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【僧で】安国寺恵瓊【大名】

1 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/05(水) 12:18:27 ID:iC2bKzoh.net
愉快な坊さんです。

2 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/05(水) 12:51:58 ID:+SW3n/tf.net
西軍の敗戦も予言できなかったのか

3 :公孫参:2006/07/05(水) 13:38:43 ID:wMvsEqxL.net
公孫参が参げつと

ついでにこのスレの予測…だらだらとレスがつくが、149でdat落ち

4 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/05(水) 23:31:10 ID:ed0eaaQG.net
直江兼続と同じで秀吉に騙されて
人柱にされちゃった人

5 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/05(水) 23:37:54 ID:sL5GLCbO.net
日本のラスプーチン

6 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/06(木) 02:20:23 ID:YUFRZ0qv.net
毛利氏守るための人柱となった人物の名前を書くスレでつか

7 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/06(木) 13:30:24 ID:HPo1UOz5.net
織田家の没落と秀吉の台頭を予言した人物ですが、自分の死は予言できなかったようです。

8 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/08(土) 02:35:39 ID:xq/lO9hs.net
なんで処刑されたんだろ。

9 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/08(土) 10:49:46 ID:DAwPHjJ7.net
逃亡に失敗したから

10 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/09(日) 02:43:59 ID:hjP+dGUB.net
輝元担ぎ上げたから

11 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/09(日) 15:10:29 ID:i+beNE60.net
まぁどちらにしろ大名ではない

12 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/09(日) 15:34:11 ID:Cg23sS6i.net
伊予6万石の大名ですよ

13 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/10(月) 13:28:08 ID:z438m1Hw.net
何故だろうね
西軍主力のうち大谷吉継は討死
石田、小西は処刑
宇喜多は逃亡
長宗我部(戦ってないが)は土佐に逃げ帰る

早い時期に捕まったからだ、と言ってみる

14 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/10(月) 15:04:04 ID:b7GW1ncB.net
残ってたら子孫は武田を名乗るんだろうか。

15 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/10(月) 16:21:25 ID:z438m1Hw.net
徳川の名門好きで高家当確


かな?

16 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/11(火) 12:32:06 ID:sk2AnNHm.net
>>12
大名じゃないよ
伊予6万石というのも、知行宛行状も出した形跡ないし、伊予和気郡も恵瓊の所領というより、代官地と思われる
それに安国寺恵瓊が「大名」として「家」を為してなく、家臣もいない
関ヶ原の時も、毛利から与力を付けられて、その与力の兵で軍勢を形勢している

17 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/11(火) 14:22:18 ID:/r1z8yaU.net
>>16
代官地ってのは、「誰の」代官なのかな。
小早川隆景領もしくは毛利一族の誰かの代官なのか豊臣政権直轄領の代官なのか。
関ヶ原の時以前、朝鮮出兵の時点で「安国寺与力衆」の存在があったようだがこれも毛利からつけられたものか
どうか。
どちらも毛利なら毛利の家臣だし、豊臣直轄領の代官なら存在が微妙なものになる。
もっとも、この時代は直轄領付近の大名に代官をさせているので「毛利輝元に代わって豊臣領の代官を務めてい
た」という可能性もある。

18 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/12(水) 16:37:55 ID:a0oePZNo.net
代官の意義がわからないけど、任地に行かない代官っているのかな、と言ってみる

19 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/12(水) 23:48:57 ID:TOfKt/Mw.net
相当な酒好きで、
毛利家の重臣佐世元嘉と会談した夜などは、酔がまわって、
挙句の果てはみめよい若衆をそばに寄せ付け、輝元側近の御若衆などを随分呼び出すという事をしでかしたらしい。
翌日彼は書状でこの事を詫びている(毛利家文章)。

このような人間くさい一面もあるんですね。

20 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/13(木) 03:18:25 ID:DHQurhI+.net
要は生臭坊主か。

21 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/13(木) 14:32:50 ID:AHjEoA4W.net
恵瓊は臨済宗のお坊さん

安芸安国寺に身を寄せ、笠雲恵心と出会い、京東福寺で修行
後、安芸と備後の安国寺住持
その後、京東福寺、南禅寺住持

22 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/13(木) 22:05:06 ID:U1+y0OUL.net
まあノストラダムスよりは凄いことは確かだ。

23 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/14(金) 21:40:27 ID:HOqz1wlt.net
高松城下における和平交渉は、毛利・羽柴どちらから持ち出されたんだろう。
定説では羽柴側から持ち出されたようになっているが、
当時の秀吉や恵瓊の書状によると、どうも毛利側から持ち出されているのが真実のようだ。

24 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/15(土) 23:57:04 ID:9f7NjmDi.net
武田信重の遺弧

25 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/18(火) 20:56:50 ID:AMSzkDOb.net
恵瓊は親父の仇毛利の外交僧になるのに
どんな心境だったのかな?

26 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/18(火) 23:20:48 ID:08lN5u2Y.net
石田三成、小西行長はともに伊吹山中に隠れていたのに
彼一人京都を目指したのは、ここに知友が多かったためであろう。

27 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/20(木) 14:59:12 ID:9OYjOJEo.net
恵瓊は建仁寺の再興にも係わってるし、(大方丈は恵瓊が移築したんだし)
東福寺、南禅寺の住持だったしね、僧仲間は多いべな


28 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/28(金) 00:51:18 ID:XmsMv43/.net
恵瓊には伊予領国とともに、彼が住持をしている安芸の安国寺に与えられた莫大な寺領があった。

29 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/28(金) 11:43:01 ID:EB2FMAaw.net
安芸安国寺は1万1千5百石かな?

30 :あぼーん:あぼーん.net
あぼーん

31 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/02(水) 14:29:42 ID:CYl+4rJu.net
大内義隆には、安国寺真鳳って使僧が仕えてるんだね

32 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/06(日) 03:43:51 ID:2Aa2xTe/.net
暗黒痔

33 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/12(土) 14:51:39 ID:yLGBMV4j.net
そもそも安国寺って、足利尊氏によって、全国に建てられたらしい

ちなみに>>31は周防安国寺の人じゃ
大内氏に庇護されたらしい

34 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/17(木) 14:08:04 ID:/ztd8l/G.net
周防安国寺・・・日照山安国寺 山口県柳井市
長門安国寺・・・鳳凰山安国東隆禅寺 山口県宇部市

35 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/26(土) 16:41:57 ID:MS85cFmB.net

石見安国寺=伊甘山安国寺 島根県浜田市
出雲安国寺=寶亀山安国寺 島根県松江市

36 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/09(土) 23:45:02 ID:CULQh1ix.net
信長の威勢が隆々としている当時、すでに十年先の本能寺の変を予測し、藤吉郎が天下をとるごとき人物であることを看破している。

37 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/10(日) 02:08:17 ID:vtlEc7Ke.net
>>36
あの文章って「信長は今凄いけど足元がちょっと危ないですな。あ、秀吉ってのと知り合ったけど
あいつはなかなかやるよ」くらいの報告文書だろ。大体安国寺の文書全体の中からアレだけを
切り抜いて出して予言とか看破とか言うのは全く意味が無い。

38 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/11(月) 15:23:13 ID:5ub3f8Gk.net
さりとては=なんとまあ=ひょっとすると大化けする

ってとこで、天下云々まではね

39 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/06(金) 18:09:55 ID:+w8hjita.net
  ( ´∀` )<ほすほす!
_(__つ/ ̄ ̄ ̄/_ 
  \/    /

40 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/06(金) 20:09:12 ID:W1kHE7BI.net
現世への執着が断ち切れてない時点で糞坊主確定

41 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/07(土) 01:50:18 ID:klw58s4b.net
現世への執着を断ち切ったら即身成仏であっというまにこの世を去りそうだな。

42 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/07(土) 17:21:20 ID:Fuazbwuc.net
「鉢ひらきたるような頭」の持ち主だっけ。
三成の才槌頭も、こいつにはかなわん。

43 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/10(火) 00:41:17 ID:IC7cWst5.net
>>1
俺の認識では最後にヘタれたカス。

44 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/10(火) 23:42:58 ID:bL+WhrUo.net
何で処刑されたんだろう。って?

毛利秀元に関が原で山を下って

家康と戦わせられなかったからじゃよ。

当然、家康から見れば、「処刑」は当然じゃ。

吉川の陣を迂回してでも、徳川と戦わせる

参謀としての力量が不足してたからじゃ。

秀元山下れば、家康と戦わざるをえない。

そうしたら、戦況は、西軍有利に働き、

島津も出て、小早川は最低、山をおりられなかった

公算が高い。逆に最後にしぶしぶ、福島といくさしたかもね。

45 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/11(水) 03:20:41 ID:r2P1Hbdh.net
武安国寺

46 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/14(土) 16:50:54 ID:iX5kBvWB.net
昔のことだが
藤吉郎「さりとては」の者と読まず、
藤吉郎さりとて「はちの者」と読んで変な主張を展開した香具師がいたな


47 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/03(金) 13:27:26 ID:IRP8eHaB.net
ほしゅ

48 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/08(金) 17:37:33 ID:rhy9umWD.net
あげ

49 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/08(金) 18:30:01 ID:6URHkILI.net
恵瓊の家臣で名の通った奴っている?

50 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/09(土) 09:45:53 ID:TZHnY0OE.net
平井藤九郎と長坂長七

51 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/09(土) 14:08:17 ID:sMqyWKbT.net
前田玄以とイメージが被る

52 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/10(日) 01:53:28 ID:k/eg9tgU.net
それはない

53 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/10(日) 10:38:23 ID:28UxfiYF.net
柳生十兵衛を始めとする安国寺恵瓊と雑賀孫市とお市と風魔小太郎が信長を倒しに行くんでしょ?

54 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/22(金) 15:46:34 ID:vQoaGeWc.net
平井藤九郎と長坂長七って美濃の肥田玄番の家臣だな。
ここまで落ち延びたのか。

55 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/09(金) 20:31:38 ID:F0nTCAV9.net
元就が討った武田元繁と関係有るのこの人?
武田氏でしょ

56 :人間七七四年:2007/02/26(月) 14:08:24 ID:y+jTHkFb.net
元繁のひ孫だね、恵瓊

57 :人間七七四年:2007/03/06(火) 17:47:50 ID:JBWTJqk6.net
外交坊

58 :人間七七四年:2007/03/30(金) 11:11:15 ID:nKCR8KAa.net
武田の遺児が毛利の使僧になったのは
竺雲恵心の影響

59 :人間七七四年:2007/03/30(金) 21:25:53 ID:4t2yy4Bz.net
甲斐武田とつながってるな


60 :人間七七四年:2007/04/05(木) 16:56:08 ID:rwMEe8yE.net
>>55
回り回って、毛利家に仇をなしたなw

61 :人間七七四年:2007/04/08(日) 00:08:59 ID:OlhI/P5+.net
知ってる方にお聞きしたいのですが、家の先祖の墓が安国寺の境内にあるの
ですが、何宗で、またやはり足利家とゆかりがあるのでしょうか?
尊氏さんのお墓はどこにあるのでしょうか?
源氏平氏とすると先祖のお墓が安国寺だとどちらに属し、どんな階層の先祖だったの
でしょうか?凄く歴史に詳しい方ばかりのすれなのですごいとおもいおききして
おきたいと思いました、よろしくおねがいします。

62 :人間七七四年:2007/04/09(月) 17:03:11 ID:cX1xq9JZ.net
>>61 コピペだけど

安国寺は、足利尊氏が元弘元年(1331)に後醍醐天皇が企てた鎌倉幕府討伐のための、
いわゆる元弘の乱から後の戦死者について、その霊を弔うために夢窓疎石の提案で発願し、
全国六十六ヶ国二島に一寺一塔の設置をすすめた。
光厳上皇の院宣をあおぎ寺は安国寺、塔は利生塔と称した。

詳しいページ
安国寺・利生塔
ttp://bird.zero.ad.jp/~zam77093/ankokuji.htm

63 :人間七七四年:2007/04/27(金) 11:54:33 ID:peIHCS8N.net
尊氏の墓は京都市北区の等持院

64 :人間七七四年:2007/05/16(水) 13:52:04 ID:/Won5qyq.net
恵瓊の父信重と、当主信実は仲が悪かったようなのに、
銀山落城時に信実は出雲に逃れ、信重は自刃したんだろうか?

65 :人間七七四年:2007/05/17(木) 12:09:19 ID:jIvPtUxh.net
斬首される時にガクブルしてたそうだが、案外普通っぽい人だな。

66 :人間七七四年:2007/05/18(金) 14:20:11 ID:RKsBLI8T.net
そうなんだ
念仏だかお経はいらんと僧を突き放したのは、あれはガセかな?

67 :人間七七四年:2007/05/26(土) 08:23:27 ID:OeoSTuNR.net
「高転びに転ぶ」と信長の死を予言した彼の眼力は恐れ入る。
それに備中高松城での講和では中国大返しの離れ業をやってのけた秀吉軍を
追撃せず、信長に取って代わるのは秀吉である事を予見し恩を売っておくなど
さすがは大毛利家の軍事顧問であると思わせたが、関ヶ原では彼の策略は悉く
失敗に終わり戦闘にも参加する事なく(山から下りて来なかった)汚名を残し
惨めな死に方をした。

68 :人間七七四年:2007/05/27(日) 11:33:08 ID:yH487CMF.net
>67
>「高転びに転ぶ」と信長の死を予言した彼の眼力は恐れ入る。

信長の天下は五年、三年もつ、と予言したのは天正元年のこと。恵瓊の予言、大外れ。
「高転びに転ぶ」も都落ち程度の意味としか考えられない。恵瓊の予言、大外れ。
秀吉云々も書状全体を読めば、また意味が変わってくる。
書状の一部だけ抜き出すから、特別な意味があるように感じてしまうんだよなぁ。

69 :人間七七四年:2007/05/28(月) 15:33:05 ID:9cQb6w1e.net
恵瓊が予言者というのは後世の評価であって、当時は毛利と秀吉の間をうまく泳いで大名になったという印象だったんじゃないかな

70 :人間七七四年:2007/06/12(火) 20:01:55 ID:2KrO610e.net
頭だか、後頭部が異様にデカい人だったらしいな。

71 :人間七七四年:2007/06/12(火) 23:52:59 ID:W+eEN9wZ.net
ノブヤボの恵瓊は過大評価しすぎだと思う
しょせん目立ちたがりやな坊さんだろ

72 :人間七七四年:2007/07/07(土) 22:23:17 ID:9+ryOpoW.net
今生きてたら株で儲けられそうな奴だな。

73 :人間七七四年:2007/08/06(月) 18:33:33 ID:6tIwT/eZ.net
誰か詳しい人

74 :人間七七四年:2007/09/03(月) 12:51:38 ID:tv+Ikwxu.net
関ヶ原では主戦派として色々と策動したけど、野戦ではあまりにも消極的。
全くと言って良いほど野戦経験は無かったのだろうか?
渡鮮してるのは聞いたことがあるが。

75 :人間七七四年:2007/09/03(月) 13:20:43 ID:PacSkPui.net
>>74
所詮毛利の外交僧以上でも以下でもなかったのが、親豊臣(羽柴)だったというだけで秀吉やら三成やらに
持ち上げられて実力以上に政治力を持ってしまい、その気になったに過ぎない。
上杉家の民生担当官だった直江兼続も似たような感じだな。

76 :人間七七四年:2007/09/24(月) 09:42:30 ID:GOxz8D9A.net
保守

77 :人間七七四年:2007/10/11(木) 16:33:46 ID:5UjKnepV.net
>>75 毛利本家や吉川、小早川への牽制の意味もあったのかな?=重用

78 :人間七七四年:2007/10/16(火) 10:46:42 ID:eK2V3GFn.net
>>77
秀吉が、有力大名の重臣を1人2人篭絡してその大名家を牽制するのはいつもの手だしね。
これは信長も、勿論家康もやらなかった秀吉オリジナルの政略だな。

79 :人間七七四年:2007/10/24(水) 17:32:19 ID:oKk/FIlI.net
>>66
>念仏だかお経はいらんと僧を突き放したのは、あれはガセかな?

それはキリシタンの小西行長だと思う。


80 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/24(水) 21:10:42 ID:nAOzFas7.net
>>2
秀元が動けなかった?そんなの関係ねぇ

長束と長宗我部誘って池田・山内・徳川を攻撃するだけでも流れが違ってたろう
戦意は三成・秀家と並んでるんだから
もっと果敢に動けよ坊主、と

81 :人間七七四年:2007/10/24(水) 21:53:07 ID:oKk/FIlI.net
>>80
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%BB%E5%83%8F:Sekigahara.png

安国寺はいざ知らず、秀元は無理だね。
南宮山は標高400mを越えてるしw
下りるにしても、大垣城側に下りるしかないから主戦力としては期待出来なかっただろう。
長束や長宗我部は言うに及ばず。

82 :人間七七四年:2007/11/09(金) 13:39:05 ID:QxEVSlKj.net
>>79
そうか、黄金の日々だった…

83 :人間七七四年:2007/11/22(木) 13:32:23 ID:AAUFD88z.net
それ以前にこの人戦の経験あったのかな?

84 :人間七七四年:2007/11/23(金) 16:35:43 ID:HVCUt0LE.net
>>83
朝鮮には従軍してるけど占領地慰撫をしてらしく、槍働きはしてないはず。

85 :人間七七四年:2007/11/24(土) 14:45:16 ID:UZJCfxzT.net
そうなんだ そうすると最初から戦働きは期待できないね。
やはり外交僧なんだね 乱を起こした(?)罪で斬首か。

86 :人間七七四年:2007/12/10(月) 14:13:37 ID:GwoOzmVF.net
特に家康に恨まれる理由があったのかな?

87 :人間七七四年:2007/12/11(火) 07:54:57 ID:DMF9BnS+.net
>>86
どう考えても関ヶ原の首謀者の一人だろ。

88 :人間七七四年:2007/12/11(火) 13:41:19 ID:e2kuTMoj.net
輝元を総大将に擁したのはこの人だろうからね。
処刑の理由はそれが一番だろうな

89 :人間七七四年:2007/12/30(日) 15:02:52 ID:HsfpKkBb.net
ということは三成とこの人の謀議が戦のもとという事?

90 :人間七七四年:2008/01/04(金) 17:38:28 ID:7MOQHD2G.net
恵瓊と三成、そして小西行長が謀議の中心人物だったことは確かだが、
最近の研究では関が原は、宇喜田秀家が暴走に近い形で反乱を始めてしまい、三成ら中心グループが
逆に秀家に引っ張られる形で立ち上がる羽目になった、とされる。

つまり西軍は恵瓊らの思惑と違い、準備不足のまま家康と対峙せざるをえなくなった、まったくの計算違いの反乱だったようだ。
ただ、関が原を通して西軍は、三成、恵瓊、行長のグループが「執行部」として動かしていたのは確かだな。

91 :人間七七四年:2008/01/05(土) 17:06:31 ID:qQCxvMwY.net
くわしくありがとうございます。

92 :人間七七四年:2008/01/06(日) 10:55:15 ID:0eYbBGyl.net
>>90
>最近の研究
どこで誰が発表した研究なのかい?
聞いた事がないので、論文などの紹介よろしく。


93 :人間七七四年:2008/01/25(金) 15:02:41 ID:y1gmWCDc.net
恵瓊は何を望んでいたのか?

94 :人間七七四年:2008/02/05(火) 07:15:34 ID:o1fE/JnN.net
毛利家を中心とした政権作り、あわよくば毛利幕府の設立でしょうよ。
その上で最大の謀臣として権力を振るう、と。

95 :人間七七四年:2008/02/05(火) 15:39:15 ID:e1pDVLib.net
家風からするとなかなか難しいだろね、毛利幕府
だが恵瓊なら考えそうではある

96 :人間七七四年:2008/02/08(金) 23:02:17 ID:ynMgaej+.net
元を辿れば、毛利は一族の仇だよね? よく仕える気になったもんだ。

97 :人間七七四年:2008/02/09(土) 14:24:02 ID:Jff7NhoL.net
更に辿ると徳川は一族の仇?というほどでもないか。

98 :人間七七四年:2008/02/09(土) 14:29:13 ID:lD+8fHqH.net
>>96
戦国時代にゃよくあること。信長なんて自分がヌッ殺した弟の息子を平然と使っておろうが。

99 :人間七七四年:2008/02/09(土) 17:49:54 ID:QCD0h5Rq.net
>>98
理屈は分かる、戦国の習いだからね。
でも、使う側と使われる側では随分違うと思うのだが。

関ヶ原後に毛利家が滅亡してたら、武田家の亡霊も成仏できたかな?

100 :人間七七四年:2008/02/10(日) 00:40:48 ID:57BxH4SP.net
家康としても始末したかったろうし、
毛利側もこいつのせいにして切り捨てたかったろうし、
両者の思惑が一致したってとこかな

101 :人間七七四年:2008/02/10(日) 03:15:46 ID:3xrnDy5Y.net
つーか恨むも何も武田の一族は関ヶ原後も普通に毛利に仕えてるじゃん。
改易の後長州まで言ってる。

102 :人間七七四年:2008/02/26(火) 05:28:21 ID:HbVkOF7q.net
>>92

私もその説どっかで聞いた。
秀家が奉納した、戦勝祈願文の日付。

それより前に、明確な三成の決起を示す証拠は無いらしい。
もともと、これまでも定説もほとんど推測から出来てるものだし。。。

103 :人間七七四年:2008/03/13(木) 16:03:51 ID:zeeqNXSf.net
>>101 尼子もそだね。

104 :人間七七四年:2008/03/28(金) 12:00:15 ID:7foyB5kp.net
>>90
初耳だな

105 :人間七七四年:2008/03/28(金) 21:41:33 ID:TKe27v9n.net
こいつに限らず外交僧って多いよな
戦国期では坊主どものほうが武者より外交能力他語ったのです?

106 :人間七七四年:2008/03/28(金) 22:56:58 ID:ejy/l2fl.net
能力以前に普通の武士だったら敵対してるところへ入っていけないだろ
僧であれば敬われる存在だったし、勧進などで諸国を回っててもとがめられない
あと、無学なものが多かった当時は、ちゃんと教養のあるのは僧侶が多かったのもある

107 :人間七七四年:2008/03/29(土) 01:40:15 ID:LsQBNu2f.net
>>30
本物のあぼーんを初めてみた。レスの内容が知りたい…

108 :人間七七四年:2008/03/29(土) 20:40:10 ID:M9HtNFHd.net
>>70
宮城は安国寺がモデルだったのか

109 :人間七七四年:2008/03/29(土) 21:59:54 ID:Vxj6+MXm.net
一度吉川広家と酒飲んで欲しい。意外にうまがあうかもね。

110 :人間七七四年:2008/03/30(日) 11:07:59 ID:6hOCkBCh.net
暗黒寺会計

111 :人間七七四年:2008/04/05(土) 00:52:32 ID:pnLH6qWY.net
秀吉に天下を取らせたのは恵瓊
関ヶ原の合戦のプロデュースしたのも恵瓊


112 :人間七七四年:2008/04/05(土) 11:54:12 ID:2jptOyW8.net
>>3
の実現までもう少し

113 :人間七七四年:2008/04/24(木) 15:10:12 ID:MHujh4M0.net
>>111
後段は可能性あるが 前段はないんじゃない?

114 :人間七七四年:2008/05/09(金) 15:02:30 ID:+6V+Kmdo.net
恵瓊は首謀者じゃないということか?

115 :人間七七四年:2008/05/23(金) 14:35:46 ID:PEjrIi+Y.net
諸説あるんじゃないかな。

116 :人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/07(土) 10:13:01 ID:El8kccb8.net
恵瓊が毛利の使僧になったのは何故?

117 :人間七七四年:2008/06/23(月) 14:46:15 ID:IShbO+kB.net
東福寺恵心が毛利田隆元と親しかったから。

118 :人間七七四年:2008/07/08(火) 15:04:40 ID:GlNgy7nD.net
竺雲恵心自身が毛利の使僧をやっていたんでしょ

119 :人間七七四年:2008/07/16(水) 22:22:48 ID:Gu8+1JcF.net
いつ頃から使僧になったと記録に残ってるんだ?

120 :人間七七四年:2008/07/26(土) 21:31:59 ID:8cbqdU/c.net
>>7
司馬遼太郎も言ってるが
恵瓊は次の天下人は家康とわかっていたのだろうが
自分が作った(と思い込んでいる)豊臣政権を破壊するものは何であれ許せなかったのだろう

121 :人間七七四年:2008/07/26(土) 22:08:38 ID:qmwpH/cx.net
>>120
それは、全て司馬の思い込みです。

122 :人間七七四年:2008/07/26(土) 22:17:33 ID:4raNBEUR.net
司馬を読んで歴史が解った気になっている人間が、本当に存在したとは。

123 :人間七七四年:2008/07/27(日) 21:58:23 ID:oymprgs6.net
司馬遼太郎の名前を出せば
てめぇのカス意見も中身を持たせられると勘違いしてるようだからなw

124 :人間七七四年:2008/07/28(月) 11:43:29 ID:jWqIYPuP.net
「高転び〜」ってのは今はあまり評価されてないの?
3年とか5年の違いなんてたいしたことないし、秀吉と対比させた上での
評価はすごいもんだと思うけど。
書状全体を知らないから、そこでの文脈といわれると困るが。

125 :人間七七四年:2008/07/28(月) 12:29:16 ID:XFl974ww.net
>>124
それ最初は偽書と思ったなw

126 :人間七七四年:2008/07/29(火) 00:55:42 ID:6/f8A7rR.net
>124
その書状が書かれたのは天正元年だし、
信長jは謀反で討たれたのだから、恵瓊の予想は大外れ。
「藤吉郎さりとてハの者」というのも、
ちょうどその頃、秀吉が毛利側の予想以上の侵攻速度で
但馬国を攻めていたから(ということもこの書状には書いてある)、
油断ならないという意味でそう書いただけだろう。

127 :人間七七四年:2008/07/29(火) 06:48:42 ID:FADohgd7.net
>>126
なるほど。
質問だけど、信長に関しては「今は調子こいてるけどそのうち転ぶぞ」
ぐらいのもので、これは正解かと思ってた。
ほんで、対比してその信長家臣団の中の1武将にすぎなかった猿を
自分が仲良かったかもしれないけど、高評価してる、という意味で
これも鋭い、という感じでね。

それと重要な点だが。
「予言」じゃないですよね。
ノストラダムス的な予言書と現代的に考えるから、当たり外れ、になるわけで
これは単なる「人物評」であり「噂話」みたいな感じですよね。

当たった外れた、じゃなく、あの時点での人物評価が本当に「高転び〜」
つまり絶頂期にひっくりかえされた、ほんで、後を継いだのが猿だった、という
点でやっぱり、驚きなんですよね。

イチローは今はすごいけど、高校の時、プロに入ってもしばらくは普通だった。
それを見出したのはおうぎさん。別に予言者でもないけど、そういう「人を見抜く
能力はすごかった」という意味でね。
今で言うなら五輪で野球代表は「高転び、さりとて台湾オランダあたりは〜」って
もんかな。


128 :人間七七四年:2008/07/29(火) 07:41:34 ID:6/f8A7rR.net
信長が討たれ、秀吉が天下人になったという結論から、あの書状は凄いように思われているだけで、
冷静に読めば当時の状況として当たり前のことを書いているだけだよなぁ。

129 :人間七七四年:2008/07/29(火) 09:47:01 ID:RI9IQIHq.net
そか?
当時としては信長は日の出の勢いでまもなく天下人になる、
ってぐらいじゃなかったか。
秀吉こそ、優秀ではあるがまさか関白になる、なんて想像もつかん。

当時としても当たり前ではないと思うけどな。
信長が「高転び」なんて表現するのは。

ましてや3年、5年じゃなく10年後だから大はずれ、なんてのは
ちょっとどうかと。



130 :人間七七四年:2008/07/29(火) 09:55:55 ID:HhVhqll5.net
>>129

今の時代でも政権が成立したら、自称政治評論家の連中は「いつ崩壊するか」を話し合うよね。

131 :人間七七四年:2008/07/29(火) 10:22:07 ID:RI9IQIHq.net
今の政権とはちょっと比較は厳しくないか。
今の日本は短命で内閣改造が前提なんだから。
当時はいったん天下人になってしまえば、死ぬまで、ってとこだからね。

しつこくて悪いが、すぐに将軍か、なんて絶好調の信長を指して
「高転び」なんてのは足元すくわれる、つまり謀反、の可能性すら
指摘してるわけで、野球の日本代表が台湾に完封負けする、以上の
サプライズとも思うけどな。

ま、深い意味はなかった、と言われたらそれはそうなんだけど、
冗談でもなかなかそういうことはおもいつかないな、って感じかな。

132 :人間七七四年:2008/07/29(火) 10:31:51 ID:HhVhqll5.net
つーか、細川、三好、松永と、畿内政権は何度か成立しては高転びしているんだから、
信長の政権についても「どっかで躓くぞ」って考えないほうが不自然だろ。

133 :人間七七四年:2008/07/29(火) 14:02:22 ID:brVUOdUG.net
なるほどね。
あなたは戦国に生まれたら六万石の長にはなれたろうな。

信長はともかく、秀吉「さりとてハ」ってのもあるからね。
やっぱり、将軍追い出したような民衆から支持されない政権と
将軍たてて朝廷からも歓迎された信長政権と同格ってのは
どうかな。

ちなみに、細川、三好、松永は「高転び」とは言わないような。
「悪逆無道の所作にテ、然候成」ぐらいじゃないのかな。


134 :人間七七四年:2008/07/29(火) 20:27:46 ID:6/f8A7rR.net
>132
>しつこくて悪いが、すぐに将軍か、なんて絶好調の信長を指して
>「高転び」なんてのは足元すくわれる、つまり謀反、の可能性すら
>指摘してるわけで、野球の日本代表が台湾に完封負けする、以上の
>サプライズとも思うけどな。

書状の日付は天正元年十二月十二日。
義昭を追い落として、朝倉・浅井を滅亡させたが、
まだ武田もいるし、本願寺もあるし、波多野氏やら何やらも
いっぱい残っていた時期だぞ。
その状況下での発言としては特筆すべきものでもないだろ。

秀吉に関しても、毛利家が直接戦う敵ということで
注意を促している以上のことは読み取れない。

そもそも書状の1割にも満たない部分だけ取り上げるから、
凄く思えるだけだ。まずは全文読めと言いたい。


135 :人間七七四年:2008/07/30(水) 01:18:07 ID:VUZ13N/K.net
>>133
と、自称「俺なら天下取りは楽勝」だんがおっしゃっております。

136 :人間七七四年:2008/07/30(水) 02:39:20 ID:e6yb6Vsk.net
竹内なんとか…だっけか?義昭に味方して「信長の権勢は熟した柿であとは落ちるだけ」と
流言をまいて処刑された公家は。
信長に対する悪口というかネガティブキャンペーンで「高転び」を使うのは常套句みたいなもの。
取り立てて大きく取り上げるようなことでもない。
というか、成り上がりに対する悪口としてはごく普通のものだよな現代でも。

秀吉への「さりとてハ」も、別に他の織田家の重臣達とであって、見比べて秀吉が一番なんて言った
わけでもない。恵瓊は秀吉一人とであってその人物評として持ち出したのであって、別に織田家中
で一番なんて評価はこの中からは読み取れない。

つくづく、ノストラダムスの大予言的超絶解釈だよなこの手のは。

137 :人間七七四年:2008/07/30(水) 10:33:29 ID:C7OrQha5.net
しかし女の北の政所ですら「天下はつよきもののまわりもの」と言ったぐらいだからなあ


138 :人間七七四年:2008/07/30(水) 10:57:45 ID:nt/Crc/K.net
>>136
予言的、とか言うからおかしくなるわけであって、エケイの
人物評が適確であった、というぐらいでいいのじゃないのかな。

その竹内うんたらは、義昭に味方してる、から信長を悪口言うわけで
人物評としても、ちょっと前提が違ってきてるわけでしょう。
公平な立場じゃないというか。

北の政所の発言もだけど、それこそ、前後とか立場を考えずにそこだけ
切り取ってはいけない。じゃないのかな。

134の意見は、あの時点での信長がまだライバルいっぱい、を指してると
いうことでは同意なんだけど、やっぱり京を押さえてるし天皇も信長対象の綸旨を
出したり、信長がその時点で最も成りあがり的な有力武将ということでは
いいんじゃないかな。

なので、予言的解釈、じゃなくて、信長と秀吉をいきなり対比させてる人物評
結果的にも良い線行ってる、こういう風な感じじゃないのかな。
織田家の中で一番、なんてエケイは言ってないし、にもかかわらず
秀吉を高評価、という点でもなかなかの人物評とは感じるけど。

しつこいが、予言の書として、予言者として、じゃないからね。
人物評として、信長は今は調子いいが謀反でもおこされるかもよ、と
言ったら結果的にそうなってしまった、と言う感じであくまで人物評として
なかなか面白いものとなっている、そういったところかな。



139 :人間七七四年:2008/08/04(月) 22:25:29 ID:jTqymu/M.net
質問!
安国寺って秀元と一緒に逃れてたのになぜ京で別れて潜伏したの?
一緒に大阪城にいかなかったのですか?

140 :人間七七四年:2008/08/05(火) 00:30:02 ID:cI6+ICBx.net
>>139
お前戦国時代だぜ?そんなもん真っ先にスケープゴートされて消されるよ。
今の平和な社会と戦国比べて考えても難しいだろうが、戦国時代といえば
今の893よりやばいぜ、みんな人殺しみたいなもんだし、それが職業だ
し、言うなれば山師が「儲かるから」って言って誘ったのに大失敗し、煮
えたぎった893…もとい、何でもありの殺し屋集団の元に帰るようなも
んだぜ。

141 :人間七七四年:2008/08/07(木) 09:58:19 ID:EPMCCy+5.net
消される、ちゅうか家康に見つかったら逮捕されるだけだもんね。
さすがに大阪城に戻っても仕方がない。

142 :人間七七四年:2008/08/07(木) 13:05:46 ID:0JVaCAZR.net
>>139
秀元と一緒ではないよ、南宮山で別れてる
恵瓊はスケープゴートになろうか?と広家に申し出るも出家してる人間だから責任とらなくていいよと言われ、
落ち延びたら?と勧められ、京都に単独で潜伏ってオチ

143 :人間七七四年:2008/08/07(木) 21:03:34 ID:EuO6SZkl.net
広家はよくもシャアシャアと言えたモンだw

144 :人間七七四年:2008/08/08(金) 15:57:17 ID:JzEybMiZ.net
広家はそういう人間なんでしょ。
戦国3大ヤナ奴、ってぐらいだ。

145 :人間七七四年:2008/08/08(金) 17:09:20 ID:QBvRVTvb.net
まあ吉川家が後に本家から冷遇されたのも分かる逸話だな。
安国寺殿が悲惨すぎる。

146 :人間七七四年:2008/08/08(金) 17:43:26 ID:wZkuI7Qn.net
吉川は全く冷遇されてないわけだが。むしろ毛利の支柱。

147 :人間七七四年:2008/08/08(金) 20:26:53 ID:QBvRVTvb.net
>>146
本家に支藩格上げの願いを却下され、家臣扱いされたと思ったが違う?

148 :人間七七四年:2008/08/11(月) 10:51:03 ID:XQQHj2Cu.net
>>105 当時、知識人としても最も優れていたのは禅宗(臨済、曹洞など)の坊主だったそうです。鎌倉
末期から室町にかけてもっとも商才に長けていたのは禅寺の坊さんらしいです。公家の荘園を経営していたのも
実務者は禅僧です。寺院自ら高利貸しも行っていてその権勢は(鎌倉・室町)幕府が禅宗を厚遇(各地に安国寺を
建てましたよね)したこともあり、相当なものだったようです。武家はもちろん公家も禅僧の前では赤子同然だった
みたいですよ。今でいえば、頭のいい官僚エリートのようなものでは?

149 :人間七七四年:2008/08/11(月) 23:02:13 ID:SUDUxoY+.net
>>148
反論じゃないけど、その坊さんのバックにはやっぱり「武力」がある。
決して「頭がいい」とか「権威」では人はついてこない。
高利貸し、というのも、昔は夜逃げとか出来なくて「土地」にしばられてた。
そのあたりを考慮しないと、支配層、の解釈がちと微妙になる。

鎌倉仏教、というぐらいで、武力と「ウンチク」がバランスをとってたのですよね。
方便、なんて素晴らしい「言い訳」ですしね。

150 :人間七七四年:2008/08/11(月) 23:23:17 ID:ewA72rmA.net
つーか、禅宗の場合、武力よりも、先進的な知力と情報力、そして経済力だな。
五山なんて、その経済力で、途中からだが室町幕府を実質支えているようなものだし。

「安国寺」というのは、室町幕府が、五山を頂点とした禅宗の国分寺として打ち立てた、禅宗の
全国ネットワークの中核となる寺院の名称で、その僧侶は勿論、そのネットワークと人脈を活用する事ができた。

そう言うネットワークがあったので、禅僧はいろんなところで外交官として活躍している。

151 :人間七七四年:2008/08/12(火) 10:16:54 ID:OfOtI8Cm.net
安国寺というと一休さんだな。
は、おいといて五山と室町幕府の関係はおもろいとこだよね。
その後信長がうまくトゲを抜いて、秀忠あたりで支配下におく。
このあたりは義教とはちがった手法で、歴史の進歩を
感じるとこなんだ。

152 :人間七七四年:2008/08/16(土) 23:52:45 ID:5skFkpcL.net
大阪城天守閣所蔵「関ヶ原御合戦地図」にみられる記述。

安国寺カ馬印ハ天カイ旗ハ白ニ一文字
目ニタチテ勇々シク見ヘシ所ニ
味方ノ旗色アシキヨリ大勢ノ守ヲ押分々々一番ニ逃退ク

153 :人間七七四年:2008/09/02(火) 14:43:24 ID:a2HLvRjT.net
>一番ニ逃退ク
真っ先に退いたってこと?

154 :人間七七四年:2008/09/02(火) 15:37:42 ID:6hL/HelI.net
>>153

>>152


「安国寺の馬印は天カイ、旗は白地に一文字。
大変目立ち雄々しく見えたのだが
味方の旗色が悪くなると、大勢の(味方の毛利軍を)押し分けて一番先に逃げ去った。」

って事だ。

155 :人間七七四年:2008/09/18(木) 14:45:24 ID:LOaW1Zpd.net
そうですか。くわしくありがとう。

156 :人間七七四年:2008/09/18(木) 15:30:09 ID:0LucZ4/j.net
>>154
> 「安国寺の馬印は天カイ、

天カイって何じゃろ?

157 :人間七七四年:2008/09/18(木) 17:43:46 ID:c1LMZO2f.net
>>156
> 天カイって何じゃろ?

天蓋(てんがい)の事だな。お寺にある
ttp://www.yamano.or.jp/phot/phot-b/tengai.gif
こんなの。

158 :人間七七四年:2008/09/19(金) 13:17:19 ID:LQ/GJ1SY.net
>>157
坊主で天蓋か。確かに見ればもっともな選択だ。小西行長が冗談で言った薬袋の馬印もわかりやすくていいぞw

159 :人間七七四年:2008/10/02(木) 14:11:07 ID:+c2gqO1L.net
結構派手な馬印ですな。

160 :人間七七四年:2008/10/17(金) 15:04:52 ID:FZBIPHb7.net
武将のイメージがないなあ

161 :人間七七四年:2008/10/17(金) 15:37:34 ID:nTNjyVAR.net
実際武将じゃ無いしなあ。関ヶ原も名目上部隊率いてただけって感じが強い。

162 :人間七七四年:2008/10/19(日) 15:40:25 ID:UMN1gWu8.net
大名でもないしな
伊予6万石は寺領と代官地

163 :人間七七四年:2008/10/22(水) 01:39:56 ID:X2DhJ7/c.net
>>162
兵力は豊臣家から借りてたのかな?

164 :人間七七四年:2008/10/22(水) 01:40:28 ID:2+5A9/D8.net
毛利だろ

165 :人間七七四年:2008/10/23(木) 05:47:03 ID:I1J/SqLW.net
>>163
毛利の軍事組織「組」を従えて参戦

166 :人間七七四年:2008/11/07(金) 15:26:26 ID:BlT3p0+N.net
毛利の与力大名みたいな感じかな

167 :人間七七四年:2008/11/20(木) 15:39:58 ID:hdNI2aHe.net
そんな感じかな

168 :人間七七四年:2008/11/22(土) 02:34:52 ID:3KO/pPBW.net
神山繁が存命の内にもう一回やって欲しい。

169 :人間七七四年:2008/12/05(金) 14:59:32 ID:BNtOmfPF.net
来年で80歳か でも今年もドラマたくさん出てるね 神山さん。
作左もやったんだ。

170 :人間七七四年:2008/12/22(月) 15:46:43 ID:QgHBP6md.net
来年は出るね

171 :人間七七四年:2009/01/06(火) 17:32:33 ID:Vkron3e4.net
多分ね

172 :人間七七四年:2009/01/23(金) 14:53:49 ID:VLXF5gEA.net
三成を通してなんだろうけど

173 :人間七七四年:2009/02/06(金) 14:30:59 ID:aXEHuXWq.net
直接は絡んでないでしょ。

174 :人間七七四年:2009/02/13(金) 17:52:16 ID:r7yffPTl.net
安国寺恵瓊は関ヶ原を落行き僧正谷辺より松尾辺をさまよひしが、やがて七條の道場へ入て隠れ居ける。
此時迄、長沢長七同長八と云両家士付き居けるが、主人安国寺に申けるは、
「いつまでか隠れおふすべきや。終ひには生捕れ申さん。されば生捕て恥をさらし給はんより今御自害有べし。御首は我々共隠し奉らん。」と諫めけれ共、
安国寺おくれたるにや猶落仕度をし伏見より船にて芸州へ行んと用意しける所に、
江州の六角家の士に学弥と云者安国寺を見知り居り早速奥平美作守方へ訴人す。
これに依て召捕の人数押来る由なれば、長七長八相談し、とても逃るヽ事はできず。敵来らぬ間に主人の首を隠し敵来らば討死せんと主人を討んと思へど、
安国寺何分切腹せざれば、兎や角する間に捕方押来りければ、長七長八の両士大勢を合手に戦ひ、三四人切伏せ終ひに両士共討死す。
安国寺は生捕れける。この安国寺の様なる不覚者の家士にはかの両人は惜き士也と其頃人々申合へりとかや。

175 :人間七七四年:2009/02/17(火) 14:17:27 ID:JgXX3vGo.net
>>174
無理矢理押さえつけて、自害させるとかw

176 :人間七七四年:2009/03/02(月) 15:35:30 ID:AZfEEJhD.net
そんなに不覚者なのかね。

177 :人間七七四年:2009/03/16(月) 15:34:12 ID:Kfzj+SlZ.net
武家じゃない感じか

178 :人間七七四年:2009/04/01(水) 14:34:09 ID:gMWKzyjV.net
血筋は名門武家だけど

179 :人間七七四年:2009/04/04(土) 09:48:51 ID:8DC3MPt7.net
生臭坊主ですね

180 :人間七七四年:2009/04/12(日) 00:30:55 ID:KUbwmmk+.net
大予言者

181 :人間七七四年:2009/04/27(月) 15:10:27 ID:ghMzrNZc.net
自分の未来は読めないのはありがち。

182 :人間七七四年:2009/05/14(木) 15:52:36 ID:2xtTCKom.net
坊ちゃんだから。

183 :人間七七四年:2009/05/20(水) 18:27:12 ID:fuAFEmih.net
しかし不動院を残した

184 :人間七七四年:2009/06/06(土) 14:15:41 ID:h3WT4+EC.net
安国寺不動院か

185 :人間七七四年:2009/06/20(土) 15:11:19 ID:vwLYuZu3.net
尊氏が全国に安国寺造ったのあまり知られてないよね。

186 :人間七七四年:2009/07/04(土) 14:27:53 ID:oIsy3i77.net
恵瓊絡みまで知らなかったよ 安国寺。おっと一休さんもか。

187 :人間七七四年:2009/07/04(土) 15:23:35 ID:21Mw69gq.net
秀念さんも暗黒寺だな

188 :人間七七四年:2009/07/16(木) 15:17:33 ID:lypd0Ap6.net
うるさい兄弟子秀念さん。

189 :人間七七四年:2009/07/21(火) 07:56:56 ID:nfYB30v9.net
この人が主人公の小説とかないのん?

190 :人間七七四年:2009/07/21(火) 18:52:53 ID:JX0d2HgR.net
この人って秀念さん?

191 :人間七七四年:2009/07/26(日) 01:32:20 ID:VzB3xwrS.net
この間まであの「天地人」の作者が
なぜか宗派も所縁も全く無い「公明新聞」
ですさまじく下らん小説連載していた。

192 :奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2009/07/28(火) 08:05:47 ID:Iv3vxOzy.net
赤旗で連載始めたとかなんとかの小説家も最近騒がしいな。

193 :人間七七四年:2009/08/10(月) 16:03:17 ID:oBgADTf5.net
何が連載されてるの?

194 :人間七七四年:2009/08/22(土) 14:57:08 ID:ivOTaZ2/.net
臨済宗のちゃんとしたお坊さんなのですね

195 :人間七七四年:2009/09/03(木) 15:10:37 ID:+U1DoT06.net
血筋がいいから外交僧に迎えられたんだろね。

196 :人間七七四年:2009/09/12(土) 14:51:51 ID:qCu4Admo.net
恨みとか気にしなければ 血筋は大事かな。

197 :人間七七四年:2009/09/23(水) 13:36:58 ID:BLfWaOEf.net
本人が恨んでる風はないね。

198 :人間七七四年:2009/10/03(土) 14:31:27 ID:otyYuHDX.net
安芸安国寺住持になったあたりに何かありそうな。

199 :人間七七四年:2009/10/13(火) 16:13:31 ID:yysOJHjl.net
安国寺は武田氏が庇護した寺。竹若丸が難を逃れた安国寺。

200 :人間七七四年:2009/10/17(土) 17:50:59 ID:pgxm5fPq.net
「安国寺」は禅宗の国分寺として足利直義が力を入れて全国に整備したもの。
なので全国各地に「安国寺」があり、勿論相互の情報ネットワークがあり、
外交層にはうってつけの寺だった。

201 :人間七七四年:2009/10/18(日) 07:40:20 ID:Lq0IvFZM.net
怪僧ですね

202 :人間七七四年:2009/10/22(木) 11:48:30 ID:LOUr5zF6.net
一休さん

203 :人間七七四年:2009/10/22(木) 22:05:55 ID:Vmrcunkx.net
みんなで不動院へ行こう

204 :人間七七四年:2009/11/04(水) 15:24:18 ID:Fe9uds5u.net
不動院って文化財の宝庫なんだ。知らなかった。

205 :人間七七四年:2009/11/13(金) 15:48:19 ID:UsyqzWu9.net
不動院行った人いる?

206 :人間七七四年:2009/11/16(月) 07:21:33 ID:np45JEoJ.net
不動院(安芸安国寺)はHPを開設してるよ。
恵瓊についても詳しく紹介している。
最近は由緒ある名刹もHPがある場合が多くてありがたい。

207 :人間七七四年:2009/11/16(月) 18:23:52 ID:XXkecfna.net
広島駅−下祇園駅−佐東銀山城−下祇園駅−可部駅−
高松山城−可部の街並み−可部駅−大町駅−アストラムライン乗り換え−
不動院前駅−不動院−不動院前駅−本通り駅−徒歩−流川−ソープ−広島駅

オススメプラン

208 :人間七七四年:2009/11/19(木) 20:56:09 ID:tGRh1bcQ.net
寺に参拝後に風呂屋とは何たる生臭。
まあ恵瓊の寺の後らしいと言えばらしいが。(イメージ)

209 :人間七七四年:2009/12/13(日) 08:38:42 ID:eG/aGvjZ.net
恵瓊は生臭ではあるまい。

210 :人間七七四年:2010/01/04(月) 12:16:46 ID:RervCUF0.net
妻帯してる?

211 :人間七七四年:2010/02/21(日) 07:20:38 ID:ZgALtC0v.net
してないでしょ

212 :人間七七四年:2010/05/15(土) 15:18:54 ID:g5Ennv01.net
明治になるまで真宗以外は妻帯しない

213 :人間七七四年:2010/06/10(木) 00:17:36 ID:Ey1Uvwoa.net
生臭坊主

214 :人間七七四年:2010/06/10(木) 18:30:22 ID:7pU2MwLq.net
生首坊主

215 :人間七七四年:2010/07/04(日) 04:57:37 ID:s2CpHNmW.net
*

216 :人間七七四年:2010/07/24(土) 21:25:27 ID:t5Mp0xjK.net
安国寺AK

217 :人間七七四年:2010/07/24(土) 21:34:15 ID:k5iejuq3.net
安国寺AKB48

218 :人間七七四年:2010/09/04(土) 09:21:30 ID:HRRRPuTB.net
人物叢書以上の物はない?

219 :人間七七四年:2011/02/08(火) 21:06:45 ID:yAfy7sV5.net
保守

220 :人間七七四年:2011/02/21(月) 08:35:10.40 ID:2qYKsJyu.net
AKG48

221 :人間七七四年:2011/02/22(火) 13:20:24.96 ID:A+uGwjx8.net
500年前のAKGは坊さんかい
ついでに保守

222 :人間七七四年:2011/02/24(木) 19:03:15.53 ID:a7ki+X3w.net
毎日上げてるのに誰も書き込んでくれない

223 :人間七七四年:2011/02/24(木) 20:58:24.78 ID:4Rh7VDEG.net
じゃあ俺が書き込む

関ヶ原当日、南宮山山麓で戦況見守るしかなかった安国寺の心境を思うと
まじでせつなくなる
長束、長曾我部、安国寺の約1万で東軍後方をつついてみれば面白かったのに・・
と、後のこの3人の運命知っている後世の人間の俺は思ったりもするw

224 :人間七七四年:2011/02/24(木) 21:31:17.68 ID:EUMS31TJ.net
ありがとう
戦国AKGは人気ないのかな?
有名なのに、いいワルまとめに名前すらない

225 :人間七七四年:2011/02/24(木) 22:02:08.25 ID:4Rh7VDEG.net
>>224
広島に旅行した時、不動院やら宮島の千畳敷と、
安国寺が建立したとされる建物見たけど(千畳敷は未完成だったかな)、
人物像的には繊細と豪快さを併せ持っているお坊さん、みたいな印象を感じたよ
それまではTBS「関ヶ原」の神山さんの神経質そうな?イメージが強かったけど
まあ、豪壮な建物造ったからといって性格まで豪快とは限らないけどね

226 :人間七七四年:2011/02/25(金) 12:52:51.92 ID:XNk4G/C9.net
>>223
吉川が前を塞いでるから下山は至難だよ。
長束はやる気無いし、長宗我部は元々東軍志向だったのを無理矢理動員だし、
安国寺も采配を積極的に振るう野戦指揮官でもないし。

227 :人間七七四年:2011/02/25(金) 21:18:39.52 ID:ktnfQB3j.net
外交僧っつう割には、
外交の逸話で有名なのは織田家とのやつだけだよね

228 :人間七七四年:2011/02/26(土) 00:53:48.59 ID:uRCyZ/oe.net
武蔵坊弁慶=立ち往生
恵林寺快川紹喜=心頭滅却
安国寺AK=逃亡斬首

AKは最期が地味なのが、ね・・・



229 :人間七七四年:2011/03/02(水) 19:41:38.40 ID:ZzLRmzvu.net
戦国最大の戦い
関ヶ原の戦犯ビックスリーなのにこの過疎っぷり

230 :人間七七四年:2011/03/02(水) 20:12:51.13 ID:2adm7nMu.net
こいつで大河ドラマやってほしい

231 :人間七七四年:2011/03/03(木) 03:19:05.28 ID:p69UXoGy.net
>>229
東京裁判でいうところの戦犯だね
その意味では確かにその通りだわ
勝負でいうところの戦犯なら輝、広家、秀秋・・・毛利と両川がビッグ3か

>>230
大いに期待
面白そうだ

無理そうだけど

232 :人間七七四年:2011/03/03(木) 05:33:15.25 ID:9CSBc4uD.net
大名時代の居城は何処にあったの?

233 :人間七七四年:2011/03/03(木) 13:10:01.10 ID:4SO40kY3.net
>>232
領地としては伊予和気郡6万石だったようだが、本人はどうも安芸安国寺を本拠にしていた感じ。
多少の家臣はあったようだが、恵瓊が出陣した肥後国人一揆や朝鮮征伐、そして関ヶ原も
その兵は毛利からの与力だったっぽいし。

234 :人間七七四年:2011/03/03(木) 14:32:10.61 ID:cBhiVNIX.net
僧か僧か

235 :人間七七四年:2011/03/03(木) 20:13:42.20 ID:WYTgS3Jv.net
安芸武田滅亡の怨みを晴らす

236 :人間七七四年:2011/03/06(日) 23:06:43.26 ID:KWbt/07s.net
子供の頃よく武田山で水晶拾ったな

237 :人間七七四年:2011/03/07(月) 21:06:19.68 ID:W/y9u4aJ.net
大河ドラマ毛利元就ではとんな扱いだったの?
教えてえろいひと

238 :人間七七四年:2011/03/14(月) 21:03:55.81 ID:EVyx0gAK.net
あげまし

239 :人間七七四年:2011/05/21(土) 22:12:16.77 ID:TAEE67WH.net
>>231
毛利元就と比べたら話題性は無いけどそういう人を取り上げるののも大河だよね。
誰がいいだろう?

240 :人間七七四年:2011/05/22(日) 00:48:05.91 ID:esbdYPU3.net
>>237
確か、出なかったはず

でも三船美佳は出てたで、小早川の正室の少女時代で当時16歳くらいで高橋と結婚直前。
関係ないか

241 :人間七七四年:2011/06/11(土) 00:24:32.96 ID:Z6bhiXos.net
懐かしい・・あの頃の三船美佳はホント美少女だった

242 :人間七七四年:2011/08/03(水) 10:48:45.59 ID:aOJTunC0.net
渡邊大門『戦国の交渉人―外交僧・安国寺恵瓊の知られざる生涯―』洋泉社・歴史新書y(2011年8月5日刊行/定価903円・税込)

目次

はじめに
序章 安国寺恵瓊の出自と周辺
第一章 恵瓊の本格的な活動
第二章 織田信長・足利義昭との関係
第三章 備中高松城の攻防と恵瓊
第四章 豊臣政権における恵瓊
第五章 毛利氏家中の恵瓊
第六章 文禄・慶長の役で苦闘する恵瓊
終章  運命の関ヶ原合戦と恵瓊の最期
おわりに
おもな参考文献

243 :人間七七四年:2011/08/03(水) 10:58:21.39 ID:RZ+TQGw5.net
僧ですか。

244 :人間七七四年:2011/08/03(水) 11:02:49.28 ID:x3e5Esrk.net
戦国の交渉人―外交僧・安国寺恵瓊の知られざる生涯―
http://hb.afl.rakuten.co.jp/hgc/078f4162.0400bdaf.078f4163.d5699732/?pc=http%3a%2f%2fitem.rakuten.co.jp%2fbook%2f11308929%2f%3fscid%3daf_ich_link_mail&m=http%3a%2f%2fm.rakuten.co.jp%2fbook%2fi%2f15518073%2f


245 :人間七七四年:2011/08/03(水) 11:12:29.91 ID:JH8pD+50.net
坊主で大名w

246 :人間七七四年:2011/08/04(木) 13:06:05.40 ID:SXQeBjhW.net
執念・キリシタン・僧侶の自害拒否トリオ


247 :人間七七四年:2012/02/14(火) 19:49:01.54 ID:s8KwTTmU.net
首を斬られた輝輝坊主

248 :人間七七四年:2012/02/28(火) 18:38:25.80 ID:H5IW6Tej.net
ほう

249 :人間七七四年:2012/03/17(土) 14:52:54.39 ID:GWxNmzWX.net
age

250 :人間七七四年:2012/03/20(火) 08:16:20.47 ID:6Mbo+u4d.net
結局この人は豊臣政権で大名扱いだったの?それとも僧侶扱いだったの?

251 :人間七七四年:2012/07/12(木) 22:58:27.05 ID:l2/o0wjz.net
>>250
伊予国和気郡に領土がありましたから、両方でしたね

252 :人間七七四年:2012/07/13(金) 06:25:16.10 ID:rf3Ug6Rg.net
>>250
諸説あってはっきりしない。ただ直属の軍事力は持っていなかった(関ヶ原の時も付いていたのは毛利からの寄騎)ので、
個人的には僧侶として扱われていたと考えるべきだと思う。

それにしてもBS−TBSのTHEナンバー2で安国寺恵瓊だったな。何がナンバー2なのかはさっぱりだがw

253 :人間七七四年:2012/07/20(金) 01:54:06.02 ID:nLV8Fof4.net
大河ドラマ「安国寺恵瓊」

254 :人間七七四年:2012/11/10(土) 16:06:02.57 ID:esnSaxLQ.net
「黄金の日日」で神山繁が演じていた安国寺恵瓊を良く覚えている。

納屋助左衛門がルソン壷を秀吉や秀吉の配下に売りつけた後、

助佐が恵瓊に謁見した際に、恵瓊はこう言った。

「殿下に気に入られたようじゃのぅ、そちの土器(かわらけ)は・・・」

土器を「かわらけ」と読むことを、そこで学んだ。

その後、受験の時に出たんだな、これが・・・。

そんなわけで、よく覚えているんです。

255 :人間七七四年:2013/09/21(土) 06:45:26.02 ID:4eNJOktq.net
来年の大河ドラマは軍師黒田官兵衛。
備中高松城の水攻めを羽柴秀吉に献策したのは黒田官兵衛とのこと。
大河ドラマにちなんで備中高松城の水攻め復元模型を製作した。
http://mirai660.net/castle/

256 :人間七七四年:2014/01/08(水) 05:07:56.16 ID:My/Zf1BZ.net
信長、秀吉、家康の三人を出せるし、安国寺恵瓊の大河ドラマはいけると思う。

257 :人間七七四年:2014/01/13(月) 00:37:40.01 ID:+Rx9fz/c.net
いやルックス的にどうなのよっていう

258 :人間七七四年:2014/04/13(日) 22:11:34.02 ID:A4P/YUzw.net
2014/04/13 nhk「軍師勘兵衛」は毛利対織田の播州調略の局面。
安国寺恵瓊、毛利側の外交僧としてしっかり活躍していますね。
別所一門の分断にまんまと成功。

259 :人間七七四年:2014/04/26(土) 12:47:55.61 ID:WDZ2XNs7.net
それと同時に秀吉はすごいと書いてるのがまた未来を予見してるよねw

260 :人間七七四年:2014/08/26(火) 22:10:05.87 ID:XX0epUms.net
安国寺恵瓊を重用したのは隆景

261 :人間七七四年:2016/05/03(火) 04:14:16.25 ID:aQ2HnySi.net
保全

262 :人間七七四年:2016/06/03(金) 17:24:02.01 ID:Ql+C2Y+6.net
(-人-)

263 :人間七七四年:2016/06/04(土) 17:42:01.73 ID:PF/7Gre+.net
柳生十兵衛や雑賀孫市と一緒に織田家と戦った人

264 :人間七七四年:2017/03/05(日) 05:40:31.04 ID:nl1LhQw1.net
age

265 :人間七七四年:2018/03/24(土) 10:18:47.20 ID:Mgm2neBk.net
関ヶ原安国寺恵瓊隊
平賀元相、熊谷元直、益田元祥、三村親成、井上景貞
杉岡(周布)長次、神村(吉原)元種、宍戸元円、竹井惣兵衛
植木五郎兵衛尉、楢崎元好、平川新蔵、裳懸福寿、刺賀元信、花房彦右衛門

266 :人間七七四年:2018/06/30(土) 15:23:56.20 ID:XPT4Du62.net
>>265
なかなか充実してるね。
目の前の東軍に自分だけでも突入してしまえば、否応なしに長曽我部を巻き込めた。

267 :人間七七四年:2019/06/01(土) 03:23:28.73 ID:n8qqYWxy.net
怪僧

268 :人間七七四年:2020/03/08(日) 23:35:27.81 ID:xTcs5p5y.net
秀吉期の輝元体制が
穂井田元清、安国寺恵瓊、福原広俊、渡辺長
堅田元慶、佐世元嘉、二宮就辰、榎本元吉、張元至
(林就長、内藤正栄)

であるから元清亡き後は自然重い
徳川期になると広俊が重い

269 :人間七七四年:2021/12/31(金) 17:00:17.39 ID:k+Nzpf+b.net
>>265
安芸だけでなく益田、三村、花房と色々付いてるのな

270 :人間七七四年:2022/02/12(土) 22:37:11.54 ID:y9jqUTPr.net
色々な地域出身の武将を纏めるにはそれだけ評価されてないといけない
輝元にも平賀以下の武将にも

271 :人間七七四年:2022/02/17(木) 21:29:22.77 ID:NkW8zfKw.net
お前ら和歌山県出身の下村拓郎様(35歳独身、元自衛隊)をご存知か、この方は将来素晴しい人物になるから覚えておいて損はないぞ

272 :人間七七四年:2023/06/08(木) 16:36:40.61 ID:bkh/jhy1S
最近地球破壊テ□リスト税金泥棒自閉隊か゛都心付近まて゛クソへリやらC-130やらクソ爆音航空機飛ばしまくって低周波騷音引き起こしてるな
自閉隊とは.國民の生命と財産を守る存在ではなく,税金泥棒しなか゛ら,工ネ価格に物価にと暴騰させて、住民の権利を強奪して破壞して
氣候変動させて災害連發させて國土まで破壞しながら私腹を肥やすテロリストの典型だと理解しよう!
ウクライナの軍事予算はGDр比4%以上あったわけだし、軍のク―デ夕−によって政権掌握されたミャンマ━はGDP比2%台,
徴兵して拒否すれば犬コ囗公務員に制圧させて殺害可能な社會にしようとしてるのが防衛予算のために増税まて゛計画している岸田増税文雄
ちなみに、2014年にマレ‐シア地球破壊テロリスト機MH17を地対空ミサイル9K37ブ─クて゛見事に撃墜したのは、戰闘民族ウクライナ人な
真の防衛として.利権を貪って税金泥棒して地球破壞して私権侵害して私腹を肥やすだけの人類に涌いた害虫クソ公務員を全滅させて,
新≡種の神器.拳銃.スティンカ゛‐,手榴弾を━刻も早く全家庭に普及させないとお前ら間違いなく口シア逃亡民みたいな目に合うぞ

創価学會員は,何百萬人も殺傷して損害を与えて私腹を肥やし続けて逮捕者まで出てる世界最悪の殺人腐敗組織公明党を
池田センセ‐が囗をきけて容認するとか本氣て゛思ってるとしたら侮辱にもほどがあるそ゛!
hTΤРs://i、imgur.cоm/hnli1ga.jpeg

273 :人間七七四年:2023/08/19(土) 15:43:51.14 ID:MDq1Ek4Q.net
賀正

274 :人間七七四年:2023/08/20(日) 16:40:12.33 ID:VSLx+U8E.net
吉川広家がビビリすぎなんだよ。
毛利くらいの大大名が本気で動いてたら徳川と互角以上の勝負ができてる。
大阪城を押さえてるから有利だしな。結果的に勝てる戦じゃないみたいになってるが
毛利が一体化して本気だったら。
輝元が普通の良い人間過ぎたんだよな。だからこそ豊臣に忠実だった。
凡人が味方になると頼りない、野心家が味方になると頼りにはなるが勝利後が怖い。

275 :人間七七四年:2023/08/24(木) 18:50:55.97 ID:zEF4F2Mb.net
>>274
仮に負けても大阪城に籠城できるからなあ。

276 :人間七七四年:2023/08/27(日) 18:49:16.05 ID:5ApLe2kG.net
REVELATION
資金源/コング
フロント/天下り/右翼思想
フィクサー/集団ストーカー/ハッキング/盗聴/盗撮/家宅侵入
汚職/集団ストーカー/ハッキング/盗聴/盗撮/家宅侵入/揉み消し
揉み消し加担

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