城で状況に翻弄されただけで
賢夫人でイメージはないかなあ

741 :人間七七四年:2020/06/26(金) 22:22:06 ID:Wg3as21T.net
一周回ってやはりアレな印象があるのが浅井三姉妹
江は創作関連がひどすぎて実物が多少良くても悪印象を払拭できなさそう

742 :人間七七四年:2020/06/27(土) 04:51:30.99 ID:n2N+qxj4.net
初は印象薄いけど、結構強かな感じがする

743 :人間七七四年:2020/06/28(日) 17:30:21.23 ID:cNwJR9bo.net
良くも悪くも主筋じゃなくて従属する大名側の嫁になったからな
両者の間に入ってのらりくらりやっていたら宥和の斡旋者にもなれるしどちらへの密通者にもなれるし勝ったものに付いた

744 :人間七七四年:2020/06/28(日) 19:21:12 ID:S6ogKpcO.net
で?ソースは?

745 :人間七七四年:2020/06/28(日) 20:00:58 ID:hJio5XW4.net
>>744
ウスター

746 :人間七七四年:2020/06/28(日) 22:29:26 ID:zI1XV2WG.net
秀吉が諸将の前で
「ワシはこれまで戦に一度も負けたことがない」
と自慢げに話したところ
家康が
「殿下、長久手のことはお忘れか?」
と言い放ち、秀吉が大いに面目を失ったという。

みたいな話伝記で読んだことあるけど
なんだか胡散臭い話だな。
慎重な家康がそんなアホみたいなこと言うだろうか?

747 :人間七七四年:2020/06/28(日) 22:32:35 ID:BOuuq7nJ.net
素朴な質問なんだけど逆に史実だと思う要素どっかあるの?

748 :人間七七四年:2020/06/28(日) 22:42:47 ID:6DlY+sTl.net
民族の風習、しぐさ、生活様式等、或いは言語で何処の民族から移住してきたか
判るみたいだ。

749 :人間七七四年:2020/06/28(日) 23:49:25 ID:1M2iq3Nb.net
家康ってまだ十代の子でも部隊の将をさせるし。慎重か?

750 :人間七七四年:2020/06/29(月) 00:28:55.62 ID:PNm8QC0t.net
子供は死んでも産ませればいいし若い内にストレステストで資質を見るとか
慎重というか酷薄だが

751 :人間七七四年:2020/06/29(月) 00:31:32.42 ID:1EywzMea.net
当時は10代で初陣は珍しくもないし関東移封後なら息子もそれなりの領地を与えられてるから家として出陣する義務がある
若すぎて指揮が無理なら付け家老が仕切るだけだし

752 :人間七七四年:2020/06/29(月) 08:24:54 ID:JxRdxlqX.net
家康だって初陣は十五の時だしな。逆に氏親や元親の二十代での初陣の方が珍しいよな
後、元親の初陣の話は出来過ぎの様な気がする

753 :人間七七四年:2020/06/29(月) 08:56:35 ID:CGD2rCBy.net
というか普通10代で初陣するよな
単純に機会がなくて遅れるとかはあるけど
二十歳過ぎて初陣した長曾我部元親とかは珍しい

754 :人間七七四年:2020/06/29(月) 08:57:29 ID:rCWPL2lw.net
信長や政宗も早かったはず
というか十四五ぐらいの初陣かむしろ普通
前線出ない総大将なら尚更やろ

755 :人間七七四年:2020/06/29(月) 09:08:58 ID:rCWPL2lw.net
そもそも元服が初陣の準備やからな
元服済ませりゃ初陣は近い

756 :人間七七四年:2020/06/29(月) 09:51:18.84 ID:37YbGGvk.net
>>746
三河武士たちが散々秀吉の前で失礼な事しとるがな

757 :人間七七四年:2020/06/29(月) 10:02:42.97 ID:rCWPL2lw.net
>>756
さすが主君の心家臣しらずに定評のある厄介三河武士よ

758 :人間七七四年:2020/06/29(月) 10:17:32.43 ID:37YbGGvk.net
>>757
それで逆に秀吉に褒められるくらいだから
アホな事をしても殺されはしないだろうと家康はわかっているだろう

759 :人間七七四年:2020/06/29(月) 10:23:05.25 ID:nUFg+uWx.net
そうではなくその史料は信用できるのかって聞いてるのだが家康なみに頭脳間抜けか?

760 :人間七七四年:2020/06/29(月) 10:44:30.84 ID:37YbGGvk.net
>>759
なるほど単なる家康アンチだったか。
信用できるのか人に尋ねるならまずはなんの史料か言えよな
まとめブログで知ったとか言いにくいんだろうけど

761 :人間七七四年:2020/06/29(月) 10:51:00 ID:or15q1Ru.net
島津義久・義弘・歳久は同時に初陣を迎えている
いい機会がなかったためだろうが
それぞれ22才・20才・18才位で、特に兄達は遅い部類に入る

762 :人間七七四年:2020/06/29(月) 13:57:55 ID:3ssxj99h.net
>>754
信長は11歳で元服15歳で結婚17歳で家督を継いだ
元服早いのはお父さんがもう体調悪かったのかもね

763 :人間七七四年:2020/06/29(月) 14:18:02 ID:hYsbfvQg.net
>>752
元親の初陣話は江戸期の軍記物が出典だからなぁ
>>756
有名どころだと秀吉の前で井伊直政が石川吉輝を罵った話かね
だけどあれ、出典なんだろうか?

764 :人間七七四年:2020/06/29(月) 14:48:40 ID:3sOQDfnf.net
>>762
死期を悟るとか以前にいつ死ぬか知れたもんじゃないからね
早めに実務担当させて早めに隠居して後見に回るのは安定継承する有効な手段

765 :人間七七四年:2020/06/29(月) 17:49:08 ID:eyNj7hin.net
毛利元就の初陣は二十歳くらいで遅い方だね。

766 :人間七七四年:2020/07/04(土) 01:11:26.83 ID:Y0wI72T/.net
>>722
盛親の従姉妹の香曽我部は春日局の義理孫の堀田に召抱えられてる

767 :人間七七四年:2020/07/04(土) 01:12:16.12 ID:Y0wI72T/.net
すまん従兄弟だな

768 :人間七七四年:2020/07/04(土) 01:14:06 ID:K1RlApYW.net
江戸まで就職活動しに行った立花宗茂と
京都から動かなかった長宗我部盛親の違いは何だったのか

769 :人間七七四年:2020/07/04(土) 09:22:58 ID:DyTotyWM.net
国元が落ち着いてたかどうかじゃね?
土佐は浦戸一揆の後も一揆起きたり国人の有力者暗殺したり
しばらく安定しなかった訳で蟄居解けないでしょ

770 :人間七七四年:2020/07/04(土) 10:22:56 ID:HE0lg84b.net
そもそも蟄居させられてたん?

771 :人間七七四年:2020/07/04(土) 10:36:53 ID:DyTotyWM.net
改易なんで今日から自由ですー

ってなると思う?

772 :人間七七四年:2020/07/04(土) 10:58:57 ID:HE0lg84b.net
それなら宗茂も自由に動けないじゃん
改易されて暫く反省してそのあと動くんでしょ?10年も伏見にいる必要薄くね

そもそも浪人になってから
大坂から伏見に移動してるし、盛親

773 :人間七七四年:2020/07/04(土) 11:23:25 ID:8IpJbQFF.net
宗茂はとっとと許されて伏見で家康の拝謁してるからな。大名復帰まではいくらか時間かかったが。
家臣が家康の側近になってる有利な立場なのに取り次いですらもらえない盛親はよっぽど家康に嫌われてたんだろう

774 :人間七七四年:2020/07/04(土) 11:30:34.29 ID:HE0lg84b.net
家康がどうこうというよりは盛親の行動に問題ありそうだけどなあ

775 :人間七七四年:2020/07/04(土) 11:54:24 ID:U3fO2jcW.net
大友家臣出身の宗茂と独立大名家出身の盛親の価値観の違いかな

776 :人間七七四年:2020/07/04(土) 12:59:51.17 ID:K1RlApYW.net
でも豊臣家の中じゃ陪臣扱いだったんでしょ長宗我部。盛親の諱も増田長盛の偏諱だし。

777 :人間七七四年:2020/07/04(土) 13:00:14.71 ID:DyTotyWM.net
>>772
いやだから関ヶ原後数年間経っても土佐はゴタゴタしてた
宗茂の旧領柳川でそんなことにはなってない

なんで同じように動けると思うのかの方が謎

778 :人間七七四年:2020/07/04(土) 13:21:22 ID:irfdLi86.net
>>775
そもそも実績・名声と好感度が違うかと 宗茂なら召抱えたいという大名は結構いたはず
もちろん家臣大名の立花と戦国大名の長宗我部の違いもあろうが
豊臣政権からの流れとして地生えの元戦国大名は改易か転封したいという政権の思惑もある 戦国時代から一所にいるのって島津とか一部例外だけだし

779 :人間七七四年:2020/07/04(土) 14:12:06 ID:NSpoVi2N.net
本人の器量の差とか随従する家臣の差とかが明暗を分けたのかねえ
長宗我部はどうも立ち回りが拙い印象がある

780 :人間七七四年:2020/07/04(土) 14:18:25 ID:QuyjFCqq.net
蟄居食らいながら大名復帰のために運動して大坂から伏見に移動?
それやるなら江戸に移動したらいいじゃん、移動の自由奪われてないんだから

江戸への移動の自由がない程監視されてたって話聞いた事ないよ?

781 :人間七七四年:2020/07/04(土) 15:00:10.12 ID:DyTotyWM.net
逆にどこにでも行き放題なほど自由だって聞いたことないわ

782 :人間七七四年:2020/07/04(土) 16:07:18 ID:fYa0GEiK.net
「自由だったって聞いたことない」って何の意味もないから。
「俺が自由だったって聞いたことないから、制限されてたんだよ。違うっていうなら、自由だったって証拠出せ」って言われても、
制限されてる証拠であればこれこれで禁止されてる、って提示できるけど、されてない証拠なんてあるわけないだろ。

783 :人間七七四年:2020/07/04(土) 17:12:36 ID:+1hcEZRW.net
盛親については詳しくないけど
Wikipediaの記述だと京都所司代の監視下にあった
とあるのは疑わしい根拠があるということだろか

改易の手順を考えたら通例新領主の国入までは
旧領主は監視下に置かれるけど盛親の場合は
そこで浦戸一揆が起きて改易という流れ

大阪から伏見に移ったとされる慶長6年は
関ヶ原の翌年で将軍宣下前なので
秀頼のお膝元から家康の政庁所在地への
移動と捉える方が自然だと思うけど

784 :人間七七四年:2020/07/04(土) 17:48:17.15 ID:K1RlApYW.net
監視を受けていようがいまいが、江戸に行くならどのみち京都所司代に話し通さないといけないからなあ。

785 :人間七七四年:2020/07/04(土) 18:42:20 ID:88iPYGU2.net
真田みたいに赦免活動をしてもダメだっただけかもしれないじゃないか
自由に動けるのに赦免活動もせずに京に居座ってたなんてそれこそ想像だろう
家を残すという意味では大坂の陣で豊臣についたのは大失策というほかないが
大坂城の首脳陣が大名の参陣を期待してたように盛親もその程度の情報しか得られなかった可能性はある
当時の庶民の空気が豊臣にも勝ち目はあるだったのなら豊臣に付いてワンチャンで土佐復帰に賭けたのかもな

786 :人間七七四年:2020/07/04(土) 19:40:32 ID:zp54DtH+.net
平井上総氏の本を読むと盛親が堪忍分を貰えなかったのは一揆が起きたせいで
逆に一揆のおかげで盛親が堪忍分を貰えたと他の連中に思われることを
家康や直政が懸念したためとあるね。実際抵抗した方が得と思われると
混乱が広がる可能性があるしね

787 :人間七七四年:2020/07/04(土) 19:45:59 ID:DyTotyWM.net
オレも盛親は真田みたく謹慎(監視下)で
それが通説だと思ってたから
自由に動けたと言われて逆にその根拠は?
と思ってしまった

一次史料で赦免されて自由に動けてる記録があるなら
あくまで俗説で誤りとしか言いようない

ただ改易蟄居になったり特に警戒されて監視下になる
理由がないとは思わない
国元の仕置き不届き、担がれる危険性もあるから
立花宗茂とはやはり立場が違くて不思議はないかと

788 :人間七七四年:2020/07/04(土) 19:48:38 ID:yg+gSh8H.net
土佐に戻って一揆でも起こされたら敵わんから行動制限あったと考えるのが自然やろ

789 :人間七七四年:2020/07/04(土) 20:31:13 ID:7rY6U+az.net
自然だなんだで考えるなら通説・俗説の考え方と変わらないじゃない
この方が自然だったからそうに違いないって

そこをちゃんと詰めていく方が良くない?
詰めた上で変わらなければよし変わったらそういう事だったんだなでよし

790 :人間七七四年:2020/07/04(土) 20:35:29 ID:yg+gSh8H.net
自然っていうのは合理性が有るってこと
通説を覆す様な資料が発見されてるならまだしも逆張りする要素あんまり無いやろ

791 :人間七七四年:2020/07/04(土) 20:44:04 ID:DyTotyWM.net
>>789
詰めてく方がいいと思うから話してんじゃん
通説を覆すような史料もない、通説は新説より自然
って状態で話を詰めると結局通説通りじゃね?てなるよな

もちろん通説を覆す史料や通説に不自然な点があるなら
通説は俗説だったのかとなる訳だけど
史料はない上に通説の方が自然だってのに
他にどう詰めてきゃいいんだい?

792 :人間七七四年:2020/07/04(土) 20:50:08 ID:7rY6U+az.net
土佐で問題起こされたくないどうこうって話だと
土佐旧臣との接触も封じられてたりしたの?
監視されてたって話なら誰それがこうこう監視してたみたいな話はないの?

真田は一応監視してた人物なりは判明してるんだっけ?

793 :人間七七四年:2020/07/04(土) 20:56:15.50 ID:yg+gSh8H.net
真田見りゃ盛親の生活援助のための接触ぐらいは許されとったやろ
盛親としても大名復帰活動は取次の井伊相手にしてただろうから上方から動く理由もあまり無さそうだしね

794 :人間七七四年:2020/07/04(土) 21:09:12 ID:7rY6U+az.net
井伊直政が復帰の取りなししてたのは周知の通りだけど
そういえば直政亡くなってからは誰に取りなしてもらうよう働きかけてたんだろ、直孝?

795 :人間七七四年:2020/07/04(土) 21:26:50 ID:M8RCpfvo.net
そこで何故慶長6年に伏見に移ったか?という話になる

当時は将軍宣下前で家康の仕置きも豊臣宿老としてのもの
豊臣政権では大阪は秀頼の在所で家康の政庁は伏見城
関ヶ原で伏見城は焼けて家康は戦後大阪に入城し
仕置きを行っている

しかし翌慶長6年3月に一応の仕置きを終えた家康は
京都伏見に戻って伏見城、二条城を再建
慶長8年には伏見城で将軍宣下を受けた
慶長10年に秀忠が即位したのも伏見城

当時も江戸と往来してたし秀忠即位後は
江戸と駿府の両頭体制に移るわけだけど
当時の伏見は徳川の政治拠点のんよ

796 :人間七七四年:2020/07/04(土) 21:38:41 ID:8IpJbQFF.net
>>794
本多

797 :人間七七四年:2020/07/05(日) 14:13:46 ID:CPL9aQSw.net
直政、幼名は虎松、万千代、官途名は侍従だけど通称(仮名)は伝わってないよな、なんでだろう

798 :人間七七四年:2020/07/05(日) 14:38:45.13 ID:JB+HiOok.net
https://youtu.be/Jo-o2AwRBuQ

799 :人間七七四年:2020/07/05(日) 14:50:06.12 ID:AraRllyn.net
そういや聞いたことが無いな
もし伝わってないなら元服すると幼名から通称に変えるんだけど直政は元服が遅く
すぐに官途名の兵部少輔を名乗ったので通称を使う時期が非常に短かったから伝わらなかったかと。
たぶん次郎かなと

800 :人間七七四年:2020/07/05(日) 18:38:15 ID:udmvlsLD.net
元服が遅いと言えば真田信繁もだな
かなり後まで書状は幼名の弁丸名義のが続いていた
実享年が45歳くらいと考慮しても遅い

801 :人間七七四年:2020/07/06(月) 19:58:41 ID:UNIoJ0ki.net
山本勘助って実在したの?

802 :人間七七四年:2020/07/06(月) 20:07:21 ID:7iri89T9.net
>>800
昌幸が源五郎、信之が源三郎、信繁が源二郎とこの親子の仮名、一貫性がないな
>>801
実在した。菅助が正しいぽいが。子孫のその後も判明している

803 :人間七七四年:2020/07/06(月) 20:39:44 ID:y+nXX43r.net
「山本菅助」は信玄の足軽大将だったらしく、足軽大将は事実上合戦方針の立案と実行を行う責任者なので、その意味では軍師とも言える

804 :人間七七四年:2020/07/06(月) 21:26:29.61 ID:UNIoJ0ki.net
>>802
>>803

ありがとう。何年か前に眉唾の説を読んでから全く忘れていた。子孫までちゃんといたんだな。

805 :人間七七四年:2020/07/07(火) 01:08:07.86 ID:gRRkpJM2.net
農作業用の車両で勘助くんというのもあったような

806 :人間七七四年:2020/07/07(火) 04:25:11.09 ID:yFDfSSEd.net
>>803
足軽大将って、ローマ軍団で言う「百人隊長」みたいなもんで
あくまで部隊の舵取りとしてあまたいるもんだと思ってたが

807 :人間七七四年:2020/07/07(火) 04:38:01.34 ID:SGT8Vxh6.net
>>806
少なくとも武田の軍法では、足軽大将と侍大将が合議して作戦を立てると甲陽軍鑑にある。
で、侍大将は実力というよりも家柄の良いものが着くので、対して才能で取り立てられる足軽大将が
実質的には作戦の立案を主導するんだと。

808 :人間七七四年:2020/07/07(火) 09:49:00.45 ID:XtA8Ygjp.net
>>805
それだ!

809 :人間七七四年:2020/07/07(火) 17:55:04.93 ID:/nuSAqPI.net
>>802
真田信綱が源太郎(まあわかる)、昌幸が源五郎(三男なのに)、信伊が源次郎(???)
真田家自体がなんかおかしい

810 :人間七七四年:2020/07/07(火) 18:14:48 ID:SEaOMehE.net
>>809
長男に太郎付けると早死するとか縁起担ぎみたいなのが有るんやろ
通称にいちいち目くじら立てるなよ

811 :人間七七四年:2020/07/07(火) 18:34:08 ID:zWDg5Nfr.net
唐のなんとかという皇帝は、通称を「二十郎」と呼ばれていたが、それは親戚中の男子の年齢による順番からだった、
とかなんとかというエピソードもあるし、その年に生まれた真田一族の男子に順番で名前を付けていった、とかはないのかな

812 :人間七七四年:2020/07/07(火) 18:54:11.46 ID:/nuSAqPI.net
信之が源三郎なのは信綱遺族に遠慮したのじゃないかな
三男の昌幸は本来は源三郎でもおかしくないと考えればその名を息子に付けたのかも
信繁は昌幸のすぐ下の弟の信伊が次郎だから同じように
昌幸のきまぐれではなく理由を求めるのならだが

813 :人間七七四年:2020/07/07(火) 19:03:05.38 ID:UMHIRDI/.net
>>812
単におかしいと考えるんじゃなくアレコレ理由を考えると面白い
ただ所詮は通称だからそこまで重く考えるものじゃない

814 :人間七七四年:2020/07/09(木) 10:32:30.78 ID:oRvUyWof.net
織田家の小姓出身の側近たちもずっと幼名で呼ばれてたみたいだけど
長谷川秀一のお竹とか菅屋長頼のお長とか
乱丸兄弟も元服済だよね

815 :人間七七四年:2020/07/09(木) 19:40:33 ID:iFKol74n.net
足利茶々丸は?

816 :人間七七四年:2020/07/09(木) 19:47:21 ID:8tUCxMUS.net
>>815
茶々丸は堀越公方の当主と成った時に元服して諱を名乗っていたと考えられるが、
おそらくはそれが何故か記録されなかった模様

817 :人間七七四年:2020/07/09(木) 20:02:18 ID:weJltRor.net
織田信長嫡男の織田信忠も、元亀三年ごろに元服したけど、その後もしばらくは幼名の「奇妙」とされてたそうな
本人にそう呼びかけてたかはともかく、少なくとも文書上では
あと幼名じゃないけど、信忠は最初「秋田城介」に任官されて、後に「三位中将」に昇進したのに、当時の文書では
その後もずっと「秋田城介」と呼ばれ続けたとか

今みたいにテレビやラジオで正式発表とかされるわけじゃないし、改名してもみんな知らないで旧名のままで呼ばれ
たりすることが多かったのかもしれないね

818 :人間七七四年:2020/07/09(木) 21:02:24.48 ID:jvCQtyB3.net
信忠のは元亀3年とする軍記物が間違ってて
実際に文書上の名乗りが変わる天正元年
7月頃が正解と見るべきなんちゃうん?

茶々丸の諱はちょっとした歴史のミステリだな
元服してない説あるけど少なくとも数年は堀越公方
として活動してて諱なしは違和感だらけだ

廃嫡後幽閉からの反逆人生だから
歴史の勝者から元服も諱も無視されて
記録されなかったのはありそう

819 :人間七七四年:2020/07/09(木) 21:30:13 ID:oRvUyWof.net
のぶ

820 :人間七七四年:2020/07/09(木) 21:37:10 ID:TmkjFA0l.net
>>815-816
将軍家と敵対しててずっと元服できなかった細川六郎と同じパターンちゃうの?

821 :人間七七四年:2020/07/09(木) 21:37:16 ID:8tUCxMUS.net
>>818
足利義昭との対立前に元服していたら、最低でも昭信か義信になってそうだしな、信忠。まあ義昭への
「お目見え」の時期にもよるかもしれんが。

822 :人間七七四年:2020/07/10(金) 10:52:23.06 ID:+MznteGv.net
>>817
松平忠輝は昇進しても上総介で通したというし拘りとか世間の浸透とかはあるのかもね

823 :人間七七四年:2020/07/10(金) 11:02:18.77 ID:m+tr/yYP.net
呼び名はTPOなんよ

朝廷と関わる公式の署名なら正式な官名使うけど
そうでなきゃ通称や通りのいい官途名使う
文章だと正確な字知らずに当て字で書いたりもある
場合によっちゃ第六天魔王やのぶもあり得る

824 :人間七七四年:2020/07/10(金) 18:21:43.72 ID:zbAHFZVo.net
織田の小姓あがりでも堀秀政は通称の久太郎
堀家は斎藤家から寝返った中途採用だからかな?
側近は譜代の家臣の息子が多いから子供の頃から馴染んでる幼名のままとか

825 :人間七七四年:2020/07/10(金) 19:21:40 ID:9UfOtJty.net
まあ主君が自身の小姓上がりを幼名で呼ぶのは親しみの表現でも有ったらしい。

826 :人間七七四年:2020/07/10(金) 20:11:20 ID:7CuPk9E6.net
官位持ち相手に幼名や通称呼びは親しいか格下かじゃないの

827 :人間七七四年:2020/07/10(金) 21:13:21 ID:/xwspxLF.net
>>816
Wikipediaには『歴朝要紀』は茶々丸の名を政綱とする(根拠、出典不明)とあるけど、
政の字は政知が義政から与えられた字だろうし、勝手に使っていいものなのかな

828 :人間七七四年:2020/07/10(金) 21:48:35 ID:m+tr/yYP.net
幼名がそのまま通称になるってのもあるのかなぁ
というか幼名の時点で活動してたから定着しちゃうとか

829 :人間七七四年:2020/07/10(金) 21:49:42 ID:GnD8ptOD.net
>>826
そりゃそうだ
会社でヒラの社員が社長にあだ名で話しかけるとかあり得んからね

830 :人間七七四年:2020/07/10(金) 21:54:54 ID:GnD8ptOD.net
>>828
元服時に諱と共に通称も名乗るからそっちで呼ぶのが礼儀
幼名で呼ぶのが許されるのは親や君主か余程仲のいい友人ぐらいやろな
森長可とか幼名なんかで呼んだら人によっては殺されかねん

831 :人間七七四年:2020/07/10(金) 22:58:55 ID:EE+XVe95.net
>>827
拝領した字を下賜や相続しちゃうとかないわけじゃない

足利義晴→大友(後の大内)晴英→陶晴賢
武田家の通字「信」→真田信幸→真田家通字

832 :人間七七四年:2020/07/11(土) 00:54:15.58 ID:I8Nd52uw.net
>>830
いやその原則はわかるよ
原則論として依存はない

ただ信長の小姓あがりとか通称でなく
幼名らしき署名が残ってる例がある
長谷川竹、万見仙千代

そういうのは幼名を通称(仮名)として
使い続けていたのか
幼名ぽく見えるけど通称だったか
使われてる期間を見ると前者にも思える

833 :人間七七四年:2020/07/11(土) 02:38:43.87 ID:Uv5OsKHO.net
>>832
長谷川は本能寺後に竹から藤五郎になるよ
年齢不明だけど堀と同じくらいだろうから30前後までは幼名を使ってた

834 :人間七七四年:2020/07/11(土) 03:36:56 ID:3i8UXQ9T.net
幼名であっても主君からそう呼ばれている以上はそれを使う、ってことだったんだろうな

835 :人間七七四年:2020/07/11(土) 06:07:39 ID:IS68L9FR.net
確か小姓とかって主君の命令で幼名のままでいるケースがあるみたいな事があったはずだよ

836 :人間七七四年:2020/07/11(土) 06:19:21 ID:p4Qzu3mK.net
全くの想像だが、浸透していない名前を使っても「お前誰やねん」となる実用性の問題もありそう

837 :人間七七四年:2020/07/11(土) 06:39:40 ID:IS68L9FR.net
>>836
久々会った人にはまず改めて自己紹介やろな
現代で部署変わりました言って名刺渡す様に「お久しぶりです〇〇改め〇〇です今後とも宜しく」ってな事がしょっちゅうあったんやろ

838 :人間七七四年:2020/07/11(土) 08:50:50 ID:I8Nd52uw.net
>>833
だからその頃までずっと元服せず幼名のままだったか
元服後も幼名を通称として使ってたのか

後者あり得たってことなんじゃない?

839 :人間七七四年:2020/07/11(土) 10:57:23 ID:ri0ek8nH.net
乱丸みたいに元服後も可愛がられてたってことじゃないの?

840 :人間七七四年:2020/07/11(土) 12:36:07.26 ID:DFKSQsdm.net
だから元服時に新たな通称名乗るのが原則だけど
幼名使い続ける例外もあるってことでしょ

長谷川竹なんかの小姓上がりたちは明らかに
自ら署名したり第三者が記したりしてる
信長や親しい側近が呼ぶだけではないけど
それが無礼とされてる様子もない

841 :人間七七四年:2020/07/11(土) 12:52:31.55 ID:dd7v4erN.net
>>840
やたらと例外ケースを強調して語るのはアカンやろ
現代だっていい大人に〇〇ちゃんとか読んだら普通に機嫌損なうし下手したらケンカになるわ
幼名が一種の芸名やペンネームみたいに機能してたケースはあるだろうけど例外はあくまで例外や

842 :人間七七四年:2020/07/11(土) 12:56:23.25 ID:2SHLfypH.net
>>839
可愛がるというか幼名呼びは信長の癖じゃないのかね

843 :人間七七四年:2020/07/11(土) 13:10:20.54 ID:DFKSQsdm.net
>>841
いやだからあくまで小姓上がりは例外だって書いたんだよ
元々そういう例外もあるという話をしてるんだよ

幼名から元服の際に通称名乗るようになるのは
これから一人前でその名で仕事してくって意味合い
小姓だと主君の命で幼名のまま重要な仕事するし
名前も売れるだろうから変えにくい
という実務的な理由はあるだろう

844 :人間七七四年:2020/07/11(土) 13:23:41.39 ID:80a5lH1n.net
乱丸を蘭丸と書くのも俗説かな?

845 :人間七七四年:2020/07/11(土) 14:18:53 ID:zm4z1IKr.net
うん、俗説。

846 :人間七七四年:2020/07/11(土) 15:06:58 ID:D3+2VyYF.net
蘭丸と書くと、ビジュアルイメージが美少年化される。(・∀・)

847 :人間七七四年:2020/07/11(土) 16:17:08 ID:Uv5OsKHO.net
>>838
諱があるから元服してるよ
お長の菅屋は本能寺に亡くなった小姓に息子がいるっぽいし堀長谷川よりもっと年上じゃないかな

848 :人間七七四年:2020/07/11(土) 16:19:39 ID:Uv5OsKHO.net
>>846
本能寺で死んだのは乱坊力
一番上のお兄ちゃんは不明
鬼のお兄ちゃんは勝三か勝蔵か
末っ子だけ涼しげな仙千代

849 :人間七七四年:2020/07/11(土) 16:39:25.44 ID:2SHLfypH.net
忠政は可成没年の生まれだからもし父没後に生まれたのならネーミングセンスの違いはそこからか

850 :人間七七四年:2020/07/11(土) 23:34:28 ID:N+K9+IRZ.net
>>849
森可成遺言状で忠政のことも触れてるし可成生前には生まれてるでしょ
それに一次資料から確認できるのは「せん」だけで家中が実際に仙千代と呼んでたかどうかは疑わしい

多分忠政もせん(仙or千)丸だと思うよ

851 :人間七七四年:2020/07/12(日) 02:10:11.19 ID:Ss+FXCyH.net
そもそも、千代とか丸とか法師とか幼名によく使われるやつは、明智玉を失礼のないように玉子と呼ぶのと同じで、呼称の接尾辞であって幼名ではないという認識なんだが

本田成重(作左重次の子)・・・おせん
森忠政・・・森長可遺言状ではせん
森成利・・・自筆書状には森乱成利と見えるが、信長書状では乱法師

以上からして本人か実親であれば省略できる敬称なのは間違いないだろう
つまり織田信長の幼名は吉で、吉法師だと吉坊やという意味になるんじゃないかな

852 :人間七七四年:2020/07/12(日) 18:26:08 ID:vkRXgdTs.net
>>851
それだと井伊家の次郎法師は、どうなるのかな?

853 :人間七七四年:2020/07/12(日) 20:19:50.07 ID:Ss+FXCyH.net
それは井伊氏の通称次郎についたパターンだと思う

新説で井伊直虎は女性ではなく関口氏経の子供っていうのがあるけど、次郎法師が既にいて別人が次郎を名乗るというのはちょっと考えにくい
祐円尼の名前は実際には伝わってなくて、関口氏経の子で井伊氏を継いだ次郎=直虎と混同されていたと考えればしっくりくる

関口氏経の子が井伊氏を継いだときはまだ幼かったために次郎坊ちゃんって感じで法師付けで呼ばれてたんじゃないかと思う
次郎法師=祐円尼説が生まれたのは単に余所者が井伊氏を継いだことをなかったことにしたかったんじゃね

854 :人間七七四年:2020/07/12(日) 20:20:23.08 ID:NHsQFguj.net
そもそも次郎法師なんて実態がはっきりしないもの
どうもこうもないよ

確実なのは井伊谷の徳政実施した「次郎法師」がいたことのみ
150年以上経ってから突如成立して井伊家にも伝わってなかった
明らかに誤りの井伊直平曳馬11万石とか書いてる井伊家伝記で
女地頭とか書かれてる記述しかない

入道してたから法師なのか幼名なのかなんて
判断材料がなさ過ぎる

855 :人間七七四年:2020/07/12(日) 21:41:50 ID:343QT1PY.net
井伊家伝記は龍潭寺が訴訟で井伊家を味方につけたくて
でっち上げただけの可能性はそれなりあると思うわ

井伊家伝記なけりゃ次郎法師は女でも出家でもなくて
幼少の直政のこととしても話は通じる

856 :人間七七四年:2020/07/16(木) 18:09:38.59 ID:iuLAYdBb.net
直虎女性説とか謙信女性説とか、なんでそんな話が創られたのかね

857 :人間七七四年:2020/07/16(木) 18:16:03.17 ID:hHGnNBOm.net
>>856
両社では状況が違うけど戦国時代の武家の当主が妻帯しないって異様だからじゃね

858 :人間七七四年:2020/07/16(木) 18:33:27.49 ID:4Mxqh86c.net
上杉謙信に至っては「妻帯していた説」がでているな

859 :人間七七四年:2020/07/16(木) 18:57:26.22 ID:dcyqa7YU.net
謙信に妻が居たって、あれ何らかの証拠を提示していたんだっけか?

860 :人間七七四年:2020/07/16(木) 19:10:17.98 ID:dcyqa7YU.net
ああ、

861 :人間七七四年:2020/07/16(木) 19:13:17.51 ID:dcyqa7YU.net
ああ、永禄4年の帰国時の手紙ってやつか
国衆を納得させるために“新造”を寄越せって

862 :人間七七四年:2020/07/16(木) 19:16:39 ID:l2sYCC2s.net
その方が面白いからって考えが史学の研究結構邪魔するよね

鹿児島とかだと未だに島津再研究しようとすると妨害が入るとまで言われるし

863 :人間七七四年:2020/07/16(木) 19:17:33 ID:l2sYCC2s.net
>>857
細川政元女性説が出ないのはー、知名度の差か・・・

864 :人間七七四年:2020/07/16(木) 20:04:24.71 ID:CKl31jzz.net
妻帯説は黒田先生のトバシなんじゃ。。

865 :人間七七四年:2020/07/16(木) 20:06:13.03 ID:UAeZd/Qp.net
>>863
魔法使いでキャラ定着しちゃったから…

866 :人間七七四年:2020/07/16(木) 20:50:49 ID:WXpLApMH.net
ゆうきまさみの新九郎奔る!で聡明丸(政元)出てきたね

867 :人間七七四年:2020/07/17(金) 11:08:10.32 ID:RvQxYdry.net
>>1
司馬遼太郎もの全部

868 :人間七七四年:2020/07/17(金) 18:43:04 ID:sI9WD0H+.net
>>856
そう言えば女信長って小説があったな。読んだことないから、内容は知らないけど

869 :人間七七四年:2020/07/17(金) 21:12:37 ID:JhHcFZY3.net
天海祐希主演のドラマ「女信長」なら見た。全てを投げ出して明智光秀との愛に生きるために
本能寺の変で死んだことにして後のことは秀吉に任せて愛の逃避行という結末だった。
ドラマとしてはそれはそれで面白いと思った。

870 :人間七七四年:2020/07/17(金) 22:14:44 ID:Raa24HjN.net
明智光秀(50後半〜70)・女信長(49)の愛の逃避行

戦国の失楽園かな

871 :人間七七四年:2020/07/17(金) 22:39:26.91 ID:WYpM/PiB.net
>>870
ぶっちゃけ本当に失楽園の戦国版で間違いない

872 :人間七七四年:2020/07/17(金) 22:47:34.16 ID:YMcm4oHX.net
そうでもないと説明つかんもんな

873 :人間七七四年:2020/07/18(土) 04:50:54 ID:Pw8NXKjG.net
なんか別のスレで小説の方はエロいとか見た気がするな

874 :人間七七四年:2020/07/18(土) 09:37:36 ID:vcBktg2r.net
冒頭で正徳寺の会見での道三と信長のピロートークから始まった記憶

875 :人間七七四年:2020/07/18(土) 21:09:20 ID:wkqdXpV/.net
大永の五月崩れってなんであんな盛られ方したのか謎だわ。
というか覆った俗説って今から考えれば正気を疑いたくなるかのような説が結構ある。

876 :人間七七四年:2020/07/19(日) 05:28:00 ID:HoBc5KuX.net
Amazonでまんが日本史久しぶりに見たけど、昔習った歴史ってあんな風だったんだよな

877 :人間七七四年:2020/07/19(日) 09:17:28.13 ID:/FgWVZuB.net
>>876
それ、朝日新聞社のやつじゃね

878 :人間七七四年:2020/07/19(日) 11:55:22.16 ID:xwGIveUu.net
アニメのまんが日本史は日テレじゃろ?

集英社のやつはお抱えの人気漫画家とかに表紙を描かせてるんやね

879 :人間七七四年:2020/07/19(日) 22:18:21 ID:9/XkXZIz.net
アニメのまんが日本史の原作は細かくアップデートされてくと言われる
小学館の日本の歴史だな

880 :人間七七四年:2020/07/20(月) 07:43:14.11 ID:s1S6eHTW.net
>>830
武田四郎とか

881 :人間七七四年:2020/07/20(月) 07:59:12.96 ID:vSl62D6C.net
足利茶々丸

882 :人間七七四年:2020/07/20(月) 09:25:27.28 ID:bBX9Edm8.net
武田四郎は通称じゃね
織田三郎と一緒で

883 :人間七七四年:2020/07/20(月) 09:56:23 ID:BN5em1qK.net
幼名と通称の区別がつかないのが5ちゃんクオリティ

884 :人間七七四年:2020/07/20(月) 13:48:24 ID:8lOQr/nE.net
>>880
勝頼は無位無冠なうえに甲斐守護でもないから四郎以外に名乗る名前がない

885 :人間七七四年:2020/07/20(月) 13:53:35.38 ID:8lOQr/nE.net
>>883
信玄の息子って六男までは太郎・二郎〜六郎だからそもそも幼名があったのかね

886 :人間七七四年:2020/07/20(月) 14:11:56 ID:g1L4+KsN.net
>>873
これか

95人間七七四年2011/11/12(土) 10:34:39.99
秀逸は女信長
織田信長が実は女でしたという話
斉藤道三に女である事を見破られ、犯され処女を喪失
柴田勝家を味方にする為色仕掛けで篭絡
浅井長政の性奴隷と化しアナルセックスにのた打ち回る
明智光秀と愛人関係に陥り
秀吉に女である事を見破られあやうく強姦されそうになり
本能寺の変は織田信長としての役割から開放してやるために光秀が仕組んだと
家康の初恋の人が信長だったと

ぶったまげるぜ

887 :人間七七四年:2020/07/20(月) 14:58:43.65 ID:tIERR5Q8.net
織田三郎五郎信広

888 :人間七七四年:2020/07/20(月) 15:13:31.37 ID:7lFZKUi+.net
夭逝した信玄の兄弟の幼名はすぐに出てくるのに勝頼どころか信玄の幼名も不明という謎

889 :人間七七四年:2020/07/20(月) 15:48:10.52 ID:kfUJ1jm8.net
軍鑑だと信玄の幼名、勝千代になってなかったっけ?

890 :人間七七四年:2020/07/20(月) 17:27:00 ID:x69GzWxO.net
>>889
信玄の幼名を息子にパクるなんて不遜なことを穴山がするのだろうか
武田滅亡後に武田家正統を名乗るために改名したとかならわかるが

891 :人間七七四年:2020/07/20(月) 17:30:44 ID:X8jGgcfe.net
そういう事じゃないの

892 :人間七七四年:2020/07/20(月) 17:53:02.71 ID:x69GzWxO.net
>>891
武田滅亡時点だと信君は出家・隠居しており、穴山家督は勝千代(信治)が継いでるはずののよね
おそらく元服もしてただろう すでに幼名を名乗る時期は終わってるのでは

893 :人間七七四年:2020/07/20(月) 18:02:23.90 ID:X8jGgcfe.net
そもそも穴山信治の幼名は不明
箔をつけたかった系譜類が勝千代ってつけたんじゃないかって事

894 :人間七七四年:2020/07/20(月) 19:02:03.53 ID:C7/t8wfc.net
箔を付けたかった系といえば真田大八
本人は元服前に石合戦で幕府から死亡認定されてたのに後世守信とかいう諱まで付けられて伊達家武将にまでなってるという

895 :人間七七四年:2020/07/21(火) 00:10:12.17 ID:b6Fm7LxL.net
最も似合わない幼名ランキングあったら確実に入りそうな頼朝さん
なんやねん鬼武者って

896 :人間七七四年:2020/07/21(火) 18:27:21 ID:fgV0QWWH.net
>>886
そんな話だったのか。両性具有の小説なら読んだんだけど
同じ作家の作品ならマジカル松永のか方が好きだったが

897 :人間七七四年:2020/07/21(火) 18:58:01.29 ID:KMMwVP0z.net
>>886
それ信忠や信雄ら息子の血統はどうなってるの
謙信みたいに実子がいないなら女体化でも通るのだろうけど

898 :人間七七四年:2020/07/21(火) 19:01:42.80 ID:cN7vlIC5.net
宇月原晴明は歴史小説じゃないけど
伝奇小説として最高だった

899 :人間七七四年:2020/07/21(火) 19:58:08.81 ID:Ib8oE9CC.net
自分は「聚楽」のガーゴと平六が好きだったな

900 :ここまで読みました:2020/07/22(水) 03:03:55 ID:IlIbxa1r.net
ここまで読みました ☆900

901 :人間七七四年:2020/07/23(木) 18:36:06 ID:CqLoEazO.net
法名約束戒名くらいしかわからないのが多い女性に比べ、仮名だけでもわかる男性はまだましか
逆に名が残っている女性の共通点ってあるのかな?
単純に高貴だからってわけでもなさそうだけど

902 :人間七七四年:2020/07/24(金) 05:38:26.13 ID:4Oam42+Y.net
女性の名前は、それこそ創作が多いからな

903 :人間七七四年:2020/07/24(金) 08:44:59.88 ID:mwy4YbpN.net
濃姫の「帰蝶」だが他の名前の例から浮いた印象
一般的な単語でもない
事実と創作のどちらにしても由来は何だろう?

904 :人間七七四年:2020/07/24(金) 10:29:00.06 ID:bP/juABD.net
帰蝶は江戸時代の軍記物
武功夜話だと胡蝶だけど成立年はさらに下る

現代でも結婚した女性を名前で呼ぶのは
旦那や家族以外ちょいと躊躇われる
まして戦国時代に一次史料で残るのは稀なんよね

905 :人間七七四年:2020/07/24(金) 10:40:08.49 ID:mwy4YbpN.net
>>904
軍記物の創作にしても何故この変わった名前にしたかって疑問だよ
武功の作者も同じ疑問から知っている似た言葉に変えたと想像している

906 :人間七七四年:2020/07/24(金) 10:48:32.27 ID:bP/juABD.net
胡蝶が先にあって帰蝶はその誤記とする説がある
名は蝶で軍記物作者が押し出し弱いと考えた
というのも何かで読んだ記憶がある
そもそも変な名前の人もいる

いずれにしろ決め手はない

907 :人間七七四年:2020/07/24(金) 11:16:05 ID:0PVBzsQY.net
特に可愛がられてたから帰ってきて欲しい
道三の気持ちが込められてるとか
再婚説と絡めると意味深

普通に考えたらあり得ないけど
そういうの含めて作家的にはおもしろい
使いたくなる名前なんかもね

おねも有名な信長の手紙あるけどそこでは
名前は呼ばれてなかったか

部下の嫁にああいう手紙書くくらいだから
信長の手紙でも出て来れば濃姫の名前も
確定出来そうだけどないのよね

908 :人間七七四年:2020/07/24(金) 11:25:21 ID:1TAFMp1a.net
あったとしても書状に本名は書かない

909 :人間七七四年:2020/07/24(金) 11:47:34 ID:0PVBzsQY.net
秀吉がおねやちゃちゃを手紙に残したように
ごく私的な手紙が発見されれば可能性あると思うよ

もちろんどんな手紙でも絶対名前載ってるという話ではないが

910 :人間七七四年:2020/07/24(金) 12:16:55.82 ID:r3NYavW9.net
まあお茶々・淀殿だって、秀吉以外だと秀頼誕生以降はほぼ一貫して「御袋様」表記だしな。

911 :人間七七四年:2020/07/24(金) 15:33:21 ID:9YzC6ldd.net
Wikipedia 屋代景頼

> 景頼が留守居役を務めていた時期に、一門の伊達成実が伊達家から出奔したため
> (文禄4年(1595年)秋から慶長3年(1598年)までの間)、居城の角田城を接収に赴き、
> 抵抗した成実の家臣・羽田実景ら30人余を討取っている。
> なお、この時に景頼が成実の妻子を殺害したというのは昭和62年(1987年)の
> NHK大河ドラマ『独眼竜政宗』における創作に過ぎないが、同年12月に刊行された
> 新人物往来社の『三百藩家臣人名事典』などがあたかも事実であるかの如く記載したため、
> このような謬説が流布されるに至ったのである。

912 :人間七七四年:2020/07/24(金) 18:03:42 ID:KBveXx2o.net
超有名ドラマのイメージに引きずられて実像が歪められてる場合があるな
独眼竜の最たる被害者は最上義光か 娘の駒姫は秀次に会った事もないらしい
もっと言えば政宗の眼帯もドラマの影響 これは大河が初出では無いが

913 :人間七七四年:2020/07/24(金) 18:05:50 ID:iBOYzl11.net
歴史を架空ドラマでやるのはいいかげん禁止しろよと思う

914 :人間七七四年:2020/07/24(金) 18:28:25 ID:Yqh3sB45.net
いや、この物語はフィクションですって文字が読めてない視聴者が悪いだけでしょ
完璧にノンフィクションなドラマなんて作れるはずがないんだし

915 :人間七七四年:2020/07/24(金) 18:55:18 ID:BH1i9u9b.net
政宗の眼帯も無くせや

916 :人間七七四年:2020/07/24(金) 19:03:23 ID:DbuvzuHV.net
山岡が創作した築山殿の瀬名って名前を本名として紹介して本を昔見たな
あと無双の影響か小松殿の本名が稲だと思っている奴が居た

917 :人間七七四年:2020/07/24(金) 19:07:46 ID:MhpagF9q.net
吉川英治の『宮本武蔵』も史実や伝承の武蔵を相当「歪めた」といわれるな
これも小説を真に受ける読者が悪いわけだが

918 :人間七七四年:2020/07/24(金) 19:12:07 ID:iBOYzl11.net
>>914
そうだとしてももうちょっと歴史に誠意のある内容にしろって言ってるんだよ
遺族だっていることなんだし

919 :人間七七四年:2020/07/24(金) 19:27:29 ID:bP/juABD.net
井伊直虎なんて大河ドラマの前は割と怪しくて
「井伊家伝記にある」「女地頭がいたとする説がある」
程度だったと思うんだがなぁ

今や井伊家伝記の女地頭の実在を認めて
井伊谷徳政に関わった次郎直虎と同一としない
記述の方が圧倒的に多いんじゃないだろか

その前後で新史料が出たわけでもなけりゃ
史料批判で信憑性が増した訳でもない筈だけど

920 :人間七七四年:2020/07/24(金) 19:36:33 ID:Yqh3sB45.net
個々人の気持ちとして誠意ある描写しろよってのは全然いいが
禁止とかの形にしちゃうのは問題がありすぎる

921 :人間七七四年:2020/07/24(金) 19:44:36.32 ID:HTwRvoXe.net
>>913
おんな太閤記は壽賀子ファミリーのファミリードラマに成り下がってたからな

922 :人間七七四年:2020/07/24(金) 21:04:01 ID:Y/KO38qW.net
おんな太閤記か。杉本苑子が自分の創作した名前勝手に使われてキレたヤツだったか

923 :人間七七四年:2020/07/24(金) 21:14:49 ID:0PVBzsQY.net
フィクションはフィクションとして好きにやりゃいい
ただ歴史を元にしたフィクションはフィクションだという
当たり前の認識が疎かになってるのはまずいね

大河ドラマはそのものよりドラマ後の5分映像とか
特番組まれたり関連本大量に出たりするのが
変に信憑性あると思われちゃう悪影響あるよな

あれも実際玉石混交というか諸説あることや
実際どっちかというと旗色悪い説でも
妙に断定的に書かれてたりする

924 :人間七七四年:2020/07/24(金) 21:55:42 ID:iBOYzl11.net
ほんとっぽく描くからよくないんだよ
あれが戦国バサラみたいなのだったら誰も本気にしない
でもフィクションなのに真面目腐って描かれて、〇〇に学ぶ経済術みたいなの出たら本気にするやつ出ちゃう

925 :人間七七四年:2020/07/24(金) 22:06:07 ID:Yqh3sB45.net
○○に学ぶ経済術みたいなチェリーピッキングまみれの本鵜呑みするやつ
多分何しても自分の見たいものしか見ないし学ばない

926 :人間七七四年:2020/07/24(金) 22:57:05.96 ID:mgsestU5.net
>>913
無理無理
テレビ局に何を期待してるんだか

927 :人間七七四年:2020/07/24(金) 22:59:30.43 ID:mgsestU5.net
今はテレビの歴史ドラマより
ユーチューブの方が圧倒的にひどい
さらにひどいと言うべきか

ソースも何もない与太話を動画で解説して
コメント欄でも誰も疑ってない
まじでレベル低いよ

928 :人間七七四年:2020/07/24(金) 23:09:05.80 ID:Jg+V22Av.net
>>916
静岡市の中心から4~5Kmぐらいの所に瀬名って地名があるんだよな

全くの創作じゃなくて関口家にゆかりがあるかもな

929 :人間七七四年:2020/07/24(金) 23:18:15.83 ID:WP/6uSqT.net
雪花の虎って漫画が上杉謙信女性説だね
ドラマ化常連の作家だから映像化するかもw

930 :人間七七四年:2020/07/25(土) 00:11:33 ID:bQHDY+Xa.net
>>928
築山殿の親、関口刑部少輔(親永・氏純)は今川一門・瀬名氏貞の子
だから瀬名姫と呼ばれた可能性はなくもないが、
逆に言うとこれが本名だった可能性は限りなく低い

931 :人間七七四年:2020/07/25(土) 02:13:09.24 ID:vh9FzroJ.net
本名はアイルトン

932 :人間七七四年:2020/07/25(土) 12:53:58.10 ID:raRhTfw0.net
>>931
いや面白すぎるよ
あんた面白いよ

933 :人間七七四年:2020/07/25(土) 13:08:44 ID:Pz9JO9wh.net
幕末長州人には戦国武将末裔を称する人間が多いけど怪しい人がちらほらいるな

尼子経久の末裔の来島又兵衛
杉重矩の末裔の吉田松陰
安芸武田氏庶流の祝氏末裔の高杉晋作
井上元兼と志道広良の末裔の井上馨
佐世清宗の末裔の前原一誠
林秀貞の一族末裔の伊藤博文

934 :人間七七四年:2020/07/25(土) 14:11:23 ID:tr+RCr6r.net
>>933
前原と伊藤は家伝の粋を出ないが、それ以外はそこそこ信頼できると思うが。

935 :人間七七四年:2020/07/25(土) 15:20:42.66 ID:N/lRlNcr.net
長州藩の上士だった、来嶋・高杉・井上の家が戦国時代の中国地方の大名や国衆に由来するのは当然だろ?
そいつらが毛利家の家臣に全部組み込まれた挙句、関ヶ原で毛利家の領地が削られたときに家臣の領地も全部削られて、
元大名級だったとは思えない領地になっちゃったんだから。

936 :人間七七四年:2020/07/25(土) 15:22:14.92 ID:dN7WJXLk.net
伊藤博文が林秀貞の子孫説初めて知った
調べたら博文自身は河野氏末裔と言ってるようだけど

林秀貞が追放後安芸に下向したとか
広島に墓があるというのはその辺の話なのかな?

よく「信行に着いたのを蒸し返されて追放」
と言われるけどその辺の話確かなら
追放理由は毛利絡みと観る方が自然だよな

937 :人間七七四年:2020/07/25(土) 19:29:46 ID:Deqod3gW.net
>>936
林氏自体が河野氏末裔だから博文の言と矛盾はしない
博文が秀貞末裔と思ってたかは知らんけど

938 :人間七七四年:2020/07/25(土) 19:35:42 ID:Deqod3gW.net
案外秀貞は祖先の地である伊予を陸路目指して道中安芸でくだばったのかもな
高齢で追放後二月で死んだ説もあるようだし
織田家を追放されて濃尾に帰るのも難しかっただろうし

939 :人間七七四年:2020/07/25(土) 20:58:58.51 ID:T+gqvnnO.net
>>927
今は大河ドラマや司馬小説並みかそれ以上にYoutubeの戦国動画や
コーエーなどのゲームからによる歴史観が影響力大きいだろうね

古臭い歴史観やトンデモな内容の歴史動画が軽く万再生叩き出してる一方で
糞真面目な最新研究動画は全く伸びないんよなあ

940 :人間七七四年:2020/07/25(土) 21:08:20.16 ID:T+gqvnnO.net
コーエー史観は既に30年近く蔓延して定着しきっている
現代戦国マニアにおいて最も影響力がある媒体だと断言できる

一定の世代に信長の先進性やら魔王像を刷り込んだのも
松永久秀梟雄象やら雑賀衆、本願寺の存在を深く刷り込んだのもコーエー
コーエーゲームにおける能力値で武将を評価するような風潮は
極当たり前の如くネット上での戦国談議で見受けられる

941 :人間七七四年:2020/07/25(土) 21:10:05.79 ID:pIf84oRg.net
そういうの見る人たちの求めてるものは納得であって理解じゃないからねぇ
自分の気持ちの中でなるほどってなることを重視する場合
変な断定をしない上、実証までのプロセスばかりで結果を中々言わない研究動画は娯楽たり得ないんじゃない?

942 :人間七七四年:2020/07/25(土) 21:10:44.02 ID:sbMoAYXU.net
>>939
三国志も正史ベースだと孔明より戦上手の馬謖とか、周瑜を差し置いて天下二分の計を唱えた甘寧とか誰も見たくないだろ?

あれそうでもない?

943 :人間七七四年:2020/07/25(土) 22:27:16 ID:gWKzr2u1.net
>>927
ヤフーニュースとかのコメント欄も酷いよw
薄っぺらい知識や難癖で一方的に知識マウントとった気になるヤツが多すぎる

944 :人間七七四年:2020/07/25(土) 22:37:01.47 ID:gWKzr2u1.net
>>929
単にもしも上杉謙信が実は恋多き女性だったら…、と言う話なら雪花の虎は恋愛作品として面白いし、
謙信が上洛中の公家たちとの交流を深く書いた作品ってほぼないからスゴいと思うけど
根本的に作者が戦国時代とか史学への知識不足が否めない箇所が多いんだよな。
一応、h郷氏が監修してるらしいが。
謙信女性説なんてちょっと詳しくなれば荒唐無稽なただの陰謀論作家の創作と分かるだろうに
作者はどうしても謙信は自分と同じ女性であって欲しいと言う欲求が強過ぎると思う。

945 :人間七七四年:2020/07/25(土) 23:03:02.97 ID:TknqDfWf.net
h郷ちゅうだけでダメなのが分かる

946 :人間七七四年:2020/07/25(土) 23:04:35.56 ID:TknqDfWf.net
いや創作物としてはまぁつまんなくはないけどただのファンタジーだったら普通に楽しめたかも

947 :人間七七四年:2020/07/25(土) 23:08:58.52 ID:aIBr7AzI.net
>>918
無双と言えば本多平八郎忠勝、戦国武将最強説どうにかならないかな

948 :人間七七四年:2020/07/26(日) 00:43:39 ID:RRjL16Sp.net
つか島津もそうだけど「戦国武将最強」とか言ってる時点でもう頭が悪いとしか

949 :人間七七四年:2020/07/26(日) 02:25:22.41 ID:oK4JzHbX.net
>>948
しかも肝心の島津は遅刻して参加できてないって言うね

950 :人間七七四年:2020/07/26(日) 02:40:00.80 ID:DyiHH6Jr.net
h郷って一応の専門中世史でしょ?
ただでさえ史料の実証と批判を軽んずるやつだけど更に専門外の事監修って

なんというか面の皮がえらい厚いな

951 :人間七七四年:2020/07/26(日) 07:33:01 ID:TK5fqCqk.net
司馬遼太郎のはぜんぶ創作
坂本龍馬も高杉晋作も

952 :人間七七四年:2020/07/26(日) 08:44:48 ID:hcjmWdQq.net
>>948
島津、関ヶ原で三河武士にビビっていた記録なかったっけ?
あと時代は違うけど、残虐で知られるモンゴル兵が鎌倉武士にはビビっていたな

953 :人間七七四年:2020/07/26(日) 09:37:01 ID:o/lzAEeE.net
鎌倉武士は坊主が歩いてたらとりあえず射殺して門に首を飾る蛮族だからな

954 :人間七七四年:2020/07/26(日) 10:12:45.00 ID:2l+ssEnX.net
大河もだけど大河に便上した本や漫画に研究家は絶対に金を使わんわ。
フィクション小説で楽しませてくれるならいいけど
歴史紹介といいつつ嘘を教えられるのによく金と時間を無駄にできるわな

955 :人間七七四年:2020/07/26(日) 10:35:46.27 ID:765D0q6k.net
>>952
海をはるばる渡ってわけわからん島の蛮族と戦えとか言われたら誰だってビビるだろ
変な鎧着てるし

956 :人間七七四年:2020/07/26(日) 10:42:06.33 ID:ggoRwBMz.net
>>950
名前伏せる意味なくね

957 :人間七七四年:2020/07/26(日) 10:42:40.55 ID:ggoRwBMz.net
>>954
まぁ世間の人は研究家じゃないからな

958 :人間七七四年:2020/07/26(日) 10:55:01.78 ID:4C+rx+4T.net
というか大河便乗本は研究者にとっては
読むものではなく書くもの
多少専門外でもそれで小遣い稼ぐ

959 :人間七七四年:2020/07/26(日) 12:30:58.86 ID:LGbIRWDT.net
>>952
人質捕ったらその人質事殺しに来るのがデフォの連中だしな、鎌倉武士
毒矢で対抗したら、届かない距離から鎧や楯すら貫く矢、射かけてくるし

960 :人間七七四年:2020/07/26(日) 14:07:41.18 ID:RiqSza9s.net
>>952
モンゴル人は別に特に残虐でもないし元寇にモンゴル人は殆ど居なかったよ

961 :人間七七四年:2020/07/26(日) 14:45:03 ID:VCxBjf2j.net
ですな

962 :人間七七四年:2020/07/26(日) 15:59:48.93 ID:RRjL16Sp.net
元側の元寇失敗の言い訳を真に受けて鎌倉武士蛮族論を
ドヤ顔で言いふらすのも恥ずかしいぞ

963 :人間七七四年:2020/07/26(日) 16:10:23 ID:RiqSza9s.net
>>962
なら本当の真実()を語ってくれよ

964 :人間七七四年:2020/07/27(月) 08:05:00.23 ID:LZyiBVoR.net
>>951
高杉晋作って、本人の手紙とか見るとすごいまともな人だからな。
すごいまともな人なのに、実際にやった行動が頭おかしい、って現実の方が創作よりひどいが。

965 :人間七七四年:2020/07/27(月) 17:42:13 ID:oQ/FWqKA.net
謙信は女だったは信長の元に平成からシェフが来たと同じように楽しめばいいんでしょ?
真に受けてる人いるのかw

966 :人間七七四年:2020/07/27(月) 19:45:19 ID:xwrOafUm.net
>>965
大河ドラマですら事実だと思ってるやつ多いからな

967 :人間七七四年:2020/07/27(月) 20:24:56 ID:PDcpHTF3.net
まあ大抵の人は漫画、小説、ゲーム、ドラマ等で得たくらいの知識で止まりだろうからね
そこから歴史の一般書、ましてや論文、史料まで行く人はそう多くはないでしょう

968 :人間七七四年:2020/07/27(月) 20:43:29 ID:PVf7TTOG.net
アニメを見て楽しむだけの人に声優の名前を全部覚えろとか言っても気持ち悪がられるだけやん
歴史ヲタも同じような事をしちゃ駄目だよ

969 :人間七七四年:2020/07/27(月) 20:54:48 ID:gkF2YVKL.net
どちらかと言うと
創作作品の感想と史実解釈ごっちゃにして語って歴史ヲタの逆鱗触ってくるとかのが多いような気が

970 :人間七七四年:2020/07/27(月) 21:15:54 ID:Cf4p/m2K.net
>>969
まぁ、他スレだけど家康大嫌いの例え話君なんか分か
りやすい例だな

971 :人間七七四年:2020/07/27(月) 23:55:22 ID:3YI5vw6d.net
>>969
多くはないな
上で言ってる、フィクションを史実だと
思ってる人の方が圧倒的に多い

972 :人間七七四年:2020/07/28(火) 01:43:07.92 ID:uyThiHGM.net
司馬遼太郎作品を史実だと思い込み、大学教授などの講習会で
「あんたの言ってることは司馬先生と違うぞ。もっと勉強しなさい」
みたいなことを教授に言う老人が一定層いるようだがw

973 :人間七七四年:2020/07/28(火) 07:22:24 ID:O+TzEqZm.net
>>972
そういう見もしてないフィクションをドヤ顔で語るのが司馬史観やね
お前も一緒って事や

974 :人間七七四年:2020/07/28(火) 10:25:26 ID:EQzatQ/6.net
司馬は小説だけじゃなく
エッセイまでフィクションだからな

975 :人間七七四年:2020/07/28(火) 12:53:02 ID:OywIIjIs.net
>>974
金稼げる有能なお前らって事やんけ

976 :人間七七四年:2020/07/28(火) 13:28:04 ID:EQzatQ/6.net
>>975
確かに!

977 :人間七七四年:2020/07/28(火) 16:57:54.18 ID:Z4bbcet5.net
今はマイナーだけど最上家親暗君説
手塚治虫の漫画が広まった主因だろうか

978 :人間七七四年:2020/07/28(火) 17:32:57.52 ID:h+wEAMKj.net
上杉綱勝なんかもそうだけど毒殺を疑える状況ではある
食中毒や胃潰瘍が悪化したとかの可能性もあるけど

979 :人間七七四年:2020/07/28(火) 18:53:38 ID:uyThiHGM.net
>>973
丸島和洋教授等がTwitterで言ってたが

980 :人間七七四年:2020/07/28(火) 20:03:01 ID:QwzYiQ98.net
>>972
別に司馬遼太郎作品に限らないんじゃないの
誰だったか昔、三国志演義の完訳を行った人が、読者らしき人から
「あなたの訳は、吉川英治のと全然違う。完訳なんてウソだろう」
という抗議の手紙をもらった、みたいな文章を読んだことがある
自分が最初に知ったものが基準になるのは、誰でも同じなのでは

ちなみに司馬遼太郎作品についての似たようなエピソードで、一坂太郎氏が著作で
大学かなんかの自分の生徒から、「高杉晋作が大好きだ。特に○○と○○のエピソードが好きだ」
みたいに言われて、「それは司馬遼太郎のオリジナルで史実ではない」と答えたら、目に涙を浮かべるほど衝撃を示された、
みたいに書いてた
「じゃあ、高杉晋作は何をした人なんですか!」と詰め寄られて、そこからその学生は研究の道に入ったとか何とか
司馬史観がどうこうとあげつらうより、それが入り口になる、くらいに思えばいいのでは
誰だって最初はドラマや小説などのフィクションから入るのがほとんどだろうし

981 :人間七七四年:2020/07/28(火) 20:18:25 ID:/jXYfhiq.net
>>980
次スレは?

982 :人間七七四年:2020/07/28(火) 20:22:20 ID:pEGpyC2Q.net
5chでも信長の野望の能力値高い武将絶対て人いるしな

983 :人間七七四年:2020/07/28(火) 20:24:36 ID:nr4DAEq6.net
俺なんか幕末純情伝のせいで坂本龍馬は徳川慶喜に船中八策を手渡ししてたと思い込んでたぞ

984 :人間七七四年:2020/07/28(火) 21:02:18 ID:QwzYiQ98.net
立てました

実は創作だった通説・俗説5【コピペ・レッテル貼禁止】
https://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/sengoku/1595937523/

985 :人間七七四年:2020/07/28(火) 21:21:56.63 ID:/jXYfhiq.net
>>984
乙です

986 :人間七七四年:2020/07/28(火) 23:33:12 ID:M8kXZn3D.net
>>982
あっちのスレに長々と自説書き誇って得意顔の人このスレからくるけど
信長の野望の武将能力値と絡める形で話を広げて欲しいのよ
延々と連レスして書き込むものだからもうウザがられて相手にされてない
来るなとは言わないからあっちのスレの形式に合わせて話すように考えろよ

987 :人間七七四年:2020/07/28(火) 23:38:33 ID:pEGpyC2Q.net
知らんがなw

988 :人間七七四年:2020/07/29(水) 00:43:03 ID:M+W/oBVm.net
それってあいつなんじゃ・・

989 :人間七七四年:2020/07/29(水) 04:23:32 ID:cCRG4tkW.net
>>986
こっちで他スレの愚痴を書く自分も同類だと気付こうぜ

990 :人間七七四年:2020/07/29(水) 06:34:47 ID:eTqzIAgR.net
>>989
指摘されたご本人様ですか?
向こうのスレが迷惑してるそうなので書き込みは少しお控えになられてはいかがかと

991 :人間七七四年:2020/07/29(水) 06:43:27 ID:nxcBLSAu.net
ゲームは武力だの知力だの見てきたみたいにうまく数値つけてるよな

992 :人間七七四年:2020/07/29(水) 06:45:54 ID:ArVFOXSn.net
>>990
当たり前の事言っただけで突っかかってシャドーボクシング始めるなよ

993 :人間七七四年:2020/07/29(水) 08:00:45.82 ID:YYHgR4N7.net
あっちのスレってどこ

994 :人間七七四年:2020/07/29(水) 10:22:47 ID:SU5aTVhP.net
頭おかしいのをここのスレだと断定して書き込むのも大概だし
変なのが変なのに切れてるだけなんでしょ

995 :人間七七四年:2020/07/29(水) 10:25:13 ID:u8riVM8I.net
早朝のレスバトル

996 :人間七七四年:2020/07/29(水) 18:07:24 ID:lDJYr9jY.net
996

997 :人間七七四年:2020/07/29(水) 18:07:39 ID:lDJYr9jY.net
997

998 :人間七七四年:2020/07/29(水) 18:07:52 ID:lDJYr9jY.net
998

999 :人間七七四年:2020/07/29(水) 18:08:05 ID:lDJYr9jY.net
999

1000 :人間七七四年:2020/07/29(水) 18:19:19 ID:lDJYr9jY.net
尾張

1001 :2ch.net投稿限界:Over 1000 Thread
2ch.netからのレス数が1000に到達しました。

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