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長篠・設楽原合戦の真実

1 :人間七七四年:2016/11/12(土) 21:14:34.87 ID:F2oYAzgO.net
1575年6月29日(天正3年5月21日)三河国長篠(愛知県新城(しんしろ)市)において行われた、織田信長・徳川家康連合軍3万8千と武田勝頼軍1万5千との合戦。
武田方の戦死者は山県昌景、土屋昌次、馬場信房などの信玄以来の宿将をはじめとして1万人に上ったといわれる。
これ以後武田氏の勢力は急速に衰え、1582年(天正10年)滅亡を招いた。
この戦いにおいて、織田・徳川連合軍が新兵器の鉄炮を組織的に使用し、騎馬戦を得意とする武田軍に圧勝した点が注目され、従来の騎馬中心の個人戦から足軽の鉄炮隊を中心とする集団戦法へ移行する画期的戦闘と評価されている。

2 :人間七七四年:2016/11/13(日) 03:07:35.09 ID:6wnR8y6D.net
鉄砲の三段撃ちって本当はどういう方法だったのですか?

3 :人間七七四年:2016/11/14(月) 17:30:56.07 ID:qKHhBKnu.net
鉄砲の三段撃ちは狙撃手と弾を込める人と渡す人に役割が分担されていた

4 :人間七七四年:2016/11/14(月) 22:32:15.48 ID:MN+JquFY.net
渡す人楽すぎだろ

5 :人間七七四年:2016/11/14(月) 23:20:54.32 ID:hvlzefMQ.net
鉄砲の三段撃ちは無かったんだよ

6 :人間七七四年:2016/11/15(火) 00:28:45.75 ID:YeXG8l4V.net
渡す人は弾を込める人から狙撃手に、狙撃手から弾を込める人にと往復するから意外と大変と見た。
特に両方から同時に渡された場合はどっちを先に取るか、そしてどっちに先に渡すか迷う。

7 :人間七七四年:2016/11/15(火) 01:10:56.30 ID:2up2FY+w.net
寒狭川渡ったのが謎
しかも長篠城も落ちてないのに

8 :人間七七四年:2016/11/15(火) 06:04:19.05 ID:20U5pbPu.net
三段撃ちと後の立花宗茂隊の早合はどっちが速いのだろう

9 :人間七七四年:2016/11/15(火) 06:43:43.96 ID:7gU/4cZ4.net
だから三段撃ちは無かったってのが最近の見解

10 :人間七七四年:2016/11/15(火) 14:51:17.67 ID:/l5Qb0mg.net
三段撃ち=大斉射が三回
こんな気がしてきた。
仮に弾篭めが終わった1000丁×3回の発射間隔の短い斉射が有ったら
当時だと大混乱すると思うぞ。

11 :人間七七四年:2016/11/16(水) 05:18:15.38 ID:YMxRHDHV.net
どうしてそこまでして通説を曲げようとするのか

12 :人間七七四年:2016/11/16(水) 11:49:55.48 ID:lK0hIMbv.net
昨日スカパーで信長対勝頼やってたけど、そもそも騎馬隊すら無かったのではないか?って説もある

大量の鉄砲で打ち掛けられたら、馬は錯乱して逃げ惑い、白兵戦になってたと

それに信長公記にも鉄砲五百丁の記述しかなく、本当に三百丁あったかも疑問

13 :人間七七四年:2016/11/16(水) 11:50:27.25 ID:lK0hIMbv.net
あっ、三千ね

14 :人間七七四年:2016/11/16(水) 12:58:45.50 ID:BBi3lBhA.net
武田にもそれなりに鉄砲があったから大混乱を起こしたとは考えにくい。
多少はあったとは思うけど。
再三言われている様に、数に劣る武田が防御陣地で守る多数の連合軍に突っ込んで、攻め崩せず敗走。
更に追撃を受けて多数の死傷者を出したってのが現実的。

長篠で武田の取れる選択肢は、長篠城を強引に落すか、包囲される前に逃げるかだとは思う。
そもそも決戦するには遅すぎるて速すぎる。

15 :人間七七四年:2016/11/17(木) 21:16:44.69 ID:t52YiZng.net
三段撃ちの三段とは「柵」「堀」「土塁」のことです

16 :人間七七四年:2016/11/18(金) 00:13:50.92 ID:8xWXpGXe.net
なるほど、上手いな

17 :人間七七四年:2016/11/19(土) 23:16:51.57 ID:kyIXRPD+.net
鉄砲隊を三隊に分けて全員が順番というよりも、特に狙撃手のエキスパートは大切なので「狙撃手」「渡す人」「弾を込める人」の三隊に役割分担されていたと思う。
むしろそう考えるほうが自然だと思う。

18 :人間七七四年:2016/11/20(日) 08:02:02.39 ID:W+naGWap.net
戦国時代の鉄砲に狙撃できるほどの命中精度はない
だから数撃ちゃ当たる集団運用

19 :人間七七四年:2016/11/20(日) 09:51:21.24 ID:oniIHhFK.net
火薬量も適当、弾丸も円形
まぁ当たらんな

20 :人間七七四年:2016/11/20(日) 21:31:52.56 ID:I84t+AzN.net
長篠・設楽原の戦いで討ち死にした武田軍の主な武将。
山県昌景、内藤昌豊、馬場信春、真田信綱、真田昌輝、原昌胤、原盛胤、土屋昌続、土屋直規、安中景繁、望月信永、米倉丹後守。
武田軍まぬけ過ぎる。

21 :人間七七四年:2016/11/21(月) 16:57:49.30 ID:N05GWt+f.net
>>18
雑賀衆のゲリラ戦術とかもあるし熟練の兵は狙撃してたと思うよ

22 :人間七七四年:2016/11/21(月) 17:57:19.41 ID:FGP6kSag.net
眉唾物

23 :人間七七四年:2016/11/21(月) 23:27:34.99 ID:16t1bV10.net
戦国日本の火縄銃はタイムラグが少なく狙撃に向いている「瞬発式火縄銃」だよ

24 :人間七七四年:2016/11/22(火) 01:07:09.61 ID:Hf1XWSnr.net
そういう問題ではない
ライフリングもない、粗末な工作精度の原始的な滑空砲から
いいかげんな球形の弾丸をテキトーな火薬量で撃ち出すのが火縄銃
その命中精度は推して知るべし

25 :人間七七四年:2016/11/22(火) 18:52:38.85 ID:j4rHAahI.net
>>23
頭大丈夫?

26 :人間七七四年:2016/11/22(火) 21:19:57.39 ID:NzRrdnq7.net
日本の火縄銃は命中率重視だったはず
少なくとも欧州ほど数撃ちゃ当たるではなかったはず

27 :人間七七四年:2016/11/22(火) 21:32:19.39 ID:NzRrdnq7.net
島津の場合は3発中1発以上あてないと切腹だったらしいから島津の名手はそれなりの命中精度だったと思われる

28 :人間七七四年:2016/11/23(水) 06:37:33.46 ID:IZvUZXSP.net
ヒント距離
狙撃というのは一般に遠距離射撃を指すが
字的な意味は「狙い撃つ」で距離は関係ない
五メートル程度の近接射撃で狙い撃っても当たれば狙撃成功

29 :人間七七四年:2016/11/23(水) 06:48:21.24 ID:lrMWz9ru.net
勝負の決め手は別に鉄砲でもないし

30 :人間七七四年:2016/11/23(水) 12:21:01.30 ID:PqE6A6yN.net
たんなる柵じゃなくて、けっこう本格的な砦をつくったんだよね
ふつーに攻城戦になった そうなりゃ守るほうが有利だし、
使用武器は飛び道具中心になる 明らかに不利なのに攻めた勝頼が悪い

31 :人間七七四年:2016/11/23(水) 14:31:51.06 ID:htarP4up.net
火縄銃は敵の突撃の勢いを削ぐのに使われた
また1発を弾込めしている間に敵はだいたい100mぐらい進む
そう考えると野戦の場合は引きつけて狙い撃つが基本だったと思うけどな
あと籠城戦でも物資に限りがあるからやはり狙い撃つというのが基本だと思う

32 :人間七七四年:2016/11/23(水) 18:21:54.03 ID:0bDCj9ym.net
>>27
ブラック大名だな
切腹させずに槍隊かなんかに配置転換すればいいだろ
そんな了見だから秀吉に楯突いたりバカな事を起こすんだよ

33 :人間七七四年:2016/11/23(水) 19:44:02.74 ID:Itwwgjhw.net
罰といってもアナルに大根突っ込まれる程度だろ

34 :人間七七四年:2016/11/24(木) 01:21:37.68 ID:67gvRJ3N.net
敵が万全の防御態勢で鉄砲構えて待ってるのに騎馬隊で突撃する武田軍アホだよな

35 :人間七七四年:2016/11/24(木) 01:35:39.70 ID:6Ar8SgZ6.net
数が少ないと思ったって言い訳はやばすぎる

36 :人間七七四年:2016/11/24(木) 03:41:54.96 ID:G2WcBDHD.net
歴史とは勝者が書き換えるもの
実際はどうだったか分からない件

37 :人間七七四年:2016/11/24(木) 03:45:32.59 ID:xCVHXXs0.net
>>34
武田騎馬隊なんてものは創作

38 :人間七七四年:2016/11/24(木) 11:45:49.15 ID:O+i0JT58.net
勝頼さんはちゃんと孫子お勉強しなかったのかな?

39 :人間七七四年:2016/11/24(木) 15:47:11.09 ID:c+f2h8NU.net
圧倒的大勢力が小勢力相手に策謀の限りを尽くして勝利した戦い

40 :人間七七四年:2016/11/24(木) 19:10:03.47 ID:/pQWXQpY.net
1万5千で城に籠る3万5千を攻めて負けた戦い

41 :人間七七四年:2016/11/24(木) 19:14:42.43 ID:6Ar8SgZ6.net
長篠城落として篭城したらどうなるの?

42 :人間七七四年:2016/11/24(木) 19:36:00.30 ID:/pQWXQpY.net
長篠城に1万5千は入らん 定員オーバー

43 :人間七七四年:2016/11/25(金) 02:38:25.96 ID:MlkqZo3I.net
>>37
なぜお前はそう考えたほうが普通の一般的通説を曲げようとするのか。
相当な捻くれ者だな。

44 :人間七七四年:2016/11/26(土) 19:51:59.54 ID:tbMyb1Gh.net
>>43
お前は右向いてなさいって言われたらずっと右向いてるタイプやね?w

最近の研究では武田の騎馬隊は無かったってなってるんだけどw

45 :人間七七四年:2016/11/27(日) 01:04:24.94 ID:4umU3H2V.net
実際は,武田方武将の多くは戦死地点から
追撃戦で討たれたらしい,て説もあるけど。

46 :人間七七四年:2016/11/27(日) 02:48:16.44 ID:6btTAbKJ.net
ほとんどは殿として撤退中に討たれたらしいね
勝頼さん重鎮を軽んじ過ぎ

47 :人間七七四年:2016/11/27(日) 03:27:33.03 ID:pQ7bszGF.net
>これ以後武田氏の勢力は急速に衰え、1582年(天正10年)滅亡を招いた。

領土は拡張してんだけど

48 :人間七七四年:2016/11/27(日) 04:04:48.03 ID:WORLixD5.net
戦線を拡大し過ぎると補給が続かない。
朝鮮出兵、太平洋戦争も同じ。
これは伝統的な日本人の癖で同じ過ちを繰り返す。

49 :人間七七四年:2016/11/27(日) 09:57:08.47 ID:NxQqWsbo.net
結局、甲斐信濃は貧しい土地だと言うのが原点だよね?
尾張美濃や相模武蔵だと、ある程度戦線は拡大できるんだから

50 :人間七七四年:2016/11/27(日) 10:56:58.37 ID:WiM9HlS0.net
配られたカードで勝負するしかない

51 :人間七七四年:2016/11/30(水) 23:24:28.74 ID:DZj0vNSE.net
設楽が原の真実は、穴山梅雪などが動かなかったから
勝頼と梅雪の主導権争いにより、実際半分くらいの軍勢で戦った、いわば関ヶ原の戦いみたいなものだったからだよ

52 :人間七七四年:2016/12/03(土) 16:27:43.83 ID:Wp3Ddm/k.net
>>7
元々武田側が織田軍叩きたかったからでそ
その前どこだったか家康の城落とした時は、落とすの早かったから救援きた織田軍が帰っちゃったから
今度は引っ張りこもうと攻城遅らせたし織田との合戦も進んで出ていった
実際長篠城攻防みるとあっという間に押し込んでるのにそこから手が緩んでる
後詰怖ければ被害が少々出ようがむしろピッチ上げて落とすところをのんびり織田軍がつくまで待ってた
ぐらいだから戦えば勝つと信じてたんだろな
まあ直接戦う機会作れず織田の膨張を隔靴掻痒で見てたろうからもうここしかないって感じは良く分かる

53 :人間七七四年:2016/12/03(土) 18:44:25.33 ID:T+YJaZVS.net
国人衆の集まりの組織なのにその重鎮達を軽んじてる時点で負け
勝頼さんの元では人は城になれない

54 :人間七七四年:2016/12/03(土) 19:29:54.29 ID:Hkr8nGw8.net
戦の時期がダメ
織田の戦力分散させれない

55 :人間七七四年:2016/12/04(日) 06:29:03.23 ID:psGpeUSn.net
>>53
其れは信玄の責任

56 :人間七七四年:2016/12/10(土) 14:02:26.14 ID:24r2BXGs.net
永禄10年(1567年)の武田の軍法で
騎馬武者の装備について言及があるんだけど、その中で
それまで騎馬武者の装備で面頬とか兜とかの装備がまちまち
(装備してなかったり、兜を笠で代用したりとか)で
見た目が悪いから兜や面頬の装備を徹底しろって信玄が言ってんだけど
「弓や鉄砲を馬上で使うものに関しては面頬の装備は随意とする」ってわざわざ書いてて
少なからず武田の騎馬武者には槍だけじゃなく
馬上で弓や鉄砲を使う者がいたのかもしれない・・・
大坂の陣における騎馬鉄砲隊がもしかすると規模は小さいがいたのかも・・・って
平山優の本に書いてあった

57 :人間七七四年:2016/12/10(土) 14:17:23.33 ID:24r2BXGs.net
>>44
>武田の騎馬隊はなかった

・武田の軍役帳による騎馬の割合は北条より少ないが上杉よりは遥かに多い
・馬の運用は西低東高であり、鉄砲中心の敵と戦い続けてきた織田軍は
本格的な馬の運用を有する東国大名との決戦は初であり
十分に「騎馬」を危険視していたからこそ、ただの柵でなく「馬防柵」を作った。
・時代劇のように戦の緒戦でワーッと集団隊形で突っ込むような騎馬隊はなかったが
足軽や鉄砲衆との連携上、騎馬武者が敵の乱れに乗じて敵を混乱させるべく
「ここぞ」という時に乗り込む事は多々あった。
(基本、序盤は騎馬衆は控えていて、勝負どころで運用された。馬が疲れるから)
撤退や追撃などの限られた運用しかされなかったわけではない。
・騎馬は指揮官クラスのみが乗っていたので、それを集団として運用することはない
そんなことしたら指揮官いなくなっちゃうだろという否定説があるが
士官クラスだけでなく牢人衆や下っ端も結構馬乗ってた事は軍役帳からわかっている。

だってさ。同じく平山優の著書より

58 :人間七七四年:2016/12/10(土) 16:32:47.36 ID:24r2BXGs.net
あとフロイスが「日本人は下馬して戦う」って書いてるけど
フロイスが主に見た合戦は中央や西国大名の合戦であって
東国ではまた騎馬の運用も違っただろうし
実際騎馬武者が東国では状況に応じて下馬しないまま
(当然、徒歩武者などを引き連れてだけど)
とっこんだ記録はたくさんあるってさ

59 :人間七七四年:2016/12/10(土) 16:45:17.34 ID:24r2BXGs.net
つまり
鉄砲戦術(新兵器・革新)と騎馬戦術(旧兵器・保守)の単純な勝負という話ではなく
このあとの時代の合戦でも、織田軍の戦いでも
(柵などを設けて待ち構える)鉄砲に対する突撃という戦法は
ごく当たり前に正攻法として存在し、まま突撃部隊が鉄砲隊を打ち破る事もあった事などから
特に愚策というわけではない。
(信長も少数精鋭部隊で本願寺の鉄砲衆を撃破したりとか結構よくやってる)
はじめから武田と織田徳川連合軍に兵力差があったのと
武田の足並みが揃ってなかった事が原因かと思われる。
信長が周到にこの戦にかけて準備してたってのもあるね。
局地戦での勝敗でいえば武田側が勝つ目もないわけではなかった

60 :人間七七四年:2016/12/13(火) 17:14:30.13 ID:ZJuc4JSO.net
馬に乗ったまま鉄砲をぶっ放したら、馬が驚いてしまうよ。
馬に乗ったままヤリが精一杯だな。馬上から弓を使う武者もいるが、技量がいる。

61 :人間七七四年:2016/12/13(火) 19:24:31.81 ID:9gyfr88+.net
部隊としては運用できないだろうけど
個人でそういう後先考えないで鉄砲もつ奴がいたんでしょ。
じゃなきゃわざわざ弓鉄砲を使う者は面頬つけなくてもよし、と書かないだろうし

62 :人間七七四年:2016/12/14(水) 04:45:27.86 ID:CRFkic2y.net
>>59
勝頼と穴山梅雪の主導権争いもあり、実際戦った兵も少なかったからね

63 :人間七七四年:2016/12/14(水) 12:36:40.24 ID:c7mObSgS.net
武田は過信しすぎだよな
あれ柵に正面から向かわないで、南から迂回して西の背後から回り込むように仕掛ければ
防壁のはずの柵が退路断って織田徳川壊滅させられたと思うわ
護ってくれるはずの柵が後ろにある事を認識したら織田軍が踏ん張れるとはとても思えない
瓦解して負い討ちに大損害食らいそう
徳川が少しは踏ん張るかもしれないけど、所詮領内荒らす武田相手に逃げ回ってた軍だし
とても支えられるとは思えない、もし踏ん張ればそれだけ損害増しちゃうって有様で全滅の
憂き目もありそう

64 :人間七七四年:2016/12/14(水) 13:14:33.38 ID:RmdAtMJX.net
梅雪はそんなに勝頼が気にくわないのにクーデターでも起こさなかったんやな
勝頼は基盤盤石とは言えなかったし仲が悪い一味もいたようだからその気になれば行けたやろ

65 :人間七七四年:2016/12/14(水) 19:39:05.06 ID:omp5mEbk.net
信長が酒井隊に大量の鉄砲を持たせて迂回させたのを啄木鳥戦法だと思ったんじゃない?
上杉は武田を抜けなかったけど、武田なら織田を抜けると考えたとか

66 :人間七七四年:2016/12/15(木) 02:06:07.26 ID:LkgNuSNY.net
あと決戦前に羽柴・丹羽隊が先遣として武田を挑発してて
これを見た武田軍は「織田の援軍は大軍って聞いてたけど意外と少なくね?」と油断したらしい。
んで有利な地形を捨てて、織田の待ち構える場所へ誘い出され
そこでもさらに窪地などに兵を潜めて少なく見せていた織田を侮り
「これはいけるかも」と思って周辺国衆に今回の合戦は大勝利!的な書状を撒いてるので
織田と武田の諜報能力の差ってのもあるかもしれない。
織田は武田を恐過ぎるくらい恐れて万端の準備をしいて挑んだのに対し
武田は甘い見積もりで「勝てるかも」くらいの意気込みでたいした準備なく決戦に挑んだ感ある

67 :人間七七四年:2016/12/15(木) 19:16:13.84 ID:1y/L3cwp.net
織田側も今回はことごとく討ち果たす予定www
って宣言してるしそんなもんやろ

68 :人間七七四年:2017/01/10(火) 09:50:45.18 ID:z8soNdBH.net
勝頼は「敵は手立てに困って引きこもってるからこちらから攻めて殲滅するつもりだよ」
信長「敵はわざわざ前進してきて包囲殲滅し易くなったから大勝利間違いなし」

勝頼の方が普通に状況判断が甘い

69 :赤岡 龍男:2017/02/18(土) 01:07:37.67 ID:RAqUtYcOu
長篠合戦 やはり武田の騎馬武者は脅威だった。武田の鉄砲の弾を通さない重甲冑を馬に乗せていた、
重甲冑が数倍の織田•徳川の鉄砲隊に乗り込めば他もなだれ込み負けなしだった、
だから織田•徳川は対策に柵を設けた。

70 :赤岡 龍男:2017/02/18(土) 01:09:52.65 ID:RAqUtYcOu
掲示板でもディすられてすぐダメになるメンタルプロテクター低い人より、
へっちゃらのメンタルプロテクター高い人が手強いのと、何となく似ている。

71 :人間七七四年:2017/03/10(金) 15:25:23.70 ID:1DpuDJck.net
織田は柵作って大軍の利点の一気の押し出しが出来なくなってるんだから、武田は柵無い南に回って横から攻撃掛けりゃいいんじゃないの
なんでわざわざ策壊してまで正面攻撃にこだわったんだか謎だ

72 :人間七七四年:2017/03/11(土) 19:17:08.89 ID:9A1sXcTw.net
半包囲されてたから

73 :人間七七四年:2017/03/14(火) 12:31:41.58 ID:l54comFd.net
迂回したら一気に押し出しで終わるからだろ

74 :人間七七四年:2017/03/14(火) 22:33:32.62 ID:ZRXcYvCJ.net
地図みろや

75 :人間七七四年:2017/03/21(火) 21:00:21.45 ID:EzUPzu8x.net
織田が出てこないから武田から攻めてるのに織田が出てきて終わるとか凄いなw

76 :人間七七四年:2017/04/30(日) 20:56:08.27 ID:XB7Eg3SB.net
織田の勝因は、馬防柵と相手より3倍近い兵力を集めたこと。
馬防柵については、甲陽軍鑑に戦というよりも城攻めのようだったという記述が残っている。

それでも、武田軍は果敢にせめ、徳川の記録では馬防柵三段のうち二段まで破られたとある。
しかし、結局は織田・徳川軍の数的優位に圧倒された。

武田の猛将のうち、馬防柵近辺で打ち取られたのは内藤修理だけで、あとは追撃戦途上のもの。
ともあれ、鉄砲が主役の戦いではなかった。

77 :人間七七四年:2017/05/01(月) 02:58:32.89 ID:s7fp1BSq.net
なんか甲陽軍鑑じゃ重臣連中は反対したのに勝頼が連戦連勝で驕って攻撃させた事になってるけど
実際は重臣連中もやる気満々だったんだろうな
ここで織田徳川連合軍撃破すればもう徳川方の豪族は離反しまくるだろうし新しい知行地ゲットのチャンスだもんなぁ

78 :人間七七四年:2017/05/01(月) 04:59:36.72 ID:TKNqCd9A.net
やる気まんまんっというかやらんとまずい。

朝倉浅井滅亡
本願寺半包囲、長島壊滅
越前の反織田派は内部分裂を起こして機能しない

信玄の上洛詐欺も大概やったし、この状況下で戦わないで帰るとどうなるか予想してみ?
武田の威信は地に落ちるで(σω≡)ホジホジ

まぁ実際戦わないで帰ってれば、後に上杉や毛利が参戦してきて、もっと良い状況で決戦出来たけど、それを言うのは酷だな。

しかし戦うにしても長島が生きてる間にしないと戦力差が大きすぎる。

79 :人間七七四年:2017/05/01(月) 11:17:34.23 ID:Rvs0ErTv.net
陣城作っておびき寄せて発砲するを繰り返して勝ったんでしょ

80 :人間七七四年:2017/05/01(月) 14:53:53.50 ID:A4otXSsp.net
>>76
小幡も馬防柵付近で死んでね

81 :人間七七四年:2017/05/01(月) 16:17:33.59 ID:rY9gwRao.net
長島が信長に攻められてる時に
のんびり高天神城攻撃してたんだっけか?

82 :人間七七四年:2017/05/02(火) 02:28:13.66 ID:Q0ERLPPV.net
地理的にも長島は尾張に近いし、ここで反織田勢力が抗戦する意義はでかい。
長島一向一揆の規模は質はともかくとし、数は多いため、武田が東から圧迫すれば、
もっといい条件で織田と戦えたし、或いは長島を戦略的に救うことも出来たかもしれない。

長篠の戦いは、長篠城を落とせず、長篠城の囲みは破られ、しかも武田軍より多い援軍が来援した時点で余程の事がない限り勝てんやろ。

っか、攻城軍より多い援軍かきて攻城側が勝った事例てどらくらいあんの?
逆なら

郡山城の戦い
毛利約1万援軍大内1万 対 尼子約3万
末森城の戦い
城約3千援軍約3千 対 佐々勢約1万5千

とか挙げたら数多あるけど、その上攻城軍を上回る援軍がきたら絶望的じゃん。

83 :人間七七四年:2017/05/02(火) 02:52:11.27 ID:1X83yg1G.net
設楽が原で武田軍の前面に配備されてた兵力って2万程度らしい
残りの1万以上は丘の後ろで待機
1.5倍程度ならなんとかなると思っても不思議ではないな

84 :人間七七四年:2017/05/02(火) 02:59:28.04 ID:Q0ERLPPV.net
前後挟まれてる時点で武田も全軍が正面と対峙出来るとはとても思えないのですが…

85 :人間七七四年:2017/05/02(火) 04:37:59.62 ID:661kNDKG.net
信長、敵に見えないように3万を上手く埋伏させる( 敵がたへ見えざる様に、段々に御人数三万ばかり立て置かる)
勝頼「思ったより少なくね?さては度重なる軍役で愛想つかされたな?チャンス!(←まちがい)」有海原に出ていってしまう
信長、鳶ヶ巣山を強襲して後方を抑える
勝頼「おいおいやべぇ! 突撃しかない!」→悲劇

86 :人間七七四年:2017/05/02(火) 11:50:43.86 ID:pqNClP0p.net
結局この時の勝頼の取るべき方法って
1 退却する
2 長篠城を一刻も早く落とす

の二択だよね?
後詰めにきた武田の倍の大軍が何も出来ずに丘に柵作って出てこず
長篠城は落ちましたなんてことになったら戦で負けるのと同じくらい徳川はダメージ被る

87 :人間七七四年:2017/05/02(火) 18:01:10.77 ID:Q0ERLPPV.net
2は無理と思われる。
まず、援軍が到着した時点で長篠城を落とす事は不可能に近い。
犠牲を省みない総攻撃を行えば落とせるかもしれんが、それじゃ今度は援軍の織田と戦えない。
長篠城落としても、それに見合うメリットが殆どない。
収容不能な小城・敵中孤立・戦略的に有利にならない等。

とにかく落とせなかった時点で直ぐに退くしかないよ。
武田の威信も地位も名誉も吹っ飛ぶかもしれんけど。

88 :人間七七四年:2017/05/02(火) 19:11:08.36 ID:xn1ykq4U.net
徳川は遠江や駿河で城攻めしてる時
武田の後詰めが来るとすぐに逃げてたよね?
別に徳川の維新用いも名誉も吹っ飛ばなかったけど

89 :人間七七四年:2017/05/02(火) 19:15:38.14 ID:xn1ykq4U.net
そもそも1万5000しか動員しなかった時点で武田は織田の来援を想定していない
徳川相手ならこれで十分という判断
織田が来た時点で退却だよなぁ

90 :人間七七四年:2017/05/02(火) 19:24:06.74 ID:L92wBa7H.net
信長公記の後知恵論の鳶ヶ巣山に本陣を置いて睨み合いしながら長篠落とすが正解だろうな

91 :人間七七四年:2017/05/02(火) 19:55:01.49 ID:661kNDKG.net
「長篠城攻囲に攻め手を七首残して、別途1万5千であるみ原に向かった」って書いてあるから、
少なくとももっと多く動員してただろう。「七首」がいくらかが問題なんだが、
「七首」は別働隊酒井軍4千+長篠城の兵士に挟まれてあっさり敗走したようだから、4000よりは少ないと見ていいんかな
ちなみに研究者の谷口克広は2000ほどとしてる。どっからきた数字なんだろう

92 :人間七七四年:2017/05/02(火) 20:37:14.63 ID:Q0ERLPPV.net
>>88
徳川は別に戦略的な背景がないから、敗走しても別に問題ないやろ。

武田は反織田勢力として活動してるのに、中央の戦いに全く寄与してない。
寄与してないばかりか、信玄の中央圧迫は完全に失敗した。

その上、戦わず逃げたらそりゃ織田軍は中央で宣伝工作するやろうなぁ。
ここで戦わないで逃げるのは長島に続き、越前一向一揆も見捨てたと言われかねないし。

まぁ、それを覚悟しても逃げなんけど。

93 :人間七七四年:2017/05/02(火) 23:07:10.75 ID:v/dPVzZt.net
>>88
そら武田の方が格上だもの徳川(当時)よりは
弱い方が逃げたって地位も名誉も糞もないだろ

94 :人間七七四年:2017/06/10(土) 11:59:19.85 ID:rwU8I0zWn
酒井隊派遣を聞いて「鉄砲千丁?ってことは相当の大軍やな!それなら川中島方式でいけるやろ!で正面攻撃をかけたんでは」

95 :人間七七四年:2017/07/09(日) 17:54:24.98 ID:3jyRN7T7.net
織田って戦略的に動いていたんですかね?

トップの信長は戦略を部下に示したことが一度でもあるんでしょうか?
宣伝もなにも、信長様は何を考えておられるんだろ?レベルで最後まで終始していたのではないか。

身分不相応に人々が国家天下を語り始めるのは江戸幕府成立以後じゃねえか?

96 :人間七七四年:2017/07/09(日) 18:17:05.57 ID:mLN36yMp.net
第二次織田包囲網を耐えきった後は戦略的に天下統一事業進めてる気がするけどな

97 :人間七七四年:2017/07/09(日) 19:33:25.60 ID:3jyRN7T7.net
信長が戦国時代の次の世界を具体的に描いていたかどうか、皆目判らない。子供が右往左往しているぐらいだから、赤の他人に至っては何聞いていないのだろう。
金閣を建てた義満と同じぐらいの、一時的な覇者止まりの器である可能性も否定できない。

だから、信長を中世社会の中の近代的な人物の代表であるかのように扱うのは飛躍だと思う。

98 :人間七七四年:2017/07/12(水) 00:31:16.22 ID:CBo4MGBQ.net
戦略とか大層なものではなく、並外れたバイタリティと部下の酷使が強さの秘訣

99 :人間七七四年:2017/07/12(水) 08:56:53.06 ID:5hzl6uPe.net
やっぱ経済力じゃね? 首都圏押えてたし
じゃあ三好はなんですぐ追い出されたんだってことになるけど

100 :人間七七四年:2017/07/12(水) 10:34:45.27 ID:58k7IWgg.net
三好の基盤は四国方面(阿波)だから
もともと忠誠の薄い連中も多いし(丹波方面など)
信長が上洛狙った頃には内部抗争でボロボロだったし

101 :人間七七四年:2017/07/13(木) 10:52:35.28 ID:qxJqH4C/.net
信長は従わない一族とか国人領主とか滅ぼして
子飼いの部下が多いってのはあるね

102 :人間七七四年:2017/07/13(木) 16:25:54.58 ID:HNGJ4OMR.net
>>101
別に多くないと思う

103 :人間七七四年:2017/07/13(木) 16:35:58.82 ID:lP7TVQMi.net
なぁなぁで勢力拡大した訳じゃないから、新規に採用した武将は多いのは確か

104 :人間七七四年:2017/07/13(木) 17:18:48.98 ID:0RyU5hvH.net
なぁなぁで勢力拡大してるけど、そのなぁなぁ勢を強引に家臣扱いする(美濃三人衆も信長の直属軍団、ゆうたら旗本にされた)
だからトラブルも多い

105 :人間七七四年:2017/07/13(木) 17:23:07.56 ID:HNGJ4OMR.net
>>103
武田と比べて多いかというと全然そうは思わない

106 :人間七七四年:2017/07/13(木) 20:07:59.71 ID:xplPD4A+.net


107 :人間七七四年:2017/07/14(金) 07:54:59.06 ID:Bp6/vLBa.net
信長並みの面積を制覇した毛利とか武田と部下の配置や出場を比べると明らかだと思う。
武田の軍制は、小隊とか中隊の概念の一歩手前まで来ていたと言う。変化というか、進歩の具合が色々だ。

108 :人間七七四年:2017/07/14(金) 08:40:41.64 ID:60nCSKjF.net
武田は長篠で部隊指揮官レベルが軒並み戦死して
軍隊としてのレベルが大幅低下
仕方なく勝頼は鉄砲の装備比率を上げて射撃戦重視へ
それで北条相手に有利に戦進めてたんだから成果はあったんだろう

109 :人間七七四年:2017/07/14(金) 18:37:04.03 ID:NtW2F3Pv.net
長篠古戦場をゆっくり散歩したが古いお地蔵さんや石の卒塔婆が乱立してるな特に柳田や竹広辺りに

やはりあの当時のものなのかね?地形も細い道沿いに田んぼや段差があったりあの場所はかなり戦国当時のままなんだろうな

110 :人間七七四年:2017/07/14(金) 18:41:27.46 ID:A2DHwSoJ.net
なんか今でも鉄砲玉が出るらしいからなー
すげー話だわ

111 :人間七七四年:2017/07/14(金) 18:47:48.50 ID:AM1nweTB.net
>>110
マジで?ちょっと行ってくるわ

112 :人間七七四年:2017/07/24(月) 17:33:09.96 ID:sovFu3g2.net
これまで長篠城址と設楽原合わせて60個程度しか見つかってないから
鉄砲の大量使用の事実に疑問もついてるくらいだけどね
それ以上のまとまった量が出たら大発見だよ

113 :人間七七四年:2017/07/24(月) 19:34:20.14 ID:E3zvDDzg.net
ちょい前まで15個とか言ってたのにずいぶん増えたな

114 :人間七七四年:2017/07/24(月) 20:08:30.58 ID:JRV714XF.net
じゃあ今から鉄砲弾埋めて掘り返したら歴史に名が残るな!

115 :人間七七四年:2017/07/24(月) 21:25:02.26 ID:mLm1FfSA.net
見つかってないのは拾ってたからだら

鉛は溶かせばまた使えるんでーよ侍さんの体に埋まっとる鉛もえぐりだしたぐらいだにゃ

116 :人間七七四年:2017/07/24(月) 21:46:46.38 ID:oN9vPKIC.net
西南戦争の田原坂でも薩摩軍が弾丸拾って溶かして再利用してた話は有名だな

117 :人間七七四年:2017/07/24(月) 22:35:15.29 ID:E3zvDDzg.net
柔らかい鉛玉は使用されると基本形残らないからな。その上錆びて白い石のようになるからまず気が付かない
長篠じゃなくても合戦場じゃそう出土するもんじゃない

118 :人間七七四年:2017/10/04(水) 01:36:58.86 ID:G5cHTRRu.net
武田の幹部級死にすぎだろ
なんであんなに討ち死にしたんだ

119 :人間七七四年:2017/10/04(水) 05:42:47.92 ID:nCg/p3dQ.net
退却路が険しく橋はあるわ長篠城の横を通らにゃならんわでがっつり追撃受けたから

120 :人間七七四年:2017/10/13(金) 14:40:02.69 ID:G5C2PbSd.net
武田は裏切った奥平の征伐が目的だったのだから、織田徳川連合軍が7キロも離れた設楽原で陣地構築してる時にさっさと長篠城落として奥平の首取って意気揚々と引き上げれば、大軍動員して長篠城救援を果たせなかった織田徳川の面目は丸潰れで、武田の面子は立ったのにね。
織田徳川連合軍が寄せてきたら、寒狭川を防衛ラインに対峙すれば渡河する危険を冒すのは織田徳川連合軍で十分防衛出来たと思うのに何でわざわざ長篠城残して寒狭川渡って陣地構築した設楽原に行っちゃったんだろうね?

121 :人間七七四年:2017/10/13(金) 21:25:47.44 ID:oseRpgmw.net
織田に大打撃与えないと差が開く一方だから

122 :人間七七四年:2017/10/13(金) 23:10:06.35 ID:hxaav+8k.net
引き上げる→奪いかえされ逃げ出した扱い
対峙→おそらく補給に不安
戦う→敵のが大軍
詰んでるな

123 :人間七七四年:2017/10/20(金) 17:12:35.28 ID:iYB4FgTH4
勝頼が長篠で退却をして4000の酒井の隊を撃退して退却路を作っておくべきだったんだ。誰だってミスはある。

124 :名無しさん@そうだ選挙に行こう! Go to vote!:2017/10/22(日) 11:41:59.19 ID:3ekJSNrF.net
>>120
城を落とすまで黙って織田徳川が見ているとは思えない(後詰に来てるんだし相手の方が兵多いんだし)
力攻めで落としたら落としたでそれなりに被害は出るわけで、その後追撃されたり奪還しに来られた場合不利
だったら兵がいるうちに決戦
持久戦やるほど兵站や兵糧に余裕がない
こんな感じ

125 :人間七七四年:2017/10/26(木) 16:03:12.42 ID:GfN1o4YFz
ほいほいがころんでとしぬとかじさつでとか で すとーきんぐはんざいおわりなら

くじょられないとおもうよ

126 :人間七七四年:2017/11/05(日) 12:07:01.52 ID:YuYhMvaie
流鏑馬が鎌倉時代の催しだった事から見ても少なくとも応仁の乱前後までは
騎馬武者の存在は確立されていた。が、鉄砲、足軽、銅丸等が流行り出した
戦国以降は、たまの奇襲戦以外か伝令、荷駄以外に廃れてしまったのかもな。

127 :人間七七四年:2017/12/06(水) 22:05:21.84 ID:lapVU5RC.net
例の三段打ちって桃山の頃はポピュラーな戦術になったのかな?

128 :人間七七四年:2018/01/16(火) 02:18:59.80 ID:iV2cRMTq.net
何で4万の織田徳川に1万2千程度の兵力で攻撃したんだ?
奇襲が失敗したとかそういうことじゃないの?

129 :人間七七四年:2018/01/16(火) 04:37:56.52 ID:s1HkaEkt.net
簡単な砦つくって立てこもってたら攻めてきたんで鉄砲で追い返しただけ
勝手に全滅した

130 :人間七七四年:2018/01/19(金) 20:31:59.40 ID:N/qqGj7d.net
>>128
ようわからんが退路ふさがれたから一か八かで突撃するしか選択肢なかったみたな説はある
あと戦国時代に敵の実数なんて分かりようがないからねえ
現代みたいにどこそこに敵がどんだけいるとかリアルタイムで分かるわけじゃないから

131 :人間七七四年:2018/01/23(火) 10:33:09.49 ID:YWO76GUI.net
>>130
岐阜から行軍してくる信長軍の行動は異常に遅く
勝頼陣営は十分その部隊を把握できる余裕があったはず
実際信玄時代から乱波を多く使用していた武田軍であるから
信長軍の兵力を把握できなかった説は信憑性が薄いな

132 :人間七七四年:2018/01/28(日) 23:22:56.18 ID:+tMNt9St.net
確か小勢の羽柴・丹羽隊とかが挑発して引き寄せたとか
主力を織田が潜めていたので前面に出ていた一部を全軍と勘違いして兵力を読み違えたとか
逃走路の砦を奇襲で落とされ決戦せざるを得なかったとか
ほぼ全軍を率いてきているのに一戦も交えず引き返しては指揮が保てなかったとか
いろいろ武田側の都合説がある

133 :人間七七四年:2018/01/30(火) 21:44:58.89 ID:SnBK1QdZ.net
勝頼の最大のミスは、信長の全軍集中を許したことだろう。
信玄が三方ヶ原で勝った時は、複数の反信長勢力を煽り、信長の兵力を
分散させ、自軍への集中を巧みに避けた。

石山本願寺、越前本願寺勢力を暴れまわらせることが出来ないなら、
信長と戦うべきではなかった。

134 :人間七七四年:2018/01/30(火) 21:48:17.75 ID:SnBK1QdZ.net
>>47
長篠で武田勝頼がゾンビ大名になった。
しかし、それがばれたら舐められる。
だから、必死で攻勢に出て、劣勢を誤魔化そうとした。

しかし、ごまかしは効かず、長篠以降織田は論外、徳川相手もずっと
劣勢だった。(長篠前は少なくとも徳川相手には劣勢ではなかった。)

135 :人間七七四年:2018/02/02(金) 21:48:46.97 ID:Z8EhlW2J.net
まあ長篠から滅亡までは7年は間あるし
その間、北条相手には勝ったりしてたしそこまで死に体でもなかったけどね
致命的だったのは御館の後に組んだ景勝がクソの役にも立たんかったこと

136 :人間七七四年:2018/02/02(金) 23:16:21.15 ID:O6Gz6jj6.net
上杉も御館の乱の論功行賞でしくじって内乱起こさなければ少しは役に立ったかなぁ

137 :人間七七四年:2018/02/03(土) 01:47:21.74 ID:aZU+Ne86.net
>>135
7年ある理由は、織田と徳川に生かされたから。
武田は両者の力をもってすれば瞬殺可能だったが、武田滅亡後旧武田領に
列強が雪崩れ込み騒乱状態になることを織田も徳川も恐れた。特に、織田は
当時石山本願寺と全面戦争をしており、生産力が低い上に列強に囲まれて
守りに向かない武田領を構っている余裕はどこにもなかった。

実際に、信長死後この地域は騒乱状態になっている。
(平山優「天正壬午の乱」に詳しい。)

それならば武田勝頼をゾンビ大名のまま生かした方がマシだと戦略的判断が
織田と徳川によりなされた。

出兵は言い訳にならない。>>134で述べたが、武田勝頼がゾンビ大名である
ことを隠し、周囲に舐められないために出兵しなければならないという悪循環に
陥っただけ。

138 :人間七七四年:2018/02/03(土) 05:11:16.18 ID:o0YsX5z2.net
当時の織田・徳川には甲信を治めるだけの実力が無かったってことか

139 :人間七七四年:2018/02/03(土) 09:10:18.97 ID:aZU+Ne86.net
>>138
一面だけ見ればね。
とは言え、近畿を攻略中に、生産性の低く、かつ周囲に北条、上杉と
いう列強がいる甲信にマンパワーを裂くことは、賢明ではなかっただろう。
逆に言えば、近畿を平定すると、すぐさま電撃的に武田を滅ぼしている。
そのころまでには、北条とは一定の関係が築けたし、上杉は滅亡寸前に
追いやっていたし、加賀本願寺は滅亡したし。

ついでに忘れていた。
>>136
上杉景勝は、精強な織田軍団によって滅亡寸前まで追い詰められていた。
とてもじゃないが、武田を構っている余裕はなかった。
最も、その時期になると織田も武田を滅ぼしたけどね。

140 :人間七七四年:2018/02/03(土) 09:12:54.49 ID:aZU+Ne86.net
>>139 に書いた通り、全ては織田・徳川連合軍の事情であって、
武田勝頼の事情はどうでもいい。つまり、武田勝頼はその程度の
存在に長篠の惨敗によって落ちた、ということだ。

141 :人間七七四年:2018/02/06(火) 22:19:21.77 ID:Fq8CqWd5.net
単に信長に余裕がなかっただけって話でしょ
毛利・本願寺・上杉に囲まれた77年あたりはわりときつかったし
離反も相次いだしねえ
天王寺のときに信長が流れ矢で逝ってたら勝頼もワンチャンあったかもね

142 :人間七七四年:2018/02/08(木) 23:00:43.07 ID:niyyrO/F.net
>>141
畿内に比べて、生産性が低いくせに交通の要地である(=周囲から
狙われる)甲信をわざわざ取る必要がどこにあるのか。優先順位から
して信長は当然のことをしたまで。

あと、1577年なんて、1570-73年に比べれば大したことないよ。
あの頃の信長はマジでヤバかったからな。
毛利、本願寺は確かに抵抗したが、常にあちら側の方が守勢だった。

上杉謙信を過大評価する人も絶えないが、あれは上杉謙信が豪雨で
襲撃するという、鉄砲隊が強力な信長に対し「この方法でしか勝てない」
方法で勝ったまで。もちろん、それ自体は謙信の軍神の名を辱めない
業績だが、言い換えれば劣勢なのは謙信の方だった。

確かに天王寺は信長は勝負に賭けたが、信長とはそういう人物で、
果断な点が魅力だしね。(逆を言うと、隙は多い。多くの暗殺者にそれを
突かれているし、明智光秀にも隙を見せてやられた。)

143 :人間七七四年:2018/02/14(水) 10:19:23.18 ID:5XmhZdWY.net
織田はともかく徳川は長篠後でも単体で武田を滅ぼせる程、兵力差なかったろ
織田が多方面戦略やってて、かつ北条らも絡めた同時侵攻を画策していたからこそ
7年あったわけで。徳川の意向がどうこうとか関係なく
織田-武田の事情だろ

144 :人間七七四年:2018/02/14(水) 10:49:51.75 ID:88M4juNt.net
徳川は織田っていう強力なスポンサーが居るから農繁期とか関係なく嫌がらせの出兵を繰り返す事が出来る
武田はこれに付き合うほど国力を消耗する
この差

145 :人間七七四年:2018/02/14(水) 11:16:06.68 ID:g57B2Ety.net
>>143
量だけならね。質は長篠で目を覆いたくなるほど下がっているよ。

長篠の戦いで1万5千の兵の1万以上失い、重臣の殆どを失い、確かに
一だけは新たな補充をかけたが、将兵の質の低下は目を覆うばかり。
しかも、無理に動員をかけて重税を引いて領民に恨まれ、滅亡時に
織田に悉く内応される原因となった。

徳川も織田に慎重な対処を求め、大きな戦線の展開は禁じられていた。
だから、持ったように見えただけ。御館の乱で、北条との信頼関係の
破壊を見計らって絶好のタイミングで徳川が武田を攻めたのがその象徴。

内容的にはゾンビ企業ならぬゾンビ大名の典型だわな。

>織田-武田の事情だろ
誰も武田の事情なんて考慮していない。ゾンビ代表の悲哀というやつだ。
すべては織田一人の事情。

146 :人間七七四年:2018/02/16(金) 00:21:44.17 ID:LJ10BERv.net
>>139 に書いた通り、全ては織田・徳川連合軍の事情であって

んじゃあ徳川は関係ないよな コロコロ言う事帰るな雑魚が

147 :人間七七四年:2018/03/20(火) 23:27:32.02 ID:G36ajVa1.net
長篠行ってみた
感想は・・・
ここは死地だということ
山に囲まれ起伏の間に強固な柵と
鉄砲
狭い盆地に小さい川
ここで戦って命があるとは
とても思えなかった・・・
なぜ武田勝よりは戦い挑んだのか?

148 :人間七七四年:2018/03/27(火) 05:08:13.55 ID:4okMOQrT.net
>>145
長篠で1万以上を失うとは??

149 :人間七七四年:2018/03/29(木) 22:07:15.34 ID:TE98hsuf.net
>>148
本当の意味で武田は長篠で壊滅したからね。
世界史的にはこういった壊滅した勢力は殆ど例外なくそのまま滅んでいる。
武田勝頼みたいに、7年近くもゾンビとして存続する(厳密には信長の都合に
よって存続させられる)例は殆どない。

150 :人間七七四年:2018/03/31(土) 11:02:19.30 ID:khPpzdGV.net
人的損失や疲弊による軍役拒否などで
「事実上」死に体だったっていうのはわかるけど
長篠以降も領土拡大はやってんだし
武田戦死1万は信長公記の盛り話じゃないのか
壊滅という程、兵が死に絶える前に普通は撤退するだろ

151 :人間七七四年:2018/03/31(土) 11:05:03.16 ID:khPpzdGV.net
今川だって桶狭間で事実上壊滅と言えるような人的損害を受けているけど
氏真が徳川武田相手に9年も生き残ってるんですけど

ほとんど無い?の

152 :人間七七四年:2018/03/31(土) 11:06:04.55 ID:khPpzdGV.net
ゾンビゾンビ言ってるアホは主張がコロコロ変わるから
わけわからん

153 :人間七七四年:2018/03/31(土) 12:09:16.46 ID:YR1MJGu4.net
氏真って勝頼のように拡大させていたっけか?
よくも持たせたものだとは感心するけど

154 :人間七七四年:2018/03/31(土) 15:31:13.75 ID:z3uoQTu5.net
ゾンビくんはただの荒らしだろ

155 :人間七七四年:2018/03/31(土) 19:35:50.88 ID:L2JLSndD.net
菅原に始まりゾンビ君やらねえやら、武田関係は何故か変な奴を引き寄せてしまうな

156 :人間七七四年:2018/05/12(土) 06:23:48.36 ID:zhegj/dHf
当時は武田軍の幹部は織田・徳川の軍を多く見積もっても2万人ぐらいにしかいないと思っていたらしい。それに加えて佐久間の裏切りを上乗せをすれば武田軍の9千人でも対抗できた。

157 :人間七七四年:2018/05/21(月) 07:59:20.00 ID:lkGMMlEmd
創価学会公明党は
大阪の仲間健二
に対する集団ストーカー行為を止めろ
日常生活で付きまとうな

創価学会信者を動員した集団ストーカー行為止めろ
表と裏の顔の違い
やっていることの下劣さ
恥を知れ
穴開けてない 言いがかり 
バイト先に信者の動員
平成の魔女裁判

158 :人間七七四年:2018/05/25(金) 19:11:39.10 ID:6/K4K2tE.net
行って見て分かった、
設楽原は野原のイメージあるけど、実際は全然違う。
崖ばかりの山と谷しかない。
200メール先の相手陣地奥なんて、全く見えない。
とてもとても、騎馬武者が縦横無尽に走れる場所ではない。

織田、徳川は、長城という城を築き長期戦に備え、
武田は、短期決着の合戦をしようとしたが、実は城攻めをさせられてしまったようなもの。
鉄砲とか、騎馬とか無関係に、
戦いに対する認識が武田軍は、時代遅れ。

あと武田の武将の戦死場所をみると、攻撃中に戦死したより、
退却中、しんがり中に死んだ武将ばかりだ。
あの山県昌景も、退却中だろみたいな崖の登り坂にある。

実際の戦闘時間は短かったんじゃなかろうか?
すぐに退却戦に移って、予想外にそこから損害が大きくなっている。
つまり、山と谷ばかりで、退却中にも道に迷うような地形の影響が大きいと思われる。

159 :クバの化身:2018/05/26(土) 07:09:36.28 ID:+YcolTLn.net
自演を注意してくれる親切な者もおらず、みな
まことの前から、去って逝った

160 :人間七七四年:2018/05/27(日) 03:39:49.51 ID:PqLftQ6y.net
そら戦中より退却中の方が負傷者・死亡者多いのは当たり前の話じゃろが

161 :人間七七四年:2018/05/27(日) 23:33:34.10 ID:4PkmjDyd.net
戦死者の大半は追撃戦で出るものだからねえ

162 :人間七七四年:2018/05/28(月) 01:13:05.81 ID:tKleg34p.net
>>150
残念だが盛ってはいないと思う。武田の将が二度と再起不能の言える
壊滅状態に陥っているんだから、兵の被害も甚大と見るのが自然。
将だけ壊滅して、兵が壊滅していないとは、かなり考えにくい。

武田が撤退できなかったのは、周囲悉く包囲され袋叩きにあったから。
包囲殲滅戦こそが長篠の本質であり、武田は再起不能の状態となり
事実上滅亡し、ゾンビ大名として以後7年間周囲に腐臭を放った。

163 :人間七七四年:2018/05/28(月) 07:45:44.24 ID:homQuwcC.net
となると新兵と敗残兵の寄せ集めに周りの大名はやられていたって、情けないことになるんだが
そんなん、侵入を許さずに撃退せいと

164 :人間七七四年:2018/05/28(月) 11:51:08.73 ID:zUX6KUPo.net
地形からすると、確かに3方向からの包囲戦が展開された可能性がある。
さらに、現在でも分かりにくい地形は、昔はもっと森林だらけで、東西南北さえ迷うはず。
攻撃される方向から逃げるしかなく、ただただ田峯城、武節城の難所へ逃げるしかなかったのではないか?
田峯城の謀反で入城拒否にあい、それがまた損害を大きくした可能性もある。

では、なぜ豊川を渡り、設楽原にノコノコ出てきたのか?それが一番の問題。
もっと後方の豊川の崖を防衛ラインに出来なかったのだろうか、という疑問だけが残る。
@挑発されて出てきた?
A信玄の命日の関係で、虚勢を張った?
B織田、徳川軍の実数を見誤った?
C鳶ヶ巣山砦が落ち、一発勝負に出た?(でも落城前に豊川を渡っている)

配陣し突撃を順番に繰り返している時点で、それなりの戦術を有していたと思うが、
後世の人間からすると、豊川を渡るという、その戦法、戦術がまったく理解できない。

165 :人間七七四年:2018/05/28(月) 12:42:16.20 ID:aVuayXd8.net
>>164
素直に考えれば、織田・徳川方の実数を見誤った可能性が高いだろう。
例え猪武者の愚将でも、倍以上の相手に正面攻撃はしない。
複数の内通予定者や、地元民からガセ情報をつかまされたのと、伊勢・長島の後で、中核部隊は消耗していると思い込みがあったのか。
どちらにせよ、長篠に出陣した重臣の過半数は、彼我の戦力比を誤認したと思う。
そうでなければ、長篠後に、勝頼体制が揺らぐ罵倒合戦と粛清の嵐があったはず。
それが無かったということは、死んだ宿将も逃げた一門も、自分の失態を自覚していたということかな。

166 :人間七七四年:2018/05/28(月) 14:33:47.67 ID:zUX6KUPo.net
>>165
確かに武田軍は、物見斥候の能力が弱い印象がある。

武田は、過去信玄の時代から、コツコツ地道に勝ちを拾って積み重ねては、
ドカーンと大負けする戦をたまにする。

そういう軍の組織でもあるが、もう少し敵軍の情報を正確に得ていれば、
大敗、また大損害を出さずに済んだのではないか?と思える戦がある。

例えば、川中島、上田原、設楽原も含めて、負けるときは、大物武将が戦死するほど、なぜか大損害。

167 :人間七七四年:2018/05/28(月) 15:29:48.67 ID:nVE2dplM.net
>>166
武田の忍軍団は優秀ではなく、ポンコツだったのか

168 :人間七七四年:2018/05/28(月) 19:39:35.92 ID:CjO8kngX.net
>>166
検証長篠合戦だかで平山優先生が言及してたと思うんだけど
武田家は軍功の評価点の3番目だかに大きいポイントとして
劣勢でもその場に留まり戦うこと、があったはず

多少押し込まれてもこの軍功のおかげで諸将が粘ってくれるってメリットもあるんだろうけど
デメリットとして粘りすぎて死にやすいってのがあったのかもしれない

169 :人間七七四年:2018/05/28(月) 19:54:49.38 ID:PkxW1R01.net
甲斐の武士はスーパー脳筋だからすぐ死ぬ
人国誌にもあそこにおかしいと書いてあるな

170 :人間七七四年:2018/05/28(月) 20:01:39.23 ID:iCu95XX5.net
ちょうど今NHK「ファミリーヒストリー」で、長篠合戦図屏風で山県昌景の首抱えてる兵士が
志村けんのご先祖らしいということをやってた
元々志村という苗字は山梨に多い苗字だけど

171 :人間七七四年:2018/05/28(月) 20:10:49.59 ID:nVE2dplM.net
志村と言えば最上家の重臣 志村光安がいたからあの辺かと思ってた

172 :人間七七四年:2018/05/28(月) 20:50:50.38 ID:Kziune8M.net
映画「影武者」のように短時間で終わったわけではない

173 :人間七七四年:2018/05/29(火) 10:36:49.90 ID:FJ5sD2jo.net
>>158
設楽原はそこそこ拓けてたでしょ
今行くと第二東名やらで様変わりしているけど

長篠城周辺は崖と林と山口で本当に狭いけど

174 :人間七七四年:2018/05/29(火) 15:21:29.96 ID:EMHYwOzg.net
まーたゾンビゾンビ言うアホがわいてるわ

175 :人間七七四年:2018/05/29(火) 15:49:38.75 ID:rKrknDv9.net
甲斐では日本住血吸虫症が蔓延していて、誰が何時死んでもおかしくないんで
刹那的な気風だったというね。

176 :人間七七四年:2018/05/29(火) 17:45:06.93 ID:dnikFmTZ.net
一応念のため言えば、日本住吸血虫の生息地域は甲府だけじゃなく
利根川下流域とか広島片山地区、筑後川中下流域などわりとあって
その中で最大なのが甲府盆地ってことだからね?

177 :人間七七四年:2018/05/29(火) 18:48:33.69 ID:ciLYC9Um.net
>>176
利根川下流ってどこだろうと思ったら相馬(守谷)や対岸の印旛のあたりか
もっと下流のうちら辺では聞いたことなかったからずっと不思議だった

178 :人間七七四年:2018/05/29(火) 21:38:16.84 ID:0A0HUm2c.net
地方病は韮崎市あたりがメッカなんだろ?
田畑耕したらしぬんだから気性に影響するわな

179 :人間七七四年:2018/05/29(火) 22:23:10.35 ID:FJ5sD2jo.net
http://i.imgur.com/zpJvSvK.jpg
宇利川、豊川下流は断崖絶壁
設楽原と有海原の間は小さい丘と坂だったな
薄緑の所はほぼ拓けていた
今は第二東名のせいで見通しが悪くなっちゃってるけど

180 :人間七七四年:2018/05/30(水) 09:28:42.23 ID:+Ao99Frv.net
>>179
絵じゃ分らんだろがw

実際に行けば分かる、行きもしないで講釈ばかり垂れられても、何の意味もないんだよ。

先の見通しの悪い場所だし、
たとえ君の言う通り拓けていたとしても、武田軍がノコノコ豊川を渡る意味をさがしているんだよ。

人の上げ足だけをとるだけの愚問を繰り返し、ゾンビゾンビ言ってるのは、もしかして君か?

181 :人間七七四年:2018/05/30(水) 10:32:31.61 ID:nznBBMT7.net
まあ、実際に行ったとことろで
当時にワープでもしない限り
実際に陣を構えた場所だとか動員人数だとか
合戦の推移だのはわかんないけどね
定説通りに動いていたかなんて誰もわかんないんだから

182 :人間七七四年:2018/05/30(水) 11:10:36.91 ID:pMV6a0YX.net
>>180
俺は行ったぞ
第二東名が出来る前と出来た後に二回ね
設楽原は拓けていた
設楽原と有海原の間の小高い丘から見通せるはずなんだよな

183 :人間七七四年:2018/05/30(水) 12:59:32.66 ID:klr8VM7g.net
>>182
年季が入っているな。
しかし地形が分かっても、武田勢が渡河した理由は解らん、というか解せん。

184 :人間七七四年:2018/05/30(水) 13:31:24.48 ID:pMV6a0YX.net
>>183
佐久間内通云々を信じてしまったか
織田徳川連合がこちらに攻めて来ずに野戦築城してるの見て
精強な部隊では無く、雑兵などで水増ししてる烏合の衆だと勘違いしたか

185 :人間七七四年:2018/05/30(水) 18:26:50.82 ID:d5HGaS1R.net
一万五千で防衛側三万を相手にするって無謀だよな

186 :人間七七四年:2018/05/31(木) 00:13:00.43 ID:esSn8yr8.net
長篠城で狭所による鉄砲隊の鉄壁さを味わってるから
長篠城周辺の狭い場所より騎馬を上手く使いこなせて
回り込める設楽原での戦のが有利と見たんじゃない?

187 :人間七七四年:2018/05/31(木) 12:48:11.55 ID:QsLz+sKe.net
>>186
それな。
東美濃の明知城他攻略の際に、山県が五千くらいの手勢で五倍以上の織田勢を、追い散らした経験があった。
自領の城の後詰めでさえその様なら、三河の山城の後詰めも、やる気無しという思い込みもあったかもな。

あと、本願寺が焚きつけた可能性も。
長島では信長の庶兄他、一門に死人が出るほど打撃を受けた。信長を討つのは今だ、とかね。
実際は織田勢が本願寺に向かないようにするのが、顕如の狙いだろうが、時間が経てば織田勢は今より大きくなるのは確実だから、勝頼がこれに乗ったかもしれない。

188 :人間七七四年:2018/05/31(木) 13:16:15.06 ID:esSn8yr8.net
>>187
それは信長公記では存在してなかったんじゃなかったっけ
ただ単に城が落ちたから引き返しただけで
高天神城も落ちたから織田の援軍は引き返した

189 :人間七七四年:2018/05/31(木) 17:06:23.46 ID:QaW0rZvH.net
援軍が間に合わず帰る→大勝したぜ!と宣伝する
いつものパターン

190 :人間七七四年:2018/05/31(木) 17:42:54.94 ID:4S2sB8Lc.net
>>183
渡河しないと長篠城包囲が崩れるからじゃ

191 :人間七七四年:2018/06/02(土) 21:51:13.50 ID:dzYA0M8v.net
武田が長篠城落として、山岳戦に持ち込んでも、
関ケ原時の本戦の山中の戦いで短時間で東軍が圧勝したように、
武田勢は大敗し、一気に古府中まで攻められる可能性もある。

192 :人間七七四年:2018/06/02(土) 23:46:38.91 ID:05yp2WFJ.net
1万5千で3万以上相手にしたから仕方がないじゃなくて
こういう状況にされた時点で武田の完敗なわけよ
父信玄は常に相手より有利な状況で戦おうとした
戦争ってのは実際に戦う前から始まっている
いかに相手より有利な状況を作りだせるか?
出来なかった時点で武田の大敗北なわけで、この状況でこうしたら勝てたってのは無意味

193 :人間七七四年:2018/06/03(日) 16:44:12.78 ID:twRggm2t.net
桶狭間もあるし、
真田なんて大軍を相手に翻弄してるし、
ゲリラ戦もある。夜討・朝駈けetc。
でも、真田領内ならともかく、そもそも穴山の領内でやることになるから、
山岳戦なんて器用なこと、できないと思うけどね。

194 :人間七七四年:2018/06/03(日) 18:08:52.47 ID:3mbJqYrr.net
>>192
じゃあ指くわえて滅ぶのを座して待つしかないな
圧倒的な兵力差・物量差はどうにもならんもの

195 :人間七七四年:2018/06/03(日) 19:52:31.10 ID:y+siCsvQ.net
>>191
長篠城が落ちてれば織田は明知城や高天神城みたいに引き返すだけでしょ
長篠城が落ちたらという仮定より
長篠城が落ちなかったら退却すべきだった

196 :人間七七四年:2018/06/03(日) 23:17:44.33 ID:okNUqqUC.net
>>194
家康さん見習いなさい

197 :人間七七四年:2018/06/03(日) 23:24:29.21 ID:twRggm2t.net
>>195
3万以上の大群を擁して、城が落ちたからといって
引き返すかなぁ〜

198 :人間七七四年:2018/06/03(日) 23:39:40.03 ID:GLiF5dFj.net
>>194
信長は勢力がまだ弱小のころ武田相手には徹底して下手に出て
献上品を送りまくって武田のご機嫌を取っていた
そして立場が逆転すると徹底して武田に圧力をかけ続けたと
じっさいに戦うだけが戦争じゃないんだよ
そもそも戦争とは外交の延長といわれる
まず経済戦争をして他国と外交交渉をしてここで相手が従わなかったら最終手段として戦争で
色黒をつけると

つまり、長篠はこういう状況な時点で戦う前から武田の敗北は決していた

199 :人間七七四年:2018/06/03(日) 23:47:00.09 ID:y+siCsvQ.net
>>197
明知城も高天神城も2〜3万の軍で援軍に行ったが
城が落ちたから引き返したのも知らないのか

手取川の戦いも援軍に行く城が落ちたのを知って柴田軍4万は撤退したんやで

200 :人間七七四年:2018/06/04(月) 13:23:59.91 ID:3Gm17oP/.net
>>196
家康だって本能寺がなければどうなっていたことやら
>>198
じゃあ信玄が同盟破棄した時点でどうにもならないんだから
勝頼はどうにもし難いわな

201 :人間七七四年:2018/06/04(月) 15:43:20.41 ID:by89lk+q.net
>>200
確かに信玄が織田のケツ蹴り上げて怒り狂ったタイミングで勝頼に後継回ってきたのが最大にきついわ
織田揺るがすなら確かにあのタイミングで織田攻めるしかなかったとは言え、信玄の死ぬタイミングが悪すぎるよね
しかも浅井朝倉には信玄の死バレてなかったけど肝心の織田徳川にバレてたっぽいのもかなりつらい

202 :人間七七四年:2018/06/04(月) 17:00:50.54 ID:QkC2EVz1.net
>>199
確かにそうなんだけど、高天神に続き、今回も間に合わなかったら徳川はキレる可能性がある。
信長自らも来てるし、城が落ち、引き返す時の撤退戦になったら徳川が殿を受け持つことになるだろうから、織田・徳川の信頼関係は悪化すると思う。
それを回避するために、長篠城が落ちても武田攻めを続行したと思う。

203 :人間七七四年:2018/06/04(月) 18:19:04.31 ID:Jb9LjW+2.net
>>202
援軍に来て貰う立場の徳川がキレるのか

大体援軍に来る場合は遠征軍みたいに装備や兵糧などを十分に持ち合わせてない
援軍に間に合わずに城を落とされると士気が落ちるし
作戦的に不利で長期戦ができないから帰るんだよ
長篠で武田をフルボッコにした後の信長は敗走した勝頼を追い武田領まで追わずに帰っている
それに撤退戦が起きるってことは信長は設楽原に到着してるってことか?
野戦築城してるそこに殿軍すれば余裕で退却できるでしょ
信長は長篠城が落ちる気配が無かったから悠々と野戦築城しだしたんだろうけどね

204 :人間七七四年:2018/06/04(月) 20:10:42.20 ID:QkC2EVz1.net
>>203
冷静過ぎるご意見ありがとうございます。
姉川で、家康は信長に加勢してガチで戦ってる。
高天神で援軍が間に合わなかった時点で、
徳川内では武田と組んだ方がいいんじゃないかくらいの
意見も少なくなかったようだ。
さすがに家康はそこまでは、考えなかっただろうけどね。
ただ、長篠城が落ちたら、周辺豪族は一気に武田になびくので、
その前に武田をある程度、叩かないと徳川は一気に不利になる。
それと、野戦築城してるそこに殿軍すれば余裕って、甘すぎ。
長篠前の武田は武田最強。家康はまた三方ヶ原みたいなめにあいかねない。
長篠城が落ちることは、徳川にとっては、死活問題。
家康は信長軍の撤退には強く反対するだろうね。

205 :人間七七四年:2018/06/04(月) 20:16:12.43 ID:Jb9LjW+2.net
>>204
>それと、野戦築城してるそこに殿軍すれば余裕って、甘すぎ。
>長篠前の武田は武田最強。

長篠でフルボッコにあった武田軍でそれを言われてもなぁ
むしろ織田を甘く見ているのでは?
実際、武田軍は長篠城を落とせなかったのだから

206 :人間七七四年:2018/06/04(月) 20:27:45.00 ID:jNIxcErl.net
武田は最悪のタイミングで裏切ったって言われてるけど最悪って程でもないでしょ
むかつくタイミングではあるけど

207 :人間七七四年:2018/06/04(月) 20:30:32.42 ID:QkC2EVz1.net
>>205
よく読めよ。
殿は徳川。

208 :人間七七四年:2018/06/04(月) 20:47:33.19 ID:Jb9LjW+2.net
>>207
長篠城も徳川軍だけど信長から鉄砲貸し与えられてたし
鳥居の別動隊は武田の長篠城包囲軍を壊滅させたわけだけどね

長篠城の鉄砲隊に苦戦して落とせずになかった武田軍が長篠城を落とすって話が絵空事だよね
織田の大軍が来たら作戦失敗で武田は退却するべきってのが>>195なわけで

209 :人間七七四年:2018/06/04(月) 23:10:01.31 ID:Jb9LjW+2.net
訂正
>鳥居の別動隊は武田の長篠城包囲軍を壊滅させたわけだけどね
>長篠城の鉄砲隊に苦戦して落とせずになかった武田軍

酒井の別動隊は武田の長篠城包囲軍を壊滅させたわけだけどね
長篠城の鉄砲隊に苦戦して落とせなかった武田軍

長篠の後の武田軍は格下だと思ってた徳川相手にさえ総力決戦を避けるようになってたからね

210 :人間七七四年:2018/06/06(水) 00:01:18.92 ID:PPzMzQKx.net
長篠城はもう2,3日もあれば落とせただろうから惜しいんだよね。絵空事でもないよ。
もし落とせたらという仮定の話。

織田勢が退却するならそのまま野戦築城の所に徳川の殿軍を布陣しても
徳川勢だけなら8000(武田の約半分)くらいしかいないので武田にはかなわないだろう。
信長がどれくらい兵を残してくれるかにもよるし、馬房柵が十分かにもよる。
織田勢の全軍が退却し、馬房柵も史実の半分くらいしか出来てなかったら、
家康はまた、三方ヶ原のようなめにあってもおかしくないということ。

211 :人間七七四年:2018/06/06(水) 00:13:34.13 ID:qpTv2I9B.net
>>210
>長篠城はもう2,3日もあれば落とせただろうから惜しいんだよね。


長篠城が全く落ちる気配が無かったから勝頼は鳥居強右衛門に
織田の援軍は来ないと伝え開城させようとして失敗して
逆に士気を上げてしまったんだけどね
そんなすぐ落ちるなら鳥居強右衛門と下手な交渉もせず、長篠城包囲軍に3000も残し設楽原まで進軍しないわな
信長だって長篠城が落ちないと見て悠々と野戦築城しだす始末だし

212 :人間七七四年:2018/06/06(水) 00:24:53.94 ID:PPzMzQKx.net
>>211
鳥居強右衛門などシカトして城攻めに専念すれば案外、城は落とせたという説もあるからな〜。

213 :人間七七四年:2018/06/06(水) 00:25:34.08 ID:eHkQBW96.net
>>211
落ちないからやらせたというより、被害は少しでも出ない方がいいんだから強右衛門にやらせたともとれるけどな

214 :人間七七四年:2018/06/06(水) 00:32:47.93 ID:qpTv2I9B.net
>>212-213
二、三日で本当に長篠城を落とせたなら
長篠城落としてから3000の包囲軍とに分ける戦力分散もせずに
総力戦するのが普通だよね

重臣どころか家臣でもない鳥居強右衛門と直接交渉してなんとか開城させようとしてるし
すぐ落ちるなら信長も野戦築城せずにすぐに長篠城救援に向かうだろうし
悠々と野戦築城してる時点で二、三日で落とせたというのは矛盾だらけ

215 :人間七七四年:2018/06/06(水) 00:44:53.48 ID:eHkQBW96.net
>>214
あと2、3日で落ちる状況でもそうでなくても強右衛門には同じことやらせるんだから貴方の言うことには根拠がない
何故なら一人でも無駄な犠牲は出さない方がいいから降伏勧めるのは当然のことだから

216 :人間七七四年:2018/06/06(水) 00:48:46.08 ID:PPzMzQKx.net
>>214
そこが武田の未熟なところなんですよ。
総力を挙げて長篠城を落とし、
連合軍の出方を見ればよかったものを、
あせっちゃったのかな〜。
勝頼はまだ、若かったんだろうな〜。

217 :人間七七四年:2018/06/06(水) 00:49:59.85 ID:qpTv2I9B.net
>>215
俺は>>214で根拠は言ったが、二、三日で落ちると言ってる奴の根拠が全くないんだけどね

218 :人間七七四年:2018/06/06(水) 00:51:35.18 ID:PPzMzQKx.net
むしろ、強右衛門を捕らえてそのままにしておいたら、場内の士気もそのままだし、
早く落とせたと思う。

219 :人間七七四年:2018/06/06(水) 00:52:47.98 ID:qpTv2I9B.net
>>216
信玄時代からの宿将がたくさんいるのにそれらの意見を勝頼が無視しているなら
長篠城も落とせるわけがなく、織田徳川連合には何をやっても100%勝てないわな

220 :人間七七四年:2018/06/06(水) 01:01:39.98 ID:PPzMzQKx.net
城が、もう2,3日で落ちる根拠ね。
長篠城は残るは本丸だけ。
城兵は多くても500名以下。
対し武田軍は1万5千以上。

221 :人間七七四年:2018/06/06(水) 01:06:35.76 ID:eHkQBW96.net
勝頼が長篠城1つなんかより信長との決戦を志向してたのは明らか
更に、勝頼は信長は戦意がなく、高天神城の時みたく長篠城落としたら撤退してしまうと考えてた可能性はある
実際長篠城落として信長に撤退されたら勝頼は困る、城を1つ1つ落としていくのは楽ではないから

222 :人間七七四年:2018/06/06(水) 01:11:36.70 ID:qpTv2I9B.net
>>220
長篠城は最初から500くらい入れない小城
行ったことないのか?
本丸は断崖絶壁と堀に囲まれた鉄壁
信玄時代にも長篠城を力攻めしたが、力攻めで落とせずに当時の長篠城主の主筋から開城せよと言われ開城した堅城
最初から500の籠城兵で一万五千の武田軍を足止めしてたんだぜ?
ちなみに信玄時代の力攻めで落ちなかった長篠城を徳川家康が水堀のある城へと改修し
信長が200丁の鉄砲を貸し与えてるんだぜ?

223 :人間七七四年:2018/06/06(水) 01:20:02.93 ID:qpTv2I9B.net
>>221
>実際長篠城落として信長に撤退されたら勝頼は困る

鳥居強右衛門に直接交渉して開城させようとしてた時点で矛盾してますぜ
しかも3000の長篠城包囲軍を残してる時点で
長篠城を無力化もできずに奥平らも最後追撃に加わってるしw
普通な長篠城側を無力化させて包囲軍3000という戦力分散もせずに設楽原決戦に回せるようにするんだけどね
根拠もない矛盾だらけ

224 :人間七七四年:2018/06/06(水) 01:26:51.43 ID:PPzMzQKx.net
>>222
実際は500もいなかったってことですね。
なら、短期決戦で360度、あらゆる方角から総攻めすれば被害は増えるけど落ちるはず。
むしろ、短期決戦の総攻めじゃないと落ちない。

225 :人間七七四年:2018/06/06(水) 01:32:48.51 ID:qpTv2I9B.net
>>224
信玄時代にも力攻めで落ちなかったのが長篠城

そこから徳川家康が水堀のある城へと改修し、鉄砲隊を完備したのが長篠の戦い時の長篠城

>なら、短期決戦で360度、あらゆる方角から総攻めすれば被害は増えるけど落ちるはず。

周囲は断崖絶壁と水堀に囲われてたのが本丸
長篠城見に行ったことがないのが丸分かりですな

226 :人間七七四年:2018/06/06(水) 02:18:31.91 ID:PPzMzQKx.net
行ったことないけどね。
長篠城は1万5千で落とすには余りにも小さい城と言われていた。
長篠城は、援軍が無ければ落ちていた。だからこそ援軍を呼んだ。
残すは本丸のみで残るは2,3百の残兵程度なら、もう2,3日で落ちると考えるのが妥当。
確かに長篠城は天然の要害で改修済の城だが、例えば、深夜に川に多くの梯子を立てて兵に支えさせて
登らすことくらいできるだろ。
武田にも鉄砲隊はいたし、援護射撃くらいはできるだろ。
あるいは弓矢で援護くらいはできるだろう。
残るは、本丸のみで、たった2、3百の兵に1万5千以上の大軍
で攻めれば、もう2,3日で落ちるレベル。

227 :人間七七四年:2018/06/06(水) 03:31:22.36 ID:qpTv2I9B.net
>>226
>深夜に川に多くの梯子を立てて兵に支えさせて
>登らすことくらいできるだろ

断崖絶壁でもかなりの高さの断崖絶壁を降りる → 川を泳ぐ → 断崖絶壁を昇るっていう手順が必要な難所


>武田にも鉄砲隊はいたし、援護射撃くらいはできるだろ。

鉄砲はあっても関東は火薬の材料が手に入りにくい
そして命中率が非常に悪かったから近距離で使ってた
しかも籠城で城の防御があるから尚更当てにくい

>1万5千以上の大軍で攻めれば

小さい城だからこそ攻撃側も少ない兵でしか攻撃できない
しかも断崖絶壁
1万5千以上の兵が全員同時に攻撃できるとかアホな事を言ってないよね?w

228 :人間七七四年:2018/06/06(水) 11:42:26.37 ID:xoVxtTd+.net
まあ城攻めのセオリー無視して
後詰めきても攻め続けてれば
長篠城落とせたし野戦で大敗することも無かったかもな。

229 :人間七七四年:2018/06/06(水) 11:50:18.38 ID:vq4UmJS0.net
本丸に火矢打ちまくるとかどうだろう?

ま、長篠城がどういう状態だろうと勝頼は馬鹿って結論にしかならないな

230 :人間七七四年:2018/06/06(水) 14:20:51.42 ID:qpTv2I9B.net
5月14日夜、鳥居強右衛門は長篠城を抜け出す
5月15日午後、鳥居が岡崎城に到着
5月16日の早朝、鳥居は長篠城目前で捕縛される
※鳥居は数日で援軍が来ると長篠城側に伝え処刑される
5月18日に織田徳川連合が設楽原に到着

捕縛した鳥居の情報から数日で援軍が来ることは確実に分かってたのに
織田徳川連合の兵力を調べる物見偵察を全くしなかったなら勝頼は既にセオリーから外れた暗愚なんだよな
逆に物見偵察して兵力が倍以上なのを知りつつ、長篠城包囲軍に3000を残す兵力分散して
総力戦を挑んだ暗愚なら武田が滅ぶのも必然

どっちにしろ暗愚の評価は避けられない

231 :人間七七四年:2018/06/06(水) 17:41:25.05 ID:4Uf2YoUO.net
>>230
勝頼が暗愚でも、さすがに物見は出したろうし、少なくとも自軍が劣勢なのも分かっていたんじゃないか?
山県、内藤、馬場等は健在なんだから
勝頼、というか武田がおかしいのは、優勢な相手に決戦を挑んだこと
ゲーム脳でもおかしいと思う状況なんだがな

232 :人間七七四年:2018/06/06(水) 19:30:38.91 ID:xoVxtTd+.net
決戦の場求めてた説は信憑性高いのかな?

233 :人間七七四年:2018/06/06(水) 19:54:43.28 ID:qpTv2I9B.net
>>231-232
一番可能性高いのは佐久間か誰かの内応説だな
勝頼が当主になってからの対織田徳川の明知城の戦いや高天神城の戦いも内応で落としてるし

二回連続で内応で城を落とせたんだから
長篠での戦いも調子こいて内応の約束を信じてしまったのかもしれない

内応の約束があれば多少劣勢でも総力戦はするだろうし
野戦築城も背後から突かれたら無意味になるし

234 :人間七七四年:2018/06/06(水) 21:36:30.23 ID:P7omz3/b.net
>>233
その説は有名だけど、それが事実なら武田を嵌めたご本人が大手柄を吹聴しているんじゃないか?
元々、徳川との後詰め決戦を志向していたと思う
織田の援軍も三方ヶ原並みの規模と皮算用
しかし、援軍の規模が予想外
撤退するか、当初の作戦?通りにするかで、悪手を選択した
誰も撤退を言い出したくないのだが、ホントに誰も言い出さなくて、勝頼・重臣とも当惑したまま運命の設楽原へ…

235 :人間七七四年:2018/06/06(水) 21:52:06.88 ID:qpTv2I9B.net
>>234
野戦は兵力がダイレクトに響く上に
二倍以上の織田徳川連合が野戦築城している所に無策に突っ込むのは
当時でも態々殺されにいくようなもんで馬鹿すぎるでしょ

兵力数は内応で大混乱にして挟み撃ちにすれば兵力数が劣っていても戦えるし
内応があれば野戦築城も無力化できるから勝算は出てくる

信玄時代の宿将がいるのに兵力も敵が二倍以上&野戦築城している所に
無策で突っ込むのはどう考えても有り得ない

236 :人間七七四年:2018/06/06(水) 21:59:23.62 ID:PPzMzQKx.net
>>227
30倍以上の兵力差なんだから、戦い方なんて沢山ある。
その他にも、例えば、日夜、休む隙を与えず昼夜を問わず多方面から攻めまくる。
城内の兵に一切の休みを与えないようにする。
一方、武田方は、徳川方の30倍以上の兵力があれば、休憩もできるし、
仮眠をとらせてもいいだろう。
城内の兵を絶えず生死の関わる緊迫した状態で戦い続けさせるわけだから、
体力的にも精神的にも弱るだろう。
もって3日。弱ったところを見て総攻めをしてもいい。

237 :人間七七四年:2018/06/06(水) 22:03:17.19 ID:qpTv2I9B.net
>>236
5月8日辺りから攻城してそれでも実際は落とせなかったんだけどね
21日には長篠城から奥平らが城から出撃して武田軍を追撃するくらい元気だったというw

238 :人間七七四年:2018/06/07(木) 01:31:34.84 ID:548WpVUn.net
残るは、本丸だけになってからの話

239 :人間七七四年:2018/06/07(木) 03:23:11.36 ID:548WpVUn.net
>>236
武田は秀吉と違ってそんな器用な戦はできないよ

240 :人間七七四年:2018/06/07(木) 06:14:38.23 ID:szh+gnfw.net
武田みたいな貧乏国が被害省みない人海戦術なんて出来るわけないだろ
織田でも無理だったし、小牧長久手以降の秀吉位の力でようやくゴリ押しが可能になったんやぞ

241 :人間七七四年:2018/06/07(木) 12:18:10.27 ID:zMvGgci8.net
>>240
例外が一つ。
高遠城攻めで無茶した若造がいた。
あれで三万の軍勢率いた総大将。
猪勝頼を笑えねー

242 :人間七七四年:2018/06/07(木) 13:47:10.26 ID:s+rVs/KG.net
まぁ力攻めすれば〜とか簡単に言うのは間違ってるわな

243 :人間七七四年:2018/06/07(木) 14:17:50.35 ID:ia82W5J8.net
>>241
信忠の力攻めの速攻はいい例でしょ
逆にあれでもたついてた方が印象悪いは

244 :人間七七四年:2018/06/07(木) 14:19:59.67 ID:kgUhiMZ6.net
流れ弾に当たって死んでたら

245 :人間七七四年:2018/06/07(木) 16:12:10.34 ID:r5hpvXdq.net
信玄も無茶して砥石崩れ起こしてるな

246 :人間七七四年:2018/06/07(木) 16:42:44.39 ID:Knsequww.net
ほんとの大喬見たことある?
https://goo.gl/4bVuJH

247 :人間七七四年:2018/06/07(木) 18:17:06.63 ID:zMvGgci8.net
>>244
信忠がこの時流れ弾に当たって死んだら、ドラ息子と評され、勝頼未満の扱いに
実際は、フロイスだったかな?
信忠は英雄ではなかったが、英雄の息子として申し分ない最期
父に殉じたからこそ、実績の割に高く評価されている

248 :人間七七四年:2018/06/07(木) 19:22:26.80 ID:+tRdlN+K.net
いやあそこは殉じてはいかんでしょ
擁護できない馬鹿息子
ちゃんと逃げ延びて親父の仇討たんと
親父に殉じて自分も死んだせいで猿に乗っ取りくらったんじゃないですか

249 :人間七七四年:2018/06/07(木) 19:26:03.60 ID:uNDN0ySB.net
結局、信長が貴公子に育てちゃったんじゃないの

250 :人間七七四年:2018/06/07(木) 20:06:53.11 ID:r5hpvXdq.net
>>241
3万の織田軍に対して3千の武田軍が高遠城籠城し
包囲から二日で落城させた信忠と
1万5千の武田軍に対して5百の徳川軍が長篠城籠城し
包囲から二週間経っても落城できなかった勝頼とを比べちゃうのかー

251 :人間七七四年:2018/06/07(木) 20:32:52.62 ID:NkeyvQiB.net
武田攻めは一方的な狩みたいなもんやしなぁ
武田が終わったらいよいよ手柄をたてる場所が限定されてくるから織田側もある意味必死
援軍も期待出来ない、ただ死ぬのみの武田と持ちこたえればなんとかなるかもしれない奥平を比べるなのもどうかな?

っと擁護してみる

252 :人間七七四年:2018/06/07(木) 20:53:22.89 ID:+tRdlN+K.net
>>250
自軍の損害無視で突撃かけたからねえ
高遠城のときの織田勢は
台所事情の差よ

253 :人間七七四年:2018/06/07(木) 21:02:35.59 ID:r5hpvXdq.net
>>251
勝頼は人質となってた奥平氏の妻子含め三人処刑して奥平氏と完全決裂させてるからな
交渉材料に使うために残しておけば良かったのに

>>252
損害無視と言っても武田籠城側の約半分に損害抑えてるんだけどね
それで中規模の城を二日で落城なら上出来でしょう
同じ兵数3千前後の中規模の城で伏見城や長谷堂城も二週間掛かってるし
長谷堂城は二週間経っても落城しなかったけど

254 :人間七七四年:2018/06/07(木) 23:31:21.89 ID:548WpVUn.net
秀吉・官兵衛のペアなら長篠城をどうやって落とすだろうか?
時間が限られてるから、さすがに兵糧攻めはしないだろうな。

255 :人間七七四年:2018/06/07(木) 23:48:09.54 ID:+tRdlN+K.net
>>253
ランチェスターの交換則的には10倍のレートの被害だけどね

256 :人間七七四年:2018/06/08(金) 00:27:58.71 ID:t/9gOsnE.net
>>255
勝頼は高遠城がしばらく持ちこたえるだろうと予測していたが、城は包囲から二日で落ち、
高遠城落城の報を受け、新府城の勝頼や一門、家老衆は慌てふためき、
迎撃準備も整ってないことから新府城放棄して逃げ出してしまったんだけどね
新府城籠城が間に合ったらもっと損害出てたろうなぁ

257 :人間七七四年:2018/06/08(金) 00:37:35.07 ID:t/9gOsnE.net
>>254
奥平氏の妻子三人を返し、城兵と奥平氏の徳川方の無事帰還を許す代わりに長篠城から退去
飲めなければ妻子を鳥居みたいに目前で処刑すると交渉

徳川の嫁を貰い武田への人質の妻子は離縁されてるから
奥平氏には知らぬ存ぜぬされる可能性が高いが

258 :人間七七四年:2018/06/08(金) 13:02:54.73 ID:SgtKMnZG.net
鳥居強右衛門の件は明らかに逆効果だよな〜。
しない方がよかった。

259 :人間七七四年:2018/06/08(金) 13:03:59.16 ID:ALIjWdBQ.net
どこまで実話か分からんし

260 :人間七七四年:2018/06/08(金) 13:59:51.52 ID:SgtKMnZG.net
>>259
何のために作り話を作ったんですかね?
どちら側になんの得がありますかね?

261 :人間七七四年:2018/06/08(金) 14:25:22.30 ID:24TkiIdN.net
徳川史観的には作り話を事実にしたかったんだろ。

262 :人間七七四年:2018/06/08(金) 14:43:19.98 ID:SgtKMnZG.net
徳川がその作り話を事実にすり替えるメリットは?

263 :人間七七四年:2018/06/08(金) 14:50:35.47 ID:SgtKMnZG.net
美談として褒めたたえることで家臣の忠誠心を高めようとする目的だよね。
かといって、作り話となる証拠もないから、
作り話とすることも、作り話。

264 :人間七七四年:2018/06/08(金) 14:56:30.94 ID:ALIjWdBQ.net
信長記にはなく、三河物語に書かれてる話
処刑されたところまでは事実だろうけど

265 :人間七七四年:2018/06/08(金) 15:02:45.83 ID:d4nbsP4D.net
どっちにしても勝頼ダメだな〜じゃなくて強右衛門スゲーちゅう逸話なだけやな

266 :人間七七四年:2018/06/08(金) 15:32:04.83 ID:t/9gOsnE.net
鳥居強右衛門の記述は甫庵信長記の次に三河物語でしょ
後、落合左平次道次背旗から実在してるのを否定する学者はいなかった

むしろ実在してるのを前提で落合左平次道次背旗の向きが逆さかどうかを
処刑された状況から学者間で論争起きてたよ

267 :人間七七四年:2018/06/08(金) 18:57:12.04 ID:FAh0HJB0.net
三河物語って彦左衛門の愚痴日記じゃん
他の資料と整合する部分はそれなりだけど
整合しない部分は眉唾という単体じゃろくに価値のないシロモノや

268 :人間七七四年:2018/06/08(金) 23:53:16.40 ID:t/9gOsnE.net
鳥居強右衛門は
甫庵信長記
三河物語
落合左平次道次背旗
から実在し功績も学者にも認められてるけどね

269 :人間七七四年:2018/06/09(土) 00:01:39.66 ID:u5epfAxp.net
甫庵信長記はあれだし、実在してたことと逸話が事実だということはイコールではない

270 :人間七七四年:2018/06/09(土) 00:13:23.59 ID:bxW4XH0F.net
単体のみで否定しても複数の記述が現存してるし
そもそも功績がないなら甫庵信長記も三河物語にも書かれてないし
落合左平次道次背旗を作られてないでしょ

学者間でも落合左平次道次背の絵の向きが逆さかどうかを処刑される時の磔の状況から論争され
学者でさえ鳥居強右衛門の功績は否定してないからな

271 :人間七七四年:2018/06/09(土) 09:22:07.87 ID:CseoMvDj.net
まあ問題は脚色の程度がどのぐらいかようわからんことだが
実在はしてたけど実際はたいしたことしてなかった系は山ほどあるし
昔の人間、現実とフィクションの区別つけられる情報リテラシーないからなあ

272 :人間七七四年:2018/06/09(土) 10:13:02.77 ID:bxW4XH0F.net
>実在はしてたけど実際はたいしたことしてなかった系は山ほどあるし

大名や城主、城代とか有名な大名の息子や侍大将は実績がなくとも名前は出ることはあるが
そこまで有名でもない地方領主だった奥平氏の直臣でもない陪臣の鳥居強右衛門レベルなんて
普通は名前すら歴史に出てこないからな
それが甫庵信長記や三河物語に名前が出て落合左平次道次背旗にまで描かれて賞賛される功績があったのは間違いない

273 :人間七七四年:2018/06/09(土) 10:20:08.30 ID:u5epfAxp.net
>>272
単に軍使として功績はあったが、捕まって斬られただけかもしれない

274 :人間七七四年:2018/06/09(土) 10:39:29.71 ID:CseoMvDj.net
それこそ真田十勇士とか尼子十勇士とか実在と架空の境界あやふやな奴は腐るほどおるし
山本勘介みたいに実在はしたっぽいけど実情がようわからんやつもおるし
なんかモデルになった奴はいたっぽいぐらいの認識でええんでないの

275 :人間七七四年:2018/06/09(土) 11:00:38.30 ID:bxW4XH0F.net
>>273
奥平氏みたいな地方の領主の陪臣の伝令が捕まって切り殺されて
甫庵信長記や三河物語に名前が残り
落合左平次道次背旗にまで描かれるのかって話な

276 :人間七七四年:2018/06/09(土) 20:32:01.64 ID:y2GhyexJ.net
そんなレベルの創作英雄なんぞゴロゴロしとるやろ

277 :人間七七四年:2018/06/09(土) 21:14:02.89 ID:bxW4XH0F.net
名ある学者たちが鳥居強右衛門の存在と功績も認め、落合左平次道次背旗の向きが逆さかどうかを
処刑された現状から論争してたのに
根拠も無しに創作だと喚かれてもねぇ…

278 :人間七七四年:2018/06/09(土) 21:20:03.84 ID:y2GhyexJ.net
同じことしか言えないオウムかなにかかな?

279 :人間七七四年:2018/06/09(土) 21:23:13.88 ID:bxW4XH0F.net
こんな数人しかいないの分かってる過疎スレで
IDチェンジしまくってるアホに言われたくないわ

280 :人間七七四年:2018/06/10(日) 04:11:23.77 ID:joSERVgU.net
全く横からで申し訳ないんやけど
落合左平次道次背旗の人物が鳥居強右衛門であると断定した学者と、その断定根拠ってなんでしたん?
私的にも鳥居強右衛門の逸話にはちょっと懐疑的だからその辺り気になりまして

ほら、史学でも再研究が進んだのってほんと最近で、今までは創作逸話なんかで織田信長の評価すらかさ増しされてましたやん?ましてや奥平氏のさらに下の身分の人間の研究が進んでないんじゃないのかという疑問があるんで、その辺りスッキリさせたいんですよね

281 :人間七七四年:2018/06/10(日) 07:31:49.26 ID:98fva/k2.net
資料を大きな図書館なり見に行ったりしたらいいんでない

282 :人間七七四年:2018/06/10(日) 19:18:51.93 ID:joSERVgU.net
結局誰もあの絵が鳥居強右衛門だというのはみんながそう言ってるからで
どう断定されてとか知らないんかな

283 :人間七七四年:2018/06/10(日) 19:27:58.73 ID:2ORWeAuO.net
当代記にこの話はないのかな?
あれは奥平の松平忠明が纏めたものだから、長篠関連はそれなりに信憑性があると思われるが。

284 :人間七七四年:2018/06/10(日) 22:58:51.79 ID:98fva/k2.net
当代記は信長公記の二次史料で江戸時代に書かれた物
松平忠明が纏めたかも不明

285 :人間七七四年:2018/06/11(月) 01:06:11.49 ID:r7KW5omB.net
だってお前、裸のおっさんのデフォルメされた絵が誰を描いてるかなんて、どうやって確認するんだよ
遺されてる旗も書き直したもの、と伝わってるんだし、年代比定すら意味がない

強右衛門の功績が嘘だとすると、それまでなんの業績も家柄も伝わっていない人間の一族が、いきなり
奥平家・徳川家で重用される理由がどこにもない。
嘘だと言いたいんなら、まず鳥居家が重用された理由が他に何かあるか調べてみた方がいいんじゃね?

286 :人間七七四年:2018/06/11(月) 01:15:56.13 ID:vdbGjff0.net
桶狭間も沖田畷も圧倒的劣勢が大逆転してんだから
結果論でしかないわなー
むしろあそこまで死に体だったのによくやったって話だよ
どう足掻いたって信玄が同盟破棄してポックリいったとこから
逆転できるわけねーんだから
あの時点で「詰み」だろもう

287 :人間七七四年:2018/06/11(月) 03:01:28.29 ID:he/24idT.net
>>285
重用言うたかて確か100石でっしゃろ?で、それまでの石高も不詳
んでそんな強烈なエピソードがあれば太田牛一が書きそうなのにそれがない
逆に史記だかに登場人物と最後磔にされた人間の生死だけ入れ替えたほぼ同じの話があって
強右衛門の話を書いた尾瀬甫庵は儒教大好きで逸話盛る部分も多い
三河物語も割と盛る

となるとまぁ仮説立てても悪くないんちゃう?
もちろん上の人みたいに仮説でごり押しするのもどうかとは思うけど

288 :人間七七四年:2018/06/11(月) 04:53:59.36 ID:oVX+gjjH.net
>>286
桶狭間も沖田畷も劣勢側が自分達の見知った土地を上手く使って
奇襲や伏兵をしてるからな
勝頼は逆に見知った土地ではないから別動隊に奇襲されるという
もう逆転の余地もない詰み状態なのに決戦を挑んだという

289 :クバの化身:2018/06/11(月) 11:47:28.61 ID:x/hO+8b0.net
それは、法律資格によく表れている
まことは、問題集しかしない
いや、問題集も、オロサカにしているかもしれない

290 :人間七七四年:2018/06/11(月) 21:55:09.92 ID:vdbGjff0.net
>>288
今川も尾張の一部を侵略してたし
龍造寺も長らく有馬を下に置いてたし
全く土地勘がなかったわけではなかろう
島津が島原の土地勘あったとも思えない

291 :人間七七四年:2018/06/11(月) 22:52:58.31 ID:a+Zu2gxN.net
>>288
極端すぎないか?
桶狭間、沖田畷に厳島は戦国三大奇跡だわ
有能な総大将が優勢な軍勢を率いて、よりによって戦場で討ち取られた
劣勢な側が惨敗した刀根坂の義景、長篠の勝頼、山崎の光秀も、戦場からは離脱している
地の利の事例なら、第一次上田合戦、第一次天正伊賀の乱あたりじゃないか

292 :人間七七四年:2018/06/11(月) 23:07:46.63 ID:oVX+gjjH.net
>>290
地の利を知ってるなら奇襲や伏兵ポイントは理解してるはずだけどね
今川は知ってそうな奴は前線の砦に釘付けになってたし
後方待機してた今川義元が知ってるはずがない
三河方面攻めは雪斎に任せっ放しだったし、
尾張方面まで総大将として義元が大軍率いて来たのは桶狭間が初めてだろう

293 :人間七七四年:2018/06/11(月) 23:23:29.45 ID:i6zSwoTJ.net
何か、最近戦国板に見えない敵と闘う人湧く様に成ったね。
統失は怖い。

294 :人間七七四年:2018/06/11(月) 23:29:32.34 ID:oVX+gjjH.net
>>291
刀根坂の義景は籠城した浅井長政救援のための防衛戦
山崎の光秀も秀吉の進軍に対する防衛戦
防衛戦は少数でも戦わざるを得ない

長篠の戦いの勝頼だけは侵攻側で別に戦わなくてもいいのに少数で戦いを挑んだんだよな
普通は侵攻側は敵兵力より勝る大軍でないと戦いは避けるんだけどね

295 :人間七七四年:2018/06/12(火) 02:43:10.94 ID:UYycmCwd.net
来るの分かってないと大掛かりな陣城作らないと思うんだけど、織田はなんで武田が設楽が原に出張ってくると認識してたん?
聞いてる話武田が大多数の織田勢に対して攻めるのは愚策な訳で、その選択をする可能性低いはずなのに織田は堅固な陣城作ってるよね

それともあの大掛かりさで実は来るとは思ってなかったけど保険の為に作ってましてんって代物なの?

296 :人間七七四年:2018/06/12(火) 03:58:19.40 ID:fzBCLRC6.net
>>295
信長としては城が落ちたら撤退すればいいだけだから基本的にはやる気がない

297 :人間七七四年:2018/06/12(火) 05:38:30.04 ID:R+WhUPnh.net
基本的には長篠城包囲戦の後詰めで来てるから長期戦も視野に入れての陣城を構築するのはおかしなことではないけど

298 :人間七七四年:2018/06/12(火) 06:50:52.20 ID:LXAbQACM.net
城兵と援兵との挟み撃ち、領内での決戦という圧倒的な有利な要素しかないのに織田にやる気無いわけないだろ
ほぼ必勝やぞ

299 :人間七七四年:2018/06/12(火) 06:59:34.19 ID:BuFlEp02.net
>>296
は?

300 :人間七七四年:2018/06/12(火) 12:08:15.92 ID:UYycmCwd.net
短期決戦用の陣城だったのか、長陣用の防御拠点だったのかってのが気になりますね

301 :人間七七四年:2018/06/12(火) 12:44:03.57 ID:6nMk31lJ.net
>>300
そこにあまり違いはないと思うけど
長期で滞在すれば簡易的な櫓や小屋ができ始めるけどそれは長陣した結果であって最初から計画してやるもんでもない

302 :人間七七四年:2018/06/12(火) 13:11:34.52 ID:K60AdFRr.net
自領だから現地調達できる織田徳川連合と
遠征軍なために兵站を構築しないといけない武田軍じゃ
やっぱ焦りに差が出るわな

303 :人間七七四年:2018/06/12(火) 13:50:52.48 ID:l99ZR8ro.net
>>302
織田は一応兵站管理はしていたんじゃないか?
三河で織田の万を超える軍兵の現地調達なんて無理だよ。

304 :人間七七四年:2018/06/12(火) 15:39:16.57 ID:K60AdFRr.net
>>303
高天神城の援軍に間に合わなかった時に家康に兵糧の金をドッサリ渡したって話あった

305 :人間七七四年:2018/06/12(火) 16:53:07.87 ID:UYycmCwd.net
>>301
なるほど、信長的には別にどっちでもいけるようにとりあえず陣地構築しただけって感じなんすね

なんとなく気になったんですけど、長篠の陣城って他の陣城と違って特殊なように言われることが多い気がするんですけれど
あの陣城って特殊だったんですか?また、もし特殊ならその特殊さはどこからのノウハウなんですかね

306 :人間七七四年:2018/06/12(火) 19:46:33.41 ID:LXAbQACM.net
そもそも只の一回の戦闘(野戦)で大規模な土木作業を行える人員と金を用意できるのは織田家だけ

307 :人間七七四年:2018/06/12(火) 21:15:16.32 ID:Ee96WTzT.net
織田軍が遠征する時点で馬防柵の木材やら
大量の鉄砲やら調達してるのはちゃんと裏付けがあるのだから
「はじめから用意していったわけではない」というのは無理があるでしょ
長期戦も踏まえて準備を周到にしていたのは明白。
毎回毎回、長篠レベルの鉄砲の数を徴発しているわけではないのだから

308 :人間七七四年:2018/06/12(火) 21:44:18.67 ID:ExDK572Z.net
>>305
ノウハウは織田家がこつこつ積み上げたものとしか言いようがない。
今川と戦ってる頃から、敵の城を陣城で包囲して持久戦に持ち込むのは
織田家の基本戦術。
戦国時代に年単位の攻城戦をやったのって、織田家以外には
第二次月山戸田城の時の毛利しか知らん。

309 :人間七七四年:2018/06/12(火) 22:16:14.88 ID:K60AdFRr.net
信長は高天神城の援軍に間に合わなかったから家康に兵糧等の支度金を大量に置いて行った
家康が事前に米を買い付け、信長援軍の荷が少ないことにより
通常より高速移動が可能になったお陰で長篠は余裕で間に合ったからね

310 :人間七七四年:2018/06/13(水) 00:48:31.42 ID:1MINvrmU.net
>>305
三河物語より
長篠城籠城戦
長篠城の鉄砲隊に手を焼いていた一方で武田軍は、牛枠に竹束を立て掛け、井楼を組み上げようとしたが、
それに気づいた長篠城方は、これが完成すれば敵の攻撃にさらされ不利になると思い、
大鉄炮を放ち竹束を粉砕した。
このため、武田軍は井楼の構築を諦めざるを得なかった。


>>305
信長公記より
天正6年11月6日「大船に大鉄砲余多これあり」「大将軍の舟と覚しきを、大鉄砲を以って打ち崩し」

天正6年(1578年)時点で大鉄砲を大量に保有してたから
三河物語通りに三年前の長篠でも大鉄砲使ってたんじゃないか?
火縄銃は竹束で防御できるが、その竹束は大鉄砲で粉砕されてしまう
大鉄砲の防ぎ方は長篠当時の武田軍はできたんだろうか?

311 :人間七七四年:2018/06/13(水) 01:22:42.03 ID:GEHU1yVy.net
お話聞く限り別段陣城の作りに長篠の戦いオンリーの特異なものもなかった感じなんですかね?

312 :人間七七四年:2018/06/13(水) 02:13:01.86 ID:r03YfC0n.net
なんでや
戦場での素早い土木工事に予算をつける意義が見いだせたやろ

313 :人間七七四年:2018/06/13(水) 02:46:25.09 ID:o/nfE7bC.net
武田は何を考えて突撃したんだろうか?
仮に織田・徳川連合が陣城を築いていなくても、3万5000対1万5000の野戦。数に差がありすぎるし、勝てても被害が甚大になる可能性は十分にある。

となれば、いったん撤退してまたやり直すのが一番ではないのか、と思うのだが。

314 :人間七七四年:2018/06/13(水) 08:06:34.24 ID:r92WkffX.net
長篠城抑えられたから挟まれて突撃するしかなかったとか言うけどさ、敗戦撤退の時ちゃんと後退できてるじゃんっていうね

315 :人間七七四年:2018/06/13(水) 10:30:45.95 ID:F9AGS/SD.net
>>314
長篠城抑えられる前に想定される退路と、実際の退路が違う

316 :人間七七四年:2018/06/13(水) 11:45:29.50 ID:IS4lGbew.net
ちゃんと後退出来てないから追撃で大損害出てんだろ・・・

317 :人間七七四年:2018/06/13(水) 12:01:56.28 ID:1MINvrmU.net
織田徳川軍は陣城から出てこないから設楽原に行かずに長篠城攻囲してる時なら退却は間に合うでしょ
長篠城周辺から長野県側の道は狭くて険しいから織田徳川軍が陣城から出てきて追撃に来ても
突出してきた部隊叩けばいいだけだし
むしろ兵力が圧倒的に劣る場合は狭い場所で戦えば不利にならないからね
籠城戦がそもそもその理論だし

318 :人間七七四年:2018/06/13(水) 21:59:56.20 ID:ocfPisMf.net
>>317
織田徳川は陣城から出て挑発して誘い込んでるんで陣地にこもって何もしてなかったわけではない
あと武田側はここまで無傷で全く損耗していないことが判断を誤らせた
3万の軍勢に1万ちょっとで当たったというのも結果論であって戦場での敵の数はおおよそでしか分からない上に長篠城の救援に織田徳川は相当の援軍を割いたと判断して相手は敵前で兵を割く愚策をおかしたと判断してしまったのかも

いずれにせよ全く損耗してない軍を保持したまま撤退命令出せるか否かが決め手だったんじゃないかな
簡単そうでなかなかできないことではある

319 :人間七七四年:2018/06/13(水) 23:27:11.88 ID:1MINvrmU.net
>>318
いや退却できるかどうかの話ね
武田軍が退却開始すれば織田徳川は陣城から出るかどうかの判断になるから
追撃しても狭い道なら殿軍も陣城や待ち伏せとかで有利に戦えるし

320 :人間七七四年:2018/06/14(木) 00:29:36.62 ID:UKABstLv.net
>>319
織田徳川はわざわざ地形を選んで陣城を構築し敵を誘っているのであの場所を離れて野戦するつもりはないし無傷の武田側に対して追撃する意味もないので武田側は簡単に退却できる
そもそも長篠城の救援成功で織田徳川に戦いの主導権は移っているので自分たちに不利な場所にあえて向かわない

321 :人間七七四年:2018/06/14(木) 07:44:52.96 ID:2Ns3u1K7.net
用意周到に準備して計画的に撤退するのであれば逆撃も有り得るが、
織田の大軍が到着しました逃げましょうじゃ話にならないよ

撤退中に地形利用して大軍と有利に戦う?机上の空論だよ
武田は中入してるし奥平勢が地形に詳しいし

織田主力が出陣したのが確認された時点から退路と各所地形の調査と逆撃の準備はじめないととても被害軽微じゃすまない公算大

322 :人間七七四年:2018/06/14(木) 07:48:14.33 ID:Prfo0COM.net
そもそもあの辺りの地形に詳しい菅沼正貞を武田は拘禁してるんだから、お話にならない。ああいう場所こそ、地元の人間が役立つのに。

323 :人間七七四年:2018/06/14(木) 08:54:07.26 ID:q7aw9AGv.net
>>320は織田徳川は陣城から出てこないから退却できる

>>321は陣城から出て追撃してもくるから被害が出る

どっちの論が正しいんだ

324 :人間七七四年:2018/06/14(木) 10:29:32.67 ID:bUtt6kDA.net
>>323
少なくとも野戦で負けて逃げるより、無傷で逃げ始めたなら、あそこまで将兵が死ぬことは無いと思う。

というか、馬場信春が献策した策なら、あるいははあったのかな?

325 :人間七七四年:2018/06/14(木) 12:42:27.89 ID:kZdANcbK.net
武田としては、無傷で撤退するのが最善策なんだろうが、そうすると山家衆の動向は史実と同じになるような気がする
そうすると後詰めが来た時点で、武田方は勝つ以外の打開策が無いと状況判断したのかもな
現地に逃げの弾正が居れば違った判断が・・・とはならないかw

326 :人間七七四年:2018/06/14(木) 12:51:39.42 ID:wSsayRNs.net
>>323
どっちも武田には大きな被害が出る
でも最初から逃げの方がまだましぐらいにはなるってことじゃ

327 :人間七七四年:2018/06/14(木) 13:08:27.59 ID:FcRR6e7f.net
追撃大好きで追撃で大戦果上げてきた信長相手だからなぁ

328 :人間七七四年:2018/06/14(木) 15:34:36.87 ID:7DlZFKYp.net
>>323
戦で大量の戦死者を出すのは追撃戦
ましてや敵中から逃げるとなると被害軽微など至難の業
地形の有利不利以前の問題、圧倒的織田の状況有利

織田主力が長篠に到着した時点でまだ勝頼が居たら当然追撃に移るだろう
勝頼が居なかったらどうなるかはわからん

329 :人間七七四年:2018/06/14(木) 16:56:32.84 ID:M3DzsXMx.net
>>328
ただ無傷の相手の追撃戦というのはほとんど聞かない
織田にとって不気味なのは武田側が全く損耗していないことと隘路での戦いになることで織田徳川は躊躇するだろうね
長篠城を救援して逆包囲の状態に持っていった織田徳川は長期戦にも持ち込める
そこまで見越してか山県と馬場は勝頼に早期の撤退を進言している

330 :人間七七四年:2018/06/14(木) 18:56:25.78 ID:FcRR6e7f.net
刀根坂や長島とか

331 :人間七七四年:2018/06/14(木) 20:17:56.39 ID:q7aw9AGv.net
>>328
>>179の地図見ると設楽ケ原で決戦したら織田との
距離が近く逃げられないから被害が出る

史実の退路は長篠城からも退路をふさがれて
北になったんじゃなかった?

設楽原に行かずに織田との距離があって
織田が陣城築いてるうちに夜から撤退準備始めて
最初から東に退路を取って殿を置いてれば
被害はかなり抑えられるんじゃない?

332 :人間七七四年:2018/06/15(金) 00:39:29.83 ID:Osli/GS4.net
設楽原行く前、川を越えなきゃ普通に撤退出来ただろうな

333 :人間七七四年:2018/06/15(金) 02:30:39.25 ID:CV2kM4dy.net
長篠城の援軍に軍勢を相当数分けたから敵本陣は手薄と勝頼が誤って判断したとしか考えられない

334 :人間七七四年:2018/06/15(金) 02:34:37.96 ID:YePh23MD.net
酒井忠次分遣隊による奇襲も川渡ってなければ防げたかな?
酒井隊って武田勝頼の渡河見越しての行動だったんかな?

335 :人間七七四年:2018/06/15(金) 08:46:45.98 ID:X2pC4Q6I.net
乱破だったり様子の違いで看破されたんじゃね?

336 :人間七七四年:2018/06/15(金) 09:34:03.37 ID:N89095+6.net
時系列はこうだぞ

武田軍は20日までに滝沢川(寒狭川)を渡り設楽原に進軍
織田徳川連合軍と約2.2kmの距離で対陣
 ↓
20日の20時前後に酒井忠次が別動隊で出陣
 ↓
21日の日ノ出から設楽原で本戦が始まる
 ↓
21日の8時前後に酒井忠次の別動隊が鳶の巣山へ急襲
 ↓
21日の14時前後まで設楽原本戦は続く

337 :人間七七四年:2018/06/15(金) 09:56:24.07 ID:N89095+6.net
武田本隊が設楽原まで来ているのを確認してからその日の夜に酒井が別動隊で行った
武田本隊が来なかったら別動隊も編成しないだろ
信長公記見ろよお前ら

338 :人間七七四年:2018/06/15(金) 13:45:08.56 ID:yvmaiiy/.net
>>313

コヒマの佐藤師団長の心情思えば有る程度はな。

339 :人間七七四年:2018/06/15(金) 13:45:41.36 ID:93EOYJ5t.net
鳶ヶ巣砦と支砦が奪われたのが決戦の開戦直前
開戦前には別働隊の情報は入っていた武田勝頼の不可解な動きに対して別働隊情報は先に掴んでいた等の憶測が出てきた
事前情報は記録がないのであったともないとも言えない

340 :人間七七四年:2018/06/15(金) 14:45:45.57 ID:pkVQLKGa.net
なんちゅーか、野戦築城された地に渡河してまで出ていってることと言い、軍の動き読まれて別働隊に奇襲決められてることと言い、あまりにもキレイに死地に飛び込んで行ってますなあ

341 :人間七七四年:2018/06/15(金) 14:49:09.04 ID:3fLlYkZO.net
信長に何か敵を誘う策略があったとしか思えない。
しかしそれは何なのか?
平山氏などによると「信長が故意に兵力を少なく見せて武田軍を誤魔化した」としているが、信長が直々に来て少なくとも1万なんてことは考えにくい。少なくとも2万。
徳川と合わせたら2万5000。
1万の差なら勝てると誤解したのでしょうか? 織田は弱兵だと思って。

342 :人間七七四年:2018/06/15(金) 15:16:57.62 ID:N89095+6.net
>>339
>鳶ヶ巣砦と支砦が奪われたのが決戦の開戦直前

信長公記にはっきり日ノ出から設楽原本戦
辰刻に鳶の巣へ攻め上がったと書いてあるから

343 :人間七七四年:2018/06/15(金) 15:38:05.32 ID:aBTE9/cN.net
https://www.youtube.com/watch?v=_t675VZJgl4
時代を超えて受け継がれる
日本人の心意気。

344 :人間七七四年:2018/06/15(金) 15:49:13.73 ID:aBTE9/cN.net
>>341
信長公記を読むと、信長は軍勢を
段々に配置〜要するに分散配置したとある。
これによって、武田側が織田勢の数を
見誤った可能性が高い。
20付の勝頼書状が偉く強気
なのはこのせいじゃないかと思う。
信長公記でも勝頼が長篠城を包囲
したまま動かなければ、
どうしようもなかったと
言う内容があったかと思う。

345 :人間七七四年:2018/06/16(土) 00:24:57.39 ID:ctDJP76B.net
だから突撃は武田本体を退却させるために退路を作るためにやったんだろ
退却するのに織田徳川の目の前を通過しないといけない
つまり織田徳川軍が前に出て着ないように押し込むのが山県や内藤や真田兄弟の役目
そして馬場は殿と

346 :人間七七四年:2018/06/16(土) 00:41:47.27 ID:Jq/HzceL.net
>>344
信長公記にあるのは川を前にして長篠城を包囲したままだったら
あそこまで酷い大敗にはならなかっただろうみたいなニュアンス

347 :人間七七四年:2018/06/16(土) 01:13:58.65 ID:GE+5JIyG.net
攻城中に自軍より多い援軍がきて攻城側が勝った例ってあんの?

348 :人間七七四年:2018/06/16(土) 02:32:31.87 ID:HpqUlybX.net
>>347
聞いたことがないよ。
むしろ武田は砥石崩れで自軍より遥かに少ない村上軍に手痛い大敗を喫したことがある。
砥石崩れには老臣連中にはまだ経験者もいるはずだから、こんなバカな真似するだろうか。

349 :人間七七四年:2018/06/16(土) 03:35:33.81 ID:Jq/HzceL.net
>>347
秀吉の中国攻めとかかな、毛利の方がだいたい兵力多かったはず
敵の増援に対しては陣地群で守り固めて、城に対しては付け城築いて包囲して時間かけて落とす

350 :人間七七四年:2018/06/16(土) 05:41:53.63 ID:vb1KMUwl.net
>>342
信長公記と同じく信頼性の高い大須賀記には「五月二十一日の九ツの始めから八ツ時分まで」 と書いてある

つまり戦闘は午前11時から午後2時頃まででこれと信長公記の記述を合わせて設楽が原の主戦場は明け方から双方小競り合い→武田の本格的な攻撃開始は午前11時開始が通説になっている
このことから武田の総攻撃は鳶ケ巣砦を落とされたことが影響しているとされている

351 :人間七七四年:2018/06/16(土) 06:19:34.71 ID:GHDnRjxL.net
>>350
>>331-337>>340-344で言われてるように多くの人の疑問点は
なぜ武田軍は寒狭川を渡って設楽原に向かってしまったという武田勝頼の不可解な動きについての謎じゃね?

設楽原布陣後の突撃と良く混同されるよね

352 :人間七七四年:2018/06/16(土) 08:22:23.02 ID:6HIb8pNT.net
>>350
違う
砦への攻撃前から総攻撃は決まってた
攻撃する気がないならあそこに陣を敷かないし、合戦前の勝頼の書状も自分から突撃する気満々である

353 :人間七七四年:2018/06/16(土) 08:46:36.52 ID:vb1KMUwl.net
>>352
違うと言われてもねぇ
そこまで断定するなら論文書いて発表しなよ

354 :人間七七四年:2018/06/16(土) 08:58:33.24 ID:LBJvVNRi.net
>>351
長篠城の包囲にちゃんと兵を残して移動してるので相手の後詰めがやってきたと知ったら後詰めを叩きに兵を動かすのは定石通りというか特に不自然とは思わないけど
後詰めと戦うか対峙したまま動かないかは別として一定の距離を保って布陣はすると思う

355 :人間七七四年:2018/06/16(土) 08:59:51.74 ID:LBJvVNRi.net
でも何故あえてその場所かというのは疑問が残るね
信長公記でも勝頼が布陣にヘマしたようなことが書いてあるし

356 :人間七七四年:2018/06/16(土) 09:04:23.97 ID:GHDnRjxL.net
>>354
敵軍の兵力が二倍以上なのに野戦を挑むというのは定石じゃないけどね
遠征軍だと特に小荷駄や雑兵の比率が高くなるから特に侵攻側は兵力が勝ってないと勝負にならない

357 :人間七七四年:2018/06/16(土) 09:09:19.10 ID:6HIb8pNT.net
>>353
貴方が通説と書いてることは通説じゃないから

358 :人間七七四年:2018/06/16(土) 10:07:08.66 ID:H5Co0COw.net
>>356
よく織田の兵は弱くて、武田の兵は強いと聞くんだが。

何かの小説では「武田兵ひとりで織田兵3人を相手にできる」なんてあった。

長篠当時は、本当に両軍兵士の戦闘力はそんなに差があったのかな? また、両軍首脳にこういう認識、特に武田側が甘く見て、兵力差くらい強さで跳ね返せると思ったのかな?

359 :人間七七四年:2018/06/16(土) 10:08:51.51 ID:vb1KMUwl.net
>>357
はいはい

360 :人間七七四年:2018/06/16(土) 10:11:48.92 ID:QK+v4eVj.net
>>356
兵力が2倍というのは結果でしか分からないことで開戦前は敵兵力の見積もりは大雑把にしか分からない
織田徳川もあえて隠れた場所に複数の陣を置いたとも書いてあるんで武田はうまく騙されたのかも

361 :人間七七四年:2018/06/16(土) 10:22:03.54 ID:z0T/rcLF.net
>>360
でも徳川は最低5000はいるだろうし、織田軍は信長が直々に来たことは察知していただろうから、信長直々で1万以下なんて考えられない。

少なくとも1万以上、2万以下は見積もれると思いますが(3万は流石に考えてないかもしれませんが)。

仮に織田を2万、徳川5000と考え、長篠は敵地で地の利が徳川にあるとするなら、やはり無謀すぎませんか? それとも1万の差なら野戦でも勝てると考えたのでしょうか?

362 :人間七七四年:2018/06/16(土) 10:28:58.04 ID:GHDnRjxL.net
>>358
三方ヶ原の戦いでも武田の兵力は上回ってたし、織田徳川相手に武田側が兵力少数で野戦したのは長篠の戦いが初だよね
明知城の戦いで山県昌景が6000の兵で3万の織田軍を野戦で撃退したって嘘を勝頼が信じたのなら山県の罪深きことよ

363 :人間七七四年:2018/06/16(土) 10:33:50.77 ID:GHDnRjxL.net
>>360
織田徳川軍が岡崎城から長篠まで何日後に到着しそうだとか
何万の兵力なのかの偵察・情報収集を全くしなかったのなんて有り得るかね
岡崎城から来る途中なんて隠れようがないし

364 :人間七七四年:2018/06/16(土) 10:40:25.32 ID:6XIjx9+Q.net
>>359
はいはいじゃなくて砦への攻撃前から総攻撃は決まってたのが通説だから
そこのとこ訂正するように

365 :人間七七四年:2018/06/16(土) 11:17:09.80 ID:GE+5JIyG.net
>>348
逆に少ない援軍が大軍を蹴散らす例なら多数あるよね(勿論失敗した例も多数あるが)
あの前田利家すら佐々成政を末森城の戦いで破ってるし

やっぱ前後の挟み撃ちは強すぎる

>>349
毛利は名前出ると思ってたけど、毛利は水軍内部で混乱(毛利派織田派)がはじまると、
物質か前線に行き渡らなくなってたからなぁー

366 :人間七七四年:2018/06/16(土) 12:42:33.42 ID:Jq/HzceL.net
>>364
20日付けの勝頼の書状からそこはほぼ確実なんだよな
後方への書状だから多少盛ること考慮しても攻撃する予定だったのはほぼ確実

367 :人間七七四年:2018/06/16(土) 14:09:24.80 ID:ctDJP76B.net
武田の砦が落とされようがまだ落とされてなかろうが
織田徳川軍の大軍が出現したら川を渡って設楽原で織田徳川軍を抑えないといけない
織田徳川軍が前に出てきたら武田本体、勝頼自体の退路が失われるわけ

そもそも織田徳川軍が出現した時点で長篠城の攻略は失敗なんだよ
2倍の兵力差があって長篠城を攻撃し続けるのとかありえないわけ
砦どうこうより、この時点で武田軍は織田徳川と長篠城とで挟み撃ちにされている状態
そして武田本体の退却には退路が必要。この退路を作るための織田徳川軍への無謀な突撃だったと

368 :人間七七四年:2018/06/16(土) 14:33:49.61 ID:6XIjx9+Q.net
>>367
勝頼の合戦前の書状や信長記読んでどうしてそういう解釈なるのか全く意味不明

369 :人間七七四年:2018/06/16(土) 14:37:53.86 ID:Jq/HzceL.net
長篠城の対岸寒狭川越えた有海原は抑えないと長篠城救援されるだろうけど
設楽原まで出る必要性はないだろ

370 :人間七七四年:2018/06/16(土) 14:41:08.35 ID:3Hi9UxNA.net
>>367
援軍が来た時点で失敗は同意。
だが挟み撃ちにされた、退路の確保はどうかなと思う。
あのあたりは道が狭くて険しい。だから一部隊丸ごと2000くらいは失う覚悟なら信濃に逃げられないこともないと思う。

371 :人間七七四年:2018/06/16(土) 15:26:58.29 ID:GHDnRjxL.net
>>367
たぶん勘違いしてるんだろうけど元々の退路は長篠城の東だぞ
設楽原まで進軍してしまったために酒井の別動隊に東の退路を塞がれて
仕方なく有海原の北に退路を取っただけ
北は険しい起伏のある山道で甲冑来た1万5千の大軍が殺到してスムーズに通れる退路ではない

372 :クバの化身:2018/06/17(日) 04:35:21.39 ID:51w7GS5s.net
人の自演がわかるということは、自身の自演もバレている
こんな簡単なことを、まことは、統合失調症のためわからない

373 :人間七七四年:2018/06/17(日) 07:18:49.95 ID:v8vZT8OY.net
やっぱり戦闘は投石で始まったの?

374 :人間七七四年:2018/06/17(日) 10:51:37.44 ID:BS8cHWfu.net
>>327-332で言われてたように戦死者が多く大損害が出るのは撤退開始して敵に追撃された時
撤退開始位置が敵軍との距離が近ければ近いほど大損害が出る

>>350が言ってるように
>設楽が原の主戦場は明け方から双方小競り合い

20日では双方2.2kmあった距離が明け方には小競り合いが起こる距離まで詰めてしまっている
この状態ではもう退却しても追撃で大損害になる
どうせ同じ大損害が出るなら信長の首を討ち取って勝つ方に勝頼は賭けたってことでしょ

鳶ヶ巣砦が落ちたから突撃したのではなく、退却すると大損害が出る距離まで詰めてしまっているから突撃するしかない
つまり、最初から突撃する気でいたという>>352が正解

375 :人間七七四年:2018/06/17(日) 12:09:25.16 ID:LUu97AZH.net
>>374
徳川方が柵から出て戦ったとあるから必ずしも武田方が主体的に間合いを詰めていったとも言えない
挑発に乗ってしまったことも考えられる

一般的な誤解として織田徳川は柵から一歩も出なかったというのがあるが結構柵から出て戦っていたりする
野戦で有利な地形で戦うための挑発行為はこの場合不自然ではない

376 :人間七七四年:2018/06/17(日) 12:37:11.46 ID:BS8cHWfu.net
>>375
撤退すると追撃されて大損害が出る距離に詰めた時点でもう突撃するしかなかったんで

それで織田徳川軍が武田軍を後ろには退けない距離まで誘き寄せたら
狼煙を上げて酒井に急襲指令
砦の襲撃の報を聞いた勝頼は
勝頼「織田徳川は戦力分散した
 そして、設楽原の織田徳川軍を実際に見ると少ないではないか。今こそ好機!」←織田徳川は実際は窪地等に隠して配置して少なく見せていた

武田勝頼が砦が襲撃されて退路がなくなるから突撃したんじゃなく、
砦襲撃による織田徳川の戦力分散(兵を隠してたことによる見た目の兵の少なさ)に騙されて
織田本隊が手薄だと勘違いして好機と見て突撃したのが妥当

377 :人間七七四年:2018/06/17(日) 12:53:43.79 ID:ns/Ec0Mh.net
歴戦の老臣たちは流石に鳶ノ巣攻撃で、はめられた、あるいは、おかしい、とは思わなかったのだろうか。いくらなんでも、この時点で違和感くらいは感じてそうだが。

378 :人間七七四年:2018/06/17(日) 13:03:59.27 ID:BS8cHWfu.net
結局の所、撤退すると敵に追撃されて大損害になる距離まで詰めてしまったらどうしようもないでしょ
逆に織田徳川の砦の襲撃はむしろ戦力分散の好機と捉えてたんでしょ
実際武田サイドからは織田徳川軍は少なく見えていたはずだし

信長さえ討ち取ってしまえば後は楽になるという淡い期待をさせるように信長本隊をわざと手薄に見せる

379 :人間七七四年:2018/06/17(日) 16:01:26.00 ID:0w6aILbA.net
酒井忠次が武田の背後を強襲するにはまた豊川を越えていかないといけないので長篠城の支援はできても主戦場に戻るのは難しい
渡河しても逆に長篠城を奪われかねないリスクが発生する
酒井忠次が奪った鳶ヶ巣砦は長篠城の支援と街道を封鎖する絶好の位置にあるが主戦場から見たら死に駒

380 :人間七七四年:2018/06/17(日) 16:21:09.15 ID:ns/Ec0Mh.net
>>379
幾ら何でもそれは無理でしょ。
別に酒井は武田の背後を突く必要はない。
武田の退路に待ち伏せしたらいい。奥平というあのあたりの地理に精通したのがいるからできる。

長篠城を奪い返す。元々、1万5000の武田軍が攻めても容易に落とせなかったのに、酒井や奥平がなんの備えも無く城を空にするとか考えにくい。

381 :人間七七四年:2018/06/17(日) 17:55:04.79 ID:md1/6Lrg.net
https://www.youtube.com/watch?v=_t675VZJgl4
時代を超えて受け継がれる
日本人の心意気。

382 :人間七七四年:2018/06/17(日) 19:43:40.22 ID:md1/6Lrg.net
>>379
信長公記を読むと、
前後から挟撃したことが
はっきり書いてあるけど。

383 :人間七七四年:2018/06/17(日) 23:39:30.80 ID:98SAl7fp.net
戦争で一番難しいのは退却戦なんだよ
だから殿という生け贄も必要になる

この辺、無視して話してるよね

384 :人間七七四年:2018/06/17(日) 23:50:58.84 ID:CgLARe2V.net
敵の総兵力がどれくらいかとか
それがどこにどれだけ分散・集中しているかなんて
当時の人間に事細かにわかるわけねーだろ

385 :人間七七四年:2018/06/18(月) 03:02:47.37 ID:T0NRqLKn.net
>>382
信長公記にそんな記述あるかね?

386 :人間七七四年:2018/06/18(月) 08:29:44.97 ID:cCx6YLq5.net
>>385
前後より攻め立てという
記述がある。

387 :人間七七四年:2018/06/18(月) 12:02:25.66 ID:RgYGN7hZ.net
>>384
正確にわかれとは言わないが、ある程度は把握しないといけないのでは?

388 :人間七七四年:2018/06/18(月) 12:11:44.35 ID:sOvJr5hp.net
>>382
牛一さんがどこまで正確に書いたかは分からないが、元来た経路で敗走する隊もあっただろうし、当然挟撃の形になったのは確かだろうな

389 :人間七七四年:2018/06/18(月) 13:29:32.84 ID:C6FnFYCa.net
柵を破らないと陣城に到達できない訳だけど、その場合ってただ突撃する以外にどんな攻め方すればいいのに?

390 :人間七七四年:2018/06/18(月) 13:32:54.40 ID:bVM60UgA.net
>>389
攻めないのが一番。
というか撤退が上策かと。
兵力は敵の方が上。また、城攻めしていて武田軍には疲労がなかったかな、と思うので。

391 :人間七七四年:2018/06/18(月) 13:50:31.97 ID:n6S3shN/.net
>>386
挟撃の形になったとは思うけど

信長公記にそんな記述ある?
「前後の勢衆を乱し」のこと?

392 :人間七七四年:2018/06/18(月) 14:00:50.13 ID:Fo/9ShBr.net
>>103
なぁなぁで勢力拡大ってのが意味不明

393 :人間七七四年:2018/06/18(月) 14:41:13.43 ID:swDMuN06.net
>>389
>>317とか?

394 :人間七七四年:2018/06/18(月) 18:24:40.62 ID:YZi1kWT/.net
>>393
敵地に突入しながら大軍を率いて山中を退却とか夢でもみてんの?

395 :人間七七四年:2018/06/18(月) 18:30:16.69 ID:TqpthVNc.net
>>394
武田軍には長篠近辺の地理に詳しい武将もいないし、無理だよな。

396 :人間七七四年:2018/06/18(月) 18:38:39.71 ID:YZi1kWT/.net
>>395
万単位の軍勢が山中に突入して狭い地形を利用して応戦は流石に(笑)
山中をノロノロ逃げてたら被害拡大する可能性もあ

397 :人間七七四年:2018/06/18(月) 20:16:02.08 ID:swDMuN06.net
>>394
http://i.imgur.com/zpJvSvK.jpg
敵地?設楽原に進んで戦った退路は北だけど
設楽原行く前の退路は長篠城の東で来た道だぞ?

398 :人間七七四年:2018/06/18(月) 21:18:45.47 ID:BxK0AZCt.net
>>397
奥平がいるからあの辺りは間違いなく敵地だよ。来た道を戻るにしても、地理に明るい奥平がいたら危ない。

399 :人間七七四年:2018/06/18(月) 21:38:28.61 ID:swDMuN06.net
>>398
奥平氏は三河国作手の豪族だから実際に長篠敗戦後に退路を取った先の北の山道方向のが詳しいよ
東が武田の大軍が来た道なんだから北の山道より圧倒的に退却しやすいんだけどね

実際に来た道と長篠敗戦後の退路が全く違うのを知らないんだろうけど

400 :人間七七四年:2018/06/18(月) 22:57:30.12 ID:lyVzAh69.net
>>397
これ地理見たら勝頼設楽原に攻め込んだらダメじゃん
速やかに捨て石の後詰め長篠城あたりに置いて
全力撤退しかないだろうに。

まあ日本軍のガ島みたいな状況かな。
攻めきれないのに攻めきって大敗したね

401 :人間七七四年:2018/06/20(水) 19:09:32.89 ID:DHqnMICd.net
>>391
勝頼が動いた契機の部分に、
前後より攻められ と書かれいる。
戦闘開始時間を日の出とも書いて
いるので、矛盾点あり。
尚、小山田信茂の書状の写し
には本格的な戦闘開始は
正午頃とある。
当時の一次史料から見るに、
武田の本格的攻勢は
背後を取られた事に気づいてから
と見て良いと思う。

402 :人間七七四年:2018/06/20(水) 21:08:22.88 ID:WQRRLRXY.net
長篠城は勝頼の代になってから家康が僅か2千の兵で5,6日で落としたんだってね。
いくら、補強済の城とはいえ、2万5千で落とせないとはな〜。
勝頼も家康が火攻めにして落としたように勝頼も本丸のみになってからは、
同じ手を使えばよかったと思うんだけど。

403 :人間七七四年:2018/06/20(水) 21:34:05.00 ID:wT56aUFx.net
>>401
背後とられてから陣城に正面突撃とか、勝頼や幹部は正気なの? 普通は犠牲覚悟で逃げるべきでは? 何ならあのあたり一帯に火をかけて撤退するとか。

どうせ犠牲が出るのは避けられない。まだ陣城に正面突撃せずに逃げていたなら、犠牲は史実よりはマシだったのでは?

404 :人間七七四年:2018/06/20(水) 21:52:19.07 ID:C4naBiHi.net
敵前で逃げたら武田から離れる勢力増えるだけ。
信長と戦うしかない

405 :人間七七四年:2018/06/20(水) 21:57:31.34 ID:wT56aUFx.net
>>404
信長は金ケ崎でそれをやったけど、巻き返したよ。

406 :人間七七四年:2018/06/20(水) 22:10:26.83 ID:DRs+kWLp.net
>>403
後世の第三者から見ると逃げの一手なんだが、戦わずに逃げる断を下して、従わせるには信用かカリスマが必要
戦わずに退くことは、家臣達は大出費して出陣して褒美が無い
勝頼に出世払いの信用が無ければわ、勝って凱旋するか、負けて敗走するかの二者択一
戦国乱世は厳しい
つくづく現代日本はイージーモードだと思う
もしもいるなら、神に感謝

407 :人間七七四年:2018/06/20(水) 22:38:37.95 ID:C4naBiHi.net
>>405
織田のそれは浅井裏切りからの撤退だから
戦略の外の状況になったから逃げるしかない
その後は辛うじで勝ち残れたけどさ。

勝頼は決戦の場を長篠城周辺と決めてきたから
戦うしかないの。それで逃げたら武田内部から隠居勧告されるだけ。

408 :人間七七四年:2018/06/20(水) 23:54:08.50 ID:azAIVPjk.net
馬場信春の献策はダメなのかな?信長記にも馬場の献策の方が良かったことを感じさせる記述があるが

409 :人間七七四年:2018/06/21(木) 00:14:32.64 ID:iu5wG77C.net
武田は信玄時代から国人の自立性が強く組織が脆弱なんだよ
だから信虎は追放されるし信玄もクーデターを起こされた
信玄は家臣を信頼しておらず政務は便所に籠ってやっていた
信玄はこういうややこしい家臣団をまとめるために常に戦争に勝利して家臣団を信用を得ていた
信玄でも負ければ家臣に裏切られる
勝頼も父と同じように常勝を義務付けられていた

410 :人間七七四年:2018/06/21(木) 00:17:30.66 ID:Ijz4iAkN.net
>>409
中世は皆そうだよ
信長さんなんてあの死に様だし

411 :人間七七四年:2018/06/21(木) 00:28:00.29 ID:9uXWXpR8.net
>>402
違うぞ
長篠城主の菅沼正貞は元々、親家康派で信玄時代にも長篠城攻められても落ちなかった
武田に菅沼の本家が従属してたから本家の説得でやっと開城

今度は家康が長篠城を攻めると正貞は親家康派だったからあっさり開城
あっさり開城したために武田から家康との内通を疑われて拘束
そのまま正貞は武田に疑われ続けて獄中死した

武田の人質になっていた正貞の子は武田滅亡後に家康と面会し帰参を許される
長篠以後にも武田に従属していた三河武士は帰参を許されなかったのに

412 :人間七七四年:2018/06/21(木) 00:31:46.82 ID:iu5wG77C.net
だから信玄の領国経営が安定していたわけじゃないのね
勝頼は結果失敗したけど、そう無能扱いするほどでもない
武田24将は有名で、組織は磐石だったと勘違いする奴が多い

信玄の強さは恩賞にあったと言われる
戦最中にも良質な砂金を恩賞として与えていた
この恩賞のために兵は死に物狂いで戦う
金山銀山をもっている大名はこれができたから強かった

413 :人間七七四年:2018/06/21(木) 03:33:51.44 ID:uDdGnwCt.net
簡単に撤退というけど撤退を決断するのはなかなか勇気がいること
ましてや一戦もせずほぼ無傷の軍勢を抱えていて敵とその総大将は目の前
この場合結果的には撤退が最も不利益のない合理的判断なんだけど現場の武将にすれば撤退することによる不利益が非常に大きく見えてしまう

414 :人間七七四年:2018/06/21(木) 11:35:49.09 ID:PnRx4146.net
当時織田家と武田家の国力差は日に日に開いていた
故に多少不利でも勝頼は決戦を急がざるを得なかった
戦えるうちに打撃を与えておかないと彼我の戦力差は開くばかり
こうした背景からわざと長篠城を落とさず織田を待ったと言う説もあるね

415 :人間七七四年:2018/06/21(木) 12:34:01.83 ID:XWRtZ8Hw.net
>>414
日に日に開いていた、って。
織田との国力差を考えるなら、まずは徳川家康を潰すことに全力を挙げるべきなのに、上杉謙信とは和睦しないし、東美濃には侵攻するしと、二兎どころか三兎も追ってるんだが。

信長は勢力拡大の意思が明らかなのに、勝頼は何がしたいのかよくわからない。

416 :人間七七四年:2018/06/21(木) 12:47:37.60 ID:w017WM/A.net
>>414
謙信の七尾城、手取川の戦いのように、長篠城を陥して、織田方に悟らせず、なんてことできなかったからなぁ
つまるところ、武田の新領地政策が拙くて、前線の地元民を味方にすることができなかった
結果、良質な情報も少なく、国衆の調略も上手くいかなかった

417 :人間七七四年:2018/06/21(木) 13:34:19.46 ID:9uXWXpR8.net
>>414
謙信の手取川みたいにすれば良かっただけだし
敵のが戦力二倍な上に、城囲うのに3000の兵を残して決戦とかアホすぎる
明知城や高天神城が内応で落ちたから長篠でも同じく
二度あることは三度あるで佐久間とかの内通約束を信じた説のがまだ信じられる

418 :人間七七四年:2018/06/21(木) 13:44:35.63 ID:egBc3VSt.net
>>417
仮に佐久間が寝返っても、そこまで影響あるのかな? 佐久間隊がどれくらいの兵力かは知らないが、5000以上なんてことはないでしょ。

武田の決戦兵力が少なすぎる。せめてあと1万いれば。

419 :人間七七四年:2018/06/21(木) 13:49:41.01 ID:Pj+TGVRc.net
手取川のようにすればいい( ー`дー´)キリッ

420 :人間七七四年:2018/06/21(木) 14:07:48.06 ID:9uXWXpR8.net
>>418
大混乱に陥るし陣城の裏から挟撃されるから陣城無効化できる
と普通は考える

何の策も無しに陣城してるところまで行って決戦挑むとか普通はしないわな
信玄時代の宿将もいるのに

421 :人間七七四年:2018/06/21(木) 14:13:28.64 ID:ZQZg4nxQ.net
>>417
ここで何度も言われているように敵兵力が倍だったというのは結果論であって敵兵力についての流言飛語が飛び交う中で最終的には目視で判断するしかなかった
信長も兵力を巧みに隠してるし
倍の兵力に決戦を挑んだからアホだと後世の人にしか分からない情報で決めつけてはいけない

422 :人間七七四年:2018/06/21(木) 14:17:24.22 ID:egBc3VSt.net
武田兵と織田兵との実際の戦闘能力の差はあったのかな?武田兵は強くて、織田兵は弱いという。

423 :人間七七四年:2018/06/21(木) 14:23:13.57 ID:9uXWXpR8.net
>>421
岡崎城から援軍が来るときは隠せないし
それまで偵察、物見などの情報収集しない設定は無理がありすぎる

424 :人間七七四年:2018/06/21(木) 14:53:11.36 ID:tQbioC5i.net
手取川は上杉側についた一向宗の領土での戦い
長篠は織田側の徳川領での戦いで状況が全く逆
地の利ある側が情報を制しただけだな

425 :人間七七四年:2018/06/21(木) 14:58:36.85 ID:ZQZg4nxQ.net
>>423
だからこそ攻めを急いだともいえる
岡崎に数万いたとしても、織田が構築した陣城に現在いくら集まってるかは分からない
織田も敵を油断させるために兵力を隠している
ゆえに敵が続々と集まってくる前に敵本陣を叩くと考えるのは不自然ではない
いずれにせよ戦場に敵兵力がどのくらいいるかの判断は目視しかない

426 :人間七七四年:2018/06/21(木) 15:04:48.32 ID:9uXWXpR8.net
>>424
何か時代を勘違いしてないか?

>>425
集まる前?
だったら信長が18日に到着して陣城築かれる前に総攻撃するだろう
極めて不自然

427 :人間七七四年:2018/06/21(木) 15:14:42.60 ID:57S7zaEl.net
手取川の戦いなんて織田が戦略目標を失って退却しただけ
実際に織田側の戦死者は下級士卒の1名だけだ

この戦いでもし教訓にすべき点があるとするなら当初の戦略目標を達成できないなら変な欲を出さずに退却する事だ

まぁ長篠の戦いで勝頼が早期に退却したら上杉が宣伝したように織田も鬼の首取ったかのように勝利を宣伝するだろけどな

428 :人間七七四年:2018/06/21(木) 15:28:43.82 ID:9uXWXpR8.net
>>427
明知城の戦いでも山県昌景が6000の兵で織田2〜3万の援軍と野戦して追い払ったという誇大広告はしてたからな
実際は織田は城が落ちたから帰っただけなのに
それも周辺国に対する武田の武名を上げる効果はあるからな
ただ長篠城が落ちなかったからこんな悲惨な目に遭うという
長篠城をわざと落とさなかった説を言ってたのは現代の小説家の伊藤某だからな
歴史学者ですらない

429 :人間七七四年:2018/06/21(木) 15:35:17.63 ID:tQbioC5i.net
>>426
何か間違ってた?
まあ手取川も誇大広告だろうけど

430 :人間七七四年:2018/06/21(木) 15:58:50.58 ID:9uXWXpR8.net
>>429
416:人間七七四年 2018/06/21(木) 14:53:11.38 ID:tQbioC5i
手取川は上杉側についた一向宗の領土での戦い
長篠は織田側の徳川領での戦いで状況が全く逆
地の利ある側が情報を制しただけだな



能登畠山家が謙信の介入を嫌い徹底抗戦した
上杉の領土ではない
謙信は一回は攻めたが北条の圧力で謙信は一回撤兵
その間に長続連が城を取り戻す
その後が手取川を言われる二回目の侵攻


能登畠山家=徳川に置き換えても状況は同じ

431 :人間七七四年:2018/06/21(木) 16:05:39.93 ID:tQbioC5i.net
単に会話が噛み合ってなかっただけか
城じゃなくて戦場の話ね

432 :人間七七四年:2018/06/21(木) 16:23:33.53 ID:9uXWXpR8.net
戦場も同じだろ
上杉軍=侵攻側
能登畠山家=防衛側
織田軍=防衛側の援軍
七尾城での籠城戦からの織田援軍派遣

長篠の戦い
武田軍=侵攻側
徳川家康配下の奥平氏=防衛側
織田軍=防衛側の援軍
長篠城での籠城戦からの織田援軍派遣


手取川は織田援軍が来る前に七尾城が落ちた
七尾城陥落により織田援軍は戦略目標を失い帰ったから上杉軍勝利

長篠では織田援軍到着までに長篠城が落ちなかった
このために設楽原で総力戦し武田軍は歴史上でも稀な大惨敗した

援軍到着前に城を落とせたのと落とせなかっただけの違いよ

433 :人間七七四年:2018/06/21(木) 16:46:41.51 ID:KOpvRZfJ.net
>>432
その違いが大きすぎた、としか言えないかと。

434 :人間七七四年:2018/06/21(木) 20:50:16.58 ID:9uXWXpR8.net
長篠城を落とせなかったのが全ての敗因だね
長篠城を落とせたけどわざと落とさなかったという小説家の戯言を説とするくらいなら
三河物語を根拠にしたほうが100倍マシ

435 :人間七七四年:2018/06/21(木) 21:03:37.23 ID:+NDdvcj0.net
>>434
仮に馬場が進言した、とされている、長篠城を多少の犠牲者が出るのを覚悟の上で無理押しして落とす。

勝頼本隊は長篠城に留まり、馬場、山縣、内藤ら精鋭が織田、徳川軍と対峙し、長篠城一帯の山間の地形を利用しながら長期戦に持ち込む。

これなら勝てたのかな?

436 :人間七七四年:2018/06/21(木) 21:34:39.44 ID:9uXWXpR8.net
>>435
信玄時代にも力攻めしても長篠城落ちなかったし
砥石崩れを知っている宿将たちが本当に進言して実行するかは怪しい
明知城も高天神城も無理矢理力攻めで落としたわけ内応で落としてるからね
長篠から撤退案を進言したとされてるのが馬場だからな

437 :人間七七四年:2018/06/21(木) 23:40:02.83 ID:iu5wG77C.net
>>428
どこも戦争の結果を誇大宣伝するよ
織田とかも酷いだろう
当時の情報伝達手段は商人や僧侶の伝聞を記録したもの
実際の正確な情報なんて、勝てば官軍で勝者のやりたい放題なんだよ
つまり戦争をしたという事実させあれば、あとは情報戦で勝利することも可能
織田が有利なのは、堺を押さえていたこと。堺から全国に織田の力を宣伝することができる

現代でさえ、湾岸戦争やイラク戦争の正確な情報は分からない
日本や世界に伝わる情報はアメリカが流したもの
このアメリカの情報を信じることができるのか?
果たしてアメリカは本当の情報を世界に発信しているのか?

438 :人間七七四年:2018/06/21(木) 23:52:43.35 ID:cUK4yz/E.net
>>437
勝てば官軍でやりたい放題なら、織田やアメリカが勝者であることは間違いようがない
情報にリアリティを持たせるのは実績だからなぁ

439 :人間七七四年:2018/06/22(金) 00:04:08.24 ID:VEyvlhfb.net
例えば山県の赤備えは、実際は武田軍の広告塔で宣伝部隊
勝敗が決したあとに敗走する兵に追い討ち掛けるのが仕事
こうして逃げた敵の兵は自国に戻り赤備えの恐怖を伝え
武田はヤバイ強いと宣伝してくれる

そもそも赤備えは鎧や騎馬の割合からして金が掛かっていた
こういう部隊をいきなり戦に投入するとかないわけね

440 :人間七七四年:2018/06/22(金) 01:11:34.90 ID:bIcyQYHT.net
>>427
>当初の戦略目標を達成できないなら変な欲を出さずに退却する事だ
その辺の割り切りのよさは
金ヶ崎の退陣、明智城救援、高天神城救援の時も同じように発揮されたな

武田は上田原の敗戦後、暫く現地に留まって負けてないと言い張るだの
村上が留守している隙に戸石城攻めて落とせずぐだぐだし続け、戻ってきた村上相手に戸石崩れ
第一次駿河攻めで北条相手に戦い続け最終的に退却だの
損切り苦手だな

441 :人間七七四年:2018/06/22(金) 03:17:40.01 ID:MwpnbRu5.net
>>434
落とせなくても最初の本陣である鳶ヶ巣砦から動かなければ負けることはなかった
太田牛一は川を渡ったことが敗因と指摘している
長篠城陥落は理想だけどそれを言うなら武田は5万動員すれば勝てたと言ってるようなもの

442 :人間七七四年:2018/06/22(金) 10:16:56.14 ID:LZ2foYJF.net
>>441
武田が5万も動員できた時期なんて一度もないはずだが。

443 :人間七七四年:2018/06/22(金) 10:49:11.19 ID:peahxGn/.net
>>440
諦めるとは損切り出来ること
織田はともかく武田程度の国が遠征を発令して「得られる物が何もありませんでした」で済むだろうか?

444 :人間七七四年:2018/06/22(金) 11:04:56.41 ID:LZ2foYJF.net
>>443
徳川家康も毛利元就も織田信長も勢力が小さい頃にそんなこと何回も経験しているけど。

445 :人間七七四年:2018/06/22(金) 11:51:45.79 ID:MwpnbRu5.net
>>442
いやそう言う意味じゃなくて理想を言うなら何でも言えるという意味

446 :人間七七四年:2018/06/22(金) 13:33:43.87 ID:1vLxlCbc.net
>>441
話の流れから>>414に言ってるんでしょ
二行目以降も読めよ

447 :人間七七四年:2018/06/22(金) 13:45:34.53 ID:xnx4bJbI.net
日に日に開いているからって、焦ったら負けでしょうに。

織田家中で内紛が起きるのを、あるいは織田信長が何かの病気で急死するのを待ち、それまではひたすら守りに徹して内政に力を注ぐ、というのは選択肢にないのかな?

448 :人間七七四年:2018/06/22(金) 13:51:12.02 ID:VApFwzJY.net
それただ差が開くだけじゃん

449 :人間七七四年:2018/06/22(金) 14:09:09.04 ID:1vLxlCbc.net
攻めるなら信玄の時みたいに信長包囲網で信長が動けない時に攻めろって話だな
包囲網作らずに単独で攻めても国力が既に違うからすぐに軍勢整えて来る

450 :人間七七四年:2018/06/22(金) 14:11:37.39 ID:cQAaoykV.net
>>447
信長が急死(急と言えるほど若くはないけれど)しても、すでに後継者の信忠が長じてる万全の体制だしなぁ
本能寺かてあれ親子と官僚団が軒並み消し飛んだからあそこまでの大事になったわけで、そのレベルのラッキーが起きるの待つってのは無理があると思う

451 :人間七七四年:2018/06/22(金) 14:13:52.60 ID:rvLU11nq.net
よく信忠が生きてたら安泰という人いるけど、いくらお膳立てしても本人の能力伴わなければ内紛勃発とか中世には腐るほどある話
少なくとも家臣の権力争いは始まるよ

452 :人間七七四年:2018/06/22(金) 14:13:55.95 ID:bIcyQYHT.net
>>443
信長は大勢力になる前から、損切りの決断早かったと思う
道三救援時の道三死亡後の反応、東美濃攻めや、河野島の撤退とか

453 :人間七七四年:2018/06/22(金) 14:53:22.02 ID:p3MxQeji.net
>>449
だからこそ敵本陣に信長がいると分かって我慢できなかったんじゃないの?

454 :人間七七四年:2018/06/22(金) 18:02:29.03 ID:1vLxlCbc.net
>>453
話が通じてないみたいだな

455 :人間七七四年:2018/06/22(金) 21:36:59.66 ID:mLD4+F9U.net
当初から武田の戦略としては、織田と戦う予定だったと思う。
ただし長篠城を落とすと織田は引いてしまうので、
織田をできるだけ引き付けておいて引くに引けない状況を作ってから
落とすつもりだったのでは?
一気に攻めれば落とせるはずなのに、落とすタイミングを狙いすぎて
落とせないまま織田と戦うことになってしまったのかも知れない。

456 :人間七七四年:2018/06/22(金) 22:50:41.22 ID:1vLxlCbc.net
>>455
なに、そのゲーム脳

457 :人間七七四年:2018/06/22(金) 23:00:30.55 ID:A0yS/Qgd.net
信長には陣城におびき寄せる餌があったとしか思えない。3万の兵士に鉄砲弾薬、陣城の資材とかなりの資金をかけてるし。引いたりしたらこれらが全部無駄になる。

458 :人間七七四年:2018/06/22(金) 23:06:24.03 ID:mLD4+F9U.net
>>456
アナタハバカデスカ

459 :人間七七四年:2018/06/22(金) 23:51:31.55 ID:mLD4+F9U.net
>>456
武田の立場に立って想定を考えれば十分あり得る。

長篠城を攻めれば織田が援軍に来ること→想定内
長篠城を落とせば織田が引くこと→想定内
長篠城が落とせなかったこと=織田の援軍が間に合ったことを意味する。
それ以外の理由で長篠城が落とせないことは想定外
史実→武田は打って出て大敗
理由:織田の兵力が想定外だったこと

つまり武田の長篠城攻略の本当の目的は織田と戦うことだったことも考えられる。

460 :人間七七四年:2018/06/23(土) 00:13:21.31 ID:JKcia7LN.net
>>459
兵力が想定外なあ。
織田信長が自ら出陣してて2万以下なんてあり得ないと思うんだが。
情報収集以前に、そのくらいの予測は普通はしないか?
仮に織田が2万でも、徳川と合わせたら3万弱。
これで野戦(ほとんど攻城戦)で1万5000の武田が勝つつもりなら、余程自らの強さを過信していたとしか思えない。

461 :人間七七四年:2018/06/23(土) 00:19:39.95 ID:h12r6wX7.net
>>459
・この時代、城を取ることは最優先
・岡崎城から来ているんだから兵数を隠すことは無理
そして援軍の兵力、後何日で長篠に到着するかの偵察物見等の情報収集しない設定は無理である
・遠征軍なために小荷駄の比率が高く攻城して疲弊しているのにそのあと野戦するのは無謀である
・長篠城は信玄時代に力攻めしても落ちなかった堅城で、その後に家康が改修済み
・長篠城を落とさずに信長と決戦したいがためにわざと長篠城を落とさなかったと言ってるのは
歴史学者でもない小説家の言だからまだ鳥居強右衛門や>>310の三河物語の長篠城を落とそうとしたが落とせなかった説を信じたほうがマシ

・信長と決戦するつもりなら陣城築かれる前に進軍して総攻撃するのが当たり前なのになぜか陣城が完成してから総攻撃したのは不自然
陣城完成した後に佐久間が誰かが内通約定を持ちかけた説のがまだ自然である

462 :人間七七四年:2018/06/23(土) 00:50:06.86 ID:AF6dlGNu.net
>>461
>>信長と決戦したいがためにわざと長篠城を落とさなかったと言ってるのは

そうではない。織田との戦いを狙っていたとしても優先順位は長篠城を落とすことが大前提だったと思う。
早く落とすと織田軍は引いてしまうので、タイミングを計っていたのではないかということ。
長篠城は一気に攻めれば落ちてた。
勝頼としても信玄が落とせなかった城を落としたとなれば武田内の発言力も増すだろう。
にもかかわらず、時間を要したのは織田との決戦のためで鳥居強右衛門の話は、もし、事実とすれば
予想外に長引いてしまったので武田側のあせりからだろう。

463 :人間七七四年:2018/06/23(土) 00:59:22.45 ID:h12r6wX7.net
>>462
明知城も高天神城も信長の援軍が来る前に落としてるのに長篠城だけは違うと言っても説得力はないよ

464 :人間七七四年:2018/06/23(土) 01:04:33.01 ID:etSefuj+.net
>>463
その二つを落としても勢力図に影響与えるには不足だったからこそ今回は決戦を志向したとも言えるじゃん

465 :人間七七四年:2018/06/23(土) 01:09:01.72 ID:h12r6wX7.net
>鳥居強右衛門の話は、もし、事実とすれば

鳥居の話は疑うくせに歴史学者でもない小説家の戯言は真実と思ってんのか?

466 :人間七七四年:2018/06/23(土) 01:12:51.50 ID:etSefuj+.net
>>465
鳥居の話は個人的には創作だと思ってる
そもそも射程距離外から声出して聞こえるのか?wって読んだ時思ったわ

467 :人間七七四年:2018/06/23(土) 01:22:03.60 ID:etSefuj+.net
>>461
>>459
>・この時代、城を取ることは最優先

遠征につき城一つ落とす程度じゃ全然埒あかないよ
勝頼の頭の中は決戦決戦

>・岡崎城から来ているんだから兵数を隠すことは無理
>そして援軍の兵力、後何日で長篠に到着するかの偵察物見等の情報収集しない設定は無理である

信長記の記述ガン無視?

>・遠征軍なために小荷駄の比率が高く攻城して疲弊しているのにそのあと野戦するのは無謀である

小田原攻め〜三増峠に比べたらマシ、だいたい小城だからほとんどは囲んでただけ

>・長篠城は信玄時代に力攻めしても落ちなかった堅城で、

無理すれば落とせる、でも被害は出るのは嫌だから囲んで決戦に挑んだとも考えられる

>歴史学者でもない小説家の言だからまだ鳥居強右衛門や>>310の三河物語の長篠城を落とそうとしたが落とせなかった説を信じたほうがマシ

所詮は限られた史料しかないから歴史学者の肩書きなんかいらないよ
鳥居さんは事実だとしても被害無しで落とせれば、の作戦
被害出せば落とせたかどうかまではわからん

>・信長と決戦するつもりなら陣城築かれる前に進軍して総攻撃するのが当たり前なのになぜか陣城が完成してから総攻撃したのは不自然

長篠城の方に来るかと思ったらずっと後方の設楽が原で陣を敷いたから決戦したい勝頼がわざわざ前に出た

468 :人間七七四年:2018/06/23(土) 02:04:38.28 ID:jnWw3P1V.net
>>466
磔されたという場所から長篠城の端まで距離にして50メートルちょい城の中心までも100メートルちょいだから川の音が多少煩くても
普通が声ぐらい届くんじゃないか?
山彦とか考えるとキロ単位で声が届いてるんだし

>>467
東三河吉田城攻め75年説採るなら、それなりに遠征していると思う
関東攻めに比べればマシだけど

469 :人間七七四年:2018/06/23(土) 02:07:02.32 ID:h12r6wX7.net
>>467
>遠征につき城一つ落とす程度じゃ全然埒あかないよ
>勝頼の頭の中は決戦決戦

明知城や高天神城も信長の援軍が来る前に内応で落としてるので、長篠も佐久間の内応で勝てると思ってる進軍したって方が自然


>信長記の記述ガン無視?

>>376の戦力分散で手薄に見せるために隠したって方が妥当
岡崎から兵を隠すのは不可能、そして後何日で到着するのかの偵察しない設定は無理がある
佐久間の内応の約束があれば兵力が劣っていても勝てる勝算が出るので自然である


>小田原攻め〜三増峠に比べたらマシ、だいたい小城だからほとんどは囲んでただけ
>無理すれば落とせる、でも被害は出るのは嫌だから囲んで決戦に挑んだとも考えられる

長篠城は信玄期でも力攻めで落とせたことは無く、その後に家康が改修し>>310で鉄砲隊と大鉄砲に阻まれたり、
長篠城は武田の攻撃による損傷が激しく長篠後に廃城になったんだけど?

>所詮は限られた史料しかないから歴史学者の肩書きなんかいらないよ
>鳥居さんは事実だとしても被害無しで落とせれば、の作戦
>被害出せば落とせたかどうかまではわからん


その伊藤某は長篠城は土豪の城だから堅城ではなく、信玄がかつて落としてるから落とせないわけがないと間違った認識してるからな
城は深い水堀と鉄砲隊による防御力は伏見城や大坂城ですぐ落とすのは困難だと証明されてる
そして信玄は力攻めで長篠城は落としてなく説得で開城させている

>長篠城の方に来るかと思ったらずっと後方の設楽が原で陣を敷いたから決戦したい勝頼がわざわざ前に出た

長篠城周辺は道が狭いから決戦はできないのに
勝頼は長篠城周辺で待っていたのは矛盾が生じるが?

470 :人間七七四年:2018/06/23(土) 02:18:56.09 ID:jnWw3P1V.net
佐久間の内応は不自然すぎるだろ
後の佐久間の追放からの創作だろ

当時の佐久間は織田家トップで信長からの信頼も厚いし、
仮に裏切っても領地が織田領国に分散しているから、
この一戦で織田家崩壊レベルにまでならないと
徳川が武田に併合される間に周りから攻められて領地失うだけで先が無い

>>467
>長篠城の方に来るかと思ったらずっと後方の設楽が原で陣を敷いたから決戦したい勝頼がわざわざ前に出た
織田本隊は後方にいたけど、徳川羽柴丹羽滝川は長篠城近くまで進出して馬防柵築いて陣を敷いてる

471 :人間七七四年:2018/06/23(土) 02:28:58.90 ID:h12r6wX7.net
>>470
勝頼を誘き寄せるための偽の内応な
明知城や高天神城も内応で落ちたために偽の内応約定を信じてしまった
二度あることは三度あるとね

472 :人間七七四年:2018/06/23(土) 02:34:16.67 ID:jnWw3P1V.net
>>471
>勝頼を誘き寄せるための偽の内応な
それを理解した上でのレスだったんだが……

明地城や高天神城の時とは裏切る人間の状況が違い過ぎる
佐久間でなく東濃辺りの人間とか徳川家臣が内応なら可能性としてはあり得るので
武田も信じるだろうけど
佐久間じゃ荒唐無稽で武田が信じるとは思えない

473 :人間七七四年:2018/06/23(土) 02:51:08.05 ID:h12r6wX7.net
>>472
佐久間は三河まで兵糧持ってきたり
現地調査したりして信長に報告してるし
対浅井朝倉の時に信長を激怒させてるのは信長公記にも書かれてるからな
織田の三河&対武田担当だから逆に武田との接点が一番ある

474 :人間七七四年:2018/06/23(土) 03:58:25.16 ID:qQhLkrvw.net
>>463
高天神は何のこと言ってるのか意味不明。
明知は内応で落としたようなものだから、長篠城とは違うよ。

475 :人間七七四年:2018/06/23(土) 04:14:44.39 ID:h12r6wX7.net
>>474
高天神城は小笠原の内応で落ちた
明知城も内応
長篠城は信玄時代にも力攻めで落ちてはいない
そして長篠の戦い時の長篠城は家康が改修をしたのに加え
鉄砲隊がおり、城は勝頼に妻子を処刑された奥平が守っている

476 :人間七七四年:2018/06/23(土) 11:07:05.55 ID:fBRrFwVt.net
岡崎に数万いたとしても一瞬で戦場に集まれないよね
戦国期の街道は東海道でも道幅が狭くてくねくねとした道
東山道も同様だったので信長は安土城下に軍用道路をわざわざ作ったほどだし北条も武蔵攻略のために中原街道を一直線に整備して軍用道路にした
現代や江戸時代の東海道と一緒にすべきではない
武田からしたら長篠城の何キロも手前で進軍を止めた
後詰の救援としてはありえないほど不自然
織田に何らかの問題が起こったとみて隙をつこうとしたことは十分に考えられる
信長は作戦通りだったのかもしれないが

477 :人間七七四年:2018/06/23(土) 11:46:01.96 ID:HghPXaiM.net
長篠の戦いで陣城に突入したのは阿呆というが擁護出来る点はある
大規模かつ短期にこんな備えを用意した例が過去にない事

第一次大戦すら初期は機関銃を前に正面突撃を命じられた
(これは日露戦争の日本軍の人海白兵突撃で要塞を落とした事を参考にしているが…)

478 :人間七七四年:2018/06/23(土) 12:54:38.66 ID:h12r6wX7.net
隙を突こうと考えるなら陣城が完成する前に総攻撃するでしょ
陣城がほとんど出来上がった後に隙を付けるわけがない
隙を突くのが目的なら偵察を派遣して陣城出来上がってる報告を受けたら設楽原に向かう途中で引き返すわ

479 :人間七七四年:2018/06/23(土) 14:34:11.11 ID:sc16gBnk.net
織田の総数を過小評価。で、
陣城から織田をおびき出すのに、
ある程度接近して挑発。
そしたら後ろに回られ退路を
断たれる。ヤバイ、取り敢えず
前の敵を打撃した上で後退すべく
攻撃。三増峠の戦いの再現を
目指したが、火力に粉砕されて
壊滅…というのが実態じゃないかと。

480 :人間七七四年:2018/06/23(土) 14:36:06.84 ID:sc16gBnk.net
https://www.youtube..../watch?v=_t675VZJgl4
時代を超えて受け継がれる
日本人の心意気。

481 :人間七七四年:2018/06/23(土) 15:28:45.25 ID:RloY0GYy.net
ガタルの一木支隊か旅順の第一次総攻撃やらかしたんだろ。こっちの都合だけで敵さんの言い分は考えずに。

482 :人間七七四年:2018/06/23(土) 17:00:16.85 ID:qrM+d/jx.net
>>478
長篠城から何キロも西に陣城構築されても脅威と思わないだろ
長篠城の対岸だったらすぐにぶっ壊しに行くけどさ

483 :人間七七四年:2018/06/23(土) 17:51:13.84 ID:y6BnnDFT.net
>>477
司馬史観乙

乃木軍は第一次総攻撃で正面突撃が機関銃陣地に対して無力と判断し、以降は砲撃とともに塹壕を掘り進める
正攻法に変更した。
大本営は乃木軍に対して時間がかかりすぎると総攻撃を支持したが、乃木はこれを無視。
児玉も同意して、正攻法を続けた結果、攻城砲や空爆が無いことを考えると非常に少ない犠牲で攻略に成功し、
各国とも数年は耐えられるはずのはずの要塞が数か月で陥落したことに驚愕した。

乃木軍への評価が非常に高まった結果、奉天開戦において乃木軍を警戒したクロパトキンは、過剰な戦力をふりむけ
つづけることとなり、日本軍勝利の原因の一つとなった。

日露戦争の観戦武官達は欧州に帰って、歩兵の横隊突撃や騎兵突撃は機関銃に対して無力だと報告したが、
諸国の上層部は辺境の特殊事例だとしてドクトリンを変更しなかった。
その結果、第一次世界大戦において、一日で旅順を上回る被害を各国は蒙ることになった。

484 :人間七七四年:2018/06/23(土) 18:11:05.33 ID:h12r6wX7.net
>>482
隙を突くならって言ってるだろ
陣城できあがってたなら相手の準備は万端で隙を突けないだろって話な

485 :人間七七四年:2018/06/23(土) 22:21:40.92 ID:jnWw3P1V.net
>>473
接点があるって言っても領地の問題から佐久間が裏切ってもメリットがほとんどない
一応佐久間の領地は尾張南東だけども武田の間に徳川領あるし
南近江や畿内の利権もある
他の内応した連中みたいに領地の安堵や替え地の用意は不可能に近い
それどころか長篠で武田が勝っても佐久間は領地ほぼ失うような状況
こんなやつが内応言っても信じないだろうって話


前波みたいな例もあるが武田と織田じゃ織田の方がはるかに上だからなー

>>477
有海原の陣城は多分普通に落とせたからその感覚で設楽ヶ原まで出ちゃったとか

>>482
>長篠城の対岸だったらすぐにぶっ壊しに行くけどさ
実際陣地構築されて壊したんじゃ、でそのまま追い込んで行ったら設楽ヶ原まで行ったと

486 :人間七七四年:2018/06/23(土) 23:03:19.92 ID:h12r6wX7.net
>>485
長篠の戦いの前年に足利義昭より水野信元と徳川家康に
武田勝頼と協力して信長を討伐せよと言う書状が来ているから逆に利用したんだろう
水野はその後に佐久間に武田との内通を報告され処刑されてるからいくらか武田との繋がりは持ってたろうし
佐久間も対浅井朝倉で信長に口答えして激怒させてるからそのことを水野が旨く書けば信用したんじゃないか
明知城も高天神城も内応で落ちたから勝頼も調子に乗ってたろうし
長篠の戦いでも左翼と右翼が同時に動かずに左翼は徳川家康を攻撃したが
佐久間と水野がいる右翼は同時に動いてないし

487 :人間七七四年:2018/06/25(月) 00:15:15.93 ID:n010Jec3.net
武田は軍議で結論を出すというある意味、当時最も民主的な軍隊だったのかもな。
しかしそれだと時間もかかるし、皆、完璧な情報を持っているわけでもないし、
それぞれの国人領主の都合もあるから混乱しがちでまとまりにくい。
当時はむしろ、信長や謙信のように強い仕切り力のある人間がそのカリスマ力で、
機敏に動いた方が有利だったのかも知れないな。
長篠当時は勝頼にある程度の発言力はあったけど、カリスマとまではいかなくて、
陣城ができる前に攻める策を軍議の雰囲気を押し切ることまではできなかったようだったからね。
信玄でも軍議の大勢を押し切ることができたかどうかは微妙だったと思う。
信玄・勝頼ともに、鶴の一声。とはならなかった。
長篠だけに限らず最終的には、そのことが武田が滅びた原因だと思う。

488 :人間七七四年:2018/06/25(月) 00:22:48.31 ID:dZbiYUZC.net
>>487
その軍議の様子をなぜおまいが知ってる?

489 :人間七七四年:2018/06/25(月) 00:31:31.89 ID:/jZQN67R.net
謙信・信長もそんなカリスマないよ
しょっちゅう国人衆だの譜代家臣だの寝返ってたり謀反したりしてんじゃん
大勢力になればなるほど、離反したところで利がないから減ってくるってだけで
1地方の領主レベル(毛利・武田・上杉クラスでも)じゃ
常に国人の機嫌伺いながら軍議するしかないわけで

490 :人間七七四年:2018/06/25(月) 00:52:34.81 ID:n010Jec3.net
信長や謙信はいちいち軍議やったんでしょうか?
時には、やっただろうけど、特に信長はワンマン社長のイメージがある。

491 :人間七七四年:2018/06/25(月) 03:27:19.52 ID:/jZQN67R.net
割とマメに国人衆にお手紙出したりしてるよ信長は
それでも松永だの荒木だの別所だの離反されてるわけで

492 :人間七七四年:2018/06/25(月) 07:36:20.07 ID:70iU/iX/.net
決戦

493 :人間七七四年:2018/06/25(月) 07:40:44.76 ID:70iU/iX/.net
>>234では勝頼や重臣は撤退したかったが言い出せなかった

>>329では山県や馬場は撤退を進言した

>>406では国衆は褒美貰いたさに交戦を望んだ

>>407では勝頼は決戦を決め、武田内部から撤退したら引退勧告されるくらい決戦を求められた

>>487では軍議で家臣たちは決戦否定してたから行動が遅れた


いい加減、勝頼と武田重臣たちの立ち位置を決めとけよw

494 :人間七七四年:2018/06/25(月) 08:15:16.50 ID:SBpqCVc1.net
>>493
軍議の様子は後年の編纂物ばかりで、
実際にどの様なやりとりがあったのかは、
推測の世界に過ぎない。

当時の一次史料からはっきり
わかるのは、勝頼自身が非常に
強気であったという事だけだよ。

495 :人間七七四年:2018/06/25(月) 11:48:38.54 ID:sRwFXB/R.net
>>487
仮に陣城ができる前に攻撃しても、武田軍15000以下で織田、徳川連合は3万8000。こんな絶望的な兵力差でどうやって勝つというの? 作戦もない正面突撃で。

2万3000も兵力差があって、作戦もなくまともにやって勝てるわけないよ。勝頼は戦勝続きで自惚れていたとしか思えない。

496 :人間七七四年:2018/06/25(月) 11:50:34.87 ID:70iU/iX/.net
>>494
勝頼無能説は有力だろうな

497 :人間七七四年:2018/06/25(月) 14:55:45.74 ID:hzJmhsh+.net
織田は腐った建物のようなものだ。引戸を一蹴りすれば崩壊する。

498 :人間七七四年:2018/06/25(月) 17:13:35.18 ID:/jZQN67R.net
>>495
自軍より多いだろうなってのはわかっても
そこまで戦力差があるとか、その率いてきた敵軍がどれだけどこに集まっているかなんて
当時の人間に完璧に把握できるわけない
何も遮蔽物のないだだっぴろい平野に両軍ズラーっと並んで対峙してたとでも思うのか
今川義元だって自称3万という軍を率いてきたが軍を分散して攻略中に本陣正面から急襲されてやられただろ
不利だとしても何の戦果も出さずに撤退するってのは難しいだろ
みんな軍費かけて出陣してきてんだから
ある程度博打になるのは仕方ない
大軍率いていて何の戦果も上げずにリスク考えて引き返すなんて
肥大化した織田家クラスの金銭収入がないと無理

499 :人間七七四年:2018/06/25(月) 22:10:13.22 ID:xWhJEwXU.net
川中島の戦いだってさ何も得ないで帰ってきたときもあるだろうに、
その時は碁石金で部下を黙らせたのかな?

500 :人間七七四年:2018/06/25(月) 22:39:06.69 ID:n010Jec3.net
>>498
何の戦果も出さずに撤退するリスクと
実際に戦いを挑んで負けるリスクと、どちらが負担大でしょうか?
例えば案外、三方ヶ原時の家康は負けてでも打って出ないと更に損失が拡大したように
考えられる。

501 :人間七七四年:2018/06/26(火) 00:43:39.01 ID:XDP4PhTL.net
実際、信玄も信虎追放で担がれただけだった
クーデターで主導したのは武田一族の国人の板垣甘利飯富
当初の信玄はお飾り主君
上田原で板垣甘利が死んでやっと大名として動けるようになった
飯富が義信の側近になったのを見ても武田の組織がどういうものかよくわかるだろう

こういう武田で勝頼はどの程度、発言力があって政治をできたのか?
軍義は勝頼どうこうじゃなくて決戦派と撤退派で揉めていたと思われる
要は戦争の最中でも派閥争いをしていた
これはよく話されている内容でしょう

502 :人間七七四年:2018/06/26(火) 01:33:05.78 ID:EArGTvzo.net
>>501
その話でいくと勝頼の頃には板垣飯富は粛清して、甘利は代替わりで弱体化してるから武田家当主の力は強かったということにならないか?
そう考えると軍議について跡部、長坂対その他で意見が分かれて、勝頼の意向が強いから決戦に行ったというのはそれほど違和感がない

503 :人間七七四年:2018/06/26(火) 01:52:22.99 ID:PGLt+g+n.net
>>500
当時の勝頼は特にそこまで追い詰められていなかったので、
普通に古府中に撤退していれば問題なかった。

504 :人間七七四年:2018/06/26(火) 03:07:17.78 ID:PGLt+g+n.net
>>500
三方ヶ原時の家康は戦わなければ崩壊していたと思う。
長篠時の武田はそこまでではなかった。むしろ信玄時代より勢いはあったということだが、
負けたあとの落差が酷過ぎなんだよな。
もう、ほとんど完敗で命からがら古府中に逃げ込んだようだからな。

505 :人間七七四年:2018/06/26(火) 06:42:01.72 ID:rhzhm77Y.net
勝頼は信玄が落とせなかった高天神城を落として調子乗ってたって話もあったな
書状にも突撃する気満々だったし
討って出ないと崩壊するとか考えずに勝頼はただの猪武者なだけだったでしょう

506 :人間七七四年:2018/06/26(火) 07:37:52.72 ID:VdiHP5QZ.net
>>505
高天神城を落として調子に乗った、は甲陽軍鑑の記録です。この際に高坂昌信が「これは滅亡の兆し」と述べたとも書かれています。

これが事実なら、勝頼がイケイケだった甲陽軍鑑の記録は信頼性があることになります。

507 :人間七七四年:2018/06/26(火) 07:56:40.62 ID:rhzhm77Y.net
>>506
一次史料の書状で勝頼がイケイケだったのは事実なんだよなぁ

508 :人間七七四年:2018/06/26(火) 08:50:29.18 ID:Xg44fbbI.net
>>507
5月20日の書状ですね。
確かにあれはどちらかといえばイケイケ。
ただ気になるのは、勝頼がイケイケなら、家臣が反対してもそれを押さえられるくらい当主として権力が強かった、と理解していいのでしょうか?

509 :人間七七四年:2018/06/26(火) 08:54:02.22 ID:K8J11rZI.net
>>500
三方ヶ原では、家康は家臣・国衆への領地安堵の実力が試された。
長篠での勝頼は家臣・国衆への褒美を与える能力が試された。

510 :人間七七四年:2018/06/26(火) 09:00:58.38 ID:85or7Ssd.net
家康の場合は、家臣も武田になびいても冷や飯食い間違いないしむしろ尖兵として織田と戦わさせられた今川時代に戻るの間違いないし、家臣は家康支えるのに必死だよ

511 :人間七七四年:2018/06/26(火) 09:12:40.39 ID:K8J11rZI.net
>>500
三方ヶ原では、家康は家臣・国衆への領地安堵の実力が試された。
長篠での勝頼は家臣・国衆への褒美を与える能力が試された。

512 :人間七七四年:2018/06/26(火) 19:42:22.72 ID:PGLt+g+n.net
織田の援軍が間に合って長篠城を落とせなかったが、
それで、もし武田が退却していたら、
武田、或いは勝頼にどのくらいのマイナスがあっただろうか?

513 :人間七七四年:2018/06/26(火) 20:26:34.73 ID:rhzhm77Y.net
北条や徳川との戦いも決戦は避け、お互いに対峙しては兵を引くの繰り返ししてるからな
武田軍は退くと崩壊するみたいに妄想してる人がいるだけ

514 :人間七七四年:2018/06/26(火) 20:39:00.94 ID:85or7Ssd.net
武田は、勝頼は置物ですから。

515 :人間七七四年:2018/06/26(火) 20:41:48.80 ID:rhzhm77Y.net
>>514
勝頼が長篠の戦いにイケイケだったのは書状から確定してますから

516 :人間七七四年:2018/06/26(火) 21:26:19.84 ID:exvSi4QL.net
>>512
1540年に尼子晴久が吉田郡山城の戦いで吉田郡山城を落とせず、大内義隆の後詰のために敗れた時くらいの被害じゃないかな?

517 :人間七七四年:2018/06/26(火) 21:41:05.32 ID:PGLt+g+n.net
>>513
対峙してるだけで両軍引き上げるのは引き分け。
城落とせなくて、援軍が来たから引くのは逃げたも同然。
影響は逃げたけど負けではない。くらいのマイナスなのか、
それとも1万5千で城を落とせなかったから事実上の負けくらいのマイナスなのか。

518 :人間七七四年:2018/06/26(火) 22:04:55.55 ID:rhzhm77Y.net
>>517
長篠直後に城を徳川に何個も落とされてるけど崩壊しなかったけどな
それなのに退くだけで崩壊するとか滑稽すぎるw

519 :人間七七四年:2018/06/26(火) 22:14:43.48 ID:8C/ailRv.net
信長「勝頼は俺を見ただけで逃げ出したクソ雑魚www」
公家衆「まじかよ!日記に書いとこ、武田はクソ雑魚wwっと、地方大名にも武田はクソ雑魚って手紙書いとくか」

後世の俺ら「武田(勝頼)はクソ雑魚」

ってなりそうだけどな

520 :人間七七四年:2018/06/26(火) 22:17:58.39 ID:rhzhm77Y.net
>>519
長篠の大敗での当時の武田の糞雑魚っぷりより評価下がることはないと思うよw

521 :人間七七四年:2018/06/26(火) 23:19:06.18 ID:n9Ugkyt5.net
>>516
たしかに天文9年の吉田郡山城の戦いは参考になるかもね
吉田郡山城を囲んで小競り合いしながら後詰めに出てくる大内との決戦を狙っていたようだし
この前NHKでやってた千田さんと資料館の人が陣地を探索してたけど尼子が想像以上に大規模だった可能性が指摘されてた
尼子大内間の戦争が各地で繰り広げられてたのと同様に足助や美濃方面でも攻防があったから織田武田両軍が主力の割り振り方によっては決戦が起きなかったかもしれない
でも実際は両軍とも主力をぶつけて決戦する気満々だったし実際に決戦になった
漫画だけどセンゴクの長篠編で信長と勝頼が決戦を望んでる書状を並べて紹介してたのは素晴らしいと思った

522 :人間七七四年:2018/06/27(水) 00:06:51.21 ID:DHgF8s9b.net
http://i.imgur.com/zpJvSvK.jpg
設楽原まで行ったから織田徳川軍との距離が近く逃げられないから被害が出た
そして史実の退路は長篠城からも退路をふさがれて北になったからさらに被害が出た
設楽原に行かずに織田との距離があって織田が陣城築いてるうちに
武田は夜から撤退準備始めて最初から東に退路を取って来た道を帰っていれば余裕で退却できた

523 :人間七七四年:2018/06/27(水) 00:22:24.99 ID:tgPN0qTT.net
第4次川中島も実際は上杉軍が退却を開始したが霧のせいで方向を間違えて下山して
武田軍と偶然遭遇しの大事故の可能性もある
両軍大混乱に陥ったから信玄と謙信の一騎討ちは本当にあった可能性が高い

長篠・設楽原も両軍、実際は戦う気がなかった可能性もあるよ
川中島も実際は不慮の事故だったのを、創作して戦国随一の名勝負になった

長篠も織田は戦闘を避け威嚇程度で終わらせるはずだったとか
武田軍も実際、戦う意思があったのか?

日本に限らす中世の戦争は一つのミスの大事故のせいで起きたものが多い

524 :人間七七四年:2018/06/27(水) 00:25:33.82 ID:tgPN0qTT.net
退路は北だろう
だから武田軍は勝頼本体を安全に退却させるために
織田徳川が前進してこないように押し込む必要があった

要は退路を作るための突撃の可能性も高い

525 :人間七七四年:2018/06/27(水) 00:27:43.32 ID:rNwMGtTU.net
いいや、長篠は信長も勝頼も書状で戦う気あるの明らかだよ
具体的には信長は酒井別働隊により包囲殲滅することを書状で書いているし、勝頼はこちらから決戦挑むと書いていて実際そうなった

526 :人間七七四年:2018/06/27(水) 00:34:03.94 ID:rNwMGtTU.net
>>524
すぐ撤退するなら東からさっさと撤退出来る
追撃があるというなら長篠城の辺りにある砦に殿を置けば何の問題もない
そうしなかったのは言うまでもなく勝頼が決戦を志向したからだ

527 :人間七七四年:2018/06/27(水) 00:48:06.78 ID:DHgF8s9b.net
>>524
退路は東だぞ
北の退路は険しい山道で大軍が殺到して退却できる道ではない

528 :人間七七四年:2018/06/27(水) 06:53:43.92 ID:CGNA+xSi.net
>>518
文章をよく読めよ。
>>517は引いたら崩壊するなんていってない。
退却した場合の影響はどうかを言ってる。
例えば、退却したら、織田・徳川・ひょっとしたら奥平も加わって追い打ちをかけて
こないとも限らない。
追撃戦で武田にある程度の被害がでたら、武田は負けたと風評される可能性もある。
信長のことだから手取川の時よりも過大に風評されるかもしれない。

529 :人間七七四年:2018/06/27(水) 06:56:50.27 ID:CGNA+xSi.net
それと勝頼の求心力がどれくらい低下するのか。
城も落とせず逃げてしまったわけだからね。

530 :人間七七四年:2018/06/27(水) 10:50:34.52 ID:w+WMrPnT.net
>>529
尼子晴久が吉田郡山城攻めに失敗して出雲に逃げ帰った結果。

安芸武田氏は尼子晴久の支援を受けられなくなり、大内義隆と毛利元就に攻められて滅亡。
しんがりを務めた尼子久幸が戦死。
安芸、石見、備後の国衆の大半が大内義隆に寝返る。

ということになっている。

これを一列にするなら、

三河の国衆が徳川家に寝返る。
東美濃の国衆も動揺し、寝返る可能性大。
遠州方面は不明。寝返りも多少はあるか?
長篠から撤退する際、しんがりを犠牲にする必要がある。つまり幹部武将数名と、2000から3000の死傷者が出るのは覚悟しないといけない。

これくらいかな?

531 :人間七七四年:2018/06/27(水) 13:10:21.06 ID:DHgF8s9b.net
>>530
>>522をよく読みなさい
・設楽原で被害が出たのは織田徳川軍との距離が近かったため
・本来の東の退路を塞がれ、挟撃される形となり退路が北の険しい山道になったため

織田徳川は陣城築いていて距離を詰めて来ない上に長篠周辺は道が狭いので守りやすい
信長公記にも設楽原に来なければ信長はどうしようもできなかったと言われる
距離は十分にある

一応言っておくが吉田郡山城の戦いは両軍お互いを攻撃しあって距離を詰めていたからな
そして雪に退路を阻まれてたのもある
設楽原と同じ状況な

532 :人間七七四年:2018/06/27(水) 13:25:35.94 ID:w+WMrPnT.net
>>531
いくら夜でも、1万5000の大人数が隠密裏に撤退なんかできますか?

そもそも長篠城に押さえすら残さず撤退なんかできますか?

しんがりを置かずに撤退できますか?

距離があるとはいえ、無傷で撤退ができるとは思えません。

533 :人間七七四年:2018/06/27(水) 13:30:52.88 ID:+7oaapb7.net
>>532
織田は設楽が原から動こうとしてなかったし、山で大軍の移動は無理
追撃するかも怪しいし、砦に殿置けば撤退は余裕でしょう

534 :人間七七四年:2018/06/27(水) 13:42:54.65 ID:DHgF8s9b.net
>>532
長篠城周辺は狭く大軍で戦えないから設楽原という拓けた場所に信長が陣城築いたのももう忘れたのか
そして勝頼が設楽原にこなければ信長はどうしようもできなかったと信長公記にも言われてたのも忘れたのか?

535 :人間七七四年:2018/06/27(水) 13:55:23.20 ID:DHgF8s9b.net
>ひょっとしたら奥平も加わって追い打ちをかけて
>こないとも限らない。
>そもそも長篠城に押さえすら残さず撤退なんかできますか?


長谷堂城の戦いでは撤退する上杉軍を籠城側の最上軍が追撃したら返り討ちにあった話を知らないのかな?
数百しかない奥平の兵が追撃したら返り討ちだろう
むしろ追撃してきた奥平をそれで戦死させれば長篠城を落とせる可能性すらある

536 :人間七七四年:2018/06/27(水) 15:03:55.43 ID:JVJttnpV.net
明らかに劣勢だからこそ目の前に敵の総大将が戦場に出てきて陣を築き始めたら主戦派の強行意見が通るものだよ

537 :人間七七四年:2018/06/27(水) 16:44:54.48 ID:CGNA+xSi.net
>>535
奥平が単独で追撃できるわけないだろ。
織田・徳川に加わってと書いてあるだろう。
申し訳程度で50〜100人くらいかもしれないしれないけどな

538 :人間七七四年:2018/06/27(水) 17:34:27.43 ID:+7yht7Vl.net
>>531
>織田徳川は陣城築いていて距離を詰めて来ない上
何度か書かれてるけど信長公記によるなら織田徳川は距離詰めてきてる。
織田徳川全軍が設楽原でずっと待ってたわけじゃないぞ

539 :人間七七四年:2018/06/27(水) 19:44:19.37 ID:DHgF8s9b.net
>>537
>>とりあえず>>522見ろ
長篠城周辺は狭く織田徳川の大軍がいきなりワープはできないだろ?

>>538
誘き寄せるために行ったのか河を渡らず交戦記録も無いけどな
信長公記をいうなら河を渡らず設楽原に行かなければ
信長はどうすることもできなかったと言うのも考えなさい
大軍を活かせるのが設楽原しかなかったんだから

540 :人間七七四年:2018/06/27(水) 19:58:24.43 ID:tnYZl+Pd.net
信長って刀根坂で朝倉を自ら追撃して壊滅させたノウハウがあるけど。

刀根坂もそんなに広くないけどあのざまだし。
そもそも、長篠周辺は敵地。それに大軍の利を生かせられないのは武田側も同じ。
織田、徳川が追撃してきたら、武田側はやはりしんがり部隊と他の部隊との連絡がとれるのかなあ。
攻める方と守る方の違いもあるし。

541 :人間七七四年:2018/06/27(水) 20:12:57.76 ID:/7P6piwE.net
そもそも援軍と城兵に挟まれた時点で武田が有利な戦場を選ぶ事は殆ど不可能
古今東西敗北必至の負けフラグ
救援軍が攻城軍の兵的劣勢を覆す例なら数多くあるが、
攻城軍の2倍の援軍が到着して攻城軍が勝利した例があったら教えてくれ

備中高松城水攻めはなしね
あれは城側が打って出れないから

542 :人間七七四年:2018/06/27(水) 20:20:20.36 ID:DHgF8s9b.net
>>540
刀根坂の戦死者数は誇大だけどね
しかも最初から風雨に紛れて信長自らが追撃することを目的に進軍して距離を詰めてるから
長篠の時の信長は陣城築いてそこから動かなかったから長篠とは全く違うんだけどな

543 :人間七七四年:2018/06/27(水) 20:21:13.07 ID:/7P6piwE.net
>>540
逃げるって事は兵卒は壊走するから士卒が踏みとどまって指揮して戦う
そうなると踏みとどまる士卒はどうしても戦死率が跳ね上がる

つまり武士階級の損耗が著しく増える
長篠の戦いは士卒の戦死率が尋常じゃない
例えば山縣戦死とみれば山縣を護衛していた武士階級も壊滅したと見るべきでその損耗は尋常ではない

544 :人間七七四年:2018/06/27(水) 20:21:34.50 ID:tnYZl+Pd.net
>>541
武田軍ってそもそも、砥石城で自軍の3分の1の村上軍に手痛い敗北しているんだよね。城側と後詰に挟まれた形になると兵力に関係なく、精神的な圧力が大きいのかなあ。

545 :人間七七四年:2018/06/27(水) 21:05:25.73 ID:+7yht7Vl.net
>>539
勝頼の書状と信長公記の記述から単純に考えるなら
対岸の有海原に布陣していた織田徳川軍を設楽原まで押し詰めていった、になるから
普通に戦いはあったんじゃないか?

546 :人間七七四年:2018/06/27(水) 21:30:28.69 ID:DHgF8s9b.net
>>545
たぶん勘違いしてるんだろうが
信長公記にも先陣は徳川家康が務め、ころみつ坂上の弾正山に陣を取った
ころみつ坂は設楽原と有海原の間な
対岸ですらない

547 :人間七七四年:2018/06/27(水) 21:33:04.45 ID:nynTRyq6.net
有海原をどことするかだな、狭い意味なら長篠城対岸だけど、有海原周辺とするともう少し後方も含む

548 :人間七七四年:2018/06/27(水) 21:36:31.63 ID:+7yht7Vl.net
>>547
有海原に打ち上げって書くぐらいだし
設楽原からは抜けてるんじゃ?

549 :人間七七四年:2018/06/27(水) 21:37:26.51 ID:DHgF8s9b.net
>>547
ころみつ坂は現存するからその上の山だからもう場所は限られてる

550 :人間七七四年:2018/06/27(水) 21:43:29.07 ID:wrcUFA/g.net
>>535
長谷堂って全然返り討ちになってないぞ。上杉は兵隊溶かしまくって、なんとか逃げただけ。
義光が撃たれたのは流れ弾に近い。
で、その後、上杉が何もできずに逃げ出した庄内地方を丸々最上が占領したわけだ。

551 :人間七七四年:2018/06/27(水) 21:45:42.41 ID:nynTRyq6.net
>>548
まあ勝頼に打ち向かいだから設楽が原よりは長篠城近くまで行っていたと考える方が自然だとは思うが

552 :人間七七四年:2018/06/27(水) 21:46:29.40 ID:JnCLIWgn.net
>>550
敵中で敗走してる相手に譜代にろくにダメージ与えれない時点で朝倉義景並の無能追撃だぞ

553 :人間七七四年:2018/06/27(水) 21:54:56.29 ID:DHgF8s9b.net
>>550
追撃したが最上にも損害が出て最終的には籠城戦が帳消しになる失態だぞ
殿軍の直江が称賛されるぐらいに

554 :人間七七四年:2018/06/27(水) 22:02:34.66 ID:tnYZl+Pd.net
>>552
兵力差を考えよう。
上杉は2万。最上は6000。
これで追撃してるんだから、敵の首脳は逃げれるだろう。
しかも会津にはまだ無傷の数万もいたし。

555 :人間七七四年:2018/06/27(水) 22:05:19.19 ID:h6byMNMK.net
じゃあ勝頼はどこで織田徳川有利な状況で戦えたのかな?
せっかく織田本人が出張ってきたこの時こそ、乾坤一擲の勝負だったはず。

556 :人間七七四年:2018/06/27(水) 22:13:16.84 ID:d1I1kFgO.net
長篠の戦いを決断した勝頼を批判するなら、
織田徳川連合(北条も含む)と、どこで決断出来たか
ご提示くださいませ。

557 :人間七七四年:2018/06/27(水) 22:25:33.99 ID:rNwMGtTU.net
小牧長久手の戦いの家康みたいに基本守りを固める

558 :人間七七四年:2018/06/28(木) 00:11:21.00 ID:rTpM5HjD.net
三増峠の戦いは一応は武田軍による小田原城攻城失敗からの甲斐への撤退
北条の後詰軍による追撃戦だからそれを参考にするのが良いんじゃね?
山県とか当時の重臣が生きてるなら可能

559 :人間七七四年:2018/06/28(木) 02:35:20.38 ID:oj5or28S.net
>>489
しかし、織田軍・上杉軍で、もし設楽原での穴山のような行動は絶対に許されないでしょ。
徳川でも許されない。
その他にも勝手に戦線離脱した隊もあった。
実は勝頼は武田内でも舐められていたのかもしれない。
仕切り力・カリスマ力は信長・謙信・家康に遠く及ばなかったのかもな。

560 :人間七七四年:2018/06/28(木) 16:11:15.43 ID:ryN4v0TX.net
だからこそ劣勢でも決戦に傾くものだよ人間というものは

561 :人間七七四年:2018/06/28(木) 20:45:45.23 ID:mljD4Ny6.net
>>556 決戦を徹底的に避けて、精強な武田軍という抑止力を維持するのも戦略。

562 :人間七七四年:2018/06/28(木) 21:13:39.76 ID:j0ve3VDX.net
そもそも長篠城を攻める必要があったのか?
平地の多い遠江方面から攻勢をかけるべきだった。
確かに長篠城奥平は武田から徳川に寝返ったが、武田方の国衆を守るなら国衆の城に援軍を置いておけば良かっただけ。
遠江方面で戦えば徳川も奥三河に兵を出せないし。

563 :人間七七四年:2018/06/28(木) 21:24:05.42 ID:XaJfgrwx.net
>>554
しかも籠城戦に至るまでの間、各地で小競り合いをしてじわじわ痛めつけられた後の6000だからな。
関ヶ原でけりがついたといっても、兵力を背景に和平交渉してから帰ればいいのに、
ビビっちまって庄内地方を投げ出した直江さん、さすがパネェっすwww

564 :人間七七四年:2018/06/28(木) 21:24:33.99 ID:oxDt6yP+.net
長篠は一応遠江北三河に通じる交通の要所

565 :人間七七四年:2018/06/28(木) 21:57:17.05 ID:rTpM5HjD.net
>>563
さっさと兵を退いたのはむしろナイス判断じゃね?
兵をいつまでも残して圧力掛けてると
結城秀康と最上の心証が悪くなって潰されてたかもしれない
速攻で秀康に謝罪し、家康に許しを得るためにはごねては心証が悪くなる

566 :人間七七四年:2018/06/29(金) 00:19:49.19 ID:Sr2B/zQE.net
織田兵が武田兵より弱いというのはあるのかな?

567 :人間七七四年:2018/06/29(金) 16:43:19.88 ID:aPSLQ9cr.net
>>566
あるのは貧富の差から生じる意識の差
勝たなきゃ明日から苦しい思いする甲信兵と日本屈指の豊かな土地を持つ濃尾兵では当然意識の違いはでる

当然気候の違いに対しては強弱でるだろうな

568 :人間七七四年:2018/06/29(金) 19:42:20.75 ID:qPzay8O/.net
だからって、15000が38000に野戦を挑むとか、あまりに相手を見くびっているとしか思えんな。

それと今日は長篠合戦の日だな。

569 :人間七七四年:2018/06/29(金) 19:45:21.78 ID:IriLwqe/.net
おまえらの人生の長篠の戦いは勝利出来そうか?

570 :人間七七四年:2018/06/29(金) 19:52:28.97 ID:2vCbKkwU.net
雨が降っていたから設楽原に進軍したけど
設楽原に着いたら雨が止んだという晴れ男勝頼

571 :人間七七四年:2018/06/29(金) 20:09:41.06 ID:Ui7PcWtL.net
>>559
勝頼は武田の後をついで、まだ2年くらいしか経ってない。
ベテラン社長の信長・家康・謙信と比べるのは可哀そう。

572 :人間七七四年:2018/06/29(金) 20:20:38.90 ID:gO+JJxwI.net
もし雨が降ってたら武田は勝てた?

573 :人間七七四年:2018/06/29(金) 20:53:42.80 ID:2vCbKkwU.net
>>572
兵数が違うので…
むしろ設楽原は田んぼとかあったらしいんで
むしろ雨が降ってぬかるんでいたのも敗因の説も

574 :人間七七四年:2018/06/29(金) 21:38:05.91 ID:JdKslDW3.net
>>539
>>545
今は決戦の日より前に有海原で織田先陣と武田で戦いが起こったが通説では?

575 :人間七七四年:2018/06/29(金) 21:50:53.68 ID:6lChl/uO.net
秀吉が負けたから信長公記には有海原まで進出したことは書かれても、そこからどう撤退したかは書かれてないとか読んだ記憶あるな。

576 :人間七七四年:2018/06/30(土) 00:13:05.70 ID:sqh8wSky.net
>>574
どこの通説だよ
ころみつ坂の上の山に陣取って長篠城籠城兵に援軍が来たことを知らせたのが通説でしょ
深入りして交戦して退却したなら追撃されて死傷者多数どころか名ある武将が討ち取られても仕方ない

信長公記には長篠の戦いよって織田徳川軍は大利を得て、
味方の損害を出すことなくしてこれほどまでに完璧に強敵を打ち砕いた例はかつてなく、
その武勇は冥加の至りと書いてあるだけ

577 :人間七七四年:2018/06/30(土) 10:36:57.84 ID:MLyr3zth.net
>>576
20世紀かよ

578 :人間七七四年:2018/06/30(土) 14:11:32.01 ID:CgKoprbQ.net
>>576
信長公記には有海原に布陣してることが書かれてるから一度読んでみ

579 :人間七七四年:2018/06/30(土) 14:25:41.41 ID:sqh8wSky.net
>>576-577
先陣はコロミツ坂の上の山に家康が陣を取るって書かれて
コロミツ坂は一応有海原な
当時は有海原をどこまでの範囲で呼んだか分からんが
コロミツ坂の上の山に「先陣は」家康って確定してるんだよ

580 :人間七七四年:2018/06/30(土) 15:09:14.28 ID:BiXFZQ/8.net
上でも書いたが有海原はあの辺一帯も含むことある

581 :人間七七四年:2018/06/30(土) 15:10:50.71 ID:j9nHac6t.net
>>579
その後に滝川らが有海原に押し出しって書いてるだろが

582 :人間七七四年:2018/06/30(土) 15:16:49.79 ID:sqh8wSky.net
>>581
有海原の位置を根本的に間違ってるんだろうな
現地の地図が乗ってるサイトちょっと探してくるから待ってろ

583 :人間七七四年:2018/06/30(土) 15:24:28.32 ID:sqh8wSky.net
>>581
http://www.geocities.jp/chiezo_ikomai/nagasinositara/nagasinositara.html
これな
設楽原と思ってる下一帯まで有海原だ
有海原に討ち出てと言っても有海原は設楽原決戦場に近い

584 :人間七七四年:2018/06/30(土) 15:42:42.71 ID:sqh8wSky.net
有海原に押し出し=設楽原から有海原の入り口に差し掛かる

先陣は家康なんだから先陣の意味を知ってるなら家康の前に出ると思うわけないよね

585 :人間七七四年:2018/06/30(土) 16:20:55.58 ID:czaQgkHu.net
長篠の敗戦でもし、内藤、馬場、山縣の大幹部が生きていたなら、武田家は立て直しができて穴山や信豊ごときが幅をきかすことも無かったのだろうか?

586 :人間七七四年:2018/06/30(土) 16:36:08.81 ID:iBX8YXxD.net
少なくとも山縣が生きてれば、穴山が後釜ではなくなるならなぁ
馬場はすぐ寿命を迎えそうだが

587 :人間七七四年:2018/06/30(土) 16:46:38.18 ID:6R/pFG6V.net
>>583
コロミツ坂が有海原に含まれるなら、わざわざ有海原に押し出すとは書かないんじゃないか?

588 :人間七七四年:2018/06/30(土) 16:47:14.22 ID:/IoZ6zOJ.net
馬場さんは嫡男とその子も含めて3代みな討死したという説あるのよね
山縣も嫡男(三枝からの養子)が討死

ほんとどうしようもない敗戦

589 :人間七七四年:2018/06/30(土) 16:51:23.36 ID:sqh8wSky.net
>>587
>>584読んで
先陣の意味を調べなさい

590 :人間七七四年:2018/06/30(土) 17:07:43.81 ID:o7wxqQs/.net
>>583
この地図だと家康が布陣したコロミツ坂が長篠城対岸だけど、コロミツ坂も現在とは名前違うんだっけ?

591 :人間七七四年:2018/06/30(土) 17:33:23.40 ID:sqh8wSky.net
>>590
君が現地に行ってないから分からないかもしれないが
信長公記にも書いてあるように有海原は、左手は鳳来寺山から西に太山が連なり、また右手は鳶の巣山から西に続く深山

と書いてあるように有海原は山が連なっている所で
山と山の間の低い丘みたいなところがころみつ坂だ
現地に行ってみれば武田軍から見えない理由がよく分かる
ボイントになってるころみつ坂の場所が坂下な
普通に考えて坂がそんなポイントの範囲なわけないのも分からんか?

592 :人間七七四年:2018/06/30(土) 18:07:32.98 ID:8rIHutlR.net
重臣の一族郎党が踏みとどまって戦わないとどうしようもない敗戦敗走なのに○○が生きてたらとか虚しいだけやろ
主君のために殿努めて死ぬのも名誉だったしな

山縣や馬場、内藤等が帰ってきても割と虚しいだけやろ
穴山や小山田みたいにならない保証なんてどこにもないぞ

593 :人間七七四年:2018/06/30(土) 18:27:01.55 ID:es3ziRZ8.net
誰か参加する人いるか?
ttp://second-academy.com/lecture/WSD43040.html

594 :人間七七四年:2018/06/30(土) 18:56:38.66 ID:es3ziRZ8.net
>>574
それ今どうなってるんだろ?
90年代後半から10年ぐらいはよく見かけたが
数年前に出た平山氏の長篠本は長篠に到るまでのことは一切言及しないで
決戦当日に絞った本だったが(武田が弾薬や弾の確保に苦労していたとか書かれてる本)

>>583
最低でも設楽原の陣地群から誰かが出撃ぐらいはしてるはず
出ないと武田側の記録の陣地に追い詰めたとはならないだろうから

>>590
原文は○○山のたつみつ坂だったと思う
決戦時その山に信長が移動しているから
当時同じ名前の山が近所に二つあったとかでもない限り
現在のコロミツ坂とは別

595 :人間七七四年:2018/06/30(土) 19:00:44.14 ID:es3ziRZ8.net
>>585
>>586
大幹部が大量に死んで、しかも徳川織田はすぐさま反撃に出ているという状況で
後釜を悠長に選んだり育てたりするような時間なかったろうし
直轄領増やすとかよりも、多少のデメリットがあろうと
さっさと後釜用意して備えないとって感じだったかもしれないしな

596 :人間七七四年:2018/06/30(土) 19:23:15.72 ID:YRttNN+F.net
>>593
上の説明と講義1回分使ってるからいわゆる鳥居強右衛門の磔像はどっちが上かって最近議論になってたからその話をするんだろうな
史料編纂所の人でもあるし信長公記の定本を刊行しようとしてる金子さんだからおすすめ

597 :人間七七四年:2018/06/30(土) 19:36:55.31 ID:sqh8wSky.net
>>594
いや、ころみつ坂で合ってるよ
交戦記録がないのに交戦したはもっと有り得ないけどね
しかも交戦するくらいの距離を詰めて武田軍が追撃したならかなり死傷者が出てるはずなのに記録がない
長篠城側籠城兵に援軍が来たことを知らせるためコロミツ坂の上に家康が陣を取り知らせたってのが通説ね


>追い詰めたとはならないだろうから

勝頼の書状
然らば長篠の地取詰候のところ、信長・家康後詰として出張候といえども、さし指たる儀もなく対陣に及び候。
敵手立ての術を失い、一段逼迫の体に候の条、無二に彼の陣へ乗り懸り、信長・家康両敵共、この度本意を達すべき儀、案の内に候。

↓訳

しからば、家康の長篠城を包囲したところ、信長と家康が後詰としてやってきたが、これというほどの事もなく対陣している。
しかし敵は手段に窮して縮こまっている有様であるから、一気に彼の陣へ突撃し、信長・家康の討ち取ることもたやすかろう。


追い詰めた?対陣して織田徳川が手段に窮して縮こまっているように見えるからこっちから攻撃したるわ!
って話だろ?
どこに敵を撃破して追撃したって書いてあるんだ?

598 :人間七七四年:2018/06/30(土) 20:23:46.85 ID:o7wxqQs/.net
>>594

> >>574
> それ今どうなってるんだろ?
> 90年代後半から10年ぐらいはよく見かけたが
細川宛の手紙の解釈で解釈間違いがあったとかの時のか?

この間、と言っても五年以上前だと思うが
歴史群像では織田の先陣が攻撃しに行った
ことになっていたが
論文ではそもそもその辺に言及したのがまずないような

599 :人間七七四年:2018/07/01(日) 00:30:05.54 ID:gQgDQcPw.net
その辺ってアレだろ
信長公記や書状などの資料無視して織田徳川連合軍に戦死者6000人出て
織田徳川連合軍は辛勝だったというとんでも論が出てた頃だな
どこで織田徳川連合に戦死者がそんなに出たんだよって話になったら
設楽原決戦前に野戦して織田徳川連合軍が6000人討ち取られたっていう長篠日記だったか
武田軍も退却するときに前が詰まり、後続の者が長刀で前を行く味方の首を処ね倒していって被害が拡大したとか
例の荒らしの菅沼だかがゴリ押ししてきた怪しい出典ソース
武田で1万、織田徳川連合6000人の計1万6000人の屍が設楽原を埋め尽くしてたのかと
内容をほとんどの人に笑われて相手にされてなかったな
それを今でも断片的に拾ってくる奴がまだいるってことかw

600 :人間七七四年:2018/07/01(日) 01:04:09.39 ID:p4I3fFjl.net
>>599
っか、信長勢6000人死んで士卒の戦死0は流石にやばい
どんな戦い方したらそうなるんや
指揮官が余程臆病で兵卒が脳筋突撃なのか?

601 :人間七七四年:2018/07/01(日) 06:51:41.73 ID:4xihXSc1.net
>>600
織田、徳川がそんなに戦死したなら、あり得るのは陣城から出てきた時だと思うが、そんなに戦死するものかな?

602 :人間七七四年:2018/07/01(日) 08:37:10.39 ID:G4k2+wyN.net
>>599
18日に小競り合いだかそれなりに戦闘があっただかは
もっと前じゃなかった?
菅沼はここ十年ぐらいのことだし。

603 :人間七七四年:2018/07/01(日) 13:08:06.98 ID:gQgDQcPw.net
>>602
その菅沼が長篠日記で6000人の戦死者があったという野戦を証明しようとしても見付からず
決戦当日の突撃前の日の出からの小競り合いを
その決戦日の前の野戦のことと捏造しようとして叩かれて
今に至る、と

604 :人間七七四年:2018/07/01(日) 14:00:00.01 ID:CUw+VVsp.net
>>602
菅沼なら、【信玄】武田氏総合スレッド【勝頼】にいるけど? あそこで暴れてるぞ相変わらず。

605 :人間七七四年:2018/07/01(日) 21:10:14.20 ID:gQgDQcPw.net
長篠の戦いは織田徳川連合が辛勝説(織田徳川連合6000人討ち死)
設楽原決戦は無かった説
武田騎馬隊は無かった説
長篠城をわざと落とさなかった説
etc…

どれも戦国ブームに乗じて本を売るためにろくに調べないで出鱈目吹いて回ってた時代だから
黒歴史として無かったことにしても良い

606 :人間七七四年:2018/07/01(日) 21:20:01.34 ID:JqRkpr55.net
長篠で死んだ織田・徳川方の指揮官クラスの武将って1人もいないの?

607 :人間七七四年:2018/07/01(日) 21:33:14.71 ID:VFgBti4z.net
>>606
松平伊忠(松平家忠の父親)が酒井忠次の別働隊に参加して、逆に討ち死にしている。それくらいじゃなかったかな?

608 :人間七七四年:2018/07/02(月) 05:16:36.93 ID:ihVFVV3J.net
じゃあ織田・徳川で砦奇襲部隊だった酒井隊くらいなのか激戦と呼べるような戦いをしていたのは
あとは楽勝&一方的だった、と

609 :人間七七四年:2018/07/02(月) 07:07:27.47 ID:3djvfyqW.net
山家三方衆の家譜では奇襲攻撃を受けた武田方は、それでも善戦し、
鳶ヶ巣山砦では武田信実らと酒井軍が砦を奪い合い、
武田信実らは砦を三度奪い返したが四度目の防衛戦で討死
武田信実討死で長篠城包囲軍は瓦解し、乗本から久間方面に逃げようとした兵たちは
樋田、伊原で待ち伏せていた設楽貞通の軍勢に討ち取られた
長篠城から突出した奥平信昌の城兵数百は、松平景忠らとともに敗残兵を追撃して内金で戦い、大野まで追った
松平伊忠は退却する武田軍を追ったが深入りしすぎ、小山田昌行から猛反撃を受けて戦死

610 :人間七七四年:2018/07/02(月) 18:24:31.37 ID:wztIioSB.net
>>609
硫黄島の戦いで摺鉢山を奪い合いしてるやつみたいだな
有名なアメリカが旗立ててる写真のやつ

611 :人間七七四年:2018/07/02(月) 23:40:02.80 ID:xVvHb5hl.net
長篠日記とか信じてるのか…
6000人の死者とか信じてるのか…

612 :人間七七四年:2018/07/02(月) 23:42:19.40 ID:xVvHb5hl.net
『参州長篠戦記』
『長篠日記』
『改正三河後風土記』
どれも信憑性に欠ける軍記物だよね

613 :人間七七四年:2018/07/03(火) 12:33:17.84 ID:QFBYTuzN.net
>>594
武田の記録ではなく細川あての鉄砲放手の間違いのやつじゃないのか?

614 :人間七七四年:2018/07/03(火) 23:31:29.81 ID:qop0klfi.net
>>574
資料がないから通説で通そうとしても通説にはならないんだよな

615 :大戦略好き:2018/07/13(金) 19:31:35.97 ID:gVYlxcNAS
設楽原に展開した織田徳川連合軍2万と武田軍実数6000人が
衝突をして人数の微妙な武田軍が8時間も善戦が出来たのは
鉄砲対策の鉄板の盾があったからでありそれにもかかわらず
武田の宿将が多く討死をしたのは織田徳川の鉄砲隊が馬に乗ってい
る大将ばかり狙っていたからである

616 :機動戦士ガンダム好き:2018/07/13(金) 19:34:56.48 ID:gVYlxcNAS
設楽原合戦での武田軍の多くの死者は約1千人ほどとそれほど
多くないものだがその多くは織田徳川軍の予想の超えた柵の
効果であり人数の多さのために善戦をしていたものの撤退を
せずにはいられなかった

617 :機動戦士ガンダム好き:2018/07/13(金) 19:38:40.65 ID:gVYlxcNAS
その撤退を始めた武田軍を見て手柄を立てていない織田徳川軍の
将兵がここぞとばかり逃げる武田軍の騎乗の宿将を狙って
追いかけまわしたのが原因で武田軍の宿将の多くが打ち取られた

618 :人間七七四年:2018/07/31(火) 13:40:15.76 ID:xOGEBbHS.net
実際、何人死んだんだろうね。

619 :人間七七四年:2018/08/08(水) 22:46:06.84 ID:F6XUufGV.net
>>618
織田、徳川連合軍は7千、武田軍は15000ぐらいと言われている。
武田軍はこの戦いで事実上滅亡している。

620 :人間七七四年:2018/08/08(水) 23:30:12.92 ID:vaH/t3Z+.net
武田軍15000人と言われてるのに15000人死んじゃったのか

621 :人間七七四年:2018/08/08(水) 23:45:15.91 ID:5uqwKD0p.net
武田軍の死者は1000人で退却戦の時に集中しているという

622 :人間七七四年:2018/08/09(木) 13:38:59.25 ID:qai5NBjr.net
>>620
ワロタ

623 :人間七七四年:2018/08/09(木) 19:08:14.22 ID:TkwMRqC4.net
全軍の一割程度やろ
問題は武士階級が大量に戦死したことやろ

624 :人間七七四年:2018/08/10(金) 11:28:20.67 ID:CQFeS8vJ.net
我先にと逃げ出すのは末端の兵士で
現場に踏みとどまってなんとかしようとするのが指揮官だからな

625 :人間七七四年:2018/08/10(金) 12:16:39.89 ID:0jNqMaTi.net
関ヶ原では、指揮官クラスの武将の大半を秀忠軍につけ、家康自らは旗本ばかりひきつれてきたため指揮をとる武将が不足していて困っていた。
このように、兵がたくさんいても総大将の下に指揮官がいないと戦の遂行が困難になる
武田軍は、兵卒の戦死が1000人で済んでも、指揮官の大半が戦死してしまっては、今後武田軍をどう動かすかという難題にぶつかるのである

626 :人間七七四年:2018/08/11(土) 10:17:59.82 ID:DZ3iUKEC.net
困っていた。って根拠あるの?

627 :人間七七四年:2018/08/11(土) 16:13:19.76 ID:iqvZcdzF.net
>>619
事実上滅亡しているとか
自分の印象だけでさも事実かのように言ってないで、ちゃんと学識のある研究者の本とか読んでから判断しなよ
貴方は無知を晒してるだけだからさ

628 :人間七七四年:2018/08/18(土) 22:44:56.99 ID:VLUoJWeO.net
>>627
事実上滅亡したではないか。
武田がゾンビと化したことで、信長は東部戦線を殆ど省みる必要が
なくなったからな。そして、武田勝頼は二度と信長を脅かすことは
なかった。長篠以前は家康に優勢だったが、その後は家康相手にも
劣勢→撤退を繰り返し、やがて高天神城が孤立し包囲されることになる。
それにも、満足に援兵を送れなかった。

ゾンビ大名そのものではないか。武田が事実上長いので滅亡したと
言ってどこが間違っているんだ?
言っておくが、北条相手に上野を荒らした、などという恥ずかしいことは
言わないように。北条氏政は父も認めた愚将で、ゾンビ武田家にも劣る
カスだったからだ。

629 :人間七七四年:2018/08/18(土) 22:54:49.21 ID:VLUoJWeO.net
もう一つ、大賀(大岡)弥四郎と言えば外国(武田勝頼)と通謀して武力を
行使させた例として、日本の刑法で外患誘致罪の判例に今でも使われ、
刑法を習ったもので知らなければ潜りと言われる程の有名人だが、
この外患誘致罪の共犯、築山が処分される機会を待っていた。

信長は家康に築山の処罰を命じたのも、武田が衰えきっており、徳川家の
武田派を粛清して、徳川家が混乱しても、東部戦線で何ら影響がないと
判断したからだ。つまり、武田家は信長にそこまで「舐められて」いたのだ。
その証拠としての信康事件が発生している。

余談だが、信康が処分されたのは、外患誘致という刑法の最高犯罪を行った
母親を知っていながら処分できなかった、いわゆる「マキャベリズムの欠如」
が理由だ。

630 :人間七七四年:2018/08/18(土) 23:47:07.63 ID:yRPtpvrE.net
出たなゾンビくん
菅沼に次いで二番目くらいに有名人

「武田氏滅亡」平山優
くらいは読んでるんだよね

関東派兵以外でも御館の乱でキーパーソンになっていたり軍事力としては相当な規模を残してるんだけどね
敗戦で失ったものとしては経済的な損失の方が大きい

631 :人間七七四年:2018/08/19(日) 00:11:04.76 ID:qYbn2N5C.net
>>630
残念だが長篠の戦いで、武田家は将兵ともにほぼ壊滅しているよ。
で、長篠後、ゾンビと化した武田勝頼が何をしたかというと、将については
代替わりをさせ、経験値の低い若造に後を継がせ、兵については無理な
徴兵をおこなった。
しかし、上手くいくはずがなく、量で見繕っても質では目を覆わんばかりの
酷いものだった。二度と長篠前の勢いを取り戻すことはなかったし、二度と
信長を脅かすこともなかった。
更にこの無理が領内の怨嗟を招き、1582年には信長の協力者が後を
絶たなかった。

内容はボロボロだったんだよ。
結論として、強豪大名としての武田家は長篠で終わったんだよ。
武田家が7年間も持ったのは、畿内平定を果たしていない信長にとって、
生産性の低い武田領の戦略的価値は畿内より低く、優先順位が低かった、
それだけ。

武田勝頼は信長の都合によって7年間生かされていたに過ぎなかったんだよ。

632 :人間七七四年:2018/08/19(日) 00:20:23.56 ID:qYbn2N5C.net
信長がゾンビ大名と化した武田勝頼を生かした理由はもう一つある。
長篠後の武田勝頼を滅ぼすことは可能だったが(信長はもちろんのこと、
家康独力でも多分可能だった)、あえてしなかった理由は、武田勝頼を
滅ぼした隙に北条や上杉が乱入し、旧武田領がカオスになることを信長は
予見し、それならゾンビでも武田勝頼を存続させて、周辺勢力を牽制させ
時間稼ぎをした方が、畿内をまだ鎮めていない信長にとっては好都合だ、
という判断だ。

武田勝頼は信長の予想通り、恐らくは信長が全く期待していなかったほど
までに北条と上杉相手に善戦した。
畿内で苦戦していた信長にとって、信長に操られたマリオネットであることも
自覚しない哀れな武田勝頼の善戦は、物凄くうれしい誤算だっただろう。

633 :人間七七四年:2018/08/19(日) 12:40:36.79 ID:SbdMb23Z.net
信長に力がなかったってことでしょ

634 :人間七七四年:2018/08/19(日) 19:50:05.47 ID:6MObZTYK.net
>>633
戦略的理由と言って欲しいな。
信長が武田を滅ぼさなかったのは、戦略的に下策だったからで、
「武田を滅ぼす力」単体で検証すると、長篠以降は余裕であったからね。

635 :人間七七四年:2018/08/19(日) 19:53:06.71 ID:1QSlno3y.net
ゾンビくんキター

636 :MCJ好き:2018/08/21(火) 05:38:21.63 ID:i3cVjOu65
信長も設楽原の戦いでたくさんの部下を死なせているので
軍事費を大量に消費をしていましたですし何しろ信長は
6男の御坊丸を人質にとられているのであまり勝頼を
怒らせたくなかったのだが現状でしょうね^^;

637 :人間七七四年:2018/08/21(火) 19:41:31.62 ID:tj8nnv6Q.net
何処までも続くループ 終わらない稚拙なループ
いつでも武田はゾンビ 終わらない武田ゾンビ

638 :人間七七四年:2018/08/21(火) 23:15:14.55 ID:IqW2a4uA.net
>>188
信長が武田と戦いたくなくて城落ち期待してあり得ないほどゆっくり行軍してたんでしょ?
で、行きはのんびりだったのに落ちたと聞いたら速攻で引き返したとかだったはずw
長篠城も、織田と戦いたい武田が落とすと帰っちゃうから伸ばしたって話も有力らしいし
初期にかなりの所に追い詰めていながらその後の攻略は相当遅いらしいよね

639 :人間七七四年:2018/08/22(水) 00:49:33.72 ID:Nhg8OVvM.net
武田が生かされた理由は流石にゾンビ君が的を得てるぞ…残念ながらな
信長が後年手紙に書いてるけど関東地方なんて「つまらない土地」なんだよ
中央への影響力も皆無、その上徳川相手に一進一退となれば武田なんぞに出兵する意味がない

640 :人間七七四年:2018/08/22(水) 06:40:15.64 ID:VkUTI/Lj.net
>>638
>長篠城も、織田と戦いたい武田が落とすと帰っちゃうから伸ばしたって話も有力らしいし

ゾンビ君のがまだ正解なんだよな
>>461あたりから読みなおして

641 :人間七七四年:2018/08/24(金) 18:48:27.52 ID:oID/sfD6.net
>>632
言い方変えれば信長は武田を攻める余裕がなかっただけ。素直に解釈しろよ。

642 :人間七七四年:2018/08/24(金) 18:50:17.21 ID:oID/sfD6.net
>>631
単に平山さんの本程度でこんなくだらない決めつけはつまらないな。若造って言うけどいい歳だぞ(笑)

643 :人間七七四年:2018/08/25(土) 17:39:24.57 ID:b5emLdyn.net
首脳陣がもう老将といっていい年代ばかりで
次世代が継いだだけだからな

>>641
散々多方面戦略やっといて武田だけ後回しでいいやって
都合のいい解釈だな。
過去の戦略を見ても、最晩年までは
敵を絞るために和睦・停戦なんでもありで
一部の敵を後回しにして、その間に弱いとこから各個撃破なんて
何度も信長やってるだろ
弱体化したとはいえ、ほっとけば多少は盛り返すんだから
武田を追い込む余力があったらやってるよ
それをするにはまだ他に敵もいるし時期尚早と思ったから
万全を期したんだろ。ああ見えて信長慎重派だから

644 :人間七七四年:2018/08/25(土) 18:46:26.20 ID:9+yG7zOY.net
織田が本気で武田攻めればもっとはやく滅ぼせただろうけど
畿内の方が重要だからな

645 :人間七七四年:2018/08/25(土) 22:24:11.30 ID:7NFqqNrH.net
>>643
>散々多方面戦略やっといて武田だけ後回しでいいやって
>都合のいい解釈だな。

武田は長篠で壊滅した。主要な将と連れてきた万の兵が90%以上
屍となり、信濃に戻ったのは数えるほどしかいなかった。
ここまで徹底的に壊滅すると、もう反抗する力はなく、家康単独で
十分と判断したんだろ。その判断は間違えていないし。
ご都合守護どころか、実に合理的な判断だ。

>弱体化したとはいえ、ほっとけば多少は盛り返すんだから
>武田を追い込む余力があったらやってるよ

盛り返さなかったけどね。長篠で華麗に壊滅して、再起不能となり、
二度と信長と刃を向けることが出来なかった。
家康の相手が精一杯(それも劣勢)。
そんな時に北条を敵に回すなどの「多方面作戦」を愚かにもやって
しまったのが武田勝頼の方だ。

646 :人間七七四年:2018/08/25(土) 22:25:33.14 ID:7NFqqNrH.net
何度も言うが、武田勝頼は長篠で事実上滅亡し、ゾンビ大名と
なったという事実を抜きにして、何も語ることは出来ない。

647 :人間七七四年:2018/08/25(土) 22:26:48.31 ID:lH7umDtV.net
ゾンビ大名ってなに

648 :人間七七四年:2018/08/25(土) 22:31:13.71 ID:7NFqqNrH.net
>>647
[ゾンビ企業]
経営が破綻しているにもかかわらず、銀行や政府機関の支援によって
存続している企業・会社のことである。(Wikipedia)

[ゾンビ大名]
既に壊滅して存続できない状態なのに、周辺の地政学的事情により
生かされている大名のこと。長篠以降の武田勝頼が典型。

649 :人間七七四年:2018/08/25(土) 22:49:51.29 ID:lH7umDtV.net
ふーん。つまんない造語だね

650 :人間七七四年:2018/08/26(日) 02:04:09.73 ID:ubDmRqbA.net
頭の弱いのが必死に頑張ったのにそれは気の毒すぎる

651 :人間七七四年:2018/08/26(日) 15:13:04.99 ID:a4Qr6AhX.net
>>645
その90%以上というのは具体的にはどういった史料に基づいた情報なのですか?
根拠はありますか?

652 :人間七七四年:2018/08/26(日) 15:20:39.74 ID:kc4RYPft.net
【24マラソン、2000万】 障害者はタダ働き <世界教師マiトレーヤ「偽善暴く」> 芸能人はボロ儲け
http://rosie.5ch.net/test/read.cgi/liveplus/1535249407/l50


24時間TVのチャリティーはイカサマ! ハルマゲドンは福音派のデマ! マ@トレーヤはオウムと思ってるバカ!

653 :人間七七四年:2018/08/26(日) 15:47:38.01 ID:3I8nYXxe.net
>>651
一応軍鑑に優秀な武士の内99パーセントだか98パーセント死んだってのはあるな

654 :人間七七四年:2018/08/26(日) 20:12:51.40 ID:dkzYOdBm.net
>>653
わかりやすい嘘をつくなよ

655 :人間七七四年:2018/08/26(日) 20:19:34.32 ID:dkzYOdBm.net
>>648
それ説明になってないよ
壊滅してないし存続できているから前提条件からして間違っている

656 :人間七七四年:2018/08/26(日) 20:52:25.80 ID:ejgaxCJz.net
>>653
長篠の合戦が載っている甲陽軍鑑品第五十三を見ても該当する箇所がわからなかった
すまないが原文引いてもらっていいかな?
まさか大形とか悉くってところを98だか99%なんて自分基準で読み替えているなんてことはないよね?

657 :人間七七四年:2018/08/26(日) 22:54:20.64 ID:f0iCavqu.net
>>656
菅沼かよw

658 :人間七七四年:2018/08/26(日) 23:39:44.63 ID:dkzYOdBm.net
>>656
98だか99%を表現する言葉がないのにそんなこと言ってるからふざけてるのは一目瞭然
真面目に相手するだけ無駄だよ

659 :人間七七四年:2018/08/27(月) 07:29:50.08 ID:PYMCsEbb.net
総兵力500の小城なんか1週間で落とせよ
そして裏切り者奥平一族の首を獄門台にならべてさっさと帰国すりゃよかったんだ

660 :人間七七四年:2018/08/27(月) 08:00:43.53 ID:TUX9I4hD.net
1600年になっても鉄砲配置して徹底抗戦されると小城小兵力でも容易に落とせない
勿論勝頼には被害覚悟で力攻めする覚悟も国力もない

それこそある程度天下の定まった秀吉時代から被害覚悟の力攻めが多様される様になった

661 :人間七七四年:2018/08/27(月) 08:01:29.29 ID:GydnMjnC.net
この流れなら言える
積翠寺

662 :人間七七四年:2018/08/27(月) 12:46:08.87 ID:ztByvmAq.net
>>660
被害覚悟の力攻めした伏見城の戦いは死傷者2〜3000人程出て2週間近く掛かって大損害だった上に
4万の軍勢も2週間足止めされたんだけどね

663 :人間七七四年:2018/08/27(月) 13:57:24.45 ID:doG41TDA.net
>>415
だから徳川に絞って攻め立てたじゃん
徳川は単独で武田と当たるつもりなかったから織田を呼んだわけで
和睦も相手あってのことだし、色々と情勢無視してるな

664 :人間七七四年:2018/08/27(月) 14:06:44.43 ID:doG41TDA.net
>>628
このゾンビくんは北条の汁かけ飯の逸話とか、信康事件のこととか昔からの俗説をいまだに事実と勘違いしているようなレベルだからゾンビの件も含めて説得力ゼロだな
てかゾンビって言いたいだけだろ

665 :人間七七四年:2018/08/27(月) 19:16:54.12 ID:SKOKM3+2.net
>>660
信州上田城を落とせず足止めを食らって関が原に遅参したアホもいたね

666 :人間七七四年:2018/08/27(月) 20:59:36.23 ID:TUX9I4hD.net
あれは別に上田城関係なく間に合わないよね

667 :人間七七四年:2018/08/27(月) 23:31:28.28 ID:+NV0Q0S5.net
>>665
あいつは馬鹿息子だからな

668 :人間七七四年:2018/08/28(火) 06:44:24.91 ID:Eu2YndcG.net
大坂の陣にダッシュで駆けつけたのはしょーもない阿呆だけど関ヶ原の遅参は運が無かっただけでしょ
流石にあれは誰がやっても遅参する

669 :人間七七四年:2018/08/28(火) 11:11:57.68 ID:aqk6CT4y.net
素通りしてりゃ間に合うじゃん
真田に背後襲われるのが怖いなら応分の人数残せばいいだけの話
1/10も残せばお釣り来るんじゃないの

670 :人間七七四年:2018/08/28(火) 16:31:20.60 ID:Fuqvup5I.net
おいおい遅参しまくりの島津さんを貶すのはやめてさしあげろ

671 :人間七七四年:2018/08/28(火) 18:25:08.15 ID:5YGZfylO.net
家臣がゆうこと聞かないからしょーがねーじゃん?

672 :人間七七四年:2018/08/29(水) 08:41:53.41 ID:8C31Ewun.net
それじゃあ島津ダメ大名じゃん

673 :人間七七四年:2018/08/29(水) 18:40:40.47 ID:EWJ4T+8q.net
>>645
>万の兵が90%以上屍となり

ここで読むのやめてもよかったんだが…ツッコミどころ多過ぎなので

>ここまで徹底的に壊滅すると、もう反抗する力はなく、家康単独で十分と判断したんだろ
9割壊滅して立ち直れない武田に長篠後も武田を滅ぼすどころか
ちょいちょい城落とされてる徳川はどんだけ雑魚なの?

>盛り返さなかったけどね
信長と真正面から決戦するような体力はないが
徳川単体ならやれてるやんけ
9割壊滅して徳川とどっこいの戦いできるなら徳川はどれだけ(以下略

>北条を敵に回すなどの「多方面作戦」を
結果論であって、上杉が北条より同盟者として期待できると踏んだのは仕方がない
敵対してる織田徳川と友好関係にある北条なんて当てにできないだろ
どっちみち織田徳川が存命な限り、北条とは遅かれ早かれ敵対しとるわ

674 :人間七七四年:2018/08/29(水) 23:40:38.25 ID:UrwhShYc.net
>>673
横からで悪いが

1578年8月19日、勝頼と景勝は起請文を交わす
・北条勢の信濃通過をさせない
・景勝と縁組を行う
・景勝・景虎の和平が理由なく破綻したら和睦破棄する
※景虎自害後もなぜか勝頼は景勝支援



1578年9月下旬、景勝は上杉領の妻有城を武田氏に譲渡
妻有城は坂戸城と信濃を結ぶ位置にあり、
妻有城を廻り武田勢と北条勢を交戦させることを画策
8月19日の起請文に北条勢を通過させないことを約束させたために
北条勢は坂戸城を落としてから入越せざるを得なくなり、
上杉側も坂戸城に兵を集結するだけで良くなった



上杉憲政が景虎の嫡男・道満丸を連れて和議を申し出て御館から出てきた所を切られ死亡
景勝「急に出てきたから敵かと思って切っちゃったわ、ごめんごめん」



1579年3月24日 景虎が自害し御館の乱が景勝の勝利で終結
景勝は勝頼に上野(沼田・厩橋等)と北信濃の旧上杉領を譲る
※沼田城は後北条氏に制圧されてます
後北条氏に取られてるのに武田に譲るというミラクルな話術で
武田と北条を交戦させることに成功し、甲相同盟を決裂させる



むしろ内乱でボロボロの上杉なんて敵にして放って置いても攻めて来れないし
勝頼は景勝に上手いように使われただけでしょ

675 :人間七七四年:2018/08/29(水) 23:49:49.23 ID:UrwhShYc.net
>>673
>敵対してる織田徳川と友好関係にある北条なんて当てにできないだろ

あとこれも間違ってる
1572年の信玄の西上作戦に北条は2000〜3000の兵を送っている
織田徳川とは友好関係ではなかった
御館の乱後の甲相同盟破綻してから武田に攻められたから織田徳川を頼った

676 :人間七七四年:2018/08/30(木) 04:56:54.83 ID:ChkDDv1y.net
>>674
横からすまんが内乱で国力は低下したがこの時点ではまだ景勝には期待できたのでは…
問題は景勝のくそみたいな戦後処理に問題があると思うけど…
新発田とかわざと反乱起こさせたような処遇してるし

677 :人間七七四年:2018/08/30(木) 07:36:04.45 ID:f6yHy6WL.net
>>676
いや内乱で二つに割れてんのに期待できるわけない
むしろ領地を勝頼に餌としてやったらスゲー食い付いただけって話だな

678 :人間七七四年:2018/08/31(金) 22:25:51.91 ID:uJl+TPKf.net
>>656
品40石水寺物語の方だろう、
剛の武士百の内九十八ってやつ。

679 :人間七七四年:2018/09/01(土) 07:30:50.90 ID:8epK8Dxw.net
>>673
>9割壊滅して立ち直れない武田に長篠後も武田を滅ぼすどころか
>ちょいちょい城落とされてる徳川はどんだけ雑魚なの?

日本もレイテ沖海戦でほぼ終わったが、その後も単独の戦闘で
稀にアメリカに勝っている。そういう例外を過大に着目するのは
感心せん。

>信長と真正面から決戦するような体力はないが
>徳川単体ならやれてるやんけ
>9割壊滅して徳川とどっこいの戦いできるなら徳川はどれだけ(以下略

やれてないけどね。徳川がやれているように見えたのは、徳川が手抜き
していただけ。それも信長の、戦線を動かしてはならないという意向によりね。
(だから、武田勝頼は信長のマリオネットだと言っているのだ)

御館の乱で武田をわざと絶妙のタイミングで撤退に追い込んだり、駿河に
徳川軍が侵攻しても全く抵抗できなかったり(それも高天神城健在の時に)、
そういう例も数え切れない。

>結果論であって、上杉が北条より同盟者として期待できると踏んだのは仕方がない

ここまで頭が悪いとは思わなかった。いいか、上杉景虎が越後を継いだら、
信長以外の隣接国は盤石となる。信長相手に専念できる。どうせできるのは
ゲリラ戦ぐらいだろうがね。それでも、北条を敵に回すより何倍もマシ。

680 :人間七七四年:2018/09/01(土) 07:37:06.56 ID:8epK8Dxw.net
どうせ信康事件の話も出るだろうから言っておく。

信康事件は信康と築山が武田と内通し、信長の圧力によりこの両名が
除かれた事件として有名だが、築山が武田と内通したのは大賀弥四郎
事件の時だ。これは、今でも外患誘致罪の凡例として使用されており、
大賀弥四郎が武田勝頼の軍隊を招き入れ、東三河が大混乱に陥り
信長の介入→長篠の戦いに直結している。

信長はこれを忘れなかった。築山が大賀弥四郎事件に関わっていたことを
立証し、信康事件に関わっていた、又は知っていて放置したことを立証し、
両名を死に追いやった。決して長篠後のゾンビ化した武田勝頼と内通して
いたわけではない。

681 :人間七七四年:2018/09/01(土) 07:39:43.15 ID:8epK8Dxw.net
誤)信康事件に関わっていた、又は知っていて放置した
正)信康が事件に関わっていた、又は知っていて放置した

682 :人間七七四年:2018/09/01(土) 10:54:47.39 ID:yDMb871A.net
言いたいことは分かるがそこまで信長が万能とは思えないのだが…
説としては面白いのだが

683 :人間七七四年:2018/09/02(日) 06:18:23.47 ID:Si67d6Jt.net
家康「お前の娘婿腹切らせるけどいいかな」
信長「お前んちの問題だし、好きにしなよ」
みたいな手紙あるって聞いたことあるけど勘違いだったかな
まあ岡崎派と浜松派の対立に武田が介入してくる心配が
無くなったから、と考えれば矛盾ともいえないか

684 :人間七七四年:2018/09/03(月) 18:32:29.78 ID:xIahe1Is.net
日本の戦国期の戦いで9割死ぬのはありえないでしょ、実際は3~5割位じゃないかな。9割なら勝頼も討死してるはず。3~5割でもかなりエグい負け方だよ。 
私見だけど武田家滅亡はやはり長篠の敗戦に
よる国人支配の弱体化だと思いますよ。
詳しくはながくなるから省略で。

685 :人間七七四年:2018/09/04(火) 05:54:15.98 ID:D7UqDEVp.net
第二次世界大戦みたいに機関銃や爆弾がありゃ別だけどな
わーって逃げられたら全員捕まえて殺すなんて無理難題だよな 

686 :人間七七四年:2018/09/05(水) 00:33:09.96 ID:6hC5pxcN.net
戦国期は1割戦死したらほぼ壊滅だよ
負傷者は数倍いるわけだし

687 :人間七七四年:2018/09/05(水) 16:42:27.86 ID:qsTvXdae.net
戦する度にそんなに死亡者がいたら国力が持たない

688 :人間七七四年:2018/09/07(金) 22:47:25.21 ID:8S+pxGkT.net
前は外交で織田方に様々な勢力を造反させていろいろな奴をけしかけたがその時は織田は出てこないで
武田も織田方に深く進攻できる余裕がなかった
信玄が途中で死んだりで
決戦を強いられなかった
織田の方からわざわざ出てきたら多少数が不利でも決戦を選択は十二分にありえることだな
まだやれると思っていたから決戦になった
織田は長篠の前はここで万が一決戦に負けたら後がなくなるからとにかく避けていた
十分に包囲網を破って始めて武田との決戦をを覚悟して望んだのが長篠
それでも慎重に陣地構築して攻めて来るのを待った
全てを読みきれている神はいないからこそ
全面決戦が成り立つのであって後知恵言ってる奴が馬鹿
織田徳川が三万率いて自分達の境界線に乗り込んで来たのだから
決戦をしたくなるのは普通で決戦の前には長篠城や砦の攻防は些事
主戦場で押しきれば全て終わり、勝ち

互いが噛み合うから決戦になるだけでそうでないなら距離を取って逃げるだけ

大軍率いてにらみあったが何事もないでどっちか撤退とかよくある話

数が不利だから戦うのが愚かなら桶狭間はじめ信長の人生さえ全否定

主力を動員して退却の効きにくい狭い所で武田に決戦をさせ、
武田の猛攻をしのぎきった織田がうまくやったというだけ

689 :人間七七四年:2018/09/07(金) 23:48:33.33 ID:MU4fqe6A.net
>>688
>織田は長篠の前はここで万が一決戦に負けたら後がなくなるからとにかく避けていた


明知城や高天神城が内応で想定より早く落ちたから引き返しただけだよ
長篠城は絶対に徳川を裏切らない奥平を入れたし
高天神城の援軍に間に合わなかったのを信長が学習して
佐久間に事前に三河に兵糧を大量に運ばせて現地調査もさせてたから
岐阜から想定より信長が早く来て長篠の戦いに至る

690 :人間七七四年:2018/09/10(月) 14:08:22.90 ID:9/pNElqR.net
ゾンビくんは長篠で武田の9割が壊滅とか言ってる時点で
何を言おうが「都合の良いように話を盛るやつなんだな」って感想しかない

691 :人間七七四年:2018/09/10(月) 15:06:52.91 ID:Z/j9u6eS.net
武田軍を1万5千と過程して9割戦死は1万3千5百人
5月20日夜〜21日野戦で大敗して追撃されたり山狩りされたりもしたろうが、織田軍が機関銃でも使わない限り有り得ない

刀槍弓火縄銃でそんなに殺害できるわけが無い
武田軍が全員栄養失調のゴミなら話は別だが

692 :人間七七四年:2018/09/19(水) 15:45:37.24 ID:S/lupTnW.net
>>34
佐久間信盛の偽りの裏切りを信じてしまった説あるで

693 :小早川秀秋:2018/09/22(土) 22:26:58.83 ID:B/SsNTzn.net
1武将の裏切りで圧倒的兵力差がひっくり返るなんて事を想定して
戦をはじめるのがアホなんだよ 

694 :人間七七四年:2018/09/24(月) 08:30:09.95 ID:nICerYkQ.net
無敵幻想に酔ってたんやなあ ド素人みたいな大失敗やで

695 :くすの木ロード:2018/09/30(日) 21:03:05.12 ID:NH/aS0g4e
すでに穴山梅雪が裏切っていたからしゃあない

696 :人間七七四年:2018/11/05(月) 15:28:12.21 ID:2TYG60Vq.net
近日中に米墨国境付近にて長篠の合戦が再現される模様

697 :人間七七四年:2018/11/19(月) 14:11:20.37 ID:eI8cGJkmp
勝頼が勝ってたらどうなってたんだろうね
妄想するだけで楽しい

698 :くすの木ロード:2018/11/20(火) 19:15:36.55 ID:vAd4f7TJ.net
そもそも織田徳川連合軍が4万人〜7万人はいたという説が濃厚だと思うぞ
だから2万人集めるのがやっとだった武田軍がまけたんじゃないかな?

699 :人間七七四年:2018/11/20(火) 19:35:38.21 ID:/32vpPHK.net
普通に武田の記述にも「物量の差」「大軍に挑んだのが失策」って書いてあるからな

700 :人間七七四年:2018/11/20(火) 20:08:44.48 ID:LAaGV5ML.net
>>698
織田も武田ももっと少ないが有力だよ
設楽原にそんな大軍展開できないのが理由

701 :人間七七四年:2018/11/20(火) 20:16:10.78 ID:ZjcBQhdj.net
それ本気で言ってるのか

702 :人間七七四年:2018/11/20(火) 20:29:54.59 ID:LAaGV5ML.net
現地行ったことあるか?
北の山から南の川までクッソ狭い
4万どころか1万人でさえ入るかどうか

703 :人間七七四年:2018/11/21(水) 02:40:05.00 ID:w9oWvx5F.net
何も全軍が設楽原に展開する訳じゃないだろ

704 :人間七七四年:2018/11/21(水) 09:39:10.63 ID:SIkBfGyV.net
大軍が来ると分かったので集結する前に叩こうと思ったら予想以上に集結してたんだろ

705 :人間七七四年:2018/11/21(水) 18:51:15.91 ID:TLin2nqr.net
設楽原の戦いの時期は6月下旬のために雨が降っていたために
織田徳川連合軍が鉄砲隊3000丁のうち3分の1しか使えない
と踏んでいたのに合戦開始直後に雨がやんで武田軍は引くにも
引けない状態だったらしいです。

706 :人間七七四年:2018/11/21(水) 23:52:27.11 ID:3rqpB7+3.net
>>702
こいつ武田軍の兵士だろ

707 :人間七七四年:2018/11/22(木) 10:49:24.06 ID:764Npbh3.net
ワラタw

708 :人間七七四年:2018/11/22(木) 23:24:43.93 ID:KJKUqyXs.net
>>706
長坂釣閑斎かもしれん

709 :人間七七四年:2018/11/23(金) 11:55:48.19 ID:qVgA4h4a.net
武田重臣老害説。勝頼逃がすという大義名分を得て
信玄公を追って滅びの美学を求めた気がする。
戦場で散るのが本懐。武士道は散り方に拘るからね

710 :人間七七四年:2018/12/09(日) 15:02:32.60 ID:Ml/W0umc.net
織田の甲州征伐のときの寝返り祭を思えば、
武田家臣にそんな上等な美学はない

711 :人間七七四年:2018/12/09(日) 20:55:18.93 ID:McFXCQvy.net
長篠生き残り勢にはそういう美学が無かったか、あってもその美学を貫けない理由があっただけなのでは?
信玄を追って滅びの美学を求める必要がなかった、だから生き残ったのでは?

712 :人間七七四年:2019/01/30(水) 00:29:39.02 ID:UBNpWzRW.net
長篠城
https://kusanomido.com/visited/32041/

713 :人間七七四年:2019/02/17(日) 21:11:07.99 ID:yoDFKPMA.net
この戦いで佐久間が6000〜7000、滝川が3000、
水野が3000、柴田が5000とか率いてたってよく見るけど
丹羽や羽柴ってどのくらい率いてたんだろうか?
信忠や信雄、信長自身もある程度率いてるはずだけど、各部隊が何人率いてたんだろ

714 :人間七七四年:2019/02/18(月) 12:06:09.83 ID:7bod0SZm.net
石高から考えるなら秀吉は3000〜5000
長秀は2000〜3000
信雄は3000〜5000ってとこか?

715 :人間七七四年:2019/02/18(月) 12:25:22.69 ID:kN04tIz1.net
奥平、菅沼(笑)ら奥三河の豪族衆にとっては、武田にも徳川にも顔色窺わねばならず、合戦の際は犠牲の多い先鋒を引き受けねばならず、一族が敵味方に別れて戦うことになったから、早々に決着を付けてもらうのは重要な関心事だったと存じます。

716 :人間七七四年:2019/02/19(火) 10:32:07.15 ID:V6E99mkn.net
>>714
丹羽と羽柴は小勢だったって説もあるので3千以下かもしれませんね
羽柴隊は山に布陣してる説と前線で滝川や佐久間の隣だったりとよくわからない
更に不明なのは柴田勝家の名があったり無かったりで参戦してたのかどうかすら不明

織田家総勢3万で酒井隊に2千付けてるので残り2万8千
佐久間が6千、水野信元が3千、滝川も3千として、鉄砲奉行5人が少なくとも1千
これで残り1万5千
丹羽と羽柴が2千ずつでも残り1万1千
柴田が5千も率いてたら信長、信忠、信雄で合わせて6千か

もしかしてこの頃の退き佐久間って最盛期?

717 :人間七七四年:2019/02/19(火) 11:14:25.81 ID:jcN/lRoi.net
しかしながら我らほど立派な家臣をお持ちになることもありますまい

718 :人間七七四年:2019/02/25(月) 20:02:27.25 ID:fqgctanx.net
相変わらず馬鹿しかいないんだな、人気の武田関連のスレなのに
織田による武田征伐(1582)の頃の武田はすでに死に体であり崩壊寸前だっただけ、だから10万以上の軍で攻められても対応する力もその気もなかっただけ

719 :人間七七四年:2019/02/25(月) 21:23:36.70 ID:q3B7Qtkn.net
なぜ武田成敗?
長篠の戦いのスレなのに

720 :人間七七四年:2019/02/26(火) 00:01:23.32 ID:qJ0fUvzt.net
>>718
スレチのバカの代表がきたぞw

721 :人間七七四年:2019/05/18(土) 18:52:30.80
武田軍は穴山梅雪が2000人率いてきているのにも関わらず500人しか戦闘に参加しなかったので実質武田軍が1万人で織田徳川軍を相手に8時間も休憩をせずに戦ったのはすごいかと思いますb

722 :内藤昌豊:2019/07/07(日) 19:06:29.05 ID:M/xwtgWND
長篠は、地獄じゃった

723 :人間七七四年:2019/07/15(月) 09:49:45.07 ID:DWiCMEm8.net
よーするにガダルカナル島の一木支隊かサイバンあたりのバンザイ突撃を想像したらええんかの。たけだのたたかいかたは。

724 :人間七七四年:2020/01/27(月) 22:01:01 ID:gebDCx1Y.net
https://i.imgur.com/fRXw1iZ.jpg

725 :人間七七四年:2020/01/28(火) 20:18:19 ID:lZUD59x0.net
>>723
まあ、それそのものだろうね。
本当に、アジア太平洋戦争の日本軍そのものの戦い方をしているわ、
武田勝頼は。まあ、どっちも最低な戦い方に違いないがね。

726 :人間七七四年:2020/01/28(火) 23:26:21 ID:EJm6NuyP.net
さすがにそれは武田をバカにしすぎな気もするが

727 :人間七七四年:2020/02/03(月) 22:38:41 ID:oUy7O6HA.net
勝頼は信長が認めていた男やぞ

728 :人間七七四年:2020/02/04(火) 19:25:57.40
武田軍の死者が8000人ぐらいに対し織田徳川連合軍
の死者が6000人だったらしいです。
つまり織田徳川連合軍4万2000人のうち6000人
しんでも3万6000人以上が残るのに対して
武田軍は1万5000人に対して死者が8000人なので
7000人しか残らないのでいい勝負をしているのに
もかかわらず負けたように見えるだけかとおもいまする

729 :人間七七四年:2020/02/09(日) 11:23:46.84 ID:+bs0Tpt/.net
雲のジュウザぐらいの活躍はして欲しかったけどな 
一発でやられたから風のヒューイくらいか

730 :人間七七四年:2020/02/17(月) 20:09:12 ID:sS7MiCl9.net
旅順の白襷隊とかガタルの一木支隊の突撃と同じことやらかしたんだろ。

731 :人間七七四年:2020/02/18(火) 16:41:03 ID:z9aY2vc7.net
こいつみたいな無知も自覚してない知能低いゴミが実在するの見るとなんか気の毒になる

732 :人間七七四年:2020/02/21(金) 00:36:13 ID:nE0zf9wb.net
>>724
す、吸いたい

733 :人間七七四年:2020/02/21(金) 05:20:31.61
ウィキペアで調べなおしたら織田徳川連合軍の死者が60人ぐらい
に対して武田軍の死者が8000人ぐらいだな

734 :人間七七四年:2020/02/21(金) 21:33:10 ID:Tz8TcvjD.net
>>726
全然。アジア太平洋戦争への反省が足りないからそんなことを言う。

武田の滅び方が滅び方があまりにもアジア太平洋戦争とそっくりだから、
日本人のある程度強い人が失敗して滅びる黄金パターンと言っていいよ。
武田勝頼も、アジア太平洋戦争の大日本帝国も。

735 :人間七七四年:2020/02/22(土) 23:27:33.43 ID:A6eUn5gU.net
アジア太平洋戦争とは…

736 :人間七七四年:2020/03/01(日) 10:36:23 ID:t+/18pY1.net
未だに戦争への反省とかすげぇなw

737 :人間七七四年:2020/03/02(月) 21:44:12 ID:bjPGzPaB.net
>>736
日本人である以上は、アジア太平洋戦争を反省し続けなければならない。
なぜなら、アジア太平洋戦争は日本人の欠点の見本市であり、日本人の
反面教師として極めて重要な教材であるからだ。

738 :人間七七四年:2020/03/02(月) 21:51:13 ID:bjPGzPaB.net
あと、(私もそうだが)自分が生まれてないから関係ないよ、はなしね。
アジア太平洋戦争は、日本人に永遠に背負わされた十字架だから。
だから、経験の有無は関係なく、反省の必要があるんだよ。

739 :人間七七四年:2020/03/03(火) 18:18:49.22 ID:eIMkK58P.net
直接経験の有無さえ関係ないならいっそ日本人以外も全部地球人のこととして反省したらいいんじゃね
なんで日本人で縛る必要あんの?お前さんもナチスとかルワンダとか文化大革命とか毎日反省しとけよ

740 :人間七七四年:2020/03/03(火) 18:35:19 ID:ZRWmCqox.net
どんな民族だって過去のことなんか、生きている世代がいなくなればそんなことあったなあ程度だって
過去の失敗を教訓としていかすのはありだけど、いたずらに負を強調して引きずり続けたら絶対によくない
少し前に昔の日本人は凄かった、日本人はやれば出来るんだって感じの動画が持てはやされていたけど、教育が

741 :人間七七四年:2020/03/03(火) 18:44:21 ID:iLbpAwRk.net
途中で送っちゃったよ

戦後教育が失敗して日本人の誇りが失われた証なんじゃないのかね
件の動画が礼賛は、植民地化された日本人が悲惨な現実から麻薬で過去の栄光に逃避してるアニメがあったけど、それを思い出して悲しくなった

742 :人間七七四年:2020/03/04(水) 21:24:15 ID:fR7i7tSZ.net
>>739
日本人だけが反省する宿命を持つって何度言ったら判るんだ?
アジア太平洋戦争は、繰り返すが日本人の欠点の見本市だ。
日本人の悪い性質が重なったが故に、あのような失敗をしたのだ。

アメリカ人、欧州人、アフリカ人などはああいう失敗をせず、別の
失敗をする。それは、性質が違うからだ。

もし、縛られたくなければアメリカ人になれよ。アメリカの歴史は
栄光に満ち溢れているぞ。

>>740-741
難しいかもしれないが、私はアジア太平洋戦争の教訓は子孫にずっと
引き継がれるべきだし、引きずり続けるべきだと思う。なぜなら、
これも繰り返しになるが、日本人が暴走し失敗したらああなる、の典型に
満ち溢れているからだ。自虐も間違えたら悪影響だが、正しい自虐は
立派な教訓になるし、同じ失敗を繰り返してはいけない、という戒めにもなる。
それに、アジア太平洋戦争と同じ失敗をしている、と自信をもって人に
教訓を言えるようになれば、それは別の意味で誇りになると思うぞ。

743 :人間七七四年:2020/03/05(木) 14:19:39 ID:1eY/U4Nb.net
>>742
あ、それキミ差別やわ
日本人にだけ反省するチャンスを与えて同じ地球人仲間のはずの他国人には与えんやなんて
反省したら立派な人間になれるんやろ?
キミ、どえらい差別主義者やなぁ

744 :人間七七四年:2020/03/05(木) 18:52:15 ID:9BbP7/7z.net
自虐に正しいも悪いもないやろ
自虐教育の反動でネオナチみたいな勢力を作りたいのかな?

745 :人間七七四年:2020/03/06(金) 12:38:05 ID:sG003X2u.net
>>742
なるほど、これが悪影響かw

746 :人間七七四年:2020/03/07(土) 00:21:43 ID:KGw+qFt/.net
思うに長篠の塹壕掘は遺跡から明らかだけど、鉄砲隊は簡易な屋根と櫓を作って、上から射撃したんじゃないか。
当時の気象条件では雨が想定できたので、あらかじめ塹壕と櫓は作ることは想定していたはず。そしてその簡易櫓から雨を気にすることもなく列になって上から射撃をした。
その櫓の鉄砲隊が三列に作られていたから三段という語源ではないか。

747 :人間七七四年:2020/03/07(土) 00:28:48 ID:KGw+qFt/.net
恐らく鉄砲櫓が野戦で設置されたのは初めてなんじゃないか。当時の絵巻物にそれが描写されていないから鉄砲隊は柵のところで列をなしたとみなされたのではないか。
馬房柵だけではなく、鉄砲櫓こそ長篠合戦の大きな起点ではないか。

748 :人間七七四年:2020/03/07(土) 11:59:51 ID:sPdE3E6w.net
史料に無く証明できないこと言われてもな

749 :人間七七四年:2020/03/07(土) 13:05:01.35 ID:vbGeg8rT.net
鉄砲櫓がズラリと並んでるところにはさすがに突撃せんだろ

750 :人間七七四年:2020/03/07(土) 14:39:32 ID:IK6emDMj.net
俺ならするけど?

751 :人間七七四年:2020/03/07(土) 15:58:01 ID:HqIj16SO.net
乃木「ダメ?」

752 :人間七七四年:2020/03/07(土) 18:06:53.59 ID:rkLCkXKD.net
そもそも一次史料に三段撃ちという表現はない

小瀬甫庵が鉄砲の数を3千丁とし(先行する信長公記は1千丁)
千丁づつ放ち一段づつ入れ替わりと書いてるのを
後世読んだ人が作った造語に過ぎない

なので実際に戦場で何かが三段になってのが
その名でできたというのは成り立たない

753 :人間七七四年:2020/03/07(土) 18:45:16.35 ID:89gTwsXd.net
一段づつ入れ違いなのは、それは鉄砲櫓だからこそ可能だったのではないか。三段とはいかなくても高見櫓から撃つことで入れ違いに撃つことが可能ではないか。
塹壕と柵とトーチカ的な鉄砲櫓が随所に設置されていた、そのことを経験したことのない勝頼は突然攻撃しか突破できないと思ったのではないか。
千人でも三千人でもその鉄砲隊を有効に活用するには、櫓から撃つしかない。その櫓からの攻撃に勝頼はなす術もなかったのではないか。
その櫓の話が三段撃ちに変容したのではないか。

754 :人間七七四年:2020/03/07(土) 18:50:06.23 ID:89gTwsXd.net
つまり従来の三段撃ちは平面的な理解からそうなされたのだが、より立体的に三段撃ちとは高所から連続して撃つ、つまり鉄砲櫓の三段の場所から撃つことではないか。
そういう鉄砲櫓が三階の層になって用意されていた。これは信長のこれまでの合理的な戦法や戦術に妥当するものである。
これが鉄甲船につながるものではないか。

755 :人間七七四年:2020/03/07(土) 19:31:37.72 ID:rkLCkXKD.net
三段撃ちという名称自体が後世の創作なのに
記録にないものをさらにその由来とする・・・

756 :人間七七四年:2020/03/07(土) 20:13:25.12 ID:89gTwsXd.net
後世の創作が全く根拠がないのではなく、何か由来や意味があることがある。問題は三千人の鉄砲隊をどうやって有効に適用できるか。
それに対して鉄砲櫓説は、なぜ武田部隊を全く歯がたたなかったのか、それを説明する補強にもなるし、塹壕掘にも論拠がある。
塹壕掘と柵と鉄砲櫓によって、織田の鉄砲隊は完膚なきまでに機能し、それが後世に伝わって創作されたのではないか。

757 :人間七七四年:2020/03/07(土) 20:17:12 ID:89gTwsXd.net
何より鉄砲櫓説は、雨の中で鉄砲隊が機能しないと経験則的に曲解した武田部隊は、鉄砲櫓によって大打撃を受けた。そして後方からも強襲される恐怖から突撃作戦で殲滅したのではないか。
そうすると長篠は雨の中で起きた惨劇ではないのか。

758 :人間七七四年:2020/03/07(土) 21:22:25 ID:sPdE3E6w.net
頭弱い人か

759 :人間七七四年:2020/03/08(日) 14:39:56 ID:Mw3AwWtG.net
たかだか一局地戦に大規模な金と人員掛けてからくり作った経済力の差よ

760 :人間七七四年:2020/03/08(日) 16:41:00.90 ID:9H++9UDj.net
>>759
織田にとって局地戦ではないぞ。
武田勝頼を撤退させて、畿内平定に集中したかったから、
重要度はかなりある。

ただ、史実のように武田家を事実上滅亡させ、ゾンビ大名に陥れ、
二度と織田家に歯向かえなくするまでは想定していなかっただろうが。

761 :人間七七四年:2020/03/08(日) 16:49:17.25 ID:9H++9UDj.net
あと、

>>743
欧米人は同じ失敗はあまりしないよ。性格が違うからね。
最も、サダム・フセインのようにアジア太平洋戦争と同じ轍を踏むやつも
いなくはないけどね。日本人としてフセインには苦笑するしかなかった。
あと、戦勝国のはずのボリス・ジョンソンが、松岡洋右や内田康哉と同じ
失敗をしたのには失望したけどね。

>>744
弱い人間がネオナチに走る。だから、こういうのに負けない強い精神が
必要なのだ。ただ、嘘を交えると別になるけどね。嘘をついてまで自虐
していいことはない。真実のみ、真の自虐が可能。

762 :人間七七四年:2020/03/08(日) 23:00:02 ID:sM7JGdYu.net
意味わからん

763 :人間七七四年:2020/03/09(月) 00:22:04 ID:z/Qs26JY.net
完全に自分に酔ってるガイジ

764 :人間七七四年:2020/03/10(火) 00:57:37.97 ID:jaHTrAfh.net
ちょい精神に問題がある方のようで

765 :人間七七四年:2020/03/10(火) 14:11:15 ID:55VQdY51.net
ゾンビ大名という言葉はゾンビおっさんしか使わないから覚えておこうな

766 :人間七七四年:2020/03/11(水) 13:04:57.49 ID:Q/xlXtJK.net
つーかスレチな訳で

767 :人間七七四年:2020/06/16(火) 08:18:58.33 ID:7Hsf7cQ7.net
崖の上で待ち構える海兵隊に突撃かけた一木連隊長ですかね。

勝頼は。

768 :人間七七四年:2020/06/27(土) 07:42:37 ID:cxzbPyDA.net
>>767
退路を断たれ、そうせざるを得なかったという説も成り立つが。
いずれにせよ、織田・徳川連合軍に不利な条件に引っ張り出され
武田軍は文字通り壊滅したのだろう。

769 :人間七七四年:2020/07/01(水) 20:46:16 ID:lBTORSrR.net
NHKでやってたけど、
長篠の弾はタイ製だって?

770 :人間七七四年:2020/07/02(木) 01:25:21.84 ID:XXyOAbfL.net
それはタイヘンだ

771 :人間七七四年:2020/07/28(火) 00:02:32.48 ID:10MKA9tW.net
優勢に進めていた土地で一戦もせずに退くのは致命的。向こうもやる気がないし小競り合いくらいして帰るつもりが、
一部がヒートアップしたせいでまともに帰ることができなくなった。

772 :人間七七四年:2020/07/28(火) 22:03:22.18 ID:Oby8BpaS.net
勝頼には辻か服部レベルの頭しか無かったとか。

773 :人間七七四年:2020/08/02(日) 16:30:20 ID:s3ZYhRaw.net
151号線を使って本国に帰れない事情でもあったか

774 :人間七七四年:2020/08/14(金) 00:43:49 ID:v6alwWiz.net
長篠の戦いの新設
自分が実際に長篠古戦場を見てきて考えたのは
織田連合軍は部隊を二手に分けたということ
これは実際に珍しいことではなくよく見受けられる
こと
例えば関ヶ原の宇喜多隊これは部隊を二てにわけ
先発隊を明石たけのりが率いた
もう一手は後陣の本営
大阪夏の陣で伊達政宗の部隊は前衛の鉄砲隊
騎馬隊を先発させ真田隊と戦った
このように部隊を分けるのは当たり前のように
行われている
長篠でも同じように先発隊と後陣に分けたと考え
られます
この先発隊は足軽鉄砲隊が中心で本隊がいる
山から出て連ご川まで部隊を進めさらに
武田が陣をひいた山のわきまで突入しようと
したと思われます
従来から信じられている武田騎馬隊が山際の馬防柵
へ攻撃を仕掛けたというのはほとんどなくて
決戦の終盤に不利な局面を打開するため自殺的な
突撃をかけた一部の場面に過ぎない
ほとんどが開戦から連ご川付近での小競り合い
だったのが真実

775 :人間七七四年:2020/11/13(金) 21:54:27.20 ID:ftvIJXUc.net
完勝のはずの狸と魔神の方も損害か六千て一体どんな戦なんやろか。

776 :人間七七四年:2020/11/15(日) 20:35:30.03 ID:QR7jA4Lv.net
>>775
織田、徳川方が殲滅に拘ったからだろう。
窮鼠猫を噛むというから、それで死者が増えたのだろうね。

確かに武田勝頼に万単位の死者を出させ、再起不能とし事実上滅亡
させたが、余りにも徹底的に叩き過ぎたのが、皮肉にも死者を増やした
のだろうね。

777 :人間七七四年:2020/11/15(日) 23:49:08.40 ID:YE5swMh5.net
織田徳川の戦死者6千て何の記述?
徳川実紀の100倍か

778 :人間七七四年:2021/05/21(金) 17:05:05.96 ID:uZNlSTB4.net
三段撃ちて十字砲火のことやろ
信長公記でも雑賀や本願寺衆が三段撃ちの記述あり
横並び陣地ではなく飛び地陣地で中に入ってきた敵部隊を前横斜めから順に射撃
ただあまり上手くいかず乱戦になり数で勝る織田勢と鉄砲の殺傷能力で押し切った
終盤には長篠城勢も加わり武田は総崩れ

779 :人間七七四年:2021/05/25(火) 11:38:12.27 ID:/ZH2outwZ
長篠の戦いの真相ですね!(^^)wwwwwwwwww
https://www.youtube.com/watch?v=SWfn242I9og

780 :人間七七四年:2021/11/24(水) 12:50:50.98 ID:rtbIU0bD.net
設楽原保存会だと四人一組で行う高速装填術らしい。
これは実際に根来衆だかが開発したもので、
四人が集まって四丁の鉄砲を装填役3名と発射役一名で射撃するというもの。
これで18秒で一発撃てるようになるらしい。
更に設楽原には銃眼も設置してあった。だから安心して鉄砲射撃ができたろうと。

781 :人間七七四年:2021/11/24(水) 21:53:21.04 ID:daBXn58V.net
>>777
確か戦前の陸軍研究でそんな数値が出てたはず。
根拠はわからんけど…

782 :人間七七四年:2021/11/25(木) 05:55:53.65 ID:6FKNDoIg.net
6000だと流石に重臣クラスが何人か逝ってないとおかしいだろ…

783 :人間七七四年:2021/11/25(木) 09:48:24.22 ID:6DkzcvHd.net
確か「武田軍が一万死んでるなら織田徳川もこれくらいしんでるはず」程度の割合計算で四千、六千って話になってたはず
早い話が根拠無しです。

784 :人間七七四年:2021/11/25(木) 10:44:59.39 ID:6DkzcvHd.net
織田徳川の武将格の死者って鳶ヶ巣山で深追いしたやつだけだっけ?

785 :人間七七四年:2021/11/25(木) 10:51:21.12 ID:fejKrwuG.net
柵から出たら討取られたのじゃなくてか

786 :人間七七四年:2021/11/26(金) 12:26:10.49 ID:SWXUst+U.net
有名な「穴山信君が戦わないで逃げたから負けた」説だけど、
穴山家臣の諏訪部助右衛門尉が戦死してるからこれは甲陽軍鑑の嘘っぽいんだよなぁ。ていうか甲陽軍鑑品十四でも穴山が攻撃に参加してると書いてあるし。
信君が読んだらガチギレじゃないのこれ…

787 :人間七七四年:2021/11/26(金) 17:50:09.88 ID:HfLv55XI.net
>>778
四人一組の高速装填術の可能性があるらしい。根来衆とかが編み出したらしいが…
設楽原には銃眼があるから射撃の安全性が全く違ったろうし

788 :人間七七四年:2021/11/26(金) 18:16:38.74 ID:/FcYZ26t.net
人数なんてのは丼ぶり勘定が常だから
大事なのはモブじゃなくてネームドの死者数よ
身分のあるやつの死人の数は誤魔化しきかん

789 :人間七七四年:2021/11/26(金) 18:54:03.78 ID:SWXUst+U.net
武将格が100人死んでるとかいう

790 :人間七七四年:2021/11/26(金) 19:34:21.51 ID:OhBLMdJc.net
>>786
滅んだ家に責任転嫁するのは世の常

791 :人間七七四年:2021/11/26(金) 21:10:00.70 ID:puS3ZEN6.net
三方原も武勇の士は多数死んでるけど幹部クラスはほとんどいないんじゃなかったか
川中島は有名なのは信繁ぐらい?
関ヶ原も参加者の割に有名どころは大谷刑部と島左近あたりか

792 :人間七七四年:2021/11/26(金) 21:36:49.94 ID:SWXUst+U.net
大将格は大抵の場合死なないのが当たり前とは聞いた事がある。司令官が戦死する→統率取れなくなって全滅必至、ってなるから絶対に死んじゃいけない。死ぬのは殿戦の様な捨て身の特攻せにゃならん時、と。
それが設楽原だと大将クラスまでバタバタ討死、こりゃおかしいぞ、と。

793 :人間七七四年:2021/11/26(金) 22:38:49.15 ID:YaIwoUOo.net
>>791
信繁【軍団】が崩壊したからくそ痛い

794 :人間七七四年:2021/11/26(金) 23:27:44.31 ID:/FcYZ26t.net
長島の時の織田一族死に過ぎ

795 :人間七七四年:2021/11/27(土) 01:43:12.91 ID:WUnCLyz8.net
初戦で死んだ信興以外はまぁぱっとしない連中ばかり死んだなって印象

796 :人間七七四年:2021/11/27(土) 07:03:24.76 ID:t79D0yP+.net
勝頼が無謀な作戦に出た、って見解が強いけど実際の戦国時代の戦術ではむしろ常識的だったって話があったな。
柵があったらこれを工兵に除去させて突入して突撃するのが当たり前と。
だからこそ、信長もそれを見越しての布陣をしていたと。

797 :人間七七四年:2021/12/01(水) 17:54:02.42 ID:L4zOTWqm.net
馬防柵の原材料、どっから持って来たの問題。
連吾より浜田まで、二重…ってのが長篠日記の記録らしいけどこれだと約2キロ。
甲陽軍鑑だと佐久間陣は第三陣まで構築されていてそこの奥は不明。
木材だけで相当量が使われてた筈でこれを信長・家康は何処から調達したのか…
信長が岐阜から、家康が前から集めてた、現地調達、この三つで賄ったんだろうけど。

798 :人間七七四年:2021/12/03(金) 13:49:16.15 ID:vbb05cpF.net
・鉄砲三千丁説の由来
 長篠の戦いが発生する前、大量の鉄砲が発注され、受領していた
 その数、”織田勢全体で”三千丁だった
 別に、長篠城救援部隊に三千丁が支給されたという話ではないのに

・三段撃ち説の由来
 鉄砲三千丁が投入されたという根拠が無い妄説を前提に、
 そんな多数をどうやって運用した? という疑問を解消するため、
 三回に分けて千丁ずつ使ったことにしたコジ付け
 妄説を正当化するために重ねた妄説

799 :人間七七四年:2021/12/03(金) 18:48:20.18 ID:dxPfxeA0.net
織田・徳川・武田全てが「鉄砲の威力は凄い」事を記してるからむしろ三千丁は少ない。多分五千丁以上はあったんじゃないか。そうじゃないと信長公記や甲陽軍鑑の記述と合わなくなる。
後、三段撃ち自体は普通に可能。問題なのは三段撃ちすると破茶滅茶に疲れる(これは実際の実験での感想らしい)ってのがあるんだと。
まぁ三段撃ちではなく高速装填術だった、ってのが本当のところなんだろうけど。

800 :人間七七四年:2021/12/03(金) 18:52:26.64 ID:H9znnUN2.net
ごめん、あんま詳しくないけど
三段撃ちの由来って、あれじゃなかった?
なんて言うんだっけ
甫庵信長記?に、三千って
書いてあるんじゃなかったっけ

801 :人間七七四年:2021/12/03(金) 21:53:16.18 ID:dxPfxeA0.net
確か甫安信長記が基で「信長は三千丁の鉄砲を、次々と射かけた」って記述から明治時代に作られたもの(甫安信長記にも三段撃ち自体は書いてない)
三段撃ちはオランダかどっかの戦術にあるから不可能じゃない、ただ伝承の様に連射するとなるとかなり難しい。実験によると十分としない内に全員へばっちゃうんだとか(実質不可能と結論付けられてる)
とはいえ、信長公記・三河物語・甲陽軍鑑全てにおいて鉄砲によって武田軍が撃滅されたと記述され、また武田軍の被害に対して織田徳川軍は損害軽微な事から大量の鉄砲が投入された事は間違いない。

802 :人間七七四年:2021/12/04(土) 08:56:27.35 ID:SLbRhnrc.net
>>739
逆にもっとミニマルにして、日本がやったことなんて関係ない。ウチの家、先祖たちがやったこと以外は知らん! って手もある。本多家なら本多家の歴史、酒井なら酒井の歴史しかウチには関係ない、他人事って考え。

803 :人間七七四年:2021/12/04(土) 10:42:09.06 ID:aEzrInCs.net
世界中で長期間にわたって当たり前に使われてた交代射撃を何故か日本では出来なかったやらなかったちゅう理由探す方が大変じゃねーのって軍オタに鼻で笑われたことがある

804 :人間七七四年:2021/12/04(土) 12:51:13.44 ID:r1m3spk+.net
名和弓雄氏が火縄銃愛好家と一緒にやった実証では、装填、射撃と筒掃除の
ペースがばらつくから、きれいな三段撃ちは無理らしい。

銃兵が多数いれば、自然と交代射撃になると思う。

805 :人間七七四年:2021/12/04(土) 13:47:08.95 ID:tE7M/+5u.net
名和氏が提唱した「織田鉄砲隊は銃眼から鉄砲を連射した」って説は確かにこれなら武田軍も全滅するだろうなって感じだし実際そうだったんだろうな

806 :人間七七四年:2021/12/06(月) 22:31:24.70 ID:/mCMXIxd.net
品質がバラバラな上に製作した場所も作り手の力量も何もかもが
違う火縄銃でそんな高度で統制のとれた三段撃ちなんて出来るわけがない

807 :人間七七四年:2021/12/07(火) 09:42:45.11 ID:9u3iWueS.net
当時の戦争常識だと鉄砲隊に突撃するってのは普通の選択だったとか。鉄砲の性能が悪いから初弾を防げれば悪くても二発目までだから。

808 :人間七七四年:2021/12/08(水) 06:44:11.33 ID:shXWHCKF.net
ただの野原で少数の鉄砲足軽が相手なら突撃で蹴散らせるだろうけど、
空堀と柵、下手すりゃ土塁もあったかも知れない陣城に籠っていて、
槍兵に護衛された、数的に優勢な敵が相手では話がまるで違う。

そういや設楽原では鉄砲の補助として弓は使ってたのかな?

809 :人間七七四年:2021/12/08(水) 09:49:50.69 ID:IZK/etUv.net
武田軍は織田徳川陣がどうなってるか分かってなかった可能性が高いらしい。
実際に作ってみると武田陣(赤ハゲ)からは柵しか見えない。
また、織田徳川が大量の鉄砲を投入している事も掴める筈もなかった。
想定外過ぎた。

810 :人間七七四年:2021/12/08(水) 16:23:28.26 ID:wbwTyBuE.net
989 山師さん@トレード中[] 2021/12/08(水) 15:34:35.68 ID:DTl5KOGGr
常識的に考えればSP5002%下げ楽観的に考えても1%下げ 買いは無い

811 :人間七七四年:2021/12/09(木) 19:14:48.33 ID:lMJ1r5Sb.net
そもそも武田軍は織田徳川軍の兵数すら分かってなかったみたいだしなぁ…

812 :人間七七四年:2021/12/18(土) 21:43:38.40 ID:x0ekRxkY.net
撤退できなかったのは仕方ない、として
なぜもっと早く戦況に気付けなかったのか…

813 :人間七七四年:2021/12/18(土) 22:13:41.33 ID:aWcmFe45.net
アホやから

814 :人間七七四年:2021/12/18(土) 23:45:30.00 ID:n0lnvfAq.net
勝頼は脳筋だから

815 :人間七七四年:2021/12/19(日) 06:19:20.65 ID:4sGH9Fnk.net
インパール作戦を国内でやらかしたバターンか。

撤退中の疫病が少ないだけで。

816 :人間七七四年:2021/12/19(日) 10:01:54.89 ID:k8HyZlG1.net
ガダルカナル島での一木支隊の全滅だろう、たとえるなら

817 :人間七七四年:2021/12/20(月) 09:31:46.98 ID:h2AfCxCF.net
おそらく武田軍陣地からは連吾川西の織田徳川軍陣地の様子が分からなかったんだろう。実際、現在でも観測が難しいんだとか。
鉄砲を大量投入した殺戮陣なんて武田の常識を超越してる。格闘戦になってると思って次々と兵を送り込んでもおかしくない。

818 :人間七七四年:2021/12/20(月) 10:53:38.46 ID:jr/mC6Lk.net
兵力の逐次投入がアカンかったんやろ
一番やったらアカン事や

819 :人間七七四年:2021/12/20(月) 17:34:51.58 ID:4tn9Og1h.net
>>817

一木支隊どころかノモンハンの小松原兵団か。

820 :人間七七四年:2021/12/20(月) 17:35:04.26 ID:h2AfCxCF.net
おそらく戦況優位か互角と誤認してたんじゃないか。
当時戦争で一方的に嬲られ続けるなんて事は殆ど起こらない。川中島だってお互いに多数損害出してる。
まさか武田兵のみが殺され続けてるとは思わなかったんだろう…

821 :人間七七四年:2021/12/20(月) 19:34:32.92 ID:yr3PGuzR.net
>>817
ここのスレタイ自体が、名和弓雄『長篠・設楽原合戦の真実−甲斐武田軍団は
なぜ壊滅したか』(雄山閣)にちなんでるかも知れんが、この著者の実地検証によると

●現地に立ってみると、武田の本陣からは織田・徳川の陣城の詳細は見えない。
●さらに、武田の物見は、織田・徳川の鉄砲隊が射殺しまくってた。
●引き倒せそうな馬坊柵はむしろ誘い受けで、真にやばいのは空堀と土塁。
●開戦後は鉄砲の轟音と硝煙で、武田は先鋒隊が壊滅してことすら把握できなかったはず。

ということらしい。

822 :人間七七四年:2021/12/20(月) 20:11:01.81 ID:h2AfCxCF.net
甲陽軍鑑だと開戦に反対した重臣衆が何故か撤退まで一切勝頼に撤退を進言してないのが不思議。
確かに鳶ヶ巣山を攻撃されて後が無いんだけと普通なら二千人も死んだ辺りで我意を得たりと勝頼に注進しそうなもんだが…
やはり、戦況を誤認してたのか。

823 :人間七七四年:2021/12/20(月) 21:25:49.76 ID:oyWE5O8Y.net
防戦一方で他の事まで知るかの状況だろうな。
ほとんどが柵前よりも撤退途中で捕捉されとるしな。

824 :人間七七四年:2021/12/20(月) 21:41:46.30 ID:h2AfCxCF.net
信長公記→織田徳川軍は一兵も柵から出ず…鉄砲のみで応じ…(武田軍は)無人の如くなる
三河物語→(武田軍指揮官は)みな鉄砲に当たり死ぬ
甲陽軍鑑→大将皆鉄砲にて討死

と、あるから実は長篠合戦はひたすら織田徳川軍が攻められ続けてる。そして防戦一方にも関わらず織田徳川軍は被害ゼロに近く武田軍は甚大な被害を出し続けてるというあべこべな結果。

825 :人間七七四年:2021/12/22(水) 12:17:08.15 ID:skxDOjPz.net
マリアナの七面鳥撃ち状態か。
それとも台湾沖の大勝利か。

826 :人間七七四年:2021/12/22(水) 21:17:10.67 ID:XbdCbk/h.net
織田・徳川の用意した鉄砲は最小でも1500丁らしいけど、この戦果を考えると5000はあったと見て良い。
つまり5000で12000を片っ端から射殺した訳で恐らく武田軍が被害を知った時には武田軍は6000人くらいしか残ってなかったろう。
そこから逃げるとなると織田徳川38000に殿が精々1000人くらい、もう虐殺劇よ。

827 :人間七七四年:2021/12/22(水) 23:14:03.94 ID:hw7PnM0m.net
織田徳川軍が用意した鉄砲は最低でも千丁は越えてるだろうから相当な銃声音が
長時間もなり続けている異常事態なのに勝頼は何の危機感も抱かずに突撃させたんだよなあ

828 :人間七七四年:2021/12/23(木) 10:16:01.52 ID:xPHCzx5i.net
危機感は抱いたかもしれんが、豊川を渡ってしまい、鳶ケ巣山砦が落ちた時点で
突撃を繰り返す他に選択肢はない。あるとしても、せいぜい、勝頼を早めに
信濃へ落ち延びさせて影武者でごまかすくらい。

829 :人間七七四年:2021/12/23(木) 14:13:38.21 ID:PKx2IxYv.net
勝頼はまぁ百歩譲って仕方ないとしよう(設楽原は東からの視界がかなり悪いから)
現場で指揮をしてた連中は何を見てたのか。
確かに大将格が次々討死にしてる状況ではあるけど、何故誰も勝頼に戦況報告と退却要請をしないのか。
長篠合戦記だとその話があるけど要請してるのは穴山信君だし…

830 :人間七七四年:2021/12/23(木) 14:44:31.81 ID:3FS82fKV.net
設楽が原に来てから退却なんて無理

831 :人間七七四年:2021/12/23(木) 15:05:23.13 ID:/kb98ig/.net
勝頼さんの口減らし作戦だったりして

832 :人間七七四年:2021/12/23(木) 19:33:39.26 ID:R+9bdeIw.net
退却の判断が早ければまだ三方ヶ原くらいの徳川軍の損害程度で済んだのにな。
あまりにも退却の判断が遅すぎて野戦としてはあり得ない損害を出してしまった

833 :人間七七四年:2021/12/23(木) 19:41:35.93 ID:h5WQVCbT.net
川を渡ったら危険なのは誰の目にも明らかだから馬場、山県、土屋、内藤は訣別の盃を交わしたんだよなあ
切ない

834 :人間七七四年:2021/12/23(木) 19:48:11.02 ID:PKx2IxYv.net
設楽原決戦で織田徳川軍を撃滅しないと国力差が開いてる現状勝ち目が無いからね。死を覚悟で戦争するしかない。

とはいえ実は設楽原を押さえられた時点で武田には重傷を負うか致命傷を負うかの選択しかないんだけど。

835 :人間七七四年:2021/12/23(木) 20:39:46.84 ID:h5WQVCbT.net
勝頼に当主の素質がないことは信玄が一番分かってたんだよ

836 :人間七七四年:2021/12/23(木) 23:17:32.26 ID:CgQqc58G.net
えぇ!?なのに義信殺しちゃったんですかぁ!?

837 :人間七七四年:2021/12/23(木) 23:50:25.67 ID:0EH+vXYD.net
>>833
その場面はドラマか漫画で見たけど、確実な史料の出典あるの?
都合悪いことを勝頼と跡部、長坂に押し付ける軍鑑史観じゃねーの?

838 :人間七七四年:2021/12/23(木) 23:59:14.41 ID:h5WQVCbT.net
>>837
戦国時代の合戦で史料残ってるのは珍しいくらい

839 :人間七七四年:2021/12/24(金) 00:08:32.62 ID:k79PcNRO.net
軍鑑史観などと批判するのは自由だし、史料の捉え方は色々あっていい

自分は軍鑑の細かい史料としての価値はともかくとして、筆者が勝頼とその側近に極めて強い不満を持って軍鑑を書いたことははっきり感じるし、その動機がないとあんな大作にはならないと思う
軍鑑がなくても勝頼の擁護は個人的に無理で理解不能

840 :人間七七四年:2021/12/24(金) 07:30:01.15 ID:/Qdys3lI.net
甲陽軍鑑は著者によって書いてる事が違ったりするからね
例えば穴山信君も品十四だと戦闘してるけどしない五十二では戦ってないことになってる。

841 :人間七七四年:2021/12/25(土) 11:39:33.36 ID:TMUz6n62.net
安達閣下のアイタペ作戦か(/ _ ; )

842 :人間七七四年:2021/12/26(日) 15:57:24.32 ID:HOBrJ4SO.net
ここは菅沼に荒らされてないんだな

843 :人間七七四年:2022/01/17(月) 11:20:27.51 ID:YsaYWinN.net
鳶ヶ巣山が襲われるとまでは思っていたろうが

まさか碌に防戦出来ず粉砕されるとは思ってなかったろうな…

844 :人間七七四年:2022/01/19(水) 10:17:28.86 ID:xTf3mlD7.net
長篠というと鉄砲の数が問題になるけど
銃弾や火薬の数や質も問題にするべきやろうね。
歴史探偵でやってたけど、
武田の銃弾は鉛玉ではなく銅銭を潰したものだったらしい。
堺が完全に織田の支配下に組み込まれて、補充に苦労していたのでは
ここまで鉄砲を撃ち続けることができるということ自体想定外だったのでは。
ザ・パシフィックでガダルカナルの飛行場に浸透戦術で入ろうとして機関銃
でなぎ倒された日本軍の死体が累々横たわってるシーンがあるけど、あんな
かんじ。まさかそこまで撃ち続けることができるとは思わなかったんじゃね。

845 :人間七七四年:2022/01/19(水) 11:37:42.48 ID:gD4WEj7d.net
数千丁の鉄砲を運用してしかも白兵戦に持ち込めないほど連射されるなんて思えないからなぁ

846 :人間七七四年:2022/01/19(水) 12:17:15.14 ID:U1J3ESYx.net
だから8時間もかかったんだろ
鉄条網の背後に機関銃を張り巡らされたガダルカナルと一緒くたにするとは
アホ丸出しだな

847 :人間七七四年:2022/01/19(水) 22:17:40.08 ID:4C6bSjZl.net
というか、そもそもの話として、徳川側の三河物語とか、
武田側の甲陽軍鑑とかで、普通に徳川勢が陣地から出て武田勢と戦ってる所とか、
書かれてるように思うけど。
単に織田勢は徳川勢が、山県をはじめとした武田勢主力の軍勢を相手にして、陣地の外とかで戦ってるのを、鉄砲で援護射撃してっただけの話に思うけど。

848 :人間七七四年:2022/01/19(水) 22:22:02.78 ID:vxCC4Ceb.net
ただシチュエーション的にはほとんど同じなんだよなぁ
馬防柵を倒した先に鉄砲陣が作られてて射殺され続けるっていう

849 :人間七七四年:2022/01/19(水) 22:29:16.90 ID:4C6bSjZl.net
>>848

>>847に書いたように、徳川は少なくとも、三河物語や甲陽軍鑑を読めば、
陣地の外で戦ってるように思うし、陣地の中に入ったら、普通に鉄砲衆以外の軍勢も戦ってるように思うけど。まさか柵を越えられる時にも、越えられる後にも、
他の軍勢が何もしない、って事は無いように思うけど。

850 :人間七七四年:2022/01/20(木) 11:17:09.97 ID:El6wD7bJ.net
なにも見ないでうろ覚えだから間違えたらごめんだけど
大久保兄弟が南の端で山県勢と切り結んで膏薬のようにはりついて
と激賞されてるね。
柵に隠れて出てこないので「それでも武士か」と内藤に挑発された
滝川一益が突出して返り討ちにあい、秀吉勢が援護に出て収容した
とか、しかし突出禁止の命令に違反したので信長に叱責されたとか。
織田・徳川で名のある武士は誰も戦死してない。また柵の近くで死
んだ武田の武将も少ない。真田兄くらい?
武田勢は柵を突破できそうで、できない。相手が出てこないから、
何度も攻撃できるんだけど、そのたびに射ち減らされてしまったんじゃね。
山県は早期に戦死するし、部隊を統率する下級指揮官に戦死者が出たと思う。
本陣から派遣された使い番も戦死して、指揮系統が寸断されてしまった。
最終的には鳶巣から酒井忠次の別動隊が退路を完全に立つ動きをしたから
総退却と追撃戦になり、殲滅されたと理解してるけど。
酒井忠次が勲功第一と評価されてるんじゃね。

851 :人間七七四年:2022/01/20(木) 12:57:26.09 ID:PcUShVNF.net
武田軍の連吾川より西での死者は
真田信綱・昌輝兄弟(鉄砲に当たり重傷を負いそのまま死亡)
土屋昌次(柵を打ち崩そうと突撃し柵に掴みかかったところを射殺)
山県昌景(徳川陣を攻撃中射殺)
名和氏によると大将格がここまで射殺されてる事が設楽原陣の異常な頑強さを示してるとのこと。

852 :人間七七四年:2022/01/20(木) 14:28:53.92 ID:El6wD7bJ.net
いろいろ教えていただいてありがとうございます
長篠前の勝頼は、高天神城を落とし美濃東部に攻め込んで十八の城を落としたとか
意気軒高たるものがあったと思います。
気になるのは長篠直前に岡崎城の有力家臣であった大須賀弥四郎が謀反の罪で
鋸引きで殺されていること。武田の調略があったかもしれませんし、おそらく
信康事件に発展しています。
一方、三方ヶ原の戦で失態を演じた佐久間信盛の裏切り密約、陰のように軍勢を
見せなかった信長の策略、いろいろな謀略が渦巻いていたと思います。
信玄が死んで将軍が追放され浅井・朝倉が滅ぼされた。勝頼の焦りもあります。
家康も肚のうちもわかりません。武田はオセロゲームみたいに武田に寝返らせよ
うとしてたのでは、その余地があると踏んだのでは。高天神城に織田の援軍は間
に合いませんでした。長篠に援軍が来なければ、考えがあることを信長に言えと
か使者に言ってます。
鉄砲ばかりクローズアップされていますが、注文相撲みたいに死地に大軍を誘導
した前段階の謀略が凄かったとおもいます。ウソの中にホントが混じってるから
信憑性が高くて信じてしまったんじゃないかと。

853 :人間七七四年:2022/01/21(金) 18:14:13.63 ID:wBKU/rug.net
実際、長篠って袋小路みたいな地形してるから入ったら最期出られん。
とはいえ長篠城は武田に囲まれたら降伏し、徳川に囲まれたら降伏するというかなり軟弱な歴史があったから今度もそうなると勝頼は思ったのかもしれん。
ところがそこには奥平信昌が入ってたんだなぁ。

854 :人間七七四年:2022/01/29(土) 12:40:51.37 ID:8PNJ82vb.net
>>853
普通に出られると思うけど。
三河物語によると、武田勢主力がいた長篠城周辺から織田徳川勢のいた設楽まで行くには、
途中の川を渡る為の橋が一つしかなくて、一人ずつでしか移動できない道が数キロくらいに渡って続いていたようだから、
この険路を利用して守るなり、橋を利用して守るなり、橋を壊して撤退するなり、
いくらでもやりようはあったように思うけど。

855 :人間七七四年:2022/01/29(土) 12:44:55.48 ID:nbNfhidV.net
長篠城を落とせてないから長篠城兵を押さえないと撤退も出来ん。しかも設楽原から長篠は距離僅か6キロ、街道が2つもあるっていう。犠牲無しには逃げられず犠牲があっても逃げられないかもしれない。
更に長篠から武田の拠点まで遠いし。飯田にしろ武節にしろ45キロとかあるんだぜもう無理。

856 :人間七七四年:2022/01/29(土) 15:01:53.73 ID:8PNJ82vb.net
>>855
だから、>>854にも似た事書いたように、
三河物語を読むと、武田勢主力が展開していた長篠城周辺から織田徳川勢の布陣していた設楽までの道のりには、途中の川を渡る為の橋が一つだけで、移動していくには一人ずつでしか進めない道が数キロくらいに渡って続いていたようなので、この険路と橋を利用して守れば、いくらでも撤退でも防衛でもできたと思うけど。

信長公記を読むと、信長も勝頼が武田勢主力を率いて設楽に来た事を大喜びしてるようだから、信長自身も武田勢の妨害を受けつつ、上記のような険路を移動していくのが厳しいと思ってたからこそ、設楽で陣地を作って守ってたんだと思う。

史実で言えば、設楽でおよそ3倍ほどの軍勢が守る織田徳川の陣地を攻めて決戦して、敗北して、多くの損害を出した後で、撤退しても、勝頼とその一党は撤退出来てるんだから、そもそも設楽に行かないで主力も温存してるんだったら、やりようはいくらもあるように思うけど。
上記のような険路を利用して守るなり、撤退するにしても、上記のような橋を壊して撤退するなり、険路に殿軍を置いて撤退するなりすれば、余裕で撤退や防衛が可能だと思う。

そもそも、武田勢が上記のような険路や橋を利用して、守っていれば、織田徳川勢は、上記のような信長公記においての信長の反応なども考慮すれば、長篠城まで行くのが厳しいと思うので、そのまま対峙していれば、長篠城はやがて兵糧が尽きるなりして、降伏でもするしかないように思う。

>長篠城兵を押さえないと撤退も出来ん。
これって長篠城の軍勢が出撃してきたら、って事?
仮にそうなら、まず長篠に来てた武田勢は甲陽軍鑑によると1万5千くらいいたようだね。
それに対して長篠城の軍勢は、
甲陽軍鑑ではその鉄砲が500程と想定bオていて、奥平bフ軍勢の抑えに鋳シ接的には武田bフ千人程の軍勢b当ててるようbネので、余裕持bチて武田が千人鋳当てた、といb、なら、その軍瑞ィ数は総数で500かそこら、ってところだと思うけど、さらにそれまでの戦いで消耗してたはずだから、実際にこの時に動ける数は数百ってところだと思う。
こんな寡兵で、それまでの戦いで消耗していたと仮定しても、1万数千は確実に動けそうな武田勢をどうやって妨害するの、って思うんだけど。
出てきた所を逆襲されて、そのまま城を攻略されそうじゃないかな。

857 :人間七七四年:2022/01/30(日) 01:00:14.76 ID:H5vvQrxC.net
酒井忠次の鳶ケ巣砦攻撃の別動隊四千が行動を起こす前の
段階での話なの?

858 :人間七七四年:2022/01/30(日) 09:21:14.61 ID:t0HFxLik.net
そりゃそうよ。
武田からすると敵軍が6キロ先に居るのに拠点まで40キロもあるんだ。まず殿が必要になる。
問題は殿が玉砕戦をしてくれて尚、逃げれるか怪しいってこと。山道を40キロとなると一日は掛かる。追い付かれたら死が見える中これはキツい。

859 :人間七七四年:2022/01/30(日) 18:03:20.67 ID:PJlbJc+Y.net
>>858
だからさあ、>>856に似た事書いてあるように、設楽から長篠まで行くのが険路で厳しいと思われたからこそ、信長も設楽で陣地作って守ってたんだと思うけど。
それなのに、君がそんな事書いたってしょうがないと思う。
武田にしてみれば、その険路を利用して守ってればいいだけの話でしょ。
そうすれば、やがて長篠城が兵糧がなくなって降伏でもするしかないだけだと思う。

仮に撤退するにしても、これまた上記837で似た事書いたように、
三河物語を基にすると、武田勢主力がいた長篠城周辺から設楽に行くには、
途中の川を渡るのに橋が一つしかなかったようなので、その橋を壊してから撤退すれば、余裕で撤退可能だと思うけど。

そもそも、武節城より田峰城の方が近いでしょ。

860 :人間七七四年:2022/01/30(日) 18:09:32.09 ID:t0HFxLik.net
史実だと一万人が死んでくれたお陰で逃げ切れたけどその前に逃げるとなるとなぁ

861 :人間七七四年:2022/01/30(日) 18:16:19.93 ID:PJlbJc+Y.net
>>860
長篠で武田勢主力が敗北をして、長篠城も既に酒井勢とかに救援されて後方も封じられて、その状況でも普通に勝頼やその他が撤退に成功してるようだけど。
そもそも設楽に行かないなら、
>>856>>859>>854にも書いたような感じで、防衛するのも撤退するのも余裕で可能なように思うけど。

862 :人間七七四年:2022/01/30(日) 18:26:16.16 ID:PJlbJc+Y.net
そもそも、織田だって>>856に似た事書いたように、信長公記を基にすると、設楽に勝頼が武田勢主力を率いてやってきた時にやたらと喜んでるように思うから、
武田勢が設楽まで来てくれるか、微妙に思ってたんじゃないの。
武田勢主力が設楽まで来ないなら、織田徳川はそのまま上記837とかにあるような険路を武田勢の妨害を受けながら突破するのが厳しくて、長篠城救援が出来なかったように思うけど、どうなの。

863 :人間七七四年:2022/01/30(日) 22:21:45.45 ID:6++wdHK/.net
長篠での武田軍には逃げる手段が無い。最短で武節城まで走るとしても40キロでは逃げ切れん。
ちなみに田峯城(本丸だけの山城)は確かにあるがこれは鳳来寺街道を行くのが最短ルートになる。この道は長篠合戦当時は無いので獣道より少しマシな程度だったろうが、問題はこの道どうも川を越えずにも行けたらしい(設楽原から逃走する武田軍が使ってるから)
つまり設楽原に打ってでないとこの最短ルートは敵に奪われる。長篠城の押さえに二千人、別所街道を押さえるのに千人、設楽原突撃隊に二千人、合わせて五千人は見殺しにする必要があるか。
これは大激戦だった川中島合戦を上回る大損害になる…

864 :人間七七四年:2022/01/31(月) 00:13:29.54 ID:U6+8/Kow.net
>>863
だから、そもそも設楽から長篠城周辺までいく為の道が>>856にも書いたような感じで険路だから、信長も設楽で陣地作って守ってたと思われるのに、君がそんな事書いたってしょうがないと思う。

上記837には撤退が容易に可能な理由とかも書いてあるように思うけど、
なんで君はそうやって都合のよくないように思われる事を、必死に答えないようにして、同じような事を同じように書いてると思しき行動をしてるのか、っていう事に答えて欲しいと思うかな。

865 :人間七七四年:2022/02/02(水) 07:06:01.39 ID:buGLV0o0.net
信長は岐阜から資材を運び込んでいるからね。既に設楽原決戦の構想は持ってたことになる。
対する武田軍は織田が来る事を考えてなかった。この差がそのまま設楽原決戦の結果になった。

866 :人間七七四年:2022/02/05(土) 16:33:40.15 ID:AqQf7FIe.net
>>865
>信長は岐阜から資材を運び込んでいる
信長公記読むと、そんな記述なくない?長篠の戦いの経緯を見ても、
>>856とかにも似た事書いたように、
信長は上記837にあるような、設楽から長篠まで行く途中の険路を、
武田勢の妨害を突破しながら移動していくのが厳しいと思ったのか、
設楽に陣地を作成して動かなかったようだけど、このまま織田徳川勢が長篠城周辺まで行けないなら、
長篠城が降伏でもするしかないように思うので、織田は勝利できないんじゃ。
信長公記を基にすると、勝頼が武田勢主力を率いて設楽に来てくれた時の
信長の喜びようからして、信長は勝頼が設楽まで来てくれるとはそんなに思ってなかったんじゃないかと思う。

867 :人間七七四年:2022/02/05(土) 16:36:14.44 ID:vnZSpThA.net
逃げるにしても城は遠く、籠城するには城が無い
最悪の状況だから決戦を選ぶのはむしろ常識的ですらあった

だからこそ、信長に読まれたわけだが

868 :人間七七四年:2022/02/05(土) 16:46:27.06 ID:AqQf7FIe.net
>>867
だからさあ、>>856に書いてあるように、当時の地形的状況からすれば、
武田が撤退するのも防衛するのも簡単なように思うけど、
なんでこれに答えないで、そんな事書くのかな、と思うので、
まずは>>861とか>>856とかに書かれてる事に答える事をして欲しいと思うかな。

869 :人間七七四年:2022/02/05(土) 16:54:53.85 ID:AqQf7FIe.net
>>856

>甲陽軍鑑ではその鉄砲が500程と想定bオていて、奥平bフ軍勢の抑えに鋳シ接的には武田bフ千人程の軍勢b魔トてるようbネので、余裕持bチて武田が千人鋳魔トた、といb、その軍瑞ィ数は

今気が付いたけど、なんだこりゃ?なんでこんなひどい文字化けしてるんだろ。
正確には、ここの文章は、

甲陽軍鑑ではその鉄砲が500程と想定されていて、奥平の軍勢の抑えに直接的には武田の千人程の軍勢をあててるようなので、余裕持って武田が千人程置いた、というのなら、その軍勢数は

に修正をしておくね。ここまでひどい文字化けになったのは初めてかな。
なんでこんなひどい文字化けになってるんだろ。なんかサーバーに変な事でもあったのかな?
何はともあれ、これで>>856の下の方の文章が分かりやすくなったんじゃないかと思う。

結局の所、この長篠の時の戦略的状況としては、>>861とかにも似たような事を書いたけど、
そもそも武田勢が設楽まで行かないで、長篠城周辺の地形を利用して守っていくなら、もしくは防ぎに使うなら、
>>856とかにも似たような事を書いたように、織田徳川勢がそもそも長篠城を救援することが厳しいと思われるので、
武田勢が長篠城を攻略して戦略的勝利を得るのも、それとも、ここは撤収する、として戦わずに撤収をするのも、
極めて容易な状況だったと思われるかな。
だからこそ、勝頼がなぜ設楽に移動したのか、色々と考察の仕様があるともいえるのかも、と思うけど、
軍鑑とか読むと、勝頼は相当勇敢な性格に思うから、戦いを望んだ、という事でもいい様に思うけど、どうなのかな。
武田ファンとしては、ここで勝頼が戦わないで、戦力を温存していたら、と思うかな。

870 :人間七七四年:2022/02/06(日) 06:59:51.21 ID:omMdCO6x.net
勝頼スレや信長スレに1日中貼り付いていたのか……
スレが汚染されてる

871 :人間七七四年:2022/02/06(日) 08:10:32.17 ID:HSPWAQra.net
>>870
別に一日ってわけじゃないけどね。
君のその明らかに偏ってると思しき、信長の異常な持ち上げ、信玄や武田への叩き、に思える論旨に異を唱える人の論旨を、そういう風にレッテル貼りするのはどうかと思う。

872 :人間七七四年:2022/02/06(日) 08:24:09.29 ID:omMdCO6x.net
勝頼スレだけで30近くもレスしてる基地外は黙っとれ

873 :人間七七四年:2022/02/06(日) 08:40:55.79 ID:HSPWAQra.net
>>872
それ言ったら、このスレだけの話でも、やたらと信長を異常に持ち上げてると思しき人のレスが、非常に多い様に思うけど、君はそれについて何か言わないの?
僕は昨日休日だったんで、合間にそうしただけの話なんだけど。

874 :人間七七四年:2022/02/06(日) 08:47:45.15 ID:omMdCO6x.net
黙っとれ
菅沼谷本

875 :人間七七四年:2022/02/06(日) 08:48:04.87 ID:omMdCO6x.net
黙れ菅沼谷本

876 :人間七七四年:2022/02/06(日) 09:00:28.32 ID:HSPWAQra.net
>>874 >>875
またその変な菅沼認定してるの、君。
勝頼スレ37とかでも、君がその菅沼認定してる人々が特徴バラバラの複数で、
その矛盾に君がろくに答えられてないように思われる事とか、
菅沼認定厨さんの君がIDコロコロや複数回線で多数を装ってる可能性が高い事とか、平日とかでも一日スレに貼りついていると思しき事とか、
普通に指摘がされてたように思うのに、そんな事を君が書いてもしょうがないように思うけど、どうなの。

877 :人間七七四年:2022/02/06(日) 13:32:54.98 ID:tZ/cTbAq.net
>>871
そういうのに構うなって

878 :人間七七四年:2022/02/06(日) 14:30:24.12 ID:UdLVL6+7.net
菅沼現れる所に必ず現れる第三者モード菅沼

879 :人間七七四年:2022/02/06(日) 19:31:36.20 ID:HSPWAQra.net
>>878
また>>876にあるような感じで、織田厨信玄アンチ菅沼認定厨さんの君は、IDコロコロや複数回線で多数派を装おうとしてるように思うけど、見たところ文体も口調も書いてる事も概ね同じで、
いつものように上記857にあるような感じで、君自身でもろくにその矛盾とかに答えられてないと思しき菅沼認定を特徴の違う複数の人々にしようとしてるように思えるけど、それってただ単に君こと織田厨信玄アンチ菅沼認定厨さんの支持者が、君こと織田厨信玄アンチ菅沼認定厨さんIDコロコロや複数回線以外で、
ろくにいない、って事のように思うけど、どうなの。

880 :人間七七四年:2022/02/07(月) 01:11:11.59 ID:QyA3sMcS.net
速攻で自演見破られてるw

881 :人間七七四年:2022/02/07(月) 01:46:03.86 ID:TEqEZQvE.net
>>880
どこが?っていうか、>>876にあるような感じで、>>878ってもろにIDコロコロや複数回線で他人を装ってるだけの君だと思うけど。菅沼認定厨さん。

882 :人間七七四年:2022/02/07(月) 09:05:43.60 ID:6VI5krF4.net
武田が長篠を囲んだ時点で割と未来は決まってしまったのがなぁ…
織田・徳川軍が強過ぎた。

883 :人間七七四年:2022/02/07(月) 12:01:07.85 ID:cRStNRso.net
長篠を攻めるという馬鹿げた事をしなかったらどうなっていたかな?

884 :人間七七四年:2022/02/07(月) 12:06:41.68 ID:AaLgVyxY.net
その場合は被害は遥かに少なかったろう

ただし一万五千もの軍勢を使って成果ゼロという大赤字に耐えられるかという問題もある。そもそも万単位がぶつかって漸く数千人死ぬ時代なんだし。

885 :人間七七四年:2022/02/07(月) 17:24:17.97 ID:3gEZkqyH.net
>>883
奥三河、東濃、東遠江にちょっかい出し続ける以上、どこかで織田の後詰が間に合って
長篠みたいになるだろう。

886 :人間七七四年:2022/02/07(月) 17:42:23.60 ID:bjdGJpgV.net
普通に考えればまずは遠江中央を制圧しから西進するしな。

887 :人間七七四年:2022/02/07(月) 17:53:53.50 ID:jzg5Qqjh.net
掛川だよな

888 :人間七七四年:2022/02/07(月) 20:57:54.74 ID:cblTijWl.net
74年の秋に掛川を軽く攻めてはいるんだよな
その後天竜川挟んで徳川と対陣して徳川追って浜松に迫って引き上げると

889 :人間七七四年:2022/02/07(月) 21:19:49.25 ID:AaLgVyxY.net
上杉が敵対してる以上大軍勢で長期間戦闘とか出来んからなぁ

890 :人間七七四年:2022/02/07(月) 22:11:53.76 ID:Bhc7xv7s.net
北遠江は二俣城。東遠江は諏訪原城。南遠江は高天神城。
掛川城を3方向から囲んで遠江では優位に立ってるのに
どういうわけか不利な吉田城、長篠城に行ってしまい惨敗したんだよね。

891 :人間七七四年:2022/02/07(月) 22:16:44.15 ID:OmwTiaNk.net
高天神城攻めた時は穴山に包囲は任せて勝頼はもっと西に陣を構えて信長家康を待ってたんだよな
それで信長家康が来なかったから天竜川があると敵が怖気付いて決戦できないと勘違いしたんだろうね

892 :人間七七四年:2022/02/08(火) 07:16:07.55 ID:pMsc2QJu.net
>>891
もしそれが事実なら勝頼はやはり頭おかしいとしか……

893 :人間七七四年:2022/02/08(火) 09:20:41.48 ID:ZQfFVtLt.net
>>890
逆に言えば、半包囲しても掛川城には本格的に攻めかかれなかったということでもある。

国力が劣り北にも敵国(上杉)がいるのに、東遠江、北遠江、奥三河、東濃と戦線を
広げ過ぎて、どれも中途半端。

894 :人間七七四年:2022/02/08(火) 09:45:41.82 ID:pMsc2QJu.net
まるで昔の日本軍を見ているようだ
いたずらに戦線を拡大して自滅した愚かな大日本帝国を

895 :人間七七四年:2022/02/08(火) 10:53:05.77 ID:iKZD7jrS.net
>>894
だからといって拡大しなかったら
いきなり本土決戦になってたろw

896 :人間七七四年:2022/02/08(火) 11:18:53.15 ID:pd0vx+8R.net
>>895
領土拡張自体はいいんだよ、戦国時代なんだから。東濃で信長に短期決算を挑むでもなく、
三方ヶ原直後に無理してでも家康を殺すでもなく、三河湾まで南下して徳川領の
東西分断を貫徹するでもなく、掛川に全力投入して遠江を東から削るでもない。

インド洋作戦、珊瑚海海戦、ミッドウェー海戦とバラバラの戦略方面で立て続けに
攻勢に出て、全て中途半端か負けるかした日本軍と正に同じ。

897 :人間七七四年:2022/02/08(火) 11:35:00.69 ID:pMsc2QJu.net
拡張するのは確かにいい
ただ信玄も勝頼もちゃんと目的を立てて進攻してたのか物凄く疑問
日本軍みたいに行き当たりばったり感がする

そういや日本軍もトラウトマンをはじめとした和平工作を次々とぶっ壊して、自分らが不利になると急に和睦求めだしたよな。そんな都合のいい和睦なんか受けるわけないのに

898 :人間七七四年:2022/02/08(火) 11:36:20.02 ID:jybOPlPs.net
上杉や織田が居るから思い切った戦法がとれなかったんじゃないかな。武田軍はどちらかというと野戦決戦志向ではあったし城攻めは不得手ってイメージもあるけど…でもどちらかと言うと北と西に戦線を抱えていて南にだけ戦力を割り振れない、上に痛撃を喰らう訳にもいかないという基礎体力の無さが合わさった結果あの中途半端な攻めになったんじゃないかな。

899 :人間七七四年:2022/02/08(火) 11:50:46.76 ID:pMsc2QJu.net
>>898
それは言い訳でしかない
日本軍も同じ言い訳よくしてる

900 :人間七七四年:2022/02/08(火) 12:09:23.82 ID:9Hz4AIF2.net
中華相手の日本は自兵1に対して敵5でイーブンって設定で戦争して実際に勝ってたけど
武田さんは織田徳川2か3に対して武田1でイーブンとか思ってたのかね?

901 :人間七七四年:2022/02/08(火) 15:16:54.95 ID:iKZD7jrS.net
>>897
トラウトマン工作を拒否したのは
日本軍じゃなくて近衛総理やでw

902 :人間七七四年:2022/02/08(火) 16:57:09.62 ID:5EF9C1EP.net
日本軍は借金返すために戦争しなければ
いけなかった。だまって大国にへつらっていたら、国民が不満を爆発させて
クーデターが起きてしまいそうだった。

武田軍も似てるわあ

903 :人間七七四年:2022/02/12(土) 18:30:51.72 ID:JNylF/eT.net
信長は設楽原決戦の為に態々資材を岐阜から運んだらしい。
心構えが違う。

904 :人間七七四年:2022/02/12(土) 19:13:41.03 ID:EppHufHg.net
そうすればもう戦う前から勝負は決まっていたな

905 :人間七七四年:2022/03/23(水) 20:56:28.89 ID:QpWIOm/gW
関ヶ原
https://www.youtube.com/watch?v=Tbc2d8LhEtU

906 :人間七七四年:2022/04/16(土) 20:21:29.08 ID:QQM0nK0e.net
武田軍としても勝ち目のある戦術は幾つか取ってたけどその全てが裏目になった。武田軍の戦術は、まず設楽原まで出撃して兵力の少ない敵本陣を叩く。ここで織田・徳川軍は長篠城救援と武田軍包囲の為鳶ヶ巣山を攻撃するだろうしこれは危険を招くがそれにより少ない敵兵力は更に減る。また、敵後方の牛久保城を攻撃して敵に揺さぶりを掛ける。
ところが兵数は巧妙に隠されてた上、鳶ヶ巣山は奇襲により全滅、牛久保城攻撃隊は長篠住民に通報され役目を果たせなかった。

907 :人間七七四年:2022/04/26(火) 18:56:11.13 ID:/iLallOh.net
これって話聞いて観念的にしか知らなかった時はそういうものかと漠然と思ってたけど、
合戦場が足元ぬかってるとても大合戦するような場所に思えない狭い場所というの分かると、
そこに柵築いて、それ壊そうと狭い場所に密集してくる相手に大量の鉄砲で柵越しに撃ち
かけるって構図じゃ、そりゃ武田の勝ち目皆無だよなというのがよくわかる
歴戦の将たちがこの合戦は無理と反対したというけどまあな
よくやったわあんなもん
状況が具体的に思い浮かぶと勝頼の無能さが想像を絶してたw

908 :人間七七四年:2022/04/26(火) 21:59:40.52 ID:M2hUlx4w.net
>>353
勝頼が無能なんじゃなくて重臣衆が無能なんだよなぁ

909 :人間七七四年:2022/05/02(月) 15:03:47 ID:T0DBZ4qn.net
織田・徳川軍が連吾川に沿って柵を立ててる。つまりこの柵を越えたらそこは敵陣であり故にそこに泥濘は存在し得ない。だから「泥で進めないところを撃たれた」というのは史料上かなり怪しい話。

910 :人間七七四年:2022/05/02(月) 17:13:58 ID:W/K+qq/M.net
進めない必要はないよな
進退が機敏に出来ないってだけで押し出す側はまともに不利受ける
柵にこもって鉄砲撃つ側はさらにやりやすくなるだけだけど

911 :人間七七四年:2022/05/02(月) 19:24:30 ID:9FleXiMG.net
甲陽軍鑑によると武田軍は序戦で「一戦御味方勝利」と確信してる。それは武田軍が織田・徳川軍を柵に押し込んだからだという。実際榊原家譜や家忠日記にも武田軍が柵を破ったとあるからこれは事実だろう。にも関わらず武田軍は鉄砲の虐殺的弾幕を浴びて負けた。つまり織田徳川軍の敷いた第一柵の後ろに本命の鉄砲隊が存在したことになる。柵から撃たれた、というのは半分しか正解じゃない。

912 :人間七七四年:2022/05/02(月) 23:03:58 ID:lUQBAEwt.net
つまり、1段目の柵の後ろに広場を設けて、
そこを殺し間(キルゾーン)にしてたと?
1段目の部隊が味方に撃たれるんじゃないか?
さすがにそんなことやってたら、織田・徳川の
足軽大将クラスにも死人が出てるだろ。
雑兵だけで柵を死守しろと言っても聞くわけがない。

913 :人間七七四年:2022/05/02(月) 23:30:34 ID:mfElJaZB.net
信長が一段目は罠としてたなら問題は無くなる。織田・徳川軍は武田軍の鉄砲射撃に応射すると柵の中に逃走、と見せかけて二段目まで後退した。武田軍は一段目の柵を破壊して白兵戦を演じようとしたところ意外にも無人でそこを鉄砲射撃を雨霰と受けた。そうなると織田・徳川兵がこんな移動をしてることをなぜ武田軍が見逃したかって問題が出来るけど当時の鉄砲は質の悪い有煙火薬を使ってるから一種の煙幕になってたんだろう。また武田軍は次の鉄砲射撃が来るまでに柵を破壊しないといけないから敵軍の動きに注意が行ってなかった。

914 :人間七七四年:2022/05/03(火) 14:19:07 ID:QmasUTr7.net
>>910
武田軍は第一柵は破ってるから普通なら泥濘の不利は無かったはず。織田徳川兵が第一柵の後ろにいるから陣地は整備されてたろうから。

915 :人間七七四年:2022/05/05(木) 21:16:16.74 ID:35il7r7P.net
だから設楽原決戦で謎なのは勝頼の采配じゃない。勝頼の選択自体は常識的過ぎるものばかり。問題は何で現地で指揮取ってる指揮官どもが軒並み織田徳川軍の戦術をモロに受けて何ら対策も取ってないのかという点にある。

916 :人間七七四年:2022/05/05(木) 22:09:47 ID:2Z6Zw+p/.net
結局、日本は戦国時代に至っても、攻撃任務の時は各前線指揮官が
事前の取り決めにしたがって正面の敵を殴るしかできなかったってことだと思う。
レベルの低い軍だとやばいと思ったら統制が崩れるけど、
武田軍は戦闘経験豊富で統制の取れた軍隊だから、
前線指揮官がやばいと思っても、自分の判断で勝手に動くと全体の戦線が
崩れると思って、事前の取り決め通り進軍して、
結果、それまでの常識では被るはずのないレベルの損害を受けてしまったと。

たとえ話廚みたいでやだけど、第1次大戦とかでもやばいとわかってるのに、
事前の訓練・作戦に従って、塹壕+機関銃に横隊突撃かまして
毎日が203高地レベルの損害出してるやん。

917 :人間七七四年:2022/05/05(木) 23:28:05 ID:aOYrB8X5.net
>>915 >>908
そんな事ないでしょ。
軍鑑でも何人もの重臣が設楽に移動して織田徳川と戦う事に反対してたように思われるし、軍鑑では勝頼がそれに従わずに設楽に移動して戦ってるように思えるから、これで重臣達のせいにするのはどうかと思う。

>>856とかにも似た事書いたけど、信長は、信長公記を読むと、勝頼が主力の軍勢を率いて設楽に来た事を非常に喜んでるように思うから、
>>869にも似た事書いたように、
そもそも設楽に移動さえしないで、長篠城周辺の地形を活用していくなら、武田側は撤退も防衛も極めて容易な状況に思える。
武田側は設楽に移動して戦わない方がいい、というのは、
上記のように信長公記や軍鑑を基にすると、武田側も織田側も共通した認識だったように思うけど、どうなの。

918 :人間七七四年:2022/05/06(金) 09:55:52 ID:KBBdpFLj.net
設楽原決戦では武田軍は織田・徳川軍の鉄砲に次々と射殺され大将格ですら銃殺されてる。これはかなり異常な事態で戦国時代にはまず他に無い。
武田軍は織田徳川の鉄砲陣に兵を逐次投入していた訳でその指揮を取っていたのは現場指揮官達である。彼等は被害が出ているのに作戦を強行したのだが不思議なことに重臣衆は誰もこれに反対していない。勝頼に撤退や作戦変更を迫ったという話が無いのだ。唯一あるのは穴山信君が「信玄以来の重臣すら死んだ」と撤退を求めたというもの。
つまり重臣衆は兵が死ぬ事を厭わなかったのだ。責任はむしろ彼等にこそある。では何故そんなことになったのか?というのが本題。

919 :人間七七四年:2022/05/06(金) 12:11:30 ID:dW4JHEh/.net
連吾川から信長家康が当日指揮した場所までは100メートルぐらい?
武田は織田に対して柵のうち二つ破って最後の柵辺りまで迫った、
徳川に対しては一部は三つ目の柵の中にまで切り込んだ、
距離だけでいえば信長家康の数十メートルまで迫ったと言える。

特に家康に対してはあと一息で本陣に攻撃できるように見えてたんじゃないだろうか?
実際にはそこからが城みたいになっているわけだが、距離的には本陣の目前に迫っているわけだし。

920 :人間七七四年:2022/05/06(金) 17:34:40.51 ID:pzr+Zg6F.net
菅沼遼太くんの臭いがしますね

921 :人間七七四年:2022/05/06(金) 18:52:49 ID:QlqKZhU7.net
設楽原決戦の異常として織田徳川軍と武田軍の被害に常識外の不均衡がある。織田徳川軍に目立った被害無しに対して武田軍に一万人もの被害が出てる。実際三河方面司令官だった山県昌景から馬場信春、内藤、真田、土屋…と錚々たる顔ぶれが死んでる。こんなのは通常の野戦ではまず有り得ない。しかも彼等は織田徳川軍の最初の柵は突破してるのに。

922 :人間七七四年:2022/05/06(金) 23:30:51.82 ID:kJD9O3Xs.net
>>921
別におかしくないと思うけど。設楽においての戦いの軍勢数は、
信長側の信長公記を基にしてさえ、織田徳川勢は武田勢の倍近く多いように思われるし、同じく信長公記や軍鑑を読めば、織田徳川勢が守りを固めて武田勢を陣地から迎撃してるように思われるので、
少なくとも倍くらいの軍勢の大軍が、陣地を作って守りを固めて寡兵の攻撃側を迎撃したなら、寡兵の攻撃側の損害数が圧倒的になるのは当たり前に思うけど。

上記のような防衛戦だったから、織田徳川勢は雑兵とかは倒されたけど、武将とかは倒されなかった、っていうだけじゃないかと思う。

923 :人間七七四年:2022/05/06(金) 23:45:47.32 ID:kJD9O3Xs.net
>>918
さすがにそれは無理な理屈だと思う。
そもそも、勝頼が設楽に移動して、決戦を命令しておいて、
その命令通りに不利な状況で戦い抜いた重臣達のせいにするとか、
無理がありすぎだと思う。
そんな事言うなら、勝頼がさっさと撤退命令出すなり、
そもそも設楽に移動しての決戦をしようとしなければよかっただろうに、と思う。
もともと、重臣達は>>917にあるような感じで、軍鑑では設楽に移動して決戦する事に
反対だったようなのに、それでも設楽に武田勢主力を移動させて決戦させたのが勝頼に思われるのに、
それで重臣達のせいにするのは、どうかと思う。

しかも、信長公記を基にすれば、途中から酒井勢とかが武田勢主力がいない長篠城周辺を制圧したので、
武田勢主力は後方に敵がいる事になって撤退は厳しくなったように思うし、
そもそも勝頼が設楽に移動して陣地守ってる織田徳川勢と決戦しようとしなければ、そんな事にはなってないと思うのに、
これで重臣達のせいにするとか、無理がありすぎに思う。

924 :人間七七四年:2022/05/06(金) 23:55:06.07 ID:kJD9O3Xs.net
>>923

>重臣達は

重臣達の多くは、
に訂正をしておこうかな。なんのかんのと、軍鑑読むと長篠で倒された重臣達の多くは、勝頼の命令を守って戦ってるように思われるので、
勝頼に権威がなかったわけでも、重臣達の多くが従ってなかったわけでもないように思うけど。

925 :人間七七四年:2022/05/06(金) 23:56:52.73 ID:kJD9O3Xs.net
>>920
また菅沼認定してるの、君。
君こと菅沼認定厨さんと思しき人は、そんな認定をするなら、>>876にあるような、菅沼認定の矛盾と思われる事について、
答えて欲しいと思うかな。

926 :人間七七四年:2022/05/07(土) 11:36:22 ID:Jy1OLdPP.net
長篠での武田軍の戦略は
上策・決戦、中策・撤退、下策・長期戦、となる。
まず長篠城を落とせてないので長篠付近には陣を張れない。長篠に留まると設楽原と長篠城で挟撃される。城攻めでは後詰が来るまでに決着を着けないといけないのはこれが理由。後詰と城兵に挟み撃ちにされる事は死を意味する。また長篠は信濃から遠過ぎて補給も出来ない。つまり最悪糧食が無くなって死亡も有り得る。更に長篠は伊奈街道・別所街道・鳳来寺街道と道があるがこの全部を守らないと武田は危ない。
故に長期戦は不可能。短期に勝負する必要がある。

927 :人間七七四年:2022/05/07(土) 11:40:24 ID:Jy1OLdPP.net
では上策の決戦と中策の撤退どっちをとるか?まず長篠城から武田の拠点までは遠い。大体40〜50キロくらいある。そうなると殿は絶対必要だしその殿は玉砕戦になる。長篠城を押さえないといけないから2000〜5000は犠牲になる。しかもそれで織田徳川軍が抑えきれなかったらつまり追撃戦をされたら武田最期の日になる。
決戦なら最悪5000は死ぬが代わりに織田徳川軍にも被害がでる。しかも上手くやれば敵の大将格を倒せるかもしれない。つまりリスクばかりの撤退かリターンもある決戦かの選択。
勝頼は常識的に考えて決戦を選択した。

928 :人間七七四年:2022/05/08(日) 22:22:53.89 ID:Ue3yMCiE.net
>>927

>しかも上手くやれば敵の大将格を倒せるかもしれない。

全くの想像でしかないが、自分も勝頼はこれを考えたと思う。
大将格というか信長か家康を討ち取ることを。
かもしれない、というよりイチかバチかで討ち取ってやるって気持ちで。
武田勢の凄まじい攻撃ぶりと死にぶりを考えると、なんか腑に落ちる。

929 :人間七七四年:2022/05/08(日) 22:36:51.41 ID:4XrdBJ3H.net
>>926 >>927
だから、長々と君は書いているように思うけど、そんな事はありえないと思う。

この事については、>>869 >>856に似た事書いてあるように、
もともと地形的状況から、織田徳川勢のいる設楽から、
武田勢主力のいる長篠城周辺まで行くには、三河物語が書いているように、
一人ずつでないと移動が厳しい数キロの道と、途中の川を越えていくために、
一つしかない橋を渡っていくしかなかったようで、
織田徳川もこれを突破して長篠城周辺までいくのが厳しいと思ってたからこそ、
設楽で陣地を作って守ってたんだと思うし、
信長公記でも、勝頼が設楽に武田勢主力を移動させてきた時に、
信長が大喜びしてるんだと思う。
そのまま武田勢主力が長篠城周辺の地形を使って、守っているなら、
織田徳川勢は長篠城を解囲できなくて、飢え死によりは武田に降伏を長篠城兵が選ぶだけに思う。

長篠城兵なんて、史実でも、信長公記や軍鑑とか読むと、酒井勢がやってきて、
鳶ケ巣砦とかを攻略しないと、武田勢の後方を突くどころの話じゃなかったように思われるから、
武田勢主力が設楽に行かないで、長篠城周辺の地形を使って守っているなら、
抑えの武田勢や砦に阻まれて、とても武田勢主力を攻撃するどころの話じゃないように思うけど。

930 :人間七七四年:2022/05/08(日) 22:39:08.61 ID:K/Vwppjt.net
信長が直々に来ると情報を得た時点で長篠城を落とせてないなら撤退するのが常識。
兵力が上回ってるならともかくどう考えても織田徳川軍より寡兵で更に後詰めで
挟まれるリスクを理解できない勝頼の馬鹿さは氏真以上

931 :人間七七四年:2022/05/08(日) 22:39:42.02 ID:4XrdBJ3H.net
>>928
>>929にあるような感じで、そもそも、長篠城周辺の地形をうまく使えば、
織田徳川勢は長篠城を解放する事も厳しかったように思うので、
設楽に行かなければよかっただけの話に思う。

932 :人間七七四年:2022/05/09(月) 09:32:58 ID:gU6wp4c/.net
長篠の地形は防御を難しくしてる。街道が二つあるのにそこに兵を置けない。それで長篠城の存在価値が高まってる。
長篠城を落とせてない以上武田軍に防衛戦は不可能なので決戦か撤退かしかない。仮に防衛線を張ると長篠城と織田徳川軍に挟撃されてしまう。これから逃れるのは前進か後退かしかない。

933 :人間七七四年:2022/05/09(月) 11:04:17 ID:TvxUUkbF.net
長篠城を包囲しながら周囲の砦を強化して1万5千の全軍で籠もってれば
連合軍は手も足も出なかっただろうね

934 :人間七七四年:2022/05/09(月) 11:14:01 ID:gU6wp4c/.net
まず長篠は非常に守り難い。中央を伊奈街道、川を挟んで別所街道があるからこの両方を守らないとならない。最悪なのは伊奈街道で川を前にすると長篠城に横っ腹を突かれる自殺的布陣になるから川を渡って有海原に出る必要がある。この部隊は文字通り背水の陣でもし織田徳川軍に攻撃されたら玉砕か攻撃されたら死の長走りを使って渡河するしかない。
また織田徳川軍に鳳来寺街道を進まれるとマズい。鳳来寺街道を使うと大回りだが伊奈街道に出れる。つまり長篠の東、武田軍拠点の裏になる。設楽原を監視中に別働隊に背後を襲われたら武田軍に出来る事は医王寺で全員切腹するぐらいになる。

935 :人間七七四年:2022/05/09(月) 11:26:07 ID:gU6wp4c/.net
そして地味に問題なのが糧食。武田軍は一万五千も連れてきてしまってる。1日1人1合の米を食うとしてと37俵も必要になる。尤も1日1合の米なんて食べたうちにも入らない。そんなんじゃ逃走兵が続出するだろうから4-5合は渡さないとならん。しかも武田軍は長篠にきて2週間も使ってしまった。もう備蓄は底が見えてきた頃だろう。
こうなると武田軍の打つ手は略奪か補給かしかない。だが略奪しようにも長篠町の周辺には山しかない。住民居住地の設楽原は織田徳川軍に取られてしまった(仮にあっても一万五千もの兵を養えるはずもなかったろうが)。なら補給するしかない。ところが長篠は本国から遠過ぎる。大規模拠点から補給するにしても40キロ以上ある。山道でしかも梅雨時、料金は高く量は低くなる。取り敢えず周囲の城から掻き集めるにしてもいつまで保つか誰にもわからん。

936 :人間七七四年:2022/05/09(月) 11:38:45 ID:LflYU4Wi.net
そういうことは勝頼でなくとも子供でも事前に分かること
勝頼に根本的な戦略の失敗があったという話になる

937 :人間七七四年:2022/05/09(月) 11:50:20 ID:xyOmUXnb.net
だから決戦した、って話じゃろ。長期戦は不可能。決戦か撤退かだけど撤退は敵にダメージを与える可能性が限りなく低い。てか下手すりゃ本隊も危ない。対して決戦ならお互いにダメージが出るし上手くいけば敵将を討ち取ることもあり得る。つまり勝頼が決戦を選択したのは無謀でも異常でもなく常識的な戦略判断だった。ところがそれが常識的であったが故に信長・家康に読まれていて結果完璧な対策で粉砕された。

938 :人間七七四年:2022/05/09(月) 11:58:27 ID:LflYU4Wi.net
つまり不利な状況の決戦をせざるを得なくなったということ
不利な状況に陥ったのは勝頼に戦略的な失敗があったか、不利な状況だと認識していなかったのかのどちらかだろ
通説だと後者だと言われてるが、前者だったとしても勝頼に問題がある

939 :人間七七四年:2022/05/09(月) 13:24:26 ID:xyOmUXnb.net
そもそも長篠城を攻めた事自体が既に問題だったんだけど不思議とそれを責める声は無い。これは武田軍全体の問題で勝頼云々の話じゃないんだがどうも武田には「織田は弱い。織田は武田を恐れてる」って先入観若しくは妄想があってこれで長篠城を攻めるという軽挙をやった。正直勝頼にどうこうできる問題では無いさ。

940 :人間七七四年:2022/05/09(月) 13:33:50 ID:18ZLVEWR.net
そもそも長篠城攻めたのが間違いキリッ
不思議と責める声がないキリッ

ないのは間違ってると思ってるお前が間違ってるからじゃないの?という普通に出てくる疑問もこういう知能低いやつには浮かばない
バカというのはこういうもんw

941 :人間七七四年:2022/05/09(月) 14:16:43 ID:xyOmUXnb.net
武田軍が長篠城を攻撃したのは岡崎攻めが不発に終わり信康と家康に挟撃された結果なんだが当時の武田が掴んでいた情報だと確かに長篠城は絶好の攻撃目標だった。まず長篠城は川が頼りの小城で大軍相手の籠城戦は不可能。それで囲まれたら降伏というのが当然だった。次に織田信長は三好・本願寺と戦争中で後二、三ヶ月は来ないだろうという状況。そして徳川軍は一万も居ないので武田軍一万五千で十分戦争になる。更に長篠の住民は武田領から移ってきた人間が多い。つまり武田からするど同胞とも言える者達で実際彼等は戦争になったら武田軍に合力すると申し出ている。これで長篠の住民が見えない「目」になってくれるので情報収集等で有利になる。こうも前提が積み上がると確かに長篠城を攻撃したくもなる。

942 :人間七七四年:2022/05/09(月) 14:58:25 ID:xyOmUXnb.net
ところが武田軍の目論見は全て外れた。まず長篠城は奥平信昌の手によって徹底改修が行われて防御能力が高められていた。更に徳川はここに鉄砲五百挺を配備していて長篠城は針鼠の如き防衛火器を有していた。頼みの綱三好康長は唐突に織田信長に降伏、信長はこれを快く受け入れると長篠救援軍を率いてきてしまった。
そして地味に大きいのは長篠住民。長篠の民は既に武田を見捨てていて(苛政の武田を嫌ったとも)武田に合力するというのは時間稼ぎの大嘘だった。彼らは織田徳川軍が来ると馳せ参じて陣地構築工事に参加した。そしてその情報を一切武田に伝えなかった。結果武田軍は設楽原の情報が全く無いままに決戦の時を迎えてしまった。

943 :人間七七四年:2022/05/09(月) 18:13:02.51 ID:+Susulqj.net
ちなみに信長が武田軍が出てくるのを喜んで〜ってのは牛一のレトリックで信長が「勝頼が出てくるとは思わなかった」訳じゃ無い。まず信長は設楽原陣地に使う資材を岐阜からもってきてる。また、その陣地は単なる柵を巡らせただけじゃなく空堀や銃眼まで置いた本格的な防御陣だった。如何に織田が富んでるとはいえここまでの事をしてる訳で明らかに信長は「武田軍がやってくるところを射殺しよう」と思ってる。

944 :人間七七四年:2022/05/09(月) 18:25:09.60 ID:LflYU4Wi.net
史料には勝頼は退却したり防衛戦ができたのに決戦してしまったのが敗因と書いてあるからなあ
三文小説を書くのは自由だけど(読むに値しないけど

945 :人間七七四年:2022/05/09(月) 21:54:43.37 ID:+Susulqj.net
武田方史料の甲陽軍鑑は作者の思想がモロ入っているから信用がおけない。てか甲陽軍鑑内ですら矛盾起こしてるからね。品十四では戦ってると明言されてる穴山信君が品五十二では戦闘せず逃げたことになってたりとか。悪いのは勝頼と側近衆で重臣衆はそれを防ごうとしていたっていう思想を下にしてるから重臣衆に都合の悪い事実は無視されてる弊害だろう。
信長公記に至っては単なる作者の感想で別に軍事的視点から研究してる訳じゃ無い。どう言い繕ったところで長篠から武田の万単位を収容できる拠点まで40キロメートルって事実だけで籠城戦も撤退も不可能と論破出来てしまうし。

946 :人間七七四年:2022/05/09(月) 23:19:56.08 ID:cT7VQNDz.net
軍鑑否定したところでゼロベースで妄想開始になるだけという

947 :人間七七四年:2022/05/10(火) 10:53:56 ID:stmsxbek.net
信長が決戦前日に細川藤孝に「敵が険峻な場所に布陣しているから進撃が思うようにならなかったところ
思いがけず(敵の方から前進してきたので)補足できた」って
欣喜雀躍して書き送ってるじゃん
信長の書状も嘘、信長公記も嘘ですか
強固な正面陣地に突撃したことじゃなくて
長篠から進撃したことが間違い

948 :人間七七四年:2022/05/10(火) 11:49:33 ID:u0N7wjtl.net
あの書状は翻訳の仕方次第って話しじゃろ。
「此方から鉄砲を射かけたから武田軍は囚われも同然」って訳せば何一つ矛盾は無くなる。というより本文の流れからして信長は勝利を確信してるから捕われてるのも難渋してるのも全部武田軍ってのが正しい。

949 :人間七七四年:2022/05/10(火) 12:56:06 ID:YX5kkPTJ.net
>>948

その訳はおかしい

(医王寺山方面の武田軍へ)18日に鉄砲隊を派遣したが、通路が狭く進撃がままならなかった
(その後、その狭い通路を通って武田軍が設楽が原に進撃してきたので)却って包囲殲滅できるようになった

このくらいの意味では?
18日は間違いなく武田は設楽が原にいないからな

950 :人間七七四年:2022/05/10(火) 15:10:19 ID:u0N7wjtl.net
それだと「擒になり」云々の翻訳が難しくなる(織田の進軍が難しいのに武田軍が擒になる道理は無いし織田軍が擒になっているなら非常に危険な事態となる)
信長は藤孝にポジティブな連絡しかしていない。例えば十五日でも「長篠は堅固に守られて」いると書いている。長篠城は危険との報告があったにも関わらず(鈴木金七の話もあるけど)つまり二十日黒印状もひたすら信長に都合が良いように翻訳すれば良い。つまり敵が難所に居て難渋しているところに鉄砲を射かけたので敵は虜になった、と。

951 :人間七七四年:2022/05/10(火) 15:17:07 ID:u0N7wjtl.net
設楽原合戦は偶然防御していた織田徳川軍に武田軍が突っ込んだって戦じゃない。信長は最初から連吾川西の陣地で武田軍を殲滅する計画を立ててた。それは岐阜から資材を運んで馬防柵を作った事だけじゃ無く大量の鉄砲、空堀、銃眼といった防衛設備を用意してる事からもわかる。信長は十八日に到着すると極楽寺を本陣としているけどこの極楽寺、連吾川西までを一望出来る。設楽原保存会も「長篠の事を事前に知っていた」事を示唆してるけどここが徳川領って考えれば知らない方がおかしい。

952 :人間七七四年:2022/05/10(火) 15:23:00 ID:YX5kkPTJ.net
>>950

>それだと「擒になり」云々の翻訳が難しくなる

簡単だよ
20日は早朝に武田軍が設楽が原に進出している
同時に信長の酒井隊の派遣が決まっている
武田軍は退路が難しい
それらを踏まえて虜になったと書状に書いてるわけだ
信長公記の記述ともぴったりで問題がない

953 :人間七七四年:2022/05/10(火) 17:11:18 ID:4uZjGshl.net
>>952
ということは十八日の攻撃隊は武田軍を前進させようという信長の戦略だったと。まぁそんなところだろうね。

954 :人間七七四年:2022/05/10(火) 17:57:07.05 ID:YX5kkPTJ.net
>>953
え?
武田を誘き寄せるにしても2日もたっているから違うだろう
織田軍の進撃がままならなかった(18日)→攻撃断念、陣を固める(19日)→手立てを失ったと勝頼が勘違いして進撃(20日)だし

955 :人間七七四年:2022/05/10(火) 18:26:04.61 ID:OcUGcReo.net
十八日の攻撃隊は不可解な存在。信長公記にも載ってないからかなりの小規模(伝承によれば数百人)。だから長篠城救援が目的ではない。また信長は長篠の地形を熟知してる。これは極楽寺に陣取った事からも明らかで徳川家康がいる事からも察せられる。つまり信長は最初から設楽原に野戦築城を施して戦うつもりだった。これは信長が岐阜から資材を運んできた事からも分かる。織田徳川軍の馬防柵は約3キロそれを三重にしてるからかなりの木材が必要になる。かなりの資金を出してるわけで最初から「武田を設楽原で潰す」と戦略作ってた。

956 :人間七七四年:2022/05/10(火) 18:33:50.31 ID:OcUGcReo.net
設楽原陣地は十八日に作って十九日に完成した。自前の工兵隊だけでなく長篠住民まで雇った強行軍で間に合わせた。じゃあ十八日の攻撃隊はなんだったのか。これは「武田軍は既に詰んでいて決戦しか選択肢が無い」事を踏まえれば理由が出てくる。つまるところ野戦築城完成までの時間稼ぎ。
信長からすると武田は打って出てくるしか無いんだが完成まで武田が出てこない保証はゼロ。というか織田軍の動きを万が一掴まれていたら即座に出てくる危険性がある。それを防ぐ為少数で攻撃させて武田軍の動きを牽制させた。幸か不幸か武田軍は織田の接近を知らず軍議を十九日に開いてた訳だけど。

957 :人間七七四年:2022/05/10(火) 18:36:12.21 ID:YX5kkPTJ.net
それはどうだろうね
進撃が困難である以上、防御を固めておくのは普通のこと
固めていたら勝頼がわざわざ出てきた
それをみて信長は絶好の機会だと考えた
何しろ設楽が原から長篠城方面までの間は道が狭く、設楽が原にいったん進撃してしまうと退却が困難
それはまさしく虜である
信長公記や信長書状、甲陽軍鑑を総合的に読んでこうとしか読めない

958 :人間七七四年:2022/05/10(火) 18:44:38.14 ID:PWqxQwjS.net
>>945

>信長公記に至っては単なる作者の感想で別に軍事的視点から研究してる訳じゃ無い。

ここの部分が大きな間違い
太田牛一が参陣してその感想を信長公記に記したものではない
数多くの諸将から聞き回って几帳面に客観的に残そうと尽力して記録したものであり、長篠あたりからの正確性には戦国時代でも屈指の定評がある
秀吉も家康達のコンセンサスも得て後世に残っている
君なんぞの妄想とは格段の差があることは言うまでもない

959 :人間七七四年:2022/05/10(火) 19:07:15.02 ID:OcUGcReo.net
>>958
単なる伝聞情報って話だと一気に信用度下がるからなぁ

960 :人間七七四年:2022/05/10(火) 19:13:25.55 ID:OcUGcReo.net
>>957
件の十五日黒印状には「設楽原に出てきたから」擒だとは書いてないってのがね。信長の作った陣地は三重の馬防柵、空堀、銃眼と単なる防御の域を超えてる。信長には武田が出てくるっていう確信があった事はもう間違い無い。

961 :人間七七四年:2022/05/10(火) 19:29:30.61 ID:3PZ+It5D.net
>>960
15日は戦場にもついてないんだから当たり前だ
戦場にも着いてないのに勝頼が出てくるって確信があるとはどんだけ予知者なんだよ

962 :人間七七四年:2022/05/10(火) 19:31:59.57 ID:3PZ+It5D.net
>>959
伝聞ってリアルタイムで戦場全て把握できるわけないんだから全ての記録は伝聞です
アンタの気持ち悪い妄想とは比べもんにならん

963 :人間七七四年:2022/05/10(火) 21:54:20.00 ID:4uZjGshl.net
二十日黒印状にも「設楽原に出てきたから」とは書いてなくね?

964 :人間七七四年:2022/05/10(火) 21:58:15.77 ID:4uZjGshl.net
>>962
だとすると信長公記も甲陽軍鑑並の信用度になるし、実際に戦地にいた奴の自叙伝的な三河物語が最高史料になっちまうぜ…更に言うと太田牛一が長篠にいなかったとなると彼は長篠の地形をほとんど知らない事になる。「鳶ヶ巣山にいたら」ってのが本当にただの感想になってしまう。彼は長篠城がどういう立地にあるのかも良く知らんかった訳で内容としては「メッケルが関ヶ原は西軍が勝つと言った」並の小咄なのか。

965 :人間七七四年:2022/05/10(火) 23:30:20.04 ID:9r8CFbP2.net
はいはい、史料を全部否定さえすれば自分の好きな歴史を創作できますよね

966 :人間七七四年:2022/05/11(水) 00:16:40.77 ID:8YNjJ0Sg.net
>>963
20日は勝頼が設楽が原に進出している
書状の包囲殲滅できるというのは酒井隊の派遣、武田軍の設楽が原進出が契機
信長公記も武田軍が目の前に来たから千載一遇の機会となっている
的確に書状で細川に状況報告している

967 :人間七七四年:2022/05/11(水) 00:24:57.06 ID:QilsWtS/.net
>>964
軍鑑と信長公記では正確性にハッキリ差があるよ。
長篠合戦以後の信長公記の記述はほとんど間違いがないと言われている。
その事実を君は知っていてそんな妄言書いてるのか?
なんで間違いが少ないのかというと、太田牛一の几帳面かつ精力的な取材の賜物よ
そういう貴重な史料に対して君の態度と扱い方は酷すぎ
軍鑑だけならともかく、信長公記まで否定したら何の史料も残らない。
そんな輩が歴史を語るべきではない。
歴史というより何か粗悪なファンタジー小説でも書いてるのか?

968 :人間七七四年:2022/05/11(水) 00:59:13.51 ID:BGAtbI4F.net
15日の書状では
13日岐阜出て14日岡崎、明日出陣
20日の書状は
17日牛久保18日鉄砲隊派遣と細かく日付書いている。

このことから考えて、生け捕りが20日のことなら20日であると書く可能性が高い、
なので生け捕りは18日の出来事だと思う。

折り返しで文章切れてそこで日付が変わってると考えた場合では
難渋と虜は同じ日の出来事になると思う。

969 :人間七七四年:2022/05/11(水) 01:04:36.52 ID:8YNjJ0Sg.net
あり得ない
書状で信長は武田軍は要害の地にいると書いているし、進撃もままならないと書いている
信長公記でも勝頼が川を渡ったことが天の与えるところと表現しておりターニングポイントだった

970 :人間七七四年:2022/05/11(水) 09:17:50 ID:rSaMNTH3.net
二十日黒印状は「そう読める」というだけで武田軍が要害の地に居るとまでは書いてない。信長は一貫してポジティブな報告をしているのだからこれもポジティブに解釈すれば自然な訳になる。つまり敵は進退もままならない場所にいたので鉄砲を撃ち掛ければ擒になった後は根切りにするだけよ、と。

971 :人間七七四年:2022/05/11(水) 09:28:20 ID:8GFFfWZo.net
実は武田軍が信長の戦略に気がつく最後のチャンスが十八日の攻撃にあった。信長は長篠の地形を熟知してる。何しろ長篠を支配する徳川家康が居るから。家康が信長を呼んだ訳で地形という最重要情報を渡さない筈がない。つまり信長が攻撃する時は100%成功する。絶対に「地形に難渋」なんかしない。現実別所街道を使った奇襲攻撃は成功してる。長篠城を救援するならば大軍(何しろ織田徳川10万なのだ)が攻めてくるハズ。なら何故信長は少数の鉄砲隊なんか送り込んで来たのか?というところを突き詰めれば答えは2つ。何時でも追撃出来るぞという脅しか混乱を目的とした陽動か。信長公記にも甲陽軍鑑にも記されてない攻撃だけど武田軍は無視出来ない影響を受けた。

972 :人間七七四年:2022/05/11(水) 09:31:02 ID:LyZtESGE.net
>>970
いや、だから信長が武田軍は要害の地にいると書いてるだろ?認めろよ

973 :人間七七四年:2022/05/11(水) 09:35:06 ID:Beq4XxpH.net
>>971
>絶対に「地形に難渋」なんかしない。現実別所街道を使った奇襲攻撃は成功してる。

地形を知ってるから攻撃を断念
地形を知ってたところで一騎討ちの道が一里半じゃ進撃が困難なのは変わらん
史実で別所街道は使ってません
酒井隊の派遣は武田軍が設楽が原に進出したから決断されたもの
デタラメだらけだな、君は

974 :人間七七四年:2022/05/11(水) 09:42:33 ID:8GFFfWZo.net
もし長篠までの地形に難渋しているならそもそも信長は攻撃隊を出さない。これは常識というもの。更に言うと実はこの攻撃そこまで難渋してなかったはず。というのもこの攻撃隊がどこを攻撃したかは不明だけどおそらく有海原に展開していた武田隊を射撃したんだろう。ということは長篠城は目と鼻の先というところまで侵攻したことになる。難渋どころか順調な攻撃とすら言えよう。この攻撃の戦果は信長公記にも甲陽軍鑑にも載ってないから信長からの命令は「有海原にいる武田軍に射撃したら戻って来い」だったんだろう。最初から陽動作戦だった。

975 :人間七七四年:2022/05/11(水) 09:46:27 ID:PWjBjEwQ.net
無理矢理信長を全知全能みたいに褒め殺しする必要なんかない。
信長は当初武田軍への攻撃も視野に入れたが、地形が不利なのですぐ断念して防御を固めた。
城が落ちたら引けばいいし、また武田軍が引いたら取り戻せばよい。信玄の西上作戦依頼何度も繰り返した形だ。城が落ちなければ睨み合って相手の出方を伺おう。
そう考えていたところ望外に武田軍が出てきたので天の与えるところと歓喜し、酒井隊の派遣を即断し包囲殲滅した。
孫子の兵法にいう、戦に大勝することは自分の力だけで成し遂げられるものではない。
敵の油断や過信があって成し遂げられるものである。
一方で負けない戦いをすることは自分の努力だけでできるものである。
信長は敵や地形を見極め、臨機応変に対応したということだ。

976 :人間七七四年:2022/05/11(水) 09:47:02 ID:8GFFfWZo.net
>>972
それ故に敵は撤退するのもままならないということよ。必死に「武田軍が前進した」と認識するからおかしな訳になるのだ。自然に解釈すればいい。
「長篠は敵が我々からの攻撃に備えるのも難しい地形なので鉄砲を放てば帰るのも困難であり擒になる。それを機会に根切りにする」
とね。信長は必ずしも正確な報告はしてない。とはいえ彼の報告は確かに十八日と明記してるので全ては十八日のこと。つまり信長は「武田軍の撤退を脅かしてやったから出てきた」と確信していたんじゃないか。これはかなり可能性が高い。

977 :人間七七四年:2022/05/11(水) 09:52:46 ID:A5vwEBJp.net
>>975
信長は長篠の地形を熟知してるから「攻撃を断念」なんて事態は絶対に無い。攻撃するからには成功するし失敗しそうなら攻撃しない。また信長は設楽原防御陣の為に大量の資材と多額の資金を使ってる。馬防柵だけで約3キロの設楽原を三重にしている。これを岐阜から運んでいる。しかも空堀に銃眼まで作らせた。とても「長篠で偶然思いついた」ものじゃない。岐阜を出る前にはもう構想は完成していたと言う方が自然。でないとそれこそ信長が全知全能の神になってしまう。

978 :人間七七四年:2022/05/11(水) 09:58:37 ID:vXMaTich.net
>>977
18日は鉄砲隊を偵察を兼ねて派遣しただけ
道が狭いから攻撃には芳しくないと判断
柵を用意したとかそんなものは負けない戦いをするのに不可欠だから始めからその作戦ありきではない

979 :人間七七四年:2022/05/11(水) 10:00:36 ID:A5vwEBJp.net
>>975
それに信長は「長篠城が落ちたら引けば良い」なんて絶対に考えない。何故なら目の前で長篠城を落とされて勝頼に凱旋されたら織田信長の看板に傷が付く。信長は既に高天神城救援を失敗していてこれが大きな汚点になってた(徳川家康に金塊を渡す程の配慮をしてる)ここで長篠城救援まで失敗すれば信長の名声は地に堕ちる。盟友徳川家康すらも見限るかもしれない。だからここは絶対に負けられんという覚悟があったろう。そんな戦にも関わらず敢えて待ちの戦法を取れるのが織田信長の凄みなのだが。

980 :人間七七四年:2022/05/11(水) 10:02:27 ID:NiCX1wbP.net
>>976

細川に包囲殲滅は目前と書いてるんだから20日の状況で間違いない
織田陣地からよく見えない山の奥に篭ってる武田軍を別働隊も派遣していない18日の段階で包囲殲滅できると書くわけないだろ

981 :人間七七四年:2022/05/11(水) 10:06:55 ID:A5vwEBJp.net
>>978
信長は十八日に到着すると極楽寺(設楽原を一望出来る絶好のスポット)に陣取ると即座に防御陣を作らせてる(長篠日記等)
この防御陣は三重の柵に空堀、銃眼までを備えた完全な野戦築城だった。これを織田徳川軍は十九日には完成させてる。
偵察をかけてる様子が全く史料に残ってないから何とも言えないけど明らかに最初からこの防御陣で武田を殺すつもりでいる。何しろ三重に陣地構築してるのだからまず野戦するつもりはゼロ。偵察をかけるまでもなく信長は長篠はよくご存知なのだから当たり前なんだけどね。

982 :人間七七四年:2022/05/11(水) 10:12:25 ID:A5vwEBJp.net
>>980
二十日黒印状では十七日、十八日と日付まで振ってくれてるじゃろ?だから全ては十八日の事よ。武田軍が前進してきたとも書いてないし。信長は最初から防御陣で武田軍を殲滅する戦略を立てていた。信長は十八日の陽動作戦で武田を防御陣に追い込むつもりだった。その余裕が二十日黒印状には現れている。
「此方(長篠)方面についてはいよいよ存分に任せる段取りがつた」という書き出しからもわかるだろう。これは後詰が到着したら攻城側は攻撃か死を覚悟の撤退戦かという戦争常識を鑑みてもわかる。

983 :人間七七四年:2022/05/11(水) 10:15:34 ID:NiCX1wbP.net
>>982
20日に書いてるのに20日の状況書かないわけないだろ
信長公記を素直に読みなさい

984 :人間七七四年:2022/05/11(水) 10:41:30 ID:A5vwEBJp.net
二十日黒印状は十七日と十八日の記録でしかない。例えば「武田軍が前進してきた」とか一切記録がされてない。当然と言えば当然なんだけどね。しかもこの黒印状は最初から最後まで信長は「俺の計画通りだ!」と書いてる。
その自信の根拠これは長篠城の地形を見ればわかる。長篠城周辺は山と川で大軍が展開する余地が無いのだ。長篠城を囲んだ武田軍も有海原や鳶ヶ巣山にも陣取るしか無かった。この3つの陣地は全て川で裂かれているので余程の工事をしてないと連撃が取れない。また逃げ道である伊奈街道と鳳来寺街道はどちらも山道で即座の退却が難しい。正に信長のいう「擒」同然であった。

985 :人間七七四年:2022/05/11(水) 10:50:11 ID:NiCX1wbP.net
>>984
信長公記読みなさい
虜なのは勝頼が川を渡ったからだよ
史料を全部否定して自分の妄想にこだわり続けるのもやめなさい

986 :人間七七四年:2022/05/11(水) 11:36:24 ID:cxSWjnsH.net
>>985
信長公記には「武田が前進してきて擒になった」とは書かれてないし二十日黒印状にも「武田が前進してきて擒になった」とは書いてないと思うんだが。二十日黒印状には十七日と十八日の記録しかない。つまり信長は十八日の攻撃によって武田軍は擒になったと書いてる。それは信長の視点からでは正しい。退路が無くなったなら打って出るしかないからね。

987 :人間七七四年:2022/05/11(水) 11:38:25 ID:cxSWjnsH.net
>>975
信長公記の方が信長全知全能を推しているけどね。神に愛されし男故に武田軍も何故か兵法を無視してやってきて信長の罠に落ちたのだ!って話になるもの。当然そんなはずがない。勝頼も常識で戦略を決定して信長も常識で決定した。信長の戦略の方が強かっただけに過ぎん。

988 :人間七七四年:2022/05/11(水) 12:05:58 ID:eJu6IWqj.net
>>980
値切りにしてやるとは前の書状でも書いてるから
実行できるかはともかく包囲殲滅目前とか書くこと自体は別におかしくない、
書状なんて自分が有利だと宣伝するようなものなのだし。

>>983
21日の書状では21日の出来事はちゃんと朝からと書いてるから
20日のことなら20日とわかるように書くだろ。

989 :人間七七四年:2022/05/11(水) 12:59:40 ID:NiCX1wbP.net
信長公記には勝頼が川を渡らなければいいのに渡ってきたので天の与えるところと表現

20日の日付で送ってるのに18日までの報告で終わるわけがない
史料を無視する輩はチラシに小説でも書いてればいい

990 :人間七七四年:2022/05/11(水) 13:46:37 ID:cxSWjnsH.net
信長は長篠に何をしに行ったのか?というと十五日黒印状が教えてくれる。「軍に負けないかどうかは天の与うるところだが必ず根切りに打ち倒す」つまり信長は長篠城を救いに行ったんじゃない。武田軍を根切り殲滅する為に行った。
ここで重要なのは「根切りとはなんぞや」という点。通常野戦では一千人も死ねば大損害とされる。例えば砥石崩れ、三方ヶ原とか。追撃戦では刀根坂で約四千。万単位がぶつかった川中島ではお互い五千人程の死人が出てる。逆に言えば野戦ではこれだけしか死なない。信長は明らかにそれ以上を狙ってる。そしてそれが現実化した。偶然じゃない。

991 :人間七七四年:2022/05/11(水) 14:19:39 ID:NiCX1wbP.net
だから何?
信長のお気持ちと作戦は別物

992 :人間七七四年:2022/05/11(水) 14:23:37 ID:NiCX1wbP.net
>>987

>>975
>信長公記の方が信長全知全能を推しているけどね。神に愛されし男故に武田軍も何故か兵法を無視してやってきて信長の罠に落ちたのだ!って話になるもの。

ならないよ
勝頼が渡らなければいいのに渡ってきたから信長は機会を逃さず痛撃を与えたという話

993 :人間七七四年:2022/05/11(水) 14:49:03.61 ID:cxSWjnsH.net
長篠の戦いはよくある「敵の動きに合わせて臨機応変に打ち破った」戦じゃない。信長は最初から設楽原陣地で武田軍を一方的に射殺することを主目標にしていた。この作戦は前提として武田軍が設楽原に来ないといけない。しかも時間が重要で野戦築城が終わるまでに来られたらマズい。信長にとって武田軍が前進してくる事は分かってた。野戦に自信のある武田軍なら絶対に出てくる。ただもし勝頼が臆病風に吹かれて若しくはかなりの自信家で撤退する可能性もあった。信長の予想通りになった訳で天佑神助とはこの事よ。

994 :人間七七四年:2022/05/11(水) 15:03:15.76 ID:TkagkBTU.net
名和弓雄は長篠合戦で誤った俗説が信じられてるのは火縄銃への無理解があるとしてたね。現代人は火縄銃を知らない。だから何となく旅順攻略戦の様な「機関銃に向かって万歳突撃」といったイメージを持ってる。ところが火縄銃というのは性能が劣悪で本来野戦で数千人も殺せる兵器じゃなかった。それを主役にした織田信長には戦術の妙がある。

995 :人間七七四年:2022/05/11(水) 15:09:02.81 ID:NiCX1wbP.net
>>993

兵を隠して勝頼が設楽が原に進出するのを誘導したという意味ではそうだが、進出してくるかどうかは勝頼次第
「天の与えるところ」とはそういうこと
戦いに大勝するかどうかは相手次第だが、負けないことは自分でコントロールできる

996 :人間七七四年:2022/05/11(水) 19:22:29 ID:IRJ3qWAm.net
>>989
20日のことか書いてあるとしたら、
移動しにくいってとこからが20日の内容ってことだろ。
そこで区切るのが一番自然だからね。

997 :人間七七四年:2022/05/11(水) 21:48:04.09 ID:NwsTQk16.net
信長は武田を根切りにするつもりで戦術を組んでいた。問題は武田がそれを免れる道があったか?おそらく不可能。当時追撃戦は可能な限り避けねばならない負け戦だった。それに信長の、数時間もの間鉄砲を射撃し続けるという戦術自体が斬新で革命的だった。まず城それもかなり巨大な城でもないと出来ないハズだったわけでそれを可能にした事を読め、というのは酷過ぎる。武田には出来んかったろう。

998 :人間七七四年:2022/05/12(木) 00:39:45 ID:2ANT4qQG.net
>>997
>信長は武田を根切りにするつもりで戦術を組んでいた。

根切りしたい気持ちと戦術は別
勝頼が乗らないと根切りできない
例えば織田が接近してすぐ撤退されたら不可能
織田の鉄砲射撃は一向衆の影響で革命的ではない
陣城もどこの大名でもやっている
そもそも鉄砲がなくても自軍の3倍の敵に正面から当たったらいつの時代でも勝ち目は乏しい
なのに勝頼が突撃したのは過信していたか、兵力を見誤ったのかどちらか
どっちにしろ勝頼の失策

999 :人間七七四年:2022/05/12(木) 12:08:05.77 ID:YlM6g5/9.net
常識的に見ても後詰が到着した時点で武田軍は決戦するしかない。兵数有利でも負ける撤退戦を同数以上を相手に行う勇気は勝頼に無いから。しかも本国まで約45キロ。一日以上かかる事を考えれば決戦は常識的帰結になる。それで信長に読まれていた。

1000 :人間七七四年:2022/05/12(木) 15:39:55 ID:KE8AxI4h.net
勘違いされがちだけど長篠は兵力差や物量差の戦争じゃない。僅か四千人の鉄砲隊が一万五千の武田軍を粉砕した訳で尋常の戦争じゃない。信長の戦術の凄まじさがわかる。

1001 :人間七七四年:2022/05/12(木) 16:26:14 ID:UM+bzwaG.net
戦術はそうだけど武田もなあ
普通途中で諦めそうなもんだけど必勝みたいな軍団になってたせいであそこまでダメージ食らうことになった
川中島なんかも普通ならヤバいと逃げ出しそうなもんだけど尋常じゃない割合の死傷者出しても潰走せず戦い続けて結局相手を戦場から追い出してる
でも柵にこもった鉄砲相手じゃロクに削ることもできず一方的な虐殺でジエンドって感じ

1002 :人間七七四年:2022/05/12(木) 16:31:29 ID:KE8AxI4h.net
馬場や内藤が撤退を進言してないから武田軍はギリギリまで戦況を知らなかったと思われる。おそらく第一柵を破ってしまった事で自軍が押していると勘違いしてしまった。それが戦力の逐次投入を招いて全滅した。漸く把握した頃にはもうパニックになってたんだろう。

1003 :人間七七四年:2022/05/12(木) 17:03:30 ID:DYlrGJcL.net
勝頼とその側近に臆病者認定されてそりゃ突撃して死ぬしかない
旧日本軍とかと同じあるあるパターン

1004 :人間七七四年:2022/05/12(木) 17:11:39 ID:T+NJtLSS.net
実は「勝頼や側近衆に煽られた」って話は江戸時代以後の創作でしか出てこない。武田軍が功名争い(一番槍争い)をして全滅したって説もあるが(こっちの方が自然かもしれない)どちらにせよ武田軍は致命的損害を被るまで撃たれ続けてしまった。

1005 :人間七七四年:2022/05/12(木) 17:15:00 ID:DYlrGJcL.net
武田側の史料は結局甲陽軍鑑に頼らざるを得ない
信じるかどうかは読む人次第

1006 :人間七七四年:2022/05/12(木) 17:22:26 ID:T+NJtLSS.net
甲陽軍鑑の初期版だと「勝頼が決戦を決めた、重臣衆は反対した」と書いてあるだけで何で反対したのか誰が反対したのか等が一切わからない。時代が降ると反対者が馬場信春になるがここから既に内容がうさんくさい(何故か織田軍の構成を馬場が知ってる等)。江戸時代以後の版で勝頼が臆病風に吹かれたかと叱責云々と出てくるけどこれはもう完全な創作である。

1007 :人間七七四年:2022/05/12(木) 17:31:47 ID:hjOnlidi.net
>>999

後詰めが来た時点で撤退すべき
来た時点ではもう遅くて撤退できないのなら、それでも損害覚悟で撤退するか、接近前に撤退すべき
戦いは出陣した時から始まっているのだ
勝てると確信がある時でないと戦ってはいけないし、敵の動きを把握するのは最低限の義務である
勝敗は戦う前にもう決まっている
把握できなかったから仕方ない?そうではない
敗将の敗因はほとんどの場合、情報不足か油断過信による
勝頼が責任ないとしたら敗将のほぼ全員が責任がないということになる

1008 :人間七七四年:2022/05/12(木) 17:54:45 ID:DYlrGJcL.net
>>1006
反対の理由なんか書いてなくても想像つく
・武田は織田と戦う予定で出陣していない
・自軍の兵力は3分の1、兵力は読めてなかったにせよ信長がいるのに寡兵だと思うのは頭おかしい
・設楽が原の地形は味方に不利(先に布陣した方が有利なのは常識だし、背水の陣で退路は狭い)
・長篠城は残したまま
反対したのは全員かどうかはともかく、年長者があれこれ反対するのも、威勢の良い者が場を制しがちなのもいつの時代も共通

1009 :人間七七四年:2022/05/12(木) 18:00:08 ID:KsjBCZtf.net
武田には砥石崩れのトラウマがある。僅か二千の兵に七千の武田軍が蹂躙され、信玄も死にかけた。三分の一の相手でこれなので同数はある長篠の場合危険過ぎた。しかも敵は数百メートル先の長篠城にいるから難易度が高過ぎる。また武田軍拠点まで遠過ぎる。長篠という場所は正に武田軍を捕らえる罠になってる。

1010 :人間七七四年:2022/05/12(木) 18:05:04 ID:KsjBCZtf.net
>>1008
武田軍が入手していた情報は次の通り。まず織田徳川軍は十万(甲陽軍鑑)。これは信長が三好・本願寺攻めに使っていた兵力なので辻褄は合う。ただし、設楽原は間違っても十万人も入らないし信長は兵力を少なく見せていた(信長公記)。ただし、設楽原に十万人居ないことは信長が十万動員していない事を意味しない。別働隊か更なる後詰か可能性は幾らでもある。そして織田徳川軍は柵を作ってその中に引きこもっている。これは信長が大軍を連れてきていない事を意味している。

1011 :人間七七四年:2022/05/12(木) 18:06:04 ID:E+0viarv.net
>>1009

そんなに長篠が危険な地形ならそこを攻めたこと自体が勝頼の敗因
それどころか織田徳川が来た時、何の対応できないということだから大チョンボに近い

1012 :人間七七四年:2022/05/12(木) 18:12:30 ID:KsjBCZtf.net
つまりこれで武田軍の戦術計画が見えてくる。柵があるなら突撃して崩すまで。また武田軍が前進すれば別所街道から鳶ヶ巣山砦が狙われるがそれは織田徳川軍の兵数が裂かれる事を意味する。また長篠には兵三千人これは攻撃の法則で九千人を置いてるのに比する。簡単には落ちない。
設楽原の地形は織田徳川軍の兵力を分散させるし柵を突破すれば後は野戦能力の勝負になる。となれば野戦に強い武田の方が有利。仮に負けるにしても野戦ならお互いに損害が出る(川中島のように)。まさか武田のみ一方的に殺されるなんて事が起きる筈が無いからね…

1013 :人間七七四年:2022/05/12(木) 18:15:27 ID:5Hc/o1Hz.net
>>1012
いや、それはないわ
勝頼がますます脳筋バカにみえる

1014 :人間七七四年:2022/05/12(木) 18:17:20 ID:hvxJiuYX.net
>>1010
つまり10万の兵があるのに信長が少ない兵力で来るという極めて不自然な事象を勝頼が信じたってことか?
ますます脳筋だな

1015 :人間七七四年:2022/05/12(木) 18:18:12 ID:KsjBCZtf.net
てことを鑑みるとどうも重臣衆が反対したって話は胡散臭い。この戦術は「織田は弱い、武田は強い」を心理的前提にしてる。また武田軍の野戦能力に自信が無いと出来ない。
重臣衆と側近衆、どっちがと言われれば重臣衆の方が当て嵌まるだろう。つまり勝頼・重臣衆が決戦派で一門衆・側近衆が撤退派だった可能性が高い。甲陽軍鑑には勝頼の戦いっぷりを馬場信春が褒め称えて信玄がそれを憂いた、って逸話があるけどかなり示唆的だと思う(甲陽軍鑑での馬場の提案が軒並みセンスが悪いのも言ってるのが側近衆だとすりゃ頷ける)
勿論彼らも伊達や酔狂で作戦計画してるんじゃ無く勝利する方策を考えていた結果なのだが。

1016 :人間七七四年:2022/05/12(木) 18:19:31 ID:KsjBCZtf.net
>>1014
信長には朝倉攻めとかで少ない手勢で進んで後から軍勢が来るって事例がある。武田が知っていたかは不明だがこの事自体は特殊じゃない。

1017 :人間七七四年:2022/05/12(木) 18:21:12 ID:DYlrGJcL.net
>>1015

説得力全くないな
老臣が反対して若い後継者が無茶するのは現代でも本当によくある話

1018 :人間七七四年:2022/05/12(木) 18:23:32 ID:DYlrGJcL.net
>>1016

いや、おかしいよ
ちょっと慎重な人なら信長本人が来てるのに寡兵なわけないと疑ってすぐ逃げるから
尾張美濃だけで2万は余裕で徳川合わせたら3万近くにはすぐになるのに

1019 :人間七七四年:2022/05/12(木) 18:26:43 ID:KsjBCZtf.net
何しろ信長は兵を隠してる。「信長がいるから大軍が」というのは妄想でしか無い。しかも武田には確かめる術が無い。妄想を信じるか信じないかは知能の優劣とは無関係のはなしなんだな。

1020 :人間七七四年:2022/05/12(木) 18:27:23 ID:OKMWfbbT.net
妄想君は結局のところ勝頼を弁護したいのだろうが、なんだか彼の勝頼像だと勝頼が益々馬鹿に見えて仕方ない
敗者誰にでも適用できる同情論は詭弁に過ぎない

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