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実は創作だった通説・俗説5【コピペ・レッテル貼禁止】

1 :人間七七四年:2020/07/28(火) 20:58:43.15 ID:QwzYiQ98.net
史実かと長年思い込んでいたが、実は講談や軍記物、
あるいは小説や映画大河ドラマなどの創作だった。
そんな話を語るスレです
自分の気に入らない主張に対してコピペを連投したり
レッテルを貼ったりする等をはじめとした荒らし、煽り行為は禁止です
その様なレスはスルーでお願いします
次スレは>>980でお願いします。無理な場合は次レス番を指定してください

前スレ
実は創作だった通説・俗説4【コピペ・レッテル貼禁止】 https://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/sengoku/1579862436/

デジタル大辞泉より
そう‐さく〔サウ‐〕【創作】
[名](スル)
1 新しいものをつくり出すこと。「新式の工具を―する」
2 文学・絵画などの芸術を独創的につくり出すこと。また、その作品。「物語を―する」「―舞踊」
3 つくりごと。うそ。「そんな言い訳は彼の―だ

2 :人間七七四年:2020/07/28(火) 21:05:12.42 ID:QwzYiQ98.net
過去スレ

実は創作だった通説・俗説4【コピペ・レッテル貼禁止】(c)2ch.net
https://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/sengoku/1579862436/

実は創作だった通説・俗説2【コピペ・レッテル貼禁止】(c)2ch.net
http://hanabi.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1457874321/

歴史作家の作った通説・俗説 [転載禁止]©2ch.net
http://hanabi.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1431750387/

3 :人間七七四年:2020/07/28(火) 22:07:33.48 ID:4ky+xIHZ.net
乙です。ただ、過去スレ3じゃ無くて4を貼ってますね

4 :人間七七四年:2020/07/29(水) 20:29:04 ID:3EtLQPYc.net
小説はフィクションだからある程度は自由で良いんだけど
その小説を真に受けて、しかもしたり顔で語る奴が問題なんだよな

5 :人間七七四年:2020/07/30(木) 18:24:11.12 ID:8Ol3zNu3.net
シバが悪い

6 :人間七七四年:2020/07/30(木) 19:30:18.27 ID:DTLZW0lh.net
斯波の風評被害

7 :人間七七四年:2020/07/30(木) 19:45:32.26 ID:Vzd7KgVJ.net
斯波武衛家が武田今川のように戦国大名化できてたら
史実のような織田の台頭による戦国時代の終焉はなく
それをおもしろおかしく昭和の作家が脚色することもなかった

8 :人間七七四年:2020/07/30(木) 20:06:59.25 ID:G6E2hSDj.net
織田にしたって松平、毛利にしたって国衆クラスだし
北条(伊勢)にしたって、幕府の官僚クラスで大名じゃ無いしな

9 :人間七七四年:2020/07/30(木) 22:05:17 ID:Y1GqvNF1.net
武田にしても今川にしても、戦国大名化できたのはあくまでたまたまだからな。
ほぼ偶然の産物で最初からそうなることを意図したわけでもなんでもない。

10 :人間七七四年:2020/07/31(金) 00:20:46 ID:T40hq07l.net
足利幕府における重鎮であるがゆえに斯波武衛家当主はほぼ在京が義務付けられ
領国(しかも分散してる)は守護代に任せる以外になかったから
戦国大名化は絶望的じゃないかと
史実でワンチャンあるとすれば、
斯波義達(1511-15、義統の父)が今川相手に遠江防衛に成功すればあるいは、かなぁ

11 :人間七七四年:2020/07/31(金) 09:14:56.64 ID:NInoGP0f.net
北条早雲、齋藤道三、松永久秀とか梟雄系は史料研究からの通説批判が進みやすい印象あるが
宇喜多直家もこの流れに乗っていきそうかな?

この人も軍記物イメージが強すぎて実際どうなんだろうと詮索したい
学者・作家・市井の戦国ファンは多いだろうね
まあ、調べようにも1次史料が少なすぎて修羅の道だぞ...

12 :人間七七四年:2020/07/31(金) 11:11:45.20 ID:qx55JzbH.net
大都会のあそこなら簡単

13 :人間七七四年:2020/08/01(土) 09:18:56 ID:+X7Haq6g.net
他のスレだったが、清正暗殺説とか忠臣説信じている奴、まだいるのか

14 :人間七七四年:2020/08/01(土) 10:49:45.13 ID:kqmqrgJb.net
あれは単に清正というか、古い家康像を引きずっているだけだろう

15 :人間七七四年:2020/08/01(土) 12:57:14.40 ID:5HHCEv4P.net
現在の研究だとむしろ徳川の忠臣になってるからな、清正

16 :人間七七四年:2020/08/01(土) 12:59:52.20 ID:Wd3xyOcJ.net
家康は陰湿な古狸、みたいな小説由来のイメージを一番最初に持つともう悪意的な解釈しかしなくなる人も多い気がするな。
反対に「信長は革命児だからやることには全て合理的な理由があったんだろう」みたいな好意的解釈をする英雄史観みたいなのもある

17 :人間七七四年:2020/08/03(月) 22:07:15 ID:GsHvsPqD.net
ゆうきまさみの新九郎奔る面白いな
どこまでやるかわからんけど新説使って上手いことストーリー作っとる

18 :人間七七四年:2020/08/04(火) 17:11:35.69 ID:hE0uqhb3.net
同じスピリッツに載っている雪花の虎はいまいちだけど

19 :人間七七四年:2020/08/04(火) 21:03:32 ID:I3PRC1gt.net
ゆうきまさみ作品も東村アキコ作品も監修が確か本郷和人なんだよな。
ゆうきまさみ先生はかなり調べて描いてらっしゃるが上杉家の家紋が江戸時代のものなのはちょっと気になった。
丸島和洋教授たちが監修してた大河ドラマの真田丸だとちゃんと当時のシンプルな上杉家の家紋で流石だと思ったな

20 :人間七七四年:2020/08/04(火) 22:22:39 ID:eUZR6RyC.net
真田丸の景勝を思い出すから止めて
あれは本当に酷かった

21 :人間七七四年:2020/08/05(水) 10:49:14 ID:X2p9wVy+.net
>>18
女謙信題材にしている時点で史実よりエンタメ優先だろうしな
漫画だからその姿勢でいいんだけど

22 :人間七七四年:2020/08/05(水) 15:16:49.57 ID:cDabdTja.net
まぁ東村アキコはマジで謙信は女性だと思い込んでる(と言うかそう願ってる)と思うが…。
作中では宝塚みたいな麗人として登場するが女性説作品の原典の八切止夫作品だと醜女なんだよなぁ

23 :人間七七四年:2020/08/06(木) 11:46:55.83 ID:PVPTjo9p.net
妻を迎えた記録が残っていない歴史上の人物全員女性説

24 :人間七七四年:2020/08/06(木) 11:49:33.45 ID:+15wTqOh.net
魔法少女マジカル政元になっちゃうじゃないか

25 :人間七七四年:2020/08/06(木) 11:50:32.17 ID:WUBvL1Sp.net
だいたいあってる

26 :人間七七四年:2020/08/06(木) 12:40:45 ID:gv2bgs6M.net
>>23
ってことは俺も女だったのか

27 :人間七七四年:2020/08/06(木) 12:49:32 ID:z3G0ijr6.net
お前歴史になを残す人物だったのか

28 :人間七七四年:2020/08/06(木) 13:07:04.48 ID:x9Hn6sjT.net
>>23
政略結婚が当たり前だから何かしらの理由はあるよね
ゲイだったとしても結婚はしてるはずだしなー
同盟に役立つ大事な駒を使わないのもったいない
子供は養子でいいし

29 :人間七七四年:2020/08/06(木) 15:40:20.22 ID:qWtcrMCM.net
謙信の場合は兄の子を養子に迎えていて自身は陣代になる予定だったからなぁ。
自身に子どもが出来たらトラブルなので出家して子どもを作らないことを誓った。
そもそも「妻」帯しないから女ってのは当たり前よね

30 :人間七七四年:2020/08/06(木) 16:53:39.17 ID:99P9Kvmq.net
兄の子って?
謙信が本当に陣代に徹するつもりだったのなら養子に迎えるべきなのは憲政の子なんじゃなかろうか

31 :人間七七四年:2020/08/06(木) 18:14:25.17 ID:V5rk/BtZ.net
長尾景虎が兄の子の陣代になるのは何もおかしくは無いだろう

32 :人間七七四年:2020/08/06(木) 18:38:59.82 ID:S+80ZnE2.net
憲政から家督を譲られた時に憲政に嫡男いたのか?

33 :人間七七四年:2020/08/06(木) 19:04:05.49 ID:V5rk/BtZ.net
>>32
嫡男は北条に殺されて下の子は家督譲渡後の誕生のはず

34 :人間七七四年:2020/08/06(木) 19:41:57.87 ID:5pL3agnZ.net
>>30
いや上杉家の家督が譲られる前の長尾家時代の話よ

35 :人間七七四年:2020/08/06(木) 20:17:32.15 ID:s8tYa8Xa.net
晴景の子の猿千代って早世してなかったっけ?

36 :人間七七四年:2020/08/06(木) 20:40:59.72 ID:e+eqGoPw.net
猿千代は景虎が養子として家督を継ぐ前に亡くなっているっぽい

37 :人間七七四年:2020/08/06(木) 20:44:55.24 ID:S92tDxCx.net
実際は兄の養子になって正式に長尾家督を継いでるし
出家したのもずいぶん後さらに上杉家督を継いでから

陳代として兄の子に継がせるために出家どころか
家臣が言うこと聞かないからと家督を放り出した際に
出家しようとしてる

38 :人間七七四年:2020/08/06(木) 20:53:21.88 ID:qWtcrMCM.net
謙信が出家したのは長尾家派と越後上杉家派との対立に中立の立場を示すためで、そのまま猿千代に家督を渡す形だったが、家臣に説得され辞めたとされる。
おそらく景勝が養子になった少し前までは猿千代は存命だったとも

39 :人間七七四年:2020/08/06(木) 20:59:35.50 ID:x9Hn6sjT.net
信長だって正室は子供産んでないけど美濃と停戦するために結婚が必要だったわけだ
正室のポジションを開けておくのもったいなくね?

40 :人間七七四年:2020/08/06(木) 22:35:42 ID:5pL3agnZ.net
最近じゃ謙信も妻帯していた記録が確認されており上杉憲政の娘かもしれないと言われてたり

41 :人間七七四年:2020/08/06(木) 23:01:00.11 ID:+15wTqOh.net
正確にはこれから説への批判なりが入って確定していくと思う
謙信妻帯の話は

42 :人間七七四年:2020/08/07(金) 07:45:02.32 ID:/fGHgKVY.net
なぜか素性はおろか説すら明らかにならない大谷吉継の妻
後世の逸話には出てくるがどんな立場だったのかは研究本をざっと見ても分からない
相方の石田三成の妻は各説も有名なのに

43 :人間七七四年:2020/08/07(金) 08:38:43.67 ID:JpytmOXO.net
いうほど相方だろうか

44 :人間七七四年:2020/08/07(金) 10:35:20 ID:NwPN3VLU.net
その辺の友誼とか癩病とかの逸話は江戸中期以降の軍記

奉行としての職分から一緒に行動することは多かった
とは言えそれを言い出すと他の奉行もそうだし
下手すりゃ仇敵扱いの秀吉子飼達ともだ

関ヶ原で戦死したことから逆算して
三成と親しかったという逸話が作られた面はある筈

戦死するくらい真面目に戦った数少ない西軍大名
とは言えるけどそれを三成のためという解釈は
ちとロマンチズムが過ぎる

45 :人間七七四年:2020/08/07(金) 11:11:28.44 ID:/fGHgKVY.net
生前の記録では三成は真田信幸、吉継はねねとの友好関係が見て取れる
軍記の影響といや吉継の実享年が三十代半ばだったのに対し俗説だと三成より一つ上になっていたのも物語の影響かねぇ

46 :人間七七四年:2020/08/07(金) 12:28:59.37 ID:oGl7Ml1c.net
戦死したのも単純に布陣した場所が悪かった感じがするな

47 :人間七七四年:2020/08/07(金) 18:04:17 ID:zr3MgwTV.net
>>45
三成と昌幸が相婿同士なら信幸は三成の義理の甥だから友好関係があってもおかしくはない
>>46
病の程度によっては単に逃げることを選ばなかっただけかもよ
息子たちは逃げ延びてるから布陣した場所で逃亡不能ということはないかと

48 :人間七七四年:2020/08/07(金) 19:05:03.36 ID:uZSJeLCG.net
いつから死病に取り憑かれた扱いになったかは知らないけど、義弘相手に深酒したり、北政所載って豊国神社参拝のお供をしたり軍の指揮をしたりと、
吉継、普通に活動しているよな

49 :人間七七四年:2020/08/07(金) 19:24:29 ID:Xbytkgsj.net
載っちゃったか

50 :人間七七四年:2020/08/07(金) 20:00:07 ID:zr3MgwTV.net
>>48
死病が事実かは知らんけど輿に乗ってたのが事実なら義元とか隆信とか逃げるのが下手なイメージw
普通に考えたら馬に乗れないような奴じゃあ徒歩だともっとダメだろうし

51 :人間七七四年:2020/08/07(金) 22:04:50.72 ID:zH2hz45H.net
逃げ切るの難しそうだし、逃げてる途中で首取られるのもアレだし、
仮に逃げ切れても処刑か病抱えて浪人だし
そういうの考えてやるだけやってここで死のうみたいに思ったんだったりして

52 :人間七七四年:2020/08/07(金) 23:24:30.58 ID:3iOdJyJZ.net
そういえば孫が利勝か家康の推薦でどこかの藩に所属させたから
家康にとって大谷吉継のイメージはよかったんだろうな

53 :人間七七四年:2020/08/08(土) 17:58:35.81 ID:xqAQ6awS.net
そういう逸話が作られるくらいには家康の吉継に対する評価は高いことになってるっぽいね
豊臣への忠義とか三成との友誼とかの話と同類かもしれんが 戦国が終わってそういうのが評価される時代になりつつあったというのもある

54 :人間七七四年:2020/08/08(土) 23:08:04 ID:0+Vs9sP1.net
自然豊かな里山なんてものは、むかしは無かった
https://togetter.com/li/1557746
明治以前の侍の時代の軍事行動の行軍は現代基準で考えると『速すぎる』し、
矢も鉄砲も『通りすぎる』、物見の敵発見も『異様に早い』(つまり植生が疎)

55 :人間七七四年:2020/08/11(火) 09:21:57 ID:SQdfulJE.net
美濃攻めっていつから秀吉大活躍の場面になったんだろう
史料ではそれほどまでには関わってはいなかったと思うんだけど

56 :人間七七四年:2020/08/11(火) 12:07:16.13 ID:g4BE3Kh7.net
太閤記からじゃねの

57 :人間七七四年:2020/08/11(火) 12:19:49.21 ID:C0iWrCaj.net
一次史料上だと秀吉の初出はすでに織田家でえらくなってからだっけ?
そして秀吉自身のプロデュースで本人は下賤の身からなりあがったという事だし
下賤の身から織田家重臣入りするにあたってなにか凄い事をやったって情報が必要だったんかねー
調べてみないとわからないけれども

58 :人間七七四年:2020/08/11(火) 22:30:43.39 ID:VabYhtzL.net
最近は秀吉は織田家の遠縁の家系出身の可能性があるなんて言われてるな

59 :人間七七四年:2020/08/12(水) 13:39:39 ID:8zcOqoi9.net
>>58
それどこソース?

60 :人間七七四年:2020/08/12(水) 20:25:30 ID:NVPOJI36.net
幕府のエリート家系だった伊勢宗瑞が素浪人にされたり
二代でのし上がった斎藤道三が一代で成り上がった梟雄にされたり
庶子の義元が正妻の産んだ子にされたりしているし、
豪族の子が貧農の子にされることもあるだろう

61 :人間七七四年:2020/08/12(水) 20:37:36 ID:krDLX+iP.net
>>58
くだらん歴史研究家のくだらない新説はうんざり

62 :人間七七四年:2020/08/12(水) 21:00:45 ID:v7GOyqug.net
まとめ管理人さんが動画で説と言える程でもなく推測でしかないですがと断って語ってた話でしょ
本人が推測でしかないと言ってるものをわざわざ可能性って言葉使って書くのはちょっとよろしくないかなー

63 :人間七七四年:2020/08/12(水) 21:04:42 ID:b7mNx5+j.net
>>61
ど素人の「研究家」は自分の都合の良い方向に史料を解釈したり、偽書を探すからな

64 :人間七七四年:2020/08/12(水) 21:13:22.91 ID:3/eluD44.net
どうせ無名教授か地方史家の売名珍説だろと思ったが
まとめ管理人はさすがに草

65 :人間七七四年:2020/08/12(水) 21:23:53.21 ID:Nhu/J1HH.net
義元はいつから庶子になったんだ?

66 :人間七七四年:2020/08/12(水) 23:37:49 ID:4yYz9Hx3.net
織田氏傍流で今川の被官化していた遠江木下氏の話やね。>織田家遠縁云々
今川の文書に、この一族として「木下藤蔵」「木下藤二郎」といった名が見え、秀吉の「藤吉郎」と同じ
藤〇〇という通称を使う家系が有ったらしい。ただしそれだけの話で、秀吉と関係があるかどうかは全く不明。

67 :人間七七四年:2020/08/12(水) 23:43:01 ID:YP+6yc+a.net
>>65
最近のwikipediaは詳しく書いてあるで

68 :人間七七四年:2020/08/12(水) 23:43:18 ID:+3KbQvIn.net
黒田基樹とかがとなえているらしいね

69 :人間七七四年:2020/08/13(木) 00:06:03.13 ID:BuW9YmHw.net
秀吉は父系親族がまったく出てこない闇の部分があるとはいえ
第一次高天神後に(多分徳川を見限った)松下之綱をわざわざ引き受ける位
旧縁を大事にする(せざるをえない)時期もあったのに
「親類」であるはずの遠江木下氏出身の秀吉家臣が知られてないってのは不自然だと思うわ

もっとも織田家に仕官するに当たって遠江木下氏を仮冒した可能性はあるかもしれないが

70 :人間七七四年:2020/08/13(木) 00:17:06 ID:5BP2IA7B.net
現時点では似た名前の人物がいた。に過ぎないからなぁ

71 :人間七七四年:2020/08/13(木) 01:30:38.40 ID:1tRwYDvY.net
>>66
今川仮名目録のことか?

72 :人間七七四年:2020/08/13(木) 18:36:15 ID:dUWOqLRY.net
新参の身で主家の遠縁を示す姓をわざわざ変えるというのは疑問だな

73 :人間七七四年:2020/08/13(木) 19:47:02.02 ID:nFSMCSnx.net
斯波氏って遠江守護も兼任してたし、遠江木下氏の一族が尾張に移り住んだ可能性は捨てきれんよな

74 :人間七七四年:2020/08/13(木) 19:50:02.46 ID:AbtUW6tH.net
まぁ可能性上げていけばそれなりにありえそうな話ではあるけど
あくまでもありえそうだけでそう解釈するのが自然って程ではないよねーって感じ

75 :人間七七四年:2020/08/13(木) 20:24:22 ID:GBUGknOF.net
>>71
今川仮名目録を今川家の文書とは呼ばんだろ

遠江木下氏の名が出てくるのは
『戦国遺文 今川氏編』840「天野景泰手負人数注文写」
同847「今川義元感状」
同1227「天野虎景披露状写」

など

76 :人間七七四年:2020/08/13(木) 21:07:15.76 ID:fMQOvhV3.net
仮冒については考えなくてよくない?
仮に遠縁でも敵国今川の被官を名乗る利点は薄く
遠江国人松下に仕える上では逆に誤魔化しにくい

一方秀吉の父を「木下弥右衛門」とした初出の
太閤素生記をどう理解するかだな
元織田弾正忠家足軽で負傷して隠遁したとする

江戸時代初期の成立だから創作て見方もありだが
ギリ生存者に取材できた時代でソースも
中村代官とか筆者の祖母飯尾連龍息女とか
妙に具体的(飯尾は松下の寄親)

東海筋にそういう話が残ってたという見方もできる
それが事実か単なる噂かはまた別の問題だが

77 :人間七七四年:2020/08/13(木) 21:42:55.16 ID:jpmLD3Qp.net
むしろその逆で遠江木下氏が分家筋って可能性は?

78 :人間七七四年:2020/08/13(木) 22:21:35 ID:kl2UyC7x.net
確たる史料がないから可能性の話以外何一つできないのだが

A.遠江に木下姓がいた一次史料はある
B.尾張に秀吉以前の木下姓の一次史料がない

という状況で両者が同じ流れと見做す場合
A→Bと取る方が自然かな

79 :人間七七四年:2020/08/13(木) 23:45:09.45 ID:q6O0eBiT.net
本能寺の変で明智軍の下っ端は家康を討ちにいくと思ってたという通説は違うんじゃないか
という説が出てるみたいね

80 :人間七七四年:2020/08/14(金) 00:14:48 ID:XmRn+F7D.net
>>79
家康は堺にいたからね
京に向かうわけがない

81 :人間七七四年:2020/08/14(金) 00:19:38.23 ID:LPbBKnw6.net
伊賀越えで200個も首取ってなかったっけ?
襲ってきたのは一揆していた連中か

82 :人間七七四年:2020/08/14(金) 00:20:17.25 ID:eqE6wfZT.net
>>79
それは通説というより、まさか信長を討つとは想像もしてなくて、他に心当たりが思いつかないので勘違いしてた、
と史料にもはっきり書いてあるのに、陰謀論的解釈をしてしまった人がいる、ということでは

83 :人間七七四年:2020/08/14(金) 11:00:51.44 ID:bbIiHYS8.net
大前提として
本庄惣右衛門とその周辺がそう思った≠明智軍幹部以外はそう思った
なわけだしなぁ

84 :人間七七四年:2020/08/14(金) 15:27:11.65 ID:lIo6ePc7.net
下っ端の勝手な思い込みに違うも何もないわな

85 :人間七七四年:2020/08/14(金) 16:02:33.94 ID:W90CLH93.net
「家康討つと思ってた」は本城惣右衛門覚書だな

単に惣右衛門が思ってたってだけで
「下っ端」が皆んなそう思ってたとは書いてないし
それが通説と言うわけでもない

86 :人間七七四年:2020/08/14(金) 18:31:46 ID:5UW4dlCc.net
本能寺の変と言えば帰蝶が奮戦して戦死する話は何時ぐらいに出来たのだろうか
何故か創作とかでは信長とおしどり夫婦の様に描かれる事が多いけど
実際は史料に乏しく、良くわからない女性なのだが

87 :人間七七四年:2020/08/14(金) 18:36:26.53 ID:7hXtRICe.net
信長生前、離縁したあるいはいつのまにかいなくなっていないのはそこそこの良材料では

88 :人間七七四年:2020/08/14(金) 19:13:03.90 ID:5qQQ85oq.net
つか濃姫の存在は織田家の美濃支配の正当性の一つだし

89 :人間七七四年:2020/08/14(金) 22:38:59.37 ID:wfrunozh.net
その辺は説というより作家が書いたお話だわな

本能寺戦死はまだ江戸時代に遡れるらしいけど
離縁説は下手すると平成じゃないか?

小説的には夫と父(実家)の板挟み的にテーマだが
史料的な根拠としては単に「公記にないしよくわからん
だから離縁されたんでしょ」程度

90 :人間七七四年:2020/08/15(土) 00:57:36.70 ID:CPdCwzSH.net
ちゃんと斎藤利治(本能寺の変にて死亡)が信忠の重臣として岐阜城主となっているから
普通に帰蝶(なのか義父の道三)が尊重されているのは確かだよ

91 :人間七七四年:2020/08/15(土) 01:08:33.37 ID:jjtTjOVp.net
そもそも「帰蝶」も江戸期の『美濃国諸旧記』の創作だな

92 :人間七七四年:2020/08/15(土) 14:28:00.38 ID:uVS5PMz0.net
・言継卿記にある永禄12年「信長本妻」が
 斎藤義龍妻を庇う記述
・信雄分限帳の「安土殿」(信雄正室、同腹妹の徳姫と
 信長生母に挟まれる立場の女性)

これを他に有力視される人物がいるわけでもなしに
濃姫とは別人とする方がよくわからんのよね

93 :人間七七四年:2020/08/15(土) 15:33:41 ID:jjtTjOVp.net
>>92
濃姫本人とする明確な根拠はないけど、だからといって別人説に何かしらの根拠があるわけじゃないからな。
最低でも濃姫であると「推定」するのが学問的態度だと思う。
つか正直別人説は武功夜話に未だに引っ張られてるんだと思う。

94 :人間七七四年:2020/08/16(日) 10:50:50.99 ID:ASewDVa5.net
>>83
一応フロイスの日本史でも「明智の兵士たちは家康を殺すつもりだろうと考えた」って書いてあるから
結構その勘違いした人数は多かったとは思うけどな
って言うか実際俺がその場にいてもそう思うかも

95 :人間七七四年:2020/08/16(日) 11:13:38.25 ID:0vrqcvcM.net
>>93
まあそんなところやろね
そもそも離縁なんてしてたら信忠の側近として岐阜城に入り美濃に広い知行地を持ってた斎藤利治の立場はどうなるんやって話やしな

96 :人間七七四年:2020/08/16(日) 16:27:27.84 ID:MZRwafaw.net
斎藤利治って加治田城主じゃないのか?
そりゃ一門の重鎮として岐阜城に詰めてることはありえるが、岐阜城主だったの?

97 :人間七七四年:2020/08/16(日) 16:34:18.11 ID:ulkH6Tgv.net
城代でしょうね

98 :人間七七四年:2020/08/16(日) 18:45:50.96 ID:dBQPgEAg.net
信忠付きだし岐阜につめてることも
多かったとは思う

ちなみに本能寺の時は利治の兄で
加治田城代の利堯が岐阜の留守居に入ってるね

99 :人間七七四年:2020/08/16(日) 20:30:29.39 ID:/cqPITVV.net
扱い的には準親族ぐらいには重用されているわな
どこから離縁なんて説が出てきたんやろな

100 :人間七七四年:2020/08/16(日) 21:38:04 ID:yzj83yAX.net
92年のKING OF ZIPANGUが大河としては
初めて濃姫じゃなく帰蝶の名を採用して
信長とすれ違いから別居するストーリーだった

Wikipediaで唯一離縁説論者として名の上がる
作家の阿井景子が「濃姫孤愁」を発表したのも92年
(ちなみに花の乱の94年に「華頂の花-日野富子」
竹中秀吉の96年には「秀吉の野望」を発表)

割と真面目にその辺からだけだと思うぞ
知る限り学術的に離縁説あるとは聴かないし
それ以前にあるなら知りたい

101 :人間七七四年:2020/08/16(日) 21:48:51 ID:yzj83yAX.net
KING OF ZIPANGU も武功夜話の影響あって
吉乃が寵愛されて子供産んだせいでギクシャクする

その意味では武功夜話からってのも間違いではない
ただし武功夜話にも濃姫離縁の話はない

102 :人間七七四年:2020/08/16(日) 22:07:42.30 ID:XZTR+Gq7.net
説というより一小説の設定というのが実情?

103 :人間七七四年:2020/08/16(日) 22:28:31.87 ID:0CG2inqI.net
信長公記で結婚したことが記録されて以降、史料上まったく登場しないので、「離縁した?」「いやいや死んじゃった?」と推測されているのだよ
ある意味本能寺の変での「明智光秀の動機」と同じで、真相は謎だけど分かっても分からなくても、どっちでもいい話
と、いうことはフィクションで扱う領域だよね
史実がどうか、なんてムキになって争うのは意味がないと思う

104 :人間七七四年:2020/08/16(日) 22:41:16.51 ID:0kwUnN2Y.net
女性は高台院みたいに名前や史料での言及が多いほうが珍しいしね
悪評って意味では築山殿もか

105 :人間七七四年:2020/08/16(日) 23:23:29.44 ID:K0eu0cZC.net
正直他の女性に付いても濃姫並みに厳密に
表記違いを全部本人の確証ない別人かもってしてくと
まともな人生描ける女性なんて本当少なくなるかと

信長が手紙で秀吉との夫婦喧嘩を仲裁した女性は
名前不詳だからのちの北政所とは別人かも
て極論なりかねないけどそんなこと誰言わない訳でな

かと思えば家康の祖母に当たる華陽院(於大の母)とか
水野忠政室だったのを清康が召し上げたと言われるけど
忠政との下の子が清康死後に生まれてるとか
長男の生年考えたら清康よりだいぶ歳上の筈だけど
死に別れた後3人に嫁いでるとか
何人か別の女性の事績が混ざってるんじゃ?て例もある

106 :人間七七四年:2020/08/17(月) 06:06:47 ID:FjLfCaQL.net
武士の世の中で女性が表舞台に出る代表的なケースが幼少の主の母親やからな
今川のケースが分かりやすい

107 :人間七七四年:2020/08/17(月) 10:36:54.10 ID:Qa+cXCX/.net
>>104
岡崎に移った後の築山殿は於大の方に苛められていたと言う話があったような

108 :人間七七四年:2020/08/17(月) 13:22:36 ID:UqpMUflY.net
知らんな
初め知ったわ

109 :人間七七四年:2020/08/17(月) 14:42:03.57 ID:YQvvPQ6/.net
悪女のレッテルを貼られると割を食うからな
三条殿とか義姫とかもそうだし、
秀頼の我儘に巻き込まれた茶々も、
息子を振り回して家を滅ぼした扱いだったし

110 :人間七七四年:2020/08/17(月) 18:20:42.33 ID:2skRuX4N.net
>>103
まあ離縁は飛躍し過ぎだわな 病死は当時としては普通にあり得るけど
安土殿=濃姫と確定しないのもその時点で生存してた確証が無いのが大きいだろうし

111 :人間七七四年:2020/08/19(水) 13:01:33.47 ID:6XrAqPIu.net
>悪女のレッテル貼り
紫式部は清少納言に酷いことしたよね

112 :人間七七四年:2020/08/20(木) 10:04:27 ID:WaBxSxX4.net
ゲームとかだと朝倉家名門を自称しているけど、名門か?
歴史はある家だとは思うけど、名門とは違うような気がする

113 :人間七七四年:2020/08/20(木) 10:28:48.70 ID:pQQkPMrF.net
名門の定義にもよるが
幕府公認の越前守護職だから浅井や上洛前の織田よりは名門なんじゃない

114 :人間七七四年:2020/08/20(木) 10:34:58.40 ID:AdWJAtRa.net
朝倉は守護代から応仁の乱の時に守護になった家だから国人の成り上がりの浅井や守護代の家臣の弾正忠家からしたら名門やけど名門を強調するほどじゃないわな

115 :人間七七四年:2020/08/20(木) 11:44:23 ID:h5MBm09+.net
朝倉は守護並みの権限を持ってただけで家格は守護代のままじゃなかったか
朝倉の名門ってのは斯波家臣時代から将軍家直臣の性格も備えてたからじゃないの

116 :人間七七四年:2020/08/20(木) 11:54:59 ID:1cWWB9Bw.net
まあそれを言うなら織田も守護代家に関しては、応仁の乱前後には既に京の屋敷に
将軍が直々に御成をするなど将軍直臣格となっている。
つか斯波武衛家の守護代家である甲斐、朝倉、織田は主家の分裂による
求心力の低下もあいまって将軍が直接掌握しようとする動きが強かった。

117 :人間七七四年:2020/08/20(木) 12:02:30 ID:yuuo03qP.net
将軍が自らの権力強化のために三職や山名といった名門の力を削ごうとした事が実力主義の戦国時代を招いた遠因の一つってのも皮肉な話というね

118 :人間七七四年:2020/08/20(木) 12:06:56.24 ID:bjLtbN/G.net
朝倉と織田って同格くらいでしょ

119 :人間七七四年:2020/08/20(木) 12:14:10.08 ID:1cWWB9Bw.net
創作物だと朝倉義景と織田信長の対立の原因を説明すると非常に長く面倒くさくなるから、
家格云々の問題に単純化して説明を省いている、って事なんだろうよ

120 :人間七七四年:2020/08/20(木) 12:27:18 ID:zfQZJkgb.net
朝倉も織田も斯波氏の守護代だからね
もとは同格っちゃ同格

でも信長の織田家(弾正忠家)は尾張を分割支配する又守護代、大和守家のさらに家臣であり
織田家を名乗っていても分家なんだろうけど素性は明らかではない家
いちおー鎌倉時代まで系譜を遡ることができて、守護代本家で越前一国支配してる朝倉義景としては
一緒にすんなと言いたいかもしれない

121 :人間七七四年:2020/08/20(木) 16:28:28.87 ID:QNp5Slm9.net
朝倉は守護に昇格済

122 :人間七七四年:2020/08/20(木) 16:45:26 ID:1cWWB9Bw.net
>>121
正式な守護には任じられておらんのだ

123 :人間七七四年:2020/08/20(木) 16:58:10 ID:3X+a7TKH.net
正式な守護の条件で何?

応仁の乱で幕府から越前守護を認められて
東軍に寝返って以降斯波ではなく朝倉が
守護に任じられてるけど

応仁の乱以降の幕府は形骸的なもので認めない的な?

124 :人間七七四年:2020/08/21(金) 08:18:34 ID:Gwy8j8Kc.net
>>94

宮城事件の皇居乱入部隊の兵隊さんも君側の鑑が反乱起こしたと上から言われたって聞いたことあるし、そんなもんでしようね。末端は。

125 :人間七七四年:2020/08/21(金) 10:40:24.57 ID:/R4zaz7l.net
末端の兵にまで事前に謀反が知れ渡る有様だったら絶対にバレるわな
隠密の監視役や軍監が紛れ込んでないとも限らないし

126 :人間七七四年:2020/08/21(金) 13:32:37 ID:8eQeKsT+.net
うちの殿さん今度上様に謀反すんねん

って末端まで事前に知ってたら逃げるかチクるかするわなw

127 :人間七七四年:2020/08/21(金) 17:35:14.29 ID:3gmdUFmr.net
国人レベルでも個人的に信長に恩義を感じてるのがいたらチクるかもしれない
変後の光秀はあれこれ否定的に言われてるが信長を殺すという一点においてはうまくやったよ

128 :人間七七四年:2020/08/21(金) 20:04:23 ID:+yLc/ssS.net
「敵は本能寺にあり」も創作

129 :人間七七四年:2020/08/22(土) 07:15:36.32 ID:X1x6nGSh.net
浅井長政が勝林院に出した文書が

130 :人間七七四年:2020/08/23(日) 00:40:15 ID:Gc0DzZTY.net
>>128
同じようなことは言ったやろ
「信長を討てーっ!」とかさ

131 :人間七七四年:2020/08/23(日) 00:54:13 ID:cj6DY8oA.net
>>130
そんな記録は一切存在しない

132 :人間七七四年:2020/08/23(日) 01:02:32.69 ID:Gc0DzZTY.net
じゃあ無言で攻めたの?
いやそれはないだろー

133 :人間七七四年:2020/08/23(日) 02:10:34.33 ID:cj6DY8oA.net
>>132
だからといって想像で「こうだっただろう」ってやるのは学問ではない。ただのお前の妄想

134 :人間七七四年:2020/08/23(日) 02:23:48.09 ID:Gc0DzZTY.net
そうだよただの妄想だよ

135 :人間七七四年:2020/08/23(日) 10:35:07.38 ID:t77E8L4r.net
ここは学問の場なのか?

136 :人間七七四年:2020/08/23(日) 11:01:10.78 ID:5YOd3aPt.net
>>135
んなわけないだろw

137 :人間七七四年:2020/08/23(日) 14:43:28.73 ID:igv8TmLr.net
妄想の場でもないね

少なくとも創作であったかの話をする場ではある
そこで自分の妄想を根拠にされても困るわな

138 :人間七七四年:2020/08/23(日) 14:50:04.25 ID:t77E8L4r.net
じゃあ学問の場なんだね

139 :人間七七四年:2020/08/23(日) 15:11:05.50 ID:5G812WFP.net
日本語ワンポイントアドバイス

Aなの?
Aではないよ

という会話の流れがあった場合続けて

Bでもないよ

という発言があった場合その言葉には
Aだと主張する意味は日本語では含まれてません

140 :人間七七四年:2020/08/23(日) 18:24:21 ID:t77E8L4r.net
わからなかったかな?

学問の場でもないのにちょっとした空想も許さないとする人への嫌味だよー

141 :人間七七四年:2020/08/23(日) 18:37:19 ID:5G812WFP.net
本当に日本語が不自由なのかと思ったようん

142 :人間七七四年:2020/08/24(月) 01:18:34.92 ID:xK9jIFkF.net
何が何でも空想許さないマンと一緒にすんなよー

143 :人間七七四年:2020/08/24(月) 08:25:01.79 ID:HDXlPDj9.net
空想を空想として楽しむのはいいじゃん
このスレの趣旨と合わないってだけで

144 :人間七七四年:2020/08/24(月) 09:39:00 ID:+k8VA21u.net
お前だけの妄想をお前の中だけでやって
誰にも迷惑かけないならいいよ

145 :人間七七四年:2020/08/24(月) 10:29:21.71 ID:bG6mcW3B.net
ここにちょろっと雑談程度に書き込むのは迷惑じゃないだろうから130書いた人は今後も続けてくれたらいいよ

146 :人間七七四年:2020/08/24(月) 11:37:40.33 ID:HDXlPDj9.net
文脈読めてないな
本能寺にありとか信長を討てとかの指令が
軍勢に対して出されたのは俗説という話だろ

147 :人間七七四年:2020/08/24(月) 16:06:32 ID:tuFBl0oH.net
俗説だろうけど何かしら言ったんじゃないのくらいは5ちゃんねるに書くくらいいいだろってことだろ?

148 :人間七七四年:2020/08/24(月) 18:19:52.13 ID:0R78X0Eg.net
本庄惣右衛門覚書、フロイスの記録から

軍勢の末端は相手が信長とも知らず
本能寺にいることも知らなかった

なのでわかりやすい号令はなかったという話だろ

149 :人間七七四年:2020/08/24(月) 18:43:15.94 ID:alaCZMMY.net
俺もそう思うよ

131・133が異常だなってだけ

150 :人間七七四年:2020/08/24(月) 18:51:05.65 ID:AmAhXuU0.net
敵は本能寺にありとか
信長を討つとか
斎藤利三や明智秀満ぐらいしか聞いてないセリフだろうな
(そいつらみんな討ち死にしてるのに伝わってるのはなぜ?という話)

151 :人間七七四年:2020/08/24(月) 19:11:24 ID:1IF+g+ij.net
死者と話せるからじゃないの?
昔、そんな人が信長の漫画描いてサイトにあげてたっけ
岩室や弥三郎、佐脇、山口なんかが出てて個人的には面白かったんだけどね

152 :人間七七四年:2020/08/24(月) 19:53:46.75 ID:TGDBRmPX.net
>>151
スゥ…明智光秀です。

はい、あの時確かに「敵は本能寺にあり」と叫びました。
今思うと、若気の至りでしたねえ。いうても六十近くなってましたけどねえ(笑)

153 :人間七七四年:2020/08/24(月) 20:06:58.92 ID:EHhoWk4A.net
>>150
雑兵連中はどこを攻めてるかすら認識したなかっただろうな
夜間行軍だから機内の地理に詳しくないと京であることすら町並みを認識するまでわからなかったろう

154 :人間七七四年:2020/08/24(月) 20:47:45.57 ID:WffmfwHq.net
下っ端は本能寺が信長の定宿と知っていたかどうか

155 :人間七七四年:2020/08/24(月) 21:16:02.59 ID:Gn5ZHaGy.net
>>151
>死者と話せるからじゃないの?

いや話せねーよ

156 :人間七七四年:2020/08/24(月) 21:52:51.40 ID:1IF+g+ij.net
>>155
そんなとこ本気にせんでくれw

157 :人間七七四年:2020/08/25(火) 00:25:16.93 ID:jyHAD5cf.net
>>154
少なくとも本城惣右衛門は「本能寺というところについて何も知らなかった」と言ってて、
実際に本能寺に乗りこんで、その場で捕まえた女が「上様は白い着物を着てます」と証言したのに、
「それが信長さまのこととは思わなかった」と、この期に及んでまだそんな状態だったと言ってるね
兵たちは、あとから自分たちが攻めたのが織田信長だって知って、どう思っただろう

158 :人間七七四年:2020/08/25(火) 09:43:34 ID:c//fU0gu.net
この話から信長が家康を殺そうとして、逆に家康と手を結んで
本能寺の変を起こしたというのが自称子孫さんの説だったっけ

159 :人間七七四年:2020/08/25(火) 13:27:57.38 ID:FQcaGQFd.net
井伊の大河ドラマでもその説だったな 近年流行ってるのか?

160 :人間七七四年:2020/08/26(水) 08:29:05 ID:DT/7sID4.net
秀頼誕生は乱交パーティーの結果

161 :人間七七四年:2020/08/26(水) 17:07:46.53 ID:xi6V0GqR.net
事実なんだよなぁ
しかもそれやったおかげで茶々の知り合い多数処刑されてしまったし

162 :人間七七四年:2020/08/28(金) 12:09:17 ID:Y39eelNr.net
色狂いとかじゃなく大名浅井の遺児として権力を奪う為の策だった感じだな

163 :人間七七四年:2020/08/28(金) 13:17:51 ID:T3EfVg1W.net
三姉妹で家継の代まで天下人だったのだから大成功だな

164 :人間七七四年:2020/08/28(金) 13:34:33.18 ID:I60Cc73M.net
二度目の懐妊をした淀を処罰できなかったのは秀吉自身の弱さを感じさせるな
そして、その判断が秀次自死の一因にもなったであろうとも

165 :人間七七四年:2020/08/29(土) 08:57:00 ID:LeJaEvLm.net
>>163

いやさ、昭和大帝で名実ともに日ノ本を。

166 :人間七七四年:2020/08/29(土) 12:05:25.93 ID:0ZrQDm2A.net
戦国時代の皇室の貧乏イメージはいつからなのかね
莫大な費用を要する即位式はなかなか出来なかったにせよ
日々の生活費にまで事欠くことはなかったと思うけど

167 :人間七七四年:2020/08/29(土) 21:35:54.73 ID:774pdHmh.net
元からそこまでビンボーなイメージはないでしょ

168 :人間七七四年:2020/08/30(日) 09:16:12.41 ID:XictsuaK.net
後土御門天皇遺体放置事件の影響も大きそう

169 :人間七七四年:2020/08/30(日) 11:43:58.49 ID:JM8qRJZq.net
大納言山科言継さんが儀式に使う衣類を貸したり借りたり?してたっぽいのは、
長年の使い回し習慣?それとも金ないから?

170 :人間七七四年:2020/08/30(日) 17:00:55 ID:PeXmEUO7.net
>>169
鎌倉時代くらいにはもう装束の貸し借りが始まってるっぽい

171 :人間七七四年:2020/08/31(月) 11:32:43 ID:OhXW/9Jh.net
三成の三軒茶のエピソード、
偶然立ち寄った寺でその場で秀吉が三成を気に入ってスカウトしたみたくなってるけど
実際はすでに天才少年のうわさは村中に轟き渡ってて、秀吉も興味を持ち
事前に部下を寺に遣わして調査したり住職と折衝したりと準備を進め
秀吉が寺に立ち寄ったのはほぼ採用が固まり最終試験みたいなものだったんだろう。
住職「明日筑前守さまがこの寺に立ち寄りお前を採用するか見定めに来られるので
その心づもりしておきなさい。他の者もくれぐれも粗相のないように」
みたいなこと言ってたかも。

172 :人間七七四年:2020/08/31(月) 12:35:40 ID:kvGh3l2A.net
剣豪将軍足利義輝の最期のチャンバラ。

173 :人間七七四年:2020/08/31(月) 18:02:38.05 ID:UE+mPmCW.net
>>170
武家政権成立以降は平安以前みたいに公家の羽振りが良くなかったからでは

174 :人間七七四年:2020/08/31(月) 19:00:06.95 ID:/yZNRrkS.net
貸し借り習慣歴史あるな、どうりで山科さん慣れてる感じだった

175 :人間七七四年:2020/08/31(月) 19:34:26.47 ID:BCpNL/rn.net
>>171
三献茶の初出が武将感状記で正徳6(1716)年ころに刊行
別人の元ネタらしい長闇堂記が寛永17(1640)年ころに刊行だった

三成がこの寺に入っていたという確証もないし

176 :人間七七四年:2020/09/03(木) 09:38:22.74 ID:5Jux0usA.net
岐阜というと信長が周の岐山から採ったという話が一般的だけど
単に元々土岐氏の山と言うことで岐山や岐阜と呼ばれていたのを
採用しただけと言う話もあるね
地名に関わる創作話って結構あるのかな

177 :人間七七四年:2020/09/03(木) 11:17:56 ID:oy/Pgf+D.net
井口の辺りが元々岐阜と呼ばれてて、それを美濃一円まで岐阜と呼称するようにしたって感じだったかな

178 :人間七七四年:2020/09/03(木) 12:27:17.36 ID:mWRs68Up.net
美濃一円を岐阜と呼ぶのは明治時代に
岐阜県ができてからでは?
安土桃山から江戸時代にかけては美濃のことを
岐阜という呼び方はしてないと思う

179 :人間七七四年:2020/09/03(木) 15:00:28 ID:NkTLoAFn.net
岐阜城自体が江戸初期に廃城になったし
江戸時代は国主と言える大名がいなかったから廃藩置県で岐阜呼びに先祖返りしたのかもしれんが

180 :人間七七四年:2020/09/03(木) 15:37:44.56 ID:tCnCj3qa.net
そもそも岐阜は信長が中国の岐山に因んで城に名付けた事が由来で
それまで美濃に岐阜なんて土地は無い

181 :人間七七四年:2020/09/03(木) 16:12:12.52 ID:ZMaqlFlm.net
>>180
> そもそも岐阜は信長が中国の岐山に因んで城に名付けた事が由来

今時そんな事を堂々と言っててびっくりしたが、それはあくまで後世の説でしか無い。
つかほぼ間違いなく『政秀寺古記』の作り話。
井口周辺が信長以前から岐山、岐陽などと呼ばれていたことは史料から解っている。

182 :人間七七四年:2020/09/03(木) 16:36:27 ID:b4RqFuls.net
何の史料?

183 :人間七七四年:2020/09/03(木) 17:57:08.43 ID:JIUlUxcs.net
史料は知らないけど、自分は黒嶋敏氏の本で見たな

184 :人間七七四年:2020/09/03(木) 19:11:47 ID:BsU7ihO6.net
Wikipediaの「岐阜県」の記述に多少詳しい

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/岐阜県

・「岐阜」は信長による命名とされ史料上それ以前には
 登場しない
・「元々岐阜という名称があった」とする説はあるが
信長以前に「岐阜」は史料上登場しない
・岐陽という言葉は信長以前にありそれは一説に
 木曽川を岐蘇川と書きその北という意味

江戸時代も町の名前として岐阜はあり
尾張藩の奉行所が置かれた
廃藩置県の際に複数の藩・県が合併する中で
県名に岐阜が用いられた理由はイマイチはっきりしない

185 :人間七七四年:2020/09/03(木) 20:00:54.81 ID:BsU7ihO6.net
ちなみに美濃には江戸時代幕府直轄領もあり
近隣の直轄領と合わせて支配するために幕府は
美濃郡代という職を置いていた

その陣屋は幕末頃には木曽川岸の笠松に置かれ
廃藩置県で笠松藩、合併した直後の岐阜県の
県庁舎は元笠松陣屋が使われていた

元稲葉山の城下町は岐阜の名前で呼ばれ続け
尾張藩が「岐阜奉行所」を設置していた

186 :人間七七四年:2020/09/03(木) 20:55:07.57 ID:mWRs68Up.net
土岐の山、土岐の岡で岐阜というのは
一瞬納得しそうな説得力がある

ただよく考えると稲葉山に城を構えたのは
守護代斎藤氏で守護所は川手城で
歴代守護の土岐氏はそちらにいたよな

一方明応年間に美濃を岐陽と呼ぶ場合あるなら
なんとなく守護である土岐源氏を連想したろうし
それと岐山から岐阜と名付けたというのは
別段矛盾はしないよな

187 :人間七七四年:2020/09/03(木) 21:27:36 ID:oy/Pgf+D.net
江戸中期の土岐累代記にて明応年間から使われていたという記述があり

また1500年ごろされる梅花無尽蔵に岐陽、岐阜陽が地名を指す形で書かれてたみたいね
ただこれからは地域がどこ指していたのかまでは不明と

188 :人間七七四年:2020/09/05(土) 18:35:34.46 ID:WJq1HWYr.net
地名では無く土地の話だけど、江戸が家康が開発するまでド田舎だったって話はすっかり怪しくなったな
合戦の直後で荒れていただけだろう

189 :人間七七四年:2020/09/05(土) 18:54:40.32 ID:SnZKBvc2.net
軍事拠点としてなら充分整備されていたとは思うけど、町としてはどうなんだろう
朝倉の一乗谷見たいに純粋に都市として評価したら大したことないか

190 :人間七七四年:2020/09/05(土) 19:10:54.19 ID:vJc/Mt9l.net
何をもってド田舎とするかにもよるけど当時の東国自体が田舎だろう

191 :人間七七四年:2020/09/05(土) 20:37:25 ID:h5ufVa3p.net
後の江戸と比べたらど田舎で間違いない

192 :人間七七四年:2020/09/05(土) 21:02:16 ID:k2aetLtE.net
当時の東国一の都市ってどこなん?駿府・小田原あたり?

193 :人間七七四年:2020/09/05(土) 21:17:10 ID:Q/imnH3w.net
直江津?

194 :人間七七四年:2020/09/05(土) 21:30:19.06 ID:h5ufVa3p.net
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/近代以前の日本の都市人口統計

あくまで推定だけど参考まで

195 :人間七七四年:2020/09/05(土) 22:03:09.71 ID:k2aetLtE.net
>>194
ありがとう
日本海側の港町と駿府が上位って感じか

196 :人間七七四年:2020/09/06(日) 08:30:28 ID:snqr1WJc.net
小田原は推定するにも史料がない感じな
市のHPでは6千人としてるけどだとするとだいぶ規模が小さい

197 :人間七七四年:2020/09/06(日) 21:09:50 ID:R+PI2Tec.net
戦国時代の小田原って氏康が子供のころに明の鉄砲で驚いた逸話とかで
大陸のモノがけっこう流れてくる印象を勝手に持ってた

198 :人間七七四年:2020/09/06(日) 22:26:27.64 ID:3BP1PxHt.net
地方の都市人口率は石高の3%らしいから、氏康時代の総貫高が21万貫文だとすれば小田原は1万5000人くらいってことになるかな

199 :人間七七四年:2020/09/06(日) 22:57:43 ID:upn0Mx8S.net
>>194観ても駿府なんて1530年で1万て推定も
1600年で10万という推定もある
戦乱のたびに人口の変動もあるし実態を押さえるのは
相当に難しいんだろうな

1530は氏輝時代でその後花倉の乱経て義元時代
非常栄えてたってのは間違いないとこだけど
68年武田の侵攻で灰燼にきしたともいう
85年に東海3国に甲信加えた大大名になった
徳川の本拠になったとはいえ5年後には移封され
その後は中村一氏のわずか14万石の城下

その間で人口10倍になると言われると
なかなか想像がしにくい

200 :人間七七四年:2020/09/06(日) 23:01:58 ID:upn0Mx8S.net
そこいくと小田原は遅くとも1500年ごろには
後北条氏の城下(当時は伊勢氏)になってて
途中上杉、武田に囲まれつつも総構えによって
城下を保護した訳でもっと人口増えてもおかしくない

とは言え文書上からの推定ではなんとも言えないし
江戸時代もそれなりに宿場として城下として栄えて
今も広範囲に市街地になってて考古学的調査も望めない

大都市小田原を想像するロマンはあっても
それを証明するのは多分不可能だろうね

201 :人間七七四年:2020/09/07(月) 17:43:10 ID:3NKG+6pq.net
>>199
おおよそ人口=石高じゃなかったっけ
駿河15万石の中心地に10万人もいるのだろうか
1600年当時は中村一氏14万石の時代で今川や徳川みたいな東海の大大名の本拠でもないし

202 :人間七七四年:2020/09/07(月) 18:18:19 ID:RM6uAeIJ.net
10万は家康時代で没後は1万5000人くらいに減少したらしいよ

今川時代の駿府は約2000戸ってどっかに書いてあった気がする
1戸=5人だとすればちょうど1万くらいか

203 :人間七七四年:2020/09/07(月) 20:28:04.99 ID:Yo4/GWh1.net
俺も大御所時代の間違いでは?と思うけど
1600年で10万との推定もあるってこと

だから難しいなと

204 :人間七七四年:2020/09/07(月) 23:22:47 ID:/ryfAJKK.net
町人口に含まれる家臣(武家)達の割合てどのくらいなのだろうか

205 :人間七七四年:2020/09/08(火) 00:10:40 ID:tnLDwE8x.net
中村時代に10万はとても考えにくいんだけど根拠は何なの?

206 :人間七七四年:2020/09/08(火) 11:30:58 ID:yGgrCfjY.net
どうせ1600年台初期のことを1600年時点のことだと勘違いしたとかじゃないの

207 :人間七七四年:2020/09/08(火) 12:58:11.55 ID:vkJFzhzq.net
参考までに聞きたいんだけど、上に上がっている一乗谷でどのくらいの人口だったの?

208 :人間七七四年:2020/09/08(火) 13:37:10.97 ID:wsCVZqJm.net
一乗谷に関しては人口1万人と言われているが、確たる根拠があるわけじゃなく
数字が独り歩きしている状態らしい

209 :人間七七四年:2020/09/08(火) 21:34:09.62 ID:X5rP5clS.net
本当に一万人居たなら充分発展していたと思うけど、あの防御重視の狭い峡谷にそんなに人が住めたかな
一族や重臣くらすの屋敷有ったくらいじゃないのかな

210 :人間七七四年:2020/09/09(水) 00:58:31.65 ID:spoIAeQ1.net
残ってる遺跡の広さは278ヘクタールか
作物をよそで作るなら一万人くらい住めそうな気もする

211 :人間七七四年:2020/09/09(水) 01:15:43.68 ID:3A5dLS6U.net
>中世の鎌倉の人口を明記した文献は存在しないが、『鎌倉年代記裏書』によると永仁元年(1293年)の地震で2万3024人が死亡していることから、
>最低2万3000人の人口が鎌倉にはいたことになる。(中略)
>河野真一郎は、近年の発掘成果による武家屋敷(131.25 ha, 1万7500〜2万9000人)と町屋(94.8 ha, 3万1600〜5万6900人)の推定面積
ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BF%91%E4%BB%A3%E4%BB%A5%E5%89%8D%E3%81%AE%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E9%83%BD%E5%B8%82%E4%BA%BA%E5%8F%A3%E7%B5%B1%E8%A8%88

一乗谷の遺構が278haなら1万人は余裕で住めそうだな

212 :人間七七四年:2020/09/09(水) 09:14:45 ID:cNdHeEw8.net
一乗谷はヒト・モノの流れで言うと北陸道から外れて
発展の規模が武家屋敷の展開次第だろうな
城下への家臣団の集住がどの程度かによってくる

商業的には北陸道と海運の拠点である敦賀があるし
織田政権の武将たちが抑えた北ノ庄や府中の方が
街道に近くて伸び代が大きい

駿府・小田原はその点で東海道の宿場でもあり海にも近い
人口増加にはより優位な条件はある

213 :人間七七四年:2020/09/11(金) 20:23:47.03 ID:vbwqFJVz.net
江戸は田舎かどうかの話は何処にいったのだろうか

214 :人間七七四年:2020/09/11(金) 21:30:18.55 ID:vIsYKwWt.net
結局「何と比較するかによる」って話だろ。
京や江戸期以降の江戸と比べたらそりゃあ田舎だが、同時代の周辺地域から見れば
都市と言って良い規模。

215 :人間七七四年:2020/09/11(金) 21:57:20.73 ID:JgvyE4ZZ.net
>>212
一乗谷より大野の方が数十倍は開けてるよな
めちゃくちゃ守りにくそうだし一乗谷を選んだのマジ意味不明だわ

216 :人間七七四年:2020/09/12(土) 02:01:40.58 ID:s/E+J6Rn.net
意味不明で止まらずまずじゃあなんで選ばれたのかって考えるべきじゃ?
当時の人もバカじゃないんだから理由もなしに選ぶなんてせんでしょ

217 :人間七七四年:2020/09/12(土) 07:30:17.89 ID:brzJUEU4.net
狭いほうが守りやすかったんじゃね

218 :人間七七四年:2020/09/12(土) 11:03:31.96 ID:0ne1rGAx.net
狭い方が守りやすいよね。幕末の会津戦争では守るべき進入路が7つもあるから手が回らなかった。

219 :人間七七四年:2020/09/12(土) 11:14:32.38 ID:IWhCLO4f.net
>>215
戦国大名の本拠地なんて先祖の代からそこに住んでるからってケースもあるからな

220 :人間七七四年:2020/09/12(土) 11:46:44.46 ID:P4GdDIkP.net
一乗谷は山上に山城があって麓の谷間が城下町
町を丸ごと防衛するために谷の狭隘地に
高さ5mの土塁を築いて塞いでた

221 :人間七七四年:2020/09/12(土) 16:37:31.58 ID:0ne1rGAx.net
>>219
毛利の吉田郡山城とかそうだな。不便そうなのに豊臣期に広島城に移るまで本拠地だった。

222 :人間七七四年:2020/09/12(土) 17:18:41.99 ID:QHtbi35F.net
>>221
逆に広島城は広すぎて防衛に不向きだったとか。

223 :人間七七四年:2020/09/13(日) 09:56:28.10 ID:q4V6/YgA.net
広島が山間地だったら原爆も使いようがなかったのにな。

224 :人間七七四年:2020/09/13(日) 20:43:43.62 ID:xHYfy9Ul.net
>>221
戦国期に本拠地だった場所を江戸期まで引き続き利用している所って
どのくらい有るんだ

225 :人間七七四年:2020/09/13(日) 20:52:34.61 ID:xHbt1Pqc.net
戦国時代は城が雨後の筍の様に建てられとるからな
誰かの本拠地だった場所に建て直してるケースが多いやろ

226 :人間七七四年:2020/09/13(日) 22:43:27.32 ID:+5cFp4Zd.net
相良氏は鎌倉時代に補任されて以降廃藩置県に至るまで人吉を本拠にしてる
なんか一度しか攻められたことないんだそうだが、どれだけ僻地……じゃない天嶮の要害なんだ

227 :人間七七四年:2020/09/13(日) 22:49:07.05 ID:Yz4YK2mf.net
>>224
毛利とか佐竹みたいに関ヶ原以降に移動させられる例も多いから江戸時代までとなると難しい。
>>225の通りで良いなら会津若松城とかも当てはまるけど。どうする?

ちなみに会津若松城は家康の上杉征伐が無ければ神指城に移るはずだった。神指城は
建造途中で敗戦してんで放棄された。幕末の会津戦争では会津若松城に近い山から砲撃されて
天守がボロボロになったけど、神指城は会津盆地の真ん中辺の平城なので砲撃の心配はなかった
かもしれない。

228 :人間七七四年:2020/09/13(日) 22:56:46.36 ID:ek8NO7bt.net
>>224
戦国期にその地域の戦国大名の本拠だった場所が、大名が変わっても引き続き地域支配の本拠とされたって
ものなら結構あるだろ。
それこそ会津若松もそうだし、織田時代も戦国に含めるなら北ノ庄→福井、駿府、甲府、姫路、岡山、
佐賀、鹿児島、もっとあるでしょ。

229 :人間七七四年:2020/09/14(月) 00:51:16.29 ID:cYsopNzo.net
一乗谷に移る前はつい最近、爺さんが孫娘を刺殺した越前の黒丸って場所に朝倉氏は住居を与えられてた
その黒丸の地の真横に興福寺の大和国外の最大の領地があってそこを丸ごと押領して力を付けた
一乗谷に移って斯波氏を逐い落としてからは北陸道には斯波氏シンパが蟠踞して使い難いので
北陸道と並行する形で朝倉街道と呼ばれるものが作られて現在それらが北陸自動車道に近いルートになってる
一乗谷が繁栄していた時には北ノ庄には一族の朝倉土佐守家を入れて北ノ庄氏として行政機構の出張所として活動にあたっていた

21

230 :人間七七四年:2020/09/14(月) 02:34:34.26 ID:fEkk92eL.net
>>228
鹿児島と甲府城は違くない?

甲府城を築城したのは家康で躑躅ヶ崎館とは離れてるし、鹿児島城も築城は慶長年間で戦国期の島津氏といえば清水城、内城じゃない?

231 :人間七七四年:2020/09/14(月) 10:32:22.67 ID:nrffAegD.net
>>230
甲府城は甲斐一条氏の居館の上に作られとるな

232 :人間七七四年:2020/09/14(月) 10:35:25.78 ID:nrffAegD.net
>>230
鹿児島城も上山氏の居城上山城を増改築する形で成立しとる

233 :人間七七四年:2020/09/14(月) 17:40:24.25 ID:a/9J7lyb.net
義輝、以前は歴代足利将軍の中ではマシな方って感じの評価だったと思ってたけど、麒麟だと散々だな

234 :人間七七四年:2020/09/14(月) 19:20:53.17 ID:T63OpIyM.net
>>225
とあるゲーム会社のプロデューサーが、戦国時代に城が同時に100も存在していたとは思えないとか言ってたの思い出したw

235 :人間七七四年:2020/09/14(月) 19:26:28.09 ID:Vo1gwn6D.net
政庁としての城と砦のようなの城は別物だからなあ
地元は南北朝期の城跡が山のようにあるけど興味持たれてない

236 :人間七七四年:2020/09/14(月) 20:02:06.31 ID:vVsCYlHn.net
>>234
人口20万程度のうちの市内だけで40城址あるでなぁ

237 :人間七七四年:2020/09/15(火) 08:57:11.66 ID:7BrvSyCS.net
>>234
一般で言うところの城って、高石垣に天守があるヤツのことだしな。

238 :人間七七四年:2020/09/15(火) 13:40:23.88 ID:NWu9CDs1.net
城の防御力と石垣天守って実はあんまり関係ないんだよな

239 :人間七七四年:2020/09/16(水) 05:58:15.71 ID:Q2+XwO2Q.net
いや関係はあるだろ必要条件じゃないだけで

240 :人間七七四年:2020/09/16(水) 12:54:39.29 ID:n/bzQD68.net
天守はともかく石垣は登り難さや傾斜の維持という面で結構重要だろうし
漆喰の壁は板に比べたら火や鉄砲に比べたら強度は段違いだろうし
戦国時代から安土桃山にかけての城の進歩は結構日進月歩やね

241 :人間七七四年:2020/09/16(水) 13:17:39.29 ID:a+5bQQTB.net
高石垣は平城における高低の創出になってるな。逆に言えば天然に高低差が出来ている
山城だと無理に必要はない。天守はそれこそ高所からの砲撃拠点としての
役割が有ったとか。
漆喰壁は防御性能としては土壁でもあまり差はないと思う。まあ土蔵の発想だよな。

242 :人間七七四年:2020/09/16(水) 16:06:46.60 ID:sWvZ5u3G.net
>>241
天守の機能は単純に一番が物見櫓やろ
砲撃拠点としての天守に期待する事態になった時点で落城や
土壁は単純に厚くなるから鉄砲弓矢が使い難くなる

243 :人間七七四年:2020/09/16(水) 16:32:32.39 ID:QBky1jLh.net
戦国期の野面積みに比べたら土塁のが引っ掛けるポイントがないし一見登りにくそうに見えるわ

https://i.imgur.com/fk69bau.jpg

244 :人間七七四年:2020/09/16(水) 18:32:07.59 ID:a+5bQQTB.net
>>243
ただ石垣と比べると頻繁なメンテが必要だわな。ほっとくとあっという間に平らになってしまう

245 :人間七七四年:2020/09/16(水) 18:39:22.80 ID:vGi84Y+q.net
関東は赤土だから土塁登りづらいとセンゴクで見たけどどうなんだろうな
佐竹が舞台の雪の峠での高低差での鉄砲の火線の作り方はわかりやすかった

大坂城とか原城とか二の丸・三の丸とかも石垣だったん?

246 :人間七七四年:2020/09/16(水) 19:01:01.67 ID:rTPGle7h.net
高低差作る効果は土塁でいい
石垣より工事も楽だし石材がいらない

ただ>>244の言う通り土塁は風雨で削れてしまう
それを防ぐ効果ぎ石積みにはある
礎石を用いて大規模で頑丈な建物も建てやすくなる

247 :人間七七四年:2020/09/16(水) 19:28:41.66 ID:QBky1jLh.net
>>243だけど違う角度のやつも貼ってみる

https://i.imgur.com/2GkrVJV.jpg
https://i.imgur.com/wcWbX2W.jpg

248 :人間七七四年:2020/09/16(水) 23:25:19.43 ID:cqYtlhmJ.net
この画像だと関東ローム層剥き出しだけど
実は山中城の土塁や障子堀はわざわざ芝生やしてる
現代の技術をもってしても土剥き出しだと風化対策が大変なんだろう
近くの石垣山城の野面積みがほぼ手付かずで残ってる(所もある)のとは対照的

249 :人間七七四年:2020/09/17(木) 07:19:54.24 ID:VNF7TUx3.net
>>246
動員力の増した戦国末期安土桃山以降になると堀切や土塁は陣地構築時の野戦築城がメインになるんやけどな
それこそ長篠の戦いにおいて信長が行った野戦築城が代表みたいなもので
関ヶ原の研究では南宮山や松尾山をはじめとして土塁や堀切の遺構を探す事で実際に陣地のあった場所を特定しとる話もある

250 :人間七七四年:2020/09/17(木) 10:11:02.23 ID:58G4evF6.net
城と一時的な野戦築城を一緒くたに語るの意味なくね?
役割すら違うし

251 :人間七七四年:2020/09/17(木) 20:37:34.42 ID:6jyFT6RK.net
その役割の違いを分けるのは居館やといった建造物であり戦国後期からは石垣や漆喰壁といった特殊な技法も要因になるんやで
そして土塁や堀切といった従来の築城技術の一部は大名の軍組織の発達に伴って野戦築城に転用されとるという事

252 :人間七七四年:2020/09/17(木) 21:04:27.99 ID:BTJGvifL.net
千葉だけど単純に山がない
歴史に残るような山城は作らないよね

253 :人間七七四年:2020/09/17(木) 21:04:28.04 ID:BTJGvifL.net
千葉だけど単純に山がない
歴史に残るような山城は作らないよね

254 :人間七七四年:2020/09/17(木) 21:09:34.81 ID:UrKXuMmv.net
房総は千葉ではないんですかそうですか

255 :人間七七四年:2020/09/17(木) 21:41:45.17 ID:51gnYFWO.net
シティボーイを気取る船橋市民は千葉市より南は
存在しないことにしたいとかそういうネタ?

里見氏の館山城とか久留里城は行ったことないけど
知る限りちゃんと山城してるんじゃね?
歴史上あまり有名でないのは単に田舎だから・・・

チバラギには1000mとかそこまで高い山ないけど
そもそも山城ってそんな高い山である必要ないし
有名な稲葉山や小谷城、八王子城もせいぜい3-500

256 :人間七七四年:2020/09/17(木) 22:11:21.64 ID:VsgkPgL+.net
隆元が毎日登るのはだるいって愚痴ってた吉田郡山城も400mもないよね

257 :人間七七四年:2020/09/17(木) 22:45:46.54 ID:uI1CfoJS.net
まあ山としては高くなくても
毎日徒歩通勤しろと言われるとな

「信長自ら案内されたけど景色どころじゃない」
と山科言継が愚痴ってる岐阜山もせいぜい330m

まあ標高と道の険しさは別物だし
低山の夏場とかまあ地獄よね

258 :人間七七四年:2020/09/17(木) 22:47:34.05 ID:0ggdFqdl.net
>>252
いやいや千葉は山城ばかりやん
時代が下って平山城が少しは増えたけど平城なんて殆どない
そもそも千葉の全盛期が鎌倉時代の千葉氏やから戦国期の名城がサッパリや

259 :人間七七四年:2020/09/17(木) 23:03:58.07 ID:51gnYFWO.net
激戦地で知られる国府台城や
千葉城とも言う亥鼻城が平山城だね

260 :人間七七四年:2020/09/18(金) 02:14:14.05 ID:E9wTxwXD.net
義昭二条城は明らかに石垣天守があったようだが、義輝二条城も少なくとも石垣は有ったっぽいな

261 :人間七七四年:2020/09/18(金) 08:48:05.01 ID:kp2TYAIw.net
石垣自体は古墳時代からあるからな

問題はその規模かなぁ
本能寺も掘割されてて石垣あったらしいけど

262 :人間七七四年:2020/09/18(金) 12:36:23.57 ID:JjR1HnEN.net
>>256
平山城の仙台城なんかは政宗は本丸に登るのきついって別に隠居館や城建てるし二代目以降は平地に拡張した二の丸をメインにしてたし

263 :人間七七四年:2020/09/18(金) 19:19:52.74 ID:3ruIixmI.net
山城も麓に居館や政庁を建てるしね

岐阜城も麓に居館あるけど記録見ると
意外に山部分にいて渡り廊下あるというけど
合理主義とは一体?という気になる

264 :人間七七四年:2020/09/18(金) 21:22:32.02 ID:E9wTxwXD.net
畿内の山城は生活の場所や政庁も含めて山の上にあったらしい。
三好の飯盛山城とかもそうだし、浅井の小谷城もほぼ山の上で完結していた模様。
そういえば安土城も信長は山の上の天守で生活していたと言うな。

265 :人間七七四年:2020/09/18(金) 21:25:13.02 ID:YspI+jCl.net
上杉謙信の春日山城も?

266 :人間七七四年:2020/09/18(金) 22:33:12.94 ID:3CrCTaOj.net
夏場の八王子城跡に登ったときすごくしんどかったわ
昔の人はたくましいから平気だったんかなと思ってたけど昔の人もきつかったんだなw

267 :人間七七四年:2020/09/18(金) 22:36:28.39 ID:E9wTxwXD.net
八王子城は普段は麓の主殿がメインだったらしいな

268 :人間七七四年:2020/09/19(土) 01:13:45.96 ID:hcbq31s1.net
一乗谷なんかも城は山上だが麓(というか谷)メイン

でも小谷城の浅井は調べてみたら確かに
訴訟なんかも登城させて捌いてるらしいな
春日山、吉田郡山も領国の首府だけど
麓にその機能があったと聴かないかも

269 :人間七七四年:2020/09/19(土) 15:25:49.76 ID:BIP5vj2q.net
>>268
文字通りの登城だなw 本来はそれが語源なのかもしれんが

270 :人間七七四年:2020/09/19(土) 21:42:07.53 ID:Yf42LNRw.net
春日山城は中腹に館があったからあそこか麓で普段は生活していたんじゃないかと
案内板とかにある家臣の〜屋敷は信用していいのか疑問

271 :人間七七四年:2020/09/19(土) 21:48:54.18 ID:Zo2CCE5g.net
安土城跡の「伝〇〇屋敷跡」なんて全部妄想だからな

272 :人間七七四年:2020/09/19(土) 22:05:20.23 ID:GDQYm+/V.net
妄想じゃなく安土を領有していた領主による江戸時代の推定作図

273 :人間七七四年:2020/09/20(日) 09:02:22.43 ID:ggKPnjKh.net
それで左右されるのは信忠が長期的な政権運営をうまくやれるか
織田家中が明智の謀反に加担するかにはほぼ影響しないよ

274 :人間七七四年:2020/09/20(日) 09:11:33.03 ID:ggKPnjKh.net
誤爆すまん

275 :人間七七四年:2020/09/20(日) 10:13:19.40 ID:qapR1ybF.net
伝◯◯屋敷ってのは検証は難しいのよね

それぞれいつ頃から言われてるのか
文書的に遡れるか他の史料と整合あるか
てな具合にやるしかない

江戸時代に絵図とか作った人も一応現地取材してたり
そう頭から否定するものでもないと思うけどね

276 :人間七七四年:2020/09/20(日) 10:52:57.51 ID:VPdW+49E.net
この間、政策関連のチャンネルで光秀は謀叛じゃないってのをやってたな

キリスト教の侵略から日本を守るため、そして無教養で傲岸な信長から天皇制を守るために単独でやったと
そんな感じだった
愛宕山の発句も、土岐が天下を治めるんじゃなくて、天(皇)が治めると解釈すべきとか
まあ、初めのほうしか見なかったから詳しくは知らんが

277 :人間七七四年:2020/09/20(日) 13:57:01.34 ID:/0GuGuzr.net
宮崎正弘だろ
古い知識・通説で妄想を語っていて酷いものだったわ

278 :人間七七四年:2020/09/20(日) 15:49:14.48 ID:QCGZcK+V.net
平凡社から出た大西氏の宇喜多秀家読んだけど、渡邉氏の事ズタボロだったな

279 :人間七七四年:2020/09/20(日) 16:07:12.09 ID:vcIgOXZ/.net
>>277
その人見て何故か、ずっと本願寺批判してたけど、
年老いて急に仏様に嫌われちゃ困ると思ったのか、信長批判始めた著述家思い出したw

280 :人間七七四年:2020/09/20(日) 20:00:12.06 ID:pxwtpMMa.net
足利義輝が暗殺されたとき刀を振るって奮戦した、というのは創作、と記事で読んだな

281 :人間七七四年:2020/09/20(日) 21:12:36.28 ID:qapR1ybF.net
信長はキリスト教の侵略の手先とか
天皇制の敵だったとかって昔流行ったよな
立花京子とか90年代あたりだっけ?

通説にはなってないしスレタイとはズレるけど

282 :人間七七四年:2020/09/21(月) 11:53:58.92 ID:rOj89/wA.net
>>277
え〜そうなんか
宮崎正弘の本結構読んだことあるのに
まぁ戦国時代の本は読んだことないけど

283 :人間七七四年:2020/09/21(月) 12:22:23.76 ID:2gA+Scay.net
>>276
大義名分の有無は知らんけど謀反は謀反

284 :人間七七四年:2020/09/21(月) 14:02:41.84 ID:+hjSURIw.net
>>276
異教徒でもキリスト教に寛大なら褒めまくるフロイスですら、光秀のことを悪魔崇拝者とボロクソに書いてるからな

それくらいの性悪が大義を掲げるなんて失笑ものだわ

285 :人間七七四年:2020/09/21(月) 14:07:48.58 ID:W/E8RYZN.net
>>284
ただフロイスは、信長・信忠に対してずっと「キリスト教に寛大!異教に厳しい!サイコー!」って褒め称えていたのに
本能寺で滅んだ瞬間に「信長は自分を神と僭称したし、信忠は悪魔崇拝(愛宕信仰)したし滅んで当然」って
ころっと態度変えてるからな。光秀も滅んでなきゃかなりフォローしたと思われる。

286 :人間七七四年:2020/09/21(月) 16:23:30.80 ID:JRATJYGd.net
>>285
フロイスはね、ページごとに言ってることコロコロ変わるから難しい
そんな彼の最終的信長評は「日本の歴史上未曾有の傑出した武将」
「非常に王者の風格を持つ優れた人物」「日本の全国民は尊敬と評価を寄せていた」

神格化話は信長が超勤皇家と知ってテンパったか、もしくはローマへのお茶濁し

287 :人間七七四年:2020/09/21(月) 16:47:59.68 ID:pfvD2+ib.net
>>278
渡邊大門もこの頃本郷和人化してきている気がするな

288 :人間七七四年:2020/09/21(月) 18:31:23.74 ID:TONMmC9g.net
見解の相違レベルなんじゃないの?
本郷までいくとさすがに歴史素人レベルだから

289 :人間七七四年:2020/09/21(月) 19:19:10.39 ID:W/E8RYZN.net
>>286
> そんな彼の最終的信長評
それも秀吉に禁教された事の一種の意趣返しだと思う

290 :人間七七四年:2020/09/29(火) 00:53:33.50 ID:jhqDVPhw.net
フロイス評では秀吉は悪魔の化身の色情狂になってるよね

291 :人間七七四年:2020/09/30(水) 11:11:33.08 ID:kqyryamh.net
上杉謙信の「敵に塩を送る」の逸話について乃至氏がコラム書いたな。面白かった。
「謙信は塩を高値で売って儲けてた」と言う説について根拠を挙げ否定してるのに、コメント欄とかで
「謙信は塩を高値で売って儲けてたんだ!」とか記事まるで読んでないこと言ってるヤツ見ると
Twitterで文章や文脈を読まないで
クソリプ送るヤツが絶えないのを思い出す

292 :人間七七四年:2020/09/30(水) 12:37:19.92 ID:FkempvhL.net
日本語話してるけど文章読めなかったり会話成立しないやつってごまんといるからね

293 :人間七七四年:2020/09/30(水) 14:57:27.76 ID:erBfTnH2.net
見出しだけ読んですべてを語ろうとするやつは新聞時代からいっぱいいた。かなり謎

294 :人間七七四年:2020/10/05(月) 16:05:07.63 ID:XPIguKBI.net
昨日の大河で阿君丸が毒殺されてたが、創作物は毒殺が好きだな

295 :人間七七四年:2020/10/05(月) 17:12:24.52 ID:YVj4HyoE.net
>>294
一応同時代から毒殺の噂自体はあったらしいので、あの描写自体はめちゃめちゃ飛躍したわけではない。

296 :人間七七四年:2020/10/05(月) 17:39:03.67 ID:83VjqbRL.net
朝倉氏の関係者が後に書いた軍記モノ的な史料では
敵対勢力や内部での主導権争いが絡んで嫡男が毒殺されたという話ではなくて
阿君丸の正式な乳母(朝倉家臣の福岡氏の女性)を排除して
自分が正式な乳母になりたいと願ったおさしという女性が
乳母の食事に毒を混ぜ殺害しその毒が乳母の乳から阿君丸も摂取したって事になってる

阿君丸の年齢から考えて授乳期は過ぎていて話に無理があるという事で
三渕藤英の奸計というストーリーに変えられたようだが正直、こっちの話も無理があるw

297 :人間七七四年:2020/10/05(月) 17:47:29.02 ID:ph11d+4e.net
無理があるとか言うなら毒見が役立たずすぎというか膳を持っていって阿君丸が食うまでが早すぎw

298 :人間七七四年:2020/10/08(木) 21:59:44.89 ID:rYudtNL3.net
無味・遅効性の毒で判断を遅らせて毒見が声上げようとした途端介抱するふりしながら声出ないよう抑え込むっていうの
生生しくて好きだったけどなぁ

299 :人間七七四年:2020/10/09(金) 21:05:05.22 ID:buBPQfay.net
方広寺のか鐘銘の呪詛問題というのはなにからきたのかな?
五山からの回答を見ても、問題になっているのは
諱を勝手に用いた非礼についてであって、
呪詛云々は見当たらないのだけど

300 :人間七七四年:2020/10/09(金) 21:26:41.40 ID:eFHnGJal.net
>>299
家光の時代に成ってから林家がそう主張した

301 :人間七七四年:2020/10/09(金) 23:13:42.67 ID:pzEheeSZ.net
>世に伝ふる所は、此鐘銘は僧清韓がつくる所にして、其文に
>国家安康、四海施化、万歳伝芳、君臣豊楽、東遇素月、四送斜陽
>など云える句あり。御諱を犯すのみならず、豊臣家の為に
> 当家を呪詛するに似たりといふことを、天海一人御閑室へ召れたりし時、密々告奉りしといふ。
>此事いぶかしけれども、またなし共定めがたし。いま後者のために志るす。

『実紀』引く 『坂上池院日記』

『坂上池院日記』読んだこと無いので推測だが
日記という性質上、事件当時から呪詛という噂があったのはほぼ間違いない

302 :人間七七四年:2020/10/09(金) 23:30:39.44 ID:Ew/6IcUe.net
駿府記でも京からの報告が「鐘銘に関東不吉の文言あり」だから呪詛疑惑はあったんじゃないかな

303 :人間七七四年:2020/10/10(土) 01:32:42.36 ID:2TO1bXcH.net
>>298
毒味も阿君丸も一口で1分経たずに死んでるあれは遅効性なのか

304 :人間七七四年:2020/10/10(土) 01:40:57.14 ID:tGUPhXJJ.net
他人の諱勝手に書くって意味不明すぎるしなぁ
日記とか自分しか読まない前提ならまだしも

305 :人間七七四年:2020/10/11(日) 00:04:45.21 ID:rdYRD2Br.net
昔の人の日記は後世に色んな人に読まれる前提で書いているからな

306 :人間七七四年:2020/10/11(日) 04:31:43.32 ID:Ih1qIeP6.net
メディアが無い時代だと後々への貴重な資料だからか…
逆に死ぬ時に恥ずかしいから日記を全部燃やした人とかいるんだろうか

307 :人間七七四年:2020/10/15(木) 15:48:56.59 ID:0hP7lpM5.net
今まで通説で語られてきた小山評定の内容が創作なのはよしとして、だとしたら一豊はどんな功績で土佐一国拝領したのかな

308 :人間七七四年:2020/10/15(木) 16:31:59.50 ID:aTZAbvYw.net
普通に掛川城の明け渡しだろうに

309 :人間七七四年:2020/10/15(木) 17:20:10.79 ID:bhxO4EPI.net
そういえば昔避諱は戦国期にはなかったとかトンチキな事言ってるやついたなぁ
あれはどこの学者の受け売りだったんだろうか、それすらなくて自分で思いついた妄想なんだろうか

310 :人間七七四年:2020/10/15(木) 17:24:56.47 ID:TbKfdXfS.net
東海道の似たような経歴・待遇の大名と比べても
関ヶ原の論功行賞に差があるとは思えないからなあ

311 :人間七七四年:2020/10/15(木) 18:00:17.50 ID:yZbgbmoq.net
>>307
今現在語られてる関ヶ原の戦いの経緯ってほとんど後世の創作で、実際はどんな戦いだったのか
史料からもあまり分かっていない、とテレビで言ってたので、ひょっとしたら実際の戦場で、なにかしらの
武功を立ててた、とか

312 :人間七七四年:2020/10/15(木) 18:57:03.97 ID:2xwmZnCz.net
>>309
なかったとまで言ってるやつは個人的には見たことないな

他の時期より書状に比較的出てきがちだとは聞く

313 :人間七七四年:2020/10/15(木) 19:11:20.70 ID:bhxO4EPI.net
>>312
それなら納得なんだけどね
となるとやっぱあれは思いつきで喋ってるだけだったんかねー

314 :人間七七四年:2020/10/15(木) 19:14:40.05 ID:GmlbqqaD.net
掛川五万石から最初に封じられた土佐九万石と考えれば妥当じゃないかな
慶長10(1605)年には20万石と届け出たみたいだけど

315 :人間七七四年:2020/10/15(木) 19:20:00.75 ID:F1W6VWqF.net
>>311
東海道筋の豊臣系大名を大幅加増で地方に移す一環なだけでは
一氏が直前に病死して後継が幼少だった中村なんかもそんなに活躍したとは思えないし
そもそも太閤検地の土佐の石高は10万弱だし

316 :人間七七四年:2020/10/15(木) 19:54:52.37 ID:QqX9KOai.net
池田輝政 三河吉田 15万石→播磨姫路 52万石
中村忠一 駿河府中 14.5万石→伯耆米子17.5万石
堀尾忠氏 遠江浜松 12万石→出雲松江 24万石
田中吉政 三河岡崎 10万石→筑後柳河 32万石
山内一豊 遠江掛川 6.8万石→土佐浦戸 22.2万石

堀尾中村は直前で前当主が死んだり負傷したりしてて
その分働きを下に見られたり損した部分はありそうだが
そこまで異常な出世だろうか?

倍率的も加増幅も池田田中と比べて多いわけでもなく
土佐の田舎でもあるしそもそも検知し直した結果でもあるし
むしろ山内一豊は妻のお陰で出世しただけで能力はない
という先入観による評価ではないだろか

317 :人間七七四年:2020/10/15(木) 20:16:03.81 ID:4YhvgE8g.net
>>313
誰のことだよ

318 :人間七七四年:2020/10/16(金) 03:21:54.23 ID:Vd7S7yoQ.net
>>312
小山評定がなかったと否定しているのは白峰辺りが有名
実際に小山評定の存在を証明出来る一次資料は見つかってないので
肯定している人も小山評定に該当する様な評定が行われていたはずと推測で判断しているだけだし
小山評定にまつわる逸話についてもどこまで信じているかは人それぞれ

319 :人間七七四年:2020/10/16(金) 16:33:24.56 ID:FnMHEcgv.net
>>316
池田は家康の婿 岐阜城攻めでも活躍 田中は三成捕縛
上記は別格として堀尾や中村と比べて山内の加増率は高いかな
でも検知前の石高と土佐が辺境であることを考えたら納得
そもそも戦国生き残りの西軍国主大名の旧領に転封なんて加増じゃなければ罰ゲームみたいなもの
小早川にも宇喜多旧領を与えたし面倒な土地に豊臣系大名を入れる意図もあったと思う もちろん統治に失敗したら改易

320 :人間七七四年:2020/10/16(金) 17:13:03.28 ID:5dTiFn/x.net
そもそも恩賞に与えれる土地が改易された西軍領しかないんだが

321 :人間七七四年:2020/10/16(金) 19:53:57.17 ID:vhCZUb0g.net
山内の論功に関してなら>>314に尽きる
関ヶ原の戦功で異例の大加増を受けた、
というのがそもそも間違っている

>>318
白峰は最初は評定の存在自体を否定してたけど、その後、
家康が諸大名に会津征伐の中断を指示する機会があったことは
認める立場に転向した
今は場所とか日付についてグダグダ言ってるだけ

322 :人間七七四年:2020/10/16(金) 20:25:00.23 ID:f7JiOFyj.net
つーか>>309>>312って小山評定の話じゃなくね?

323 :人間七七四年:2020/10/16(金) 21:20:50.06 ID:RLqQ48dx.net
掛川5万石から土佐9万石って出世かどうかも怪しいレベルやな
むしろ左遷レベルではないのかと

324 :人間七七四年:2020/10/16(金) 22:11:25.56 ID:p54cN3z7.net
甲斐みたいに戦国期の武名で評価はされてたのかもしれない
まあもう戦は無いわけだけど

325 :人間七七四年:2020/10/17(土) 00:13:41.05 ID:qmRYFRRG.net
左遷と思っても転封断ったら即改易だし
行くも地獄断るも地獄

326 :人間七七四年:2020/10/17(土) 00:28:48.14 ID:/vViYS3I.net
清正や最上みたいに自分で切り取った隣地を貰ったほうがはるかに幸せだろうな
両家とも後に改易されたけど まあ加藤はともかく最上は自爆だけど

327 :人間七七四年:2020/10/17(土) 00:30:41.60 ID:dc3U5fcV.net
加藤もぐうの音も出ないレベルの自爆やね

328 :人間七七四年:2020/10/17(土) 00:31:29.16 ID:B76PdEkK.net
いや加藤こそ自爆もいいところだろ。幕府もギリギリまでかばってたし

329 :人間七七四年:2020/10/17(土) 18:35:26.45 ID:ncV3dgcj.net
>>306
公家の日記は有職故実の根拠に出来るので、知識の有無が重用される武器になる朝廷という世界では重要アイテム。
だから日記を子孫に残すのはある種の義務にも近い所があった。
武家で日記が必要になっていったのも、日次の記録が主家や自家の先例の根拠や自らや子孫の主家への功績の証しになりだしたから。

330 :人間七七四年:2020/10/17(土) 21:01:56.90 ID:e9ziTr9a.net
>>328
>幕府もギリギリまでかばった
 秀忠までは、今のガースーみたいな家光は将軍就任時の踏み絵で加藤改易した

331 :人間七七四年:2020/10/17(土) 21:05:08.38 ID:B76PdEkK.net
>>330
それ後世の俗説だから。実際にはその家光こそギリギリまで加藤家存続を図っている

332 :人間七七四年:2020/10/17(土) 21:51:40.98 ID:nySHf8sO.net
>>321
数年前に浅野家?の書状が見つかって小山評定が本当にあったことがほぼ確定したんだっけか。
それまでの白峰さんの「なかった」説の根拠も最もらしかったから史学の難しさを感じたな

333 :人間七七四年:2020/10/17(土) 21:59:37.80 ID:dc3U5fcV.net
>>330
笠谷和比古の徳川幕府の大名改易政策を巡る考察
読んでみるといいんじゃないかな

334 :人間七七四年:2020/10/18(日) 00:20:37.69 ID:xaC28ZGH.net
>>331
具体的には?正直加藤家改易は幕府の政策上の都合に見えるけどね。

335 :人間七七四年:2020/10/18(日) 00:33:12.03 ID:n34p4+fZ.net
>>334
これ読むのが一番手っ取り早いから読め。読む気がないのなら反論するな。

加藤清正と忠廣 肥後加藤家改易の研究
福田 正秀 著
http://www.v2-solution.com/booklist/978-4-434-25958-6.html

336 :人間七七四年:2020/10/18(日) 04:57:51.89 ID:xaC28ZGH.net
>>335
本当に潰したく無い時は、細川宗孝横死事件みたいにかばうじゃん幕府。

あれ、赤穂浪士事件の後だから取り潰せば細川浪士が板倉家「本家」に討ち入りするの確実
だから表向き病死にしたらしいけど。

加藤家の改易は、あくまでも幕府側史料なんだから怪しいと思うなあ。

337 :人間七七四年:2020/10/18(日) 09:25:23.62 ID:Gr3i57hm.net
アホな陰謀論みたいなこと言ってないでまず読めよ

338 :人間七七四年:2020/10/18(日) 11:57:12.12 ID:RhpfniKf.net
豊臣恩顧潰しは無かった論は今やいろんな研究者が証明してるから一つくらい読んでみればいいのにな

339 :人間七七四年:2020/10/18(日) 12:15:19.67 ID:17hT8dUL.net
その言い方だと豊臣恩顧と言われてる大名が
取り潰された事実がないみたいだけど

正確には徳川譜代親藩でも豊臣恩顧でも
どちらともいえない外様でも
関係なく法度に触れたりトラブル起こしたら
取り潰されてた

340 :人間七七四年:2020/10/18(日) 12:23:24.59 ID:RhpfniKf.net
じゃあ豊臣恩顧狙い撃ちとでも言えばいいのかなめんどくさ

341 :人間七七四年:2020/10/18(日) 12:59:36.66 ID:N/aAAZMh.net
専門書など持ち出さなくてもwikipedia読めば分かるレベルの話

342 :人間七七四年:2020/10/18(日) 17:37:23.02 ID:pXdAlDMk.net
引用や要約するのではなく、本読め・論文読めで話を終えると
このスレ要らなくならない?

343 :人間七七四年:2020/10/18(日) 17:43:05.66 ID:Gr3i57hm.net
なんで?
今までこういわれてたけどこうだよねって話に納得できない人間に理解してもらうにはまず本読め以外になくない?
分かってる人間同士の話ならいいけども

344 :人間七七四年:2020/10/18(日) 17:50:30.31 ID:oEJqAI0a.net
要約して言うと「ソースだせ」とか「曲解するな」とか言う人も多かった時あったもんね。一応理解はできるけど本を探しにいったり手に入れるのに時間かかったりする事もあるので、できれば要約して教えてもらいたいとも思うが、無理強いはできないなぁ

345 :人間七七四年:2020/10/18(日) 17:54:48.24 ID:tIKmhaar.net
加藤忠廣、細川忠興が切腹断絶かと思ったけど、改易程度で済んで意外と書いているくらいだからよほど酷かったんだろうな
>>336
そもそも人違いで斬られた、自分には否のない細川宗孝と比べてどうするんだ

346 :人間七七四年:2020/10/18(日) 19:52:38.33 ID:kduwL3fH.net
このスレ来て「俺は…だと思う」と書き込むこと自体、場違いだし
聞きたいことがあんなら質問スレにでも行けっていう

347 :人間七七四年:2020/10/18(日) 19:56:59.98 ID:kduwL3fH.net
あ、>>346はID:xaC28ZGHと>>344へのレスね

348 :人間七七四年:2020/10/18(日) 20:35:04.69 ID:RhpfniKf.net
>>344
上に出てる論文はネットでも読めるよぐぐれ

349 :人間七七四年:2020/10/18(日) 22:52:21.73 ID:n1Jt/J8K.net
>>346
却下だな

350 :人間七七四年:2020/10/19(月) 00:39:28.85 ID:8aMGBalK.net
肥後加藤家の改易が幕府の都合というなら
果たして幕府はどんな利益を得たと考えてるのか?

豊臣恩顧の大名だから潰したと考えるなら
秀頼死んで17年後の時点で豊臣恩顧とやらに
どんな脅威があったと考えてそう言うのか?

351 :人間七七四年:2020/10/19(月) 00:51:40.29 ID:i6D71o68.net
外様大名は全て潜在的な幕府の敵、仮想敵だろ
できうれば全て親藩と譜代で日の本を埋め尽くしたいと考えるのは不思議ではなかろ

352 :人間七七四年:2020/10/19(月) 00:55:36.00 ID:dubGELOS.net
>>351
それはお前の思い込みと妄想に過ぎん

353 :人間七七四年:2020/10/19(月) 01:12:38.58 ID:Ox8Y5m2M.net
>>352
ホーサヨカ

354 :人間七七四年:2020/10/19(月) 01:52:48.70 ID:TNN0qz8J.net
こういう思い込みだけで喋るやつにじゃあどうしてそう考えるのって聞くのは百害あって一利なしだよ
まずまともな研究論文を読め、これで突っぱねていかないとどんどん図に乗るから

355 :人間七七四年:2020/10/19(月) 04:29:12.56 ID:tJtPwp6p.net
>>351
この程度だからな

356 :人間七七四年:2020/10/19(月) 08:29:29.08 ID:tNVtDlqU.net
幕府側の史料だから怪しいとか言っている時点で、例え話君だろう、どうせ

357 :人間七七四年:2020/10/19(月) 09:06:35.01 ID:8aMGBalK.net
外様だから潰したいだけであれば
馬方牛方騒動はまさに好機
でもその時は将軍親裁で存えたんだな

358 :人間七七四年:2020/10/19(月) 09:40:12.14 ID:emS/QgPK.net
>>345
あの事件、武家諸法度の規定を適用するなら改易以外有り得んよ。
建前で議論するなら気の毒だけど肥後藩はお取り潰しで仕方ない、そういう決まりだし。

建前議論で言うなら、事件その物の存在を否定して細川の当主が急病で倒れたって
事にしただけでねじ曲げてないって事にね。
政治家が使う建前論「棒」その物だね。

359 :人間七七四年:2020/10/19(月) 09:52:08.36 ID:emS/QgPK.net
>>352
じゃあ、漢の高祖の外様改易策なんかも建前通りの事有ったと思う人ですか?

韓信訪越鯨布の外様三王が最終段階で劉邦に寝返ったのが漢の勝利の原因ですが。
韓信に約束した領地は、すいより東全部なんで当時の価値観だと中国の三割くらいにも
成ります。
しかし実際には項羽に勝った途端に、お前楚王に転封「項羽の旧領」なですから。

関ヶ原後に毛利が大阪城退去した途端の豹変みたいな感じ。
でもさ、そういうもんだよね、覇者って。

360 :人間七七四年:2020/10/19(月) 10:07:25.40 ID:8aMGBalK.net
自分で言ってるが韓信はデカすぎる
たかが熊本50万石とは話が違いすぎる
実際幕府はそんな封土に頓着せず加藤家の跡にも
外様の細川家を入れている

徳川家との縁組で言えば加藤家の方が
家康秀忠の娘婿で近くだから秀忠も御家騒動では
藩と藩主自体は救う裁定をしてる

361 :人間七七四年:2020/10/19(月) 10:26:03.58 ID:TNN0qz8J.net
言われた研究一つろくに読まないわ
議論ではなく自分の妄想押し付けたいわな人間を構うなよ
有名な荒らしじゃんそいつ

362 :人間七七四年:2020/10/19(月) 11:23:47.79 ID:tJtPwp6p.net
例え話君だったなキチガイだから触るだけ無駄

363 :人間七七四年:2020/10/20(火) 07:01:11.13 ID:mlH9VAaG.net
>>326
最上は伊達のせいで評価が低いプラス悪役のイメージが強かったな
今は評価持ち直してきたけど

364 :人間七七四年:2020/10/20(火) 07:31:42.22 ID:mlH9VAaG.net
>>324
ついでに甲斐と言えば一時期騎馬武者が創作扱いされていた事があったな

365 :人間七七四年:2020/10/20(火) 10:40:05.58 ID:klQ4c8bJ.net
騎馬武者騎馬突撃に関してはNHKが実証番組つってやらせみたいな事したのがずっと尾を引いてるな

366 :人間七七四年:2020/10/20(火) 14:41:11.96 ID:vYZ2fhC7.net
>>363
大河の影響もそうだけど地元の有力者が義光嫌いで不当に貶められたとかなんとか

367 :人間七七四年:2020/10/20(火) 17:26:44.43 ID:mZOx3Jng.net
山形新聞山形放送山形交通を支配する山形の首領が最上義光を嫌っていたからね
最上義光を祭る義光祭を観光化して山形花笠まつりに変えてしまったぐらいだよ

368 :人間七七四年:2020/10/20(火) 19:34:03.44 ID:jNlTgeUM.net
へえー知らなかった
最上義光より山形のドンの方が羽州の狐って印象だわ

そういえば羽州の狐も美濃の蝮も昭和になってからの異名らしいね

369 :人間七七四年:2020/10/20(火) 19:46:35.72 ID:/SKO6RgJ.net
羽州の狐なんてあからさまにロンメル由来だしな

370 :人間七七四年:2020/10/20(火) 20:30:34.33 ID:klQ4c8bJ.net
基本的に当時の武将を動物に例えてるのって創作よね
一番最初に動物にたとえられた武将って誰だろ

動物とはちょっと違うけど柴田とか義重とかの鬼にたとえるのは当時だっけ?

371 :人間七七四年:2020/10/20(火) 20:50:09.64 ID:aFwOqOUU.net
サル

372 :人間七七四年:2020/10/20(火) 20:51:58.85 ID:y6+aawCh.net
>>368
その人が亡くなるまでセブンイレブンも山形に出店出来なかったとか

373 :人間七七四年:2020/10/20(火) 21:24:53.27 ID:yl/W2WSC.net
ハゲネズミ

374 :人間七七四年:2020/10/20(火) 21:34:17.88 ID:2/CL/Afz.net
>>366
最上はあれだけ徳川に媚びたのに江戸初期に改易されたからでしょ。
そんで、後に入れられたのが酒井とか鳥居とかの徳川譜代がほとんど。

そりゃあ、最上は悪い奴って宣伝もしたくなるよ、何百年も土着した斯波氏庶流だし。

375 :人間七七四年:2020/10/20(火) 21:39:39.22 ID:2/CL/Afz.net
>>360
細川の直前の領地は豊前だろ、細川動かした後豊前は譜代置く場所に成ってますが。

後、史記によると武帝時代に高祖以来の功臣の封侯はすべて改易されて消えたそうな。
中央が外様諸侯潰したがるのは習性みたいなもんでしょ。

只豊臣系は露骨なだけで。

376 :人間七七四年:2020/10/20(火) 21:45:44.04 ID:jNlTgeUM.net
鬼上官

源平も南北朝も寡聞にして動物由来な異名はしらないな
源平の頃は異名に悪使ってたりしたけど廃れたのかな

377 :人間七七四年:2020/10/20(火) 22:00:30.65 ID:klQ4c8bJ.net
>>375
研究読まないお前迷惑
二度と人と関わろうとするな

378 :人間七七四年:2020/10/20(火) 22:01:16.65 ID:/SKO6RgJ.net
>>374
>>375
相変わらずお前はトンチンカンな思い込みと例えになってないたとえ話が大好きだな。

379 :人間七七四年:2020/10/20(火) 22:01:57.73 ID:wiHEjw6i.net
>>374
徳川譜代が散々に貶めてきたならわざわざ後世になって義光祭を催したりはしないと思うがなあ

380 :人間七七四年:2020/10/20(火) 22:07:48.66 ID:klQ4c8bJ.net
創作の通説や俗説を否定するスレで、研究も読まない敬意も払えない そんな態度の人間がいていいと思うな
恥を知れ痴れ者

381 :人間七七四年:2020/10/20(火) 22:31:31.81 ID:E3Eitzg/.net
ここは遊びの場やで
もっと気楽にいけよ

382 :人間七七四年:2020/10/20(火) 22:33:06.71 ID:/SKO6RgJ.net
>>381
自演しなくていいから

383 :人間七七四年:2020/10/20(火) 22:38:26.49 ID:E3Eitzg/.net
急にどうしたん?

384 :人間七七四年:2020/10/20(火) 22:44:46.80 ID:jNlTgeUM.net
過剰反応うざい気に入らないならスルーしろ

385 :人間七七四年:2020/10/21(水) 00:26:27.45 ID:FirV82We.net
理屈と軟膏はなんにでもくっつくからな、荒らしに構って余計に荒れてしまうのは問題だし
研究読まねーなら黙ってろ、この一言で済ませていくしかねーわ

386 :人間七七四年:2020/10/21(水) 00:49:25.01 ID:8BKg23xN.net
>>385
いやお前が荒らしなんだよと
まあ理解出来ないだろうけど

387 :人間七七四年:2020/10/21(水) 00:57:24.48 ID:cywFqCBO.net
>>386
お前もたとえ話も荒らしだよ
論文くらい読めすら荒らし認定とか頭悪い事言うんじゃないよ、恥ずかしい

388 :人間七七四年:2020/10/21(水) 01:27:28.02 ID:8BKg23xN.net
>>387
ここは趣味(遊び)の板なんだよ
もっと気楽に行こう

389 :人間七七四年:2020/10/21(水) 01:32:18.09 ID:ueT0Ekm0.net
>>388
遊びはルールを守らないと成立しないんだぞ。
いいか?他人の言うことを聞かず自分勝手な妄想と決めつけをばらまいてる奴が一番「遊び」を理解できていないんだぞ。

390 :人間七七四年:2020/10/21(水) 01:40:10.39 ID:8BKg23xN.net
俺はお前の言っている荒らしではないからな
決めつけで荒らしてるのはお前じゃん

391 :人間七七四年:2020/10/21(水) 01:41:21.23 ID:FirV82We.net
>>388
他の人も指摘してるけど、遊びと無責任の区別くらいつけてから書き込め
お前のやってることしっかり荒らしなんだわ

392 :人間七七四年:2020/10/21(水) 01:48:16.86 ID:8BKg23xN.net
>>391
俺がなぜ荒らしなんだよw
俺は>>381からレスしてるだけだよ

393 :人間七七四年:2020/10/21(水) 02:09:59.07 ID:cywFqCBO.net
ここ妄想を基になんでも語る場じゃない
創作だと研究によって断定された俗説通説ってこんなのあるよねって話をするところ
研究論文くらい読めって指摘は当然の話

お前の言ってる気楽さとか遊びをする所じゃない

いま書いた事理解できても出来てなくてもいいから二度と書き込むな、邪魔

394 :人間七七四年:2020/10/21(水) 02:20:48.35 ID:8BKg23xN.net
俺は妄想を基に語れとなんて言ってないよ
でもここは遊び(趣味)の場だからもっと気軽にやろうよ
新規も取り入れないとね

395 :人間七七四年:2020/10/21(水) 02:32:11.40 ID:Dlsloqvb.net
それならあれ来ない方が増えるんじゃ

396 :人間七七四年:2020/10/21(水) 07:35:57.03 ID:hDG0QHLP.net
有名な荒らしやあれ
最低限のルールもわからん奴にいられても邪魔だしまともな人が減る
お前のお気楽は迷惑

397 :人間七七四年:2020/10/21(水) 08:27:28.77 ID:qEoYmwiC.net
>>375
だから?豊臣恩顧を潰す計画ならどっちも潰す

そうじゃなくて恩顧も譜代親藩も関係なく
落ち度のあった藩が潰されていく状況だった
家康に息子何人いたか知ってる?
大名家残ったの御三家だけだよ

398 :人間七七四年:2020/10/21(水) 11:28:48.46 ID:1h0LPDTU.net
自治厨多いなこのスレ

399 :人間七七四年:2020/10/21(水) 11:39:30.81 ID:ScQ2JsxL.net
>>385
軟膏のとこ若い人は知らないだろうなw

400 :人間七七四年:2020/10/21(水) 11:40:09.60 ID:ScQ2JsxL.net
ここは自由だ
荒らし以外

401 :人間七七四年:2020/10/21(水) 14:59:43.59 ID:lAVkHMjk.net
>>397
上で武帝時代に高祖以来功臣の家が取り潰された例を挙げたけど、資料読むとちゃんと建前の
理由はあるんだよ。

酎金事件といって、儀礼的に諸侯が漢王室に献上する上納金に不正が有ったって理由。
金の純度が規定以下だった、これは取り潰しの理由に成るってさ。

でもさ、列侯106人が改易って、これは普通にしきたりとして認められてた事を口実に
してるようにしか見えんね。
武帝が諸侯潰して財政再建を狙った様にしかさ。

これだって、資料のみ見るなら武帝の悪意は見えないよ。
諸侯取り潰す為の口実にしか見えんけど、建前の理由あるから。

402 :人間七七四年:2020/10/21(水) 16:27:34.25 ID:kKjHCACH.net
思い込みで喋る場じゃないって何度も言われてるんだから出てけ
存在しない言外読み取る前に、人が迷惑だって言ってる事も理解できないアタマどうにかしろ

403 :人間七七四年:2020/10/21(水) 17:55:33.15 ID:ubTjH5Fs.net
おってもええで
自治スレでも立ててルール決めてるならともかく、ただの勝手ルールやからな

404 :人間七七四年:2020/10/21(水) 17:57:08.19 ID:ubTjH5Fs.net
どうにかして秩序立てたいならマストドンでも立ち上げたら?

405 :人間七七四年:2020/10/21(水) 18:06:21.88 ID:FirV82We.net
秩序とかの問題じゃないだろ
妄想書き込む場でもなければ研究読まないでなんでもかんでも書いていい場所でもない
むしろ研究を重視するところ、ここ

書き込むのは自由だが、書き込むならこのレベルの常識は弁えろって話でしょ
無責任な荒らしはびこらせようとすんな

406 :人間七七四年:2020/10/21(水) 18:14:46.26 ID:ubTjH5Fs.net
仮説を仮説として書いてるのも妄想だの言うやんあんた

407 :人間七七四年:2020/10/21(水) 18:22:14.22 ID:FirV82We.net
上で言われてるような論理的整合性のないものを仮説だと思うならあんた勉強しなおした方がいいよ、真面目に
百歩譲って仮説だとしても、それは今査読された研究より信用できるものでは決してない 仮説だっていうなら余計に先行研究重視しろよ
そんなものをここでこっちのが正しいって押し付けられても迷惑だってわからんのか

408 :人間七七四年:2020/10/21(水) 18:57:46.07 ID:iq0a51ic.net
>>401
つまり個人的な思い込みでねじ曲げないと
悪意ある改易なんて荒唐無稽な話はできない

実際に当時は譜代も親藩も潰されてて
豊臣恩顧で生き延びた大名もいくらでもあるし
加藤家なんて潰せる口実与えても一度は
秀忠親裁によって不問に伏されたくらい

409 :人間七七四年:2020/10/21(水) 19:28:04.24 ID:gkw8Vm1L.net
>>407
迷惑に思ってたらいいんじゃない?
5ちゃんねるごときで多少の振り幅も許容せずに出て行けとか言ってるのが中学生みたいでw
多少のスルー力もないんならもうちょっとまともな場所で学問としてだけやりゃええのよ

410 :人間七七四年:2020/10/21(水) 19:48:10.75 ID:FirV82We.net
お前が多少と思ってるだけで昨日の夜見りゃ結構な人数が迷惑してんだよ

お前みたいな許容すべきじゃない事をなぁなぁで済ませようとするやつがいると荒らしがつけあがるだけなんだわ

妄想書きたいならこんな場所じゃなく個人ブログで好きなだけやれよ、ここそういう場所じゃねーから

IDコロコロ変えて荒らし助長して、何がしたいのお前?

411 :人間七七四年:2020/10/21(水) 19:54:18.05 ID:ueT0Ekm0.net
>>409
ところで自分一人で一生懸命ID変えながら自己弁護してるのって死にたく成らない?

412 :人間七七四年:2020/10/21(水) 19:58:20.21 ID:gkw8Vm1L.net
>>410
idは帰宅してWi-Fiに入れば変わるさ
だからあんたのいう結構な人数とやらもどれくらいいるかもあてにはできないわけでね

ここはそういう場所じゃないからとか言ってるけど、数年前はただの過疎スレだったからなあ
そのころの住人はどれくらいおる?

馬車とか弩が日本で流行らなかった理由とか喋ってたときなんかはみんなふんわり書き込んでたぞ?
それでいい

413 :人間七七四年:2020/10/21(水) 20:00:25.43 ID:wa1iOa46.net
>>1
>自分の気に入らない主張に対してコピペを連投したり
>レッテルを貼ったりする等をはじめとした荒らし、煽り行為は禁止です
>その様なレスはスルーでお願いします

スレタイに沿った話をしてください

414 :人間七七四年:2020/10/21(水) 20:08:49.18 ID:FirV82We.net
>>412
お前がいつから見てるかとかも信用ならんわ
今、スレタイに沿った話をできてないやつに注意したらあんたが絡んでんだよ
正直お前めちゃくちゃタチの悪い荒らしだぞ

415 :人間七七四年:2020/10/21(水) 20:30:10.05 ID:wa1iOa46.net
>>414
おまえもじゃい

416 :人間七七四年:2020/10/21(水) 20:45:07.03 ID:FirV82We.net
>>415
君には正直めちゃくちゃ申し訳ないと思うわ
荒らし助長するバカに何度もコメントした点は間違いなく自分が悪い

417 :人間七七四年:2020/10/21(水) 23:49:41.81 ID:lAVkHMjk.net
>>410
許容すべきじゃないとまで主張するなら、それこそ個人ブログでやれば良いじゃん。
大体さあ、貴方の逆鱗に触れるポイントは見え見えだぞ。

豊臣系の取り潰しに政策的な物が無いだろうかって書いただけなので神君史観の人ですよね。
ある意味、あんただって荒らしだぞ。

if系スレなのに、執拗に前提に噛みついてたじゃん。
スレの存在意義を否定する書き込み繰り返すのも荒らしですよ。

418 :人間七七四年:2020/10/22(木) 00:00:29.85 ID:QAbsvUr7.net
お前はまず言われてるスレタイの意味理解して書き込めよ例え話
逆鱗に触れるポイントは簡単だぞ、研究完全無視して都合のいい妄想で語ってるって点

自分が荒らしって理解してるならもう書き込むなよ

IFスレでもその後史料が続けて書かれていて史料に沿った話をするべきところで妄想語って俺以外からも鼻つまみにされてたろ、存在意義理解出来てないのお前なんだよ
棚に上げられる程お前の性格は上等なもんじゃないぞ

419 :人間七七四年:2020/10/22(木) 00:15:02.36 ID:QAbsvUr7.net
まじで妄想と例え話がしたいならお前の個人ブログ立ち上げるなりツイッターに鍵つけてやってろよ
5chは不特定多人数が見て書き込む所で、そんなところで観光城跡地に出てくる妄想歴史吹聴おじさんごっこすんなよ

公の論じる場の最低限のマナーとして実証をしろよ先行研究くらい読んで理解しろよ、否定された意見何度も持ち出してくんなよ
妄想の押し売りして何を人様にマナー垂れようとしてんだ
お前のやってること徹頭徹尾人様の前でやっていいことじゃねーよ

420 :人間七七四年:2020/10/22(木) 12:22:46.68 ID:3OI/glfC.net
テンプレも守れない奴が公のマナーを語る
地獄絵図だな

421 :人間七七四年:2020/10/22(木) 13:13:00.95 ID:7CdoHkzG.net
火種のアホが相手がキレるまで数年単位で同じ事繰り返して被害者ぶって、挙げ句お前みたいに油注ぐやつも出るからそりゃ地獄絵図だろうよ

422 :人間七七四年:2020/10/22(木) 13:15:57.08 ID:78B5o/IX.net
>>374
江戸期の大名より戦国大名が持ち上げられてる土地は現代でいくらでもあると思うが

423 :人間七七四年:2020/10/22(木) 13:31:11.94 ID:7CdoHkzG.net
戦国期のが持ち上げられすぎて江戸期の大名なんて知名度ない例のが多いくらい
熊本の加藤なんて好例

424 :人間七七四年:2020/10/22(木) 14:50:27.52 ID:qz1Xm41C.net
>>418
だからさ、貴男はそういう書き込みをif系スレで繰り返してたんですがね。
そして執拗に、「このスレ存在意義ないよね?、いらないよね?」と繰り返し書き込み。
どんな形であろうと、家康の批判は許さないって思い込んでるようにしか。

if系スレで、スレの存在意義否定する書き込み繰り返す奴が語るなよ。
このスレでも、「それならこのスレいらなくない?」って反論されてるじゃん。

425 :人間七七四年:2020/10/22(木) 15:13:18.40 ID:AywwUuma.net
>>424
完全にお前の被害妄想そのものだな。
悪いこと言わないから信頼できる精神科を受診したほうがいいぞ

426 :人間七七四年:2020/10/22(木) 16:08:51.83 ID:7CdoHkzG.net
出先でID変わっていますが、同一人物です
スレの存在意義否定に関して、史実と解釈される研究に沿わずに語るなら、ifにならないからいらないよねっていう前置きを意図的に無視して歪曲して伝えてるし
例示は証明足り得ないから主張するなら資料と研究を踏まえて実証しなさいって当たり前の指摘を自身が無視し続け、その経緯もこれまたひた隠して家康が好きだからいちゃもんつけてるんだと歪曲
それで揉めたら暫く書き込みやめて数日後同じ手段でまた主張始めつつ他人の意見を捻じ曲げるを繰り返し
こんな悪質な手段取っておいて、怒った相手を今度は悪人に仕立て上げる
今度は自分を批判してるやつは全員ID変えてる同一人物だって主張する気かな?

全部火種お前じゃん、盗人猛々しいにも程があるわ

427 :人間七七四年:2020/10/22(木) 23:19:11.39 ID:B1XbNi7n.net
他所の喧嘩をここに持ち込むな
しかも喧嘩が数年ものとか……存在自体が「板の」害悪だわ

428 :人間七七四年:2020/10/23(金) 22:13:17.24 ID:PMHpHbhV.net
Yahoo見てたら朝鮮出兵時の家康の行動に関して、随分古くさい通説をもとにしている話があったけど、良く恥ずかしくないな

429 :人間七七四年:2020/10/24(土) 01:44:41.90 ID:iQqyi42Z.net
俺も5chの他の板に行けば浅い知識で適当に語っているけど全然恥ずかしくないよ

430 :人間七七四年:2020/10/24(土) 01:53:05.53 ID:iQqyi42Z.net
>>429
戦国時代以外の知識ってことな

431 :人間七七四年:2020/10/24(土) 01:53:30.98 ID:6MH9ANCP.net
浅い知識で語ってるの自覚して、指摘されたら素直にそうだったんですねって飲みこめるなら全然いいんだよ
浅い知識だったり偏った知識であることに気づかず指摘をバカにしたりするようになったら手遅れ

432 :人間七七四年:2020/10/24(土) 09:36:32.08 ID:dtj7p4DI.net
既出だろうけど豊臣秀次の自死は福島正則に告げられたから実行したのでなく、自らの判断で実行した模様
場所も秀吉が愛着あった場所でしたなど当てつけ臭ささえある

433 :人間七七四年:2020/10/24(土) 10:46:45.52 ID:6MH9ANCP.net
公の場で関白の地位剥奪して社会的に抹殺しておいて、その後の死が強要か自分の意思かってあんまり関係しないよなってのが一つ
秀次の重臣たちの首ハネて追放後の秀次に見せつける行為への理由の説明がないよねってのが一つ

ってのがその秀次自死論への批判点として上がってたと思うけど、そこに何かしら進展ってあったの?

434 :人間七七四年:2020/10/24(土) 11:57:55.47 ID:dtj7p4DI.net
最近ニュースで秀次の後継者認定期間は従来の有力説より長かった事が判明したんじゃなかったっけ?
それこそ自死さえしなければ復帰もありえたぐらいに

435 :人間七七四年:2020/10/24(土) 12:01:22.95 ID:feulbdpV.net
社会的に既に死んでるも同然の状況に追い込まれて
抗議のための自死だからそんな変わらんよな

それに政権の責任論としては詮議を受けて乱心切腹
でいいのに敢えて政権として切腹を申し付けた事にした
というのもいまいち説明しがたい

ただ重臣の首はねて切腹前の秀次に見せ付け
ってのは後世の創作では?

436 :人間七七四年:2020/10/24(土) 12:04:50.59 ID:LA3x61qD.net
ただの感想だけど

秀次事件での秀次一族への仕打ちは後世から見ても胸糞悪くて怒りすら覚える
これだけで秀吉嫌いになるし豊臣なぞ滅んで当然と思える
信長でも謀反の疑いで誅した弟の遺児は殺さなかったのに自分の一族扱いしてない
まあ信長は身内に甘いところがあったみたいだけど
秀吉びいきはこれを擁護するなら大坂の陣で秀頼と男児が殺されたのを批判せんで欲しいわ
あっちは実際に兵を挙げたのに対して秀次は挙兵して乱を起こしたわけじゃないんだから

437 :人間七七四年:2020/10/24(土) 12:17:05.24 ID:6MH9ANCP.net
>>435
ああ失礼
呉座氏が陰謀の日本中世史において秀吉が秀次家臣を殺してる事を挙げて
追放以後も秀次を圧迫する意図があったのではと反論してるんでした
見せつけはなかったでしたっけか

438 :人間七七四年:2020/10/24(土) 12:49:28.79 ID:feulbdpV.net
高野山への追放蟄居から助命→家臣として復帰は
もちろん先例としてある

ただ事が謀反で首謀者として名指しされてる
となるとなあ・・・豊臣政権で前例あるのかな?
公家の歴史としてはあるだろうけどそれもそれこそ
処断した政権が倒されたとかの場合じゃないかと

政権として正式に官位持ちの太閤側近に糾問されてて
申し開きの面会も問答無用で許されず蟄居の状況
悲観も憤慨も当然に思えるけどな

>>437
なるほど

福島正則らが届けた切腹命令は甫庵太閤記にあるけど
体裁的に偽書臭く一次史料による前後の状況にも
うまくはまらないので切腹命令はなかったとされてる

連座の家臣たちはほとんどが秀次死後と確定できるし
スケジュール的に京都で首はねて持っていくのも
不可能ではないだろうがかなり難しい

まあオレも政権として秀次とその周辺の政治勢力を
排除しようという動きは確実にあったと思う

439 :人間七七四年:2020/10/25(日) 14:18:46.22 ID:FcSjozVl.net
>>438
謀反して復帰は戦国時代ならいくらでもあるからな

440 :人間七七四年:2020/10/25(日) 15:34:53.05 ID:39xXnlZf.net
それをなくしてく過程が織豊政権期

秀吉への謀反どころか非礼が理由でも
殺された例は無数にあるが
謀反を許された例だと誰だろな?

441 :人間七七四年:2020/10/26(月) 07:51:22.67 ID:lVtS1FTK.net
>>440
非礼を理由に殺害なんて
鎌倉以来の武士の伝統やん

442 :人間七七四年:2020/10/26(月) 07:51:48.92 ID:lVtS1FTK.net
武士どころか日本人の常識だったわ

443 :人間七七四年:2020/10/26(月) 10:52:18.63 ID:Bv9dbvBT.net
あるから、なんなん?
そこからどう話持っていきたいの?

444 :人間七七四年:2020/10/26(月) 12:48:36.24 ID:2mdnv26t.net
秀次が勝手に腹を切ったから謀反を後付けしたってことはないの

445 :人間七七四年:2020/10/26(月) 12:49:09.65 ID:TqqDQZIC.net
つまり秀次からしたら復帰なんて
とても信じられる状況じゃなかった

446 :人間七七四年:2020/10/26(月) 13:02:20.72 ID:TqqDQZIC.net
出奔→切腹が政権中枢にとって意味不明な
乱心によるものだとする

それでもそのまま発表する方がどう考えても
公式発表である大規模な粛正を必要とする謀反
よりもまだしも穏当だったと思えるけど?

447 :人間七七四年:2020/10/26(月) 13:31:13.67 ID:xYxk3dQa.net
>>446
最近のニュースによると自死の前に秀次の長男を秀吉の後継者にする動きもあったみたいだし、不条理な連座が行われたのも派閥争いとかの複雑な事情が一因だったんじゃないかな
淀殿第二子懐妊発覚時(当時秀吉は長期にわたり別に九州にいたので実子の線はまずない)に秀次が秀吉に緊急に問い合わせたと取れる動きもあったし

448 :人間七七四年:2020/10/26(月) 14:08:33.81 ID:TqqDQZIC.net
派閥争い説は俺も個人的には支持する

豊臣政権が続けば政権の枢要が太閤側近から
関白側近へ移るのは避けられない訳で
それを事件の背景とする説は普通にある

「個人的には」というのはこの手の背景は
史料的根拠から組み立てるのが難しいから

449 :人間七七四年:2020/10/26(月) 14:28:44.04 ID:TqqDQZIC.net
少なくとも秀次が謀反扱いされてたことも
それが事実でないと疑われてるのも
リアルタイムの史料的に確認できる

Wikipediaにもあるが御湯殿上日記で
秀次が伏見を発った8日付けで
> 今朝関白殿へ太閤より御使いありて。
>謀反とやらんの沙汰御入候て、太閤機嫌悪く
>御断り候まてとて、関白殿高野へ尾登りのよし申

秀次切腹の翌日16日付けで
> 関白殿昨日十五日の四つ時に御腹切らせられ候よし申。
>無実ゆえかくの事候由申すなり

御湯殿上日記は天皇に仕える女官が当番制で
その日の出来事を記録して来た文書なので
事件に関する朝廷の当時の理解

450 :人間七七四年:2020/10/29(木) 00:31:02.57 ID:zCmZ6h9F.net
>>436
信澄なら馬揃えで一門の5番目の厚遇
信忠ー嫡男
信雄ー次男
信包ー弟
信孝ー三男
信澄ー甥
長益ー弟

451 :人間七七四年:2020/10/29(木) 11:49:34.75 ID:91CxM8HK.net
信孝より信包の方が上なのか

452 :人間七七四年:2020/10/29(木) 12:16:13.30 ID:JABs5LJc.net
信孝は優秀と見られていたそうだが最期の方の行動を見るととてもそうには見えない 
昨今では信雄が再評価されてる感じなだけに
もっとも信雄は当時は悪く見られていたみたいだけど

453 :人間七七四年:2020/10/29(木) 12:31:43.82 ID:5IJdzMXF.net
大雑把に言うと信雄は氏真、信孝は勝頼タイプ
勇猛だからって生き残るとは限らない

454 :人間七七四年:2020/10/29(木) 12:35:48.16 ID:Kdu88HgP.net
信包は長益同様信長死後に出しゃばる野心はないけど
部将としては信長時代はそつなくこなしてるね

信雄は安土放火はフロイスの濡れ衣ぽいけど
伊賀攻め失敗で侮られて信雄なら叩いていい的な
扱いされてるような気もするw

455 :人間七七四年:2020/10/29(木) 17:42:37.02 ID:Ms2nrtMZ.net
本能寺直前時点で生きていて活躍してた織田一門って信忠と信包・信澄くらいでは
信孝だって若いとはいってももう24歳 信忠と一歳違いでしかない

456 :人間七七四年:2020/10/29(木) 18:46:37.52 ID:D98ATfGa.net
>>455
野生の有楽斎が恨めしそうな顔でお茶を点てている!

457 :人間七七四年:2020/10/29(木) 20:25:52.52 ID:0aOtLy9d.net
有楽の武辺末の初物

458 :人間七七四年:2020/10/29(木) 23:11:19.02 ID:Kdu88HgP.net
馬揃えで名を連ねる連枝達はそれなりに処遇され
見合った仕事をしてたと思われ

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/京都御馬揃え

459 :人間七七四年:2020/10/30(金) 00:01:08.80 ID:RHVxvSJT.net
信雄「せやろ?」

460 :人間七七四年:2020/10/30(金) 00:11:06.92 ID:S2VucTA+.net
そもそも信雄無能説もかなり見直しが進んでる

461 :人間七七四年:2020/10/30(金) 20:12:49.75 ID:pZMS+tru.net
少なくとも時代の流れを受け入れて臣下だった秀吉や格下の同盟相手だった家康に従う事が出来る器量はあったな

462 :人間七七四年:2020/10/31(土) 18:53:22.37 ID:sKD2Ssiu.net
もっと器量があって東海転封を受け入れてたら格的に大老就任もあり得たのに

463 :人間七七四年:2020/10/31(土) 20:04:15.79 ID:pvqeoe8a.net
東海で大領保持しても丹羽家みたいに減封される未来しか見えない

464 :人間七七四年:2020/10/31(土) 20:28:28.06 ID:7opVPqE3.net
秀吉より長生きなので丹羽コースはないかな

失政理由に取り潰す佐々成政コース
権力争いで潰された?秀次コース
太閤死後に家康に糾弾される前田上杉コース
権力握ろうとして破れる毛利宇喜多コース

この辺はありそう

465 :人間七七四年:2020/10/31(土) 21:00:15.24 ID:OSaHRux8.net
信雄失脚しなければ秀忠の嫁が変わる可能性がある?

466 :人間七七四年:2020/10/31(土) 21:00:36.77 ID:lkzY+k7b.net
失脚してなければ官位は家康より上だった筈だしなあ

467 :人間七七四年:2020/10/31(土) 21:58:12.21 ID:yj5lMzdd.net
器量ってあの時代の価値観だと信雄はクズだろ
名誉>>>>命だから

468 :人間七七四年:2020/10/31(土) 22:15:57.93 ID:7opVPqE3.net
信雄失脚とお江与の嫁ぎ先の関連はあまりなさそう

お江与の初婚とされる佐治一成は信雄家臣で
一説に秀吉じゃなく信雄の意図によるものとも言うけど
佐治の追放、離縁は信雄失脚より前だし

469 :人間七七四年:2020/10/31(土) 22:22:39.34 ID:OSaHRux8.net
それ以前に秀忠の最初の婚約者って信雄の娘じゃなかったっけ

470 :人間七七四年:2020/10/31(土) 22:24:23.91 ID:pvqeoe8a.net
秀忠の初婚の信雄の娘も秀吉の養女として嫁に出されて
信雄失脚後も特に変わりはなかったそうだし変わらないんじゃ

471 :人間七七四年:2020/10/31(土) 22:42:19.95 ID:7opVPqE3.net
秀忠に嫁ぐはずだった信雄娘は通説夭逝してるけど
親父の失脚で離縁されて他所に嫁いだという異説もあるのか
知らんかった

ただ7歳で死んだ小姫はちゃんと戒名付いて
実家が嫁いだ娘は別人だと言ってるのね

472 :人間七七四年:2020/10/31(土) 23:18:49.35 ID:3vN8fVfw.net
家康の関東移封は、秀吉はかなり早い段階で家康と協議していたらしく、
一方で信雄は家康の了承後に命じたものらしいので、
北条征伐の時点でもう、官位はともかく実質的には、秀吉の中で家康のほうが扱いが上だったと思われる

473 :人間七七四年:2020/10/31(土) 23:59:45.88 ID:1LQK2Ab5.net
信雄の流れで。
北畠養嗣子となり北畠具教の娘、通称雪姫を正室としたが、三瀬の変の折に
雪姫は自害したという伝えになっている。しかし、自害せずその後も正室として
天寿を全うしたという。

474 :人間七七四年:2020/11/01(日) 10:21:26.96 ID:72EjqBaN.net
千代御前と信雄の長男長女が
ばっちり三瀬の変後の生まれだね

勢州軍記あたりに悲劇的な記述が
あるのかと思ってたけど違うんだな

475 :人間七七四年:2020/11/01(日) 17:22:00.72 ID:5QFqcKpf.net
千代御前亡き後に継室になったのは、北畠氏連枝の木造具政の娘だが、側室に
織田長利(織田信秀の末子)の娘を側室としている。そのおかげで長利が本能寺の変で横死したあとの長利一族の面倒もみている。従妹を側室とし、一族の世話を焼くなんて、身内に甘かった信長と同じだと思った。顔も信長に一番似ている。

476 :人間七七四年:2020/11/01(日) 17:34:57.12 ID:YBnQkKyS.net
戦国期でも一族の結束と統制は基礎の中の基礎みたいなものだし、信長は
それを最重要視していた感じではある。

477 :人間七七四年:2020/11/01(日) 17:59:07.68 ID:uAT7spIB.net
>>463
堀家は秀政が死んで15歳の秀治が継いだ時に減封されそうになったけど抗議したら無事だったよ
その息子の代で改易だけど
2代連続早逝はキツかった

478 :人間七七四年:2020/11/01(日) 18:20:10.61 ID:ywufnEnx.net
信雄秀吉よか長寿だし丹羽式の
代替わりでの改易は気にしなくていいかと
問題は信雄取り潰しがどこまで豊臣政権の
政権構想に入ってたかよな

まあそう言うのなくても一揆起こされたり
戦場で失態演じたりして取り潰されても信雄らしいが

479 :人間七七四年:2020/11/01(日) 18:38:01.13 ID:ftSsJX2K.net
そんな信雄君、息子の中で最も信長に似てる
御本所様〜!って高評価だった時もあるんやで

480 :人間七七四年:2020/11/02(月) 01:16:02.08 ID:gpMCPYrC.net
高評価も何も、「織田家」を相続したのは結局信雄だしな。
秀信は織田家家督から降ろされ、羽柴に転じている

481 :人間七七四年:2020/11/02(月) 12:50:00.99 ID:4RCYgvV7.net
道三死亡後、妾に散々子ども産ませた信長と、三瀬の変という
妻の血族を信長の指示とはいえ、なで斬りにし滅亡させた信雄。
しかし、三瀬の変後にも正室に子どもを産ませている。
信雄の方が好感持てるw

482 :人間七七四年:2020/11/02(月) 14:17:31.47 ID:KRzo60cz.net
ざっと計算すると三瀬の変の起きた天正4年(1576)
には信雄は数え19歳
長男秀雄が生まれるのは7年後の天正11年(1583)
なので信雄は数えで26歳

武家の跡取りを残すと言う意味では
遅過ぎることもないけどせっつかれたろう
千代御前の年齢はわからないけど
変後時間が必要だったのかな

長男秀雄の2年後長女小姫が生まれ他にも
同母の子がいたと伝わる
夫婦仲は良かったかは想像するしかないが
まあ少なくとも破綻はしてないんだろう

483 :人間七七四年:2020/11/02(月) 17:21:29.70 ID:On1xDfYt.net
>>482
そのタイムスケジュールだと仲は良かったが北畠の娘と子を成すことを信長に憚った可能性はあるかな
本能寺の変後にやけくそになった信雄が妻を犯した、もしくはなんらかの心境の変化があったのかもしれないけど

484 :人間七七四年:2020/11/02(月) 18:46:38.62 ID:KRzo60cz.net
その発想はなかったな
離縁したわけでもないし信雄は依然として北畠家当主だし
家中掌握のためにはむしろ望まれる関係だと思うけど

親族を殺したことによる当人同士の関係の問題か
あるいは単純に千代御前が若かったのかと思ってた

嫡男秀雄の仕込みが本能寺前の可能性もあるけど
本能寺が関係変化のきっかけというのはあるかもなあ

485 :人間七七四年:2020/11/02(月) 18:47:27.86 ID:gpMCPYrC.net
>>483
邪推し過ぎや

486 :人間七七四年:2020/11/02(月) 19:20:34.59 ID:PdejnLDD.net
千代御前からしたら、親の仇でも子ができりゃ北畠家の血は女系でも残るし
次男以降にいずれ北畠の名跡継がせて再興ということも考えられる

信雄も、最初はいつ寝首を掻かれるかと警戒して閨を共にすることもなかったが、
本能寺で親を非業に亡くして、お互い分かり合えるものが初めてできたのかもしれん

なんて綺麗にまとめてみた

487 :人間七七四年:2020/11/02(月) 20:04:57.05 ID:lW4KUUHv.net
>>486
綺麗だぞこの野郎ww

政宗も、結婚後15年も経って愛姫初懐妊し、立て続けに4人産んでるからね。
親父の信長も、10人以上いる母不明の子どものどれかは帰蝶が生んでるのかもと思た。

488 :人間七七四年:2020/11/02(月) 20:18:51.37 ID:KRzo60cz.net
信雄が織田家に復したのは本能寺後なので
元々信雄→嫡男と北畠家は続く筈だったのよ

肉親の心情とか別にして武家の価値観では
千代御前は婿を取った北畠家の娘として
その嫡男を産むのはwinwinではある

確かに信雄も父を失ったことで・・・
というのが綺麗な落とし処やねw

489 :人間七七四年:2020/11/03(火) 00:28:08.53 ID:psbS/+/n.net
なにこの流れ
恋愛経験ゼロの歴女の妄想みたいでキモい

490 :人間七七四年:2020/11/03(火) 07:47:57.17 ID:LpTx2uua.net
創作物だと正室との仲悪そうなものが結構ある様な気がするけど、代表的な信玄と三条の方も実際はそれほど仲悪く無さそうだし

491 :人間七七四年:2020/11/03(火) 09:25:12.98 ID:wcHcISI0.net
まあ現代人の感覚として側室を持つことが
正妻がいながら不倫してるみたいになる
勢い側室ができたら相手への嫉妬やら
夫の不実さへの怒りでうまくいかんだろとなる

ただ社会的には側室は何ら咎められないし
むしろ武家では子孫繁栄のため推奨されたりもする
相応の身分の女性はその辺教育されてたはずなんよね

そりゃもちろん人間感情の生き物なので
歴史上にも夫と上手くいかなかったり側室に嫉妬した
と言われてる正妻もいるんだけども

492 :人間七七四年:2020/11/03(火) 13:06:06.68 ID:07mScoEO.net
>>487
織田復帰後の信房の扱いが良すぎるから帰蝶じゃないとしても母親の格は高いのではと言われてるね
そのせいで本能寺の変で父兄と運命を共にすることになったのだけど

493 :人間七七四年:2020/11/03(火) 13:12:09.68 ID:07mScoEO.net
>>484
島津家久(忠恒)は叔父でもある先代義久の娘を娶ったが仲が悪く子を作らなかった
強者が相手乗っ取って滅ぼす前提の婿入りならわざわざ正室と子を成す意味は無いのではないか
諏訪勝頼みたいに将来の禍根になる例もあるし

494 :人間七七四年:2020/11/03(火) 15:47:09.42 ID:wcHcISI0.net
>>493
そこに意味が出てくるのは家中の統制の部分だね

そもそも子供は必ずできるものじゃないし
もちろん正室が子をなさなくても
力関係で押さえつけることは出来る

でも正室と子を作ることが望まれない訳ではない
勝頼は婿養子とはまた別だし諏訪家としては
別に禍根云々はないんでは?

495 :人間七七四年:2020/11/03(火) 17:18:32.29 ID:EQ3dt2FW.net
若き日は息子に対抗心を持ってた節さえある家康ェ……

496 :人間七七四年:2020/11/03(火) 19:57:37.30 ID:vCt9dKjK.net
信康は家康が数え年16歳で生まれた嫡男なので、親子というよりは
歳の離れた兄弟感覚だったのでは?城も離れていたし、家臣もそれぞれで
対立もあったから、対抗心あっても当然だ。
信康を殺させたなどと濡れ衣を着せられた信長も、ある意味家康の犠牲者。

497 :人間七七四年:2020/11/03(火) 20:12:39.63 ID:EQ3dt2FW.net
家康次男が産まれる前までの徳川家臣団は家康が死んでも弟あたりに跡を継がせればいいやと考えてたかも知れんね

498 :人間七七四年:2020/11/03(火) 20:25:37.29 ID:uUCUXC9I.net
戦国期にそれくらいの歳で子を持つのは珍しくないんでは?と思って前田利家のWikipedia見に行ったらなんか荒らされてる?
https://i.imgur.com/y2y07ue.jpg
https://i.imgur.com/KoLocAm.jpg

あと織田信長の家臣柳瀬瑛叶の子と書いてあるけど、誰だそれ…。

499 :人間七七四年:2020/11/03(火) 20:26:08.00 ID:uUCUXC9I.net
>>498は利長のページについて。ごめん。

500 :人間七七四年:2020/11/03(火) 20:49:46.36 ID:/dH8ZxqY.net
既出だろうけど信康が秀康を気遣ったとかのいい兄ちゃん説も創作の可能性が高いんだね
出典自体幕末にできた史料だし
同時代持ち上げていたのは三河物語の作者くらい

501 :人間七七四年:2020/11/03(火) 21:13:55.86 ID:LpTx2uua.net
武田とか伊達とか古河公方とか親子で対立するの珍しく無いからなあ
一族で対立の無い北条の方が逆に珍しいくらいだし

502 :人間七七四年:2020/11/04(水) 05:03:17.83 ID:xCRo43LC.net
>>500
そも三河物語のかなりの部分が信長公記の首巻みたいな伝聞頼りで評価が微妙やからなあ

503 :人間七七四年:2020/11/04(水) 09:28:02.53 ID:Bw5uFcex.net
信康自身の性格が伺える一次史料は知る限りないけど、似たケースでたまに例を出されてる武田義信は勝頼を上の親族で唯一気遣ったというのを見た事ある

504 :人間七七四年:2020/11/04(水) 09:48:46.29 ID:kCECp/er.net
>>503
お前は俺の弟なんだから周りが何と言おうが気にするなという手紙があるとか
本当かは知らんが

505 :人間七七四年:2020/11/04(水) 11:40:39.17 ID:nCPDlmBm.net
義信のみが勝頼宛の書状を諏訪四郎じゃなく武田として書いてるとかよく聞くけど、書き下し文とかどの書状なのかとか聞いた事ないな

506 :人間七七四年:2020/11/04(水) 11:43:31.78 ID:Bw5uFcex.net
勝頼で思い出したが、だいぶ前の未完のやる夫スレで勝頼の息子の信勝幼少説ってのかあった
今も伝わる享年16は幼少とは言えないから、どういう経緯で幼少と伝えようとしたかが気になる
年齢が間違って伝わっている話は明智光秀とかが有名かな
何気に信康の母築山殿も昔は家康より八は年上とされてたりしたとか

507 :人間七七四年:2020/11/04(水) 13:33:16.96 ID:WoSD+sn3.net
幼少といっても信玄が死んだ時に生まれてたのなら最低でも10歳近いだろう
産後が悪くて死んだ母親の没年、もしくは母親が誰か自体が変わってくるし

508 :人間七七四年:2020/11/04(水) 18:37:08.16 ID:weC23J2J.net
信勝って1580年くらいに家督相続してるのじゃなかったっけ
昔の通説では武田征伐で滅亡寸前に継いだとか言われてたけど

509 :人間七七四年:2020/11/04(水) 21:41:49.99 ID:qVcneGYH.net
武田関連なら北条氏直は信玄の孫ではない説の方が興味深い
というか孫じゃないと思う

510 :人間七七四年:2020/11/05(木) 13:18:15.84 ID:B2iUvDD3.net
母親が黄梅院じゃない根拠でもあるのか?

511 :人間七七四年:2020/11/05(木) 15:25:39.41 ID:I23VNoqA.net
むしろ黄梅院である根拠がない
信玄が氏直の誕生成長を祝ったり孫扱いしたりした史料もなく、北条側も同様
娘の1人は信玄が熱心に安産祈願したのだから世継ぎなのに史料残らないのは変
三国同盟破棄の際に氏直が今川氏真の養子になったのも娘が男子を残さなかった信玄に対する当て付けのように見える(かつ、信玄の孫を氏真の養子にするのは変)
どうして従来の通説が生まれたのか知りたいくらい

512 :人間七七四年:2020/11/05(木) 18:11:00.57 ID:dUvh1mB2.net
家督を継いだから、正室の産んだ子と思われていたんじゃないのかな
義元がずっと寿桂尼の産んだ子だと思われていたのと似た様な感じじゃないか

513 :人間七七四年:2020/11/05(木) 18:50:42.56 ID:agOnNOZC.net
>>511
信玄が祈願したのは黄梅院の長男(夭折)の時じゃないの
健康不安など何も無ければ祈願しない、もしくは前回の祈願が無駄に終わったから氏直の時はしなかったということもなくはないかと

514 :人間七七四年:2020/11/06(金) 12:58:46.03 ID:YoO+Gqz9.net
氏直って天正壬午の乱の時に信玄の孫を名目に攻め込んだイメージだったのだが

515 :人間七七四年:2020/11/06(金) 14:40:41.20 ID:4aWWg9JH.net
>>514
まともな史料にはない

516 :人間七七四年:2020/11/06(金) 19:11:53.13 ID:r9N7LNfT.net
仲睦まじい夫婦という話だったけど、嫡男をもうけるために他の女にも手を出していたってことやね
新説が正しかった場合は、鳳翔院殿が母親候補になるのかな?
まあ、補足するような史料が出てくるのかは知らんが

517 :人間七七四年:2020/11/06(金) 19:23:36.48 ID:ZA1G15La.net
>>516
夫婦が仲睦まじいことと側室の有無は全く別だぞ。現代の浮気と一緒に考えるなよアホらしい

518 :人間七七四年:2020/11/06(金) 19:33:20.47 ID:U8WVeRWa.net
だから嫡男をもうけるためにって書いてるじゃん

519 :人間七七四年:2020/11/06(金) 23:56:48.96 ID:ZA1G15La.net
>>518
なら最初の
>仲睦まじい夫婦という話だったけど
という文章がまるまる必要ない。

520 :人間七七四年:2020/11/07(土) 00:58:58.59 ID:tX5Nqiof.net
導入として使ってるから俺としては要るんだけど

521 :人間七七四年:2020/11/07(土) 02:55:30.92 ID:g4SPD3pV.net
浅井長政を義の将扱いしだす初出の史料ってどれなんでしょうか?
やってること追えば追うほど畿内の国衆の定番なあっちついたりこっちついたりで
むしろ浅井見捨ててない朝倉の方が義理堅い気がする

522 :人間七七四年:2020/11/07(土) 03:23:25.53 ID:BCWh1xrd.net
>>521
国衆の定番な割には酷たらしく処刑された久政妻ェ……
何やったんだか

523 :人間七七四年:2020/11/07(土) 10:24:18.56 ID:/GtFWchN.net
隣国勢力の懐柔と不安定化は洋の東西問わず
大国の常套手段だし浅井氏との関係はその範囲じゃね?
京極が強力な守護大名として立ちはだかるのも困るが
京への通り道でもあるので荒れ放題でも困るし

朝倉は若狭に介入して最終的には守護家の御曹司を
一乗谷に拉致して属国化進めてる
大軍勢で一気に滅ぼせるならそうしたろうけど
国外への介入も戦略だと思うけどね

524 :人間七七四年:2020/11/07(土) 10:33:53.69 ID:g4SPD3pV.net
>>523
いやまぁそりゃ戦略の一つと言ってしまえばそれまでですけど
志賀の陣の後見捨てる戦略も充分あったろうなって

若狭武田氏の御曹司拉致ってのも不思議で、連れて行く際に若狭国衆ともめた形跡もなく同族の武田信玄が朝倉宛に保護してくれてありがとうって書状出してたりで
なんか、かなり穏当に話進んでる可能性もあって謎なんすよねー

525 :人間七七四年:2020/11/07(土) 11:59:58.15 ID:/GtFWchN.net
それはないだろう
元々信長が朝倉攻めて始まった戦だもの
そのタイミングで浅井見捨てたら許される保証はない

若狭武田は何処に謎を感じてるのかわからないけど
朝倉近江では浅井、若狭では守護武田吉統を支援してきた
先代との不和や重臣の反乱鎮圧に兵を出して
名目上は朝倉は吉統の後ろ盾とし影響力を持った

んで吉統が死んで幼少の孫犬丸(元明)が残されると
若狭支配が不安定になったので朝倉義景がまた介入
幼君を拉致(保護)して属領化した

ところがそれで劣勢に立たされた粟屋勝久らは
当時上洛し飛ぶ鳥を落とす勢いの織田信長を頼る
それが名目上若狭出兵=朝倉攻めの引き金になった
という流れ

526 :人間七七四年:2020/11/07(土) 14:09:50.93 ID:g4SPD3pV.net
>>525
志賀の陣で織田朝倉和睦に至ったんだからその後も継戦する必要はないんじゃ?
志賀の陣後どっちが出兵してまた戦い始めたのか、調べたけどわからないんですけれども

527 :人間七七四年:2020/11/07(土) 15:09:45.05 ID:0ygvMJb6.net
元亀元年12月滋賀の陣講和
元亀2年2月横山城の秀吉による大阪-越前間の封鎖
     佐和山城磯野員昌が降伏

どちらが先に攻めたかわからないと言える状況かな?
そうだとしても一般的にそういう情勢下で
一方的に兵を引くことはできないと考えるのが自然では?

528 :人間七七四年:2020/11/07(土) 17:51:25.73 ID:tOJuNWg6.net
>>521
策が尽きたとはいえ最後に撤退したのは浅井を見捨てたようなもの
もし信長が朝倉の撤退をスルーして浅井を先に滅ぼしたら朝倉は土下座外交でもしたかもしれないし

529 :人間七七四年:2020/11/07(土) 23:34:07.49 ID:g4SPD3pV.net
>>527
ありがとうございます、確かにそうですね
>>528
これに関しては虚報で朝倉呼びだす浅井さんサイドにかなり問題あったような

530 :人間七七四年:2020/11/08(日) 04:46:48.89 ID:kwTHX3Fx.net
朝倉の撤退そ策が尽きたってよりも
疲弊して家中不満続出で限界なんでしょ
次の春の出征は重臣に拒否られてるし

531 :人間七七四年:2020/11/08(日) 19:21:53.93 ID:jJsAfKfw.net
なんで浅井なんかに構うんだよって感じだったんだろうな

532 :人間七七四年:2020/11/09(月) 13:50:20.00 ID:SgKmkhZK.net
浅井の領地で戦ってるうちは越前は安泰というのはあると思う 敵国に対する防波堤になる同盟国は重要
もともと朝倉vs織田の戦であって他所の抗争に無駄に首を突っ込んだわけじゃないし

533 :人間七七四年:2020/11/09(月) 19:04:54.28 ID:R0rGNNQS.net
浅井に構ってるんじゃなく朝倉自身が信長に攻められてる

なんで浅井に構うんだ・・・というより疲弊してて
殿様捨てて俺たちは降ればいいんじゃ・・・てなった

実際に出征拒否した重臣達は織田に通じて安堵された
その後一揆に滅ぼされるけど

534 :人間七七四年:2020/11/14(土) 11:02:21.05 ID:28uUlOVx.net
浅井が朝倉との旧恩の為信長を裏切ったって旧説はいつ頃からあったのだろう

535 :人間七七四年:2020/11/14(土) 11:07:33.78 ID:eKnM9SJ7.net
>>534
浅井三代記

536 :人間七七四年:2020/11/14(土) 15:12:40.35 ID:up5Iqljp.net
別に動機は一つとは限らないと思うけど新説ではどういうことになってるの?

537 :人間七七四年:2020/11/14(土) 17:18:33.56 ID:WZa7tfiG.net
新説は断定できていない、わからないって辺りになるかな
少なくとも浅井と朝倉が古くからの盟友ってのはかなり強い根拠で否定できるって位

仮説とか推測の域なら消去法で、浅井氏は京極氏から独立志向だったのに幕府に京極氏の家臣として扱われていた辺りになるんだろうか

538 :人間七七四年:2020/11/14(土) 17:57:11.59 ID:eKnM9SJ7.net
信長も浅井を「家臣同然」と、同盟者ではなく配下扱いしていて、
少なくとも浅井の独立性を全く認めていなかった感じでな。
そういった扱いへの不満は有ったんだろう。

539 :人間七七四年:2020/11/14(土) 18:48:48.11 ID:Z2KlBmhC.net
浅井と六角とは対立していたが義景が六角からの養子だとしたらややこしいな

540 :人間七七四年:2020/11/14(土) 19:46:58.67 ID:GoEqUX/D.net
>>539
ほぼ間違いなくガセの類だから安心し
というかそんなもん提唱してるまともな学者いないんじゃないの

541 :人間七七四年:2020/11/14(土) 21:44:41.12 ID:2SqmoPHL.net
朝倉攻めに呼ばれなかったから裏切った説
そのまま朝倉が滅びれば浅井は織田領に囲まれてしまうからね

542 :人間七七四年:2020/11/14(土) 21:48:30.50 ID:eKnM9SJ7.net
>>541
浅井は同時代的には美濃と越前の通路を守っている、という認識だったっぽい

543 :人間七七四年:2020/11/14(土) 22:28:09.72 ID:mBN068E3.net
宗淳孝景-亮政の代では宗滴が近江出兵してたり
六角との和睦を仲介したり関係は深い

けど久政の代には浅井は六角に従属して
継続的に朝倉とどっぷりとは言い難いか
対立ではないし緩い協調関係とは思うけど
長政の野良田合戦も独力だしな

新当主長政が進めた織田との同盟に対抗して
一度失脚してた久政が逆張りしたのはあるだろな
信長上洛前には義昭-朝倉が軸になる可能性も
あったという背景もありきだろうけど

544 :人間七七四年:2020/11/14(土) 22:53:43.94 ID:0BoEZ+be.net
>>543
宗滴の近江出兵は通説とは逆で六角方への援軍ってのが最近の研究成果だけどね
朝倉って守護代からの成り上がりの割に(だからこそなのかもしれんが)美濃の土岐氏だったり旧権力と結び付く傾向が強い

545 :人間七七四年:2020/11/15(日) 16:09:48.38 ID:YE5swMh5.net
その研究は知らんかった
にわかすまん

朝倉は成り上がりとはいえ幕府からも
越前支配認められてたから旧幕府権力との
結びつきはその辺かなあ

546 :人間七七四年:2020/11/15(日) 19:19:36.80 ID:Tebt6D2x.net
>>538
浅井が家臣同然程度の扱いなら、そこに嫁がされた市も悲劇性や娘達のおかげで後世持ち上げられたけど、一族の中ではそんなに順位高くなかったのかな?

547 :人間七七四年:2020/11/15(日) 20:41:42.19 ID:Ih/sh4/F.net
【悲報】.日本さん、マスゴミに簡単に洗脳される(笑).幼稚な.多数決.カルト.信仰国.の末路.
(1)日本人.の.精神.を.腐敗.・.堕落させ.愚民.化.させろ.
(2)日本人.の.女.を.集中的に.狙い.洗脳.しろ!
(3)ネトウヨ.、ヘイト.スピーチ.等の言葉を.浸透させ.、同胞へ.の批判.を.封じろ。
(4)「同性婚・LGBTを全面肯定しない者は差別主義者だ!」という雰囲気を作れ.
(5)中身のないアニメを流行らせ、クールジャパンをオワコン化させろ。
(6)「未だにガラケーの奴は笑い者」という雰囲気を作れ.
(7)「日本人の男VS日本人の女」の対立を煽り、分断しろ!
(8)日本人同士で恋愛・結婚させない、子供を生ませないよう誘導しろ
(9)日本同士で結婚していたら離婚させる方向に仕向けろ!
(10)海外セレブやハーフモデルをもてはやし、「日本人は劣等人種だ!」と植えつけろ。!
(11)イケメンブームを定着化させ、「男は外見が全てだ!」と洗脳しろ。
- ソース -
電.通.グループ.会長.成.田.豊.は.朝鮮.半島.生まれ
http://ja.wikipedia.org/wiki/成田豊

548 :人間七七四年:2020/11/15(日) 22:26:50.97 ID:gvGpBzWn.net
>>542
通路といえば、浅井が織田を裏切ると織田足利政権の畿内と美濃のラインが近江にいる浅井勢で分断されかねないんすね

549 :人間七七四年:2020/11/16(月) 00:29:48.88 ID:oCjZy8x0.net
というか実際分断されかけて
近江南部へ重臣配置して凌いだ

宇佐山城:森可成の宇佐山城
永原城:佐久間信盛
安土城:中川重政
長光寺城:柴田勝家
横山城:羽柴秀吉(姉川後)
佐和山城:丹羽長秀(翌年磯野投降後)

550 :人間七七四年:2020/11/16(月) 12:35:28.77 ID:V/FuifvN.net
>>546
信長の娘や妹は家臣同然の家に嫁いだのが殆どでは
市が柴田勝家と再婚したことや娘の嫁ぎ先を考えたら一門の女性の中で軽いということはないはず

551 :人間七七四年:2020/11/18(水) 15:22:47.15 ID:xNkLK5+R.net
>>550
信長の妹は殆どが織田一門か尾張の大家、あるいは有力同盟者に嫁いでる。
他の姉妹と比べても、お市の方は嫁ぎ先がどこまでも格落ちしている。

552 :人間七七四年:2020/11/18(水) 15:38:05.26 ID:e5ZhLXFY.net
お前ら小和田哲男先生監修の新作本は読んだだろうな

鬼滅の日本史 (日本語) 単行本 ? 2020/10/10
小和田 哲男 (監修)
5つ星のうち3.9 4個の評価

553 :人間七七四年:2020/11/18(水) 18:59:08.22 ID:4KbX+FKB.net
小和田の監修本つうだけで名義貸しのゴミ本とわかる

554 :人間七七四年:2020/11/18(水) 19:20:16.95 ID:HdHsEJla.net
くらの方 ・・大橋重長(尾張国人)室
犬山殿 ・・・織田信清(犬山城主)室
神保氏張(越中守護代家庶流)室、信長死後稲葉貞通(美濃曽根城主)室
斎藤道三側室
遠山直廉(美濃苗木遠藤氏)室
お犬の方・・・佐治信方(尾張国人)室、信長死後細川昭元(京兆家)室
お市の方・・・浅井長政継室、信長死後柴田勝家室
小幡殿・・・織田信成(清洲城奪取で有名な信光の嫡子)室
栄輪院・・・織田信直(清洲三奉行藤左衛門家)室
津田出雲守(詳細不明、織田庶流か)室
飯尾尚清(尾張北島城主、赤母衣衆)室
乃夫殿・・・津田元秀(北庄から逃げ帰った三代官)室
信徳院・・・牧長清(尾張国人、斯波義銀の従兄弟)室
丹羽氏勝(尾張国人、林安藤と同時に追放されて名高い)継室
乃木九郎(詳細不明)室

記録少なくて評価しづらい者もいるけど
市の嫁ぎ先が格落ちとは思わんかな

555 :人間七七四年:2020/11/18(水) 19:22:32.36 ID:HdHsEJla.net
https://www.google.co.jp/amp/s/www.yomiuri.co.jp/culture/20201101-OYT1T50059/amp/

「家康を討つと思っていた」のではなく
「家康の援軍に行くと思っていた」
うーんそう読むかなあ?状況的にはありそうとは思うけど

556 :人間七七四年:2020/11/18(水) 20:17:15.51 ID:B+JdfNFs.net
いくら下っ端の武将でも家康を討つなんて意味不明な発想はしなかったということやな

557 :人間七七四年:2020/11/19(木) 15:14:26.65 ID:eH/fsb30.net
明智に理由が無くても信長に理由があれば家康を討つだろう
軍勢を連れずに上洛してる家康への援軍だとすると攻める相手は誰? そもそも家康と合流せずに明智単独で敵を撃ったほうが早いだろう
家康の護衛ということならまだわかるが万位上の軍勢と光秀自身の出馬はいかにも過剰

558 :人間七七四年:2020/11/19(木) 15:36:10.60 ID:o0knkD4x.net
>>557
>軍勢を連れずに上洛してる家康
彼等が家康が軍勢を連れずに上洛したことを知っていたとする根拠は?

559 :人間七七四年:2020/11/19(木) 17:07:29.95 ID:eJWmb6Tn.net
>>558
光秀は家康が少人数で行動してるの絶対知ってるよ
安土城で饗応する時に人数確認しないわけない

560 :人間七七四年:2020/11/19(木) 17:35:23.22 ID:lwizFEjk.net
>>559
この場合は惣右衛門ら配下の将兵のことだろうけど、そういうことを言い出したらそもそも彼らが家康の上洛を知っていたかってことになる
記録が疑われていたのはその点もあったのかと

561 :人間七七四年:2020/11/19(木) 17:48:38.78 ID:XWoUOTV2.net
まあ下っ端武将の妄想なんて何の意味もないわな
他の武将はまた別のことを考えていただろうしね

562 :人間七七四年:2020/11/19(木) 18:14:39.39 ID:lwizFEjk.net
書の内容が嘘じゃないとすると確かなのは早い段階で敵は本能寺にありはありえないってことと京に進路変更したことは周知されてたということかね
後者は単に惣右衛門個人が地理に明るかっただけかもしれないけど

563 :人間七七四年:2020/11/19(木) 20:57:35.91 ID:5IHYN+T9.net
本庄惣右衛門覚書の話をしてるのに
光秀が知ってたかなんて話は関係ないわな

そもそも光秀が何をどこまで知ってようと
それを何も聞いてはなかったって内容なんよ

>>562
明智の配下の兵なら亀山と京の行き来はあるだろし
方向真逆に歩いてるのくらいはわかりそう

564 :人間七七四年:2020/11/20(金) 17:30:40.86 ID:Xs3GAMcM.net
家康、安土での信長の饗応を見ると、信長の扱いは良いと思うけど、殺そうと周りの人間が勘違いする様な印象があったのかな

565 :人間七七四年:2020/11/20(金) 21:59:11.83 ID:R+Juu97i.net
甲斐武田征伐が終わり安土への帰還中の、家康の信長への心使いは目を見張るものであったと公記にある。道に土が巻かないように信長の前に水を撒く、道を整備し信長に脇の木が当たらないように切っておく、お茶やを何間か毎に準備する、川を渡るには人の背中と箱でその上を渡れるようにする、岡崎城に寄ったら饗応する、などなど、、もうね、上にも下にも置かないくらい信長のために配慮した道中を創ったのが家康です。そんな家康に深く感じ入った信長のお返しの安土での饗応ですよ。
とても信長が家康を殺そうとしたとは思えないけどね。

566 :人間七七四年:2020/11/20(金) 22:23:59.39 ID:0sKzOse1.net
あえて殺す必要がない
改易にすればいいだけ

567 :人間七七四年:2020/11/20(金) 22:36:44.95 ID:d4Z3ywuQ.net
「家康を討つと思っていた」は文章の読み間違いで
正しくは「家康の援軍に行くと思っていた」だったという話だよ

568 :人間七七四年:2020/11/20(金) 22:44:01.96 ID:EbX/dyJX.net
上洛している家康のどこに援軍が必要になるのか疑問

569 :人間七七四年:2020/11/20(金) 22:55:36.89 ID:L3miBum3.net
だから一兵士である本庄惣右衛門が
どう思ってたかという話でしかないんだって

彼は本能寺自体を知らなかった訳で
別に家康の供回りを把握してたとも限らない

570 :人間七七四年:2020/11/20(金) 22:55:40.96 ID:iz2k0goG.net
>>565
信長公記はあくまで後世の軍記だから補完史料のない記述をあまり信用するな

>>568
「家康が信長の命で出陣するために上洛した」って理解なんだろって話だよ。

571 :人間七七四年:2020/11/20(金) 23:31:14.64 ID:QcTwYBUn.net
「あれ?行き先違くね?」「家康様のとこに行くんじゃね?」
って話にってましたってだけな訳でしょ

572 :人間七七四年:2020/11/20(金) 23:37:11.22 ID:EbX/dyJX.net
個人がそう誤解したって話はわかるよ
ただ家康が援軍に行くならともかく、家康への援軍となると当時の状況的におかしくねって感じる

北条と手切れになったとかでもない限り

573 :人間七七四年:2020/11/20(金) 23:39:03.40 ID:d4Z3ywuQ.net
>>572
だから下っ端の武将の妄想なんだからどうでもいいんだよ

574 :人間七七四年:2020/11/20(金) 23:39:10.24 ID:u8++VLFL.net
>>564
というより、ほかに心当たりがない、という消去法による結論じゃなかろうか

575 :人間七七四年:2020/11/20(金) 23:46:37.81 ID:tk3ChUTD.net
本城惣右衛門の身分がどの程度か知らんが
下っ端が織田家の外交状況や同盟の将が今どこで何してるのか完璧に把握してたら、そいつ間者だと思う

576 :人間七七四年:2020/11/20(金) 23:55:38.26 ID:u8++VLFL.net
>>575
そんな大げさなものじゃないと思う
直前まで家康らの接待役は光秀が担当していたわけで、もし秀吉からの援軍要請が無かったら、
そのまま接待役として堺見物手配まで準備してたかもしれない
だとすれば、本城惣右衛門本人はさておき、もうちょっと上の上司くらいは、そのことを漏れ聞いていた
可能性もあるし、そうなれば下っ端も、「うちの殿さまは今、何の仕事をしとるんだぺか」くらいの噂話は
しててもおかしくない

577 :人間七七四年:2020/11/20(金) 23:58:51.13 ID:EbX/dyJX.net
仮にも自分が仕えている家のことだし多少は知っているんじゃね
それに新しい解釈が出たってだけでそれで決まりってわけでもないし

578 :人間七七四年:2020/11/21(土) 00:12:34.07 ID:ipYKe25t.net
でもさー、光秀は饗応やってた時は安土で饗応向けの料理人とか接待の専門家を連れてたであろうわけで
安土の警備は信長か秀忠の馬廻が担当してるだろうから
亀山の兵なんて兵は動員されてなかったんじゃね?
それが前日に招集かけられた状態で、うちの殿様が昨日まで何やってるかとか足軽は知らんよね
地理的に筑前様が毛利と戦されてるのうという知識はあるだろうから、
うちらもそっちにいくんかいのうと考えるんじゃないかね

579 :人間七七四年:2020/11/21(土) 04:04:41.04 ID:Hh/RIa7/.net
>>572
だから本庄惣右衛門が個人としてそう誤解したという話だって

初めからずっとそれについてしか言われてないのに
それがおかしいとか光秀なら知ってたかとか
変な方向に誤解してるやつがいるだけ

580 :人間七七四年:2020/11/21(土) 15:56:10.19 ID:uJdQEU5k.net
織田と言えば、柴田権六さんは、内政だってきちんとこなしているのに脳筋のイメージが強過ぎるな

581 :人間七七四年:2020/11/21(土) 16:15:42.36 ID:da/EnlRS.net
>>580
そりゃ小さくても領地持ちの家に生まれれば生まれながらの政治家やからな
秀吉やら光秀なんかの足軽出身や放浪ばかりしてた人間が政治家として有能な方がむしろ異常過ぎる

582 :人間七七四年:2020/11/21(土) 18:18:23.32 ID:6vWpKtke.net
>>572
毛利攻めへ家康麾下で出陣すると思ったのかもしれない

惣右衛門が都近辺にいる誰かを討ちに行くと理解したのならやはり家康を討ちに行くという解釈はおかしくないのではないか
家康討ちはありえないというのは現代人の解釈であり、本能寺の時に信長が城介が別心かと言った逸話があったり実際に一番あり得ないはずの信長討ちが目的だったのだから
親子だから主従だから同盟者だから討つのはありえないという世ではない

583 :人間七七四年:2020/11/21(土) 19:05:45.58 ID:ZVfXrn5e.net
行軍のあり方で何をしに京に向かっているかはある程度は想像がついていただろうな

584 :人間七七四年:2020/11/21(土) 20:18:02.87 ID:p2XakrEw.net
ついてないから間違った想像をしたんやろ

585 :人間七七四年:2020/11/21(土) 20:32:29.32 ID:OY6hf2Du.net
桐野さんは斎藤利三推しか。宝島社新書に続いて今度は吉川弘文館からまた本能寺の変の本出したし

586 :人間七七四年:2020/11/23(月) 13:08:21.82 ID:F36YGizj.net
>>584
従来の解釈では誰ぞを討ちに行くというのはあってるからな
中国まで長々と行軍するのと直近で戦をする予定なのとは軍装も違うだろうし

587 :人間七七四年:2020/11/23(月) 14:02:36.73 ID:ZmTOtX/e.net
>>586
軍装なんか変えたらそれこそ一般兵にも目的の変更がバレるだろ。そんなアホなことするかよ

588 :人間七七四年:2020/11/23(月) 15:05:44.10 ID:tQHu+hbQ.net
「其ゆへハ、のぶながさまニはらさせ申事ハ、
 ゆめともしり不申候。

「其折ふし、たいこさまびつちうニ、
 てるもと殿御とり相ニて御入候。
 それへ、すけニ、あけちこし申候由申候。

「山さきのかたへとこゝろざし候へバ、
 おもひのほか、京へと申し候。
 我等ハ、其折ふし、いへやすさま御じやうらくにて候まゝ、
 いゑやすさまとばかり存候。
 ほんのふ寺といふところもしり不申候。

Wikipediaにさえ載ってる内容
まず何しに行くか「ゆめとも」知らなかった
誰を討ちに行くかという以前の問題

当時「たいこさま」つまり秀吉が輝元と争ってたので
「すけニ、あけち」は行くと言っていたのだが
「山さきのかたへ」行くと思ったら「おもひのほか」
「京へ」行くと言った(言われた)
家康が上洛してたのは知ってたので
家康様だとばかり思っていた

「秀吉に援軍に行くと思ったら
 京へ行くので家康かと思った」
なので家康への援軍かと思ったという解釈だね
「誰を討ちに行くか考えて家康かと思った」
という訳し方はちょっと無理ある

589 :人間七七四年:2020/11/23(月) 15:59:17.32 ID:MKXnfC/S.net
>家康への援軍

それこそ無理矢理解釈だな。家康は手勢引き連れているわけでもないのに
その援軍なんてのはありえんでしょ。

590 :人間七七四年:2020/11/23(月) 16:08:46.27 ID:ZmTOtX/e.net
>>589
・家康が軍勢を率いていない、という情報が共有されていたという根拠はない
・結局は当時、現地の限られた情報の中での消去法的判断である

という事くらいは理解しようぜ。現在のお前が得ている情報量・内容と同じだと思うな。

591 :人間七七四年:2020/11/23(月) 16:49:06.48 ID:tQHu+hbQ.net
この文章読んで「家康を討つとばかり思ってた」は
受験の回答だと点あげられないと思うけどね

592 :人間七七四年:2020/11/23(月) 18:56:38.79 ID:RvCxbAof.net
個人的にはいくら一兵卒でも家康が兵を連れてはるばる中国地方行くと想像するのは無いと思うな

593 :人間七七四年:2020/11/23(月) 19:30:56.28 ID:TP6fKDho.net
文章の解釈うんぬんを言っているが、フロイスの報告書に「兵たちは家康を襲撃すると思ってた」と書かれてるんだから、
こっちのほうも同じ解釈でいいんじゃないの
特にフロイスは、「後世の解釈」じゃなくて「本能寺の変当時」の取材に基づいて書いてるんだろうし

594 :人間七七四年:2020/11/23(月) 20:21:17.01 ID:MKXnfC/S.net
>>590
ただ屁理屈こねてるお前よりも、自分の命がかかってる当時の人間の方が
よほど事情通だったと思うぞ。

595 :人間七七四年:2020/11/23(月) 20:34:43.10 ID:ZmTOtX/e.net
>>594
そんな100%根拠のない妄想を自慢気に語られても…

596 :人間七七四年:2020/11/23(月) 20:52:09.16 ID:MKXnfC/S.net
>>595
家康の名が出ると言うこと自体、安土で家康を饗応したということは知ってるのだろうし、
供周りの陣容(軍勢を引き連れてない)くらいは知れてるだろうという前提だが。

消去法ガーというだけの根拠無しの人間が何いってんだかw

597 :人間七七四年:2020/11/23(月) 22:38:56.47 ID:gSmce9Do.net
本城惣右衛門覚書が偽書でなかったとしても
本能寺の変から50年後くらいに書かれたものだから色々齟齬や記憶違いがある可能性も

そもそも本城惣右衛門の存在が他の記録でも確認できれば裏付けになるんだが

598 :人間七七四年:2020/11/24(火) 03:11:51.57 ID:xWZlcCjn.net
荒らしに言われても

599 :人間七七四年:2020/11/24(火) 03:12:21.48 ID:xWZlcCjn.net
>>595

600 :人間七七四年:2020/11/24(火) 08:24:18.48 ID:6q5Zhegk.net
>>596
それは安土にいた光秀は知ってるだろうけど
亀山から出陣した本庄惣右衛門は知らなかった
というだけだろう

今と違って情報を瞬時に共有する術もなく
末端の兵に共有する必要もない

601 :人間七七四年:2020/11/24(火) 08:36:35.34 ID:R7Fvc9K0.net
家康が来ているのは知っていたのに、兵を連れてこない饗応の為というのは知らないのは無理ある
援軍のためだったらビックニュースすぎる

602 :人間七七四年:2020/11/24(火) 08:55:22.61 ID:WRVesni9.net
ないでしょ

外国の要人が来日したとしてその供回りの人数も
世界の何処かで戦闘が起きたとしてその軍の規模も
現代の我々だって報道されないとわからない

「大名が上洛した」と聞いて兵も連れずにいると
想像する方が不自然だよ

603 :人間七七四年:2020/11/24(火) 09:07:14.44 ID:9ofMZcLm.net
つまり惣右衛門は兵を連れてないとは云え家康一行は一騎当千の猛将揃いだから
捕まえる・討ち取るには光秀の軍勢が必要だと考えたわけだな

604 :人間七七四年:2020/11/24(火) 13:18:52.00 ID:5IZcTOFW.net
>>596-597
50年後に書かれたものだから後で知ったらどうとでも書けるけどな
本能寺当時の個人の勝手な感想としても明智が麾下で従軍するなら何故信長様や信忠様ではないのか そっちの方が自然だろう

605 :人間七七四年:2020/11/24(火) 13:25:17.83 ID:6Us/jGOJ.net
>>600
己の主が接待役で家中挙げて接待準備をしてただろうに、その迎える一行の人数の
あらましも知らないと言うのは、惣右衛門迂闊過ぎだなw

606 :人間七七四年:2020/11/24(火) 14:00:12.96 ID:5IZcTOFW.net
接待の準備は主に坂本勢がやってたとしたら丹波の地侍の惣右衛門が知らなくてもおかしくはないかな
接待の詳細なんて上の連中しか知らないだろうし 地侍クラスだと関わっても物資輸送や道中整備くらいじゃないの

607 :人間七七四年:2020/11/24(火) 19:14:59.35 ID:6q5Zhegk.net
>>605
本庄惣右衛門が饗応を手伝う立場だった?
新説だけどそのソースは何?

本庄惣右衛門覚書では明智配下では
ほぼ丹波での戦に参加していて
そう言った文化面の活躍は伺えないし
本能寺にも丹波亀山から出陣して
その前に安土にいたとは書かれてない

608 :人間七七四年:2020/11/25(水) 15:13:06.34 ID:Zu0tCOEh.net
接待の準備なんて光秀と内政型の重臣が考えて手配は御用商人とかに丸投げじゃないの
丹波の家臣が総出で特産品をかき集めて来るわけじゃないし

609 :人間七七四年:2020/11/25(水) 17:27:11.29 ID:WsL0e5s7.net
襲撃の理由や状況が諸説あると言うのは義輝が殺された永禄の変も似た様なものだが

610 :人間七七四年:2020/11/25(水) 17:55:23.52 ID:pnynd+jy.net
家康が信長の接待受けて殿が責任者になったくらいに知っていたと見るのが自然でしょ
家康が軍勢引き連れてはるばる毛利攻めに向かってるなんて不自然すぎる

611 :人間七七四年:2020/11/25(水) 18:53:24.57 ID:AakrjFfQ.net
家康が絶対受けてるの知っててるとなんで
兵がいないという前提になるんだよ

612 :人間七七四年:2020/11/26(木) 03:04:28.09 ID:0OdgQWeH.net
というか兵がいないのなら明智軍団動かすまでもないんじゃ

613 :人間七七四年:2020/11/26(木) 09:58:12.40 ID:OSLxKJyS.net
そうなw

結局「何の説明もなかったから勘違いしてたわ」
って記述でしかないのよね
あり得るあり得ないで論じるのが微妙

614 :人間七七四年:2020/11/26(木) 11:19:01.86 ID:wJfOWpnd.net
名目は秀吉の援軍なんだから兵は動かすでしょ

615 :人間七七四年:2020/11/26(木) 12:01:37.06 ID:7Lcp1A2I.net
逃げられないように各地を封鎖するために必要

616 :人間七七四年:2020/11/26(木) 17:36:43.15 ID:eBgdhVMl.net
>>609
近年では長曾我部絡みとか稲葉と揉めてたとかの説もあるがどちらも斎藤利三絡みだよね
前者は妹婿、後者は旧主で義父 移籍で揉めて信長から切腹命令が出ていたとも
信長を殺すという一大決心する原因を一つに限るのが間違いかも
>>610
家康はかって眼前に今川や武田という強敵を抱えながら浅井や朝倉を攻めるのに出陣してる
武田が滅んで当面の敵がいないのなら甲州征伐のお返しに兵を出すのはおかしくはないのでは

617 :人間七七四年:2020/11/26(木) 20:34:09.44 ID:yDedfNLa.net
>>616
家康が近畿に援軍に行ってたのは知らない人はいないが、毛利攻めといったら全然距離も負担も違うし、現実にあったとしたら大ニュースである
明智の兵卒が想像するにはあまりに突飛すぎる
普通は明智の家臣なんだから家康が饗応を受けるため、少ない手勢で上洛したことくらいは知ってたとみるのが自然
それ以外にどうして明智の兵卒が家康が上洛していたことを知り得るのか?
家康が毛利攻めの援軍のため上洛しているという噂でも流れていたのか?

618 :人間七七四年:2020/11/26(木) 20:54:22.27 ID:rXM7xkug.net
家康を討つというほうがもっとありえない妄想だけどな

619 :人間七七四年:2020/11/26(木) 21:21:43.27 ID:OSLxKJyS.net
「信長の毛利攻め」がすでに大ニュースとして
世の中駆け巡ってるでしょ
そのなかで徳川がどうかというのはそこまで大きくない

620 :人間七七四年:2020/11/27(金) 12:35:00.00 ID:lswLdGGh.net
もはや天下統一への過程に入る段階であり中国への出陣は遠すぎるとかは無いのでは
基本的に通るのは安全な織田領内 南北朝の北畠みたいに戦いながら奥州から畿内まで突き進めとか言ってるわけじゃないし

621 :人間七七四年:2020/11/27(金) 12:45:24.87 ID:YX37I7Ks.net
信長も信忠も援軍に行くのに何で家康の援軍なんだ?

622 :人間七七四年:2020/11/27(金) 14:48:29.63 ID:7aaZlHY3.net
信長信忠に先駆けて秀吉の援軍に行く途中
だったからじゃね?

本能寺も知らなかったというから
信長信忠のリアルタイムの居場所も
知ってたかわからんし

623 :人間七七四年:2020/11/27(金) 16:01:07.73 ID:lswLdGGh.net
光秀自身が信忠の居場所を正確に掴んでなかった可能性も
いろんな動機の節があるけど野望説以外は信長を殺せれば一応達成できるし
父子共に殺して織田の転覆を目論むのなら当初から妙覚寺に兵を向けないのは不自然なのよね
信忠が逃げたり本圀寺の変みたいに粘って援軍が来たら不味いのは明らかだし

624 :人間七七四年:2020/11/28(土) 09:05:24.72 ID:rAN4E34/.net
そもそもフロイスの日本史に明智の兵は家康を討つと思ってたって普通に書いてるじゃん

625 :人間七七四年:2020/11/28(土) 09:53:44.68 ID:n/m/zsa3.net
普通に合わせ技で一本だよな
信長がそんな風に思われてないと信じたい人が言い張ってるだけ

626 :人間七七四年:2020/11/28(土) 10:22:36.78 ID:9Fb/zym8.net
フロイスが描いたソースと
本庄惣右衛門の考えは
単純に同一視できないでしょ

フロイスはあちこちに話を聞いた結果を書いてて
家康を討つと書いてるけど
本庄惣右衛門は自分個人が思ったことを書いてて
すけに行く相手のことと読める

627 :人間七七四年:2020/11/28(土) 11:00:21.74 ID:QYPUeVia.net
今さらながら、この説の家康の援軍というのは言葉の使い方がおかしいな
秀吉の援軍に向かう際に家康と合流するという意味だな

628 :人間七七四年:2020/11/28(土) 11:58:10.50 ID:sRpnEzkl.net
>>624
本城惣右衛門覚書には「家康を討つと思った」とは書かれてないよ
って話を今しているんじゃん

629 :人間七七四年:2020/11/28(土) 16:06:19.34 ID:t2fjhPKq.net
狸が信長のところに挨拶に行くのに連れていた連中だけで、出征部隊は近江から摂津、大阪辺りまでの間のどこかに主力の三千は待機させとるだろ。

630 :人間七七四年:2020/11/28(土) 17:17:09.87 ID:lh4AnrI3.net
それは無理矢理

本庄惣右衛門が家康へのすけかと誤認しただけ
その三千のことは全く記録がないので
本庄惣右衛門が単に間違えただけで話は終わり

631 :人間七七四年:2020/11/28(土) 17:59:25.32 ID:29YYNw50.net
本城惣衛門の文章を「家康を討つ」という意味ではない、って解釈しようとするのって、ひょっとして
本能寺の変の真相が、「実は信長の命で家康を殺す計画だったのを逆用して光秀が信長を討ってしまった」ものだった
という明智憲三郎氏他の唱えてる珍説を否定しようとした話から出てるの?

632 :人間七七四年:2020/11/28(土) 18:33:37.82 ID:UIPVAbHo.net
本城惣右衛門覚書は天理大所蔵
今回の新解釈も天理大の教授発

天理大教授がどんな立ち位置なのかは自分は知らんが

633 :人間七七四年:2020/11/28(土) 18:43:10.84 ID:z8xcWaoX.net
>>629
待機してた3千がいるのなら伊賀越えの時に合流しないのは不自然
近江はともかく少なくとも堺近辺にはいないだろう

634 :人間七七四年:2020/11/28(土) 18:55:21.99 ID:9Fb/zym8.net
「秀吉の援軍に行く筈が京へ行くというので
 当時上洛してた家康かとばかり思っていた」

としか書いてないからなぁ

それをどうしても「家康を討つと思ってた」と
読みたい人は逆に何なんだろなと思っていたけど
なるほと明智憲三郎を支持したいのかな?

635 :人間七七四年:2020/11/28(土) 19:06:10.71 ID:z8xcWaoX.net
>>634
いや「家康を討つと思ってた」を否定するための新説の「家康の援軍に行くと思っていた」がもっとおかしいだけ
信長様や信忠様と合流して出陣するという思考にならないのがな

636 :人間七七四年:2020/11/28(土) 19:13:34.52 ID:fW+SGj2J.net
この議論マジで意味なくね?
仮に最初家康への援軍だと思ったとしても軍列が戦闘モードになった時点で「ああ援軍じゃなくて家康討ちか」って認識に変わっただろうし

秀吉への援軍(→家康への援軍)→家康への討ち入り

この()内のワンクッションが入るかどうかの違いだけでマジで何の意味もない
具体的には京に行き先が変わった時点で京にいる敵を討つことまで告げられてたなら最初から家康討ちだと思っただろうし、京に行く途中で告げられたのならワンクッションが入る

実際の原文だと家康だと思ったのくだりの次の段階からもうスムーズに戦闘が始まってるから、途中で認識が変わった可能性は低いと個人的には思うけど、仮に途中で変わってたとしても別にだから何なんだレベルの話のような

637 :人間七七四年:2020/11/28(土) 20:31:04.72 ID:sRpnEzkl.net
>>635
文章の読み間違いだったのだから「家康を討つと思ってた」はもう存在してないんだよ
ないものを否定するもないもないやろ

638 :人間七七四年:2020/11/28(土) 20:35:44.20 ID:sRpnEzkl.net
途中やった
そりゃ信長に合流すると考えるほうが自然だけど
間違った想像をするのはおかしいというのはもっとおかしいわな

639 :人間七七四年:2020/11/28(土) 21:15:22.09 ID:lh4AnrI3.net
>>635
元になってる文書に家康を討つとは書いてないんだって

640 :人間七七四年:2020/11/28(土) 21:34:54.03 ID:rAN4E34/.net
当たり前だけど家康の援軍に行くとも書いてないよ
いゑやすさまとばかり存候。だけだからな

641 :人間七七四年:2020/11/28(土) 21:38:46.65 ID:lh4AnrI3.net
だからその前の「すけニ」から
「討つ」に転換したと取る理由がない

642 :人間七七四年:2020/11/28(土) 22:46:26.31 ID:rAN4E34/.net
家康の援軍に行くと思ってる本城さんがそのまま特に新しい説明を受けた記述もなくノリノリで本能寺に攻め行って首級2つ上げてドヤ顔って新手のギャグかな?

643 :人間七七四年:2020/11/28(土) 23:27:37.10 ID:mBxLLQga.net
>>642
そもそも家康を云々も個人の想像に過ぎないわけだっつーに

644 :人間七七四年:2020/11/28(土) 23:30:51.92 ID:mwDYKU/r.net
フロイスもそう書いてるんだから明智の兵にとって、信長が家康を討つのは想像の範囲内で間違いない
本城も通説通りでいいよ

645 :人間七七四年:2020/11/28(土) 23:33:31.82 ID:mBxLLQga.net
>>644
なんで完全に外部の人間のフロイスと、玄蕃に居た本城が一緒の感想を持ったと思うんだよ?その根拠は?

646 :人間七七四年:2020/11/28(土) 23:58:50.40 ID:rAN4E34/.net
>>643
その個人の想像の中ですら心理描写が矛盾してるから言ってるんだけど

本当に疑問なんだが、家康への援軍だと思った派の人は結局いつ本城がこれが援軍じゃないことに気付いて、誰を強襲すると想像し直したと思ってるんだ?
もしあの時点で家康への援軍だと想像してたなら、どこかのタイミングでその想像すら覆った訳で
合流先の転換より援軍目的から強襲目的への転換の方が遥かに衝撃的だろうに、そのへんの記述がどこにもないのは何故だと思ってるんだ?

なんでそんな無理やりな解釈するのか本当に不思議
明智の自称子孫のクソみたいなトンデモ珍説に付き合うために別のトンデモ珍説作ってちゃ訳ねえわ

647 :人間七七四年:2020/11/29(日) 00:03:41.61 ID:6TntP8X0.net
攻めるのだと知ったのは攻めろと命令された時
その時点で誰を攻めたかはわからなかったと
想像ではなく本庄惣右衛門自体が書いているよ

648 :人間七七四年:2020/11/29(日) 00:06:22.14 ID:6TntP8X0.net
何の説明も受けずにただ命令通り攻めたと言う文章を
想像して納得の上にやったのだと読むから変になる

元より命令通りに戦うのが仕事なんだよ

649 :人間七七四年:2020/11/29(日) 00:15:46.19 ID:IBzR5QX4.net
>>647
誰を攻めたか分からなかったってどの文章?
うへさましろききる物めし候ハん由、申候へ共、のぶながさまとハ不存候。
↑これのことなら「信長様とは思わなかった」としか書いてないけど
他の文章なら引用してくれない?

あとその解釈なら攻めろと言われた時はかなり衝撃を受けたと思うんだけど、その「攻めろと言われた時」の記述すらないのは何故?

650 :人間七七四年:2020/11/29(日) 00:51:38.62 ID:6TntP8X0.net
それだよ

信長さまとは思わなかった
秀吉を助けに行くと思ったが今日に行くので
家康かとばかり思ってた

誰か分かった上で攻めたとは書いてないからなあ
衝撃を受けた云々なんてことも書いておらず
あなたが想像で補ってるだけだよね
家康を攻めると思ったと言うのも同じ

651 :人間七七四年:2020/11/29(日) 01:11:18.11 ID:uddjXI/a.net
あえて言えば衝撃を受けたとしたら
「夢ともしり不申候」信長を攻めたこと
しかも文章を読む限り事後に知ってのことかね

652 :人間七七四年:2020/11/29(日) 01:15:06.52 ID:b5psSCBa.net
明智の家臣のくせに家康が接待のためではなく、毛利攻めに向かってると思ってるとするのが一番の想像だけどね

653 :人間七七四年:2020/11/29(日) 01:22:10.04 ID:6TntP8X0.net
それは惣右衛門の想像
>>588の通りに書いてある

654 :人間七七四年:2020/11/29(日) 01:34:15.03 ID:b5psSCBa.net
だ、か、ら
家康が軍勢連れて毛利攻めに向かってるっていうのが貴方の最大の想像
明智の家臣なら家康が接待のため来ていると知ってるとみるのが自然

655 :人間七七四年:2020/11/29(日) 01:37:05.76 ID:0w4elwvo.net
書いてある通り読めって話と 明智家臣だからある程度情報共有してるはずだろって話

お互いどうせ話聞く気もないんだからやめたらいいんじゃないの?

656 :人間七七四年:2020/11/29(日) 01:43:13.96 ID:b5psSCBa.net
そもそもフロイスの記録があるので本城はともかく、多くの兵は通説通り家康討つと思ってたで間違いがない
本城1人の解釈が変わったところで全く大した話ではないし、フロイスの記録がある以上最低でも解釈は平行線で終わる話

657 :人間七七四年:2020/11/29(日) 01:54:57.66 ID:UlRvxxj0.net
って言うかもしあれが家康への援軍って意味でも
戦いになった時点で本城も家康への援軍から家康への攻撃に認識を改めただろうから結局他の兵士と同じのような

658 :人間七七四年:2020/11/29(日) 07:02:45.01 ID:tjSTQYGp.net
あのう、226の時も下っ端の兵隊レベルだと討伐軍に包囲される迄、反乱やっていたのか分からなかったと言うし、侍大将レベルなら兎も角、下の方は本能寺にいる事すら知らなかった可能性が。

659 :人間七七四年:2020/11/29(日) 08:49:55.76 ID:Sibme+8e.net
まあ本城惣右衛門はがっつり強襲に参加してるけどな

660 :人間七七四年:2020/11/29(日) 08:52:43.81 ID:3uXKfox8.net
家康を討つはもう完全否定されているのだから
家康の援軍はおかしいというなら他の読み方を提示しなきゃ駄目やろ

661 :人間七七四年:2020/11/29(日) 08:54:34.09 ID:6TntP8X0.net
>>654
誰も家康が毛利攻めに向かってたと主張してないぞ
本城惣右衛門がそう勘違いしたってだけ

662 :人間七七四年:2020/11/29(日) 09:08:53.43 ID:uL5VGVmD.net
学者一人が否定すると完全否定されたことになると思ってる人は色々ヤバそう

663 :人間七七四年:2020/11/29(日) 09:28:40.15 ID:3uXKfox8.net
>>662
読み間違いとかじゃなくて、そんなことは書いていなかったって話だからな
完全否定やろ

664 :人間七七四年:2020/11/29(日) 09:58:33.58 ID:0NQccTs+.net
恣意的な段落の切り方をしている気がする

665 :人間七七四年:2020/11/29(日) 10:35:02.75 ID:cT0QIvFY.net
別の話で申し訳ないけど本城惣右衛門

本能寺で「くびハうちすてと申候まゝ」とあった後も
「そこにてくび又一ツとり申候」
「其時、共ニくび以上二ツとり申し候」
と淡々と首取り続けてるのなんかw

首取り無用、首打ち捨てって時間を取られないために
首取り自体をやめろという命令と思うけど
それでも現場は取り敢えず殺したら首取ってたんかな

666 :人間七七四年:2020/11/29(日) 11:49:58.31 ID:ajwkpj2B.net
首を取って(トドメを刺して)から、通常は首実験のために持ち帰るものを、
捨てろという命令だからそこらにうち捨てててるんだろ

667 :人間七七四年:2020/11/29(日) 13:38:39.45 ID:r3pqIXOv.net
現物の首のうち捨て命令と、戦闘経過での殺害の意味での首取りとで、
別の意味なんだろ。

668 :人間七七四年:2020/11/30(月) 12:53:08.09 ID:xnpn0Sg6.net
光秀の苗字、惟任から明智と書かれる様に戻ったのはいつ頃で何でなのかな?

669 :人間七七四年:2020/11/30(月) 13:10:11.56 ID:Tojw++GN.net
麒麟の信玄が肖像画そっくりと話題に上がっているけど
あの肖像画、信玄じゃなくて畠山氏だと言われて久しいが
世間一般のイメージはまだまだ強いのだな

670 :人間七七四年:2020/11/30(月) 13:32:48.06 ID:PELkRFJe.net
>>669
出家してたから頭が坊主というのは間違いないのでは
労咳だったから肥えてたというのは疑問だけど

671 :人間七七四年:2020/11/30(月) 14:23:02.96 ID:0jn1IDO6.net
あのおなじみの肖像画はよくみると髷が後ろの方にちょこっとあるしヒゲもモミアゲもある
つまりはあれはただのハゲ

672 :人間七七四年:2020/11/30(月) 19:57:58.26 ID://tAJ5ML.net
家忠日記の西国に出陣するっていう話が毛利攻めの事だっていう見解あるよね

https://www.komazawa-u.ac.jp/facilities/museum/file/ietada_yokoku02_hon-noji.pdf
これとか

673 :人間七七四年:2020/11/30(月) 20:49:22.38 ID:GJQMPSnz.net
信澄が明智の仲間ってデマはどこから流れたんだろ

674 :人間七七四年:2020/12/01(火) 08:18:52.53 ID:4jTvPX95.net
信長が管領や副将軍断って大津、草津、堺に代官置く事を望んだって話、軍記にしか載ってないんだっけ?

675 :人間七七四年:2020/12/01(火) 12:27:05.38 ID:0Jwu8R71.net
>>673
光秀の娘婿だったからグルと疑われても仕方ないが、遠征準備で信孝や長秀達と大坂にいたのが運の尽きだな。
同じく娘婿の細川忠興みたいに国許にいれば光秀に与しない表明して秀吉に付くことも可能だったのに。

676 :人間七七四年:2020/12/01(火) 13:49:48.03 ID:Uz2SPO7V.net
一門の席次が高い信澄を騒動に乗じて消したという陰謀論もあるな

677 :人間七七四年:2020/12/01(火) 14:04:20.32 ID:Uz2SPO7V.net
>>675
国許といっても近江だからねえ 明智に付かないのは難しい選択かと それとも籠城してやり過ごすか
どこにいても疑われるのは間違いはなさそう
結果的に悲惨な最後になったが四国攻めの副将格というのは栄転だったのにな

678 :人間七七四年:2020/12/01(火) 17:08:21.48 ID:HGYbhCf2.net
というか信澄は本領こそ近江だが
宣教師から大阪の司令官言われるほど
大阪常駐してたからな

そこに遠征のために信孝丹羽の方が来て
信澄がそれを支援してる状態

679 :人間七七四年:2020/12/02(水) 17:27:30.25 ID:RQCtATLQ.net
フロイスが本能寺の変に参加した明智の兵に「ドウダッタ?」って聞いてる姿が想像できない

680 :人間七七四年:2020/12/02(水) 18:35:03.03 ID:noOb1VdJ.net
そういうことまで疑いだしたらキリがない
信長は比叡山焼き討ちとか家臣粛正とかやってるから多くの人から恐怖の対象だったし、家康粛正も想像の範囲内

681 :人間七七四年:2020/12/05(土) 12:42:30.46 ID:cWLpYkeA.net
武士は馬に乗って戦う事はなかったって主張した研究者がいたけど、西国の武士限定の話って反論されて、結局どうなったのかな

682 :人間七七四年:2020/12/05(土) 13:08:44.51 ID:lu7mVXpk.net
馬に乗って戦う奴もいた
実際の戦場を見たこともないやつがアレコレ言ってるの滑稽だったわ

683 :人間七七四年:2020/12/05(土) 13:12:11.66 ID:YWsNNJa7.net
お戦国時代の戦場経験者

684 :人間七七四年:2020/12/05(土) 19:12:35.36 ID:nTZUVwi4.net
モンゴルや西洋式の集団騎兵戦術の否定は鈴木や藤本がやっていたと記憶しているが
馬上戦闘の全否定なんて聞いたことないな
その研究者って具体的に誰の事なんだろう

685 :人間七七四年:2020/12/05(土) 19:17:56.31 ID:eSknG6OA.net
馬上戦闘を全否定しちゃうと良い鎧を着てる武将は足軽より機動性で不利だよね

686 :人間七七四年:2020/12/05(土) 19:54:21.55 ID:Z0N+W521.net
馬上戦闘の全否定は知る限りではみなもと太郎

687 :人間七七四年:2020/12/05(土) 20:13:39.62 ID:lu7mVXpk.net
馬上戦闘全否定てどう考えてもアホだよな
じゃあ流鏑馬とかなんなんだよw

688 :人間七七四年:2020/12/05(土) 20:41:10.48 ID:XXUfW1o7.net
絵巻物でめっちゃ馬乗って戦ってるしな

689 :人間七七四年:2020/12/05(土) 22:46:19.47 ID:6BEIcOrv.net
領地や城には馬場があり
陣地を作れば馬防柵を用意し
乗り入れや乗り込みといった戦術が記録に残っている

690 :人間七七四年:2020/12/06(日) 01:32:54.33 ID:DmCKJEGp.net
「武士は馬に乗って戦う事はなかったって主張した研究者」

そもそもこいつが騎乗戦闘否定してないちゅうのがなw
ミスリードに引っかかったネット民が武士は馬に乗って戦う事はなかった!つってるだけで元からそんなこと言ってる研究者はいないちゅう

691 :人間七七四年:2020/12/06(日) 13:39:32.09 ID:IrfUKYLA.net
戦国時代でも数十騎単位での騎兵の集団運用は腐るほどやってるんやけどな
数十騎は集団じゃないとか言い出したらアホかなと思うけど

692 :人間七七四年:2020/12/06(日) 19:23:57.92 ID:DmCKJEGp.net
そんなことも言ってはいない

693 :人間七七四年:2020/12/06(日) 20:21:56.78 ID:QcVorspO.net
>>692
そこまでくると
それじゃあ何を言ってたんだって話になってくる

694 :人間七七四年:2020/12/06(日) 22:01:29.77 ID:DmCKJEGp.net
元の本はマジで大したこと書いてないよ
アニメや映画の表現にある騎馬だけの単機能騎馬「軍団」は戦国時代にはないちゅうどうでもいい主張
それじゃ本が売れないからミスリード誘う文章で書いててまんまと引っかかったのがネットやセンゴクの騎乗戦闘なかった論

695 :人間七七四年:2020/12/07(月) 07:31:00.60 ID:1JyDB1tC.net
>>694
これ「軍団」って言い直して誤魔化しとるやろ

696 :人間七七四年:2020/12/07(月) 07:33:26.29 ID:1JyDB1tC.net
ぶっちゃけ「軍団」なんて呼べる騎馬部隊なんて後にも先にもモンゴル帝国を代表とする騎馬民族だけ
ヨーロッパだって適時騎馬隊を切り離して使う戦術的な部隊レベル止まりやし

697 :人間七七四年:2020/12/07(月) 10:13:36.46 ID:1OFKg9qZ.net
近代兵科としての騎兵とは別物だよ
程度の話だな

698 :人間七七四年:2020/12/07(月) 10:57:30.69 ID:A5rtewhb.net
そもそも馬の種類も違うしな
当時はわりと臨機応変に戦ってたよ

699 :人間七七四年:2020/12/07(月) 20:20:40.66 ID:L0hN1dEq.net
当時の戦国時代のムック本で戦国時代の日本の馬はポニーだったとか書いてたのがあったな
ご丁寧にポニーに砂袋か何かの重りを付けて走らせたら、すぐに息切れしたみたいな阿呆な実験までして

700 :人間七七四年:2020/12/07(月) 21:42:51.04 ID:9EvycBGW.net
区分的にはポニーで問題ないんじゃない
その実験したポニーってのが体高130くらいあるのかどうかは知らんが

701 :人間七七四年:2020/12/07(月) 22:06:15.14 ID:i0UU9ROo.net
昔の鍛えられたポニーと今のポニーは同じなのか?という

702 :人間七七四年:2020/12/07(月) 22:21:57.47 ID:0PScSrQJ.net
少なくとも昔の軍用馬は訓練させてたはずだしな

703 :人間七七四年:2020/12/07(月) 22:35:46.23 ID:Y0D3urim.net
ポニーは肩までの高さが147cm以下の馬の総称なんで上限近くは普通にデカい
モンゴル騎兵も中世ヨーロッパ騎士も乗っていた馬も区分で言えばポニー
ポニーだからウンタラは実際のポニーの区分と一般にイメージする100cm以下のシェットランドポニーのギャップをを付いた印象操作でしかない

704 :人間七七四年:2020/12/07(月) 22:54:38.76 ID:N9pFND3g.net
そもそもその手の実験をしたけりゃ
木曽馬等在来馬を飼育してる牧場はある

例えばこれ
https://twitter.com/kisouma_bokujo?s=21
(フォローしてると1日一回馬動画を観れるステキ垢)

ポニーで実験する時点で恣意的な結果が欲しいか
単純にリサーチ不足知識不足
(deleted an unsolicited ad)

705 :人間七七四年:2020/12/08(火) 00:11:43.22 ID:35QWXaSc.net
木曽馬使った実験だと余裕で騎馬突撃できます。だったな

706 :人間七七四年:2020/12/08(火) 14:40:23.01 ID:Tig9fjKx.net
伊賀の乱に騎馬で乗り入れってあった気がする
これも山の中だね

707 :人間七七四年:2020/12/08(火) 18:15:00.19 ID:vMx1Vr+a.net
そもそも武士が戦の時、馬から降りて戦ったなんて史料はフロイスの記録くらいしか知らないけど、他にも何かあるの?

708 :人間七七四年:2020/12/08(火) 18:56:44.54 ID:WpGm090Y.net
鉄砲隊の前に騎馬突撃する馬鹿はそういないだろうから戦国末期は乱戦になる前は降りて戦ったりもしただろう

709 :人間七七四年:2020/12/08(火) 19:23:15.51 ID:htY/Dhos.net
馬防柵を張ったくらいだから馬で突撃するのはよくあったのでは

710 :人間七七四年:2020/12/08(火) 19:33:39.29 ID:wHMS4+2V.net
そもそも敵の攻勢を防ぐ「弾幕」を志向するような意味での
「鉄砲隊」は、信長のところも含めて、戦国期には存在しなかったと思われる。
戦国期の鉄砲隊って、現代的に言うなら狙撃兵の集団だな。

711 :人間七七四年:2020/12/08(火) 19:40:27.77 ID:NPl0JbNl.net
馬廻りの中に鉄砲隊とか弓隊があるんだと思ってた
適性のある道具で専門にした方が効率よさそう

712 :人間七七四年:2020/12/08(火) 20:17:35.92 ID:RGwbdwgJ.net
そういや今は高坂って春日虎綱って方が主流になってるのか

713 :人間七七四年:2020/12/09(水) 17:34:40.12 ID:sTaDTVhj.net
穴山信君の読みが「のぶただ」だったことに違和感が

714 :人間七七四年:2020/12/09(水) 18:11:02.12 ID:Xs+A75HU.net
>>713
最後の君って名前だったのか

715 :人間七七四年:2020/12/09(水) 18:28:17.71 ID:UoEbboR1.net
のぶくんw

716 :人間七七四年:2020/12/10(木) 11:01:03.50 ID:fvnD+SCg.net
通説だと信長と義昭は最初から仲が悪くて揉めてたって感じだけど
最近の説だと最初は協調関係で、信玄の西上作戦がきっかけで決裂ってことになってる

で、新説だと殿中御掟は信長と義昭の決裂を表したものじゃない
ってことになってるんだが、本当にそうなのか?イマイチ納得できんわ
殿中御掟の内容は従来の将軍家の役割はこれぐらいなんだからそうしろっていう意見書みたいなもんで
こんなん受け取ったら義昭キレるだろ

717 :人間七七四年:2020/12/10(木) 11:12:37.97 ID:bcPmQbhp.net
>>716
信長が要求したというより、義昭のスタッフと協議した上で、信長からの意見、として提出されたものらしい。
つまり一種の施政方針

718 :人間七七四年:2020/12/10(木) 11:13:03.90 ID:f+6ZbZaM.net
表面に見える決裂は三方ヶ原の後だけど、実際は大河ドラマとかと同じで従前通りの時期だと思うね
一次史料だけで歴史を語ろうとするとおかしくなる

719 :人間七七四年:2020/12/10(木) 11:50:12.96 ID:bcPmQbhp.net
表面に見える部分でも例えば義昭の近習と秀吉などが共同で仕事をしているし
決裂していない。

720 :人間七七四年:2020/12/10(木) 12:21:34.14 ID:xOvEaKEX.net
普段は内心では不満を貯めこんでいるがほとんど表に出さず、機会が来ると突然極端な行動に出て周囲を驚かせるタイプかもしれない

721 :人間七七四年:2020/12/10(木) 12:25:21.12 ID:f+6ZbZaM.net
義昭の手紙が残るわけないよ
送り先の大半は滅んでるし

722 :人間七七四年:2020/12/10(木) 12:26:20.87 ID:iMgDcLpF.net
ノブはギリギリまで室町幕府を維持しようとしていた
義昭が牙を剥いてくるまで…

723 :人間七七四年:2020/12/10(木) 14:22:51.16 ID:fvnD+SCg.net
>>719
クソ仲が悪くても一緒に仕事ぐらいするだろ
普通のこと

724 :人間七七四年:2020/12/10(木) 14:23:48.34 ID:fvnD+SCg.net
>>720
その可能性もある、一度信長の決裂してからは
どんなに不利な状況になっても信長に反抗し続けたし

725 :人間七七四年:2020/12/10(木) 14:27:24.76 ID:bcPmQbhp.net
>>723
「仲が悪い」と決裂は全くの別物だぞ

726 :人間七七四年:2020/12/10(木) 16:59:54.46 ID:WqAn93fS.net
腹の中でどんな考えしてようが決裂はしていないし
腹の中で何考えてるかなんてわかるはずもなければわかるべきでもないんだから
行動として決裂していない、それだけの話でしょ

727 :人間七七四年:2020/12/10(木) 17:03:02.36 ID:FickFIUX.net
義昭の息子って信長のところにいたんだよね?
再興のチャンスあったかもしれないよね

728 :人間七七四年:2020/12/10(木) 18:13:49.90 ID:JhgizJDZ.net
>>716
>最近の説だと最初は協調関係で、信玄の西上作戦がきっかけで決裂ってことになってる

信長が思ったよりピンチな上に武田信玄まで攻めてくる、と知った義昭が、巻き添えになっちゃかなわん、と
「おれは、こいつとは関係ないからねっ!」ってやった説というのは、解説の記事で読んだな
義昭が将軍としての仕事を全然しなくて、働き者の信長がイライラし始めてた、という説と並んで、義昭との人間関係が
他人事ながら笑えてくるね

729 :人間七七四年:2020/12/10(木) 18:18:58.82 ID:jRmY1efP.net
なぜあのタイミング?義昭が馬鹿だから。
な、従来の説はもうちょっとどうにかしたいところではあるな

730 :人間七七四年:2020/12/10(木) 18:36:33.87 ID:SI9k3DTG.net
信玄が病没しないならあのタイミングが悪いこともないのでは
足利幕府には鎌倉幕府や徳川幕府みたいな動かせる大軍がいないし自力で挙兵できるタイミングを待ってたら永遠に来ないのでは

731 :人間七七四年:2020/12/10(木) 19:23:52.73 ID:7cBAgcwr.net
義昭の時点では室町幕府自体詰んでる

732 :人間七七四年:2020/12/10(木) 19:27:56.15 ID:8k4Psv7M.net
殿中御掟が研究対象として発見されたのは比較的最近と見た気がするけど
どこで見たのか忘れた

詳しい人知ってたら教えて

733 :人間七七四年:2020/12/10(木) 20:30:35.55 ID:f8nbViIV.net
永禄12年-13年の殿中御掟で幕府を信長中心に
運営することが確認された
これが幕府サイドも含めた合意とされる

ただその後も義昭は無断での御内書を発して
当然独自の外交を繰り返していたと見られ
元亀3年に17箇条が突きつけられ決裂

途中の元亀改元も信長が反対したのを
出兵中に義昭が実現したという話あるけど
だとしたらその段階で幕府と織田は強調しつつ
義昭はそれを無視する動きをしてるということだな

734 :人間七七四年:2020/12/11(金) 12:56:55.70 ID:oX8WaOkA.net
幕府内で陰湿な信長外しが行われつつあったのでは?

735 :人間七七四年:2020/12/11(金) 17:17:00.41 ID:ONxFGthL.net
七将が石田三成を襲撃した時徳川家康が仲介し光成を匿った件に違和感覚えるんだよな。
光成を匿えば、「おのれ徳川も三成派だっかか一緒にやっちまえ!」ってなるはずだし
家康の「ここで三成を生かしておけば奴らは光成憎さからわしに味方するであろう」ってのも
むしろその一件がしこりとなり、徳川は常に光成の味方であるという疑いをかけられ
光成を襲った連中は反光成以上に反徳川になるとおもうんだが。

736 :人間七七四年:2020/12/11(金) 17:32:14.42 ID:7ket1B2B.net
事実じゃ無い話を元に考察されてもなあ……

737 :人間七七四年:2020/12/11(金) 17:43:55.22 ID:ZkBCYeZz.net
三成が籠もったのは伏見の自邸で長盛ら他の奉行もいたって話だし、そもそも襲撃すらなかったって説もあるからな
清正も一貫して家康派だったわけではなく、三成に対する家康の裁定が不満で反家康派になり上洛をしばらく禁止されていたし

738 :人間七七四年:2020/12/11(金) 17:50:43.78 ID:PANZXWrL.net
ちょっと意味が分からない

739 :人間七七四年:2020/12/11(金) 18:16:43.89 ID:ls6o+deE.net
>>735
その話が事実かどうかは別として250万石の筆頭大老を「一緒にやっちまえ!」は絶対に無いわな

740 :人間七七四年:2020/12/12(土) 09:17:38.54 ID:WYsigobP.net
柳生十兵衛の片目

741 :人間七七四年:2020/12/12(土) 10:07:11.98 ID:5MoVaShv.net
>>708


クリミア戦争の時に英軍がやらかしたのは成功したぞ。

742 :人間七七四年:2020/12/12(土) 12:46:45.38 ID:3n3ViSaK.net
>>735
笠谷和比古の家康本読みな 家康の屋敷に逃げこんだのはウソと論証されてる

743 :人間七七四年:2020/12/12(土) 23:59:13.89 ID:fXJEP1hF.net
>>735
現時点での有力説は、
七将に襲撃された三成は伏見城内の自分の屋敷に立てこもった。
七将が伏見城を包囲したことを受け、伏見城内の最高位者である家康が両者を調停し、三成が隠居することで折り合いをつけた。

室町時代に有力守護大名が将軍の住居を軍勢で包囲し、政治的要求を無理くり通した「御所巻き」と同じようなもので、本当に三成を殺すつもりでは無かったのではないか、という説も出てきている。

一方、七将が軍勢を起こしたこと自体が誤りで、集団で三成罷免を要求しただけではないか、という説も出てきている。

744 :人間七七四年:2020/12/19(土) 10:23:06.69 ID:kjEJKg6f.net
初期のスレの頃、良く話題になってたな

https://news.yahoo.co.jp/byline/watanabedaimon/20201214-00212457/

三方ヶ原の戦いで徳川家康は脱糞したのか!? 有名な「しかみ像」の真偽は!?

745 :人間七七四年:2020/12/19(土) 10:47:15.05 ID:fn1ed/Jq.net
大勝した長篠戦役であんな渋い顔してるのも謎だし
結局しかみ像ってどういう意図で描かれた絵なんだろ

746 :人間七七四年:2020/12/19(土) 13:18:23.73 ID:FZo06v3T.net
あれは仏教的な怒りの表情らしいで
家康死後に子孫が描かせたのだから意図なんて言うまでもないわな

747 :人間七七四年:2020/12/19(土) 14:19:10.19 ID:/NNNgIBn.net
拝礼用の忿怒相の神君の画
という事だっけ
死後数百年脱糞の是非を論んじられるのはすごいな

748 :人間七七四年:2020/12/19(土) 14:26:35.72 ID:R4b83lVw.net
っていうか山岡荘八の小説以前は議論すらされてないよ

749 :人間七七四年:2020/12/19(土) 18:53:18.83 ID:7xRI3LjV.net
脱糞してたら顔顰めて座るんじゃなく
着替え済むまで立っとるだろ

750 :人間七七四年:2020/12/20(日) 07:30:10.24 ID:X/fkcIyZ.net
道鏡は巨根

751 :人間七七四年:2020/12/20(日) 07:34:31.41 ID:x8X7ABIM.net
脱糞ネタはセンゴクとか信長の忍とかでも普通に使われていたな

752 :人間七七四年:2020/12/20(日) 17:20:02.90 ID:PYErg/mC.net
おもろいからな

753 :人間七七四年:2020/12/23(水) 15:08:16.04 ID:LRjzzdiw.net
脱糞が嘘だったとしたら他の隠したいことがあったのかと勘繰っちゃうな
信長が桶狭間でションベンちびってても記録には残さないだろうし家康は江戸幕府初代将軍にして神だから尚更

754 :人間七七四年:2020/12/23(水) 17:27:42.25 ID:brU/Qaa4.net
>>753
アホか。その話が作られたのは「昭和」だ。

755 :人間七七四年:2020/12/23(水) 19:17:03.48 ID:TDIXg/BO.net
信長以上の権力者の秀吉がションベン漏らしたのはガッツリ書かれてるし

756 :人間七七四年:2020/12/23(水) 20:14:01.92 ID:3LljgFJM.net
名将言行録ってほとんどフィクションですかね?

757 :人間七七四年:2020/12/23(水) 20:27:08.82 ID:brU/Qaa4.net
色んな所から雑多に逸話を集めているので、、信憑性を求めたければ原典に当たらざるを得ない本

758 :人間七七四年:2020/12/24(木) 16:01:07.71 ID:bmsadmGf.net
>>755
合戦で漏らしたのと老衰で漏らしたのとでは違うのでは

759 :人間七七四年:2020/12/24(木) 19:27:18.05 ID:NRJP3LmR.net
一次資料とかでガチで糞尿漏らした記録残ってるのって秀吉くらい?

760 :人間七七四年:2020/12/25(金) 17:27:14.69 ID:rTjpbzIj.net
tps://kangaeruhito.jp/article/20766
要するに「問鉄砲」の逸話は民間で生み出され、普及した。とすると、家康の神格化が目的というより、単に話を盛り上げるために創作されたと考えるべきだろう。この場を借りて訂正したい。

井沢に大上段からお説教かましてた呉座も所詮この程度か

761 :人間七七四年:2020/12/25(金) 17:37:43.92 ID:I0dSoLUQ.net
つまりどんなに間違えていても自説を頑なに訂正しない井沢が偉いと思っているのかお前は

762 :人間七七四年:2020/12/25(金) 20:39:13.08 ID:z5EhLN4U.net
>>757
そうですか
ありがとうございます

763 :人間七七四年:2020/12/25(金) 22:22:12.53 ID:rTjpbzIj.net
>>761
一般書レベルの事柄を読まず調べずイメージで書き散らして小銭稼ぎしてる
って意味では同じ穴の貉だな、ということ

どっちが「偉い」なんて話はしてないよw

764 :人間七七四年:2020/12/27(日) 07:33:25.91 ID:TqGRvZC1.net
>>681
そう言えば戦国時代の創作物で愛馬みたいな馬ってあんまり書かれる事無い気がするな
せいぜい慶次郎の松風くらいか

765 :人間七七四年:2020/12/27(日) 13:46:24.36 ID:Wa9/Dih4.net
馬の寿命なんかいいところ3年くらいなのだからしょうがねえだろ

766 :人間七七四年:2020/12/27(日) 14:39:43.83 ID:KCZ6cvJn.net
>>765
3年ってハムスターじゃねーんだから

767 :人間七七四年:2020/12/27(日) 15:20:16.43 ID:iKciODqa.net
現代の競走馬の選手生命は3〜4年くらいで終わるから、実戦で乗れる期間はそんなもんかも
人間が30代後半になるともうスポーツきつくなるのと同じで

768 :人間七七四年:2020/12/28(月) 00:39:56.27 ID:dB2N44Fc.net
赤兎馬とは一体

769 :人間七七四年:2020/12/28(月) 01:08:48.06 ID:haa7VbwK.net
代替わりしてたんだろうな

770 :人間七七四年:2020/12/28(月) 02:08:23.60 ID:uFYkTXe0.net
正史では「人中有呂布、馬中有赤兎」と称えられてるが
赤兎馬の明確な活動期間について記述はない筈

演義では董卓が呂布に主丁原を討たせる際に贈り(189)
関羽の死後にそれに殉じるように死んだ(220)
と31年ほどの活動期間になる

馬としては長生きではあれど実はあり得る寿命で
まあそりゃその頃には衰弱して餌食わなくもなるわな
って感じだったりする

771 :人間七七四年:2020/12/28(月) 02:16:55.26 ID:bXCzB9Y1.net
馬術競技とか警察の騎馬隊とか見ると、15歳ぐらいまでは普通に現役でやれるんじゃないか
もちろん一番速く走れるのは3〜5歳ぐらいだけど

772 :人間七七四年:2020/12/28(月) 02:33:52.65 ID:uFYkTXe0.net
競走馬でいられる期間はトップアスリートとして
記録が狙えるレベルでいられる期間であって
競走自体が出来なくなるわけでもないしな

人間も職業軍人や肉体労働者でいられる期間は
トップアスリートでいられる期間よりも長い訳で

773 :人間七七四年:2020/12/28(月) 11:25:48.18 ID:LspI7Rd+.net
>>764
鬼武蔵の馬がいなかったっけ?

774 :人間七七四年:2020/12/28(月) 12:10:25.71 ID:Yw98Mqxk.net
麒麟に出てる明智秀満は馬に乗ったまま琵琶湖を渡ったって話があるよ
その後は賤ケ岳でも活躍した

775 :人間七七四年:2020/12/28(月) 12:12:45.43 ID:PE9Zv8QN.net
ぱっと思いつくのだと三国黒とか放生月毛とか?

776 :人間七七四年:2020/12/28(月) 13:06:42.01 ID:IoftAVhv.net
山内一豊の十両の馬は?

777 :人間七七四年:2020/12/28(月) 14:26:04.24 ID:E8PDAxtG.net
それ全部創作が出典やん……

778 :人間七七四年:2020/12/28(月) 14:44:50.92 ID:PE9Zv8QN.net
?
創作物の愛馬の話では?

779 :人間七七四年:2020/12/28(月) 15:21:15.26 ID:eo5ZlC2M.net
竹中半兵衛が静かな馬を好んだとかあるな
まあ、あれもお話か

780 :人間七七四年:2020/12/28(月) 20:10:42.25 ID:Lyt+iBnC.net
でもその頃の馬はポニーみたいな大きさだったんでしよ?

781 :人間七七四年:2020/12/28(月) 20:13:13.69 ID:haa7VbwK.net
またポニーを勘違いしているバカが出た

782 :人間七七四年:2020/12/28(月) 20:16:01.60 ID:/F2YxThl.net
どう考えても荒らしやろ
でなきゃ精神病患者や

783 :人間七七四年:2020/12/28(月) 20:30:28.81 ID:+XkXlfCh.net
司馬遼の家康は何か名前が付いてる馬に乗ってなかったっけ?

784 :人間七七四年:2020/12/28(月) 21:49:26.63 ID:w1LQS38B.net
花の慶次が松風に乗ってたのは覚えてる

785 :人間七七四年:2020/12/28(月) 21:55:11.04 ID:uFYkTXe0.net
>>780
ポニーみたいな大きさの馬?
そんなものこの世には存在し得ないぞ

786 :人間七七四年:2020/12/29(火) 12:11:10.74 ID:3J8Ks6I4.net
>>785
ポニーも馬の一種だろ

787 :人間七七四年:2020/12/30(水) 00:03:09.69 ID:vl3esomf.net
だからポニーみたいな馬なんていないやん
ポニー自体がうまなんやから

ちなみに広範囲を征服したモンゴルの馬も
今の基準に照らしたらポニー

788 :人間七七四年:2020/12/30(水) 00:33:55.16 ID:WO1/C/ov.net
つまりはポニーみたいな馬やんけ

789 :人間七七四年:2020/12/30(水) 06:57:45.14 ID:c8EBMiRq.net
マスコミと同じで印象操作による誘導

790 :人間七七四年:2020/12/30(水) 14:08:51.56 ID:QlJlVbtG.net
秀頼も日本一と評価される馬を持っていた徳川言う逸話があるな
宝の持ち腐れも良いところだけど

791 :人間七七四年:2020/12/31(木) 07:06:10.14 ID:NBP3OiGN.net
肥満体と秀頼も家康も言われているけど、かたや馬にも乗れない男と歳をとっても川を泳いで横断する運動大好き男で大分イメージが違うね

792 :人間七七四年:2020/12/31(木) 12:55:42.32 ID:38VDMcGY.net
新旧肥満対決だったのか

793 :人間七七四年:2020/12/31(木) 13:32:40.53 ID:URLeqask.net
現役時の朝青龍はモンゴルに里帰りしたときはモンゴル馬に乗って走ってたな
乗り方わかっていて鍛えていれば重くても馬に乗れるし馬も走れる

794 :人間七七四年:2020/12/31(木) 22:09:16.07 ID:VGYMyiZN.net
>>788
一定のサイズ以下の馬は全部ポニーなの。 ポニーってのは品種名じゃなくて、サイズのカテゴリーだから。
「ポニーみたいな馬」って「ちびみたいな人間」って言ってるのと同じ。

795 :人間七七四年:2020/12/31(木) 23:05:02.00 ID:7QDqA7FO.net
来年もよろしくね

796 :人間七七四年:2021/01/01(金) 10:28:33.39 ID:7FUxu2SS.net
あけましておめでとうございます

797 :人間七七四年:2021/01/04(月) 07:58:46.66 ID:eABXc4gK.net
これからは本能寺に光秀は居なかった説が主流になるのかな?
斎藤利三の子供が甥っ子に話したことを他人が書き記した90年後の書物に書かれているらしいけどさ

798 :人間七七四年:2021/01/04(月) 11:21:23.42 ID:1zrznCe/.net
渡邊大門先生が信用できないって言ってたよ
俺も信用しない

799 :人間七七四年:2021/01/04(月) 12:00:50.03 ID:1Ex88g8Z.net
本能寺にいた方がロマンあるからいたってことでええねん

800 :人間七七四年:2021/01/04(月) 15:09:08.15 ID:ntuwCnsd.net
そもそも渡邊大門は信用できるのか?

801 :人間七七四年:2021/01/04(月) 15:17:39.63 ID:eCvaPvsv.net
人間は信用できない。論文は信用できる。

802 :人間七七四年:2021/01/04(月) 22:57:04.73 ID:P9ESzVSp.net
>>797
指揮官が後方にいて、前線を家臣の部隊に任せる、というのは普通の戦闘だったらあるだろうけど、
仮にも、謀反を起こして主君を攻め殺そうというときに、部下に任せるかな、心情的に
家臣を派遣しておいて、土壇場でその家臣が裏切るかもしれない、という心配も出てきそうだし

803 :人間七七四年:2021/01/07(木) 18:11:26.98 ID:mgwVSCSs.net
>>802
斎藤利三あたりが主導したのかもしれない
ただ後方待機説を採用すると妙覚寺の信忠を当初放置したのは何故なのかね
単に信忠の所在を掴んでなかっただけな可能性はあるが
IFスレとかで人気の信忠逃亡可能だった説も微妙になるな

804 :人間七七四年:2021/01/07(木) 20:58:11.51 ID:RlOGqFAf.net
さっきやってたNHKの「日本人のお名前っ」で「麒麟がくる」特集をしてたけど、
明智光秀が信長の命で「九州の名族の名字である惟任」に名前を変えたという話が、
実は江戸時代に出来た話で、元々九州に「”惟任”という名字は無かった」と、初めて知った
しかも、文書に残る光秀の署名や「信長公記」でも「惟任」ではなく糸ヘンの「維任」となってるとか

九州には元々「惟宗(これむね)」という名字しかなく、信長が元々の日向国の支配者の「伊東」の名字を
「維任(いとう)」という当て字にして光秀に名乗らせて、「イトウ日向守!?あの九州の!?」とみんなを脅かして
面白がってたのを、光秀が恥ずかしがって、「惟任」に間違えたふりして使うようにしたんじゃないか、とか推測してた

真相はなんにしろ、そうだと思い込んでることってまだまだあるのね

805 :人間七七四年:2021/01/07(木) 21:35:35.07 ID:m6fEmU02.net
>>804
あれはわしも驚いた。

806 :人間七七四年:2021/01/08(金) 17:43:32.98 ID:6ZsSwXa6.net
>>783
司馬遼の関ヶ原で家康が乗っているの羽柴島津駁と言う馬だな
まだら毛の日本一の名馬らしい
ただ司馬遼なので元ネタがあるのか、創作なのかは分からないが

807 :人間七七四年:2021/01/08(金) 18:48:43.97 ID:Ve91bGh0.net
司馬遼太郎の小説なんて元ネタがあってもせいぜい江戸後期の軍記くらいだな。
明治以降の小説から取ってきてても驚かない

808 :人間七七四年:2021/01/08(金) 19:02:22.65 ID:6ZsSwXa6.net
>>806
何で「は」が「羽柴」に変換されたんだろうか
馬の名前が羽柴島津駁みたいに見えてしまう
島津駁だな

809 :人間七七四年:2021/01/09(土) 14:57:10.64 ID:GyVhdmjT.net
>>804
丹羽長秀の方は惟住からいつ丹羽に戻したのかな?

810 :人間七七四年:2021/01/09(土) 15:31:05.51 ID:uXyU3sPj.net
>>809
一応長秀は死ぬまで使っていたらしい。丹羽と併用ではあるが。
息子の長重は秀吉から羽柴の苗字もらってるのでそっちに

811 :人間七七四年:2021/01/10(日) 23:05:19.16 ID:6NQHREOw.net
>>804
簗田広正が戸次を別喜で貰ってるかありえるな

812 :人間七七四年:2021/01/11(月) 21:28:33.52 ID:utdeJ874.net
維任も惟住も九州には存在しない苗字ってマジか

でもイトウって読むのは流石に無理があるんじゃないの?
と思ったけど
自分の子に変な名前つけてる信長ならあり得なくはないか

となると惟住はイジュウ(イン)?

813 :人間七七四年:2021/01/11(月) 22:34:42.24 ID:rkdmtX0V.net
>>812
>でもイトウって読むのは流石に無理があるんじゃないの?

まー確かに、当て字にしても「維任」なんて、なんでそんなマイナーそうな字を持ってきたのかは理由を知りたいところ
「惟任」だとしても、番組では確か、「そもそもそれまでの歴史上にも無かった名字」みたいに言ってた気がするので、
いったいどこから「惟任」って名字が来たのか

番組では「惟住」に関しては触れてなかったけど、こっちもどうなのかね

814 :人間七七四年:2021/01/11(月) 23:41:35.33 ID:8aGEfIA1.net
惟任
 大神姓 鎮西の名族にして、緒方氏と同様大神姓なり。(中略)所謂惟党の一つなるべし。
 鎮西要略、寿永二年条に
「菊池隆直・罪を謝して帰服す。七月、肥後守[平]貞能・菊池、原田、松浦党、
 惟任、惟純を相帥ゐて上洛す」と見ゆ

『姓氏家系大辞典』3巻


番組見てないが、こんな基礎的な本にも反証が載ってて
馬鹿らしくてこれ以上調べる気にもならない

815 :人間七七四年:2021/01/12(火) 00:29:40.82 ID:JFEOwFK0.net
ただ単純に、「日向」伊東氏と惟任「日向守」をかけただけの発想だと思うぞ
言葉遊び

816 :人間七七四年:2021/01/12(火) 00:55:30.75 ID:2LzFCq6V.net
まフロイスの記録では、光秀のことを「コレトウヒュウガノカミドノ」と呼んでいるわけだから、それ以外の読み方をしていたとは、
ちょっと考えにくいとは言えるかもね

817 :人間七七四年:2021/01/17(日) 02:35:37.80 ID:NfWh3yma.net
ぬぅ!

818 :人間七七四年:2021/01/20(水) 09:39:38.62 ID:jWhG8CyW.net
大谷吉継は何時くらいから軍事的才能の持ち主にされたのかな
根拠っぽい前田利長を偽書状で引返させた話は創作らしく
実際は一揆に対応するために引返しただけみたいだし
関ヶ原の奮戦も、最近だと本当はあっさり壊滅したみたいだし

819 :人間七七四年:2021/01/20(水) 10:06:59.70 ID:A1FRLbWC.net
小西行長は朝鮮で活躍したからまあ分かるが
島左近もまあ評判は高い武将だったそうだが
大谷吉継はとくになんもねえなあ
出世したから期待はされてたって感じ?
関ヶ原自体が小早川秀秋の裏切りであっさり決まったということ以外の記録が何も残ってないんでな
どういう兵力差だったのかすらわからん

820 :人間七七四年:2021/01/21(木) 16:58:00.97 ID:BcyeJLZ6.net
吉継はそれなりに武功を挙げたから出世したのじゃないのか?
秀吉が100万の兵を与えたらどうたら言ったのは創作?

821 :人間七七四年:2021/01/21(木) 17:21:29.20 ID:4RNHDNJw.net
秀吉がもし100万の兵預けたら、ってもう大概の武将で使われまくってるハンコ逸話でしょ
一応紀州攻めで武功あげてたっけ

822 :人間七七四年:2021/01/25(月) 08:01:48.31 ID:4jmF+geJ.net
三成当初吉継豊臣言うと、司馬遼が日本には明治以降に輸入される迄友情と言う概念がなかったみたいな事書いてたけど、そんな事無いよな
論語に朋って普通にあるし、知識層なら刎頸の友くらい知ってそうだし、そもそも秀吉が利家の事遺言でおさなともたちって書いているし

823 :人間七七四年:2021/01/25(月) 09:34:50.75 ID:h/TCjC82.net
>>819
西軍があっさり壊滅したなら島左近の活躍も東軍連中が自分揚げのために創った話じゃないかな
それに島津の逃亡だってもっと悲惨くらいな物だったかも知れないね
島津家の家臣の中に三河武士は兎も角恐いみたいなこと書いてた奴も居たような気がする

824 :人間七七四年:2021/01/25(月) 10:19:11.17 ID:9Eqgi81e.net
島津も関ヶ原脱出で相当損耗したし伊賀でも襲われ、帰り着く間際にも豊後水道で黒田勢に襲われたりして、
数十人しか生き残れなかったからかなり悲惨な道中でしょ。

825 :人間七七四年:2021/01/25(月) 13:48:39.83 ID:D2sz+xEe.net
福島正則と井伊直政の先陣争いはあったっぽい
島津軍に井伊直政を鉄砲で撃ったと自称して、直政が亡くなったあとに出家した奴がいたのは確かっぽい
あとは小早川秀秋が裏切って勝利したのは確定してる

合戦図では小早川本陣まわりに配置されたとされる4大名の実際の動きは不明

朽木元綱→減封説もあるが裏切ったので本領安堵
脇坂安治→裏切ったので本領安堵
小川祐忠→改易(参戦してない説もあり)
赤座直保→改易(参戦してない説もあり)

この事実しかない

大谷吉継が誰と戦って戦死したかは不明
島津豊久、島左近、戸田勝成、平塚為広と一緒に追撃戦で討ち取られたらしい

吉川広家は事前内通

ほとんどこれだけしか分かってない関ヶ原の合戦

826 :人間七七四年:2021/01/25(月) 14:02:17.49 ID:8O/5lZrl.net
>>825
それが遺恨となって福島はその後改易されたとかかな
政争で勝った井伊氏の発言力がでかくなって、邪魔な福島を改易に持って行ったと考えれば納得する。

827 :人間七七四年:2021/01/25(月) 15:16:09.88 ID:Lp7itEmq.net
福島の改易は笠谷が論考出してる
創作逸話否定するのに自分が陰謀で物語ってどうする

828 :人間七七四年:2021/01/26(火) 19:59:59.43 ID:+bDdulD8.net
ふと思ったが豊臣恩顧の改易陰謀説って両加藤、福島以外であったっけ?

829 :人間七七四年:2021/01/26(火) 20:04:10.23 ID:imKz3WTL.net
ない
そもそも豊臣恩顧なんて概念は無かったんじゃないかと…

830 :人間七七四年:2021/01/26(火) 20:39:11.09 ID:z4odJmNC.net
堀や生駒、玄以の方の前田家あたりはどうだろう

831 :人間七七四年:2021/01/26(火) 22:31:04.30 ID:ne2Ef1aK.net
>>830
生駒はその後の動き的に出世とか興味無さそうに感じる、良くも悪くも中立的。
関ヶ原の戦いに東軍に参加したのも時流読んで家康に今の知行地認めて貰う為のポーズにしか見えない。関ヶ原以降在地に残った他の尾張衆もそんな感じ、主君は誰でも良くて知行地だけ認めてくれればそれでOKてスタンス。

832 :人間七七四年:2021/01/26(火) 23:28:47.76 ID:hfj38hr6.net
豊臣恩顧への陰謀説は通俗書によるもの
と断じてしまっていいと思うけど
堀家の越後福島騒動はその一つだね

833 :人間七七四年:2021/01/27(水) 00:14:35.57 ID:3Gp4mHrJ.net
堀は自滅したのと領地の場所が悪かった
江戸防衛や前田の抑えを考えたら越後に親藩や譜代を入れたいだろうから
上方から見たら僻地でも江戸から見たら要地なのよね
要地から外様を追い出すのは佐竹や浅野にもやってるし

834 :人間七七四年:2021/01/27(水) 00:33:35.40 ID:0IxaUSc4.net
いやそれがまさに豊臣恩顧への陰謀説な訳だが

835 :人間七七四年:2021/01/27(水) 00:39:20.52 ID:uzchNKUH.net
1万石程度なら陪臣身分降格で安堵って言う妥協案もあるけど数万石以上は無理だわな。生駒は2000石程度+陪臣身分OKだから家康からしても扱い易い存在。前田も利長利常時代に家康譜代絡みの家臣かき集めて政治工作してなきゃ普通に転封されてたと思うわ。

836 :人間七七四年:2021/01/27(水) 11:41:11.04 ID:UXeICdFh.net
堀直寄が秀吉からも家康からも覚えが目出たかったから起きた事件だろ
堀家そのものが目障りなら直寄は贔屓されとらんわ

837 :人間七七四年:2021/01/27(水) 11:58:17.34 ID:RRZ7N1Jm.net
純粋に藩政に問題があったのを公儀に妥当に裁かれただけ

838 :人間七七四年:2021/01/27(水) 12:50:12.08 ID:3Gp4mHrJ.net
>>834
政権が要地を抑えるのと豊臣恩顧への陰謀論は別問題だろ
幕府は堀家がやらかしたのを利用しただけ
旧織田直臣系の堀が豊臣恩顧大名かというと微妙だし完全に外様で家親が徳川に仕えてた最上もやらかして堀と同様の末路

839 :人間七七四年:2021/01/27(水) 13:11:25.99 ID:wGifJJLr.net
豊臣恩顧は要地にいない方がいいから取り潰した
というのが既に陰謀論なんだよ
実際には要地でなくても親藩譜代でも
取り潰されるだけの落ち度があった

840 :人間七七四年:2021/01/27(水) 13:16:57.15 ID:XXqCJ3Xd.net
家光までは見せしめにガンガン改易させまくってたもんな

841 :人間七七四年:2021/01/27(水) 13:17:40.26 ID:3Gp4mHrJ.net
>>839
信用ならんかったら松平忠輝でも潰してるよ 豊臣恩顧だからではない

842 :人間七七四年:2021/01/27(水) 13:23:24.44 ID:RRZ7N1Jm.net
信用がどうこうではなく、改易されるレベルの事をやらかしてるのを無視するなって話

843 :人間七七四年:2021/01/27(水) 14:08:39.42 ID:UXeICdFh.net
どっちかっていうと堀直寄なんかは秀吉に覚えめでたき武将でありつつ
引き続き徳川家から贔屓されてるレベルなのに
陰謀論で語る奴はそこを無視してああだこうだ言う

844 :人間七七四年:2021/01/27(水) 18:28:38.32 ID:zpHqsciY.net
陰謀にしろ失策にしろ別に豊臣恩顧だからってわけじゃないってことでしょ
時代もある 後に改易レベルにやらかした上杉や伊達は生き残ってる

845 :人間七七四年:2021/01/27(水) 19:05:41.81 ID:wGifJJLr.net
>>841
そうだよだから豊臣恩顧とか関係ない

>>833であなたが言ったように越後は要地だから
親藩譜代を入れたいだろうとかはではない

846 :人間七七四年:2021/01/27(水) 19:46:09.95 ID:SIfYJV+/.net
親藩譜代だって改易されまくってたやん
大久保忠隣とか天野康景とか小笠原吉次とか

847 :人間七七四年:2021/01/27(水) 19:52:26.48 ID:1F9dLLAO.net
要地だから改易されたなら
筒井だって藤堂を転封させるために
改易されたみたいな話だって創れてしまうしな

848 :人間七七四年:2021/01/27(水) 21:34:41.60 ID:0Bql0fuh.net
>>844
そういや前田も親戚が殺人事件起こしてるな
改易は家光死んでから緩くなった

849 :人間七七四年:2021/01/27(水) 21:39:52.41 ID:6vLlIzF+.net
前田も四国に転封する案があったしな

850 :人間七七四年:2021/01/28(木) 01:35:25.57 ID:2WYTibbW.net
>>843
堀と奥田で揉めて改易でしょ?
直寄が噛んでそう

851 :人間七七四年:2021/01/28(木) 07:09:04.65 ID:eQqM2/1o.net
しかし福島、加藤も馬鹿だね
豊臣家最大の脅威である徳川家に関ヶ原で味方してしまうのだから…

852 :人間七七四年:2021/01/28(木) 08:24:35.29 ID:ZdOjZ9+6.net
福島加藤が馬鹿という以上に
秀吉死後の豊臣家が信じられないほど馬鹿だったということだろう

853 :人間七七四年:2021/01/28(木) 08:39:02.47 ID:opTrY6+x.net
内ゲバの挙句関ヶ原で勝った家康相手に徹底抗戦して一族全滅だもんな
武田ですら一応信玄の子供は残ってるのに、子まで全滅なんて豊臣くらいだわ

854 :人間七七四年:2021/01/28(木) 09:58:52.43 ID:18NZf3Oq.net
>>850
もっと直接的に直寄と兄直清の対立
兄直清は父で天下三陪臣と言われた直政の遺領三条5万石を継ぎ
弟直寄は秀吉時代からの坂戸3万石を領していた

若い主君を抱き込んだ兄が弟を追放して不満の弟が家康に訴えた
その前段階として兄が主導で行った浄土宗日蓮宗の宗論により
浄土宗僧侶が殺され一揆に発展する懸念があった一件があり
弟はその件で幕閣と折衝中だった

855 :人間七七四年:2021/01/28(木) 10:35:38.61 ID:D8jjl5+4.net
そもそも加藤も福島も徳川親族だっつーの。
晩年の清正なんて完全に徳川の親戚として振る舞っていたし、
肥後加藤家改易の時は、むしろ幕府がギリギリまで
改易回避に動いていたが、どうにもならんということで
苦渋の決断で改易に。

856 :人間七七四年:2021/01/28(木) 10:45:57.69 ID:AIqppw8p.net
ろくすっぽ研究も読まないで荒らしたいだけのやつなんでしょ

857 :人間七七四年:2021/01/28(木) 11:36:37.86 ID:WudYysaS.net
>>851
自家保全で徳川に付いたんだろ。秀吉なき豊臣家なんて砂上の楼閣だし、新たなる主人に付いて所領の保障得たいのは当然のこと。

858 :人間七七四年:2021/01/28(木) 11:58:55.44 ID:uVjzserD.net
そもそも加藤や福島や小早川でさえあれなんだから豊臣恩顧なんて概念はないよ
というか家康自身がかなり秀頼に気を遣っていたのは事実なわけで一番の恩顧は家康だろってレベル
家康の天下を良しとしなかった連中が関ヶ原や大阪城に集まっただけで
秀吉なんか全員嫌いだろみたいなのが当時の一般的な認識じゃないの

859 :人間七七四年:2021/01/28(木) 12:24:05.51 ID:UMRCNlrN.net
豊臣政権時代は景気良くて上から下まで豊かだったが江戸時代は圧制と貧困みたいなイメージもたれがちだけど
実際どうだったのかっていうともしかしたら逆なんじゃないかと

秀吉の天下統治って後世が思い込んでるほど当時の人々にとっていいもんじゃなかったんでは

860 :人間七七四年:2021/01/28(木) 12:37:03.81 ID:AIqppw8p.net
秀長のならかしとか有名だしね

861 :人間七七四年:2021/01/28(木) 13:16:12.81 ID:qr7bIzW6.net
>>859
江戸時代は藩主毎の格差が酷かったイメージ
秀吉時代の一揆の研究ってあまりされてないよね、この辺調べたらヒントありそう

862 :人間七七四年:2021/01/28(木) 13:16:42.49 ID:sbUAEPUH.net
>>859
少ない統治期間で朝鮮出兵をやらかしてるから下々に良いということは無いだろう
江戸時代の貧困イメージは武士の経済を回すには戦争したほうが良いというのはあるのかもしれない

863 :人間七七四年:2021/01/28(木) 16:14:06.51 ID:0gXnaawj.net
>>819
>島左近もまあ評判は高い武将だったそうだが
実際どう高かったの?
武将としては討たれる寸前で頑張ったぐらいしかわからい

864 :人間七七四年:2021/01/28(木) 16:35:52.38 ID:fQz0MtvN.net
秀吉時代の一揆で有名どころと言えば政宗が扇動した一揆や成政改易の原因になった熊本の一揆
他にも検地に反抗した一揆が各所で見られ時代的に百姓だけじゃなく国衆も参加した一揆が多いのも特徴

865 :人間七七四年:2021/01/28(木) 18:46:14.97 ID:18NZf3Oq.net
江戸時代初期に人口増えて貨幣制度が整い
江戸大阪という経済都市が繁栄してくのに
>>859みたいなイメージあるか?

と思ったけど日本史の授業天下統一で興味失って
江戸時代後半の財政改革や飢饉しか覚えてない人とか
いる可能性はあるか

866 :人間七七四年:2021/01/28(木) 18:57:36.62 ID:vmwqmtn/.net
>>865
少なくとも武士層は儲かってないのじゃないの 商人に借金ばかり

867 :人間七七四年:2021/01/28(木) 19:09:22.79 ID:opTrY6+x.net
>>864
戦国以前の一揆は一揆側も武装してるからな。そう言うのは滝山一揆を最後に終わったけど。

868 :人間七七四年:2021/01/28(木) 19:10:16.85 ID:uVjzserD.net
>>863
あの石田三成が高禄で召し抱えたくらい名高かった

869 :人間七七四年:2021/01/28(木) 19:37:23.83 ID:18NZf3Oq.net
>>866
武士の困窮も実体経済動と乖離が進んでからだね
幕府幕臣については当初は貨幣の鋳造益で潤ってた

870 :人間七七四年:2021/01/28(木) 19:42:16.12 ID:opTrY6+x.net
>>869
帰農して郷士身分になった豪農、豪商サイドが力を付けちゃってそれが倒幕につながったもんな
坂本龍馬や西郷隆盛なんか最たる例

871 :人間七七四年:2021/01/28(木) 19:50:08.82 ID:0gXnaawj.net
>>868
ちょこちょこ使者として出向いているから礼節や作法で三成の目に止まったのかもな

872 :人間七七四年:2021/01/28(木) 20:04:51.24 ID:SBlAaLFo.net
>>859
輝元も秀吉が決めた秀元に対する領地の分配の裁定に不満を抱いてたしな
だから秀吉の死後、三成達に頼んで変更して貰った
見方を変えれば三成達も秀吉の決めた裁定より、輝元を味方につける方が大事だったわけだ

873 :人間七七四年:2021/01/28(木) 20:35:32.89 ID:18NZf3Oq.net
江戸時代の実体経済と武家財政の乖離といえば
町人に対する直接課税地子銭を廃止したのは
3日天下の際の光秀の布告から始まるってのは
本当なのかね

国税庁のHPまで堂々と書いてるけど
秀吉やのちの政権が縛られる必要あると思えないし
京都以外にまで広げたのは別の意図があったと
考えるべきと思うけど

874 :人間七七四年:2021/01/28(木) 21:50:16.14 ID:ca6dr0O7.net
これまたイメージだが「絢爛豪華な桃山文化」の比較もあるんだろう

875 :人間七七四年:2021/01/28(木) 21:59:15.15 ID:D8jjl5+4.net
まあ現在「桃山文化」と思われているものの殆どは、実際には江戸初期の文化だったりするがな

876 :人間七七四年:2021/01/28(木) 22:40:22.22 ID:18NZf3Oq.net
なるほど確かに

町人文化だと大掛かりな建物とか残らないし
質素倹約令とかあるから全体に貧しくなったと
いう勘違いはあるのかもね

877 :人間七七四年:2021/01/29(金) 01:40:47.64 ID:Z6jaAovV.net
豊臣秀吉の豪遊と、国の豊かさをごっちゃにしてしまぅたのか

878 :人間七七四年:2021/01/29(金) 10:14:11.24 ID:samtEuRO.net
「江戸時代は庶民にとって暗黒時代」という通説は、明治政府の徳川幕府サゲの影響があるけど、
「江戸時代はいい時代、明治時代の方が庶民は困窮した」って説も戦後の大日本帝国サゲの影響があるし、
結局冷静な議論がいまだにできてないと思う

879 :人間七七四年:2021/01/29(金) 10:36:23.83 ID:b/xKkceX.net
明治の方が困窮、なんて極端な説あんの?

880 :人間七七四年:2021/01/29(金) 10:37:54.53 ID:ZJw+IWxM.net
何をもって困窮というのか、定義がはっきりしていない
相対的貧困なのか絶対的貧困なのか、あるいは平均寿命か中央値か
犯罪率や検挙率といった社会正義の指標か
幸福値調査なんて今から過去に遡ってできないし

ダメなところだけ、いいところだけつまみ食いして比較しても意味がないしね

881 :人間七七四年:2021/01/29(金) 10:39:14.56 ID:07duh47c.net
>>878
得した人間が違うだけだと思うけどね
江戸時代は地域毎の格差が出てたけど、明治時代は地域差がなくなった分、資金力の差で格差が生まれたと言う解釈

882 :人間七七四年:2021/01/29(金) 11:17:53.10 ID:5463PGxj.net
明治維新後は武士という大量の失業者を産まれたし
内戦や一揆暴動鎮圧もあったので酷い目にあった地域や人は
結構な数産んでるよ
(江戸時代にも飢饉はあったが)

一方で産業化集権化を進める大ナタ振るったから
近代化して後半には戦勝国としてイケイケで終わるけど

883 :人間七七四年:2021/01/29(金) 11:23:47.00 ID:5463PGxj.net
結局どこに注目するかだと思うよ
江戸時代にも大規模な飢饉があったし

884 :人間七七四年:2021/01/29(金) 11:33:13.08 ID:ZJw+IWxM.net
公租公課の改定についても考慮する必要があるな
地租改正で収穫した米に対して何割の物納となっていたものが地価に対して何割の現金となって、
年ごとの取れ高の違いによらず一定額になった
これで困った農民は多かったという、専門的に調べたことないから知らんけど

885 :人間七七四年:2021/01/29(金) 11:37:50.68 ID:RLTf+xS9.net
農村に於いて竹槍などで武装した「一揆」が起こったのは明治時代から。
明治は税負担も増加した上にそれまでの自治権も村落から奪ったからな。

886 :人間七七四年:2021/01/29(金) 11:41:50.52 ID:ZJw+IWxM.net
>>885
大塩平八郎「そうじゃ、わしらは大砲と爆弾を使ったからな」

887 :人間七七四年:2021/01/29(金) 11:45:45.50 ID:07duh47c.net
>>884
ワッパ騒動は有名な話
明治の一揆は江戸時代ではほとんど起きていなかった地域で起きてるところがポイント

888 :人間七七四年:2021/01/29(金) 15:36:08.21 ID:PuFM85SS.net
>>878
維新後は徴兵制になったから職を奪われた旧武家はもとより庶民も良いと思ったかはどうか
江戸時代は200年間戦争は無かったわけだし

889 :人間七七四年:2021/01/29(金) 15:52:39.38 ID:b/xKkceX.net
農家の次男三男は軍は白いおまんま食わせてくれるってんで喜んだとはよく聞くね
言われる通り得した人間が違うだけじゃね?

890 :人間七七四年:2021/01/29(金) 16:29:15.13 ID:Jo2w8rQn.net
明治時代は少なくとも人権という概念が徐々に規定されてきた時代なんで
今に比べれば野蛮極まりない時代なのは確実だが江戸時代よりは遥かにマシだろ
はっきりいって江戸時代の農民より、明治の兵隊の方がはるかにマシなモン食ってる
脚気が大流行したりしたけどw

891 :人間七七四年:2021/01/29(金) 17:20:43.18 ID:5463PGxj.net
江戸時代の一揆は武力闘争より
直接の領主代官を経ず幕府なり藩なりの
殿様へ政治的要求を訴える政治行動

明治時代になると新政府方針への
竹槍持った武装闘争や打ち壊しが増えて
それが一揆イメージに定着して
時代劇なんかで広まった

というねえ

>>886
大塩平八郎が農村で?

892 :人間七七四年:2021/01/30(土) 08:12:43.15 ID:ZRZAM0qd.net
戦国時代のに一揆だと一向一揆の印象が強いが、あれもイメージ先行的なところがあるな

893 :人間七七四年:2021/01/30(土) 11:43:37.91 ID:oAQ7G4da.net
>>892
江戸初期以前の一揆は滅んだ武将の残党だったり、帰農した武将が絡んでるから実態は浪人集団に限りなく近い。
大坂の陣みたいなのが各地で行われてたとイメージした方が良い

894 :人間七七四年:2021/01/30(土) 12:16:15.13 ID:ordVYGf+.net
島原の乱なんかはそのイメージでいいけど
元は惣村や国衆の連合組織が一揆だよ
それを信徒集団が主導したのが一向一揆や法華一揆

安土桃山時代になると戦国大名の元家臣が扇動する
葛西大崎一揆や岩崎一揆、浦戸一揆なんかが目立ってくる
中央政権による国替えで取り残された不満や
旧主の扇動を背景にした反乱だね

895 :人間七七四年:2021/01/30(土) 16:57:13.79 ID:Eq9nN7a4.net
>>891
江戸時代でも打ちこわしの記録が普通に残ってるけど?
一揆はけが人が出ないように、一揆勢も大名側も飛び道具禁止のなれ合いだったってのは聞くな

896 :人間七七四年:2021/01/30(土) 17:09:58.04 ID:/QYGEpXb.net
>>895
「打ち壊し」は打ちこわし側で、壊される側にもけが人等が出ないよう非常に慎重に事を運んでいる。

897 :人間七七四年:2021/01/30(土) 20:39:59.37 ID:ceCsnGNS.net
>>894
越後でも関ヶ原で旧主の上杉家の煽動で一揆が起こっているね
大西氏に依れば、大聖寺城を攻略した利長はその所為で引返したとか
利長凡才扱いされるけど、利政を訴えてその領地を自分の物にしているし
秀家も秀頼も見捨てているんだよな

898 :人間七七四年:2021/01/30(土) 20:56:46.39 ID:djGqRc4l.net
米騒動とかでも、ものを盗んだら泥棒になるから米商人の蔵を打ち壊しても手をつけなかった…と聞いたが本当かな

899 :人間七七四年:2021/01/31(日) 00:55:41.64 ID:rn1imJ3t.net
天明の飢饉の際に浅間山噴火の影響が大きかった
上野信濃では金品や食料を狙った打ち壊しがあった

というから他は違うってことなんだろね
基本的には価格高騰を狙った
買い占めや売り渋りへの抗議活動で
本当に余裕がなくなるとそれどこじゃなくなる

飢饉時の農村とか本格的な飢餓状態だと
そんな統制なくなるしそもそも食料なくて
打ち壊すとか言ってられない
大量の死亡者出しつつ食のある地域への逃散になる

900 :人間七七四年:2021/01/31(日) 01:12:22.80 ID:9Iyj5q8a.net
江戸時代に起きている一揆はほぼデモ行為と言っても差し支え無いかと
他に柳本藩で陣屋襲撃事件とかもあったけど、そんなもんは稀

901 :人間七七四年:2021/01/31(日) 12:06:21.04 ID:wlnalQHF.net
そもそも江戸時代の百姓一揆はほとんどが強訴やからな
歴史家が一揆に分類して一揆と呼んでるだけで実情が全然違う
自己顕示欲満たす為だけの意味のない主張するよりこの辺整理し直した方が有意義な気がする

902 :人間七七四年:2021/01/31(日) 12:52:56.36 ID:UipH6hoU.net
鎌投げたり竹槍もって戦ってたなんてのはゲームの中だけの話だからな

903 :人間七七四年:2021/01/31(日) 13:03:16.99 ID:k+jMmdfO.net
実際江戸時代の資料に一揆なんて言葉は殆ど出とらんしな
この辺の百姓研究は明治の民権運動と結びついて戦後のマルクス史観に染まった影響からまだ脱却出来てない気がする

904 :人間七七四年:2021/01/31(日) 13:19:01.33 ID:tXjjEc/r.net
時代劇の悪代官のイメージが強すぎるのよね

905 :人間七七四年:2021/01/31(日) 14:06:40.45 ID:Vtd2rZqU.net
>>904
お代官様なんて職柄はそもそもブラック過ぎてなりてが居ないからな

906 :人間七七四年:2021/01/31(日) 14:26:52.10 ID:NwWNmZN2.net
というか百姓の武装蜂起や暴徒化とかの意味の方が
本来的な一揆という言葉にはないのよね

鎌投げるのは分からんけど竹槍使う一揆は
明治期に起きた地租改正や徴兵等新政にはんたいしたもの

江戸時代の一揆という用語は安土桃山までの
集団側からの呼称ではなく幕府側の呼称だけど
天明の飢饉の際掠奪伴う打ち壊しが発生した際は
幕府はそれを「悪党」の先導によると判断して
通常の一揆と区別してる

907 :人間七七四年:2021/01/31(日) 15:13:31.42 ID:77Y0ikbF.net
>>902
ファミコンの「いっき」のイメージだな

908 :人間七七四年:2021/01/31(日) 15:14:56.48 ID:jIZQT6cw.net
そもそも江戸期、いわゆる一揆は、大名や幕府への要請運動であるとして、「強訴」と表現されている。「一揆」と表現されたのは島原の乱がたしか最後

909 :人間七七四年:2021/01/31(日) 15:15:28.22 ID:77Y0ikbF.net
>>905
将軍「代官やれ」
旗本「はい…」

じゃないの? 嫌だろうが手を挙げるやつがいなくても幕府天領は代官に治めさせる必要があるだろ
近場の藩に代行させる手もあるが

910 :人間七七四年:2021/01/31(日) 15:23:00.24 ID:9Iyj5q8a.net
>>909
その辺は大体世襲制だったりする(旗本でも序列が低いとこ)。あと出世欲がある家柄とかもやりたがったりするかな。東海道みたいな要所の関所は大体家柄が高家だったりするけど。

911 :人間七七四年:2021/01/31(日) 15:26:19.33 ID:NwWNmZN2.net
代官と言っても色々ある
幕府の代官は地元有力者の世襲だったり
旗本の出世コースだったりそう悪くないよ

912 :人間七七四年:2021/01/31(日) 16:12:36.71 ID:ZpJ1aYIm.net
>>908
江戸以前は一向宗やら国衆やらが絡んだのが一揆やからな
表現どころか普通に一揆なんて認識が無かった可能性の方が高いやろ

913 :人間七七四年:2021/02/04(木) 06:42:42.60 ID:fKw65M8Y.net
で、あるか!

914 :人間七七四年:2021/02/04(木) 13:00:19.20 ID:bR94IC6X.net
で、あるかは何かソースがあるのかねえ
単に小説やドラマが初出だったりする?

915 :人間七七四年:2021/02/04(木) 14:08:56.74 ID:6RtJOQ3Y.net
信長公記首巻の正徳寺の会見が初出
必ずしも口癖だとかであるかであるか連発してた
とかではない

916 :人間七七四年:2021/02/04(木) 15:26:22.01 ID:IjGh9eJX.net
是非に及ばすとか創作なんだからそろそろ浸透させるのをやめよう

917 :人間七七四年:2021/02/04(木) 16:17:48.10 ID:g2/1Gsbp.net
本能寺の変で信長最後の時に、幸若舞 敦盛を舞ったて話も創作だろうね

918 :人間七七四年:2021/02/04(木) 16:23:41.05 ID:nBzpHnMx.net
>>917
そんな文献あった?詳しく知りたいな

919 :人間七七四年:2021/02/04(木) 16:51:08.64 ID:43r/kAoM.net
>>918
スレタイ通り通説・俗説ってことでしょ

920 :人間七七四年:2021/02/04(木) 17:51:08.11 ID:tGLxcpT3.net
本能寺から脱出した人が
信長が敦盛を舞ってたと証言したんだろ

921 :人間七七四年:2021/02/04(木) 17:56:15.17 ID:nBzpHnMx.net
講談・俗説にしてもにしても江戸時代にそんな話あったのかな

桶狭間とごっちゃになってそう

922 :人間七七四年:2021/02/04(木) 18:09:50.55 ID:q6Ivj9DU.net
敦盛舞ってもそれを証言する生存者がいないとね

923 :人間七七四年:2021/02/04(木) 18:55:28.23 ID:6RtJOQ3Y.net
ていうか信長公記桶狭間で幸若舞舞うから
最後も舞わせるとなんか収まりが良い
だからドラマや小説でやることが多いってだけじゃね?
炎の中で舞わせると綺麗だし

924 :人間七七四年:2021/02/04(木) 22:47:48.50 ID:Q0nIeEk9.net
「是非に及ばず」は、信長公記に記録されてる言葉だね
信長は、そのセリフを部下たちに放ってしばらく抵抗したあと、もはやここまでと、
侍女らを逃がし奥座敷に入って行った、とその逃げた侍女たちが、太田牛一の
取材に対して答えているそうなので、それが生きている信長が目撃された最後の場面なんでしょう
自害の場面で舞を舞ったのは、ドラマでの描写が最初、とかどこかで読んだ覚えがある

925 :人間七七四年:2021/02/05(金) 13:48:18.73 ID:E3GYshDm.net
本能寺の創作だと帰蝶が信長と一緒に戦って死ぬというのが昔は結構あったな
麒麟の機長は一緒に死ぬどころか、黒幕になりそうな雰囲気まであるけど

926 :人間七七四年:2021/02/05(金) 13:51:04.98 ID:wCawKHR/.net
どーんといこうや

927 :人間七七四年:2021/02/05(金) 16:27:11.63 ID:sorY1wLB.net
金子拓先生が、「是非に及ばず」は当時の用例から言って「意味がわからん」みたいなニュアンスだと書かれていたな。

928 :人間七七四年:2021/02/05(金) 17:38:02.70 ID:dvQjLppK.net
>>926
実際の使用例知るとヤバいやつ

929 :人間七七四年:2021/02/05(金) 18:49:03.65 ID:KYbN3iYL.net
>>927
小説やドラマだと信長の潔さを示すセリフだけどそっちのニュアンスのほうが納得がいくわ

930 :人間七七四年:2021/02/05(金) 21:46:57.04 ID:P+AtjQVB.net
信長って猜疑心強そうなイメージがあるけど、実際は同盟相手とか家臣とか結構信じるタイプだよね
裏切られる事を考えて無いと言う感じで
それだけに浅井とか武田みたいに裏切られた時には怒りの反動が物凄いんだけど

931 :人間七七四年:2021/02/05(金) 22:42:24.29 ID:fMBrMCFw.net
反動すごい言うけど浅井も武田も
普通許さんものを許してないだけでは?

932 :人間七七四年:2021/02/05(金) 22:47:12.08 ID:qbgGxRf+.net
浅井については信長が悪い
浅井と朝倉が攻守同盟結んでるの知ってて事前通告なく朝倉を攻めたんだから
いや、信長からしたら甲斐武田を攻めると言ってる時点で察しろと言いたいだろうけど

933 :人間七七四年:2021/02/05(金) 22:49:00.91 ID:3v3P2zGj.net
>>932
あれ、浅井朝倉の攻守同盟ってちゃんとした記録に残ってたっけ

934 :人間七七四年:2021/02/05(金) 22:54:09.48 ID:MHvaGkP5.net
ない
そもそも浅井と朝倉は言われてるような親しい間柄でもない

まだ京極氏から独立指向だった浅井氏を京極氏の配下扱いした事への反感の可能性のが高い

935 :人間七七四年:2021/02/05(金) 22:55:53.69 ID:MHvaGkP5.net
信長が甲斐武田を攻めるって話もよくわからん
若狭武田への話だったらまだわかるけど

936 :人間七七四年:2021/02/05(金) 22:59:52.67 ID:wCawKHR/.net
浅井長政との約束破ったから…ってのは後付けの創作
実際は浅井が突如裏切った事実しか残っとらん
なんならものすごく性格悪かっただけかもしらんし

937 :人間七七四年:2021/02/05(金) 23:24:42.12 ID:4ksNmDDq.net
数年前のヒストリアで信長が残した手紙が史料として公開されてたじゃん
上洛戦における長政の協力姿勢に対してかなり辛辣に批判してたやつがさ
あそこまで侮った感じで信長が接するならばそりゃ長政だって朝倉に再度、通じようと考えもするのでは

938 :人間七七四年:2021/02/05(金) 23:32:44.37 ID:3v3P2zGj.net
織田の武将たちの態度も如何にも俺たちが上って威圧的な感じだったと読んだ事がある
あれはどこだったかな

そう言う感情的な齟齬が浅井を駆り立てたのかね

939 :人間七七四年:2021/02/06(土) 00:02:02.96 ID:STZF8d+A.net
カドブンってとこで連載されてる呉座の記事を読んだんだが
要所要所で論拠を示さずに決めつけで議論を展開してて「オイオイ」って感じだな
そもそも中世史が専門はずが、最近信長秀吉家康あたりのことばっか記事書いているし

940 :人間七七四年:2021/02/06(土) 00:08:56.89 ID:CAEJcein.net
>>939
ガバガバの「感想」じゃなくてどこがどう駄目かちゃんと根拠を示して提示しろよ。
でなきゃただの悪口ってだけだぞ

941 :人間七七四年:2021/02/06(土) 00:12:38.36 ID:NaJ9lpKW.net
論文じゃなく通俗的な読み物だと学者でも
読者向けにウケの良い読み物として書いたりもする

そうでなくとも一つ一つ全ての根拠を書いてくと
紙幅が尽きるので論拠はあっても書いてないこともある

942 :人間七七四年:2021/02/06(土) 00:18:48.32 ID:Ujt4IG3E.net
残ってる公式記録に基づいた考察系ってそもそも高いからな、それに歴史学本職の論文は分かりにくい傾向があるし。
経済・地理学とか別分野の人間が書いてる歴史論文は図表多用でわかりやすいけどね。

943 :人間七七四年:2021/02/06(土) 00:21:27.19 ID:ts1940TZ.net
>>938
洋泉社歴史新書yの「信長研究の最前線」という本のなかの記事で、
れっきとした摂津最大の国人だった池田氏の家臣だった荒木村重を、太田牛一が「信長公記」で、「雑用を与えられるだけの下男
程度だったのを信長が領地を与えてやった」みたいに書いてたとか、秀吉が播磨攻めの際、別所長治の家臣の婚礼を、主君である自分の
頭越しに、それも信長の許可も無く勝手に取り仕切ろうとして、長治本人をも秀吉の家臣扱いにしたりしてたとか、さらに、信長自身も、
松永久秀に対して無神経な扱いをしたりしてた、裏切られて当然じゃなかろうか、みたいに書いてあるね

あと、たしかその本の続編にも、信長が誰だかに対して送った手紙に、浅井長政に領地を「与えてやった」のに裏切りやがって許せん、みたいに
書いてて、独立した大名の浅井氏を家臣扱いしてた、それに頭に来たから長政は裏切ったのかも、みたいな感じに書いてあった気がする

944 :人間七七四年:2021/02/06(土) 03:37:49.82 ID:h2/CW69g.net
断片情報だけで勝手に当時の武将のイタコみたいなことされてもな

945 :人間七七四年:2021/02/06(土) 09:49:36.48 ID:pOJL6wZL.net
自分はあの世の信長と話せると称して漫画描いてネットにあげてた人いたな

946 :人間七七四年:2021/02/06(土) 20:20:09.72 ID:CVrI3P3S.net
>>943
面子を潰されたら黙っておかないのが武士だからな
だから信玄が駿府に侵攻した時、娘の名誉と氏真との閧仲介した自分の面子を潰したと
怒りまくったわけだが

947 :人間七七四年:2021/02/07(日) 09:42:50.24 ID:mDBoV+CV.net
>>943
その本、洋泉社なくなったから、朝日文庫で再刊されてる
今手に入れるならそっちだな

948 :人間七七四年:2021/02/07(日) 15:04:08.40 ID:NLBC9hjh.net
このスレ勉強になるね

テレビとかでやってる歴史ネタって
ほとんどフィクションなんだね

いやドラマだったらフィクションでもいいけど、
普通に史実として語ることもあるからね

949 :人間七七四年:2021/02/07(日) 15:15:26.83 ID:ftQpWWH8.net
フィクションならそう分かるように作るのが誠意

950 :人間七七四年:2021/02/07(日) 15:18:51.98 ID:Fns5OabQ.net
>>948
家康の性格も我慢強い好好爺とドラマに描かれてたりするけど実際は割と短気なオッサンだったりするしな。
現実のキャラは用心深い信長に近い。

951 :人間七七四年:2021/02/07(日) 16:24:21.50 ID:5gFfphl4.net
つかむしろ信長のほうがめちゃめちゃ我慢強い

952 :人間七七四年:2021/02/07(日) 16:38:22.61 ID:mLLoyRuX.net
>>951
そこまで言うほどかなあ、いや信長も一般的な印象よりは我慢強い人だとは思うけど
信長はへし切り長谷部のエピソードなんかは実際気が短いと思ったりするな
戦の時の即断即決、単騎専攻の類が何件かあるのも気が短いと思われる原因かもしれん

953 :人間七七四年:2021/02/07(日) 16:48:21.22 ID:ftQpWWH8.net
家康は信長や秀吉が死ぬまで義理を通したし
明日をも知れぬ晩年になっても何年も秀頼に手を出さなかったし
我慢強いというか思慮深い性格だったのは間違いないだろ

信長もべつに殊更に短気に事を運ぶような事はしてなくて
次節が到来したら一気呵成に勝負を決めるからそういうキャラにされがちなだけでは

それに対して秀吉は短気で冷酷と言えるのでは

954 :人間七七四年:2021/02/07(日) 17:08:24.20 ID:MgwLkduG.net
家康は一旦怒り出すと手がつけられない
それ以外は思慮深い
と言う二段構えの感じ

955 :人間七七四年:2021/02/07(日) 17:30:37.56 ID:fKjhB+r0.net
我慢強いというより律儀だろうね
それも生来のものというより内心はどうであれ
筋を違えた行動は慎むという経験上会得した律儀さ

必要な時に機を見るに敏に動けなきゃ天下は取れんが
筋違いの行動が多いようでは動いても望まれない

秀吉も晩年はたがが外れたようだが
本能寺後の行動は主家に対する反逆は避けてるし

956 :人間七七四年:2021/02/07(日) 17:46:41.96 ID:476WQ9un.net
天下を取るなんて事にアクティブな人間はいないという認識も必要と思うよね
メリット一切皆無だし、他人の家の浮気したかどうかまで裁かなきゃいかんし、朝廷もうるさいし

朝廷もふくめた周りがあんたが天下人になれって逃げ場なくしていくって認識のが近い

957 :人間七七四年:2021/02/07(日) 18:09:40.24 ID:mLLoyRuX.net
そうか?源頼朝とか足利尊氏とか、時代は違えどマジで天下取りたくて取った人もわりといると思うけど
武将と政治家は似て非なるものだが、政治家も国会議員になったからには首相を目指すもんだと言われているし
国のトップでなくても社長になりたい人はたくさんいるだろ
頭張って人を思うように動かしたいとか、人に頭下げたくないとかで
実際には社長になったところで人に頭を下げなくてよくなるわけではないが、動機としてね

958 :人間七七四年:2021/02/07(日) 18:15:44.45 ID:O4RvdUeI.net
家康と言えば信玄の事尊敬してたみたいな事司馬遼の作品の中にあったと思ったけど、
武田遺臣を大量に抱え込んだことと石川数正が出奔したとき軍法を甲州流に代えたことくらいしか
根拠がなさそうなんだけどどうなんだろう
むしろ信玄と言えば不義理な行動代えた多いし、むしろ反面教師にしてたイメージなんだが

959 :人間七七四年:2021/02/07(日) 18:17:51.96 ID:476WQ9un.net
頼朝尊氏はあまり詳しくないが
首相目指すもんだってのも最近言われにくくて責任取らされるばっかのトップとかイヤだって声も多いでしょ

社長と国のトップてのはそもそも比較にならんと思うし

少なくとも三英傑あたりは成り行きで天下人(各家の訴訟の解決と朝廷との調整)を周りからの信用でやらざるを得なくなってると認識すべきだと思ってる

960 :人間七七四年:2021/02/07(日) 18:20:10.53 ID:476WQ9un.net
信玄相手にはマジで攻勢しか取ってないし信玄も3か年の鬱憤とまで評してるし
むしろ武田旧臣を抱えたからその家臣たちが、信玄はすごかったって感じで神格化していった部分が大きいのでは(甲陽軍鑑)とかその節あるし

961 :人間七七四年:2021/02/07(日) 18:35:42.20 ID:mLLoyRuX.net
>>959
自ら将軍(候補)担いで上洛して畿内を制圧し、その後将軍を追い出して勢力拡大を続けた信長、
その後継者たらんとした秀吉についてはそれは通らんでしょ
天下人になりたくなけりゃ京を手放せばよかったし、そもそも上洛しなければよかったし、
それはやろうと思えばできたんだから

百歩譲って家康は成り行きで仕方なく「かもしれない」けど

962 :人間七七四年:2021/02/07(日) 18:45:13.87 ID:476WQ9un.net
>>961
いやいや結果で見すぎで内容を見てなさ過ぎでしょそれは、逆説的すぎる
信長は将軍とかなり長い事蜜月にしてるし、追い出したて 義昭の挙兵まで信長のせいにするのはおかしいでしょ しかも追放後も帰ってきてくれって書状まで送ってるのに
天下人ではなく将軍の下で働きたい、って認識をすべきでしょ 天下布武だって最新研究で畿内に武家の頂点たる将軍をいただくって意味て解釈もあるし

秀吉に関しても織田家を牛耳りたかったかもしらんが、そこから天下の差配をしたかったかどうか までは難しいわ

963 :人間七七四年:2021/02/07(日) 18:48:43.29 ID:0521W4bn.net
本能寺の変後の秀吉なら野心はあったと類推は出来るが

964 :人間七七四年:2021/02/07(日) 19:57:43.50 ID:8Xcv9Kao.net
>>962
逆説的なことを言い出してるのはあなたでしょうに
濃尾と近江、畿内、北陸道を武力で制圧して拡大戦略一本の信長に天下の差配の気持ちがなかったなんて逆張りもいいところだよ
アタマに将軍を担いだとしてもよ、結局拡大した織田家の領地は信長が家臣団に与えてるんだから将軍や奉行衆には何の実権も与えてない
それが義昭が不満に思った原因でしょ
管領職を断ったのも室町幕府の枠組みに組み込まれたくない以外の意味って見出せる?

嫌々やってるんだったら適当なところで畿内を将軍家と奉行衆に献上して尾張に帰ったとかできたろうに
そんな素振りを見せた証拠とかは、俺は見たことないや
包囲網下にあった時に天下は誰誰が持ちたまえとか三味線かましてる文書を武田とかに送った例は知ってるが
行動が伴ってない

965 :人間七七四年:2021/02/07(日) 20:09:49.49 ID:476WQ9un.net
なんの実権も与えてない?何を言ってるんだ君は畿内に幕臣の領地がいくらあると思ってるんだ、志賀の陣で浅井朝倉と織田の和睦を締結させたのはほかならぬ義昭だよ
管領職に関しても当時は臨時職であんなもの勧める義昭自体がおかしい

いやいややってる、とは言ってないでしょ、言い方変えたら頭に将軍担いで重要ポジションにいたいとも言い換えられるね

966 :人間七七四年:2021/02/07(日) 20:17:10.94 ID:476WQ9un.net
とりあえず、金子氏や久野氏、谷口氏あたりの研究読んでみてはどう?

967 :人間七七四年:2021/02/07(日) 21:04:29.86 ID:wlji0DIj.net
天下は望んで取るものではなくて
取らざる得なくなったものが取るってのはあるね

>>957
いやどっちも担がれた神輿として
逃げようないでしょ

968 :人間七七四年:2021/02/07(日) 21:08:09.93 ID:zj3gxJXM.net
>>958
>家康と言えば信玄の事尊敬してたみたいな事司馬遼の作品の中にあったと思ったけど、

史実は分からないけど、家中に引き取った武田氏の遺臣の心をつかむためにそう言いふらした可能性は、ある気がする

969 :人間七七四年:2021/02/07(日) 22:19:50.86 ID:d2ZgRjLf.net
武田家臣たちは徳川に来てすごい活躍しているなぁ

970 :人間七七四年:2021/02/07(日) 23:14:33.83 ID:tsG/Ip3L.net
尊氏は後醍醐帝にかなり心酔していたとかいう話を見たことある
中先代からの成り行きで敵対することになったけど

971 :人間七七四年:2021/02/08(月) 07:21:34.72 ID:O8FUO3QS.net
徳川は今川、武田、北条の家臣を上手く取り込んでいるよな

972 :人間七七四年:2021/02/08(月) 08:27:56.61 ID:RWyApXzb.net
北条遺臣に関しては無能と言うイメージしかないな、後の幕末で天狗党の乱起こしてるし

973 :人間七七四年:2021/02/08(月) 08:33:27.79 ID:nPLIkHgW.net
>>972
間宮林蔵が居るやん

974 :人間七七四年:2021/02/08(月) 10:24:02.35 ID:ukplIYqV.net
>>969
徳川で活躍した武田遺臣って甲斐武田家強盛時にはそんなに目立ってない氏族が多いイメージ。

975 :人間七七四年:2021/02/08(月) 10:36:11.13 ID:tkzSm9+V.net
曽根内匠が、意外とパッとしてない

976 :人間七七四年:2021/02/08(月) 10:45:01.01 ID:RWyApXzb.net
>>974
真田以外は殆ど万石以下の小さい勢力だからな
山村みたいに陪陪臣も居たし目立たんよ

977 :人間七七四年:2021/02/09(火) 06:29:10.40 ID:Xmx/nzhB.net
小浜、向井、間宮あたりの水軍連中はそれなりに役に立ってなかったか

978 :人間七七四年:2021/02/09(火) 14:29:16.53 ID:tCRVw3gM.net
>>975
天正壬午の乱では活躍してたじゃん。

979 :人間七七四年:2021/02/09(火) 14:49:15.19 ID:JMw7iDT5.net
>>974
保科正俊「武田時代は目立たなかったけどさあ」
木曾義昌「なんか息子がやらかしたらしくて大名として残れんかった」

980 :人間七七四年:2021/02/09(火) 14:50:50.16 ID:uhQWByAs.net
>>979
実質下剋上された木曽

981 :人間七七四年:2021/02/09(火) 14:51:29.60 ID:NFh8eXP6.net
四名臣の家系は死にまくって断絶か没落
(内藤の家系が井伊や保科の下に残ったみたい)

982 :人間七七四年:2021/02/09(火) 14:53:50.66 ID:uhQWByAs.net
実は創作だった通説・俗説6【コピペ・レッテル貼禁止】
https://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/sengoku/1612849924/

983 :人間七七四年:2021/02/09(火) 14:56:51.56 ID:6tq1IMkj.net
>>982

後は天正壬午で一番頑張った依田信蕃やろな
コイツも兄弟共々早死して没落したパターン
(子孫は福井の家老になってる)

984 :人間七七四年:2021/02/09(火) 17:56:45.62 ID:IYB5RvAa.net
>>974

武田時代に目立つ活躍をしてた家臣は、みんな信長の残党狩りで殺されてしまったんでは
相当厳しくやってたみたいだし

985 :人間七七四年:2021/02/09(火) 18:32:45.48 ID:6kj7ISTx.net
>>982


四名臣はみんな名跡継いで元の家系から離れてるんだよなあ
名跡継ぐ前の家系は残ってんじゃね

986 :人間七七四年:2021/02/09(火) 18:34:21.39 ID:U0sk7wYJ.net
>>982
乙でおじゃる

987 :人間七七四年:2021/02/09(火) 18:47:45.17 ID:nQR5RT8d.net
>>985
山県(旧飯富)以外は小身(高坂に至っては百姓)だから本人以外はあまり出世出来とらん(マシなのは内藤弟ぐらいか)
それに一番大人だった飯富も義信と一緒に粛清されとる(山県になった理由でもある)

988 :人間七七四年:2021/02/09(火) 18:50:34.99 ID:eN3U/EQ9.net
改めて信玄の組織運営ってたしかに見事だな

989 :人間七七四年:2021/02/09(火) 19:19:57.02 ID:B5kK9Pz4.net
元今川家臣だと井伊は別格として岡部、朝比奈あたりが目立つところか

990 :人間七七四年:2021/02/09(火) 19:59:15.95 ID:uhQWByAs.net
>>989
活躍は明治になるけど駿河伊達も

991 :人間七七四年:2021/02/09(火) 20:37:12.01 ID:nDyVFuOJ.net
>>984
例えばどの辺のことを言ってるの?
小山田とか?

992 :人間七七四年:2021/02/10(水) 07:30:47.64 ID:wXLcAjmh.net
今川の家臣筆頭だった三浦はいまいち存在感が薄いな

993 :人間七七四年:2021/02/10(水) 12:47:39.65 ID:oPb5bsT+.net
滅ぼした大名の大身なんて余程の理由がなきゃ重用したい理由もないからな
没落してた直政みたいなのが一番使いやすい

994 :人間七七四年:2021/02/10(水) 12:56:27.07 ID:Ng9G+ow6.net
一応三浦は東軍だったのに藩主の外戚とは言え元豊臣系で西軍だった美濃石河とほぼ同格の扱いは流石にひでえな

995 :人間七七四年:2021/02/10(水) 14:49:40.44 ID:anbzhxCV.net
>>984
織田の侵攻路から外れてた北信・上野の真田・高坂・内藤あたりは生き残ってる
後者2人は本能寺後に没落したけど

996 :人間七七四年:2021/02/10(水) 18:58:01.59 ID:Q4bZ9Xp4.net
武田四天王だと子孫が断絶したのは高坂くらいで、後は他家の家臣になったりして
子孫は続いていたんじゃなかったか

997 :人間七七四年:2021/02/10(水) 19:18:47.17 ID:o+v1ujXw.net
長篠後10年たたずに武田が滅びたとはいえ四名臣の子供の影の薄さは異常
馬場の息子とかいい歳だったろうに

998 :人間七七四年:2021/02/10(水) 19:27:09.91 ID:S3rhnNEV.net
山県の子孫は現在旅館経営だっけ

999 :人間七七四年:2021/02/10(水) 19:33:00.70 ID:NRUS+Nhc.net
格闘家の高坂剛って覚えてるかな?
あの人自身は滋賀県の出身なんだけど
デビュー直後の若手の頃から高坂の子孫だって言ってる

ちなみに格闘技・プロレス関係で言えば
アントニオ猪木の母方が相良氏の出自らしい

1000 :人間七七四年:2021/02/10(水) 19:37:17.19 ID:dCK4U9vQ.net
実は創作だった通説・俗説6【コピペ・レッテル貼禁止】
https://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/sengoku/1612849924/

1001 :2ch.net投稿限界:Over 1000 Thread
2ch.netからのレス数が1000に到達しました。

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