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五胡十六国時代について語るスレ6

1 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/25(水) 12:05:26.66 ID:dPsMGA9V0.net
いまだ! 五胡十六国時代、盛り上がってるぞ!

前スレ
https://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/chinahero/1517369066/

関連

晋書
ttps://zh.wikisource.org/wiki/%E6%99%89%E6%9B%B8
魏書
ttps://zh.wikisource.org/wiki/%E9%AD%8F%E6%9B%B8
資治通鑑
ttps://zh.m.wikisource.org/wiki/%E8%B3%87%E6%B2%BB%E9%80%9A%E9%91%91

資治通鑑本末訳(渡辺 省氏)
tp://www2.ktarn.or.jp/~habuku/tsukankize.htm

人物伝訳
たけまんま氏
ttp://www.geocities.jp/takemanma/person.html
増田ジゴ氏
ttp://blog.livedoor.jp/masudazigo-2nd/

勢力変遷動画
ttps://www.youtube.com/watch?v=ugjAoQJKBWc

2 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/25(水) 12:14:54.07 ID:KRS0a0zw0.net
>>1
乙でごわす。

3 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/26(木) 16:17:03.85 ID:/tkaWSSw0.net
>>1
乙弗

4 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/26(木) 18:09:38.88 ID:xTjeFd8F0.net
北単于>>1乙回

5 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/26(木) 20:30:36.25 ID:oibBvPs+0.net
>>1
前スレ無事埋まったあああぁぁぁぁぁ

6 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/26(木) 21:01:49.66 ID:y8MI4r5k0.net
>>1
須蠣蛇剃乙。羽牙鮮卑爬尉岱那莉。於扶羅拓跋廼盈耿、鹿歩根天可汗吐鰐亜裙琳于。

(鮮卑語 
 日本語訳: スレ立て乙。我らが鮮卑族は偉大なり。拓跋氏の栄光は、宇宙一のハーンとして永遠に語り継がれるであろう。
 (訳:独孤紹))

7 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/26(木) 23:21:20.02 ID:bvnyI+Du0.net
前スレラストのきれいな王猛を描こうとした瞬間にぶちこまれまくる「あれはクズだろ」弾幕が、ちょっと訓練され杉のムーヴで草

まあ俺も弾幕の一員だが

8 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/27(金) 03:34:13.43 ID:Ruu8TjgE0.net
まあ王猛の子孫は北魏で大貴族として厚遇されてるから評価自体は高かったんだろうけどね。

9 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/27(金) 12:51:34.34 ID:XVvdGwww0.net
樊世「我々か耕したものをお前は食うだけなのか」
王猛「ついでに炊事もしてくれよ(ゲス顔)」
なんでケンカ売る必要があるんですかね

10 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/27(金) 19:34:58.08 ID:AIN9gs6F0.net
樊世は王猛を罵倒して苻堅激おこで斬首されてるから
王猛も大概だが樊世も自業自得

11 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/27(金) 19:42:45.36 ID:PPdU675x0.net
苻堅(遡ると苻洪)の家系が略陽氐の中でもそこまで貴種じゃなかったことが伺える逸話なんだと思う
これが羌族の中でも代々酋長として中華王朝から官位もらってきた姚氏との最大の違いだろう

12 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/28(土) 00:59:54.63 ID:+Ml8A3km0.net
>>9
この逸話は、その部分だけを切り取るんじゃなく前後も読むべきだと思うよ
それを踏まえると、
樊世は苻洪→苻健→苻生の三代にわたって仕えた重鎮
対する王猛は、苻生を殺して苻健系から帝位をうばった苻堅の重臣
という関係が浮かび上がるわけで
これでキナ臭くならなかったら嘘だよねえ

だから、この話は「傍流(苻健の末弟の息子)からのし上がった苻堅とその一派が、
苻健恩顧の不満分子を粛清した」ことを示してるんだと思う
別に、王猛がゲスゲスアンドゲスだったいうことではないだろうね

13 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/28(土) 11:39:11.79 ID:BLgLOrBQ0.net
楊璧とかいうモテモテボーイの件もあれやな

14 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/28(土) 15:08:02.95 ID:06m3MeAN0.net
【皇室】秋篠宮妃“紀子さま”と“美智子さま”の『異常性』〔心理学悪用編:小室眞子さま〕★2

ICU大学時代、山守さんも小室さんも同じスキー部員だったとの話。
そのスキー部に眞子様もいた事実。
少ない人数のスキー部内で男を、とっかえひっかえの眞子様。
しかも小室さんに乗り換えた後、山守さんも居るスキー部で活動継続。

小室さんに騙されたとかいう風潮は、あまりにもおかしい。
2012年の留学中に英国で知り合ったアジア人や日本人とも関係を持って・・・(以下略)

詳細は、以下のスレッドでどうぞ!!

〔2chのスレッド〕:https://rosie.5ch.net/test/read.cgi/liveplus/1532735877/
〔記事元〕:http://www.laf.im/yahoo_co_jp-news-20180703

15 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/28(土) 21:29:49.12 ID:GUafQxrP0.net
この時代はなんで勃興と滅亡のスパンが短かったんだろうな
東晋はまがりなりにも百年保ったのに

16 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/28(土) 22:09:01.05 ID:BLgLOrBQ0.net
大正義長江

17 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/28(土) 22:43:06.49 ID:h+u83Fyt0.net
乱世だから軍人が力を持ってて
異民族が中華的秩序に染まってなくて
多民族同士が自立したがって争いあい
上から下まで、望みは「力で叶える」事が普通だったから
短期に勢力が興亡するのかな

18 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/28(土) 23:34:40.49 ID:oOIjbU0y0.net
劉和から始まって
「雑魚は死ね」がまかり通ってるものなあ
劉粲、石弘、季龍ジュニア、
楽しいぼくらの慕容、
暴君(要検討)苻生、
高雲、段業。

いかん、弱者に優しくない。

19 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/29(日) 11:32:15.19 ID:EQFjR15aO.net
古き秩序が崩れ全ての人々が明日を生き抜き夢を追っていた時代、といえば格好よくも聞こえるが
古代中国版核戦争後の世紀末とかワールドオブヒャッハーと言った方が正しいもんなぁ。
五代十国も大概だけど、この時代の人間の飛び出っぷりトンガリっぷりには敵わない。

20 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/29(日) 18:37:20.08 ID:rwlrGoOC0.net
サバイバル世襲という遊牧民の謎相続方式
ガイジかな?

21 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/30(月) 14:03:57.99 ID:k1+BcWYT0.net
>>19
五代十国と比べると弑殺のカウントが少ないのが五胡十六国

22 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/30(月) 15:30:26.46 ID://vaEZiK0.net
>>21
なお

23 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/30(月) 15:30:30.47 ID:Bhx7qEsC0.net
>>20
動物として正しい生き方やぞ。ちょっと効率悪いなと思って改められたし

24 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/30(月) 15:32:29.90 ID:O4ADDCIm0.net
命の値段が安いととんでもない行動取る奴が続出するからね。
日本でも室町時代辺りまでは天皇から下人まで総ヒャッハー

25 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/30(月) 18:42:08.80 ID:pk+7WWqX0.net
>>15
飢饉頻発による食糧不足が原因。
西晋食貨志でも穀物価格の高騰が記録されているように政治不安は必然

26 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/30(月) 22:31:51.11 ID:Lcm3BOhn0.net
劉総「人妻NTRウマー」
石虎「美女を徴収するお」
李勢「人妻NTRウマー」
劉裕「司馬一族は滅族な」
侯景「我こそは宇宙大将軍である(キリッ」
宇文贇「ウザい奴は粛清ね」
陳叔宝「酔ってるうちに国が滅んでた。ま、いいや」

27 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/31(火) 00:59:38.66 ID:TOSMLtxx0.net
>>26 肝心要の勃勃タソが入っていないではないか!

28 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/31(火) 12:40:11.55 ID:w9tGmCOS0.net
隋文帝の皇后、唐高祖の生母はいずれも独孤氏で、匈奴の有力部族、
唐太宗の皇后の長孫氏、また二十四功臣の筆頭である長孫無忌は、北魏創業から続く鮮卑拓跋部の名族、
同じく二十四功臣の一人である尉遅敬徳も、鮮卑部族の出自、
隋の煬帝の重臣で、後に帝位も僭称した宇文可及は、その姓の通り北周の皇族の生き残りで匈奴系鮮卑、
ほか賀若弼、賀婁子幹など、遊牧部族の末裔が朝臣として名を連ねている。

隋の楊氏、唐の李氏は、漢の名族の末裔を自称しているから精神的には漢化していたのだろうが
北周時代は普六茹、大野という鮮卑姓を名乗っていた。
(北周時代の楊堅の名前は、「普六茹那羅延」)
正確な出自は不明であるが、確かなことは、楊氏も李氏も漢化とは疎遠だった北魏六鎮の出身で、
軍閥時代から独孤、宇文、普六茹(楊)、大野(李)の各氏で姻戚関係を結んでいた。

隋も唐も漢胡の連合政権であり、五胡十六国、南北朝という民族ガラガラポンの時代があったからこそ
後に大唐帝国の黄金時代が生まれたと思うと非常に感慨深いものがある、

29 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/31(火) 13:39:11.30 ID:8do6TUFi0.net
人のカサブタ食べるのが好きな武将って誰だっけ?

30 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/31(火) 13:41:27.16 ID:8do6TUFi0.net
南北朝の時代の人だった

31 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/31(火) 17:54:00.85 ID:2DSMnUpJ0.net
ググったら劉穆之の孫か
劉穆之はグルメだったみたいだがなんちゅう孫や

32 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/01(水) 12:34:53.05 ID:sART8q0Q0.net
この時代の劉氏は匈奴率が高いから紛らわしい
ドッコ氏も隠れんボツボツも、もとは劉姓だからな

33 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/01(水) 17:08:21.87 ID:sa+4bEiu0.net
この時代のイレギュラー的存在ってやっぱり符堅?

34 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/01(水) 17:20:08.97 ID:wbFceYId0.net
石勒
ここまで身分低くて皇帝に成り上がった異民族というのもやベーだろ

35 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/01(水) 17:20:45.66 ID:wbFceYId0.net
苻堅は統一皇帝のなり損ないという意味では貴重

36 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/01(水) 17:21:38.55 ID:948HP7I30.net
東晋は末期になって劉姓がわらわら出てきた印象がある

劉裕
劉道憐
劉道規
劉懐粛
劉懐慎
劉牢之
劉敬宣
劉毅
劉穆之
劉道産

37 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/01(水) 17:38:35.28 ID:LSuoEeTC0.net
南燕に亡命した劉軌

38 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/01(水) 18:49:54.06 ID:xk9Klq6V0.net
劉遵孝
劉粋
劉藩
劉鍾
劉柳

辺りもおさえておくとよいぞよ

39 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/01(水) 19:02:33.48 ID:xk9Klq6V0.net
東晋末は
有力相続の司馬休之を倒すまえに、
セミファイナルとして謝氏やチ氏辺りも
巻き添えにして、
「晋をぶったおす劉氏は誰だ?!」
みたいなチキンレースが
あったと妄想してみたい

40 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/01(水) 20:01:55.86 ID:ZqDgpsnU0.net
西晋も東晋も劉氏に滅ぼされてるのは因果だな

41 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/01(水) 20:07:38.21 ID:ZqDgpsnU0.net
そもそも劉備が本当に漢室の流れを汲んでるのか
それともたまたま姓が一緒だったから自称したのか
真相は定かではない

42 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/01(水) 20:35:04.08 ID:4Kez104I0.net
劉備は出世の速さや有力者のコネの強さ見てるとただの馬の骨ではないんだろうけど結構出自が複雑そうではある。

43 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/01(水) 21:07:49.45 ID:sxBfSH/7O.net
>>41
大体百二十人の子女(つーても劉姓だと男の末裔だけど)の末裔っていう、非常に何とでも言えるよなーな類の末裔だからそもそも微妙。

44 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/01(水) 22:40:22.68 ID:ETq5fq6w0.net
でもそうしたら、光武帝劉秀も本当に漢の帝室の流れをくむか怪しくならない?
景帝の末裔らしいけど、勝てば官軍で、系譜なんて後からいくらでも創作できるからな。
当時は劉秀に限らず、ごろつきや群盗の輩までがそこらの劉姓の者を担ぎ出して天下取りに参加していたし。

単純に前漢・後漢と、中興を経て一つの王朝が400年続いたかのように言われているけど
本当に前漢と後漢は同じ血族の王朝なのだろうか?

45 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/01(水) 23:59:16.55 ID:UjuUxpNg0.net
>>44
>当時は劉秀に限らず、ごろつきや群盗の輩までがそこらの劉姓の者を担ぎ出して天下取りに参加していたし。
…ねえ君、きちんと後漢書読んだことある?

46 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/02(木) 02:53:37.98 ID:7WJcrfV10.net
よく知らないけど劉備とか劉表とかは新しい漢王朝立てて後漢に取って代わるって腹なの?
少なくとも劉璋はそういうのあんま考えてなかったみたいだけど。

47 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/02(木) 07:37:30.02 ID:kR8EVnhL0.net
それこのスレと関係なくねーだろw

48 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/02(木) 08:43:44.43 ID:40PZyMK00.net
劉表は荊州の領有だけで満足してなかったか? 天下取りの野心は無かったと思う。
劉備は大志があったろうな。仮に曹操を滅ぼして入洛しても、天子の下で大人しくはならず、今度は劉備自身が曹操のようになっていたと思う。
この時代の英雄は誰もがそう。群雄割拠の時点で漢王朝の命運は尽きることが決定していた。

もっとも曹操がいなければ、後先考えず五胡を中原内に引き入れ、後の戦乱に発展することもなかったかもしれないが。

49 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/02(木) 10:03:52.84 ID:eaGm4ToTO.net
>>48
劉表は一回だけだか荊州で郊祀をしてる。
郊祀は天子(皇帝)のみの専祀だから、内々のこっそりにしろ帝位を窺覦する行為はしてる。
実際に天下取り出来る力は無かったにしろ、あわよくばの意思だけはあったみたい。

50 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/02(木) 10:04:43.85 ID:+8O6yS5J0.net
曹操以前から胡族の流入は始まってた定期

51 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/02(木) 11:15:45.79 ID:JPO+PyAd0.net
>>50
だよねえ
胡族に関しては、前漢後期には傭兵として使われてたという漢書の記事があるし、
後漢の光武帝の時代には胡族流入の多さが語られてたりもする
まさか今頃になって、「十六国時代の遠因は曹操にある!」という廃説を見るとは思わなかった

52 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/02(木) 11:22:47.06 ID:UKrxyetC0.net
最近だと楚漢戦争の時も異民族が傭兵として使われてたって説も出てきてるからね

53 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/02(木) 13:31:00.54 ID:Z+rkknjQ0.net
前漢末期や光武帝の頃の胡族はそこまで暴れてねーだろ
五胡の時代に自立したのは魏晋の時代に流入したり傭兵として雇われていた連中だ

タクバツ氏だって、三国時代に中原と関わりを持ったから、魏という国号を称したし

54 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/02(木) 19:11:40.88 ID:2yPycUBy0.net
>>53
つい最近キングダムで「犬戎が周を滅ぼした」
って書かれたばっかりだってのに何を言ってるんだお前は

55 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/02(木) 19:35:15.08 ID:HyNkttrT0.net
安帝の時点で西羌や南匈奴や烏桓が反乱起こして滅亡寸前になった定期

56 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/02(木) 19:57:03.53 ID:iDYa7P900.net
>>55
三国時代って各国ともよくもまあ滅亡せんかったよな
魏とか経営ウンコっぽいけど

57 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/02(木) 20:07:36.20 ID:2yPycUBy0.net
どこもかしこもうんこだから
どこもかしこもそれどころやなかったんやで

58 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/02(木) 20:37:12.16 ID:Nehls3x90.net
>>53
うーむ、こちらは「異民族の流入は後漢末〜三国期に突然始まったわけではない」という
趣旨のつもりで書いたんだが、伝わってなかったみたいだ

それと、自立した五胡のうち氐と羌は商(殷)の時代から関中〜四川に居住してたし、
羯は少なくとも後漢代には幷州に住み着いてる
南匈奴も後漢代には(以下略)だし、鮮卑は光武帝の時代から幽州に居て、
桓帝の頃の檀石槐なんかは冒頓単于以来の強盛を誇ったりもしてる

要するに、魏晋どころかそれ以前の段階で「五胡」は中国の領域内にいるのよ
突然どこからともなく出現し、長城を越えて侵入したりしたわけではないよ
>>55が書いてるように、後漢中期には異民族統御に四苦八苦してて、これが
十六国時代への伏線になっちゃってるんだよね…

59 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/02(木) 22:30:50.82 ID:CJbHkdAu0.net
この時代知った頃は
中国が内乱で荒れてたから、騎馬民族が万里の長城越えて侵略してきた
くらいなイメージだったけど
朝廷に使えてた連中(の子孫)もいるみたいだし
外国人傭兵部隊が国を乗っ取った、くらいなほうが
イメージ近いのかな

60 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/02(木) 22:42:40.60 ID:9Gswdnd80.net
劉淵親子なんてエリート士大夫だからね。
前燕建国まではあくまでも寒門の不満分子と外国人傭兵の反乱の方が近い。

61 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/03(金) 00:15:36.85 ID:8MerJU5n0.net
ヒ水の戦い前の前秦の領土は、三国時代でいうところの、魏+蜀+呉の長江以北
を占めており、天下統一前の西晋や隋に匹敵するものだった。
南北朝どころか、天下統一まであと一歩という状態だった。
慕容垂が「残るは米粒のような江南のみ」とゴマをすったのも、そこまで誇張でもなかった。

南征は無謀だと、(慕容垂以外の)群臣はもとより宗族からも猛反対された苻堅であるが、
司馬炎や楊堅は呉・陳を降して天下統一に成功しているわけで、単純に勢力図からみるとそこまで無茶にはみえなかったかもしれない。

しかし実際は大敗して、瞬く間に領土がしぼんで長安周辺しか維持できない一地方政権に落ちぶれ、
2年後には捕らえられて縊り殺されてしまったのだから、中央集権が全く機能せずまともに諸侯の統制もとれないハリボテ国家だったんだろうな。

62 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/03(金) 06:36:57.24 ID:R7kpgswk0.net
>>60
その一般化を打破する石勒の羯趙という困った存在

63 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/03(金) 08:01:53.86 ID:R7cmGRkt0.net
>>61
前秦との戦いに敗けて傘下に入った、母国での政争に敗けて亡命してきた連中をいれた
とかで1代で強国になったならば
「ギブアンドテイク」「力は正義」状態が濃厚で
国に対する忠誠心、愛国心ないだろうしなあ

64 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/03(金) 15:04:54.53 ID:lFE3xeV20.net
両鐙が登場したのってこの頃なんだよね
やっぱり劉淵や石勒辺りの騎兵は西晋の騎兵と比べて鐙とかの装備面も充実してたのかな

65 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/03(金) 15:51:48.66 ID:beHVXVOg0.net
>>64
出てくる出土物だと四世紀まではギリギリ片鐙だったような…

66 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/03(金) 16:27:30.84 ID:LTDKMYS80.net
ここで安禄山が一言↓

67 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/03(金) 21:17:17.39 ID:JEisyT4I0.net
>>61
西晋や隋と比べると、前秦はそこまで圧倒的ではなかったと思う
前二者と後者の南征における最大の違いは、「長江の制水権を握っていたか否か」に尽きる

西晋と隋は四川地域を完全征服していたけれど、前秦はそうじゃなかったんだよね
四川の成都・漢水の襄陽を攻め取ったあと、前秦はむしろ東晋軍に押し返されてるわけで
結局、前秦は長江に軍船を浮かべることはできなかった

これもひとえに西府軍の頑強な抵抗によるところが大きい
淝水戦を扱う概説書では、この辺は全スルーされてるけど、原因は“逆賊”桓温の一党の
活躍なんぞ扱えるか、という心理的な抵抗感なんだろうね
東晋中期〜劉宋初期をきちんと掘り下げるためにも、桓温〜桓玄に至る桓氏の業績の
冷静な再評価が必要だなあ、と個人的には思うよ

あと>>66、ごめんw

68 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/03(金) 21:30:17.99 ID:sMAshdor0.net
>>67
東晋の状況推移を知れば知るほど桓温の逆賊扱いって無理があるけど、無理してでも桓温を逆賊扱いしなきゃいけないだけのなにかがあった、と考えるのが妥当ですわな

その理由が桓玄の簒奪っつークッソ詰まらない理由であっては欲しくないが、ただ、宋書が桓玄ブッころを正統性の理由にしてる以上、棄却はしきれんのよなあ…

69 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/04(土) 01:36:16.25 ID:YcJVt0Y40.net
私の腹の中は皇上への赤心が詰まっておりまする

70 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/04(土) 06:18:44.95 ID:Xh/Alhkc0.net
>>67
資治通鑑だと「九月 堅至項城 涼州之兵始達咸陽 蜀漢之兵方順流而下 幽冀之兵至于彭城 東西萬里 水陸齊進 運漕萬艘」

なので蜀漢方向からも(当然全正面においてもだが)水運使って移動していたみたいだぞ

71 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/04(土) 09:37:01.57 ID:pzc6HMqs0.net
陛下、臣は無知な夷狄ゆえ教えていただきたいのですが、皇太子とはどんな官職なのでしょうか?

72 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/04(土) 09:44:19.50 ID:Dp4YvBV+0.net
>>71
宇文邕「皇太子?ああ、オレのサンドバッグの事ね」

73 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/04(土) 09:45:05.11 ID:Xh/Alhkc0.net
黙っていれば次の皇位が転がり込んで来る立場にもかかわらず、なぜか父帝を弑そうとするよく分からんポジション

74 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/04(土) 11:57:51.14 ID:vt+bEfPh0.net
>>70
申し訳ないんですが、「蜀漢之兵方順流而下」は
「蜀漢の兵、方(まさ)に流れに順いて下らんとし」であって、「流れに順いて下り」ではありません
実際に軍船を浮かべて下ったという意味ではないのです
後の文にも前秦の軍船が長江を下って行った記述はなかったように記憶しておりますが…

75 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/04(土) 12:42:57.20 ID:LjiHfAJE0.net
>>59
鮮卑拓跋皇帝様は、モンゴル高原を南下してきたチンギスハーン帝国の前身だ。漢にこき使われた匈奴や姜族とは格が違います。

76 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/04(土) 12:46:46.54 ID:j788/MIw0.net
>>74
東西萬里水陸齊進だから船使ってないという解釈の方が無理あるのでは

77 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/04(土) 13:19:10.60 ID:cVI0sypR0.net
>>74
方は「順流」にまでで而が「下」にかかってると読んだんだけど、方が全体にかかるように読んだ方がいいのかな?

78 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/04(土) 13:20:33.99 ID:cVI0sypR0.net
ID変わるなあ、70、73、76、77は同一人物です

79 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/04(土) 14:15:04.05 ID:oam6cc4N0.net
>>76
こちらが書いているのは、“長江”に軍船を浮かべて侵攻したかどうかについてです
それ以外の川に軍船を浮かべていないとは書いておりません
そもそも「長江の制水権」について語っているのに、伝わってないのでしょうか?

それと、>>77は「方(まさ)に流れに順わんとして下り」と読むということのようですが、
いささか無理がありませんか?
もしそう読むなら、どういう訳になります?

80 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/04(土) 14:18:39.55 ID:Xh/Alhkc0.net
>>79
あ、もういいですわ
そっちの勝ちでいいです

81 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/04(土) 14:22:42.20 ID:oam6cc4N0.net
申し訳ない
半年ROMる

82 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/04(土) 14:37:45.08 ID:Xh/Alhkc0.net
九月 苻堅は項城に至る
涼州の兵は咸陽に達し始め
蜀漢の兵はまさに順流せんとし而して下る
幽冀の兵は彭城に至る
東西萬里(にわたり)水陸齊進す
運漕萬艘(にものぼった)

蜀漢の兵が長江水系以外使って侵攻しようとしていたかどうかは不明、桓沖との交戦があったかどうかも不明
「長江の制水権」の用語の定義は意味不明だが前秦が蜀漢から水軍を侵攻させようとしていたことは記述されてる
俺が言いたいのはそれだけ

83 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/04(土) 16:11:31.58 ID:hO1jn3Yq0.net
DBZにこの時代の英傑をたとえてみて

84 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/04(土) 17:09:12.45 ID:j7IR/1ax0.net
>>82
うわー、相手が引っ込んだと見るやイキるのに草生えますわーw

>涼州の兵は咸陽に達し始め
この時点で大草原不可避ww
「始めて達し」だろ。おいお前、自分の書き下し文をきちんと現代日本語に翻訳してみろよオラァン

85 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/04(土) 17:22:03.92 ID:j7IR/1ax0.net
>>84
単なる負けず嫌いの食い下がり君なんやろ
こんなん触らずほっとくのが吉や、スレの空気が悪うなるで
以下>>83やな

86 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/04(土) 17:27:10.40 ID:DjQg+nLB0.net
自演バカ発見wwwwww
知能指数低すぎwwwwww

87 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/04(土) 17:34:10.30 ID:Xh/Alhkc0.net
>>84
どう読もうがこっちの勝手なんだけどね
「始めて達し」を採用しなかったのは単に日本語として字面おかしくなるのいやだったから
それだと「初めて達し」でしょ

初firstと始start or beginで使い分けようとしたら「達し始め」を使いたくなるってもんよ

88 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/04(土) 18:17:27.38 ID:EZTsRk6D0.net
王猛は桓温と面識あって自分の配下?に誘われてもいるんだよね本人は桓温に着いていくつもりだったけど師匠にあたる人に反対されたんだっけ


ここで桓温に着いていってたら東晋(南朝)再統一の可能性もあったのかな

89 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/04(土) 20:31:13.55 ID:tYz+tLcE0.net
王猛は才能あったらしいけど
東晋に出仕したら
前秦みたいに、全面的に信用されて任されてたかなあ

90 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/05(日) 10:48:59.03 ID:1l0h073G0.net
セル→苻堅
悟飯→謝玄

http://onecall2ch.com/archives/7280242.html

これ見ると割と悟空が謝安さんでわらた
ピッコロさんは誰だろう。
ってあれ、桓温桓冲で存外ハマってくるぞ……

淝水ドラゴンボールセル編説

91 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/05(日) 10:58:30.85 ID:bJeTg23V0.net
慕容廆と陶侃が旧知という謎の人脈繋がり
カオス前の西晋時代って不思議な退廃時代

92 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/05(日) 15:36:13.07 ID:5C++FOTz0.net
中国三大珍名


赫連勃勃

完顔阿骨打

脱脱

93 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/05(日) 16:18:20.72 ID:R5wafxca0.net
呉乞買「せやろか?」
禿髪破羌「せやろか?」
万俟醜奴「せやろか?」

94 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/05(日) 16:24:44.85 ID:4XfkNA3M0.net
符堅「私の兵力は100万(50万)です」

95 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/05(日) 16:43:17.96 ID:Y5eW9LYA0.net
>>92
その3人の名前に他より突出した何かがないとな。
禿髪利鹿孤ちゃん、禿髪樹機能、破六韓抜陵、拓跋什翼犍、侯莫陳崇、その他逸材はごろごろしてると思うけどな。
あ、日本で何かの名前に引用されてるとか?
勃勃さんは大阪の飲食店、阿骨打さんはエロ漫画家名、脱脱さんも何かある?

96 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/05(日) 21:27:44.78 ID:mzIJ36Jz0.net
まぁまちたまえきみたち、冷静になれ

愛新覚羅弩爾哈齊

とか、あからさまにおかしいからな

97 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/06(月) 00:04:13.48 ID:09maF9w60.net
抜かず弩爾哈齊

98 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/06(月) 12:10:44.93 ID:uhBCtggV0.net
>>89
東晋は全然まとまってないから無理

99 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/06(月) 20:48:22.22 ID:yR5m5Brl0.net
唐の歴史家・令狐徳棻は北朝系の人間で、姓からして胡人に違いないと思っていたが
実は「令狐」は胡姓ではなく、春秋時代からある由緒正しき漢姓なんだな。

唐朝の外戚にあたる長孫無忌も、ルーツは鮮卑拓跋部にあるものの、
「長孫」という姓自体は漢姓で、もともと拔拔という姓だったのを漢化を機に改姓したらしい。
(三国志にも「公孫」氏がよく出てくるが、それと似たような姓か)

100 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/07(火) 00:52:14.12 ID:jgS2PF/U0.net
五胡の諸部族の動きをみると、単に自立して辺境を荒らし回ってるだけにみえるのに
やれ大都督だの車騎将軍だの○○州刺史だのと大そうな官職を称しているのが面白い。

日本の戦国武将が勝手に安房守や能登守を自称したり、朝廷から従五位下の官位を貰って悦に浸るようなもんかな。

101 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/07(火) 12:06:52.16 ID:eX3XeNSr0.net
>>61
前秦は華北統一して10年経つかというところ、西晋は魏から数えると60余年統治してからだから腰の強さが違う
統一目指すのは次代に任せるべきだった

102 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/07(火) 16:44:38.48 ID:nExqp5CA0.net
曹操のころなら異民族に対して強盛だったけど
八王以降はズタボロ
曹操のころなら石虎クラスでも簡単に駆逐できたろうなぁ

103 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/07(火) 22:03:12.35 ID:jETltcaY0.net
前秦は前進あるのみ

104 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/07(火) 22:04:38.64 ID:oshSzJOu0.net
前趙現象とか好調な後趙とかの類

105 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/07(火) 23:53:11.87 ID:jgS2PF/U0.net
朕は陳を撃沈するぞ

106 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/08(水) 01:41:14.69 ID:HY7el1zc0.net
隋随随っ殺ばし護摩味噌随

107 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/08(水) 14:25:31.15 ID:A+M+BhfQ0.net
中国三大立派な名前


趙高

王威

楊国忠

108 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/08(水) 14:34:16.49 ID:7xXr4kb30.net
>>107
王威なんて普通すぎる毛沢山とチェンジ

109 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/08(水) 20:47:55.28 ID:aNjl2e4Y0.net
>>102
そう見えるのは三国時代の異民族が不甲斐なさ過ぎたせいかと。匈奴や鮮卑は文字通り四分五裂状態だったし烏桓は北方騎馬民族の中でも一番の小物ですし。総合能力じゃ曹操が圧倒してるかもしれんが戦じゃ石虎や慕容恪にゃ勝てんと思われ

110 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/08(水) 20:49:51.74 ID:22mxfTjw0.net
「何、手紙が届いたと? どれ・・・・・・・ふむふむ」
客 「何の知らせです?」
「どうやら、うちの小僧めが賊を破ったようですな」
客 「おお、大晋の勝利ですか! 本当によかった! ご子息はまさに救国の英雄、おめでとうございます!」
「大したことではござりませぬ。ささ、碁の続きをいたしましょう」


客が帰ったあと
 *     +    巛 ヽ
            〒 !   +    。     +    。     *     。
      +    。  |  |
   *     +   / /   イヤッッホォォォオオォオウ!
       ∧_∧ / /
      (´∀` / / +    。     +    。   *     。
      ,-     f
      / ュヘ    | *     +    。     +   。 +
     〈_} )   |
        /    ! +    。     +    +     *
       ./  ,ヘ  |
 バキッ ||| j  / |  | |||

111 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/09(木) 05:07:59.56 ID:syx4HGQb0.net
この時代エピソード豊富に残ってる人物って石勒と桓温辺り?

112 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/09(木) 08:39:56.18 ID:Gn86ATD90.net
>>111
マジレスすっと謝安だぞ
世説新語ばんじゃーい

113 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/09(木) 11:27:05.15 ID:JVeavf+h0.net
風声鶴唳なんてたん

114 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/09(木) 11:28:09.52 ID:JVeavf+h0.net
風声鶴唳なんて単語もできたしな
我が国でも、平家の兵が水鳥の羽音にビビって逃げ出したが

115 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/09(木) 12:09:22.95 ID:oC7U2xmn0.net
>>109
檀石槐が死んでからパッとしないなぁ

116 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/09(木) 15:43:27.49 ID:lw/AdBHM0.net
皇上 ホワンシャン
陛下 ピーシャー
万歳 ワンスイ

皇上来了。万歳、万歳、万々歳!

ホワンシャンライラ ワンスイ ワンスイ ワンワンスイ

117 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/09(木) 15:52:50.81 ID:lw/AdBHM0.net
司馬 スーマー
長安 チャンアン
択跋 チュオバ(北方言語ではタブガチュ)
魏 ウィ、ウェイ
鮮卑 シャンベイ

118 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/09(木) 20:20:45.62 ID:R5UU7eDi0.net
うん……中古音、調べてこようぜ

119 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/09(木) 20:32:39.33 ID:PrF+z9GF0.net
臨終の王莽 「晋を攻めてはなりませぬ。慕容垂と姚萇には用心なされませ。」
苻堅 「・・・・・・」

苻融、皇太子苻宏、ほか一族群臣 「南征はいけませぬ。」「晋を討つべからずと言う者は忠臣なり。」
苻堅 「お前らがそう言うから俺は何年も我慢してたんだぞ。もういいだろう。」

慕容垂 「もはや天下の殆どが陛下の物でござりまする。残るは米粒のような江南のみ。何を躊躇することがありましょう。」
苻堅 「朕と共に天下を定める者は、ひとり卿のみ。」

張夫人 「”天の聡明は我が民の聡明による”と申しまする。陛下、どうか思いとどまりますよう。」
苻堅 「軍旅は婦人の預かるべき事ではない。」


大敗後
苻堅 (張夫人に)「我、また何の面目あってか天下を治めん!」


謀叛した姚萇に捕らえられる
姚萇 「伝国の玉璽をよこせ。」
苻堅 「小羌の分際で何をほざく。玉璽は晋に返還したわ!」


苻堅、縊り殺される(自殺説も) 「ぐぬぬ。無念だ。」

120 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/09(木) 20:44:31.03 ID:dOXUwlQo0.net
>>119
苻宏は東晋に亡命してるからね
いくらでも話盛れそうじゃね

121 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/09(木) 22:32:12.39 ID:sIB746Ea0.net
>>119
光武帝「そんな綺麗な王莽を見たかった(冗)」
蒋幹「冉智さまのお使いで俺がとっくの昔に伝国璽を東晋に渡してるんだけど・・・え?周瑜なにそれおいしいの?」

122 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/09(木) 23:59:03.75 ID:VCfCnl1V0.net
王朗とか

123 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/09(木) 23:59:30.11 ID:VCfCnl1V0.net
ミスった
王朗も後趙にいるよな

124 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/10(金) 11:56:09.50 ID:PCr3WY+l0.net
>>119
こんなんでも民忠ダントツの苻堅

125 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/10(金) 12:16:44.37 ID:KrYNnaHo0.net
足が不自由な習鑿歯を0.5で数える苻堅すき

126 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/10(金) 14:35:48.15 ID:AmtWLLX30.net
習鑿歯は文章読んでると確かにイビりたくなるキャラ

127 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/10(金) 14:54:22.55 ID:FN8nM07u0.net
孫盛もなかなかアレだよな

桓温周辺は文士が多いのう

128 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/10(金) 20:14:11.51 ID:vxaLcwMw0.net
後漢の桓帝の時期に三国に着いて晋時期に帰って、中国の人口は90%水にぬれると縮みました。
晋朝孝の恵みの皇帝は人口を充実させるため、長城の外の異なった民族を収容して人口を充実させて、最後に後から来る漢の胡矛盾を招きました。
でも5人の胡の時代の開くことは異なった民族が漢族に取って代わったのではありませんて、異なった民族が漢族になったのです。
胡人は中国に入って、最後に相互引き裂いて戦乱を◯◯ます中で中国の文化を受け入れました。
ある今日、中国の国内の漢族と少数民族はすべてすでにみんなを認めて共通の民族に属して、それはつまり中華民族。

129 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/10(金) 20:24:15.99 ID:vxaLcwMw0.net
遼河の西部鮮卑の慕容部が東晋に創立する前に、鮮卑部は慕容廆のが下へ連れるに
ずっと中原の混戦に参与していないで、集中して実力を育成します。
慕容部は相前後して扶余、高の文を打ち破って宇文部、段部のなど鮮卑の部落が美しくてと、
次第に遼河の西部の最も強い存在になります。

321年、慕容廆が東晋に平2州と東の外国の諸軍事、車を閉じられて都督になられて奥深く、
将軍、平州に乗って放牧して、遼河の東部郡を閉じるのが公の、
朱色の本の鉄の券をいただいて、彼の承制選置平州の官吏を許します。

慕容廆が死んた後に、その子の慕容皝即位。慕容皝が即位した後に、
初めは国内の武装反乱を平定して、後また段部と宇文部を打ち負かします。
337年、慕容皝は東晋に閉じられて燕の王になられて、史が語る前に燕。

130 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/10(金) 21:52:35.51 ID:rZdUaTlE0.net
>>127
桓温が簡文帝の文人サロンにおける
重要人物だったりするしなー

ほんに曹操レベルの文武両道だと思うやで


郗超「ほう、両刀とな?」

131 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/11(土) 06:45:47.65 ID:nXvQVxj40.net
>>129
きちんとした日本語でお願いします

132 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/11(土) 08:40:24.89 ID:j9tuB2Pv0.net
劉淵とか、石勒とか、苻堅とか、姚萇とか、
五胡十六国の胡人は鮮卑族を除いてすでに多くが漢姓なんだよな。
もっとこう、漢字4〜5字くらい使うような、複雑怪奇な名前かと思ってた。

むしろ後世の、鮮卑が主役になり漢化も進む南北朝や隋唐の方が胡姓が目立ってくるという不思議。

133 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/11(土) 08:58:43.20 ID:qe8vffi00.net
太武帝「破羌とかヘイト丸出しの名前やめーや」
禿髪破羌(源賀)「お、おう…」

134 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/11(土) 09:36:28.93 ID:+Zgg9crA0.net
漢族の領域に、それでも漢族の作法を着て乗り込んでたのが、
漢族のお作法なしで乗り込んでったって別にええやん、
みたいになってった、みたいな妄想をした。

135 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/11(土) 09:58:01.19 ID:czkU3kPU0.net
>>132
北魏とかは言うほど漢化しとらんだろ

136 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/11(土) 10:10:17.93 ID:pXzvB1tq0.net
一時期ではあるが漢化率100%を達成したぞ
そのあと先祖返りしちまったが

タクバツ氏は建国当初から漢化には積極的だったほうだと思う
まあ、五胡の漢化の度合いがよく分からんから、断定はできないが

137 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/11(土) 10:14:02.61 ID:pXzvB1tq0.net
逆に漢化に否定的だったのが、勃勃だったという
劉姓も捨ててしまったし

その割には夏という国号を立て、自らを禹の末裔だと称してるがな

138 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/11(土) 10:41:00.68 ID:4buVhcxv0.net
海西の菩薩天子「ウチは楊震先生の子孫やぞ」
天可汗「ウチは李信将軍の子孫やぞ」

139 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/11(土) 11:00:10.65 ID:dP8Oa7C40.net
お偉いさんが編纂する漢文史料で上っ面が多少漢化しているように見えても
下々を含む全体の実態は異なるだろうからなぁ…上に政策あれば下に対策の大陸だけに

140 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/11(土) 12:17:37.64 ID:vVWxPQWP0.net
>>137
劉淵の漢も小僧共の世代で漢捨てて趙になってるから
勃勃と違って劉姓捨てる前に石勒に滅ぼされただけかもしれん
劉協や劉備の子孫も平気で族滅レベルの虐殺するしな
しかし趙の末裔を称したとすると先祖は御者なんだがw

141 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/11(土) 12:28:15.32 ID:XgWJnBfn0.net
そもそも五胡十六国時代の幕を開けた劉淵が漢を名乗ること自体が不思議

いくら後漢から国姓を賜わり、血縁関係もあるといっても、本来はご先祖様の宿敵やぞ

せっかく漢族が内ゲバで弱体化してたんだから
堂々と何ちゃら単于を名乗り、秦漢の官僚制度も無視してすべて部族長会議で決める、みたいに胡族丸出しでもよかったのに

142 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/11(土) 12:52:23.68 ID:dP8Oa7C40.net
どこが不思議なんだ?
幕を開けたばかり、過渡期の人物である劉淵には急激に胡化する動機も実力もないぞ

143 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/11(土) 13:49:24.61 ID:Vnrqi25V0.net
いや、でも多少なりとも民族意識はない?
今まで漢族に頭を押さえつけられて、名前も風習も変えられて。
ご先祖様は漢から貢ぎ物や皇女を貰う立場だったのに。

144 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/11(土) 14:57:36.89 ID:EfaR2ano0.net
劉淵は文化人やし

145 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/11(土) 21:45:14.76 ID:93v16mDb0.net
劉淵の場合魏晋を否定するのに
晋が押し付けてきた劉姓が便利だった、
とかな気はするけどな

魏もクソ晋もクソ、
やっぱり漢こそが最高なんや!

なお滅亡後一世紀以上が経ち、
漢の末期がクソだったことを
証言できる人間はいないもよう

ある意味、死人に口なしである。

146 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/12(日) 08:55:20.86 ID:iiNoUfFX0.net
「ドラえもん、
100年後の中原はどうなってるの?」
            / ̄ ̄ ̄ ヽ                  ____
 ̄ ̄|┌┬─── | ̄ |  曹操  i              , -‐'"´:::::::::::::::::::::`ヽ、
 ̄ ̄| | | | ̄ ̄ ̄ |  |      !            //二ヽ/⌒ヽ;::::::::::::::::\
 ̄ ̄| | | |     |  ||)    /           /::ハP_/P ̄ヽ/ー-:、::::::::::::\
 ̄ ̄| | | |     ヽ、  ヽへ/           ./ ヽ、(::::::)ー‐'    \:::::::::::::::i  「あんたの領土は
 ̄ ̄| | | |____  .l二二l.             十―-  Y  -‐'" ̄ ̄ ̄ !:::::::::::|   匈奴に占領されて、
  .o |└┴─┬── /     ヽ           _|__  .|    ̄ ̄ ̄`   |:::::::::::|   司馬懿の子孫が
  °|     /⌒| ̄ __,      i            (´    .|    ̄`ヽ、_ _  |:::::::::::!  江南に亡命政権をたててるよ」
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄  |    |            ヽ-ー‐┴―--- 、r―-:、!::::::::/
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄/    ノ            /\       /´   }/:::::::/
             |__/ ̄ ̄ ̄|          ヽ、`丶、___{    ノニニ!
           _|  | ̄| ̄| ̄            `T"´トーr-::,-トー‐'i"::::::::::::|
          (___) |_|               }--< `"" .|__::::::::::::::::::::::|
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                                      `‐ 、_ノ

147 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/12(日) 09:36:53.63 ID:EeqpOhsQ0.net
>>145
なお後に阿斗ちゃんの子供とか言う謎設定が追加された模様

148 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/12(日) 10:08:54.04 ID:FB8mtfO30.net
漢族より強かったり漢族をフルボッコにしたり漢族を支配した異民族はすべて中華民族認定しないと中華思想こわれる!

149 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/12(日) 14:07:01.04 ID:jLLI5pFT0.net
モンゴル族と満州族以外は漢化してる
満州族も漢族に埋没しつつあるが、漢族自体が洋夷の風習に染まってしまったので、純粋な漢化とは言いがたいかも

150 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/12(日) 20:49:52.82 ID:DknJcOPG0.net
>>147
勇者ロトの子孫って設定、みんな燃えてるだろ……

まあ俺は萎える口だけど

151 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/13(月) 01:04:18.24 ID:3mZd45Al0.net
>>150
竜王倒して救い出した姫様をそのまま宿屋に連れ込んで
翌朝宿屋の主人から
「おはよう ございます。
 ゆうべは おたのしみでしたね。」
とのたまわれた勇者ロト▲

152 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/13(月) 08:49:14.88 ID:plqeBRHF0.net
日本の空白の4世紀が気になる
あと記紀や花見は日本オリジナルだよな
中国の神話に太陽神は出ないし
桜を見ながら宴を楽しむ習慣はないし

153 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/13(月) 11:20:07.58 ID:GG0O00BR0.net
花見自体は中国から輸入したんじゃない?
貴族の風習として日本でも定着した
ただ、奈良平安時代の花見は梅か桃だったはず
いまの桜の花見は日本独自のものだが、歴史は浅い
江戸時代だったかな?

154 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/13(月) 11:50:12.79 ID:plqeBRHF0.net
古代中国に花見の文化があったとな?
今は完全に廃れてるけどね
花見どころか、そこら辺に野糞する中国人

155 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/13(月) 20:07:29.70 ID:I4xkd12X0.net
日本の伝統文化って室町時代くらいに宮廷貴族の年中行事が庶民に拡がったのが多い。
中国では貴族がほぼ絶滅したからそこら辺が残らなかったのかも知れないな。

156 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/13(月) 20:33:26.99 ID:w7ethoVn0.net
中国渡来の曲水の宴は古代日本でも普通に行われていたよね
奥州藤原氏の平泉に遺構があるくらいだし

157 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/13(月) 20:50:04.44 ID:HNJNrm7i0.net
ウリ畑で靴を履き治すな、梨園で冠をなおすな
みたいな諺あるけど
中国の梨園って
畑なのかな、花を愛でてたのかな

158 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/13(月) 21:50:51.59 ID:6Cr171Q9O.net
>>157
梨園で冠を正すな、は李下に冠を正すなと同義。
ただ梨園の語源が唐玄宗が歌舞を愛し、宮中の梨園に伎人を集め技術を競わせたとあるように
梨の花を愛でる感覚はあったと思う。

159 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/13(月) 22:29:18.28 ID:plqeBRHF0.net
司馬炎の牛「盛り塩ぺろぺろ」

160 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/14(火) 00:06:30.46 ID:wJmRlEoT0.net
>>159
賈充「節子それ羊や」

161 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/14(火) 00:52:13.35 ID:uI60Rt1b0.net
桓玄の牛「ご主人重すぎますやでアカン」

162 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/14(火) 02:31:20.80 ID:rRz4YuFy0.net
>>154
李白の「清平調詞」とか花見中に詠ったので
その当時は花見という文化は有っただろうな
牡丹だけど

163 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/14(火) 11:40:59.38 ID:5/5OKUWJ0.net
>>160
司馬攸「俺だけの後見人でいてくれたら…」

164 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/14(火) 11:53:51.67 ID:oa6JaLUA0.net
禿髪リカ子とか
拓跋珪(たくばつけい)とか拓跋宏(たくばつひろし)とか
日本人みたいな名前やな

165 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/14(火) 14:27:32.37 ID:z3FuQQ2X0.net
>>164
大和朝廷には北魏の様式が流入した説はあるから偶然とは言い切れないかも

166 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/14(火) 20:01:51.91 ID:P6+GRFM00.net
確かに北魏は源義経が起こした説もあるからな

167 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/14(火) 21:22:37.26 ID:YCC5oGum0.net
>>166
何言ってんだお前……

あれはな


ヤマトタケルだぞ


みんなにはないしょな

168 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/14(火) 22:46:04.79 ID:rRz4YuFy0.net
>>166
禿髪破羌「俺が源義経の祖」
太武帝「という事は源義経=男性型脱毛症でFA」

169 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/14(火) 23:03:43.69 ID:b7sNYPS90.net
南朝とのやり取りは史書に残ってるけど
北朝と交流があったかどうかは不明

170 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/14(火) 23:24:37.47 ID:YCC5oGum0.net
>>168
つまりテムジンは円形脱毛症……?

171 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/14(火) 23:29:46.35 ID:b7sNYPS90.net
匈奴=トルコ系がメインでその他色々
羯=匈奴の別種
鮮卑=モンゴル系
氐=チベット系
羌=チベット系

だっけ?

172 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/14(火) 23:55:45.63 ID:YCC5oGum0.net
>>151
洛陽落として拉致した皇帝をそのまま宴会場に連れ込んで
翌朝宿屋の主人から
「おはよう ございます。
 ゆうべは おたのしみでしたね。」
とのたまわれたボクトツの子孫▲

こうですかわかりません><

173 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/15(水) 00:42:31.96 ID:5+xsfjeW0.net
>>170
テムジン「肖像画全て帽子被ってるんだから察しろ」
チャガタイ「親父に不遜な態度だから処刑な」

174 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/15(水) 07:03:51.36 ID:SkA3BLYx0.net
北宮純は最初名前見たとき、は?ってなった

175 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/15(水) 07:06:24.98 ID:SkA3BLYx0.net
北宮純は最初名前見たとき、は?ってなった

きたみやじゅん???見たいな

176 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/15(水) 07:59:22.00 ID:B/PY6V+w0.net
名前だけで検索したら現代日本の北宮純さんがたくさん出てきて十六国時代のこの人はずっと下の方かなと予想していたら、この人がすぐ出てきて現代日本の北宮純さんは引っ掛からなかった。
日本に全くいないとは思わないけど。
北宮さんは春秋戦国以来の姓だけど、複字姓って何かそそられる。
十六国時代や南北朝時代は異民族のおかげで複字姓のバリエーションがぐぐっと増えるのも魅力だね。

177 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/15(水) 08:20:27.34 ID:DLYo/3XS0.net
北宮しらたま

178 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/15(水) 08:57:32.66 ID:PchYVRMv0.net
後漢末〜三国時代にも、皇甫、公孫、太史、司馬、諸葛といった複字姓の人物が出てきたけど
複字姓が一気に増えるのは五胡の時代以降(特に南北朝)、胡姓が加わってからだもんな。
中には「破六韓」といった三字姓もある。楊堅も北周時代は姓が「普六茹」だった。

三国志演義には「慕容烈」という架空の武将が登場する。
いわゆる雑魚キャラで、定軍山の戦いで趙雲に斬られて終わるチョイ役に過ぎないのだが、
作者は、彼を鮮卑の傭兵、もしくは鮮卑からの帰化人として登場させたのか、
もしくは胡姓とは知らず、ただ何も考えずに慕容姓を採用しただけなのか。

179 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/15(水) 09:29:00.18 ID:JvXKgu5/0.net
そーいやちょっと荒れ掛けた淝水の話、今見てきたけど
蜀漢って明らかに蜀と漢沖の話だし、長江沔水を伝っての行軍で、
そして長江のほとりなんざ徒歩で進めるよーな場所でもないし、
ってことは水運でないはずがないわけだなー、と思った。

にも拘らず、こういう状態で
「大丈夫か阿羯? 数千くらいなら貸せるぞ?」
とか言い出してる桓沖さんがバケモノすぎる。
どんだけ西の守り完璧だったんだよ、って言う。

そりゃ桓氏の家運がヤバい中車騎将軍にもなりますわ……

180 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/15(水) 09:52:39.44 ID:qSV5yXY10.net
>>178
弋を戈とか書き間違えたり勢いでカコウハ殺す雑な明プロパガンダだから後者だと思う

181 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/15(水) 11:06:49.82 ID:iF9WMo9l0.net
>>178
明治時代の教育者で諸葛(もろくず)って人がいるよな。
それ考えると「司馬」姓の日本人もいそうなもんだが。

182 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/15(水) 11:40:19.43 ID:t9pDGI3v0.net
>>181
司馬遼太郎「俺本名は福田なんだよね」
柴五郎「日本といえば柴犬 司馬なんて名乗ったらシバかれるぞ」

183 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/15(水) 11:55:02.21 ID:RAQthGaC0.net
>>180
曹魏を北朝の胡族政権に見立ててる感ハンパない。

184 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/15(水) 19:18:12.06 ID:zJZQGZV00.net
ドラマラストチャンスの主人公まるで符堅みたいな理想主義者

185 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/15(水) 19:37:56.02 ID:xkjkNTX40.net
韓国つか朝鮮も元は複字姓
新羅あたりから唐の真似して単字姓になった

186 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/15(水) 19:51:33.05 ID:PchYVRMv0.net
羯は匈奴の別種説が一般的だが、鼻が高く髭が濃いという身体的特徴があったようで
コーカソイド説もある。
さすがに中原のすぐ北西にコーカソイドがいたとは考えにくいが、本当に鼻が高いのだったら
顔面が扁平なモンゴル系とは違っていたかもしれない。

五胡の中で最後まで残ったのが羌族かな。
鮮卑と匈奴は北朝の支配階級で隋唐時代も名門貴族として残ったが、姓以外は漢化して民族消滅してしまった。
羯は冉閔の粛清で激減し、その後他民族に埋没して民族消滅。
氐も仇池という地方政権が残ったものの楊堅に滅ぼされ、漢族に吸収された。

氐と同じチベット系の羌族はタングート族として隋唐宋以降も生き残り、
やがて西夏を建国し、モンゴル勃興時まで栄えた。

187 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/15(水) 19:53:06.50 ID:PchYVRMv0.net
>>186
>>171へのレスです

188 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/15(水) 21:04:01.84 ID:xkjkNTX40.net
熊襲、隼人、蝦夷、アイヌ、琉球

>>166
義経=チンギスハン説
北海道に逃げてそこから更に渡海して大陸に行ったとか本当かよ

189 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/16(木) 13:40:13.02 ID:ruVIQ5F60.net
【東京都】吉祥寺駅で中国人に電車に叩きつけられた日本人が頭部骨折で死亡

【愛知県】留学生名義でスマホ詐取容疑の中国人を逮捕

【沖縄】セラピストの女性を押し倒しわいせつな行為 中国人観光客の男を強制わいせつの疑いで逮捕
※恩納村内のホテル

190 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/16(木) 18:38:56.13 ID:HL2RG/JM0.net
>>181【司馬】性の日本人少数だけどいるみたいよ

191 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/17(金) 20:46:38.10 ID:CQldN2WC0.net
先ず殷から北部九州辺りに入植し北陸まで勢力拡大
その後、秦より北部九州に徐福等上陸し青銅器文明と融合、邪馬台の祖となる。
続いて呉から九州南部に第3波が上陸し熊襲を名乗る
そして華北半島勢力との交易で北部九州が勢力を拡充し北陸青銅器文明と融合する。
こんな感じだろ

192 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/18(土) 09:43:12.89 ID:GmTCpT8s0.net
>>191
稲作の技術を伝えたのは夏に圧迫された長江文明の難民だっけか
古代からアッチの影響受けてるな

193 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/18(土) 13:25:18.50 ID:ZF33JQ460.net
中国史上最もカオスな五胡十六国時代だけど
中世ヨーロッパに比べたらまだヌルゲーやな


ローマ帝国滅亡から暗黒の中世へ
文明が終わるということ

識字率そこそこ → 神父以外文盲
上下水道完備 → 糞尿垂れ流し
食器と食事道具 → テーブルのくぼみに盛り付けて鷲掴み
街道は安全 → 野盗・山賊だらけ
貨幣経済 → 物々交換
地中海貿易 → サラセン海賊跋扈
巨大建造物 → アーチすら作れなくなった
各地の特産物からなる豊かな食生活 → 雑穀雑穀雑穀、ちょっと小麦
地中海の覇者 → フン族、アヴァール、マジャール、ヴァイキング、イスラム、モンゴル、オスマンにボコボコ
人類史上最も幸福な時代 → 重税、蛮族の侵入、疫病、餓死、王侯貴族による圧政、教会による支配

194 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/18(土) 14:13:11.72 ID:ZF33JQ460.net
元寇が鎌倉時代に起きたのが不幸中の幸い
これが平安時代の麻呂なら負けていた

195 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/18(土) 14:57:50.66 ID:/H4U6FgP0.net
>>194
新羅は時々九州まで寇略しに来てるし刀伊の入寇も起きてたりする
平安時代の地方の兵たちもそこまで雑魚じゃねーぞ

196 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/18(土) 17:19:56.69 ID:UzsALAil0.net
桓玄終わりがアレだけど親の影響で一時は無官だった立場から僅かなチャンスを物にしての鮮やかな大逆転はもっと褒められてもいいよね

197 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/18(土) 18:14:40.34 ID:bOKVjftK0.net
五胡十六国時代は民族の混在や小国の乱立に関してはカオスだけど
文化や制度的にはむしろ正統に進化したほうじゃね?

北族も中原進出時は無知無学だったとはいえ、漢字を学び漢文化の吸収に努め、
仏教を保護して中国文化に取り込み(例外もあったけど)、また胡族が得意としてきた騎馬戦術も
漢族の戦法としてスタンダードなものにした。
椅子に腰かけ、テーブルの上で食事をとる、読み書きをする、という今当たり前の生活様式も北族が持ち込んだもの。
プライベートでは暴君凶君も多かったかもしれないが、国政としては富国強兵、民族の融和に努め、
均田制、租庸調制、府兵制など、新しい国家体制を整備した。

その結晶が大唐帝国なわけで、中世ヨーロッパの暗黒期とは逆にむしろ文明を進化させている。
個人的には鮮卑や匈奴は有能な民族だったと思う。

198 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/18(土) 18:46:11.03 ID:/H4U6FgP0.net
>>197
隋の方が胡漢融合って印象あるわ
唐はかなり鮮卑先祖帰り感ただよってる

武周頃から、隋の方向性に収束していく感じ

199 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/18(土) 18:48:05.16 ID:MXngyBzl0.net
鮮卑や匈奴の有能さと比べて漢族ときたら…
すっかり中世ヨーロッパの子孫西洋文明に呑み込まれて洋化してやがる

しかし、地中海の覇者ローマの後継ならイスラーム帝国やビザンツも含めた方がいいのでは?

200 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/18(土) 18:59:00.45 ID:ZF33JQ460.net
女真族「ヒャッハー」

章宗「漢文化マンセー!趣味は書画です」

満州族「ヒャッハー」

溥儀「インポだし満州語とか喋れんわ。あとチキンラーメン食いてえ・・・」


蛮族も文明化すると軟弱になる

201 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/19(日) 17:46:14.95 ID:BYPgl7Hu0.net
>>200
アッティラ「俺史上最強の蛮族ズラ!パッキン美女と結婚したぞ〜!ん?鼻血ブーが止まんね〜orz」

202 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/19(日) 23:25:31.90 ID:rMV3Atwb0.net
表向きには言えないことで
「人種、民族には厳然たる知性の優劣があって、ゲルマン人(北欧、西欧、北米)が最強、次点で東アジア人(日中韓)が優れていて
 ラテン人、中東人、黒人はスポーツや音楽以外は劣っている」
みたいなこと言う奴がいるけど、確かに現代のIT技術力とかノーベル賞受賞者数とかみるとその通りにみえるんだけど、
古代の自然科学を発達させたのは地中海人(今のラテン人、中東人)で、
中世の自然科学を発達させたのはイスラム世界だし、その間ゲルマン社会は暗黒期で土人丸出しだった。

人種や民族は関係ないと思うのだが、なぜ現代のイスラムやラテン系は、科学に弱いのだろう?

203 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/20(月) 09:27:32.07 ID:cvIWptL+0.net
フランス料理、イタリア料理、スペイン料理
飯の美味さならやっぱラテン系だな

204 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/20(月) 10:09:18.04 ID:cvIWptL+0.net
>>61
今川にかぶるな
一回の戦で大敗しただけで一気に弱体化

205 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/20(月) 10:09:32.19 ID:LTOn+m1B0.net
東アジア人とかひとまとめするな
科学に弱い?日本人はともかく中韓はフランス人イタリア人より下やんけ

206 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/20(月) 10:33:59.62 ID:exjPWdQc0.net
>>198
唐は晋書にしてからが「オレら胡人をハブった司馬家が落ちぶれるのも当然なんだよね」的な史観むき出しだもんなぁ

207 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/20(月) 10:39:53.83 ID:Fh3ZG4/Q0.net
晋書は魏書との整合性とりきれてないところに雑みを感じる

魏書との整合を考えると後趙や前秦はワケわからんことになっちゃうからやらなかったんだとは思うけど

208 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/20(月) 11:53:39.93 ID:3pff/KiX0.net
とりあえずぶち込めるもんぶち込んで見ました感がハンパない

209 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/20(月) 15:58:32.83 ID:wT2nq/190.net
>>204
今川はまだ当主死んでるから分かるけど苻堅は自分が生きてても反乱祭りだからな。どんだけ基盤脆弱だったんだよと

210 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/20(月) 17:26:44.32 ID:Fh3ZG4/Q0.net
>>209
慕容垂の関東経略を敢えて許容しつつ慕容部嫡流の西燕を牽制するという策謀が不発に終わっただけなようにも見える
西燕そりゃグダりますよ

211 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/20(月) 20:22:38.73 ID:1d47mLXz0.net
中国三大いい名前


司馬炎

独孤伽藍

岳飛

212 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/20(月) 20:27:26.22 ID:VYgPXRsV0.net
力こそ正義の連中が跋扈してる中
武威で諸民族を抑え込み、まとめてきたのに
南征に失敗して逃げ帰ったら、反乱続出するかもなあ

もう少し後世ならば
中華的な美意識や学問が普及して結末違ってたかな

213 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/20(月) 21:09:33.46 ID:LTOn+m1B0.net
中華的な学問があろうがなかろうが武力で抑え込まれていた連中は反乱しまくるやろ
苻堅個人には大した求心力ないし

214 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/20(月) 21:32:16.97 ID:T7ZetdwX0.net
>>213
どころか御自ら積極的にヘイトかき集める口だからなあのキチガイ
慕容沖とか慕容垂の妾とか

215 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/20(月) 21:35:01.43 ID:flNfkZQB0.net
>>214
性欲に忠実なだけなんだよなあ

216 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/20(月) 22:48:24.19 ID:cvIWptL+0.net
>>202
ローマ帝国と漢が戦ったらどっちが勝つか気になる
時代が違うけど前者はトラヤヌス、後者は武帝の治世(お互いの全盛期)
そしてフィールドは大平原と仮定して

217 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/21(火) 13:39:31.55 ID:WBZfvKKR0.net
>>210
西燕は苻堅の血が入ってるから(震え声)

218 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/21(火) 16:44:36.17 ID:FpDi5KMW0.net
>>217
だから慕容永は皆殺しにしたのか!
なぞがとけた(しろめ)

219 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/23(木) 21:50:56.00 ID:qD7ocGXh0.net
符堅じゃなく兄貴の符法が皇帝なってたら
無能じゃない符堅よりも人望も才能もあった人なんでしょ?

220 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/23(木) 22:03:49.26 ID:3Q6oTJto0.net
>>219
苻堅レベルで戦争仕掛けるのに巧みな君主ってその後もほとんど出てないからな
苻法のままだったら関中政権で小さくまとまって終わりだったんじゃないのかな

221 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/23(木) 22:26:54.86 ID:ETSn2hKD0.net
符堅だから強大化できたけど、符堅だから大崩壊したってことか。ままならないな

222 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/24(金) 00:34:25.17 ID:UL6ycqXq0.net
ああいう風に膨らんで破裂する国家は
小さくまとまろうとしても結局やらかしそう
滅ぶところは押しても退いても半端でも滅ぶ

223 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/24(金) 01:39:29.89 ID:Mk15BPqB0.net
苻堅は慕容垂や姚萇よりも若いからな
舐められてた説

224 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/24(金) 07:55:53.98 ID:TgvG9PHf0.net
風船割りたきゃ空気入れまくれ、ってな
老子も言ってる

225 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/24(金) 18:31:23.20 ID:Ld5CbPcK0.net
>>220
王猛がついてこない
こじんまりした国のまま

226 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/24(金) 20:46:33.38 ID:UL6ycqXq0.net
王猛がついてこなくても大国化する可能性は十分にあるのでは?

227 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/25(土) 06:50:53.48 ID:cRbQDA3b0.net
劉邦=苻堅=劉備=朱元璋=毛沢東
蕭何=王猛=諸葛亮=李善長=周恩来

理想に燃える君主とやり手の名宰相の組み合わせすこ

228 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/25(土) 13:16:09.85 ID:rG3U+Rnx0.net
>>227
どう考えても宰相orナンバー2としては小物、手腕が怪しい人がいるよ!周恩来とか周恩来とか
主君が完全に耄碌しちまったのは同情に値するけど

229 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/25(土) 14:03:42.87 ID:pxIEsQtu0.net
>>228
周恩来は王導や馮道みたいな系統の一見では事なかれ主義の迷宰相だが
主君や時世に恵まれない中で一定の成果が上げられる良宰相だと思うよ
周恩来に比べたら李善長なんて報われなくて泣ける

230 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/25(土) 14:08:47.85 ID:onjzOs2b0.net
劉禅「朕は名君という声が」

231 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/25(土) 14:17:21.70 ID:5yUyh+oN0.net
>>230
だめ君主No.1決定戦なら
予選落ちなのは間違いないが

232 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/25(土) 14:28:08.76 ID:GY6oN/200.net
ダメ君主決定戦とかやると慕容部で埋まりそう
南朝の暗君廃帝たちで国滅ぼしたアホはいないけど慕容燕は三回くらい滅びてるからな

個人的な逸材としては拓跋紇那を推すけど

233 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/25(土) 15:41:47.79 ID:TbaDniqi0.net
そういえばいしいひさいちのバイトくんで「東淀川大学の実態不明の部活」の例として
「タタール部」「オイラート部」が出てきたな。
「慕容部」「拓跋部」「独孤部」「宇文部」とかも出してくれたら完璧だったのに。

234 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/25(土) 16:28:19.22 ID:UwSpnR0E0.net
中国三大暴君

董卓
石虎
毛沢東

※ケッチュウの暴君伝説は後世の創作っぽいので除外

235 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/25(土) 17:03:45.40 ID:ZMDW7yYA0.net
梁冀「許されたっぴょん」
煬帝「世民は俺の劣化コピー」
張献忠「証拠に乏しいからセフセフ」

236 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/25(土) 17:34:51.45 ID:rG3U+Rnx0.net
無能化して天下を荒廃させた煬帝&毛沢東が圧倒的すぎる…

>>229
事なかれ主義とは思わない、周恩来の毛さんへの忠犬っぷりは突出してる

>>230
名君まではいかんが臣民からの評判は結構よかったかもね
神輿は軽い方が(ry

237 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/25(土) 20:25:36.95 ID:pxIEsQtu0.net
>>236
周恩来は毛沢東の忠犬演じて地位守ったから
大躍進政策や文化大革命の被害を最小限に抑えたんだよね
まあ最小限でも甚大な被害だが

中国国内の日本人戦犯裁判で起訴155人死刑7人執行猶予付き死刑3人が確定したのに
周恩来の指示で最終的に起訴51人死刑なし無期懲役なし懲役20年4人になったりして
日本も親日家周恩来に助けられた事もある
また周恩来のおかげで中国はアメリカや日本と国交正常化して多大な恩恵を受けた
将来資本主義のアメリカが滅び社会主義のソ連が躍進すると猛進していた毛沢東だけだと
始皇帝や王莽みたいに1代もしくは死後すぐ国が滅んでたと思われ

238 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/25(土) 20:44:14.97 ID:4Dqb63rV0.net
>>234
石虎よりは曹操石勒の方が暴君度高いと思うけどなあ

239 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/25(土) 21:11:25.16 ID:DSQsCjSu0.net
>>238
司馬史観だからね
しかたないね

240 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/25(土) 21:26:45.81 ID:GY6oN/200.net
石虎はどう見ても石勒より人殺してないし土木工事もそこまで酷くないと思うんだがね

241 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/25(土) 22:35:07.16 ID:P8sxoXN30.net
石虎はDQN過ぎてな
これは他に当てはまる暴君もいるだろうけど恵まれた才能と能力を他人を不幸にすることに使った感が強い

242 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/26(日) 01:14:49.95 ID:nKjruheK0.net
中国史好きなら、某ガイエ先生のように毛沢東にある程度魅了されちゃうのは、仕方ないと思う。(イデオロギー抜きで)
だって、こいつが中国史に出てくる「英雄」とか「名君→暴君(暗君)」とかの最終登場人物だもんな。

大体1960年前生まれの人は、リアルタイムで「これが中国の王朝創始者ってやつか!」って体験してるんだから。

243 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/26(日) 02:56:49.81 ID:A5RDgSQN0.net
おもいっきり社会主義新中国万歳、親中イデオロギーの影響だった気が…天安門事件後までは
陳舜臣や司馬遼太郎が文化大革命に好意的だった時代ですし。

244 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/27(月) 00:10:09.25 ID:ThyRDGcI0.net
そんなことより苻堅の変態っぷりを語れよ
十五世紀以上ズレた変態語っても仕方ねえだろ

245 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/27(月) 22:25:44.60 ID:ghJr4ZzK0.net
Queenのフレディ・マーキュリーは初来日公演時、恋人という男と女の2人を連れてきたというが…。

246 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/28(火) 14:23:36.66 ID:FZvzmRLJ0.net
中国三大名君だったのに晩節を汚した人

曹叡
苻堅
玄宗

247 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/28(火) 14:26:35.38 ID:FZvzmRLJ0.net
ああ梁の蕭衍もいたな

248 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/28(火) 18:06:19.93 ID:mE7Evmta0.net
ちょっとでも中国史全体を齧った奴が思うのは
「劉禅ってそこまで暗君か?」ということ
中国4000年を概観してももっとヤバいやアレなのがわんさかいるからな
三国時代だけを見ても呉の後主とかの方が酷いぞ(こっちは暗君というか暴君だが)

249 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/28(火) 18:42:37.29 ID:i05McC9+0.net
>>246
蕭衍よりも先に曹叡が出てくる時点で
三国志かぶれの素人臭が

250 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/28(火) 18:51:36.94 ID:+WFKQgrU0.net
曹叡が名君だった時期ってあるのか

良くて石虎並みだろ

251 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/28(火) 20:40:49.13 ID:wd5K8RgG0.net
趙主父
漢武帝

252 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/28(火) 21:03:34.30 ID:+nOEcZ+y0.net
このスレ的には北魏の面々の異常な被弑逆率

253 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/28(火) 21:12:28.22 ID:oCDJMZFV0.net
老害といえば孫権蕭衍。曹叡は軍事的には良かった。石虎は息子2人も殺してるのが

254 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/28(火) 21:35:08.77 ID:ME1tVAtV0.net
曹叡が孫呉と蜀漢からぶんどった領土があればね…
曹丕の方が戦争弱かったけどまだヤル気だけはあった

255 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/28(火) 23:01:58.94 ID:ggdS7gsH0.net
この時代は異民族の交流が盛んになったから料理も進化したのかね

256 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/28(火) 23:46:35.68 ID:TalSe1Gk0.net
まず名君ってなんやねん、そこをハッキリさせないと
いずれにせよ曹叡が名君だった時期はないだろうな、鼎立時代の君主なんで軍事面もパッとしない

257 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/29(水) 06:14:24.81 ID:6lJC1kFk0.net
>>255
進化というか乳製品のレシピが比較的多くなったみたい

258 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/29(水) 08:39:23.03 ID:bYGKICKm0.net
>>256
蜀と呉を中華の一部と見てなかったせいだな
末期は覇権王朝の暴走パターンそのもの
戦では将軍に的確な指示を与えてる辺り攻める気があれば蜀滅ぼしてたと思う

259 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/29(水) 13:02:12.08 ID:7hAjDTM70.net
>>258
へ?(困惑)

260 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/29(水) 13:11:36.28 ID:6lJC1kFk0.net
>>258
滅ぼすどころか防戦一方だったのに…🤔

261 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/29(水) 19:03:21.49 ID:ATgXR1K10.net
>>255
陶侃「料理が進化した結果・・・昨今の最高級料理はニラの丸かじりや!ほな食いな!」
庾亮「えっ?!斉の桓公の頃には赤ちゃん丸焼き料理とかいう素晴らしい料理が有ったらしいのに・・・今は・・・orz」

庾亮「おえっ?!><ニラ丸かじりは不味いわ臭いわで無理やで・・・残そう><」
陶侃「・・・おっ?庾亮がニラの根を残してるで!アンタ見かけによらず倹約家やで最高や!!」 

262 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/29(水) 19:20:43.40 ID:iCNFy88f0.net
>>259-260
口出した戦でたびたび成功してるのを知らないのな
満寵が合肥放棄しようとしたのを親征って切り札使って踏みとどまらせたり、曹真や司馬懿に蜀の戦略を伝えて防衛に徹させたりしてる
特に司馬懿に至ってはハリボテ反攻を見切って曹叡の指示通り追撃していたら、蜀は人的資源の損失で再起不能になってた
はっきり言って孫登諸葛亮存命で一枚岩の呉蜀の一斉攻撃を抑え込んだだけでも異常
晩節のグダグダっぷりから名君とは呼べないがお前の思ってるほどヤワじゃない

263 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/29(水) 19:50:14.07 ID:6lJC1kFk0.net
>>262
「異常」がえらく安っぽい

曹叡がそこそこの君主だったら武都陰平奪回できるよう部下を指導せえよ

264 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/29(水) 19:55:05.39 ID:kJRtOw5D0.net
背景考えず批判だけは一流
フォーグみたいな奴だな

265 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/29(水) 21:54:06.66 ID:7hAjDTM70.net
>お前らの思ってるほどヤワじゃない

って曹叡さんはあんたの知り合いかよ?w

266 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/29(水) 22:08:22.32 ID:FMPdnzyk0.net
食と言えば、ニンニクばかり食べている将軍の腹を裂いて、実際にニンニクくさいのか証明したい方とか

267 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/29(水) 23:24:46.57 ID:ROSqEmkT0.net
>>266
解剖を聞くと姜維が真っ先に思い浮かんだ
あれ病気か何かだったのかね

268 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/30(木) 17:52:41.51 ID:Nt/7ot+Z0.net
>>216
兵力同数なら、集団戦法の訓練してたローマだと思う。
漢の一般兵士なんて、死んでも容易に再生産出来る使い捨てで、
形勢不利になると算を切って散り散りに逃げる木偶の坊。
元祖人海戦術の肉の捨て駒。

269 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/30(木) 22:18:56.72 ID:JieFm40u0.net
宋の後廃帝のシリアルキラーぶりは事実ならヤバイよな

270 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/30(木) 23:03:55.19 ID:LQMVJTZp0.net
>>269
斉梁という宋末をクソ呼ばわりして初めてアイデンティティが保たれる国家が認めた史書の記述鵜呑みにしてもなぁ……

271 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/31(金) 05:24:37.53 ID:ZkYNE2150.net
後廃帝そんな残虐超人(クソガキ)なのに在位5年ていうのがなあ。やりたい放題やってると2年以内に殺されるのがセオリーな気がする

272 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/31(金) 07:10:10.12 ID:ymvv9eO30.net
残虐性が水増しされてる事例は少なくない
石虎なんてイメージ通りのことしてたら永嘉の乱の西晋みたいに国家機能が破綻する
残虐行為や贅沢三昧のたびに人が湧いて出てることはあり得ないだろうし
こいつは冉閔を祀るために盛ったんだろうって考えが浮かぶ

273 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/31(金) 09:25:51.07 ID:VBwZnVu50.net
符堅の南征ってもうちょい先伸ばしにしてれば成功した可能性ある?
10年後ぐらいには東晋ガッタガタだよね

274 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/31(金) 11:23:52.63 ID:GKIzh/jE0.net
石虎の場合、魏書や十六国春秋の該当箇所が典型的な暴君像であるのに対して、晋書の石季龍載記はよくも悪くも軍人君主として奮闘してた姿が詳細に描写されてるのがね
たぶん唐の史官たちは霸史をほじくりかえして整理したんだろう

275 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/31(金) 15:07:38.77 ID:oYZzQVdK0.net
中国三大暗君

周の幽王
南斉の東昏侯
北斉の後主

西晋の恵帝はガチガイジっぽいから除外してあげた

276 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/31(金) 17:47:44.00 ID:l5hq8O570.net
>>275
東晋の安帝「○▼※△☆▲※◎★●○▼※△☆▲※◎★●!」
東晋の恭帝「『西晋の恵帝は私みたいな英明な君主である!』と安帝様が仰っております」

277 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/31(金) 20:12:51.72 ID:o4dE0avlO.net
明正統帝・万暦帝「許された」
南唐後主・北宋徽宗「ワシら芸術家だからセフセフ」

278 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/31(金) 20:46:22.33 ID:M/nbWIJ10.net
慕容儁と慕容垂のクソガキたちの横死率の高さは異常

279 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/31(金) 21:27:12.50 ID:GlSyHmxs0.net
>>277
チンコう主
「井戸の底では良い詩が浮かぶぞよ(妾のケツ触りながら)」

280 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/31(金) 23:04:10.84 ID:sxlBbZCz0.net
北宋の徽宗や足利義政は生まれてくる時代を間違えたんだよ

281 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/01(土) 00:29:42.04 ID:TuU+Y61M0.net
一般的に芸術の才がある皇帝は政治力がダメなのかな
能はあれど得意分野が違うとか

李世民は書の才もあったらしいが

282 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/01(土) 02:01:04.06 ID:IS7hfXc70.net
>>280
その二人は当初は後継者候補ではなかったのに
兄の夭折でお鉢が回ってきちゃった辺りがまた間の悪さを感じさせるね

283 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/01(土) 10:13:15.08 ID:4iMBDHHQ0.net
>>278
親戚イビリする糞親族の末路

284 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/01(土) 12:23:12.96 ID:y3SNPigl0.net
王導って王祥の弟の子孫なんだな

285 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/01(土) 13:19:13.79 ID:SGB1DMt/0.net
>>281
そういう周囲から持ち上げられるようなエピソードは好きじゃないんだよなあ
国が滅びるから頼むから真面目に政治やるか死んでくれってレベルまで突き抜けないと芸術家皇帝って感じがしない

286 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/01(土) 16:30:52.22 ID:DWN1OvQd0.net
>>284
王覧「兄ちゃん呂虔から徐州別駕の招聘きたで」
王祥「還暦デビューだぜー」

王祥「徐州の盗賊討伐しまくりんぐ」
徐州民「王祥のチャント作ったで」
呂虔「三公剣やるで」
王祥「いただきマンモス」

王祥「三公になれたしこの三公剣やるわ」
王覧「いただきマンモス」

数十年後

王舒「爺ちゃんの形見あさったらこんなの出てきたで」
王敦「なにこの鉄くず要らんわ」
王導「いただきマンモス」

287 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/01(土) 21:35:41.58 ID:k0W4hpSR0.net
五胡でもあれだけへらしまくられたのにすぐに人口が増えるから中国は凄いな

288 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/02(日) 00:47:44.33 ID:+hD4dG2S0.net
王導はホントとんでもないよな。東晋は江南の亡命政権だから迎え入れる側の江南の呉の豪族らが普通なら政権握ってしまいそうなのにそれをさせなかった。

289 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/02(日) 03:28:24.30 ID:CRGawZpF0.net
後漢末期から三国時代の人口激減は税金逃れの戸籍未登録ってオチ

290 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/02(日) 05:48:23.29 ID:+QvhLp0P0.net
>>289
清の時代なんか税金軽くしたら人口10倍以上に膨れ上がったって怪現象あったはず
結局今における黒戸はどの時代でも結構な数が存在していた

291 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/02(日) 07:20:52.27 ID:xKVS6R4x0.net
>>288
周氏の切り崩しえぐ過ぎてワロタ

292 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/02(日) 11:09:43.52 ID:MnIXQJsq0.net
>>290
結構な数、というか昔の方が圧倒的に酷いべ
おかげで中華帝国はスペック上は周辺に比肩する者のない巨大な国力軍事力を誇るわりに弱い

293 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/02(日) 18:38:02.63 ID:QcR9Xt2R0.net
清代の人口激増は善政の結果だと単純に思ってたわ…

中国の人口は(あくまでも戸籍上の人口ね)、漢代に6000万人いたのが、後漢末からの戦乱で
三国時代に1/10まで激減、隋唐時代に持ち直すも6000万には及ばず、漢の水準に回復したのは宋になってかららしいが。

294 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/02(日) 19:45:37.25 ID:AsaDrzBT0.net
蔡謨の漢書集解って評価としてはどうなんだろう

295 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/02(日) 21:55:35.00 ID:CRGawZpF0.net
華北の漢族と胡族の数は5分5分くらい?

296 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/02(日) 23:30:56.41 ID:XousyppH0.net
>>295
何を漢胡で切り分けるかによると思うぞ
豪族層以上なら割と近付くだろうが、
ホモサピエンスの分布数で言えば、
漢8胡2くらいになるんじゃね

297 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/03(月) 00:36:51.79 ID:0NFR7LJK0.net
元の時代の人口比率では

支配階級のモンゴル人・色目人が、3%
旧金領の漢人(淮河以北の漢族、女真族、契丹族及びこれらの混血)が、14%
旧南宋領の南人(ほぼ純粋な漢族)が、83%


華北だけでみる(南人を除く)と、征服組(モンゴル人・色目人)の割合は17.6%。
五胡の時代も似たような割合だったかもしれない。
元の時代で圧倒的に多いのが南人だが、五胡の時代の江南はまだ開発途上で人口密度が低く、活気があるのは華北だった。
そういう意味では、元の時代よりかは胡人の存在感は強かったかもしれない。

298 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/03(月) 12:07:56.04 ID:NoGQYI8u0.net
漢民族の方が多いのに異民族に負けるんだよな
内部抗争も原因かね

299 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/03(月) 17:45:39.42 ID:B0Cjuj240.net
漢族は戦争に弱いからな
機動力がダンチの騎馬民族には歯が立たない
まあ水練が必要な江南まで逃げ込めば、また条件が変わってきて逆に漢族有利になるが
平原地帯の華北じゃ無理

征服はされるが、数の多さを生かして逆に征服者を同化してじうのが漢族の強みかな
鮮卑も匈奴もトッケツも、隋唐や宋となって漢化した
キッタンと金は当初は漢化しなかったが、元の時代に漢人もろとも差別されてるうちに
漢族と同化して明代には民族消滅した

300 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/03(月) 18:20:02.18 ID:djtuwc2u0.net
楊堅って自分は質素だったからまだマシだけど部下には随分無茶苦茶やってるなあ

301 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/03(月) 19:28:55.55 ID:/pYjZuq/0.net
>>299
逆に征服者を同化したのが強みとか負け犬の遠吠え極まれりやね…
西洋に解放されるまでラーメンマンやってるわけだ

302 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/03(月) 20:50:59.22 ID:nhARjC+M0.net
>>299
金建国した女真族は明代には民族消滅してないだろ
明の時代に後金建国して明の後継いで清になってるだろ

そんな女真族が中国化の度合いで
南部の「熟女真」と北部の「生女真」に分かれるのが笑えるがw

303 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/03(月) 21:53:50.52 ID:eNTYrIWZ0.net
熟女の深情け

304 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/03(月) 22:22:27.43 ID:7CeDbHfZO.net
「じゅくじょ」と「きむすめ」とついつい空見してしまう。
尤も見た目は馬に乗った鞭髪ぶら下げたラーメンマンとか両把頭で旗袍なんだが。

305 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/03(月) 22:56:06.96 ID:FvjbXSBm0.net
>>302
それに限らず漢人に呑み込まれる形で完全に消滅するケースは少ないだろうね
中国周縁の故地には非中国人集団が離合集散を繰り返しながら立派に存続してるわけで
集団の形や風俗が変化したイコール消滅ってことなら漢民族も消滅してるし

306 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/04(火) 07:31:42.77 ID:sHm1KX050.net
満州も故地である沿海州を取られたのも何だか

307 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/04(火) 11:55:42.65 ID:Qz8Lx3ah0.net
ヒ水の戦いで勝者の東晋もあの後ボロボロになっていくのは面白い

308 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/04(火) 12:55:39.88 ID:yeOFENNe0.net
北魏が二つに割れた絶好のチャンス時に降将に滅亡させられるミラクルを起こした梁も面白い

309 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/04(火) 12:59:56.19 ID:wS5x5IIv0.net
>>308
河陰の変から侯景の乱までの間、蕭衍って何やってたんだろうな
亡命者受け入れくらい?

310 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/04(火) 16:19:56.00 ID:ik02e+TW0.net
捨身捨身&捨身

311 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/04(火) 22:01:43.61 ID:YL7+hwAj0.net
そのごとに還俗させるのとんでもない金銭を払ってたんだから、
暴虐でもなく、寛容で、理知的で、政治もよくできるのに、
ある意味、この時代の究極の暗君だよな。

312 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/04(火) 22:17:32.43 ID:s4Lp4t1o0.net
漢族ってのは、人種や出自などはどうでもよくて、「俺は漢族だ」と思い込めばそれで漢族になってしまうんだよ。
極論すれば日本人、さらには白人や黒人でも精神的に漢化して、漢文化の担い手を自任すれば漢族になる。

北魏六鎮の出である隋唐の楊氏や李氏が、いずれも漢族を自称。
長安の新都市建設を主導したのは、匈奴系鮮卑の宇文ト。
「切韻」を著して漢字の発音の基準を作ったのは、やはり北魏以来の鮮卑有力部族の出である陸法言。
(ちなみにこの発音は、アルタイ語の要素も混じっており、鮮卑語の影響を強く受けているらしい)
遼や金の圧迫を受け、中華思想、とりわけ華夷を別ける意識が顕著になった宋も、創始者の趙氏は突厥の末裔。

それでもみんな中華を自任しているんだから漢族とみなしてよい。

313 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/04(火) 22:21:32.10 ID:UGIkWzdF0.net
>>308
寡兵で北魏の大軍相手に無双しまくって洛陽陥落させた陳慶之も忘れずに

314 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/04(火) 22:23:10.63 ID:UGIkWzdF0.net
>>312
ローマ帝国も数々の民族を吸収したがゲルマン人は消化不良に終わったな

315 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/04(火) 22:24:34.14 ID:2IlXmFEb0.net
梁の頃には経済的に北朝を上回ってたんだっけ武帝の老害化無しと軍事的に優秀な人物がもう少し出てきてたら南朝ワンチャンあった?

316 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/04(火) 22:59:59.12 ID:UGIkWzdF0.net
>>299
>>302
金がモンゴル帝国に滅亡させられた際には、
故地を既にモンゴル軍に奪われて中原に取り残された大勢の女真が
モンゴル人と漢人双方からの攻撃を受けて大半が死滅し、中原から女真の集団は消滅した。

一方、故地に残って集団を保っていた女真は、モンゴル、元に服属することになった。
元代の女真は満洲から朝鮮半島北部にかけて居住して元の支配を受けており、元の日本侵攻(元寇)にも女真兵が加わっている。

元の滅亡後、女真はモンゴルから離れ、小集団ごとに明に服属した。

317 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/04(火) 23:04:21.84 ID:UGIkWzdF0.net
>>315
光武帝、韓信、諸葛亮くらいの逸材が揃えば北朝ぶっ潰して天下統一も可能だったろう
そう考えると南から統一した朱元璋はしゅごいな

318 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/04(火) 23:51:11.41 ID:bgzMeJh80.net
>>317
「そんな無茶ぶりして何が楽しいんだバカ」
まで読んだ

319 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/05(水) 05:24:28.20 ID:HB4S/HtU0.net
>>317
河北の騎兵が軍の主力だった光武帝のような人物がどうやって江南から天下統一しょうというのか…

320 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/05(水) 07:19:54.34 ID:KyU87Tgv0.net
牛さえいれば・・・

321 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/05(水) 12:52:04.93 ID:IBRWnoHA0.net
車弩で対抗するしかない

322 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/06(木) 13:26:11.38 ID:SmKAkIsg0.net
>>312
俺はガンダムだ!
みたいなもんか?

323 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/06(木) 14:49:33.01 ID:Dxlv/hWD0.net
隋唐も門閥貴族って北朝由来の氏族と南朝由来の氏族とどれくらいの比率になるの?

324 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/06(木) 16:26:40.29 ID:QLDrFQQY0.net
北朝由来の門閥貴族は、
独孤、蔚遅、宇文、長孫、賀拔
みたいな胡姓がズラリとあるからな
南朝の連中からしたらこんな索虜と一緒にするなという感じだろうか

325 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/06(木) 17:42:58.44 ID:oUn50mhU0.net
京都の平安貴族から見た東夷の坂東武者みたいな感じなのかね

326 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/06(木) 21:21:51.23 ID:yfl0vTL70.net
>>323
「北朝社会における南朝文化の受容」によると劉裕が東晋簒奪したあたりから南朝貴族の亡命が頻繁に起きてるからなぁ。
北朝名門氏族でも母系は南朝の名族とかありそうで。
「魏書」で劉淵や石勒が乱賊扱いなのもその名残りなのかも

327 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/07(金) 02:54:25.17 ID:ZHQUtiXv0.net
>>314
そのゲルマン人が後に神聖ローマ帝国作ったのは笑える

328 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/07(金) 20:28:32.34 ID:nzriitO/0.net
ヘーゲル「神聖でもローマ的でもなく、ましてや帝国ですらない」

329 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/07(金) 20:30:43.97 ID:7ZCWMf5t0.net
>>328
世界精神とかオカルトほざくオッサンはNG

330 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/07(金) 23:46:20.75 ID:RslZzThL0.net
そのゲルマン人の勃興のきっかけとなったのがフン族の西進。
フン族は漢代に分裂した匈奴の一派という説があり、ハンガリー(もともと”フン”ガリアと呼ばれていた)も匈奴が立てた国という俗説もあった。
あのフランツ・リストも冒頓単于たちの末裔だとしたら胸熱だな。

もっとも、現在のハンガリー人を構成するマジャール人はウラル山脈あたりを本拠とするトゥルク系民族だったらしいが。

331 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/08(土) 00:29:14.63 ID:q1FtSikq0.net
>>312
つまり漢族は宗教ってことやろ
漢族に限らずよくあるな、蒙古も日本人もアメリカ人もロシア人も同じようなもの
…近代中国人の主流派と言っても差し支えない崇洋、精日中国人は非漢民族だなw

>>327
先秦、秦漢とほぼ関係ない後世大陸人が漢人やら皇帝やら名乗って中華自任してんのと変わらんよ

332 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/08(土) 03:03:37.04 ID:8zm2ttQI0.net
ドイツ語で「ハンガリー」はUngarn(ウンガルン)という。
これは明らかに「オノグル」族から由来したものなので、フン族は全くハンガリー(マジャル族)に関係がない。

333 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/08(土) 03:57:36.31 ID:muqgjwPo0.net
三崎良章先生の本Kindle化されたな

334 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/08(土) 09:25:10.39 ID:rHVzXc7b0.net
司馬一族の晋ってなんだかんだ155年続いたんだな

三国の3倍って考えたらスゴく感じる

統一王朝のままだったらこんなに持っただろうか

335 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/08(土) 10:24:55.35 ID:xV5df6Ea0.net
安史の乱のあとの唐も150年くらい持ちこたえたからな
もう終わりやろって状態ながらダラダラ続くこともある

336 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/08(土) 11:45:53.96 ID:lJ9VW/4p0.net
暗君オンパレードなのに300年近くも続いた明
劉禅クラスやそれ未満がごろごろいて皇帝専制で長寿王朝なのがある意味すごいわ

337 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/08(土) 12:24:36.29 ID:y+0QDq170.net
後漢だって安帝の時代に潰れてもおかしくなかったし。あの時檀石槐が反乱軍のリーダーだったら南北朝が一足早く来てたかも

338 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/08(土) 17:28:13.69 ID:oEv6VXhU0.net
>>330
フィンランドもフン族の末裔名乗ってるで
元々”フン”ランドや

339 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/08(土) 18:49:01.06 ID:lJ9VW/4p0.net
確か自称はスオミだろ

340 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/08(土) 19:17:20.51 ID:lJ9VW/4p0.net
五胡の髪型はどうだったの?
女真や蒙古みたいに辮髪?それとも漢族みたいに総髪?

341 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/08(土) 19:31:32.14 ID:E2WxDHG80.net
>>340
拓跋部は弁髪っぽい

342 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/08(土) 20:06:33.76 ID:9Cw3VZr80.net
>>340
これが疑問なんだよなあ。史書には胡族の髪型についての記述がない。
ただ、南朝の人間が、北朝の人間を「索頭虜」もしくは「索虜」と呼んでいたから、
おそらく北魏は辮髪だったと思う。
しかしそうすると、胡服も胡語も胡姓も禁止するほど徹底的な漢化を推進した孝文帝が、
「胡髪」については何の言及もないのは不自然だ。
まさか胡俗の最たる辮髪を見逃すとは思えないしね。

北斉の壁画には以下のような人物像がある。
http://www.geocities.jp/qsshc/cpaint/tang/62.jpg
これだと頭巾の下が髻なのか辮髪なのかよく分からない。ただ、みんな前頭部が広く、剃り上げてるようにも見える。

343 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/08(土) 21:11:20.13 ID:8zm2ttQI0.net
>>338
HunとFinn
HとFの区別ができない日本人の典型的な妄想論
フィン・ウゴル系(フィンランドやハンガリー)はまったくフン族に関係がない

そもそもフン族自体が(北)匈奴なのか自体不明

344 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/08(土) 23:21:53.23 ID:KGvwwjsJ0.net
>>333
船木勝馬先生の本も早よkindle化しろや

345 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/09(日) 00:06:10.06 ID:7V183nwI0.net
禿頭部「また髪の話をしてる・・・」

346 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/09(日) 00:49:31.95 ID:BvFvzBx+0.net
朱元璋「そ、それ言ったら戦争なんだよ!滅九族なんだよ!」

347 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/09(日) 01:24:24.90 ID:7V183nwI0.net
ドルゴン「薙髪令を出すお。でも僧侶とハゲは勘弁してやるお」

348 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/09(日) 07:23:17.75 ID:i1lbHNGz0.net
>>313
総大将が無能なのを察して元だけをまず狙った爾朱栄も慧眼

349 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/09(日) 08:47:03.53 ID:lSVXq9ri0.net
>>343
フン族に全く関係ないかといえばそうでもない
フィンランド男性の6割が大昔にアジアで起きた遺伝子変異を持ってるからな
まあフィンランドだけでなくリトアニアラトビア辺りも男性の4割がアジア起源の遺伝子変異を持ってるが
あとハンガリーのマジャル人も遺伝子学的にコーカソイド化した元モンゴロイドで確定している

350 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/09(日) 13:14:51.11 ID:Ecx2GZfA0.net
爾朱氏はさくっと政権掌握したのに高転びしちゃったなあ

351 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/09(日) 17:50:31.33 ID:sKN2/BWs0.net
ブルガリア人の祖先たるブルガール人もアジア系なんだよな
こっちは言語もスラブ化しちまったけど
ロシアやウクライナもタタールの血が多分に混じってると思うぞ
クリミア半島なんてもろにイスラムの土地だったし

352 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/09(日) 18:03:53.15 ID:7V183nwI0.net
中国人は唐の長安の面影を京都に見出してるっぽい
あっちは王朝交代時の略奪や異民族の侵入で滅茶苦茶になってるから

353 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/09(日) 19:49:17.06 ID:Ggry1Zuk0.net
>>352
なんの不思議もない
漢人の夢は倭人になること、って時代だからなここ数十年くらい

354 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/09(日) 20:16:48.80 ID:Su113f+N0.net
>>350
宇文護もそうだけどこの時代は権臣があっさり殺される印象

355 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/09(日) 21:23:00.05 ID:3cF7Wd210.net
まあ京都も戦国時代までは荒廃していて、現在残る風情は江戸期以降のものなんだけどね。
北京とあまり変わらん。
長安の面影があるのはむしろ奈良なんじゃないかと。

356 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/09(日) 21:51:31.52 ID:7V183nwI0.net
ゴート戦争で荒廃しまくったイタリアだが
古代は勿論、中世から現代に至るまで先進地域だよな

357 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/09(日) 21:52:57.76 ID:7V183nwI0.net
中国旅行する機会があれば
故宮、万里の長城、敦煌は押さえときたいな
他に史跡でお勧めの場所ある?

358 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/09(日) 22:05:15.43 ID:Ggry1Zuk0.net
>>355
マジで長安の面影を京都とか日本に求めてるわけじゃないからこまけぇことはどうでもいいのよ
ダサい中国大陸・中国人・中国文化を疎んじ、洗練された現代日本を尊崇している人達多数ですから

359 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/09(日) 23:07:34.91 ID:/qdSkZ5W0.net
>>358
マジレスすると
よその文化をだせぇとほざく
お前の振る舞いがだせぇぞ

360 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/09(日) 23:29:29.10 ID:lSVXq9ri0.net
>>356
ローマ帝国亡き跡でもローマ教皇が残ったのが大きいな
もしバチカンが無ければ今頃モヘンジョ=ダロみたいな廃墟か
バクダッドみたいなカオスシティに

361 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/09(日) 23:34:46.53 ID:3cF7Wd210.net
中国は悠久の歴史を誇るとはいえ、破壊と創造の繰り返しだから古いものは意外と残っとらんのよね。
西安(長安)も洛陽も、現在の市街は秦漢隋唐時代とは全く別の場所にある。ただの地方都市で大して見どころは無い。
北京の紫禁城はもともと明代のものだが、現存するのは清に再建したもの(17世紀)。
レンガ造りの万里の長城も明代のものかな。秦漢や魏晋の頃のはもっと北方にあり、かつ土を盛っただけの簡素な造りだった。

雲崗石窟は北魏の時代(5世紀)のもので、1600年の時を経て南北朝時代の文化を現在に伝える貴重な存在。

362 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/09(日) 23:45:47.48 ID:fVbH+BPX0.net
>>355
鎌倉室町の資料がぜんぜんないのはビビったわ。日記資料ぐらいしか信用できそうなのがないとか。

363 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/09(日) 23:47:35.74 ID:fVbH+BPX0.net
>>361
確か北斉の文宣帝も長城の規模拡大してたかと。

364 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/09(日) 23:55:11.28 ID:Ggry1Zuk0.net
>>359
俺自身はよそ(リアル中国)をだせぇと思ってないよ?
中国人(中国社会)の話ね

365 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/09(日) 23:57:00.62 ID:1KQxPPKR0.net
「北魏末→東西分裂」期の爾朱栄は「後漢末→三国」期でいう董卓?
「唐末→五代十国」期でいう朱全忠?

蘇我入鹿暗殺のくだりのモデルは宇文護暗殺のくだり?

366 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/10(月) 00:03:34.72 ID:dWoihnJE0.net
朱全忠=曹操説

367 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/10(月) 01:16:43.83 ID:wukFicOP0.net
>>361
洛陽は隋唐時代のと重なってるだろ、

紫禁城は確かに清代の建築物だけど、欽安殿など明代のものがないわけではない

土塁といっても版築だから攻撃に対しては相当堅牢だけどね。雨には弱いが

368 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/10(月) 01:33:10.48 ID:dWoihnJE0.net
版築は攻撃に対して特別堅牢ではないぞ
土塁はそもそも攻撃には強いものだ

369 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/10(月) 07:54:16.32 ID:aLw19rQb0.net
>>365
配下のオールスターぶりみてると何進みたいな感じがハンパない。

370 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/10(月) 10:05:39.23 ID:T6ywkErX0.net
爾朱栄政権のメンツ豪華すぎるな
マジで天下取れるに足る人材は揃ってたのに

371 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/10(月) 10:22:00.66 ID:cs5wJ6at0.net
北斉が長城の拡張とは面白いな
お前らもともとあっち側の人間やろ

372 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/10(月) 11:38:57.71 ID:ZaeK4brW0.net
そりゃ文宣帝の頃の北斉は柔然や突厥と全面戦争やってた頃やし。

373 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/10(月) 19:45:55.90 ID:kG7YY2P60.net
>>370
むしろ空中分解しそう

北魏が解体して梁との間で人材行き来したから統一早まったんじゃね?と思うときがある

374 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/10(月) 20:07:23.09 ID:f6akD+dE0.net
北魏は対立していた柔然のことを蠕蠕と呼んで蔑視しまくってたからな。
鮮卑拓跋部なんて、民族的にも文化的にも漢族よりはるかに柔然に近く、柔然とは同胞のようなもんなのに。
近親憎悪なのだろうか。

375 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/10(月) 20:20:13.95 ID:f6akD+dE0.net
漢族政権なら、農耕民vs遊牧民 で対立せざるを得なかっただろうが
鮮卑も柔然も同じ塞外の騎馬遊牧民なのだから、北朝としては、
「なぁ兄弟、俺は南進して漢族を支配する道を選ぶ。お前らには漢族から取り立てた農産物や工芸品、さらには人材を分けてやるから
 もし(南朝と)戦争になったら、そちらの騎馬兵力を貸してくれないか?」
みたいな感じで上手く共存できなかったのかな。

376 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/10(月) 20:41:15.92 ID:ocvsMUVHO.net
>>375
部族が違えば敵同士。
同じ習俗・同じ生計スタイルの民族でも共同するには利を同じうしなくてはならないが、そうでなければそりゃつるまんでしょ。

377 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/10(月) 21:28:36.58 ID:f7pH0MYC0.net
>>374
いっぽう南朝は対北魏ということもあって、一貫して柔然に好意的なんだよな
(へんてこな蔑称を使ってない)

378 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/11(火) 00:48:27.81 ID:Y8yiZl7S0.net
そもそも檀石槐のあたりから鮮卑は農業もやってるぞ。

379 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/11(火) 10:14:15.37 ID:2Mfhix/X0.net
>>375
中国と最も対立しているのは台湾、漢族を最も殺した民族は漢族
チャイニーズをもっともボロクソに言ってるのは同じ中華系というのが現実である
北魏と柔然に共存しろとか無理言うなw

380 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/11(火) 22:33:00.47 ID:rpmBGu890.net
>>347
村上ドラゴンと語感が

381 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/12(水) 15:10:49.65 ID:JEXsANSf0.net
小前の苻堅の本で羌族は遊牧で氐族は農耕って見たんだが氐族ってそうなん

382 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/12(水) 21:18:01.35 ID:pyAQbncy0.net
>>381

それの正解は「分からん」だと思うでよ

383 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/12(水) 21:24:35.37 ID:Np0qqIl+0.net
三崎さんも同様な事書いてはいたな

384 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/13(木) 10:23:17.95 ID:TWcvyTVM0.net
これ使ってみてください!
上手くいってます。

https://store.line.me/stickershop/author/540272/ja

385 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/13(木) 17:29:32.86 ID:sdrC9n9q0.net
中国史三大卑猥ワード

周勃
赫連勃勃
勃極烈

386 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/13(木) 18:58:52.78 ID:HTSlV3Ga0.net
馮乳陳
馮萬泥

このコンビの名前すき

387 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/13(木) 20:32:19.43 ID:X802XMgE0.net
五胡十六国時代(さらには南北朝時代の北朝)の胡族政権では、
名前からしてコテコテの胡人皇帝が、やはりコテコテの胡人の臣下に、○○将軍、○○侯、○州牧、○○尚書、○○都尉といった
漢族まんまの官名を与えている。
このギャップが妙だ。

これは、当時からこういう漢風の官職を採用していたのか、
それとも(漢人の立場である)後世の史家が、漢の官制に当てはめて記述したに過ぎず、
当時は匈奴語や鮮卑語の独自の官位を名乗っていたのか、
どちらなのだろう?

388 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/13(木) 20:40:37.22 ID:u7R5L+E10.net
>>387
秀容第一領民酋長とかいうロックな官名が普通に残ってるし漢風の官名は当時からそうだった可能性はあるかと

389 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/13(木) 20:55:33.08 ID:VoUPy2o70.net
完顔阿骨打はエロ漫画家

390 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/13(木) 20:57:15.35 ID:VDj73nVf0.net
北魏墓誌とかいうよくわからん存在
あれは鵜呑みにしてええのか

391 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/13(木) 21:18:17.47 ID:0ZorY8zE0.net
>>387
漢族至上主義を訴えなから息子に大単于名乗らせてる冉閔さんの悪口はやめーや

392 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/13(木) 22:22:31.72 ID:zlWcr16c0.net
>>385
赫連勃勃は大阪に実際にある立ち飲み屋なので、卑猥はやめてください!(>_<)

393 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/13(木) 22:36:17.45 ID:LJnzXgVI0.net
>>391
孫文「夷狄の官名を称すとは・・・漢族の面汚しよ!」

394 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/13(木) 22:58:57.22 ID:1om35inZ0.net
検索すると夏武烈帝以外に結構店名も引っ掛かるな。
経営者は五胡十六国マニア、魏晋南北朝マニアか何かだろうか?
禿髪○○、乞伏○○、沮渠○○なんかもいる中でなぜ赫連勃勃が選ばれたのか?
ちょっと気になるなあ。

395 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/13(木) 23:08:18.41 ID:PBZf76mMO.net
>>394
禿髪は…店名としてはちょいと一部のお客様に悲しかろうよ。

396 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/14(金) 07:25:42.68 ID:1QJJfHky0.net
>>393
天可汗「ワイは李信将軍の末裔やぞ」

397 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/14(金) 10:30:48.29 ID:qWZOaalU0.net
赫 と 勃 が、
充血してそそり立ったブツをイメージしがちだからな
もっとも、赫とは「天」のことで、
赫連は「天に連なる」という意味、
帝王に相応しい姓にしようと、勃勃なりに一生懸命考えたんだよな

398 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/14(金) 15:08:21.56 ID:Mr4Objfb0.net
屈孑って字じゃなくて魏書が勝手につけた蔑称なんしらんかった

399 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/14(金) 21:33:53.70 ID:VXb84du70.net
>>327
実力主義のローマ皇帝と違って
中世以降の王侯貴族は基本的に世襲だがそれほど酷い君主はあまりいないよな
中国皇帝とかはとんでもないのがごろごろいるけどw

400 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/14(金) 23:42:40.51 ID:6wufkdUX0.net
(北魏の)文成帝南巡碑には、巡幸時の随行者も列挙されている。
その中には、「羽真」「内阿干」「内行内小」といった鮮卑語と思われる官名がズラリと並んでいる。
例えば「内阿干」の該当者を、後世、北斉時代に編纂された「魏書」で検索すると、みな「尚書」であることが分かる。
つまり、少なくとも文成帝の治世までは、当時の官名は胡語であり、史書にある尚書は、「内阿干」を後世に漢語訳したもので、
漢族視点で書かれた史書からは窺えないような、鮮卑色の濃い体制だった可能性が高い。

401 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/15(土) 00:05:31.03 ID:YX6eu5600.net
それほどひどいことするには金も権力も必要なわけで……
周辺領主と言う競合対象がいる以上あまり無茶をやると周りに殺されるからね

402 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/15(土) 00:11:24.64 ID:/5Ai+3vg0.net
また、北魏前期の頃はまだ中原の中央集権体制も確立しておらず、
領内の漢族に対しては州郡制を敷いたものの、
拓跋親藩譜代の部族、及び華北統一時に帰順した外来部族に対しては
それぞれの酋長である「大人(たいじん)」に配下の部族を統率させ、皇帝は大人たちの君長(可汗)であるという、
遊牧社会そのままの部族連合制を維持していたらしい。

つまり遼の北面官、南面官のように、北魏は遊牧民・農耕民を別個の体制で治める二元統治を行っており、
北朝とはいうものの遊牧国家の面影を払拭するには程遠い状況で、北魏が真の中原国家に脱皮するには孝文帝の登場を待たなければならなかった。
孝文帝の代(5世紀末)になって、やっと部族を真に解体し、土地と人民を皇帝直属のものとし、各部族長は南朝を模した朝廷貴族として政権内に組み込んだ。

403 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/15(土) 00:55:47.33 ID:iuau/iY50.net
所謂漢族国家と遊牧国家の二元体制は匈奴漢から続いてるしね

404 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/15(土) 02:25:49.65 ID:s1fuRTiR0.net
後趙と北魏の墓誌を比較すると北魏の方がかなり遊牧チック

405 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/15(土) 08:24:08.93 ID:1++jrNTi0.net
>>399
いやそれは知らないだけで
古今東西酷い君主は数多
有名なドラキュラ伝説でもまだまだソフトな酷い君主の一部

406 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/15(土) 08:44:47.19 ID:q0cSMpcT0.net
>>404
後趙の法制関係整備したの張賓だし石勒の部族に後世に残せるほどの文化は無さそう

407 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/15(土) 13:15:55.75 ID:oaLHXAoM0.net
異民族で最大版図を築いたジンギスカンが100とするならこの頃の群雄はどれくらいかね

408 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/15(土) 13:23:11.17 ID:/l95OQK/0.net
戦闘力5くらい
モンゴル帝国は南朝より強大な金や宋をフルボッコにしたわけだし

409 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/15(土) 14:00:26.89 ID:YX6eu5600.net
1位 モンゴル
2位 匈奴
3位 突厥

410 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/15(土) 22:18:52.78 ID:MctR8kgU0.net
屈突通の語呂の良さは異常

411 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/15(土) 22:42:02.86 ID:1++jrNTi0.net
>>408
モンゴル帝国は支軍でもヨーロッパの精鋭フルボッコで本気出したら征服しかねないぐらいだからな

それに比べて500年も経たない後の最後の遊牧民帝国ジュンガルとか
戦闘力が小数点未満つけたくなるぐらい弱くて泣ける
中身はそんなに変わらん筈なのに

412 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/15(土) 23:26:25.92 ID:/l95OQK/0.net
>>411
その500年は、中華帝国の力でも無理っぽい20万近い大軍勢を渡海揚陸させる倭寇関白とか
史上最大最強の中華帝国であろう清朝をサンドバック化する洋夷が現れる500年ですから
それくらい不思議でもなんでもないよ

413 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/15(土) 23:50:22.33 ID:d/WKEV050.net
>>404
初期五胡の群雄って漢族の不満分子が外国人傭兵団の親玉を担いだイメージ。

414 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/16(日) 07:22:29.14 ID:TAT611kp0.net
北宮純の防御戦の強さは異常

415 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/16(日) 08:13:27.24 ID:JrqeuFM/0.net
苻堅「景茂(姚萇の字)よく来たの」
姚萇「へへぇ」

一族や部下の前では決して見せぬ表情
羌族の名将がたどり着いた苻堅への処世術であった
https://i.imgur.com/hKcNITn.jpg

416 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/16(日) 16:41:02.41 ID:5W87/99Y0.net
中国三大イケメン

周瑜
高長恭(蘭陵王)
赫連勃勃

417 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/16(日) 21:15:21.03 ID:1Fg47bG+0.net
高長恭は仮面キャラが美形の元祖

418 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/16(日) 21:26:47.97 ID:3DYE5H5H0.net
オヤジの高澄もイケメンって書かれてたしな

419 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/16(日) 22:01:59.07 ID:iqj8OyNT0.net
同じ両親から生まれてるのに、
なんで高洋だけブサイクになったんだろう?

420 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/16(日) 22:15:05.50 ID:jqUtD3fg0.net
このスレでユ亮外すとかなんなの?

421 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/16(日) 22:22:24.85 ID:s2rkoG3O0.net
イケメンなら顔良

422 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/16(日) 22:41:52.99 ID:iqj8OyNT0.net
>>420
やらかし系イケメンの代表格ですね

423 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/16(日) 22:59:36.60 ID:rry1brRK0.net
全部同じ人がやっているような気がするが、このスレでの中国三大○○の選定の甘さは異常w
そしてその中に赫連勃勃が入っている頻度も異常w
数えたわけではないけれど。
はっ、もしや「赫連勃勃」の経営者さんでは?

爾朱栄なんかもイケメンとされているんじゃなかった?

424 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/17(月) 00:10:13.98 ID:+RCfJckI0.net
他人のことは言えんが、
三大○○やってる方はそこまで詳しくないから毎回ネタ枠を一つか二つ入れざるを得ないのでは?
名前のインパクトが強烈な勃勃はこの時代屈指の有名人なんで頻度が高くなる

425 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/17(月) 00:40:18.01 ID:6RMKWk1S0.net
日出ずる処の天子、書を日没する処の天子に致す。恙無しや、云々

煬帝「蕃夷めー」
妹子「(お前も半分胡族やろ・・・)」

426 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/17(月) 01:45:08.77 ID:iv/N3Sot0.net
>>425
このエピソード日本書紀にはないんでやらかしの可能性も。
オヤジの文帝(楊堅)にも似たような手紙出して「文章おかしいから書き直してね」って突っ返されてるし。

427 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/17(月) 02:50:56.08 ID:1RWvY8ng0.net
>>422
蘇峻の目を眩ますおとりを死を覚悟でやるところはかっこいい

428 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/17(月) 06:56:57.27 ID:WNU3HNNH0.net
苻堅の血が流れるイケメン慕容沖さんの事も忘れないで下さい

429 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/17(月) 07:06:46.67 ID:RFDpobt00.net
東晋で美男子と言えば杜乂と王濛
奇しくも両者ともに娘が皇后になってる

430 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/17(月) 07:17:54.29 ID:ATX4gdBP0.net
>>420
じゃあ妹もそうとうな美女の可能性もあった?

431 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/17(月) 07:47:08.90 ID:ffF8C4RB0.net
>>427
自業自得過ぎる。懲りずに痴漢誘って断られてるし

432 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/17(月) 12:18:34.85 ID:0NsyZZXa0.net
杜艾がめっちゃイケメンって聞いたけど

433 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/17(月) 12:20:36.87 ID:0NsyZZXa0.net
杜乂だったわ

434 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/17(月) 12:22:17.40 ID:0NsyZZXa0.net
西晋なら衛玠

435 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/17(月) 12:35:13.77 ID:jnE9PPby0.net
西晋なら潘岳と夏侯湛と韓壽も

436 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/17(月) 12:51:46.48 ID:RFDpobt00.net
主従そろって珍しい容貌と言われてる苻堅と王猛

苻堅:此兒姿貌瑰偉(苻洪の評価)、臂垂過膝,目有紫光
王猛:瑰姿俊偉

ビックリ人間ショーかよ

437 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/17(月) 13:44:03.97 ID:wjnb40sR0.net
>>430
庾文君は絶世の美女扱いでゲームの世界だとこうなるw
http://www.49363.com/uploads/allimg/140929/1_092ZP614CE.jpg

肖像画見た事あるけど・・・うーん微妙

438 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/17(月) 20:40:42.36 ID:jE+1Q2EK0.net
隋文帝 「ワイは漢の名族の末裔や」
唐高祖 「ワイの祖先も漢族や」

楊堅妻・李淵母(いずれも匈奴の独孤氏) 「アンタ、北族の誇りを忘れたんかいね!」

439 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/17(月) 22:11:19.13 ID:kauf880u0.net
北周、隋、唐王室に血筋を残した独孤信も独孤郎と渾名されるほどのイケメンだったそうな。

440 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/18(火) 00:16:50.96 ID:I9C70YnU0.net
北周・北斉あたりだとまだまだ鮮卑色が強いけど
隋あたりになるともう自分らは漢族という認識になってたの?

441 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/18(火) 01:16:13.85 ID:P43A+ny20.net
>>438
忘れるもクソもない
父方が楊氏、李氏であればその姓の有名どころの末裔になるのは当然
父母の氏が逆なら普通に北族の末裔設定になるだけよ

442 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/18(火) 03:23:17.75 ID:UQqfWyII0.net
酒乱で残虐だが能力は高い北斉の高一族だと

高澄…イケメン
高洋…ブサイク
高演…まあまあ
高湛…イケメン

443 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/18(火) 10:07:31.01 ID:bz6N5EYb0.net
高歓はいかにも豪傑って感じの弁当箱みたいな四角い顔のオッサンのイメージ

444 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/18(火) 14:11:43.64 ID:+ASpKoov0.net
>>442
高緯…あれ?朕は?

445 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/18(火) 14:15:22.19 ID:PCP3yGn90.net
高翔「僕もイケメンで」

446 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/18(火) 19:39:03.87 ID:azrezg7Q0.net
申し訳ないが郭淮に負ける奴はNG

447 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/18(火) 19:41:54.11 ID:YYB3aQ8X0.net
>>443
横山趙雲みたいなもんか

448 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/18(火) 22:36:55.09 ID:Ry0jp+QD0.net
>>440
北周・北斉、というか西魏、東魏に分裂した頃の宇文氏、高氏は、
孝文帝に冷や飯を食わされた恨みや北族軍閥としての誇りもあって、鮮卑回帰が顕著だった。
特に北周は孝文帝の漢化政策の真逆を行くがごとく、鮮卑語を公用語とし、漢族にも鮮卑姓を名乗らせた。
そこへいくと隋の楊氏は自称漢族なだけあって、実権を握ると宇文氏の鮮卑復古主義を廃止した。

この頃になると、漢胡の融合が進んで、あまり一方的な押しつけが無くなってきたんじゃないかな。
隋唐になると漢姓が復活する一方で、独孤、宇文、蔚遅といった胡姓も残り続けた。好きにせよという感じだったのでは。
しかし匈奴族や鮮卑族も、漢族との混血が進んであまりアイデンティティに拘らなくなり、多数派の漢族と生活しているうちに
独自の言語や風習を忘れ、姓だけ残してすっかり漢化してしまったと思う。

>>441
楊氏、李氏は北周時代は普六茹、大野という鮮卑姓を名乗っていた。
もとから鮮卑姓だったのか、漢族だが北周から鮮卑姓を与えられたのかは不明。
仮に本来は楊・李だったとしても、北魏よりも昔からそうだったのか、それとも胡姓だったのが孝文帝の代に漢姓に変えたのかも不明。

確かなのは、楊(普六茹)、李(大野)、独孤、宇文の各氏はともに北魏の武川鎮軍閥の仲間で、
互いに通婚を行って結びつきを深めていたこと。

449 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/19(水) 00:00:54.21 ID:m0E1AoJq0.net
周も隋も唐も、外野から新参者が革命の狼煙を上げたわけではなく、政権内部にいた者が玉座を乗っ取ったもの。
いわば周も隋も唐も、北魏の武川鎮軍閥の間で政権をたらい回ししていたに過ぎない。
清の趙翼は武川鎮を「王気が集まる場」と評した。

それは盛唐時代も同様で、安史の乱の頃まで武川鎮軍閥が支配貴族層として君臨し続けた。
唐の流れをぶった切った武則天ですら、武川鎮の出身だった。
安史の乱以降、既得権益層の貴族は没落し、代わって科挙官僚の進出が顕著になった。
やがて黄巣の乱で武川鎮貴族は唐王朝とともに消滅した。

拓跋国家おそるべし。

450 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/20(木) 00:05:32.21 ID:qDfKXz650.net
鮮卑名に多い漢字

鹿、叱、吐、泥、歩、根、干、阿、六、抜、跋、破、豆、斗、羅、乞、普、莫、弗、賀、乙、那、丘、傉

これらを組み合わせると、鮮卑っぽい名前になる

451 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/20(木) 00:20:10.65 ID:qDfKXz650.net
胡人の漢化度を、日系アメリカ移民に例えるとこんな感じだろうか。


五胡時代: 名前は「鈴木善吉」。英語の読み書きはほとんどできない。

北魏孝文帝の治世: 名前は「ジョージ・ダグラス」。日米バイリンガルで、公の場は英語を使用。

北周の治世: 名前は「鈴木マイケル」。日米バイリンガルで、公の場は日本語を使用。

隋唐以降: 名前は「リチャード・スズキ」。 完全に英語オンリーで、もう日本語は喋れない。

452 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/20(木) 00:46:34.18 ID:5HWHKKOG0.net
干将莫耶

453 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/20(木) 09:01:27.15 ID:ZsCtDhDC0.net
昔の刀匠は鮮卑だった……ッ!?

まあ周からしてふっつーに五胡ってくくりに入りそうなエリアの出身くさいが

454 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/20(木) 10:58:42.88 ID:pERtNrqW0.net
北朝五胡こそが正統中国人、華南の輩は蛮族に過ぎんのだ
今も北方人と南方人はかなり悪くて方言も別物に近い

455 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/20(木) 20:39:36.31 ID:YrG+W1yH0.net
拓跋力微なんて生年から即位?まで有りとあらゆるものが胡散臭いのに許容されてるのってやばくね?
北魏研究者とか頭大丈夫なのか

456 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/20(木) 21:05:38.68 ID:Kc28alb+0.net
他の正史にも後の皇帝が生まれた時に光が溢れただの龍や鳳凰が現れただの五色の雲がたなびいていただの堂々と載せてるからセーフ。晋書は怪談堂々と載せてるから糞!だの言われてるけど他の史書も変わらなくね?と思ってしまうのは素人だからか

457 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/20(木) 21:11:48.02 ID:YrG+W1yH0.net
拓跋力微は魏書でんがな

458 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/20(木) 21:20:10.66 ID:Hr7YC6i80.net
>>455
没年齢がが百歳超えがデフォである古代の天皇の悪口は止めろ

459 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/20(木) 21:29:23.27 ID:YrG+W1yH0.net
>>458
あれは伝説上の存在として扱われとるけど拓跋力微さんは恰も歴史上の人物としてまっとうに扱われる傾向あるやん

460 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/21(金) 03:28:07.35 ID:9bCIA+TT0.net
北周は隋の前というのに現代漢語に鮮卑語のなごりがないことが不思議だ。
単語とかに残存してもよさそうなものだが。
それと北周の人には鮮卑語の辞書や文法書を残してほしかったな。
語学史にすごい重要な位置を占めたはず。

461 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/21(金) 08:27:47.24 ID:hoFiXr8u0.net
だよな。
北周の代には、鮮卑族も漢字を使えただろうし、何よりも鮮卑語が公用語なんだから
漢人向けにも各種の鮮卑語辞典みたいなのがあってよいはず。
隋唐になっても鮮卑語は禁止されたわけではなく、いわば自然消滅で、焚書もなかったはずなのに
なぜ後世に残らなかったのだろう。

462 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/21(金) 12:45:38.57 ID:HofLly9B0.net
呼廚泉もかなり長生きだよな

463 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/21(金) 12:54:21.24 ID:w+y9SZKR0.net
ヒント:モンゴル帝国

464 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/21(金) 13:19:46.57 ID:Ibmj77bI0.net
【山本太郎、坂の上零】 格闘家のKIDだけじゃない、関東圏のKIDも癌で死んで、棺桶が売れている
http://rosie.5ch.net/test/read.cgi/liveplus/1537410277/l50

年末の格闘大会は中止しろ、放射能汚染の最中にお祭りやるな、不謹慎だ!

465 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/21(金) 21:16:36.77 ID:nDUTHchB0.net
司馬穎配下の慮志って結構有能だな

466 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/21(金) 21:48:42.11 ID:mc249d2r0.net
>>465
盧植の子孫で北朝屈指の名門のご先祖やからな

467 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/21(金) 21:59:47.05 ID:9Zhcdzzv0.net
>>461
勝手な妄想だけど
四大文明の魔物さだろうな
古代エジプトとかもかなり異民族に弱くて
ヒクソスだのリビアだのヌビアだのアッシリアだのバビロニアだのに征服されたのに
高い確率で征服者がファラオになるというw
終いにはイスカンダルの手下みたいな文化豊かな処の奴までファラオだからな
おまえはギリシャ人でおまえの神はゼウスだろーが!
というツッコミは数千年後にも止まない

468 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/21(金) 22:02:45.35 ID:maWED8zF0.net
この時期仏教が盛んになったりするのは
西域からインドまでの往来が盛んになったのかね

469 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/21(金) 22:18:36.10 ID:E9hF6tQf0.net
前涼の安定期の長さが最大の要因だろな
仏教保護と西域通商の拡大、半独立状態故中原への往来も容易だったと思う

470 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/22(土) 00:45:38.06 ID:FGXhUXb90.net
当時の発音では、「拓跋」は「タクバツ」、「慕容」は「ブヨウ」だったらしいね。
要するに今の日本語の発音に極めて近い。
日本語の音読みは、南北朝〜隋唐時代の発音を現代まで保存していて、
現代中国語は、チーとかパオとかホァンみたいな柔らかい発音が多いけど、
当時の中国語は、ちょっと硬めでむしろ日本語発音に近いのかな。
「合肥」なら、ホーフェイではなく、ガッピとかゴウヒとか。

ちなみに西域の人間は、唐皇帝のことを「タグバチ・カガン」と呼んでいたらしい。
タグバチとは「拓跋」の訛りで、要は「拓跋可汗」のこと。
塞外民族にとって、唐はあくまでも北魏のバージョンアップ版で、(元)遊牧民によって構成される拓跋国家であった。
だから太宗のことを「天可汗」と素直に敬うこともできたらしい。

471 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/22(土) 01:16:23.76 ID:WlFFJRhV0.net
>>465
>>466
劉聡戴紀だと盧志って劉聡の皇太帝劉艾の大師にまでなってたりしてるし。

472 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/22(土) 11:15:43.37 ID:/+90RYbt0.net
>>471
息子が後趙の高官だからな。陸機処刑の従犯でも後世の評価含め優遇されすぎ

473 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/22(土) 15:03:20.16 ID:4D9b2E7F0.net
盧循も孫恩の乱に絡んでるし所謂「三国志キャラの子孫」の中じゃ一番出番多いかも

474 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/22(土) 22:33:41.61 ID:dee7yaqj0.net
「三国志キャラの子孫」なら盧植よりも司馬懿の子孫の方が出番多いだろw

475 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/22(土) 22:52:27.65 ID:MBU7aUft0.net
>>474
317年時点で数えるほどしかいないってのがヤベーよ

476 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/22(土) 23:36:59.65 ID:dee7yaqj0.net
>>475
何度か族滅級の迫害受けたのに
必ずこの先生きのこるのが司馬氏の醍醐味
司馬懿の兄弟まで含めると北宋の時代まで登場するのは
司馬氏=クマムシ級の生命力

477 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/23(日) 00:06:07.52 ID:oIEvoZrI0.net
中国三大快楽殺人者

南宋後廃帝・劉c
北斉文宣帝・高洋
赫連勃勃

478 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/23(日) 00:15:33.01 ID:dP5DyaUg0.net
>>476
司馬懿「素直に俺の末裔を名乗れよ。北宋の末裔」

479 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/23(日) 00:49:40.31 ID:Hcahhewm0.net
>>477
なお日本

眉輪王(7歳で天皇弑逆)
雄略天皇(嫁にまで「豺狼」呼ばわりされる大量殺戮マシーン)

480 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/23(日) 01:03:04.50 ID:W75LILnw0.net
東京在住なんだが、いつかあの立ち飲みの赫連勃勃に行きたいと思っている

481 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/23(日) 11:45:01.08 ID:QhFqZWTs0.net
>>470
今の中国語は北方騎馬民族訛りなのかもね

482 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/23(日) 11:54:09.15 ID:rDA1JOXn0.net
東晋ほろんでも司馬一族は北朝に亡命したのが生き残って北周の皇后出すまでになってるしね

483 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/23(日) 14:00:39.01 ID:ECATfDun0.net
北周の司馬氏はどんな鮮卑名を名乗っていたのかな

484 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/23(日) 14:30:55.25 ID:cxRh2aie0.net
司馬消難

485 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/23(日) 16:14:38.99 ID:wTnFNQBy0.net
>>477
張献忠ってどうなん
逸話嘘くさいけど

486 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/23(日) 16:41:04.04 ID:aRXZcXOP0.net
歴史の本とか読んでると
漢人復興を願っている(建前?)南朝国家から
征服者で打倒すべき(建前の?)北朝国家へ結構亡命したりするんだな
王朝内の権力闘争や王朝交代だから仕方ないと割りきってるのかな

487 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/23(日) 17:22:51.49 ID:+3ERXYo/0.net
>>486
東晋以降はそういう潮流が出来上がっちゃっとるよね
薛安都なんて宋書と魏書に立伝されてるくらいだし

488 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/23(日) 17:33:44.81 ID:acmQW+No0.net
縄文時代はみな平等だから戦争はなかった
弥生時代から農耕により階級ができて食糧の余剰ができてそれをめぐって村同士が争うようになった
というが実際はどうだったんだろうね

489 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/23(日) 17:37:47.04 ID:Q9MpW4I/0.net
劉宋から北魏に亡命したことでかえって寿命を全うすることができた劉昶

490 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/23(日) 20:25:45.83 ID:I2HIDSvG0.net
>>488
そういう理由で戦争が起こらないってのは
あり得ないと思う
それぞれが狩り(と、言うか動物相手の戦争になっちゃう)
に必死で戦争の余裕がないということならあるかも

491 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/23(日) 21:11:52.77 ID:HCGLJfS20.net
シバ一族の最高傑作はお兄様と深雪だろ

492 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/23(日) 21:33:44.85 ID:acmQW+No0.net
>>490
どの国でも農耕文化の開始からしばらく置いて戦争が始るってのが考古学上の常識
集落内での暴力や殺人も大幅に急増する傾向がある
あと都市化率の高さも暴力や殺人の発生率と強い相関性があることがわかっている

493 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/23(日) 21:34:47.76 ID:5GOEMMzB0.net
>>489
子供の代で潰されたけどな
ある意味本人潰すより質悪い

それよりも彼らの大先輩である
毛修之とか司馬楚之をだな

494 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/24(月) 08:16:57.79 ID:RJcbiXLG0.net
張献忠の「屠蜀」で、古代四川人300万人がほぼ絶滅した(現代の四川人は清代の華中華南からの移民)
というけど、さすがに誇張でしょ
大量破壊兵器もない時代、銃剣だけで300万人もどうやって殺すのよ
いくら不平分子の粛清としてもそこまでする必要性はないし、たとえ張献忠の趣味だとしても恐ろしく労力を要する

495 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/24(月) 08:49:53.16 ID:DWiSfCAB0.net
>>494
基本的に農地があってそれを耕作してくれる農民がいて都市には手工業者や商人がいてそれらから税金を徴収してくれる官僚機構あったら
普通に考えればそれらを皆殺しにするよりはそいつらを武力で脅して税金やら食料やら納付させたらええやん
皆殺しにするのは愚の骨頂

496 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/24(月) 11:28:12.83 ID:cMhr1HUV0.net
>>494
兵器がないなら穴を掘らせればいいじゃない

497 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/24(月) 11:36:29.60 ID:Lieh4I/x0.net
>>494
古代から大陸人は紙装甲なんだよ!
銃剣どころか青銅の剣レベルで容易に兵10万人が黙って死ぬ世界観だぞ

>>491
司波のお兄様は漢民族を倭化させるくらい人気がある英雄

498 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/24(月) 12:53:54.27 ID:IVUrc7un0.net
>>487
東昏侯の弟の蕭宝寅とかな。

逆パターンの北朝→南朝→北朝だと高歓絶対殺すマンの賀抜勝。

499 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/24(月) 20:12:55.99 ID:dl1eesR10.net
司馬宙
この時代の最強英雄

500 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/24(月) 21:47:18.28 ID:Ljncf/2O0.net
>>499
邪魔大王国はあったとおもうけど

501 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/24(月) 22:42:47.72 ID:Bmv067J80.net
賀抜勝って高歓のこを「賀六渾」呼ばわりだよな。
この時代って特に軍事においては鮮卑語がメイン感じ。

502 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/24(月) 23:57:55.13 ID:RJcbiXLG0.net
孝文帝の漢化政策の反動が大きかったからな、結局元の木阿弥
胡姓も復活して現在まで至る
結局、孝文帝の改革は、高校世界史の教科書に太字で載せるほど意義があったの?
と思う

503 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/25(火) 00:45:32.39 ID:Vg0ltSAW0.net
武則天くらいまでは漢化勢力と胡習に拘る勢力がせめぎ合ってる印象。

孝文帝は日本で言うと孝徳帝や天智帝とかぶる。「国際化しなきゃ(使命感)」で改革ゴリ押しして反動食らったとことか。

504 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/25(火) 02:10:28.32 ID:Q6pgV0DW0.net
八王の側近

司馬亮 衛瓘
司馬倫 孫秀
司馬瑋 公孫宏
司馬冏
司馬乂 皇甫商
司馬顒 張方 李含
司馬穎 慮志
司馬越 劉輿

こんな感じか?

505 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/25(火) 02:20:52.38 ID:fyzPJxoN0.net
孫秀の血縁が孫恩とかこいつらの五斗米道は業が深すぎる

506 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/25(火) 09:04:59.58 ID:gwONfnJF0.net
孝文の「漢化」はオマケだろあれ。
そこばっか持ち出されるけど、
重要なのは北方系国家から中原国家に転身したこと。

つまり北方は重要じゃないですよってことになり、
そりゃ六鎮も切れる。

507 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/25(火) 10:57:54.07 ID:M2WJAxtY0.net
5世紀末: 孝文帝 「これより胡姓を廃止する。替わりに卿らに漢風の姓を与えるから、今後は漢姓を名乗りなさい。」


6世紀: 賀抜勝、破六韓抜陵、爾朱栄、鮮于修礼、紇豆陵歩藩、慕容紹宗、宇文泰、独孤信、
     万俟醜奴、斛律金、歩大汗薩、宿勤明達、可朱渾元、侯莫陳悦、豆盧寧、尉遅菩薩・・・

地下の孝文帝 「おいこら!」

508 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/25(火) 11:51:58.02 ID:dL4U6dDm0.net
孝文帝ってどうみても北魏崩壊の元凶だよな
名君みたいに扱われてるのおかしくね

509 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/25(火) 11:56:40.52 ID:h3vf+gAg0.net
5人のえびすさんがバス旅したら
16人のルイルイが支えないといけない時代

510 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/25(火) 11:57:26.28 ID:ZmhgBMvE0.net
諸葛「漢族でも複姓おるで」
司馬「せやな」
公孫「ワイも」
夏候「意外とおるな」
皇甫「忘れたらあかんで」

511 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/25(火) 12:06:45.87 ID:fyzPJxoN0.net
上官とか第五みたいなやつ最初姓って知らんかったわ

512 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/25(火) 12:25:04.84 ID:dL4U6dDm0.net
令狐氏とか鮮于氏とか字面的に異民族感溢れてるけど漢人の方が登場早くて脳みそバグる

513 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/25(火) 12:33:31.62 ID:g+B1AlJw0.net
東方姓って歴史上ではほとんど見ることないな
東方朔と東方不敗しか知らない

514 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/25(火) 12:40:25.92 ID:Y56XdJOs0.net
>>507
複姓好きの変態なので、それらの名前を見ただけで嬉しくてイキそうになるわ。
でも、結構知識はあやふやだけど。
紇豆陵・歩藩、歩大汗・薩という区切りで合ってる?
あと宿勤明達って漢人?胡人?
「北史」「魏書」などを読めばわかるんかな?

515 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/25(火) 12:42:30.76 ID:avk/IFBB0.net
【天文台閉鎖、FBI】 アポロ捏造のキューブリックも真っ青、太陽に映ったのはマ@トレーヤのUFO
http://rosie.5ch.net/test/read.cgi/liveplus/1537840672/l50

太陽観測所の上空をブラックホークが飛ぶ事態発生、太陽表面に宇宙船の大群が終結している!

516 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/25(火) 12:42:50.12 ID:avk/IFBB0.net
【天文台閉鎖、FBI】 アポロ捏造のキューブリックも真っ青、太陽に映ったのはマ@トレーヤのUFO
http://rosie.5ch.net/test/read.cgi/liveplus/1537840672/l50


太陽表面に宇宙船の大群が終結している!

517 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/26(水) 12:07:15.84 ID:6aKElgKq0.net
>>510
王猛以前は複姓とかデフォやで

518 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/26(水) 12:07:31.42 ID:6aKElgKq0.net
>>510
王莽以前は複姓とかデフォやで

519 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/26(水) 18:13:16.51 ID:r+N08fKX0.net
拓跋 → 元
愛新覚羅 → 金

520 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/26(水) 18:22:34.96 ID:9n3CqN7Z0.net
>>517
デフォは言い過ぎだと思うよ
漢書や戦国策あたりを読めばわかるが公孫みたいな氏を除くと複姓の登場人物は希少、圧倒的少数派だ

521 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/26(水) 21:15:55.45 ID:YCYin5kr0.net
王莽が強制した名前(諱)が一字とするのが、結構長く続いたのが不思議

522 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/26(水) 22:20:16.89 ID:cAH8UtLw0.net
>>514
紇豆陵・歩藩、歩大汗・薩 であってますね。
他に、紇豆陵伊利、歩大汗居という者がいます。

紇豆陵氏は匈奴系のようです。珍しい姓ですが実は北族の大物らしく、北周の宇文氏や唐の李氏とも婚姻関係を結んでいます。
漢姓では「竇」氏となるらしく、唐の高祖の竇皇后は紇豆陵氏の末裔、ちなみに太宗の母親でもあります。
(唐の太宗は母が紇豆陵氏、祖母が独孤氏となり、鮮卑のみならず匈奴の血も極めて濃いことになる)

宿勤明達は、六鎮の乱に呼応して、鉄勒(トルコ系遊牧民)の胡jの部将となって北魏に反旗を翻し、
その後、万俟醜奴とともに北魏を攻撃、結局鎮圧されて斬られています。
まず漢人ではないでしょうね。

523 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/26(水) 23:02:44.95 ID:yfCjjaXE0.net
孝文帝の漢化は混乱と抵抗をもたらしたことが記録されてるけど
北周の鮮卑語公用語化など鮮卑復古はあまり混乱が記録されていない。
だから北周の「復胡主義」はタテマエだった説もある。

>>522
「赫連」はいかにも胡語の音訳臭い複姓だけど、漢字の意味を考えて創製したことが記録されてるから
諸葛とか公孫みたいな漢族系の複姓ともいえるね。

524 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/26(水) 23:06:02.38 ID:ansnUYZS0.net
赫連は祁連(匈奴の言語で天の意味)の音訳説なかった?

525 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/26(水) 23:17:37.69 ID:lguDTU1D0.net
>>522
おお、親切にどうも。
姓だけでなく諱や字も3字や4字の人物がごろごろしているので余計どこで切るか迷ったりします。
兄弟や従兄弟以外で同姓の人物が出てくれば一発でわかりますけどね。
紇豆陵氏は費也頭集団の竇氏か。
唐の李氏は独孤氏、竇氏(ここで宇文氏の血も)、長孫氏と次々と有力北族と交わっていますもんね(その次ぐらいからはちょっと変わってくるけど)
個人的に宿勤明達という字面は令狐氏、鮮于氏とは逆に漢人感があって、一体どちらなのか気になっていました。

526 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/27(木) 00:47:36.98 ID:jcY7IdTu0.net
現存している複姓と消えた複姓
http://big5.taiwan.cn/zppd/XSDG/201011/t20101123_1614999.htm

宇文が残ってるのは知ってたけど、赫連や慕容も残ってるんだな
愛新覚羅とかのぞいたら三文字以上はないようだ

527 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/27(木) 08:48:55.15 ID:v24qc/XJ0.net
唐王朝で出仕する官僚には

司馬氏(晋)、苻氏(前秦)、慕容氏(鮮卑慕容部・燕)、元氏(鮮卑拓跋部・北魏)、源氏(鮮卑禿髪部)、長孫氏(鮮卑拔拔部)
宇文氏(鮮卑宇文部・北周)、高氏(北周)、楊氏(隋)、蕭氏(梁)、紇豆陵氏(匈奴費也頭集団)、独孤氏(匈奴屠各種・単于の家系)

がいる。(高、宇文、楊氏は傍系が族滅を免れたっぽい)
いわば五胡南北朝オールスターズみたいになっていて、ある意味、唐が前秦の苻堅の理想主義を実現したともいえる。

528 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/27(木) 09:45:03.74 ID:fuV2tYcN0.net
 https://www.youtube.com/watch?v=LcT3CmtEGhA

529 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/27(木) 17:33:43.85 ID:FFhukUP10.net
東野、東郷、西野、西郷、新垣、北山、中野、古口、宗正
なんて復姓もあったんだな
大陸では消えても、日本で引き継がれているぞw

530 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/27(木) 22:28:05.32 ID:f9LpD+qcO.net
>>529
その中でも東野氏は聖賢周公の末裔として、そのお蔭で扶持を貰ってた名門。
今でも家系が続いてるかどうか知らんけど。

531 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/27(木) 22:31:34.05 ID:xqWxVA6V0.net
赫連勃勃大王とかいう作家が中国にいる
本名は梅毅

532 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/27(木) 22:58:26.60 ID:OtpQuCRS0.net
>>531
先祖が尚書を偽作してそうな名前だな

533 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/27(木) 23:05:12.70 ID:m5SSAxFu0.net
>>527
朱全忠「まぁ、ワイが全部滅ぼしたけどな」

けど、金での元好問のように完全に滅んでなかったようだが

534 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/27(木) 23:28:22.45 ID:3hFRAoRf0.net
関隴集団の出現はローマ帝国、東ローマ帝国から現代までのヨーロッパ貴族の形成過程とよく似ているように思う。

鎮将から軍閥、そこから皇帝や貴族になって王朝が変わっても名族として続くと。
ハプスブルク家をはじめとするヨーロッパ貴族もローマ軍司令官だったり、ゲルマン人の首長とかに系図を遡れるそうだ。。

ローマやギリシャが漢文化で鮮卑や匈奴がゲルマンなどの蛮族というべきか。

中国の場合は数百年だったが、ヨーロッパは市民革命の洗礼を経ても消えずに今まで続いている。

535 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/27(木) 23:30:58.03 ID:ggAfQ7Mp0.net
周王朝の姫氏の末裔はいるんだろうか?改姓して行方不明だな
ローマ皇帝もアウグストゥスからロムルス・アウグストゥルスまでかなりの数がいるけど
今でも子孫おるんかな?

536 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/28(金) 20:08:10.31 ID:krFuPA8S0.net
胡人の漢化の度合いをみる目安としては、諱の変化もあると思う

たとえば五胡時代の、宇文「乞得亀」、宇文「逸豆帰」の場合、これは明らかに鮮卑語名で
あとから漢人が同じ発音の漢字を当てはめたもの。あくまでも表音文字で諱の字に意味はない。
まだ漢化はしていなかったと思われる。

これが魏末北周の、宇文「泰」、宇文「護」になると、漢人と同じく文字で意味を表す諱を持つようになり、
この頃になると宇文氏も漢化が進んでいたと思われる。
(もっとも北周時代はあえて鮮卑復古主義を唱えていたが)


北魏の反乱指導者、万俟醜奴。
もし漢字を知っていたら「醜奴」なんて酷い名前をつけるわけがないし、本人もこの字面を認めるわけがない。
おそらく親も本人も(そして周囲の人間も)、文字の読み書きができなかったのだろう。
これは魏側の知識人が悪意を込めて同じ発音の文字を当てはめたもので、
南北朝後期の6世紀になっても、北族社会では遊牧時代と変わらぬ文字の無い生活を送っていたのかもしれない。

537 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/28(金) 22:46:51.53 ID:3bLhLRQi0.net
かんこくがかんじをはいししはんぐるのみにしたのはしっぱいだったな
にほんごにたとえるとすべてかなでひょうきするようなものだしね
はんぐるだけだとよみにくいうえにどうおんいぎごにまったくたいおうできない
こうしてかんじごにゆらいするじこくごをどんどんうしなっていった
ゆえにかんこくじんはにちじょうをはなれたこうどなぎろんや
ちゅうしょうてきなぎろんをするのがむずかしくなった

538 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/28(金) 22:47:43.25 ID:3bLhLRQi0.net
そういや袁紹配下で文醜という武将がいたな
異民族説もある

539 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/28(金) 23:04:20.00 ID:bkqc2JNt0.net
>>536
悪来「俺は自分の名前気に入ってるんだけどマッスルマッスル」

540 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/29(土) 00:07:46.82 ID:6l4NMjqa0.net
万俟醜奴の「万俟(ぼくき)」氏は、鮮卑拓跋部の氏族らしい。

隋唐以降、鮮卑族が漢族に同化して消滅しても、万俟氏は圧倒的多数の漢姓の中で残り続け、
宋代にあることで有名になる。

宋の時代、「万俟卨」という宰相がいた。万俟卨は秦檜の指示によって、岳飛に無実の罪を擦り付けた。
結果、岳飛は捕らえられて獄死し、万俟卨は秦檜の横暴を助ける形となった。
後世、岳王廟に秦檜夫妻と万俟卨の銅像が置かれ、岳飛を拝み祀った庶民は、(秦檜夫妻と)万俟卨に唾を吐きかけるという風習が定着した。

こんなところでも拓跋部(末裔)の人間が関わっていたとは、センピタクバツおそるべし。

541 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/29(土) 02:15:34.99 ID:Q1hGg+ZL0.net
悪来って

542 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/29(土) 06:36:01.85 ID:NCTQk/QU0.net
おーらい おーらーい

543 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/29(土) 08:07:20.21 ID:7srstZ1u0.net
https://www.youtube.com/watch?v=cG7jQ6jN-EI

544 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/29(土) 11:47:23.94 ID:iy4A2Q9L0.net
>>540
慕容氏だと慕容延剣とかな

545 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/29(土) 12:44:50.48 ID:1qlgjg3/0.net
>>526
面白い資料をありがとう。
でも、上の我國現存的複姓有81個(我國とは台湾限定?)も下の中國古代複姓大全も最初から2字姓のことしか言っていない気がするので、愛新覚羅以外にも例えば侯莫陳などの3字以上の姓も残っている可能性も無いとは言い切れないのでは?
あと中國古代複姓大全には、叱盧は有るけど叱列や叱奴が無いし、賀撥、賀蘭、賀樓は有るけど賀若が無いし、斛律は有るけど斛斯が無い。
他にもいくらでも漏れはありそうだし、なかなか全てを完璧に網羅したリストは無いね。

546 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/29(土) 20:39:14.94 ID:6l4NMjqa0.net
侯莫陳氏に関しては、中文のサイトでこんなのがある(簡体字で読みにくいけど)

https://baike.baidu.com/item/%E4%BE%AF%E8%8E%AB%E9%99%88%E6%B0%8F

> 由侯莫陈氏改成陈姓,在北魏末年,又曾一度恢复了旧姓。
> 但到宋代以后的数百年间,侯莫陈氏便不再见于史书经传之中,多已全部改为单姓陈氏了。

中国語分からないから、あくまでも漢字からの想像だけど

「侯莫陳氏は(おそらく孝文帝の漢化政策で)陳氏に改姓したが、北魏末に旧姓に戻した。
 しかし宋代以降数百年、侯莫陳姓は史書に出てこない。みな単姓の「陳」に改姓してしまったのだろう。」

たぶんこんな内容だと思う。
もちろん他の多字姓は残ってる可能性があるが、時代の流れとともに胡姓は消えてしまいがちなのかも。

ただ宋の時代には、呼延賛や宇文虚中など、国粋主義者ながら匈奴や鮮卑の末裔っぽい人物も散見される。

547 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/29(土) 23:04:42.80 ID:7srstZ1u0.net
王は中国人で多い姓だが、王朝を作った奴はあまり聞かない
王莽くらいかな
陳も多いけど、南朝の陳くらいだな

548 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/29(土) 23:57:53.21 ID:yEzJpJww0.net
漫画家みなもと太郎の母親が京都の王さんと友達だって聞かされてて
よくよく聞いたら愛新覚羅さんだったって話があったな

549 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/30(日) 01:24:25.74 ID:GlVwEyRE0.net
愛新覚羅は金じゃないの?
あと韓国の王氏は高麗王家の末裔だとか
李氏朝鮮になった後に殺されまくったから少数になったようだ

550 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/30(日) 02:26:01.59 ID:R0UVOeBA0.net
二字以上の姓が減少するのは仕方ない
紀元前の昔から漢姓も単姓化しまくってるし

551 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/30(日) 08:38:45.90 ID:bmS/UIdAO.net
>>549
大半は一字姓では金だけど、確かもう一つ別の字の一字姓を使ってた例もある。
清朝は前朝までみたいに氏族が激減してない(民国前期〜文革でも族滅まで至ってない)から、末端に近い鎮国将軍奉恩将軍レベルの後裔は結構居るしね。
でもまあ、それらの殆どは漢化して清皇族所か満州旗人のアイデンティティを失っちゃってる訳だが。
過去の民族のアイデンティティが漸滅していった鮮卑や拓跋なんかは、丁度今の愛新覚羅氏を始めとする満州旗人みたいな案配だったんだろう。民族言語や文字は使えない、民族風の結髪や服装もしない、民族儀礼はほぼ断絶のような。

552 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/30(日) 17:01:09.22 ID:Tm/6dN2Q0.net
ほぼ登場順に…

皇甫嵩
公孫瓚
夏侯惇
太史慈
淳于瓊(大酒飲み)
司馬徽(水鏡先生)
諸葛均
毌丘倹
濮陽興

三国志でも二字姓はこれだけいる。ただ、さすが漢姓だけあって夷っぽさは無いね。
むしろ皇甫、公孫、夏侯、司馬、太史、濮陽などは字面からして由緒正しさを感じる。

553 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/30(日) 18:08:03.17 ID:Z6G7ZwEo0.net
鮮于輔や令狐愚が抜けてんぞ

554 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/30(日) 18:27:38.62 ID:nZ3Vwpy90.net
鍾離牧

555 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/30(日) 18:45:06.02 ID:nZ3Vwpy90.net
鍾離牧や令狐愚の姓の由来は地名から来てるって聞いた

556 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/30(日) 19:09:12.64 ID:nWrsF0OW0.net
王大人
周大人

557 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/30(日) 22:56:11.97 ID:Tm/6dN2Q0.net
鍾離牧は鍾離眜と関係あるのかな?
もっとも鍾離氏は漢代に単姓の「鍾」に改姓した者がいて、魏の鍾会も鍾離眜の末裔と称したらしいが。

ちなみに南斉の蕭道成は、蕭何の末裔を自称していた。蕭何は劉氏を助けたが、蕭道成は劉氏を滅ぼしたな。

558 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/01(月) 00:34:14.18 ID:7rGWwPZE0.net
女は中国人の慰安婦、男は中国人の奴隷になることが決定したな
でも沖縄県民はジャップランドの支配下より中国様に従いたいということか

559 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/01(月) 00:48:13.34 ID:TH3aiik20.net
>>552
やはりめっちゃ少ないな、人口比はどれくらいだろうか?

560 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/01(月) 02:05:17.04 ID:a/y8kKD90.net
第五倫って適当過ぎる気がするけど2〜4も居たのか?諸葛もそんな感じっぽいし結構地方でそういう区分けあったのかな

561 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/01(月) 02:31:47.60 ID:wpKWZwi60.net
濮陽興
邯鄲淳
江夏豊

562 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/01(月) 02:39:07.11 ID:REUqAqGi0.net
>>552
上官子脩

563 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/01(月) 04:12:21.75 ID:lwqWF2ft0.net
>>560
諸葛氏は元々【葛氏】だったらしい

葛氏から分家した者が【諸】という地域?に移住した際、本家の葛氏と区別するために地名を頭につけて諸葛と改姓したとか

564 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/01(月) 10:04:12.88 ID:mz7mKZPg0.net
ちくま「上官顕?顕って名前の上司やろなぁ」

565 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/01(月) 10:59:24.17 ID:HW+Lbz5i0.net
https://i.imgur.com/K22nyZZ.jpg

566 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/01(月) 11:00:41.79 ID:HW+Lbz5i0.net
https://i.imgur.com/K22nyZZ.jpg

567 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/01(月) 12:56:41.49 ID:HQcetiOh0.net
>>557
「一応」鐘離牧は鐘離昧の末裔を称している筈

劉宋の祖劉裕は相当下の方の百姓の出だから
劉氏名乗ってても劉邦の子孫かは怪しい
季漢以降の漢名乗っている劉氏は時代経るに従って紛い物と化すのが何とも
終いには宇宙大将軍みたいな劉氏ですらない者まで漢名乗ってる末期

568 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/01(月) 13:22:16.41 ID:xgxYcdC30.net
鐘離昧には少なくとも二人の子がいて兄は九江にてそのまま鐘離氏を
弟は豫州潁川郡に移住し後に鐘氏に改めたとあるね

569 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/01(月) 17:57:08.00 ID:PqTXslnf0.net
ネトウヨ死ね

570 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/01(月) 19:10:38.10 ID:U5Rdnfzt0.net
親がお尋ね者なのによく族滅させられなかったな

571 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/01(月) 19:30:13.56 ID:/uIaTsjr0.net
楚漢の頃はあからさまな謀反でもない限り族滅とかはやってないはず。

572 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/01(月) 21:43:31.98 ID:7rGWwPZE0.net
前の王朝の皇族を皆殺しするようになったのは
北は前趙の劉総から、南は宋の劉裕から

573 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/01(月) 22:42:16.84 ID:fod4SG/x0.net
>>572
劉宋は司馬氏の末裔(司馬元瑜)を零陵王に封じているから
皆殺しにしているわけじゃない

574 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/01(月) 23:09:31.57 ID:SD4V4h0e0.net
劉邦は農家の三男坊で、ろくに仕事もせず無銭飲食するようなDQN、そんなのが皇帝になり、
その配下も、獄吏(曹参)、御者(夏侯嬰)、葬儀屋(周勃)、屠殺業(樊噲)、盗賊(彭越)、ニート(韓信)、元受刑者(黥布)
こんな連中が一躍王侯となった。
毛並みがいいのは張良(韓の王族)と蕭何(超真面目な沛の役人)くらいか。

「王侯将相いずくんぞ種あらんや」を具現化したのが前漢。
石勒もガチの奴隷から皇帝になった男だが。(劉邦は農民の出とはいえ比較的裕福だったと思われる)

575 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/02(火) 02:17:05.79 ID:wi8y12PS0.net
前燕との戦いで結構名前が出てくるしちょくちょく活躍してる羅崇って習鑿歯の甥と同一なんかな
桓温配下っぽいし

576 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/02(火) 15:08:43.40 ID:7zQD2fAp0.net
>>574
そんなんが200年か400年続くんだから劉邦が天才だったのか配下が才人揃いだったのか。大したもんだ
貴族揃えて滅亡した東西晋は見習え

577 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/02(火) 15:22:25.43 ID:FGvhHbST0.net
むしろDQN集団しかいない前漢が特殊なケースで後漢も唐も貴族集団が天下とったパターン

578 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/02(火) 18:23:23.41 ID:ggAfQ7Mp0.net
>>576
暗君だらけなのに300年続いた明という王朝があったらしいぜ
おまけに初代は農民出身の粛清厨の基地外なんだぜ

579 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/02(火) 18:42:56.86 ID:7zQD2fAp0.net
>>578
初代が貴族じゃないやんけ!唐も貴族より軍閥の性格が強いような

580 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/02(火) 19:38:17.37 ID:4WBkMbFh0.net
>>573
詳しい知識ないけど
何故その人の系統は残ったの?
逆に、何故東晋の皇室は残らなかったの?

581 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/02(火) 20:58:24.57 ID:OtpQuCRS0.net
>>580
この人やその後も零陵王に封ぜられた司馬勗(劉宋明帝の代に薨去)、司馬薬師(南斉武帝の代に薨去)らが東晋皇室の末裔だったかどうかは不明
皇室の可能性もあるしそうでない可能性もあるとしか言いようがない

582 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/02(火) 20:59:27.53 ID:OtpQuCRS0.net
よく分からんがID被り?

583 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/02(火) 22:37:06.86 ID:v24qc/XJ0.net
石勒も文字の読み書きができなかったけど、DQNというより単なる無学で、地頭はよかったんだろうな。

家臣に史書を読ませていたとき、

家臣: 「高祖が苦戦していたとき、酈食其は、”六国の末裔を諸侯に封じれば、みな喜んで漢王に従うでしょう”と提案しました」
石勒: 「それはまずい。そんなことをしたら高祖に従っている家臣はみな六国の旧主のもとに帰ってしまうではないか」
家臣: 「仰せの通りです。果たして張良が同じ理由で猛反対し、酈食其の策は却下されました」
石勒: 「だろう(どや!このわしの慧眼!)」

584 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/02(火) 22:42:30.04 ID:ggAfQ7Mp0.net
劉備「景帝の末裔です」
孫堅「孫子の末裔です」
李淵「西涼の武昭王の末裔です」
司馬光「司馬一族の末裔です」
朱鎔基「朱元璋19世の子孫です」

他に誰かいたっけ?

585 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/02(火) 22:46:25.06 ID:X3VQDVy40.net
自称張良でろくに人に頭下げて生きてこなかった張賓が運命を感じるぐらいには聡明だよ、石勒は

586 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/02(火) 23:08:04.95 ID:v24qc/XJ0.net
楊堅 「漢の楊震の末裔です」
赫連勃勃 「夏の禹の末裔です」
拓跋氏 「黄帝の子孫です」

587 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/02(火) 23:54:40.69 ID:n6m06yRa0.net
文盲でも地頭が良かった名君だと後唐の李嗣源がおるな。
文化人や宗教家を保護したとこまでそっくり

588 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/03(水) 14:07:38.25 ID:gUvpqijc0.net
徳川家康 「上州得川(とくがわ)の足利系源氏の末裔です」
織田信長 「越前織田庄の平家の末裔です。あ、やっぱ源氏の末裔デアルカ」
豊臣秀吉 「やんごとなきお方(天皇)の私生児です」

589 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/03(水) 18:05:47.95 ID:Ui5VKtXm0.net
とんでもなくどうでもいいと思うけどやっぱそこら辺の箔付けは大事なんだろうなあ

590 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/03(水) 18:47:03.81 ID:PMv6l7H20.net
宇宙大将軍「家柄?知らねぇよ、爺さんの名前までだわ」
側近「」

591 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/03(水) 20:00:06.49 ID:WwjCWl9M0.net
日本だと源平藤橘が由緒ある家柄だけど
今の中国でもそういうのある?

ちなみにヨーロッパの王侯貴族はローマ帝国末期に侵入してきたゲルマン蛮族の酋長の子孫

592 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/03(水) 20:18:24.16 ID:yJozjN4RO.net
>>591
歴代王朝皇室の末裔を別にしたら、長らく爵位か名誉世襲官職持ちの家だった孔子宗室、孟子・顔回・曾子の末裔あたりか。特に孔家の子孫はやたら居る。
多分本当は関係無いが、孔子世家を管理する部署に申請して無理矢理孔家の一員になった奴は多数いると思われる。
張天師家も長らく爵位持ちだったが、現在天師位継承を巡って内紛中。

593 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/03(水) 22:31:56.55 ID:0hax9zL30.net
>>591
限りなくゼロに近い
中国の○○の末裔には日本の皇室関係や旧華族みたいな実質がないからな

現代において大きく注目される血統家柄は殆ど紅色家族、それも開国功臣レベルに限られる

594 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/04(木) 10:20:29.84 ID:R/YSlMJ80.net
>>590
大将軍のこういう直球過ぎるところ好きだわ。さすが宇宙の器

595 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/04(木) 19:36:46.25 ID:3q8FhSOI0.net
>>581
https://zh.wikipedia.org/wiki/南朝藩王列表#陳留國

とても興味が出たので調べてみたら
南朝全て前王朝の皇族系統は必ず1系統以上王として残しているな
オッスオラ南朝全て聖王に見えてきたぞw

石勒に酷評されている曹操や司馬懿だが
子供にちゃんと前王朝の皇族系統を残すように教育した(?)のは趙匡胤級の善行
ある意味傍生と変わらない石勒に曹操や司馬懿を貶す説得力は無いわな

596 :580:2018/10/04(木) 19:41:08.87 ID:WEWDOsr50.net
>>581
ありがとうございました
皇室の出かどうか不明なのか

候景って、最後だけみると「失敗した劉備」みたいなものかな?

597 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/04(木) 20:02:58.36 ID:kPaN9RMx0.net
当時の二大王朝の一角を一時の勢いとはいえ完全に崩壊させてパワーバランスをぶち壊したので劉備よりやらかしたスケールは上だと思う

598 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/04(木) 20:10:11.77 ID:syJ24O0m0.net
>>597
東西魏と比較したら梁は頭ひとつ抜け出てただろう

599 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/04(木) 21:32:33.50 ID:K7KG68UL0.net
善行じゃなくて慣習を破ったら想定以上のクソ扱いされちまうからルールを守ってるだけだぞ定期

600 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/05(金) 03:16:15.52 ID:IhsE1Azv0.net
>>599
命の価値がぜんぜん違うもんね。

趙匡胤がぐう聖扱いされてんのも「皇帝の命が激安」な時代に「こんなの絶対おかしいよ!」とか言い出したからやし

601 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/05(金) 09:03:17.04 ID:2b8EYp8F0.net
司馬子如 消難の一族は
【西晋の宗室の南陽王司馬模の子孫とされ、代々雲中郡に住んだ】

ってあるけどあの永嘉の乱の混乱の中でもとどまって逃げ切ったって事なのかな?

602 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/05(金) 12:11:05.05 ID:x3UcTH9P0.net
>>597
梁は張りぼて過ぎるわ。救援軍でまともに戦ったのが韋粲だけって。柳仲礼も1回負傷したらやる気なくして降伏するし

603 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/05(金) 13:11:40.81 ID:6hZYAp4J0.net
李世民「俺が出てくるまでの前座が長い」

604 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/05(金) 13:41:54.62 ID:w/FYlnQF0.net
北魏亡命者王族間(東晋、劉宋、南斉、梁)のニアミスはなかったんだろか

605 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/05(金) 14:05:21.13 ID:2b8EYp8F0.net
>>604梁の武帝の次男かなんかは先に亡命してた南斉の蕭宝寅(東昏候の弟)を叔父と勝手に慕って書簡送ったのちに北魏に亡命してたはず

606 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/05(金) 15:26:29.75 ID:TEk7qkIv0.net
南朝の亡命皇族や貴族も、
北魏で鮮卑語を勉強して覚えたのかな

607 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/05(金) 17:52:47.72 ID:Asy241Mu0.net
>>606
漢人の貴族たちがちやほや取り扱ったような気がする
「もっと江南の風俗や言葉、文化を教えて下さい」みたいな感じで

608 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/05(金) 19:55:31.39 ID:EC30XMfx0.net
>>602
羊侃は骨のある抵抗したぞ
まぁ北魏からのFA選手なんだが

609 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/05(金) 20:07:24.71 ID:WVrhzEvj0.net
政治体制や芸術や文学や工芸品を見ても
日本の文明・文化レベルは平安時代でもう中国に追いついてるよな
遣唐使はあっても遣宋使はないのはもうほぼ学び尽くしたから
日宋貿易とか盛んだったけど、アレは貴族が海外の珍しいものが欲しかっただけだし

610 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/05(金) 20:11:30.22 ID:IhsE1Azv0.net
綱吉が文治政治根付かせる前の日本は知恵ついた蛮族で問題ないぞ

611 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/05(金) 22:08:00.01 ID:NkKS1v0T0.net
>>610
知恵ついた蛮族だから
源氏物語みたいなエロ長編小説とか
蜻蛉日記みたいな暴露本とか書くのかw
まぁ現代も蛮族で変わらんからいいか

612 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/05(金) 23:38:55.26 ID:WVrhzEvj0.net
劉総(匈奴)「NTRこそ至高」
李勢(氐)「ですよねー」
石虎(羯)「美女は徴収だー旦那がいようが奪い取れー」
玄宗(鮮卑)「息子の嫁に惚れちゃった。でも本気で好きなら人妻だろうが関係ない!」

これだから蛮族は・・・

613 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/06(土) 00:04:35.36 ID:Ku6CdXjw0.net
中国人「日本文化マンセー、中国人に生まれたのは不幸」

614 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/06(土) 00:14:26.00 ID:mwE2Jq/c0.net
>>605
長男以外カスしかいない菩薩皇帝
いったいどう言う教育してんだか

615 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/06(土) 00:19:32.64 ID:CAV5nW0u0.net
北周武帝
「朕も、皇太子には天子として恥ずかしくない仁徳と品格を身につけるよう
厳しく教育したつもりだったんだが。。。」

616 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/06(土) 00:36:01.95 ID:iJSC4L4p0.net
皇族で一流の英才教育を受けてる筈なのに
ロイヤルニート万暦帝とかとんでもないのが誕生するのが中国史の面白いところ

617 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/06(土) 08:18:38.75 ID:X2QnuVOW0.net
>>615
(打擲された腕をさすりながら)「親父、死ぬのが遅すぎたよ。ま、これからは俺の時代だからやりたい放題やらせてもらうわ」

ちなみに武帝は35歳で死去。
皇太子はこのとき20で、すでに5歳の子供(武帝にとっては孫)がいた。

618 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/06(土) 10:14:19.73 ID:aYlIDTEg0.net
15歳くらいならまだわかる
徳川家康も父17歳母15歳の時の子
家康の祖父清康が生きていれば32歳

武田信玄も12歳で上杉朝興の娘との間に子供作っているからな(出産時母子共に死亡)
前田利家の妻まつは満11歳11か月で長女出産
当時ならまだしも今の世なら変態

619 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/06(土) 11:05:33.53 ID:aYlIDTEg0.net
ちなみに徳川家康が生まれた時には祖父の清康や曽祖父の信忠は既に鬼籍だが
高祖父(家康のひいひいじいさん)の長親は71歳で存命というさらに変態

スレチでスマソ

620 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/06(土) 15:34:56.26 ID:CAV5nW0u0.net
まあ、武帝の体罰教育は完全に裏目に出たわけだ。
おかげで息子の宣帝も、鞭打ち(武帝の場合は杖だったらしいが)が好きになってしまい、
家臣でも妃でも気に入らないことがあると「天杖」と称して打擲しまくったらしいからな。

それよりも武帝時代の功臣を粛正しまくったのが痛い。
せっかく武帝が北斉を併合して天下統一も視野に入ったのに、まるで北斉の後主の真似をするように賢臣を殺戮して、自滅に走った。
生前の武帝のスパルタ教育も、宣帝の暗愚ぶりを認識していたゆえらしいが
それならいっそのこと皇太子の廃嫡を行えばよかったのに。

621 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/06(土) 19:29:24.22 ID:Uz5D7+IM0.net
司馬衷もそうだが暗愚な長男に拘るのも結構あるな

622 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/06(土) 19:58:52.48 ID:n4y2CWSR0.net
でも司馬衷さんて嫁さんが健在だった頃はまともじゃね
賈后亡き後がやベー

623 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/06(土) 22:07:24.45 ID:iJSC4L4p0.net
司馬炎も玄宗も最初は良かったのにな
まさに竜頭蛇尾
徹頭徹尾なら普通に名君だった

624 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/06(土) 22:27:01.68 ID:B1SHmt5s0.net
>>621
前漢の宣帝みたく糟糠の妻の子供を見捨てられないってパターンとかね。

625 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/07(日) 08:27:15.84 ID:GYQGy7zG0.net
宣帝も早く死にすぎ

626 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/07(日) 10:09:53.39 ID:EwtxcLlx0.net
流行りの武帝じゃなくて高帝を贈られた蕭道成すこ

627 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/07(日) 13:04:43.59 ID:nwT7MRSG0.net
>>625
北周の宣帝は楊堅に殺されたのかなあ

628 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/07(日) 20:50:17.40 ID:udnDjJOF0.net
北周宣帝が50歳まででも生きてたら北周が陳を滅ぼして天下統一。
そしたら現代中国語はかなり鮮卑語の影響を受けてたかもしれない。

宣帝はいずれ北斉を滅ぼしたら陳併呑の準備をしてたから。
さすがに宣帝がしっかりしてたら楊堅の簒奪は難しかっただろう。

629 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/07(日) 21:02:02.27 ID:xyf7cPQP0.net
つか北朝と南朝で文章だいぶ違うらしいで。
日本でも南朝系の渡来人と北朝系の渡来人の書いた漢文とか別物らしいし

630 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/07(日) 21:23:35.29 ID:d9F6K4aF0.net
でもその大乱も賈后が継嗣を軽々しく排除しちゃったせいだしなあ。その前の手口も悪辣過ぎるしあんま擁護できん。まー司馬炎が悪い

631 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/07(日) 21:28:36.29 ID:jDhLC5Yw0.net
つうか、宣帝は在位一年たらずで皇位を投げ出してるからな。
天子の位はわずか7歳の息子に押しつけて、自分は天元皇帝と称して、一度に5人の皇后を立てて遊楽に耽った。
もちろん7歳児が天下を統治できるはずもなく、政務は、5皇后のひとり・天元皇后(楊皇后)の父である楊堅に丸投げした。

仮に宣帝(天元皇帝)が長生きしても、政務を投げ出して酒色にふけって、人心も失っていたのだから
バカ殿の狂態を尻目に外戚の楊堅が着々と簒奪の準備を進めていただろう。
簒奪の犠牲者が幼帝一人か、幼帝&バカ殿の二人かの違い。
どちらにしろ、隋王朝は誕生していたと思う。

632 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/07(日) 21:48:29.12 ID:xyf7cPQP0.net
北周の場合武帝が十年延命してればだいぶちがったんだろうけど明らかに過労死だからなぁ。在位期間18年って言っても宇文護を誅殺するまで12年かかって親政してたのは僅か6年。その間に排仏→北斉併呑→また廃仏(道教含む)→陳討伐(呉明徹捕虜)→突厥討伐(親征中に病死)と慌ただしい。
会田大輔「北周武帝の華北統一」によると
なんでも自分でやりたがる気質らしいから
過労死不可避だったんだろうけど。

633 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/07(日) 21:51:59.13 ID:nz2Zz/6C0.net
慌しさは柴栄に似てるか
あっちの方がさらに過密だけど

634 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/07(日) 22:00:44.95 ID:udnDjJOF0.net
628は武帝の間違いでした。
だから話がおかしくなってしまった、すみません。

635 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/07(日) 22:17:40.46 ID:NQJQRKdO0.net
武帝の異母兄の孝閔帝と明帝はそれなりの人物で異母弟の斉王宇文憲は超優秀
それなのに同母弟の衛王宇文直は屑だという

636 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/07(日) 22:50:42.03 ID:udnDjJOF0.net
北周宣帝が50歳まででも生きてたら北周が陳を滅ぼして天下統一。
そしたら現代中国語はかなり鮮卑語の影響を受けてたかもしれない。

宣帝はいずれ北斉を滅ぼしたら陳併呑の準備をしてたから。
さすがに宣帝がしっかりしてたら楊堅の簒奪は難しかっただろう。

637 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/07(日) 23:00:37.73 ID:xyf7cPQP0.net
出来る兄貴二人が毒殺されてるから武帝は12年の雌伏を強いられた訳やし。
宇文護誅殺のエピソードが事実なら親衛隊はもちろん宦官すら宇文護の味方だったっぽいから。三国志で例えると曹髦が司馬昭誅殺に成功するようなもの。

638 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/07(日) 23:39:49.86 ID:6O9jBZ7U0.net
末期陳なら間違いなく宇文邕の統一を阻めるような人材は居なかった
水軍の準備さえ済んでれば統一の栄光を手に入れられたのにあのタイミングで死んだのは無念だったろう

639 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/08(月) 05:12:46.36 ID:jAAXPOuk0.net
南朝って
代替わり、王朝交代ごとに領土が縮小していってるイメージしかないが
梁→陳に変わるメリットあったんだろうか
やっぱり権利をもったらトップにたつしかなくなるのかな

640 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/08(月) 07:47:52.77 ID:Tk0vzgU40.net
>>637
まわりがみんな宇文護の味方って当たり前っていえば当たり前。北周王朝を
宇文護が興す気がなかったら北周はできなかった。

でもそれなら何で自分が皇帝にならなかったんだろうね?
楊堅にしても李淵にしてもその他諸々、幼主を形式だけ立てて禅譲させる実質簒奪
はみんな前王朝だよね。
宇文護はそれを新しい王朝でやってるところが違う。
それなら自分が即位しろよと。

641 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/08(月) 08:26:36.71 ID:BHpaYwsL0.net
一応、帝政の国だと
皇帝以外は、皇帝に仕える臣下・奴隷なんだから
簒奪行為には躊躇があって、心理的ハードルが高いんだろうか

皇帝を擁立して実権を握る
新王朝を興し、皇帝を擁立して実権を握る
新王朝を興し、自分が皇帝になる
野心はあるけど躊躇があったら、1番上でとまるんだろうか

642 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/08(月) 11:12:36.63 ID:NokUrFcq0.net
部下が許さないでしょ。生かしておいたら懐帝並みにうざいだろうし。曹髦や孫亮みたいに直接来る奴も居るかもしれないし

643 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/08(月) 20:21:13.19 ID:sWYXMy5q0.net
武帝も皇太子の不肖ぶりは重々承知していて、
実際、重臣からは皇太子の廃位の請願もあったらしい。
が、他の弟たちがまだ幼過ぎて、廃嫡までは踏み切れず、代わりにスパルタ教育を施した。
武帝の死後、皇太子が即位すると、その重臣(王軌)は殺された。

やっぱ早死にが亡国の契機となるのかな。
武帝ももっと長生きすれば、皇太子以外の皇子たちの成長を見届け、後継に相応しい者を見つけられたかもしれない。
魏の明帝も、8歳の曹芳を残して早死にしてしまったため、司馬懿の専横を招くことになった。

644 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/08(月) 21:17:02.55 ID:FedVJst40.net
宇文憲を粛清するところとかガチで無能感溢れてるわ

645 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/08(月) 21:35:58.30 ID:TYMQDCe00.net
統治者の能力と教育者の能力は別物だからね。

李世民に至っては

長男→ホモ&ガイジ&謀反
4男→長男の謀反に巻き込まれて追放
5男→反乱して自殺
6男→庶人に落とされる
9男→後継者になるも嫁に専横され簒奪コース
14男→長男の反乱に巻き込まれて追放

7女→6男を擁立しようとして処刑
17女→坊さんと不倫&6男擁立で処刑

う〜んこの立派な五胡君主ぶり

646 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/08(月) 21:45:31.26 ID:FedVJst40.net
>>645
石季龍載記を嫁や親の前で朗読させてやりたいわ

647 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/09(火) 00:39:24.36 ID:a9gIHDAT0.net
現代で五胡十六国できたらおもしれえなと思う反面お隣だから笑ってる場合でもないというジレンマ

648 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/09(火) 00:55:33.61 ID:0oASQPoO0.net
20世紀にあったばかりやんけ、中華民国とかいう五胡十六国が
半植民地に戻して西側列強で分け取りにするチャンス、大笑いや!

649 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/09(火) 03:54:12.35 ID:2WV245ZT0.net
>>351
琴欧洲を撃破>>5
する朝青龍を見てモンゴル帝国のブルガール征伐や〜とか思ってたな。

650 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/09(火) 04:41:25.34 ID:2WV245ZT0.net
>>389
土田世紀『編集王』の「抜かずヌルハチ」ってよく問題にならなかったよなぁ。
と『コロコロコミック』誌のチンギスハン騒動を見てつくづく思った。

651 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/09(火) 13:05:21.62 ID:eMBMvH710.net
乱世なら春秋、戦国、三国、五胡十六国、五代十国の
生き残るための人生難易度ってどんなもん?
個人的には
五胡十六国>>>戦国=三国>>五代十国>春秋
ってイメージ

日本だとダントツで戦国時代がハードモードだが

652 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/09(火) 18:33:35.39 ID:Gq+aBMqI0.net


653 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/09(火) 18:45:43.22 ID:Gq+aBMqI0.net


654 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/09(火) 18:45:45.40 ID:Gq+aBMqI0.net


655 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/09(火) 19:54:27.10 ID:a9gIHDAT0.net
五代は搾取やばかったらしいし難易度高いやろ

656 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/09(火) 23:49:54.06 ID:46W0kp1c0.net
それ以前に免疫系の不備でこのスレの民の八割が母親の万個から出た瞬間に死ぬわ

657 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/09(火) 23:50:44.58 ID:46W0kp1c0.net
生まれて育った時点で現代人的観点から言えば
スーパーフィジカルモンスターやからなあの時代の奴ら

658 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/10(水) 02:30:15.39 ID:Kc44LSyS0.net
なんといっても世代交代の速さだわ
北魏の皇帝とか12歳くらいで子供を作ってる

でもいちばん免疫系が強いはずの30代半ばくらいで英主が死んでしまうのはなんでだろう?梁武帝は例外中の例外。
孝文帝とか北周武帝とか、病死とされてるものでも毒殺だったのかもしれない?

659 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/10(水) 11:27:16.62 ID:0mGItTHb0.net
遊牧系は早く独立させるせいか子作りが早いんだよ。女真とかも子作りは早目

660 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/10(水) 14:58:34.80 ID:UoqU9A0n0.net
早死には荒淫のせいかもね
陳舜臣先生の下世話な説だけど

遊牧系はスケベなのかな
学術が発達しなかったから、セックスくらいしか楽しみがなかったのかもしれない

661 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/10(水) 15:06:46.90 ID:eYSvnS5X0.net
死にやすいから駒増やしてるだけだと思うけどね。牧畜がメインの場合異常気象の被害が甚大だし。
(農耕メインなら非常食とかで耐えられない事はないけど)

662 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/10(水) 17:53:29.74 ID:rHgVHcKk0.net
孔萇は結局十八騎の孔豚と同じなんかなぁ
石虎除けば後趙最強クラスなのに十八騎にいないし

663 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/10(水) 18:29:09.71 ID:PS2XupZu0.net
萇が古音で[*daŋ]
豚が[*duːn]
なので多分同一人物なんじゃないかな

664 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/10(水) 21:19:24.62 ID:YrGMzvMr0.net
異民族が華北を制しても
中国人のほうが数が多いんだから反抗可能な気がするんだが
やっぱり合戦に敗けてしまうと駄目なんだろうか

で、征服者たちのほうは
大帝国を夢見ると、中国人的な支配体制や生活習慣を取り入れるしかないから
配下の反感かって下剋上されちゃうのかな

665 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/11(木) 01:21:36.57 ID:SD/e98Cg0.net
>>660
仙丹のせいもあるかもよ
道武帝、太武帝とかはじめ良くてもだんだんおかしな行動が増えてきて
とうとう殺されてしまう
この当時の皇帝はほとんど飲んでただろ
北斉の皇帝は酒や生来の人格障害のせいで語られることが多いけど
はじめはしっかりしてたようなので酒だけじゃなくて仙丹の影響を受けてたとも考えられる

666 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/11(木) 01:37:52.31 ID:d/El9FiU0.net
仙丹は末期唐の皇帝も常用してたからな。

憲宗→中興の英主と讃えられるも末期は薬の常用で発狂し暗殺

穆宗→オーバードーズで死亡

武宗→オーバードーズで死亡

宣宗→安定した治世を築くも晩年はオーバードーズで死亡

ポン中率が異様なのは世界帝国からの転落から目を背けたいのと権臣&宦官&藩鎮への恐怖を紛らわすためか

667 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/11(木) 01:39:03.47 ID:A3rmBes20.net
明元帝が相対的にまともに見える

668 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/11(木) 16:36:11.93 ID:KT9VZdJm0.net
世界帝国からの転落なんてそんなに気にしてないでしょ、世界つっても基本西域と草原だし

中国文化の退廃&下々の増長(皇帝権力の不安定化・縮小)が原因じゃろう

669 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/11(木) 20:28:52.68 ID:kAi57q540.net
節度使のせいで不安になった皇帝は国の将来を思うとすぐお薬使っちゃうの

670 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/11(木) 20:37:51.98 ID:SD/e98Cg0.net
相対的にまともな皇帝

南斉では武帝蕭賾
北魏では明元帝以外では宣武帝
北斉では孝昭帝高演


宋の文帝とか、北魏の太武帝とかみたいに通史的に有名ではないし、名君とまではいかないけれどまあまあこの時代としてはそつなく治めた人たちもなかなか興味深い。

671 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/11(木) 21:25:22.40 ID:zI6lKoKx0.net
明は暗君が多過ぎて
洪熙帝、宣徳帝、弘治帝みたいに他の王朝なら凡君程度に見られる君主ですら
名君扱いされてる

672 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/11(木) 21:55:05.46 ID:zI6lKoKx0.net
25年間もヒキニートだった万暦帝だが
朝鮮の役の時は朝政の場で断固出兵をして大臣を驚かせたという
やる時はやる漢なのね

万暦帝「倭軍も大したことないな。天朝まで来てみろよ」

673 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/11(木) 22:18:05.85 ID:4EHA82Un0.net
中華の復興とか時々言われるけど
隋の統一 → 唐

元の征服 → 明の復興

時代が激変すらたびに文化的、風俗的には別民族か? っていうくらい変わってるんだろうな

674 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/11(木) 22:19:30.04 ID:KT9VZdJm0.net
朝鮮に遣わしたのは大軍、それも戦い慣れた中華帝国の精鋭クラス

倭寇大将サルの軍勢など鎧袖一触に相違あるまい!

675 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/11(木) 23:24:45.99 ID:92scWIdH0.net
>>669
畠山義就をさらに凶悪にしたような連中に囲まれてたらもうね

676 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/12(金) 03:10:29.91 ID:JUk4g6880.net
吐蕃「唐とか盛唐の頃から大したことなかったし」
新羅「ワイも地味に勝ったで」

677 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/12(金) 16:56:36.74 ID:u5Oq6CZu0.net
隋唐は鮮卑と匈奴の連合政権だし、宋も突厥サダ族の血をひいている
別民族だけど、精神的には漢化していた

モンゴルと清は征服者の意識を忘れなかった
特に清の場合は、弁髪と胡服を強制して、ファッションの分野においては
漢文化を滅ぼしてしまったからな

678 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/12(金) 18:00:09.54 ID:pQoVixkZ0.net
王宝明すき

679 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/12(金) 18:12:58.53 ID:glEX3sz/0.net
>>677
まあ、動きやすいっつーのは正義やね

680 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/12(金) 19:56:30.49 ID:zVRIegcO0.net
>>677
辮髪はかっこいいとは思えんが
チャイナドレスが定着したのは素晴らしいと思うぞ
そんなチャイナドレスを文化大革命で攻撃して
人民服を強要したマオさんは五胡君主を超えたアホな暴君でおk

681 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/12(金) 20:09:04.51 ID:+RYwFJpC0.net
>>680
あれを外交の場で推そうと考えた劉少奇は良い趣味してる

682 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/12(金) 20:09:33.74 ID:vkaP9gTg0.net
武霊王「胡服の元祖はオレ」

683 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/12(金) 20:27:17.30 ID:LmAVH5jN0.net
燕雲十六州は、後晋の石敬瑭が契丹に割譲してから明の天下統一まで、400年以上も異民族の統治下におかれた。
石敬瑭自身もソグド人だから、実際はもっとだな。
古代でいうと周代から栄えてきた燕(劉備や張飛の出身地でもある)や趙、今でいうと北京都市圏、河北省や山西省に該当するエリアを
漢民族は失ってしまったわけだ。

400年以上もの間、契丹人が支配し、次に女真人が支配し、さらにはモンゴル人(や色目人)が支配した。
その間には住民もすっかり胡化し、むしろ漢民族がモンゴル人を追い払って故地を取り戻したときの方が
「異民族に支配されてしまった」という思いが強かったかもしれない。
北平(北京)市民も、永楽帝が遷都したときの方が「えびすに都を乗っ取られた」と感じたかもしれない。

684 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/13(土) 11:31:29.47 ID:uJLvpWnC0.net
>>680
詰め襟のマオカラーも満州族由来のファッションかと思ってたら違うのか

685 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/13(土) 13:10:06.82 ID:w+Uo421U0.net
読みたいけど高っけえw
https://www.toho-shoten.co.jp/toho-web/search/detail?id=4762960390&bookType=jp

686 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/13(土) 13:38:22.75 ID:saPYHR5j0.net
>>684
人民服は孫中山の軍事顧問の佐々木到一が日本陸軍軍服を基にデザインしたものだから
マオカラーは満州族由来じゃなくてフランスかドイツなどの欧州が起源じゃなかったっけ?

687 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/13(土) 19:52:40.58 ID:7HmeqTy50.net
北斉が勝利する可能性はなかったんだろうか?

688 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/13(土) 20:24:26.17 ID:w+Uo421U0.net
禁酒法でも敷くしかなかったんじゃないかと。国力じゃ三国(北斉、北周、梁)でぶっちぎりなのにボロボロになるのがもうね

689 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/13(土) 20:42:51.30 ID:4RV3Fk1X0.net
>>688
突厥北周連合軍を撃破したりしてるけど、同盟相手が不在な時点でかなり詰んではいるよな

690 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/13(土) 22:34:15.44 ID:jcmCjusx0.net
高演が60近くまで生きてたら?って感じか

691 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/13(土) 22:54:24.73 ID:J/QIbxgS0.net
北斉の場合後主が敵前逃亡やらしても善戦(武帝が一度死にかけるほど)してるので
皇帝さえ常識のある奴がいたらだいぶ違ったのでは

692 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/13(土) 22:54:44.94 ID:4RV3Fk1X0.net
兄弟が三人以上皇帝になったケースって高洋、高演、高湛以外にほかにあるんかな

パッと思い付いたのは慕容儁、慕容垂、慕容徳
その下の慕容暐世代は沖が称帝してるけど兄貴の泓が称帝してないからなあ

693 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/14(日) 00:39:16.94 ID:MzB8wBRa0.net
五胡時代の、拓跋君、拔拔君、独孤君、宇文君、普六茹君、大野君
https://img.itw01.com/images/2018/05/16/12/5733_4qCmRK_GY34SEZ.jpg!r1024x0.jpg

隋唐の、元君、長孫君、独孤君、宇文君、楊君、李君
http://jiemi.att.hudong.com/upload/images/article/e9/9c/436bbfce60937ea7edb89589acab.png

694 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/14(日) 00:47:21.40 ID:IQWs99Vv0.net
>>690
高演もだけど、高澄が殺されずに簒奪に成功してたらというのもある
高澄って能力的にも容貌もほかの兄弟のいいとこどりじゃん
やっぱり酒癖は孝静帝をいじめたりして悪かったようだけど
あと、高澄は息子たちがけっこうまともで後継に望みがあった

戦術的には高一族は宇文一族よりずっと上だと思う
酒で自滅しなかったら…
それと斛律光をうまく使いこなせること

695 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/14(日) 01:02:04.22 ID:IQWs99Vv0.net
北斉は婁太后の息子ばかりが帝位についてるけど
叔父が兄の息子を殺して即位している。
後主高緯の即位時点で婁太后の息子は高済がいた。

順番からしたら高済が高緯を殺して帝位を奪うところだが
それを高緯は返り討ちにして循環を断ちきったからそういう保身的な面では高緯はなかなかw

696 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/14(日) 01:59:03.74 ID:IQWs99Vv0.net
>>690
高演もだけど、高澄が殺されずに簒奪に成功してたらというのもある
高澄って能力的にも容貌もほかの兄弟のいいとこどりじゃん
やっぱり酒癖は孝静帝をいじめたりして悪かったようだけど
あと、高澄は息子たちがけっこうまともで後継に望みがあった

戦術的には高一族は宇文一族よりずっと上だと思う
酒で自滅しなかったら…
それと斛律光をうまく使いこなせること

697 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/14(日) 09:02:55.69 ID:YwEHQccQ0.net
北斉-梁同盟
高歓長生き
高澄が簒奪しない(するのは息子の代)

698 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/14(日) 10:53:45.62 ID:DzaiTax30.net
北斉はエース武将が高齢者だったりアホが粛清してしまったりするからな

699 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/14(日) 11:05:00.90 ID:GUGpsV4f0.net
北斉や梁における恩倖亡国史観は気をつけて取り扱わないと危険だと思う
晋書にもそういう史観入り込んでるよね

700 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/14(日) 15:30:24.46 ID:w3h/w00A0.net
他人のネタをパクリ 牽強付会な自己販売 ノーザンコペルニクス
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1539397214/

701 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/14(日) 17:11:37.52 ID:Osyh9nza0.net
五胡十六国のシミュレーションゲームあったら南涼が1番難しそう
いろんなところから攻められて終わりそう

702 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/14(日) 18:48:18.35 ID:sbv5bdLZ0.net
>>693
おおの君ってちびまる子ちゃんにそんなキャラがいたな。

703 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/14(日) 19:19:28.17 ID:AYa9c27+0.net
>>702
ジャニーズにもいるぞ
嵐のリーダー

704 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/14(日) 20:56:57.21 ID:sbv5bdLZ0.net
五石散くんは何晏なんてやってないよ!

705 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/15(月) 12:20:25.57 ID:I3P/DyG70.net
>>701
あと、冉魏

706 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/15(月) 12:42:15.23 ID:edOV37dB0.net
冉魏って三国志で言うと劉虞殺害後の公孫瓚(袁紹&献帝&鮮卑烏桓の敵対心MAX)をさらに酷くした感じだから

707 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/15(月) 18:49:59.38 ID:BeafC/U50.net
>>701後蜀もハードル高そう五胡十六国じゃないけど後梁とかも

708 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/15(月) 19:16:24.46 ID:cEDOc6Cf0.net
ゲームなら李農をちゃんと生かして劉羣とかと一緒に無双できるぐらいのバランスがほしい

709 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/16(火) 19:00:38.27 ID:fC/YWNpM0.net
魑魅魍魎が渦巻く修羅の中原における唯一のオアシス、前涼

710 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/16(火) 19:12:23.26 ID:xfJbRvrB0.net
>>709
中原…だと?

711 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/16(火) 19:41:33.23 ID:fC/YWNpM0.net
すまん、華北と言うべきだった

712 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/16(火) 20:04:27.37 ID:GmcyDVtO0.net
>>711
よくあること
アタシも平城や盛楽を中原と勘違いしちゃうもん

713 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/16(火) 20:53:22.56 ID:HnxwzwT60.net
華北も大分苦しい

714 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/17(水) 03:20:21.58 ID:fw2A5zN+0.net
前涼も張重華末期あたりからクソ化してるのが

715 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/17(水) 06:04:28.09 ID:yquWI5/Z0.net
十分マシやろ20年もたない所多い時代だし

716 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/17(水) 07:58:15.37 ID:4KBsuLpW0.net
袁術皇帝の仲王朝は2年で潰れたぞ

717 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/17(水) 08:45:02.67 ID:02V57bn10.net
十年が長期政権の五代十国時代

718 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/17(水) 13:51:56.61 ID:l+nXMJE/0.net
>>674
無人の地を往くが如く日本軍に蹂躙されたサル半島人w 韓国朝鮮に人はいない サルばかりwwww

719 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/17(水) 17:09:34.52 ID:Oz35+B2r0.net
>>718
大明帝國「倭寇軍は中華の精兵に歯が立たず全滅したアル」

720 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/17(水) 19:32:05.60 ID:bG+I4Qoo0.net
この時代の華北はマジでリアル北斗だからな
前涼の安全地帯感が半端ない

721 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/17(水) 19:32:27.58 ID:bG+I4Qoo0.net
石勒=ケンシロウ

722 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/17(水) 20:51:01.54 ID:zywn3P8/0.net
北魏が統一するまでの華北には
北斗の拳のリアル牙一族みたいな連中が
あちこちにいたんだろうか

723 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/17(水) 21:31:44.53 ID:4KBsuLpW0.net
南斉も23年しかもたなかったんだよな。
凶君暗君のエピソードが次々と出てくるから何だかんだで50年くらい続いたのかと思っていたが。

しかも23年のうち、11年を武帝(2代目)が占めている。
残りの12年間で6人の皇帝が目まぐるしく替わってきたわけだ。しかもうち3人が廃帝扱いで帝号を貰えてない。

724 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/17(水) 21:37:50.99 ID:4X2nRyK50.net
>>723
そんな南斉を滅ぼせない孝文帝さんって能力的にどうなんだろ

725 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/18(木) 02:03:48.30 ID:SkTUJeDo0.net
孝文帝って孝文帝改革でいかにも「文」だけのイメージがあるけど
南征もやってるんだよな。

すごい文化人みたいだけど、隋煬帝みたいなところも見えてくる。
理想に走る改革によって王朝滅亡の原因を作っちゃったから。
でも北魏が滅んでしまったあとに与えた影響がすごく大きい。
太子に謀反を起こされたりとか、南遷において鎮将対策をやらなかったのは
王朝存続という点では落第点。
隋煬帝の場合その矛盾が早く出ただけとも言える。

726 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/18(木) 20:45:02.07 ID:Gu7YREWj0.net
北周は鮮卑語を公用語とし、北斉は鮮卑語と漢語を併用したものの鮮卑語を優先した。
つまり6世紀の北朝は鮮卑社会に先祖返りしていた。
それを楊堅は漢化に踏み切ったのだが、孝文帝の時のような混乱や反発は起らなかったのだろうか?
それとも隋の漢化はマイルドな変化で、周末から唐にかけてゆっくりと進んだのだろうか。

ちなみに楊堅という呼び方はあくまでも後世の呼称で、当時は諱で呼ぶことは殆どなかった。
かといって楊堅の字は不明で、そもそも鮮卑語では字は不要だったらしい。
代わりに「那羅延」という小名が伝わっている。
彼の在世時は、「楊堅」と呼ばれることはほとんどなく、「那羅延」「楊那羅延」「普六茹那羅延」と呼ばれていた。
漢化に導いた彼自身、ズブズブの鮮卑社会に浸かっていたわけだ。

さらに楊堅の父は「楊忠」であるが、これも後世の漢族視点での呼称。
彼の小名は「奴奴」であり、北周時代の名は「普六茹奴奴」。まるで別社会のようだ。

727 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/18(木) 21:02:24.66 ID:q2j5lWkk0.net
北魏や南朝でも貨幣は鋳造されていたけど
五胡十六国でも造られていたのだろうか?それとも漢代の五銖銭をそのまま流用していたのか?
はたまた中世初期のヨーロッパみたいに物々交換?
日本も寛永通宝までは宋銭や明銭を使いまくってたな

728 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/18(木) 21:36:43.00 ID:KLdfs9Dm0.net
>それとも隋の漢化はマイルドな変化で、周末から唐にかけてゆっくりと進んだのだろうか。

それどころか大帝国唐が普通の漢民族サイズに縮小する中唐以降までかかってんじゃないの?

729 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/19(金) 21:19:02.62 ID:0ggF69rY0.net
中唐で中東まで行ってほしかった
世界帝国

730 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/19(金) 22:19:57.65 ID:xd55qCcM0.net
鮮卑族は漢字を使ったのかな?
支配下の漢族が、鮮卑語を漢字表記したのは分かるが。
「奴奴」とか「醜奴」とか、そんな名前嫌やろ。
他にも鮮卑名は「叱」「吐」「泥」「茹」「没」みたいな、あまり印象の良くない漢字がよく使われる。

実は鮮卑族は漢化が進まなくて、記録は漢族に任せっきりで、文字の読み書きができない時代がずっと続いたんじゃないだろうか。

731 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/20(土) 00:11:35.25 ID:6DfJtFPg0.net
>>727
多分物々交換。前秦が通貨鋳造しようとしたらしいけど貧富の格差の問題とかで止めたらしいし。

永楽銭みたく対外決済用の通貨は鋳造してたかも知れんけど。

732 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/20(土) 00:16:46.75 ID:ASBOn5MR0.net
>>730
そういうところはあっただろうね

733 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/20(土) 06:45:19.08 ID:5T38yBeh0.net
>>729
アッバース朝「させねーよ」

734 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/20(土) 16:26:07.22 ID:ASBOn5MR0.net
アッバース朝は普通に唐王朝よりも強そうだし無理ぽ

そこまで強大な敵対勢力が存在しない中国周縁のトルキスタンや青海チベット方面が漢化せず
逆に異文化圏に取り込まれてしまう辺り、中華(漢文化)の限界を感じる

735 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/20(土) 17:10:25.17 ID:bozcYKbO0.net
なんというか漢文化ってのは中原とつながっていてこそ文化圏として成立し得るって面があるよね
だから中原の政権の影響を受けてると凄い勢いで侵食されるんだけど
影響が薄れた途端に元に戻ったりサクッとイスラム化しちゃったり

736 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/20(土) 19:39:59.86 ID:5T38yBeh0.net
吐蕃は一時は唐を脅かすくらい強大だったぞ
完全に中国の支配下である今のチベットからは想像も出来ないだろうけど

737 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/20(土) 19:49:38.12 ID:5T38yBeh0.net
>>735
イスラムは北はカザフスタン、東はインドネシア、西はモロッコ、南はサハラ以北が限界だった
中国、モンゴル、チベットでせき止められたから日本までは来なかったし

738 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/20(土) 20:47:19.28 ID:7xtGSmRZ0.net
農耕文化と遊牧文化の違いかねえ。
中華文明発祥の地といえば西安から洛陽にかけての、渭水と黄河が交わるエリア。
そこからわずか200〜300q北は、遊牧民の世界だ。
日本で例えれば、東京から北上して仙台あたりまで行けば、もはやそこは日本じゃないみたいな。
(日本の東北地方だって平安時代にはヤマト化したのに)

中華文明は、南方に浸透して蛮夷の地だった呉越や楚を漢化させ、南は遥かベトナムまで、
そして東は朝鮮半島、そして部分的に日本列島にまで漢化の波は及んだ。
しかし長安や洛陽から遥かに近いオルドス地方やモンゴル高原は漢化せず、騎馬民族の侵入に悩まされた。
もちろん北族の中には、(五胡時代〜隋唐のように)長城内に進出して漢化した者もいたが、塞外のエリアは近代国家成立までついに漢化することは無かった。

南隣に漢族という高度な文明を持った民族がいたにも関わらず、モンゴル人は西域の文化を吸収しパスパ文字を用いた。

739 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/20(土) 21:19:47.75 ID:ASBOn5MR0.net
>>735
中国王朝の支配や漢族の人口圧で漢化できる近所では当然強いけれど
イスラム、仏教、西洋文明みたいな強力な文化と教化合戦したら勝てる気がしない

>>736
そうですね、一時どころか唐の最盛期ですら苦戦していますし
>>737
そこまで巨大だと限界という言葉は相応しくない気がするな
イスラム世界の中心地から遠く離れた辺境である中国大陸にこれだけ食い込めるのはヤベぇ

740 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/20(土) 23:09:54.05 ID:5T38yBeh0.net
儒教一色に染まったのは周辺国だと朝鮮くらいで
あとは仏教国ばっかりだしな
ちなみにインドにおけるイスラム教徒の割合は13%くらい(ヒンドゥー教は80%くらい)

741 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/21(日) 00:51:27.40 ID:654uH96o0.net
そもそも儒教も仏教とフュージョンした事で哲学とか思想のレベルに到達できたってところもあるから。

742 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/21(日) 06:54:21.07 ID:H6TUlMsh0.net
魏晋五胡南北朝さんの功績だな

中世:古代インド文明の流入で変容
現代:西洋の衝撃で壊滅したと思ったら社会主義核心価値観の一部になってた

儒教さんも大変やで

743 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/22(月) 00:59:00.34 ID:4z+k4zlX0.net
孔孟って非漢民族王朝が出来たら真っ先に就職に出掛けそうなイメージ(偏見)

744 :名無しさん@そうだ選挙に行こう! Go to vote!:2018/10/22(月) 08:15:51.56 ID:TtKoZDpZ0.net
仏図澄って記録では117歳で死んでるけど本当なのかなあ
神格化の影響で30歳位サバ読んでそう

745 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/22(月) 22:29:29.25 ID:BWcxXWic0.net
南光坊天海は107歳まで生きたで

746 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/22(月) 23:05:40.45 ID:YCbiOCPc0.net
ジャンヌ・カルマン「わたしゃ117歳で禁煙したわ。仏図澄とか天海とか早死にし過ぎだわ。」

747 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/23(火) 00:58:03.80 ID:SY/1jtd30.net
奇跡も仏法もあるんだよ!

748 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/23(火) 05:13:14.10 ID:yebtfm040.net
>>655
?「響子さん好きじゃあああああっ」

749 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/23(火) 05:48:06.92 ID:BnIPjktI0.net
ソープランド@きりいむ・めろん」

750 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/23(火) 13:07:34.14 ID:xg9CJJMJ0.net
菩薩皇帝の仏教への入れ込みはネタにされるけど孝文帝も相当な入れ込みだよな。
最近も喜捨したガラス器が出土されたとか

751 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/23(火) 13:46:51.30 ID:7HqPzca/0.net
皇帝菩薩は皇帝最高年齢記録をまだ伸ばせたであろうことが悔やまれる

752 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/23(火) 18:27:37.91 ID:sgT2r5Ku0.net
餓死も即身仏だと思えばまぁ・・・

753 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/23(火) 19:01:55.97 ID:n1HpSimu0.net
梁武帝は仏教に惚れ込んだから菜食主義になるとともに、おそらくは道教系の仙丹とかを忌避したのではないか。それがよかったのでは。
仙丹やってたらどんなに壮健でも50歳くらいまでで気がおかしくなるだろ。

この時代で特別長生きなのは仏道に精進した功徳だよ。

754 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/23(火) 20:31:49.15 ID:1++/GV720.net
海西の菩薩天子「せやせや。仏門に帰依すれば悩みも消えるんやで」
文献皇后「左様ですわね陛下」

755 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/23(火) 22:00:27.54 ID:cw7XR3Ni0.net
仏門帰依に逃げるタイプは本邦にたくさんいるのぅ
…道教でラリッちまうよりはマシか

756 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/24(水) 01:17:51.96 ID:Ji7V8cH00.net
しばしば出家しちゃ臣下が皇帝の身柄を贖う
出家じゃなくて家出みたいだw
「皇帝天下を忘れ、天下また皇帝を忘る」という状態でよく簒奪されたり弑逆されたりしなかったもんだ。この時代だぜ・・

侯景による混乱よりはずっと前の話だ。

757 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/24(水) 20:52:02.96 ID:yh3hbvPS0.net
梁武帝の場合、仏門に出家したのが肉体や精神のリフレッシュになって結果として長命になったのかも。

758 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/25(木) 11:29:59.83 ID:gJX2Eh+H0.net
文字通り国が二つに割れるって事態までなったのは長い中国史の中で後にも先にも北魏だけだよね
北魏の皇族も梁に亡命してたりしてるのにこの好機を何故行かせなかったのか

平和ボケしてなかったら可能性はあったのかね経済力に限れば梁は南朝の中で随一だった訳だし

759 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/25(木) 11:36:09.22 ID:9mWGG5l40.net
>>758
北に雪崩れ込むための騎兵が揃えれないから無理だったんじゃねーのかな
良くても淮北奪還までじゃね

760 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/25(木) 13:36:43.14 ID:F0PUwNQF0.net
経済力あったら軍揃えられるのかって言ったらそんなことないから意味ないぞ

761 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/25(木) 14:03:49.33 ID:BPrNXPli0.net
多くの中華帝国でみられる
初期より国力・経済力が圧倒的に高い中期以降になると兵卒が使い物にならない無駄飯食らい化する現象

762 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/25(木) 14:59:37.45 ID:ZgpHtvR30.net
鍾離の戦いって北魏と梁を前秦と東晋に置き換えたら淝水の戦いに近い規模なんだけど
あんまり評価されてない。

梁武帝治世前半はまだ梁の軍隊は強さがあったけど、北魏もまた宣武帝と孝明帝前期で
国力はしっかりしていた。
六鎮の乱が始まって北魏がゴタゴタしだしたとき梁のほうは武帝が仏教に溺れてしまった。なかなかかみ合わないものだ。
でも梁が北魏の乱れを狙って北伐したとしても宇文泰や高歓には勝てる気がしない。

763 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/25(木) 15:27:40.89 ID:9mWGG5l40.net
>>762
鍾離にしろ朐山にしろ局地戦だろ
肥水の戦いは規模が違いすぎる
呉の滅亡とか陳の滅亡よりも北側の兵力多いわけだし

764 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/25(木) 20:01:42.53 ID:p0jiM5T70.net
>>761
宋と明はよく頑張った方じゃね?
宋は金と西夏の攻撃を防いだし(蒙古にはやられたけど)
明は蒙古・女真・倭寇・日本からの攻撃をなんとか防ぎ切った(李自成の乱で自壊したけど)

765 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/25(木) 20:32:46.01 ID:9mz9DH8b0.net
漢民族が騎兵を得意とするようになったのは、北の遊牧民と融合した隋唐以降じゃね?

南朝の梁は軍事的にもまだ純漢民族のままで、北の騎馬民族と対等に渡り合えるほどの機動力や戦闘力を身に着けていなかったと思う。
江南だから水戦は得意としただろうけど、陸上では相変わらず重装歩兵の時代かな。

三国志演義でも、張飛と呂布の一騎打ちや、許チョと馬超の一騎打ちとか出てくるけど
後漢末期の中華民にそんな躍動感のある戦闘はできなかったと思う。

766 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/25(木) 20:54:47.68 ID:efkLYn/q0.net
騎兵の運用なんて隊列組んで突進して歩兵を蹴散らすか、あるいは弓騎兵で挑発とか歩兵を疲弊させるか、あるいは偵察、遊撃ぐらいしかないだろ?
一騎討ちとか躍動感とか何言ってんだ?

767 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/25(木) 21:08:41.60 ID:CKlWHyTE0.net
衛青や霍去病はどうだったんだろう。

768 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/25(木) 21:13:13.39 ID:9mWGG5l40.net
衛青は騎兵に襲撃されたときに輸送用の車で車陣組んで応急防御してた戦例があったような気がしたが
騎兵で目覚ましく活躍したのって追撃とかの時だっけ?

769 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/25(木) 21:44:27.85 ID:VAynhWb30.net
騎兵も装備とかでぜんぜん違うからね。
隋の時は重装騎兵メインだったけど唐からは軽騎兵メインになってるし

770 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/26(金) 07:03:33.83 ID:XZCXlhQq0.net
>>761
軍の必要性が薄れると軍人蔑視と警戒で文人任せになって毎回ゴミになるな

771 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/26(金) 09:08:15.74 ID:S40Ao+cQ0.net
強兵を維持し続けるのはコストかかるからね。日本も島原の乱の時は相手の方が戦なれしてて手を焼いてたし

772 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/26(金) 12:13:10.00 ID:eGfbDJvq0.net
>>770
兵力は敵対民族の人数より多そうなんだけど、大半がやる気なさそう

文人科挙エリートは意外と対外強硬派だったりするけど
軍兵の管理(訓練等)に興味がなく実務に介入しない(出来ない)から現場は緊張感がなく軍規ゆるゆるになるんだろうな

773 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/26(金) 14:29:59.59 ID:RFhVdokA0.net
科挙エリート軍人も王守仁(王陽明)みたいなスーパーインテリなのに反乱鎮圧のスペシャリストや袁崇煥みたいなミリオタ(最新兵器フェチ)とかいるからなんとも言えない。

774 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/26(金) 15:51:06.76 ID:XZCXlhQq0.net
文人の癖に見事に金を破った虞允文みたいなのも意味分からん。流石に危機感が去ってなかったのか

775 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/26(金) 16:09:10.48 ID:RxqgtdHA0.net
石勒のWikipedia長すぎるけどなんかめちゃくちゃ詳しい人が書いたんすかね

776 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/26(金) 16:15:00.33 ID:eGfbDJvq0.net
まあ当然国防や治安に危機感を持ってるエリート官僚は一定数いるでしょうね

危機感ないと将兵がグルになって軍事力整備をサボり浮いたカネを懐にいれたり部隊内で地位の売買が始まる

777 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/26(金) 17:19:05.10 ID:Vt/pGoi00.net
石勒が王衍(と司馬越の残党)をなぶり殺しにした戦いってなんか固有の名前付いてないの?

778 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/27(土) 00:17:15.44 ID:KJzLMstJ0.net
五胡十六国戦闘マップ欲しい

779 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/28(日) 00:26:25.37 ID:4esmH4gU0.net
中国で出てそうな気がする

780 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/28(日) 03:59:30.59 ID:JoJkJGNN0.net
エジプト、イラク、ギリシャ、インド、中国
古代文明発祥の地が軒並み土人化している法則

781 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/28(日) 06:36:43.21 ID:m9fUwuOC0.net
この時代のインテリ名将だとやっぱり破竹さんになるのかな。少し前の時代になるけど

782 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/28(日) 07:38:10.66 ID:fCMM4D+c0.net
>>781
桓温やろ
昭明文選に載ってるくらいやし

783 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/28(日) 08:56:00.14 ID:2cgpGxyh0.net
ヨーロッパユニバーサリスのシステムを流用した五胡十六国SLGがやりたい

784 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/28(日) 17:45:54.89 ID:XdIZAp9X0.net
五胡十六国と南北朝はゲーム業界がもっと注目してもいいと思うけど…
三国志よりもキャラが濃い。

三国時代は後漢までの儒教教育のおかげか日本の武士道的素養から受け入れられるけど五胡十六国⁺南北朝はあんまり残虐すぎるから?
後漢→魏→(蜀漢滅亡)西晋(呉滅亡)
まで前王朝の皇族は生かされたのに、東晋→劉宋から前王朝皆殺しが慣例化して
北宋統一のときまでまで元に戻らなかったし。

785 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/28(日) 19:00:56.90 ID:jcDXnets0.net
単に三国志はシンプルだからでは?
魏、呉、蜀の三国しかないし、劉備・関羽・張飛の三兄弟に軍神孔明、そしてヒール役の曹操と
キャラ的にも極めて分かりやすい。

五胡十六国は、キャラ設定を単純明快にするのが難しいし、国名だけでも覚えるのが大変。
燕だけでも、前燕、南燕、後燕、北燕があるし、
涼は、北涼が匈奴、南涼が鮮卑、後涼がテイ、前涼と西涼が漢族と、同じ国号でも支配民族が異なる。
中国史ヲタでさえ整理できずに混乱するし、一般人は間違いなく脱落する。

786 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/28(日) 19:16:26.81 ID:jcDXnets0.net
しかし三国志でも演義ベースだと、話の大半が後漢末期で分裂前だからな。州名はそれなりに把握する必要があった。
西涼の董卓、江東の孫堅、冀州の袁紹、淮南の袁術、青州の曹操、徐州の陶謙、荊州の劉表、益州の劉章、
これくらいは覚える必要があったかな。

787 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/28(日) 20:44:40.06 ID:JoJkJGNN0.net
封神演義、三国志演義、西遊記、水滸伝

788 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/28(日) 20:51:39.64 ID:JoJkJGNN0.net
ゲーム化するなら
小国の主から華北の覇者になった符堅とか主人公にしやすいけど
最期が完全にバッドエンドだからな・・・
石勒も修羅の人生過ぎてコアなファンはつきそうだが、一般ユーザー受けするかどうか

789 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/28(日) 21:25:28.88 ID:DZ8kPmc70.net
三国志もバッドエンドだしへーきへーき

790 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/28(日) 21:28:26.75 ID:Bd0301JK0.net
ぶっちゃけ日本史でも戦国と幕末と邪馬台国抜きにしたらマイナー歴史もの扱いだからね。

791 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/28(日) 21:43:36.35 ID:Bd0301JK0.net
>>789
なんでや!阿斗ちゃんの息子(劉淵)が司馬家を倒して漢室を復興させるハッピーエンドやろ!

792 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/28(日) 22:02:58.84 ID:kjBN4oSk0.net
三国志ゲーですら斜陽だし>>787あたりをモチーフにした中華ファンタジー系作品も衰退傾向な印象

一般的人気度皆無の五胡南北朝とか無理ゲーですぜ…

793 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/28(日) 22:36:43.50 ID:jf9WK9ad0.net
>>792
ぶっちゃけ歴史ってやつそのものを忌避する傾向は感じるな
現代サイコー! 的な

現代のアホ共の振る舞い、
割と歴史書に書かれまくってんですけどね、みたいなことは思わないでもない。

794 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/28(日) 22:45:20.12 ID:klfGa08P0.net
今は源平物もマイナーになっちゃったのか

795 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/28(日) 23:07:18.69 ID:3EOzMmR50.net
>>777
サン・バルテルミの虐殺

796 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/29(月) 00:59:43.46 ID:OCRsNk8T0.net
>>793
歴史をネタに天下国家語り系とかビジネス語り系のおかげで嫌がられてる印象。

797 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/29(月) 02:06:04.93 ID:Z6bCEoxM0.net
>>793
現代のアホ共と歴史書(の人物)が大差ないなら
ネタの質量が圧倒的に上である「(近)現代サイコー!」になるのはしょうがないじゃん?

798 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/29(月) 09:11:54.36 ID:/tA2lubs0.net
百年戦争や戦国時代とか精々100年だけど
西晋滅亡から隋による統一まで300年近くカオス状態なんだよな

799 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/29(月) 09:38:51.46 ID:K78ywNru0.net
>>791
司馬炎「魏を倒して漢の敵をとってやったんやで」

800 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/29(月) 12:09:44.33 ID:2z4/P2FT0.net
>>799
宇文泰「漢がなんだって?うちは周礼の復興なんだが?」

801 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/29(月) 13:18:31.93 ID:Whd4nbqd0.net
>>793
>現代のアホ共の振る舞い、
>割と歴史書に書かれまくってんですけどね、みたいなことは思わないでもない。
例えばどんなものが?

802 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/29(月) 13:54:33.66 ID:Z6bCEoxM0.net
>>798
さあ、聖女ジャンヌとか戦国大名とかサムライソードくらい一般ウケするスーパースターを発掘するのだ

803 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/29(月) 14:42:14.01 ID:E5rCz/qV0.net
>>802宇宙大将軍「俺の時代が来たな」

804 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/29(月) 15:31:15.43 ID:2z4/P2FT0.net
このスレの人好みっぽい時代のドラマだけど見た人いる?
http://www.bsfuji.tv/ranryouou/

805 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/29(月) 16:53:25.89 ID:hXacTzCY0.net
>>798三国志も黄巾の乱から晋統一までだいたい100年ぐらいだもんな

806 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/29(月) 16:59:38.14 ID:hXacTzCY0.net
陳舜臣氏にこの時代の小説を書いて欲しかったな
あんまり氏の好みじゃないというのは分かるけど

田中芳樹氏も何作か書いてるけど数が少ないし
あんま書く人が少ない時代なんだよなぁ

807 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/29(月) 23:52:18.93 ID:eO9LbKm80.net
マンガなら蒼天航路の作者が相性よさそう

808 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/30(火) 03:23:45.40 ID:Jy+lLP390.net
皇帝大菩薩VS宇宙大将軍とかすごい取り合わせだなw
実際存在して対決してるんだし。


でも字も読めない侯景がよく宇宙とかいう熟語を思いついたものだ。
同じ意味を表すなら天下〜、世界〜、宇内〜、四海〜、とかが順当なところ。

809 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/30(火) 07:52:37.63 ID:uQELkFJcO.net
>>808
二人のネーミングだけで現代に古装劇作ったら、訳のワカランビームや剣飛び交い空中戦当たり前の武侠まがいになりそうだな…

810 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/30(火) 10:08:16.87 ID:oIxhwyBB0.net
>>808
そりゃ太鼓持ちの一人や二人、四書五経諳んじてるやつおるだろうよ

811 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/30(火) 11:46:44.90 ID:vsw2meCk0.net
たとえばknightを騎士(ナイト)として発音するときにわざわざ綴りを意識しながら「ナイト」と会話で使用するのか、という話

漢文の読み書き能力と会話における語彙力は必ずしもイコールではないだろう、強い相関関係は否定しないけども

812 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/30(火) 13:42:10.99 ID:eVPSh9qv0.net
>>808
昔の暴走族がやたら画数の多い難しい漢字を知っててチーム名に使ってた、みたいな感じじゃないのか。

813 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/30(火) 14:48:07.62 ID:h8x8OaER0.net
>>807
漫画は難しいと思う。まず見た目が分からない。
漢服なのか、胡服なのか、髪を結っていたのか、頭を剃って辮髪にしていたのか。
漢族だからこう、胡族だからこう、と単純化もできない。
胡族でもある程度漢化はしただろうし、逆に漢族も胡化したはず。
漢化にも波があり、孝文帝で一度100%漢化しても、周と斉で再び鮮卑の風習に戻している。
胡族の風俗でも、匈奴、鮮卑、チベット系ではずいぶん見た目も違っていたはず。

無難にやるとすれば、胡族は全員フサフサしたの毛皮の帽子を被せて、筒袖の毛皮の服を着せて馬に跨らせれば
とりあえず胡人らしくなるが、あまりにも没個性。
符堅と勃勃と太武帝とでは髪も衣装も違っていただろうし。

814 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/30(火) 16:37:58.89 ID:jboRSYEQ0.net
そもそも100%の漢化は有り得ない
一度胡化してしまったら元の漢族には戻れない

815 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/30(火) 16:39:57.07 ID:h9WYNfjo0.net
>>808
参謀()の王偉あたりの進言やろ。

侯景の乱って陳慶之の息子の陳マや韋叡の孫の韋粲がやらかしたりして名将の二世三世の駄目ぶりも結構目立つ。

816 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/31(水) 00:36:18.31 ID:xSa9L/gG0.net
五胡十六国時代は北方謙三の作風が割と合ってそうな気がするので
一度書いて欲しいな

817 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/31(水) 08:29:41.13 ID:nf5fHPHW0.net
ソープ池

818 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/31(水) 16:40:56.63 ID:MwlOa/Um0.net
南北朝はもう書いてるだろ!

819 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/31(水) 19:06:26.05 ID:+fi65bTp0.net
チンギスの劣化版みたくなりそうだし書かんのでは?

820 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/31(水) 20:19:33.30 ID:MzG6RFzd0.net
>>804
「蘭陵王」は最後の方をちょっとだけ観たことがある。
ちょっと古いな。
先日「蘭陵王妃」もDVDリリースが始まったはず。
どちらも蘭陵王と北周武帝とヒロインの三角関係もののようだ。
他に陸令萱のドラマもあるし、中国では最近独孤皇后と隋文帝のドラマが続けて放送されたようだし、北斉北周隋辺りは向こうでもやはり人気の時代なのかねえ?

821 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/31(水) 20:33:36.53 ID:NeB702q10.net
北魏の研究が最近アツいからな。ネタが出てきてる

822 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/31(水) 20:56:46.68 ID:dONMf2Ld0.net
中国の歴史ものが何作も作られてるけど
三國志だけでも何作もある?

結構、武侠小説の雰囲気を感じちゃうんだけど
(導師、かって誓いを交わした女性とか)
そういう作り方が流行りなのかな

823 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/31(水) 22:00:50.17 ID:2vB9f4Jo0.net
>>820
女性が活躍(主人公)の歴史ドラマを多く作りたいだけど、

陸令萱、あんたは違う!

824 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/31(水) 23:08:29.53 ID:nf5fHPHW0.net
中華歴史ドラマは、女傑モノが多いな。
フウ太后や独孤伽藍、時代はもっと後になるが武即天とか。

ただ女性向けで、身分を超えた純愛とか、後宮での嫉妬やいじめとか、ドロドロした愛憎劇が多い。
あとビジュアル的にはきれいなんだけど、時代考証的にはどうなのかと。
中には、北魏の皇子でミュージシャンみたいなトレッドヘアの人物も出てくるし。
(いやこれはトレッドヘアではない、鮮卑拓跋部伝統の辮髪だ!と無理やり解釈すればいいのかもしれんが)

そんな俺は隋唐演義をレンタルで観ている
https://www.ch-ginga.jp/feature/zuitouengi/

825 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/11/01(木) 19:36:01.75 ID:VVnelpD80.net
明の時代でさえ皇后でも女性の諱は不明なことが多いのに
北魏はほぼすべて史書に出てくる女性は諱が残ってるな。
けっこう現代的っていうか、まっとうなセンスでつけられてる感じ。

826 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/11/03(土) 00:53:17.90 ID:AZeFktYM0.net
>>806
陳先生だと王羲之や陶淵明の話ならやる気でそう。

827 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/11/04(日) 11:32:53.16 ID:MmUrvTaM0.net
>>824
ドレッドヘアは「王女未央」の南安王・拓跋余ですな。
こちらは太武帝から文成帝の時代、「隋唐演義」は隋文帝から唐の再統一で終わってしまうけど、どちらも設定も人物も架空のものが多いし、ドラマだけでは全く歴史の勉強にならんね(勉強のためのものじゃなく楽しむためのものだけど)
南北朝や隋唐も含めて日本に入ってくる歴史ドラマは殷周から民国まで幅広いけど、スレの主題「五胡十六国時代」のものは見かけないな(五代も非常に少ないが)
向こうではどんなイメージなのか、動く石勒とか苻堅とか勃勃とか観てみたいけどなあ。
慕容垂や馮跋は一応韓ドラで観たことがあるけど。

828 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/11/04(日) 14:14:56.65 ID:LV8NqPj60.net
30年ほど前から中共主導で大々的な中華思想・文化の宣揚
→中国史上の異民族を敵視する漢族専用の民族主義が台頭(近年は一時期より沈静化してる)
→新中国の国是である中華民族史観と衝突


中国史の画期と言える重要な時代だけど
五胡十六国は扱いにくい、難しい題材なのよ

829 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/11/04(日) 21:35:36.56 ID:YtvubGww0.net
異民族に対して漢民族のアイデンティティーを守った者が中国で英雄になるなら祖てきとかもっと人気があってもいいはず
田中先生のウソツキ

830 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/11/04(日) 21:47:33.80 ID:Fo+pPjBa0.net
ぶっちゃけガイエの「中国武将列伝」ってきっちり書き下ろしたって言うより編集者とだべってる内容そのまま書籍化しただけだから。

ガッツリ書いたらまた違った形になるんじゃね。文庫のあとがきでも最新の研究との違いに戸惑ってたし。

831 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/11/04(日) 22:02:02.93 ID:TaW2WfVO0.net
謝玄とかガイエ好みの人物だと思うんだが
調査不足だったのか見事にスッカスカな取り扱い方だったのが悔やまれる

832 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/11/05(月) 16:55:58.16 ID:e/v8SBZB0.net
>>829祖テキの語られなさは本当何なんだろうな
屈指の名将で英雄なのに

833 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/11/05(月) 20:46:12.14 ID:AQRz6QdP0.net
呂光が西域から東帰した際、苻洛を盟主にして呂光に対抗すべしという案があった
もしもこの案が通った場合、どうなっていただろうか
呂光の後涼建国や、後秦との抗争にも影響はあっただろうか

834 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/11/05(月) 21:03:09.72 ID:TWobFjTW0.net
>>832
祖約のカスさが足を引っ張って
触らぬ神に云々

835 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/11/06(火) 19:50:04.31 ID:fqazM6rM0.net
梁煕が苻洛殺したのはミスなんだろうか

836 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/11/06(火) 20:01:47.82 ID:z97z+nyA0.net
>>835
梁煕自身の行動を見れば、呂光に対抗できる器ではないのは確か
軍を統率するにあたっては、苻洛に率いさせた方が勝率は上がったかも
ついでに隴西の苻登も召集すれば、さらに勝率は上がるだろうし

837 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/11/07(水) 15:59:24.70 ID:MlnvhXxq0.net
大敗して没落したとはいえ相手は大物の苻堅
苻堅を苻洛が倒したとして、もしくは呂光本人なのか呂光補佐の苻洛なのかしらんけど
苻堅の最盛期の頃の前秦まで復興させるのは難しいと言わざるを得ない。

力をつけた慕容氏と華北を分けた攻防になりそうだし、またそこに東晋の反攻もありうる。

838 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/11/07(水) 19:08:33.04 ID:ks13ULqp0.net
そもそも前秦は桓温の北伐の時点で滅亡してもおかしくなかったから。

839 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/11/07(水) 22:36:45.69 ID:9RM+PWYA0.net
禿髪破羌が北魏に帰順したとき、太武帝は「朕と貴殿はもともと同族である」といたく喜び、
新たに「源」という姓を授けたとあるが、
確かに漢字では「拓跋」「禿髪」は全くの別物だが、発音は「タクバツ」「トクハツ」とよく似ている。
やはり、禿髪は拓跋の訛りで、もともと同一の姓、同一の部族だったのだろうか。

更に後年、孝文帝は自らの鮮卑姓を、「元」という漢姓に変えたが、
これも同族の「源」と似た発音、似た意味ゆえに、「元」姓を名乗ったのだろうか。

840 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/11/09(金) 07:58:33.68 ID:vlEA3imC0.net
慕容と慕輿も謎

841 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/11/09(金) 08:03:23.99 ID:vlEA3imC0.net
調べたら慕容はmurong慕輿はmuyuで結構違うな

842 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/11/09(金) 08:39:35.22 ID:iuc9LTKw0.net
>>839
ゲンジバンザイやぞ

https://i.imgur.com/jbq0Lt9.jpg

https://i.imgur.com/dOGIbx2.jpg

843 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/11/09(金) 11:06:20.32 ID:Y1WcLwWw0.net
>>841
中古音で話しような
ピンインなんてあの当時つかっとらんぞ

http://xiaoxue.iis.sinica.edu.tw/
によれば、

容は jung
與は jo

で、これが鮮卑語からの転写と考えれば余裕で誤差の範囲内。

844 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/11/09(金) 13:12:26.12 ID:HuR1BrjX0.net
>>843
中古音って推定じゃなかった?
絶対視すんのは危険じゃね

845 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/11/10(土) 17:54:18.76 ID:fPO5bl0c0.net
慕與根て確か資治通鑑だと慕容根て書かれてたな。単なる誤記かそれとも何か根拠があってそうしたのか

846 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/11/10(土) 19:20:38.55 ID:GXRsE39o0.net
慕與埿ってのもいたな

847 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/11/10(土) 20:18:12.88 ID:0XksI7P70.net
皆さんのように史書の原典を読み込む力量はないから、あまり馴染みのない名前が出たらWikipediaを見てみる。
以前「慕容恪」を調べた時は高校世界史教科書で必須のメジャー中のメジャーな人物並みかそれ以上に文章量が多いものだからビックリした。
今回「慕與根」を見たら「慕容恪」ほどではないけどそれなりに文章があった。
皆さんのような玄人からしたらおかしなところは多いのかもしれないけど、五胡十六国時代や南北朝時代の人物は意外に充実している印象だね。
でも、例えば「劉毅」とか「于栗磾」とかはまだ項目がないけどね。
古代から隋・唐初ぐらいまでは割合充実しているけど、初唐から盛唐に入ろうとするぐらいから急に穴だらけになる。
詳しい人は是非ともどんどん埋めていってほしいもの。

「慕與根」に関連して慕容部の人を改めて調べたら何重にも段部の女性と婚姻していてちょっと面白かった。

848 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/11/10(土) 21:34:50.29 ID:KMJ4guQe0.net
慕容恪好きだけどWikipediaで列伝直訳みたいなのはやめてほしいわ

849 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/11/11(日) 07:31:46.48 ID:Kh+Eq+o40.net
劉毅が勝っていれば
南朝貴族制に風穴が開いた可能性が

850 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/11/12(月) 15:09:29.57 ID:u05cyEIL0.net
>>849
劉毅二流どころの貴族やぞ

851 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/11/12(月) 18:24:35.27 ID:RPhia6hO0.net
直近で光禄大夫(劉毅の叔父の劉鎮)を輩出している家が二流と言われると微妙な気持ちになる

852 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/11/12(月) 23:25:30.64 ID:AkQkarFZ0.net
>>839
太武帝の頃から帝室の漢姓は元であると決めてたのではないか
それで厚遇とけじめの両面の意味で元に通じる源の字を漢姓として禿髪破羌に与えたのではないか
もちろん同族という意味も込めて
というような考察を杉山正明氏がなされていたな

853 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/11/13(火) 02:08:28.42 ID:SlWFLmVu0.net
元々漢名は元姓て通してたんじゃ

854 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/11/13(火) 08:00:27.58 ID:g8EyZtUB0.net
河出版世界の歴史の三田村泰助『明と清』だったと思うが「愛新覚羅の漢名は趙」って書いてあったな。

耶律とか完顔とかはどうなのかは知らない。

855 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/11/13(火) 11:10:46.42 ID:HlvoSO7e0.net
完顔氏は王か宗
例えば烏珠(阿骨打の六男)が宗弼って漢名

856 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/11/13(火) 18:31:36.64 ID:NUuIM1Uw0.net
宗茂、宗猛「わいら兄弟も完顔氏」

857 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/11/13(火) 18:59:30.72 ID:+QPYJp3a0.net
慕容部ってほんと意味分からんくらいに内訌してるな。なんでこんなバラバラなんだ。司馬氏より酷くないか?

858 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/11/13(火) 19:01:30.60 ID:iKEp0ZQ10.net
よく五胡十六国時代に古代の漢民族が北方蛮族に入れ替わって
中国は土人化したと言われるけど
その後に世界帝国となった唐が建国されてるし、
更にその後の宋は中国文化の最盛期だし、上のような考えは甚だ疑問だわ
個人的に中国人が今のような土人になったのは元や明あたりだと思う
理由は分からんが

859 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/11/13(火) 22:15:53.69 ID:caQXpAN+0.net
元代はさほど儒教が重視されず、楊維テイ(木+貞)のような面白い人間類型も現れてきてた
そのまま元代が続けば、中国も儒教の桎梏から解き放たれてただろうな
次の明の朱元璋が儒教原理主義者だったのが運の尽きか、朱子学が拍車をかけたのか、
結局は激しく逆戻りしてしまったが

860 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/11/14(水) 00:51:33.06 ID:5IxpoFuV0.net
南北朝時代の北朝の封駁制度とか立憲君主制そのもので
正直皇帝の出来によって政情が左右される北宋以来の専制君主制よりよっぽど先進的なんだけどね

861 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/11/14(水) 12:29:09.33 ID:5cQnKWsA0.net
>>858
大日本帝国で日本人が土人化したのは朱子学と国学のミックスによるものなのは確かだぞw

862 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/11/14(水) 14:58:13.55 ID:C5x2Al930.net
水戸学とか言う歴代天皇に格付けするキチ思想

863 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/11/14(水) 18:27:37.01 ID:truCJzPe0.net
まあ水戸学の大ボス水戸黄門徳川光圀は
八公二民の大悪政で領民苦しめたキチですので

864 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/11/14(水) 19:47:53.48 ID:cQCDETdC0.net
芹沢鴨

865 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/11/14(水) 22:41:22.49 ID:X8wZuC0z0.net
まず何を以て「土人」とみなすのか。「文明人」との違いは?
ガチガチの因循姑息な儒教的価値観は、現代社会の視点では土人かもしれないが、
伝統的な中華の視点ならむしろ文明化している証だった。

もっと単純に、倫理観の欠如や残虐さを土人とみなすなら
南北朝時代は、純粋漢民族の南宋や南斉の方が殺戮や道義の荒廃が著しく土人じみていたと思う。
北朝の北斉も歴代皇帝が酒乱で荒れていたけれど。

866 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/11/14(水) 23:11:12.63 ID:+eXSUbl10.net
倫理観の欠如なんて話ししたら、
「そんなん当時の倫理観に合わせろや」
になるわなぁ

敵討ちのためなら女子供皆殺しにしても
称賛される世界やぞ

867 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/11/14(水) 23:23:19.54 ID:S9+Fu6ll0.net
父親の仇打ちのために徐州で虐殺した曹操は非難されてたから
やっぱ後漢末三国時代は五胡十六国時代と比べると倫理観がまともな方なんだな

868 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/11/14(水) 23:23:23.03 ID:c6hdTcvM0.net
「あるがままに見よ」
玉座最初の近代人といわれた神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世のお言葉です
世代はかなり違うが、まあ、朱熹と同時代人と言えなくもない

869 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/11/14(水) 23:44:41.31 ID:EAsBApaV0.net
>>867
馬超「せやな」
孫皓「せやな」

870 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/11/15(木) 01:52:53.44 ID:nDdwFvF10.net
>>858
大陸史上もっとも文明化しているであろう近代現代中国の人民が土人なら
土人未満の文化レベルであることが確実な唐宋の人民は一体なんなのさ、元明を待つまでもない

871 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/11/15(木) 08:33:23.08 ID:jytFcNl10.net
西晋と南宋、南斉は皇族間の殺し合いで自滅した。
曹魏は、皇族の権力を削いで冷遇したため、司馬氏の台頭を許して王朝の簒奪はされたが
愚かな同族間の殺戮はせずに済んだ。

魏の最後の皇帝曹カンは、司馬炎に皇位を奪われたものの陳留王に封じられ、
その後も曹家が代々王位を継ぎ、司馬王朝より長続きして南宋が滅びるまで命脈を保った。

872 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/11/15(木) 17:44:21.64 ID:8Rf3EADv0.net
それを言うなら劉宋だろ

873 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/11/15(木) 21:34:10.84 ID:8XvCZ5gW0.net
趙宋の時代がいちばん皇族の殺し合いや功臣粛清が少なかった時代だと思う

その趙宋も沙陀族など趙宋にも胡系の血は入ってるわけだから、五胡十六国の時代に漢民族に胡の血が入ったから中国は残虐になったという説はいただけないな。
新法、旧法の党争でも流刑までで暗殺もほとんどないってのは中国でも異例。
日本なら平安時代みたいな感じか。

874 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/11/15(木) 21:41:19.05 ID:u7rCcm3n0.net
>>871
きみには

二王三恪

って言葉をプレゼントしておこう
ぐぐってみたまへ

875 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/11/15(木) 21:42:32.97 ID:sPkfQjzR0.net
趙宋の時代は前の五代の殺戮にウンザリしてた連中ばっかだったんだろうな。
太宗(趙匡義)も「日本の天皇家は長く続いてて良いなぁ。やっぱり平和が一番だよ」とか言ってるし。

876 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/11/15(木) 21:56:41.62 ID:wBshBUhQ0.net
そういや、
宋代には一応は刑罰としてあるといった程度でほとんど行なわれなかった凌遅処死を
大々的にやり始めたのは明の朱元璋だったか

877 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/11/15(木) 23:46:43.90 ID:0OVi99ID0.net
沙陀族の後唐、後晋、後漢の武将だったわけだから影響は絶対にあったわけだけど、後周の郭、柴両氏、宋の趙氏も沙陀族か何らかの北族であるという見解は通説なの?

878 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/11/16(金) 00:58:40.90 ID:8j2GXaqb0.net
拓跋国家ならぬ沙陀国家かよ

879 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/11/16(金) 01:18:22.32 ID:CAeyOGYk0.net
>>870
惻隠の情
桃園の誓い

生存者いるけど脱線した新幹線埋めるお
花より金、あと道端にウンコするお

ふむ・・・やっぱ土人じゃん

880 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/11/16(金) 06:59:30.48 ID:AxCjQphK0.net
>>879
君が持ち上げる五胡侵入以後の中国に官吏の隠蔽行為がなかったとでも思っているのかね?
唐→宋代とかむしろ商人気質のチャイニーズ文化誕生に大きく貢献した時代でしょう

桃園の誓い?三国演義や水滸伝に描かれる中国社会は不正と腐敗と残虐行為のオンパレードじゃんよ
鉄道事故った胡錦濤政権期も腐ってはいたが上記の前近代中国よりはまず間違いなく平和やろ、凌遅刑ないしw

881 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/11/16(金) 07:33:30.77 ID:ArPbjQwq0.net
>>866
つか当時は日本もそうだけど仇討ちしないと「なんでアイツ家族の敵見逃してんの?ヘタレじゃん!」って言われる時代だからね。

法然みたいなのは特殊な例

882 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/11/16(金) 07:49:24.85 ID:r3pqpYcJO.net
>>880
噂レベルの逮捕されたホーリンコー信者のモツ抜き売買…も変形した凌遅っぽくもないかな?

883 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/11/16(金) 08:12:37.76 ID:ArPbjQwq0.net
>>882
ひえもん取りやぞ。

https://i.imgur.com/OWWxx6q.jpg

884 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/11/16(金) 08:37:45.28 ID:kVOOI53I0.net
唐以前は夜間の外出を禁じられていたけど
宋代には自由になって街は夜も賑わい、中にはコンビニのように24時間営業の店もあったらしいからな。
それだけ平和というか治安は良かったんだろう。

885 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/11/16(金) 08:56:31.80 ID:8j2GXaqb0.net
どこまでホントなのか知らないが少し前のNHKの番組で
中国では「宋代の文化」が「真正のザ・中国文化」みたいな感じに見られてて人気があって
(日本で京都奈良が観光地として人気があるようなものか)
宋代の建築様式の影響を受けてる鎌倉の禅寺が中国人観光客を集めてるって話だった。
中国本土ではその時代の遺跡があまり残ってないらしい。

886 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/11/16(金) 09:08:07.12 ID:ZSlCt4Uy0.net
足利義政とか言う徽宗皇帝の生まれ変わりもおるしな

887 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/11/16(金) 17:36:19.67 ID:AxCjQphK0.net
>>885
そうでもないような…
宋代は現代に続く近世以降の文化が形成されたという意味でザ・中国文化と見られているけど
それゆえに新鮮味やインパクトに欠けるところがある

888 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/11/16(金) 23:08:25.65 ID:QQVfbDyA0.net
自身の天下に燕雲十六州が欠けていることを気にするあまり色々と拗らせて、
やたらと観念主義的だった王朝という印象だな
あの手の平クルクルして自滅する有り様は、李氏朝鮮の満洲のホンタイジに対する外交とだぶるわ

889 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/11/17(土) 00:42:31.71 ID:O+o2ZMZF0.net
ぶっちゃけ条約結んでからぶん殴るのは韓信や李靖もやってるからね。
失敗したから間抜けなだけで。

890 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/11/17(土) 02:07:10.15 ID:1SsDazYZ0.net
何回も同じパターンで負けて華北失ってるのがなあ。学習能力無さすぎ感

891 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/11/17(土) 04:08:11.73 ID:lyT5xFL80.net
面子と功利主義で手の平クルクルしすぎて手首を痛めた宋代士大夫

892 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/11/17(土) 05:51:49.10 ID:GjaeLcXw0.net
>>890
後晋と遼もやらかしてるのを見てると文治云々はあんまり関係なさそう

893 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/11/17(土) 09:23:11.68 ID:o05zEQSD0.net
>>890 >>892
ぼくらには西晋という大先輩がいるじゃないか

894 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/11/17(土) 16:51:02.44 ID:lyT5xFL80.net
禁軍百万「(カタログスペックは) 圧倒的じゃないか我が軍は!」

895 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/11/17(土) 18:40:41.07 ID:sByT2evU0.net
鳩摩羅什の伝記が最近また何冊か出てるな。

この時代一番掘ってるのが仏教関係ってのがもうね

896 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/11/17(土) 19:37:24.72 ID:Q9Ox/vJ+0.net
>>895
文選をはじめとする文学関係の方がこの時代掘り起こしてるでしょ

897 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/11/17(土) 19:48:22.53 ID:Q6Nl3oF90.net
南無妙法蓮華経

898 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/11/18(日) 01:28:27.98 ID:/hdkD3Sh0.net
皇室は税金使ってでも維持する価値はある
世界で最も偉いのは日本国天皇(emperor)とローマ教皇(pope)の二者だしな
アメリカ大統領(president)や英国女王(queen)でさえ天皇には上座を譲る

899 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/11/18(日) 08:30:54.07 ID:bTKKiqk/0.net
中国も皇帝たてたらいいのに

禹の末裔を募ったら、わらわら出てくるぞ
匈奴民族主義に目覚めて劉姓を捨てた勃勃ですら、禹の子孫を自称したのだから

900 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/11/18(日) 09:02:04.23 ID:9U0yDxur0.net
五胡的には天皇号の元ネタの天王号に触れないと

901 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/11/18(日) 09:27:52.80 ID:+u84gzJo0.net
>>900
あれは唐朝由来なんじゃないの?

902 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/11/18(日) 10:43:51.21 ID:12rpbqAXO.net
>>901
その通り。
唐朝の天皇号の淵源に天王号はあるけど、日本のは直接には高宗の天皇号。
隋の頃はまだ日本は大王号(天子は書紀の文飾の可能性あり)。
天王号が日本に伝わっていたら、一時的にしろ天王を称した時期がある筈だが
今の所考古方面からも天王号を記した物が出土してないので、日本は大王から一足飛びに天皇号を採用したのが自然かと。

903 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/11/18(日) 14:13:05.69 ID:BP64flfX0.net
>>899
赫連勃勃(`・ω・´)カッコヨス
統万城の遺跡や石馬のようなものを今の世に残せたのも、
それくらいの矜持があったからこそなんだろうな
彼の寿命が今少し長ければ、遼、金のような征服王朝を建てられたはず

904 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/11/18(日) 14:40:46.36 ID:vzcGYoan0.net
佛佛虜というパワーワード
何か信心深くて虫一匹殺せないイメージ

905 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/11/18(日) 15:49:44.37 ID:wLw6DRIX0.net
>>899
わらわら出てくる人民は皇帝に立てる価値ないやろw
新中国成立以降も自称帝王は結構出現したがツイッターランドに物笑いの種を提供するだけじゃ

906 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/11/18(日) 19:21:54.52 ID:12rpbqAXO.net
>>905
だわなあ。
大巴山のユーホアン大帝とか漢字で書いたら玉皇大帝なんだもの、完全に珍走族レベル。
そんな大巴山脈に蔟生した小皇帝達が、即位してしばらくしたら警官3人とか村書記一人とかに滅ぼされてるのを思えばねぇ。
そんな中、山東半島で童貞を集めて後宮を作ったという女帝さんなんか一体どんだけだったのやら。

907 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/11/18(日) 19:31:06.77 ID:cE0zgY9m0.net
前趙とか後趙のころから
前秦、後秦、燕を建国した連中は、有力部族として存在してたみたいだけど
一応、配下として大人しく仕えてたのかな
半独立集団として存在してたのかな

「信長の野望」でいうと
配下武将として使えるか、領地内の独立勢力として厄介者なのか的な

908 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/11/18(日) 19:49:35.08 ID:+u84gzJo0.net
>>907
慕容燕は後趙時代は親晋で遼東の隅っこでずっと抵抗してた

遼東国が二度も中原の覇権を握るとか三国時代ならあり得ん展開

909 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/11/18(日) 20:55:29.77 ID:tnJLRKW/0.net
意外と遼東とか隴西とか国力あるよな。中原が荒れてたのか

910 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/11/18(日) 20:58:48.98 ID:BP64flfX0.net
拓跋鮮卑、鉄弗匈奴、吐谷渾、高句麗
中華周辺部の在地で実力を養った勢力ほど長続きするような気がするな
早々と中原に進出した勢力ほどポシャるのも早いような
中原に進出せず、自身の政治体制や民族文化を保ったまま、南モンゴルから支配するのが一番良いのだろう

911 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/11/18(日) 21:02:19.82 ID:DA94XfoS0.net
劉淵の新興劉氏も石勒の出た羯族も塞内に移住して何世代も経過しているっぽいから
実はそこまで異民族として蔑視されていなかったんじゃないかと思うときがある

912 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/11/18(日) 21:09:56.57 ID:u/ZkpkzG0.net
>>905
袁術みたいな偽帝レベルの人なら現代でも勃勃出てきてるんじゃないかな。

913 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/11/18(日) 21:31:34.79 ID:EDGluaz00.net
劉淵ファミリーはそれこそエリート士大夫じゃん。

長老劉宣の学問の先生って鄭元、王粛(司馬家の外戚)の弟子筋の孫炎だったり、劉淵の後見人格の太原王氏(王昶、王渾、王済)も司馬家の外戚。劉聡も河間王司馬顒の故吏だった時期がある。むしろこんだけ司馬家とベッタリなのに愛想つかされるってのがもうね。

914 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/11/18(日) 22:15:24.78 ID:DA94XfoS0.net
劉淵さん家と劉虎(鐵弗部)、劉庫仁(独孤部)あたりが親戚とは到底信じられないんだが
いったい何なんだろうな

915 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/11/18(日) 22:31:48.14 ID:BP64flfX0.net
生女真と熟女真の違い、
金王朝成立後、中原に行った女真族と故地に残った女真族の違い、
みたいな

916 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/11/19(月) 00:04:28.44 ID:PdtrPf2d0.net
石勒は普通に奴隷狩りされてたから蔑視されてないは無い

917 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/11/19(月) 00:28:38.83 ID:w31H/Gaf0.net
>>914
そう?
独孤はめっちゃ劉渊っぽいし、
鉄仏はめっちゃ劉曜っぽくない?

918 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/11/19(月) 00:29:18.28 ID:u0AZ5BML0.net
むしろ石勒はあれだけ悲惨な目にあっても報復を司馬家のみに止めたのが凄い。

919 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/11/19(月) 02:57:11.82 ID:OAxZVPEy0.net
>>912
袁術レベルの謀叛人になれる政治力を持った臣民は一握りしかいないのでそれはない
多種多様な集団が大陸中に割拠していた20世紀なら割といたかもしれんが

920 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/11/19(月) 10:32:33.54 ID:w31H/Gaf0.net
>>918
埋められた数万の人たち「ワイら司馬氏じゃないねんけど…」

921 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/11/19(月) 10:50:22.60 ID:QV5yxm/P0.net
王衍「ほんとはワイは政治に興味ないし出世したくなかったし一日中清談して暮らしたかったんや…だから晋が滅んでもワイには責任はないんや…」
石勒「ええ…名門貴族に生まれて若い頃から出世しまくって位人臣を極めておいてなんやこいつ…(困惑)」

922 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/11/19(月) 12:06:34.18 ID:3OpkC0ts0.net
>>902
百済新撰に大倭天王がいるじゃないか

923 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/11/19(月) 16:27:25.16 ID:i/yibXGh0.net
【ウヨクこそ日本の敵! 世界教師は何を語る?】 権力犯罪に目をつぶるな、マ@トレーヤが人類に忠告
http://rosie.5ch.net/test/read.cgi/liveplus/1542593726/l50

924 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/11/19(月) 19:58:57.83 ID:PdtrPf2d0.net
>>921
辞職しとけやボケって話だわな。清談(笑)

925 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/11/19(月) 20:00:13.86 ID:lNl54qX+0.net
>>921
徳無き中原の人々を嫌って、有徳の夷狄に天命が降った、
ということやね
周も秦もかつては西方の戎扱いされていたことを考えると、
徳があれば、漢族であるかどうかなど問題ではないのだろう
中華とは夷も包摂して広がっていくもの、夷華一家、といったところか

926 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/11/19(月) 21:20:44.63 ID:7Zr2tiVe0.net
始皇帝の墓  人形が沢山
劉禅の墓  何度もぶっ壊されてる
楊貴妃の墓  傾国の遠因になった人物だがなぜか一応ある
万暦帝の墓  文革の時に掘り出されて遺体にオイルかけられ燃やされた
毛沢東の墓  遺体は防腐処理を施され永久保存

927 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/11/19(月) 23:53:59.62 ID:oez11gYd0.net
毛沢東の墓も100年後には燃やされてそう

928 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/11/20(火) 10:47:22.51 ID:b/bfP9MG0.net
始皇帝の墓は、内部が機械仕掛けで、今でも水銀の川が循環し、
盗掘目的で侵入しようものなら、弓を持った兵馬俑から矢が放たれて、射抜かれて死ぬんじゃなかった?

ちなみにからくりを設計した者も、そのまま内部に閉じ込められて見殺しにされたとか。

929 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/11/20(火) 17:45:36.62 ID:vs7IIOjP0.net
>>925
中華蘇維埃共和国西北連邦「せやな」

周王朝「漢族ってなんやねん?」
秦王朝「暴力で脅して土下座させる武徳が大事やね」

930 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/11/20(火) 22:50:26.10 ID:y8EvsmjY0.net
夷華一家、五族共和、五族協和
苻堅や民国や日本の夢と理想やね

931 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/11/20(火) 22:50:46.81 ID:Qh4SX9xq0.net
八紘一宇

932 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/11/21(水) 23:39:24.73 ID:B0toEFSL0.net
「周と秦は西戎」 「隋唐は鮮卑」

中国伝統の礼楽や諸思想は周代に成立、
度量衡や文字を統一し、中央集権体制や皇帝制度を確立し、中華文明の根幹を完成させたのは秦
さらに日本にも影響する律令制度を整え、科挙を実施したのは北魏〜唐


ぜんぶ夷狄の功績です。漢族は何を生み出したの? となってしまう。
漢族はヨーロッパ人みたいなもんかな。
文字や宗教はもちろん、食文化や音楽、スポーツ、ゲーム、化学から数学までみんな中東から取り入れながら
自らの西洋文化として発展させ、逆に輸出してきたヨーロッパ人みたいに。

933 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/11/22(木) 15:25:47.03 ID:2+dVp+pQ0.net
唐太宗で「鮮卑は漢なり、漢は鮮卑なり」といえる状態になったといえるだろう。

漢って川という意味があるから灌漑農業と中原での生活が定着したらそれで漢民族。

934 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/11/22(木) 19:50:14.39 ID:i6HvFa+W0.net
>>932
宋の太祖趙匡胤もテュルク系みたいなんだよね
そのあり方もマムルークに似てる

まあ、十年九旱一水といわれる中原の地で治水灌漑して農耕しようというのが、そもそも無理があったのだろうな
年間降水量が1,000mm未満という乾き具合、黄河下流・淮水といった難治の暴れ川、
これらに大陸ならではの規模の蝗の大群の襲来が加わって…
これでは、農業を安定させるのは至難の業というもの
不作→飢饉→流民→社会不安→反乱のコンボが頻発するのもむべなるかな
むしろ遊牧の方がこの地域には適しているのだろう
遊牧民が南下するのも必然と言うべきか

935 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/11/22(木) 20:18:10.17 ID:JkY0tCSB0.net
>>932
北周が府兵制を「周礼に基づく制度です」って説明してたな。

936 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/11/22(木) 21:01:58.02 ID:Sq2C/Tw40.net
三国志とか史記は日本語訳されてるけど
他は漢書くらい?
他の時代の歴史書(正史?)が翻訳されてない(目につかない?)のは
一般受けしないからなのかなあ

937 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/11/22(木) 21:17:42.70 ID:pfQ8MlcV0.net
完訳は史記、漢書、三国志まで。
一部訳や妙訳なら結構ある。

つかちょっと前にも「隋書」の妙訳出てたし。

938 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/11/22(木) 21:19:58.15 ID:ryEIg2+K0.net
みょ…抄訳

939 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/11/23(金) 01:05:25.67 ID:LrFi254W0.net
晋書は地理志とかもあるみたいだな
晋書自体は嘘くさい内容が多いけど三国志の知識求める人には地理志がありがたいとか

940 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/11/23(金) 01:07:05.90 ID:pWcX7KoK0.net
晋書は東方書店行ったら貨殖志が置いてあったかな

941 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/11/23(金) 03:05:41.92 ID:z9cDA/Vk0.net
>>938
『智恵子抄』を「ちえこみょう」だと思い込んでた。
そんな時期が俺にもありました。

942 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/11/23(金) 05:30:38.71 ID:4+LFeeA+0.net
晋書が嘘くさいと言われても…

943 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/11/23(金) 07:46:37.08 ID:KaBMmYQW0.net
魏書「許された」

944 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/11/23(金) 08:22:03.02 ID:7buDO0030.net
中国服飾史図鑑 第一巻
http://www.kokusho.co.jp/sp/isbn/9784336063120/

たっけえw値段みただけで死ぬw

945 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/11/23(金) 14:59:17.87 ID:xqKMMiHz0.net
新書でこれか
流通も少ないだろうし古本でも安くなる事はないんだよこの手のやつ

946 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/11/23(金) 15:43:19.58 ID:vAgsbU/B0.net
>>932
漢民族は貴族制の創設者
日本の三位以上の上級貴族公家と四位五位の下級貴族武家の身分差を作り出した位階制の淵源たる九品官人法最強

947 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/11/23(金) 17:03:10.03 ID:8nx4wNrE0.net
日本史で劉宋と倭の五王との関係が出てくるけど、
飛鳥奈良時代の鮮卑や北魏と関係があったらしいことも注目

平城-平城京
元号には天平、神亀など北魏の元号が流用されている
騎馬民族説はほぼ否定されてるが日本は北朝の影響もかなりあるのかも

948 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/11/23(金) 17:28:30.78 ID:zozyQ9KR0.net
天保が北朝(北斉)と南朝(梁)の両方で使われてるのほんと草

949 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/11/23(金) 18:09:12.75 ID:2Pl0OUWg0.net
天保=付き従う臣民がたった10人

950 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/11/23(金) 20:08:33.60 ID:bUlm2yO00.net
「聖武」、「嵯峨」も、もともと北魏で使われていたらしい。
日本で作られた初期の仏像は、「北魏様式」。
源氏も、太武帝が禿髪破羌に同族のよしみで授けた「源」姓に由来すると言われている。

大和朝廷の成立に関わった渡来人の中には、拓跋系の人間がかなり混じっていたのかもしれない。

951 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/11/23(金) 20:15:22.17 ID:bUlm2yO00.net
まあ隋唐自体が拓跋国家だから、渡来人に限らず
中国文化を吸収してきた使節や留学生らによって日本が拓跋化したのかもしれない。

952 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/11/23(金) 20:27:22.30 ID:4+LFeeA+0.net
拓跋国家の定義ってよく分からんよな
そもそも拓跋部からして鮮卑か匈奴かも分からんから胡散臭さ満載
北魏を解体した爾朱氏も宇文氏も高氏も元(拓跋)氏の旧来からの姻族ではなかったわけだし
北周や北斉が首都を平城か洛陽に置いていたら、まあ北魏の後継目指していたのかな?と好意的に解釈できなくもないんだけど、両国ともまったく別のところに置きやがったし

宇文泰と高歓は地方からの一発逆転感こそあれ拓跋というエスニシティは薄いでしょ

953 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/11/23(金) 20:45:38.08 ID:z9cDA/Vk0.net
>>950
飛鳥大仏は雲崗の石仏のパクリだからな

954 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/11/24(土) 00:23:35.94 ID:oOO39nCr0.net
トルコ「東アジアはワシが育てた」

955 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/11/24(土) 00:25:07.75 ID:M2n5tP9y0.net
拓跋国家というのは、大雑把に「北魏から派生した国」「北魏の後継国家」くらいの意味で、
厳密に拓跋部との姻戚を意味するのではないのでは
北魏の支配層自体、鮮卑と匈奴の集合体みたいなもんで、前時代の五胡を上手くまとめたんだと思う

宇文氏は匈奴系鮮卑、高氏は鮮卑化した漢族といわれ、拓跋系の部族ではなさそうだけど
どちらも漢化政策を改め、北魏本来の鮮卑の旧習に戻している
隋唐の楊氏や李氏も、漢族なのか胡族なのかルーツは不明
ただ北魏六鎮の軍閥出身で、漢化に抗い北族の気風を強く持った集団の子孫であることは確か
どちらも北族の中でサラブレッド的血統(匈奴単于の家系)である独孤氏と姻戚関係を結んでいるし

突厥など塞外民族も、唐を北魏の後継とみなし、「タグバチ(拓跋)」と呼んでいた

956 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/11/24(土) 00:29:39.67 ID:HBOgqsFy0.net
拓跋が匈奴か鮮卑かって話、
当の拓跋からすりゃ「うるせーバカ」だったろうなw

だってあの辺、鮮卑と匈奴とでガンガン通婚してるし、
本来分ける意味も必要性もない何かを、
大漢帝国様大晋帝国様が強引に切り分けた印象がある。

957 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/11/24(土) 00:37:42.56 ID:Xh8pPamF0.net
赫連勃勃の娘は太武帝との間に子供いないんだっけ

958 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/11/24(土) 05:56:03.04 ID:Gv9hNCMx0.net
>>955
そしたら「拓跋国家」という概念はあんまり意味なくて「北朝」で括った方が実態に即してるような気がするんだがね
「南朝」を「北府軍閥国家」という括りにするようなもので、王朝の特性を無理に狭めすぎてるような気がするわ

959 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/11/24(土) 08:35:19.54 ID:IJ9tG3IW0.net
>>932
律令始めたのは西晋だぞw

960 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/11/24(土) 08:36:29.78 ID:IJ9tG3IW0.net
>>947
源姓忘れているw

961 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/11/24(土) 08:59:37.04 ID:Mahxx7Ga0.net
太武帝「羌を破るとかヘイト丸出しの名前やめーやゲンジバンザイ」
禿髪破羌「ゲ、ゲンジバンザイ」

962 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/11/24(土) 12:30:58.18 ID:oOO39nCr0.net
>>961
ジャパン文明の特徴たる、ヒャッハー武士政権は胡族王朝が起原なんやな

963 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/11/24(土) 13:24:27.90 ID:k6R2hwNj0.net
>>954
沙陀突厥はともかく鮮卑はトルコ系じゃないだろ

964 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/11/24(土) 13:47:31.93 ID:oOO39nCr0.net
>>963
北族帝国の始祖である匈奴をトルコ系認定しているので無問題

965 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/11/24(土) 14:01:11.72 ID:fOyK8yLF0.net
司馬業が殺されるところを何度も楽しく読んでいたのに保存しないでおいたとは、馬鹿なことをした
俺が生きてる間にはそこまで辿り着かないだろうな

966 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/11/24(土) 14:06:56.55 ID:ZTqogfBo0.net
中国史勉強してるときのぼく
「漢や唐は外戚や宦官の専横によって滅びました」「はえーそうなんだ」

日本史勉強してるときのぼく
「藤原氏政権や平氏政権は一族を皇后に送り込んで栄えました。鎌倉幕府は頼朝直系が滅んでからは北条氏執権体制になって栄えました」「はえーそうなんだ」

なぜなのか

967 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/11/24(土) 18:57:20.51 ID:rX96AdHu0.net
汚職と身内への利権配分が少なかったかなあ
中国の汚職は国家予算に穴あける規模
配分する原資が少ないのも原因

968 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/11/24(土) 19:11:13.05 ID:oOO39nCr0.net
>>966
ハプスブルク帝国「文化が違うんやろね」

969 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/11/24(土) 20:33:49.24 ID:ZTqogfBo0.net
北魏「外戚の専横を避けるために皇帝に即位したら生母を殺すようにしておいたぞ」

970 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/11/24(土) 20:40:52.31 ID:M2n5tP9y0.net
>>957
勃勃の娘は、統万城が陥落したときに連行されて太武帝の後宮に入れられたらしいね。
その後5年で皇后まで上りつめている。
勃勃が超絶イケメンだったらしいから、娘も絶世の美女だったのだろうか。

子供についての記述は無い。太武帝が殺され拓跋余が即位すると皇太后になり、
半年後に文成帝が即位すると太皇太后になり、その翌年に死去したとある。
兄弟たちも太武帝によって殺されているし、皇后といえども幸せではなかったのかもしれない。

971 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/11/24(土) 21:15:16.80 ID:pB+OijFJ0.net
>>966
そりゃ北条氏は政敵片っ端から族滅してるし

972 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/11/24(土) 22:08:11.99 ID:H2ubRQDJ0.net
>>969
明元帝「母上・・・」
宣武帝「こんな野蛮な慣習は父の漢化政策に反するし廃止だ」

973 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/11/25(日) 01:24:30.17 ID:zGHhpgks0.net
>>964
汎テュルク主義とか絡んだりするとそこら辺ややこしいな

974 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/11/25(日) 02:04:52.22 ID:MDL+ZiKK0.net
宣武帝、有名な前代の孝文帝と孝明帝期からの六鎮のゴタゴタ開始の間の
皇帝でそれほど話題にのぼらないがけっこう興味がある。

・朐山の戦い、鍾離の戦いで梁に大敗北
(でも宣武帝の代では北魏は比較的安定してたし、孝文帝改革は父より反乱もなく進んだからかなり有能?)
・陵墓が発掘公開
http://j.people.com.cn/n3/2016/1207/c94659-9151948.html

・慕容恪を推す人がいるけど名前が同じ元恪

975 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/11/25(日) 02:36:01.65 ID:2grda8wR0.net
>>969
普通にこれ正しいと思うわ。最低でも流刑にしろ

976 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/11/25(日) 07:01:33.99 ID:xscGtsUE0.net
孝文帝って反乱に苦しむ蕭鸞との対峙の末の決め手を欠いての撤退だから普通に戦争弱いよな

977 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/11/25(日) 11:02:07.86 ID:Ndy5O9CF0.net
>>969
北魏の歴代皇帝の生母がことごとく漢人なのもそのせいかもね。
「残酷つっても、どうせ死ぬのは漢人なんだし、うちら関係ねーわ」くらいの認識だったのかな。
おかげで拓跋君の体内に流れる鮮卑の血は1/32とか1/64になってしまっている。

978 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/11/25(日) 11:09:31.76 ID:AQLESMJr0.net
武帝@前漢「皇太子の生母は誅殺した方が良いってはっきり分かんだね」

979 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/11/25(日) 14:30:34.41 ID:7jTwGHkX0.net
【ウーマン村本】 やったぜ日産? いや政治家からしたら、やったぜ無関心な国民、やったぜ水道民営化
http://rosie.5ch.net/test/read.cgi/liveplus/1543111218/l50

980 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/11/25(日) 18:37:51.89 ID:c1fXZsZ80.net
>>977
母系が鮮卑系な東晋の悪口は止めろ

981 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/11/26(月) 18:45:31.64 ID:49IloivD0.net
王敦「誰だ母系が鮮卑系な東晋の悪口言ってる奴は!」
孫権「俺鮮卑系じゃ無いんだがお前鮮卑系だろと時々言われるorz」

982 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/11/26(月) 20:51:45.31 ID:dTpDfUZ40.net
孫権: 南方の血をひき、紅毛碧眼
東晋明帝: 母が鮮卑人、髭が黄色かった
まるでコーカソイドの血が混じってるかのような記述

ただ、鮮卑人はモンゴル系だから、人種的には典型的な北方モンゴロイドで
乾燥に強い分厚い皮膚と扁平な顔貌という特徴以外は、漢民族とはほとんど差異が無いような気がするが。
孫権も東南アジアの血が混じってたかもしれないが、今のベトナム人やタイ人をみて紅毛碧眼のようにはみえない。

983 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/11/26(月) 21:09:56.17 ID:opuA67Bh0.net
移民受け入れか
自ら戦わなくなりゲルマン傭兵を入れたローマ帝国みたいだ

984 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/11/29(木) 08:58:14.54 ID:pNmm060M0.net
お前ら誰か新スレ立てろよw

いいけど。立てるの嫌いじゃないし。

https://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/chinahero/1543449392/

つうわけで新スレなー

985 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/11/29(木) 09:48:57.90 ID:rYOncz9B0.net
>>984
アザース

986 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/11/29(木) 13:47:02.96 ID:gPERjuoy0.net
これ書きこまないとすぐ落ちるんだっけ?

987 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/11/29(木) 14:26:28.62 ID:Tf+oENIF0.net
>>986
ならば埋めよう

988 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/11/29(木) 16:13:56.25 ID:7MDoA44T0.net
石勒「埋めるならまかせろ

989 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/11/29(木) 16:27:36.05 ID:kY27p4Sp0.net
白起「因果応報」

990 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/11/29(木) 17:15:35.70 ID:lp+/xioz0.net
蒙恬「司馬遷の野郎は意味不明な因縁つけてくるから信用するな」



>>984

991 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/11/29(木) 21:48:40.80 ID:XDWsQLP00.net
>>984
乙弗

992 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/11/29(木) 21:48:56.82 ID:XDWsQLP00.net
鉄弗

993 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/11/29(木) 21:59:52.14 ID:Tf+oENIF0.net
やっべー次スレの「前スレ」、直すの忘れてた☆
まぁいいや。

994 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/11/29(木) 22:01:00.61 ID:Tf+oENIF0.net
つーか次スレでコーソコーソ言ってねえでこっちを先に埋めろと

埋めるぞ

995 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/11/29(木) 22:03:32.87 ID:Tf+oENIF0.net
烈祖と言えば昭烈帝たん!

つーか劉備と曹叡の廟号一緒なのか…
って、曹叡ってたしか生前に自分の廟号決めたんだっけ?

996 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/11/29(木) 22:05:33.66 ID:Tf+oENIF0.net
石勒さんならきっと「劉備? いやあんなん李雄だろ要するに?」って切り捨ててくれるに違いない

997 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/11/29(木) 22:07:25.82 ID:Tf+oENIF0.net
高長恭なんて雑魚をサーヴァント化する暇があったら苻堅をだな

(ヒント:知名度)

998 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/11/29(木) 22:08:57.82 ID:Tf+oENIF0.net
この時代の人物の知名度って言ったら結局王羲之に無双されて終了なんだよな…あとはクマーラジーヴァか

999 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/11/29(木) 22:10:35.30 ID:Tf+oENIF0.net
このスレを見ているキミ!
アンカーはキミに任せた!

盛大にぶっ放してくれたまい!

1000 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/11/29(木) 23:28:27.95 ID:PTlOz7Hw0.net
1000

1001 :2ch.net投稿限界:Over 1000 Thread
2ch.netからのレス数が1000に到達しました。

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