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秀吉死後の騷動・事件等を考察する

1 :人間七七四年:2021/03/16(火) 19:10:06.61 ID:OjTd6FiR.net
秀吉の臨終間際の頃から様々な騷動、事件、政治闘争などがあり
関ヶ原等を経て最終的には豊臣政権は崩壊するわけですが
そこまでの過程にあった騷動や事件などについて色々と考察してみましょう

2 :人間七七四年:2021/03/16(火) 19:48:38.65 ID:OjTd6FiR.net
某スレがスレタイと内容がずれている気がしたので
終わりそうだし、内容に合いそうなスレタイを考えてみた

3 :人間七七四年:2021/03/18(木) 19:15:10.15 ID:nkLrHxJ9.net
会津征伐というと堀の訴えが注目されやすいけど
藤田の出奔も結構重要なんじゃないかな
そもそも景勝って家督相続直後に家臣や国衆の反感かって
御館の乱招いてるし、新発田にも反乱起こされてるし
家臣掌握に少々問題があったんじゃなかろうか

4 :人間七七四年:2021/03/18(木) 19:35:22.17 ID:/qtAPRAL.net
>>3
秀吉の天下統一からは戦国大名から近世大名に脱皮を強制されてる時期っての意識しとかないとそこの認識すぽっと抜け落ちやすいよね
国衆だった連中を家臣として組み込むってかなり大変

5 :人間七七四年:2021/03/18(木) 19:40:41.04 ID:ybbmVFXM.net
上杉の場合、加増とはいえ転封も起きてるからな
唐入りの事もあるし、正直大変ではあったと思う

6 :人間七七四年:2021/03/19(金) 00:09:09.82 ID:wT1/zZJ2.net
上杉の会津転封は栄転で、関ヶ原では豊臣家の忠臣として立ち上がった。というと何か違和感があるよな‥

家康の関東転封と同じで父祖の土地から切り離されてるし。

7 :人間七七四年:2021/03/19(金) 09:37:27.00 ID:SiA0Pg7E.net
それどころか堀氏とトラブって結果関ヶ原っていう

8 :人間七七四年:2021/03/19(金) 10:11:20.53 ID:2a3imTeD.net
>>7
「彼氏とトラブって」に見えた

9 :人間七七四年:2021/03/19(金) 15:15:55.70 ID:VyijBvRd.net
>>3
抑々、藤田の経歴少し調べると相当物の見方が変わりますんで調べてください。
元々は武蔵の国人の家柄で、山之内上杉の家来の家柄でした。

しかし川越の夜襲で山之内上杉が凋落すると北条氏に臣従してます。その後真田の調略に乗り
武田に寝返り、相当な知行を受けたらしい。
武田氏滅亡後は上野の国人として滝川配下に成り、更にこの辺よくわからんけど最終的には一族
連れて越後に落ち延びていったと。

つまり元をたどれば山之内上杉譜代の国人、でも自分の領地守る為に北条、武田、滝川と目まぐるしく
主人を変えたと。

家康が、先祖ゆかりの武蔵か上野に領地与えるって言えば直ぐ食いつくでしょうね。
まあ、寝返りの常習犯なんだし

10 :人間七七四年:2021/03/19(金) 15:33:56.81 ID:lRBtEcZL.net
研究持ってこようねー
なんでもかんでも陰謀で語るお花畑さで他人に迷惑かけちゃダメよー

11 :人間七七四年:2021/03/19(金) 15:38:40.28 ID:lRBtEcZL.net
上杉はなんで秀吉朱印状にある家臣全員連れてけって命令を無視して越後に置いて行ったのか
家臣扱いされた国衆がいう事を聞かなかったのか、どちらにせよここで命令違反が起きてるね

12 :人間七七四年:2021/03/19(金) 20:25:43.28 ID:VyijBvRd.net
>>11
でも、色んな資料に阿賀野川以南が上杉家の所領で、以北は事実上の独立勢力が臣従してるだけって
書いてありますしね。

在地の土豪が残るのは仕方ないかも。

13 :人間七七四年:2021/03/19(金) 20:27:31.13 ID:Bka23tg5.net
と言っても残した家臣達に一揆を起こさせているからなぁ

14 :人間七七四年:2021/03/19(金) 20:33:53.96 ID:6PURwNIl.net
そう言う事が起きるから家臣連れてけって命令出しとる訳だし…
江戸時代だと転封になったら家臣は絶対引越しで引越しを拒否する家臣はクビにせいって事になってる。
家臣残していくって事は未練があったんじゃろう。

15 :人間七七四年:2021/03/19(金) 20:51:23.40 ID:Bka23tg5.net
家臣纏める能力の無い主君はどうしようもないだろう
秀家なんてその典型じゃないかな
宇喜多騒動の時だって家康は秀家の事は不問に付して、戸川は引き取ってやり
宇喜多左京、岡越前、花房秀成等は国元に謹慎という穏便な処分をして
ある意味挽回の機会を与えているのに、大西先生の本を見ると結局、岡と花房は致仕しちゃったみたいだし
そのせいなのか、決戦直前の日付の書状で家臣に人質を求めているけど

16 :人間七七四年:2021/03/19(金) 21:11:31.37 ID:i5n+/UT9.net
だって秀家は若いし…
秀吉がもうちょっと生きててくれたらね…

17 :人間七七四年:2021/03/19(金) 21:44:48.10 ID:lRBtEcZL.net
大西氏いわく
宇喜多秀家の家中でのもめごとは秀吉存命時から起きてるし、家康の裁定も秀吉存命時の裁定に習ったもの

18 :人間七七四年:2021/03/19(金) 23:58:42.25 ID:2hAet78k.net
今日埋まったばっかのスレでも指摘されてたが、なんだったら秀家の責任問うて腹切らせるの回避するために家老たちの処分も甘くした可能性すらあるのよね

19 :人間七七四年:2021/03/20(土) 00:04:16.60 ID:YowkrIYa.net
そりゃまぁガチでやったら宇喜多家滅亡してとんでもない事が起きるに決まってるもんなぁ

20 :人間七七四年:2021/03/20(土) 00:22:39.90 ID:yfnScHnb.net
>>12
少なくとも加増転封ですけど家臣化するよう言われた国衆が言う事聞かないんで置いてきます、そんな言い訳が通る社会ではない、加増は褒美であると同時にしっかり治めるようにっていう義務でもあるんだから
まして一揆まで起こさせてるし、どの程度かは意図してやった可能性すらある
後釜に入る大名からしたらこっちのいう事聞かない連中が自分の領地に居座ってる訳で、たまったもんじゃない

21 :人間七七四年:2021/03/20(土) 06:53:46.43 ID:O5HVPj4v.net
>>15
七将襲撃事件の時の三成の処分も軽いよな
肝心の福原達目付連中も減封くらいだし

22 :人間七七四年:2021/03/20(土) 07:01:54.85 ID:LuwzYJ9A.net
>>21
ただ、軽く済ませるってのが無条件でいい訳でもない
見方を変えれば家康のやり方はその場しのぎでしかなくて問題の先送りでしかない
結局はなあなあで済ませたことで関ヶ原という大爆発が起きてしまってるからな
もっとも強権をもって処理するという事は家康に政権の専横をしろってのに等しいから
それはそれで問題になりそうな気もするが
完全合議制はそれこそ何も決まらん可能性が高いからもっとマズイだろうし

23 :人間七七四年:2021/03/20(土) 07:08:43.83 ID:UlQYyGVL.net
上杉も中央政権を舐めきっていたからあんな行動をしたのかもな

24 :人間七七四年:2021/03/20(土) 07:43:52.42 ID:YowkrIYa.net
家康は律義者だとか色々言われてるけど、その真髄は仲裁にある。家康は仲裁が上手い。
争ってる者の言い分を聞いて着地点を作ってやる。そんな逸話が多い。オールオアナッシング的な裁判傾向のある豊臣政権において家康が重用されたのもそんなところなのかもしれない。
ただ、結果的にそれは火種が燻ることになる。しかも結局燃え上がったし。

25 :人間七七四年:2021/03/20(土) 08:31:16.75 ID:geqndzhh.net
>>21
七将と言っても温度差はあったんだろうとは思うな
むしろ実害を蒙った蜂須賀、黒田あたりは福原達軍監連中の方が目的だったんじゃないかね
福原達の処分を伝える大老達の連署書状も蜂須賀、黒田宛になっているし

26 :人間七七四年:2021/03/20(土) 09:06:06.80 ID:3/MBR1WF.net
結果的にだけど大友吉統が改易されてその後釜に軍監連中が配置されたのって
彼らにあらぬ疑いをかけられても仕方がない構図になってしまってるよね
2度の遠征の間には秀次事件みたいな粛清もあったりして
蟄居させられた蜂須賀家政なんかはかなり追い詰められた心情だったのでは

27 :人間七七四年:2021/03/20(土) 10:14:33.10 ID:geqndzhh.net
ついでだけど三成とその息子の処遇を伝える家康の書状は
福島正則、蜂須賀家政、浅野長政宛だね

28 :人間七七四年:2021/03/20(土) 11:27:01.74 ID:KptqdgQ6.net
>>25
蜂須賀・黒田は蔚山城救援戦でのいわれなき非難と領土削減をどうにかしないとならんし、
加藤は三成を抹殺しないと何されるか分かったもんじゃないしなぁ

29 :人間七七四年:2021/03/20(土) 15:36:41.31 ID:m4xn+02v.net
>>21
普通に奉行じゃ無くなってるので、政敵排除としては条件みたしてるでしょ。
家康が一番怪しい立場なのに、何故か無関係アピールって茶番だし。
>>22
完全合議制ってのは全員の合意「五大国の拒否権みたいな感じで」が必要だけど、豊臣の五大老は
そういう風にみえないな。

徳川、前田が別格なので、対立した時は通常他の大老含めて4対1か3対2になる。
しかし宇喜多は前田の婿だし、上杉は徳川嫌いで有名な人物なんですよね。
つまり、最初から固定票三票の前田が圧倒的。

30 :人間七七四年:2021/03/20(土) 15:46:56.61 ID:m4xn+02v.net
>>24
家康の謀略の神髄は、争ってる奴の憎悪を都合の良い所の誘導する事でね。
そして自分は安全地帯で、仲裁してる様に見せるのが芸術的に上手い。

信長横死後の、甲斐信濃の一揆とか「家康煽動にしか見えんのに建前は」とか典型的。

あるいは、福島正則に毛利輝元を口説かせ、大坂出たら父子斬首、吉川に周防長門とかの処分を
伝えるとかさ。
これじゃあ毛利輝元の憎悪は、吉川広家と福島正則に行ってしまう。

更に毛利の元本拠の安芸備後に福島正則を入れる。こうすれば毛利と福島は仇敵同士に成るんで
家康は安心。

本当、どこで習ったんだと思うくらい謀略の達人、芸術的、ピカレスクな魅力が物凄い。

31 :人間七七四年:2021/03/20(土) 16:13:29.04 ID:yfnScHnb.net
例え話荒らし、知識ないの丸見えな上に芸も一つ覚えでつまんない
学ぶ事すら惜しんで勝手に自分で気持ちよくなりたいだけなら、ここじゃなくブログでおやり

32 :人間七七四年:2021/03/20(土) 16:16:01.24 ID:yfnScHnb.net
あ、それとも自分が参考にした研究やっとこさ持ってこれたかな?
じゃあぜひどなたの研究引っ張ってきて毎回珍説述べてるのか聞かせてもらおう

33 :人間七七四年:2021/03/20(土) 16:19:38.88 ID:yfnScHnb.net
秀吉没後の遺言された政権をできる限り崩壊させないよう立ち回ってるよね、家康
まぁそれも皆さんが言ってる通り西軍が挙兵して完全崩壊するわけだけれども

34 :人間七七四年:2021/03/20(土) 19:38:41.91 ID:diM471wB.net
「にしか見えない」「としか考えられない」など極論を吐きたがる一番分かりやすい
バカの特徴を満たしていてくれるのでありがたい

35 :人間七七四年:2021/03/20(土) 19:51:49.84 ID:YowkrIYa.net
七将による三成襲撃事件は割と誰も得してないからなぁ。
家康は確かに株を上げたけど、五大老五奉行を全員徳川に連なる者にチェンジするといった事が出来なかった。
七将は三成を死に追い込めなかった。
毛利らは今度こそ家康の風下に立たされたけど、失脚した訳じゃない。

36 :人間七七四年:2021/03/20(土) 21:11:03.28 ID:/ojMK0AR.net
>五大老五奉行を全員徳川に連なる者にチェンジするといった事が出来なかった。


普通に豊臣家を滅ぼすより難易度高そう

37 :人間七七四年:2021/03/20(土) 21:38:27.74 ID:yfnScHnb.net
得したかどうかで見るってのもおかしな話だしね それは陰謀論よ、こいつ得したから裏でなんかしたに違いないってのは

なによりもまず史料による裏付けで関係を見てくべきだしそれが見当たらないなら下衆の勘ぐりをすべきでないし

38 :人間七七四年:2021/03/21(日) 05:57:14.95 ID:i8ELwF7J.net
ゲスの勘繰りなんて人聞きが悪い…
例え話は結果からの逆算意外の思考ルーチンを持っていないのと司馬小説が好き過ぎるだけで別に悪気はないんですよ?

39 :人間七七四年:2021/03/21(日) 06:38:45.54 ID:55Z1CLBN.net
家康がーというより、絶対的な君主の秀吉がいなくなったから、各自の不満が爆発して感じなのかな。

40 :人間七七四年:2021/03/21(日) 06:58:45.91 ID:i8ELwF7J.net
そうだね
>>24が言ってる「家康は仲裁が上手い」ってのもちょっと違ってて、家康が特別に上手いわけじゃなく
普段から命のやり取りしてる人間にとってお互いが納得できる落としどころ見つけるのは必須スキルで
でも秀吉が育成した連中は秀吉の絶対的な力背景に自分や自分が味方したい奴が100%勝つのが当たり前になってたから
その辺の調整能力が低くて、豊臣政権自体が不満分子作りやすい構造になってた
だから絶対的権力者がいない状況で普通に利害調整できる奴がいたらそっちに転んじゃう

41 :人間七七四年:2021/03/21(日) 07:03:08.04 ID:i8ELwF7J.net
豊臣の権威の根底には「あんな (当時の価値観的には)理不尽を堂々と通せるなんて太閤殿下はなんて強い方なんだ…勝てるわけねえ」ってのがあって
まともに利害調整する政治やり始めたらそれがどんどん薄れてくから奉行からしたら許せないのもまあ分かる

42 :人間七七四年:2021/03/21(日) 10:21:48.46 ID:f9Xz7QRD.net
なんでか知らんが三成への憎悪が凄いんだよなぁ。
朝鮮出兵では秀吉に有る事無い事吹き込んでるって思われてるし(加藤・黒田・蜂須賀)
秀次事件も裏で讒訴したのは三成で、三成にとって都合の悪い連中をハメようとしたって言われてる(前田・浅野)
一説には三成が有能な取次で、絶対に勝訴させるが故に憎みを買ったんじゃないかとか。

43 :人間七七四年:2021/03/21(日) 10:58:16.64 ID:JCgCuBJd.net
三成が取次してた先と関わりそうな人ばっかりじゃないし
普通に唐入りで交渉役の一人な上に軍目付と懇意だったこと、秀次事件の際に得をした人物である事から推測されたんじゃないの

実際にそうだったのかとそう思われていたとはまるで別の話だし

44 :人間七七四年:2021/03/21(日) 19:55:16.93 ID:Oa2/hyjH.net
>>28
清正は清正で家康が庄内の乱のとき解決のため色々と手を打ってる時
勝手に介入してたりするからな
山田氏に拠ればその所為で家康と清正の間は相当冷え込んで
会津征伐も参加させて貰えなかったらしいし

45 :人間七七四年:2021/03/21(日) 22:16:51.29 ID:JCgCuBJd.net
確か山田氏は肥後加藤家の財政状態があまりよろしくない旨も研究されてたはずだけど
庄内の乱に介入したがったのはこの辺りも遠因なのかねぇ

話少し変わるけど関ヶ原時に島津が加藤領の住人さらってったのを同村民がリストにした文書が話題に上がってるね

46 :人間七七四年:2021/03/22(月) 06:42:50.26 ID:ROyFZXf5.net
>>39
特に強力な絶対君主が死んだあとってのはこういう事態は起きやすくはなるよ
勝てない相手がいなくなってから事を起こすってのは大人に許された
割と有能かつ、真っ当な対処法だし
結局、個人のカリスマと能力だけで政権を維持してしまうからこういう事になる
これは個人的な考えなので異論は出るだろうが、先代が病死してから大体
3〜5年以内に政権崩壊、もしくは支障をきたすレベルの大事件が起きた場合、
当代は勿論だが、先代にもある程度の責任はあると思ってる
理由不明の突発的な謀反とか、予期せぬ戦死とかならしゃーないとも思うけど
それ以外では、死んだ以上死後の混乱に関して先代に責任はないという考え方は
あまり賛成できない

47 :人間七七四年:2021/03/22(月) 08:53:06.93 ID:0tdZqizH.net
>>46
現代の会社でもよくある話だよな
二代目が秀忠のようにカリスマ性は劣ってもきっちり自分の仕事が出来ると安定して長持ちする

48 :人間七七四年:2021/03/22(月) 10:12:13.25 ID:5tybHlz2.net
特に豊臣政権では秀吉個人の資質への依存が顕著で、秀次に関白職を委譲したまでは良かったが
結局結果としてはそれをひっくり返し再び自身へ権力を戻してしまった。
確かに秀次の資質の問題が我々の知らないレベルで何かあったかも知れないが、政権維持の観点からは秀吉が病などで耄碌せず丈夫で長命しない限り悪手としか言えないもの。
秀頼成年まで政権維持するのですら実際は困難だったろうし。
余りに秀吉に依拠しすぎた無理が秀吉没後の政争の原因。三成ら豊臣政権吏僚や自己の勢力圏を増やしたい毛利上杉ら、そして家康すらもその矛盾に振り回された感がある。

49 :人間七七四年:2021/03/22(月) 12:38:23.54 ID:WyeXq+k3.net
秀吉は何で日本統一した後外征なんかしたのか。
まず支配体制を確立してからにしようや…

50 :人間七七四年:2021/03/22(月) 12:43:26.96 ID:Nw45sBWo.net
大量にいる生産に寄与しない腕っぷしだけの連中を食わせていくなら外征なんだろう
成功してたらっていう括弧がつくけども
あとは支配体制についても秀次存命の時は固まってるよね
自分で潰したけども

51 :人間七七四年:2021/03/22(月) 17:19:40.99 ID:GHU+sE+A.net
>>49
そも、支配体制の確立というか統治機構の整備に事実上終わりなんかない
江戸幕府も試行錯誤を繰り返して役職を創設・廃止、変革している、現代もそうだ
>>50にもある通り、秀次体制は整えているしね(自分でぶっ壊したが)
後、あの時代外征自体はむしろ普通だ、軍人相当の武士層を業務内容の転換によって
役人に変えてしまった江戸時代の方が異質(家康ではなく幕府の方針だろうが)

52 :人間七七四年:2021/03/22(月) 17:54:29.34 ID:DD5TUABB.net
>>51
異質とか言うけど
日本の生産力が高まった上に過剰な戦闘員を秀吉家康秀忠家光ぐらいの長い期間でひたすらリストラしまくった成果やけどな
この頃の余剰戦力は文禄慶長という海外出兵でも全然整理出来ず傭兵輸出しまくってる

53 :人間七七四年:2021/03/22(月) 18:52:36.00 ID:CHOs3SkY.net
家光時代くらいまで外征は選択肢に入ってはいた感じだけどな
後世から見るとありえないってみえるけど

54 :人間七七四年:2021/03/22(月) 19:29:18.14 ID:Mwas3pVI.net
要は江戸幕府すげーじゃないという事
ある意味天下統一した秀吉以来ずっと対応してきた成果が綱吉の頃にやっと実を結んだだけと言える

55 :人間七七四年:2021/03/22(月) 20:07:04.52 ID:pgg1RRGw.net
>>53
一応オランダと同盟して外征、って計画はあった。
ただその財源が何処も確保出来ないと知って中止した。

56 :人間七七四年:2021/03/23(火) 14:48:34.87 ID:20BUrWSa.net
>>44
この辺りそういえばちょっとおかしな話だねってのがツイッターにありましたね
庄内の乱から会津征伐までの間に一度清正が上洛が許されてるし
むしろ疑われているなら遠征中目が届かなくなる領内に留め置かないだろうとか
伊東氏も許されてるのに1年以上も清正だけ許されてないのは不自然って点で

むしろ九州に信用できる人物を置いておきたかったのではって考察なされてる方がいらっしゃった

57 :人間七七四年:2021/03/23(火) 19:37:57.32 ID:B2NUub1c.net
三成と親しかった伊集院忠棟を殺害した庄内の乱の原因である島津忠恒の謹慎解除の裁定したのは
前田、増田、長束等三奉行なんだよな

58 :人間七七四年:2021/03/23(火) 21:23:48.11 ID:XfSMCHg6.net
忠恒が家康と親しかったから家康の影響って言う人もいるけど、
実際問題取次の殺害は割と公儀への反逆なので、豊臣としても落とし所あるならそこに着地させたいって気持ちはあったろう。
朝鮮の傷も癒えないのに島津討伐とか考えたくもなかったろうし。

59 :人間七七四年:2021/03/23(火) 23:01:43.43 ID:20BUrWSa.net
確か島津取次の三成も激怒したものの結局は関係維持に動いてるし
奉行ら含めて豊臣政権の総意として、島津が言う事も聞いて弁明してるし事を大きくしたくないって判断だったんだろう

60 :人間七七四年:2021/03/24(水) 05:04:03.07 ID:UOW9tRDU.net
まぁ結局忠真が反乱を起こして色々な人間が介入する大きな事態になっちゃったけど

61 :人間七七四年:2021/03/24(水) 06:54:54.33 ID:CMQM0c+t.net
>>60
そらまあ、父を殺害されたのになあなあで済まされて納得する訳ないだろうしな
島津のやり方も割と中途半端だし(後にきっちり粛清するけど)
島津の秀吉死後から、関ヶ原後の戦後処理に至るまでのごたごたや領地安堵までの
やり口って、本当に領地が九州の端で中央が処理が面倒だと思ってたから
許されたムーブだろ、こんなの普通ならただじゃ済まないよ

62 :人間七七四年:2021/03/24(水) 07:03:15.71 ID:FSYMBEqW.net
まぁ上杉とかそこらへんなら一発レッドだろうな…
それに実はこの時期、島津は明・朝鮮との和睦にも噛んでたので潰す事が出来なかったらしい。

63 :人間七七四年:2021/03/24(水) 09:48:40.94 ID:d72MH8Vw.net
ツマンネ

64 :人間七七四年:2021/03/24(水) 10:36:58.30 ID:m/FCbuXo.net
島津が対明外交にどの程度関わってたのか気になりますね

65 :人間七七四年:2021/03/24(水) 11:37:13.56 ID:Ficqc4t0.net
ツマンネ

66 :人間七七四年:2021/03/24(水) 13:06:36.05 ID:mgzFOS1Z.net
>>62
島津が明、朝鮮の和睦に噛んでるがゆえに潰せなかったというのはどなたが提唱してる研究なんですか?

67 :人間七七四年:2021/03/24(水) 14:15:22.46 ID:Ficqc4t0.net
ツマンネ

68 :人間七七四年:2021/03/24(水) 18:03:25.16 ID:FSYMBEqW.net
>>66
うろ覚えなんだが高橋陽介の「秀吉は家康政権を遺言していた」だったかな。

69 :人間七七四年:2021/03/24(水) 20:23:21.35 ID:Ficqc4t0.net
摘まんね

70 :人間七七四年:2021/03/24(水) 21:03:50.28 ID:cXoR7r9q.net
>>68
高橋氏の本でしたか、ありがとうございます

71 :人間七七四年:2021/03/25(木) 01:05:55.37 ID:CGTY2tMp.net
ツマンネ

72 :人間七七四年:2021/03/25(木) 01:22:25.00 ID:G2AvCC/p.net
秀吉死後、家康は直ちに撤退を命令してる
と、同時に従来外交担当は小西行長と加藤清正だったところ「日本が敗走するという形にさえなならなければ良い。どんな手柄でも良いので立てよ。交渉できる者に交渉は任せる」という書状で誰でも外交担当になれるようにした。
それで島津は手柄を立てたので…って話

73 :人間七七四年:2021/03/25(木) 01:27:36.38 ID:9xReZ5+B.net
>>41
まあ、理不尽を強引に通すことで権威高めるってのも、乱世ではありがち。
三国志の孫呉の当主なんて、意味不明の理由で死刑連発してたりするもんな。

只さあ、それを言うなら私婚問題とかでの家康が当てはまると思うよ。
無法を堂々と通すことで、徳川の権威を高める訳で。

74 :人間七七四年:2021/03/25(木) 01:58:42.05 ID:rOlkrJFt.net
無法を通そうとしてる例え話荒らし君
そんな無法は通らないからさっさと研究持ってこよう

75 :人間七七四年:2021/03/25(木) 02:01:48.93 ID:rOlkrJFt.net
>>72
なるほど、そういう内容が書かれてるんですね
露梁海戦での手柄が認められたてことですかね

76 :人間七七四年:2021/03/25(木) 02:34:18.15 ID:wY15G+53.net
>>73
私婚問題に関しては、それ以前に他の大老奉行がルール無用と言わんばかりの挑発しまくってた流れがあるから
家康に特異的なやり方とは到底言えないかな

77 :人間七七四年:2021/03/25(木) 02:49:09.89 ID:rOlkrJFt.net
>>76
議論するにあたって最低限の事(参考研究の明示や論理的整合性、蓋然性と可能性の違いの把握など)
これらを満たしてない相手に内容を把握した形で話しかけるべきでないよ

話し合いを放棄した相手をまともに扱うべきでない、扱うならその相手が研究や詭弁を弄する態度を改めてきてからだよ

78 :人間七七四年:2021/03/25(木) 07:00:04.72 ID:G2AvCC/p.net
>>75
確かそうした流れだったはず。島津はこの手柄で明との交渉を前進させたとのことらしい。

79 :人間七七四年:2021/03/25(木) 07:07:19.44 ID:G2AvCC/p.net
>>73
家康の私婚問題なんてなかったって話もあるけどね。
そもそも、秀吉の遺言なんて守られてるところがない。
例えば「一、大名少名深重令契約、誓紙等堅御停止事」誰も誓紙なんか交わすなよ、という御掟があるけど三成はこれを破って輝元と勝手に製紙を交わし合ってる。
これは政権担当者が秀頼の為にやるから良いんだ!って言う人がいるけど(大西泰正氏とか)、
なら政権担当者たる徳川家康が誰と縁戚になろうがそれが「秀頼さまのため」といえば文句をつけることは出来ないことを意味する。
一次資料である言経卿記では1/19に持ち上がった問題が翌日には解決したとあるのでそんなに大騒動にはならなかったようだが…

80 :人間七七四年:2021/03/25(木) 09:45:30.38 ID:8FuAVe2Q.net
>>79
本多隆成氏らの主張がまさしく、政権担当で豊臣の縁戚として秀吉からも推されてた家康が縁戚を作って豊臣家と他家との関係を強化することに問題はないって主張
柴氏はどうだったかな

81 :人間七七四年:2021/03/25(木) 10:13:12.16 ID:dEDu+3lJ.net
実際のところ、この一件で徳川と諸将との結婚が取り止めになった様な話が無いんだっけ?
だから家康の誓紙にある「今度縁辺之儀付、御理之通承届候」ってのは淀君との婚姻だったって説もある。
この時期、家康と淀君が結婚するという話が噂に登るようになってることから、秀吉から淀君との婚姻を頼まれた家康が一向にそんな素振りを見せないので問題になったという話。

82 :人間七七四年:2021/03/25(木) 13:06:10.10 ID:eU4ZKRWD.net
秀吉は自分が織田家にしたことをわかってる
あの時跡継ぎも一緒に死んで嫡孫は赤子。今の天下を支えられる器量を持つのは自分だけという認識
だから織田家を尊重しつつ天下をまとめたし織田の宿老である丹羽も協力した
なので自分が死んだ後幼い秀頼がそのまま天下を握れるとは思ってなかったんじゃないの?そうなると実力の突出した徳川に任せるのが1番豊臣にとっても安全な策だと言える

それが三成にとっては都合の悪いことだったんじゃないのかね

83 :人間七七四年:2021/03/25(木) 13:55:05.67 ID:u0nR7E5L.net
突出したではなくもっと言うなら秀吉が突出させた、なのよね
自分も君と同じように考えてるけど、まぁあまり推量を重ねすぎるべきではないかな
少なくとも政権担当は、家康

84 :人間七七四年:2021/03/25(木) 16:00:42.36 ID:tYy5TKZt.net
その場合だと、秀吉は家康に『秀頼が成長して才無きときは君が政権をとれ』とでも言っといた方が良かったのかな‥かえって縛りが出て良くなかったのかな。

85 :人間七七四年:2021/03/25(木) 16:24:06.57 ID:68/W1lrP.net
というか、豊臣政権というものは偏に秀吉個人の武威によるものが大きくて、秀吉が亡くなった時点で政権としては崩壊してると言ってしまっていいかと
秀吉個人もそこを理解しているが故に徳川と豊臣の合体による家の繁栄を目指してると解釈すべきかな

86 :人間七七四年:2021/03/25(木) 16:44:23.33 ID:7m2L4F6v.net
普通に考えたらそれしか考えられないんだよな。
もちろん、秀吉が家康を敵視している史料でもあれば別なんだけど。

にもかかわらず、盲目的な石田信者ばかりか、史家や学者でさえ家康を簒奪者であるかのような捉え方をするのはなぜなんだろう?
議論はいろいろあるだろうけど、少なくとも関ヶ原までは、家康は秀吉遺言体制に忠実かつ、政権安定に努めていたと思うんだが。

87 :人間七七四年:2021/03/25(木) 16:47:04.58 ID:vZgFqQd7.net
地震にブルってないで小牧長久手の後に徳川と雌雄を決するべきだったね
徳川北条連合軍なんて数の暴力で何とかなったやろ

88 :人間七七四年:2021/03/25(木) 17:06:40.88 ID:CGTY2tMp.net
ツマンネ

89 :人間七七四年:2021/03/25(木) 17:12:02.62 ID:uQGCyCSv.net
>>86
昨今でそこまで言う学者も減ったし前進はしてるでしょ
これまではストーリーありきで史料の信憑性を二の次にしてた節が史学研究にはあったけど
実証史学が少しずつ根付いている

90 :人間七七四年:2021/03/26(金) 01:02:30.77 ID:aOllUtFu.net
>>86
典型的な結果からの遡及による評価だよ。
最終的には家康が征夷大将軍として開幕して政権を成立させ、かて豊臣を族滅した結末から
豊臣衰退から滅亡による最大の受益者が家康であり、後事を託されながらこの結果となったからに他ならない。
結果の遡及で評価してるので、実際のそうなった過程はガン無視。ある意味最初から結論ありきの事と思う。
それが具体的には明治の旧幕権威の減衰を狙った幕府否定史観由来か否かは別にして。

91 :人間七七四年:2021/03/26(金) 07:10:48.59 ID:0yatleZw.net
実は、白峰の論文を待つまでもなく、5ch(当時2ch)では七将襲撃の『襲撃』には疑問が呈されていた。
まぁ、当時はめちゃ叩かれてたけどね。

92 :人間七七四年:2021/03/26(金) 07:18:45.78 ID:j/g6bkcV.net
>>90
言うて関ヶ原の戦後処理が露骨過ぎるからしゃーない
関ヶ原で活躍した秀吉恩顧は加増するけど遠地に追いやって
大して活躍してない徳川の身内に大盤振る舞いやからな

93 :人間七七四年:2021/03/26(金) 07:40:39.65 ID:0yatleZw.net
それが結果からの遡及なのでは。。。

94 :人間七七四年:2021/03/26(金) 07:52:24.22 ID:u2GcvD0l.net
>>93
関ヶ原の論功行賞は普通に過程の話やん
家康が身内に功績に見合わない褒賞を大盤振る舞いした事実はちゃんと考察せなアカン

95 :人間七七四年:2021/03/26(金) 08:01:17.99 ID:EsFi42v3.net
家康忠臣説は逆張りの域を出てないと思うな
当時は今以上に糾弾される可能性が高いわけで
そりゃ最低限の理屈付けはするだろうとしか

96 :人間七七四年:2021/03/26(金) 08:40:09.81 ID:rOnOyujP.net
日本人は世襲大好きだけど非常時に子供や無能にトップを任せられないというのがある
信長→秀吉→家康の流れはそれで当時の武士達から当たり前のこととして承認されてたんでしょ
家康が将軍になってすぐ世襲して豊臣を滅ぼして天下が落ち着いたことを示したから日本人が大好きな世襲社会に戻ったけど
なのでまあ秀吉から家康に武家の頂点が移ったことに抵抗があった人はそんなにいなかったんじゃないの?別に秀吉を裏切ったわけじゃないし

97 :人間七七四年:2021/03/26(金) 09:58:38.26 ID:ye/h7MKj.net
人間わかりやすい、納得しやすいものにどうしても吸い寄せられる訳だけど
そこを踏みとどまって、客観的に過程・筋道の実証を行っていくのが学問なのよね

豊臣恩顧と呼ばれる連中が遠地に追いやられてるってのは見方が変かな
池田なんて姫路宰相だし

98 :人間七七四年:2021/03/26(金) 10:00:43.32 ID:ye/h7MKj.net
>>95
少なくとも現状信用できる史料からそう読み取れる事のが多いよ、それすら逆張りと言うならいうだけじゃなくある程度の実証がないと難癖だよ

99 :人間七七四年:2021/03/26(金) 12:09:44.94 ID:0yatleZw.net
>>94
役員が一番ボーナスが大きいのは当たり前。

100 :人間七七四年:2021/03/26(金) 12:17:14.87 ID:Ydhz5Qe6.net
そりゃ徳川親衛隊もちゃんと仕事してる以上恩賞出さないといかんし。
後豊臣恩顧諸将には蔵入地の削除という巨大恩賞があるし

101 :人間七七四年:2021/03/26(金) 12:31:43.44 ID:N1zayHRr.net
関ヶ原の結果豊臣家を名目的にでも主君にすることのリスクを家康が覚ったということなのかな
伊達政宗なんか関ヶ原の後秀頼を大坂城に置いとくと担ぎ上げて謀反起こす奴がいるかも知れんよと忠告してるし
当たり前だけど家康だって自分の家と家臣の長久安泰が何よりもの至上命題だったんだから

はっきり言って豊臣政権を続けようとするなら徳川家が家臣含めた身上挙げて豊臣家に献上でもしなきゃ無理だったんじゃ

秀吉もそれがわかってて最後の掴む藁として徳川家と秀頼と縁戚関係結びまくったんじゃないかと
虫がいい話だと思うけどね

102 :人間七七四年:2021/03/26(金) 12:40:28.23 ID:Ydhz5Qe6.net
そもそも豊臣政権って言っても
徳川(三河出身の大名で秀吉とは関係ない)
前田(織田信長家臣で秀吉とは同僚友人だった)
毛利(西国の大名で秀吉とは関係ない)
宇喜多(秀家を後見として育てたけど元々秀吉とは関係ない)
と有力者全員豊臣と関係薄いもん。
こいつらが全員仲良くしてるなら兎も角、政治闘争始まったらおしまいよ。誰が優勝しようと豊臣関係者は冷遇される。
いっそ家康を関白にして全部委ねてしまった方が良かったかもね。

103 :人間七七四年:2021/03/26(金) 12:45:10.53 ID:0yatleZw.net
そうだろうね。
なので、豊臣恩顧・子飼とのいわゆる『私婚問題』は、本来歓迎される話であり、問題のはずがない。
唯一、恩顧でない伊達家との婚姻については、対上杉を考えれば当然と言える。

104 :人間七七四年:2021/03/26(金) 12:48:56.33 ID:AXyguX5b.net
秀家が当主の宇喜多まで関係薄いってなったら恩顧・子飼いも全滅だろ

105 :人間七七四年:2021/03/26(金) 12:52:06.98 ID:ye/h7MKj.net
>>103
家康は秀吉に伊達と上杉の仲直しを遺言されてるよ

106 :人間七七四年:2021/03/26(金) 13:14:04.66 ID:VsdUypb0.net
>>99
家康は役員じゃない身内に多くの領地与えてるけどな

107 :人間七七四年:2021/03/26(金) 13:43:14.00 ID:ye/h7MKj.net
役員じゃない身内っていうふわふわした言い方してるけど具体的に誰のこと言ってるの

108 :人間七七四年:2021/03/26(金) 13:44:47.62 ID:H0HTpW0U.net
結局のところ結果論でなくても家康の乗っ取りを否定するのは無理があるということ
だからといってそれは非難されるものじゃなく秀吉自身が行った事を繰り返しただけの話

109 :人間七七四年:2021/03/26(金) 13:48:29.31 ID:cZdMU31n.net
因果応報やね

110 :人間七七四年:2021/03/26(金) 13:54:38.15 ID:ye/h7MKj.net
いや変なまとめ方しないでもらえる?
今話してるのも西軍挙兵があった後の話だし

雑に僕は傍目から見る事できてますよっていう態度する前に、読みなよちゃんと

111 :人間七七四年:2021/03/26(金) 13:58:43.35 ID:H0HTpW0U.net
>>107
息子の秀康(留守番)
女婿の蒲生秀行(東北から引き上げる際の護衛)
息子の忠吉(本戦で怪我しただけ)
で加増のトップ3
他にも息子の信吉も留守番なのに当然の様に十万石以上加増されてるし
負け戦で本戦に遅れた上田合戦参加の譜代(大久保等)も軒並み加増してる

112 :人間七七四年:2021/03/26(金) 14:06:50.94 ID:ye/h7MKj.net
留守だったら加増しちゃだめなの?
西軍挙兵のせいで形だけでも存在してた豊臣政権が完全に壊れた以上、徳川自体が武威を拡大させる事が問題とは思いづらいんだけど

これが家康が乱を起こしましたー、ならわかるけど起きたあとの立て直しを見て露骨だなんだいうのは上で別の人も言ってたけど結果論じゃないかな
ついでに、上田合戦は昨今は負け戦扱ではないよ
あと蒲生なんかはよく豊臣恩顧とも言われたりするよね

113 :人間七七四年:2021/03/26(金) 14:15:24.14 ID:g5gUvtcA.net
>>112
関ヶ原に参加した大名は大体留守を守ってるのに同じ規模で加増された所は一つもないな

114 :人間七七四年:2021/03/26(金) 14:24:30.08 ID:AXyguX5b.net
>>112
資料を読めるってこととそれを正しく分析出来るかということは全く別の問題だと分かるな
なんでも結果論と言えば逃げられるわけではないぞ

115 :人間七七四年:2021/03/26(金) 14:24:36.05 ID:ye/h7MKj.net
上で言った通りの話だけど、留守だったら加増しちゃだめなのだけ取り上げられても困る

116 :人間七七四年:2021/03/26(金) 14:28:44.90 ID:ye/h7MKj.net
>>114
じゃあ西軍挙兵前から家康は秀吉の遺言を無視して乗っ取り画策してて、ってのをちゃんと研究出して反論してよ
私の主張は少なくとも関ヶ原以前はかなり忠実に豊臣政権を護持してるだけど

今の話だと関ヶ原後に家康は血族を加増したって話だけど、これが遡って乗っ取る気だったとはならんでしょ

117 :人間七七四年:2021/03/26(金) 14:32:51.67 ID:6xmpZY4A.net
>>115
上田合戦は負けでないにしても勝ちになるのか?本戦に参加する事が目的ではなかったのか?
蒲生は秀行になって家康べったりで一門衆の扱いやぞ
そして上半分の文章は単なる作文でしかない

118 :人間七七四年:2021/03/26(金) 14:34:22.41 ID:VtW0Bajw.net
>>116
ただ家康有利に加増しただけじゃなく
豊臣の蔵入地を大幅に削った上での加増や
その上豊臣系の大名は加増しつつも遠地に遠ざけてる

119 :人間七七四年:2021/03/26(金) 14:37:35.12 ID:ye/h7MKj.net
>>117
ああ、本戦参加が目的ってよく勘違いされるけど全く別で秀忠隊の目的は中山道の平定だよ、ていうか関ヶ原で合戦が起きるとかわかるわけないでしょ
んで、上半分を作文というなら、研究出そうか

120 :人間七七四年:2021/03/26(金) 14:42:00.69 ID:ye/h7MKj.net
蔵入り地、って豊臣家の私領というか政権護持の為の公領でしょ
さらに言えばその蔵入り地を管理が任されてた奉行がクーデターに軒並み参加したんだけど

遠地へというか、ある程度身内に信用できる人物で固めたのはあるだろうけど、西軍に参加した家の領地が遠方が多めなのもあるでしょ
どちらにせよ、関ヶ原っていう大きなアクシデントの後の領地替えを理由にそれ以前から乗っ取りを画策した云々って思考はおかしいよね

121 :人間七七四年:2021/03/26(金) 14:44:40.93 ID:KWNallaM.net
>>119

中山道はどれだけ具体的に平定出来たのかな?

研究があるというなら出せばいいけど
秀吉が豊臣の蔵入地を使ってでも家康の領土を広げて良いなんて遺言でもしたのかな?

122 :人間七七四年:2021/03/26(金) 14:46:05.19 ID:oMwXGBud.net
>>120
だったら信頼できる人物を奉行にするだけで良くて私物化する必要ないわな

123 :人間七七四年:2021/03/26(金) 14:48:07.36 ID:ye/h7MKj.net
>>121
中山道しっかり抑えてるよね、巷でよく言う第二次上田合戦で真田が大勝なんてのは研究で否定されてるよ
それとも秀忠が中山道進んでる時からすでに短期間で西軍がほぼ負けが確定して関ヶ原で壊滅する事がわかってたって主張したいの?

で、何度か言ってるけど関ヶ原っていう大きなアクシデントの後の領地替えを理由にそれ以前から乗っ取りを画策した云々って思考はおかしいよね

124 :人間七七四年:2021/03/26(金) 14:50:10.37 ID:bR0HX9CT.net
変に屁理屈付ける必要なくて
シンプルに「家康の身内でなかったらここまで大きく加増されたか」と考えれば不自然さが判断できる

125 :人間七七四年:2021/03/26(金) 14:52:16.94 ID:HUdizs/D.net
>>123
>中山道しっかり抑えてるよね、
何一つ具体性なくて草

126 :人間七七四年:2021/03/26(金) 14:56:02.73 ID:ye/h7MKj.net
>>125
浅野長政宛家康書状読んでみようか

親族が最も信用できるからね、そこに別に否定はないよ
だが、関ヶ原っていう豊臣秀吉没後の政権が完全崩壊した条件を無視して、家康は豊臣政権乗っ取りをはかったんだ云々を否定している

127 :人間七七四年:2021/03/26(金) 15:01:24.06 ID:/ivOgyxa.net
家康忠臣論なんて鼻で笑ってたんだけど
本気で家康が聖人みたいに考えてる人もいるんだね

前スレで三成忠臣説訴えてた人と大差無いねぇ

128 :人間七七四年:2021/03/26(金) 15:05:46.00 ID:ye/h7MKj.net
さっきからなぜか同じ話題を単発IDが話してるけど同一人物って事でよいのかな?
聖人なんて言ってないな、このスレの前の所でも話されていたけど関ヶ原が起きるまでは家康は秀吉没後政権をむしろ守る形で動いてる、関ヶ原後は関ヶ原によって崩壊したその政権の代わりに徳川が直接政権となっていく
でもその間に起きた関ヶ原の影響を無視して乗っ取りだなんだと言い出すのは見方が雑だと言ってる

129 :人間七七四年:2021/03/26(金) 15:06:51.14 ID:fvsuZ6p1.net
そもそも挙兵するような明確な謀反でなきゃ乗っ取りなんて当時の大名にとって画策するとか以前の自然な行動や
この時代公私の区別なんてほとんどないから自家繁栄のための行動を行ったら主家を上回るという事が繰り返されてきただけ

家康乗っ取り否定派こそ現代の乗っ取りの価値観に囚われて家康を無理に擁護してる

130 :人間七七四年:2021/03/26(金) 15:09:53.48 ID:ye/h7MKj.net
なんか齟齬があるな
君が言ってる乗っ取りってのは関ヶ原後のみの事をさして言ってるの?
それとも秀吉没後からやってたって言ってるの?

131 :人間七七四年:2021/03/26(金) 15:18:08.39 ID:6Kioo6r4.net
>>130
チャンスがあれば自家の勢力を拡大して主家を上回れば立場を逆転させるのが当たり前の時代でわざわざ画策という概念がおかしい
関ヶ原が大きなチャンスだったというだけ

132 :人間七七四年:2021/03/26(金) 15:21:38.46 ID:ye/h7MKj.net
なら間違いなく言ってる事は違うかな
それやるなら家康はさっさと自家にこもって他領攻めてればいい
自家の勢力の拡大に死にかけの中央政権にこだわる必要ないんだから

あとはこのスレの一応前身にあたる石田三成は忠臣なの?のスレとかもざっと遡って見てきてほしい

133 :人間七七四年:2021/03/26(金) 15:22:52.64 ID:AXyguX5b.net
>>128
少なくとも自分以外にもう一人いるのは確実
普通にあなたの書き込みがツッコミどころ多いだけだと思う

134 :人間七七四年:2021/03/26(金) 15:25:23.23 ID:Sj7uaT3A.net
>>132
中央政権に介入しなきゃ中央政権の行う論功行賞に関与できないやん
秀吉の生前から家老やってた家康が時代に逆行する様なアホな訳ないやん

135 :人間七七四年:2021/03/26(金) 15:25:51.58 ID:ye/h7MKj.net
ああ君は把握してる
どうもそのもう一人がIDコロコロ変わってるのかな

136 :人間七七四年:2021/03/26(金) 15:26:54.47 ID:KajB1sZy.net
ID変わってスマンな
IPを頻繁に変えるBIGLOBEの仕様や

137 :人間七七四年:2021/03/26(金) 15:28:36.13 ID:/ivOgyxa.net
証明に一応書き込んどくか

単発ID認定してるye/h7MKj宛て

138 :人間七七四年:2021/03/26(金) 15:30:08.71 ID:ye/h7MKj.net
なんで?自力で他諸侯のいる所攻めていけば普通に自分たちが中央政権になれるよ
当時で徳川家掣肘できるほどの勢力ほどんどないし

割と別の人も言ってるが、秀吉没後の家康はかなり忠実に遺言体制を守ってる
その上でわざわざ野心だなんだと言い張るなら相応のもの持ってこよう

139 :人間七七四年:2021/03/26(金) 15:35:04.59 ID:gr4urwAr.net
>>138
そんな事やったら東軍で味方してくれた豊臣恩顧の大名がチャンスとばかりに上杉や前田辺りを担いで介入してくるわ
なんで関ヶ原で成功した要因をかなぐり捨てる事が正解だと考えられるんや?

140 :人間七七四年:2021/03/26(金) 15:41:16.50 ID:ye/h7MKj.net
そいつらがなんで徳川に従わないと思うの?
東海道沿いの大名なんて軒並み徳川に従わざるをえなくなるよ?

これ以上はスレの主旨とまるで違うからあれだけど、少なくとも上で言ってるように
関ヶ原以後の領地替えだけをもって秀吉没後の遺言体制を守ってる事を無視していいはずがない
関ヶ原以前から乗っ取りたかったんだというなら持ってこよう

少なくとも秀吉の目論見は徳川と豊臣のより強い血縁化による徳川執政の政権だよ

141 :人間七七四年:2021/03/26(金) 15:43:39.68 ID:/ivOgyxa.net
前スレから見てるが家康がかなり忠実に遺言体制を守ってるって主張してる人そんなにいたか?
皆遺言を守ってないんだから家康も問題無いって主張してる人の方が多かった様に思うが

142 :人間七七四年:2021/03/26(金) 15:46:46.09 ID:NqhrvDy7.net
>>140
東軍の連中は家康が豊臣家の家老やってたから(恩賞にありつけそうだから)味方についたんやぞ(そこには家康自身ですら含まれる)
スレ違を理由に話終わらそうとしてるけど
あまりにも理屈がお粗末すぎる

143 :人間七七四年:2021/03/26(金) 15:48:15.29 ID:ye/h7MKj.net
それスレの最後の方でちょこっと出ただけの主張でしょ
少なくとも本多隆成氏や柴祐之氏なんかは遺言体制を守ってるって主張のはずだけど

144 :人間七七四年:2021/03/26(金) 15:51:23.28 ID:ye/h7MKj.net
>>142
そっか、じゃあそれでいいよ
でも何度も言ってるけど関ヶ原以後の領地替えだけをもって秀吉没後の遺言体制を守ってる事を無視していいはずがない
関ヶ原以前から乗っ取りたかったんだというなら研究持ってこよう

145 :人間七七四年:2021/03/26(金) 16:00:12.67 ID:0ttMaF5E.net
>>144
単なるチャンスの有無の問題でしかない
チャンスが有ったから主家を押しのけた
チャンスが有ればやるという事は消極的にでも意思が有ったという事

関ヶ原当時の一次資料でも「天下分け目」に近い表現が残ってるから当たり前の話だったんやろな

146 :人間七七四年:2021/03/26(金) 16:04:46.91 ID:ye/h7MKj.net
>>145
見る側の自分ルールでチャンスの有無で語っていいなら世の中に忠臣はないよ
また起きた以上対処しなければならないし誰かがしないといけないって思考がストンと抜け落ちてるように見える

少なくとも人に語って聞かせられる程の主張とは言い難いよさすがにそれは

147 :人間七七四年:2021/03/26(金) 16:10:07.54 ID:ofvAQJeh.net
そもそも秀吉が死んだタイミングの家康は既に筆頭家老だった訳で
大きなリスクを犯してまで無理に体制の変革を望む必要がない
(焦るのは専ら独裁者秀吉の下で権力を振るってた奉行衆側)

148 :人間七七四年:2021/03/26(金) 16:11:01.14 ID:Yiy+KwaV.net
>>146
自分のルールじゃなく当時の一次資料でもチャンスという認識の文章が残ってると言ってるんだよ

149 :人間七七四年:2021/03/26(金) 16:15:46.90 ID:ye/h7MKj.net
どの史料にどういう認識で出てくるの

畿内の衆なら西軍を豊臣軍だと思ってた節があるからそりゃ勘違いもするし
そもそも西軍からしたらまさしく天下分け目だわね、自分たちが実権奪えるかどうかなんだから

天下分け目て表現だけでチャンスがあったから押しのけあ云々の根拠には全くならんよ

150 :人間七七四年:2021/03/26(金) 16:21:54.38 ID:7HkO67Jb.net
>>149
東軍側の武将の手紙やな
NHKの関ヶ原の新説関連の番組で出てたから細かく誰の手紙だったかまでは覚えとらんな

151 :人間七七四年:2021/03/26(金) 16:22:43.97 ID:7HkO67Jb.net
>>149
表現だけじゃなく戦後の論功行賞で押しのけたんやで

152 :人間七七四年:2021/03/26(金) 16:34:19.67 ID:ye/h7MKj.net
戦後の論功行賞を元にするのはおかしいって何度言ったらわかるの

ましてやそもそも家康は朝廷から三献の儀を受けてるからその時点で関ヶ原以前から豊臣の筆頭大老でありつつ秀頼の後見っていうまんま天下人だよ、多聞院日記の内府様天下人になられ候はいつあたりの記述だったかな

なのでそもそも家康は豊臣政権化で、少なくとも朝廷から天下人認定されてるしわざわざ押しのけなくても秀頼の後見としても実権持ってるよ
天下分け目ていう表現も豊臣(家康)の天下が取られるかどうかとも取れるね、君の書き方だと

153 :人間七七四年:2021/03/26(金) 16:37:57.96 ID:vMe+28LM.net
家康の在伏見三年を命じる遺命とか、江戸に人質を集める件とか
そういえば前スレでも議論してなかったな

154 :人間七七四年:2021/03/26(金) 16:39:14.45 ID:DUzNgHF8.net
>>152
そもそも戦後の論功行賞を元にするのがおかしいという理論がおかしい
考察の一要因には違いなく除外する方が不自然

関ヶ原で家康が死んで影武者と入れ替わったというなら話は別やけどな

155 :人間七七四年:2021/03/26(金) 16:40:56.76 ID:vMe+28LM.net
あ、俺は今日初めて書き込むからね
同一人物認定は止めてくれな

156 :人間七七四年:2021/03/26(金) 16:45:20.22 ID:JSBhZ0I3.net
>>154
ちょっと今から仕事だから書き込めなくなるけどID:ye/h7MKjだよ
勿論要因として見るべきだが即奪う気だったんだに直結するのはおかしいつってるの
豊臣秀吉死後の政権がぶっ壊れたのはそもそも西軍挙兵が原因であって戦後の所領替えが原因ではないよ

157 :人間七七四年:2021/03/26(金) 16:45:22.75 ID:Vt0eC5p7.net
>>152
多聞院日記で家康を天下人と呼んだのは西の丸入ったタイミングだから
秀吉死後というより石田等の奉行との政治闘争に勝った結果だよ

158 :人間七七四年:2021/03/26(金) 16:46:32.23 ID:JSBhZ0I3.net
>>153
前田の人質を江戸に送った話なら少なくとも前スレでしてるよ

159 :人間七七四年:2021/03/26(金) 16:48:40.71 ID:WANrEK9S.net
>>157
その時期でしたかありがとう

160 :人間七七四年:2021/03/26(金) 16:52:31.40 ID:GIWlQMS5.net
思い込みが激しい人がいると一々同一人物ではないと断らないといけなくて面倒だなw

161 :人間七七四年:2021/03/26(金) 16:54:29.97 ID:juJYUJTQ.net
ごめんね、別のスレで同一人物に長年誹謗中傷してた人がID違うから俺じゃないって言い出したの相手にしてたからね

162 :人間七七四年:2021/03/26(金) 16:54:36.49 ID:u0W96But.net
多聞院日記だから当人達の意識ではなく客観的な話なのがポイント
つまり家康が西の丸に入った時点で政治的には天下を取った位置付けになり
その反動として起こった関ヶ原が当人達の意識として天下を決める争いだった
一次資料的な流れとしてはこれで自然やろな

163 :人間七七四年:2021/03/26(金) 17:19:15.23 ID:ulsBA8/X.net
>>128
これ足利義昭の室町幕府から織田信長による織田政権への流れと似てるな
信長も義昭が直接挙兵するまでは幕府を支えてたけど、追放してから復帰を断られて以降は自分が新しい政権の樹立へと舵を切った

164 :人間七七四年:2021/03/26(金) 17:20:47.67 ID:0pBP3bxT.net
>>92
徳川の身内が大加増されたという論功行賞は当時の大名にとって常識的なものなんじゃないの?
各大名家もそれぞれ身内中心に経営してるんだからこれに文句言い出したら自分ちの家中でも騒動が起きかねない
知行割り当ては武功を上げて大加増!という仕組みじゃなく政治的なものだってのは皆弁えてるやろ

しかし今日は書き込み多いな、Twitter追い出された人達が来てるのかなw

165 :人間七七四年:2021/03/26(金) 17:24:22.81 ID:rOnOyujP.net
>>102
宇喜多あたりは秀吉と運命共同体だったと思うけどどれも秀吉個人だけの話しだわな

166 :人間七七四年:2021/03/26(金) 17:28:13.94 ID:108v1K+G.net
>>164
関ヶ原を豊臣家内の争いの時点で見れば文句言いそうな連中を始末したのが関ヶ原
だから文句が出なかった

167 :人間七七四年:2021/03/26(金) 17:28:33.98 ID:108v1K+G.net
>>166
時点じゃなく視点

168 :人間七七四年:2021/03/26(金) 18:44:32.13 ID:yDBeEiC/.net
論功行賞がおかしいってのは考えたことなかったな 大体皆大幅加増だし
その辺りで話題になるのは蔵入地の扱いとかじゃないのか

169 :人間七七四年:2021/03/26(金) 18:53:36.81 ID:Bga4RTDx.net
>>141
家康はどちらかと言うと忠実に守ってる方。
ヤバいのは実は石田三成ら所謂西軍の方で、こっちは勝手に誓紙を交わしたりしてるからなぁ。
しかも誓紙の内容もよろしくない。

170 :人間七七四年:2021/03/26(金) 18:56:00.21 ID:ULJYWNN9.net
政権崩壊したから改めて政権立てる必要に駆られて親族加増じゃろ

171 :人間七七四年:2021/03/26(金) 18:56:00.53 ID:B6akiNMy.net
論功行賞がおかしいっていわれてもなあ
豊臣家が後になって関ヶ原の論功行賞がおかしいからやり直せとか
再検討しろとか言った話なんて聞いた事無いぞ
大体そんなにおかしいなら大坂の陣が起きた時に豊臣家が関ヶ原の論功行賞の
再規定を行ってやるって理由で諸侯を誘うことで切り崩しが出来たんじゃないかな

172 :人間七七四年:2021/03/26(金) 19:15:24.65 ID:0yatleZw.net
レスが進行してて驚いたわ
>>94
関ヶ原の論功行賞という『結果』から、家康を『簒奪者』とみなすのは、訴求でしょ。
少なくとも関ヶ原までと限定(>>86)されており、その間に家康を『簒奪者』と見做しうる事象で立証しないと。

徳川排除のクーデターを鎮圧したわけでしょ?
徳川一家が大幅加増されることに違和感なんて全くないけど。
徳川主導の秀吉遺言体制、政権安定を志向するなら、当然の話。
当時の史料で、不平不満を訴えてる東軍大名なんていないよね。

173 :人間七七四年:2021/03/26(金) 19:31:35.42 ID:Bga4RTDx.net
実は関ヶ原の論功行賞については後世に解説されてたはず
武功雑話かなんかだったか。
曰く、
東軍の失敗は賞金首を取れなかったこと。
石田三成も小西行長も宇喜多秀家もみんな「捕縛」されてしまっただろう?これって最悪なのよ。手柄にならない。
手柄にするならその場で殺害しないとならんのだ。

174 :人間七七四年:2021/03/26(金) 19:37:49.30 ID:yDBeEiC/.net
そもそも査定してるのが徳永以外皆徳川家だからな
徳川一強をよしとする連中が東軍なわけで文句も出ないわな

175 :人間七七四年:2021/03/26(金) 20:03:15.39 ID:K00ocqBI.net
>>172
そもそも関ヶ原までに限定する事自体が意味不明
大名にとって最も重要で実態ともいえる領地の状況を大幅に変えたのが関ヶ原なのに

176 :人間七七四年:2021/03/26(金) 20:17:08.42 ID:0yatleZw.net
>>175
いや、キミ何言ってるの?

『少なくとも関ヶ原までは、家康は秀吉遺言体制に忠実かつ、政権安定に努めていたと思うんだが。』(>>86
この議論、これがスタートでしょ?

これを受けて
『典型的な結果からの遡及による評価だよ。』((>>90

家康簒奪者の遡及じゃない証明方法として、『論功行賞』を持ってきたわけでしょ?
でも、それも遡及ですよね?って話。

177 :人間七七四年:2021/03/26(金) 20:21:49.05 ID:K00ocqBI.net
>>176
それを受ける論理が飛躍しすぎ
関ヶ原以降について考えると「結果からの遡及による評価」にする意味が不明

178 :人間七七四年:2021/03/26(金) 20:26:05.07 ID:GIWlQMS5.net
思い込みの激しい人もそうだけど勝手に論点や議論の前提を設定するから他の人と噛み合わない

179 :人間七七四年:2021/03/26(金) 20:37:43.18 ID:B6akiNMy.net
関ヶ原自体が多くの人に影響を及ぼした大事件だからそこ基準なのは当たり前だろ
別に家康が関ヶ原の合戦を演出した訳じゃあるまいし
そして人間が極めて大きい事件や出来事によって認識を変えたり立ち位置やスタンスが
大幅に変わってしまうのは当たり前の事だろう
他ならぬ秀吉がそうだ、秀吉が本能寺やそれに類する出来事、
要するに信長父子が同時に突発的な死を迎えるような事が「発生しなかったら」
秀吉が関白に就任し、周辺大名を討伐して天下人になるなんてあったと思うか?
あくまで本能寺の変という偶然起こった衝撃的大事件による結果でしかないだろ
だから関ヶ原後の家康が豊臣に対して何をしようとも、
家康が関ヶ原が起きる前からそれを実行するつもりの証拠にはならん、と考えるべき

180 :人間七七四年:2021/03/26(金) 20:52:53.41 ID:0yatleZw.net
>>177
何が言いたいのか全くわからない。
要はさ、関ヶ原以前に『家康は豊臣政権を簒奪するためにこんな事やってました』示してくれれば言いわけ。
キミ等は、それが出来ないから後出しジャンケンしてるわけでしょ?
出しゃいいんだよ、出しゃ。

>>178
『僕は論点ずらしたいんです』と、白状してくれてありがとう。

181 :人間七七四年:2021/03/26(金) 20:59:18.84 ID:GIWlQMS5.net
>>180
君の妄想癖も相当だな
こちらは君以外の人だけ名指しで「論点や議論の前提」と書いたんだが
論点の方が君に刺さったのは自覚があるってことか

182 :人間七七四年:2021/03/26(金) 21:02:12.30 ID:xi5QR74j.net
>>179
大事件が起こると人間の主体性が失われるかのような謎理論で草

183 :人間七七四年:2021/03/26(金) 21:03:05.67 ID:xi5QR74j.net
>>180
何が「要は」なのやら…

184 :人間七七四年:2021/03/26(金) 21:14:22.13 ID:0yatleZw.net
結局出せないんでしょ?
どうでもいいレスが続いてて笑えるんですけど。
それでも意味のないレス続けるんだろうけど。

185 :人間七七四年:2021/03/26(金) 21:17:22.51 ID:jDGtr3B8.net
笑えるんですけど。(真顔)

186 :人間七七四年:2021/03/26(金) 21:22:28.91 ID:B6akiNMy.net
>>182
すまない、言っている意味がよくわからない
人が生きていくうえで、色々な出来事や事件に遭遇して
そのたびに考え方や認識を変えていくのは普通の事だろと言いたいだけなんだが
価値観や認識、思考が何が起ころうと一切変化が無い方が不自然じゃね?

187 :人間七七四年:2021/03/26(金) 21:22:39.02 ID:Bga4RTDx.net
家康がいつから天下人になると考えていたのか?
ってのは流石に本人以外わからない。わからないので、史料から覗いてみるしかない。
秀吉は死を感じて次期後継者に徳川家康を指名した(「フランシスパレオ師の報告書」及び浅野家書状にある「太閤御遺言」)
これを受けて家康及び前田利家は諸将から起請文を集めた(七月十五日起請文)
ところが、八月五日には五大老・五奉行が合議制によって政治を決すると決めた(八月五日起請文)
これは秀吉の命令とも考えられるが(秀吉直筆遺言状が八月五日に書かれてる)、秀吉の命令かどうかはわからない
それから家康は政権筆頭として業務をこなす。
例えば朝鮮からの撤退及び戦後処理、各大名家からの訴訟の解決に働く。
その中で七将が三成を襲撃する。これが家康の仕込みかどうか?残念ながら何の証拠も無い。
ただ現在、七将がこれ以前より徳川と何らかの計画を練ったという史料は見つかっていない。七将と家康のコンタクトとしては浅野幸長からの閏三月四日書状だが、
七将はこの一件を訴訟として扱いたかった事を考えればこれは至極当然の動きなので証拠にはならない(三成を襲ってから「訴訟でした」と言うのはリスクが高過ぎるから。徳川の命令で無いならば、事前に説明をする必要がある)
家康は三成を隠居で済ました。これもおかしい話ではある

188 :人間七七四年:2021/03/26(金) 21:34:59.50 ID:Bga4RTDx.net
ここまでは家康に天下人になるっていう意思があったかはまるで読めない。豊臣政権筆頭として当たり前の仕事をしているだけ。
問題はその後だが、
関ヶ原の発端、上杉討伐は堀氏等周辺各国からの上杉に不穏な動きありとの報が原因なので家康のでっちあげとは言えない。
関ヶ原も三成らの挙兵によるもので家康によるものではない。
関ヶ原の恩賞だが、当の東軍諸将から非難の声が上がってない以上、他人がどうこう言うものではない。
また、この一連の動乱では徳川配下も大いに働いているので恩賞が出る事自体におかしなところはない。

189 :人間七七四年:2021/03/26(金) 22:14:31.95 ID:0pBP3bxT.net
180の

>関ヶ原以前に『家康は豊臣政権を簒奪するためにこんな事やってました』示してくれ

に同意だなわ
これが出てこないのがある意味答えなんだろう

190 :人間七七四年:2021/03/26(金) 22:24:19.58 ID:yDBeEiC/.net
勢力拡大ではなく簒奪とまでいくと中々難しいよな

191 :人間七七四年:2021/03/26(金) 22:44:35.23 ID:ye/h7MKj.net
昼間同じこと書いたら嘲りまがいの対応されたのに夜だとやっぱこういう話になってるじゃん

192 :人間七七四年:2021/03/27(土) 02:22:06.93 ID:hAslG4WH.net
関ヶ原の前と後では家康のスタンスが変わったよ、真面目に豊富政権運営してたけど関ヶ原で政権の訴求力大幅ダウンでボロボロだから家康は自分の政権を樹立したよ
別に変じゃなくね?何でそんなに噛み付くのかわからん

193 :人間七七四年:2021/03/27(土) 06:20:25.43 ID:NqIa5K3V.net
>>192
単純に状況が変わったので態度豹変したは同意だけど、最初から下克上の野望ありにしか見えん。

曹魏の場合、曹叡の遺言と言うのが先ずありまして、最終的に一門の曹爽と司馬懿の二人を
後見人に指名してるんですね。
曹爽は司馬懿を危険視して名誉職につけたんですが、皇帝つれて先祖の墓参り中に挙兵
この時司馬懿は、皇太后の命令を大義名分にしてます。

相手が皇帝担いでるんで、少年の曹芳より上位の命令権が皇太后に有るという含みですね。
場合により、別の皇帝建てるの有り得る含みでしょう。

しかし曹爽倒した後は、今度は曹叡の遺言根拠に体制を固める。
司馬懿が遺言受けてるのは事実なんで、やりやすいですね。

更に司馬氏の覇権固めると、今度は曹芳は無能だからで皇帝を排して首のすげ替えを
します。
簒奪が現実的に成ると、逆に曹芳が皇帝では不忠の誹り受けるからすげ替えと。

194 :人間七七四年:2021/03/27(土) 06:23:02.75 ID:0BAq63M2.net
>>188
関ヶ原の恩賞特に豊臣の蔵入地に関しては即座に奪った史料は残ってなくて寧ろしばらく豊臣(淀)が管理している資料が残っている
この辺は将軍就任等を経て徐々に侵食していったというのが最近の研究で豊臣や豊臣恩顧から文句が出にくい様に注意している

195 :人間七七四年:2021/03/27(土) 06:29:54.83 ID:NqIa5K3V.net
>>193
もう少説明。

司馬一族の曹叡の遺言と、曹芳に対する態度は何度も変化してる訳ですが、これは司馬懿が自分の王朝を
作る野望持ってたとすれば別に矛盾してません。

ライバルの曹爽が曹芳を担いでる時は、皇太后担いで対立皇帝の含みを。
倒した後は、曹叡の遺言根拠に曹芳を担いで権力固めをする、でも完全に司馬氏独裁になると
逆に曹芳だと簒奪しにくいんで皇帝を排して高貴郷公をたてるって風にね。

これに似てる気がするんだよね、家康と豊臣家。

196 :人間七七四年:2021/03/27(土) 06:45:46.98 ID:hgZI/Irx.net
>>190
難しいのは家康がしたのが「簒奪」なのかというところだと思う。
簒奪とは君主、帝王の位に無い者がその位に着くことだけど、
豊臣政権にとって「君主」とは即ち関白の事を意味する訳じゃん。
家康がなったのは「征夷大将軍」なので関白とは別。将軍は確かに強力な職でしかも家康は源氏長者にもなって朝廷への影響力もある。しかし、秀頼が関白になる事を阻害する程では無い(やろうと思えば出来るだろうけど騒ぎになる)
二重公儀論にも繋がるんだが、秀頼が関白になれなかった事を考えるとより正当性があった家康の方に天下が移ったと解するべきでこれは簒奪とは言えないんじゃなかろうか

197 :人間七七四年:2021/03/27(土) 06:55:09.30 ID:QRp4hnLc.net
無理に簒奪という言葉の狭義で擁護する必要はない
段階的に主家を上回る手順を踏んだだけ

198 :人間七七四年:2021/03/27(土) 07:11:45.23 ID:sn3YX6Hq.net
段階的に主家を上回って行ったのは確かだけど
言われているのは関ヶ原っていう家康の意志関係ない事態が起きた後の事象を理由に、その前から野心を持って行動してたかって点で
そこを皆が別にそう言った行動が見受けられないのに結果から雑に遡及するなって言ってる訳でしょ

199 :人間七七四年:2021/03/27(土) 07:15:16.42 ID:cowHdqFU.net
正確には簒奪したのは摂関家の方じゃないですかねこれ
それに秀頼は関白に就任していない以上、厳密に言えば豊臣家は継承したけど
豊臣政権の継承はとうとうできなかった、と考えてもいいかもしれない
家を継承する事と、政権を継承する事はイコールじゃないからね
それがイコールになってしまうと、鎌倉の摂家・皇族将軍が源氏の家督を
継承したことになってしまうし、逆に徳川家達が慶喜から宗家を継承してる以上、
徳川幕府は明治以降も続いていることになってしまう

200 :人間七七四年:2021/03/27(土) 07:27:40.70 ID:sn3YX6Hq.net
ただ上の関白職についてないから天下人じゃないんでセーフ理論は疑問で
そもそも天下人=関白ではない、秀吉以前の関白は持ち回りで天下人やってる訳じゃない
天下人って武威をもって諸侯を纏められるかどうかを指すと考えるべきでは
そういう意味で秀吉没の時点で豊臣は天下人ではないし、家康は秀頼の後見や淀との婚姻、そして政権託されてる事からも豊臣家を上位に戴きつつも天下人になってる

ただじゃあそれはイコール政権を奪取したか、とはまた別の話で、秀吉没時点で豊臣政権は実際は家康が執政をする政権に遺言上変わってるし、関ヶ原でその体制が維持できなくなったからその後は徳川が政権を取る形に切り替わった
政権は別に奪うどうこうだけでなく豊臣家の場合は、個人の武威に依存しているため個人死亡により機能しなくなる、外的要因(西軍)によって破壊された為改めて立て直しが必要になるっていう段階が起きてる

201 :人間七七四年:2021/03/27(土) 07:38:54.62 ID:xyhG9Nax.net
そもそも執政というのはいわば宰相の事で
それをもって主家より上に立ったというなら古今東西の宰相家老は皆主家を上回ったという事になってしまう

既に上に出てる通り客観的に家康が天下人として見られだすのは伏見の西の丸に移って秀頼の後見も兼ねるようになってから(そしてこれは秀吉死後関ヶ原前に起こった大きな体制の変化)

202 :人間七七四年:2021/03/27(土) 07:50:21.64 ID:FJhupAsB.net
家康が「簒奪」したと言われるならそれは
家康が天皇になる、もしくは家康が関白になる。
このどちらか。
家康は将軍になったのでそもそも豊臣の位を奪っては居ない。秀頼が関白になる可能性はあったのだから。
敢えて言うなら仕える主人が変わっただけとも言える。
家康は別に秀頼を暗殺した訳でも、関白になる可能性を閉ざした訳でも無い。簒奪とは言えない。

203 :人間七七四年:2021/03/27(土) 08:00:01.96 ID:haK7cq5n.net
まあ実際に秀頼が関白になったら家康は大困りやけどな
何しろ征夷大将軍を任命するのは天皇(を補佐する関白)だからね
家康は旧来の幕府と同様に各大名と天皇の間に挟まる権威として君臨した(秀吉が生きている間に室町将軍が居なくなった事で可能となった政治的措置でもある)

この階層構造が幕末に徳川の首を絞める事になるのはまた別の話

204 :人間七七四年:2021/03/27(土) 08:06:17.84 ID:sn3YX6Hq.net
>>201
ただ執政になったからではなく、豊臣の後継者の後見も頼まれた上で執政をしてる
秀頼の後見も秀吉に遺言されてるよ(慶長3年7月1日伊達政宗書状写)、西の丸はあくまで形としてわかりやすいものが出来ただけに過ぎない

205 :人間七七四年:2021/03/27(土) 08:15:20.17 ID:TROKL+yq.net
秀頼に伺候していた家康が伺候しなくなった時点で逆転はおきた
上で言っていた西の丸入城が契機になった気がする

206 :人間七七四年:2021/03/27(土) 08:21:52.93 ID:sn3YX6Hq.net
秀吉以前から関白はいるし秀吉以後も関白はいるけどそれは別段天下どうこうする話ではない
天下人である条件に挙げた武威ってのは諸侯からの信用部分も大きい訳で、それがない人間が関白になってもそれだけの話
武力がない人間に諸侯は従わないし従いたくもないよ、自分がやばい時に助けてくれる信用がないんだもの

西の丸に入ってから秀頼を敬ってないとかそういう話もないでしょ、どこが伺候しなくなったの

207 :人間七七四年:2021/03/27(土) 08:24:22.70 ID:nhQHVlAK.net
まあでも秀次殺して関白職を豊臣のものにすることができなかったのはけっこう致命傷だったね
豊臣で関白を継承していければ公家として生きられる可能性もあったかな

208 :人間七七四年:2021/03/27(土) 08:32:14.46 ID:+8OgXw+s.net
>>204
それは文章次第
一般的な浅野家の文書だと前田親子に変わらず傅役を頼んでおりそれを裏付ける様に実際に利家が後見を務めている
この文書の観点で見れば家康が秀頼の後見となる事は前田利長の役割を奪った事にもなる

あと家康の西の丸入りは単に西の丸に入っただけでなくわざわざ巨大な天守を普請した上での一大イベントでもある

209 :人間七七四年:2021/03/27(土) 08:43:23.96 ID:sn3YX6Hq.net
>>208
浅野文書は自分も知ってるよ、その上で伊達家文書無視していい話でもないでしょ
もっといえば淀との婚姻も遺言してる訳で前田よりもより後見として推されてるとも言える、後見人が1人いかダメって話もないしね

西の丸は福田氏だったかな、が謁見用の大広間が西の丸に存在していない為豊臣家が家康のために改修した論を出してたかな
どちらにせよわかりやすく世間の人が天下人と思えるイベントだった=ここで天下人になったではないでしょ

210 :人間七七四年:2021/03/27(土) 08:50:55.56 ID:x3rKBYdU.net
>>209
まず大前提として家老でも奉行でもない政宗の手紙の信憑性をどこまで認めるかという問題がある(一次資料であっても日記や手紙に事実との相違が結構見られる事は常識)

211 :人間七七四年:2021/03/27(土) 08:52:19.77 ID:s8kqv2Ki.net
というか当事者じゃないから一次資料じゃないな

212 :人間七七四年:2021/03/27(土) 08:54:43.98 ID:sn3YX6Hq.net
>>210
それは勿論あるよ、だから鵜呑みにはできないけど少なくとも言ってる事に矛盾はないでしょ
それとも明確に家康は利家と一緒に後見を遺言されてる訳じゃない、後見は利家ただ一人なんだっていう史料があるの?

213 :人間七七四年:2021/03/27(土) 08:55:59.74 ID:C4+5A6mE.net
>>212
いや淀と家康の婚姻とかめちゃくちゃ現実と矛盾しとるやん

214 :人間七七四年:2021/03/27(土) 08:57:57.58 ID:sn3YX6Hq.net
一次史料であっても信用できない史料はいくらでもあるし、なんなら当事者が書いた書状だからって信用できる訳でもないよ
当事者である以上自身に都合よく書いてる事もるから、長篠合戦後の勝頼の書状みたいにね
だけど、じゃあ都合よくこの史料だけ信用しないってのもおかしいでしょ、信用できないほど史料の内容に食い違いがあるわけでもなし

215 :人間七七四年:2021/03/27(土) 09:00:21.48 ID:H7lbHS/Q.net
>>214
「史料は信用出来ないからオレの説を認めろ」と言ってるも同然で草
もう言ってる事がメチャクチャだよ

216 :人間七七四年:2021/03/27(土) 09:00:48.41 ID:sn3YX6Hq.net
淀との婚姻の遺言に関しては多門院日記や看羊禄、毛利家文書からも確認できるけど
ちょうど行動に移そうとした際に秀頼周囲に悪事ありとして治長や大蔵卿局が追放される一大スキャンダルが起きてお流れになってるね

217 :人間七七四年:2021/03/27(土) 09:04:04.92 ID:wZLLAzDG.net
>>216
それらの資料での淀と家康の婚姻は風聞で
治長と大蔵卿追放はまた別な話

218 :人間七七四年:2021/03/27(土) 09:04:06.34 ID:sn3YX6Hq.net
現状ある史料と伊達家文書は矛盾しないしむしろ伊達家文書の書状は今ある史料からも信ぴょう性を補強されてるって話が
「史料は信用出来ないからオレの説を認めろ」になるのは、ろくに話聞く気がないって表明してるだけだよ

219 :人間七七四年:2021/03/27(土) 09:09:16.62 ID:sn3YX6Hq.net
風聞だね
多門院日記の西の丸天守ができたから民衆はみな家康が天下人になったって言い出すのも風聞でしょ

風聞だろうが第三者の書いた史料だろうが、他史料から確認できる事と食い違いが起きてる訳でもなく補強すらしている史料を、信用が置けないとその記述部分だけ都合よく信用しないはおかしいでしょ

220 :人間七七四年:2021/03/27(土) 09:13:38.02 ID:z/XTmHBD.net
>>219
家康が天下人になったというのは当時の周囲の感想(多聞院の主観)
なんか色々ごっちゃにして全てを同価値にしろとムチャクチャ言ってる様にしか聞こえんわ

221 :人間七七四年:2021/03/27(土) 09:21:33.22 ID:sn3YX6Hq.net
そういった感想を基に西の丸に家康が入城した事で天下人になったと主張してるんでしょ
家康の大坂入城前に宇喜多がなぜか大坂にいて家康が遺言違反だから出るよう言っても聞かないって事象すっぽかして奉行らに政治的勝利をしたからだってかなり決めつけ入ってるように見受けられるよ
むしろ君のが自分にとって都合のよさそうな史料しか信用したくないって駄々こねてるように見えるよこっちは

222 :人間七七四年:2021/03/27(土) 09:25:38.93 ID:pFbDbHgT.net
何故家康は西の丸に入るに当たって天守閣を普請してまでアピールする必要が有ったのか?
それは秀吉の遺言?

223 :人間七七四年:2021/03/27(土) 09:28:36.77 ID:NqIa5K3V.net
>>220
そういう政治的宣伝を、家康がしてたって事だと思う。天守って普通城主が居る場所だし。

家康が自分のいる場所に天守作るって、自分が秀頼に並ぶ存在って誇示してる訳でね。
あの時点では家康は豊臣家の大名を自派に引き込む政治工作してたって事だよ。
西の丸天守って、普通に謀反扱いされても仕方ない行動だもん。

こういう事しても、他の大老も奉行も止められないんだぞって誇示する行動。
まあ、あえて専横な振る舞いをして反対派の挙兵を期待だね。

224 :人間七七四年:2021/03/27(土) 09:29:17.77 ID:sn3YX6Hq.net
それについて俺福田氏の論がこういう内容って出したよね

225 :人間七七四年:2021/03/27(土) 09:32:45.25 ID:sn3YX6Hq.net
遺言で秀吉に政務と後見を任されてる事を今までの政治的闘争から周囲にアピールすべきだったともとれるよね
政治的勝利によって後見を勝ち取った、よりもまだ記述のある内容だと思うよ

226 :人間七七四年:2021/03/27(土) 09:34:19.61 ID:G5dzkzYJ.net
>>223
前田を屈服させて三成失脚させた後だから勝利宣言に近いわな

227 :人間七七四年:2021/03/27(土) 09:35:10.07 ID:SwULWHty.net
>>225
無理矢理スギィ

228 :人間七七四年:2021/03/27(土) 09:37:20.57 ID:sn3YX6Hq.net
で、福田氏の内容についてはなぜか避けるのね
西の丸築城について淀君が喜んだ記述が確かったはずだけど、これについては申し訳ない どの書状か失念した

229 :人間七七四年:2021/03/27(土) 09:46:38.76 ID:NqIa5K3V.net
>>228
幾ら淀殿に政治的なセンスが無くとも、西の丸天守の悪意ぐらいは理解できるでしょ。

園遊会で言うと、主役の女性と同じ服装、同じ宝飾品で出席するくらい失礼な行動。
しかも、主役がどんな服装で来るかは皆が周知してる状況でね。
寧ろ、こういう暗喩は女性の方が理解するとおもうぞ。

230 :人間七七四年:2021/03/27(土) 09:46:52.98 ID:rIy7u9i9.net
>>228
その文書見てないからなんとも言えんが
喜んだタイミングで全く意味が変わるわな
城の築城落成だけなら喜んでも全く不思議じゃない

231 :人間七七四年:2021/03/27(土) 10:34:44.65 ID:sn3YX6Hq.net
>>229
お前はまず論外 研究史料も出さないでアホな例え話してないで言われた事をまずやれ

232 :人間七七四年:2021/03/27(土) 10:38:37.89 ID:sn3YX6Hq.net
>>230
豊臣が家康のために作った可能性も示唆したし
それがなくても自分の居城で築城理由も把握しない、あるいは落成後に自分が思ってたのと違う使われ方をしている
その場合普通に豊臣がなにかしらアクション起こすでしょ

それすらない訳で、普通に築城内容は把握してるし意図しない使われ方はしてないと考えるべきでは

233 :人間七七四年:2021/03/27(土) 11:04:57.76 ID:ZRAqNEVJ.net
>>232
既に政治闘争があらかた終わった後でどんなアクションを起こせるんやろな

234 :人間七七四年:2021/03/27(土) 11:12:39.23 ID:sn3YX6Hq.net
>>233
起こせないと思ってるの?少なくともこの時点でもまだ家康は豊臣家を打倒したわけでも決してないぞ

不満があったけど言えなかったはずだ なんていう陰謀論めいた考え方を出して何がしたいの?
それとも実は淀君は不満抱えてたていう記述がどこかにありましたか?それなら申し訳ないけども

235 :人間七七四年:2021/03/27(土) 12:28:36.16 ID:EWwkanrf.net
家康が「天下様になられた」のは三成失脚及び西の丸入場が契機だろうけど、
それ以前から対外的には家康が政権担当者だった訳だしね
ただ、七将が三成を襲撃した時に大坂城の前田派武将が徳川に転向する事件が起きてる(毛利輝元書状)
前田利家が死んだ途端、大坂城は毛利らを締め出した様だがこれが家康の命令っていう証拠は無い。
利家が死んだ事で大坂城はコントロール不能に陥ってた可能性もある訳で家康が大坂城に入ったのはそこらへんに何かあったのかもしれん。

236 :人間七七四年:2021/03/27(土) 13:04:50.41 ID:/sxmpPEN.net
当時の人間で秀吉の遺言を完全に把握してた人間なんているのだろうか
口頭でのものも含めるとなんとでも言えてしまいそう

237 :人間七七四年:2021/03/27(土) 15:21:13.25 ID:f/joUd02.net
>>211
同意
当事者以外はレスすべきではない

238 :人間七七四年:2021/03/27(土) 17:10:29.48 ID:3P0+RXmx.net
>>236
おそらく八月五日の太閤御遺言だと改ざんされてる可能性がある。
秀吉の方針がマルっと変わったからね。

239 :人間七七四年:2021/03/27(土) 17:38:27.41 ID:FW5Vz+26.net
>>235
大坂城から毛利等締め出しってのも本来普通の事だよね
遺言で西国の大名は伏見東国の大名は大坂って決められてたし、例外として利家は大坂家康伏見ってのも書かれてるけど
そもそもなんで毛利が大坂に居座ってるんだか

240 :人間七七四年:2021/03/27(土) 18:01:32.05 ID:NqIa5K3V.net
>>232
だから、豊臣家が秀頼の権威落とす様な天守築城を進んでやる訳?

家康の行動は、明らかに事実上の大阪城の主は自分だって誇示だと思われるのに。
あれは豊臣家の大名に対する政治工作だと思うぞ。
これだけ無礼な事をしても、他の大老も奉行も文句つけられないんだぞって宣伝。

実際さあ、あんな事されたら諸大名は大阪来た時に、本丸と西の丸のどちらの方を先に
訪問するんでしょ?
先に本丸訪問するだけで、家康に睨まれそうじゃないですか?

241 :人間七七四年:2021/03/27(土) 18:14:21.10 ID:sn3YX6Hq.net
>>240
豊臣からやった行為である可能性も出してるし西の丸に天守ができたから権威が落ちる何てこともない
何度言わせる気だ、お前の思い込みはいいから研究を持ってこい
可能性だけで物を語っていいならいくらでも事実歪曲できるわ、蓋然性が高いと判断できるようにしろつってんのがまだ理解できないのか

242 :人間七七四年:2021/03/27(土) 18:15:42.68 ID:sn3YX6Hq.net
少なくとも話してた昼間話してた人も今喋ってる人も史料研究を基に喋ってるし俺も史料研究からの解釈で喋ってる
お前だけだ、完全な憶測で喋ってる場違いは

243 :人間七七四年:2021/03/27(土) 18:18:50.04 ID:xp+wh6yn.net
家康だって伏見三年の遺命を守ってないのに
輝元だけ遺言違反だって批判されるのかわいそう

244 :人間七七四年:2021/03/27(土) 18:20:55.00 ID:sn3YX6Hq.net
伏見3年の遺命ってのは3年はいろってやつでしょ?
破ってたっけ?

245 :人間七七四年:2021/03/27(土) 18:23:13.70 ID:cowHdqFU.net
>>243
むしろ家康以外の遺言違反が言及されだしたのが、本当につい最近からだろ
三成が遺言違反してたとか、私だってようやく最近知ったぐらいだぞ
資料としても残ってたのにな

246 :人間七七四年:2021/03/27(土) 18:24:11.85 ID:xp+wh6yn.net
>>244
大西泰正氏も福田千鶴氏も破っていると著書で書いてましたよ

247 :人間七七四年:2021/03/27(土) 18:27:48.18 ID:sn3YX6Hq.net
>>246
そうか、多分大坂に動座した事を言ってるのかな
私的にはその前に起きた宇喜多が大坂に居座って移動しない(遺言違反)件に対応するのもあって大坂に移動したと考えてるから
少なくとも家康がやったからあいつらもいいだろ論にはならないと考える

248 :人間七七四年:2021/03/27(土) 18:28:13.53 ID:hgZI/Irx.net
>>244
三成らが家康を暗殺するって噂が立って、
前田利家が家康に向島城に退去するように勧めたらしいからね。
この時点で太閤遺言は無効化されとる。

249 :人間七七四年:2021/03/27(土) 18:32:22.68 ID:xp+wh6yn.net
>>247
それは逆に秀家と輝元がやったから家康もいいだろ論にならないからね
皆遺言を守ってないのに秀家と輝元だけ批判されるのはかわいそうと思っただけさ

250 :人間七七四年:2021/03/27(土) 18:35:19.79 ID:sn3YX6Hq.net
あー、向島退去の件か
そういう何か緊急性を要する事やらに対処するために動く事すら遺言違反だという論調はどうかと思うよ
他者の遺言違反を制止するために動くのもそうだし

秀家や輝元と違って家康は政権任されてる以上、政権体制が揺るがされかねない事に対処してかなきゃならんのだから

251 :人間七七四年:2021/03/27(土) 18:40:17.61 ID:NqIa5K3V.net
>>241
重要なイベントを同じ日にぶつけて、お前は何方を優先するんだ?的な嫌がらせは現代でも
良くある話。

本来本丸の秀頼に最初にご機嫌伺いに行くべきなんだけど、西の丸天守が出来たら何方先に
行けば良いんだよって成るぞ。
家康は、先に俺の所に来いって意味で作ったんだろうし。

これ以外に、西の丸天守築城の意味説明できますか?

252 :人間七七四年:2021/03/27(土) 18:43:58.67 ID:sn3YX6Hq.net
>>251
> 重要なイベントを同じ日にぶつけて、お前は何方を優先するんだ?的な嫌がらせは現代でも
> 良くある話。
>
> 本来本丸の秀頼に最初にご機嫌伺いに行くべきなんだけど、西の丸天守が出来たら何方先に
> 行けば良いんだよって成るぞ。
> 家康は、先に俺の所に来いって意味で作ったんだろうし。
>
> これ以外に、西の丸天守築城の意味説明できますか?
これ以外の理由書いてるけど、文字読めてますか?
全部想像だよね、挨拶の順番が変わったって研究誰か出してたか?
ほんと思い込みいらないから研究出せ、そもそも自分の思い込みでしかないなら論にもなってない感想で他人を煩わすな

253 :人間七七四年:2021/03/27(土) 18:44:07.31 ID:xp+wh6yn.net
>>250
違うよ
三万の軍勢連れて大坂城来た時の事だよ
秀家の遺言違反を責めているけど、家康だって三年の在伏見と言う秀吉の遺言に背いていると大西氏は書いてる

254 :人間七七四年:2021/03/27(土) 18:47:44.45 ID:sn3YX6Hq.net
>>253
大西氏は家康が政権託された人物でそれを守るよう他者に強制しなければならない都合上動かざるを得ない部分が抜け落ちてる
遺言違反したうえで注意も聞かない相手がいる以上、実際に行動して対処せざるを得なくなったってだけの話

255 :人間七七四年:2021/03/27(土) 18:55:27.11 ID:mK+S74vV.net
今まで家康1人が遺言に背いたみたいな風潮だったのが、最近になって史料を以て是正されてきて
その流れに付いてけない人達が抵抗してる感じかな

256 :人間七七四年:2021/03/27(土) 18:58:21.10 ID:hgZI/Irx.net
伏見三年の遺言は1599年三月の向島城への退去によって既に無効化されてる。
しかもこれは前田利家によって提案され、五大老五奉行そして豊臣からも一才異議が出てない(現在の研究では)
家康の大坂城西の丸移動が遺言違反に当たるとは言えない
少なくとも豊臣は口が裂けても言えない。
何故なら家康の大坂城西の丸移動が遺言違反ならこの向島への移動も必然遺言違反になり、
それは豊臣を揺るがす事態を招くから。
だから当然、大坂城西の丸移動は遺言違反にはあたらないよ。

257 :人間七七四年:2021/03/27(土) 19:14:22.92 ID:xp+wh6yn.net
家康が秀家に言った事と違って一部の西国衆は伏見から大坂に移動してるからね
家康が遺言を守らない秀家を叱責する為に大坂に移動したのならこれらの行為は矛盾してるね

別に家康の遺言違反を責めてる訳じゃないよ
秀家と輝元だけ無駄に批判されるのがかわいそうだと言ってる

258 :人間七七四年:2021/03/27(土) 19:19:10.41 ID:sn3YX6Hq.net
その一部の西国衆ってのは誰でどの日付の話?

259 :人間七七四年:2021/03/27(土) 19:27:53.94 ID:mK+S74vV.net
かわいそうって君、輝元くんのママか何かか…
家康の行動を説明するために他の人物の行動が書かれたものを、無駄な批判と捉える方がどうかしている

260 :人間七七四年:2021/03/27(土) 20:15:22.13 ID:Xh9wPq/n.net
素朴な疑問なんだけど。

伏見3年の遺言って、家康を物理的に固定化することが目的なの?
てっきり、『3年は国政に携われ』という意思解釈をしてたんだが。

261 :人間七七四年:2021/03/27(土) 20:18:21.80 ID:Xh9wPq/n.net
つまり、秀頼が大病に患ったり、地方で反乱がおきても伏見から一歩でも離れたら遺言違反になるの?
自常識的にとか使いたくないんだけど、それだとおかしくね?

262 :人間七七四年:2021/03/27(土) 20:30:03.50 ID:rU2TMMtE.net
うるさい黙れ。状況の変化なんてもんは言い訳だ
家康は何が起こっても太閤殿下の遺言を一字一句違わないまま対応しないなら悪なんだ
でも奉行や毛利は宇喜多は許す

263 :人間七七四年:2021/03/27(土) 20:43:15.98 ID:3oKS6of1.net
エー、マジですかー。
でもさ、そもそも家康は何のために伏見にいるんだっけ?

家康が帰国して謀反の準備されたら困るから、伏見で軟禁するのが目的なんだっけ?

264 :人間七七四年:2021/03/27(土) 21:14:37.52 ID:rU2TMMtE.net
実際そういう側面もあったと思うよ。徳川自体大名を江戸に縛り付けてた訳だしね。

当初から家康に簒奪の意思があったのは明白だし、秀吉が家康を最も警戒するのは当然でしょ。

265 :人間七七四年:2021/03/27(土) 21:23:26.47 ID:sn3YX6Hq.net
どの辺が明白なんだって話をずっとしてるんだが

266 :人間七七四年:2021/03/27(土) 22:32:44.93 ID:hgZI/Irx.net
>>260
おそらく秀頼を関白にさせるため。
豊臣政権の重要な城は大坂城と伏見城。
何方とも大切なんだが、主に大坂城は諸政務を、伏見城は外交等の政庁になってる(ざっくばらんに言うと)
家康は豊臣政権唯一の大臣(内大臣)で、朝廷に影響力を有するたった一人の人物と言っていい。
秀吉が死ねば、関白の座を狙って五摂家が暗躍するのは必然。それを防ぐ為には大臣・徳川家康を朝廷の近くに置く必要がある。
秀吉晩年期は朝廷には秀吉と家康しか居ない。秀吉が死んで家康が参内しなければ朝議が開かれない。
朝議が開かれなければ朝廷の存在意義が無いから「大臣を任命したい」って要求がくるし、それはやがて「関白を任命したい」になる。
だから秀吉としては家康にできる限り京にいて欲しい。
それで家康を最低でも三年は伏見に置くことにした。
それだけあれば、秀頼が大納言、大臣になる時間が稼げるからね。

267 :人間七七四年:2021/03/27(土) 22:45:57.22 ID:hgZI/Irx.net
だから秀吉は「家康には伏見城、利家には大坂城」を任せた(浅野家書状)
上に出てる様な事態、つまり秀頼が病気になったり反乱が起きたりしてもそれは家康と利家の協力でどうにか出来る
(病気なら単なる見舞いになるし、反乱ならそもそも家康は移動する必要がない)
秀吉の想定外だったのは政治闘争が始まって家康が朝廷に関わってられなくなったこと。
それに諸将の御家騒動や利害関係が絡んで身動き取れなくなったし、平然と秀吉の遺命は無視されるようになった(家康が伏見城を出て、謂わば遺命放棄をしたのは前田利家の忠告によるもの)

268 :人間七七四年:2021/03/27(土) 23:06:17.74 ID:amPRPOjb.net
批判が的を得てないんだよな。
まず業務で高校数学が応用として使える時点で、世の中の上側1%以上なのよ。
アク界隈はお受験からのエリート教育で育ってるから、世の平均以下がちゃんと認識できていない。
残念ながら需要が存在してしまうわけですわ。高校数学の範囲だろうが何だろうが知らんがな。

あと、純粋な高等な数学になればなるほど、応用が狭まっていく。平たく言うと役に立たない。
なんでそんなものと比較するのか意味が分からない。好きなら勝手に博士課程でも行ってろ。

そして、哀れにもアク候補生として入社して、想像以上に日本社会の企業文化に揉まれ疲弊し、
自分は東京一工のエリートなのにこんな試験にも受からないクヤシイ!!みたいな人が、
5chで見えない敵をたたいて必死にもがいているんだな。憎むべきはその選択の損切りができない自分自身なのに。

だから、嫌ならやめろよと。クソ試験と思うなら今すぐやめて転職なりしろ。何事も中途半端が一番良くない。

269 :人間七七四年:2021/03/27(土) 23:08:03.22 ID:3P0+RXmx.net
家康が伏見城に居る事で、朝廷への工作を行う必要は豊臣公儀の為に必要だった。
98年12月には右大臣に菊亭晴季が還任しているが、彼は一人娘を秀次に嫁がせた結果、彼女を殺されて己も流罪にされた人物。どう考えても親豊臣志向では無い(てか晴季が秀吉を関白にしたのにこの仕打ち)
しかし、晴季と家康以外に豊臣には対朝廷のコマが無い。
だから豊臣政権としては家康に伏見城に居てもらう事は最優先事項だったはず。
ところが、五大老五奉行の政争、そして家康の向島移転によって豊臣の朝廷工作は暗礁に乗り上げてしまった。
挙句、関ヶ原になってしまう。
それが終わる頃を見計らって五摂家は関白奪還に向けて始動。僅か二ヶ月で関白職を五摂家に取り戻した。
家康が伏見城で、何の問題も無く過ごしていたとしても防げなかったかもしれないが…豊臣にとっては痛い出来事だったね。

270 :人間七七四年:2021/03/27(土) 23:52:07.40 ID:cowHdqFU.net
>>269
豊臣家が秀吉の猶子だった秀康を推薦するのが唯一の突破口だったと思う
それなら家康が豊臣政権を支え続ける材料になっただろうから
関ヶ原後だともう家康に豊臣政権を支えるメリットがほぼないからね

271 :人間七七四年:2021/03/28(日) 00:34:58.03 ID:rLkX3EPx.net
いや、突破口も何も関が原さえ起こらなければ「豊臣家として」対応がマズかったことは大坂の陣の手前まで無かっただろ

272 :人間七七四年:2021/03/28(日) 03:31:47.37 ID:FBbG7dBz.net
>>260
個人的な意見だけど、家康を大阪の秀頼から引き離す目的なんじゃないですかね。
家康は伏見に縛りつけられてるんで、定期的に大阪城の秀頼の元にミニ参勤交代をするしか
ないじゃないですか。大阪城には大輔役の前田が居るし大阪城に居座るのは遺言で禁止状態だし。

つまり、徳川と言えど大阪城の秀頼に臣従してるって周囲に見せる行動に成る。
家康としては、このミニ参勤交代で秀頼の権威上げるのが嫌なんで、大阪城に居座る場所が欲しい。
これが西の丸移動の意味なんじゃないでしょうか。

太閤は、家康が定期的に大阪城の秀頼にご機嫌伺いってイベントをつくりたかったのでは?
こういう文脈でみれば、家康の西の丸天守築城の意味合い分かるじゃん。

273 :人間七七四年:2021/03/28(日) 04:25:11.21 ID:ldkwDJ8d.net
>>266>>272
同じ疑問に答えたこの2つのレスのどちらが首肯に値するか
諸賢の感想をぜひ承りたいね

274 :人間七七四年:2021/03/28(日) 06:03:00.53 ID:SKZBUKCC.net
>>270
家康が内大臣である以上、本人や嫡男の秀忠を押し退けて秀康を大臣にするってのはかなり難しいところがあるけどねぇ…しかし、それくらいしか無い。
これはかなり危険な要素を含んでいて、豊臣を守らせようと家康を豊臣に近付け過ぎると秀頼を守る可能性が減るってのが(秀頼を潰せば乗っ取れるから)
かと言って遠ざけるとご覧の有り様、さてどうするか。
しかも朝廷は豊臣を抹殺したがっているので、家康に将軍宣下する可能性も高い。

275 :人間七七四年:2021/03/28(日) 06:32:15.83 ID:SKZBUKCC.net
>>271
豊臣政権自体にかなりのガタが来てるので割と厳しい。
五大老と五奉行の対立に、諸将の御家騒動、明・朝鮮との外交問題、朝廷との外交、これらが複雑に絡み合っていて幼い秀頼にはどうしようもできん。
秀吉の遺命を守る気なんて誰にも無い状態だし、そもそも秀頼の事をどう思っているのかも不明ときとる。

276 :人間七七四年:2021/03/28(日) 06:55:50.78 ID:pYRGZ+R/.net
>>274
こっちもかなり厳しい事を言っている自覚はある
しかし、豊臣家側で関白に推薦できる人物であり、かつ、家康が
支持(せざるを得ない)できる候補がもう秀康しかいない
秀秋は翌年死ぬからもうアレな可能性が高いし、秀家は没落済み
宮様をこの期に及んで秀康を無視して支持できる奴などもういないだろ
秀頼を推薦できぬ以上、豊臣側に対抗馬がいなければ家康だって摂関家相手に
関白就任を阻止しようがないし

277 :人間七七四年:2021/03/28(日) 06:59:42.56 ID:SKZBUKCC.net
>>276
ヤケクソの最終手段としては家康の関白就任ってのもあるけどそれは豊臣の終焉を意味するしなぁ…
秀康をどうにか使うのは名案だが劇薬、どうしたもんか。
一応大臣になっていれば関白にはなれるから最悪、家康を右大臣に昇格させて内大臣を秀康にして秀康を関白にする
秀忠は将軍か何かにしてバランスをとる…
…うーん。厳しい。秀吉の度量は勿論、家康の政治感覚も問われる布陣になるなぁ。史実より安定するはずなんだが…

278 :人間七七四年:2021/03/28(日) 07:25:12.48 ID:Fyi6pCWR.net
>>275
いや、豊臣家が存続することと豊臣家が天下人であり続けることは全く別の問題だぞ?
例え話が槍玉に挙げてる西の丸問題にしても、奉行の暴走を皮切りにして秀吉の遺言すら無価値になり豊臣の天下人の権威が死んだから
徳川を用心棒に雇うしかなくなったからその分の経費と報酬と考えれば十分に説明がつく

279 :人間七七四年:2021/03/28(日) 07:32:30.98 ID:pVXKL7Bx.net
>>278
豊臣家生き残りならまぁ不可能じゃないよね(ただ千姫との間に男児が産まれたら秀頼は病死しそうな気もするけど…)

280 :人間七七四年:2021/03/28(日) 07:37:36.52 ID:Fyi6pCWR.net
例え話的には、徳川が他大名と同じ立場のまま豊臣家のために全国の問題を解決してくれないのはおかしいって論法だが
常識的に考えたら他大名と同じ立場のままなら他所の事情に口出しなんてできる訳無いんだよな
豊臣家自体に天下鎮める実力が無い以上、雇った用心棒の権威付けすらしないならその方がよっぽど現実が見えてない
なんせ太閤殿下の遺言破り第一号が豊臣の権威無しじゃ何もできないはずの奉行衆だからな

281 :人間七七四年:2021/03/28(日) 07:46:20.28 ID:Fyi6pCWR.net
>>279
>病死しそう
>>275では「秀頼の事をどう思っているのかも不明」と言ってるのに
大分マニアックな想定するんだな…そんなリスク冒さなくても秀頼が実績積む機会さえ与えなければ十分だと思うけど

282 :人間七七四年:2021/03/28(日) 09:06:55.42 ID:dvhOuTVe.net
>>273
272のまるで史料も研究も出さない態度を繰り返す様見て首肯できると思えるなら、そいつの頭疑うレベル
他の人間の起こした事件取り上げないで家康のみしか見ないあたりお察し

283 :人間七七四年:2021/03/28(日) 09:20:19.63 ID:dvhOuTVe.net
秀吉自身が志向してた淀と家康の婚姻を成功させればいいじゃん
あと上で言ってる人がいるが豊臣政権であることと豊臣家であることは別

政権でいることは秀吉が死んだ時点で不可能に近い、そもそも秀吉自身が秀吉一代限りの短命状態にした訳だけど
家として残るだけなら日本最大勢力の姻族に丸投げしとけばいいイージーモードだよ
実際大坂の陣とかいうバカな事しでかすまで、支える必要もない豊臣家が自分で管理徴収のままならない年貢の面倒まで見てるんだから

284 :人間七七四年:2021/03/28(日) 10:26:09.47 ID:7TxfcXeR.net
淀君との結婚に関しては家康が渋ってた可能性がある(一月十九日の所謂私婚問題)
理由はわからんけど…
大野との醜聞で完全にお流れになったのは確か。

285 :人間七七四年:2021/03/28(日) 12:55:31.77 ID:7TxfcXeR.net
>>253
大坂城に入城した時には伏見三年在の遺言は無効化されてるからね、仕方ないね

286 :人間七七四年:2021/03/28(日) 16:09:45.99 ID:jLzKWjIY.net
そもそもで悪いんだけど。
淀殿と家康の婚姻は、豊臣家オフィシャルの政策として史実認定でいいの?

だとしたら、秀吉の方針は豊臣徳川の宥和一択にならないか?疑問の余地ゼロ。
もう政権簒奪とか、『はぁ?』のレベルじゃないか。

287 :人間七七四年:2021/03/28(日) 16:30:29.13 ID:dvhOuTVe.net
そういった話が看羊録、多門院日記、毛利家文書といった性質の違う史料で確認できるため
確定って程ではないけどかなり信ぴょう性の高い話ではないか、って感じかなー

288 :人間七七四年:2021/03/28(日) 16:35:37.93 ID:jLzKWjIY.net
なるほど。
そんだけ複数資料に記載されてたら本当っぽいですね。
でもこれ、秀吉死後の豊臣徳川の関係を語る上でめちゃ重要じゃないですか?
なんで今までフォーカスされてこなかったんだろ?

289 :人間七七四年:2021/03/28(日) 17:01:08.58 ID:dvhOuTVe.net
そういった部分は完全に想像でしか答えられないんで、本当にそうか知らないけれど
わかりやすさが優先だったからじゃない?本当に本格的な実証研究が実を結び始めたのは20,30年前くらいからだし
歴史教育はわかりやすく愛国心なり植えつけやすいからもろ国の意向を受けてる期間のが長くて、そこから決別できたのが戦後、戦後は戦後で反動からかマルクス史観なりが隆盛極めてしまうし
これでもまだ戦国期は人気があるだけ研究のアップデートが早い方だろうって感じ

290 :人間七七四年:2021/03/28(日) 17:29:21.09 ID:7TxfcXeR.net
有名な家康の私婚問題は実は淀君との結婚問題だったといのが高橋氏の本に書いてあったな。
言経卿記によると一月十九日に起きた問題は二十日に解決した。
また、家康の起請文だと「縁辺の儀は遺言に従う」とあるだけで別に徳川の婚姻が中止された形跡も無い。
だからおそらく問題になったのは「家康は淀と結婚しろ」という遺言を家康が履行する様子が無かったので五大老五奉行で「家康さん結婚の方はどうなってるんですか?」と聞いただけ、
でそれが後に尾鰭腹鰭が付いた、って話

291 :人間七七四年:2021/03/28(日) 18:56:57.54 ID:j2lmdoDa.net
『家康は政権簒奪を企図していた』
一番最初の論拠にされていたのが、遺言違反とされる私婚問題ですよね。
これ、根底からひっくり返る話だと思いますよ。

292 :人間七七四年:2021/03/28(日) 19:22:02.73 ID:b5SnODoP.net
>>283
前から不思議なんだけど、豊臣家は領地の運営もままならなかったって話を聞くけどさ
豊臣家はどうして増田長盛を再雇用しようとしなかったんだろう
あいつは改易されただけだから雇用しようと思えばできたはずなんだが
増田が加入するだけでも領地運営のノウハウが大幅に改善しそうだし、
他のの家臣に経営指導をするだけでもだいぶマシになったと思うんだがなあ
別に関ヶ原の西軍参加者でも他家に採用されている例はいくらでもあるんだし

293 :人間七七四年:2021/03/28(日) 19:24:05.05 ID:SKZBUKCC.net
>>292
増田くんは東軍なのか西軍なのかわかんねぇムーヴしてるから信頼ってやつが…

294 :人間七七四年:2021/03/28(日) 19:49:35.88 ID:dvhOuTVe.net
>>292
改易のみというか謹慎扱いうけてるはずだよね確か
扱い的には真田らと同じく許されてない感じでは

295 :人間七七四年:2021/03/28(日) 23:07:10.08 ID:SKZBUKCC.net
>>291
だからこそ最近、「家康に天下取りの野望は無かった」って論が出てきた。
そもそも、秀吉の遺命はその一月後には破られてる。
毛利と石田三成ら四奉行が誓紙を取り交わしてる。これは明確な御掟違反になる。
これに対しては「政権担当者が交わしてるのだから問題無い」って言う人がいる(丸山氏とかだったか)けど、
だとするとその政権担当者たる徳川家康が誰と縁戚関係になろうが問題無い、って話になるのは当然。
結婚には全員の許可が!って言う人もいるがそれには論拠が無い。何故誓紙は許可が要らなくて結婚は許可がいるのか?そんな事を書いてる史料は無いからね。
家康が遺命を破ったというより、秀吉遺命は既に五大老五奉行誰一人重視してない紙切れに成り果ててるとみるべきで、故に家康の縁戚も単純な見方は出来ないのだ。

296 :人間七七四年:2021/03/29(月) 01:47:16.67 ID:RKNEj7jQ.net
>>283

幼い君主の生母と、輔役「後見人役」の人を再婚させて義理の父親にって発想は過去に例が
無い訳では有りません。
イスラム系の王朝に出てくる「アター.ベク」って称号の後見人ですね。

恐らく一番有名なアター.ベクは、セルジョーク朝の三代目マリク.シャーに仕えたニザームマリクです。
彼は名宰相で忠臣として有名なのですが、勿論こういう例ばかりではないです。

主君を飾り物にして、自分の実子に後を継がせれば比較的容易に乗っ取りができますねのでね。

後見人に特別な権威を持たせる目的なのですから、秀頼の場合最有力の候補者は前田利家の
息子である前田利長に成るはずです。

前田家を無視してそういう話は明らかに変でしょ。

297 :人間七七四年:2021/03/29(月) 02:04:13.92 ID:RKNEj7jQ.net
>>287
それはそういう噂が撒かれてたって意味しかないのではないでしょうか。

秀吉にしろ、家康にしろ、政治的宣伝戦の達人なのでそれぞれの行動の政治的宣伝の意味を
無視するのはおかしいと思いますので。

先ず太閤遺言で、死後100日後に秀頼を大阪城に移せと言うのが有ります。
秀頼が大阪城に移動すれば、上方に来てる諸大名は大阪に移動せざるを得なくなりますよね。
なのに家康は、遺言で伏見城に縛りつけられるわけです。

そして、定期的に大阪城の秀頼の所にご機嫌伺いに来るって形になり、明確に世間に対して徳川は
臣従してるんだって見せつける事が出来ますよ。

後ね、諸大名の心理として西の丸天守なんて物つくられたら、最初に本丸訪問するのは心理的に
厳しいでしょ、徳川に睨まれるの明白だし。
これは政治的宣伝と理解すべきかと。

298 :人間七七四年:2021/03/29(月) 05:29:05.18 ID:pzhs11Rl.net
何か読んでて笑えてきた
もしかして例え話本人も笑いながら書いてるんじゃ?
流行りのシリアスギャグってやつだな?

299 :人間七七四年:2021/03/29(月) 06:57:20.11 ID:LOYpzQAH.net
>>297
面白い話だけどちょっと無理があるかな。
まず、秀吉が政治的宣伝の意味がわかっていたなら絶対に家康を伏見城には縛らない。
何故なら、その様な遺言は逆に家康の人望を高めてしまうから。
どの諸将も大坂の秀頼のご機嫌伺いに行く中、家康だけは伏見にいる。これは家康が一種の「特別扱い」されている事になる。秀頼にご機嫌伺いに行く必要が無いって事だからね。
同時に、秀頼が家康を呼んでも「太閤の遺言なので」と言われて拒絶されたら打つ手が無い。上杉景勝の場合は周辺国の訴えがあったので謀反として討伐軍が出せたが、
伏見城にいる徳川家康の場合それも難しい。
結果、「秀頼の命令も無視出来る巨人・徳川家康」が誕生する事になる。
また、大坂城西の丸天守だが、そんなものができて諸将になんの影響があるのか知りたい。少なくとも巡回のルートが変わったと言う史料は無い筈だが…
単なる改装程度のお話では?

300 :人間七七四年:2021/03/29(月) 07:37:01.48 ID:LOYpzQAH.net
だから、秀吉が家康を伏見に縛るつもりがあるなら少なくとも参勤を同時に命令してるはず。
秀吉の遺言だと浅野家書状、遺言覚書、直筆遺言書、ってあるけど参勤が命令されてる書状ってあったっけ?

301 :人間七七四年:2021/03/29(月) 09:11:46.56 ID:C5A9+Mwt.net
史料上書いてある事を根拠ゼロで宣伝効果だったんだ、俺だけは真実がわかるーってやって誰が納得すると思うのか
論理的に物が考えられない人間がしゃしゃり出てくるべきじゃないよ

302 :人間七七四年:2021/03/29(月) 09:46:23.12 ID:owlw/Cqo.net
家康が西の丸に天守を建てたのにはこんな話がある。
そもそも、豊臣の公たる城は聚楽第だった。
ところが、聚楽第の主人秀次が切腹すると聚楽第は取り壊された。これで新設されたのが伏見城で、以後伏見城が豊臣の公城として諸将の屋敷が作られている。
公の反対、つまり私の城が大坂城だった。
さて、慶長に起きた伏見地震で伏見城は元より大坂城も大きな被害を受けた。
イエズス会報告書では「太閤殿下の宮殿は大廈高楼盡く壊れ、彼の千畳座敷竝に城櫓二箇所倒れたり。此(この)櫓は七八層にして各譙楼あり。」と記されている。
キリスト教司祭らの報告はこれらを神罰と捉えてる向きもあるが、最低でも半壊、悪いと倒壊の憂き目に遭っていたと考えられる。
そして、家康が大坂城西の丸に入った時点ではまだ大坂城天守は改装準備若しくは改装前だったと思われている(大坂城を預かった前田利家は何してたんだよ、って話だが政争に忙しかったのかもしれない)
西の丸は迎賓館的性質がある場所であり、大坂城を訪れた諸将はここに集まる。そして、大坂城天守が崩壊してる様を見る事になる。
その為家康は、まず仮の天守を西の丸に建築したと思われている。その後、大坂城天守を改装し、改装終了時は一種の物見櫓として使われたのだとか。

303 :人間七七四年:2021/03/29(月) 15:54:55.33 ID:q22U2frk.net
少なくとも言われてるように西の丸が改修された後に巡回ルートが変わったなどの根拠となる史料出さないとね
ずっと言われてるけど可能性だけならなんでも語れる、そう見てしかるべきにするなら実証あるのみ

それ出さないで別のところにはこんな例がありますしても、全く意味がないしむしろああこの人史料研究すら読まないんだって印象持つだけだよ

304 :人間七七四年:2021/03/29(月) 16:47:46.83 ID:xSWDe2zJ.net
家康が西の丸に入った時の大坂城がどうなっていたかは不明だけど、
大坂城本丸天守閣が損壊したという宣教師の報告に大きな意味があるだろうな。

305 :人間七七四年:2021/03/29(月) 20:22:38.39 ID:7cJsUKoC.net
>>296
>後見人に特別な権威を持たせる目的なのですから、秀頼の場合最有力の候補者は前田利家の
>息子である前田利長に成るはずです。
???なんで???なんでいきなり利長の名前出て来た?
まず君が前田を過剰に特別視することを当たり前のように前提にもってくることが疑問

306 :人間七七四年:2021/03/29(月) 20:27:26.43 ID:bPssPVwv.net
>>294
成程、単なる改易ではなく謹慎でもあるので無理なのか
なんというか、もったいないな、能力だけは確かだろうに
名誉を回復させようって動きもなかったのかな、息子も喜ぶ筈なんだが

307 :人間七七四年:2021/03/29(月) 21:07:10.73 ID:dz/tjVDg.net
無視するも何も前田は東軍だったんだから、反徳川と仮定して話す必要あるのかな?
利長失脚も奉行衆の讒言だって、すでに前スレで話したでしょ
知らないなら今からでも前スレ読んで貰いたいね

308 :人間七七四年:2021/03/29(月) 23:22:07.61 ID:LOYpzQAH.net
>>305
まぁ理屈の上では利家の立場は利長が継ぐのが当たり前だからな(秀吉の遺言でもそう書いてあるし)
だが現実の問題として、利長の才覚ってものがあるし。
利家に出来たから利長に出来るとは限らない。まだ若い利長じゃ豊臣諸将の統制は取れない。
細川忠興が「内府がいなくなって大納言が死ねば三成の天下になる。それだけは防ごう」って言った話があるくらいだしねぇ…

309 :人間七七四年:2021/03/29(月) 23:27:13.00 ID:C5A9+Mwt.net
後見人なら徳川も後見人なんだが
なんでそこ無視して前田ばっか推すのかって話じゃねーの

310 :人間七七四年:2021/03/29(月) 23:30:40.56 ID:7cJsUKoC.net
利長の才覚もクソも、秀吉生前から病気でしんどいんで隠居したいです言いまくってた利家に任される時点で
前田の後見人の地位は名誉職以上のもんではない

311 :人間七七四年:2021/03/29(月) 23:37:51.28 ID:C5A9+Mwt.net
まぁ、ともかく
持ってくるべきもん持ってこないとそれあなたの感想ですよねって話でしかないから、ちゃんと持ってこい
例え話いくらやってもなんら実証にならんし誤魔化してるだけにしか見えなくて不信感しか抱かんぞ
持ってくるべき研究なり史料なりがあればちゃんと議論になるんだから、やる事しろ

312 :人間七七四年:2021/03/30(火) 03:36:48.17 ID:m9b4QDoV.net
忠興の言う「三成の天下」ってのも割と謎発言だけどね
家康利家なき後の天下は輝元が妥当なのに、どうも違和感がね

313 :人間七七四年:2021/03/30(火) 12:27:06.21 ID:d2sUSJ6N.net
一応忠興の逸話は玉露叢に収録されてるものではあって、
「家康も利家も居なくなったら三成は利長を追い出してしまうぞ。そうなるくらいならむしろ家康と仲良くした方が絶対良いですぞ。」
と、忠興が言ったって話。
忠興は後の三成襲撃にも加担してるので、おそらくこれは七将全員の所感と見て良いと思う。三成は邪魔者が居なくなったら天下を取ろうとする危険な奴ってわけ。
実際、八月二十八日輝元起請文(四奉行宛)では三成が輝元がかつて家康・利家に送った起請文を見たうえで、輝元の起請文の内容を添削してる。
輝元より三成の方が「野心的」だったわけで、忠興の懸念は的中してると思える。

314 :人間七七四年:2021/03/30(火) 12:31:29.60 ID:d2sUSJ6N.net
あと八月二十八日起請文は訂正箇所も割と問題で、
原文は「秀頼さまお取り立て衆と胸を合わせ…」
となっているところを
「五奉行(五大老のこと。三成は五大老の方を奉行と呼んでいた)が、秀頼さまへ反逆の意思がなくても四人の衆(浅野長政を除いた四奉行)に逆らうなら輝元は四人の衆と共に…」
と訂正してる。
色々な見方はあるけど、三成は遂に秀頼への奉公すら捨てて政治闘争を始めた、と見られても仕方のない文に仕上がっとる。

315 :人間七七四年:2021/03/30(火) 16:05:38.09 ID:lReFoWCq.net
玉露叢ってそこまで信ぴょう性のある史料だったっけ
勿論起請文への記述部分は考え方としてアリと思う

316 :人間七七四年:2021/03/30(火) 16:05:52.75 ID:goufw6Tr.net
こういった三成たちの行動って、当時の他の武将たちにはどう映ったのだろうね。
三成側から見れば、『秀頼さまを守るためにまずは自分たちが実権を握るしかない』だろうけど。

317 :人間七七四年:2021/03/30(火) 17:30:01.05 ID:5fYBjLa7.net
先代の側近だった奴らが後ろ盾を失って権力闘争を起こすのは海外でもよくあることだな

318 :人間七七四年:2021/03/30(火) 17:59:34.25 ID:NSu411Aa.net
>>299
「諸大名悉く大坂へ家居以下引越され候、
伏見の儀は荒野に罷り成る可き躰に候」(『島津義弘書状』)

と言っているよ。あまり印象は良くないんじゃないの。

319 :人間七七四年:2021/03/30(火) 18:16:59.97 ID:lReFoWCq.net
ことごとく大坂に機能移しました
伏見は空っぽですって感じか
書き方は確かに厭味っぽいのかな

320 :人間七七四年:2021/03/30(火) 18:27:31.42 ID:d2sUSJ6N.net
だが秀頼お膝元に諸将が集まったと言えば豊臣にとってプラスになってるとも取れるのが…

321 :人間七七四年:2021/03/30(火) 18:40:25.99 ID:lReFoWCq.net
誰宛にどういう時に書いたんだろ、その義弘書状
あとは当時の島津の立場か

322 :人間七七四年:2021/03/30(火) 18:45:29.03 ID:NSu411Aa.net
>>320
そうじゃないの。
だから、秀吉は家康を伏見に足止めしようと
したんじゃないの。

323 :人間七七四年:2021/03/30(火) 19:01:05.98 ID:kyJPmrRk.net
>>322
ところが秀吉生存時点ではそうじゃないんだな、これが。
秀吉が伏見城を建てたのは朝廷に近いところに謂わば政庁としての城が必要だったから。
だから伏見城には五大老は元より五奉行らの屋敷も出来てる。
秀吉死後、三成を追放した時点で情勢は大きく変わってしまった。家康はまず大坂城を統制しないといけなくなってしまった。
そこで家康が西の丸に入って統制を始めたんだが、これで家康の天下になったと皆が伏見城を放棄して大坂城に入った。
形式上は豊臣の権威が増したんだが、実質的には家康が天下人だと世に示してしまった。

324 :人間七七四年:2021/03/30(火) 19:01:50.49 ID:NSu411Aa.net
家康が豊臣政権を乗っ取る意思があったかどうかだけど、
もしあったとしても文字で残しているはずないから、憶測で
それぞれの考えがあっていいと思うよ。

自分は関ケ原の後に太閤蔵入地を没収して、豊臣家の領地を222万石から
65万石に減封し、しかも堺、京都、長崎や金山、銀山を支配下に置いたから、
乗っ取る気はあったと思うけど。

325 :人間七七四年:2021/03/30(火) 19:05:32.39 ID:NSu411Aa.net
>>323
秀吉の意図の問題だから。
結果的に家康が大阪城に入って、
秀吉の意図通りに行かなかったということだろう。

326 :人間七七四年:2021/03/30(火) 19:09:40.79 ID:lReFoWCq.net
重大なアクシデントが起きた後の事から逆算するって考えは好きくないなぁ

327 :人間七七四年:2021/03/30(火) 19:21:41.22 ID:d2sUSJ6N.net
伏見城は単なる城じゃない。ここは朝廷対策の為にも重要な場所でかつ諸将の屋敷が作られてる外交の城。
例えば三成襲撃事件が起きた時には毛利輝元や上杉景勝も伏見城にいる。
ここに家康が三年間在住するという事は単なる縛りとはいえない。
その場合、最低でも参勤を義務付けないとならない。
そうしないと家康は秀吉の遺言を盾に唯一の「参勤御免」の大名として、しかも外交の要所たる伏見城に居続けることになる。
これは最悪の事態だと言っても良い。

328 :324:2021/03/30(火) 19:25:08.32 ID:lEzIKoiF.net
関ケ原が起こって状況が変わったからあの結末だなんて言ったら三成たちが余計なことをしたみたいじゃないか
俺はそんな風には思いたくないから関ケ原のせいで状況が変わったなんて可能性は絶対に受け入れない

329 :人間七七四年:2021/03/30(火) 19:26:07.82 ID:KFbfNrC8.net
>>324
その理屈が成立するなら、秀吉は本能寺の変やそれに類する出来事が起きなくても
関白に就任して周辺大名を討伐し、天下をわが手にする事をを目論んでいた、
という図式が成立してしまうのだが、そんな事あり得ると思うか?
本能寺も関ヶ原も史実の流れになったのはあくまで『偶然』だぞ、『必然』じゃない

330 :人間七七四年:2021/03/30(火) 19:33:34.40 ID:KFbfNrC8.net
>>328
三成の行動は豊臣家視点だとマジで余計な事だよ
だって豊臣政権の第一人者という立場が家康の立場や地位の保証にならないって事を
他ならぬ三成自身が証明してしまっているんだもの
本当に豊臣を守りたいのなら、他の連中は黙って屈服した方がマシですらある
何故ならその場合家康が「豊臣御為をもって」諸侯を統制する形になるから
つまり、家康が権力を行使すればするほど、逆に豊臣の権威が強くなる
分かりやすい例が朝廷と藤原氏の関係、あれがあの時点だと一番マシなんだ

331 :人間七七四年:2021/03/30(火) 19:42:26.98 ID:d2sUSJ6N.net
豊臣からすると最悪のタイミングで戦争されたからなぁ
しかも、それまで天下取りとかあんま考えてなかった家康をその気にさせたのは間違いなく三成よ。

332 :人間七七四年:2021/03/30(火) 23:03:52.21 ID:NSu411Aa.net
>>327
3年間は在京しろだけど。
もし所用があれば秀忠と代われと言っている。
伏見城は留守居といっているから、絶対に離れては
いけないということではない。

他の諸侯は大阪に引っ越ししろと言っているから、
完全に置き去りだよな。

在京3年間というのは江戸に戻らないように
ということだろうな。

333 :人間七七四年:2021/03/30(火) 23:10:52.61 ID:kyJPmrRk.net
>>332
浅野家書状では「伏見ニハ内府御座候て、 諸職被成御肝煎候へと」とあるので早稲田大学所蔵の遺言状にある「在京」とは伏見城にいろってことよ。他に住む場所も無いし。
ちなみに、伏見には宇喜多秀家、前田玄以と長束正家も住むように言われてる。
伏見城には各大名の屋敷があり、豊臣政権の表玄関なので当たり前なんだけど(大坂城にもあるけどね)
家康は豊臣政権唯一の大臣なので、彼に朝廷対策をしてもらわないと秀頼が関白になれない。
…まぁ、三成ら奉行衆が政争を繰り広げた結果、結局家康は朝廷対策が出来ず五摂家が関白独占してしまったが…

334 :人間七七四年:2021/03/30(火) 23:25:37.22 ID:lReFoWCq.net
他諸侯(全部)が大坂に引っ越ししろってのはいつの日付の記述?

335 :人間七七四年:2021/03/30(火) 23:59:17.33 ID:1fvYiSqZ.net
秀吉の遺言って全文が残ってる訳じゃないもんね
欠けたであろう部分は推論するしかない

336 :人間七七四年:2021/03/31(水) 00:59:17.02 ID:IcYV8h1o.net
>>334
早稲田大学に所蔵されている豊臣秀吉遺言覚書書案

自分で探して

337 :人間七七四年:2021/03/31(水) 01:07:57.25 ID:IcYV8h1o.net
>>333
一、内府三年御在京事 付用所有之時ハ

           中納言(徳川秀忠)御下候事

一、奉行共五人之内徳善院(前田玄以)・長束大(長束正家)両人ハ一番二して残三人内壱人宛伏見城留守居候事、

  内符惣様御留守居候事、

在京は在京、伏見城の留守居はまた別に言っている。

伏見城で朝廷対策しなければいけないという
根拠とかあるの?
秀吉の死後、諸侯と引き離して家康に自由に行動させたくにという方が
大きいと思うけど。

338 :人間七七四年:2021/03/31(水) 01:35:37.40 ID:5KpKLYmF.net
6月27日の西笑承兌書状だと来年には東国の大名は大坂、西国の大名は伏見にするでって書いてあるね
他大名全員が大坂に移るのは上に記述があった通り家康の西の丸入り後

秀吉が小康状態で政庁移動しようとして力尽きて計画倒れになっただけでは
あと惣様留守居って離れるなじゃなく全権委任だと思うが

339 :人間七七四年:2021/03/31(水) 06:56:39.79 ID:XmSc2efg.net
>>336
早稲田大学所蔵の遺言状には
秀頼様大坂被成御入城候てより、諸侍妻子大坂ヘ可相越事
とあるので要は諸将の妻子を大坂に送れって話なんじゃ

340 :人間七七四年:2021/03/31(水) 07:04:50.56 ID:XmSc2efg.net
>>337
大いにある。
豊臣は関白になって天下人になった一族。故に秀頼を関白にしないとならない。
問題なのは関白とは朝廷、もっと言うと藤原氏にとって重要な職だった。有識故実的には藤原氏しかなれないんだけどね。つまり豊臣氏は本来関白になれない。
なれない関白に無理矢理なってた訳で、秀吉の死後は絶対に藤原氏が関白奪取に動く。
これを妨害するには最低でも朝議を差配する大臣以上の人物の協力が必須。じゃあ豊臣政権で大名以上は?
内大臣・徳川家康のみ。
だから秀吉からすると家康が政争に巻き込まれたりしてほしく無い。
家康が政争処理に忙しくなれば朝廷は関白を藤原氏に戻してしまう。藤原氏は五つも家を持ってる(五摂家)ので一度取られたらもう絶望的と思っていい。
それで秀吉は伏見城を家康に渡して朝廷対策を頼んだ。
三年あれば秀頼が大臣になるのに充分な時間が稼げるからね。

341 :人間七七四年:2021/03/31(水) 07:40:05.69 ID:40A48qG5.net
大坂城は家康入城時点で天守が崩壊してた疑惑もあるしなぁ
大坂が統制不能になってたのかもね。

342 :人間七七四年:2021/03/31(水) 08:31:01.76 ID:EYXLLxOW.net
>>340
秀吉の実子じゃない秀次が関白になってたんだから秀吉が生きてる間に関白は豊臣のものって既成事実を積み上げればよかっただけなんだよね
でも関白は成年じゃないとなれないのに秀次を殺しちゃったから

343 :人間七七四年:2021/03/31(水) 08:56:31.60 ID:40A48qG5.net
>>342
朝廷は先例主義だからね。先例を無視した任官は出来ないのだ。関白になれるのは藤原氏のみ。これは200年以上続いたルールなので新たに豊臣氏を摂家にする事すら難しい
秀次を関白にした事が既に先例に触れていて、大臣にすらなってない秀頼を関白にすることは秀吉ですら不可能。
だから実は、豊臣政権ってのは徳川幕府より遥かに朝廷に依存してる。
七将が、三成が、家康が、っていうより朝廷に見捨てられたので豊臣政権は崩壊したんだと言っても良い。

344 :人間七七四年:2021/03/31(水) 09:14:06.01 ID:bIARpWbM.net
関白相論に始まる秀吉の関白就任の経緯をみれば
朝廷特に五摂家が喜んで秀吉に関白になってもらったわけじゃ全然ないことがわかるんだけどね
秀吉1代限りで五摂家に返すと約束していたのを権勢を背景に反故にして秀次に継がせたんだし
一般向けの小説とかでは意図的にか全く触れられてないけどこのことはもっと知られるべき

345 :人間七七四年:2021/03/31(水) 09:27:09.30 ID:40A48qG5.net
そもそも何故朝廷が豊臣という姓を秀吉に送ったか、その真意から考えんといかんからね。
朝廷、特に五摂家は反豊臣派の最先鋒で秀吉死後に関白独占・秀頼排除を行うのは必至。避けられん。
秀頼が関白になれなければ、秀頼は天下人たる資格を失ってしまう。そうしたら秀頼が一からまた関白なり将軍なりを目指して戦わねばならない。
家康に伏見城を与えたのは、家康が唯一の大臣であり豊臣政権で唯一朝廷に影響を与えられる人物だったから。
それでなんとか朝廷を抑えたかった。
尤も、五大老五奉行の政争、朝鮮からの帰還、明・朝鮮との和睦交渉、諸将の御家騒動…とこうも事案が多いととても朝廷対策までは出来なかったろう。

346 :人間七七四年:2021/03/31(水) 14:12:13.90 ID:EYXLLxOW.net
>>343
秀次にそのままやらせてその後成長した秀頼に引き継ぐところまでやればね
秀次殺して秀頼が成人する前に秀吉が死んじゃったらもうどうしようもない
秀吉が近衛を騙して世襲化しようとしたから朝廷が豊臣を保護する理由もないしこの状態で秀吉が死ぬならもう徳川に豊臣を庇護させるしかないよね

347 :人間七七四年:2021/03/31(水) 14:28:41.85 ID:5KpKLYmF.net
そういえば正親町親王の孫を猶子にしたらすぐ鶴松が生まれて即猶子解消とかいう朝廷内無駄にばたばたさせただけの行動もあったな秀吉

豊臣家への朝廷感情ってどんなだったんだろ

348 :人間七七四年:2021/03/31(水) 14:35:13.86 ID:EYXLLxOW.net
基本的に朝廷は先例最重視でそこから絶対に外れないようにするけど武家に援助してもらわないと生きていくのもままならない状態
だから足利義満とか豊臣秀吉とかの先例にない存在が出て来ると例外と処理してなかったことにする
秀吉も一代限りは例外で済まそうとしてたんだろうけど豊臣で関白を独占しようとしたのはかなり反感を買ったでしょう。そもそも関白総論のドサクサで秀吉が関白になっただけでその後は摂家に返すことになっていたわけだし

349 :人間七七四年:2021/03/31(水) 14:44:58.53 ID:40A48qG5.net
>>347
天皇からはかなり親密な感情持たれてる(ハズ)
だが五摂家からは相当嫌われてる。
勿論豊臣派貴族もいたけどそいつら殆ど秀次事件でなぁ…

350 :人間七七四年:2021/03/31(水) 14:46:44.30 ID:EYXLLxOW.net
天皇含め朝廷の親密感なんてアテにならんよ
光秀にだって出迎えてもてなして京都の治安を任せたぐらいなんだから
その都度その都度自分達のパトロンに成り得る権力者に愛想を振りまいてるだけ

351 :人間七七四年:2021/03/31(水) 17:00:26.10 ID:4KEtT51u.net
逆に言えばパトロンたり得ないとわかるとすぐ切り捨てて別の人パトロンにしだす訳か
慶長4年の段階で家康を秀吉と同待遇したり三献の儀をしている辺り、朝廷は秀吉亡き豊臣家を早々に天下人たり得ないと見切りつけてるか

352 :人間七七四年:2021/03/31(水) 17:24:54.19 ID:HBN3OIlU.net
日本て世襲による身分の固定化が大好きなんだけど戦国時代は次から次へと武家の権力者が入れ替わってたからね。朝廷もその辺の対応に慣れたもんというか

徳川家康がついに将軍職を世襲してさらにそこから元徳川の同僚だった奴らがほぼ死に絶えるまで10年以上も大御所として睨みを効かせたおかげでやっと終わったけど

353 :人間七七四年:2021/03/31(水) 19:12:03.31 ID:oKkHLiNM.net
>>349
というか、秀吉の関白就任に協力していたといわれている菊亭にあの仕打ちは…
確かに秀次に近かったのが運の尽きと言われればそれまでかもしれんが
それにしたってあれは酷いよ
晴季父娘を特別扱いで許しておけば、朝廷工作を内大臣に昇任したての家康一人に
任せる必要もなかっただろうに、秀頼関白就任の可能性も少しは高くなっただろう

354 :人間七七四年:2021/03/31(水) 19:52:32.76 ID:40A48qG5.net
なんで晴季にあんな事したのかまるでわからん。
完全に死の恐怖に狂ってしまっていたのか。
晴季は流罪に処された後98年12月に右大臣に復帰してる。
これは秀吉の遺命とも、秀吉遺言を破壊したい家康、若しくは朝廷の陰謀とも言われてるけど何方にせよ晴季は最早豊臣への愛情はまるで無かったと言えるんじゃないか。
この時期の晴季の活動ってまるで知られてないんだが、誰か知ってる人はいるだろうか…?

355 :人間七七四年:2021/03/31(水) 19:54:16.00 ID:evyCsPoZ.net
西笑、義昭の死とかね

356 :人間七七四年:2021/04/01(木) 09:29:15.73 ID:tDxCRrGZ.net
関白詐取に秀次事件で恩を仇で返したのに加えて挙げ句の果てが秀頼成人まで官位の昇任停止
これで大混乱に陥った朝廷からしたらもはや秀吉は清盛の再来に見えただろう
史料に残ってるかはともかく五摂家をはじめとして次の天下人と目した家康に相当な働きかけがあったとしても不思議じゃない

この辺のことを知ると豊臣が政権から滑り落ちたのは家康一人の野望などに帰せられるのでなく
複合的な要因があった、それもほぼ全て生前の秀吉がまいた種だったということがわかる

高橋氏が近著で唱えた家康の将軍就任が対明対朝鮮との和平交渉の必要性からというのも
因果をさかのぼれば秀吉のまいた種で家康は秀吉の後始末尻拭いをしていくうちに唯一人の天下人にならざるを得なくなったとも言える

357 :人間七七四年:2021/04/01(木) 10:28:42.96 ID:bzsO/Chf.net
実質天下取っても元和まで改元しないの律儀やなと思うわ家康

358 :人間七七四年:2021/04/01(木) 12:31:00.05 ID:Hsc/59bN.net
>>356
それっぽいのが久我敦通追放事件なのかなぁ。
久我氏は村上源氏の嫡流で、足利将軍と源氏長者の位(正確には別当の地位だったっけ?)を交代で務めてた。
それが慶長に至るまで源氏長者を独占している状態。
それが1599年、当主久我敦通に内侍と密通というスキャンダルが発覚する。更にその内侍と息子の通世も関係を持つという大スキャンダルに発展して二人とも流罪になる。
重要なのは、久我氏が源氏長者である事と、久我氏は豊臣との伝奏役で恩恵を被っていたという二点。
家康が望んだかどうかは別として、征夷大将軍が源氏長者を兼任していた以上久我氏としては家康の将軍宣下は他人事では無かった筈で、更に豊臣から利益を得ていた者として何らかの働きをしていてもおかしくない。
この密通事件が徳川の手によるか、というのは不明だけどこの手の政略はむしろ藤原氏が得意としてるだろう(この時期貴族の倫理は乱れ切ってるので陰謀じゃ無かった可能性も高いけど)
つまり、五摂家が家康を将軍にしようとしたところ迂闊にも邪魔をした敦通が息子共々排除された…というお話。
ちなみに残された久我通前は家康に源氏長者を譲り久我氏は存続した。

359 :人間七七四年:2021/04/01(木) 12:39:25.24 ID:tnDONYp6.net
天下国家の視点で国政を考えた場合、豊臣が長たる政権が続かなきゃならん理由ってあるんだろうか?

家康批判の根拠って、主筋である豊臣を滅亡させたという道徳的な問題に過ぎない気がする。

360 :人間七七四年:2021/04/01(木) 22:50:12.24 ID:BYDzvl9f.net
>>327
史実では家康は口実作って江戸から増援を呼び、畿内における徳川の根拠地にしてます。

しかし、本来上方に兵力移動したら駄目なはずで、伏見の家康は孤立するはずなんだよね、遺言守れば。
周囲は豊臣系大名の領地ばかりだしさ。
前田が大輔役で大阪在住なの考えると、露骨に警戒にも見えるぞ。

361 :人間七七四年:2021/04/01(木) 23:04:22.71 ID:jNZYpk2q.net
徳川が秀吉没するずっと前から関東東北の惣無事担ってるって事忘れられがちだよね
ついでに言えば秀次存命時あら統治と軍事のフォローに入ってる点も

そういう積み重ね見ずに一部だけ切り取っても絶対見たいものだけしか見れないでしょ

362 :人間七七四年:2021/04/01(木) 23:05:08.02 ID:jNZYpk2q.net
あと北政所の化粧領も家康管理だったか、たしか

363 :人間七七四年:2021/04/01(木) 23:06:58.54 ID:OBos6/vv.net
>>355
人に死を笑うなよ

364 :人間七七四年:2021/04/01(木) 23:27:17.36 ID:RmNCB9fs.net
>>360
→ 本来上方に兵力移動したら駄目
これの根拠ってなんぞ?
1599年度日本年報によれば「全国の諸将が伏見大坂に兵を送り集まった数20万」とあるし、
日本諸国記は「諸奉行のみならず、多くの領主たちは兵員を招集し、いかなる出来事にも対処できるようにした。市中が武装した人々で溢れ、驚くべきことであった」と記してる。
五大老も五奉行も七将も、皆んな秀吉の遺言なんざ守ってなかったってこと?

365 :人間七七四年:2021/04/02(金) 00:59:13.39 ID:mnQrBw3I.net
唐入りの秀吉が修正案として出した冊封リストも
家康を自身に継ぐナンバー2の右都督にするようにしてんだよね、前田らは更にその次
やっぱ秀吉は自身存命時政権のナンバー2として家康を遇してるぞこれ

これで死ぬ直前にいきなり警戒してたんです!内大臣にしたし政務も丸投げしてるし秀頼の義理の父親で自分の義理の弟にもしたけど
ってやってたとしたら、秀吉急に脳が別人に乗っ取られたとかそのレベルだぞこれ
伏見の件も単に政務は家康で豊臣家が人質を直接抱えたいと取れる、少なくともこの記述1本でここまでおぜん立てしてる秀吉が家康を警戒してますって強弁するのは無理がある

366 :人間七七四年:2021/04/02(金) 01:08:51.32 ID:mnQrBw3I.net
一応荒らしへの予防線のために言っておくけど
別の王朝の例え話なりなんなりはいらんぞ、もしあるなら持ってきてほしいのは秀吉が家康を警戒していたとわかる史料や研究

それ以外持ってきてもなんら反論にならないってのは伝えておくよ

367 :人間七七四年:2021/04/02(金) 01:32:26.94 ID:9hWjI+P4.net
>>364
実際守ってないやん
遺言を真っ先に破ったのが豊臣の権威無しじゃ何もできないはずの奉行やん
秀吉の猶子だったという以外他大名より勝るところが何も無いというか
家中束ねることもできなかった分むしろ劣ってる秀家も破ってるやん
これで誰が守るっていうんや

368 :人間七七四年:2021/04/02(金) 04:49:26.68 ID:yn1yGvxn.net
>五大老も五奉行も七将も、皆んな秀吉の遺言なんざ守ってなかったってこと?

うん、これは実際誰も守ってない
奉行や秀家だけじゃなく、家康も守ってない

369 :人間七七四年:2021/04/02(金) 07:48:11.30 ID:SJESHtAZ.net
現代とは違い、戦国時代なんだから移動する時に軍勢引き連れるなんて当たり前だと思うんだがなぁ…

370 :人間七七四年:2021/04/02(金) 12:13:57.87 ID:rvlrOdRj.net
>>369
徳川前田の睨み合いの時、何故国元から増援送ってるかって事です。
その兵数は諸説あるけど、5千とか七千ですよ、記録の武将名から考えれば5000程度ですね。

つまり、本来上方の徳川の兵力はかなり少ないって事です。
当然でしょ、首都に必要性なく大兵力連れてきたら普通に謀反の疑いが。
しかも、周囲は豊臣系の大名の領地ばかりなのに、よく増援とか送れたなと思うよ。

もし徳川前田で開戦になれば、伏見で家康孤立するじゃん。
完全に手切れに成れば、自分の領地の徳川軍通過とか拒否しますし。

371 :人間七七四年:2021/04/02(金) 12:16:05.80 ID:SJESHtAZ.net
>>365
実際、秀吉はある時まで、おそらく七月までは家康を政権担当者と認めていて、一切の権限を与える気でいたっぽい(浅野家書状にある秀吉遺言、外国人の報告書)
七月というのは七月十五日に輝元ら諸将が家康・利家相手に起請文を出してるから。この起請文は交わした訳じゃ無いので家康・利家が優位にある。御掟で諸将は勝手に誓紙の類を交わさないのでこれは秀吉の認めるところだったろう。
ところが、八月になって秀吉は突如合議制を命令する(八月五日起請文)
これほどの方向転換を何故したのか…

372 :人間七七四年:2021/04/02(金) 12:18:53.04 ID:SJESHtAZ.net
>>370
増援送るのは当たり前では?
この時、石田三成ら奉行衆が家康を襲撃するという風聞があって大坂・伏見はかなり緊迫した状況になってる。
また、実際に石田三成の家康襲撃計画を聞いた細川忠興はこれを家康・利家に報告(細川忠興軍功記)
それに石田三成が襲撃された時も毛利は増援を送ってる。
平和な時代じゃないんだから。

373 :人間七七四年:2021/04/02(金) 13:53:14.01 ID:mnQrBw3I.net
>>371
8月5日の起請文のどの記述をもって合議を命令したなのか
多分どこかで説明してくれてたはずなんだけど申し訳ないがもう一度説明してもらえますか?

374 :人間七七四年:2021/04/02(金) 14:29:04.41 ID:SJESHtAZ.net
八月五日五奉行宛大老起請文
御知行方之儀、秀頼様御成人之上、為御分別不被仰付以前ニ、諸家御奉公之浅深二ヨリテ、御訴訟之子細モ有之ハ、公儀御為ニ候条、内府并長衆五人致相談
知行に関しての裁決は内府と五奉行による合議制にするという内容。
これは八月五日の秀吉直筆遺言状に「後のことは五奉行に言ってあるので確かめよ」という内容があるのでそれを受けての起請文と思われる。

375 :人間七七四年:2021/04/02(金) 16:23:18.57 ID:YCT81UCP.net
ちょっと示唆的なのは、
この時期七月頃石田三成は大坂・京に居ない。
三成が帰ってきてから秀吉は合議制に変えた訳で、面白い話だとは思う。

376 :人間七七四年:2021/04/02(金) 18:31:13.80 ID:k0Ru0+uk.net
重要なのは、秀吉のものとされる遺言で合議制を命令したものは「無い」
ただ、八月五日の五大老五奉行起請文は明らかに合議制を構想しており、これは秀吉直筆遺言状の「いさい五人の物二申わたし候」の「いさい」の可能性が高いってこと。
浅野家書状では全てを家康・利家に任せてるのでどっちが秀吉の意思かっていえば…

377 :人間七七四年:2021/04/02(金) 20:24:24.64 ID:Yz7K9fpu.net
>>370
>もし徳川前田で開戦になれば、伏見で家康孤立するじゃん。
>完全に手切れに成れば、自分の領地の徳川軍通過とか拒否しますし。
誰にどんな理由があろうとも上方に兵力を招集してはいけないという明文化されたルールがあったとする根拠は示さないどころか
むしろそら家康も兵力呼び寄せざるを得ないやろなと納得してしまう状況説明まで付け加えてくるとか何がしたいんだコイツは

378 :人間七七四年:2021/04/02(金) 23:03:30.71 ID:mnQrBw3I.net
>>376
こまやかに答えてもらって助かります
なるほど、遺言で直接合議と言ったわけでなく同日出た起請文を恐らく指してるぽいぞってのと
今までの流れからして明らかに内容が違った起請文ってことなんですね

379 :人間七七四年:2021/04/02(金) 23:28:32.28 ID:SJESHtAZ.net
>>378
実際七月に家康・利家に対して諸将が起請文を出してるので秀吉はこの2人に政権を委ねるつもりだったはず。
それが八月にいきなり合議制になるか?
ならないとは言えないけど、秀吉がワンマン政権で慣らしてきた男って事を考えると…
ここからは想像だが、秀吉は八月五日の時点で病状は相当悪かったはず。彼は八月十八日に亡くなってるから。
つまり仮に、遺言がねつ造されても誰もそれを秀吉に質す事は出来ない。しかも秀吉は重症で意識面にも問題が出てた。尚更聞けなかったろう。
と、なると。五人の物つまり五奉行が出した秀吉の「遺言」は果たして本物だったのかな?
秀吉の直筆で合議制について触れた物は何も無い訳で、如何にも秀吉が構想命令したかのような合議制が出てくるのは五大老五奉行の起請文からなわけで…

380 :人間七七四年:2021/04/03(土) 00:28:53.14 ID:0pJHGrfh.net
死人に口なしの話という事か

381 :人間七七四年:2021/04/03(土) 02:15:38.89 ID:CHv6Xa76.net
>>377
間違った前提でフィルターかけて「よく増援とか送れたなと思うよ。」というより
兵を送れたという事実自体が、上方に兵を招集することが一般的に見ておかしくなかった
または普通ならおかしかったとしても家康の下知なら問題ないと通行を許可されるくらい
家康の権限はデカいしそれが豊家の害にはならないと諸侯が認識していたということの傍証になっている
と解釈する方がずっと自然なんですよね

382 :人間七七四年:2021/04/03(土) 06:35:39.94 ID:J30ReP4R.net
まぁ平時なら公儀の許さなく上洛若しくは帰国する事はルール違反ではあるから多少はね?
ただ秀吉死後直後は大坂・京都は割と騒動起きてるから平時と同じ感覚にはならんよな、とは思う。

383 :人間七七四年:2021/04/03(土) 12:29:51.87 ID:8a7DItyb.net
>>380
証拠は何一つ無いけどね。
もしかしたら病床の秀吉に三成が必死で説得した結果なのかもしれない。
八月五日の起請文はそれまでの政治体制を根本から変えるものだから、そこに秀吉の名は使われただろう。
とはいえ、秀吉直筆遺言状にすら書かれてない訳で…
何者かが秀吉の名を騙ったと考える方が自然ではある。

384 :人間七七四年:2021/04/03(土) 12:56:37.13 ID:potluTjT.net
8月5日って他にもいくらか起請文あったと思うけど
合議匂わせてるのはこの起請文だけ?

385 :人間七七四年:2021/04/03(土) 14:26:20.48 ID:rGe3UsfF.net
>>382
上方に徳川の領地は殆んど無いし、増援の兵糧や弾薬は如何したのかな?
伏見に有る兵糧や金銀は豊臣家の物で、徳川家の私財じゃないんだぞ。
こういう時、大名はすべてを自分の領地からの収入で賄うべきで、だかこそ領地の安堵を認められてる。

状況から考えると、伏見城の兵糧や弾薬を勝手に使ったんだろうけど、これは厳密に言うなら豊臣家の
資産の横領なんですよね。
国元から兵糧や弾薬を遅れた状況だとは思われないので、これは確実でしょ。

つまりね、徳川前田の対立で堂々と増援軍を東海道通過「沿道は豊臣系大名の領地なのに」から事実上の
軍事クーデターだと思うんだよな。
その後、前田利家の死去から奉行襲撃、前田利長の帰国から加賀征伐まではすべて繋げて考えるべきだと
思うんですよ。

伏見城の兵糧弾薬を勝手に使った以上、引き下がれば逆に徳川討伐軍が来ても仕方ないし。

資料が無くとも、あの状況で国元から兵糧、弾薬を送れたと思えませんので。

386 :人間七七四年:2021/04/03(土) 14:29:04.37 ID:8a7DItyb.net
一応他には
九月三日五大老五奉行起請文
沙汰申間敷事、諸事御仕置等之儀、其経重をけつし、十人之衆中多分二付而可相究事
裁判は十人衆の多数決で決めます。
こういうのがある。

387 :人間七七四年:2021/04/03(土) 14:57:11.21 ID:RfHnxrYI.net
政務担当者が手元に兵力置いとくのがダメとか
「誰も言うこと聞かなくて無法地帯になって構いません」宣言に等しいな

388 :人間七七四年:2021/04/03(土) 15:28:45.51 ID:potluTjT.net
>>386
ありがとう
9月3日だと完全に秀吉が没した後の話ですね、いわゆる十人衆の連判でしょうか てことは8月5日の個々への起請文などでもやはり合議と見受けられる記述はなかったって感じですかね 

家康は近江に在京賄料持ってるよ、在京賄料が畿内にないのは毛利だったかな

389 :人間七七四年:2021/04/03(土) 18:04:03.28 ID:8a7DItyb.net
>>388
八月五日の起請文では
土地に関する裁判は合議ってことに。
それが九月には公事方全部が合議制になってる。

390 :人間七七四年:2021/04/03(土) 18:38:40.52 ID:potluTjT.net
>>389
ああそうか、なぜか8月よりも権限が大きくなってるんですね
少なくとも9月のは秀吉死後に勝手に言い出された事と見た方がよさそうですね

391 :人間七七四年:2021/04/03(土) 18:48:42.52 ID:+jeVd9Z0.net
>>385
伏見城が豊臣家の私邸ならそうかもね。
伏見城は、豊臣政権の行政施設では?

キミが言ってる事は屁理屈の類。

392 :人間七七四年:2021/04/03(土) 19:51:38.03 ID:RfHnxrYI.net
利家の遺言でも「利長は八千率いて大坂に留まり云々」とか言ってるし
徳川も万単位の動員に備えた物資上方に用意してても別におかしくは無いな

「他大名の領内通って上方に増援呼んだから軍事クーデター」ってのも論理の飛躍で
むしろ「政権担当してる家康が許可したなら通して問題無いな」と諸侯に認識されてたことの傍証と考えた方が無理が少ない

393 :人間七七四年:2021/04/03(土) 19:59:24.58 ID:RfHnxrYI.net
あと私婚問題で他の大老奉行が家康糾弾したのも、野党の議員がツイッターで閣僚中傷したようなもんで
到底豊家の公式見解にはなり得ないから、その流れで伏見攻めて戦闘始めちゃったら
私闘の鎮圧のために伏見城の物資に手付けたからって問題なのかって話になる
それが問題というなら七将と揉めた時の三成の伏見城占拠も切腹モンだが

394 :人間七七四年:2021/04/03(土) 20:00:09.22 ID:rGe3UsfF.net
>>391
だからと言って、伏見に家来連れてきてる大名に豊臣家が兵糧や弾薬を支給したなんて記録は無いと
思いますがね。
徳川の増援軍の兵数は諸説ありまして、可成り過大と思われる物もありますが、最小と思われる5000で
計算してみましょうか。

当時、一日四合「これは玄米だけなので実際には他にも要ると思われる」なので10人で四升、100人で
四斗、1000人で四石、5000人で20石ですね。

100日、居ただけで2000石も玄米だけで支給しないと駄目な訳です。
これを賄える領地なんて勿論上方には持ってませんよ。実際には徳川軍は其の儘関ヶ原直前まで
伏見に居座りなんで、勝手に伏見城の蔵を使ってたという事ですね。

これさあ、実質的な軍事クーデターでしょ、普通に考えれば。

395 :人間七七四年:2021/04/03(土) 20:05:25.59 ID:potluTjT.net
9万石の在京賄料が近江にあるぞ家康

396 :人間七七四年:2021/04/03(土) 20:12:42.09 ID:potluTjT.net
勝手に政庁である伏見の城のものパクったに違いないっていう論理の問題点は2つあって
ほんとにパクったのかと、政務担当者が命狙われるやら政務に従わない相手をなんとかするために使ったら問題かの2点ある
伏見の城のもの勝手に使ったオアその使った事が違反にあたるなら、少しでも正当性の欲しい西軍が内府ちがひの条々にいの一番に書くだろうがそれもないね

まぁどちらにせよ伏見のものをパクってそれが違反にあたると読み取れる史料研究なり出さなきゃね
なんでもかんでも想像で批判していいならいくらでも捏造も歪曲もできる、主張したいなら最低限の実証はしよう

397 :人間七七四年:2021/04/03(土) 20:13:31.67 ID:2GTo+Q0Y.net
例え話って人は何故研究家の見解を引用しないんだろ
前スレでクーデターって言葉使ってる研究家を紹介してくれてる人がいるんだから
本でも論文でもちゃんと読めばいいのに

398 :人間七七四年:2021/04/03(土) 20:17:59.22 ID:potluTjT.net
前からずっと批判されてる事を何度も繰り返してるし、学ぶ気がそもそもないか実際のところ今議論していることに興味がない、あるいはなんらかの学習する思考に障害を抱えている
この辺りじゃない?

399 :人間七七四年:2021/04/03(土) 20:21:23.92 ID:OHO9RLYz.net
どのみち大権現信者がいるとなんの議論にもならず
大権現持ち上げるだけだから

400 :人間七七四年:2021/04/03(土) 20:23:01.88 ID:v/1ULJC7.net
>>397
関ヶ原スレにいたことがある身からの私見だけど、
関ヶ原スレで西軍を家康に対する政治クーデター的な扱いされたのが
相当なレベルで気に障ったんだと思う
だからこじつけでも妄想でもとにかく家康がクーデターを起こしたことに
しておきたいんだろうな

401 :人間七七四年:2021/04/03(土) 20:27:12.47 ID:cDg3Oapz.net
ID変えて捨て台詞か

402 :人間七七四年:2021/04/03(土) 21:08:06.88 ID:jZwAH2NK.net
>>401
ID変えたというのは君の思い込みじゃないか?
別人だという可能性の方が大きいと思うが

403 :人間七七四年:2021/04/03(土) 21:13:16.70 ID:J30ReP4R.net
>>390
そもそも何故八月に知行の裁判を合議制にしたかっていうと、
絶対に朝鮮出兵が関係してる。
朝鮮出兵は秀吉の死と共に終焉する訳で、しかしそうなれば資力に困ってる外征組が中央に恩賞を求めてくるのは必定。
そうなったら彼らは誰を頼るかっていうと徳川家康を頼みにするに決まってる。
だからそこに五奉行も一枚噛みたくてこんな起請文にしたんだろう。
で、そんなに文句を言われなかったから九月にはもっと攻めてみた、と。

404 :人間七七四年:2021/04/03(土) 21:57:34.33 ID:vDDH40HT.net
>>402
別人の可能性がどうこうというより、「史料に基づいた考察をする人間」=「大権現信者」という飛躍した論理式を構築するほど
頭の悪い人間が複数いる可能性が極めて低いと思う
「別人の可能性の方が『高い』」と言い切る根拠も分からないので気になる

405 :人間七七四年:2021/04/03(土) 22:05:46.77 ID:rGe3UsfF.net
>>400
歴史的事実に正邪は無く、只事実のみがあると私は思うんですよ。
家康がやった事が悪いとは思わんよ、家康は力のみが正義って思考だろし、止めるには力を
示すしかなかっただろうし。

只ね、私婚問題で前田利家と対立した時、家康が国元から増援を送った事に皆意表を突かれたと
思うんです。
そんな事をしたら当然謀反の疑い掛かるし、上方に増援軍を養える兵糧や弾薬がある訳でも無い訳だから
当然伏見城の蔵をあてにしてる事に成る。

つまりだ、事実上豊臣家の城で有る伏見城をどさくさまぎれに軍事的に占領した事に成る。
実際、その後伏見城の徳川軍が畿内を事実上威圧する形に成りましたからね。
家康がその後勝手な事が出来たのも、伏見城の徳川軍の威圧有っての事でしょ。

その維持費が徳川家の財布では無く、伏見城の蔵なら事実上のクーデターと言わんの?

406 :人間七七四年:2021/04/03(土) 22:08:35.29 ID:vDDH40HT.net
だからその事実を示せって言われてるんだろうに

407 :人間七七四年:2021/04/03(土) 22:12:58.39 ID:potluTjT.net
史料や研究を出さないでわめいても意味ないぞ いい加減出せ
無いならお前が考えを改めるべきってだけのこと

408 :人間七七四年:2021/04/03(土) 22:17:43.22 ID:IN8gE1M6.net
ただ例え話にレス付けられてる人も反省すべきだと思うわ
議論の進め方がいい加減だったり本筋と関係ない批判してたりするから「これなら煙に巻ける」と思われるんだよ
見ろ、>>392-393>>395-396あたりの都合の悪い指摘には見えない振りで一切反論してないぞ

409 :人間七七四年:2021/04/03(土) 22:19:12.83 ID:J30ReP4R.net
>>405
まず家康は秀吉から伏見城を与えられてる。
これは浅野家書状にある秀吉遺言にあるが、
秀吉の遺言で重要なのは「家康が天守に登りたいと言ったら登らせるように」という一文。
天守閣は実用性というより象徴的な場所で、これは要は家康に伏見城の支配を認めたってこと。
伏見城を支配している者として兵糧は元より武器弾薬も家康のものよ。
次に家康と利家が対立した、ってのが何のことかわからんけど、
慶長三年辺りで三成が家康を襲撃するという噂が流れてるし、実際にその計画が家康に伝えられている(細川忠興軍功記)
慶長の辺りはまだ戦国時代の気風も強く、公儀の力は絶対じゃない。故に家康が守備隊を集めてもおかしな話じゃないよ。
これがおかしいとなると毛利輝元もおかしいって話になるからね。輝元は三成襲撃事件の時に兵隊を集めてるもの。

410 :人間七七四年:2021/04/03(土) 22:33:06.03 ID:2GTo+Q0Y.net
>>405
谷徹也氏とか知らないの?
クーデターって言葉使いたいなら論文とか探してみれば?

411 :人間七七四年:2021/04/04(日) 03:36:40.43 ID:bOiSDQEs.net
>>409
早稲田所蔵遺言でも伏見城に関しては「内府惣様御留守居之事」ですものね

412 :人間七七四年:2021/04/04(日) 09:05:36.59 ID:+Qrv9t7x.net
実際、
「君に政庁を渡すけどそこの物資に手をつけるのも国から持ってくるのもダメね」
なんていう話があるわけないじゃんな。
家康は秀吉から伏見城を渡されてる訳で当然伏見城の物資は使えるのが当たり前。
また、情勢が変わったなら本国から応援を呼んで備えるのも戦国大名として当たり前の行いよ。
家康は豊臣政権トップなので周りに話せば「公儀の許可無く武装上洛」と咎められる事も無いわな

413 :人間七七四年:2021/04/04(日) 09:37:25.81 ID:AHPuhwml.net
>>405
そういうのがクーデターとされた例え話は見つけられなかったんだなw

414 :人間七七四年:2021/04/04(日) 12:36:20.75 ID:LzJT127g.net
というか、その程度の内容が横領だとか、クーデターに該当するだとかなら、日本史研究でとうに議論百出してるだろうて。
俺は気付きました顔で語られても、聞いてる方が赤面する内容だぞ。

415 :人間七七四年:2021/04/04(日) 12:36:24.49 ID:LzJT127g.net
というか、その程度の内容が横領だとか、クーデターに該当するだとかなら、日本史研究でとうに議論百出してるだろうて。
俺は気付きました顔で語られても、聞いてる方が赤面する内容だぞ。

416 :人間七七四年:2021/04/04(日) 13:44:49.15 ID:aHJqyUIG.net
大きな問題点として、
伏見城の物資を使ってはならないのなら本国から兵を含めた物資を集めるのは当然だし、
自分の身が危険だと考えられる状況下で公儀が防衛をしてくれないなら本国から兵を集めるのは当然
っていう自然の理がある。

417 :人間七七四年:2021/04/04(日) 18:10:02.27 ID:ivnPzotF.net
>>409
伏見城に居るというのと、伏見城の物資を自由に使うのは別の話でしょ。
伏見城は豊臣家の城なんで、私的に使うのは普通に横領だと思うぞ?
江戸時代、大坂城代とか京都所司代とかが、城の物資を私的に流用した例が有りますか?

太閤死後の騒動で伏見の徳川軍の威圧は相当な物だと思うんだけど、如何考えても勝手に
城の蔵流用してますよね。
抑々、徳川前田の対立は家康の私的婚姻問題から「伊達、福島、蜂須賀って非常識な内容」起きてますんで
本国から増援って武力で押し通すって意味に成るでしょ。

婚姻って書くから気が付き難いけど、実際には人質交換なんだぞ。
露骨な多数派工作、大名の切り崩しって見られて当然じゃないですか。

で、其の儘徳川の増援は伏見に居座ったわけで。

418 :人間七七四年:2021/04/04(日) 18:32:10.39 ID:1Nw0MC8M.net
このスレの人達のやりとりってギャグでやってるの?本気?

419 :人間七七四年:2021/04/04(日) 18:37:59.77 ID:+Qrv9t7x.net
>>417
家康が伏見城に入ったのは秀吉の遺言によるものでそれは毛利輝元が上杉討伐で大坂城を武力制圧したのとはまず性質が違う。
家康は伏見を支配するにあたって当然手当はあるが、
それ以外必要な資材は城の物を使う。これは当たり前。
基本的に城の蔵はその城主の為にある。これは国替えの時と同じ。
家康が伏見城に居座ったも何も、家康は秀吉から伏見城を貰ったのだからこれらは当然の帰結よ。

420 :人間七七四年:2021/04/04(日) 18:46:10.39 ID:bOiSDQEs.net
代って自分で言ってておかしいと思わないんだろうかね
家康は城代ではなく城主

421 :人間七七四年:2021/04/04(日) 18:48:05.41 ID:bOiSDQEs.net
で、いつになったら伏見の城のものを勝手に使って、さらにそれが違反であるとしてる研究なり史料なりが出てくるんだろう
伏見の城のもの勝手に使ったの段階からすでに勝手な想像で話し始めてる訳だけれども

422 :人間七七四年:2021/04/04(日) 18:50:12.56 ID:bOiSDQEs.net
出すべき実証出さないで勝手な思い込みだけで批判すればいいって楽だろうなー
そんな不誠実でズルな態度を取ってないで、議論に値するって所見せてほしいね

423 :人間七七四年:2021/04/04(日) 19:09:00.17 ID:eccAbKtO.net
たとえもし城代でも非常時なら城のもん使うよな普通
平和時と比べて何がしたいんだってのも散々言われてるよね上で、読みたいものしか読めない都合のいいお目々なんだろか

424 :人間七七四年:2021/04/04(日) 20:51:34.83 ID:b0GkLp1q.net
>>417
逆に多数派工作しない政治って何?

425 :人間七七四年:2021/04/04(日) 22:14:58.02 ID:+Qrv9t7x.net
この時期の伏見・大坂は混沌としてるからな。
三成が家康を襲うとかいう風聞もある。
しかも、島津では伏見の屋敷で暗殺騒ぎまで起こしてる。
こんな状況下で兵隊を集めない訳にいかないだろう。

426 :人間七七四年:2021/04/05(月) 00:43:50.46 ID:ReiaHhNx.net
史料も研究も持ってこない荒らしのせいで話が流れたけど
そういえば秀吉没後の朝廷への行動に注目なさる方がいらっしゃいますが、その方々はどなたの研究を参考にしてらっしゃるのかしら

427 :人間七七四年:2021/04/05(月) 12:19:48.63 ID:LjHOt4mR.net
秀吉と朝廷関係なら矢部健太郎とか渡邊大門とかが色々本書いてた気がするけど、
秀吉没後についてはあんま研究されてない気がする。
かの久我一族についてもあんま研究されてなくて追放後は所在不明らしいし。

428 :人間七七四年:2021/04/05(月) 18:50:46.86 ID:K7Od5l+y.net
現実問題として秀吉没後に新しく出来した問題のせいで朝廷工作なんてできてないからな
問題とされてるのは秀吉が自分の死後の朝廷との関係についてどんな構想を持ってたのかであって
それは秀吉生前の施策を根拠にして推定するしかない

429 :人間七七四年:2021/04/05(月) 22:31:26.45 ID:ReiaHhNx.net
>>427
>>428
なるほど、秀吉存命時と遺言から構想を推定してるんですね
そしてその手の研究は矢部氏と渡邊氏あたりが詳しいと、ありがとう

430 :人間七七四年:2021/04/06(火) 01:24:38.93 ID:z4VXVJxh.net
家康が伏見の物資使うのマズいとなると、七将と揉めた時に伏見城内に立て籠もった三成に対する処分が甘すぎるのがおかしいのよな

431 :人間七七四年:2021/04/06(火) 06:23:35.09 ID:ROg4Jfcf.net
秀吉没後、家康ら豊臣政権が朝廷工作出来なくなったことは仕方ない。
ただ、この時朝廷は何してたのか?ってところはもっと研究されても良いはず。朝廷は単なる舞台装置ではなく、朝廷なりの利害を見て動く存在な訳で。
秀吉が死んだ後、朝廷は誰に接近したのか?ってのは結構重要だと思うんだがなあ。

432 :人間七七四年:2021/04/06(火) 07:11:07.65 ID:aQYmzIzj.net
>>431
この時期は本当にイベントが多すぎだからね
秀次事件に再度の唐入り、秀吉死亡後2年もたたずに関ヶ原、
その間にも様々な事件や出来事が起きている
その上、このころに起きた出来事はある程度やむを得ないとはいえ、
良くも悪くも家康や三成(最近になってようやく輝元の動きが注目されている)
を中心にしか研究されてこなかったといえるだろう
この時期の朝廷サイドの動きはかなり重要になりそうな点は同意するし、
これからの研究や資料調査に期待したいところだ

433 :人間七七四年:2021/04/06(火) 07:26:10.83 ID:jnWPHZkk.net
朝廷や公家関係だと神田裕理氏あたりかな

434 :人間七七四年:2021/04/06(火) 08:58:00.38 ID:7cfgjWyU.net
朝廷にとっては力があるのと金を出してくれるというのも大事だからなぁ
即位や讓位は勿論、通常の行事にも金は掛かるわけで、一番金になるのが官位だったろうし
上に出ている源氏長者だって久我家が独占していたわけじゃなくて、当時一番のスポンサーだった
足利将軍家からも何人かなっているわけだし

435 :人間七七四年:2021/04/06(火) 09:47:30.26 ID:XxR1LRbn.net
確か慶長3年8月13日に善光寺菩薩の事について家康宛に勅使が派遣されてる
秀吉の意識不明瞭な中、意思決定できる人物として家康を選んでるのかもしれない
あとは慶長4年には朝廷は家康を秀吉と同待遇して三献の儀を行い、天下人扱いしてるって指摘は見たことありますな

436 :人間七七四年:2021/04/06(火) 12:21:54.60 ID:Dz5RE8tg.net
公家は出世が全てだからね。
しかも官位や長者に既得権益がくっついてたりする。
彼らからすると家が代々継いでたものは全部ほしいし、その為には金もいるしコネもいる。
じゃあ金さえ出せばというとそんな訳でも無く貴族なりの踏み込んではならないラインは譲らない。
朝廷は権力者のイエスマンではなくて、朝廷が選んだ実力者に権力を与え、代わりに報酬を受け取って生きてきたんだと思うんだよね。
だとすれば、この時期の朝廷は次の実力者を選んでいたはず。

437 :人間七七四年:2021/04/06(火) 12:59:58.80 ID:OAepcDZT.net
当たり前の事を、わざわざ資料だして解説する人も居ないだけでしょ。
家康がやってる事は、普通の知能がある人なら悪意しか感じませんし。

奉行衆が7将に襲撃された事件も、当時の資料では普通に家康が首謀者だと思われてるぞ。

前田家の家臣、村井勘十郎覚書にも家康首謀説で当たり前みたいに書かれてる。
これは当時、サリン事件の犯人がオウム真理教みたいに当然視されてたと思われ。

それにそう思われないと、徳川家としては政治的宣伝にならず困る訳で。

438 :人間七七四年:2021/04/06(火) 13:06:40.03 ID:OAepcDZT.net
慶長四年の一月十五日に豊臣秀頼が大阪城に移動した後に伏見城代を務めてるのは記録では
前田玄以と長束正家だと思うのですが。

家康は前田利家死後の混乱に乗じて、勝手に伏見に乗り込んだだけですよ。
勿論、勝手に国元から動員した増援つれて。

439 :人間七七四年:2021/04/06(火) 13:23:12.40 ID:XxR1LRbn.net
当たり前のことならそれこそ当たり前のように史料研究出したまえよ、ダサいぞお前

440 :人間七七四年:2021/04/06(火) 13:24:39.77 ID:XxR1LRbn.net
すごいなー、秀吉遺言の記述すら無視して勝手に乗り込んだって言い張れるその論理思考のできなさが

441 :人間七七四年:2021/04/06(火) 13:29:15.96 ID:B4wIvXDS.net
乗り込んだの利家の死後やからね
秀吉の遺言と関係ないと考えてええやろ

442 :人間七七四年:2021/04/06(火) 13:32:42.32 ID:XxR1LRbn.net
なんで勝手に関係ないと決めつけられるのかマジで謎
それとも関係しないですーって言ってる研究者でもいるか?

443 :人間七七四年:2021/04/06(火) 13:37:01.49 ID:6+ykpw80.net
>>442
遺言に利家死んだら伏見城に入れみたいな文言でも有ったのかい?

444 :人間七七四年:2021/04/06(火) 13:43:43.27 ID:XxR1LRbn.net
元より伏見城は家康に任されてる、浅野家所蔵遺言にも早稲田所蔵遺言にも
死んだらも何も入って当たり前

445 :人間七七四年:2021/04/06(火) 13:50:05.36 ID:XxR1LRbn.net
それともなに?秀吉遺言は利家死んだら無効化しますとか書いてあんの?
初耳だなぁ、誰がそんな研究出してんの 教えてよ

446 :人間七七四年:2021/04/06(火) 13:55:42.20 ID:XxR1LRbn.net
あと研究って、今まで当たり前だと言われているものすら本当にそうか実証するものだからな?
当たり前だから誰も研究出さないなんてふざけた事、言い訳にすらならんぞ むしろ研究ほんとに読んだことあるのか疑わしい発言だわ

447 :人間七七四年:2021/04/06(火) 13:56:34.95 ID:yIVF7N4C.net
ぶっちゃけ自演臭いんだよなぁ
在伏見三年の遺言に背いてるって研究家の名前まで出たのに
こんな不自然なやりとりあり得るのかな

448 :人間七七四年:2021/04/06(火) 14:01:04.45 ID:XxR1LRbn.net
在伏見三年しか出せてないよね、しかもそれすら否定されてるのに
なぜか否定された事忘れる都合のよろしい頭だことで、しかも研究者のお名前も教えてくれないと来てる

449 :人間七七四年:2021/04/06(火) 14:03:20.06 ID:XxR1LRbn.net
さぁほら、なぜか勝手に利家の死で秀吉遺言が無効化されたなり言ってる君の頭の中の研究者さんのお名前を出してくれよ
在伏見三年になぜか話題そらそうとする不誠実な態度取ってないで

450 :人間七七四年:2021/04/06(火) 14:05:33.64 ID:yIVF7N4C.net
>>448
否定してる研究家の名前って出てたっけ?
あんまり興味なかったから見逃してたかも、すまん
大西氏の研究否定してる研究家の名前もう一回教えてください

451 :人間七七四年:2021/04/06(火) 14:09:17.87 ID:yIVF7N4C.net
あと同一人物認定されてるけど俺は例え話って人が変だと思ってるから
書き込んでるんだよね
話そらしてるんじゃなくて無関係

452 :人間七七四年:2021/04/06(火) 14:12:40.63 ID:XxR1LRbn.net
在伏見3年は前書いてるけどなぜか伏見在すべきとされてる宇喜多が大坂に居座ったまま動かないことに対処しなければならなかったからだって書いたよね

とりあえずこのあたりの家康の動向を冷静に見たい(先発端無視して家康の行動ばかり問題と取り沙汰すようなことをしない)研究者を追いたいなら本多隆成氏や柴裕之氏あたりを読んでみたら?

453 :人間七七四年:2021/04/06(火) 14:19:38.41 ID:yIVF7N4C.net
>>452
分かりにくいんだけど本多隆成氏や柴裕之氏が一行目の見解を本や論文に書いてるって事?

454 :人間七七四年:2021/04/06(火) 14:24:38.06 ID:XxR1LRbn.net
確か本多氏がそういった記述をしてたはずなんだけど、自分もちょっと著者を忘れてしまってそこに自信がない
ただ少なくとも宇喜多の動向に対し、遺言違反なんだから大坂から出なさいって書いてる家康書状はあったはず

455 :人間七七四年:2021/04/06(火) 14:31:07.17 ID:yIVF7N4C.net
>>545
秀家は伏見にいるべきってのは輝元も書状で書いてたと思うから
そこは別にいいんだけどね
まぁ、とりあえず勧めて貰った本読んでみるよ
ありがとう

456 :人間七七四年:2021/04/06(火) 14:48:07.73 ID:7cfgjWyU.net
>>437
好きな例えで言うなら史料というのは捜査における証拠みたいな物で
推理で物事を解決できるのはミステリーの世界だけで、
現実では証拠も無しにそんなまねをしたら、どう言う扱いを受けるか言うまでも無いよな

457 :人間七七四年:2021/04/06(火) 18:42:59.92 ID:ROg4Jfcf.net
>>438
家康が伏見城に入ったのは1599年1月12日(藤井治左衛門)
これは秀吉の遺言によるもの。

458 :人間七七四年:2021/04/06(火) 18:45:46.86 ID:ROg4Jfcf.net
言経卿記でも家康は伏見城から大坂城に移る秀頼に付き従ってるので逆に言えば家康は伏見にいる。
また、在伏見三年の遺言は前田利家によって無効化されたので反故になってる。

459 :人間七七四年:2021/04/06(火) 20:13:07.61 ID:hx7CzSiP.net
奉行や毛利が遺言に背いて誓紙を取り交わしてそのルール違反を家康が咎めなかった時点で
政治的には「もう遺言とか守んなくていいよね」と合意した形になる。守らなかった前例ができるから

460 :人間七七四年:2021/04/06(火) 20:21:44.36 ID:XxR1LRbn.net
ずいぶん特殊な認識をお持ちの方が出て来た

461 :人間七七四年:2021/04/06(火) 20:34:23.59 ID:xL83ifhy.net
道義的な善悪は関係なく、政治において「前はこうした、なんで今回もそうしないんだ」って理屈で前例持ち出すのは至って普通のことだと思うが

462 :人間七七四年:2021/04/06(火) 20:43:19.44 ID:XxR1LRbn.net
どの時点で家康は奉行と毛利との誓紙取り交わしについて知れたんだろうね

463 :人間七七四年:2021/04/06(火) 20:53:54.45 ID:ROg4Jfcf.net
毛利輝元は七月に家康・利家に出した起請文を三成に見せてるらしい。
と、なると逆もまた然り、って可能性はある。

464 :人間七七四年:2021/04/06(火) 21:13:43.93 ID:XxR1LRbn.net
毛利と奉行らが自分から遺言違反の誓紙をわざわざ政敵に見せるかという部分で
やっぱり見せたとわかる記述はないようですね

465 :人間七七四年:2021/04/06(火) 22:30:25.26 ID:OAepcDZT.net
>>457
家康が居たのは、伏見城下の徳川屋敷なのでは?
何で豊臣家の城に、豊臣家の城代も居るのに乗りこむ訳?

あとさあ、史実では家康が勝手に動員した国元からの増援連れて伏見に乗り込んだみたいですが
これは色々とおかしいのでは?

城内に徳川の私兵が乗り込むって、事実上軍事的に占領したようなもんだと思いますが?
実際その後伏見は畿内における徳川の拠点に成る訳ですが変ですよ?

大体さあ、この時期大阪には徳川屋敷ないんだよね。これだけ徳川警戒してるのに堂々と
軍事的に占領させる遺言とかありえん

466 :人間七七四年:2021/04/06(火) 22:40:00.94 ID:FFQGAGnZ.net
むしろ屋敷が大坂にあるのって「監視の届く範囲にいろ。お前たちに自由に動く権利は与えない」って意味なんだけどね

467 :人間七七四年:2021/04/06(火) 22:41:23.78 ID:XxR1LRbn.net
城代と城主の区別もつかないまま喋る前に、言われて否定された事への反論なりえる史料研究なり持ってこいよ

468 :人間七七四年:2021/04/06(火) 22:45:12.77 ID:XxR1LRbn.net
いつまで否定された論引っ張ってんだよ
すでに否定されたものを論拠も持ってこずにギャーギャー言うマナー違反のがよほど問題だわ

469 :人間七七四年:2021/04/06(火) 22:56:34.23 ID:fCVjRYCe.net
伏見徳川屋敷→利家の進言で向島に移動→伏見城入城じゃなかったか

470 :人間七七四年:2021/04/07(水) 00:19:42.13 ID:m3qljlFT.net
遺言で伏見城主家康と言われてる、その遺言でさらに留守に奉行が2人入るって言われてて、奉行が城代としている事自体は矛盾してない
その上で家康が伏見に入るのが不適当であると言い張りたいなら、秀吉没して即秀吉遺言なんざ誰も守るなと豊臣当主あたりが厳命したって記述でも持ってこなきゃ無理筋だわな

主張する以上はソースになる研究や史料持ってこい、それをしないのは議論の意義すら理解してないし対話相手に唾吐いてるレベルだわ

471 :人間七七四年:2021/04/07(水) 05:41:55.94 ID:f6PKZEof.net
家康は伏見城の天守にまで登る権利を与えられている(浅野家書状)ので正直城がどうのというのは特に意味が無い気がするが…
そもそも、単に伏見にいるだけの男に「諸職被成御肝煎候へと 御意候」なんて言い残すかな。

472 :人間七七四年:2021/04/07(水) 11:34:34.82 ID:Tx8lcBHx.net
>>396
>>407
普通の人が読んだ事が無い資料とか問題にせずとも、物凄く有名な「内府違ひの条々」に普通に
伏見城の事は書いて有る気がするのですが?

伏見城には太閤様が決めた城代が居たのに、徳川の軍勢を勝手に入れて事実上乗っ取ったと普通に
書いて有るじゃん。

つまり、偉そうな事言ってても「内府違ひの条々」すらちゃんと読んでないと言う事ですね。
徳川が勝手に国元から持って来た増援を伏見城に入れたので、伏見城は豊臣家の旗本より徳川の
軍勢の方が多い状態になってます。

これは実際の戦闘が無くとも伏見城乗っ取りと解釈すべきで、事実上の軍事クーデターでしょうに。

473 :人間七七四年:2021/04/07(水) 11:59:28.32 ID:Xnz7r/hN.net
内府違いの条々を論拠にしてる時点でお察しよ
あれはクーデター起こした西軍の自己正当化犯行声明文であって豊臣の公式文書でもなんでもないぞ

えらそうなこととか他人煽る前に、その史料が本当に反論なりえるのかすら理解してない頭をどうにかしろ

474 :人間七七四年:2021/04/07(水) 12:04:43.90 ID:Xnz7r/hN.net
豊臣からすら公的に認められてない、国賊状態の西軍が出した私的な犯行声明文が
どの程度信ぴょう性あるのか、その程度も考えないでウキウキで出してきたのか

475 :人間七七四年:2021/04/07(水) 12:47:35.31 ID:IISJxxwh.net
内府違ひの条条は所詮西軍のプロパガンダに過ぎないので無視するしかない。
てかそれで家康を弾劾してしまうと、毛利輝元の振る舞いも弾劾せねばならなくなる、てか遺言とかの根拠なく大坂城を占拠してる西軍の方がヤバい。
そりゃ東軍も全く気にしないわけよ。

476 :人間七七四年:2021/04/07(水) 19:12:43.39 ID:my4r/0+n.net
>>472
皆読んだ上で、「言ってみるだけならタダだとばかりにブーメラン飛ばしまくってるな」と思う程度の内容ってことよ

477 :人間七七四年:2021/04/07(水) 19:32:24.54 ID:/XVE2YVj.net
プロパガンダになる程度の問題だとは思うけどな
大阪城西の丸しかり伏見城しかり

478 :人間七七四年:2021/04/07(水) 19:35:57.16 ID:MGj264rt.net
内府違いの条々ってのは、挙兵した奉行らが自己正当化のために書いた文章だから、
本質的には檄文みたいなものだぞ、その内容が現実に即しているとは限らない
実際前スレの内容だけど、加藤清正は「内府が謀反とは片腹痛い、謀反を起こしたのは
奉行の方であろう」と言っているそうな

479 :人間七七四年:2021/04/07(水) 19:50:00.99 ID:IISJxxwh.net
内府違いの条条が諸将に響いてないのは、
諸将が徳川家康を主人と仰いでいた
諸将が殺したいほど石田三成を憎んでいた
そんな理由もあるだろうけど何より
西軍も西軍で割と秀吉の意向に刃向かっている
この事実がデカいんだろう。
特に最悪なのは大坂城の諸将の妻子を人質にしようとしたこと。
しかもそれで死人も出してるし。

480 :人間七七四年:2021/04/07(水) 19:57:34.87 ID:/XVE2YVj.net
前スレって石田三成スレのことかな
ちゃんと目を通してないけど清正の発言も水野の嫁もらっていたり家康側だというのも考慮スべきじゃない
少なくとも家康を批判する材料になると思ったから載せたんじゃない
伏見城の物資云々は見たこと無いけど

481 :人間七七四年:2021/04/07(水) 20:26:54.04 ID:IISJxxwh.net
重要なのは
「内府違いの条条は東軍諸将を西軍に寝返らせる為の書状なのに、東軍諸将からは一笑にふされて顧みられなかった」
ことだと思うの。つまり石田三成らの主張は諸将からはまるで正当性を感じない単なる怪文書扱いされた。何故か?
三成が時代を読み間違えていたのかもしれんが…

482 :人間七七四年:2021/04/07(水) 20:35:09.47 ID:8YZG+F2j.net
そりゃどっちも自軍を正当化するよ
戦後の敗者の言い訳も本心な訳ないし

483 :人間七七四年:2021/04/07(水) 20:38:44.71 ID:ulmEQpFG.net
プロパガンダが信憑性ある発言だと思うなら、勝頼だって長篠合戦後に自分たちは勝ったつってるから勝ったことにもなるな

484 :人間七七四年:2021/04/07(水) 20:42:27.93 ID:ulmEQpFG.net
どんだけ贔屓目に見ても
西軍が勝手にこれらを問題だと思いました、程度にしかならん
内容鵜呑みにするのは論外

485 :人間七七四年:2021/04/07(水) 21:05:51.00 ID:my4r/0+n.net
「家康の痛いとこ突いてやったw」ってほどの内容なら名前載せてる増田や前田が家康と連絡取るかってのがねえ
あと家康が伏見の入るのがそれだけ問題なら七将と揉めた時に立て籠もった三成の処分も甘すぎることになっちゃう

486 :人間七七四年:2021/04/07(水) 21:16:08.29 ID:Xnz7r/hN.net
自分たちはもっとやばい事しながら西の丸に居座りつつ だからねあれ

487 :人間七七四年:2021/04/07(水) 22:31:33.48 ID:f6PKZEof.net
山名の話を聞くと、石田三成が家康を暗殺しようとしてたって話も強ち風聞とは言い切れない感じがあるんだよなぁ。
人妻に夫に味方するよう言えって強要してるんだぜ?
なんかマジならかなり危険な感じがする。

488 :人間七七四年:2021/04/07(水) 23:28:36.54 ID:Tx8lcBHx.net
>>473
豊臣家の現職の奉行が書いた文書なんですが?
多数の大老奉行の連署の文書だし、東軍の本体以外が消滅してますんで一定の影響力は感じ
られますよ。

伏見城乗っ取りは、時期的に丁度7将の奉行襲撃事件の頃と重なる為にあまり有名では有りません。
しかし徳川の増援が勝手に城に入った為に、豊臣家の旗本よりも数が多くなってるんですよね。

事実上、豊臣家の重要拠点だった伏見城はこの時期に占領されたのと同じなんですよ。
そして上方に居る大名は常に伏見の徳川軍の威圧にさらされてた「徳川以外は大した兵力無いし」訳です。

豊臣家の重要拠点だった伏見城を事実上占領状態って普通は軍事クーデターと言うでしょ。

兎も角伏見の徳川軍の威圧で他の大老も奉行も居ないのと同じにしたんだし。

489 :人間七七四年:2021/04/07(水) 23:44:12.09 ID:Xnz7r/hN.net
豊臣の現役の奉行がクーデター起こして奉行じゃない状態になって書いた文書だな、クーデター起こして豊臣の人質まで奪って豊臣家でございになるわけないわ、これが許されるなら世の中にクーデターなんて存在しない
当主が求めてもいないのに勝手に挙兵して当主軟禁するわ人質奪うわするのを普通は軍事クーデターと言うんだよ、一つ足国なりましたね
味噌もクソも見分けられるだけの目がないなら黙っとく方が賢明だな

で?その伏見の城に徳川が戻ったのを豊臣家は問題にしたか?奉行もその後もつつがなく徳川の命の下仕事してるな

490 :人間七七四年:2021/04/07(水) 23:49:27.93 ID:Xnz7r/hN.net
東軍の本隊以外が消滅ってのも噴飯ものだわ、在国の領主らは完全無視な上に
それこそ兵力を盾に無理やり西軍に組み込んだっていうそれこそ君がいう上方にいる大名が挙兵した西軍の威圧に晒された字状態だわな、従わなければ攻めてるんだしな

徳川のしたことは全部無体だけど西軍の行為は全部正義だからヨシッ!ってか、お前さんまずその湧いた弾冷やした方がいいぞ、人物名やら組織名入れ替えるだけでどんだけバカな事言ってるかわかるから

491 :人間七七四年:2021/04/07(水) 23:58:04.19 ID:my4r/0+n.net
>>489
まるで奉行だった頃なら主家の公式見解自分の一存で決める権限があったみたいな言い草だな
そもそも奉行には自分で考えて方針決める権限なんて無いよ
上が示した方針形にする以上のことはしちゃいけないから例え現職でもアウト

492 :人間七七四年:2021/04/08(木) 00:05:03.78 ID:qf2x/wNQ.net
>>488
>東軍の本体以外が消滅
してないね。西軍に与してるのは毛利宇喜多の兵力で威圧できる範囲だけでそれが弱まったらすぐ裏切られてる
なんなら東軍本体とやらからも離脱は簡単にできるという例はあるのに実際した奴は極めて少ない

493 :人間七七四年:2021/04/08(木) 00:09:51.82 ID:xvQc4yy7.net
物事を自分に都合のいい見方しかできないなら、人と喋る資格はないわな
好きなだけ自分勝手に自分の妄想ぶちまけたいならツイッターに鍵でもかけてやってくれや

494 :人間七七四年:2021/04/08(木) 00:14:38.28 ID:XldxCH0Z.net
東軍の本隊以外が消滅って具体的に誰の事言ってるんだろう?
西軍から東軍に鞍替えしたやつは大量にいるけど、
東軍から西軍に鞍替えしたやつって凄いレアやろ。
昔読んだことあるけど結構マイナーなやつだったな。

495 :人間七七四年:2021/04/08(木) 00:17:43.51 ID:xvQc4yy7.net
>>494
多分君が言ってるのは宮部長房

496 :人間七七四年:2021/04/08(木) 00:29:19.75 ID:qf2x/wNQ.net
例え話が言ってるのは会津討伐軍から抜けた奴って意味でしょ
ある程度旗幟が固まる前に会津討伐軍→西軍に動いたのは真田、田丸
元々西軍首脳と仲良かったから西軍挙兵知ってすぐ離脱したけど特に追い討ちとかは無し
だから離脱は簡単にできるはずなのに誰も追随しなかった。この辺が西軍の名分の説得力をよく現わしてる
海道筋の諸侯も一度は自領に戻ってる訳で、そこで西軍に呼応してたら福島とか自領と切り離された黒田細川加藤藤堂なんかは
相当動揺するはずなのにしなかった
つまりこんな稚拙なブーメランを大義と認めちまったら自分が笑いものになると認識してたわけだ

497 :人間七七四年:2021/04/08(木) 01:04:11.46 ID:XldxCH0Z.net
そういや会津征伐の時には伊達政宗も兵3000を連れて参戦してるんだよな(義演准后日記)。仲良かったんかな。
内府違いの条条の何が滑稽かって、
家康はこんな勝手をしてる!伏見城を占拠して〜!
って言いながら自分たちは大坂城を占拠してるとかいうのがね…なんのギャグなんねん。
しかし、この西軍の動きって諸将の妻からは元より奉行衆からも東軍に送られてるんだよなぁ。何考えてたんだろ。

498 :人間七七四年:2021/04/08(木) 16:28:56.04 ID:w/x5iIrl.net
太閤の死後から関ヶ原までの流れは、予備知識無いと何が何だか良く分からないんですよね。
何で合議制前提なのに、簡単に徳川独裁に成ってるのか?

何故太閤の隠居城で、豊臣家第二の城塞で有る伏見城が徳川家の持ち城みたいになってるのか?
何故家康が他の大老が帰国した隙に、次席大老の前田家に言いがかり付けられるのか?
そして、簡単に加賀征伐の噂に成るのか?

全て知識として、私婚問題で家康が国元から読んだ増援が其の儘伏見城を事実上占領してる事を知らないと
理解しにくいのです。

会津征伐の時に家康が率いて東海道移動した徳川軍が約5000で、伏見の留守居が約3000、そして大阪城の
西の丸占拠してる連中もいる訳ですよ。

そうすると、約9000くらいの徳川軍が畿内に居座り、豊臣家の蔵の兵糧食ってた事に成る。
40万石くらいの大名の最大動員兵力に近い兵力が畿内に居座ってた訳。
家康が天下人気取る訳ですね

499 :人間七七四年:2021/04/08(木) 16:35:04.14 ID:xvQc4yy7.net
合議じゃねーっつー話を今までしてるが、それにろくな論拠も出さずにだんまりかましてたのがなんか言ってら
秀吉遺言も都合のいい所しか抜き出してなくて、ほんとまともな頭がついてないのもよくわかる

500 :人間七七四年:2021/04/08(木) 16:38:08.34 ID:xvQc4yy7.net
単純な仮定を持ってきて複雑な内容を一見解決したふりして仮定を事実だと思わせようとする詐欺の手法
そんな手段してる時点でお前ろくでもねーよ、さっさと研究持って来な あ、当たり前の事だから研究ないんですとか舐めた事今度は言うなよ、当たり前の事でも再検証してくのが実証史学なんだからな

501 :人間七七四年:2021/04/08(木) 16:49:23.26 ID:+CXOfKQJ.net
いいよなー
研究などの論拠も提示せず思い込みだけぶち撒けて他人の意見完全無視していいと思ってる愉快な脳みそは
とっくに何度も否定されてるもんを認めないです〜し続けるのは子供の駄々っ子だわな
甘やかして欲しいんならここじゃなく優しいママに好きなだけ甘えてりゃいいのに

502 :人間七七四年:2021/04/08(木) 17:20:30.76 ID:eP+d11f5.net
秀吉の遺言に家康・利家に政権を任せる旨の内容はあるが合議制に触れたものは存在しない。
合議制になったのは、あくまで秀吉の死後十人衆がそう決めたに過ぎない。だからまず、家康は秀吉の遺言に背いて合議制をぶっ壊した訳じゃ無い。
次に、合議制に触れてる起請文の内容から三成らは意図的に家康の権力を削ろうとしてる。
ただこれが三成の誤算、というか現実を知らんところで
家康が起請文で何を誓おうがそれは諸将には何の効果も無いってこと。そして、当時家康以外にこの手の訴訟を的確に裁ける人間が居ないと諸将は見てた。
諸将にとって、恩賞や公事は公平でかつ裁決力があり、仮に己が敗訴しても納得出来る相手に頼みたい。
家康はその絶好の相手だった。それだけ。
輝元や三成はそうした相手とは看做されてなかった。やっぱり評判が悪かったからなのだろう。

503 :人間七七四年:2021/04/08(木) 18:20:07.90 ID:eP+d11f5.net
あと伏見城は単なる太閤の隠居場所じゃなくて、
対朝廷で重要な役割を果たす外交の城よ。

504 :人間七七四年:2021/04/08(木) 18:56:58.27 ID:LXkySWP+.net
上で別の人が解説してくれてる話、何度もしてるのにたとえ話が聞いてないで自分の想像しか言わないだけよな

505 :人間七七四年:2021/04/08(木) 19:50:24.86 ID:5qs3ADGZ.net
>>498
君が一番知識も無いし解釈も論理的におかしいんだけど

506 :人間七七四年:2021/04/08(木) 20:33:08.11 ID:wLj2EOGi.net
石田三成というか、奉行たちの西軍が支持されなかったのって、家康に騙さられたからという人がいる。しかし、現実はとても、豊臣家のために動いてるとは言えなかったのかな。

507 :人間七七四年:2021/04/08(木) 20:57:24.33 ID:TxYsZkkT.net
あと単純に三成達奉行連中じゃ家康には勝てないと思ったのもあるんじゃないかな
戦国武将連中はそこらへんシビアだし

508 :人間七七四年:2021/04/08(木) 21:02:58.45 ID:xvQc4yy7.net
秀吉没後に政権でまともに訴訟受け取って裁定下してたの家康だけだしな
正統性の部分もだが、実務面でもいなくてはならない存在だよ

509 :人間七七四年:2021/04/08(木) 21:08:37.74 ID:UOS6qZOx.net
>>498
全員知識として家康が伏見城に入ったことは知ってんのよ
秀吉生前からの事態の推移まで知った上で筋目と状況考えたら至って普通のことだと判断してるわけ
結果からの逆算でバイアスかけまくって歪んだ認識してる君みたいなのが少数派

歴史は先に大筋知ってそれから細部詰めていくのが普通だから
先に結果知ってると先入観抜きで解釈するのが難しいのは分かるよ
でも史料の裏付けが無ければ自分の先入観なんてゴミ屑だと理解できないとエンタメと学問の間の壁は永遠に越えられないよ

510 :人間七七四年:2021/04/08(木) 21:27:22.98 ID:eP+d11f5.net
家康が秀吉の遺言にも関わらず伏見城で政務をしなかったのは十人衆との政争に忙しかったからなんだろうけど、
これで豊臣の立場が無くなったよなぁ。
対朝廷交渉が完全に座礁してるんじゃないか。
本来なら家康が朝廷を豊臣の都合が良い様に支配するべきだったのに。

511 :人間七七四年:2021/04/08(木) 21:40:50.75 ID:Kvo1U1Si.net
>>510
菊亭晴季を追い落としたのは完全にミスだよなあ
娘を秀次に嫁がせてしまったのが(結果的に)致命的だったとはいえ、
娘をぶっ殺された挙句に自身は流罪の憂き目にあってしまった
さすがに秀吉もマズイと思ったのか翌年には許しているけど
(右大臣復帰に関しては秀吉の死後なので生前から指示していたかは不明)
豊臣政権がごたごたする中、秀吉亡き豊臣の為に働くかとなると…
せめて晴季と娘だけはお咎めなしとしておけばよかったものを

512 :人間七七四年:2021/04/08(木) 21:47:38.85 ID:eP+d11f5.net
>>511
菊亭晴季の右大臣復帰も諸説あるんだよな、
秀吉の遺言だったよ説、秀吉の遺言をぶっ壊す為の尖兵だよ説…
仮に秀吉の遺言だったとしても、晴季自身は絶対豊臣の事良く思ってないんだよな。五摂家が関白に復帰してるのに何らかの運動してた形跡がないし、
晴季が右大臣を辞めたのは家康が将軍になって昇進する、つまり秀頼より官位を上にする為っぽいし…
なんで今まで秀吉の為に尽くしてきた男にあんな仕打ちしたんだろう…

513 :人間七七四年:2021/04/08(木) 22:39:22.79 ID:w/x5iIrl.net
>>509
俺も昔は徳川がこれだけ強引な事しても、何故大老も奉行も止められないんだって不思議に思ってました
んでね。

私婚問題で家康が呼んだ増援が、其の儘伏見城に居座っちゃったと言うのは意外と指摘されないと
気がつかないから書いてる。
他の大老と言えど、大坂に大した兵力置いてないし、仮に大兵力持ってきても兵舎も無いのに如何するんだ
って事に成りますからね。

家康がどさくさ紛れに伏見城に増援入れて、維持費用も伏見城の蔵の中身をパクってるというのは意外と
気が付きませんし。
というか、これ気がついたら7将襲撃事件すら陽動かも知れんって思うようになります。

騒動が収まってみると、伏見城はいつの間にか徳川の増援に占領されてましただもん。

514 :人間七七四年:2021/04/08(木) 22:57:31.22 ID:Kvo1U1Si.net
あなた本当に人の書き込み理解しようとしないんだね
普通ここまで指摘され続ける事ってないと思うのだけど

515 :人間七七四年:2021/04/08(木) 22:58:30.11 ID:xvQc4yy7.net
他の人はわからないけど自分だけはわかる
典型的な陰謀論思考です本当にありがとうございました
病院いってらっしゃいな、真面目に 他者からの指摘の意味すらろくにわからないのはかなり重症だよ

516 :人間七七四年:2021/04/08(木) 23:29:08.54 ID:5qs3ADGZ.net
>>513
>俺も昔は徳川がこれだけ強引な事しても、何故大老も奉行も止められないんだって不思議に思ってました
>んでね。
ものを知らないからこそ抱ける疑問だと思うよ

>私婚問題で家康が呼んだ増援が、其の儘伏見城に居座っちゃったと言うのは意外と指摘されないと
>気がつかないから書いてる。
だから気付くも気づかないも皆知ってるんだわ。その上で秀吉生前からの流れ考えたらそれが自然だと判断してる

>7将襲撃事件すら陽動かも知れんって思うようになります
はいまた根拠無しの結果からの逆算

517 :人間七七四年:2021/04/08(木) 23:32:16.87 ID:XldxCH0Z.net
>>513
そもそも伏見城は徳川家康のもの(早稲田大学所蔵秀吉遺言)
更に言えばどの大名も基本的には自分達の兵隊は連れてるよ。三成襲撃事件の時に三成は輝元に本国からの兵隊を要請してる。
蔵が蔵がと言うけどそもそも伏見城は家康の物なので何一つ問題無い

518 :人間七七四年:2021/04/08(木) 23:48:38.61 ID:xvQc4yy7.net
蔵の部分もこいつの想像だからな、当たり前の事実だと勝手に思い込んでるみたいだけど
蔵が蔵がの所、伏見の蔵から持ち出したかってのと伏見はそもそも城主が徳川でたとえ中身のもの使ったとしても問題にならないっていうダブルの否定部分あるからね

519 :人間七七四年:2021/04/08(木) 23:52:33.66 ID:xvQc4yy7.net
例え話荒らし見てると、最低限のリテラシーって大事だなって思えるよほんとに
主張するならソースを出す、人の話を聞いて理解する、論理的瑕疵がないか客観的に確認する、論理的に否定されたら素直に論引っ込める
当たり前の事だけど、できないとこんだけ恥晒す事になるんだな、と

520 :人間七七四年:2021/04/09(金) 00:36:53.56 ID:jU3IpzJN.net
例え話がピュアッピュアに内府違い条々の正当性盲信してる理由も大体分かった
頻繁に中華の史書例え話に引っ張って来るけどアレこそプロパガンダの塊だからな
リアルタイムの書状、日記、事務系の帳票類精査する形のアプローチとは根本的に違う

521 :人間七七四年:2021/04/09(金) 06:43:26.93 ID:gSv+tt4u.net
豊臣贔屓で徳川嫌いの関西人がキ○ガイだとわかるスレ

522 :人間七七四年:2021/04/09(金) 09:13:43.01 ID:Lj065aOV.net
豊臣贔屓でなくて、石田贔屓では。そうでなければ、豊臣政権崩壊の最大の原因を作った人をあそこまで擁護できない。

523 :人間七七四年:2021/04/09(金) 12:32:00.06 ID:ojka+p/p.net
七将襲撃事件は確かに家康の漢が上がったけどじゃあ家康の仕込みかっていうとそんな証拠は何もない。
今のところ分かってるのは
1家康は七将らから何度か陳情を受けてる(浅野長政宛書状)
2三成襲撃において伏見の家康に報告をしてる(家康宛幸長書状)
3家康は七将に三成が伏見にいると伝えている。
こんなところ。で、「だから家康と七将はグルだったんだ!」って言う人が居るがそうとは言えない。
何故なら七将らが訴訟という形で三成を処刑しようとしてるのだから家康に予め何らかの陳情をするのは当然の振る舞いだし、
三成を襲撃した以上、対面して報告したいというのも当然の動き。
また家康からすると三成の所在を七将に伝えないと三成憎しの彼等が何をしだすかわからない。伏見にいると言えば要は本件は家康預りとなる訳で七将らも落ち着くだろう。

524 :人間七七四年:2021/04/09(金) 15:04:50.20 ID:hVTA4t3t.net
三成の所在を七将にバラしたのは家康なの?

525 :人間七七四年:2021/04/09(金) 16:32:39.67 ID:ul3fdROw.net
伏見に正則が三成を追い込んだと書かれてるのが4日でしょ(居所集成)
で、上記書状は5日付け

526 :人間七七四年:2021/04/09(金) 16:33:41.08 ID:iaf355fh.net
>>520
中華の史書がプロパガンダ満載は事実だけど、筆を曲げるって言うても限界があるみたいでしてね。
当然書くべき事を書かないとか、言い換えを多用とかしてるんで慣れると面白く読める。

例えば漢の高祖劉邦、母親が妊娠中に赤龍の夢を見たっていたって普通のプロパガンダに見える
話が紹介されてます。
でも、この龍の子って逸話どうも劉邦が無名時代から多様してたみたいで、体に72個のほくろが有るのが
証拠だみたいな絡み方してたみたい。

でもさ、「赤龍の子だ」は、「劉邦は親父の子じゃない不倫の子だ」とも読み替え可能。
字が季「すえっ子」で、何故か実家におれず、沛の街でやくざの親分してた事とつながるじゃん。

つまり、赤龍の子って逸話は、元々は親父の種じゃないって噂だった可能性有りな訳。

527 :人間七七四年:2021/04/09(金) 16:50:02.17 ID:iaf355fh.net
>>526
更に別の例を

最終段階で項羽裏切った楚の大司馬の周殷と言う人が居るのですが、何故か楚陣営の大幹部なのに
突然出てきてその後の消息が不明なのです。

状況から考えると、劉邦陣営が本領安堵どころか封候の約束までして裏切らせた様に見えるのですがね。
なのに、漢初に封建された諸侯の名簿に周殷って名前は見えず、その後の消息が不明なんです。
これ普通に考えると、武田家滅亡時の小山田信茂みたいに劉邦が約束無視して誅殺でしょ。
それまで劉邦陣営と繋がり有ったとも思えず、最終段階で項羽軍の幹部なのに裏切りは、十分誅殺の
理由に成ると思えますので。

これは、司馬遷が劉邦の悪行書きたく無かったんでしょうが、その後の消息書かない事で末路を書いたとも
言えます。
当然されるべき封候が成されなかった事で、逆に末路を暗示してる訳。

日本だって大阪の陣の後、豊臣家の家老だった片桐氏は領地貰ってるでしょ。
つまり、何も書かない事で周殷は高祖に誅殺されたって暗示してる訳。

528 :人間七七四年:2021/04/09(金) 17:05:45.10 ID:iaf355fh.net
>>527
更に別の例

曹魏の実権を握った司馬氏に不満持った皇帝がクーデター起こそうとした事件が有ります。
手も無く鎮圧されて殺されたんですが、この人は記録では高貴郷候にされてます。
つまり主君殺しの悪名を恐れた司馬氏が、抑々皇帝に即位してた事実を否定した訳ですね。

それも皇族に普通与えられる王と言う称号では無くて、郷候って低い爵位にしてる所に悪意を
感じます。通常候は県をもらえるのですが郷候って事は県の一部の郷が領地って事。

そんな風に悪意ある書き換えしたのですが事件其の物を否定する事は出来ず、洛陽の城内で市街戦を
した事は書くしかなかったんですよ、事実だから。

同じ様に、家康が増援軍を其の儘伏見にいれて事実上乗っ取りしたのは否定できなかった訳。

529 :人間七七四年:2021/04/09(金) 17:18:16.66 ID:ZKUo09LS.net
例じゃなくて研究持ってこいって言われてるのにまた例持ってきていかに自分がろくに調べてもないし理解もしてないかを語ってる
マジもんのアホだろ

530 :人間七七四年:2021/04/09(金) 17:19:45.91 ID:ZKUo09LS.net
つか、真面目にお前の言い訳と妄想でスレの良質な話が遡りづらくなるから、書き込まないでくれない?
くっそ邪魔

531 :人間七七四年:2021/04/09(金) 17:55:43.82 ID:ojka+p/p.net
>>524
バラしたのは家康。
ただ家康の立場からすると最悪の事態は七将が三成を殺そうとして例えば毛利を襲撃したりするといった武力行使をすることなのは確かで、豊臣政権筆頭としてこれだけは防がないといけない。豊臣なんかどーでもいいやなら逆に七将を捨て駒にして大坂を火の海にしたかもしらんが。
だから家康が三成の居場所を教える事には問題が無い。
三成が家康の居る伏見にいると判れば七将に出来るのは精々三成の悪行を叫ぶくらいだからね。それ以上の実力行使は反逆になる。

532 :人間七七四年:2021/04/09(金) 18:56:06.32 ID:aq42IY/r.net
>>531
へー、勉強になるなぁ
三成への憎しみを強訴に抑えるために、あえて所在をバラしたという事ですね

533 :人間七七四年:2021/04/09(金) 20:10:54.78 ID:ojka+p/p.net
当時の記録や諸将の記録だと、七将はまず大坂の三成屋敷を襲撃して切腹させるつもりだった。
これは一応訴訟だけど、要は無理矢理自害させてやろうっていうかなり暴力的なもの。
三成はギリギリで気付いて宇喜多とかの助けを得て伏見に逃げ込んだ。
同時期、七将は家康に陳情。これが無いと大坂での襲撃が謀反になってしまう。
七将は既に軍勢を率いているので、これが爆発すると何が起こるかわからないからね。
三成の所在を伝えない方が危ない。

534 :人間七七四年:2021/04/09(金) 20:57:56.75 ID:cK4+4Nvr.net
そりゃそんな騒ぎになれば家老である家康の責任やからな

535 :人間七七四年:2021/04/09(金) 22:02:32.63 ID:ByZvXkrM.net
七将はともすれば上意討ちのような形にしようとしたけど家康が冷静で、自分で本件預かって協議で裁定したって話よな

536 :人間七七四年:2021/04/10(土) 01:33:24.78 ID:Zy2shPHJ.net
>>533
いきなり故意にミスリードしてるけど。

『七将はまず大坂の三成屋敷を襲撃して切腹させるつもりだった』
出典は?

当時の記録や諸将の記録だと、とかさも複数史料で確認出来るような事言ってますけど、俺の知る限り風聞(噂話)で言われてる程度の内容では?

どうしても七将襲撃は暴力的な訴訟にしたいんだろうけど、いい加減しつこい。

537 :人間七七四年:2021/04/10(土) 01:46:32.66 ID:6OdohWxi.net
言経卿日記とかでも精々騒動って書き方かそういえば
織豊期主要人物居所集成だと襲撃みたいな書き方だと記憶してるけど、あれは出典なんだったんだろ

538 :人間七七四年:2021/04/10(土) 04:17:24.49 ID:m42Fzmu0.net
普通に大名のいざこざは物騒な時代や
しかも結果として一方の大名を蟄居させる様ないざこざやし

539 :人間七七四年:2021/04/10(土) 05:12:51.67 ID:t3RYvGHU.net
記録によると、前田利家死後の時系列並べるとこんな感じ

3月3日、前田利家死去、その後7将が奉行追い回す騒動が発生、最終的に石田は徳川屋敷に。

3月11日、石田光成、伏見城下の徳川屋敷「ここ重要、あくまで伏見城下の徳川屋敷」をでて佐和山に

3月13日、伏見城の城門を口実付けて開けさせ、その後には徳川家の大部隊が当然の如く押し入り。
という事で、前田利家が死んで僅か10日ほどで伏見城は徳川軍に占領された。

何ていうか実に見事、前田利家の死から7将襲撃事件、三成が徳川屋敷に逃げ込み佐和山に去る。
そして僅か数日で徳川軍がさも当然の様に伏見城に押し入る。

盗将大権現のパクリ術でした。

540 :人間七七四年:2021/04/10(土) 05:53:21.52 ID:wgSIeuux.net
>>536
完全根拠無しの妄想と(社会的地位と情報網持ってる人間の)風聞だとどうしてもなあ

541 :人間七七四年:2021/04/10(土) 05:55:13.49 ID:wgSIeuux.net
家康が伏見城に入るだけのことがそこまで問題となると
七将と揉めた三成が伏見城に立て籠もったことに対する処分が異様に甘いことになってしまうんだよな

542 :人間七七四年:2021/04/10(土) 06:29:16.68 ID:wvQ5AsKS.net
>>536
三河物語「諸将が心がわりして我も我もと申し訳をして、後には三成一人に掛けて、後には寄り合って三成に腹を切らせようとするところ」
慶長年中卜斎記「近頃、朝鮮出兵勢の七人衆が三成の成敗を嘆願した。」
看羊録「清正らが武装兵を率いて伏見に上り、三成を攻めようとした。」
北野社家日記「大坂・伏見以外さハき申、石田治部殿を福嶋大夫殿・摂州なと其外大名衆御申合候て、はら御きらセ候ハん由風聞申」
義演准后日記「石田三成は近江佐和山の城へ隠居、大名十人であろうか申し合い訴訟したそうだ。内府は異を唱えたそうだ」
その他細川忠興軍功記、浅野長政公伝等。
そもそも、この時期の三月及び閏三月は大坂、伏見に「雑説」があった(内容不明)
そして、利家が死ぬや否や七将は大坂の三成を襲撃した。
これが単純な訴訟じゃ無いことは以上の史料からも明らかだが、重要なのは七将は三成襲撃部隊と家康への嘆願部隊に分かれて作戦を実行した(これは閏三月の幸長書状から分かる)
つまり実行部隊は三成を捕捉してこれを「切腹」される気でいた。その為に軍勢を集めて大坂を攻撃、失敗すると伏見にまできた(結果「三成が攻められた」という風聞がたった)。これは明らかに豊臣への反逆なのでこれを「訴訟」に落とし込むべく外交部隊が暗躍し、結果「三成を訴訟した」という風聞ができた。
これが平和的訴訟ならそもそも三成が逃走する事は許される事ではない。また、何故単なる訴訟で三成が伏見の屋敷に逃げ込まねばならないのか、という点もある(伏見には徳川の勢力下にあるので大坂城に籠っても良かったろう)
七将が武力行使を図ったが故に三成は逃げ出した訳で、これは訴訟とは言い難いよ。

543 :人間七七四年:2021/04/10(土) 06:57:30.09 ID:wvQ5AsKS.net
笠谷氏は「慶長見聞書」から
三成が大坂から宇喜多の手助けで脱出、その後七将は伏見まで追いかけてきたが結局家康に「「城へ入べき様なければ向島に控え、此由を家康公へ申入れらるゝ」としたという。
興味深いのは三成が伏見に向かったのも家康を頼る為でかの本多佐渡の逸話がこれが原因なのかもしれない。

544 :人間七七四年:2021/04/10(土) 07:05:48.94 ID:tZCqfpa6.net
そもそも伏見城は豊臣の城だから三成が伏見城に入る事は家康に頼る事が一義じゃない

545 :人間七七四年:2021/04/10(土) 07:31:46.19 ID:cXzn9gyC.net
前スレの流れも踏まえて考えると、この事件は結局のところ、
七将らの行動を室町時代における御所巻きと同様といえるかどうかになりそうだ

546 :人間七七四年:2021/04/10(土) 07:56:41.02 ID:ylr3/VZg.net
この場合御所(伏見城)は巻かなかった

547 :人間七七四年:2021/04/10(土) 09:02:08.43 ID:JQckasej.net
>>539
三成が逃げ込んだのは伏見の徳川屋敷じゃなくて、伏見城下の自分の屋敷だと言うのは今だと歴史好きの中だと常識じゃないのか

548 :人間七七四年:2021/04/10(土) 09:07:43.03 ID:8zutBCi0.net
つか三成、これを機会に毛利に手勢率いて乱入させようとしてるしな

549 :人間七七四年:2021/04/10(土) 09:31:19.12 ID:9R7+F0U0.net
>>548
そりゃ相手も共同して軍勢率いてるんだから当然の行動といえる

550 :人間七七四年:2021/04/10(土) 11:38:45.60 ID:Zy2shPHJ.net
>>542
三成を切腹させる事に言及している史料は、『北野社家日記』だけでは?
もちろん風聞記なわけだが、その文章からは摂州(小西行長)が三成糾弾のメンバーに入っている。
キミがずるいのは、この『北野社家日記』だけは、現代語訳していないところ。
この程度の内容のみを以て、史実性を持たせていいわけないだろ。
  
三河物語や、看羊録に至っても、他の一次史料との整合性と照らして史実検討すべき史料だろ?

キミの掲げた史料からは、単なる訴訟では?ということしか言えない。

551 :人間七七四年:2021/04/10(土) 12:04:30.01 ID:6OdohWxi.net
七将のをただの訴訟として判断したのって白峰氏が有名だけど、他研究者でこの説支持してる人ってどなたがいるの?

552 :人間七七四年:2021/04/10(土) 12:19:26.45 ID:XQxsEa0G.net
>>550
何に拘ってるのかわからんけど、
君が七将が単なる訴訟をしたのだと言いたいならまず君が七将は何を訴えたのかについて説明しないといけないと思うけどね。
そもそも、七将が「単なる訴訟」をしたという学者は居なかった気がするけどね。白峰氏が言ってるのは「七将は三成を実力で殺害しようとしたのではなく、三成の住居を武装兵で囲んで死ね死ねと言って切腹させようとした」って事だったはずだし。当時はこれも「訴訟」だったという事を白峰氏は知ってるから七将は訴訟したと言ってるワケ。
現代的な平和訴訟とはまるで違うよ。

553 :人間七七四年:2021/04/10(土) 12:36:03.82 ID:57fRFvTb.net
強訴も訴訟と言えば訴訟やからな
言葉遊びみたいなもんや

554 :人間七七四年:2021/04/10(土) 12:55:43.36 ID:XQxsEa0G.net
七将が何を要求したのかは書状とかには残ってないが、故にその内容は推して知れる。
まず七将は行動にあたって浅野幸長が兵を連れて伏見に上洛、委細は長政が口頭で伝えると家康に送ってる。
同時期、三成は大坂を脱出して伏見に着いてる。
これが単純な訴訟ならそもそもどうして三成は大坂を脱したのか?という疑問が出てくる。単に訴えられただけなら大坂を離れる理由は無い。あり得るとしたら家康ら豊臣公儀が召集したというものだがその様な書状が見つかってない。
そして輝元は書状で「増田長盛によると三成が身を引くしか無い」と送ってる。これは非常に重要で、
七将が要求したのはかなり重い内容、要は死刑だった事が伺える。何故なら長盛はこの後三成と共に篭っていておそらく奉行派の立場にある。それが三成の隠居を最低値としてるのだから、最大値つまり七将の要求は死刑以外無いだろう。
また一次史料が存在しないのも当たり前で、そもそも七将襲撃は起こってない。何故なら七将が大坂の三成屋敷を攻撃しようとしたところそこは既にもぬけのからだったのだ
存在しない者を襲撃は出来ない。三成が屋敷から逃げ出したと知った七将は伏見まで追いかけてきた。
だがその時には家康の預りになっており手出しは出来なかった。

555 :人間七七四年:2021/04/10(土) 13:01:25.59 ID:Zy2shPHJ.net
>>552
何に拘ってるのかわからんのはキミでしょ?

>七将は何を訴えたのかについて説明しないといけないと思うけどね。

そんな必要は全くない。
歴史的事実として、訴訟なのか、襲撃なのかというだけの話。
『何を訴えたのか』によって、襲撃になったり訴訟になったりするわけではない。

556 :人間七七四年:2021/04/10(土) 13:23:12.85 ID:Zy2shPHJ.net
>>554
>七将が何を要求したのかは書状とかには残ってないが、故にその内容は推して知れる
キミの推測が根拠なら、『北野社家日記』に基づいた史料的根拠の方が100倍マシ。

557 :人間七七四年:2021/04/10(土) 15:29:20.15 ID:wQP9QqhZ.net
白峰自体があくまで暴力を伴う訴訟だと主張してるってのは真か偽かどっち?

558 :人間七七四年:2021/04/10(土) 15:51:23.22 ID:Hjg9Mvb4.net


白峰は、その著書で明確に、
「以上の検討から、これまで通説で豊臣七将襲撃事件とされてきた事案も実際には襲撃事件なく、単なる訴訟騒動であったことがわかる。」
としている。

559 :人間七七四年:2021/04/10(土) 16:58:41.67 ID:t3RYvGHU.net
>>547
その辺に異説が有る事は知ってますよ、あと日付けは閏の三月です。

只、この時期の伏見城代は前田玄以と長束正家だった事も間違いないですよね。

前田利家の死後、未だ葬式も行われてない状況で7将襲撃事件が起こり、豊臣家の奉行を散々に
怖がらせ、怯えさせて石田が佐和山に去ったと。
その直後に、さも当然みたいに徳川軍が伏見の城門を開けさせ押し通ったって事ですもん。

実に見事な心理戦でして、この流れで徳川に抗議とか出来ないでしょ、徳川に逆らったら現職の奉行すら
辞職して自分の領地に追い払われるって実例見せられた後で。

でね、これが僅かひと月前なら如何だったかという事ですよ、前田利家の生前なら強引に徳川の部隊が
伏見に押し入ろうとしたら其の儘戦闘が始まり開戦でしょ。

相手が動揺してる隙に、既成事実固めて済んだ後で抗議しても無視するって見事な心理戦。
確かに徳川家康がずば抜けた才能の持ち主なのは本当だと思います。

560 :人間七七四年:2021/04/10(土) 17:40:05.29 ID:6OdohWxi.net
>>559
研究を持ってこない限り誰もお前の話に聞く価値はない
お前がお前の中で悦に入りたいだけなら別のところでやれ、他者を納得させる主張したいなら上記の研究を持ってこいそれだけ
それ以外何いっても自分は話も史学も理解できないバカですって自己紹介してるだけ

561 :人間七七四年:2021/04/10(土) 17:52:18.78 ID:wgSIeuux.net
>現職の奉行すら辞職して自分の領地に追い払われる
話が通じないのは彼の性格の問題なんだろうけど
解釈自体がおかしくなる理由としては彼が奉行という立場を異常なまでに絶対視してることが問題なのかな

562 :人間七七四年:2021/04/10(土) 17:55:32.90 ID:6OdohWxi.net
そもそも成り立ちが歪み切ってるから歪んだ視点からの解釈を勝手にこじつけてるだけでしょ
研究を読むってのはそのものへの造詣深めるってのもあるけどそもそも研究はどういった視点で始めなければならないのか、どういう部分に注意しないと独りよがりな主張になってしまうのかって点を学ぶ意味もある

そういう部分を学ぼうともしなければこうなるだけ

563 :人間七七四年:2021/04/10(土) 18:00:08.10 ID:XQxsEa0G.net
>>557
白峰氏のいう「訴訟」ってのは、
当時の武家社会では対象を武装兵で囲んで自害を強要してこれを成し遂げる
ってのも含まれてるって事をまず飲み込まないといけない。
だから白峰氏も北野社家日記は否定してない。
白峰氏が主張しているのは、「七将は三成を武力行使で殺害しようとした」というのではなく、
「七将は三成を切腹を強要するという訴訟で殺害しようとした」ということ。
でないと「なら七将は何を訴えたの?」って疑問にまず答えないといけなくなる。
七将の要求は間違いなく三成の死。

564 :人間七七四年:2021/04/10(土) 18:18:07.90 ID:JQckasej.net
>>559
異説どころか笠谷和比古氏が論証して以来、七将襲撃事件に関する記述がある本には取り上げられている最早通説だろうに

565 :人間七七四年:2021/04/10(土) 18:43:49.47 ID:cXzn9gyC.net
>>563
七将の要求って唐入りの際の裁定のやり直しじゃなかったっけ?
で、その時に裁定を歪めていた三成に対する処罰(切腹)を要求したと
三成さえ死ねば裁定はどうでもよかったって事なのそれは?
…七将側が何を最大の目標にしていたかがわからないとなあ
家康がこの件を良くも悪くも割りとなあなあに収めちゃってるんで
双方に何となく不満が残りそうだからわかりにくくなってる感がある

566 :人間七七四年:2021/04/10(土) 19:17:49.94 ID:F0GY8Zhs.net
>>564
だから例え話は司馬遼で知識が止っているんだから相手にするだけ無駄だって
前に書いてた家康が利家のすすめに従って伏見から向島の屋敷へ、
その後伏見城に強引に入城って思い切り司馬遼の関ヶ原で書かれている流じゃないか
ついでだから今は止ってしまった史料スレにあった秀吉の遺言も貼っとくか

567 :人間七七四年:2021/04/10(土) 19:18:57.00 ID:F0GY8Zhs.net
太閤様御覚書
太閤樣被成御煩候内に被爲 仰置候覺

一 内府久々りちきなる儀を御覽し被付、近年被成御懇候、其故 秀ョ樣を孫むこになされ候之間、

  秀ョ樣を御取立候て給候へと、被成 御意候、 大納言殿年寄衆五人居申所にて、度々被 仰出候事、

一 大納言殿はおさなともたちより、りちきを被付御存知候故、秀ョ樣御もりに被爲付候間、御取立候て給候へと、

  内府年寄五人居申所にて、度々被成 御意候事、

一 江戸中納言殿は 秀ョ樣御しゅうとになされ候條、内府御年もよられ、御煩氣にも御成候者、内府のごとく、

  秀ョ樣之儀、被付御肝煎候へと、右之衆居申所にて、被成 御意候事、

一 虫ト肥前殿事は、大納言殿御年もよられ、御煩氣にも候間、不相替 秀ョ樣御もりに被爲付候條、外聞實儀忝と存知、

  御身に替り肝を煎可申と被 仰出、則中納言になされ、はしたての御つほ、吉光之御脇差被下、役儀をも拾万石被成御候事、

一 備前中納言殿事は、幼少より御取立被成候之間、秀ョ樣之儀は御遁有間敷候條、御奉行五人にも御成候へ、

  又おとな五人之内へも御入候て、ゥ職おとなしく、贔屓偏頗なしに御肝煎候へと、被成 御意候事、

一 景勝、輝元御事は、御りちきに候之間、秀ョ樣之儀御取立候て給候へと、輝元へは直に被成 御意候、

  景勝は御國に御座候故、皆々被爲に仰置候事、

一 年寄共五人之者は、誰々成共背御法度申事を仕出し候はは、さけさやの軆にて罷出、双方へ令異見、入魂之樣に可仕候、

  若不屆仁有之而きり候はは、おいはらとも可存候、又は 上樣へきられ候とも可存と、其外はつらをはられ、

  さうりをなおし候共、上樣へと存知、秀ョ樣之儀 大切に存知、肝を煎可申と、被成 御意候事、

一 年寄爲五人、御算用聞候共、相究候て、内府、大納言殿へ懸御目、請取を取候而、

  秀ョ樣被成御成人、御算用かた御尋之時、右御兩人之請取を懸 御目候へと、被成 御意候事、

一 何たる儀も、内府、大納言殿へ得御意、其次第相究候へと、被成 御意候事、

一 伏見には内府御座候て、ゥ職被成御肝煎候へと 御意候、城々留守はコ善院、長束大藏仕、

  何時も内府てんしゆまても、御上り候はんと被仰候者、無氣遣上可申由、被成 御意候事、

一 大坂は 秀ョ樣被成御座候間、大納言殿御座候て、惣廻御肝煎候へと被成 御意候、御城御番之儀は、

  爲皆々相懃候へと被 仰出候、大納言殿てんしゆまても、御上り候はんと被仰候者、無氣遣上可申由、被成御意候事、

右一書之通、年寄衆、其外御そはに御座候御女房衆達御聞被成候、以上、

568 :人間七七四年:2021/04/10(土) 19:19:19.02 ID:F0GY8Zhs.net
    遺言覚書   

一、内符

   利家

   輝元

   景勝

   秀家

此五人江被仰出通口上、付緣邊之儀互可被申合事、

一、内府三年御在京事 付用所有之時は中納言御下候事

一、奉行共五人之内コ譱院・長束大兩人は一番にして殘三人内壱人宛伏見城留守居候事、内符惣樣御留守居候事、

一、大坂城、右奉行共内弐人宛留守居事、

一、秀ョ様大坂被成御入城候てより、諸侍妻子大坂ヘ可相越事

  以上

569 :人間七七四年:2021/04/10(土) 19:55:12.43 ID:XQxsEa0G.net
>>565
七将が具体的に何を要求したのかの史料は無かったはず。
ただ諸々の史料を合わせると七将の要求は三成の死刑で家康裁定後も命を狙ってるから相当根深い。
だから家康が七将に対する譲歩として朝鮮戦役の再査定を認めたとするならそこまでおかしくない。
てかもし七将が単なる訴訟をしたなら三成は訴訟されたら反乱を企んだヤベェ奴(輝元に兵隊を頼んでる)という事になってそれはさすがに可哀想な気が…

570 :人間七七四年:2021/04/10(土) 20:15:11.36 ID:cXzn9gyC.net
>>569
うん、一番気になってるのは三行目の部分かな
唐入りの裁定やり直しをするのを条件に七将側を妥協させたのか、
はたまた七将側を妥協させる材料としてに唐入りの裁定やり直しを家康が決断したか
七将にとってどっちがより重要だったか(再裁定>三成切腹なのかもしくは逆か)
勿論両方達成されるならそれに越したことはないだろうけど
其れと個人的には二行目も気になる、騒動が一段落した後にもそういう話があるの?
(関ヶ原の話は別として)七将が家康の裁定に不満を持ったって話があったのは
高橋氏の著書だったかにあるらしいが

571 :人間七七四年:2021/04/10(土) 21:58:10.29 ID:XQxsEa0G.net
実際のところ、七将と家康でどんな交渉がされたか詳細な史料が残ってないから真実はわからない(交渉は口頭で行われてる可能性もあるし)
ただ、ある程度の事から想像はできる。
裁定後家康がまず七将に送ったのは三成が佐和山に蟄居になる通達だった(閏三月九日七将宛書状)
この事から、朝鮮出兵再査定より三成の去就の方が七将にとっては重要だったと思われる(少なくとも家康はそう考えていたということだろう)
仮に再査定が主眼ならそれが主題になるだろうし。
それにこれは七将が知っていたかは不明だけど、蜂須賀及び黒田が叱責された蔚山城問題には三成は関与してなかったんじゃないかと思われる。確かに三成縁戚の福原が原因ではあるのだが…
その再査定と福原の改易は同じく閏三月十九日だが、これを七将の主張を遅ればせながら満たしたのか、譲歩の結果なのか、三成に連座したのかは想像に任せるしか無い。
ただ、七将は諦めてなかったフシがある。
徳川家史料の三河物語では「七将が佐和山の途中で三成を襲う」という情報があったので結城秀康が護衛に付いたとし、
看羊録では「清正は裁定を不服として前田利長を誘い〜」とある。
また、加藤清正と黒田長政が三成を「内府の気持ちが変わった時に備えて」鉄砲隊で追尾したという噂があったりとそんな予感があったのだろう。

572 :人間七七四年:2021/04/10(土) 22:16:04.97 ID:cXzn9gyC.net
>>571
ありがとうございます、三河物語と看羊録の記載ですか…
彼らが詳細を知りうる立場だったか、という点で不安は残りますが
無根拠というわけではないのですね
福原は相当嫌われていたとは聞きますね、戦役中に加増もされてますし
福原が三成の手先として動いた(ように七将には見えた)のかもしれないですね
結局関ヶ原後に自刃(殺害されたとも)という結末ですし
重ねてですがありがとうございました

573 :人間七七四年:2021/04/10(土) 22:40:13.50 ID:t3RYvGHU.net
>>561
家康が自分の領地から持って来た増援を、勝手に伏見に入れた事に一番文句言いそうなのが
奉行だからですよ。

だからあらかじめ、伏見城占拠に文句言いそうな奴を7将襲撃事件って形で始末した様に見えます。
表向きは徳川と関係無い騒ぎですが、伏見城乗っ取り作戦の一部とも解釈可能でしょ。

家康は本能寺の変の後、織田の領地の甲斐信濃を占領しましたが表向きは織田家が封じた大名を
直接攻めた訳では有りません。
川尻や森なんかは表向きは一揆のせいで領地放棄した事に成ってます。

でも、普通に考えれば黒幕は家康でしょ。それに似てる流れだよ。

574 :人間七七四年:2021/04/10(土) 23:19:43.23 ID:wgSIeuux.net
分からないことを素直に分からないと言えない奴って普通に仕事してても使えないけど
学問においてはマジで詐欺行為、ただの無能じゃなく悪事なんだよなあ
>>573>>526-528の例え話も判断材料が無いのになんで詳細な点まで断言できるの?としか言いようが無い

てか会話自体噛み合って無いだろ。>>561は奉行の地位を重く捉えすぎと指摘してるのに
>家康が自分の領地から持って来た増援を、勝手に伏見に入れた事に一番文句言いそうなのが
>奉行だからですよ。
と奉行に、家康が秀吉から与えられた城に入ることにケチ付ける権利があるというおかしな前提で語ってるんだからな

575 :人間七七四年:2021/04/10(土) 23:32:23.55 ID:6OdohWxi.net
話聞いて理解する脳みそすらないってご自分で証明してらっしゃるんだから、そりゃね

576 :人間七七四年:2021/04/11(日) 08:21:59.90 ID:3iTc/Fws.net
>>571
すっl三河物語と看羊録の記載ですか… (笑

577 :人間七七四年:2021/04/11(日) 08:22:00.88 ID:3iTc/Fws.net
>>571
すっl三河物語と看羊録の記載ですか… (笑

578 :人間七七四年:2021/04/11(日) 08:45:11.56 ID:DJ1rE318.net
七将が三成に切腹を求めたって記載は三河物語が初出だから
その方が徳川に都合が良かったのだろうと白峰氏が言ってた記憶あるな

一次史料では三成は死を求められる程憎まれてはいなかったって事が分かる

579 :人間七七四年:2021/04/11(日) 08:56:35.75 ID:ii34tE1c.net
>>572
重要なのは、
現実として三成襲撃事件は起こっていない。
三成は閏三月の三日若しくは四日に大坂から伏見に脱出してる。七将は大坂に居たのは書状から間違いが無い。
つまり存在しない者を襲撃は出来ないのだから一次史料に三成襲撃事件が記録されてないのは当たり前。三成不在は屋敷に打ち込むまでも無く分かったろう。
次に、七将がこれを「訴訟」にしたのも当然で、仮に大坂で三成を武力攻撃するとこれは言い逃れの余地無く反乱になる。だから七将は「訴訟したら三成が(偶然)死んだ」って事にしたかった。
とはいえこれが平和的訴訟なら三成が輝元に兵隊を頼んだ事が三成の反乱以外の解釈が無くなるし、立花等の書状で大坂・伏見に兵隊が集まってる事が訳分からなくなってしまう(まさか豊臣政権時代は訴訟がある度に兵隊が集まってた訳じゃないだろうし)

580 :人間七七四年:2021/04/11(日) 09:05:14.34 ID:6TJpZwba.net
白峰氏の研究ノート
http://repo.beppu-u.ac.jp/modules/xoonips/download.php/sg04810.pdf?file_id=9341

後年襲撃という形で脚色されたけど政治的なクーデター劇と捉えるのが自然なんやろね
(三成だけじゃなく三奉行が対象となってる)

何気に面白いのが家康と三成で人質交換が行われている点やな

581 :人間七七四年:2021/04/11(日) 09:53:53.18 ID:Re9SBl5P.net
白峰氏、史料を一次史料のみに絞って読んでくってのは面白いんだけど
ちょくちょく解釈がその史料からだと飛躍してるんちゃう?みたいなのが多いのよねー

582 :人間七七四年:2021/04/11(日) 10:15:15.48 ID:MPHW3Bgx.net
少なくとも、徳川贔屓の際たる風聞記録である三河物語や、朝鮮人捕虜による出所不明の風聞記である看羊録から妄想するよりは100倍マシ。

583 :人間七七四年:2021/04/11(日) 10:20:13.74 ID:ii34tE1c.net
看羊録は朝鮮人が書いてる物なのでそこにある偏見を取り除いて見ないといけないが、
しかしかなり信頼のおける史料ではある。
これは姜という朝鮮人捕虜が本国に日本の情勢を伝える為に記した書物で、朝鮮出兵の和睦が成立したのも彼が「秀吉の死後日本を治めているのは徳川家康で、彼は秀吉とは全く関係が無い男なので信頼出来る」と報告したという面がある。
彼は可能な限りの情報を収集していて、それらは風聞ではあるが当時の日本情勢を知るのには有益な史料になっている。

584 :人間七七四年:2021/04/11(日) 10:26:13.53 ID:Re9SBl5P.net
少なくとも自分も看羊録も解釈に必要な史料だと考えるし
上で指摘してる人がいるそりゃ大坂にいなかったんだから襲撃にはなってないけどそれは=訴訟だったと解釈するのは厳しいんちゃう?ってのはそれはそれでその通りだと思うし

585 :人間七七四年:2021/04/11(日) 10:40:23.39 ID:MPHW3Bgx.net
繰り返すけど、看羊録は、『風聞記』ね。
当時の世相がどうであったかを知る資料としては重要だけど、看羊録単独で記載されているものを史実認定する事は出来ない。
トンデモ史実が結構記載されてる。
加藤清正が家康を襲撃しようとしてたなんてのは、看羊録しかない。他の史料や、歴史背景と照らしても整合性が取れない話。

586 :人間七七四年:2021/04/11(日) 10:40:53.24 ID:PH41zVlj.net
現実的な問題として、七将が殺したい程三成を憎んでいたとしても三成を「襲撃」して殺害する事はできない。
三成は豊臣の奉行なのだからそれは豊臣への反逆になる。

587 :人間七七四年:2021/04/11(日) 10:52:06.37 ID:PH41zVlj.net
ただ、形を整えれば不正も正になる。
当時の訴訟として、「相手を兵で囲み、自害しろと叫んで騒動を起こし、それによって権力者に相手に自害を命令させる」というものがある。
七将はこれに一種仮託すれば三成を襲撃出来る。
この騒ぎの中で「偶然」三成が死んでも七将に責任は無いからね。故に、取り敢えず家康に話を通しておけば三成を殺しても謀反にはならない。
ただ、この計画が三成に漏れてしまった。
三成からするとこれは訴訟では無く七将による暗殺計画でしかない。当然七将に捕まる訳にはいかない。
だからまず大坂から逃げ出して伏見、つまり豊臣公儀のお膝元に逃げ込んだ。ここには家康も輝元も居るから七将が「訴訟」に見せかけてる以上、七将に殺される危険性は低い。
対して空の三成屋敷を見て失敗を知った七将は伏見まで兵隊連れてやってきた。
笠谷氏は、浅野書状より七将が伏見を包囲したと解釈してる。また、立花家書状より大坂・伏見は武装兵で溢れて危険な状態だった。
とはいえ、家康が預かった以上手出しは出来ない。
七将に出来るのは精々三成の悪口を伝えることくらい。

588 :人間七七四年:2021/04/11(日) 11:09:09.10 ID:DJ1rE318.net
>>580
訴訟が七将の独断なら家康と三成で人質交換という話になるのはおかしいよね

589 :人間七七四年:2021/04/11(日) 11:15:09.01 ID:Re9SBl5P.net
当時の慣習的に普通にあるよ身の安全の確保のため主君と家臣間での人質交換は
浅井一政戦功覚書などでも片桐が大野に襲われかけてる際双方武装解除のために片桐に秀頼が人質を出してはどうかという話になってる、勿論大野と秀頼はその交渉関係からも命令をうけて片桐襲ってたわけではない
これの場合は単純に三成の安全は家康の名の下に保障してるってだけ

590 :人間七七四年:2021/04/11(日) 11:36:47.20 ID:FNCLcsbt.net
>>507
龍造寺隆信亡き後の鍋島みたいなものか
義兄弟という関係も同一

591 :人間七七四年:2021/04/11(日) 11:51:02.15 ID:NaLdpk0M.net
>>588
これが事実だとすると七将ではなく家康と三成(奉行)間に政治的な争いがあり和睦を行ったという事やからね

592 :人間七七四年:2021/04/11(日) 11:56:55.59 ID:Re9SBl5P.net
だから、その解釈にはならんよ
つか白峰自身の記述でもこれをもって七将と家康にかかわりがあったなんて事主張してないでしょ

593 :人間七七四年:2021/04/11(日) 13:50:11.00 ID:pXciynbn.net
単純な訴訟だとすると三成と輝元は訴えられたら兵隊を首都に突撃させようとするヤベェ奴ってことになっちまうし

594 :人間七七四年:2021/04/11(日) 14:06:15.77 ID:O191aeoZ.net
関ヶ原起こすくらいだからやべー奴なのは確かw

595 :人間七七四年:2021/04/11(日) 15:04:24.94 ID:jxgYlC6j.net
>>593
単純な訴訟で人質交換はしない

596 :人間七七四年:2021/04/11(日) 17:28:45.18 ID:MPHW3Bgx.net
なんか凄い勘違いしてる人がいるけど、単純な訴訟の『単純』てのは、事案の構造が単純という事で、事案の重要性の軽重を指したものじゃないぞ?

597 :人間七七四年:2021/04/11(日) 18:07:19.12 ID:ii34tE1c.net
七将襲撃事件は法的にも経緯を見ても「単純」とは言い難い性質があるけどな。
例えば七将は一才訴状の類を用意せず「訴訟」に及んだ訳だが故に彼等が何を望んだのかはわからない。北野社家日記からは三成の処刑なのは明らかだが。
更に、七将は訴訟にあたって徳川家康のみを頼った。この当時、家康には申次権が無いのでこれは本来起請文に違反しそれは弾劾される危険性があるがその様な動きは無い。
更に言えば本来公事については十人衆の合議制の筈だが三成の処遇及び福原の改易並びに朝鮮出兵再査定を決めたのは家康と輝元、そして北政所で(一応大谷吉継も交渉に参加したようだが)他の大老及び奉行衆は参加すらしてない可能性が高い。
この一件を見事調停した事で家康の名誉は高まった(しかも北政所が家康案を支持して豊臣からの正統性も認められた)訳だけど、普通の公事とは全く違う、しかも今まで五奉行というか三成が必死に作ってきた合議制はここで崩壊した。
単純な訴訟ならこんな事態は起きないだろうし奉行衆や輝元が騒ぎ出していたろう。逆に言えば、家康一人の扱いで文句が出なかったと言う事はもし家康案が失敗した場合政権が崩壊するような大騒動、具体的には戦争が起きるような緊急事態だった可能性が高い。

598 :人間七七四年:2021/04/11(日) 19:30:53.93 ID:ujT3VrFK.net
ここは、推測でしか語れないかもしれないけど、七将がそこまで怒ったのはなぜなんだろう。
負け戦だった朝鮮征伐での監軍の報告に対するものだったのか、これまでの政治に対するものだったのか。
よく、小説なんかだと個人的な恨みで片付けられてしまうけど。

599 :人間七七四年:2021/04/11(日) 19:47:42.95 ID:ii34tE1c.net
加藤清正は文禄の役で小西行長・石田三成の和睦交渉を卑怯なものと秀吉に直訴してる(ただし、関白降表の存在を掴んでいた訳では無い)。三成に陥れられると感じたのか徳川家康・前田利家に接近してる。
浅野長政・幸長親子だけど、そもそも幸長は三成と仲が悪かったらしく秀次事件の時に三成に元祐筆を抱き込まれて秀次の謀反に加担してると讒訴された。結局徳川家康の仲裁で何とか危機をやり過ごしたけどその憎悪は凄まじかったようで宣教師の報告書には「秀吉が死んだら彼等は憎悪を露わにした」と記されてる。また、三成も起請文で長政の名前を省いていたりと相当根深い。
蜂須賀家政と黒田長政は慶長の役の蔚山城救援の時に参加しなかったとして秀吉から処分されてる。ただこれは間違い無く讒訴(吉川広家の報告書で自分の武功は黒田長政が確認してます、と書いている)。怯懦と罵られてしかも土地まで失った彼等の怒りと憎しみは軍目付福原と、その縁戚の三成に向かったらしい。(実際、福原はかなり悪どい事をやってたみたい)

600 :人間七七四年:2021/04/11(日) 20:00:09.73 ID:ujT3VrFK.net
朝鮮戦争の折に、監軍の三成の報告で秀吉との君臣の仲が壊させれた人がいるとは聞いていたが‥

最初はともかく、あと二つはなんでそんなことしたんだろうな。忠臣どころか、いわゆる君側の刊ではないか‥

秀吉が死んだ後も、追い落としかけるがごとく讒訴しまくりだし‥

601 :人間七七四年:2021/04/11(日) 20:09:57.68 ID:ii34tE1c.net
細川忠興は三成と仲が悪かった逸話は確か無い(ガラシャが死んだ後は別だろうけど)はず。
ただ彼は個人的に次の時代は徳川家康と感じていたフシはある。あの有名な柿の逸話(三成が仲直りの為に柿を持ってきたらブチギレて投げつけて帰った)も確か細川忠興軍功記だと違ったはずだし。
確か正確にはその柿を頂いて、三成から家康に対する計画を全部聞き出してそれを家康に伝えていたって話だったはず。
福島正則も同じく三成と仲が悪い逸話は無かった筈だけど彼は所謂私婚問題で家康と縁戚になってた。
この時婚姻が無効になった等の形跡はない(橋氏書籍)らしいけど、内府違いの条々には婚姻が云々書いてあるから三成になんか言われてた可能性はある。

602 :人間七七四年:2021/04/11(日) 21:11:29.40 ID:ffYFl4i9.net
>>600
こういうとアレかもしれんが、派閥争いや政争ってそういうもんだよ
功績を立てて上から認められて出世するより、対抗馬の失策やミスを利用して
引きずりおろす方がずっと簡単だもの

603 :人間七七四年:2021/04/11(日) 23:47:18.69 ID:MPHW3Bgx.net
>>597
だから勘違いしてるって。
現代の訴訟に照らせば、そりゃ不備だらけど、訴訟の体裁はシンプルだって話。
各論になった時に個別事情が絡んできてあーでもない、こーでもないとなるわけ。キミみたいに。

『北野社家日記』から三成処刑を要求してるのが明らかなら、七将襲撃のメンバーに小西行長が入るのも明らかと言う事になりますけど。
『大坂・伏見以外さハき申、石田治部殿を福嶋大夫殿・摂州(小西行長)なと其外大名衆御申合候て、はら御きらセ候ハん由風聞申』
白峰なんかは、筆者の勘違いでまとめてるけど、要は風聞なわけ。筆者自ら文章の最後に風聞て書いてるじゃん。
他の一次史料で三成に切腹を求めてるものってあるわけ??

604 :人間七七四年:2021/04/12(月) 00:34:31.22 ID:Bt88x7y9.net
詳細が風聞だから間違ってるのと、訴訟が暴力的だったかどうかが間違ってるかはまた別の話じゃないのか?
いくら風聞つっても訴訟と騒動勘違いするレベルのでかい間違いが多数あったとするのは難しいんじゃね?

605 :人間七七四年:2021/04/12(月) 01:06:30.24 ID:4j8N3jl7.net
>>604
だからさ、他の一次史料で示してくれればいいのでは?
七将襲撃が、実は『申合』であった事を示す複数史料はあるんだからさ。

いや、そもそもね。
暴力的な訴訟の定義って一体なんなの?
いわゆる七将襲撃が、『訴訟』なのか『武装襲撃』なのか、という議論はわかる。
白峰もそこを主題にしていた。
『暴力的な訴訟』っていったいどこの誰が定義づけたの?
そもそもそんな定義が何のために必要?

いわゆる七将襲撃が、一次史料によって『武装襲撃』ではなかった事が立証されると困る人が無理矢理作り出した定義では?
あくまで七将が不法なり、インモラルな手法をとり、家康がそれに乗っかった事にしたい人、もしくは三成の正当性を失いたくない人の作り出した定義(笑)

606 :人間七七四年:2021/04/12(月) 01:15:02.29 ID:Bt88x7y9.net
君のいう訴訟の定義がわからんねんな
7人が単に集まって訴訟するーつってたって認識なん?
当時の常識としての訴訟てそれなりに暴力を伴いかねない物だと思うんだけど、違うの?

607 :人間七七四年:2021/04/12(月) 01:17:15.14 ID:4j8N3jl7.net
>>604
だからさ、他の一次史料で示してくれればいいのでは?
七将襲撃が、実は『申合』であった事を示す複数史料はあるんだからさ。

いや、そもそもね。
暴力的な訴訟の定義って一体なんなの?
いわゆる七将襲撃が、『訴訟』なのか『武装襲撃』なのか、という議論はわかる。
白峰もそこを主題にしていた。
『暴力的な訴訟』っていったいどこの誰が定義づけたの?
そもそもそんな定義が何のために必要?

いわゆる七将襲撃が、一次史料によって『武装襲撃』ではなかった事が立証されると困る人が無理矢理作り出した定義では?
あくまで七将が不法なり、インモラルな手法をとり、家康がそれに乗っかった事にしたい人、もしくは三成の正当性を失いたくない人の作り出した定義(笑)

608 :人間七七四年:2021/04/12(月) 01:20:39.37 ID:Bt88x7y9.net
アホの一つ覚えみたいに言ってないで普通に答えようよ
君のいう訴訟て大名が7人で訴訟するーつってるって認識なんか?
当時の慣習として訴訟自体が暴力を伴いかねないものであるって認識はおかしいのかって聞いてるの

609 :人間七七四年:2021/04/12(月) 01:28:10.45 ID:f59BT4oO.net
>>574
おかしな前提ってあなたの偏った解釈なのでは?
まず、太閤の死後100日にして秀頼を大阪に移せなので、慶長四年一月十五日までは伏見には秀頼が居ます。

その後大阪に移動し、前田玄以長束正家の二人が伏見城代だとちゃんと記録にあるじゃん。
で、家康が勝手に伏見に自分の私兵を入れて良いなら、何故それまで放置してたの?

前田利家の生前にしてない行動ですよね?それを何故この時期に?

前田利家の死去が閏三月三日で、家康が勝手に国元から動員した増援を入れたのが閏三月十三日なのが
只の偶然だというつもりなの?

直前に7将が奉行追い回す事件起きたのも偶然ですか?どう見ても邪魔な奉行排除の陰謀に見える

610 :人間七七四年:2021/04/12(月) 01:28:43.60 ID:4j8N3jl7.net
>>607
あー、ごめんごめん、間違って入力したみたい。
つうかさ、まずはこちらの質問に答えるのが礼儀では?

『暴力的な訴訟』っていったいどこの誰が定義づけたの?
そもそもそんな定義が何のために必要?

まぁ、キミに礼儀はなさそうだけど(笑)

611 :人間七七四年:2021/04/12(月) 01:30:29.46 ID:4j8N3jl7.net

>>608ね。

612 :人間七七四年:2021/04/12(月) 01:32:26.53 ID:Bt88x7y9.net
暴力的な訴訟っていうのは確かに書き方に問題あったね
当時の慣習として訴訟が暴力をともないかねないものではないのか、って聞いてる

俺は詳しくないから純粋に尋ねてるんだけど、なんでそこまでバカにした態度を取られなきゃならんのか

613 :人間七七四年:2021/04/12(月) 01:35:17.14 ID:Bt88x7y9.net
利家が死ぬわ秀頼が離れるわした後の伏見の安全のために兵入れたとでも言えるよな、陰謀だなんだとのたまうよかそっちのがスムーズに読み取れる

614 :人間七七四年:2021/04/12(月) 01:37:13.75 ID:4j8N3jl7.net
>>612
バカにしてきたのは、そちらでは?(>>608

訴訟は訴訟。一般的な定義でどうぞ。
暴力を伴なったら、訴訟ではない。自力救済。
七将襲撃は自力救済に拠っておらず、複数史料からも『申合』が確認できる。
ゆえに『訴訟』。

615 :人間七七四年:2021/04/12(月) 01:43:44.82 ID:Bt88x7y9.net
御所巻きのような暴力を伴った訴訟は普通にあるよね、ここから暴発的に死んだ人もいるよね足利義輝なんかはその可能性が示唆されてるはず
(笑)とか他者舐めた態度の後同じコメントをされたら普通は怒るよ誰だって、自分が取った態度で他人が怒ってる事すら自覚できないならもう少しご自分の軽率さを省みられた方がよろしいですよ

616 :人間七七四年:2021/04/12(月) 02:27:43.60 ID:4j8N3jl7.net
>>615
いやだからね、いわゆる七将襲撃を、その『暴力を伴なった訴訟』とやらに類型化する何の意味があるの?って話しなの。

暴力の矛先が三成であれば、従来通りの『武装襲撃』でいいでしょ。
暴力の矛先が家康であれば、キミの言う通り御所巻きと同義と言える。
家康は七将の暴力性に屈したということでいいんだよね?

で、一次史料ではどちらになってるの?

キミは三成信者だったということで了解。

617 :人間七七四年:2021/04/12(月) 02:42:12.25 ID:C0nJ6i8O.net
>>616
取り敢えず行間空けたり句点打ったりするのやめてくれ
例え話と紛らわしくてしゃーない

618 :人間七七四年:2021/04/12(月) 02:56:05.96 ID:Bt88x7y9.net
だから君の言う訴訟がわからんと言ってる
強訴でもいい
当時の慣習として訴訟に暴力を伴う、なんなら武装襲撃と訴訟の境目はかなり難しいものなのにわざわざ訴訟だったんだって点を強調し続ける意味は何かと尋ねてる
ついでにいうと、俺は三成はもろ奸臣だと考えてるよ
上でも七将と家康が組んでたなんて巫山戯た陰謀論言う人間には怒ってるんだけどね

七将が武装襲撃した可能性と七将と家康が組んでたかどうかは全く関係のない話なのに、そこを一緒くたに語ってしまおうとする君の雑さと無駄な過激さは
冷静に家康は後継として正当な手段を講じてると主張したい人間の邪魔にしかならんよ

619 :人間七七四年:2021/04/12(月) 03:09:13.88 ID:f59BT4oO.net
>>618
貴方の意見では、7将が家康と組んでるという見方はふざけた陰謀論なんですね。
でも、7将の要求は太閤生前の裁決の蒸し返しなんで、太閤の裁決を無効化出来る人は誰なんだって
事になるじゃん。
徳川家康が太閤の裁決を自分一人で無効化出来るって考えてる様に思えます。

猶あなたの意見では、本能寺の変後の甲斐信濃の一揆は、徳川と連絡とってないという事でしょうか?
如何みても家康が黒幕にみえるのに、只の偶然だと主張なのですね?

620 :人間七七四年:2021/04/12(月) 03:24:23.73 ID:Bt88x7y9.net
うん、そら太閤から政務の後継託されてそれだけの権限あるからな、七将が陳情するのは当たり前よ
ついでにもう何度も言われてるが、七将事件の裁定は高台院と輝元、そして家康で行ってるし、七将の要求からしたら不服とも言える緩い裁定だな

なんでそこで本能寺の変後が出てくるのか全くわからんが、信長の死がきっかけで起きた甲信一揆を家康が扇動したと思える頭のがおかしいと思うよ

それとも何?七将襲撃を家康が指示してただの本能寺の変後の甲信での一揆が家康が指示しただの言ってるふざけた研究者がいるんか?是非名前聞いてみたいな、どいつや?

621 :人間七七四年:2021/04/12(月) 03:31:57.39 ID:4j8N3jl7.net
>>618
訴訟は訴訟、一般的な定義でどうぞ、と言っている。(>>614
わからないなら、辞書を引け。

訴訟を強調しているのではない。逆ね。
『暴力的な訴訟』を定義づけ、強調する意味は何なのか?と言っている。
バカでもわかるように言うと、七将襲撃が暴力的なのかそうでないのかで何が変わってくるのか教えてくれと言っている。質問してるのはこっちが先なんで。何度も言わせないでくれる?メンドクセーナ。

622 :人間七七四年:2021/04/12(月) 03:37:32.51 ID:Bt88x7y9.net
いや、意味はないし変わらないよ
やたら襲撃じゃない!訴訟なの!って言い続けてるから、じゃあそこの境目をわざわざ強調し続ける意味はなんなのかと聞きたいだけ
なんか聞いてる感じご自分ですら中近世の訴訟の定義をろくに引かないでガバガバな認識で喋ってるみたいだしもう君はいいや

623 :人間七七四年:2021/04/12(月) 03:43:11.06 ID:H5ZpR8M9.net
どっかのスレで句点と行間を多用するのは地雷が多いつってたが、至言だな
例え話しかり(笑)君しかり

624 :人間七七四年:2021/04/12(月) 03:52:38.04 ID:ht+5CmuB.net
>>622
あらら、>>612と言ってる事全然違いますけど。
お前、ダッセーな(笑)

625 :人間七七四年:2021/04/12(月) 03:58:08.63 ID:Bt88x7y9.net
なにが言ってる事が違うのかわからん
当時の慣習として訴訟って暴力を伴うおがデフォじゃないのか、わざわざ訴訟と襲撃を分けてるのはなんなのかという部分あずっとズレてないよ
変な煽りする前に読解力磨こうか

626 :人間七七四年:2021/04/12(月) 04:11:11.82 ID:ht+5CmuB.net
>>625
>俺は詳しくないから純粋に尋ねてるんだけど(>>612
上から目線で全然違うじゃん(笑)

でさ、何度も言わせんなって。
質問してるのはこっちが先で、『暴力的な訴訟』を定義づけ、強調する意味は何なのか?と言っていた。
バカでもわかるように言うと、七将襲撃が暴力的なのかそうでないのかで何が変わってくるのか教えてくれと言っていた。

それにいつまでも回答しなかったのはお前。その流れをいまだに理解できておらず、読解力とか(笑)

627 :人間七七四年:2021/04/12(月) 04:18:25.02 ID:Bt88x7y9.net
そりゃお前の態度がろくでもないからだよ
自分の態度省みろとも伝えたよ俺は
で、俺は何も変わらんが昨日から言われてるやたら襲撃じゃない!訴訟なの!って言い続けてる人が気になったからと答えてるな
ながれつってもお前がそれを書いたのは621の時だし俺それにすぐに答えてるな
挙句なんかID変わってこっちからじゃお前かそうでないかの見分けもつかない状態になってるな

ま、お前が別に強調してる気がないのはわかったわ、俺も強調してる気はない だから君はもういいや

628 :人間七七四年:2021/04/12(月) 04:28:54.11 ID:ht+5CmuB.net
>>627
違うな。俺が書いたのは>>605だな。
本当にメンドクサイ人だね。
加えて、ロクでもない人だってわかったから、キミはもういいや(笑)

629 :人間七七四年:2021/04/12(月) 04:30:56.15 ID:Bt88x7y9.net
うん、俺も君の事ろくでもない人間だと思ってるし関わりたくない
ウィンウィンじゃん おやすみ

630 :人間七七四年:2021/04/12(月) 06:28:49.30 ID:gHclZhID.net
七将による「訴訟」だとすると幾つか問題が出る。
まず、七将が何を訴えたのか?っていうところ。
七将が要求したのは明らかに三成の死であって、他に何かを要求したという史料は一切無い。
次に、この事件は徳川家康・毛利輝元・北政所の三人による裁定によって家康案が可決された訳だが、これは明らかにそれまでの起請文や法的機構に反してる。
それまで、公事については十人衆の合議制だった。それが大老二人に豊臣血族によって裁かれた。
これらの事から、この事件は「単なる訴訟」では全く無いと言える。
白峰氏は「戦国時代に武装兵によって相手を殺害する訴訟は普通に存在した」事を知ってるから「単なる訴訟」と言ってるけど、
七将の行いは現代の訴訟とはかけ離れているし、もう少し言えば当時からしても「訴訟」とは言い難い。
三成は大坂から伏見に逃げ込んだ訳だが、「単なる訴訟」を起こされて何故逃げ出したのか?何故毛利に出兵を頼んだのか?
七将が三成を訴訟に託けて暗殺するつもりだったからに他ならないのではないか。

631 :人間七七四年:2021/04/12(月) 07:57:05.83 ID:aIL2LOAS.net
まず七将が三成を武力で攻撃することはできない。
自分の家臣なら兎も角豊臣奉行の三成への攻撃は謀反になる。
だから七将が三成を殺める為には何らかの伝統的な形式を満たさないとならない。
そこで七将は訴訟という形でこれを満たそうとしたのであって襲撃と訴訟は矛盾しない。

632 :人間七七四年:2021/04/12(月) 10:53:42.61 ID:ht+5CmuB.net
襲撃と訴訟は全然違うだろ
何屁理屈言ってんだこのバカは

633 :人間七七四年:2021/04/12(月) 11:13:39.50 ID:Bt88x7y9.net
>>631
当時の訴訟が慣習として兵を連れてって囲んでするのも訴訟だったってことだしこっから暴発的に戦闘になる事も充分あった
言ってる事はまともな人なら充分理解できる範疇よね

634 :人間七七四年:2021/04/12(月) 11:44:18.75 ID:ht+5CmuB.net
兵で囲む訴訟が当時の慣習とか初耳
そういう事例もあるという事ならわかるが
平和裏な訴訟はないわけね
兵で囲む訴訟の常態化を証明できる研究とか資料あんの?

635 :人間七七四年:2021/04/12(月) 11:44:51.79 ID:3iVRN86K.net
各自というか、石田三成たちは自分達が実権を握ることが、豊臣家の為だと思ってたというところなのかな。

自分の名誉とか気にせず、国益を考えた刎頸の交わりの藺相如のように生きれる人っていないのかな。

636 :人間七七四年:2021/04/12(月) 11:47:49.67 ID:aoyxsk24.net
中世の訴訟は自力救済(武力)が基本やけどな
実は室町戦国とマシになってきてるぐらい

637 :人間七七四年:2021/04/12(月) 11:50:35.00 ID:ht+5CmuB.net
自力救済が訴訟??
意味が分からないけど

638 :人間七七四年:2021/04/12(月) 11:56:04.28 ID:XAfq+RFf.net
>>637
訴訟と自力救済の関係を知らんとかむしろ驚きや

639 :人間七七四年:2021/04/12(月) 12:05:45.65 ID:ht+5CmuB.net
訴訟    紛争の当事者以外の第三者を関与させ、その判断を仰ぐことで紛争を解決すること
自力救済  司法手続によらず実力をもって権利回復をはたすこと
訴訟と自力救済は対義語

640 :人間七七四年:2021/04/12(月) 12:11:43.13 ID:duERKa2F.net
それは現代の法理論でしかない。
法の支配が後退した戦国時代から江戸時代初期までは慣習法がギリギリ生き残ってるぐらいで訴訟法も無い。
乱暴に言えば、権力者が吉といえばそれが法で権力者が悪と言えばそれは謀反になる。それぐらいに混乱した時代。

641 :人間七七四年:2021/04/12(月) 12:14:07.90 ID:bGWsU6TW.net
>>639
まずもって訴訟と司法手続きを混同してる時点で残念
そして中世において司法手続きなんてものがまともに存在し機能し得たかという歴史かじったレベルでの常識がある

642 :人間七七四年:2021/04/12(月) 12:25:12.86 ID:QhH7ooqE.net
七将が「平和的訴訟」をしたとすると次の疑問が出る。
何故三成は三日若しくは四日に大坂から伏見に移ったのか
何故七将は家康に訴状を提出したのか
何故家康と輝元、北政所のみで裁判が行われているのか
何故奉行衆は沈黙しているのか
まず、当時家康には申次権が無い。故に家康は訴状を受理する権限が無い。故に七将は残りの四大老と五奉行に訴える必要がある。何故家康を頼ったのか。
とは言え、これは法的な説明は出来る。七将には浅野長政という奉行が居るので、彼が「申次」そして家康に訴えたのだ。これなら(かなり無理があるが)説明出来る。
だが、何故家康と輝元で裁定が行われたのかは説明出来なくなる。十人衆起請文によって公事は全て合議制で行われる筈でこれは明確に違反した事態。当事者の三成・長政が不在なのは良いとしても他の大老奉行が居ないところで訴訟が進行してるのはおかしい。
またこれ程の行いに対して今まで必死に家康独裁を防いでいた奉行衆が何故沈黙するのか。
結論からいえば、これは「訴訟」では無く訴訟の皮を被った暴力であって、故に家康による超法規的措置が無ければ解決不能だと豊臣すら思っていたということになろう。

643 :人間七七四年:2021/04/12(月) 12:27:16.74 ID:ht+5CmuB.net
現代の司法手続や、法制度を当時の環境にあてはめないのは、それは当然
そんな事はわかりきった前提での話
>>634でも言ってるけど、当時は平和裏な訴訟など存在せず、兵で囲む訴訟が当時の慣習なわけでしょ
兵で囲む訴訟の常態化を証明できる研究とか資料を出してくださいよ

644 :人間七七四年:2021/04/12(月) 12:41:47.18 ID:QhH7ooqE.net
前のスレで所謂御所巻がそれだと言われておったろ。
有名なのが永禄の変。
永禄八年五月、俗に三好三人衆と呼ばれる者達が軍勢を集めて足利義輝を包囲し、訴訟を要求した。が、その時何らかのやり取りの結果足利義輝は三好軍に殺害され果てた。
この様に、暴力的に己の主張を押す事は可か不可かで言えば可能。
問題なのはそれをどう時の権力者に認めさせるか、という事になる。権力者が認めればこれは訴訟になり、拒絶すれば暴力、謀反になる。

645 :人間七七四年:2021/04/12(月) 12:46:12.64 ID:ZdLEQ2Q2.net
判決を有利にするため武力を用いる分かりやすい例が御所巻き
判決が出た後の執行に至っては武力を用いず素直に従う例を探す方が難しいレベルになる
中世の裁判沙汰は軍事力と切っても切れない関係で現代人の感覚で言えば国連の構造を想像した方が近い

646 :人間七七四年:2021/04/12(月) 12:48:57.37 ID:ht+5CmuB.net
>>644
よく読んでから書き込めよ
当時は平和裏な訴訟など存在せず、兵で囲む訴訟が当時の慣習なわけだろ?(>>633
兵で囲む訴訟の常態化を証明できる研究とか資料を出してくれと言っている
御所巻が、慣習、常態化の証明にはならないことくらいわかるだろ
むしろイレギュラーなケースだと思うが

647 :人間七七四年:2021/04/12(月) 12:57:51.97 ID:QhH7ooqE.net
まず七将は大坂の三成を囲んで自害を要求するつもりだった(これは七将の内浅野を除いて大坂に居たようだから確かだろう)。だが、その程度で三成が死ぬとは思えない。
そこで彼等は兵を突入させて「偶然」三成が死んだというシナリオを書いた。これは明文で禁止はされてないけど当然当時の法倫理には抵触する。
しかし七将は大坂城と交換でこれを家康に認めさせられると思っていた。前田利家の死によって大坂城は一時的に七将の預かりになってたらしく、毛利輝元は「大坂城に入れない」と書いている。
前提として家康と七将がこれ以前にやり取りしてた史料が無い事から導かれるのは、家康と七将はまだ仲間じゃないってこと。
両者は通謀していた訳じゃ無くあくまで政治的ゲームのプレイヤーに過ぎない。七将は家康が大坂城を捨ててまで正義を追う筈がないと踏んで計画を実行した。
だからこそ三成は逃げた。これは訴訟などでは無い。
七将に捕まれば間違いなく「自害」させられてしまう。
そこでなんとか、伏見の屋敷に逃げ込んだ。
さて大坂の三成襲撃隊はもぬけのからの三成屋敷を見て計画の失敗を悟ったが諦めない。逃走する三成を捕獲すれば「自害」させる事が出来る。
逃げる先は伏見の屋敷しか無いのだから必死に追いかけたが間に合わなかった。
ここで最後の足掻きとして伏見を包囲して(笠谷氏論文)「御所巻」の体を整えて三成の処刑を願う。

648 :人間七七四年:2021/04/12(月) 12:58:12.18 ID:frjaBq7M.net
>>646
執行まで考えたら平和裏に解決する訴訟の方が珍しいけどね
人質交換してる辺り三成が佐和山に帰って蟄居するまでの保険なんやろな

649 :人間七七四年:2021/04/12(月) 13:25:47.38 ID:R94K61me.net
この辺詳しそうなの喧嘩両成敗の誕生とかかね

650 :人間七七四年:2021/04/12(月) 18:50:22.81 ID:QhH7ooqE.net
単なる訴訟、ってのは例えば借金がどうのってレベルの話で
利権が絡めば強訴があるし、意地が絡めば御所巻だの何だのが出てくる。
何なら青田刈りしてくる連中までいるからね。
七将襲撃事件の時には奉行所も評定所も無い。
「訴訟」って言っても何処に訴状を出せば良いのか。
権力者の所に直訴するんだろうけど、それは権力者次第で法にも暴力にもなる(出来る)事を意味する。
てか厳密には七将襲撃は御所巻にすらなってないからね。
まず大坂を攻撃して、三成が伏見に逃げたから伏見を包囲したに過ぎん。恐らく訴状も無い(家康の七将宛書状にある「陳情」が七将にとっては訴状だったんだろうが)
訴訟なのは形だけな以上、七将の真意はかなり危険なものと見るべきじゃないか。
白峰氏はこれも当時は「単なる訴訟」だったと言ってるだけだし。

651 :人間七七四年:2021/04/12(月) 19:27:24.75 ID:kngYG6+5.net
豊臣家視点で見ると、訴訟という事にしないと不味いって方が正しいかも
この件を不当と断じて七将側を厳罰にすると、将来的に譜代になってもらわないと困る
子飼いが半壊という事態になるから、つまりただでさえ薄い家臣団がさらに脆弱になる
ならば三成一人に犠牲になってもらって子飼いを守る方が都合がいい
家康視点でも一応婚姻関係のある子飼いを守れるし、天下政権の第一人者である事で
立場を保証してくれている豊臣が崩壊するのは(この時点では)困るし
輝元視点でも誓紙を交わしている奉行が殺されるよりはマシな結末だし
なんというか、上層部の思惑による妥協的な結果だったんじゃないかと

652 :人間七七四年:2021/04/12(月) 19:49:47.29 ID:CCmClCcF.net
この事件から見ても従来の関ヶ原の三成首謀説ってイマイチしっくりこないな

家康と奉行間の摩擦はお互いに政治レベルで決着付いてる訳で家康的にも中央で邪魔にならなければ三成を始めとした小身の奉行衆は相手にならないし

653 :人間七七四年:2021/04/12(月) 20:01:07.67 ID:QhH7ooqE.net
万が一、七将を罰しようとして蜂起されたら負けはしないにしても大戦争になって大坂・伏見から人が居なくなって豊臣公儀の権威は失墜して戦国時代再びだからね。
十人衆起請文なんか無視して家康の交渉力に頼るしかない状態。
徳川としてもそれは避けたかった筈だし。

654 :人間七七四年:2021/04/12(月) 23:59:35.12 ID:NBxo0pBQ.net
>>636
まあ、その辺は封建制の社会だと微妙では有ると思いますが。
鉄腕ゲッツとかも、一面では言いがかりでご飯食べてた乞食騎士なんて見方も。

只、この場合は豊臣家の権威無視した行動にも見えますよ。
だって、太閤が生前に裁決した事の蒸し返しだし。

655 :人間七七四年:2021/04/13(火) 00:07:03.49 ID:Y87JIW8B.net
太閤が生前裁決したのを蒸し返したからなんだ
七将は自分らの名誉を回復したいだけだし、その行動は豊臣家から最終的に認められてるな

バカな陰謀論唱える前に研究少しは読んで、考えてから物喋れよ?

656 :人間七七四年:2021/04/13(火) 00:08:27.89 ID:Y87JIW8B.net
ああごめん、考えなくていいわ
アホの考え休むに似たりっつーし

研究読んでその陰謀論頭、少しはまともにしてから喋れ

657 :人間七七四年:2021/04/13(火) 00:39:59.84 ID:djBWAoij.net
七将が三成を襲撃したその根底には確かに朝鮮出兵での理不尽がある、それは確か。
ただ、これは秀吉が蒔いたタネが芽を出したという感じ。
加藤清正にしろ黒田長政にしろ、秀吉から理不尽な目にあってる。その怒りの矛先は秀吉には負けられない。
と、なると…

658 :人間七七四年:2021/04/13(火) 00:42:19.09 ID:Y87JIW8B.net
よくも悪くもワンマンな豊臣政権で秀吉のやった事が死後不満として噴出しただけよな

659 :人間七七四年:2021/04/13(火) 01:59:28.61 ID:aJalctgv.net
秀吉が種を蒔いちゃったのは確かだけれど、三成がそれを更に引っ掻き回してるかな
豊富滅亡への最善手を打ってるレベル

660 :人間七七四年:2021/04/13(火) 02:16:53.83 ID:uSh/5QRy.net
てか本来奉行という立場って主君の失策の責任代わりに背負って腹切るのが主な存在意義だしね
秀吉という異常に強い権力持ったバグが生まれたから、例え話みたいに三成自身にも凄い権限と権威があるって錯覚するのは仕方ないのかもしれないけど
システムのベースはどこから来てるのかって言えば、地侍の機嫌取りながらおっかなびっくり担がれてた戦国大名たちの施策なわけで
そういう背景考えれば不満持った連中が奉行襲うなんてなんのおかしいことでもないのが分かる

661 :人間七七四年:2021/04/13(火) 04:29:19.47 ID:nmQmluDS.net
いうて朝鮮出兵での讒言云々は三成直接関係ないだろう事は結構分かってきてるしなあ
三成だけじゃなく他の奉行も対象になってて三成が代表して罰を得てる様な感じやし
一体全体何を訴えてのものだったのかな?

662 :人間七七四年:2021/04/13(火) 04:53:14.51 ID:6Q2aeB7O.net
実際に讒言に関係ないかと当時讒言に関係してると諸侯に思われてたかどうかはまた別な訳だけど、どうなんかね

663 :人間七七四年:2021/04/13(火) 07:45:18.52 ID:djBWAoij.net
三成は平等なタイプの奉行じゃなくて割と依怙贔屓する性質だったって逸話が多い。
堀氏の一件や佐竹氏の一件、また福原なんかもそう。
三成は有能な取次でもあったから三成と繋がる大名からするとありがたい存在だったけど、敵対者も増えた。
七将らからすると「三成は依怙贔屓する奴」という風聞で既に死に値する罪があったんだろう。
現実として讒訴したかはある種どうでもよかったんじゃないかな。坊主憎けりゃ袈裟まで憎い、っていうか。
真実よりも憎悪は勝るっていうか。

664 :人間七七四年:2021/04/13(火) 08:27:52.48 ID:P+dT7kzy.net
依怙贔屓云々はそもそも三成の判断かって話だけど結局は後ろ盾を失ったら失脚する側近政治家のパターン

ただ三成の場合
秀吉は勿論だけど利家も後ろ盾として機能してたんだろうという事が事件から見てとれるぐらいに側近政治家としては人望が有る部類だと思う

665 :人間七七四年:2021/04/13(火) 09:54:30.97 ID:Y87JIW8B.net
利家は別に後ろ盾って訳ではないんじゃねーかな
利家死んですぐの事件だからって考えっしょ?
利家が死んで後ろ盾がないから起きたなのか、利家死んで治安面が緩いと判断されたからなのか、起きた事件からだとなんとでも読み取れちゃうぞ
何か後ろ盾してた、三成は利家と懇意でとか利家の命でなんかやってたとかわかるものはないの?

666 :人間七七四年:2021/04/13(火) 10:32:48.16 ID:Gp/Lkyl9.net
利家本人は三成の事を嫌ってたフシがある(利家夜話)けど
一応公的な場では衝突はしてないハズ。
(ただし、家康に三成の家康暗殺計画から向島への移転を勧めたりしてる。)
おそらく、利家は武断派諸将を唯一統制出来る人物だったんじゃないかな。
三成を襲撃した七将が家康派なら、利家が生きてようが死んでようが三成を殺せば良い。
それが利家が死ぬまで待ってたんだから、七将は利家の統制下にあったんだろう。
家康も利家も秀吉死後体制を動揺させないように努めてたけど、利家が死んでしまい…

667 :人間七七四年:2021/04/13(火) 13:26:49.05 ID:ajCpSe4K.net
利家が家康に向島への移転勧めたのって三成のせいなの?
懇意どころか三成危ない奴だと思われてるんじゃん

668 :人間七七四年:2021/04/13(火) 14:18:10.56 ID:djBWAoij.net
石田三成ら(他の面子は不明)が徳川家康を暗殺するという風聞があって、これを憂いた前田利家が家康に話して向島城に引越しになったらしい。実際、当代記でも利家に会った後移動してるし。
細川忠興軍功記だと、細川忠興が「前田と徳川が争えば利するのは三成」と両家融和の為奔走し、
そこで「家康の屋敷は不用心なので向島に移るべきでは」と言って実現させたことになってる。

669 :人間七七四年:2021/04/13(火) 19:08:39.85 ID:Qa1bty4b.net
それらの逸話は史料的には信頼に足るん?

670 :人間七七四年:2021/04/13(火) 20:05:31.14 ID:Gp/Lkyl9.net
現実として家康は向島に移ってるんだから信用せざるを得ないじゃろ。
否定する一次資料が出るまでは…

671 :人間七七四年:2021/04/13(火) 21:15:19.08 ID:h7XF6Jt7.net
>>666
利家に近江が与えられようとしたとき
「あやつにそんな京大坂に近い領地を与えなさるのは危険ですぞ」
って光成が秀吉に言ったんじゃなかったっけ。

672 :人間七七四年:2021/04/13(火) 21:44:30.14 ID:Y87JIW8B.net
さすがにその辺のは出典からして怪しすぎるやつじゃね

673 :人間七七四年:2021/04/13(火) 21:44:53.30 ID:Gp/Lkyl9.net
確かそれも利家夜話だったからな。
その後秀吉死んで三成は他の奉行衆に黙って利家と仲直りしたから奉行衆はキレたらしい。

674 :人間七七四年:2021/04/14(水) 04:16:39.05 ID:3iawbSjR.net
三成の実像が江戸期に歪んだのがよく分かるな
スケープゴート説は昔から有力だったから今更だが

675 :人間七七四年:2021/04/14(水) 04:37:09.42 ID:+EOHg3aj.net
>>663
公平って感覚も、その時代に即した意味での公平ですからね。
現代的な感覚での依怙贔屓が当然だと思ってる人には、現代的な意味での公平なさばきは依怙贔屓に
見えるって矛盾が有るんだよ。

豊臣家の場合、奉行衆と敵対関係に近いのは尾張系の大名ですが、これは自分たちは持っと贔屓
されるべきって意識と繋がる気がします。

奉行衆に好意的なのは豊臣家中では新参の大名が多いですけど、これは公平だからこそ古参の
妬みを受けたように思えます。
猶、公平に見て尾張系は能力に問題有りな人が多い気がするね。

人前で太閤を侮辱して処刑された尾藤とか神子田とか、本来なら1000石とまりでしょ。

676 :人間七七四年:2021/04/14(水) 04:46:29.64 ID:+EOHg3aj.net
>>655
だから、太閤の生前の裁決を蒸し返して、徳川に訴状ってねえ。

これ言い方変えると、徳川の武力背景に俺たちの言い分通せって意味にも取れますよ。
前田利家の死去で豊臣政権は崩壊したとみて、徳川に乗り換えたとも見える。

ほんの一月前、前田利家の生前に同じ事してたら全員謀反扱いで改易斬首な事なんだし。

猶、意外とこの辺説明されないと見過ごしですが、伏見は太閤の隠居城で死去も伏見城ですよ。
直前まで事実上の豊臣家の本城だった訳だよ。

それを前田死去後、わずか10日ばかりで占領は事実上クーデターでしょ。

677 :人間七七四年:2021/04/14(水) 06:34:53.63 ID:8Gs+iRV2.net
実は徳川はそんなに三成の事を嫌ってない。
三河物語でも「なんで助けてあげたのに謀反なんかしたんだろ?」って書き方してる。
そして諸将からの憎しみが凄い。

678 :人間七七四年:2021/04/14(水) 09:33:08.03 ID:ZGVu4xLN.net
>>676
何度も何度もこのスレで否定されたことを根拠ゼロの思い込みで蒸し返すバカのがよほど頭おかしい
ついでに優しい人がいい話スレのところに家康の伏見入城について、奉行らが招いた事を史料付きで上げてくれてるわ

よく読んで二度とそのボケた口聞くな

679 :人間七七四年:2021/04/14(水) 09:40:32.64 ID:ZGVu4xLN.net
>>675
お前だけが正しいとお前の中だけで完結させたいなら鍵垢でやっとけ
家康が秀吉がどうこうレベルの話じゃねーよお前のその態度
納得させたいんじゃねーだろお前、自分は認めませんって駄々こねて悦に入りたいだけだわ

主張するなら研究持ってこい、否定されたものを根拠も持ってこず何度も持ってくる恥知らずなマネするな、主観と客観の区別くらいつけろ
この程度ができないのに他人と関わろうとするな、お前のやってる事世間では完全にキチガイの部類だから、常識から学びなおしてこい
学べるまで二度と来るなよ

680 :人間七七四年:2021/04/14(水) 09:45:26.99 ID:ZGVu4xLN.net
>>677
朝鮮出兵からの撤兵も家康の指示で三成らが動いて撤兵成功させてるしね

681 :人間七七四年:2021/04/14(水) 10:09:50.74 ID:Cf8fXDEw.net
出典の信憑性が疑われがちな三河物語じゃなくても
黒田官兵衛の吉川広家宛書状で秀吉のことを、私はそうは思ってないんだけど世間じゃ評判の悪い殿とされてるみたいな記述あるね(吉川家文書)

682 :人間七七四年:2021/04/14(水) 12:21:02.86 ID:MBDDdzDf.net
なんだその悪口…
秀吉もなぁ、朝鮮出兵なんかせんでもよかったろうに…

683 :人間七七四年:2021/04/14(水) 12:46:52.06 ID:MBDDdzDf.net
諸将が三成の事を憎んでいた話は山ほどある(てか宣教師にすら知られてるのって何しでかしたんだろ)
だが家康が三成を嫌ってた逸話って無いんだよな。逆は山ほどあるんだが。
家康からすると三成は何か暗躍してるけど単なる有能な官僚の一人に過ぎなかったのかも。

684 :人間七七四年:2021/04/14(水) 13:42:11.64 ID:mV23+qPO.net
家康は豊臣家の家老で
三成は豊臣家の奉行やからな
(主に立場の悪い三成から)政治的に含む所はあっても行政的には一緒に仕事をする仲間でもある

685 :人間七七四年:2021/04/14(水) 13:49:23.47 ID:ViOtf5Oq.net
>>681
秀吉が死んで約一ヶ月後の慶長3年9月15日付宛の吉川広家宛黒田如水書状だな
「我等事ハ、上様へのふそくもなく候、世上ふのあしき殿にて候」

686 :人間七七四年:2021/04/14(水) 14:27:45.14 ID:MBDDdzDf.net
奥歯になんか詰まった言い方なのはやっぱ秀吉って悪い奴だわって言うとなんか難事を引き起こすからなのかなぁ。
そしてその「悪しき」は全部三成に降り掛かるという…

687 :人間七七四年:2021/04/14(水) 15:14:57.65 ID:TEakLTCk.net
三成は自業自得よね
小賢しい小悪党が策士策に溺れただけ
ただの有能な一官僚として過ごしていれば良かった

688 :人間七七四年:2021/04/14(水) 15:17:33.68 ID:sUtLHizR.net
三成の悪評の原因を秀吉に求めるっていうのは
現代人目線のただの印象論だよね

689 :人間七七四年:2021/04/14(水) 15:20:22.23 ID:JGRDc+3P.net
>>687
権力を握った有能な官僚が嫌われて後ろ盾無くした途端に失脚するのは古今東西のパターン
三成だからという個別の話とは少し違う

690 :人間七七四年:2021/04/14(水) 15:43:29.87 ID:sUtLHizR.net
>>689
そういうパターンが物語として目立つってだけでは?
順当に次世代に移行した有能な官僚の方が一般的だからこそ

691 :人間七七四年:2021/04/14(水) 16:06:38.72 ID:+5d0Rgcf.net
>>690
まず官僚政治家自体が目立つ事自体が稀な上に危うい
目立つほど権力を握った官僚政治家が権力を維持する為には後ろ盾と血縁関係を結ばないと難しい

692 :人間七七四年:2021/04/14(水) 18:01:53.75 ID:BICUn7QI.net
>>691
三成はその方向だったらあと一歩だったんだけどな
息子が普通に豊臣に出仕していたはずだから、自身が失脚したとしても
息子の後見人として間接的に政権復帰する事は充分可能だったはず
重家自身も結構優秀だったというし、詳しくは知らんが家康との関係も
決して悪くなかったと聞いたことあるが

693 :人間七七四年:2021/04/14(水) 18:09:35.85 ID:0gwsBT55.net
>>678
だからそれは、既成事実作ったうえでの記録の粉飾って古来からある手口ではないかな。
徳川が勝手に持って来た増援伏見に入れた時点で、伏見は徳川軍に事実上占領されてますよ。
後に成って奉行が招いた事に記録粉飾したとこで徳川が占領した事実は同じでしょ。
プロパガンダって解釈は曲げられても、事実を曲げるのは厳しいんで。

なお、アウグストゥスは寛容で有名ですが内戦時に処罰者名簿で反対派を物理的に消した事は
皆忘れてます。
元老院会議で堂々と野次受けたところで、彼だけが護衛つれて元老院に行き近衛隊を組織し
護民官特権で拒否権使える訳で。

首都で軍事力持ってるのが彼だけの時点で共和制の実は消滅してます。

同じ様に徳川家の私兵が伏見占領してる時点で、上方は徳川家のクーデター舞台に占領されてる訳でして。
しかも豊臣家の費用で。

694 :人間七七四年:2021/04/14(水) 18:38:11.13 ID:MBDDdzDf.net
>>692
三成がなんで西軍に参加したかは良くわからんけど、
七将ら武断派が徳川を主と定めた事で政治バランスは完全に崩壊、復権の可能性無しと見て覚悟した可能性もある。
どのみち家康が死ねば三成が生き残る可能性は少ない訳で(七将襲撃事件で命拾いしたのは家康が七将を説得出来たから。つまり家康亡き後は七将らに…)
どのみち死ぬなら内府諸共と考えたのか。
一つ確かなのは毛利が三成を誘ったのはいざって時の生贄羊だったこと。

695 :人間七七四年:2021/04/14(水) 20:00:39.14 ID:unJJjbZn.net
萩藩閥閱録に拠ると輝元も十人連判の誓紙の直前、大軍を上方に上らせているんだが
それな無視か

696 :人間七七四年:2021/04/14(水) 20:24:55.49 ID:94gb6Ejx.net
>>693
記録の粉飾なら粉飾ですと証明しろ
俺の好みの史料しか認めませんそれ以外は作られたやつとか寝言言うな、キチガイ
研究持ってこい、それ以外の言い訳は何もいらん
言われた事もできない、理解できない頭で他人に何か解くとか噴飯ものなんだわ

697 :人間七七四年:2021/04/14(水) 20:28:26.82 ID:94gb6Ejx.net
議論したいなら議論の土台に上がれ
議論の土台は朝いった通りのことをするのであって、たとえ話と思い込みでそれこそ粉飾することではない
それができないのなら、自分は議論のぎの字もわからないで他人に迷惑かけてんだと自覚して勉強してこい

お前の言い訳にもならん妄想何度も聞かされても1ミクロンも他者は納得しない、舐めんな

698 :人間七七四年:2021/04/14(水) 20:31:02.75 ID:SDWLP3/K.net
>>676
>前田利家の生前に同じ事してたら全員謀反扱いで改易斬首
奉行の地位に対する過大な認識がまだ治ってない

699 :人間七七四年:2021/04/14(水) 20:39:20.59 ID:SDWLP3/K.net
>>693
事実を曲げるのは難しいって事実があったことを証明してからいうもんだぞ
今んとこ君が話してる内容は、もっと説得力のある可能性はいくらでもあるけど無かったことは証明できないから小説のネタとしてはギリ許される程度の内容

700 :人間七七四年:2021/04/14(水) 20:48:27.28 ID:SDWLP3/K.net
>>675
むしろ現代じゃ公権力でも押し通せないような贔屓を一官僚の一存でしてるよね?
どの辺を見て三成が公平だと判断したのかさっぱり分からないけど
むしろ取次が関係の深い相手を贔屓しない方と考える方がおかしいでしょ
訴訟で勝たせてやって良好な関係築いた方が後々の交渉に都合いいのは明白だし
地方の揉め事の裁定って中央での政争の代理戦争って側面もあるから自分の格も上がるし

701 :人間七七四年:2021/04/14(水) 20:57:18.48 ID:MBDDdzDf.net
まぁ取次って語弊があるかもしれんが弁護士みたいなもので取次相手が伸びれば評価も上がる。
逆に潰れてしまうと余程の訳がないと評判下がる。

702 :人間七七四年:2021/04/14(水) 21:05:55.88 ID:ZGVu4xLN.net
研究持ってくるか黙っとくか、それ以外はない
それ以外の事しても決して前を誰も認めない、それだけのことをしでかしてる程度のことは理解しとけ例え話

703 :人間七七四年:2021/04/14(水) 21:58:56.01 ID:MBDDdzDf.net
まぁ実際、七将のやった事ってのは家康頼みの強訴だからね。
複雑なのは、家康が七将に命令したんじゃなくて七将の方が勇足的に家康の力を借りたって点。
家康と七将が閏三月以前に通信した史料及び形跡がまだ無い事から計算すると、七将は前田利家が死んだらまず三成を殺す事にした。
不倶戴天の敵、三成を殺害するにはまず時の権力者、この時は徳川家康を頼るしか無い。そこで訴訟という形で自分達は裁かれない様にした。
七将と家康は仲間じゃないから取引材料がいる。そこで七将ら前田派は大坂城を徳川に渡す事と自分達の武力で交渉する。(だから三成襲撃事件後、毛利勢は大坂城に入れなかった)綱渡りの攻防だが、家康がそこまで厳しい沙汰は下さないと読んではいたろう。
これを受けて家康は七将を宥めるが上手くいかない。そこでなんとか三成の隠居と朝鮮出兵の再査定、関係者の処罰で落とし所を作ったと。家康の裁定は理不尽でも何でもないからこの裁定から家康黒幕説を主張するのは難しい。

704 :人間七七四年:2021/04/14(水) 22:01:29.60 ID:MBDDdzDf.net
この裁判に加わったのは毛利輝元と北政所で、
北政所は家康裁定を支持したので家康の公平性が立証され株が上がった。
問題は輝元で彼は何かが気に食わなかったらしい(書状で「気分が悪い」とか書いてたはず)
輝元が何を望んだかはわからんけど、彼の立場からして三成は無罪放免、七将ら厳罰を望んだのだろうか…

705 :人間七七四年:2021/04/15(木) 00:10:08.43 ID:TBLZq6UC.net
そりゃ秀吉命令の別家創設を聞きたくない輝元にとって頼みの手段だった奉行使って秀吉の遺言の国割をうやむやに、ていうか割譲する場所替える(慶長4年1月23日の石田増田連署国割状)って手段が
三成の失脚でポシャるかもしれない訳だしな

706 :人間七七四年:2021/04/15(木) 05:41:14.17 ID:XA8Tx6K8.net
匿名掲示板だから良くないんだろうな。相手の背景や学力レベルが分からないから、汚い言葉を平気で吐く。
ちなみに、私は他人をゴミやニートと勝手に認定したことはないし、あなたたちの意見が私と違うという理由だけで、汚い言葉を書くことはない。
言論の自由があり、他人の言説に反論するなら論理的に反論すべきだろう。中傷したり同調圧力をかけるのではなく。
それと、あなたたちが同レベルの個人情報を公開するなら。私も色々公開して構わないよ。
私は学力の高低と発言権は関係がないと思うが、そういう考えの人ばかりでないなら、自分の能力を客観的に示せるものを公開した方が話は早いのかもしれない。

707 :人間七七四年:2021/04/15(木) 09:26:07.48 ID:TBLZq6UC.net
論理と実証で反論しろと言われ続けてるのにしないから散々言われてるんだが
それすら理解しないで被害者でございは通らんわ
お前こそいい加減自分の行動がどんだけ他人バカにしてるか客観視しろよ
お前の個人情報とかいらんわ、ずっと求められ続けてるのは論理的に議論するために必要な主張に対する裏付けになる研究であってたとえ話と思い込みじゃない
言論の自由と無責任の区別くらいつけてから匿名掲示板に書き込めや、散々無責任で失礼かましつづけて相手が怒ったら自由だろとかナメてんだよ、お前は相手を

708 :人間七七四年:2021/04/15(木) 09:34:21.58 ID:TBLZq6UC.net
んで、持ってくることができなかった訳だ
結局ろくに研究を一つたりとも
研究調べる時間はあったな、なんなら数年前から言われつづけてることだ

それで持ってこないんだから、お前は口で詭弁弄してても実際やってることは議論なんかしたくないです僕の妄想通らなきゃイヤですって稚拙なことしかできない、人として最低限のこともできないクズだって自分で証明した訳だ

もう、二度と書き込むな
お前は誰からも信用されないし信用に値しない事自分でやったんだから、自分の吐いたツバの責任くらい自分で取れ

709 :人間七七四年:2021/04/15(木) 09:38:20.08 ID:9lLzAAQQ.net
毛利があっけなく徳川に従ったのも太閤遺言を通されると領土が大幅に減ってしまうから何とか家康の許しが欲しかったのかなぁ

710 :人間七七四年:2021/04/15(木) 10:27:14.47 ID:q+UFgaAY.net
近衛書状で毛利が領地半減で手打ちしてる(あくまでも吉川の主張通り西軍挙兵に巻き込まれた立場の場合において)のが確認できるので、普通に途中から生存にかじ切ったんでしょ
このまま西軍についてても泥船だし

711 :人間七七四年:2021/04/15(木) 10:35:12.02 ID:bj1FV8ku.net
それもそうなんだが、
七将襲撃事件の裁定後に輝元は家康と起請文を取り交わしてる。
その中で家康は輝元を兄弟と呼び、輝元は家康を親と呼んでる。
つまり輝元は七将襲撃事件の裁定が不満だったけど、家康に屈服する事を選んだ訳で。
家康や武断派が秀吉の裁定の再査定も出来る(そしてそれに豊臣は正統性を与える)訳でここで毛利の領土争いが俎上に上がるとマズイと思ったのかなと。

712 :人間七七四年:2021/04/15(木) 11:09:15.90 ID:t+QKNuDA.net
ああ、従うって七将騒動後の父や兄のように慕いますって起請文の方か
君の言う可能性はあるね、少なくとも家康は普通に従ってくれる分には甘々な裁定を下してるし
間違いなく秀吉遺言を違反した国割を失脚した奉行と約束しちゃったのに無理してやぶ蛇ついてもって判断は勿論あり得る
この辺りはもうちょい史料根拠が欲しい所だけどね

713 :人間七七四年:2021/04/15(木) 11:20:39.77 ID:bj1FV8ku.net
いやこっちこそ言葉が足らんかった(まぁ輝元ちゃんが何度も家康に臣従してるのがややこしいわ…)
石田三成と毛利輝元が繋がったのは、家康と戦う為に兵隊が欲しい三成と秀吉の遺言を反故にしたい輝元の利害が一致したからって説があったはずだし、
家康が強いってか輝元が弱味を持ち過ぎだったのかも…

714 :人間七七四年:2021/04/15(木) 14:40:15.23 ID:EUi/ekPo.net
医師になるのは、めちゃくちゃ簡単だよ。
どんな馬鹿医大でも国家試験の合格率7割以上はあるし、自治医大以上ならほぼ100%。

弁護士の場合は難関ロースクールを卒業しても、国家試験を通るのは10%程度。

医師になるには金と時間がかかるが、試験自体は簡単。
うちは従兄弟三人医師になったが、英検二級すら落ちるレベルの頭だからね。

医師国家試験の合格率ランキング見てみ。
一番低い帝京大学ですら、79.4%。

奈良県立大以上の偏差値の25校は95.0%超え。

これのどこが難関試験なの?
医学部に学費を支払える財力のハードルが高いだけで、医師にはバカでもなれる。

弁護士、司法書士、会計士、英検1級あたりは、バカには絶対に無理。

まとめると
医師国家試験→バカでも受かる。しかし、医学部6年間で1,000万以上かかる学費のハードルが高い。
司法試験→ロースクール卒業しても、合格できるのはごく一部。非常に難関な試験。
司法書士→ロースクールに行かなくても受験できるが、難易度は司法試験並み。
英検1級→英語がずば抜けて優秀でないと合格できない。英語の偏差値100必要。(実際にはそんな偏差値はないが)
会計士→おそらく、最難関試験か。会計大学院修了者の合格率は7.6%しかない。
不動産鑑定士→鑑定理論が地獄。単体の科目としては最難関の一つ。経済学などは公務員試験より簡単か。

715 :人間七七四年:2021/04/15(木) 21:35:34.58 ID:qY5gV/Oo.net
>>706
>私は他人をゴミやニートと勝手に認定したことはないし、あなたたちの意見が私と違うという理由だけで、汚い言葉を書くことはない。
偉い。例え話に爪の垢でも煎じて飲ませたい
例え話は根拠を示さず妄想書き連ねた挙句、それに無条件に頷かず論理的に反論してきた人間に対して
神君史観だの権現信者だのレッテル貼りをするからな…

716 :人間七七四年:2021/04/15(木) 21:43:48.05 ID:sBVEmkjg.net
そういえば秀吉死後、
政治機構はどうなってたんだろ。
起請文上は十人衆が合議することになってたけど、
家康は秀頼の大坂移動と利家の見舞い以外で伏見から移動してない訳で。
仮に伏見城本丸が空白なら、諸将は伏見の家康屋敷に長蛇の列ってわけ?
なんか何か起こりそうなきがするなぁ。

717 :人間七七四年:2021/04/15(木) 23:12:43.75 ID:TBLZq6UC.net
利家没前の実際の訴訟とその裁定の様子か
貴族あたりが日記に書いててくれてるかな

718 :人間七七四年:2021/04/16(金) 07:34:37.15 ID:JVjn7JCo.net
十人衆と言っても、政治的力量も格も差があるからなあ
大老だけでも、自分の家中も纏めきれない秀家とか、領地の分配で秀元と揉めていた輝元とか
力量に疑問符つきなのが多いし

719 :人間七七四年:2021/04/16(金) 07:47:19.82 ID:ucltk6Zx.net
宇喜多毛利は家中で揉めて
上杉は領地経営で忙しい
家康利家の二頭体制みたいなもんやろ
(家康が決済して利家が承認みたいな感じ)

720 :人間七七四年:2021/04/16(金) 08:05:52.25 ID:6Sci/tFw.net
宇喜多騒動も結局家康に解決して貰った感じだしな
領地問題の方は家康の介入を輝元は警戒してたんだったっけ?
あと朝廷だと最終的には流れたけど、讓位問題で家康と他の連中が割れてたよな

721 :人間七七四年:2021/04/16(金) 09:12:44.28 ID:QPvbSx8W.net
家中まとまっててフリーハンドで動ける大老はまじで徳川しかいないな
前田も利長利政間とか横山長知とかで家中不和が起きてるが、これは利家死ぬまではどうだったんだろうね

722 :人間七七四年:2021/04/16(金) 09:36:07.62 ID:6Sci/tFw.net
秀忠と秀康の不仲説とかあるけど書状とか見ると
普通に仲良いよなこの兄弟

723 :人間七七四年:2021/04/16(金) 09:41:54.74 ID:/8m76pa9.net
実際家康の統治能力半端ないよ
三河以来の家臣団だけでなく今川武田北条という戦国の巨人三家の遺臣を吸収して
少なくとも表立った不和騒動を起こすことなく源平の昔から火薬庫だった関東統治してたんだから
これで運が良かっただけだのタナボタだのなんてよく言えると思うわ

724 :人間七七四年:2021/04/16(金) 09:47:14.47 ID:lZnDfbqN.net
>>723
関東統治してたのは主に秀忠で
火薬庫だった関東統治の基盤を作ったのは氏康氏政やけどな

725 :人間七七四年:2021/04/16(金) 10:40:10.94 ID:XUkJo86t.net
ということは、秀吉が家康に関東を与えたのは左遷ではないんだな、やはり

726 :人間七七四年:2021/04/16(金) 10:56:37.73 ID:gN1fvohC.net
>>725
一応は近畿東海から遠くに離れてもらう意味はあったと思うよ
ただ当時は家康が信玄並みに無理してた影響で三河遠江が荒れ果ててたからね
土地に根付いた配下はともかく家康自身は豊かな関東に移った方がやり易い事も多かったやろな

727 :人間七七四年:2021/04/16(金) 10:59:40.89 ID:QPvbSx8W.net
今から関東東北の関係調和してもらって秀次のフォローまでしてもらおうって相手を左遷はしないよ
官位も秀長と同日同官位の大納言にしたり移封後も三河に影響力を残すお墨付きを与えたりと、めちゃくちゃ厚遇してるし重用してる

728 :人間七七四年:2021/04/16(金) 11:14:54.25 ID:LG5unZNP.net
twitterとかでも見かけるけど、何が何でも家康秀吉対立論や家康陰謀論に持っていきたい人とかいるからなぁ

729 :人間七七四年:2021/04/16(金) 11:37:52.42 ID:SiK4QaTq.net
秀忠ってまだ二十前の年齢で宇喜多秀家よりも若かったんだが
そんな若輩でも治めることができるくらい当時の関東は穏やかだったのか
北条の統治と秀吉の仕置で火種が無くなっていたのかな

730 :人間七七四年:2021/04/16(金) 11:40:02.14 ID:gw9Rsi+4.net
今週の歴史探偵がなかなか面白かったな
番組で取り上げられた後詰の総大将(番組では秀頼)を迎えるために玉城が大改修されてたという話や関ヶ原頃の一次資料研究を基に考えると
巻き込まれた三成という印象がどんどん強くなっていく

731 :人間七七四年:2021/04/16(金) 11:46:00.13 ID:gw9Rsi+4.net
>>729
家康はあまり江戸に居ないから実際そういう事なんやろな

732 :人間七七四年:2021/04/16(金) 11:50:42.40 ID:5y8UuapK.net
秀忠は若年だが一人でやるわけじゃないからな

733 :人間七七四年:2021/04/16(金) 12:04:29.30 ID:QPvbSx8W.net
歴史探偵は話半分で聞いといた方がいいよ
あれ玉城と考えるには城の形が古い(主郭の土塁跡がない点や尾根の堀切がない点)という話もあるし、なにより関ヶ原の戦い以前に城があった可能性を完全に無視して喋ってるのがナンセンス、そもそも築城する時間猶予が西軍には殆どないしね
発掘研究がしっかり進むまでは飛ばし記事的に見る方がよさげ

734 :人間七七四年:2021/04/16(金) 12:24:22.28 ID:3yZvM3fY.net
家康が関東に移された後に、浅野長政が甲斐に転封されて取次の役目についてる。
これは家康が周辺諸国と結び付かない様にする為の秀吉の政策って説が強い。
家康に関東を与えたその内心はわからないけど、少なくとも家康を十全に信頼してた訳では無いんだろう。
…まぁ秀次事件で全部無に帰す訳だが…

735 :人間七七四年:2021/04/16(金) 12:30:35.90 ID:H45orLdo.net
>>734
そりゃまだキレキレだった頃の秀吉が少し前まで滅ぼす直前だった家康を全面的に信頼する訳無いわな

736 :人間七七四年:2021/04/16(金) 17:32:10.55 ID:xliy9vtr.net
>>712
起請文wwwww、あのさ起請文一番馬鹿にしてる人が盗将大権現だろうに。

秀吉の生前に何枚起請文書いたよ、死後には書いてないよね、当然さ意味が全然違う。

秀吉の生前の起請文は、太閤の権威を認めるって意味だが死後書いたら秀頼の権威認めちゃう。

そりゃあ書きたくないよな、家来だなんて思ってないし。

737 :人間七七四年:2021/04/16(金) 19:15:49.99 ID:3yZvM3fY.net
>>735
まぁ後、厳密には一緒にしちゃいけないんだろうが、
小早川秀秋が減封処分にされた時に、その後には石田三成が入る予定だったらしい。
これは結局果たされなかった、三成が断ったかららしいんだが…
問題はその理由で、おそらく秀秋の旧領は朝鮮出兵の最前線って事を考えてそこを三成に与える事で三成に朝鮮出兵に積極的にさせる一種の毒饅頭だったからじゃないかとか言われてる(三成は朝鮮出兵に反対していた)
確か蔵入地は三成預かりになったらしいけど、秀吉の厚遇にはそれなりの意味があると思っていいのかも。
でも、だとすると何で三成達は秀秋を西軍だと思ってたんだろ絶対こんなの東軍やん…

738 :人間七七四年:2021/04/16(金) 19:30:29.70 ID:np9GehCk.net
慶長3年5月22日付の大音新介宛石田三成書状では
「内々に筑後・筑前を下され、私を九州の領主に任じられるとのことだったが、そうすれば佐和山に置く人もなく、
畿内で(上様が)御用を申し付ける人も少なくなる故、私はそのまま佐和山にいるようにと御意があった」
と九州行きを断った理由を述べてるな

739 :人間七七四年:2021/04/16(金) 19:33:08.28 ID:7J+Gs0L1.net
>>737
一応途中までは西軍と一緒に行動しとったからしゃーない部分はある
叛意が明確になったのは松尾山占拠の時だから裏切るタイミングが完璧な秀秋を褒めるべき

740 :人間七七四年:2021/04/16(金) 19:34:38.85 ID:mgrS0ey8.net
>>313
>三成は邪魔者がいなくなったら天下を狙おうとする危険な奴

家康寄りの創作で、昔から家康派の武将が中立武将を説得するために使ったとされる論理の定番だったやん、それ昔から

つまり昨今のネットでの歴史談義ではむしろバカにされるような部類の話

かえって胡散臭い

741 :人間七七四年:2021/04/16(金) 20:33:57.42 ID:4gKpzqkF.net
研究一つろくに読まないで起請文バカにすればする程自分はろくに調べてませんにしかならんぞ
自分自身が如何に発言に信用置けない人間なのか証明したいのか

742 :人間七七四年:2021/04/16(金) 20:43:54.85 ID:4gKpzqkF.net
研究持ってこないわ論理的な否定もできないわになったら口汚く研究対象を罵り始める
見下げ果てたやつだな、誰もお前のことまともに取り合わねーよ、たとえ話キチガイくん

743 :人間七七四年:2021/04/16(金) 21:31:45.97 ID:3yZvM3fY.net
>>738
秀吉が加増を断ると改易(織田信雄とか)してくるって考えると割と危険な行動な気がするけど三成はよく断ったのぅ

744 :人間七七四年:2021/04/16(金) 22:22:58.93 ID:QPvbSx8W.net
秀吉の晩年、三成干されてるって話なかったっけ
添え状の発給が減ってるんだっけか

745 :人間七七四年:2021/04/16(金) 23:32:25.29 ID:7Dum5RlX.net
三成は朝鮮出兵反対派だったので干された説はある。
まぁなのに出征組の憎悪が行ったのは理不尽なのかなんかやってたのかは不明だが…

746 :人間七七四年:2021/04/16(金) 23:44:53.64 ID:YLsSS09K.net
>>741
ちゃんと解説してるのに、真面に読んでないのは誰だよ。
起請文は、起請文強要出来る力関係を表してるだけに過ぎませんよ。

起請文破って神罰が下るなら、家康は75歳までいきてませんって。

747 :人間七七四年:2021/04/16(金) 23:56:08.79 ID:np9GehCk.net
朝鮮上陸から3,4ヶ月後の天正20年7月〜8月に書かれた長束ら日本在国の奉行に宛てた増田・大谷・石田連署状案も
かなりネガティブな内容でもし秀吉の目に触れてたら三成らは何らかの処分をされてた可能性もあるな

・兵糧の欠乏
・明の先手になる者は朝鮮に誰一人いない
・城を奪っても守備兵がおらず無人の城で連携は取れない状態
・このまま勝ち続けても日本軍も無傷ではなくいずれ人がいなくなる

748 :人間七七四年:2021/04/17(土) 00:15:06.69 ID:57U40lVV.net
解説にもなってない思い込みで喋ってるやつなら見た
起請文に神罰があるなんて話も誰もしていない、頭足りないんだから喋るな

749 :人間七七四年:2021/04/17(土) 00:17:41.61 ID:57U40lVV.net
そういえば、危うく腹詰めさせられかけてた対明交渉役の小西だけど
石田の対明交渉っていつからいつまでだっけ

750 :人間七七四年:2021/04/17(土) 06:37:53.07 ID:bnUnSWd2.net
>>749
文禄の役までは軍目付だったけど、
慶長の時には日本で待機してたはず。
詳しい同行まではわからんが…

751 :人間七七四年:2021/04/17(土) 10:23:03.43 ID:57U40lVV.net
>>750
ありがとう、やっぱ慶長の時は対明交渉役じゃなくなってるよね

752 :人間七七四年:2021/04/17(土) 12:55:51.33 ID:oBG6a/zb.net
石田三成の慶長年間の全ての動きを見た訳じゃ無いんだが
三成は慶長三年一月に上杉家会津転封に伴い会津入りして手続きをしてる。
対明交渉を全くやってない証拠にはならないかもだが、
三成が朝鮮出兵から降ろされてる可能性が高い。
…だけど、慶長三年五月に福原長堯が三成に送った書状にちょっと気になる箇所がある。
所謂蔚山城救援問題で蜂須賀・黒田が処分されて福原らには加増の沙汰がある訳だが、
福原は三成に「(豊後を加増する)ありがたい沙汰がありこれはきっとご配慮いただいた結果…」と送ってる。
ご配慮したのが秀吉か三成かちょっとわからんけど、
三成がなんかしたのだとすれば彼は隠然と力を振るってた事になる。
この当時三成は京に居ない(会津より帰国途中)。ただ、書類を送る事は出来る。つまり完全に中央とコミュニケーション取れない訳じゃ無い(現に福原は送ってるわけで)
もう一つある考え方は福原が三成が助けてくれたと推測して書いた可能性。こっちも無い訳じゃ無い。

753 :人間七七四年:2021/04/17(土) 14:07:10.06 ID:svNljmgC.net
なんかスレ違いの話題多い

754 :人間七七四年:2021/04/17(土) 14:08:38.80 ID:57U40lVV.net
面白い書状だけどその書状だけだとどうとでも取れてしまいますな
福原が何に対して配慮と言ったのか、これは研究進まないとわからんでしょうな

755 :人間七七四年:2021/04/17(土) 15:11:59.37 ID:JTKWmUNf.net
>>753
確かに秀吉死後の話では無いけど、秀吉死後大して時間も置かずに発生した事件の原因が
秀吉生前にあると考えてそっちから根拠探すのは別におかしいことでは無いんじゃね

756 :人間七七四年:2021/04/17(土) 16:47:47.96 ID:svNljmgC.net
>>755
それ無理矢理だよ。なら違うスレタイに変えればいい。
本来のスレ進行の邪魔にる

757 :人間七七四年:2021/04/17(土) 16:48:15.09 ID:svNljmgC.net
になる だ

758 :人間七七四年:2021/04/17(土) 17:27:54.72 ID:JTKWmUNf.net
スレタイの前提となる状況を確認しとかなきゃ根拠無しで妄想語るか結果から逆算するしか無くなるだろ
スレ民総例え話にする気かお前は

759 :人間七七四年:2021/04/17(土) 17:54:32.35 ID:svNljmgC.net
>>758
何を言ってるか意味不明だよ

760 :人間七七四年:2021/04/17(土) 18:01:10.91 ID:oBG6a/zb.net
七将に認めた蔚山城救援問題だが、少し複雑な経緯がある
加藤清正らが籠る蔚山城を救援した後、諸将は軍議を開いて戦線の縮小を決定した。それを宇喜多ら筆頭連署という形で秀吉に追認を頼んだ。
ところが、それと入れ違いに秀吉から戦線を維持せよとの命令書が届いてしまった。
これで諸将は軍令違反という事になり、当然懲罰の対象になる。慶長の三軍目付もこの軍議に参加ないし賛成してたので福原は死刑も沙汰されていた。
ところが、それを秀吉は「思い止まり」、逆に加増を得た
そして蜂須賀・黒田が「蔚山城救援に消極的だった」と処分されてしまう。
常識的に考えれば有り得ない裁定な訳だが、問題は秀吉が福原らの処分を思い止まった原因。
七将らからすればそれこそ石田三成で、奴が福原(三成の縁戚)を守る為秀吉に讒言して結果蜂須賀・黒田がとばっちりをくった。秀吉の裁定がおかしいのは全部三成が悪い。
そういうことになってしまった。
この流れは外国人にすら知られてるので相当騒がれてた可能性がある。

761 :人間七七四年:2021/04/17(土) 18:09:42.65 ID:kVyQiq+0.net
>>759
秀吉生前のことに一切触れないで秀吉死後の事件について議論するのは不可能
触れるなというのは暴論。ってこと

762 :人間七七四年:2021/04/17(土) 18:16:00.55 ID:57U40lVV.net
>>760
その辺りの唐入り時のことはどなたの研究を参考になさってるんで?
ぜひよんどきたい

763 :人間七七四年:2021/04/17(土) 18:28:28.03 ID:wRfXkdCS.net
>>756
なら、具体的にどんなスレタイならいいんだ?

764 :人間七七四年:2021/04/17(土) 18:32:41.17 ID:oBG6a/zb.net
>>762
中野等 氏の秀吉の軍令と大陸侵攻とか
笠谷 氏の

765 :人間七七四年:2021/04/17(土) 18:33:06.09 ID:oBG6a/zb.net
>>762
笠谷氏の
秀吉の野望と誤算
とか。

766 :人間七七四年:2021/04/17(土) 18:45:52.76 ID:57U40lVV.net
>>764
ありがとう、助かります
やっぱ中野等氏ですよね、唐入り関係の研究で有名な方は

767 :人間七七四年:2021/04/18(日) 01:02:19.82 ID:2DFdDW5A.net
>>758
結果から逆算も、別におかしな事だとは思わんよ、記録が全然粉飾されてないと考えるのも
それはそれでおかしいし。

中国の五胡十六国時代の北魏で起きた、崔浩の国史事件「鮮卑拓跋氏の事を詳しくかいた事件」とか
ありますし。

家康は最後の勝利者に成ったんだから、ある程度の粉飾はあると考えた方が良いですよ。
家康が勝手に伏見城に増援入れた出来事が、奉行了承だとは思えない。
占領した後で、奉行の了承って宣伝しただけでは。

内府違ひの条々に、伏見城の事でてくるんだから。

768 :人間七七四年:2021/04/18(日) 01:12:23.30 ID:ekXrtWBx.net
>>767
まず君の言う通り家康の伏見入城がおかしいなら、当の豊臣が抗議してないのはおかしい。
文句を言えるのは豊臣であって奉行では無いからね。
そもそも、家康は伏見城を秀吉遺言で預かっている以上本丸に入ったところで何ら問題は無い。
もっと言うと、奉行衆は寧ろ家康に伏見城に入って欲しかったはず。
七将は大坂で三成を襲撃して「訴訟」としてその殺害を図った訳だけど、
この訴訟、三成だけに留まらない可能性があった(輝元書状か何かで「後二、三人は訴訟される」と書いてあったはず)
つまり、七将の憎しみは浅野長政を除いた四奉行全員に向けられていた。この七将の「訴訟」ってのは「三成に死刑を」って訴訟だから他の奉行にも同じように死を望んだのだろう。
奉行からすれば、この事態を防げるのは徳川家康しかいない。
毛利輝元は頼りなく、豊臣からの説得も期待薄。家康だけが彼らを止められた。だから奉行からすると「家康に主人になってもらう」しか無い。
時間が経てば七将が何してくるかわからんからね。

769 :人間七七四年:2021/04/18(日) 01:30:49.73 ID:/I6hLucg.net
あほな例え話しか持ってこれないやつ構わんでよろしい
もう散々研究を持ってこいうってんのに持ってこず、ご自分でいかに自分が信用できない人間なのか証明したんだから
起請文破りがどうこういう前に常識として守るべき事をしてない自分を散々に見下してほしいよね

770 :人間七七四年:2021/04/18(日) 01:51:08.43 ID:t7/twqQV.net
あー、たとえ話荒らしってもしかして
研究上読み取れる家康のそれなりにちゃんと約束を守るし、破る時も世間的に仕方ないと思われるだけの状況で行う姿が自己と正反対だから嫌悪してるのか

家康に対して例え話荒らしはほんと最低限のマナーや常識としてやらなければいけない事もとことやらない恥知らずだもんな
自己の陰湿さを直視できなくて正反対のものをなんとか汚い存在だと思わないと気が済まないと、いやほんと性格腐ってんなー

771 :人間七七四年:2021/04/18(日) 02:03:41.89 ID:/I6hLucg.net
>>768
慶長年中卜齋記の記述がいい話スレに上がってたが、玄以、増田、長束が願って家康に伏見に移動してもらってんだよね
あなたが言ってる通りに奉行衆は家康に伏見城に入ってほしがってる

772 :人間七七四年:2021/04/18(日) 03:20:44.84 ID:3M/fMQrq.net
崔浩の国史事件→「『太武帝の先祖クソヤベー蛮族でしたよ』と記録した史官が処刑されたと『記録に残る』」
李世民→「『皇帝陛下マジ聖人超人』という記述以外は残しちゃいけませえぇぇん!と皇帝が検閲したことが『記録に残る』」
家康→なんか断言できるほどの記録残ってたっけ…?中華の史書に比べて粉飾の根拠というか粉飾されてないことに対する反証は
   ずっと入手しやすいはずなんだが…

773 :人間七七四年:2021/04/18(日) 07:13:04.39 ID:1sSQPNkI.net
愉快犯だろ
相手にしたら負け

774 :人間七七四年:2021/04/18(日) 08:07:36.96 ID:bzflLMSQ.net
>>768のような反論には絶対レスしないんだよな、例え話

775 :人間七七四年:2021/04/18(日) 09:05:13.71 ID:od9XS1Nj.net
つまんないよこのスレ

776 :人間七七四年:2021/04/18(日) 11:39:36.81 ID:ekXrtWBx.net
>>771
確か三成と一緒に立て籠った連中も居たはずだし、
奉行衆からすると七将の怒りの矛先が何処に向くかわからんかったんだろうなぁ。
七将が家康の事を公儀と考えていたら「向島の屋敷に手を出さなければ何とでもなる」とか考えて伏見城を攻撃してくる危険性もあるし(笠谷氏の研究だと閏三月五日時点で伏見城は七将に包囲されていた可能性がある)
家康に伏見城を統制してくれないと命が危ないもの。

777 :人間七七四年:2021/04/18(日) 11:43:07.67 ID:MuEaB1Dq.net
スレ違いの話題ばかり

778 :人間七七四年:2021/04/18(日) 11:58:08.04 ID:LDCTZcVU.net
家康なんかどうとでもなると考えていた可能性もある
後に福島が家康待たずに岐阜城落としたり伊那事件起こすの見ると

779 :人間七七四年:2021/04/18(日) 14:32:01.51 ID:cGYXQhGC.net
その理由の半分は遠い関東に本拠があるから何かあれば尾張三河に豊臣恩顧の武断派連中で集まれば4-5万の兵で家康を迎え撃てるっていうのもあったんでは?
まあそういう腹に一物もって東軍についた大名家は多いと想像する
家康が征夷大将軍に任じられるまでは少なくとも豊臣家が棟梁

780 :人間七七四年:2021/04/18(日) 14:43:32.09 ID:HVbat6UH.net
考えたら七将襲撃当時、
七将も三成も輝元も、みんな豊臣てか秀頼には何の期待もしてないんだよな。
みんな家康を頼ってる訳で。

781 :人間七七四年:2021/04/18(日) 17:38:31.49 ID:k10zH6zG.net
大権現信者の数少ない憩いの場になってるからね

782 :人間七七四年:2021/04/18(日) 18:31:44.29 ID:/I6hLucg.net
>>780
そりゃ、家康が一番実力があって一番縁戚も豊臣に近い人物だしね

783 :人間七七四年:2021/04/18(日) 19:27:54.06 ID:cgVe41mm.net
縁戚も豊臣に近い人物なんだから
淀も秀頼が家康に殺されるなんて関ヶ原の時点では思ってなかっただろうね
西軍に味方しなかった事をどれだけ後悔したんだろう

784 :人間七七四年:2021/04/18(日) 19:43:46.91 ID:PJMY0QIu.net
>>783
大坂の陣前後の豊臣家に関する資料で、関ヶ原時の西軍首脳部について
言及したような記述ってあるの?
私、そこまで研究に詳しくないから何とも言えないんだけど
豊臣家が西軍首脳部の名誉を回復させたような話を知らないんだよね
石田や小西のように斬首された連中の名誉回復とか、
増田・宇喜多の復帰とかそういう事してないっぽいんだけど
秀家には大名復帰の誘いがあったらしいけど、これも大坂落城後で
しかも前田が言い出したことらしいし
なんか豊臣の方でそういう動きがあったって言うんなら教えてほしい

785 :人間七七四年:2021/04/18(日) 19:59:05.45 ID:h6vpZO0e.net
豊臣が滅んだことと西軍が負けたことって全く別の問題だからな
まあ西軍が勝って天下が四分五裂になってれば、どの勢力もわざわざ豊臣潰しに来る余裕も無いだろうからある程度延命になるかもしれんけど

786 :人間七七四年:2021/04/18(日) 20:27:40.52 ID:ekXrtWBx.net
まぁ敢えて言えば大坂の陣に呼び掛けたとか?

とはいえ、大坂の陣の豊臣家ってもう殆ど権力もカネも無いから名誉回復とか無理やと思う。
精々寺建ててあげるとかしか出来んだろう。

787 :人間七七四年:2021/04/18(日) 20:35:14.92 ID:ZUMWv2BG.net
寺もろくに建てられないから問題になったんだけどね

788 :人間七七四年:2021/04/19(月) 00:26:54.89 ID:DgOKUxFe.net
>>783
徳川家康の怖さを過少評価してたんでしょ。幾ら戦乱の世でも家康の冷め方は異常としか
いえないもん。

正室や長男を計算ずくで殺したり、武田から奥平離反させる為に長女利用したり。
北条に娘やったのに、不利と見れば普通に北条見捨てたり。幾ら戦乱の世でも身内見捨てるのに
此処までためらいない奴は珍しい。

カテリーナ・スフォルツァは、籠城中に子供を殺すと脅されて「子供などこれで幾らでも作れる」と
スカートまくり上げたそうですが。

家康って、「孫娘なんて飾りです、豊臣家はそれが分からんのですよ」って感じやしなあ。

もし秀忠が一言でも文句言うたら秀忠ですら簡単に処刑したんじゃないかな、家康ってそういう人。

789 :人間七七四年:2021/04/19(月) 00:36:21.66 ID:/KxTxI7b.net
病気やなまじで、病院行ってくんねーかな

790 :人間七七四年:2021/04/19(月) 00:43:28.46 ID:/KxTxI7b.net
話戻るけど福原死刑まで話進んでたのに加増って朝令暮改にも程があるな秀吉
そりゃ唐入り組からしたらこっちがどんだけ血を流しても加増がなかったのに国内で告げ口してる連中が加増されたらムカつくどころの話じゃないし、そりゃそんな判断したらふのあしき殿と言われるわ
まぁその血も流してないのに国内で加増されたやつって福島正則も該当するわけだけど、上手い事唐入りのヘイトそらしたね

791 :人間七七四年:2021/04/19(月) 00:47:48.37 ID:DgOKUxFe.net
>>771
内府違ひの条々で、伏見城には太閤様が決めた城代が居たのに家康が勝手にと矛盾しますね。

あれ奉行衆が書いてるんですが?奉行衆が太閤の遺言無視して伏見城を家康に献上したと?

792 :人間七七四年:2021/04/19(月) 00:50:04.20 ID:/KxTxI7b.net
内府ちがひの条々に正当性はないって話されたのもすっぽり忘れる脳みそなんだから、そもそも聞く気ないんだろ
研究を前提にした話してる中思い込みと妄想だけで喋る奴いても邪魔 消えろキチガイ

793 :人間七七四年:2021/04/19(月) 00:51:32.06 ID:/KxTxI7b.net
太閤の遺言は何度も言われてるが家康に伏見城をよこすだしな、遺言読んでないんだなぁ

794 :人間七七四年:2021/04/19(月) 01:02:17.99 ID:DgOKUxFe.net
>>772
あれだけ記録マニアの中国でも記録の粉飾が疑われてる事は多くて。

清の初期の皇帝の、順治帝時代は叔父のドルゴンが後見人だった訳ですが、このドルゴンの
立場に疑問持つ人が居るんですよ。

順治帝の生母と再婚し、皇父摂政王だった説が有ります。当時の満州人の理屈で有ればあり得ない
事ではないけど、後で記録改竄したんじゃないかってね。

出来事自体変えられなくても、解釈を捻じ曲げる事は出来る訳で。

795 :人間七七四年:2021/04/19(月) 01:07:09.54 ID:G60y3Bur.net
>>791
>奉行衆が太閤の遺言無視して伏見城を家康に献上したと?
実際遺言破って誓紙交わしてんじゃん
奉行は遺言破らないという謎の前提条件捨てなさい。事実は変えられないんだから

内府違い?あんなもん今勝つために周り騙せればいいって内容でしょ?
中身嘘っぱちだらけでも全くおかしくないよ?

796 :人間七七四年:2021/04/19(月) 01:08:13.98 ID:/KxTxI7b.net
疑われてるって事はそれだけの根拠になる実証があったから疑われる
お前のやってる事はそんな実証すら行ってないのに気に入らないから粉飾扱いしてる
お前のやってる事とてんで別だぞ、キチガイ

さっさと実証研究持ってこい それすればちゃんと議論になるんだから
議論したくないですーでも僕の意見通らなきゃいやですーってやりたいなら人と関わっていい脳みそじゃないから 消えろ
消えろ程度のわかりやすい言葉もわからないか?

797 :人間七七四年:2021/04/19(月) 01:08:48.78 ID:G60y3Bur.net
>>794
はいはい。とにかく粉飾があったことにしたいならその根拠もってきな
「されててもおかしくない」じゃ「確実にされてた」ことにはならないんだよ?
論理的思考力無いの?

798 :人間七七四年:2021/04/19(月) 01:49:33.70 ID:adZMLyKw.net
福原長堯の死罪若しくは処罰に言及してる一次史料ってあるんかな
もし知ってる方がいれば教えて欲しい

慶長3年1月26日付宇喜多秀家他十二名連署言上案(島津家文書)で
秀家らは蔚山(加藤清正)・順天(小西行長)・梁山(黒田長政)3城の放棄を提案

同年3月13日付豊臣秀吉朱印状(鍋島家文書・立花家文書等)で
秀吉はこの提案を「曲事之由」と却下し、3城を今まで通り堅く守備するよう命じる

同年5月26日付福原長堯・垣見一直・熊谷直盛連署状(島津家文書)で、
蔚山城の後巻について、黒田長政と蜂須賀家政はその日先手の当番にも関わらず、合戦をせず臆病であった。
この件は秀吉の逆鱗に触れ、家政は阿波に蟄居処分。
早川長政・竹中重隆・毛利高政の目付衆も先の宇喜多らの相談に加わっていたとして、豊後に逼塞を命じられる

799 :人間七七四年:2021/04/19(月) 07:36:45.74 ID:lKCf9+xk.net
実際、御掟破ったところで何があるってことでも無いしなぁ
豊臣政権上層部が行う事は御掟に抵触しない訳で。

800 :人間七七四年:2021/04/19(月) 11:18:53.07 ID:1hokANt/.net
>>798
なんつーか秀吉、戦況把握しきれてない感がすごいな

801 :人間七七四年:2021/04/19(月) 12:26:23.62 ID:lKCf9+xk.net
>>800
そりゃそうよ。
中野等氏の研究だと、朝鮮から本土までに文禄(朝鮮ー名護屋)で片道約3日、慶長(朝鮮ー京)で約10日は掛かってる。
慶長の時の秀吉は10日前の報告を元に10日後の戦況を予測して命令しないとならない。で、こんなの現実として不可能。
現地の諸将としても、秀吉の命令を一種「先読み」して戦線を維持しないといけない。これは相当過酷なこと。
慶長の戦線が停滞したのは一つは北上する事が厳しいという環境的な要因もあるけど、
もう一つにこの命令系統があったことは否めない。

802 :人間七七四年:2021/04/19(月) 14:57:28.97 ID:QDZQgi4R.net
一人でなんでもやらなければならなかったし実際できてた秀吉のワンマンっぷりの弊害がもろに出た感じか

803 :人間七七四年:2021/04/19(月) 18:15:48.55 ID:PC4Ro/qx.net
戦争で重要なのは戦況に合った迅速な指揮だってことを知らんはずが無いんだけどね…
文禄の役でも割とデンジャーラインだったけど、
慶長の役はもう一種のシュールギャグよ。
現場を知らない分からない指揮官が無茶苦茶な目標を設定してるっていう。

804 :人間七七四年:2021/04/19(月) 18:54:25.53 ID:/AXEfoHh.net
それがいいのはわかっててもできる体制になってない以上ない袖は触れないだろう
譜代もいないしそもそも海外遠征できるほど地盤が全く固まってない
そりゃ唐入りのグダグダっぷりを見たらあの秀吉ですら老境に入りボケたかって話にもなる
実際はボケてたんではなく秀吉ありきシステムの限界が問題だろうけど

805 :人間七七四年:2021/04/20(火) 11:19:25.86 ID:2o1R+LkR.net
織田信長や徳川家康も成り上がりだけど小さく貧しいながら譜代の家臣があり領土拡大の過程で有力な国人クラスの人物の登用ができたからなあ
特に家康の場合は今川、武田という名門大名の屋台骨を組み入れながら秀忠が跡を継ぐ頃には2代目、3代目と家臣団の世代交代しつつだから徳川家の御為に!っていう意識は家中で強くなる時間が持てただろうし

806 :人間七七四年:2021/04/20(火) 13:13:16.77 ID:iWnDg/rC.net
速成が目的だったのか分らないが、秀吉家臣に競走させることが多いから、
結局それが火種になったりしているんだよな

807 :人間七七四年:2021/04/20(火) 13:56:21.15 ID:avs00DW9.net
それは信長のやり方を受け継いでるな

808 :人間七七四年:2021/04/20(火) 15:40:05.42 ID:1rbwBb9i.net
信長の大身の家臣は親父の代からってのが殆どで(林柴田佐久間おそらく前田も)
しかもその半分以上が弟側に付いちゃう様な状況やからなあ

809 :人間七七四年:2021/04/20(火) 18:39:00.20 ID:4lrvX7CY.net
家康もライバル同士を隣り合わせて競わせてたらしいから良くある人事だったんだろう。
秀吉が失敗はそれを外交、しかも対外戦争外交でやっちまったこと。
外交担当官がビジョンを共有出来ず、一方は和睦最優先、一方は総司令の意向最重要視で外交した挙句、
外交戦略が狂って和睦出来なくなるという悲劇に…

810 :人間七七四年:2021/04/20(火) 19:24:33.31 ID:I71tcDj3.net
留守居が定められているのに伏見城が家康に与えられたとか書いている奴がいて笑えるんだけど

811 :人間七七四年:2021/04/20(火) 19:32:28.96 ID:iRYJ+/n4.net
秀吉の遺言読んでねとしか…

812 :人間七七四年:2021/04/20(火) 19:56:05.45 ID:I71tcDj3.net
>>811
君こそ読んでるの?
留守居が定められているんだけど?

813 :人間七七四年:2021/04/20(火) 20:01:47.05 ID:wmUEmZ6k.net
読んだうえでわからないなら脳が読むの拒否してるとしか思えないレベルで該当箇所の近くに書いてあるな

814 :人間七七四年:2021/04/20(火) 20:10:53.34 ID:4lrvX7CY.net
早稲田大学所蔵秀吉遺言
内符惣様御留守居候事
家康が伏見城の総留守居役

815 :人間七七四年:2021/04/20(火) 20:15:44.38 ID:I71tcDj3.net
家康が留守居役の一人というならわかる
だが、城拝領のような形で書くのは明らかにおかしい
家康という他人の城に前田と長束といった留守居役をさらにつける必要がどこにある?

816 :人間七七四年:2021/04/20(火) 20:16:04.71 ID:wmUEmZ6k.net
ついでに
「太閤様御覚書」(浅野家文書)
伏見ニハ内府御座候て、ゥ職被成御肝煎候へと 御意候、城々留守ハコ善院、長束大藏仕、何時も内府てんしゆまても、御上り候ハんと被仰候者、無氣遣上可申由、被成 御意候事
伏見で家康はいつでも城の象徴の天守にも登れるって扱いで、これまた伏見を自由にしていいとされてるな

817 :人間七七四年:2021/04/20(火) 20:19:49.14 ID:wmUEmZ6k.net
他人じゃないからだろ
もろ秀頼の義父で秀吉の義弟っていう豊臣家でも中々いない縁戚の近さだぞ
それの手伝いに豊臣の奉行つける事に何を言ってんだ

818 :人間七七四年:2021/04/20(火) 20:41:52.09 ID:I71tcDj3.net
都合のいいところだけ読むとそうなるんだろうが、伏見城の留守居役として長束と前田をつけると定められている以上、城拝領なんて解釈は無理があるってだけ
まして伏見を自由にしていいなんてどこにも書いてない、

819 :人間七七四年:2021/04/20(火) 20:44:57.92 ID:wmUEmZ6k.net
天守まで自由に登らせておいて自由にしていいじゃないならなんだと思ってんだ
都合の悪い所を読みたくないだけの間違いだろ

820 :人間七七四年:2021/04/20(火) 20:47:17.04 ID:I71tcDj3.net
ましてその解釈だと同じ文書には大坂城天守は利家が上っていいとあるが、それは大坂を自由にしていいという支離滅裂なものになってしまうが

821 :人間七七四年:2021/04/20(火) 20:49:08.17 ID:wmUEmZ6k.net
利家には大坂城の自由が認められてると解釈していいと思うぞ
もちろん当主どうこうしていいって話じゃないがね

822 :人間七七四年:2021/04/20(火) 20:56:45.59 ID:I71tcDj3.net
あの文書を以て伏見城は徳川家に拝領、大坂城は前田家に拝領なんてのは申し訳ないが珍論というか、ぶっ飛びすぎてるわ

823 :人間七七四年:2021/04/20(火) 20:56:45.60 ID:I71tcDj3.net
あの文書を以て伏見城は徳川家に拝領、大坂城は前田家に拝領なんてのは申し訳ないが珍論というか、ぶっ飛びすぎてるわ

824 :人間七七四年:2021/04/20(火) 20:56:51.02 ID:I71tcDj3.net
あの文書を以て伏見城は徳川家に拝領、大坂城は前田家に拝領なんてのは申し訳ないが珍論というか、ぶっ飛びすぎてるわ

825 :人間七七四年:2021/04/20(火) 20:57:29.76 ID:K4CJ4Bs9.net
>>818
城主と城代みたいなものじゃないの

826 :人間七七四年:2021/04/20(火) 21:02:08.86 ID:wmUEmZ6k.net
少なくとも豊臣家は秀頼成人まで政権から切り離されてるからね
その上で政務上必要な城の城主を義父らに任せるってのはぶっ飛んでもいないと思うが

まぁ、どちらにせよ奉行が家康の入城をどうたら言える立場でもないわね、ましてや自分らで伏見城に入ってくれって泣きついてんだ

827 :人間七七四年:2021/04/20(火) 23:28:23.60 ID:hPP8Pl5s.net
>>815
それはお前さんが伏見城の重要性を見過ごしてるからそう感じるんだと思う。
前提として、伏見城は豊臣の「公」の城だった。
諸将の屋敷もあるし、京に近いので朝廷対策の要所でもある。
内府、つまり内大臣の家康が豊臣政権で最高位である以上彼を伏見城に置かない訳にはいかない。更に言えば伏見城の総責任者にせざるを得ない。
そんで、秀吉からすると「奉行は奉行」でしかない。彼らは大老、てか家康・利家の手足になる存在でそれを家康の指揮下に入れてないとお話にならない。

828 :人間七七四年:2021/04/21(水) 00:00:18.74 ID:2dpCE0lt.net
首相官邸とか公邸みたいなものだね

829 :人間七七四年:2021/04/21(水) 06:16:12.40 ID:30S9L98F.net
>>827
だからさ、前田を大阪に置いてる時点で徳川と切り離したい訳で「諸大名を」。
で、奉行衆は用心してて大阪には徳川屋敷すらない。

だとすれば、徳川は伏見ってのは伏見城下の徳川屋敷に軟禁とすらいえる。
遺言時点では、家康が堂々と国元から増援呼ぶは予想してない訳でな。

だから伏見城代と、伏見城下の徳川屋敷の兵力比の予想が違うだろ。
まあ、後知恵でいうなら徳川が増援読んだ時点で、前田総大将の討伐軍を予想だろ。

830 :人間七七四年:2021/04/21(水) 08:15:10.98 ID:eqlFM2my.net
>>829
伏見城には石田三成含めた奉行衆や毛利輝元、宇喜多秀家なんかの屋敷があるんだが…
伏見城をなんか勘違いしてない?
秀吉は遺言で伏見城を家康に与えた。これは、浅野家書状に「伏見ニハ内府御座候て、 諸職被成御肝煎候へと 御意候」、また早稲田大学所蔵秀吉遺言書に「

831 :人間七七四年:2021/04/21(水) 08:17:21.01 ID:eqlFM2my.net
>>830
早稲田大学所蔵秀吉遺言書に「伏見城留守居候事、内符惣様御留守居候事」とあるからも明らか(秀吉は同書状にて大坂城にも奉行二人を留守居役として置け、と書いてるのが前田利家が大坂城を預かっているという理解をするなら同じく伏見城は徳川家康の預かりになる)

832 :人間七七四年:2021/04/21(水) 08:38:08.64 ID:eqlFM2my.net
あと大坂城に徳川の屋敷が無い、ってのは何かの勘違いじゃないかなぁ。
櫻井 成廣 氏の研究によると、大坂城西の丸に徳川家康・秀忠屋敷(秀忠屋敷は秀長の屋敷を貰ったもの)があったとされる。
これは慶長年間に確認されてる事なので、もし「徳川屋敷が無い」とすると奉行衆が(秀吉の意思を無視して)これを破却した事になりかなり危険な行為と言える。

833 :人間七七四年:2021/04/21(水) 09:00:49.74 ID:E5vACbrm.net
警戒したいなら人質取って自分たちの目の届く範囲に置くわな
警戒して切り離しました、なんて通る訳ねーだろ
何度も言ってんだがそれが警戒で隔離したとか唱えてる研究なりはどこにあんだよ、お前の無知に妄想重ねたフィクションつまんねーよ
何主張するにしても根拠になる研究も持ってこずは他人バカにしてんだよ

834 :人間七七四年:2021/04/21(水) 09:15:13.05 ID:95VYnzrr.net
>>829
自分の人間は思想の大元はこれですつっていの一番に研究出すんだがな
それもできてない時点でろくすっぽ研究読んでもないし、研究の手法も知らない間抜けなんですって自分を紹介してるって話になる
徳川がー秀吉がー奉行がー、って中身精査する以前の問題、どこの大学でもまずは先行研究持ってこいって言われるだろ、大学でみんな当たり前に習うが、大学すら出てないのか?
まず参考研究を持ってこいよ、それともそんなものはなからないから荒らし続けてるのかな?
数年間同じ話題やってて研究を後からですら読まないとか、どんだけ頭わるいのかな?
それとも参考にした研究を持ってくる程度の日本語理解する脳みそもねーのかな?

835 :人間七七四年:2021/04/21(水) 11:25:03.09 ID:AxoE5Iq+.net
秀吉が家康に伏見城を与えたからこそ、
家康の向島退去の政治的意味が重要。
向島から伏見の総留守居なんか不可能だからね。

836 :人間七七四年:2021/04/21(水) 11:45:23.94 ID:+/9reUb+.net
どうも、家康が悪いから西軍は正しいという理論を頑張って展開してる人がいるけど、事はそう単純ではないよな。
西軍が豊臣家とか秀吉の遺言とかを大切にしてるかといえば、そうでもないし。

晩年の秀吉政権の迷走の責任を、奉行というか石田三成がとるはめになったけど、それを踏まえての彼の行動だったのだろうか。

忠義とか忠臣とか、つまらない偏った見方で見るのをやめると、関ヶ原の人の流れって面白いな。

837 :人間七七四年:2021/04/21(水) 18:59:40.98 ID:nHMdH6OQ.net
だから根拠もなく「伏見城を与えた」なんて書くなよ
徳川にくれてやったと言うなら留守居役は家康が決めるのが筋だろ
なぜ留守居役を別に指名する必要がある

838 :人間七七四年:2021/04/21(水) 19:02:56.24 ID:95VYnzrr.net
付家老みたいなもんだろ

839 :人間七七四年:2021/04/21(水) 19:12:25.78 ID:nHMdH6OQ.net
大坂城も同じ理屈でいくと秀頼を差し置いて大坂城と大坂が前田家領になったということになるのだけどなぁ

だがそんな事実ないでしょ

あの史料から読めるのは留守居を二名指名して単に家康が自由に天守に上がってよいってだけ 伏見城と伏見を徳川領にしていいなんてどこにも書いてないやん

840 :人間七七四年:2021/04/21(水) 19:15:02.18 ID:95VYnzrr.net
城を預けるのと領地にするは全然ちゃうやろ

841 :人間七七四年:2021/04/21(水) 19:16:38.88 ID:95VYnzrr.net
伏見城も大坂城もただ単にあの辺治める城ちゃうぞ
上でも言われてる政権の城やぞ、だから城を与えるであって領地を与えるなんて話誰もしてねーよ

842 :人間七七四年:2021/04/21(水) 19:34:08.48 ID:1lJrdY6R.net
重要なのは利家(and奉行衆)が、
秀吉の遺言を反故にして家康を向島に撤去させた。
この事よ。
これより前から石田三成らは秀吉の遺言を破っていたけど
この件で完全に秀吉遺言は無効となってしまった。
しかもそれは家康が主体的に行なったのではなく、
利家からの「勧告」という形式で行われたので文句もつけられなかった。

843 :人間七七四年:2021/04/21(水) 19:44:47.93 ID:1lJrdY6R.net
現実的な問題として
「諸職被成御肝煎候へと 御意候」と家康(伏見城)、利家(大坂城)にも書かれてるので実質的に与えたも同じよ。
ここでの言葉遊びにはあんま意味無いと思う。
じゃあ秀頼は、っていう話になるけど秀吉は遺言状で秀頼についてはあんまり触れていない。
要は秀頼がどういう扱いになるかは家康・利家の考え次第ではっきり言うと秀吉は彼らの良心若しくは信条に任せた(だから「◯◯は律義者にて…」なんて話をしてる)
歴史を紐解けば、そも戦国時代ってのは現地にいた守護代なんかが反旗を翻したって流れ。
つまり家康・利家が豊臣を滅ぼしたいと思っていたら遺言で何と言い残そうが滅ぼされる。かといって彼等を排除しても秀頼の未来は明るく無い。
家康が伏見城の総留守居役なのは早稲田大学所蔵秀吉遺言書から明らかなので伏見城を完全に掌握しているのが普通でむしろ掌握出来ていない事態の方がよろしくない。

844 :人間七七四年:2021/04/22(木) 12:26:15.57 ID:0CAgqQue.net
三成関係の逸話を見るとやっぱりこいつが諸悪の根源な気がしてきた…

845 :人間七七四年:2021/04/22(木) 13:36:14.42 ID:70GhAAND.net
ソースが逸話(笑)だと例え話って人と同レベルだと思うけど
何か新史料でも見つかったの?

846 :人間七七四年:2021/04/22(木) 14:54:24.73 ID:mMCbRH2P.net
>>845
ソースって、まず逸話の意味を辞書で調べようか

847 :人間七七四年:2021/04/22(木) 15:20:46.30 ID:70GhAAND.net
>>846
意味もクソも逸話じゃあやふや過ぎて考察もクソも無いんだけど
スレタイ読める?

848 :人間七七四年:2021/04/22(木) 15:29:20.39 ID:I90hYblA.net
まぁもの語るなら信ぴょう性高い史料なり研究なりから持ってこないとね
これは例え話荒らしに限らず誰であっても普通に注意されるべきことではある

849 :人間七七四年:2021/04/22(木) 17:33:11.67 ID:Cu7MsgaP.net
田中吉正の話とか。

850 :人間七七四年:2021/04/22(木) 23:51:44.31 ID:zsV+jEL9.net
>>832
太閤薨去直後の、徳川前田の睨み合いの時に如何かって話だし。

西の丸の北の政所追い払って、家康が押し込んだのと混同されてないかな。

851 :人間七七四年:2021/04/22(木) 23:57:33.34 ID:I90hYblA.net
北政所は伏見で隠居、その化粧料は家康管理が秀吉遺言

852 :人間七七四年:2021/04/23(金) 00:04:04.22 ID:ZroKZyKX.net
>>843
じゃあさ、なんで遺言で死後100日で大阪城に移せなんて言ってる訳?

で、前田は大輔役で大阪に居ろなわけ?あの遺言って前田に野心あれば家康なんかより簡単に
乗っとれるよね。
家康は伏見に居ろって言ってるけど、秀頼は大阪なんで諸大名は殆んど大阪に移動するしかない。

前田は大阪に居て諸大名も殆んど大阪、徳川は僅かな兵力で伏見にってなるよ。
家康が国元から増援呼んでなければ、一応封じ込めるの可能な様にみえますが?

853 :人間七七四年:2021/04/23(金) 00:08:04.84 ID:SzN0A7VX.net
そういえば、浅野家所蔵秀吉遺言ついては
被成が誰にかかってるのかが焦点で
やはり秀吉は家康に対しては同格への敬意と取るべき表現に対して利家へは命令に近いって話があったな
また利家の大坂城入りは前述で秀頼がいる間って条件つけられてるな
んで谷口氏の解釈だと利家の「惣廻御肝煎候へと被成御意候」の惣廻ってのは豊臣家内を指すとしてるようで
どうも政権(公儀)は家康、豊臣宗家の家政を預かるのが利家と解釈すべきって話が出てたな

854 :人間七七四年:2021/04/23(金) 00:09:51.30 ID:SzN0A7VX.net
秀頼が大坂だろうが
東国の大名は大坂、西国の大名は伏見が秀吉遺言
これも何度も出てる話だね、読めよ 反論がとことんズレてる

855 :人間七七四年:2021/04/23(金) 00:36:23.77 ID:r6yYRg19.net
秀頼が幼少ってことは「秀頼公の御意志」とか宣っても嘘っぱちなのはバレバレなわけで
結局万人が嘘っぱちと分かった上で認めてくれるような時以外は秀頼の身柄押さえててもなんのアドバンテージにもならんのよな
どこが乗っ取り簡単なんだか

856 :人間七七四年:2021/04/23(金) 04:52:28.22 ID:H7SZMbY0.net
何度も否定されてる論点にあえて拘るのは
他にして欲しくない話題でもあるのかな?

857 :人間七七四年:2021/04/23(金) 06:22:12.05 ID:PzeTg4r5.net
大坂城と伏見城だと伏見城の方が遥かに重要だからなぁ。
京に近くて朝廷工作の最前線だもの。

858 :人間七七四年:2021/04/23(金) 07:45:46.05 ID:ttc9By8h.net
>>857
もし家康が豊臣家中の政争に入らず、ちゃんと関白職の豊臣家への再奪取に奏功したら
豊臣家が秀頼成人後に天下人として政権担ったり豊臣家も存続の目があったんだろうか。
なんか奉行はともかく秀吉の惣無事体制が秀吉個人によって維持されていた事実から、結局戦国体制に戻って領地切り取り放題にしたい諸大名の蠢動で崩れそうな気がしないでもないが。
いくら家康でも関ヶ原以降の権力集中が無いと対応不能になるだろうから、とてもグダグダな世界線が。

859 :人間七七四年:2021/04/23(金) 12:04:38.91 ID:ds00FOPO.net
ただかなり難しいけどね。
そもそも武家の家康が朝議を完全に仕切れるかって問題あるし、どのみち五摂家が関白を取り戻してそう。
しかも豊臣自体が割とバラバラだから、仮に家康が問題無く仕切っていても七将は三成を襲撃したろうし…

860 :人間七七四年:2021/04/23(金) 19:50:29.77 ID:ZroKZyKX.net
徳川家康が卓越した才能の持ち主なのは間違いないと思います。
桶狭間の戦いの後の動きでも、本能寺の変後の甲斐信濃占領でも、小牧長久手の戦いでも
それまでの鈍くすら見える鈍重な動きから豹変してますからね。

鈍いデブにしか見えなかった男が、突然ブレイクダンス踊れる動けるデブに豹変する。この怖さが
徳川家康の恐ろしさだと思うんよ。
それまでの動きとのあまりの違いに相手が有効な対応できないうちに即攻を決めてしまう訳。

太閤の没後、朝鮮派遣軍が帰国し秀頼が大阪城に移動するまでしかが大老制機能してないしね。
誰もが様子見のこの時期に、行き成り伊達福島蜂須賀の三家と私婚を行う。

前田が憤激して抗議したら勝手に国元から増援を伏見まで連れてくる。しかもこの兵数には諸説あり
最低の説でも5000。
多分当時は二万とか三万とかの流言飛語が流れてたはず。

此処までの動きが、秀頼大阪移動時点からみてひと月かそこいらで。
そりゃあ、ついていけなくて傍観してしまう大名が多いのも分かります。

861 :人間七七四年:2021/04/23(金) 20:10:36.70 ID:ds00FOPO.net
多分、家康がどう頑張っても豊臣の没落は防げなかったろう。
諸将もガタガタで、彼等は主人、仲裁者を求めてた。
家康が動かなければまた戦国時代だったろうなぁ。

862 :人間七七四年:2021/04/23(金) 22:02:08.23 ID:dyWX98nn.net
豊臣政権は言われてる通り秀吉一代の武威で成り立ってたもので没の時点で潰れたと考えていい
政務丸投げされた家康だけど、その頑張りも輝元と三成のせいでパーになったね

豊臣家が残るかどうかについてはかなりイージーモードで秀頼に並の大名程度の器量があればいくらでも残れたけど、残念ながら並未満の器量で御家騒動状態になったんで、これについては秀頼のせいとしか言えないって感じ

863 :人間七七四年:2021/04/23(金) 22:12:27.73 ID:gYS/Ko/G.net
取り巻きが女房衆と茶坊主ばかりじゃ10代の秀頼にできることはほぼ何もないけど
秀頼じゃなくてこれが15歳ぐらいの家康だったとしても何もできんやろ

864 :人間七七四年:2021/04/23(金) 22:14:49.25 ID:XVC5LJZ2.net
家康が史実みたいに長生きできるとは本人含めてだれも想像してなかったと思うよ

865 :人間七七四年:2021/04/23(金) 22:33:37.63 ID:wEXI6CZ2.net
大坂の陣が起きた当時の秀頼の年齢は22,3歳程度
大坂の陣が豊臣家の滅亡に繋がるわけだけど、これはマジでただただ秀頼が大名としての最低限度の器量もなかったとしか言えないな

866 :人間七七四年:2021/04/24(土) 04:21:31.61 ID:cUgynhhX.net
>>865
その前に積む状況確定してるやん

867 :人間七七四年:2021/04/24(土) 04:55:31.16 ID:WHcbyeqr.net
全く詰んでないよ
豊臣は元から臣従を進めてて徳川もそれを認めてる
その上で秀頼近臣と淀近臣の対立を防げず片桐が出奔する事態になるわ浪人衆雇うわ、方広寺の作事行為は全く成り立ってないわのグダグダをかまして公儀の徳川から全うに殴られただけ
それでも家康自体はなんとか秀頼淀の命は救おうとしてるものの、和睦条件も守れないわだったら城出ればいいのにそれもしないわで自爆に自爆重ねて滅んだだけ
マジで秀頼の器量不足でしかないよ、大坂の陣は徹頭徹尾

868 :人間七七四年:2021/04/24(土) 04:56:45.26 ID:WHcbyeqr.net
まぁこの件はスレ違いになるだろうからあまり語らないけど、丸島氏なんかが詳しく書いてるはずなんでその辺りの研究読むと言い

869 :人間七七四年:2021/04/24(土) 06:40:05.28 ID:pdNrO8wH.net
方広寺でゴタついた時に正使の片桐且元が苦労してる時に何故か大蔵卿が家康に会いに行った挙句何故か片桐且元が家康に繋がってると思って結果片桐且元襲撃事件起こして戦争だからなぁ。
実は方広寺は戦争の理由にすらなってないって罠。

870 :人間七七四年:2021/04/24(土) 07:43:34.62 ID:M9cdckJu.net
>>869
六韜三略とか読んだ事ないの?家康がやったのは物凄く有名な謀略なんですが?

複数の使者に全然違う態度を取り、相手に使者が内応してるって思い込ませる訳よ。
片桐が持って来た情報と、大蔵卿が持って来た情報が180度違うので片桐が内応してると思い込んだわけ。

家康はさあ、幾ら教えられても普通は出来ない事を本当にうまくやれるんだよな。

まあ、大坂の陣は徳川家康と言う人物の集大成ともいえるな。
海千山千の狸妖怪の秘儀に言葉も出ないよ。

871 :人間七七四年:2021/04/24(土) 07:57:57.93 ID:SirV6Cfh.net
>>870
そもそも大蔵卿の局って使者じゃなくない?
単に見舞いかなんかで来てるだけで。
正使と話が進んでるんだから単なる女にお話通す方がおかしいし、使者を複数送る方もおかしい。

872 :人間七七四年:2021/04/24(土) 10:29:21.52 ID:WHcbyeqr.net
そもそも大蔵卿が、個人として主張している事で大蔵卿が片桐排斥の為嘘ついたも十分あり得る記述

片桐は徳川の家臣でもあり豊臣との連絡手段でもあるんで徳川からしたら不遇に扱う意味は薄い
まず今一般的な研究を読みもしないで自分の思い込みだけで喋る人間こそ、少しはまともに書くらい読めって話

873 :人間七七四年:2021/04/24(土) 12:22:51.58 ID:SirV6Cfh.net
出典は忘れたけど、阿茶局かお梶の方に謀られたって可能性もある。
大蔵卿局が家康と謁見した後の帰り道でお梶の方(か阿茶局)に接待を受ける。
高価なお茶とお菓子で饗されて、「何故これほどの?」と聞いたところ「徳川と豊臣の平和を祝して」と言われる。
で聞いてみると「秀頼が江戸に来るらしい」「淀君が家康と結婚するらしい」「片桐殿はこの功績で徳川の姫を貰うらしい」と言う話でビックリ。
で、大坂城で片桐且元の報告を聞いて疑念が確信に…って流れ。
これの凄いところは、徳川は一切嘘は言ってないってところ。大蔵卿局に語ったのは全部噂話。阿茶局もお梶の方も徳川の抱える参謀、頭脳ではあるけどこの会合は非公式の「お茶会」で別に何ら証拠を要求されるものじゃない。
豊臣の足が揃わぬと見た徳川の女参謀に一杯食わされた可能性がある。

874 :人間七七四年:2021/04/24(土) 12:27:15.70 ID:WHcbyeqr.net
出典のわからないもの出されても正直反応に困る

875 :人間七七四年:2021/04/24(土) 12:29:18.47 ID:wXQb/saA.net
未だに陰謀論とか、いい加減小説知識で物語る事から卒業したら

876 :人間七七四年:2021/04/24(土) 12:56:18.11 ID:SirV6Cfh.net
調べたら出典は慶元記。
大蔵卿局、阿茶局と会って片桐且元の離反を知ったと言う

877 :人間七七四年:2021/04/24(土) 13:05:02.62 ID:WHcbyeqr.net
北条氏長編集、小畑景憲校訂と
読み物としちゃ面白いよね、あくまで読み物として取るべきものだけど

878 :人間七七四年:2021/04/24(土) 18:07:26.79 ID:taWjkb3J.net
著者ってか共著者が大坂の陣で大坂城に徳川のスパイとして入っていたという割と凄い経歴の持ち主だからな。
この一件のキモは、
片桐且元は秀頼からの正使だったのに大蔵卿局も何故か関東に来る。
何故か仲間の片桐且元よりどちらかと言うと敵の家康と阿茶局の言う事を信じてしまう大蔵卿局一行。
そんな大蔵卿局の聞いた「噂」を間に受けて片桐且元を裏切ったと思い込む大坂城の人々。
ここよ。
正使が送られている以上、大蔵卿局が出る幕は無いし、
大蔵卿局が使者となるなら彼女なりのルートを使って交渉しないといけない。そしてそれを片桐と詰めて最適な外交結果を得る。
それが家康とあってお話して、その帰り道で阿茶局の「噂話」に仰天してるようでは…
チグハグな外交してるから阿茶局にちょいとおちょくられたんだろう。

879 :人間七七四年:2021/04/24(土) 19:51:53.94 ID:kqW0Tup6.net
一つ一つの出来事を切り取ってドラマチックな陰謀論に当て嵌めていくのはエンタメ的には面白いんだけど
歴史を流れとして捉えると「最初から嵌めるつもりならなんで関ケ原の後十四年も待ってんだよもっと早くやれよ」で完全に説明ついちゃうからなあ

880 :人間七七四年:2021/04/24(土) 22:40:17.39 ID:WHcbyeqr.net
流れってのもしっかり先行研究読んだうえじゃないと結局自分の中だけで整合性のあった陰謀論にはまるだけなんで
普通に研究とその潮流を把握するってだけの話、これは秀吉没後の話だけでなく何ごとに対しても
これをしないでアホな例え話と自分に都合のよろしい史料だけしか見ないスタンスだと物笑いの種になるだけ

881 :人間七七四年:2021/04/24(土) 23:25:51.30 ID:pdNrO8wH.net
大坂の陣の頃には徳川は(「家康は」ではない)豊臣がこれからどう身を振るつもりなのか測っていたからね。
方広寺でいちゃもんつけて潰したって言われてるけど、
実際には方広寺は単なる政治問題に過ぎず、徳川の狙いは大坂城の牢人衆だったわけで。
徳川は豊臣と最後の決戦になることは覚悟の上でその為の備えも万全ではあった。
阿茶局も本多正信も、豊臣が暴れて自滅しようが大人しく徳川の傘下に入ろうがあまり変わらなかったはず。
ただ、豊臣の腹の中は見ておかねばならない。
その為に打てる手は全て打ったのだろうさ。

882 :人間七七四年:2021/04/24(土) 23:32:12.95 ID:WHcbyeqr.net
なんつーか、この人も研究二の次で少し思い込みが激しいなぁ

883 :人間七七四年:2021/04/25(日) 01:18:10.85 ID:TN2p2YTC.net
>>879

つかないよ、関ヶ原時点での東軍は建前では豊臣家の家臣だからね。

長期の籠城戦になれば傘下の大名の向背が分からないし。
幾ら乱世でも、名目上の主君攻めるのは精神的な負担が大きい。

徳川家康みたいな男は過去にもいたし、まあ良くあることだ。

884 :人間七七四年:2021/04/25(日) 01:28:23.48 ID:TN2p2YTC.net
>>878
時々思うんだけど、何故無理筋の弁護するかなあ?

大坂の陣って、海千山千の狸妖怪の絶妙な技を鑑賞するイベントですよ。
いい悪いは別として、名人の熟練の技に唸るしかない。

謀略のタイプとしては、蟲毒風で前漢の高祖の参謀の陳平に似てるかな。

人間同士の憎悪を都合の良い方に誘導して自滅させるって奴。本当怖いよなあ。
普段鈍くすら見えるデブが、突然ブレイクダンス踊れるデブに豹変、この怖さがなんとも。

馬鹿を装う利口な男程怖い物はないって良く分かります。

885 :人間七七四年:2021/04/25(日) 01:30:31.18 ID:0YEoS6yZ.net
研究持ってこず自分の中の結論にちょうどいいだけの例え話を持ってくることは全く証明に寄与しない

この程度もわからないで今まで歴史の本読んでたとしたら、ほんと糠に釘としか言えないよ 一から研究てどうやるのか学びなおしてから物を書け、スレの邪魔

886 :人間七七四年:2021/04/25(日) 01:33:33.88 ID:+JCmeVFM.net
秀頼も身近に織田信雄という血脈はなんとか保ったいい見本が居たのに自滅したな。
加藤清正いきてるうちに熊本まで逃げれば良かったのに

887 :人間七七四年:2021/04/25(日) 01:39:13.52 ID:0YEoS6yZ.net
織田信雄のやった事のキレイな下位互換だよ秀頼は
取次の処罰で戦争の口火切って、信雄と違って落としどころも自分の行動の是非も理解できてないで
そりゃ当の信雄も見放すわ

888 :人間七七四年:2021/04/25(日) 01:47:13.81 ID:0YEoS6yZ.net
あくまでこのスレは秀吉没から関ケ原までの内容を追うスレなんでこれ以上は書かない方がいいね
何よりもまずここで話すより研究の一つでも読んだ方が確実だし

889 :人間七七四年:2021/04/25(日) 01:47:18.11 ID:aQJeSzIy.net
>>884
無理筋の妄想の積み重ねで草

890 :人間七七四年:2021/04/25(日) 06:54:28.60 ID:qmFK2D7D.net
片桐且元が徳川と繋がってる、って話は七将襲撃事件の時からある。輝元書状だと大坂城が内府の手に落ちた、ってあるけどこれは大坂城を守備してる片桐且元らが徳川の名を使って毛利を追い出したかららしい。
ただ片桐一族としてはこれらは皆豊臣の為にしたことで、これらの行いによって三成らに豊臣が関与してないという証立てが出来たというのがその主張(片桐家秘話)
その後方広寺鐘銘事件が起きるんだが、多分片桐はこれに関わっていない。片桐は「執事を仰せつかってるけど私は嫌われていて何の仕事も出来てません。寺の普請にすら我々はつまはじきにされてる!」って言ってるから(で、クビにしてくれるよう頼んだけど本多正信に拒否された)
その後この政治交渉に失敗して豊臣は滅亡するんだが、これに大蔵卿局らを送ってしまった外交の拙さは関係してる
女の噂話を信用してしまうような奴を送り込んだのはまずかった。

891 :人間七七四年:2021/04/25(日) 10:41:04.70 ID:2KNmEfbM.net
方広寺は鐘銘ばかり取り上げられがちだけど、その他にも色々と問題があったからなあ

892 :人間七七四年:2021/04/25(日) 12:18:49.17 ID:pzbS2RIF.net
片桐からすると豊臣の寺院普請に関われず、
かと思ったら方広寺で問題発生し、しかも徳川を呪ってんのかという事態に陥り、
必死に弁明しようと思ったら大坂城の牢人衆について問い質され徳川の真意を知り、
なんとか豊臣を存続させようとするも何故か女の告げ口で裏切り者扱いされた挙句襲撃されそうになる。
とかいうマジの理不尽だからなぁ。

893 :人間七七四年:2021/04/25(日) 13:46:16.52 ID:TN2p2YTC.net
>>890
>>892
だからそれは、家康擁護に見えて擁護に成ってませんよ。

盗将大権現の素晴らしき智謀って結論に成るじゃん。まあ、あの場合片桐が家康に内応してるって
思わせるのが一番簡単では有るのですが。

片桐が内応してるなら、最早城内で信用出来る奴なんていないって結論に成りますし。
関ヶ原の時も、増田の手紙陣中に張り出してたらしいしね。
西軍幹部が内応の手紙出してるんじゃ勝ち目ないって宣伝。

まあ、理屈は分かるし家康は漢籍の教養有るから六韜三略とか読んでたんでしょうが。

孟徳新書ならぬ、家康新書でも書いてほしかった。

894 :人間七七四年:2021/04/25(日) 16:04:27.41 ID:KIdi64Nh.net
>>893
匿名掲示板だから良くないんだろうな、自分の思い込みを絶対だと思い込んで
汚い言葉を平気で吐く
あなたは人を平気でデブだのと盗将だの勝手に認定して汚い言葉を平気で書くけど
他人の言説に反論するのなら資料や研究をもって論理的に反論すべきだろう
中傷したり思い込みで書き込むなよ、学力の高低とか発言権以前の問題だね
これだけであなたの能力というか、人間性が客観的に見えてくるな

895 :人間七七四年:2021/04/25(日) 17:18:13.74 ID:0YEoS6yZ.net
>>893
嘘も百回言えばっていう最低な態度を取っても、ここにいるまともな人間は思い込みでしかない記述を納得しないぞ
史料・研究 これらに基づいて語れないなら、上で言ってる人がいる通り人と言葉を交わす以前の問題
反省もできないなら二度と他人と関わるべきじゃないね、あまりにも不誠実すぎる

896 :人間七七四年:2021/04/25(日) 22:54:03.21 ID:zlsHhtFy.net
>>893
そもそも家康擁護することが目的で書いてるんじゃないんだろうし

自分が結論ありきの無理矢理なこじつけ以外できないからって
他の人も同じ次元で話してると思わない方がいいよ

897 :人間七七四年:2021/04/26(月) 02:45:13.89 ID:ZF3CP3U1.net
資料だけでいうなら、豊臣家七手組の内応も推論に過ぎません。
保々全員に付いて内応の噂が有ったみたいですが、四人が討ち死に、真野は良く分からない青木は
冬の陣の後、徳川への使者に行き未帰還。伊藤は何故か死にそくない、存続。

これ、如何考えても青木と伊藤は怪しいですよね、証拠ないけど。
青木は使者に行き引き止められて未帰還ですが、これは大阪の幹部の七手組から逃亡者って見られるし
真実が何であれ、城方の士気に大きな傷付けてます。

伊藤は更に酷く、最後までろくな動きせず何故か降伏を認められて、関ヶ原の時の密告の功績で
存続と。

これだって資料は無いので、まあ無理筋の弁護は出来ない事はない。
関ヶ原の時の内応工作もそうだけど、家康って実にうまいんだよな。

898 :人間七七四年:2021/04/26(月) 06:46:31.39 ID:03X/85dJ.net
片桐且元がいつから徳川派だったのか、という話は結局推測の域を出ない。
ただ大坂の陣で終焉を迎える豊臣一族はまずい対応を繰り返してるので片桐が裏切ってないという可能性の方が高い
この時、豊臣は徳川に臣従するかさもなくば死ぬしかなかった訳で、片桐は現実が見えていたのかもしれない。

899 :人間七七四年:2021/04/26(月) 09:04:23.34 ID:T/Y0hYFX.net
>>897
史料と研究に基づいて話せと散々言われてる中
可能性と蓋然性の見分けがつけられないなら、何度も言うが人と喋る資格はない
なぜ専門的な知識を持った人間が研究をしてるのか、その程度すら理解しようとしないなら誰もあなたの事信用しないので書き込まない方がよろしい
あなたの態度は徹頭徹尾自己の中でしか通用しない詭弁で他者への配慮が全くない独りよがりな主張です
歴史の本読んだアピールしたいなら、まず歴史研究がどう進んだのか位学んでからにしなさい、みっともない

900 :人間七七四年:2021/04/26(月) 12:50:29.00 ID:vAB+N9HZ.net
石田三成って全方位と仲悪いけど、
(加藤清正、浅井長政、細川忠興、田中吉政…)
西軍はなんでこいつを味方にしてしまったのか。
秀次派家臣団が家康についてるから彼等からすると秀次を陥れたのは三成っていう感じだったのか。

901 :人間七七四年:2021/04/26(月) 12:59:57.31 ID:T/Y0hYFX.net
人に注意してるそばから研究者が提唱してない秀次派閥がどうたら言うのやめな

902 :人間七七四年:2021/04/26(月) 14:21:49.89 ID:vAB+N9HZ.net
田中吉政って典型的な秀次家臣やろ

903 :人間七七四年:2021/04/26(月) 15:01:30.87 ID:T/Y0hYFX.net
秀次家臣であることとそれが東西軍にわかれた事との因果関係を説いてるまともな学者いないでしょって話

904 :人間七七四年:2021/04/26(月) 16:50:40.47 ID:03X/85dJ.net
田中吉政って秀次家臣だけど三成の弁護で生き残り、
しかし三成の事は大嫌いで関ヶ原では最前線を所望して
三成を取り逃すと家康の赦しを得て捜索隊を結成して草の根分けての追跡で無事捕獲、
捕獲したら財産と武具の在処を聞き出して家康にプレゼントしたっていう…

905 :人間七七四年:2021/04/26(月) 17:15:11.32 ID:b7sSayoA.net
>>904
西軍信者の脳内の田中吉政はこういう設定になってます、ってこと?

906 :人間七七四年:2021/04/26(月) 18:02:53.05 ID:vAB+N9HZ.net
秀次派家臣っていうと
田中吉政→秀次の宿老。秀次事件では三成の弁護で許されたとも。関ヶ原後に三成を捕縛した。
池田輝政→尾張に入った秀次の配下。秀次事件では連座されなかった。三成を襲撃した七将の一人。
中村一氏→所謂三中老の一人。秀次の宿老。自害を命じられた木村氏を預かる。関ヶ原では東軍。
山内一豊→秀次の宿老。秀次事件では取調べを命じられたという。三成ら西軍が大坂城を占拠した際、妻が一豊に徳川に味方するよう伝えた逸話は有名。小山評定で支配地域を家康に捧げ東軍勝利の嚆矢となる。豊臣家臣と多数接触しており交渉も行っていたらしい。
堀尾吉晴→秀次の宿老。所謂三中老の一人。秀吉の信任厚く政略戦略上重要な土地を与えられている。秀次事件では秀次と関係遠くなっていたのでお咎めなし。秀吉死後は家康に接近して前田派や奉行派への外交・周旋を担当しており感状が出ている。関ヶ原では東軍に属し出撃を希望するも隠居していたせいか帰国することに。息子が軍功を挙げた。
こう見ると秀次派が対徳川で重要なポジションにいた、にも関わらず徳川派になった影響は相当デカいだろうなぁ。
単純な尾張vs近江という話でも無いようだけど、ここら辺の武将を交渉で落とさなかった三成さんに何か問題があった気もするが…

907 :人間七七四年:2021/04/26(月) 18:54:53.72 ID:NtCg9DUw.net
元々秀次に関白を譲って次世代の豊臣政権を構築するつもりだった
なので秀次に秀吉が信頼する有力な家臣をつけるのは当たり前
秀次をあんな目に遭わせるならつけた家臣も全部処分して閑職にまで回さなきゃそりゃ将来に禍根を残すわな。まあ豊臣政権にそこまで人材はいなかったわけだけど

908 :人間七七四年:2021/04/26(月) 20:31:53.07 ID:fUJfBlmx.net
むしろ秀吉の構想は基本家康に政務執ってもらうなんだから禍根どころか忠実に政権側についてる
ついでにいえば秀次のフォローに入って後ろ盾にもなってるのは家康もだよ
家康対秀次なんて構造はそもそもない

909 :人間七七四年:2021/04/26(月) 22:09:07.49 ID:XZFsCBd2.net
>>897
まず「無かったとは断言できない」と「確実にそうだ」がイコールでないと理解できないと論理的に話を進められない
一応確認するけど、小学校にはちゃんと通ってたんだよね?

910 :人間七七四年:2021/04/27(火) 12:31:26.80 ID:JwvxlOaj.net
秀吉は秀次付きの家臣が家康の周りに配置されしかしながら彼らが徳川と繋がらない様に細心の注意を払った政治を行ってる訳で(浅野長政を甲斐に転封して取次にしたり)
元々彼らは対徳川の防波堤だったんだろう。
問題は秀次事件の後彼らが軒並み家康に従った事態で、
何で秀頼(とその背後の石田三成)に付かなかったのだろうか?彼等は誰についても良かったはずだし。

911 :人間七七四年:2021/04/27(火) 12:38:55.99 ID:QV0b+65e.net
そもそも、徳川をそれほど警戒したいなら、なんで秀吉は生前にあれほど優遇するの?

912 :人間七七四年:2021/04/27(火) 13:23:21.34 ID:2XFi1wdj.net
家康に対する秀吉の優遇は警戒よりも信頼してたからって面の方が大きいよね
まぁ、その信頼と期待を裏切って秀頼殺害しちゃう訳だけどw

913 :人間七七四年:2021/04/27(火) 13:32:57.15 ID:L8PVPg+g.net
>>910
そりゃ秀次が処刑されるような人物じゃなかったからじゃないかな
主君を殺されりゃ面白くないでしょう

914 :人間七七四年:2021/04/27(火) 13:43:48.62 ID:6IGvM/XA.net
内大臣への推挙や秀忠との縁戚関係結んだりは秀次事件の後だから
秀次一族を粛清して秀頼たった一人になった豊臣家を何とか存続させようと
家康と徳川家の勢力を利用しようとしただけでしょ
信頼してたというより将来的にあわよくば徳川家を乗っ取ってくれればと儚い望みもあったんじゃないの
家単体としてなんの実力もない豊臣家としては他家に寄生するしか生き残りできなくなったんだし
手前で豊臣家を弱体化させといて虫がよすぎると思うわ

915 :人間七七四年:2021/04/27(火) 14:09:04.73 ID:vqAJTIP9.net
秀次が消えた後の豊臣は信忠も一緒に死んだ織田と被るものがある
当時まだ固まってなかった織田の勢力を維持するために第一の実力者である秀吉が織田家に取って代わった
秀吉は自分がそれをやったわけで秀次を処分して自分も長くなさそうとなったら第一の実力者にこっちから擦り寄っていって豊臣家を保護してもらう他ないよね

916 :人間七七四年:2021/04/27(火) 14:52:21.00 ID:d2N+wRXr.net
元から大納言推挙で秀長と同格与えてるし加増でも旧領内に影響を残すことが許されてる状態なのに秀次事件まで警戒してたは解釈がおかしいでしょ
浅野長政の甲斐転封を警戒だったんだって解釈には自分はそういう面でも反対だな、むしろ補佐としてつけたとする方がまだわかる
秀次存命時から家康は豊臣政権下でもがっつり優遇されてるよ
秀次死去からの政情不安を打開するためにより徳川への依存度が高くなったのはその通りだろうが

917 :人間七七四年:2021/04/27(火) 19:24:22.70 ID:/JA/tBOm.net
>>911
秀吉の優遇には毒がある危険性がある。
三成なんかもそれが分かってて、例えば小早川秀秋が減封された後、その領土を与えるっていわれて拒否してる。
同じ様に加増を拒否った信雄がどうなったかを見ればかなり危険な行いで普通なら拒否しないだろう。
秀吉は三成に筑前・筑後という朝鮮出兵の最前線基地を三成に与える事で朝鮮出兵に反対してた三成を積極的に参加させようとしたって見方(だから三成はやんわりと拒否した)
そもそも家康はステータスが高い。優遇しない訳にもいかんが…同時に毒を混ぜるくらいの腹芸が、全盛期の秀吉には出来たんだよ。
衰えて、落ちた。

918 :人間七七四年:2021/04/27(火) 19:29:46.61 ID:h8E0MWms.net
毒とか言う前にちゃんと史料出しなよ
思い込みで喋るなよ

919 :人間七七四年:2021/04/27(火) 19:49:28.64 ID:/JA/tBOm.net
黒田基樹氏は小早川秀秋の減封を「朝鮮での兵站基地になっている筑前・筑後を別の人間に任せたい」という秀吉の意思と見てる(当然、懲罰的な意味もあるんだろうが、秀秋が具体的に失敗をしたという話もない)
もし敗北したから減封されるなら平壌から逃げ出す羽目になった小西行長や朝鮮水軍にきりきりまいさせられている日本水軍も減封の嵐だろう。何故秀秋は減封なのか。
黒田氏の言う通り、筑前筑後は朝鮮出兵の最前線で、ここを僅か16歳の(しかも付家老と仲の悪い)秀秋には任せられなかったんだろう。
この筑前筑後を任される人間が、朝鮮出兵に於いても重要な役割を負わされるのは必定。
さて三成は家臣の大音某に対して
「我等には筑前筑後をくだされ、九州の物主にしてくださるとの内意でした…しかしそのようなことをしては佐和山におく人もなく…筑前筑後は蔵入地になる。」
と送っており、秀吉から筑前筑後加増の話があったこと、三成がそれを断ったことがわかる。
何故三成は加増を拒否したのか。同じく加増を拒否した織田信雄は改易されているのに?
秀秋が単純な失態からの減封で無い事を三成は知っていたろう。三成が加増を受ければ三成はどうなるか?
これが秀吉の「毒」と言える。
加増を受ければ三成は朝鮮出兵に関わらずを得なくなる。
何故三成にこの様な毒饅頭を食わせるのか?
三成は朝鮮出兵反対派で、余り積極的な関与をしてなかった(てか積極的な関与をした結果が関白降表なんだが)
秀吉としては使える駒は全部使いたかったのだろう。

920 :人間七七四年:2021/04/27(火) 20:01:24.81 ID:lo2IjRX1.net
とりあえず読みにくい

921 :人間七七四年:2021/04/27(火) 20:38:35.62 ID:VKMcrHtN.net
まず第一に、朝鮮出兵の重要な役割を任せるのは豊臣政権にとって懲罰ではない、その地その石高に見合うだけの仕事を任せるのは懲罰とは言わない、それが懲罰なら加増全てが懲罰になるわ
二つめ、三成への人事と家康への人事を同じに語るのは因果関係もへったくれもないのに同列で並べるのは意味がわからん
そこ同列で並べるなら豊臣政権にとって加増はすべて懲罰的なものであるって前提がないといけない

922 :人間七七四年:2021/04/27(火) 21:48:56.66 ID:lcRRY4cN.net
そもそも三成自身が、裏取る術もないし取る必要も無い家臣に宛てた書状にしか記述が無いとなると
その人事を確定的な事実と扱うこともできないんじゃね。他の奉行とか諸侯が書き残してたなら確実だっただろうけど
単に「俺はこんなに太閤殿下に重んじられているんだぞ」とホラ話で見栄張っただけって可能性も普通にある

923 :人間七七四年:2021/04/27(火) 21:55:52.46 ID:/JA/tBOm.net
まず一行目で躓かないで欲しいのだが、
懲罰なのは「減封」であって「加増」じゃない。
秀秋は慶長二年六月、慶長の役総大将として出撃した。
しかし翌年一月に帰国命令、四月には減封処分となった。
減封なのだからそれには懲罰的性質があるが、当時秀秋がその様な大きな失態をしたという史料は無い(三成と親しい宿老・山口と不仲で何らかの確執があったことは確かだが…)
だが、何故減封なのか?その程度で減封してたら外征組は減封祭りになろう。
黒田氏はその理由を筑前・筑後の兵站基地としての役割に求める。筑前・筑後は戦略的に重要で、故に秀秋には任せられなかった。
で、その筑前筑後を三成に与えようとし、三成はそれを拒絶した。秀吉政権下では加増の拒否は改易となる。何故その様な危険な振る舞いをするのか?
何故秀秋が減封になったかを思い出そう。筑前筑後が朝鮮出兵で重要な土地だから。と、言うことはそこを任される者は必然的に朝鮮出兵に関わる事になるし、そこで失敗すれば秀秋の様な目に遭う。
これが秀吉の「毒饅頭」である。
同時に、秀吉は単純に「信頼」から加増している訳では無いという好例である。そこには当然の理由がある(と、いうか一番の子飼いである三成にこんな事するんだから関係が遠い奴はもっと危ない)
それを読み解けたからこそ、三成は加増を拒絶した(三成はそもそも朝鮮出兵反対派だったけど。まぁそもそも関白降表なんかに関わるから…)。
慶長二年、三年でこれなのでそれより以前の政治行為は深読みしてし過ぎることは無いと思うよ。

924 :人間七七四年:2021/04/27(火) 22:23:20.41 ID:tx1yadFt.net
>>922
一応筑後・筑前移封の話は三成本人の書状以外にも
慶長3年5月26日付島津忠恒宛福原長堯・垣見一直・熊谷直盛連署状(島津家文書)にもその旨の記述はあるよ
ただ三成と懇意だった奉行衆によるものである点には注意が必要だけどね

925 :人間七七四年:2021/04/27(火) 22:26:42.61 ID:n7ocG8XZ.net
>>923
ちょっと聞きたいのだが、豊臣政権下での加増の拒否って改易なの?
軽く調べただけだけど、片倉景綱や長宗我部元親は秀吉の加増拒否したみたいだけど

926 :人間七七四年:2021/04/27(火) 23:22:45.70 ID:dwmOujH6.net
朝鮮出兵に期待してるからこそ任せるのであって、それで失敗すれば懲罰もある
だが、それイコール毒饅頭とかいう訳のわからないたとえされる程のもんでもないわ
その土地で期待される行動を毒饅頭だなんだと表現する意図がわからん
加増は基本褒美というだけじゃなくそれだけの能力があるからこなせるはずであるって義務、ノルマ部分があるのは当たり前のこと
結局深読みとか言って記述から読み取れないことを下衆の勘繰りしてるだけ

927 :人間七七四年:2021/04/28(水) 00:40:23.85 ID:hh/reL9e.net
深読みしてし過ぎることはないなんて事がこの世にあるのか?

928 :人間七七四年:2021/04/28(水) 09:35:12.61 ID:CAFTKbPs.net
>>912
信用はしてないと思うぞ、史実の流れは幸運と強気な交渉の賜物かな。
小牧長久手の後、紀州の雑賀、越中の佐々、長曾我部って形で徳川の同盟勢力が潰れてる。

普通なら怯えて臣従する所粘ったからねえ...(-_-;)
秀吉は、九州の大友が潰れる前に九州征伐したかったけど、背後を徳川に突かれるの恐れて
あの結末に。

でも地震が来てないと普通に徳川攻めして家康は滅んだだろ。


正直、小田原征伐の後の朝鮮攻めがわからん。強引に家康潰しとけば。

929 :人間七七四年:2021/04/28(水) 10:35:17.95 ID:eDArwbHk.net
>>928
(家康のかつての同盟者であった)北条征伐後の領地替えが完了した時点で信用せざるを得なくなったといったところやろな
小牧長久手からこの頃までの家康の運の良さと我慢強さは凄い

930 :人間七七四年:2021/04/28(水) 11:27:20.42 ID:zJjq0Haf.net
>>928
ホントに結果論ありきの講談脳だな。

931 :人間七七四年:2021/04/28(水) 12:22:11.92 ID:U8fyDMD0.net
浅野長政は文禄二年十一月に甲斐に転封されているけど
「甲斐国之事、令扶助之訖、全可領知候、但此内壱万石、為御蔵入、 令執沙汰、可運上候、并羽柴大崎侍従、南部大膳 大夫、宇都宮弥三郎、那須太郎、同那須衆、成田 下総守事、為与力被仰付候之条、成其意、可取次候也」
との命令が出てる。
羽柴大崎の事を伊達政宗だとする人がいるけど、
要はこの地域の諸将を「与力」として編成して彼等を取次げ、ってこと。
この時期に敢えて諸将や国人衆を浅野家によってまとめ上げる理由としてはやはり一番に徳川対策なんだろう。
家康を本当に十全に信頼してたらこうした役割は家康か、少なくとも秀康までの誰かに任されても良いはず。
それを敢えて子飼いの浅野長政を甲斐に送り込んでやらせるんだからそこには秀吉なりの意図があることは確か。

932 :人間七七四年:2021/04/28(水) 12:22:57.09 ID:U8fyDMD0.net
>>925
少なくとも織田信雄は改易されてる。

933 :人間七七四年:2021/04/28(水) 12:24:16.86 ID:zJjq0Haf.net
>>931
それはただ単に浅野長政の取次の担当地域じゃんかよ。

934 :人間七七四年:2021/04/28(水) 14:16:33.57 ID:XSod8hP8.net
秀吉が元敵の家康を無条件に信頼してたっていう妄想よりかは説得力あるな

935 :人間七七四年:2021/04/28(水) 14:23:51.49 ID:zJjq0Haf.net
>>934
さらにその前は味方(織田大名)なんだがなあ。天正壬午の乱でも協力してるし。
そこガン無視するよねキミ

936 :人間七七四年:2021/04/28(水) 15:19:57.19 ID:F3x9MVGt.net
全幅の信頼かどうかと警戒してたかは別の話よな、そこ0か1かってやるのは論の極端化で好ましくない
ましてや浅野が与力つけられたのは徳川対策だーは論理が飛躍しすぎ

937 :人間七七四年:2021/04/28(水) 15:28:41.67 ID:rTC2bHqX.net
>>936
1か0かという話もそうだけど
北条征伐と国替え以降は状況や体制的に信用せざるを得ないというところもある
家康が秀吉より先に死んだりしてつけ入る状況が発生するなら話は別なんやろうけど

938 :人間七七四年:2021/04/28(水) 16:36:16.05 ID:F3x9MVGt.net
>>937
一応豊臣政権で読み取れる家康の遇し方は臣従上洛した直後時点でぶっちぎりで厚遇してるよ
まぁそれでも信用と捉えるかは反論する人もいるだろうけど、扱いは諸大名の中でもすでに頭一つ抜きんでてる

939 :人間七七四年:2021/04/28(水) 17:00:51.40 ID:iz4nTxqx.net
>>938
そりゃ元々信長の同盟者で官位も長い間秀吉より高かったし
関白に成り立てだし元主筋で家康との和睦に尽力した信雄の手前もあるし妹送って義兄弟にまでなってる大名を特別に遇しない方が難しい

940 :人間七七四年:2021/04/28(水) 17:57:47.33 ID:g5diHO/e.net
>>932
該当する例を出してどうするんだよ、該当してない例があるよって話をしてるのに
前提として加増の拒否=改易だから危険だっていう考察に対して
そうなっていない例がある、つまり前提の意見が変じゃないのかって話をしてるのに
考察に該当する例があるって言われても困るんだが

941 :人間七七四年:2021/04/28(水) 17:58:23.06 ID:GwW/gugs.net
そう言えば次スレどうするの?

942 :人間七七四年:2021/04/28(水) 21:51:22.65 ID:U8fyDMD0.net
>>933
長政の「与力」となることを命じられてるのは
伊達・宇都宮・南部とかなり広い。
単純な「取次」ではなく諸将を与力として統制しろ、という命令な訳でこれに軍事的な理由が無い筈がない。
この時期にこの様な軍事命令が出るとしたら
1→文禄の和睦を破棄する事を見越した軍事組織の強化
2→関東に押し込んでる徳川に対する組織編成
ってとこだろう。
長政はこれら与力となってる諸将との取次も命令されてるので、秀吉としては「豊臣派」の武家組織を構築してそれを徳川への布石にするつもりだったんじゃないか?
この時点では家康を十全に信頼してないしまたする必要も無い。
…問題は。
秀次事件と関白降表による慶長の役で家康の重要性がハネ上がってしまい、「信頼する」というよりは「依存する」状態にまで落ち込んだ事じゃないか…

943 :人間七七四年:2021/04/28(水) 22:09:48.49 ID:zJjq0Haf.net
>>942
> この時期にこの様な軍事命令が出るとしたら
> 1→文禄の和睦を破棄する事を見越した軍事組織の強化
> 2→関東に押し込んでる徳川に対する組織編成
> ってとこだろう。

根拠セロやん。全部お前の妄想やん。

944 :人間七七四年:2021/04/28(水) 22:20:46.39 ID:F3x9MVGt.net
さすがに実証にもなりえないもので牽強付会に過ぎる
たとえ話レベルのもん持ってくるな

945 :人間七七四年:2021/04/28(水) 22:43:18.22 ID:jf+XY+tY.net
そもそも東北自体が不安定で、そっちで問題起こったら徳川の方が鎮圧に加勢するレベルなのに
その問題児たちまとめ上げて徳川抑えるなんてできるわけねーだろ
「お前らの中の誰かが問題起こしたら他の奴らは浅野に従って袋叩きにしなさい」程度の意味合いと見るのが無理が無い

946 :人間七七四年:2021/04/29(木) 02:19:47.77 ID:RKcVdsyH.net
「広い」というより「余りにも飛び飛びで統一感が無い」と言った方が相応しいな
名前の挙がってる連中は浅野の手駒として徳川を警戒どころか自分たち自身が警戒される要素の方がデカい
伊達: 言うに及ばぬ上杉レベルの問題児
南部: 九戸の乱で失点アリ。信直が家督継ぐ時点で大分キナ臭い上津軽とも確執を抱える
那須と他那須衆: 小田原征伐時の大関のスタンドプレーのせいで那須をトップにしてたパワーバランスが崩壊。当然関係悪化は危惧すべき
宇都宮と成田: 当主に嫡子無し。成田は実弟への継承が許されたが同じような流れを望んで浅野家からの養子縁組を蹴った宇都宮は少々不自然な改易

947 :人間七七四年:2021/04/29(木) 12:15:01.87 ID:4andVoRn.net
浅野長政に与力支配と取次を命じてるんだからどのみち豊臣を頂点とした軍事組織化したいってことだろ。
家康に頼まないのはこの手の取次は各家との結び付きが強くなってしまう(三成と上杉がいい例)から排除したんだろ

948 :人間七七四年:2021/04/29(木) 12:41:41.85 ID:GkSXNOXh.net
それを警戒とは言わんわな

949 :人間七七四年:2021/04/29(木) 16:57:26.14 ID:K2JTHedI.net
>>945
実の所、この時期だと反抗してくれた方が取り潰しの口実が出来てうれしいくらいでは。
朝鮮出兵を前提に考えるからそうなるんで、国内の安定考えるならその方がね。

あと、東海五か国130万石時代の蔵入地が約30万石、松平同族合わせるとこれも30万石。

関東移封後は、蔵入地約100万石。つまり自分の蔵入地のみ増やして家来の領地据え置き。
これさあ、かなり不満でたと思うんだよね。
この時期の徳川ってそんなに一枚岩かねえ。

950 :人間七七四年:2021/04/29(木) 17:28:38.28 ID:KoCj9TdV.net
三河旧領に家臣ら残していいと秀吉が朱印状のこしてんだから反攻されりゃ秀次の尻に火がつくわな
挙げ句関東東北ももっかい火薬庫化か、今まで豊臣政権がやりたかった事全部パーになって何がうれしいんだか

たとえ話荒らしが乗っかって荒らしに来るの目に見えてたから、あんな想像だけの感想文を書いてほしくなかったな

951 :人間七七四年:2021/04/29(木) 17:35:26.57 ID:tmIFn702.net
同じ人がキャラ変えて荒らしてるだけに見える

952 :人間七七四年:2021/04/29(木) 19:23:05.44 ID:V5xAf/lM.net
「十全の信頼(そもそもその定義は何だよ。感情論か?)」か「警戒」の二択以外ありえないってのが極論すぎてなあ
豊臣なんて古くからの地盤がほぼ無いんだから「何があっても豊家に滅私奉公してくれるだろうとまでは思ってないけど
コイツ信じてダメだったら最初からどうやっても無駄だったってことだろう」って割り切った人事しないといけないのは当たり前

953 :人間七七四年:2021/04/29(木) 19:40:00.83 ID:2uR7FAiY.net
家康が逆らってくれれば殺せばいいだけだし
唐入りの邪魔にならない駒として使えればなんでもいいという感じだろう

954 :人間七七四年:2021/04/29(木) 20:06:16.11 ID:9NRVN2LU.net
>>952
それなら家康を「信頼してる」と「警戒してる」は尚更両立しなくね?
警戒する様な奴を信頼は出来ないし、
信頼してる奴を警戒してるなら二重人格かサイコやん

955 :人間七七四年:2021/04/29(木) 20:19:41.02 ID:mz2Lqkg4.net
>>954
普通、どんな人間関係でも警戒と信頼のどちらかを10・0の割合になんかしないけど

956 :人間七七四年:2021/04/29(木) 20:29:12.56 ID:V5xAf/lM.net
>>955
そもそも「家康ピンポイント狙いで特大の警戒してた」って主張してるのが君と例え話しかおらんのだが

957 :人間七七四年:2021/04/29(木) 20:30:11.55 ID:V5xAf/lM.net
ごめんなさい間違えました。>>956>>954

958 :人間七七四年:2021/04/29(木) 21:44:58.53 ID:JAl1fR/7.net
信用はしているが信頼はしていないというやつじゃないの
そんな内面の話は記録に残らんだろうからなんとも言えないが極端すぎるわ

959 :人間七七四年:2021/04/30(金) 03:07:34.96 ID:eip4eMDK.net
秀吉が家康を「十全に」信頼してたかというのはぶっちゃけ大した問題じゃない
結局他の奴と比較して相対的にマシかってだけ。より理想的な候補像描いたところで実在しない人間は頼れないんだから
家康に大きな力与えといて他の奴より警戒するなら、最初からその警戒役を家康の代わりに重用しとけよという話

960 :人間七七四年:2021/04/30(金) 08:11:32.25 ID:6NnU6ZCR.net
三成の話題に収まらないから間口を広げたスレタイをと考えて立てたけど
現状見るに次はあと少し間口を広げたスレタイを考えるかな

961 :人間七七四年:2021/04/30(金) 10:58:24.08 ID:evCDk7Ew.net
>>931
その後浅野長政と伊達政宗は対立するね。
その後取り次いだのが石田三成。
政宗と三成が仲良くなる。また三成らは政宗を懐柔するために、政宗の長男秀宗と婚約させる。
秀宗は関ケ原の合戦中秀家の屋敷で丁重に扱われる事になる。
(宇喜多家が滅亡するとこの婚約は解消、秀宗は井伊直政の娘と婚約する事になる)

政宗は慶長3年に松平忠輝(家康の6男)と長女五郎八姫を婚約させている。

家康派の会合メンバー
福島正則、池田輝政、森忠政、織田長益(有楽)、黒田孝高(如水)・長政親子、藤堂高虎、有馬頼則、有馬豊氏、
金森素玄(長近)、新庄直頼、京極高次、京極高知、伊達政宗、最上義光、堀秀治、大谷吉継、蒲生秀行、田中吉政、
富田信高等

にしれっといる(但し2次資料「毛利家文書」

慶長4(1599)年2月9日、石田三成は大坂屋敷で茶会開催。その時の茶会の客は、
宇喜多秀家、伊達政宗、小西行長、神屋宗湛(博多の豪商)、途中から三成の兄・正澄も参加)

政宗は実は宇喜多秀家を通じて石田三成とも親密に交際しているのがわかる。

962 :人間七七四年:2021/04/30(金) 11:04:41.19 ID:s9vSCkNd.net
>>961
自分の投稿に自分でレス付けてて楽しい?

963 :人間七七四年:2021/04/30(金) 11:06:21.69 ID:evCDk7Ew.net
>>946
政宗は長政を何時殺そうか考えている問題児
それでいて三成と仲がいい
(家系図見るとどちらも蘆名の血縁)
かといって三成のマブダチの政宗の従弟の佐竹義宣とは殺し合った仲

三成は、自分の派閥に政宗を入れたくて政宗と義宣と上杉景勝と合わせた時
いたずらして二人を怒らせている。

なので三成は宇喜多秀家と政宗の関係を深めさせた
(でも政宗は細川忠興と島津忠恒、小早川秀秋らと仲良かった)

三成が政宗を味方に付けたかったのは
佐竹義宣の母親が政宗の叔母(佐竹義重は家康シンパ)なのと
最上義光の妹が伊達政宗の母親という点が大きい(ただ駒姫を秀吉に殺されているから)

964 :人間七七四年:2021/04/30(金) 11:07:34.76 ID:evCDk7Ew.net
>>962
961と931は違うと思うけど

もしかして 老眼 ???

965 :人間七七四年:2021/04/30(金) 11:40:58.13 ID:evCDk7Ew.net
>>962
老眼さん大丈夫か?

966 :人間七七四年:2021/04/30(金) 11:54:54.38 ID:s7VZx2vL.net
>>950
こういうのは、賭けの要素もありますし。織田信長は武田滅ぼした後、武田の遺臣を露骨に弾圧して
居ます。酷い様ですが二年も時間あれば逆に安定したでしょうね。
史実は数カ月で本能寺の変が起こり、一揆が起こり甲斐信濃は徳川領にですが間違いだとも。

北条、徳川、伊達の三氏が同盟して反抗が怖かっただけで、北条が滅び、伊達が実質領地半減した
この時期、徳川がもう一度反抗は寧ろありがたいのでは。
大名配置が、家康が妙な動きしたらすぐさま討伐軍出せる形に見えるし。

967 :人間七七四年:2021/04/30(金) 13:45:09.18 ID:4njJqQoq.net
また〜〜に見えるだよ
ろくでもない事言ってないで研究の一つでも読めよ例え話荒らし
まともな研究者で〜〜に見えるからって断定してるアホいないぞ

968 :人間七七四年:2021/04/30(金) 13:49:38.73 ID:4njJqQoq.net
こっちは理由を挙げてそう言う解釈は難しいって話をしてるのに
根拠にもならないド素人の思い込みですって言われても、バカ言ってないで研究の一つなり読んで来い以外言われないってわからんのか

969 :人間七七四年:2021/04/30(金) 14:54:23.77 ID:bTu/HuvH.net
政宗ってアイツ結構役者だからなぁ。
家康とも仲良いし、関ヶ原だと東軍になって上杉領切り取るぜェ!だし、
関ヶ原終わったら秀頼は江戸に住むべきだと言ったり(結果的にこれは正しかった)
政治能力高そう。

970 :人間七七四年:2021/04/30(金) 15:18:28.57 ID:GDEUktUd.net
へー、秀家と三成と伊達政宗って仲良しだったんだね
西軍が勝ってたら史実とは違う事言ってそう

971 :人間七七四年:2021/04/30(金) 16:51:08.03 ID:evCDk7Ew.net
>>968
そんなに研究したいなら大学とかに戻って研究しろよ

ここは在野の連中(すなわちド素人)が楽しく遊ぶところだぞ

あなたのようなプロはもっとレベルの高いところでお話しされた方がいい

私の従兄弟伯父に伊達騒動の研究の第一人者がいるけど多分あなたの知識はそれ位の
上のレベルの人でしょうね。我々雑魚相手にその頭脳を無駄遣いしちゃダメだよ。

>>969
政宗はそうでも叔父が治めていた国分を滅ぼしたり、伊達成実に見切りつけられて出奔されたり
白石一族が和賀一族と組んで南部領攻めるの黙認したり中世大名だった国人領主と小大名の連合体から
近世大名になろうとしたところで大変苦しんだ。これは島津氏もそうだけど・・・。

972 :人間七七四年:2021/04/30(金) 16:54:33.90 ID:s9vSCkNd.net
>>971
> ここは在野の連中(すなわちド素人)が楽しく遊ぶところだぞ

残念ながらお前のやってることは、お前以外、ここのほぼ全員が「楽しくない」んだよ。
独りよがりで自分の主張を押し付けているに過ぎないんだわ。

973 :人間七七四年:2021/04/30(金) 17:01:34.99 ID:D2b5ezal.net
そういえば伊達政宗が大阪の陣で
味方を撃ったのってなんでなの?

味方の敗走に巻き込まれたくないから?
ただ単に邪魔くせーから?

974 :人間七七四年:2021/04/30(金) 17:02:02.61 ID:evCDk7Ew.net
>>972
そうなんだ

だけどさ、キミは

962 返信:人間七七四年[sage] 投稿日:2021/04/30(金) 11:04:41.19 ID:s9vSCkNd [1/2]
>>961
自分の投稿に自分でレス付けてて楽しい?

と、書いた人だよな?

自分のミスの謝罪もせずにあたかもここの代表気取りはどうなの?

>>ここのほぼ全員が「楽しくない」

これ断言しちゃっていいの?

975 :人間七七四年:2021/04/30(金) 17:03:33.07 ID:4njJqQoq.net
>>971
知識の話じゃねーわ
最低限主張したいなら先行研究追いましょうソースをつけましょう思い込みで喋らないようにしましょう
程度の常識の話を問われて、できないで開き直るとかどんな教育されてたんだよ

あとオレはたとえ話荒らしの行動に怒ってるのになんで君が突っかかってくるのかな?不思議だなぁ

976 :人間七七四年:2021/04/30(金) 17:08:24.09 ID:4njJqQoq.net
他人と意見交わす場で
主張の根拠問われて感想です、否定されても聞く耳持たないです、自分の主張が通るまで根拠や研究ないけど繰り返します

これやっていいと思うなら非常識極まりないから、他人と関わるべきじゃないよ、最低限の礼節を弁えられてないから

977 :人間七七四年:2021/04/30(金) 17:09:21.03 ID:evCDk7Ew.net
>>975
別に主張じゃなくて歴史の雑談してるのですが
そもそも5ちゃんで学術的な話をするところなのですか?
それとあなたはプロなんですか?
プロならプロの研究の場所であなたの持論をソースつけて述べて下さいという事ですよ。

ここはみなさんド素人ですよ。プロならプロのいるべき場所で議論して下さい。

978 :人間七七四年:2021/04/30(金) 17:10:39.50 ID:evCDk7Ew.net
>>976
まんまブーメランですよね?

もう少し人と交流した方がいいのでは?

プロですよね私みたいな素人みたいな戯言になにオコなんですか?

979 :人間七七四年:2021/04/30(金) 17:13:23.04 ID:oypmfvxG.net
>>973
単純なフレンドリーファイアだったんじゃない?
家康も昔見回りしてたら味方に撃たれたって話あるし。

980 :人間七七四年:2021/04/30(金) 17:14:27.27 ID:evCDk7Ew.net
なんかボクだけの世界にGWになってボクと違う考えを持つ人が表れた(私は今日来てちょろっと書いたつもりなのに)ので
理由をつけて排除しよう

962 返信:人間七七四年[sage] 投稿日:2021/04/30(金) 11:04:41.19 ID:s9vSCkNd [1/2]
>>961
自分の投稿に自分でレス付けてて楽しい?


私のコメントは931に対してレスをつけただけなのに(多分この人が931の人なのか?)

という感じなのでしょうね。

981 :人間七七四年:2021/04/30(金) 17:15:21.81 ID:evCDk7Ew.net
>>979
まあよくある事ですからね。

982 :人間七七四年:2021/04/30(金) 17:15:33.09 ID:4njJqQoq.net
>>978
プロなんかじゃないよ、プロに失礼 君が素人かどうかの話もしてない
話聞かないわ 論の根拠も持ってこれないのに他人に主張を押し付けるなっていう「常識」の話を言ってるだけ
これが分からないなら、他人と関わるべきじゃない 意見の取り交わしにならないし、その態度は他者をバカにしてるとまで取れるから

983 :人間七七四年:2021/04/30(金) 17:16:28.46 ID:evCDk7Ew.net
962 返信:人間七七四年[sage] 投稿日:2021/04/30(金) 11:04:41.19 ID:s9vSCkNd [1/2]
>>961
自分の投稿に自分でレス付けてて楽しい?

961自分:人間七七四年[] 投稿日:2021/04/30(金) 10:58:24.08 ID:evCDk7Ew [1/10]
>>931
その後浅野長政と伊達政宗は対立するね。
その後取り次いだのが石田三成。
政宗と三成が仲良くなる。また三成らは政宗を懐柔するために、政宗の長男秀宗と婚約させる。
秀宗は関ケ原の合戦中秀家の屋敷で丁重に扱われる事になる。
(宇喜多家が滅亡するとこの婚約は解消、秀宗は井伊直政の娘と婚約する事になる)

政宗は慶長3年に松平忠輝(家康の6男)と長女五郎八姫を婚約させている。

家康派の会合メンバー
福島正則、池田輝政、森忠政、織田長益(有楽)、黒田孝高(如水)・長政親子、藤堂高虎、有馬頼則、有馬豊氏、
金森素玄(長近)、新庄直頼、京極高次、京極高知、伊達政宗、最上義光、堀秀治、大谷吉継、蒲生秀行、田中吉政、
富田信高等

にしれっといる(但し2次資料「毛利家文書」

慶長4(1599)年2月9日、石田三成は大坂屋敷で茶会開催。その時の茶会の客は、
宇喜多秀家、伊達政宗、小西行長、神屋宗湛(博多の豪商)、途中から三成の兄・正澄も参加)

政宗は実は宇喜多秀家を通じて石田三成とも親密に交際しているのがわかる。

984 :人間七七四年:2021/04/30(金) 17:16:42.57 ID:6NnU6ZCR.net
>>960で書いたように次スレ立ててみるかな
気に入らなかったら、立て直してくれれば良いし

985 :人間七七四年:2021/04/30(金) 17:17:06.72 ID:evCDk7Ew.net
ID:s9vSCkNd [1/2] さん 老眼なんですか?

答えて下さいよw

986 :人間七七四年:2021/04/30(金) 17:18:55.85 ID:evCDk7Ew.net
要するに ID:s9vSCkNd [1/2]さんは人の事荒らしというけど

自分の否は一切認めないという心が小さい人間なんですねw

987 :人間七七四年:2021/04/30(金) 17:21:26.54 ID:evCDk7Ew.net
ID:4njJqQoq さん あなたプロじゃないの?

>根拠にもならないド素人の思い込みです

なんか人の事素人と馬鹿にしてたのに
あなたもド素人の思い込みなんじゃないですか?

988 :人間七七四年:2021/04/30(金) 17:23:48.74 ID:evCDk7Ew.net
まあどこにも残念な人がいますが、ここには2匹程いましたね。

1人は自分の間違えを認めない ID:s9vSCkNd
もう1人は人を素人と罵ったけど自分も素人の ID:4njJqQoq

私の書き込みに反論できず、人格攻撃しかできないわけですよ。

この時点でこの2人は負けなんですよね。

私は、この2人が私の人格攻撃をしてきたから反撃したけどこれに対しても反撃できそうにもないですね。

989 :人間七七四年:2021/04/30(金) 17:23:54.23 ID:6NnU6ZCR.net
今度は一応秀吉の生前の話題も含められるように考えて立ててみた

豊臣政権崩壊の要因となった事柄、事件等を考える

https://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/sengoku/1619770869/

990 :人間七七四年:2021/04/30(金) 17:24:16.93 ID:evCDk7Ew.net
私の人格攻撃をして反撃をしたつもりでしたが逆に返り討ちにあったわけです。

991 :人間七七四年:2021/04/30(金) 17:24:33.97 ID:evCDk7Ew.net
>>989
そちらにいかないのでご安心ください

992 :人間七七四年:2021/04/30(金) 17:24:49.55 ID:evCDk7Ew.net
はやく反論してみて下さい

993 :人間七七四年:2021/04/30(金) 17:25:11.80 ID:4njJqQoq.net
>>987
人の話聞いてないの?研究者の研究や秀吉朱印状の存在からその解釈は厳しいと、普段から例え話で荒らすやつに怒ってたんだけど

994 :人間七七四年:2021/04/30(金) 17:25:32.04 ID:evCDk7Ew.net
962 返信:人間七七四年[sage] 投稿日:2021/04/30(金) 11:04:41.19 ID:s9vSCkNd [1/2]
>>961
自分の投稿に自分でレス付けてて楽しい?

自分の投稿に自分でレス付けてませんけどねw

995 :人間七七四年:2021/04/30(金) 17:26:11.48 ID:evCDk7Ew.net
>>993
私にその事についてレスアンカーしてませんよねw

996 :人間七七四年:2021/04/30(金) 17:27:04.25 ID:evCDk7Ew.net
967 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2021/04/30(金) 13:45:09.18 ID:4njJqQoq [1/6]
また〜〜に見えるだよ
ろくでもない事言ってないで研究の一つでも読めよ例え話荒らし
まともな研究者で〜〜に見えるからって断定してるアホいないぞ

968 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2021/04/30(金) 13:49:38.73 ID:4njJqQoq [2/6]
こっちは理由を挙げてそう言う解釈は難しいって話をしてるのに
根拠にもならないド素人の思い込みですって言われても、バカ言ってないで研究の一つなり読んで来い以外言われないってわからんのか

はい証拠、これ私に対するのであればレスアンカー付けるべきですよね

要するに自分のミスを私に転嫁しているわけですよ

997 :人間七七四年:2021/04/30(金) 17:27:20.13 ID:evCDk7Ew.net
つまんねー男だ

998 :人間七七四年:2021/04/30(金) 17:27:39.39 ID:evCDk7Ew.net
レスアンカー付けないで、私に対する意見だと後出しですねw

999 :人間七七四年:2021/04/30(金) 17:27:51.74 ID:4njJqQoq.net
勝手に食ってかかってきて、その前段階聞いてませんでしたとか言われても知らんがなでしょ
食ってかかってきたならせめてそこの文章程度読んでおきなよ

1000 :人間七七四年:2021/04/30(金) 17:27:58.03 ID:evCDk7Ew.net
その程度の奴がプロぶって、実は素人なんてね

1001 :2ch.net投稿限界:Over 1000 Thread
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