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豊臣恩顧大名や武将について考察する

1 :人間七七四年:2021/12/17(金) 19:43:39.76 ID:saQr8Rsn.net
いわゆる豊臣恩顧と呼ばれる大名や武将について、その定義や含まれる大名や武将の範囲、あるいは逆に含まれないのはどんな大名や武将なのかなどなど色々と考えてみましょう

2 :人間七七四年:2021/12/17(金) 20:01:02.49 ID:6JstP/Lr.net
スレ立てお疲れ
ここで思う存分議論すればいいね

3 :人間七七四年:2021/12/18(土) 15:29:48.79 ID:Ah1RX+CR.net
清正と正則は確実だな

4 :人間七七四年:2021/12/19(日) 20:45:38.22 ID:FzoZ9+O7.net
>>3
問題はそれ以外だよね

5 :人間七七四年:2021/12/19(日) 20:54:54.86 ID:1mYA8mRS.net
黒田長政、加藤嘉明、福島正則は、江戸に留め置くよう、駿府翁の下命でござる。

6 :人間七七四年:2021/12/20(月) 02:38:24.79 ID:DMeyDKqA.net
>>5
大坂の陣のそいつらへの対応以外で江戸時代初期に豊臣に近い大名への幕府の警戒や差別はあったのだろうか
通説では福島や加藤はいわゆる恩顧大名だから潰されたことになってたが今は自業自得説が濃厚だし
誰が恩顧大名か以前に実際に外様大名にそういう区別はあったのか?

7 :人間七七四年:2021/12/20(月) 06:33:10.76 ID:4Ij9SirR.net
家康が政権を握った後、豊臣と戦う事になったら
味方しそうな大名という位置づけだろ

8 :人間七七四年:2021/12/20(月) 06:39:46.93 ID:etu8/A+J.net
家康が関東に移封されたあと、その旧領である東海筋に配置された大名たちは恩顧に含まれるのかな

9 :人間七七四年:2021/12/20(月) 18:23:55.20 ID:/2dECZdk.net
>>7
秀吉がいなかった場合は大名になれていなかった人達、ってくくりじゃね
上記のほかには堀尾とか田中吉政とか

自力で所領を持ってた島津とか毛利上杉佐竹伊達最上なんかは豊臣恩顧とは言わないんじゃないか

10 :人間七七四年:2021/12/20(月) 18:46:21.82 ID:K/ullmRQ.net
おおざっぱに捉えると、関ヶ原の戦いは尾張派+近江派のうちの旧秀次補佐役を徳川が味方にしたという理解で良かろうか

11 :人間七七四年:2021/12/20(月) 18:58:06.36 ID:Y3pbzYCB.net
というか秀吉から政権任されてたのを
一部の奉行衆と毛利が転覆させようとした

12 :人間七七四年:2021/12/20(月) 19:13:09.45 ID:4iKe9yLv.net
>>10
尾張派や近江派はよく聞くけど播磨派はいなかったのかね
北政所や淀みたいな旗頭はいないとしても織田時代の所領は播磨が一番大きいのだが

13 :人間七七四年:2021/12/20(月) 19:13:43.51 ID:yVwvAckO.net
>>8
東海筋に配置された大名の一人である山内は
功名が辻を見た限りでは
清正や正則より早く秀吉に仕えていたにも関わらず
彼らよりも低い石高なので
相当不満がたまっていたらしい
こういうのも豊臣恩顧と言えるのかどうか

14 :人間七七四年:2021/12/20(月) 19:21:53.21 ID:K/ullmRQ.net
そういえば藤堂高虎も傍流だな

15 :人間七七四年:2021/12/20(月) 23:28:40.43 ID:U6TzLxyR.net
>>13
山内って元をただせば上四郡守護代の岩倉織田家の家老の家だぞ
織田家中で主流派どころか、外様扱いされてたんじゃないかな旧敵の子供なんだし

確かに太閤に比べると名門の出だけど、秀吉の派閥に入らなければ1000石すら
難しそうな立場。
これで不満持ってたとすれば、本当豊臣家って寄せ集めだね

16 :人間七七四年:2021/12/21(火) 11:35:36.25 ID:mZmawFuT.net
>>15
人間が不満を持つってのは人それぞれなんだよ
あんたの基準を当てはめられてもねえ…

17 :人間七七四年:2021/12/21(火) 14:17:15.61 ID:pWTUVUKW.net
>>14
藤堂高虎は長年豊臣家に仕えたが
とても豊臣恩顧と言えないよね

18 :人間七七四年:2021/12/21(火) 14:38:41.51 ID:XyXPfMTH.net
高虎は、秀吉直臣ではなく、秀長の配下で、しかも豊臣秀保溺死後、一度は出家し、秀吉の命令で山を降りて帰参した組なもので、恩顧の意識は薄いな
何度も主君を替えたとかそしられるけど、呼び返しがなければそのまま仏門にいたはず

19 :人間七七四年:2021/12/21(火) 16:36:20.01 ID:RiIC9ulj.net
恩顧=恩を感じる
だと思っている人が大量にいるな

20 :人間七七四年:2021/12/21(火) 16:49:11.29 ID:rIpVHHfa.net
>>15
羽柴家中の他の武将と比べてじゃないの
本人が功を挙げてるつもりなら他の連中と差がついたり下の世代に追い抜かれたら不満も持つだろ

21 :人間七七四年:2021/12/21(火) 17:52:32.51 ID:QWlRLLRw.net
>>19
日本人全体だと
一億人以上はいるだろうな

22 :人間七七四年:2021/12/21(火) 18:47:02.70 ID:JlMOK3e/.net
それぐらいになると、もう恩を感じるという意味に捉えてもいいね

23 :人間七七四年:2021/12/21(火) 18:55:47.41 ID:XyXPfMTH.net
正にそーゆーことだよあなたなぁ

24 :人間七七四年:2021/12/22(水) 01:00:22.75 ID:W0ZemGzc.net
基本長浜時代から馬廻や小姓出身者は小身スタートだから子飼いであり恩顧ありだろ。
天下をとってから馬廻なった奴等は大名まで行ったの少ない。

25 :人間七七四年:2021/12/22(水) 04:21:33.50 ID:y88dglap.net
豊臣恩顧なんて最もらしい言い方するけど
秀吉自身が紛れもない織田恩顧で織田家つまり信長のおかげで立身できたのに
主家が衰えたと見るやたちまちにして下克上してのけた斎藤道三宇喜多直家と同レベルの梟雄だからな
そういう薄汚れて血なまぐさい豊臣にだけなぜか恩顧なんて倫理めいた呼称を使うこと自体が馬鹿馬鹿しい

26 :人間七七四年:2021/12/22(水) 06:48:22.94 ID:vbumS5bl.net
>>25
それ言うたら家康だって同類だから。あの時代境目の城主が幼少なら領地を守る
能力無しで取り潰しは普通に有り得た。
沢山居た松平同族の一人を今川が岡崎城主任命で済む話。

これが義元の姪まで貰ってて独立だからね。家康ってこういう割り切りが怖い

27 :人間七七四年:2021/12/22(水) 07:29:39.98 ID:YH+rx8ZI.net
少なくとも家康は半年ほど、織田家相手に最前線張って弔い合戦しましょうつって催促して、それでも今川が来ないから織田と手を結ぶと言った最低限の義理は通してるな
自分の都合でいややっぱ三法師じゃなく信雄を織田家当主につった後切り捨ててをかましたようにしか現状解釈できない秀吉とは、また違う
信雄が先に秀吉と結ぶまでの信雄の肩持ったのも家康だしね
そこで最低限の義理を通すか通さないかの部分が余程信用に関わるし、そういった信用の積み重ねの結果が秀吉からも信用されて死後政権任せられるに繋がるから、それらを無視してたら絶対に理解も出来ないだろなぁ

28 :人間七七四年:2021/12/22(水) 07:40:40.52 ID:YH+rx8ZI.net
正直恩顧、なんて区分を短命の秀吉政権でわざわざする必要があるのかは自分も疑問がある
この区分をする事のメリットってなんなん?

29 :人間七七四年:2021/12/22(水) 07:44:41.20 ID:jUfJThv2.net
家康の場合、今川の行動に問題があった。
「織田に我々だけでは対処出来ない、援軍を送って欲しい」って家康の要請をガン無視するだけでは飽き足らず北条に援軍を送ってしまった。
要は家康を見捨てた訳だから裏切られても文句は言えぬ。
仮に松平が今川代々の譜代ってなら兎も角、今川に従ってるだけの独立志向の強い国人衆ってなると尚更ね。
御恩と奉公は一代限り、戦国の世の常よ。

30 :人間七七四年:2021/12/22(水) 09:59:20.72 ID:XbdCbk/h.net
>>28
まぁそうしないと「秀吉の死と共に豊臣政権は消滅した」って事になって面白くないし…それに大坂の陣でも豊臣は「太閤恩顧」を何故かアテにしてた感がある。
とはいえ甘過ぎなんだけどねその考えが…御恩と奉公ってそんな永遠のものじゃないのに。

31 :人間七七四年:2021/12/22(水) 10:48:20.91 ID:YH+rx8ZI.net
>>30
研究がろくすっぽ進んでなかった頃の豊臣への後世視点からの判官びいきでしかないってことかな?
仰る通り御恩なしでの奉公なんて無限に求めるものじゃない、っていうか御恩を提供する実力がない時点で主側の不義理というか
そもそも淀派と秀頼派家臣のお家騒動でよく他人が恩顧理由に味方すると思ったなとか
研究進めば進むほど、判官びいきもできないレベルのグダグダさよねぇ

32 :人間七七四年:2021/12/22(水) 10:54:51.70 ID:An8ZZ/I4.net
恩顧って譜代家臣の事だよってマジレスしちゃいけない感じ?

33 :人間七七四年:2021/12/22(水) 11:17:44.30 ID:YH+rx8ZI.net
短命の秀吉政権でわざわざ譜代いないから恩顧って言い換えてする意味は?って聞いたらさっきの答えが返ってきたから

34 :人間七七四年:2021/12/22(水) 12:47:09.55 ID:ItoFZpXd.net
関が原にしろ大坂の陣にしろいわゆる恩顧武将が味方に付く前提じゃないと
負けた方の勝ち目ないからことさら注目されるってだけの話よね

35 :人間七七四年:2021/12/22(水) 12:54:23.17 ID:HEQe6Yxv.net
譜代は何代かに渡って臣従してるイエってイメージだな
個人対個人の繋がりが恩顧かな
徳川でいうと大名じゃないけど大久保長安みたいな

36 :人間七七四年:2021/12/22(水) 13:04:44.88 ID:TBoS0v/8.net
譜代など徳川幕府で出来た単語
豊臣政権下でそんな物を考えるだけ無意味

37 :人間七七四年:2021/12/22(水) 13:08:21.38 ID:qLVRSn0D.net
100年以上続く自前の勢力をもった独立大名として今川織田豊臣と外交的に離合集散を繰り返した家康と
子飼いとして入りながら恩義ある家を乗っ取ったまさに斎藤道三型典型的梟雄の秀吉を同列に語れると思うのがおかしい

福島加藤らは恩顧というより秀吉のお家乗っ取りという犯罪に加担した「一味」と称したほうがふさわしい
「共犯者」とも言えるな

38 :人間七七四年:2021/12/22(水) 15:25:57.24 ID:RVyH1tyR.net
>>35
家康将軍就任時点だと三河譜代以外の殆どの譜代大名がそう

39 :人間七七四年:2021/12/22(水) 15:28:02.00 ID:RVyH1tyR.net
>>37
共犯名乗れるのは黒田や蜂須賀クラスか旧織田系大名くらいで加藤や福島はあくまで秀吉の手下

40 :人間七七四年:2021/12/22(水) 15:42:39.23 ID:S7m8+JPY.net
そもそも信長自身が将軍の威光で畿内制圧できたにも関わらず追放している
そんな織田家に忠誠を尽くさなければならないという理屈はない

41 :人間七七四年:2021/12/22(水) 16:05:51.81 ID:AEEKSCxo.net
義昭が信長を見捨てたからなぁ

42 :人間七七四年:2021/12/22(水) 17:24:06.43 ID:KfLe4hw4.net
徳川も秀頼より先に家康が逝ったらわからなかったかもなあ
でも関ヶ原後だと大名連中も厭戦ムードだったかもしれんけど 
豊臣に誰も味方しなかったのは今更挙兵する空気読めない奴というのも

43 :人間七七四年:2021/12/22(水) 17:25:24.76 ID:HeJUgHxS.net
先に不義理かまして順当に追放やら滅ぼされたやつを後世からハンパな知識で見ると
勝った側があの手この手でーと言うようになる
知識のパッチテストに丁度良さそう
スレの方向とズレるけどね

44 :人間七七四年:2021/12/22(水) 21:39:04.53 ID:3pLWBTyT.net
なんだか豊臣好きって大名たちに豊臣に対しての無条件の忠誠を求めるよな
豊臣を見限った大名を批判するときも恩知らずとか使うし

45 :人間七七四年:2021/12/23(木) 00:44:33.22 ID:o9aOU/HU.net
>>27
>>29
丁度その時期、上杉謙信が北条攻めてた事無視するなよ。上杉の大軍が膨れ上がり小田原も
危ない状況だったんだぞ
で、松平は別に岡崎が織田軍に包囲されてるとかじゃないでしょ

寧ろ、三河に兵を出せないのを確認して離反したようにしか見えないよ。
正室、息子、娘、これだけ人質居て離反は流石に予想は出来ない。
氏真が愚かと言うのも可哀想なんじゃないかな

46 :人間七七四年:2021/12/23(木) 00:55:11.06 ID:o9aOU/HU.net
>>34
家康はさ、儒教を奨励して諸侯を教育しようとしてますよね
この場合困るのは、主君裏切った結果として、大領地貰った連中の存在で

豊臣恩顧って言い方は、譜代じゃないに言い換え出来る気が

47 :人間七七四年:2021/12/23(木) 07:54:46.16 ID:YmNor6iA.net
>>45
そんなこと松平には何の意味も無い、どころか逆効果よ
今川の戦力がゼロで何処にも援軍出せません!の方がまだマシだったかもしれない。
北条には送るけど松平には送りませんがんばってね、って見捨てたと同義だもの。

48 :人間七七四年:2021/12/23(木) 08:13:29.72 ID:Jy66dfuQ.net
うわこいつ例え話荒らしやんけ
桶狭間直後に半年も格上の信長相手に粘れて、しかも上杉が北条を攻めようとしてる情報も即座に入手できる異常な情報網を敷いてると思っちゃえるバカかまっちゃったよ

49 :人間七七四年:2021/12/23(木) 09:50:59.78 ID:98+mtZW6.net
各スレを巡回粘着して家康を誹謗し続ける例え話ってアンチ家康の程度がよくわかるいい標本だな
家康スレではもはや議論から逃亡して頭空っぽの悪態つくだけに成り果ててる
あれが例え話かはわからんけど同類だろう

50 :人間七七四年:2021/12/23(木) 20:03:50.05 ID:2j0jGU0E.net
色々な人に最新の研究くらい調べろと言われても無視だしな

51 :人間七七四年:2021/12/23(木) 20:14:51.35 ID:bC42Ad9K.net
研究者の話持ち出されるとと自説が通用しないから
適当なところからチェリーピッキングしてるだけだからなあ

52 :人間七七四年:2021/12/23(木) 20:25:23.26 ID:Sxn1U2iq.net
>>50
言うだけ無駄だ。連中の中で徳川、特に家康は悪というのが絶対的な定義になっているからな
故に例えるのなら徳川絶対悪教の奴らにしてみれば、その教義を否定する史料や論文なんかは
異端や異教徒の教えみたいな物で見るのも触るのもおぞましくて、読む価値など無く
仮に読んだとしても全く受け入れられない代物なんだ
むしろ連中からすれば自分達を否定する輩こそ哀れな改宗すべき存在なんだよ
要するに決して相容れる事がないから相手するだけ時間の無駄だ

53 :人間七七四年:2021/12/23(木) 21:39:26.20 ID:PKx2IxYv.net
秀吉恩顧、正確に言うと「元秀吉の部下」って
秀次事件で連座、関ヶ原で敗北、病死、
こんな感じでポロポロ居なくなってるって話だが。
だから秀頼が彼等にどんどん新恩給与していくべきだったのだ…

54 :人間七七四年:2021/12/23(木) 23:02:21.66 ID:nCYaM4Hn.net
でも秀吉没直後の秀頼に所領安堵の沙汰を独自に発せるかと言えば、まだ傅役が必要な上に執政出来ないのは秀吉も解ってるから家康に主体になって執政させてる訳だし
秀頼がある程度成長した時にはもう徳川幕府が成立して、諸大名小名に所領安堵の沙汰を下しているのでもう秀頼が沙汰するには自領を削ってでもするしかないが
それすら容易に成し得るもんでは無かった。
秀頼としては年齢的な全てのタイミングがずれて何も出来ない案配。
その上実際の本人からして自領を削って沙汰するような器量も無い。そもそも関ヶ原後は65万石だから、分け得たとしても大した分にはならなかったのだけど。

55 :人間七七四年:2021/12/24(金) 05:03:49.12 ID:PHvC4mDK.net
関ヶ原の論功行賞の宛行状て現存してるの?
名義はどうなぅてるんだろ

よく豊臣家の領土を家康が勝手に
分け与えて恩を売ったと言われるけど
豊臣政権のトップなら論功行賞は
するのがむしろ当然よ

56 :人間七七四年:2021/12/24(金) 09:29:13.64 ID:/Qdys3lI.net
そもそも関ヶ原で恩賞提示したのは家康なんじゃないかな
だとしたら論功も当然仕切るのは家康で秀頼はそれを追認する(もしくは拒絶する)しかできない気がする

57 :人間七七四年:2021/12/24(金) 09:59:02.12 ID:JiBgSH3n.net
関ケ原後、摂津・河内・和泉3カ国を領する65万石余の1大名に成り下がったというのは
最近の研究によるとどうやら嘘らしい
https://www.inari.or.jp/midokoro/hideyori/

65万石を遥かに超える所領があったらしい
ということは関ケ原後も秀頼の所領には手を出せなかったという事か

58 :人間七七四年:2021/12/24(金) 10:12:17.71 ID:iz6pFlU6.net
所領と蔵入地とをそもそもごっちゃにして換算してる事がそもそもおかしな話よ

59 :人間七七四年:2021/12/24(金) 10:26:20.59 ID:KVxSwFE4.net
史料としての信頼性はおくとして、北条氏長が編集したとされる慶元記にある片桐且元条書で
豊臣家が関ヶ原後に100万石を知行されたとあるそうだ
これが摂河泉65万石のほか各地の蔵入地も含めたものだとしたら、奉行衆の解体消滅で
蔵入地の管理者不在となったのだから豊臣家がどこまで掌握できてたかは怪しいな

60 :人間七七四年:2021/12/24(金) 10:29:27.99 ID:iz6pFlU6.net
実際摂河泉すらろくに管理できず、徳川の命で京都所司代から役人出してもらってなんとか回してた状態だしね

61 :人間七七四年:2021/12/24(金) 11:53:37.95 ID:GIBKQKcd.net
鎌倉より以前から武家の棟梁が並び立つ時代はあった
そしてそこから抜きん出て武家のトップに立つには戦争に勝つこと、自分についた武士の権利を保証することが求められた
自分で戦場に立てない秀頼じゃそりゃどうしようもない。徳川様お願いしますって話になるわ

62 :人間七七四年:2021/12/24(金) 12:22:01.64 ID:MVuIFkN+.net
そこのURL先だと不都合だから意図して書いてないんだろうけど、年頭礼の挨拶なんかも京都所司代のあとに秀頼の元へ挨拶に行く形なので、ただの一大名じゃないのは確かだけどそれはあくまで前の天下人の家として礼を尽くされてただけで、実力を見越してではないよねっていう
また豊臣家も、少なくとも淀が当主の代行時はそれを理解して自分たちから徳川へ年頭の挨拶の使者を出すと言った臣下化を進めてる

63 :人間七七四年:2021/12/24(金) 12:44:54.62 ID:6IZNu0Nl.net
淀君には官位がなく、従一位の北政所に対して、本来ははるか下座にいなくてはならない

64 :人間七七四年:2021/12/24(金) 14:57:50.34 ID:gUmn181x.net
加藤清正が預かっていた蔵入れ地は熊本藩がネコババしたのかな
関ヶ原で大名を転封したドサクサで蔵入れ地は消滅したというのが通説だけど隣地に加増されただけの大名が預かってた蔵入れ地はそのままなはず

65 :人間七七四年:2021/12/24(金) 22:12:17.75 ID:g4KlTm9E.net
ババっててもおかしくはないけど、確証はないしこの辺調べてる研究者いないかな

66 :人間七七四年:2021/12/24(金) 22:51:03.59 ID:6IZNu0Nl.net
どこの御家も朝鮮派兵と関ヶ原で火の車なので、徳川も諸侯も、豊臣家直轄地であることを互いに気づかない振りで、与え、貰った

67 :人間七七四年:2021/12/24(金) 23:32:21.14 ID:02LTwUDP.net
>>55
名義は豊臣家じゃないとおかしいだろ。家康は建前上は豊臣家大老として
大阪せめたんだし
大阪に秀頼いますが、西軍籠城して戦死してたりしたら適当な奴を豊臣家当主にして論功行賞
したでしょうね


ようするに、曹操が配下に与えた官位は後漢王朝の物だし、印綬も後漢王朝の
ものってのと同じだね
実質は曹操からの恩賞だが、建前は献帝からの恩賞と同じ事

68 :人間七七四年:2021/12/24(金) 23:39:45.80 ID:02LTwUDP.net
韓非子には下克上の例として、三晋や田常が何度も出てきます

要点は論功行賞の権限を握られたら主君なんて飾り物で、殺されるって所
家康が独裁権握った以上、誰の名義の恩賞かなんてあまり意味ないですけどね

田常は斉の簡公を攻めて弑逆したってはっきり記録に書かれてますが、其処で田斉が
成立した訳では無い
お手軽な公子を名目上の主君に担ぎあげてます。

田氏の領地は斉公の直轄領よりもはるかに大きくなったとも書かれてますが

69 :人間七七四年:2021/12/24(金) 23:41:12.85 ID:iz6pFlU6.net
あんだけ言われてまだ自分のクソみたいな妄想通ると思える都合の良い頭どないなってんのこいつ

70 :人間七七四年:2021/12/25(土) 04:06:41.83 ID:MtVJnFT3.net
出自ははっきりしないが譜代などいるはずもなく
秀吉が死んで力関係が逆転した時点で股くぐるか滅亡しかなかった

71 :人間七七四年:2021/12/25(土) 07:30:35.53 ID:eKD4h7wP.net
豊臣政権って少ない直轄地を蔵入地でパンプしてたらしいけど、この蔵入地の評判悪いっぽいんだよなぁ…

72 :人間七七四年:2021/12/25(土) 08:12:37.21 ID:HufBNS07.net
>>71
蔵入地の年貢が足りなかった場合、どうも蔵入地のある地域の大名から不足分補わせてたっぽいって話?

73 :人間七七四年:2021/12/25(土) 08:44:38.58 ID:bPRIHB4d.net
>>59
秀吉存命時で220万石だから
120万石も失ったという事になるな

74 :人間七七四年:2021/12/25(土) 09:20:33.60 ID:/G1iZa2X.net
しかし豊臣家統治機構は解体されているから年貢が満足に集まらないと存ずる

75 :人間七七四年:2021/12/25(土) 11:37:10.87 ID:TMUz6n62.net
どうなら家康守役にしとけば良かったようなもの。

76 :人間七七四年:2021/12/25(土) 12:12:41.37 ID:HufBNS07.net
すでに豊臣家の後見だし、天下の政務やらさなきゃいけないのにさらに傅役は過労死する

77 :人間七七四年:2021/12/25(土) 12:43:14.70 ID:FGJQfvr3.net
>>66
家康がその気なら蔵入れ地の振り替えや預け替えはできたはずだからな
大坂から近場の大和や紀伊は西軍大名の取り潰しで空いたわけだし
>>74
家康はちゃんと割り振ったが時代の流れで大名連中が収めなくなった可能性もあるのかな
220万石の多くを削られて誰も気付かなかったとしたら豊臣家の直臣は無能すぎるし
秀吉自体に豊臣家と豊臣政権を分けて考える思想が無かったのかもしれんが

78 :人間七七四年:2021/12/25(土) 13:26:01.45 ID:H/Cdf0VW.net
蔵入地の管理できる人間がもういないんだわ、関ヶ原後の豊臣家には
領地は褒美とか褒賞的な意味合いも強いけど何よりその土地を治める責任もある訳で、それをできなくなるなら豊臣政権からの恩賞として分配した方が良いわね

79 :人間七七四年:2021/12/25(土) 13:59:50.80 ID:UpBldgG6.net
>>67
オレも同意だけど残念ながら
実際の宛行状を観たことがないので
どうなのかを確認したかった
あなたも同様のようだね

豊臣政権のトップであると遺言された家康が
豊臣秀頼に代わって論功行賞を行なった
となると完全に政権として正当な手続き

曹操の例はいらない

80 :人間七七四年:2021/12/25(土) 15:05:42.38 ID:eKD4h7wP.net
秀吉死後の家康の仕事
豊臣政権トップとして朝廷との応対
朝鮮出兵の論功を進める
諸将からの訴訟沙汰の解決
明・朝鮮との和睦交渉
この上秀頼のお守りとか過労死待った無し!

81 :人間七七四年:2021/12/25(土) 15:18:58.62 ID:HufBNS07.net
そもそもの話、豊臣政権自体は誰からどういう手続き踏んで蔵入地継承したんよ
戦で分捕ったじゃないよなあれ
朝廷から認められてか?

82 :人間七七四年:2021/12/25(土) 15:27:19.67 ID:27mFPfI/.net
>>81
戦でぶんどった土地に大名を配置する時に預けたと解釈してたけど違うのか?
配下大名から平和的交渉(命令)で譲ってもらった(召し上げた)土地もあるだろうけど

83 :人間七七四年:2021/12/25(土) 21:21:57.25 ID:Mb5UmP7d.net
>>77
家康が迂闊に蔵入り地に直接関わったら、豊臣政権に対する専横って言われないか?
蔵入地の管理は奉行が対応していたはずだし
いくら関ヶ原直後とはいえ、豊臣の収入そのものに手を付けるような真似をしたら
また天下が荒れそうだけど
…まあ嫌な言い方をすれば家康が豊臣政権に対する干渉
(好意的見方なら運営、悪意的見方なら専横)をやめた結果が史実なのかもしれんが
奉行が壊滅し、徳川が離れた豊臣家が後任の蔵入地の管理担当を
まともに選べるとは思えんし(しかも事実上引き継ぎもなしで)

84 :人間七七四年:2021/12/26(日) 03:34:26.12 ID:1FZBkUGV.net
220万石とかいわれるけど実際は子飼いは含んでないんで徳川と同じ基準で考えたら圧勝してるんやけどな
秀吉の死でまとめ役がおらんようになっただけで

85 :人間七七四年:2021/12/26(日) 09:32:49.11 ID:vLcbU5fs.net
というかそのまとめ役が家康で
ちゃんとまとめて上杉征伐軍を組織して
不意のクーデターもしっかり鎮圧したやん?

86 :人間七七四年:2021/12/26(日) 09:55:38.47 ID:M4Eo0c7b.net
で、政権を乗っ取っとるだけで飽き足らず滅ぼしたと?
鬼畜の仕業じゃん

87 :人間七七四年:2021/12/26(日) 10:07:25.59 ID:f159gZci.net
そりゃ巨城に牢人10万も入れて立て籠り朝廷公認の公儀相手に2度も乱起こしたんだから当たり前
恩顧の福島正則でさえ「天魔の所業」と非難してる

88 :人間七七四年:2021/12/26(日) 10:17:55.02 ID:z7TxxRS9.net
豊臣政権は秀吉の死と三成らの反乱で崩壊した
家康は何も乗っ取ってないよ

89 :人間七七四年:2021/12/26(日) 10:21:13.30 ID:FAxZSSc8.net
その辺ちゃんと研究の潮流追ってる人とそうでない人で認識の差が激しいところよね

90 :人間七七四年:2021/12/26(日) 11:54:02.78 ID:lB1PapsW.net
小さい頃から刷り込まれた自分の中のイメージが一番大事なだけです。研究なんて糞くらえ

91 :人間七七四年:2021/12/26(日) 12:10:06.89 ID:gLnNKxNO.net
>>88
ではなんで二代将軍を秀頼にしなかったの?
これを乗っ取りではないという奴の頭がおかしいのとしか思えない

92 :人間七七四年:2021/12/26(日) 12:29:04.81 ID:z7TxxRS9.net
>>91
何も乗っ取ってないからだよ

93 :人間七七四年:2021/12/26(日) 12:49:56.32 ID:ZYe5PHka.net
>>91
秀頼が目指すべきなのは将軍ではない、関白だ(結局なれなかったが)
そもそも徳川が関白に就任したのではないのだから(奪ったのは摂関家)
全国政権たる豊臣政権において、反家康派が関ヶ原を起こしたことで天下大乱になってしまい、
全国政権としての豊臣政権の価値が大幅に下落したのが痛すぎる
おまけに『豊臣政権を支えても徳川の立場の安寧に繋がらぬ』と家康に認識させてしまった
さらに関白を奪われたことによる政権の象徴の喪失、徳川に征夷大将軍が与えられて
徳川が単独で権威を得ることが出来、豊臣政権を支えるメリットが完全に消えてしまった

結局これを防ぐには関ヶ原そのものを止めるしかない
家康が豊臣政権の藤原氏になる事を認めて、反家康派は黙って排除された方がマシだった
ただし、これは反家康派が豊臣に対する忠を持っていたのならという話であって
御家大事や権勢拡大の野望による挙兵であるのならむしろ関ヶ原は推奨する
各個撃破される前に挙兵というのは単純ではあるが優れたやり方ではあるからだ
ただこの場合、西軍の挙兵を義挙とは絶対に認めんが

94 :人間七七四年:2021/12/26(日) 13:07:40.74 ID:FAxZSSc8.net
秀吉の死亡で豊臣家が政権を担えるだけの実力を喪失してる
上で言ってる人がいる通り、だから秀吉は遺言として徳川に政権丸投げしてそのお神輿として豊臣家の存続をしようとしたけど、それも西軍の挙兵でお神輿としてもご破産
それでも前の天下人の家として尊重されて、年貢徴収なんかも徳川の手を借りて御家としての体裁は整えてたけど
今度は淀派と秀頼派のお家騒動が武力行使にまで行き着いてそれを当人たちで収束もできなかった結果が大坂冬の陣
なんとか和議という形にするが、結局自分たちで入れた牢人の統制も和議条件も守れず暴走、その結果が夏の陣

95 :人間七七四年:2021/12/26(日) 13:09:30.41 ID:Cio0Khb7.net
豊臣オンコを認めるか否かにかかわらず、大坂の陣では大身国主はだれ一人駈け付けてこなかったので、在る。

96 :人間七七四年:2021/12/26(日) 13:23:45.05 ID:a+eZFkj5.net
>>89
建前の話と、実質の話を故意に混ぜられたらね

実際事実上のクーデターを起こしてるのに、名目上の主君担いで謀反人の汚名を避けようは
常套手段だし
世間では三好長慶は主君細川晴元を追放したで終わってますが、実は最初は名目上の主君を
建ててる「細川氏綱」んですよ

しかしそれまでの経緯では、晴元の家臣として氏綱側と交戦してたんだから茶番も
良い所。
幾ら名目上の主君に担いでも、主君の権益を削れば意味なんてないでしょ

主君の蔵入地や直轄領、権益何か削れば名目上の主君なんて何も出来ないし

97 :人間七七四年:2021/12/26(日) 13:32:54.23 ID:FAxZSSc8.net
名目上主君を立てた上で、前主君の遺言から政務任されて、乱が起きたのを収束させたから主君の蔵入地から恩賞出すのは全くおかしくないわね
それとも徳川が自分の領地削って褒美出すのか?それこそ諸侯を私に使ったことになるな
豊臣家が天下を御する実力をなくしたのは秀吉の死が理由であって、家康がなにかをしたからではないな

98 :人間七七四年:2021/12/26(日) 13:33:15.31 ID:a+eZFkj5.net
>>84
確か太閤薨去時点で226万石だった気が
でも豊臣家の仕組みっていざと言う時は豊臣家取り立て大名動員して戦う訳でね

だからさ、クーデター言うなら前田利家死後の七将蜂起と伏見乗っ取りなんよね
現職の豊臣家の奉行を大名が襲うんだから、これ普通に反乱だぞ
現実に戦闘起きてないから見過ごされやすいけど、これ謀反です

利家生きてる時点でやってれば普通に討伐軍出てるでしょうが

99 :人間七七四年:2021/12/26(日) 13:37:21.47 ID:FAxZSSc8.net
うわまた例え話じゃねーか気色悪い
その話も散々別の所で言い負かされて逃げ出した癖にろくすっぽ勉強せずまた繰り返す気か
嘘も百回言えば真実みたいなきしょいことしてないで今までされた批判に対する明確な反証持ってこれるよう勉強しろよ
学ばないくせに自分のわがままだけは通したいなんてダサいことしてんなよ

100 :人間七七四年:2021/12/26(日) 14:29:24.29 ID:vLcbU5fs.net
>>91
なんで摂関家の豊臣氏の秀頼が将軍になんの?

豊臣氏は秀頼で絶えただけで
家康は乗っ取ってないぞ
歴史の授業中ねていた?

101 :人間七七四年:2021/12/26(日) 14:56:12.86 ID:Ru6FRLcT.net
七将襲撃事件は確かに暴力だけど家康がこれを指揮したという証拠は皆無。
ていうか家康は可能な限り三成を庇ってるので七将サイドとは言えない。
勿論七将のしようとした事は三成の暗殺で謀反なんだけど、これを彼等は巧妙に訴訟沙汰に仕立て上げてる。だから謀反とは一概に言えない。
家康の裁定はどちらかというと平穏なもので七将も三成も最小限の被害で済むようにしてる。てかそうしないと加藤清正ら七将を武力討伐とかそういう話になってそうなれば豊臣政権は終わるからね。

102 :人間七七四年:2021/12/26(日) 19:27:52.43 ID:ZYe5PHka.net
>>101
敢えてこの件で家康に文句をつけるのなら、処理が中途半端だったという事か
穏当と言えば聞こえはよいが、見方を変えればその場しのぎ、問題の先送りでしかない
三成とその関係者が表舞台から退場しただけで、石田家その物が消えたわけでもない
派閥争いそのものは何も解決していないのだから(七将側が政権で役職を得たわけでもない)
後に関ヶ原という大爆発が起きた事を考えても、これで良かったのかどうかは何とも言えん

103 :人間七七四年:2021/12/26(日) 20:05:04.91 ID:vLcbU5fs.net
七将「襲撃」と言われる出来事について
実際に軍を起こしたクーデターであったのか
単なる訴訟であったのかはっきりしない

というか当時の史料として出てくるのは
「訴訟」であっていくさや討ち入りではない

104 :人間七七四年:2021/12/26(日) 21:28:28.22 ID:Cio0Khb7.net
龍造寺家をいつの間にか鍋島名義にした鍋島直茂に対し、関ヶ原での不審な動きの罪は問わないから、代わりに主家乗っ取りのノウハウを教えろとせがむ内府であった

105 :人間七七四年:2021/12/26(日) 23:06:47.80 ID:Rv992cQH.net
七将が三成を殺そうとしてたのは間違いない。
ていうか訴状も出してないのに訴訟って言う方が相当無理がある訳で…

106 :人間七七四年:2021/12/26(日) 23:30:20.03 ID:EU/q9+5O.net
関ヶ原で佐賀30万石安堵は龍造寺高房あてだよ
うち西軍に味方した勝茂の直轄領は5千石
高房が死んで検地で35万石が幕府から鍋島あてに朱印状

107 :人間七七四年:2021/12/27(月) 00:32:19.65 ID:f33ciuRm.net
>>105
いっちゃなんだが、豊臣家視点で見るとこの件は訴訟という事にしておいた方が都合がいい
豊臣政権を語る際よくいわれるのが、一門が脆弱で譜代が存在しないという御家の弱さだ
偉大なカリスマの秀吉が死に、秀長も秀次もいない、いるのは幼小の秀頼のみ
こんな状況で将来的に譜代になってもらわなきゃならない子飼いを厳密に処罰したら
大変な事になるのは火を見るより明らかだ
幸いな事に家康が決定的な事(三成の死)が起きる前に仲裁に入ってくれたのだから
これを生かさない手はない、要はこの件を訴訟という事にして幕引きを図るという事
有体に言えば、『お前(三成)が泥をかぶってくれれば、全て丸く収まるのだ』というやり方
まあ最大多数の最大幸福を追求した、三成個人の意思ガン無視の方法だが

108 :人間七七四年:2021/12/27(月) 00:44:58.83 ID:qG+4gAiC.net
三成も秀頼の元に出仕が許されると言ったほんと最低限の処罰だしで裁定としちゃ甘々だしね
しかもこの裁定は高台院と輝元も呼ばれてちゃんと公正な体裁も整えられてる

109 :人間七七四年:2021/12/27(月) 00:49:27.92 ID:qG+4gAiC.net
あっ、失礼三成の息子が秀頼の下に出仕が許されてるね

110 :人間七七四年:2021/12/27(月) 05:12:51.01 ID:36eIH0ye.net
なんか、秀吉死後の豊臣政権の維持に一番貢献して力を尽くしたのって家康のような気がしてならない
毛利、上杉は自家の権益拡大のため惣無事令無視した行動やってるし、宇喜多は宇喜多騒動でガタガタだし
清正正則三成はお互い足の引っ張り合い、そりゃ家康でなくても匙投げるは
なのに一般的な解釈だと真逆で家康が豊臣政権を転覆させようと動いて、他の大名はそれを防ごうとした
歴史の皮肉を感じる。

111 :人間七七四年:2021/12/27(月) 06:26:52.61 ID:lXVxfoeG.net
白峰氏によると三成は関ヶ原の時に奉行に復任してる。
西軍が軍事クーデターによって豊臣政権を掌握したからだという反論も成り立つけど、白峰氏は「三成は奉行を解任されてなかった」と主張する。
てことは家康は三成をクビ、隠居にはせずに謂わば謹慎処分で済ませたことになる。
甘々なんてものじゃなくてかなり三成に同情的な裁定で唯一明らかに損をしたのは改易された福原くらい(まぁこいつはしゃーないところもあるけど)

それが家康に謀反した訳で徳川の史料でも不思議がられてる

112 :人間七七四年:2021/12/27(月) 07:09:01.58 ID:uDUYsrBs.net
その後前田の屈伏半ば強引な上杉征伐
徳川の権力集中を嫌う層には反撃するギリギリの時期

113 :人間七七四年:2021/12/27(月) 07:55:36.10 ID:LyGZa0Gd.net
>>105
訴状が出てないと言うソースは?

114 :人間七七四年:2021/12/27(月) 08:28:02.47 ID:lXVxfoeG.net
一切その史料が残ってないから。逸話レベルですら無い。
足利義輝が横死した時も一応訴状は届いてたって話はあるのにね。だから「七将が三成の何を訴えたのか」は全く分かっていない。
とはいえ七将が三成を殺せばこれは確実に謀反になる。だから形だけでも「訴えたら三成死んだ」とするしかない。つまり七将が訴状と称するものは少なくとも家康には届いてはいたはず(そもそもこの時期裁判出来るのは家康と輝元しかおらず輝元は奉行衆と連んでる以上家康以外訴え先が無い)
ところが、家康はこれを訴状とは思わず単なる陳情だと思ってスルーしてたらしい。それも七将の作戦かもしれんが。

115 :人間七七四年:2021/12/27(月) 08:32:25.57 ID:LyGZa0Gd.net
芳春院の江戸下向を手配したのは
太閤遺命でその職掌を保障されてた
五人の者(所謂五奉行)
上杉征伐も政権として正規の手続きによって
発令されて朝廷も支持した軍事行動

石田三成が罷免されてないとすると
太閤遺命では五人の者(所謂五奉行)の職掌も
触れられてるからその罷免はしなかった
という可能性がある

悪の家康が権力欲しさに策動して
他の奉行はそれを止めようとしたって
バイアスを挟まないと家康は(彼だけが)
政権維持に勤しんでいたって見方できるよね

>>110
文治派武断派とか立場の違いを強調されがちだが
加藤も豊臣家の蔵入りや新占領地支配の代官で
福島も秀次仕置きを差配した奉行で一門
政治的な立ち位置は本来三成に近い

利家と家康の対立、利長謀反の疑いも
政治課題化したのは彼ら
豊臣子飼い一門奉行たちとされてて
むしろその中での権力争いあったと思う

116 :人間七七四年:2021/12/27(月) 08:36:09.64 ID:LyGZa0Gd.net
>>114
同時期の公家の日記なんかでも
三成に切腹を求める訴訟があった
という認識なんよね

逆にそれで訴訟がなかった
後世の逸話集や小説で襲撃だったから
訴訟はなかったはずというのは
ちょっと無理があるなとなるよね

117 :人間七七四年:2021/12/27(月) 08:48:38.69 ID:lXVxfoeG.net
そりゃ七将が三成を殺せば謀反になる。
でも「訴訟しようとしたら三成が(勝手に)死んだ」とすれば問題無くなるからね。
だから形だけ訴訟の体にしたってだけ。当然これは訴訟でもなんでもない。何しろ訴状すら無いのだから。
七将はまず家康に形だけ訴えて大坂で三成を殺害しようとするも失敗、伏見で法廷闘争を本格化させてる。
七将の訴えは訴状が無いのでわからんが公家によれば「三成の切腹」つまり死刑。
この無茶苦茶を家康は交渉を重ねてなんとか押し留めた。

118 :人間七七四年:2021/12/27(月) 08:53:10.77 ID:jPww3QuP.net
史実と創作を判断できないアホがこのスレに多すぎる
;歴史小説を史実と思い込むのだから最早何をか言わんやである

119 :人間七七四年:2021/12/27(月) 09:27:40.75 ID:QNH5QH+3.net
7将というが、10将くらいいたという説もある。蜂須賀家政、藤堂高虎、脇坂安治も参加したとか

120 :人間七七四年:2021/12/27(月) 09:31:38.40 ID:lBmKgMQu.net
慶長四年三月、前田利家は徳川家康を招いて死を覚悟してると伝えた上で息子利長の後見を頼んでる。家康はこれに涙して約束したという。つまり実は慶長四年三月に前田家は徳川の勢力下になってる(何故前田派だった七将が家康を頼ったのかはこれで説明できよう)
閏三月、利家の病状が悪化する中大坂・伏見では騒動が多発している(『北野社家日記』『言経卿記』)
利家の死の僅か24時間以内に七将は三成を襲撃した。これは三成が大坂から伏見に脱出してるので間違いないと見ていい(『言経卿記』)。三成が大坂から伏見に移動した理由は他に説明されていない。

121 :人間七七四年:2021/12/27(月) 09:50:19.81 ID:lBmKgMQu.net
つまり、七将による三成襲撃は失敗に終わったわけでそう言う意味では「三成襲撃事件は無かった」事になったんだけど
じゃあこれが訴訟かと言うとそういう性質は無い。
まぁ当時は「あいつを殺してくれ」というのは暴力より訴訟ととられてた、という事を知ってると訴訟なんだけどね。
七将襲撃に前後して浅野長政が家康に謁見していたらしい。
これは当時、訴訟の申次権は家康を抜いた九人が握っていたんだけど浅野長政は奉行、つまり申次権がある事を利用したんだろう(閏三月五日書状)

122 :人間七七四年:2021/12/27(月) 11:50:20.06 ID:Knhcusl6.net
七将は家康と何回も連絡を取ってる事で「三成襲撃事件は家康の陰謀!」って言う人もいるけどこの時期家康以外にこんな重大事案を裁ける奴は居ないし。
しかも家康は三成を庇ってる訳でとても黒幕とは思えん。
しかも三成の影響も排除しきれてない。

123 :人間七七四年:2021/12/27(月) 12:44:27.49 ID:7PR84d/c.net
>>121
どうしても七将が襲撃した事にしたい気持ちはわかるけど、史料に忠実にいこうよ。
以前の別スレで完全否定されてた人が、それでも独り言を繰り返してたけど、もしかしてキミ?

124 :人間七七四年:2021/12/27(月) 12:52:49.55 ID:2L3F0aKQ.net
>>120
利家生前にも七将は家康の元に駆け付けてるぞ

125 :人間七七四年:2021/12/27(月) 12:53:49.41 ID:2L3F0aKQ.net
>>121
いやそう言う話では全くなくて
同時代史料として三成弾劾の訴訟は記録にあっても
それを唱えた奴が武力行使した記録がないのよ

126 :人間七七四年:2021/12/27(月) 13:29:01.43 ID:Knhcusl6.net
訴訟だとすると三成が何故大坂から伏見に移動したかを説明しないといけない。
襲撃以外の説明が無いからどうしようもできん。

127 :人間七七四年:2021/12/27(月) 15:50:34.90 ID:7PR84d/c.net
>>126
襲撃で記載しているのは、『三河物語』と『看羊録』をあげてたよね、確か。

128 :人間七七四年:2021/12/27(月) 20:00:23.98 ID:lBmKgMQu.net
他に「慶長年中卜斎記」かな。
三成が閏三月四日に伏見に到着してるのは言経卿記にあるから間違いない。問題は何故秀頼の居る大坂からわざわざ伏見にやってきたか。
しかも三成はこの時、毛利に挙兵を依頼してる。何故そんな事をしたのか?
単純な訴訟とは言えない。少なくとも三成からすれば無法に命を奪われる危険性があったのだろう(「閏三月七日付鍋島信房・石井生礼・鍋島生三宛鍋島勝茂書状」だと「三成以外に二、三人このままでは済まない」「伏見では皆武器を持って走り回っている」とあるからかなり緊迫していたようだ)

129 :人間七七四年:2021/12/27(月) 20:09:15.05 ID:2L3F0aKQ.net
えーと(存在しない)襲撃が謀反なら・・・
毛利の挙兵もそれを唆す策謀も謀反ですが

130 :人間七七四年:2021/12/27(月) 20:41:34.50 ID:lBmKgMQu.net
だから輝元はこの要請を黙殺してる(毛利元康宛毛利輝元書状)
無論、もしこの書状を七将らが押収していたらもう舞い上がって喜んだろう。すわ、三成謀反と。ところがこの書状は七将の目に触れる事は無かった。
で、輝元はこの書状にて「まずは家康に会って話をする」ようにそして「辻褄合わせをしておこう」と念を押してる。
だから毛利家の行動(おそらく兵を集めた事)は問題視されなかった。まぁ実際、この時期の伏見大坂は「物騒」「さわぎあり」「誰もが武装している」という一触即発だった。疑問視される事もなかったんだろう。

131 :人間七七四年:2021/12/27(月) 21:33:53.34 ID:CVhaP3dw.net
>>128
いや、皮肉で言ってるんだけど。
『慶長年中卜斎記』に何て記載されてるの?

132 :人間七七四年:2021/12/27(月) 21:38:44.55 ID:lBmKgMQu.net
加藤清正・黒田長政が鉄砲隊三千人を率いて三成の後を追い掛けていた云々とはある。
恐らく三河物語で「佐和山への道中が危ない」に対応してるんだろう(つまりこいつら、全く諦めてない)
鉄砲隊三千人というと長篠合戦並みの兵力なので流石に噂なんだろうけど、家康が結城秀康を付けた事を考えれば火のないところに煙は立たないのかもしれない。

133 :人間七七四年:2021/12/27(月) 21:55:50.39 ID:G+KOMxGt.net
実際は火のない所にいくらでも煙は立つぞ

134 :人間七七四年:2021/12/27(月) 22:06:13.82 ID:G+KOMxGt.net
私的にはその解釈も仮説としてありだよね、あとは決定的な史料出るといいなくらいのもののように見える

135 :人間七七四年:2021/12/27(月) 22:26:09.09 ID:lHsKR4dJ.net
>>110
上杉の阿賀北、庄内、佐渡、新川への侵攻は
秀吉の了解を得てるだろ
毛利の伊予(安国寺)とか筑前(隆景)・筑後(秀包)の領土は秀吉に貰ったんだし

136 :人間七七四年:2021/12/27(月) 22:27:30.97 ID:lHsKR4dJ.net
>>110
失礼
秀吉死後の話か
ごめん

137 :人間七七四年:2021/12/27(月) 22:39:05.11 ID:CVhaP3dw.net
>>132
『慶長年中卜斎記』のその内容、引用元を教えてもらえる?現代訳した研究者がいるということだよね?
原文をキミが訳したのなら、原文を上げてくれても構わない。

138 :人間七七四年:2021/12/27(月) 22:44:46.79 ID:lXVxfoeG.net
ちなみに三成が襲撃された事はしっかり史料に残ってる。それが毛利元康宛毛利輝元書状(46号文書)
この中では三成が小西・寺沢を輝元に派遣し「ねらいたて仕候者、一かう珍事なく、結句手おきたる」と伝えている。では「ねらいたて」とは訴訟か?残念ながらそれは違う。
史料上、この訴訟が始まったのは閏三月五日。訴訟は始まったばかり。「手をおきたる」どころか、七将らは他に手を出せそうな奴を探し回ってる有様(七日鍋島勝茂書状)
ねらいたてとは訴訟ではない。つまり三成は「自分は襲撃された」と輝元に訴えているのだ。
七将らは三成を殺そうとしたが三成はこれを察知して逃走。伏見城に逃げ込んだ。
この時点でもう七将は三成に手を出せない。つまり「結句手おきたる」しかなかった。
ただし七将はまだ諦めてない。諦めてないから毛利に兵を出してくれと要請してる。
光成準治はこの「ねらいたて仕候者」を「わたしの命を狙った者」と現代語訳してるけどそういう意味だろう。

139 :人間七七四年:2021/12/27(月) 22:50:48.63 ID:CVhaP3dw.net
>>138
いや、キミが論拠の一つとした『慶長年中卜斎記』の該当部分の引用元を教えてほしいと言ってるんだけど。

140 :人間七七四年:2021/12/28(火) 01:51:44.58 ID:51xhC5Q7.net
また七将vs石田の重箱の隅で延々と嫌味合戦かよ。
大概にしとかねえと「『豊臣政権崩壊スレ』の崩壊」の二の轍だぞ。
下らねえ枝葉末節じゃなくて、もっと構造を語れ。その構造の運動を語れ。

141 :人間七七四年:2021/12/28(火) 02:03:47.70 ID:77Xq2JqK.net
構造で語りたいならそれ用にスレ作れば?
正直最近出てくる構造だなんだ言うやつ物事を雑にしか見てなくて俺は嫌いだし

142 :人間七七四年:2021/12/28(火) 06:55:26.24 ID:wf3rNPI7.net
>>139
卜斎記だったら普通に置いてない?
光成氏の「関ヶ原前夜」とかにも抜粋されてたはず。
後はインターネットだと戦国時代勢力図とかに載ってたと思うぞ。

143 :人間七七四年:2021/12/28(火) 07:12:13.88 ID:E2MmRWeq.net
>>140
嫌味じゃないでしょ。
ウソをつくのが問題。

144 :人間七七四年:2021/12/28(火) 07:16:54.02 ID:E2MmRWeq.net
>>142
>>132の内容をどこから拾ったのか教えて欲しいわけ。
光成の著書に、該当箇所の記載はないよ。
知らないだけかもしれないので、キミが教えてくれてもいいよ。

145 :人間七七四年:2021/12/28(火) 09:15:11.82 ID:ydgCIEtN.net
七将が三成を武力攻撃したのは46号文書からして間違いない。てかもしこれが単なる訴訟だとすると三成は訴えられただけで「ねらいたて」られたと騒いで裁定も出ない内から毛利に挙兵を求めるヤバい奴になってしまう。

146 :人間七七四年:2021/12/28(火) 09:27:29.66 ID:M4SqDjSc.net
>間違いない

こういう脳内妄想にはもう笑うしかないね

147 :人間七七四年:2021/12/28(火) 09:54:28.04 ID:77Xq2JqK.net
根拠にしてる46号文書は白峰氏が七将事件の時のじゃなくねと言ってるやつじゃないの?

148 :人間七七四年:2021/12/28(火) 12:19:33.53 ID:E2MmRWeq.net
>>145
いいからお前は、>>139に回答してから書き込め
このウソツキ野郎が

149 :人間七七四年:2021/12/28(火) 13:36:08.10 ID:ydgCIEtN.net
46号文書が七将襲撃以後のものだ、という主張はかなり厳しい。問題がいくつもある。
白峰氏はこれを上杉討伐前、慶長五年六月としてるけど
まず三成が輝元に送った使者に寺沢の名があるが、寺沢正成は三成の佐和山蟄居以後に徳川に急接近していて関ヶ原では東軍についている(戦後天草四万石に封じられる)。こんなバリバリの徳川派を三成が使者にする筈もない。また仮にそうだとすると徳川は西軍決起計画を全て察知していた事になる。
第二に、46号文書には「昨日、内府・景勝縁辺の使、互いに増右案内者により調い候」とある。徳川と上杉が婚姻する云々とある訳だが、慶長五年六月時点で上杉討伐は豊臣公儀が決定している(十六日に家康を総大将に出発)
この時期に、徳川と上杉が婚姻を模索なんてまず考えられないてか有り得ない。増田長盛が嘘をついたにしてもこんな非現実的な嘘をつく理由が無い。
第三に、この書状が関ヶ原のものならこれは西軍決起に毛利が関わっていた重要証拠になる。そんなものを残すのは危険過ぎる。
つまりあらゆる点で慶長五年説は成り立たない。白峰氏も「読者の判断に任せる」と弱気なのも宜なるかな。
光成氏が提唱するように、46号文書は七将襲撃事件のものだという事になる。

150 :人間七七四年:2021/12/28(火) 13:43:37.56 ID:BqzJy0GQ.net
七将襲撃のスレ立てろよ

151 :人間七七四年:2021/12/28(火) 14:20:48.26 ID:e2o+bbkX.net
>>149
なるほど、白峰説は主張として難しいと言ってる訳ね、理解した

慶長年中卜斎記の該当部分についての引用元を知りたがってる人がいるんで、そこも書いてもらえると助かる

152 :人間七七四年:2021/12/28(火) 20:29:54.53 ID:Nm1yskpp.net
訴訟は三成の切腹を要求したもので
狙われてんのは確かじゃね?

それを挙兵でねじ伏せようとすんのは
確かにヤベぇかもだが
それ実際やったのが関ヶ原じゃ

153 :人間七七四年:2021/12/29(水) 00:05:12.47 ID:2nm0MDVV.net
偏諱を受けたものなら木村吉清や大谷吉継が挙げられるが、「吉」と「秀」で使い分けをしていたのだろうか

154 :人間七七四年:2021/12/29(水) 00:09:11.69 ID:PgCDygan.net
大谷の吉は多分大谷氏の通字じゃないか?

155 :人間七七四年:2021/12/29(水) 00:43:22.09 ID:U4NAFhcq.net
>>149
成程ね、確かに寺沢はこの時点では奉行衆に近いけどその後徳川方に寝返りだし

156 :人間七七四年:2021/12/29(水) 07:01:17.27 ID:+uvL4s0O.net
白峰氏は「関ヶ原は家康の陰謀だった」って主張が強いから…
だから寺沢がいるのは徳川のスパイだったからでつまり家康は上杉討伐に行けば三成が決起すると分かってた。
更に、吉川広家が「輝元は巻き込まれただけ」と弁明して講和を結ぶ訳だけどこれも家康の茶番だったことになる。46号文書が慶長五年六月だとすると家康は輝元が主導的立場だと知ってた訳だから。
こういう結論に導きたくて作ったような主張なんだよなぁ

157 :人間七七四年:2021/12/29(水) 08:46:43.26 ID:vPEjvkyg.net
寺沢云々は置いといて
こんな大規模な謀反を家康側に一切知られることなく計画・準備するなんて出来るの?

158 :人間七七四年:2021/12/29(水) 09:59:55.04 ID:PgCDygan.net
どうも石田、宇喜多の動きはおかしそうだ程度は掴んでたみたいだけど、それに毛利が噛んでるとは一切把握してなかった
なんなら不在時に万が一不慮の事があったら毛利が伏見の留守勢に加わってちゃんと火消しするだろうくらいの認識だったっぽい

159 :人間七七四年:2021/12/29(水) 10:28:30.71 ID:U4NAFhcq.net
>>158
実の所、こういう時は恣意的に撒かれた欺瞞情報も沢山拡散しますし

スターリンの所には、バルバロッサ作戦の保々完全な情報が報告されてた事は良く知られて
ますよ
只、スターリンがこれを米英が恣意的に流した欺瞞情報だと判断しただけでね
実際そういう謀略も多いので、一概に馬鹿だともいえない

家康は当然奉行衆の挙兵は読んでたはず、只毛利が乗ると言う予想じゃなかっただけだろ
寧ろ、家康はわざと挙兵機会を与えてる様にみえますね

160 :人間七七四年:2021/12/29(水) 10:58:21.05 ID:PgCDygan.net
絡んでくるな、したいなら反証持ってこいつったはずだぞ例え話荒らし、日本語もわからんのか?

161 :人間七七四年:2021/12/29(水) 11:00:56.10 ID:PgCDygan.net
てかこいつ、普段と違って句点のない文章を同IDで書いてんな
これでIDもコロコロしてたなら、普段から別人装って燃料投下とかしてそうだな

162 :人間七七四年:2021/12/29(水) 11:45:13.63 ID:bL4NHE/m.net
事前に掴んでいたら石田三成か石田重家を強制的に征伐軍に入れる、だとか毛利の周りに一声掛けて準備を促すとかしておくだろう。
三河物語だと「三成は命を助けられたのに何故か恩と思わず謀反を企んだ」としているから徳川はまるで三成の動機がわからなかったらしい。でっち上げでも作ってないし。
家康暗殺計画が発覚した時には三成に前田利長の上洛を阻止しろと命令して大谷吉継と共に兵を率いさせてるっていうし
徳川は完全に無警戒だったんじゃないか。

163 :人間七七四年:2021/12/29(水) 11:53:33.93 ID:PgCDygan.net
なんかちょっときな臭いがイコール挙兵準備してるまで繋がるかと言ったら絶対にノーだしね

164 :人間七七四年:2021/12/29(水) 13:07:08.78 ID:rV6BLWbW.net
関ヶ原って実は家康大していいとこないどころかやらかしまくったのに勝っちゃったもんだから
後世神格化でいろいろ盛ったのを家康の謀略だった、全てお見通しだったってことになった感
「逆神君史観」だな

165 :人間七七四年:2021/12/29(水) 13:53:00.06 ID:2xtJg9Mh.net
関ヶ原は西軍が勝手に盛り上がって勝手に自滅しただけという感じ
家康の味方は少ないと思ってたようだが、自分たちの方が味方が少ないとは思ってなかった模様

166 :人間七七四年:2021/12/29(水) 14:12:57.39 ID:B4WIpkk+.net
だな。
家康は何か特別な事をしたわけでなく、普通に職務対応していただけ。
西軍の自滅。

167 :人間七七四年:2021/12/29(水) 14:13:01.23 ID:U4NAFhcq.net
歴史の中にいる人は、物事の結末が見えてる訳では無いって事を無視する人が
多すぎると思うんだよ
後から考えれば、何でそんなに楽感視してたんだろって結末も多いし、自分で上手く
事態をコントロールできるって幻想も多い

スターリンの大粛清の資料に、[マリア.スワニーゼの日記]という物がありまして

この人はスターリンの最初の妻の親族で、義理の姉にあたるひとなんですね
大粛清がどんどん拡大して行き、幹部まで不安に駆られる様子が書かれてます
でも、それでも自分は大丈夫と思い込んでた訳、逮捕される直前まで日記かいてるし

168 :人間七七四年:2021/12/29(水) 15:11:12.02 ID:9EG8/UPy.net
まともな人はまともに対応し続けて信用が生まれてて、だから政権任されて更に信用が生まれてのサイクルをして
逆に重石いなくなったし好き勝手したれをした連中が順当に見放されて政争で負けて、逆転賭けて挙兵して序盤は上手く行ったけどやっぱりダメで当然負けたって感じよね

169 :人間七七四年:2021/12/29(水) 15:12:39.99 ID:9EG8/UPy.net
まともな事をまともにできなきゃ当然誰からも信用されないっていう、当たり前の話

170 :人間七七四年:2021/12/29(水) 15:31:16.24 ID:bL4NHE/m.net
だからこそ、石田三成が本当に関ヶ原の主役だったかは疑問があると思う。
確かに彼は七将に襲撃されて挙句佐和山に帰国させられるっていう被害者ではあるんだが、白峰氏によると関ヶ原の時に三成は奉行を名乗ってるからどうも奉行を解任はされてはかったらしい(クーデターによって無理矢理復任した可能性もあるけど)
だとしたら三成を守ったのは徳川家康だろう。公家の日記では「隠居」となってるけどこれは表向きのプレスに過ぎんかった事になる。しかも嫡男・重家の出仕は認められてるから石田家の命脈は尽きてない。さらに重家は家康に凄い目を掛けられていた(看羊録)っていうからここから石田家勃興の可能性はかなり高い。
あくまで可能性の世界だけど、毛利の挙兵をここぞばかりに家康に注進に行く未来もあり得たはず。そうなっていたら…
家康の事がよほど嫌いだったか。若しくは七将らが家康の近くに居て行くに行けなかったのか…

171 :人間七七四年:2021/12/29(水) 16:34:57.22 ID:PgCDygan.net
>>170
クーデター軍の自称奉行として復任は普通にあるし、七将の事件以後から挙兵までの間に奉行としての行動が見れないから解任、あるいは権限は停止してはいたと見る方が妥当なのでは
また、美濃方面へ行ってからの他の連中やる気がなくてって嘆いてる書状的にも石田から上杉宛内府ちがひの条々がより過激な内容になってるの的にも、挙兵計画の途中からか最初からかは知らないがやはり西軍首脳の一人だったと見る方がやはりいいんじゃない?
好悪か俺だって秀吉のように成り上がれるって野心かは知らないが

172 :人間七七四年:2021/12/29(水) 19:46:38.21 ID:TjcPE58S.net
力関係として西軍のトップではない
形式上も総大将は毛利だしね

ただ少なくとも西軍挙兵の当初から
書状類で三成は増田長束前田と並んで
首謀者の一人と目されてて
積極的に動いてはいたんじゃないかな

173 :人間七七四年:2021/12/29(水) 19:49:58.56 ID:/lwZzJem.net
いわゆる西軍が挙兵して伏見城が玉砕するけど

鳥居元忠が総州矢作から急に伏見留守居に呼び出されてるのは
やっぱり何か読みというか予感というかあったのかな?
元忠、それまで伏見と関わりないんじゃないの?

174 :人間七七四年:2021/12/29(水) 20:05:48.62 ID:OMjAEe1E.net
万が一何かあった時に十分対応ができる老練な人物が鳥居なんでしょ
何か起きた場合、一時的とは言え周りの諸侯に指揮をせにゃならんかもしれんのだから

175 :人間七七四年:2021/12/29(水) 20:05:50.42 ID:OMjAEe1E.net
万が一何かあった時に十分対応ができる老練な人物が鳥居なんでしょ
何か起きた場合、一時的とは言え周りの諸侯に指揮をせにゃならんかもしれんのだから

176 :人間七七四年:2021/12/29(水) 20:14:52.87 ID:KEwKkGPI.net
伏見と関わりがなかったてのはマジで?
上方に行くことなく常に国許にいたってこと?

177 :人間七七四年:2021/12/29(水) 22:08:16.92 ID:+uvL4s0O.net
鳥居元忠は1590年以後は下総国矢作城辺りを貰っていてここの支配に力を注いでいたっていうから家康のお供とかじゃなければ基本ここに居たんじゃないかな。
伏見城を任せた人事の理由は家康と元忠しかわからん話かもしれないけど、元忠は基本徳川にとって戦略上重要でかつ危険なところを任されてる(旧小山田支配の岩殿、旧北条の矢作)っていうから今回もそうした理由なんじゃないかな。

178 :人間七七四年:2021/12/29(水) 22:38:19.37 ID:PgCDygan.net
万に近い同格あるいはそれ以上の将兵を率いた経験があって、諸侯から舐められづらい年齢と経歴とを兼ね備えた徳川の直臣ってなると徳川の中でも選択肢は絞られる
何も起きないだろうと思っていても万が一の為に保険は打たなきゃダメだし、その際に徳川の名代を諸侯から文句なく勤められる人物を留守にしなきゃいけないとなったら、鳥居元忠以上の人材はそうは居ないでしょ

179 :人間七七四年:2021/12/29(水) 23:38:33.51 ID:KEwKkGPI.net
そんなに不自然な配置かね

鳥居元忠確かに国許での検地とかしてる史料あるが
主君の家康はずっと名護屋や伏見にいた訳だし
その配下も別にずっと国許で動かない
って方が異常な状況だったと思うけど

180 :人間七七四年:2021/12/30(木) 09:18:20.68 ID:R8Xxu61S.net
むしろだからこそ逆に、国許から動かなかったのかもしれない。家康が伏見・大坂で政務をとる(そしてイニシアチブをとる)為にも本国の安寧は絶対に必要。故に家臣団を総動員してたんじゃなかろうか。

元忠は戦術面でも有能だけどどちらかというと戦略家としての活躍が強い。だから家康としては仮に叛乱が起きても敵に出来るのはせいぜい大坂城を攻めるか伏見城で小競り合いが起きる程度って認識だったんじゃないかな。最悪の場合は当然お互い覚悟していたろうけど。

181 :人間七七四年:2021/12/30(木) 10:53:26.21 ID:kLucdsLR.net
いや鳥居元忠は知らんけど普通に
家康家臣団上方にも名護屋にもいたぞ
家臣団総出で国許守って単身赴任とかないない

攻め滅ぼされるの前提で老臣を・・・
鳥居も承知で主君の天下のため・・・
みたいのは逸話でしかないだろうけど

182 :人間七七四年:2021/12/30(木) 12:58:58.39 ID:8NFN1dXk.net
あの場合、上方で挙兵する奴が居るだろうって予想は極めて普通ですからね
問題は、大阪城に入って明確に秀頼担ぐ形になるのか如何かって事でして
史実の様に、大阪城に入った奉行が宇喜多、毛利二大老招くって形予想してたかですね

実際に西軍が膨れ上がるって形に成った場合、伏見城が簡単に開城したり守将が逃亡したりすると
徳川方の士気に深刻な影響が出てしまいます
誰だって優勢な方に付きたいんですから数日で伏見落城とかすればね
つまり、伏見城の守将は勝ち目がないのに時間稼ぎしなければ成らない訳で

西軍が膨れ上がった場合でも、全滅するまで戦えって事ですから鳥居しか
居ないでしょう
藤堂高虎あたりなら普通に逃亡すると思うので

183 :人間七七四年:2021/12/30(木) 13:23:21.25 ID:aWDff+Uq.net
鳥居元忠は留守を任せるのに相応しい人物というだけで徳川が挙兵に気づいてた、気づけたと言うことは一切ないというのが
まともな人たちの総評

184 :人間七七四年:2021/12/30(木) 13:32:37.03 ID:kLucdsLR.net
そもそも内府は正式に政権のトップであって
専横を進めて行ったとか政敵を排除してたとか
ってのは後付けだよな

185 :人間七七四年:2021/12/30(木) 13:35:15.28 ID:V4G7Nz+r.net
秀吉の遺言だからな
その遺言も朝廷人事や大名間の婚姻の件でムチャクチャ言ってるけど

186 :人間七七四年:2021/12/30(木) 14:04:12.55 ID:8NFN1dXk.net
既にあの時点で豊臣家の蔵入地を勝手に自分一人の判断で自派の大名に分配してるからね

当然反徳川の挙兵が起きる事は予想してると思うぞ
豊臣家の領地を勝手に削るんだから、徳川の傘下に入らない大名には何が起きても不思議じゃ
ないんですから

反徳川派が挙兵してくれれば領地没収の口実が出来てありがたいので寧ろ奨励
でも負けてしまえば意味が無いので鎮圧出来る程度に反乱をコントロールしなければ
ならないと

あの規模の挙兵が完全に秘密に出来る訳が無いでしょ、勿論読んでるよ家康は
というか、挙兵しない場合「竜に一人ずつ食われていく」になるだけだぞ

187 :人間七七四年:2021/12/30(木) 14:06:12.64 ID:aWDff+Uq.net
政敵排除に至っては完全に落ち度なお家騒動を自前で解決できない宇喜多を改易どころか減封にもしないし
秀吉遺言に背いて別家創設有耶無耶にしようとした毛利もお咎めなしっていう
後付けにしてももっとちゃんと調べろよレベルの話だしね

188 :人間七七四年:2021/12/30(木) 14:26:36.22 ID:V4G7Nz+r.net
最近だと七将事件も甘々裁定で石田三成は蟄居謹慎のみだったと言われてるから家康としては何事も穏便にな方向性だったようだな
政権引き継ぎ時は既得権益の兼ね合いから無茶しづらい
それで上杉あたりには舐められてた可能性がある
毛利奉行衆は逆に既得権益を奪われると思ったんだろうが

189 :人間七七四年:2021/12/30(木) 15:35:43.63 ID:kLucdsLR.net
諸々の加増も仕置きも豊臣政権トップとして
正式に沙汰してる話だよ

190 :人間七七四年:2021/12/30(木) 15:54:27.13 ID:cOKrlnsp.net
関が原がああいう決着になったことを踏まえると
家康による政権運営が受け入れられてたからこそのクーデターという見方もできるわな

191 :人間七七四年:2021/12/30(木) 16:07:39.00 ID:V4G7Nz+r.net
秀頼は幼少すぎるし豊臣の子飼いたちは奉行衆含めて派閥争いが収まらない
利家は死ぬし秀家はお家騒動だし輝元と景勝は秀吉からの信任が家康未満
消去法でも家康一強になって朝廷ですら家康を頼ることになる

192 :人間七七四年:2021/12/30(木) 17:15:51.44 ID:aWDff+Uq.net
実際慶長4年に朝廷から三献の儀を受けて家康は天下人として朝廷から認められてるね

193 :人間七七四年:2021/12/30(木) 17:46:01.99 ID:R8Xxu61S.net
慶長四年三月に利家は家康を屋敷に招く訳だけどここで凄い事が起きてる。その席で利家は死期を悟ってると家康に告げて「利長のことを頼む」と頼み込んだ。家康はこれに涙して承ったという(利家公御代覚書)
実際、三月八日には宇喜多秀家との間で起請文が交わされ利長の大老就任が内定、同月二十四日には利長は徳川秀忠に書状を送り「内府のおかげで上方は平穏である」と感謝して自分の「御ひきたて」を頼んでる。

194 :人間七七四年:2021/12/30(木) 17:54:32.90 ID:R8Xxu61S.net
つまり、定説では「利家が死んで家康の権源が拡大した。利家だけが家康を止められた」って言われるけどそれは正確じゃないんじゃなかろうか。
正しくは「利家が死に際して、家康に前田派を合流させたので徳川に全ての権源が集中した」となるんじゃないか。
そもそも、秀吉の遺言にあるとおり家康と利家は天下を二分してる。ところが、それが一つになってしまった。
徳川が全てを差配するのは当たり前で、今まで利家が行っていた業務も家康がやらないといけなくなってしまった。そうなれば誰もが家康を、徳川を頼る。益々徳川の力は強くなる。
完全にバランスは崩壊して、徳川一強になるのは当然の帰結だったんじゃなかろうか。

195 :人間七七四年:2021/12/30(木) 18:40:54.36 ID:jrB8g9nt.net
利長・秀忠の大老引き継ぎは秀吉遺言で決まっているから
そんなに取り立てて問題にすることでもないだろう、追認はあっただろうが

196 :人間七七四年:2021/12/30(木) 19:18:06.62 ID:V4G7Nz+r.net
関ヶ原が無くても家康筆頭体制は変わらない
ただ征夷大将軍は受けなかったかもしれない

197 :人間七七四年:2021/12/30(木) 20:14:47.81 ID:SE5TbPKg.net
何事もなく上杉が潰れたら次は宇喜多毛利の番になる可能性が高い
理由は何とでも付けられる

198 :人間七七四年:2021/12/30(木) 20:17:36.49 ID:aWDff+Uq.net
中央政権に従わない諸侯なら、順当に征伐されるってだけの話よな

199 :人間七七四年:2021/12/30(木) 20:24:51.69 ID:c4aopRt1.net
朝廷から天下人に認められても秀頼はそのまま担いでいればいいし、なんなら淀と家康の婚姻という秀吉の遺言とされてるのを履行して豊臣と徳川を一体の家にしてしまえばいい

200 :人間七七四年:2021/12/30(木) 20:48:26.52 ID:CLHabE/g.net
>>197
豊臣政権の名の元に中央の統制に従わぬ諸侯を討伐するのなら、結構なことじゃないか
史実は豊臣政権自体が分裂状態になったから豊臣の権威が低下したんだぜ
個別に討伐される場合、政権の名の元に討伐されるのだから、逆に豊臣の権威が高まる
そうなれば、家康も『豊臣を支えれば、それを支える徳川の権威も高まる』と考えるのだから
別の権威をわざわざ打ち立てる必要もない(つまり、征夷大将軍になる必要がない)
つまり『本当に反家康派が豊臣に対して忠の心を持っているのなら』、
黙って家康に各個撃破されて政権の礎として屍になった方がよかったと言える
そうなれば豊臣が政権安寧の為の実績を次々と重ねたことになるから、
秀頼が関白に就任できる可能性も大幅に上がったろうに、反家康派も馬鹿な事をしたものだ

201 :人間七七四年:2021/12/31(金) 11:48:48.56 ID:aDw3ku3E.net
家康が各個撃破してくと言っても
利家との対立も利長の弾劾も
むしろ奉行含む豊臣恩顧武将が
煽ってたり主導してたりする

202 :人間七七四年:2021/12/31(金) 12:15:31.37 ID:AfYym+Y5.net
諸侯中唯一徳川家だけ大臣職にし直接秀頼と二重に縁戚関係結んでることからも
秀吉の構想は豊徳一体化だったとしか思えないな
この縁戚関係って秀吉の重要な政治宣言だと思うんだが
家康を繋ぎ止めるための政略程度にしか扱われてないのが不思議
いわゆる私婚問題の当事者たちは秀吉の構想を理解し受け入れていたからこそ縁談に応じたし
三成ら奉行衆や毛利は逆に危機感と焦りを覚えたからこそ秀吉死後即座に結託し
合議制をゴリ押ししたと考えるほうが自然

203 :人間七七四年:2021/12/31(金) 12:21:04.31 ID:rAYFcplV.net
>>202
私的にもその解釈が妥当と考えるわ
ぶっちぎりの厚遇だしね

204 :人間七七四年:2021/12/31(金) 13:10:08.25 ID:Paq3O9Cs.net
秀吉の死後に淀を家康に輿入れさせようとしたのは俗説なのかね

205 :人間七七四年:2021/12/31(金) 13:28:11.03 ID:iYfT3BJB.net
>>204
別スレで複数の史料に記載が見られるという話があったな
ただ、いずれも伝聞という形なので決定的証拠が出ていない、という形だった筈だ

206 :人間七七四年:2021/12/31(金) 13:38:06.23 ID:aDw3ku3E.net
元々の政権構想では多分トップ秀次を
一門最有力の家康が支える体制だったはず
国内統一最終段階の東北仕置きで試運転した

それが秀次を排除した後の家康は
御掟でそれまでそんな立場になかった他の4人と
一緒に連署する立場とされた
とは言え元々の地位の違いも温存されたまま

秀吉の晩年は元々の家康が支える構想と
バランスを取る(家康の影響を削ぐ)構想と
両方が政権内に混在してて秀吉自身も
どちらと明確に示せてなかった
と個人的には考えてる

207 :人間七七四年:2021/12/31(金) 13:52:44.86 ID:NwvtxplM.net
>>189
関ヶ原前に、家康が勝手に加増したり懲罰した事例をちゃんと調べれば家康の本音は
普通の知能がある奴なら容易に分かるぞ

先ず加増は、徳川前田の対立の時に伏見に駆けつけた大名になされてる。家康の屋敷に
駆けつけた事が武功扱いって事だ
これが意味する事は、前田利家に味方した大名は恐怖で夜も眠れないって事だな
家康の屋敷に駆けつけた事が武功なら、あれは事実上のクーデターと認識してるって事

更に家康暗殺未遂事件があったという口実で、五奉行の一人浅野を蟄居。
浅野は自領の甲斐では無くて、徳川領内まで移動。当主自ら自主的に人質になるって
屈辱的な事を自主的にしたって事だ

この上で、前田利長の生母を人質に要求。更に問題なのは当初は建前が豊臣家に対する
人質だったので上方に送るだったのに家康が自領に拉致
此処までやらかして家康の本音分からないなら馬鹿でしょう

208 :人間七七四年:2021/12/31(金) 14:00:01.55 ID:rAYFcplV.net
連署と言えども浅野家遺言の書き方でも唯一秀吉が家康に対して敬語を用いる記述だったりとしっかり差別化つけてるよ

ぶっちゃけここで家康が専横してたとかバカな事言ってるの、研究ろくすっぽ読まずに妄想ぶちまけてる頭おかしいのだけでしょ

209 :人間七七四年:2021/12/31(金) 14:32:38.35 ID:FYiq/W8C.net
>>207
ちゃんと調べたら別に勝手にやった訳じゃなく
奉行も噛んでるのわかるよ

210 :人間七七四年:2021/12/31(金) 15:04:36.55 ID:IsyAPZZA.net
>>205
結局織田の血が欲しかったって話しなんじゃないかと思うがね。主筋の血を入れて正当化を図るなんていつの時代にも行われたことだし

211 :人間七七四年:2021/12/31(金) 15:32:48.67 ID:koalt6io.net
秀吉が淀と家康の婚姻を遺言をしたという伝聞があるという話に対しての反応が織田の血を入れたかったってなんだ?

212 :人間七七四年:2021/12/31(金) 15:36:58.70 ID:juoXHzS/.net
>>205
有名な「家康と淀君を結婚させて秀頼を後見させる」のソースは多分看羊録かな。看羊録に「秀吉は家康に、秀頼の母を室として政を後見させ、成人を待ってのち、政権を返させるようにした…だが淀君は大野治長と通じていて妊娠していたのでこれを拒絶した。家康は怒り、治長を捕らえて関東に流し途中ぇ死を与えた」とある。
家康と淀君の結婚は多聞院日記に話が出てくるので実際に取り沙汰されたんだろう。また、淀君と治長の密通も10月1日付 内藤元家宛 内藤隆春書状に出てくる。
本当かはわからんが、かなり胡乱な状況だったみたい。

213 :人間七七四年:2021/12/31(金) 15:58:11.46 ID:KyKl+RUw.net
>>208
それ前もこの板でみたけど誰の研究か教えてほしい
被成の使い方も含めて解説されているとありがたんだが

214 :人間七七四年:2021/12/31(金) 16:15:18.79 ID:FYiq/W8C.net
まあ当時のゴシップなんだろね
淀と家康も大野の不倫も

215 :人間七七四年:2021/12/31(金) 16:36:51.43 ID:rAYFcplV.net
>>213
被成(なられる)がどこにかかるか、古文としての読み方の話なんで研究は申し訳ないが知らない
本多隆成氏あたりの研究に記述ないかなぁ

諸職被成御肝煎候へと 御意候の場合は、被成は御肝煎にかかる
対して
惣廻御肝煎候へと被成 御意候の場合は被成は御意候にかかるって感じ

文中で記述者から秀吉、秀頼に対する敬称としての被成と、秀吉から家康に対しての被成とが混じってるからややこしいのよね

216 :人間七七四年:2021/12/31(金) 17:42:58.22 ID:ECByVgrS.net
全く関係ない3つの資料に同じ内容で出てきてるし、内容が具体的すぎるから
ゴシップとかただの噂話って言うより誰かが意図的に流した情報って感じするけどな
看羊録や多聞院日記はともかく、内藤隆春は正確な情報を伝達しなきゃならない立場だし

217 :人間七七四年:2021/12/31(金) 18:41:10.31 ID:KyKl+RUw.net
>>215
本多隆成氏の単著だと最近関ヶ原前後の本出してないし論文の方かな
桑田長親氏の現代語訳だとそんなにひっかかる気もしないから解説ちゃんと見てみたい

あと内府は殿つけないのが普通なのか、景勝・輝元は呼び捨てなんだ、
この文書書いたのは浅野家だから敬語表現は浅野家側からじゃないのか辺りが覚書読んだ感想

218 :人間七七四年:2021/12/31(金) 21:33:06.66 ID:NwvtxplM.net
>>208
じゃあ、関ヶ原前に家康が自分一人で決めて豊臣家の蔵入地削った理由は?
あれは如何考えても、徳川前田の対立の時に伏見の徳川屋敷に駆けつけた大名に
対する論功行賞にしか見えないぞ

家康が老獪で食えないと思うのは、こういう所なんだよね
ある意味分かり安い政治的宣伝を堂々とやる

219 :人間七七四年:2021/12/31(金) 21:42:01.46 ID:rAYFcplV.net
散々奉行も関わってる豊臣公儀としての行為ってのを説明してるのに認めないで喚くの本気で気持ち悪い
聞く気がない、理解する気がないなら絡むなって何度も言ってんだろ、鳥頭

220 :人間七七四年:2021/12/31(金) 21:45:07.14 ID:xPyFtAE7.net
別にあの時期加増を受けたのは伏見にきた連中ばかりじゃ無いと思うんだが…

221 :人間七七四年:2021/12/31(金) 21:50:34.62 ID:iYfT3BJB.net
>>218
またその話やるの?もう面倒くさくなってんだけど
先に言っとくけど、単独の花押だの云々に話しそらそうとするのもやめろよ、それも前やったし
関係ない時代の話して主張ごり押すのもやめろよ、それも前やったから

222 :人間七七四年:2022/01/01(土) 15:42:04.34 ID:y1FbI/1b.net
秀吉死後の研究本としては「秀吉は家康政権を遺言していた」(高橋陽介)だとか「関ヶ原合戦」(笠谷和比古)とか色々あるけど、
秀吉が生きてる間から家康・利家を最高指導者とする体制は作られつつあり、それが秀吉の死とその後の政治不安によって家康独裁制になっていったとしてるね。
てか会津討伐前ってもう五大老といっても輝元は家康を「父兄の思ひを成す」としていて、利長は家康の後見を受ける身だから実質家康と景勝と秀家しかおらん。そして景勝は領国にいるからそもそも合議なんかできないんじゃないか?

223 :人間七七四年:2022/01/01(土) 16:24:49.55 ID:sH+k0wYH.net
ゆえにそもそもここで合議だったなんて言ってるのは普段から荒らしてるやつ程度

224 :人間七七四年:2022/01/01(土) 16:49:26.20 ID:se+xm7Q5.net
太閤の遺言とされるものはいくつか伝わるが
合議制にしろなんて内容のものはないのよ

225 :人間七七四年:2022/01/01(土) 17:04:13.70 ID:y1FbI/1b.net
森忠政の加増も奉行衆が動いてるから豊臣政権公認だった可能性もあるらしいね。へぇ…

226 :人間七七四年:2022/01/01(土) 18:33:19.00 ID:Sgw5csWN.net
堀越祐一氏の「豊臣政権の権力構造」が秀吉死後の知行宛行について詳しい

227 :人間七七四年:2022/01/01(土) 21:20:01.71 ID:y1FbI/1b.net
慶長五年の加増は上杉とのいざこざが関わってたりするのかな?
森忠政等の加増は二月一日らしいけど、この二月には堀秀治らから「上杉に謀反の動き」が報告されてる。
堀氏は上杉が転封された時に嫌がらせされて以来、景勝と三成を憎悪して徳川に近付いてる。だからこの時期、家康のところに盛んに中進してたんじゃないか?
だとしたら家康も最悪の場合に備える必要があるわけで…

228 :人間七七四年:2022/01/01(土) 21:32:36.96 ID:4pwh70N8.net
わからん、研究でこの辺について詳しく調べてる人いたら是非とも読んでみたいが

229 :人間七七四年:2022/01/02(日) 09:36:39.58 ID:BUPvcnyA.net
森忠政って三成に対してなんか罵詈雑言浴びせたとかあったけど、やっぱり三成ら奉行衆を恨んでいたのかなぁ

230 :人間七七四年:2022/01/03(月) 00:14:51.31 ID:Mq5sM7nQ.net
こいつは渡海もしてないし対した恨みがあるとは思えない
川中島への国替えで思いどおりにならなかったとかそんな理由だろう

231 :人間七七四年:2022/01/03(月) 13:57:00.66 ID:V09MHXzI.net
>>217
内府については秀吉に限らず他の武将の書状でも殿をつけてる書状は見たことないな
「内府様」なら秀吉の死後各武将の書状で散見されるようになるけど

232 :人間七七四年:2022/01/03(月) 17:39:33.06 ID:+ef3WbCj.net
>>231
へえ不思議だ
親愛表現だとしたら秀吉が呼び捨てにするのはわかるが、秀吉生前から目下の者たちが様・殿つけないのは不自然だし

大納言、中納言3人は殿ついているんでどういう使い分けなんだろうか

233 :人間七七四年:2022/01/03(月) 18:41:48.20 ID:jArG7hCl.net
神子田正治 備中庭瀬1万2000石
尾藤知宣   讃岐宇多津5万石
戸田勝隆   伊予板島7万石+蔵入地代官10万石

234 :人間七七四年:2022/01/03(月) 19:05:35.77 ID:jslF1B7T.net
>>229
そう言えば森忠政って関ヶ原の翌年、家康が参内した時御供した四人の内の一人だな
ちなみに他は井伊直政、織田長益、最上義光だね

235 :人間七七四年:2022/01/03(月) 19:15:46.60 ID:OCJTxPZe.net
何でか知らんけど森忠政凄い家康に恩を感じてるっぽいのよね。
川中島をくれる約束を反故にしてた三成を追いやってくれたと感じていたのかな

236 :人間七七四年:2022/01/03(月) 19:29:14.28 ID:Cs8nEUX4.net
川中島復帰は奉行が動いているから豊家の意思て話じゃなかったか
事前に復帰の約束が固まってたのかね

237 :人間七七四年:2022/01/03(月) 20:01:28.17 ID:G9D/QgoQ.net
>>234
お供の人選の基準がよくわからんなぁ

238 :人間七七四年:2022/01/03(月) 20:37:46.27 ID:OCJTxPZe.net
森忠政の加増には豊臣奉行が動いてるから豊臣公儀公認のはず。でもそれなら必ずしも家康に恩を感じる事は無いはず。なのに三成が「忠政は秀頼さまから土地を騙し取った」とか書き残す程の事を言ったらしい。
て事から組み上げると、忠政は元々川中島を貰う約束を秀吉としていたけど、三成ら奉行衆に邪魔されていた。それを家康が取っ払って約束を果たしてくれた。だから忠政は家康につきます。
…こんなところ?てか忠政さん何言ったんだろ…

239 :人間七七四年:2022/01/03(月) 20:48:21.63 ID:jslF1B7T.net
川中島って森長可が信長から拝領して本能寺の変の後上杉が占領だっけ?
一応思い入れがある土地だったのかな

240 :人間七七四年:2022/01/03(月) 21:04:57.97 ID:vqx974q6.net
本能寺の変直後に兄貴を背中から襲撃した連中のいる所だからそういう意味では思い入れはたっぷりあるかもしれない
忠政、川中島拝領後あとかなりの苛政布いてなかったっけ

勿論それぞれが全く繋がってないかもしれないから変に関連づけるべきじゃないし、あくまでも素人判断だけど

241 :人間七七四年:2022/01/03(月) 21:23:55.39 ID:Cs8nEUX4.net
>>238
>三成ら奉行衆に邪魔されていた
ここがわからない、組み上げたってことは想像かな

三成を恨んでいたというより三成が忠政を恨んだって言うなら書状の流れでもわかるが

242 :人間七七四年:2022/01/03(月) 21:41:44.29 ID:v7qdcYXL.net
>>241
三成が恨んだって話が本当なら、森家の加増の件は話が逆なのかもしれんな
奉行側が森家を味方につけるべく加増の件を推し進めたのかもしれない
対徳川を考えると、東国に奉行側の勢力を用意するという点では好ましい話ではあるし
ひょっとしたら、奉行の権限をフル活用して結構な無茶をした可能性もある
…ただ、具体的な証拠が何もないからなあ

243 :人間七七四年:2022/01/03(月) 21:46:55.73 ID:Cs8nEUX4.net
忠政はただ強い方について勧誘に応じなかった森に対する愚痴を
昌幸に書き送ったといったところじゃないかと

もっともこの記述は森家家譜が元みたいなので成立がかなり遅い気がする
三成の真田家宛の書状は江戸期は公開されていなかったはずなので
家譜が書かれた頃に昌幸あての書状の内容が伝わっているのか疑問に感じるのもあります

244 :人間七七四年:2022/01/03(月) 22:36:33.76 ID:OCJTxPZe.net
単純に断られただけなら「忠政との遺恨格別」とか「土地を騙し取った」とか書くかな?まぁ三成ならやりかねんけど…
高橋敏によると秀吉は信濃を対徳川用の兵站と意図してたらしく、そこに一枚噛んでる忠政は何しても西軍に欲しい筈。
だから根気よく交渉しないといけないし、忠政も内心は別として受けるフリくらいしてもいいはず(福島正則みたいに)
それが喧嘩別れだし、割と凄い事言われたんじゃないかな、交渉の余地が無いと思うほどに。

245 :人間七七四年:2022/01/03(月) 23:19:51.12 ID:Z+oBNEdH.net
想像でこうなんじゃない?といわれても…
まず秀吉の対徳川の為っていうのが疑問

246 :人間七七四年:2022/01/04(火) 00:06:34.92 ID:nOaXUFSg.net
>>237
森忠政
 兄の長可が無用と判断したにもかかわらず、秀吉のおかげで家督を
 相続できたことで有名な豊臣恩顧大名ながら、いち早く反三成に
 動いた殊勲者であり、家康が豊臣系大名を従えていることを
 朝廷に示すための材料

井伊直政
 股肱の臣

織田長益
 信長という英雄を出したことで家格を上げ、貴種入りした織田家において
 信雄が西軍に回ったため、関ケ原終戦時点で織田一門の筆頭格

最上義光
 れっきとした清和源氏の流れでありながら、徳川氏の清和源氏仮冒にも
 好意的であったので、家康が参内にあたって清和源氏の長者であることを
 箔付けするための飾り

247 :人間七七四年:2022/01/04(火) 01:15:34.81 ID:gHpDJvFl.net
忠臣とか義の人とか後世勝手に創作されてるが
同時代の人から大概ボロクソに悪口言われてる三成さん

248 :人間七七四年:2022/01/04(火) 08:04:35.92 ID:+SdiPuQG.net
高橋敏の著書だと秀吉は信濃国上田の真田昌幸と、豊臣恩顧大名である関一政・田丸直昌領、そして五万石の蔵入地で徳川が豊臣に刃向かった時に備えたんじゃないかとしてる。
ここに森忠政が移封されて完全に壊れた訳だけど。

249 :人間七七四年:2022/01/04(火) 08:43:35.23 ID:pFYIQTEN.net
徳川与力の真田をなんの理由付けで対徳川とか言ってんのかとかなんというか
ツッコミ所が多そうな話ね

250 :人間七七四年:2022/01/04(火) 09:12:53.84 ID:odApSChZ.net
>>248
結果からの逆算みたいな考え方だな

251 :人間七七四年:2022/01/04(火) 09:37:37.23 ID:Cn4SkMmN.net
福島筆頭に東海道の連中こそ徳川への備えのつもりだったろうに
城も兵糧も提供して先陣切って襲いかかってきてるやないか

252 :人間七七四年:2022/01/04(火) 09:46:34.67 ID:pFYIQTEN.net
福島ら東海地方の大名は秀吉存命時から徳川との関係深いし、豊臣と徳川の対立し続けてたみたいな見方は根拠のない結果からの雑な逆算としか現状見れないかな

253 :人間七七四年:2022/01/04(火) 09:50:29.90 ID:Cn4SkMmN.net
そいつら率いるべき秀次がすでにおらん時点で機能してない

254 :人間七七四年:2022/01/04(火) 09:55:36.65 ID:pFYIQTEN.net
秀次と徳川の関係も深い、というか秀次のバックアップしてるのが徳川だね

255 :人間七七四年:2022/01/04(火) 09:58:22.34 ID:Cn4SkMmN.net
取次しとるし指導もしてもらってたからな
ただ秀吉としてはいざという時の保険で考えてんじゃないかね当初は

256 :人間七七四年:2022/01/04(火) 10:03:07.37 ID:lL7G2rBL.net
この時信濃上田を預かる真田昌幸ってモロの西軍じゃなかった?三成との縁戚の噂もあるし…そこに豊臣恩顧衆と蔵入地まで固めてた訳で対徳川への備えってのは有り得ると思う。秀吉だって戦国時代を生き抜いてきた訳で想定外にも備えてたはず。
そうなるとそこに新しく入った森忠政が西軍か東軍かってのは戦略上かなり重要になるんじゃないか。その忠政に袖にされた訳で三成は激怒してるんだけど何を言われたのやら。
忠政は徳川を選んだ訳だけど名目上の当主である秀頼では無く家康に恩を感じてるってのは面白い。

257 :人間七七四年:2022/01/04(火) 10:19:43.18 ID:pFYIQTEN.net
最終的に西軍だったから遡って徳川対策の布石だったにはならん
むしろ真田は徳川の与力だわ、次期当主になる信之の妻は徳川の重臣本多忠勝の娘だわで徳川との縁も深いわ

あり得るとか不思議じゃないは事実の証明になんら関係しない

258 :人間七七四年:2022/01/04(火) 12:51:13.94 ID:ZK75LMHK.net
>>243
「羽右近儀者各別之遺恨」云々は慶長5年8月6日付真田昌幸宛石田三成書状にある記述だけど、
この書状は真田家文書ではなく古今消息集に収録されてるもの

古今消息集は様々な書状の写しを江戸時代にまとめたものだから、
真田家文書に伝来してる三成書状と違って巷間に流布してた可能性はあるな

259 :人間七七四年:2022/01/04(火) 14:19:19.66 ID:pCVi5Sr9.net
そもそも関ヶ原は豊臣政権内の権力争い
豊臣VS徳川じゃない

260 :人間七七四年:2022/01/04(火) 15:04:12.13 ID:Tl4ZZ6Jp.net
>>258
ありがとう!古今消息集でしたか
有名な七月晦日付と八月五日付の書状になかったので助かりました

261 :人間七七四年:2022/01/04(火) 15:25:37.14 ID:Tl4ZZ6Jp.net
書状を見た限り三成が各別之遺恨と書いたのは川中島転封のことみたいですね
新地拝領となっているので加増分の蔵入地のことかも知れませんが

262 :人間七七四年:2022/01/04(火) 16:43:04.38 ID:mFYBHvO5.net
>>238
そりゃあ、あの段階で家康が自分一人で決めて加増は問題だと思うぞ
家康一人で決めるのなら、豊臣家からの新恩じゃ無くて徳川家からの加増になる

三成から見れば、加増餌にした露骨な豊臣家の大名の切り崩しじゃないですか

263 :人間七七四年:2022/01/04(火) 18:05:51.53 ID:Otbx9Iq4.net
豊臣公認の可能性が非常に高いし切り崩しだなんだも妄想
反証したいなら今まで持ってきてない新しい証拠持ってきてから、それがないなら黙ってろ

同じこと繰り返すだけならオウムでも出来るわ、ちったぁ霊長類らしく学習しろよ

264 :人間七七四年:2022/01/04(火) 19:16:40.87 ID:3sCZDJkC.net
秀吉が自分の恩顧の大名たちを政権の藩屏と考えていたのは間違いない
それが秀吉の思い通り機能したかどうかは別の話だ

265 :人間七七四年:2022/01/04(火) 20:17:04.88 ID:lL7G2rBL.net
森忠政は「秀吉から川中島を与えると約束されていた」と言って加増を実現させたらしいけど、本当だったのかな。まぁ豊臣奉行が動いてるしマジだったんだろうけど。
慶長三年の国替えで越後には堀秀治、北信濃十三万石には関一政・田丸直昌が入って残りの五万石は蔵入地になった。
何れも秀吉の家臣集団な訳でいかなるシチュエーションにも対応出来る。忠政は経験不足と見做されてたのか…

266 :人間七七四年:2022/01/04(火) 22:07:40.88 ID:EHEpMOLm.net
>>264
三成の暴走が最大の誤算だったな

267 :人間七七四年:2022/01/04(火) 22:17:39.17 ID:ol3mUd7o.net
森忠政、単純に他の連中と比べても二回りくらい若いし

268 :人間七七四年:2022/01/04(火) 23:04:06.27 ID:BQwL5Ch1.net
>>264
その通りで一門で最も大領に封じ官位を上げた
家康こそが最大の恩顧であり政権の藩屏と
秀吉としては考えていたわけだよね

実際秀吉亡き後にその政権を継いで
無事運営したのは家康だった

血縁もなく小身で官位もそこそこでしかない
奉行達はそれを不満に思い追い落とそうと
謀反を企てそのために豊臣政権の枠組みが
世を治めるに足らないことが確実になってしまった

269 :人間七七四年:2022/01/05(水) 03:39:14.78 ID:5QmW0BNW.net
>>268
ただ、そこで話が終わってればまだよかった
奉行だけなら病巣を取り除けばまだ政権は再生可能ではあったからだ
最悪なのは他大名(毛利)を巻き込んで天下を事実上割ってしまった事だ
おかげで家康視点で、豊臣を支えても徳川の安寧、立場の保証にならぬと確信させてしまった
しかも室町の管領と違い、徳川は豊臣無しで権力維持できぬ程弱くはなかった
ならばもう徳川の取る道は一つしかない、そして実際それで天下は治まった
後は豊臣が現実を受け入れて世の中を理解し、納得する事だけだった

270 :人間七七四年:2022/01/05(水) 09:48:33.31 ID:aQPKZA9j.net
特に越後に転封させた堀秀治と上杉景勝・直江兼続がトラブった上に上杉と三成が結託してこれを強引に封殺、恨みに思った堀秀治は徳川に接近。この流れが痛かったな。
越後がまるまる徳川派になった上に将来の爆弾に早変わりしたし。

271 :人間七七四年:2022/01/05(水) 10:03:54.85 ID:5kjleIeG.net
政権の長に従うのは普通の話で、むしろ周辺諸国攻め込もうとしてる上杉がかなりおかしいよね、豊臣政権からしたら

272 :人間七七四年:2022/01/05(水) 10:20:25.92 ID:aQPKZA9j.net
釈明に出頭しろと言って拒否してる訳で上杉は完全な謀叛人よ。とはいえ上杉からするとかつて騒動になった(ていうか兼続が悪さした被害者)堀秀治が徳川家康に近付いてたからもう中央は上杉への悪口で満ちていてどう釈明しても好転する気配がゼロだったんだろう。自業自得だが。

273 :人間七七四年:2022/01/05(水) 10:41:55.90 ID:5kjleIeG.net
戦国大名から近世大名への脱皮にも失敗してて、弁解行きたいけど家臣が言う事聞かなくて無理とか取次役が追放とか逃げる羽目になってて統制が出来てないのよね、上杉家
この辺りの大名への集権化による近世大名への脱皮は他の家も大量にミスってるし上杉家のみの問題ではないけども

274 :人間七七四年:2022/01/05(水) 11:20:18.18 ID:D4nAN974.net
上杉景勝は御館の乱も三条手切れからの自滅だし懲りずに身内贔屓して新発田の反乱を引き起こしてる
当時の本人に問題があったのは間違いない

275 :人間七七四年:2022/01/05(水) 11:42:57.80 ID:3gXO8pC1.net
>>270
堀は秀頼へ奉公したいと言ってきてるって三成は書いてるけど
三成に協力するとはとても思えんよな

276 :人間七七四年:2022/01/05(水) 12:15:21.33 ID:7EFnc+9y.net
>>275
まあそれは味方増やすための口実だからしょうがない
三成は前田ですら芳春院を江戸に人質に送って家康に一味する振りをしてるが、
実際は秀頼に合力するだろうと適当なこと言ってるし
まあ流石に前田の件はその後の書状で色よい返事がまだもらえてないとトーンダウンしてるが

277 :人間七七四年:2022/01/05(水) 12:33:23.69 ID:3gXO8pC1.net
堀前田もだし全然味方増えていかなかったよな
美濃衆からは内通出て一柳にも一蹴され味方増えるどころか減っていってるし
しまいには増田に味方の愚痴までこぼしてる始末
大谷からのお前横柄で嫌われてるから味方増えないよの忠告最後まで理解できんかったんだろうか

278 :人間七七四年:2022/01/05(水) 13:20:29.40 ID:6alRtTWL.net
それ創作だよ

279 :人間七七四年:2022/01/05(水) 13:27:59.82 ID:2iV815gi.net
そもそも家康も秀頼を担いでるから「秀頼に奉公する」って別に西軍支持を意味しないってのがキモかもしれん。
三成はここ勘違いしちゃったのかもしらんが…

280 :人間七七四年:2022/01/05(水) 13:57:06.36 ID:EW4u7Lgt.net
そういうのは小身の三成じゃなくテルがやるべきところ
身内すら御せなかったが…

281 :人間七七四年:2022/01/05(水) 14:18:28.64 ID:D4nAN974.net
輝元が覚醒するのは関ヶ原のあとで左遷されて内政に専念しだす時
身の丈にあった活動といってもいいかもしれないが
天下をどうこうする器じゃないね

282 :人間七七四年:2022/01/05(水) 14:21:27.20 ID:krnZd2Fc.net
豊臣が抱えてた亀裂がモロ炸裂した関ヶ原な訳だけど
三成の人気の無さって西軍敗北に関係してそう

283 :人間七七四年:2022/01/06(木) 02:16:43.98 ID:k5xKAT1n.net
>>282
同意しかねる。
江戸時代以後、現代までの日本人大衆の基調的感情は「判官贔屓」だから石田三成が敗者故に嫌われるということは考え難い。
また勝者徳川家康は必ずしも大衆的人気を得ていない。

仮に石田三成が不人気であるとすれば、その原因は他にあろう。
私見では、各種軍記の記述する(←重要)石田個人の狷介、出世譚に見る計算高さ、クーデター発動に至る動きの姑息、不純によるものと見る。

無論こうした石田個人の属性や意志など史学の視座からは沙汰の限りではない。
また歴史はそんな些事に影響を受けるものでもない。
石田の敗北は構造的必然以外の何物でもない。
ただ石田は他の敗者たち、源義経や楠木正成、或いは真田「幸村」等と違って後世に宣伝メディアを持ち得なかった。
そのことが石田に対する大衆の印象を規定している。

284 :人間七七四年:2022/01/06(木) 02:41:26.90 ID:o2DyLQkr.net
自分は上の文を
西軍が負けた理由の一つは、三成の人気のなさのせいって書いてると思ってたけど
なるほど確かに
三成の人気のなさは、西軍が負けた事に由来するとも読み取れるな

285 :人間七七四年:2022/01/06(木) 10:12:40.72 ID:pQZXwIYW.net
石田はゲームのせいで近年妙に人気ある方
後世の印象なんてそんなもん

286 :人間七七四年:2022/01/06(木) 10:32:48.83 ID:SPjclxKN.net
東軍に属してる連中が軒並み三成に遺恨があるってのがね…
特に三成を襲撃した七将らはここで東軍が勝たないと文字通り絶体絶命な訳で一致団結も当たり前だろうし。

287 :人間七七四年:2022/01/06(木) 10:47:04.94 ID:uSzLmlF0.net
ゲーム以前に例の司馬遼が関ヶ原で異様な三成上げしてたやん
自分で三成はいい人間なのではないかというところから関ヶ原を構想したと言ってるくらい
山岡家康への反発もあったんだろうが現在に至るまでの関ヶ原界隈の
イメージを決定的にした最大の戦犯にして元凶は司馬遼

288 :人間七七四年:2022/01/06(木) 11:00:15.95 ID:8+eziibF.net
大衆人気と同僚たちからの人気を混同してるな
一時期の石破茂や小泉進次郎の人気を語ってるようなもの

289 :人間七七四年:2022/01/06(木) 13:48:58.19 ID:S101t53M.net
関東東北仕置き絡みで三成と仲良くなっとる大名も多いけどな
そもそも誰かの下で働く外交官含む官僚なんて古今東西嫌われるのが普通

それを三成個人の人格と結びつけて批判するのは歴史上の人物を評価する上で不公平かつ不見識と言えるわな

290 :人間七七四年:2022/01/06(木) 15:08:04.77 ID:o4xgClRr.net
そんな中発見された細川忠興宛書状がまた嫌われ者石田三成像を補強しとるわ

291 :人間七七四年:2022/01/06(木) 17:17:58.73 ID:qAmOS6HR.net
>>286
その辺が家康の謀略が素晴らしい所、七将襲撃事件の黒幕は家康だと思うんだけどね
あれで、事実上徳川の組下大名に成り下がったのに当事者が気が付いてないというか

現職の奉行襲った事実がある以上、徳川が滅亡すれば蒸し返されて改易だよな

292 :人間七七四年:2022/01/06(木) 17:25:04.13 ID:RSDhlMJq.net
何も学ばないまま新しく主張補強できる証明も持って来ず喚くだけか、呆れた

293 :人間七七四年:2022/01/06(木) 17:28:19.96 ID:RSDhlMJq.net
立場上のものもあるだろうが、クーデターで信用されず西軍内でも毛利以下の情報収集能力しかなかったってのが三成でしょ

294 :人間七七四年:2022/01/06(木) 17:30:28.55 ID:/E3Nleab.net
笠谷和比古の「関ヶ原合戦」を読んだら
家康私婚事件で奉行衆は家康に敗北して「出家します」と謝罪文を提出する羽目になったらしいんだけど
これって原文にあるのかな。それとも伝記?

295 :人間七七四年:2022/01/06(木) 17:41:11.30 ID:8+eziibF.net
>>289
外交官なら穏便にすませるのもテクニックの一つだから外交官としては失格
奉行としてなら規律を優先させるので嫌われてもしょうがない

ただ三成ほど嫌われているのが同時代にはいないので性格に問題ありと言われる
浅野長政も伊達政宗あたりから嫌われてるがここまで多人数からは嫌われてはいないはず

296 :人間七七四年:2022/01/06(木) 19:20:43.84 ID:9ybCMDH1.net
三成が嫌われているといった個人の好悪・遺恨を問題にしている研究があれば読むがある?
忠興と仲が悪かったのはガチだが、結局敗軍の将だから過激に言われている面はあるかと

297 :人間七七四年:2022/01/06(木) 19:21:52.36 ID:9ybCMDH1.net
政宗は蒲生とも絶縁しているんだよな、地方大名の気楽さかもしれんが

三成が佐和山隠居になったときに見送りに来た面子って何かで見たけど
出典なんだろうか?知っている人いたら教えて下さい

298 :人間七七四年:2022/01/06(木) 19:34:52.62 ID:/XpKIYwl.net
>>295
浅野長政とか前田玄以は信長の直臣で秀吉の同僚で奉行の中でも格が違う
他と一緒にする時点で見識不足(増田とか内通してたのに改易されるぐらい扱い軽い)

299 :人間七七四年:2022/01/06(木) 19:44:47.21 ID:8+eziibF.net
>>298
つまり家の格、人物の格で三成は他の大名から侮られてたということでよいかな?

300 :人間七七四年:2022/01/06(木) 20:52:01.04 ID:9ybCMDH1.net
浅野長政は十人の衆のバランスを取るために入った感が強い
太閤と縁戚、大老に比べれば石高は低いが奉行にしては遠国

奉行としての実務も四奉行と一線を画していた
奉行としてなら富田一白・宮部継潤も実務に携わっていたし
浅野が奉行に復帰する以前に四奉行で誓詞を取り交わしていたなど

301 :人間七七四年:2022/01/06(木) 20:59:02.49 ID:jrn6dbQi.net
>>296
個人の内面に迫るのは史学の研究じゃない
なぜなら無理だから
研究者が論文で触れることはない
一般書などで触れているのは余興

302 :人間七七四年:2022/01/06(木) 22:04:35.65 ID:bJiiOGUV.net
なるほど

303 :人間七七四年:2022/01/06(木) 22:43:21.01 ID:7HOy0IOW.net
>>301
無理でもあるし、それ以前に無意味。

歴史というのは無数のヒト個体からなる「群れ」の動向であって、
そこでは個体各自の属性や意志を捨象して全体を質点群或いは流体として扱い得る(質的には集客施設の動線解析等と同じ)。
突き詰めればその動向は物理法則にのみ従う。

仮に学術研究において史上の人物の個人属性を扱って意味があるとしたら、
それは歴史学ではなくて精神病理学等のケーススタディとして、だろう。

304 :人間七七四年:2022/01/06(木) 22:53:15.26 ID:jrn6dbQi.net
>>303
ここまで言い出すとキチガイというか、運命論者というか行き過ぎた地政学というか
人の意思の介入はある

305 :人間七七四年:2022/01/06(木) 23:02:02.08 ID:+LYReKD9.net
石田三成が嫌われていたってのは諸家の史料にバッチリ残ってるのでどうあれ嫌われていたのは確からしい(まぁそもそも嫌われてない奴が襲撃受けたりする訳も無いし)
否定してどうこうなる話でも無いから研究者も認めてはいる。でも「どうして嫌われたか」は考察されてない気はする。
前田家だと、三成は利家の加増に反対しその運動を前田家が知って激怒したとのこと(利家夜話)
浅野家だと秀次事件で三成が長政・幸長をハメる為に浅野家の元祐筆に偽書を作らせて讒訴するも失敗、三成は口封じに元祐筆を殺そうとしたので彼は怯えて長政に全てを白状したという(浅野長政公伝)
一番有名な話は看羊録に載ってる話で、朝鮮出兵で三成の縁戚である福原が出征組を訴え、これに出征組が激怒。しかし福原を三成とその一派が支持したので怒りの矛先は三成に向う。戦後出征組から七人が三成を武力攻撃する…というもの。
他にも堀氏や森忠政、島津氏だのとあっちこっちでトラブルになってる。
三成は島津の検地で誤魔化しを働いただのどうも贔屓クセがあったらしくここら辺も不満が向いた理由かもしれない。

306 :人間七七四年:2022/01/06(木) 23:11:17.83 ID:7HOy0IOW.net
>>304
一例を挙げる。
史上よく見られる、
二つの勢力の拮抗状態
→或る事象をキッカケに均衡が崩れる
→地滑り的に一方の圧倒的優勢
−−というような過程。
史学者は色々と重箱の隅を突っついて当事者の意志や感情や戦略等を論じたがるが、
これはランチェスターモデルでも材料力学の応力集中モデルでも地学の侵蝕地形モデルでも十分に高精度の説明や計算がついてしまう。
モデルやパラメータ設定のテクニカルな問題は付き纏うにせよ、多くの問題がこの類だろう。

近視眼的、虫瞰図的な視野を採るならこの限りではないが。

307 :人間七七四年:2022/01/06(木) 23:14:06.43 ID:jrn6dbQi.net
>>306
どこに一例が挙げられてるんだい?
頭おかしいよ

308 :人間七七四年:2022/01/06(木) 23:18:44.65 ID:NrMKddTM.net
その人たまにこの板に出てくる難しい言葉使いたいだけの人だからスルーでいいよ

309 :人間七七四年:2022/01/07(金) 00:23:02.60 ID:qSLICikM.net
そもそも家康と通じて利益を得ようって連中にしたら
家康を排斥しようとか家康の権限を制限しようとか
反家康的な動き自体が敵対行動なわけで
いくら家康の『専横』を咎めたところで
逆に奉行の言いなりにならない家康を頼もしく思うだろうしなあ

310 :人間七七四年:2022/01/07(金) 00:44:00.06 ID:8+pEDFiU.net
ましてや排斥しようとする側の筋もすこぶる悪いしな、言ってしまえば不当に政権の長を排斥しようとする集団でしかないんだから

311 :人間七七四年:2022/01/07(金) 02:45:17.34 ID:yJEKMV8l.net
なんもかんも跡継ぎ殺して大御所の外様に政権ぶん投げた秀吉が悪い

312 :人間七七四年:2022/01/07(金) 05:11:28.59 ID:6U0TXRZq.net
>>304
相手しないほうがいいよ

313 :人間七七四年:2022/01/07(金) 08:11:18.35 ID:y+4vgIM9.net
徳川は豊臣第一の親藩じゃん

家康の継室と秀忠の正室と秀頼の正室誰よ

314 :人間七七四年:2022/01/07(金) 09:33:14.02 ID:sSnVgU7l.net
橋陽介や笠谷和比古が著者にしている通り、そもそも秀吉は五大老五奉行なんて制度作ってすら居ないからね。
遺言から分かるのは家康利家の二大政治しかない。
それが秀吉死後政治的運動で十人衆政治になる訳で、逆に言うと豊臣の武威はどんどん低下していく事になった。
しかも豊臣政権の抱えてた色々な亀裂が三成という奉行に向かって割れた事が致命的な事態を招いてしまった。

315 :人間七七四年:2022/01/07(金) 10:15:50.64 ID:5DFYOI9/.net
文禄4年に出された「御掟」に連署した大大名6名が後の五大老の原型で
合議制だったことの根拠ともされてるようだけど
あれだけを読むとやってはいけないことや義務の羅列で政権の意思決定システムを定めたものとは思えず
合議制の根拠とするには弱い気がするな
連署した大大名が合議して「御掟」を定めたってことなのかね?
そうでなければ単に秀吉の決めたことに諸侯を代表して誓いますって署名しただけのような

316 :人間七七四年:2022/01/07(金) 10:43:14.67 ID:FtVIkEHX.net
本音と、建て前と、政治的宣伝を混ぜて書くからおかしな事に成るんでさ

歴史に詳しくない人が意外と知らない事に、帝政ローマには[ローマ皇帝]って役職が
ないんですよ
ローマ皇帝が持ってた役職や権限は全て共和制時代から有るもので、一つ一つは全て
合法な物と言わざるを得ないんです、でもそれを同一人物が兼任してしまうとね

一番重要なポイントを無視してしまえば、建前は実質的に何の意味もないんですよ

合議制を壊してしまえば、他の大老や奉行は何の意味もないからな
実務は徳川家の家臣で賄えるし

317 :人間七七四年:2022/01/07(金) 10:47:40.25 ID:sSnVgU7l.net
>>315
そうだとすると合議>秀吉の意思、を意味することになるし大名による御掟の受け入れってだけな気がするね。
流石に秀吉が合議制を考える必要は無いだろうし。

318 :人間七七四年:2022/01/07(金) 10:50:20.24 ID:GPl5CNyr.net
秀吉の遺言は合議制じゃく徳川前田の二頭政治

だったが利家死去で利長は家臣団を制御しきれずに帰国しなきゃいけない状態
結局、徳川家臣団が実務を引き継いでて豊臣奉行たちが不満を抱いて謀反

319 :人間七七四年:2022/01/07(金) 11:24:23.01 ID:8+pEDFiU.net
豊臣政権の運の良かった点は徳川が滅茶苦茶早めに戦国大名から近世大名化に成功してて、自家のことは秀忠に任せることが可能な家康に政権丸投げできた点だね
これなかったら秀吉死後の政争もっとカオスになってたでしょ
ある意味西軍挙兵って政争に負けた連中がワンチャン賭けてクーデター起こしたけど無事鎮圧されたってだけの話だし

320 :人間七七四年:2022/01/07(金) 12:28:26.29 ID:HazUilpb.net
近世大名=江戸時代の大名

321 :人間七七四年:2022/01/07(金) 13:28:05.79 ID:8+pEDFiU.net
近世大名って言い方が気に入らないというのなら、大名集権化に成功した大名と言い換えてもいいよ

322 :人間七七四年:2022/01/07(金) 14:59:00.23 ID:GPl5CNyr.net
>>321
徳川の大名集権化も関東転封に伴う体制改革のおかげと言われてるから秀吉のおかげか怪我の功名か

323 :人間七七四年:2022/01/07(金) 15:44:05.30 ID:+NSzjLUt.net
>>322
秀吉的にも、東国の頼りになる人物に早くフリーハンドになってもらって政権の助けになってほしかったんだろね

324 :人間七七四年:2022/01/07(金) 16:17:43.33 ID:leHqQbZF.net
統一はしたけど、期間は10年程度で、善政を敷いたわけでもなく、無益な外征で国を痛めつつ、諸大名や貴族の女色を食い漁ってただけの政権に恩顧も何もないと思うけど、まぁ、統一は偉業といえば偉業か

325 :人間七七四年:2022/01/07(金) 22:23:54.36 ID:FOBIW7sK.net
秀吉の生前に住人之衆(五大老五奉行)で取り交わした誓紙に
秀吉の同意がなかったとは思えない

326 :人間七七四年:2022/01/07(金) 22:39:51.71 ID:bmM/KvFJ.net
生前にそんなもんあったっけってのと
それは上で言われてるような合議ではなく諸侯の代表としての署名じゃねってのと

327 :人間七七四年:2022/01/07(金) 23:36:57.66 ID:FOBIW7sK.net
秀吉生前の慶長三年(1598年)八月五日付起請文・八月十一日付起請文など

328 :人間七七四年:2022/01/07(金) 23:46:54.23 ID:Zqr1J6rH.net
敬白天罰霊社上巻起請文か
これ別に合議にしますなんてもんじゃないでしょ
今まで通り御掟守るようにとご算用は奉行の実務ってやつで

329 :人間七七四年:2022/01/07(金) 23:47:27.61 ID:FOBIW7sK.net
十六・七世紀イエズス会日本報告集』における五大老・五奉行に関する記載についての考察(その2) http://repo.beppu-u.ac.jp/modules/xoonips/detail.php?id=sg04508

〉五大老・五 奉行のスキームや権限・職務について決定したのは死去直前の秀吉であったことがわかる。
〉五大老については、@家康が主君である秀頼の後見役になる、A家康は日本国全土の統治を任せ られる、B家康のほかに「四名の重立った家老」(ここでは4名の具体的名前の記載はない)も就任する、Cこの5名は、国家を統治する権力においては同等であった(つまり、国家統治権につい て家康の権力だけを突出させることを秀吉は当初から意図していなかった)、D「国家全体の鍵」 を掌握し、統治権を司っていた、ということがわかる。

330 :人間七七四年:2022/01/08(土) 00:03:43.88 ID:nouOvYN6.net
白峰か、しかもイエズス会日本報告集からだけの研究かいな
自分は白峰はかなり牽強付会な所がある点と今回の記述に関してもイエズス会日本報告集がどの程度正確に情報を掴めてるかを史料批判しないまま用いるといった研究者としちゃウカツな所があると思ってて、そういう点でこのひとの研究は素直に頷けないかな

331 :人間七七四年:2022/01/08(土) 00:16:31.83 ID:jryMOpLP.net
>>329
>すなわち太閤様(引用者注:秀吉)は、居並ぶ重立った諸侯の前で、その大名(引用者注:家康)
を傍らに召して、次のように語った。「(中略)予(引用者注:秀吉)は息子(引用者注:秀頼)
とともに日本全土の統治を今や貴殿(引用者注:家康)の掌中に委ねることにするが、貴殿は、
予の息子(引用者注:秀頼)が統治の任に堪える年齢に達したならば、かならずやその政権を
息子(引用者注:秀頼)に返してくれるものと期待している。

>このことからすると、五奉行にとっての「主君」は秀頼で
あり、五奉行にとっての第一義の役目は「主君」である秀頼を「日本の国王」に就任させることで
あった。その意味では、五奉行が家康を目上に仰ぐことはあくまで副次的な事項であったと言えよ
う。よって、家康が政治的野心を露骨にあらわした政治行動をとった場合は、五奉行が家康と対立
することは十分想定できたのである。

つまり秀吉の意図はあくまで家康筆頭で政権を一時的に委ね、秀頼が将来政権の首座につくための目付として他の者達をすえたということか
最後のまとめはわけわからん
少なくとも秀吉の意図としての合議制とは判断できん

332 :人間七七四年:2022/01/08(土) 00:48:25.02 ID:OwRYHMbi.net
白峰氏は証明すべき所を一足飛ばして結論出すから意味が分からんのが多いのよね
西軍は豊臣公儀だったんだって主張の時も
西軍が畿内制圧後知行宛行した、ってのの証明はしたものの豊臣家から認められたかどうかの証明をしないままだから西軍は豊臣公儀だったんだと飛んでたし

333 :人間七七四年:2022/01/08(土) 01:04:20.68 ID:pk2DMVEi.net
それだと構成員が一票づつ意見を持つ合議というより、首班徳川・目付兼補佐四大名と五奉行って感じで
徳川と他の九名は同等でなく会社の(社長など経営者でない)上司と部下って関係だな。

334 :人間七七四年:2022/01/08(土) 01:25:39.21 ID:jryMOpLP.net
オーナー豊臣、雇われ社長徳川、取締役その他9大名というところ
ただ取締役のうち前田宇喜多は家中統制が出来ず出社不可、上杉は造反で出社拒否、
石田浅野はパワハラで謹慎、社内は大混乱になるという顛末

335 :人間七七四年:2022/01/08(土) 05:29:52.37 ID:N4VXJ1Hq.net
宣教師が正確な情報を掴んでるか?
というより
宣教師がどう理解したか?
という視点で捉えるべき

「政権の舵取りはどうなるか」
というのは政権として宣伝すべきで
世間でも関心の高いだろう事項

当時禁教令は出たとはいえ
イエズス会士は在京してたし
信徒への強制改宗もされてない

世間で言われてる情報との乖離が
そこまで大きくなるほどの状況ではない
当時世間で思われてた政権のあり方
としてはわかりやすい例ではある

336 :人間七七四年:2022/01/08(土) 05:38:29.49 ID:N4VXJ1Hq.net
その上で

・統治は明確に家康
・しかしながら五大老は同等の統治権を持つ

というのは非常にわかりにくい
また五奉行の位置付けは不明瞭というか
あまり認識されてない

仮に政権内部での理解は同様でなくても
それが政策実行する段階でこう認識されてたら
そんなのまあ火種になるよね

337 :人間七七四年:2022/01/08(土) 06:31:48.69 ID:UXUxgK6X.net
八月五日起請文が秀吉の意思かは非常に怪しい。
だって秀吉が死ぬ直前、危篤状態での起請文になるから。
それまでの間明らかに秀吉は家康・利家に権力を集中させねる(これは諸大名が家康・利家に対して起請文を出してるから明らか)
それを秀吉は死の直前に覆した事になる。そんな事が有り得るだろうか?

338 :人間七七四年:2022/01/08(土) 06:49:08.80 ID:ZGclE/aJ.net
死の直前だからこそ前言を撤回するというのは十分ありえるかと。
それが秀吉の意思ではないと断言するのはむずかしい、秀吉の生前に秀吉の意に反した起請文を残すこと自体が火種になりうる。

とはいえ秀吉が危篤になってから「命令が右往左往している。急いで行動するべきではない」という日記の記述もありこの時期に変更はあったと思われる、宛推量ですがそれが8月5日の遺言の「委細5人の物に言い渡した」ではないかと。

339 :人間七七四年:2022/01/08(土) 06:56:21.89 ID:ZGclE/aJ.net
死の直前まで独裁者だった弊害ですね

340 :人間七七四年:2022/01/08(土) 08:08:59.16 ID:xB5qhXCu.net
本来なら死ぬまでに秀吉が構想した後継体制に移行しておくべきだったんだけどな
死ぬまで実権を手放さなかったもんだから混乱を招く結果になった
秀吉って組織作りは全く下手くそで無能だったとすら思える

341 :人間七七四年:2022/01/08(土) 08:22:12.61 ID:N4VXJ1Hq.net
「委細申し渡した」は五奉行に取っての錦の御旗で
奉行以外に取って目障りなブラックボックスよね

五奉行が結託する限りにおいて
全権委任を与えられたに等しい訳で
危篤の独裁者からそれを引き出しましたと
言われたところで納得する人は少ないわな

イエズス会は五奉行含めて10人の統治者
として認識してて実際そう振舞ってたんだろうけどな

1.それが本当に秀吉の意思だったか、
2.どこまで判断能力があった上での設計か、
という点は置いといても
明確な責任者もリーダーも不在で
いくつも頭と手がある非常に不安定で
実行力を発揮しにくい体制なのは間違いない

342 :人間七七四年:2022/01/08(土) 09:06:15.14 ID:9reqAS9A.net
合議制だったとしてもそんなもん続かないからな
清須会議後だって、宿老の合議制→家督信雄を秀吉が指南する体制→秀吉独裁ってアッサリ覆ったし

343 :人間七七四年:2022/01/08(土) 09:54:27.57 ID:nouOvYN6.net
死ぬ前までは家康体制で話が進んでた
なんか死の直前で体制を若干いじった可能性があって、それでも家康体制のままだけど目付けが追加された
ってのが白峰氏の言ってることでしょ?

白峰氏のこれを鵜呑みにしていいかはともかく、合議である可能性は非常に低いね

344 :人間七七四年:2022/01/08(土) 09:58:10.51 ID:tJbGtGvd.net
実際問題、主君が死んで跡継ぎが幼少でガタガタなのに、毛利と組んでクーデターを起こす事自体どうなんだろうな。

クーデター起こしてからも、すぐに家康の首を取りにいくのではなくて、自勢力の拡大にいそしんでいる。

豊臣家のためと言ってるけど、自分たちの勢力拡大のためなのがバレバレだったから支持されなかっただけかもね。

石田三成は巻き込まれただけかもしれんが。

345 :人間七七四年:2022/01/08(土) 10:14:45.31 ID:nouOvYN6.net
目付けに任命された可能性がある事と、秀吉死後野心持って行動してた可能性は矛盾しないし
なんなら秀吉没後すぐ毛利と手を結んで4奉行の意思決定に準じるようにと言った誓紙出させたり
秀吉が申し渡してた毛利の領地分割案を反故にする新しい分割案を2奉行の署名のみで出してたり
少なくとも石田(と増田)は遺言体制を滅茶苦茶早い段階からひっくり返そうとしてる

346 :人間七七四年:2022/01/08(土) 11:35:36.31 ID:q10LpKSI.net
石田三成は確かに頭の固い文官タイプだった事はもう間違いないけど、秀吉にはそれなりに忠実だった。
そんな三成が秀吉に明確に刃向かい出してるのが実は朝鮮出兵。文禄の役で朝鮮に渡った三成は現地からの報告との違いに愕然として本土に「秀吉さまからの軍役を拒否するよう諸将に頼んでくれ」と手紙を送ってる。ところがそうした意見は全く秀吉に届かなかった。
それで三成は秀吉に愛想を尽かしたのかもしれん。三成は筑前筑後への加増を拒否してる。既に内心、思うところがあったのかもしれん。

347 :人間七七四年:2022/01/08(土) 16:20:05.82 ID:zfM6ua9O.net
>>333
確かに、徳川と前田が一格上の立場には見えますけど徳川に独裁権ある様には
見えない

10人は全員取締役ですが、徳川と前田は一格上の立場という事でしょう
しかし、前田の婿の宇喜多入れてるんで徳川と前田は釣り合ってるようにみえるぞ

348 :人間七七四年:2022/01/08(土) 16:55:13.25 ID:q10LpKSI.net
クソ厄介な事に「秀吉の遺言」で明文化されてるのは八月五日の「秀頼の事を頼む」って直筆遺言状しかないんだよね。
後はみんな「その場にいる者は全員聞いた」っていう内容。
まぁ遺言って大抵そんなもんなんだが、それで「私はこう聞きました!」って話が複数出て政権が混乱してる。
よくある話だけど…

349 :人間七七四年:2022/01/08(土) 17:17:55.63 ID:nouOvYN6.net
秀頼という直接の当主の義父が秀忠で、更に秀吉の義弟にも当たるのが家康っていう別格扱いしてるな
もっと言えば秀長存命時から秀長より席次上の扱いにしてるんで、秀吉存命時から明確に家康を一個上に常に据え続けてる

350 :人間七七四年:2022/01/08(土) 17:53:16.34 ID:nsCLqe9q.net
>>347
私には釣り合ってるように見しみえないですね

351 :人間七七四年:2022/01/08(土) 17:59:41.06 ID:nsCLqe9q.net
>>350
訂正 
私には釣り合ってるように見しみえないですね

そもそも前田と宇喜多が姻族関係を基に協調した事例とかどういうのがあるんだろうか?

352 :人間七七四年:2022/01/08(土) 18:02:04.35 ID:nsCLqe9q.net
>>351
度々の誤字すいません<(_ _)>

353 :人間七七四年:2022/01/08(土) 18:08:30.52 ID:UXUxgK6X.net
利家公御代之覚書によると三月八日に利家は家康を招いて自分の病状を伝えて「どうか利長を頼む」と頼み込んでいる。
これを受けて家康は利長の後見を約束するんだけど、この三月八日辺りに家康と宇喜多秀家の間で起請文が取り交わされてる。内容は「家康と利長が協力して秀頼さまを盛り立てるなら秀家も協力する」というもの。
これは利長の大老就任に向けた政治工作な訳でそれに一枚噛んだという意味では前田と宇喜多の婚姻は役には立ってる。
尤も、後見したのは家康なんだが。

354 :人間七七四年:2022/01/08(土) 18:25:35.80 ID:/hfmkR3W.net
その家康宛の宇喜多の3月8日付起請文案は島津家文書にあるな
関ヶ原の後宇喜多が薩摩領内にいた時に残したから島津家文書に伝来してるんだろうな

355 :人間七七四年:2022/01/08(土) 18:51:33.02 ID:jMM9uqiK.net
というか大老奉行による合議制の稼働実績と呼べるほどのものはあるのかね
あえて言うなら私婚問題だけど家康対他多数の図式でも
一方的な勝ち負けという形にはなってないし
七将襲撃事件や加賀征伐会津征伐などの重大案件はほぼ家康の意向通りに進んでいるし

356 :人間七七四年:2022/01/08(土) 21:03:01.93 ID:HuFaeqeM.net
議論の焦点はどこにあるんだ?

357 :人間七七四年:2022/01/08(土) 21:07:15.25 ID:HuFaeqeM.net
合議が秀吉の意思があったかどうかから合議の稼働実績に移ったのか?
合議制の認識が各自違うだろうし、参考にする合議制・寡頭制などを示してもらいたい

358 :人間七七四年:2022/01/08(土) 21:08:27.35 ID:zpVKdgtf.net
>>350
婚姻関係でパワーバランスを検証するなら、徳川が圧倒的に最強でしょ。
言うまでもなく、豊臣宗家との婚姻関係は強固で、家康は秀吉の義弟で、家康の後継大老が約されている秀忠は秀頼の義父。
前田宇喜田の婚姻関係とか吹けば飛ぶような特別待遇。
徳川前田は、全く釣り合っていない。

359 :人間七七四年:2022/01/08(土) 21:26:41.62 ID:UXUxgK6X.net
合議制が何の成果を挙げたかというと、あんまり上がってないんだよな多分。
一応、連署状は出てるみたいだが…

360 :人間七七四年:2022/01/08(土) 22:13:28.25 ID:jMM9uqiK.net
>>357
合議制はあったけど機能しなかったという向きで語られがちだけど
そもそも合議制などというものがなかったんじゃないかっていう疑問よ
稼働実績のこともそうだけど合議制というものがあるなら
三成や長政が失脚したときに代わりの面子を用意したり
何らかの形で合議制を維持するような動きがあってしかるべきだけどそうじゃない
細則もないようなものを制度と考えていいのかって問題もあるけれど

361 :人間七七四年:2022/01/08(土) 22:23:39.69 ID:hvdrQ98d.net
大概の人がなかったって認識してるじゃん?

362 :人間七七四年:2022/01/08(土) 23:49:41.11 ID:iHl95gZb.net
根本的に合議制っていうのが問題に決を下す決定権を持つのが複数人いないと駄目ということか?

この時代かそれ以前にあった武士の合議制のモデルとしてはなんだろう
諮問機関としてなら今度の大河の13人殿も当てはまるんだろうか
秀吉が合議制を志向したとき三成は伏見におらず相談に乗ったのは増田だという話を見たが
この際増田が参考にした制度はあったのだろうか

363 :人間七七四年:2022/01/09(日) 00:11:43.40 ID:4n29dtEZ.net
合議制いうてもほぼ家康の独断で動いてるようだけどなぁ
会津征伐も反対はあっても大勢に影響なかった

364 :人間七七四年:2022/01/09(日) 00:12:14.33 ID:aqRMAPpG.net
>>346
普通に野心家に見えるけどなあ
それか文官だとしてもボスには意見できないくせに
その場凌ぎの誤魔化しを常套手段にしてる
小役人かつ小悪党て感じ

忠実と言うけど秀吉に逆らわず言うこと聞くのは
当時の大名全員そうだし
その中でも朝鮮出兵時の欺瞞で和睦を目指すのは
主君、政権、同胞への不実と取られても
言い訳できないと思うんよね

秀吉が耄碌というか、独善に陥って
我が身を守るには他にやりようなかった
という可能性はあるけど

365 :人間七七四年:2022/01/09(日) 00:19:53.27 ID:PoX7IaLw.net
まず第一に、合議制があったと言ってるのは誰でどの研究を基に言ってるの?
上で張られた白峰氏の研究も合議だったなんて話ではなかったよね

366 :人間七七四年:2022/01/09(日) 00:28:55.76 ID:aqRMAPpG.net
>>348
だからこそ遺言てのはのちのち
祟らないように明文化が必要なんだけどね

ただでさえ巨大な権力者の発言には
細心の注意が必要なんだよね
「頼みにしてます」「お願いします」
だけでも下手すりゃ全権委任と
解釈されかねない

毛利系文書にしかない西の天下を任された
っての基本都合の良いねつ造と思ってるけど
本当にそうと取られかねない発言を
弱った秀吉が本当にしていた可能性も
僅かながらにはあるかもとも思う

367 :人間七七四年:2022/01/09(日) 00:33:17.94 ID:aqRMAPpG.net
>>360
そもそもからして実際に会議会合が持たれ
それで何かが決したと言う記録がないからな
今に伝わる秀吉の遺言の中にも
大老、奉行が相談して決めろなんて
一切言われてない

368 :人間七七四年:2022/01/09(日) 01:08:30.51 ID:/0D2tP21.net
>>365
白峰氏の論文は十人之衆の職能などの成立が秀吉の生前であったかどうか、家康だけの突出を狙っていたかについての参考にと貼りました

369 :人間七七四年:2022/01/09(日) 06:52:05.72 ID:rKM4ys79.net
起請文に残ってるから合議制自体はあったっぽいんだけど
それが何か残したかというとうーん…

370 :人間七七四年:2022/01/09(日) 09:23:10.85 ID:LeVQwJ58.net
その起請文も遺言とズレた話で変だなぁってなるのよね

371 :人間七七四年:2022/01/09(日) 10:58:08.66 ID:p7J1eIa3.net
確か朝鮮からの撤退では十人衆が動いてる
動いてるんだけどもうしっちゃかめっちゃかなのよな
正直奉行は家康の決定を追認してるような感じだし

372 :人間七七四年:2022/01/09(日) 11:19:41.61 ID:itSR4qvU.net
どちらかといえば朝鮮からの撤退も家康の指示で他が動く形よね

373 :人間七七四年:2022/01/09(日) 11:21:35.88 ID:qwgNiTy7.net
逆じゃね?
家康らが決定して実務に動くのが俗に言う奉行、唐入り撤兵の・知行宛外の実施、添状の作成など

374 :人間七七四年:2022/01/09(日) 11:24:39.02 ID:p7J1eIa3.net
ただ朝鮮撤退でグダグダなのって人選もあると思うの。
確か九州にいた奉行って石田三成と浅野長政だったはず。
それで家康からの推薦で朝鮮への後詰に藤堂高虎が来る訳なんだけど確か現地への伝令(実質指揮権)は高虎がやってたはず。奉行が役に立ってないじゃん!って訳だけど考えてみると三成と長政って超仲悪いじゃん?それでお互い連携取れなかったんじゃないかな…

375 :人間七七四年:2022/01/09(日) 12:13:25.53 ID:4IT8Lew9.net
外征の件は秀吉の遺言で一切触れられてないから撤退は家康たちで決定された典型だろうけど
発議から議論→議決までの意思決定の過程はどうなっていたのか、何か記録は残ってるのかな
そもそも近代以降のように構成員が平等に意見を述べ喧々諤々の論戦を交わし
意見を取りまとめて多数決なりで決定するなんて形式だったのかどうか
議事録なんて残ってないだろうしなあ

376 :人間七七四年:2022/01/09(日) 12:30:27.02 ID:qwgNiTy7.net
>>374
朝鮮からの撤兵の伝令は徳永寿昌と宮城豊盛が家康・利家の命で任じられたはず、高虎が伝令したというのは見たことがないです
加えて撤兵の指揮を執るには伝令も自ら担当しないといけないのか疑問です、人選が悪かったのは一理あるかもしれませんね、選任した首脳部の責任もあるとおもいます

377 :人間七七四年:2022/01/09(日) 12:30:49.63 ID:lr5G7BfP.net
海の向こうでグダグダだった敵地朝鮮からの撤兵で更にグダグダしてたら残留兵に被害が出るし、
戦争中から不満も溜まってて新政権の不安定要素になってる
こういう時に会議と手続きだらけだと時間の無駄
一致協力か強力なリーダーによる指導の二択だけど、一致協力は無理だから家康が強引にやるしかないだろう

378 :人間七七四年:2022/01/09(日) 12:34:02.99 ID:Qv4IV9qq.net
>>374
秀吉が死んだ直後の9月5日付の景勝除いた4大老の連署状では、
家康・輝元・秀家が博多に行き撤兵についての対応策を講じる予定だったのを、
それは不要だと言うことで先ずは毛利秀元・浅野長政・石田三成を博多に遣わし、
朝鮮表の状況によってはこの三人も朝鮮に渡海させると現地武将に伝えてるな

379 :人間七七四年:2022/01/09(日) 12:37:19.44 ID:qwgNiTy7.net
合議制じゃない!と声高に言われていますが、対象とされている合議制が近世のものと比較されていればそのような合議制はなかったと言い切っていいと思います
しかし秀吉死後に発足したばかりの制度がすぐに軌道に乗るとは思えません、徳川幕府の老中による合議も時間をかけて成熟していった面があるはずです

380 :人間七七四年:2022/01/09(日) 12:48:05.32 ID:PoX7IaLw.net
普通は秀吉存命時からある程度その死後の体制の雛形ができてる筈で、その雛形はむしろ家康をリーダーにした形なのよね

381 :人間七七四年:2022/01/09(日) 13:00:14.16 ID:I3jvU2Wo.net
なんか利家無視されすぎじゃね?カワイソス

382 :人間七七四年:2022/01/09(日) 14:04:56.60 ID:YsyG0AFQ.net
江戸幕府の老中は原則江戸詰めだけど
五大老五奉行については秀吉の執務政庁である
伏見城に入るように定められてるのは家康なのよね

逆に10人合議説の方はどの部分で
そのように定められてると読んでいるんだろうか

383 :人間七七四年:2022/01/09(日) 18:31:16.03 ID:SgSfOx02.net
合議の前提が違うんだから噛み合う訳ないよ

384 :人間七七四年:2022/01/09(日) 19:03:56.03 ID:YsyG0AFQ.net
合議制て話し合った政策決定することでしょ
他にどんな意味があるん?

385 :人間七七四年:2022/01/09(日) 19:56:36.30 ID:LtFPHNLP.net
自分は何事も家康と利家の確認を取るようにの文から合議制というか
二頭制・寡頭制の印象を受けます

政務は家康、豊臣家内向きは利家、蔵入などの実務は奉行衆など担当が分散していると
誰に決定権があるかで言えばそれは家康・利家でしょうと

386 :人間七七四年:2022/01/09(日) 20:56:45.46 ID:4n29dtEZ.net
んで利家が思いのほか早くぽっくり逝ったから家康の独裁と

387 :人間七七四年:2022/01/09(日) 22:43:40.93 ID:Q2SSqbtz.net
白峰氏の訳には無理があると感じる

388 :人間七七四年:2022/01/09(日) 22:47:02.61 ID:LtFPHNLP.net
秀吉の遺言時は家康の独裁のみを言っていないということでいいですか

389 :人間七七四年:2022/01/09(日) 23:04:35.21 ID:VQQGm4CK.net
家康が政務担当兼豊臣家後見
利家が守り役兼内向きのこと担当
奉行らはこの2人の決定に従って行動する手足
そして官位や血縁から見ても家康のが利家より重きに置かれてる
くらいでは

390 :人間七七四年:2022/01/09(日) 23:40:16.07 ID:rKM4ys79.net
>>376
十一月四日に家康は藤堂高虎に渡航命令を出している。しかしこれは同月十二日、朝鮮での戦況が芳しいとの理由で前田利家によって中止されてる。
看羊録だと家康が朝鮮への援軍を募ったところ諸将黙する中唯一名乗りを挙げたのが高虎だったとしている。これから家康単独の決断とも思われるけど十月に出てる五奉行連署状に「万端藤堂次第可有覚悟事、専一候」とあるから前々からの計画って可能性もある。
そして十八日、明・朝鮮水軍は大挙して襲撃し小西行長は順天より出られなくなっていたので島津軍が救援に駆けつける。ここで島津軍は大損害を被ってしまう。
それを受けて二十五日の浅野長政・石田三成宛五大老書状及び島津義弘宛三奉行書状には「万端藤堂ニ被相含候之間、藤堂次第ニ可有御覚悟事肝要候」とあって高虎渡航が実行されて高虎の指示に従ってくれとある。
かなり混乱していたのは確からしい。

391 :人間七七四年:2022/01/10(月) 01:09:12.93 ID:RF9poVcJ.net
>>382
秀吉の遺言で重要だと思うのは、「死後100日で秀頼を大阪城に移動させよ」だと
思うのですがね

家康は遺言で伏見に縛りつけられて秀頼とは分離させられてるし、大阪城下に屋敷すら
与えられてない
逆に前田は輔役だから大阪城に居て、秀頼の直ぐ近くにいる

必死に、前田の権威上げて徳川に対抗できる勢力にしようとしてるように見える
実際、前田利家死後でも前田利長が大阪城に居座ってたら何もできなかったんじゃないかね

392 :人間七七四年:2022/01/10(月) 01:27:57.79 ID:/9mq+Coo.net
全く見えない

393 :人間七七四年:2022/01/10(月) 01:37:59.10 ID:/9mq+Coo.net
結局のところ合議制の可能性のある記述が朝鮮からの撤退時の起請文だけで
これも意思決定をしたのが合議によるものかは不明瞭だし
それなりにちゃんと研究踏まえてる人は精々二頭制か家康が一個上か位の認識で固まってるね

394 :人間七七四年:2022/01/10(月) 02:31:28.34 ID:CddqUfgK.net
秀吉気前よく家康に領地やり過ぎたのがいけないよな

395 :人間七七四年:2022/01/10(月) 06:09:57.83 ID:2NO/kf5c.net
>>390
詳しくありがとうございます
11月の史料よく見てみます

396 :人間七七四年:2022/01/10(月) 06:45:35.38 ID:d8krKMLH.net
そんなに徳川を抑えたがっていたなら、秀頼と千姫を結婚させるなよ。

397 :人間七七四年:2022/01/10(月) 06:51:51.24 ID:5X6Kc+Dm.net
二頭制・寡頭制は合議制ではないのか?ここが認識が異なってくるものかと
どちらにしても意志決定の仕方などが残っていない以上、空論になってしまう向きがありますが

398 :人間七七四年:2022/01/10(月) 06:58:40.93 ID:5X6Kc+Dm.net
婚姻は家と家なんだから家康というか徳川家を政権内に取り込み続けるためのものでしょう、独裁を認めていたとしてもあくまで政権内としてのこと

秀吉死後に利家がすぐ亡くなってしまったが、年齢的にいえば家康も亡くなってもおかしくなかった
そうなれば遺言どおり秀頼の義父・秀忠と利長で政権運営していくつもりだったんだと

399 :人間七七四年:2022/01/10(月) 07:53:17.63 ID:/9mq+Coo.net
権限の範囲分けてるし合議ではなかろうよ

400 :人間七七四年:2022/01/10(月) 07:56:27.11 ID:/9mq+Coo.net
正直現状あなた一人が言葉遊びレベルの事に拘泥してるだけのように見受けられる

401 :人間七七四年:2022/01/10(月) 10:13:58.21 ID:boPB8fIQ.net
形の上では合議制なのは起請文から明らかなんだけど、それが法制されてたかというと…なんか機関も無かったよね多分
基本的には大老と奉行がなんか連絡して連署状出してるだけな気がする。じゃあ何のための起請文だったんだ…

402 :人間七七四年:2022/01/10(月) 21:10:48.09 ID:0EqSF84j.net
そういえば天下人ってのは豊臣家から政権を預かるのか朝廷から政権を預かるのかどれなんだろね
朝廷からだと慶長4年に家康が受けた三献の儀をもって、天下人認定されたって話になるが、もちろんすでに天下人として成り立ってて追認としてかもしらんが

403 :人間七七四年:2022/01/10(月) 21:15:02.34 ID:2NO/kf5c.net
>>390
詳しい記述があるらしい曽根勇二さんの書籍は閲覧がきびしいので
抜粋ですが確認できました、ありがとうございます

高虎への命令が二転三転していますね
最後の11月25日付書状二通に藤堂の記述がありましたが
同日に最後まで朝鮮にいたと思われる小西・島津が釜山を発ったようで
この命令も行き違いになってしまったということですね、なるほど

404 :人間七七四年:2022/01/10(月) 21:50:35.05 ID:7Yt2IYfJ.net
浅野長政と石田三成が九州から指揮をしてたらしいけど
どうも捗りは悪かったんじゃなかろうか
あと浅野長政は徳川家康に書状を送って連絡を密にしてる
家康が「藤堂高虎を援軍に」としたのもそこらへんの理由があるのかもしれない

405 :人間七七四年:2022/01/11(火) 12:47:22.90 ID:rR93Dy59.net
>>402
関白でもない豊臣家に誰ぞを天下人に指名する権限は無いはずだが
朝廷から天下人に認定された秀頼に政権運営能力が無いから家康や利家に委託するというのはまだわかるが

406 :人間七七四年:2022/01/11(火) 12:55:03.66 ID:lccZwh/p.net
秀頼って朝廷から天下人認定されてはいないから、やはり
豊臣家から政権委託された上で実力申し分なしの家康が朝廷から天下人と認定されたって形か

407 :人間七七四年:2022/01/11(火) 20:38:01.44 ID:pzjg+Fni.net
多聞院日記にも家康が伏見に住まいを移した時を持って「てんかになりたまう」だったかの記述があるけど、逆説的に言えばその時まで天下人とはいうほどではなかったといえる

408 :人間七七四年:2022/01/11(火) 22:01:23.93 ID:186jerbL.net
伏見が天下の政庁と見なされてて、アクシデントで暫く入れなかったけど実際は秀吉遺言でそこ任されてるから
本来としては秀吉没後に天下人たる条件は達成してんじゃない?

409 :人間七七四年:2022/01/11(火) 22:43:38.25 ID:SvIfj/LG.net
別に伏見城に入ったから天下殿になったと書いたわけではなく
利家がなくなり七将襲撃事件も方がついたのを踏まえてだろう

410 :人間七七四年:2022/01/11(火) 23:17:53.78 ID:9L1Dkyck.net
形式的には将軍宣下実力的には秀吉死後辺りから天下人の風聞が広がっていったんだろう

411 :人間七七四年:2022/01/11(火) 23:37:58.23 ID:yaad/lPf.net
>>410
いや、天下人扱いされる三献の儀を慶長4年に受けてるんで、形式はそこっすね

412 :人間七七四年:2022/01/12(水) 01:21:48.58 ID:cIHolPQf.net
>>407
そりゃねえ、実際の戦闘が起きてないから見過ごされやすいけど、家康の増援が
伏見城に入った時点でクーデターに見えるよ

大阪伏見の対立の時に家康が国元から呼んだ増援が其の儘伏見城に入っちゃったん
だもん
伏見城にはちゃんと豊臣家の城代も旗本も居るのに、徳川の軍勢が勝手に入城して
居座ったんだぞ
他の大名は上方にたいした兵力置いてないので、この脅しは強力だし

413 :人間七七四年:2022/01/12(水) 01:27:00.68 ID:FLsiVoIY.net
>>412
史料も研究も持ってこないで妄想こくだけ、他人の批判もろくに聞かずに自分の言いたいことだけ一方的に絡む
楽でええのう例え話荒らしは

414 :人間七七四年:2022/01/12(水) 01:30:25.10 ID:FLsiVoIY.net
最低限否定された以上自分の主張補強の為にも研究読むかって事すらしないの
全く興味ないだろ、お前この辺りの事象に対して
それでよく他人に絡もうと思えるなあ

415 :人間七七四年:2022/01/12(水) 01:52:20.69 ID:FLsiVoIY.net
上で合議制の話出てるが
基本政務を担当する人間が全て直接訴訟などを受けてたら体がいくつあっても足らんから、その前に訴訟の処理を奉行などがある程度行って、仮の結果を政務担当に上げる
んで政務担当かまその結果の可否や加減なんかを判断したのが最終的な裁定となるのが通常でしょ?
これを合議というなら秀吉存命時から合議になるし、これを一般的に合議というかというと違うくね?

416 :人間七七四年:2022/01/12(水) 07:01:41.14 ID:Ocj5iToJ.net
>>414
横からだがそれは同意

なので上であがっている
>浅野長政と石田三成が九州から指揮をしてたらしいけど
>どうも捗りは悪かったんじゃなかろうかなども
印象論以上の研究やら史料やらに基づいて書き込んでほしい

このことについてまとめている曽根勇二:著「近世国家の形成と戦争体制」によれば
"「家康ではなく、利家の命令で中止したことは朝鮮の戦況と相まった偶然であろうか。
推測の域を出ないが、藤堂の渡海命令そのものが家康だけの判断(あるいは藤堂自身の申し出も含めて)
であったので、「合議体制」を崩壊させることにもなりかねないところから、家康に代わって利家が渡海を中止させたのであろうか。
たとえ家康であろうとも、個別に大名を動員できるような立場にはなく、こうした行為は五大老連署状によって初めて可能であったのである。」(p216)"
としている

417 :人間七七四年:2022/01/12(水) 07:02:02.69 ID:WFRfZnI3.net
十人衆の起請文だと「訴訟は全員で話し合ってやろうね!」っていう建前だけが記されていて実態はわからんのだよな
おそらくだけど、この合議制自体が徳川家康に対する政治運動だったんじゃないか。
家康は最高権力者として認められてるけど同時に「申次権」が無い。諸将が家康を頼らないようにするためだけに合議制とか言い出したのかもしれない。

418 :人間七七四年:2022/01/12(水) 07:11:57.27 ID:WFRfZnI3.net
>>416
その説には二つ問題がある。
まず、これは曽根氏も書いている事だけど高虎の渡航は家康の専行では無い。それは十月に五奉行が高虎を送る事を決めていることからわかる
二つ目の問題は、利家もまた単独で渡航を中止している。つまりこれは合議制を無視してる事になる。もし、この渡航中止が家康の独断専行を止める為なら四大老による連署でなければならない。利家が止めたという事は1合議制自体重視されてなかった、2情勢変化による緊急命令だった、かのどちらかって話になるんじゃないか。

419 :人間七七四年:2022/01/12(水) 07:19:10.60 ID:+RsFM6+L.net
>>412
伏見に入るのは秀吉の遺言だよ

420 :人間七七四年:2022/01/12(水) 07:48:04.88 ID:+RsFM6+L.net
朝鮮からの撤退自体は政権として決定してて
その使者になるはずだった藤堂高虎も豊臣家臣
それが家康の専横になる理屈も
専横を止めるのに利家単独命令を使う理屈も
よくわからないな

仮にそれが奉行はじめ家康の政敵の意図としても
家康の専横を咎める理屈も、
それを止めるための方法についての理屈も、
支持を得るのはかなり難しいのではないだろか

だから天下がなるように治まったと言う話ならわかるが

421 :人間七七四年:2022/01/12(水) 09:31:01.93 ID:4pezZO3+.net
家康が伏見城に入るタイミングは2回あるけどどっちの事言ってるんだろう。
1回目は秀吉の遺言に従ったものでこれを専横というと利家の大坂城入城も専横だし
2回目は輝元や奉行衆からの要請だし(卜斎記)
兵を集めたってのは石田三成らの家康暗殺計画に備えたものでこれは利家も兵を集めてるから家康だけの問題じゃないし…

422 :人間七七四年:2022/01/12(水) 12:48:31.57 ID:PfxEyBSD.net
11月2日付島津父子・寺澤正成・毛利吉就宛浅野長政・石田三成連署状でも、
「和睦が事実であるなら講和の使者を釜山に留め置いて、
和睦交渉がまとまるまで加徳島としいに島に軍勢を駐留させておく分別が尤だ。
伏見の奉行衆や年寄衆へもこの件を申し入れたいが、伏見までは遠路でもあり、
徳永寿昌と宮木豊盛にこの旨を申し渡したのでそうお心得下さい」とある

撤兵に関して合議で決するってのは前提にはあるんだろうけど、緊急につき色々な命令が出て錯綜してたってことなんだろうな
まあ長政・三成に関してはこの時名島にいて、書中の通り単純に遠かったからってだけの可能性もあるが

423 :人間七七四年:2022/01/12(水) 20:43:43.67 ID:cIHolPQf.net
>>421
勿論二回目の方だよ、家康が自分が国元から呼んだ増援を強引に入れた事

あとさ、家康が国元から呼んだ増援の数も考えようね諸説あるけど最低でも5000だぞ
でな、こんな大兵力を食わせる武器弾薬兵糧がどこにあるのかね?
此の儘居座ったんだぞ、徳川の増援

当然伏見城の物を取ったとしか思えないが、これが専横じゃないと?

424 :人間七七四年:2022/01/12(水) 21:44:13.21 ID:4pezZO3+.net
2回目の入城ならそれは毛利輝元らの要請を受けただけでとても専横とは言えないかな。
当時の京・大坂の情勢は大坂で石田三成を暗殺せんと七将が襲撃しようとするも三成が伏見に逃げたから追いかけてきた、なんていう緊迫した情勢だった。
ここで三成を処刑すれば収まったかもだけど家康は軽い謹慎で済ましたから情勢が更に危険になってる。
それを受けての輝元の要請。当然兵も連れて行かんとならん。それにしても五千人ってのは少ないな。一万くらいは余裕で出せた筈だが…

425 :人間七七四年:2022/01/12(水) 21:46:08.18 ID:Ocj5iToJ.net
今確認しました
自分宛てと思われる曽根さんの著作に関しては後ほど返答させてもらいます

で、上のは触らないほうがいいなら触らないですがそれでいいですか

426 :人間七七四年:2022/01/12(水) 22:05:16.23 ID:rPu2PX+w.net
例え話荒らしっていう研究も読まないで妄想だけ喋っては批判と根拠に答えられずトンズラして同じ事また日を変えて言うを繰り返す荒らしだから、触るだけ損よ

427 :人間七七四年:2022/01/12(水) 22:59:05.17 ID:+RsFM6+L.net
正式に任された城代が
自分の家臣をかわしたのの
何が専横なんだ?

飲まず食わずで死なないといけないん?

428 :人間七七四年:2022/01/12(水) 23:15:59.29 ID:+8QvMI8X.net
ていうか直後に絡んでいるのも荒らしなのね
やっとわかってきたわ

429 :人間七七四年:2022/01/12(水) 23:32:43.25 ID:r6ls2+wM.net
>>417
秀吉が合議とは命じてないから、死後直後に家康が政治的妥協を余儀なくされて合議、という形に持ち込まれたかもってことか
それだと私婚事件なんかは家康が元来の体制へ巻き返そうとしたとも言えるか
この辺りの君の話もうちょい掘り下げたの聞いてみたいな、根拠とか特に

430 :人間七七四年:2022/01/13(木) 06:42:44.84 ID:f7QuLuB9.net
家康と利家が秀吉から政権担当者として指名された事は遺言状から明らか。ところが、八月五日起請文から急に合議制の話が出てくる。
この日十人衆は起請文を取り交わしてるけど家康と他の大老では内容が違うんだとか。
家康→ 御知行方之儀、秀頼様御成人候上、為御分別不被仰付以前ニ、不寄誰ニ御訴訟雖有之、一切不可申次之候、況手前之儀不可申上候、縦被下候共拝領仕間敷(もし訴えがあっても絶対に申次はせず、まして自分の知行は訴えません)
四大老→ 御知行方之儀、秀頼様御成人之上、為御分別不被仰付以前ニ、諸家御奉公之浅深二ヨリテ、御訴訟之子細モ有之ハ、公儀御為ニ候条、内府并長衆五人致相談、多分二付而随其、可有其賞罰候、但、手前之儀者少モ申分無御座事(訴えがあったら家康と「五人の長衆」と相談して決めます)

431 :人間七七四年:2022/01/13(木) 06:44:51.17 ID:f7QuLuB9.net
これは五大老の中で常に家康が採決者としているので最高位に置いている、ようにみせかけて実は家康を牽制したもの。
つまり家康には申次権が無いので諸将は家康を頼れないし、よしんば訴えられても多数決に持ち込めば家康の意見は通らない。
こういう風にする目論見があったんじゃなかろうか。

432 :人間七七四年:2022/01/13(木) 08:18:22.12 ID:iEoGmn3C.net
>>431
なるほどねぇ、筋は通るし現状それを明確に否定できる史料もないすな
これはどなたか研究者さんの主張なんですか?それとも独学で?

433 :人間七七四年:2022/01/13(木) 10:09:50.76 ID:/5XGFOrI.net
内容自体は堀越祐一の「豊臣政権の権力構造」に載ってたはず。

434 :人間七七四年:2022/01/13(木) 12:03:30.31 ID:iEoGmn3C.net
ちょいと気になったんだけど
上の起請文の家康の所の和訳
政権担当なんだから申次はしませんってちょっと変な気がする
申次って要件とか訴訟を政権担当者に取り次ぐ行為とか人を指すのでは?

435 :人間七七四年:2022/01/13(木) 12:26:17.07 ID:iEoGmn3C.net
>>433
ありがとう
堀越氏の豊臣政権の権力構造ですか、助かります

436 :人間七七四年:2022/01/13(木) 15:04:05.55 ID:ViQekV8a.net
>>430
その合議制って、知行に係る訴訟のみだよね。
現代風にいえば、司法権の一部が合議制なだけで、行政権についてはやはり二頭体制では?

437 :人間七七四年:2022/01/13(木) 18:36:29.84 ID:/5XGFOrI.net
>>434
実際にこの「合議」がされたのか知らないから(てか多分現実には動かなかったんじゃないかな)殆ど想像なんだけど、この起請文で想定される裁判員は「家康+申次大老+五奉行」ってものになる。でこれで「相談」する訳だけどこれが多数決だとすると圧倒的に奉行衆が有利。もっというと石田三成筆頭四奉行がイニシアチブを執ることになる。
で、その三成と仲良しな大老って誰?っていうと毛利輝元ってことになる。
これがどんな展開を導くかというと「輝元と親しいと訴訟で勝ち易い」ってことで諸将は家康よりも輝元に近付くことになる。
つまりこの八月五日起請文、単純な合議制ってよりもかなり生臭い動機で作られたんじゃないかなという気がする。しかも考えてみると「十人衆で協議しよう」という本質からも逸脱してるし。

438 :人間七七四年:2022/01/13(木) 21:21:18.25 ID:qTxXuEpP.net
多数決というのは頷けないかな
多数決と相談という概念とは異なるでしょ

439 :人間七七四年:2022/01/13(木) 21:31:42.61 ID:vJjn+4Xv.net
>>437
前半はわかる、が後半の三成と仲のいい大老は誰?っていうのは飛躍が強いと感じる
奉行と毛利そこまで結びつけるのは後年の結果からでは

この起請文が取り交わされたのが秀吉直筆遺言が残された日と同日というのも
考えてしまうところではある

440 :人間七七四年:2022/01/13(木) 21:43:07.74 ID:/5XGFOrI.net
ところが毛利輝元と石田三成はちょっと特殊な仲なのよ。
その証になるのが慶長三年八月二十八日四奉行宛毛利輝元起請文になるかと。
注目するべきは「自然世上為何動乱之儀候 『共、秀頼様御取立衆と』(削除) /『而、もし今度被成御定候五人之奉行之内、何も 秀頼様へ逆心ニハあらす候共、心々二候て、増右・石治・徳善・長大と心ちかい申やからあらハ、於我等者、右四人衆と申談、秀頼様へ御奉公之事』(追加)」という修正。
輝元の元々の文面は「何か騒動があったら秀頼様を守る人々と…」だったのを石田三成が「もし秀頼さまへの叛逆でなくても四奉行に刃向かうものがいたら輝元は四奉行と共に秀頼様に奉公する」と変えてる。
これは実質的に輝元を首魁とする「奉行派」の設立文書に他ならない。これは五奉行から浅野長政が除かれてる事からも明らかで、三成による露骨な工作だと言えるのではないか。

441 :人間七七四年:2022/01/13(木) 22:13:52.23 ID:vJjn+4Xv.net
>>438
推測になってしまいますが、後に交わされる慶長三年九月三日の十人衆起請文に出てくる
「諸事御仕置等之儀、其経(軽)重をけつし、十人之衆中多分二 付而可相究事、
などからの類推もあるのではないかと

442 :人間七七四年:2022/01/13(木) 22:17:26.88 ID:vJjn+4Xv.net
>>440
ごめんなさい、間違えてレスしてしまったので取り消させてもらいます

443 :人間七七四年:2022/01/13(木) 22:20:24.38 ID:KZ/JhEi5.net
>>441
この時代の村落だと時間をかけても満場一致まで粘るわけだが、さすがに政権は違うんだね
勉強になる

444 :人間七七四年:2022/01/14(金) 01:00:05.88 ID:RaO7V3Uj.net
>>424
時系列考えると、家康が勝手に増援いれた後で追認させた様にしか見えないけど

既に家康の増援が伏見に入城した後で認めないって言ったら直ぐに手切れでしょ
前田利家が三月三日に死去、その後七将の蜂起事件が起こってます
そして家康の入城が三月十三日ですから全部繋がってるようにしかみえないぞ

そして、伏見には普通に豊臣家の城代が居たんだからな

445 :人間七七四年:2022/01/14(金) 01:12:59.42 ID:RaO7V3Uj.net
>>427
この時代って経費って考えが無いから家来動かした場合普通に全部自分で賄わないと駄目なのは
知ってますよね

家康が勝手に持って来た増援の維持費を伏見城の倉から出したのなら専横でしょ
で、動員してる数からして伏見城の倉以外で賄えると思えないのだが

446 :人間七七四年:2022/01/14(金) 03:41:30.39 ID:dQa6bsX9.net
>>440
首魁というか舎弟扱いされてるようにもおもえるw

447 :人間七七四年:2022/01/14(金) 07:16:45.37 ID:gMiJOdFW.net
>>440
この書状からもやっぱいの一番に秀吉の遺言体制ひっくり返そうとしてるの奉行だよなーって

448 :人間七七四年:2022/01/14(金) 07:32:34.49 ID:V67clMnu.net
そういえば七将事件の前に三成が勝手に伏見の自分の屋敷に武器運び込んでるの問題視されてる書状あったな
七将事件ってむしろ訴訟をわざと襲撃という事にして自分は武器を予め持ち込んだ屋敷へ立て籠もり、毛利挙兵要請っていう、三成のクーデター未遂じゃねーの

449 :人間七七四年:2022/01/14(金) 08:26:05.75 ID:FOypcSgL.net
>>445
向島城から物資を引っ張ってこれるんじゃない
伏見城下には商人もいるし
倉は伏見城のを借りるとしても

450 :人間七七四年:2022/01/14(金) 08:36:40.04 ID:E4E5sFnW.net
>>441
なるほど
家康はそこまで妥協させられてたんだね

にも関わらずその体制は機能せず
当の十人衆である利長を同じ十人衆の奉行が密告したり
三成が同じ秀吉取り立ての武将達から弾劾されたり
上杉が旧領で暗躍して居直ったりの挙句

政権として討伐の手筈整えたのに
他の十人衆が武力クーデターを起こしたと

451 :人間七七四年:2022/01/14(金) 08:37:32.92 ID:E4E5sFnW.net
上で主張されてる伏見城蔵米横領事件て
何かで記録残ってるんだっけ?
事実ならいかにも弾劾しやすそうな案件だけど

452 :人間七七四年:2022/01/14(金) 10:02:17.13 ID:FOypcSgL.net
>>451
内府違いの条々の中の伏見城占拠の条文に含まれるかもしれないが、条々が出される以前は問題になってない
主君の城を使うんだから事前に根回ししなきゃ無理な案件
筋が違うなら問題にしなかった豊臣家と奉行衆のほうに問題がある

453 :人間七七四年:2022/01/14(金) 10:12:34.18 ID:FOypcSgL.net
要するに伏見城蔵米横領事件なんて無かったと思う

454 :人間七七四年:2022/01/14(金) 10:34:39.94 ID:wqa7Iw5m.net
例え、厳密にはアウトだったとしても咎めていないのは、緊急措置だからOKとか、職分の範囲的に許される範囲だったのでは

455 :人間七七四年:2022/01/14(金) 10:51:03.77 ID:gMiJOdFW.net
どちらにせよ主張した側がまず豊臣家などが家康の伏見入城に際し問題視してると言った史料なり研究出さないと、現状主張した側の願望でしかないよ
内府ちがひの条々は自分たちのクーデター正当化の為の檄文だから内容の信用は一切できないし
むしろ当時奉行が家康の伏見入城を勧めてるしで、問題視すべき箇所は提示すらできてない

456 :人間七七四年:2022/01/14(金) 12:35:17.11 ID:h8xtDDmK.net
まとめると不利な条件に拘束された上に、伏見城の米横領や私婚問題など隙だらけの
政敵を、追い落とせなかった9人は無能ぞろいだったということになる。
徳川史観を取り除くとこうなるんだね。

457 :人間七七四年:2022/01/14(金) 12:50:01.81 ID:EEGSKu+9.net
あらしに餌やるなよ

458 :人間七七四年:2022/01/14(金) 12:59:45.30 ID:DcmNNHWX.net
そもそも城の備蓄物資って城主の物じゃないの?
堀秀治は上杉景勝に城の年貢を持ってかれて困窮してる。
こうした問題が起きるわけで城の備蓄物資は移動しないようにするのが普通だとおもうんだが…
特に伏見城は豊臣公儀の中央官庁、数万人規模で賄えるようにしてあってもおかしくないし。

459 :人間七七四年:2022/01/14(金) 14:11:28.45 ID:pL72QyFq.net
勝てば官軍を地でいってるだけでは
三成忠臣説は眉唾だが家康が忠臣というわけでもあるまい

460 :人間七七四年:2022/01/14(金) 15:27:21.35 ID:cmNMTnR/.net
だからまず、主張した側が豊臣家なりが伏見入城時に兵糧使われて問題視してるなりの史料や研究なりを持ってこないとダメなんだよ
ろくに調べてなくてもどうせ勝てば官軍だろとか、勝った側は史料潰したんだとかケチつけるだけならいくらでも出来るが
それはなんらあった事の証明にもならない

461 :人間七七四年:2022/01/14(金) 15:33:21.04 ID:cmNMTnR/.net
現状は否定してる側は少なくともそういった史料は現状見当たらないと言ってる訳だ
問題視されたんだクーデターだったんだと言うのをちゃんとした根拠もなしに主張するだけならそれは話し合う俎上にすら上げるべきでない、言った当人の思いつきだし妄想だよ

462 :人間七七四年:2022/01/14(金) 15:52:31.35 ID:CMBgOfiP.net
合議制を作ろうとしたのは三成なんだろうけど、最初に知行訴訟を合議制にしたのは朝鮮出兵での恩賞問題で家康の威光が強くなる事を恐れた、って話らしいが…
ただこの三成の暗躍が別の効果を産んでる。
秀吉が家康に伏見城、利家に大坂城を与えたのはそれだけこの二人の力が強かったからな訳だけど、同時に徳川と前田を引き剥がしたかったからだろう。ところが、三成筆頭の奉行衆が暗躍して事態が変わった。
慶長四年三月に利家は家康に利長の後見を頼んでいてこれで前田派は徳川の下についた。つまり秀吉が最も恐れたであろう事態が現実のものになった。
慶長四年には七将襲撃事件が起きて京・大坂で動乱が起きると「この事態を収めるのは徳川家康しかいない」という声が高まって、三奉行は家康に奏上して伏見城に再び家康が入ることになった。まぁそれでも騒動は収まらなかった訳だが…

463 :人間七七四年:2022/01/14(金) 16:14:11.94 ID:LyeIePqA.net
大坂に前田、伏見に徳川を置いたのが二人の引き剥がしだったんだってのは全く同意できないが、なんか根拠ってあるの?

464 :人間七七四年:2022/01/14(金) 16:30:13.35 ID:QDNv1Dka.net
>>462
勝頼スレにいてください

465 :人間七七四年:2022/01/14(金) 17:01:28.12 ID:CMBgOfiP.net
>>463
それは中央官庁たる伏見城は家康に任せつつ、秀頼と大坂城は利家に任せるって体制が表してるんじゃないか。
笠谷和比古も「関ヶ原合戦」の中で伏見に家康、大坂に利家を置いたのは諸勢力の均等をはかろうとしたとしてる。
実際、秀吉はワンマン経営で鳴らした男でその政治機構も秀吉の存在を前提にしていた。だから本来、誰か一人に秀吉の全てを渡した方が混乱は無かった。
それをせずに二頭政治に踏み切ったのは家康にしろ利家にしろ、全てを渡したらそのまま持ってかれてしまう程に両者の力が強かったから。じゃあその両家が手を取り合ったらどうなる?もう何人も止められなくなってしまう。
勿論それは何もクーデター、暴力、簒奪を止められないという単純な話じゃ無いよ。

466 :人間七七四年:2022/01/14(金) 17:17:19.95 ID:hyQxboRL.net
両家が手を取り合ったら、豊臣政権は盤石では?
そのための、豊臣徳川の婚姻施策であり、利家は織豊系大名を統括し得る大大名

467 :人間七七四年:2022/01/14(金) 17:51:36.48 ID:QDNv1Dka.net
>>465
認識が古い

468 :人間七七四年:2022/01/14(金) 18:07:56.97 ID:gdvKOWtY.net
秀吉がそんなに人を信じる男だったらそもそも秀次事件が起きてないんじゃないか。家康も利家も秀吉からは縁遠い連中なんだ。
秀吉の政治機構的には家康か利家に全て禅譲していつか秀頼に渡してねが一番スマートだったに決まってる。ところが秀吉はそれをしなかった(看羊録か何かに家康に全部渡しますとか言ったって話はあるから考えてはいたみたいだが)
つまり家康にしろ利家にしろ、政庁も秀頼も全て握られたら困るという考えがあった。で、伏見は徳川大坂は前田と分けた。この2人が表向き仲良くしてる分には良い。でも最悪なのはこの両派が合流することだったはず。そしてそれは起きてしまった。

469 :人間七七四年:2022/01/14(金) 18:30:06.91 ID:f51k9bEi.net
話ぶったぎるけど
徳川ほか、いわゆる東軍勢が会津征伐に出発して、島津や小早川は追いかけようとした、って言われてるじゃん
出発時は三成は挙兵していないわけで、

蟄居中の石田三成はともかく、毛利宇喜多小西、立花や鍋島あたりが会津征伐に置いてきぼりを食ってるのはなんで?
単に西国勢は後詰めってだけ?

470 :人間七七四年:2022/01/14(金) 18:54:24.12 ID:t9EnC9gM.net
東国組から出発してってたから

471 :人間七七四年:2022/01/14(金) 19:44:50.51 ID:dQa6bsX9.net
>>468
それなら秀頼と千姫を婚姻させちゃあかんやろ

472 :人間七七四年:2022/01/14(金) 20:57:24.88 ID:MkRB0YXm.net
>>455
逆に家康の弾劾のために捻り出された
内府ちがひの条々で指摘されてないので
そんな事実がないのではないかという疑問

473 :人間七七四年:2022/01/14(金) 21:19:09.21 ID:E4E5sFnW.net
家康伏見、利家大阪は秀吉の遺言で
普通に考えたら政権運営は家康
豊臣家の家政は利家という意図かと

秀吉の死後になって合議となったのは
好意的に見れば家康への牽制だけど
有り体に言うと奉行と三大老が一緒になって
権勢拡大を要求して家康が妥協したってこと

それに対しての政権内の反動が
豊臣系七将の訴訟だと考える

本来奉行は秀吉の政策を実行する手足
渡海した七将もその点は一緒で彼らも
政権の代官やその時々の奉行をしてたりする

それが死後よくわからない経緯で
三成はじめ奉行たちは何故か
政権の頭になったわけだからそりゃね

474 :人間七七四年:2022/01/14(金) 21:41:10.41 ID:gdvKOWtY.net
>>471
秀頼は千姫と婚姻していて縁は深いんだけど、その秀頼は大坂城で徳川とは関係なく育つ事になる。その秀頼を育てる傅役は前田利家なんだけど前田は秀頼とはそれ以上の繋がりがない。
このネジレをどう解釈するか次第だと思う。ベストなのは家康が伏見城で秀頼を後見する事だったとは思うんだが…伊達政宗も「秀頼を引き取って貴方の下で育てるべき」って言ってるし。

475 :人間七七四年:2022/01/14(金) 21:58:15.96 ID:t9EnC9gM.net
>>472
弾劾のこじつけにすらできてないならもはやいわんやだね

476 :人間七七四年:2022/01/14(金) 22:47:27.64 ID:pL72QyFq.net
一度渡した政権を返すなんてあり得るだろうか
秀吉本人がやってきたことだろうに

477 :人間七七四年:2022/01/14(金) 23:36:01.57 ID:gMiJOdFW.net
>>473
私も現状の研究踏まえたらその認識かな

478 :人間七七四年:2022/01/15(土) 05:11:58.83 ID:Ss2pU9zY.net
私は秀吉生前の8月5日の起請文を持って合議制に向かったという堀越氏の説に賛同です

479 :人間七七四年:2022/01/15(土) 10:47:30.49 ID:2dPceKVl.net
知行の訴訟に限定されていた合議が、政権運営全般に及ぶようになるとは考えにくい

480 :人間七七四年:2022/01/15(土) 12:11:27.98 ID:BA9TMh4G.net
慶長三年九月三日十人衆連署起請文で
「沙汰申間敷事、諸事御仕置等之儀、其経重をけつし、十人之衆中多分二付而可相究事、」となってる。つまり裁判にしろ仕置にしろ全て合議制、しかも多数決となってる。
この流れは明らかに石田三成らの仕業だと思われる。
八月二十八日に輝元と四奉行で起請文を交わして謂わば「奉行派」を作った三成。で、三成は元々上杉との取次で上杉とは大の仲良し。
つまり九月時点で十人衆は奉行派が輝元・景勝に四奉行で多数を占めてる状況。だからここで政務全てを多数決にするように変えたんじゃなかろうか。

481 :人間七七四年:2022/01/15(土) 12:28:42.32 ID:+E04i68l.net
それだとある意味一番秀吉の薫陶受けた動き感あるな、信長横死後の

482 :人間七七四年:2022/01/15(土) 12:29:38.68 ID:RNsBXawK.net
高橋氏や笠谷氏は知行に関しての言及はある?

483 :人間七七四年:2022/01/15(土) 12:38:14.64 ID:2ht9Bcjv.net
みんな秀吉の遺言なんてどうでもよかったんだな

484 :人間七七四年:2022/01/15(土) 12:43:10.26 ID:BA9TMh4G.net
まぁそもそも秀吉が遺言状を遺さなかったからね…
八月五日の秀吉直筆遺言状でも「いさいは五人のしゅ」に伝えたってあるだけで内容はわからんまま。だから仮に「五人のしゅ」が遺言をスリ変えても他人にはわからなかったと思う。秀吉はこの時にもう危篤状態だった訳でまさか遺言について聞きにいけたとも思えないし…

485 :人間七七四年:2022/01/15(土) 12:46:32.99 ID:gpHqQ/32.net
合議制なんて言ったって
出自も経歴もバラバラな外様大名に秀吉在世時の権勢の記憶しかない奉行の寄せ集めなんだから
派閥形成と主導権争いになるのは過去の武家政権見ても避けられなかっただろうさ
3人集まったらもう派閥できるって言うし
じっとしてたら滅ぼされるって意味では秀吉の死前後から全員戦国乱世の意識に戻ってたと思う

486 :人間七七四年:2022/01/15(土) 13:22:10.95 ID:2dPceKVl.net
上の人も言ってるけど、9月3日の起請文は秀吉死後だからな
この起請文に秀吉の意思が乗ってるはずはずもなく
明らかに徳川牽制が目的の合議制

487 :人間七七四年:2022/01/15(土) 14:20:07.05 ID:dDO2IeUI.net
>>478
なるほど本人が一度は死を覚悟して
諸大名を集めて体制を遺言した7月4日の一月後
死ぬ直前に急遽方針が変わったという認識か

488 :人間七七四年:2022/01/15(土) 17:49:58.22 ID:XC+IWf24.net
御掟違反だという騒動はあっても、遺言違反だとする騒動はなかった
そもそも遺言は公開されていなかったはず

489 :人間七七四年:2022/01/15(土) 18:19:33.13 ID:qsSo+Tpe.net
遺言をすり替えの可能性というがごにんのしゅの中に浅野長政がいた訳だし、その目をかいくぐってそんな危険なことをしでかした上もし秀吉が回復でもしたら一大事になる

490 :人間七七四年:2022/01/15(土) 18:26:26.44 ID:9r6NKXFM.net
一度は御前で周知されたはずの二頭政治を死去後の運動で覆させたのに、
三成強訴という形で他の大名からは認められず、またもひっくり返された

朝鮮組にしてみれば残留組の奉行衆は同等の身分の同輩でしかなく
その奉行衆の身分と権力を保証できるのは前田利家亡き後は家康のみだった
秀吉ワンマン体制と成り上がり豊臣家の歴史の無さと朝鮮遠征のゴタゴタからくる当然の成り行き

491 :人間七七四年:2022/01/15(土) 20:53:08.12 ID:xFn+qWDX.net
別に鵜呑みにはせんけど
加藤清正が慶長5年9月15日に中川秀成宛に書いた起請文だと
秀頼が幼少だから秀吉の遺言に背いて家康へ別心してる者がいるとか
公儀の為に秀成の為になる事は別け隔てなく申し入れるとか書いてるよね

492 :人間七七四年:2022/01/15(土) 21:43:36.19 ID:BA9TMh4G.net
何しろ秀吉の言う「いさい」が何なのか全くわからんのだ。
浅野家がこれ見よがしに家康利家体制の遺言を残してることを考えると…
ただ秀吉の遺言が殆ど口述書で、秀吉死後大名衆が「秀吉さまはこう仰った」って残してるから本当に口走ってた可能性はあるのがね。

493 :人間七七四年:2022/01/15(土) 22:12:27.07 ID:w14tPekg.net
病身で一貫性のない放言がその都度
記録されてた可能性もあるのよな
基本捏造と思うけど毛利に西国任せたとかも
実際言っちゃってた可能性も・・・

だからこそ大老奉行で本来アウトだった
誓詞交わして確認する必要あった
って側面もあったのかもしれない

だとしてもその機会に自分の権益を
確保しようとした側と
妥協してそれを呑んだ側側がいた

というのも否めないし
そのせいで政局が不安定化したのも
その後の歴史見ると明らかに思うけども

494 :人間七七四年:2022/01/16(日) 00:15:54.36 ID:Nhf2ge/a.net
笠谷和比古によると、豊臣政権の孕んだ政治的矛盾は
一つ目に豊臣内部の相続争い。北政所と淀君の対立。
二つ目に豊臣家臣団内部の対立。官僚派と武功派の争い。
三つ目に豊臣政権の全国統治。蔵入地や外様大名の有力家臣への知行が生んだ軋轢。
四つ目に豊臣公儀内の主導権争い。
五つ目が豊臣家と徳川家との覇権抗争。

こんなに軋轢があって何も起きないはずがなく…

495 :人間七七四年:2022/01/16(日) 00:42:32.35 ID:nVRIUkby.net
マジで秀吉の才覚だけで無理やり形だけまとめた天下で、その帳尻合わせの唐入りによるパイでかくして納得させようも失敗で終わってるし
なるべくしてなった、むしろよくあの程度の荒れ方で済んだってレベル

496 :人間七七四年:2022/01/16(日) 01:52:10.97 ID:trSFoCEx.net
秀吉の古参幹部・中堅の能力値からすると、羽柴四天王がノブヤボに登場するならこんな感じか?

       統率 武勇 知略 政治
竹中重治  90 74 99 57
黒田孝高  89 70 97 81
蜂須賀正勝 71 78 85 67
前野長康  63 68 61 35
宮部継潤  62 56 76 65
浅野長政  44 46 62 80
生駒親正  51 48 48 66
堀尾吉晴  59 54 62 71
中村一氏  56 47 47 60

       統率 武勇 知略 政治
神子田正治 63 69 68 56 
尾藤知宣  60 59 65 61 
宮田光次  67 78 53 44
戸田勝隆  62 63 53 57

497 :人間七七四年:2022/01/16(日) 02:10:40.99 ID:1ZOusiLb.net
>>494
「豊臣」政権と徳川政権との間に断層がある、という些か古い史観を暗黙の前提にしているように見える。

498 :人間七七四年:2022/01/16(日) 04:55:46.34 ID:+q73iF7/.net
>>452
俺は逆だと思うんだけどね、もし伏見城の物資に手を付けてないのなら数が数なので
本国から兵糧運送して来たとか、大坂あたりで買い付けたとか記録があるはず

それが一済みあたらないなら、伏見城の倉の物を勝手に使ったとしか思えない
豊臣家の第二の城塞である伏見城の物資を勝手に使うのは政治的宣伝にもなるし

499 :人間七七四年:2022/01/16(日) 07:21:42.90 ID:BVl7Tync.net
結局の所その城任された人間がその城の物資を用いた事を咎めるような案件なんて存在せず、実際に一切問題視された形跡もないって事でいい訳だ

500 :人間七七四年:2022/01/16(日) 07:28:43.15 ID:BVl7Tync.net
当時として問題視されたと言ったものもなく、むしろ奉行が来るよう要請したものに
何故か現代のずぶのど素人の一人だけが勝手にそれを当時でも問題視されるものだったはずなんだ!根拠ないけど!ってやってる訳だ

501 :人間七七四年:2022/01/16(日) 08:10:48.18 ID:Nhf2ge/a.net
秀吉政権の形から言ってもベストなのは二代目秀吉役に全てを委ねて「秀頼が成人したら三代目秀吉にさせてくれ」っていうものだったはず。
ところが秀吉にはそれが出来なかった。それほど人を信じられるなら秀次事件なんて起きるはずもないし…
おそらくそれで家康利家の二頭立てにしたんだろう。でもそれが十人衆政治へと拡大されていき次第に徳川一強へと変わっていく…

502 :人間七七四年:2022/01/16(日) 10:48:25.82 ID:Hj8frb4J.net
秀次事件はそれ以前に尾張統治のミスや秀次のした裁定に秀吉が問題視したりと言ったのも起きてるんで
単に秀頼に継がせる際に秀次が邪魔だったに短絡させない方がいいと思うが

503 :人間七七四年:2022/01/16(日) 10:59:08.78 ID:sgC/Bidu.net
そういうの聞くと秀次体制が続いたとしても安泰だったかは微妙だな
どうにも豊臣家って「家運」が無いねえ
少なくとも豊国神社でお参りして家内安全一族繁栄をお願いしても全く御利益無さそう

504 :人間七七四年:2022/01/16(日) 11:10:20.49 ID:ybLwVCvn.net
>>494
五つ目でいう「豊臣家」って具体的には
誰を指すんだろう?

505 :人間七七四年:2022/01/16(日) 11:13:28.34 ID:ybLwVCvn.net
>>498
そんな物流の細かい流れが史料研究で把握されてる?
誰がどこの倉庫から出た米を食ってたかなんて
果たして把握できるんだろうか?

5000人の食い扶持が確保で特に記録されるほど
大きな混乱を生むほど当時の畿内が
飢餓に見舞われていた訳でもないんだし

506 :人間七七四年:2022/01/16(日) 11:20:46.04 ID:0L+8hxTc.net
>>494
笠谷氏のそれは、結構古いもので15年前くらいのものかな
二つ目と五つ目あたりは、今時かなり違和感を感じるね

507 :人間七七四年:2022/01/16(日) 11:41:08.51 ID:25j1//Tg.net
とはいえ秀次の妻から子供から皆殺しにされてるから秀頼の存在が大きかったのも事実だろうなぁ。
しかも被害者の中には秀吉を支えてた貴族菊亭の一人娘まで入ってるし。

508 :人間七七四年:2022/01/16(日) 13:50:02.26 ID:oQVLSBDO.net
秀次事件は殺しすぎなのも問題
秀次と子供、家老あたりまでなら理解できるんだが

509 :人間七七四年:2022/01/16(日) 14:10:57.05 ID:XoQoOTTB.net
あそこまでやるなら家康も殺っとけばよかったのに

510 :人間七七四年:2022/01/16(日) 14:56:25.67 ID:fHXj5rpK.net
>>506
そういえば笠谷氏当人は現状どういう認識をしてるんだろか

511 :人間七七四年:2022/01/16(日) 15:12:46.68 ID:7zptCtKP.net
豊臣政権の歪みがモロ爆発した訳だけど
そもそもなんで上杉景勝と直江兼続の横暴が通ってたんだか…
あれ前もって止めてたらまた展開も違ったろうに

512 :人間七七四年:2022/01/16(日) 15:17:21.43 ID:trSFoCEx.net
>>502
他に理由があったにせよ、最大の動機は秀頼のためでしょ
係累ぶっ殺して、秀次悪逆の文字を彫った石をその塚に置く
明らかに秀頼のライバルを許さないって気持ちの表われじゃん

513 :人間七七四年:2022/01/16(日) 16:14:45.42 ID:10Zez5UE.net
>>508
田中吉政が助かって木下吉隆あたりが殺されてんの意味不明

514 :人間七七四年:2022/01/16(日) 16:20:18.13 ID:7zptCtKP.net
石田三成と仲良かったらしいしそこらへんのコネなんかな

だとしたら三成超恨まれてそう

515 :人間七七四年:2022/01/16(日) 17:51:56.39 ID:wUg3lRQu.net
>>508
秀吉は、鎌倉で頼朝像を見て、同じ天下人でも自分の方が上だと
ドヤ顔で語ったという逸話があるけど、同じ誤り=親族殺して
政権を簒奪される=をやらかしてるよな……

516 :人間七七四年:2022/01/16(日) 18:01:59.32 ID:BVl7Tync.net
あまり逸話やら裏付けのない話で喋らない方がいいとは思うよ

517 :人間七七四年:2022/01/16(日) 18:08:38.18 ID:Nhf2ge/a.net
まぁ為政者の過ちってのは任せ過ぎて下克上か疑心暗鬼に駆られて全滅かだし…

518 :人間七七四年:2022/01/16(日) 19:43:00.46 ID:UZQ/Pgim.net
秀次の尾張統治の件ってどうも秀次の実の父親が原因っぽいんだよな
統治がかなり稚拙だったらしく、秀次が頼りないと困ってる話もあるんだとか
本人も関白である以上、あまり京都から離れるわけにもいかないし…
正直任命責任もあるとはいえ、秀次にもっと京近郊の土地を与えるべきだったんじゃないか
領地が遠いと家臣を分断せざるを得なくなるのだし

519 :人間七七四年:2022/01/17(月) 06:52:18.56 ID:60QoZrdb.net
弥助が原因だったら真っ先に殺されてるだろ
なんの悪政エピソードもないし
単に親父はなにもわからないからよろしく頼むねぐらいの話でしょ

520 :人間七七四年:2022/01/17(月) 09:24:58.29 ID:9EQ2dOhk.net
弥助はそういえば秀次事件だと流罪で済んでるのか

521 :人間七七四年:2022/01/17(月) 10:19:28.65 ID:YsaYWinN.net
例えば超大規模な一揆を誘発したとかなら兎も角、ちょっと治世がマズい位で一族殺すとかまずありえんしまぁ秀頼への愛でやらかしたんだろうね…

522 :人間七七四年:2022/01/17(月) 10:52:22.20 ID:9EQ2dOhk.net
逃散を起こしてしまってたはずだね確か

523 :人間七七四年:2022/01/17(月) 16:08:44.24 ID:j1vBywId.net
毛利に西国任せた云々の内藤周竹の書状
その後の文を見ると、宇喜多がなんかしでかしたらちゃんと輝元が処罰しなさい
但し輝元は容赦するだろうからその時は家康がやってくれってのが続くのね

524 :人間七七四年:2022/01/17(月) 16:18:26.54 ID:SglgCuBq.net
豊臣政権の複雑過ぎる構造は誰かカリスマが居ないと収拾つかんのは明らかだしなぁ。秀吉(というより多分石田三成)は権力集中を嫌って十人衆合議政治を導入したんだろうけど結果的にはこれが裏目に出た訳でもうどうしようも無い。

525 :人間七七四年:2022/01/17(月) 16:41:29.12 ID:1HQBuEgz.net
>>480
9月3日付連署起請文にある取沙汰申間敷事は前の条項の文言で、諸事御仕置等之儀云々とは繋がってないし別の話じゃね

取沙汰云々の条項には、誹謗中傷する者がいればその者を明らかにして互いに告げることと、
10人衆以外の者を味方に取り込んで、その者に俺らの誹謗中傷させるようなことはするなってことしか言ってないし

526 :人間七七四年:2022/01/17(月) 20:01:23.78 ID:2YcYJqXD.net
>>511
いやあれ通ってたと言えるんかな?
当たり前に糾弾されて当たり前に問題化して
当たり前に討伐されてる途中に
クーデター起きて有耶無耶になっただけじゃ

527 :人間七七四年:2022/01/17(月) 20:07:57.25 ID:SglgCuBq.net
>>526
少なくとも秀吉が生きてる間は通ってたやん?…だよね?
秀吉死後はもう堀秀治の逆襲状態だったけど

528 :人間七七四年:2022/01/17(月) 20:13:54.78 ID:kWcV2XM6.net
取次してる人間が問題として取り沙汰さなくて政権に露見してなかっただけじゃね?

529 :人間七七四年:2022/01/17(月) 20:27:06.87 ID:9EQ2dOhk.net
少なくとも秀吉朱印状だと加増なんだから家臣全員連れてけって内容に上杉は違反してるんで、許されてるのか政権側が把握出来てないだけかだと現状できる解釈は後者かと

530 :人間七七四年:2022/01/17(月) 21:08:59.52 ID:fcayGnma.net
当時、織豊政権下で上杉ほどの自ばえ大名の転封って徳川くらいじゃね?とはいっても徳川は三河半国からで拡大にあわせて拠点も移動して家臣団も移転しやすい、加えて秀吉から家臣残してもいいという許可があったという
対して上杉は全員連れてけと言われても、下剋上から長年支配して主従関係ぐっちゃぐちゃ国人衆はかなり手間取ったと思うよ

単なる想像だけど徳川転封のときに許可して影響力強く残ったから、上杉は全員連れてけとなった気がしないでもない

531 :人間七七四年:2022/01/17(月) 21:25:54.40 ID:9EQ2dOhk.net
蒲生なんかもそれなりに規模がでかい扱いになってくが、徳川以外は加増時必ず家臣連れてけってなってる
これが徳川への厚遇か、言ってるように徳川で試したら面倒くさかったからかは一考に値すると思うが
秀吉許可のもと残した徳川家臣は年貢免除になったり、旧領に入った秀次親族の池田輝政と縁組させたり、徳川旧領での寺社や橋の普請は徳川に許可を得る形だったり
秀吉があえて影響力を残してるって認識のが私的にはしっくり来るかな

532 :人間七七四年:2022/01/17(月) 22:12:43.35 ID:FOUv8h9l.net
後年の関ヶ原後に転封になった佐竹も残してきた国人でひと悶着あった気がする

533 :人間七七四年:2022/01/18(火) 08:17:37.55 ID:Omz74ykn.net
蒲生騒動後に増領移封が沙汰されたのが4月
秀吉の死が8月(5月から病身)

この間両家バタバタと大急ぎで引っ越しして
半年分の租税徴収や上杉旧臣の居残りは
その中で進行してた

秀吉が許したというのはないんじゃないかと

534 :人間七七四年:2022/01/18(火) 17:07:13.47 ID:ZaHsfQoE.net
>>531
ただでさえ厄介なことがわかってる旧北条領への転封なのに、
前の領地の面倒も見るというのは秀吉の嫌がらせと思えなくはない

535 :人間七七四年:2022/01/18(火) 17:10:39.68 ID:ZaHsfQoE.net
転封の正式決定が北条攻めの最中のようなので色々と特例が多いのかも

536 :人間七七四年:2022/01/18(火) 17:44:28.34 ID:84x5JFhP.net
北条旧領で問題起きると近場の秀次含めて豊臣政権にもダメージいくし、嫌がらせには見えないかな
あえて悪い言い方をするなら嫌がらせというよりか、東国の事丸投げ

537 :人間七七四年:2022/01/18(火) 18:37:02.60 ID:t0J+BNxQ.net
唐入りの構想は小田原征伐の前からあるようだし
東国の抑えは家康に頼むしかないわな

538 :人間七七四年:2022/01/18(火) 19:56:05.20 ID:6px1+Wcm.net
九州征伐の時から言ってる

539 :人間七七四年:2022/01/19(水) 04:48:52.94 ID:dqJHeAbp.net
国内統治でさえ人材不足で大変だったのに
仮に唐入りが成功したら、さらに難易度の高い海外領土統治とかしなきゃならなくなるんだがそんな事出来たんだろうか

540 :人間七七四年:2022/01/19(水) 05:33:53.34 ID:y9r9A00m.net
>>536
当初の予定が狂ったのもあるかと思うので

本来、家康が旧北条領に、織田信雄が家康が移動した東海五か国に、そして織田信雄の
旧領の尾張と伊勢が秀吉の取り分の予定だったみたい

この構想だと、家康の旧臣が東海五か国に残るのは織田信雄に対する嫌がらせになるし
そして、口実つけてどちらかを改易すれば見せしめ効果抜群
この予定だったのに織田信雄の転封拒否から改易って予想外の事になったし

541 :人間七七四年:2022/01/19(水) 08:23:50.31 ID:tCocYwXr.net
当時の家康旧領とか家康が戦争しまくった影響もあってボロボロやからなあ
せっかく故郷の地震の復興済んだと思ったら他人の不毛な土地に行けってなって大名やる気無くなったのかもしれん

542 :人間七七四年:2022/01/19(水) 08:49:36.48 ID:uM/Vcv15.net
信雄が転封承諾した時も同じように徳川家臣を旧領に残す措置まで一緒かはわからないし、信雄と家康のどちらかを改易にする予定だったかなんてものもわからん
少しご自分の推測で考えすぎ

543 :人間七七四年:2022/01/19(水) 08:56:41.50 ID:1xg99Qh7.net
信雄が受けた場合の序列は秀吉に次いでナンバー2
層の薄い豊臣にとって織田は取り込みたいところ

544 :人間七七四年:2022/01/19(水) 10:50:22.19 ID:gD4WEj7d.net
ただどっちに転んでも旨いようにするのは当然とも思う
しっかり内政に努めて豊臣政権に勤めるのもよし
失敗して改易にするのもよし
この目に張って外れたらすっからかんなんて博打うちには天下人になれん

545 :人間七七四年:2022/01/19(水) 10:58:13.73 ID:uM/Vcv15.net
仮に信雄が転封承諾した場合の話が仮定に仮定重ねたものなのに断定してるのはおよそ事実から離れすぎって話に
当時の天下人ならそういうどっち転んでも美味しくいけるよう措置するのはおかしくないよねって話は、これまたズレてないかい?
あくまでも起きた事象が前提で解釈はそれに沿う形のがいいでしょ

546 :人間七七四年:2022/01/19(水) 11:43:00.72 ID:gD4WEj7d.net
まぁそういきりたちなさるな。
どっちが先か知らんけど、徳川の旧臣が残るところに信雄が入るとなると問題が起きると徳川と織田の仲が険悪になる事は充分有り得るんじゃね?上杉と堀のように。
まさかに家康が景勝みたいな真似する筈もないけど上杉の一件では「年貢持ってかれて完全に赤字→増税するしかない→上杉旧臣が一揆を扇動」って流れになって堀は「上杉は越後を狙ってる」って思ってたらしいし。
おんなじ事が織田・徳川間で起きたら面倒な事になったろう。そう考えると信雄が拒否ったのは割とターニングポイントだったのかもしれん。

547 :人間七七四年:2022/01/19(水) 12:06:43.36 ID:t20Oz+jF.net
怒ってるように見えてしまう言い方は完全にこっちが悪かった、すまぬ
勿論そうなる可能性はある
あるけど、それを秀吉が意図したか、あるいはそもそも信雄が承諾したら徳川家臣が旧領に残る措置も変わるんじゃないの?って所を話として詰めたかったのよ

548 :人間七七四年:2022/01/19(水) 12:09:42.28 ID:pBvs2EkY.net
見ようと思えば織田系大名の間で寄騎が移籍するのの延長のようにも見える
要するになんとでも言える

549 :人間七七四年:2022/01/19(水) 13:37:26.41 ID:L6ayciVY.net
戦国大名の家臣たちはそれぞれ領土を持ってて
所領へ戻ればお殿様、城主様だったりする

というか大名がその地位を保証することで
主従関係が成り立つ訳だ
国替えはその保証を一旦反故にするのを
替え地で補償して呑ませるに等しい

転封を命じられた大名は天下人との力関係で
飲まざる得ない状況である訳だが
その家臣からしたら移住を命じてくる大名は
どっか行っちゃうの確定してる訳で
まあそう簡単にいかないケースは出るわな

単純に考えて加増転封言われても移転先に
元の国人が居座ったままだとその分
入ってきた大名の取り分は目減りする訳で
家臣は連れてけってのは至極当たり前

旧臣を残していくのも
陰謀と結びつけられがちだが
単に統率できてなかった可能性もあるかと

550 :人間七七四年:2022/01/19(水) 13:40:06.28 ID:Rj5Ppzfl.net
ただ徳川の関東転封は関東・奥羽政策の総仕上げみたいなもので、居城を江戸にする他
徳川家臣の知行割など秀吉の介入があったわけで、緑国経営が失敗して改易出来てOKとかは
ないんじゃないか?

551 :人間七七四年:2022/01/19(水) 21:06:35.22 ID:gpbdOFCB.net
穿った見方ではあると思うよ

大領任せたのに経営失敗して巨大な領国が
まるっと不安定化してしまったなら
そりゃ政権としては介入せざる得ないし
任されてた大名は処罰せざる得ないのは当然

でもそれを狙っての国割であるとまで言うと
陰謀論に域に達しちゃってるわな

552 :人間七七四年:2022/01/19(水) 21:39:03.04 ID:J5Ua7Hgu.net
佐々成政の肥後一国も唐入りを考えたら不安定化を狙ったというのは疑問符がつくな

553 :人間七七四年:2022/01/19(水) 21:56:52.12 ID:wY9tac6x.net
現状佐々成政とかの国割を不安定化狙ったとか言ってるまともな研究者っているの?

554 :人間七七四年:2022/01/19(水) 22:11:03.07 ID:J5Ua7Hgu.net
いないんじゃね?
そーいう風潮はあるでしょ

555 :人間七七四年:2022/01/19(水) 23:13:04.84 ID:vxCC4Ceb.net
おそらくそうした話が出るのは秀吉の強引な中央集権的政治によるものなんじゃないか。
笠谷和比古は島津の伊集院、龍造寺の鍋島に対する秀吉からの直接もしくは間接的な知行宛外を挙げて大名家への干渉があったとしてる。
これらは大名家を統制するのが目的で反乱を起こさせる為じゃ無いんだろうけどこの様な一種強引な介入が大名にとって不愉快なのも確か。こうした手法が「秀吉があぁしたのは反乱を起こそうとさせたから」みたいな話に繋がるんじゃないかな。

556 :人間七七四年:2022/01/20(木) 06:59:52.88 ID:kJ5IbF00.net
佐々と仲が悪かった話も初出どこなんだろうか
太閤記辺りかな

557 :人間七七四年:2022/01/20(木) 08:15:08.31 ID:G1QrVDDs.net
順序があべこべで成政が肥後統治に失敗し
処分されたから秀吉とは不仲という話になる
無論賤ヶ岳、小牧長久手と対立してるので
仲が悪いと言っても一概に間違いとも言えないよ

がその後国持ち大名に復帰させた厚遇と捉えず
統治失敗で切腹したのを冷遇と捉えるのは
先入観があるからじゃないかと

558 :人間七七四年:2022/01/20(木) 08:59:44.23 ID:wNunzgs2.net
昔の感覚でいえば加増転封は左遷じゃなくて栄転やけどな
それだけ信用されてたってことでもある

559 :人間七七四年:2022/01/20(木) 13:42:13.96 ID:m8gGBM0L.net
秀吉の佐々弾劾状みるに普通に手腕を買っていたんやろね
佐々登用も根白坂などで活躍した宮部継潤に肥後を任せようとしたら自身の高齢と後継者の若年を理由に断られた人材難が発端だし、
秀吉は損しかしてないし変な陰謀論が入る余地は少ない

560 :人間七七四年:2022/01/20(木) 16:22:57.27 ID:eBa0gWbm.net
佐々は九州征伐でどんな功をたてたんだい?

561 :人間七七四年:2022/01/20(木) 17:22:07.00 ID:0qi71qIM.net
なに言ってんだこいつ

562 :人間七七四年:2022/01/20(木) 21:18:56.42 ID:G1QrVDDs.net
当たり前の話国持ち大名の経験者なんて
そうそう転がってないんよ

563 :人間七七四年:2022/01/21(金) 02:51:56.79 ID:C4qWdXtm.net
真面目な事いうと、九州は鎌倉時代からの九州三人衆の流れ引き継いでるっていう
特殊な土地ですし
少弐が竜造寺に代わっただけで、殆んど下克上おきてないんだよ

そして竜造寺の勢力拡張でも地付き豪族は殆んど潰せてない、黒田氏が苦慮した豊前の
城井氏も、大友、大内、竜造寺、島津って上が変わっても城井谷の領地は維持

そして、九州征伐で味方に付けば本領安堵の宣伝したため肥後の土豪は殆んど自分たちの
既得権益が認められると思ってたみたい
この状況で近畿から来た大名が肥後に封じられたら普通に国人一揆起きると思うぞ

負けたという認識ないのに、突然「お前たちの領地は無くなりました」ってやられたら

564 :人間七七四年:2022/01/21(金) 08:30:23.00 ID:BeYsKqOE.net
なくなりましたとやられて反乱した
って訳ではないのでは?

反乱したのは秀吉の九州征伐で安堵された国人
安堵分は島津との関係や降った後の軍功から
秀吉自身が決めたもの

秀吉は検地自体を免除しようとしたとか
成政の検地が苛烈だったってのは疑問で
実際には検地は差出で行われてたので
それさえなしじゃ領内の把握さえできない

のちの天草地方の反乱もきっかけは
宇土城普請の拒否なんで
そもそも肥後国人は従ってない
まあ難しい国だったのは確かではある

565 :人間七七四年:2022/01/21(金) 08:41:01.75 ID:BeYsKqOE.net
難しい国だから領主をはめる陰謀なのか?
というのも肥後入国前の佐々氏の状況考えたら
そこまでするほどデカくないので微妙

九州陣立の時点で羽柴名乗らせたり
侍従与えられてるの見ると
順当に経験と実績のある成政に任され
結果貧乏くじだったんじゃないかと

566 :人間七七四年:2022/01/21(金) 09:05:46.52 ID:xrOei8+K.net
少なくとも、嫌がらせで佐々を肥後にやったと言い張るなら相応の史料出すべきだろと
それすらしないで難しい土地にやったから云々は、陰謀論だって言われてもしゃーないぞ

567 :人間七七四年:2022/01/21(金) 17:25:43.45 ID:cKX3DpQp.net
佐々成政が切腹させられたのは国人一揆を起こされたからというより負けちゃったからじゃないかな
国人領主達の分断工作とかもうちょい上手く出来んかったんかな

568 :人間七七四年:2022/01/21(金) 18:12:10.13 ID:wBKU/rug.net
ていうか一揆起こされたら切腹って割と厳しくない?この当時どこでも起きてそうな気がするんだが…越後でも元上杉の連中が起こしてるし。
江戸時代だけど島原の乱みたいに明らかに領主の人品が劣悪で貴様のせいじゃねぇかとかならわかるけど…
改易程度で済ませちゃいかんかったのか。

569 :人間七七四年:2022/01/21(金) 18:46:09.82 ID:rML/T2Sv.net
一揆起こされた「だけ」ならなんも問題にならんよ

570 :人間七七四年:2022/01/21(金) 18:55:49.81 ID:NLSsJTaq.net
一揆を自前だけで鎮圧出来なかった場合は切腹やね、正確には

571 :人間七七四年:2022/01/21(金) 18:59:04.04 ID:jK3lUk4J.net
木村吉清は改易で済んだのにな
北野の茶の湯が中止になってブチ切れたのかな

572 :人間七七四年:2022/01/21(金) 19:43:24.98 ID:EfXeT1hB.net
一揆起こされてもダメてより
自力で鎮圧できないのがダメでしょ

自分の領土自分で治められない
治めるべき国人に負けてるじゃあ
統治者としても武人としてもダメ
大名としてダメとそりゃなるよ

実際続く城井鎮房の反乱を黒田は
騙し討ちにしてまで自力で鎮圧して
ことなきを得てるでしょ

573 :人間七七四年:2022/01/21(金) 19:52:23.30 ID:S1gSeJZc.net
いや、だから木村…
南部も豊臣軍頼みだな

574 :人間七七四年:2022/01/21(金) 19:59:36.15 ID:hJyElE2h.net
あれは誰かさんが裏で関与してた疑いあるから情状酌量したんじゃないの

575 :人間七七四年:2022/01/21(金) 20:28:18.30 ID:NLSsJTaq.net
言うて改易もだいーぶ重い処分だしね

576 :人間七七四年:2022/01/21(金) 21:21:07.66 ID:wBKU/rug.net
命があるか無いかって割と重い差じゃないかな…いかに一所懸命とは言えど。
一揆起こされて鎮圧出来ないって言っても色々な要因があるだろうし、例えば佐々が異常な圧政を敷いてとんでもない一揆になったとかならわかるのだが。
懸けた期待を裏切ったなら死罪、っていうのだと有力大名衆は気が気じゃなかったんじゃないかな。特に徳川家康とか。
そこらへんが「秀吉は実は…」って言われる所以なのかもしれない。

577 :人間七七四年:2022/01/21(金) 21:41:15.83 ID:gyUHjDwl.net
秀吉の言いつけを逸脱して自分の権益挟もうとしたのが割と真相に近いんじゃね

578 :人間七七四年:2022/01/21(金) 21:48:09.32 ID:x5+lP92q.net
一揆の最中に出された浅野・石田・増田連署状に拠ると、
・秀吉が肥後国衆に宛てた僅かの知行宛行の朱印状も佐々は渡さなかった
・入部直後は検地をするなと何度も言ったのに検地を強行した

このため一揆が起こったと諸将には説明してるな

579 :人間七七四年:2022/01/21(金) 22:02:11.62 ID:eYvQMVF5.net
一揆自前で解決出来なかった時点で大減封確定で、あとは状況と取り成ししてくれる人の有無で上乗せされるかどうかって感じじゃね

580 :人間七七四年:2022/01/21(金) 22:06:09.02 ID:eYvQMVF5.net
佐々の取次してた奉行って誰だろ

581 :人間七七四年:2022/01/21(金) 22:36:41.99 ID:gFAg11v7.net
>>579
だとすると堀秀治が上杉にキレたのも分かる気がする
一揆起きて鎮圧出来なかったら死なのに背後に旧主の影とかもう戦線布告に等しかったろうし

582 :人間七七四年:2022/01/22(土) 09:01:21.76 ID:lY5C5Wfi.net
誰かに聞いたけど
北条滅亡後の関東は秀吉が戦後処置をしっかりやってて統治は難しくなかったそうだから
その意味でも家康は優遇されてたんだな

583 :人間七七四年:2022/01/22(土) 10:23:17.53 ID:HIcuMVvO.net
東北仕置きは検地も遠征軍がやる国家事業で
木村吉清も奉行からの抜擢
てのもあったんじゃないかと思う

身内に甘いという見方もあるだろけど
国家事業の結果起きてる葛西大崎一揆では
重い罪を問うほどに豊臣政権の失策も強調される

その東北仕置のやり方も九州仕置他での
反省点を踏まえたものだろうから
佐々成政は政権の試行錯誤の犠牲になった
とは言えるがそれは陰謀的視点とは別の話

ちょっと前の徳川の関東入部時の旧臣問題も
徳川だからというよりそういう試行錯誤の結果
家臣は全て連れてけという条文が加わる
ようになったのではないかと

584 :人間七七四年:2022/01/22(土) 10:25:27.44 ID:HIcuMVvO.net
秀吉による検地免除は甫庵太閤記で
書状の宛名が怪しいから創作の可能性大
て話だったと思うがその後真筆出てきてるのかな?

585 :人間七七四年:2022/01/22(土) 11:42:02.55 ID:ytyIfQ4y.net
北条統治下の関東は一旦国人衆も均されていたしね
はじめは常陸を含めた関八州だったらしいが、豪族連合体だった常陸は難治だったから伊豆の方が徳川も助かっただろう

反乱が起きた肥後・紀伊・奥羽は豪族の解体がまだ進んでいなかったから誰が入っても難しくはあった
越後は盆地がちな地勢もあり家臣の統制が進んでいたとは言えない点もありそう

586 :人間七七四年:2022/01/22(土) 13:25:50.21 ID:FFaib2qL.net
過渡期故の成長痛だったのかな(成政からしたらたまったものじゃなかったろうけど)

587 :人間七七四年:2022/01/22(土) 20:09:13.59 ID:Yw3t62uJ.net
北野大茶湯が失敗して逆鱗に触れたんやろ

588 :人間七七四年:2022/01/22(土) 20:30:04.30 ID:3qnDV8vu.net
中央集権って軋轢を生むからね仕方ないね

589 :人間七七四年:2022/01/22(土) 20:46:29.17 ID:zVIdQ/Lj.net
本来の目標は口うるさい中央政権に向かうヘイトのガス抜きに唐入りがあった訳で、そのガス抜きに支障の大きい肥後での統治ミスとなると加減もしづらかったのやもしらんなぁ
完全に当て推量だし、この辺りの研究読みたい所だけどあるかなぁ

590 :人間七七四年:2022/01/23(日) 13:10:56.38 ID:Gsv0n4t9.net
一、
柴田の時に歯向かってきたが首切らず越中一国任せて飛騨取次も任せた
一、
信雄の時も歯向かってきたが首切らず越中半国任せて人質の妻子のために摂津にも少領やって侍従にもしてあげた
一、
九州国分で信長時代から武辺で有名で秀吉も知ってるから良き国肥後一国を兵糧も弾薬もあげて
城譜代も申しつけて国衆から大坂と熊本に人質も取ってから任せた
一、
大友に味方して早くから誼を通じてた従順な隈部を勝手に攻めて息子に反抗され大事になって
小早川龍造寺立花を救援に向かわせたが埒が明かないから寒い時期だけど毛利も動かして平定した
一、
曲事多かったが許して任せたのに1ヵ月せず大乱起こして秀吉は大恥かいた
切腹申し付けようと思ったけど取り成しもあるから
糾明(と戦後処理)のために浅野黒田福島蜂須賀らに3万ほどつけて上使として下向させたら
上使無視して勝手に大坂に弁明のため来ちゃうしとりあえず尼崎に幽閉して
こりゃ追放か切腹しかねーな上使の報告効いて決めようと思ってたら
処刑された千人の国衆のうちの主だった者の百頸が大坂に送られてきた
喧嘩相手がこんなになってるのに佐々だけ生き延びたら秀吉は気まぐれかよと
人々に言われちゃうから不便だけど切腹させた
一、
佐々が召し抱えたもので乱に関わってないものはそのまま熊本で暮らして良いことにした
「佐々弾劾状(島津宛秀吉書状)超簡略意訳」

591 :人間七七四年:2022/01/23(日) 13:16:01.43 ID:Gsv0n4t9.net
もとはかなりの長文だから略すと適当な文になっちゃうから実際自分で当たってもらうのがいいけど
全体的に秀吉の俺悪くないもんちゅうプロパガンダは当然感じたけど不審な記述無い感じ

592 :人間七七四年:2022/01/23(日) 15:46:14.76 ID:gmNYtkrL.net
朱印状隠匿や検地免除違反はないのな

まあ秀吉としても他の大名の手前
謂れのない罪状で処断すんじゃないよ
ってのは説明しときたいだろう

593 :人間七七四年:2022/01/23(日) 17:00:23.84 ID:JFIhxgUc.net
隈部親永は成政の検地に内には秀吉の朱印状あるのにって形で対立してたっけ?
成政が張り切り過ぎたか隈部氏などに出された朱印状の件の連絡が豊臣家からうまく連絡出来てなかったか親永が真田ばりにややこしい事しでかしたか、色々考えられそうだしこの辺りの詳細が知りたいね

594 :人間七七四年:2022/01/23(日) 20:51:42.48 ID:upZOP3fU.net
肥後国人一揆の細かい点までは知らんけど
朱印状は普通何処の領土をどのくらい安堵するて内容
差し出し検地はその中身を確認するために必要では?

595 :人間七七四年:2022/01/23(日) 21:40:11.42 ID:JFIhxgUc.net
とも思うけど、隈部氏が不入を主張して篭城した以上認識の齟齬の可能性もあるかなと
肥後一揆について研究詳しくしてる方っていないかなぁ

596 :人間七七四年:2022/01/24(月) 07:00:33.98 ID:D+cCX9fp.net
隈部が与力とかの意味分かってなかったんじゃないの
独立国なのになんで介入してくるんだっていう

597 :人間七七四年:2022/01/24(月) 09:28:48.35 ID:ddUNYfFS.net
所領削られた挙句、検地で隠田まで見つけられたらたまったもんじゃないからな

598 :人間七七四年:2022/01/25(火) 09:24:12.46 ID:KAbwrrck.net
認識の齟齬というか利害が対立してんのよね
在地国人は領地は寸土といえども減らしたくない
新領主は安堵された以外の領地が自分の収入

599 :人間七七四年:2022/01/25(火) 10:21:02.97 ID:8bU8rb9q.net
在地国人でありたい隈部とさっさと家臣団として組織したい佐々と豊臣政権って形かね?
黒田も九州の国人相手だと強硬策しかなかったし、島津の統治期間が短くて東国ほど牙抜けてなかったか
この仮定だと政権の意図を組んで柔順なのは隈部より佐々な気もするが

600 :人間七七四年:2022/01/25(火) 10:29:45.50 ID:CBfaPCe3.net
半独立の国人の早急な家臣化はこの時期の大名の主な仕事なんて上手くやったか出来なかったかだけでしょ

601 :人間七七四年:2022/01/25(火) 13:27:54.60 ID:VA4KybuT.net
でもそれってあべこべな気がする。佐々が政権の意向を無視してたなら厳罰もわかるんだけど政権の意向を汲んで行動して失敗して切腹ってのは…
秀吉からすると「そこまでしろとは言ってなかったが?」ってことなんかな…

602 :人間七七四年:2022/01/25(火) 19:49:21.27 ID:CBfaPCe3.net
失敗して切腹って別におかしくはないでしょ

603 :人間七七四年:2022/01/26(水) 01:53:36.60 ID:doELGvW5.net
九州だと、領地の大きさの基準が町歩だったりする事が多いんですよね。少弐氏の有力
家臣で後に下克上した竜造寺本家が5000町歩の領地とか。
江戸初期の肥前が50000町歩くらいなので、一町歩=10石くらい。

基準が面積って事は、それだけ中世的雰囲気が強く国人の領地に手を付けられない状況
だったのではないかな。

604 :人間七七四年:2022/01/26(水) 07:11:49.46 ID:3NlD69OK.net
>>602
部下が上司の指示に反して行動した挙句失敗したなら厳罰を与えるのは当たり前なんだけど、部下が上司の指示に従ったけど諸事情で失敗したなら厳罰を与えちゃいかんと思うの。
失敗は結果であってそれ自体は責められるに値しないからね。だから佐々が秀吉の指示にどれだけ反していたか、若しくは失敗を招く何かを佐々が行ったかが問題なわけで…

605 :人間七七四年:2022/01/26(水) 08:19:18.97 ID:dg2EJA9o.net
あなたがどうするべきと考えるかと
実際どうなったかは別の話よ
同情的になるのはわかるが
ただただそれだけの話

>>590が挙げてくれた書状にもあるけど
規模が規模だけに責任取らされた側面もある
実際同情的にみる余地があったから
後年やり方変わったんだろうしな

606 :人間七七四年:2022/01/26(水) 10:37:37.62 ID:h0MuxzrR.net
佐々の一件みると「秀吉は家康を切腹させるために関東に〜」系の話ってあながち陰謀論とは言えんのか。
転封されてそこでの統治に失敗すると切腹になる。ってことは転封される者にとってはかなりのプレッシャーだったはず。しかもそこが重要であればあるほど…
家康や秀治は何とか凌いだ訳だけどこの手の「落第=死」系のシステムって大抵破綻するんだよなぁ…
佐々には生き残る道があったのだろうか?

607 :人間七七四年:2022/01/26(水) 11:07:53.05 ID:xIdeH8+X.net
奥州では元明智家臣の5千石取りだった木村吉清が奥州仕置き後に30万石の大名に抜擢されたけどやっぱり一揆の鎮圧に失敗して領土を没収されてる
最初から一揆の中心地になりそうなところにそういう人間を置いてるんじゃないかって気がするが木村は没収だけで済んでるし後に1万五千石程度だけど大名に返り咲いてるんだよな

608 :人間七七四年:2022/01/26(水) 11:22:47.69 ID:d9varPv3.net
罪刑法定主義で成敗の基準が明確になってたわけじゃないだろうから
その辺はブレがあったり曖昧なところがあっても不思議はないんじゃないかと
特に政権最初期はどうしても人治主義になっちゃうだろうし

609 :人間七七四年:2022/01/26(水) 11:23:20.73 ID:6lgmLNgh.net
なんで重大な案件任せてミスったら責任取ってもらうと
ミス誘発させたかったを短絡させるのかがわからん

610 :人間七七四年:2022/01/26(水) 12:05:56.17 ID:h0MuxzrR.net
「失敗した原因を問う」のと「失敗の責任を問う」は全然違うからね。上に立つ者は「人は失敗する」事を当然としてそれに対するシステムを作っておかないとならん。そうしておいて「原因」を問わないとならない。
部下が秀吉の命令に反していたり結果的に失敗を招く様な行いをしたから厳罰を与えてるなら何の問題も無い。でも困難な仕事を与えて失敗したら厳罰、なんてのは組織を作る上では最悪なんじゃないかな。多分それで後世で佐々が秀吉の命令に従わなかったって逸話が作られたんだろうし。

611 :人間七七四年:2022/01/26(水) 12:25:25.48 ID:u90/XCBe.net
現在の理想のリーダー像で当時語っちゃダメでしょ、一番やっちゃいけない事じゃん
あくまで当時としてその改易や切腹が不当と見られるかどうか、わざと統治の破綻を意図してたなら意図してたとわかるものがあって初めてそう解釈するのが妥当と判断すべき

612 :人間七七四年:2022/01/26(水) 16:55:42.41 ID:Ll6C0b/O.net
佐々は旧北陸軍で最後まで抵抗してたからなあ 陰謀論が語られる素地はある
元国持大名とはいえいきなり肥後一国は過大な褒美だし任せる人材がいないといっても佐々の後に加藤と小西が入ってるわけでな
最初から失敗させる気の有無はともかくハイリスクハイリターンな転封ではあったのかも

613 :人間七七四年:2022/01/26(水) 20:15:20.60 ID:nzv3vVDm.net
過去に陰謀論が語られた素地はあることと
今陰謀論を主張する根拠があるかは別だわな

614 :人間七七四年:2022/01/26(水) 21:32:54.42 ID:CDTRQKzp.net
木村吉清は上杉家武将の河田、畠山の引き抜きを担当したらしいな

615 :人間七七四年:2022/01/27(木) 06:20:03.68 ID:DDZCDEWy.net
佐々が秀吉の言うことに逆らって苛烈な施政をしたとか、報連相怠ってましたとかならわかるし若しくは領土運営失敗すると誰でも死ですとかでもまぁわかる。
問題は佐々だけ厳しい処遇ってなると「秀吉が佐々を潰すために敢えて難題を」って話は消えないだろうなぁ。そうなると秀吉と戦った家康とかは気が気じゃ無かったはず。
他に領国運営失敗して生き残った連中が豊臣政権と親密な関係だったりすると尚のこと噂は立ちそう。

616 :人間七七四年:2022/01/27(木) 08:01:23.14 ID:X575tdjT.net
仮定で喋りすぎ

617 :人間七七四年:2022/01/27(木) 12:40:37.76 ID:UXlo0t/E.net
何に拘ってるのかよくわからんのよね

陰謀論が語られた背景について突き詰めたいなら
まずその陰謀論がいつ頃どのように発生したか
の部分を明確にしないといけない

でも語るのは現代の感覚のリーダー論とかで

618 :人間七七四年:2022/01/27(木) 14:07:40.12 ID:3TKaLUMZ.net
>>496
秀吉の古参幹部・中堅の能力値からすると、羽柴四天王がノブヤボに登場するならこんな感じか?

       統率 武勇 知略 政治
竹中重治  55 44 69 17
黒田孝高  49 40 77 61
蜂須賀正勝 51 78 75 47
前野長康  23 38 21 15
宮部継潤  32 26 36 25
浅野長政  24 26 32 30
生駒親正  21 28 28 36
堀尾吉晴  39 34 32 31
中村一氏  16 17 17 10

       統率 武勇 知略 政治
神子田正治 13 19 18 16 
尾藤知宣  10 19 15 11 
宮田光次  17 18 13 14
戸田勝隆  12 13 13 17

619 :人間七七四年:2022/01/28(金) 03:40:59.26 ID:DN6c9Pcq.net
>>313
鎌倉時代の足利の正室も北条からだったな

620 :人間七七四年:2022/01/29(土) 14:35:54.68 ID:sb7Bugnk.net
>>609
絶対に揉めるだろうなって状態にして、反乱起きたら責任追及もねえ
これまで肥後国人は大友にしろ、竜造寺にしろ、島津にしろ形式的に臣従してただけ
だもん
当然、秀吉の九州征伐でも従来の方針の延長線上で自分の領地は安堵されるって
思ってただろうし

で佐々にしてみれば、此の儘じゃあ俺の収入全然無いじゃんってなる
そして反乱で儲けたのは、国人皆殺しで肥後を平定出来た豊臣家
陰謀論も出るでしょ

621 :人間七七四年:2022/01/29(土) 16:06:49.59 ID:ZyfWr1Ew.net
俺の収入全然無いじゃんってなっても問題無いように小大名の佐々を送り込んだのはあるのかね
国持ち経験あり・能力有り・現在は小大名(・ついでに元敵対者だから失敗したら殺してもいい)と都合のいい男ではある

622 :人間七七四年:2022/01/29(土) 16:10:05.24 ID:ZyfWr1Ew.net
>>615
秀吉の命令に逆らって検地したのじゃなかったっけ?

623 :人間七七四年:2022/01/29(土) 16:33:53.54 ID:j9moUV3B.net
>>620
上でも語られてるが
陰謀論が語られる素地と、実際にそうであったかは全く別の問題
陰謀論語られてもしょうがないよねーってのが、そもそもそんな意図が事実である証明がなされてないって話より優先されると思う意味がわからん、そのレスはなんのつもりで書いたのか

624 :人間七七四年:2022/01/29(土) 16:36:03.02 ID:j9moUV3B.net
そういった陰謀論が出ること自体はここで誰も否定していない
否定されてるのは陰謀論で語られてる内容が実際に意図されてたという部分に、証明が一切なされてないのに強弁する点でしょ

625 :人間七七四年:2022/01/29(土) 16:41:43.11 ID:vcbwlD+v.net
>>622
同時代史料にはその記述がない
上にある秀吉自身の佐々の罪状説明にも
命令違反検地と言われてない

626 :人間七七四年:2022/01/29(土) 16:51:27.34 ID:vcbwlD+v.net
陰謀論が語られたのは何故か
という部分への否定はないでしょ

「あながち陰謀論とは言えん」などと
言い出す人がいるからそこはたしなめられてる

627 :人間七七四年:2022/01/29(土) 16:55:54.15 ID:YQyWAKN2.net
>>625
天正16年閏5月14日付の佐々弾劾状(島津義弘、小早川隆景、立花宗茂、長谷川秀一宛等)には書いてないが、
天正15年10月21日付豊臣秀吉朱印状(大友義統、相良頼房、新納忠元宛等)には、
「彼国百姓以下も、有付候様ニ令分別、可申付之旨重畳被仰出候處、
検地を仕、其上對百姓・下々非分に申懸ニ付、及迷惑、一揆起之由候事、」
と検地を行った結果一揆が起こったと書いてるよ

628 :人間七七四年:2022/01/29(土) 17:49:51.09 ID:vcbwlD+v.net
禁止したのにって内容ではなくね?

629 :人間七七四年:2022/01/29(土) 18:49:06.53 ID:YQyWAKN2.net
先ずは百姓以下まで落ち着かせるような分別をすることが必要だ、
と散々命じたのにすぐ検地を行ったことで一揆が起こった
「有付候様ニ令分別」は直接的な表現ではないが、騒動になりそうなことはするなと秀吉は前もって念押ししてる訳だし、
その騒動になりそうなことには当然入部直後の検地も含まれるでしょ
禁止と同義と見て問題ないと思うけど

630 :人間七七四年:2022/01/29(土) 19:41:51.76 ID:AE6ifBRD.net
でも確かに「禁止」はしてないんだな…うーむ。

631 :人間七七四年:2022/01/29(土) 22:36:00.94 ID:nR8ufFMq.net
奥州の木村吉清の流れも九州の佐々とソックリやん
能力は見込まれてるけどまあ失敗しても良いかぐらいの立ち位置までそっくり

632 :人間七七四年:2022/01/30(日) 07:17:14.54 ID:huv8HJ7L.net
んなこといったら家康氏ねで関東に送り込んだのかもしれん
結果論だよ

633 :人間七七四年:2022/02/02(水) 11:01:29.33 ID:pNBeaXYQ.net
佐々は領土を元々有していた実績もあるし、武将として戦功も多いから理解できるが、木村吉清については何故30万石与えられたのか理解できんな

634 :人間七七四年:2022/02/02(水) 12:04:36.15 ID:9wwM5Shh.net
さいはての地域だから大身にしてやらないと引き受け手がいない?

635 :人間七七四年:2022/02/02(水) 12:07:58.39 ID:Leg7iU0U.net
同じく東北に転封された蒲生は検地してみたらめっちゃ石高あるってなったはずだけど
木村吉清のは元からデカい石高の地として認識された上なの?

636 :人間七七四年:2022/02/02(水) 12:13:01.84 ID:N4QgPZj7.net
四国九州国分でも関東奥州仕置きでもうまくやってる連中の方が多い。
使える人材を使ってるだけだろそのうえでたまたま失敗してる奴がいるちゅうだけで

637 :人間七七四年:2022/02/02(水) 12:39:41.40 ID:9SBE1ynu.net
だから、近畿とは可成り常識が違うって前提あると思うのですよ

マキャベリなんかも君主論で書いてるけど、中央集権的な体制で地方豪族の力が弱かった
アケメネス朝ペルシャなんかは王朝の主力が潰されると其の儘平定された
アレクサンダー大王の死後でも反乱は起きてないのですよ

地方豪族の力の源が王朝の官職についてる事であるなら、王朝の権威と軍事力が潰されると
殆んど何も出来ない、反乱起こそうにも住民が味方しませんので

九州と奥州は国人の独立性が強いって近畿とは違う状況がね

638 :人間七七四年:2022/02/02(水) 12:41:35.30 ID:N4QgPZj7.net
糞みたいな例え話すんな

639 :人間七七四年:2022/02/02(水) 12:41:46.37 ID:pNBeaXYQ.net
木村にいたっては元は5000石の大名未満なわけで、仮に5万石想定で転封とした場合でも大出世過ぎるし、いくら土地隠しが酷いとしても想定5万→実高30万石になるとも思えんわなぁ
まぁ上杉・伊達の外交官を努めて京都奉行をこなしていた点では評価が高かったのかもしれんが

640 :人間七七四年:2022/02/02(水) 12:43:54.87 ID:N4QgPZj7.net
清正もそんくらいでしょ

641 :人間七七四年:2022/02/02(水) 12:44:03.97 ID:pNBeaXYQ.net
しかしどこかで見た記録では、木村も近江源氏佐々木の一族として取り立てられ、秀吉に娘を差し出して召し抱えられたそうな
https://i.imgur.com/5VPCu1v.jpg

642 :人間七七四年:2022/02/02(水) 12:44:46.33 ID:pNBeaXYQ.net
加藤清正と木村吉清が同格扱いならもう少し記録が残ってても良いとは思うがなぁ

643 :人間七七四年:2022/02/02(水) 12:55:15.22 ID:9wwM5Shh.net
木村はもと明智家来で、亀山城引き渡の手際がよかったので秀吉に気に入られ、家来に取り立てたんだと

644 :人間七七四年:2022/02/02(水) 13:21:17.94 ID:9SBE1ynu.net
実際、昔読んだ大友氏に付いてかかれてた本に、本家の領地が少なすぎて何故これで
やって行けたのかわからないと
基本的に自分の領地持ってる在地豪族と、緩やかな従属同盟結んでるだけみたい
主君というより組合長で、血縁的に本家だから何とか統制してるとかそんな感じ

645 :人間七七四年:2022/02/02(水) 13:30:27.99 ID:0gieJAtW.net
家臣団が貧弱だし見どころのあるのにさっさと実務させたかったんじゃね?
加増ってあげて終わりのご褒美って訳じゃなく、能力買ってるんだからこんだけの領地無事に治めなきゃ許さんぞって意味でもあるし

646 :人間七七四年:2022/02/02(水) 13:53:26.70 ID:0gieJAtW.net
なにもなんら功績なくって訳でもなく、羽柴が急成長してく過程で加増前から奉行としても重宝されてんしょ?木村吉清
しかも奥州仕置で結構がっつり地元大名も改易に処したりで空白自体がでかいんしょ?

647 :人間七七四年:2022/02/03(木) 07:48:12.92 ID:cVzClhMv.net
木村の抜擢は佐々みたく過去の大名としての実績よか
身内の奉行からの抜擢ていみで小西加藤に近い
小西加藤は肥後国人一揆、木村は奥州仕置で検地済み
とある程度地ならしした上での拝領
まあそれでも一揆起きた訳だけど

648 :人間七七四年:2022/02/03(木) 21:38:37.33 ID:dzWErmsA.net
木村は蒲生が5万石で召し抱えたり蒲生退去後に大名に復活したりしてるからそれなりの能力も人望もあったのだろう
それと比べると佐々の即死罪はやはり重いわな

649 :人間七七四年:2022/02/04(金) 08:18:41.70 ID:HMczQHm6.net
その辺は秀吉の裁量の範囲内だろう独裁だしな
仙石なんてやらかしたこと考えたら打ち首でもおかしくない

650 :人間七七四年:2022/02/04(金) 08:27:20.35 ID:7uCdFbMF.net
逆にミスから死罪にされた面々の共通点から調べた方がよさそうな気がしてきた

651 :人間七七四年:2022/02/04(金) 08:45:26.46 ID:65HDabqA.net
先に言ってる人がいるけどある程度の量刑こそ当時の一般常識から決まるけど最後は秀吉の裁量次第だし、共通項探す意味ってあるのかね

652 :人間七七四年:2022/02/04(金) 11:44:43.92 ID:XBD77O1L.net
木村一族も重茲は切腹に追い込まれたが、弟の宗明と従兄の吉清はお咎め無しで、イマイチ基準が分からんな

653 :人間七七四年:2022/02/04(金) 12:14:44.01 ID:G7iFaQ+4.net
結局秀吉の機嫌次第だったってことでしょ
義教ばりの独裁者だったわけだよ
長生きしてたら義教みたいに首はねられてたかもな

654 :人間七七四年:2022/02/04(金) 12:39:35.80 ID:zC8YIrV+.net
豊臣政権は成政や尾藤神子田、利休、秀次のような
罪状が不明確な割に苛烈過ぎる仕置きが目立つ
一方で意外と改易減封で済まして
大名本人の処断には慎重な印象もある

苛烈な仕置きをした場合の見せ締め効果と
予想される抵抗の激しさの計算とか
それこそ秀吉の機嫌とか
不透明感もあったとは思うよ

655 :人間七七四年:2022/02/04(金) 12:43:13.18 ID:cT+CA9rq.net
となると秀吉が信頼していたってのも
どこまで信頼していいのか疑問に感じてしまうな

656 :人間七七四年:2022/02/04(金) 13:46:43.39 ID:G7iFaQ+4.net
天下をとった後の秀吉に限っては古今東西の独裁者が参考になると思うよ
つまり疑心暗鬼、誰も信じられない
家康を無邪気に信頼してたはずはないしその他大老奉行だって誰一人信じられなくなってたろう
天下統一前後からの秀吉は精神の平衡を失い始めてたとしてもおかしくない
残された史料からだけだと秀吉の言行に矛盾やおかしなところが出てくるのはそういうのもあると思う
史学的に邪道なのかもしれんが精神病理学の補助線引かないといかんのでは

657 :人間七七四年:2022/02/04(金) 17:44:08.65 ID:bK8Qh+z5.net
となると、耄碌し始めていた秀吉と上手く付き合っていた家康凄いな

658 :人間七七四年:2022/02/04(金) 17:54:22.48 ID:Z9JAS/Qa.net
>>657
黒田官兵衛は前漢の陳平っぽい

659 :人間七七四年:2022/02/04(金) 18:13:53.06 ID:STWoM/qu.net
家康もだけど割と利家も苦労してたんじゃないかな。
元同僚で勝家を裏切った前科があるし…秀吉からの目はかなり気にしてたと思う。その割には利家夜話だとはっちゃけた話が多いけどさ。

660 :人間七七四年:2022/02/04(金) 18:26:10.94 ID:ambZMy6p.net
>>658
わかる
つか秀吉が劉邦っぽい
死後に嫁が暴走するし

661 :人間七七四年:2022/02/04(金) 18:37:41.27 ID:SK1LkB/L.net
>>633
坂本城だったかの明け渡しの手際が見事で秀吉に評価された。その後検地なんかでも有能ぶりを示してたとかなんとか

それにしても元明智家臣に5千石→30万石は訳あり物件を思わせる

662 :人間七七四年:2022/02/04(金) 19:32:35.74 ID:Inq1Ii6s.net
その時点で加藤清正三千石→20万石
という成功例あるし
それ言い出したらいわゆる豊臣恩顧武将て
元々は下手すりゃもっと小身から
てか秀吉自身がそうですし

663 :人間七七四年:2022/02/04(金) 20:16:34.30 ID:STWoM/qu.net
小身からの万石って確かに嬉しい大出世なんだろうけど、
給料百万円が二千万円に!とは違った苦労があるよね。何しろそれだけの人員を差配しないといけないし。

そういや組屋文書で島津や毛利は朝鮮出兵を嫌がっていてその報酬の土地も「何十万石貰っても支配の難しい土地は嫌だ」って言ってたと書いてあるらしいけどここら辺とも関係してそう。

664 :人間七七四年:2022/02/04(金) 20:36:49.11 ID:7SJeOX/A.net
>>663
そもそも土着してる地方大名からしてみれば、転封自体がそんな嬉しいもんじゃないだろ
少々実入りがよくなったところで、慣れ親しんだ土地から離れるのは嫌がりそうだ
子飼いの連中や、織田時代から大きくなった新興大名の方が無邪気に喜んでそうな気もする
三成はあんまり喜んでなかったという話は聞くが

665 :人間七七四年:2022/02/04(金) 21:10:15.64 ID:Jdp0GfTA.net
筑前筑後への加増拒否ったんだっけ三成

666 :人間七七四年:2022/02/04(金) 22:01:56.90 ID:XkCsKbv5.net
明出兵の尖兵期待して入れた佐々が肥後国人にボコられて戦後は勝手に上洛してきた

これは残念ながら死ぬしかないな
せめて沙汰あるまで肥後に残ってるか、死ぬ覚悟で奮闘してれば改易で済んだろうに

667 :人間七七四年:2022/02/04(金) 22:03:27.60 ID:kow6iQJw.net
老人雑話だと細川忠興が蒲生の前に会津転封候補だったらしいね

668 :人間七七四年:2022/02/04(金) 22:14:10.26 ID:+SrWrIiE.net
>>665
家臣宛の書状では
「私が筑後・筑前に移れば佐和山に置く適当な人もおらず、秀吉の御用に立つ人
も少ないだろうから、
私は今まで通り佐和山にいるようにとの御意があった」と三成は説明してるな

669 :人間七七四年:2022/02/05(土) 02:53:58.94 ID:t7ZU8nxW.net
良く考えたら、加藤清正や小西行長の肥後転封が上手く行ったのって元々が
小身だったからかも知れませんね

上手く統治するには元々の地付き豪族の領地残して組み込むしかないが、これだと自分の
直轄領が少なくなりすぎますし
そして手持ちの兵力が少ないと国人に嘗められるって状況にも

つまり自分の領地少ない状況で国人に舐められない事が求められるって二律背反に

670 :人間七七四年:2022/02/05(土) 10:16:14.13 ID:0OWWMlDh.net
加藤家は地域有力者に権限と裁量権を渡しすぎて、清正死後に統制不能になりました
イエーイ━━━d(ゝω・´★)━━━ッ!

671 :人間七七四年:2022/02/05(土) 13:14:21.09 ID:a0B7c8zX.net
>>669-670
君臨すれども統治せずは当主が有能ならできるのかもしれんね

672 :人間七七四年:2022/02/05(土) 13:34:32.76 ID:6XX66tit.net
まあぶっちゃけ小西行長加藤清正は
肥後国人一揆で粛清&ガス抜き済みっていう
好条件に助けられたのはあるでしょう

それでも天草では一揆起こされたけど
2人自力で鎮圧できた

673 :人間七七四年:2022/02/05(土) 21:44:33.04 ID:f2D1ZR+j.net
君臨すれども統治せずはどっちかというとトップに左右されない仕組みの問題かと

674 :人間七七四年:2022/02/05(土) 21:53:36.36 ID:WLAPZ0qF.net
加藤清正はワンマンで何でもやっちゃう人という話だが

675 :人間七七四年:2022/02/05(土) 22:11:44.74 ID:TUjwgNw7.net
清正の家臣宛の書状は指示がめちゃくちゃ細かくてとにかく冗長
あと「沙汰之限」が口癖らしく書中に頻出しててよく家臣が怒られてる

676 :人間七七四年:2022/02/05(土) 23:59:50.60 ID:gFxlbTPZ.net
>>674
ワンマンっていうか何でも自分でやりたがり
小さなドブ工事にすら顔出して住民に驚愕されてる
民からすれば見える殿様で親近感わくかもしれんが

677 :人間七七四年:2022/02/06(日) 03:15:03.35 ID:DjvgZMSl.net
>>676
それじゃ部下は殿様の顔色伺うことばかりで育たなくなるわ

678 :人間七七四年:2022/02/07(月) 01:04:38.40 ID:C+JooRNp.net
家名を保てる次世代を遺してこそ大名・旗本という点では加藤清正は名君じゃない

679 :人間七七四年:2022/02/07(月) 01:21:44.14 ID:RIIY0SyG.net
お手本がまさしくワンマンな秀吉だしなぁ

680 :人間七七四年:2022/02/07(月) 10:00:54.88 ID:VSJ9XF9M.net
>>679
信長もワンマンだしな

681 :人間七七四年:2022/02/07(月) 13:00:49.17 ID:KjJYX1qK.net
戦国時代で拡大して生き残る為には有能な君主がワンマンな権力行使しなきゃ無理無理

682 :人間七七四年:2022/02/07(月) 14:21:39.18 ID:7YvgX/cG.net
晩年の信長は方面軍に任せたり武田征伐も実質信忠がケリを付けたりと言うほどワンマンではない

683 :人間七七四年:2022/02/07(月) 17:18:38.01 ID:VxkKgvYc.net
光秀に任せすぎて本能寺になったわけだし

684 :人間七七四年:2022/02/07(月) 17:49:14.23 ID:rhD8gLrG.net
最近頻発する「無敵の人」と、大坂の陣の勝率を考えた場合の
赤備えの何がどう違うのかって説明できます?

685 :人間七七四年:2022/02/07(月) 19:18:57.87 ID:rxJU7QTI.net
>>683
光秀が鬱など精神病ではなくまともだったら光秀の過信だね
権力はあっても味方はいなかった
信長の後ろ盾があっての権勢でしかなかった

686 :人間七七四年:2022/02/07(月) 19:39:51.77 ID:gGUwkTBv.net
主君が精神病なだけで斎藤利三とか明智秀満とか錚々たる面々が、殿もああ言ってるしやらせてあげよっか!とかならないだろ
松の廊下とは訳が違う

687 :人間七七四年:2022/02/07(月) 20:25:21.45 ID:zHmQmA8P.net
現在の当人に直接診断かましてもド素人が病気判断できるかどうか難しい限りなのに、史料上の相手をどうこう言えると思える人はなんなんじゃろな

688 :人間七七四年:2022/02/07(月) 20:36:19.58 ID:tC8R5N0V.net
口に出しちゃった以上バレるから
やり遂げるしかねー

って太閤記だっけ?
リアルな気はする

689 :人間七七四年:2022/02/08(火) 00:14:57.60 ID:qvrOe3uC.net
関ヶ原の西軍首脳部も権力はあったが味方が少なかったということか
無理やり味方にした奴らも多かったし増田前田玄以は内通するし

690 :人間七七四年:2022/02/08(火) 05:21:15.16 ID:CB9yGIX5.net
>>689
権力自体が秀吉あってのものでしかなかった、って事ではないかと
豊臣政権自体が実質秀吉政権でしかなかった、というのはしばしば言われるしね
結局は仕掛けるのが早すぎる、せめて家康が死ぬまで待たなきゃだめだ
家康自体が豊臣政権の第一人者であることを大義名分に行動する事で、間接的に
豊臣の権威強化に貢献していたのだから、これを最大限利用するべきではあった
家康の力で豊臣政権の権威と絶対性を確立させる事で、逆に家康死後の徳川家を
豊臣政権に縛り付けることに成功すれば、徳川排除の流れは随分違ったものになったろう
勿論、徳川自体は強大だし、秀忠も軍事はともかく政治的には決して侮れない相手だが

691 :人間七七四年:2022/02/08(火) 08:29:18.68 ID:VeALml5y.net
徳川によって豊臣政権の権威が強化されても
奉行の権勢が強化される訳じゃないからね
それが権力争いというもの

692 :人間七七四年:2022/02/08(火) 10:02:19.27 ID:bMNOzr86.net
時間経てば経つほど秀吉の奉行であって秀頼の奉行じゃないから自分たちが政権中枢から外される事は変わりないしね

693 :人間七七四年:2022/02/08(火) 11:40:31.56 ID:qvrOe3uC.net
とはいえ上杉征伐は止められない
家康も秀吉に転封させられた大名だから豊臣政権が盤石じゃないと困る
会津越後の影響は関東にも出てくるだろうから手を打たないわけにはいかない
遠征大名たちの大軍をまとめられるのは家康だけだし色々と尻に火が点いてる状態

694 :人間七七四年:2022/02/08(火) 12:18:48.93 ID:VeALml5y.net
あれは何も天下を狙う戦国大名家康が
豊臣政権の忠臣たる上杉を非道に攻めた
というわけではない

上杉征伐が成功したとしても
大老上杉氏が取り潰しまたは詫び入れて失脚
となってもそれは豊臣政権の仕置だぞ

695 :人間七七四年:2022/02/08(火) 12:51:42.37 ID:jybOPlPs.net
堀秀治から「上杉が!軍拡してます!絶対謀反だァ!」って報告上がって周囲の大名もそうだそうだと言っていますとなって、弁明に来いと言ったら拒否しました
なんてなったらそりゃ戦争になるに決まってるんだよなぁ…

696 :人間七七四年:2022/02/08(火) 13:07:56.28 ID:UfiUoWTe.net
政権のこと思うなら家康に任せっぱなしでいいんよな、徳川と豊臣の利益が共通な状態に秀吉がちゃんと作ってたんだから

697 :人間七七四年:2022/02/08(火) 16:48:32.27 ID:VeALml5y.net
秀頼様を推戴する家康様サイコー!
秀頼様を支え続ける限り一生ついて来ます

って奉行はじめ全国の大名たちが思ってるなら
家康としてもあえて諸将の反感を買う恐れのある
豊臣家排除に動くのはリスクでしかなくなる

実際に史実でも豊臣家排除の動きって
幕府が開いてからもかなり長く起きてない
豊臣政権が存続するとしたら
それが一番自然だと思うのよね

その場合奉行ら所謂豊臣恩顧の武将たちは
政権の中枢にはいられないわけだけども

698 :人間七七四年:2022/02/08(火) 18:02:55.34 ID:XBRhO08r.net
前田は暗殺疑惑嫌疑かけられても上洛しなかった

699 :人間七七四年:2022/02/08(火) 20:09:53.44 ID:VeALml5y.net
そのかわり母親人質にして徳川と縁談進めた
上杉も洗桃院差し出して徳川家から養子もらうとか
そういう動きしてたら会津征伐なかったかもな

700 :人間七七四年:2022/02/08(火) 21:54:57.46 ID:ZKKhLrq/.net
まつが大坂にいたらえらい事になってたな
江戸にしたのは、結果的に正解

701 :人間七七四年:2022/02/09(水) 20:47:43.58 ID:vj/jMqsA.net
家康って小牧長久手後〜秀吉死亡までの間は一切秀吉に反抗しなかったの?
関東移封の件にしろ秀吉は家康を特別待遇してた訳じゃなさそうだな
家康も朝鮮出兵させて削れば良かったのにな

702 :人間七七四年:2022/02/09(水) 21:07:03.58 ID:dbs4qCaS.net
よく言われるけど秀吉は朝鮮は楽勝で明まで倒せると思ってた。だから家康や利家は使えなかった。これ以上こいつらに武功を立てられたらそれこそ徳川・前田に天下を握られてしまうから。

703 :人間七七四年:2022/02/09(水) 21:54:56.71 ID:BLvlfIPZ.net
東国と北国ほぼ丸投げしてるのに特別待遇じゃないとは

704 :人間七七四年:2022/02/10(木) 13:07:36.40 ID:QXkt5ASk.net
秀吉と家康の直接的なエピソードって少なすぎないか
「陣羽織着ます」と
泣きながら秀頼をお頼み申すの2つくらい

705 :人間七七四年:2022/02/10(木) 13:17:46.77 ID:EgFv5dHL.net
北条征伐の前だったか
秀吉が家康に北条に内通しておるのではないか、と半分戯れだろうが刀を抜いて凄んでみせたが
家康に軽くいなされ黙って刀を納めたってのをいい話悪い話スレで見たことある

706 :人間七七四年:2022/02/10(木) 13:28:57.99 ID:fncT61mE.net
その手のは後世の創作だったりで信憑性が著しく低い
普通に信憑性の高い史料の中でどう扱ったかを変な先入観持たずにフラットに見てくのが一番よ

707 :人間七七四年:2022/02/10(木) 14:04:52.79 ID:Ai4SnjHx.net
ツレ小便は?

708 :人間七七四年:2022/02/10(木) 14:13:56.20 ID:EgFv5dHL.net
まー基本「エピソード」ってほぼ100%創作なんだろね
当時の公文書や手紙にそんな小説的な話残ってるはずないし

連れしょんべんはちょっとググッたら18世紀にできた関八州古戦録が出典だそうだから創作だな
秀吉の先見の明でよく上げられるんだけどね

709 :人間七七四年:2022/02/10(木) 16:39:36.40 ID:plCLm8eg.net
じゃあ、秀長邸でのサプライズ登場とかも無かったの?

710 :人間七七四年:2022/02/10(木) 17:23:34.76 ID:iRNwKSYP.net
かといって一次資料無いから全てが創作と断定できる訳でも無いからなぁ
一次資料だけで構成された歴史はそれはそれで穴だらけ
逸話は部分的に捻れた事実を伝えてるとも考えられる

711 :人間七七四年:2022/02/10(木) 18:06:14.93 ID:RRXKaG0e.net
>>709
あそこまで家康にへりくだる理由はねーわな

712 :人間七七四年:2022/02/10(木) 18:20:52.84 ID:OqwaNvDL.net
あれはもう完全に創作臭プンプンだからな

713 :人間七七四年:2022/02/10(木) 18:55:55.01 ID:UOdnkWRX.net
一次史料だからって全て正しい訳でもなく二次史料だからって全て間違ってる訳でもない
大事なのは史料批判なんかの精査が出来てるかどうかよ

714 :人間七七四年:2022/02/10(木) 19:24:57.94 ID:AcisAAV4.net
一次史料の日記に明らかに違った記述があるけど正しい
ではなく他の史料と突き合わせて何故こういった記述になったのかを考察する姿勢を持つべきだと思っている

715 :人間七七四年:2022/02/10(木) 19:39:21.69 ID:5/4xOu+Q.net
徳川の時代になって家康が秀吉に簡単に臣従したのでは屈辱的だから
あのようなでっち上げが生まれた
秀吉が源氏の子孫ではなかったので征夷大将軍になれなかったというのも
家康が関白になってなかったというのが屈辱的だから創作された

716 :人間七七四年:2022/02/10(木) 20:24:11.64 ID:UOdnkWRX.net
>>714
それこそ史学の基本的な姿勢でまともな研究者なら常に一次史料だから絶対なんだじゃなく裏付け取ってるね

717 :人間七七四年:2022/02/10(木) 21:08:14.65 ID:yzI0N3dY.net
ただ確かに秀吉の「厚遇」は一概に厚遇とは言えんのは確か。通常、「厚遇」ってのは相手を他人よりも贔屓もしくは依怙して扱うこと。それは当然プラスだけで無くマイナスの取り消しも含まれてるだろう(例えばある人物だけ失敗しても罰せられないとか)
秀吉の場合、与えた報酬に見合わない働きをすると最悪死ぬ。大きな報酬に大きな責任を伴わせてる訳だけどこれは明文化も判例法化もされてない。乱暴に言うと秀吉の腹積もり一つ…ってなると。

718 :人間七七四年:2022/02/10(木) 21:10:22.08 ID:v/Vxjv7T.net
後世の加筆創作捏造が無いことを前提にすれば
秀吉が家康の宿所を訪ねて自らもてなしたってのは家忠日記にあるからそれは事実なんだろう
会見時の一芝居を頼んだのは創作としても他の大名上洛時にも似たようなサプライズをやった事例があるのか
それ次第ってことかな

719 :人間七七四年:2022/02/10(木) 21:22:12.38 ID:FIxUrKpN.net
>>714
それが構造的な影響のある案件ならその価値もあるが、単発事象なら捨て置いて可。
スレまで立ってる「七将襲撃」なんざその典型。
んなもんあってもなくても当時の権力構造や歴史の大流に毛ほども影響は無いのに文献逐語翻訳厨の鬱陶しいこと夥しい。
最近の歴史研究の傾向は構造を鳥瞰せず近視眼の虫瞰で重箱の隅ばっかり突っついてるように見える。

>>716
史学サイドで云う裏付けってのは所詮文献のクロスチェックが精々。
だから時折、考古学や理工学の方面から定説が覆されて見苦しい狼狽っぷりを晒す。

720 :人間七七四年:2022/02/10(木) 21:23:30.75 ID:GQlS9Mtj.net
お前の好みなんかシランガナ

721 :人間七七四年:2022/02/10(木) 21:39:15.71 ID:AcisAAV4.net
この板もワッチョイ導入申請するべきかな

722 :人間七七四年:2022/02/10(木) 21:55:20.06 ID:FIxUrKpN.net
>>721
賛成。

723 :人間七七四年:2022/02/10(木) 22:08:36.02 ID:GQlS9Mtj.net
構造がうんたらー言ってる変なの弾きたいし、導入申請してもらえるとありがたいかな

724 :人間七七四年:2022/02/10(木) 22:49:28.12 ID:AcisAAV4.net
了解です
日本史板は申請したようなので、同じようなスレッドごとにワッチョイ導入可能という設定で申請を考えています

まずは議論スレを建てて申請はその結果次第という方向でいこうかと

725 :人間七七四年:2022/02/10(木) 23:00:04.43 ID:GQlS9Mtj.net
ありがとう、機会を作ってくれてとても助かります

726 :人間七七四年:2022/02/10(木) 23:03:24.67 ID:FIxUrKpN.net
>>724
ミステリ板で申請の肝煎をした経験から御節介。
議論スレを立てたらできるだけ多くのスレに告知を貼ること。
議論参加者が少ないと色々云われる。
議論が広く行われた、少なくともそうなるように肝煎が努力したという形を付ければ運営の心証も良くなる。
面倒だとは思うが、頑張れ。

727 :人間七七四年:2022/02/10(木) 23:07:47.23 ID:AcisAAV4.net
ワッチョイ導入議論スレ
https://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/sengoku/1644501787/
以降はこちらでお願いします

728 :人間七七四年:2022/02/11(金) 01:07:31.86 ID:SvtmRdPb.net
ワッチョイ導入するのに議論なんてしなきゃならんの?
導入してくれよ

729 :人間七七四年:2022/02/11(金) 01:11:31.61 ID:NznCHUkV.net
>>728
申請する為に必要。
申請書式がそうなっていて、書式を外れた申請は門前払いされる。
運営も一応「議論スレ」を覗いてる節がある。

730 :人間七七四年:2022/02/11(金) 01:12:54.04 ID:NznCHUkV.net
>>728
附記。
速やかな導入の為にも「議論スレ」にその賛成意見を書いてくれ。

731 :人間七七四年:2022/02/12(土) 07:02:23.69 ID:CugaXiBR.net
>>723
そんなに仲間の雑談にしたいなら、アカウントが固定されてるSNSでやればよいじゃん
匿名掲示板で、気に入らない書き込みを遮断したいってのも一種の荒らしだぞ

あなたが個人ブログで持論語るのは構わないが、こういう掲示板で仕切ろうとするのも
おかしくないですか?

732 :人間七七四年:2022/02/12(土) 08:10:43.26 ID:OZJpYlgV.net
他の掲示板でも導入されてる匿名書き込みを、荒らしたいでもなければワッチョイ導入に文句つける意味合いはないわな
よほど何か後ろめたいものでもあるのか

733 :人間七七四年:2022/02/12(土) 08:16:52.69 ID:OZJpYlgV.net
それこそ、歴史の事柄に関してなんの根拠もないことを好き勝手に喋って悦に入りたいだけなら個人ブログでやりゃ良い
今ワッチョイ導入に対して反対するような輩がどういう人間なのか、おおよそ察しもつくわな

734 :人間七七四年:2022/02/12(土) 09:26:17.28 ID:8heAAt5c.net
ワッチョイなんてそんは大層なもんじゃないしな
自演しにくくなる以外はまったく問題ないから大丈夫

735 :人間七七四年:2022/02/12(土) 12:23:13.47 ID:dz7a1ejq.net
ワッチョイついたら俺がバチャ豚なのバレてレスバ最弱になるからやめーや

736 :人間七七四年:2022/02/12(土) 13:20:38.40 ID:HnRklNK4.net
賛成論者も反対論者も議論スレで意見を述べてくれ。
せっかく立ててくれたんだから活発な議論を。

737 :人間七七四年:2022/03/04(金) 21:06:38.46 ID:W/d/mY5t.net
恩顧とはいっても新恩受ければそっちいくのが戦国武士だしな

738 :人間七七四年:2022/03/04(金) 22:05:34.69 ID:1rfcRkM+.net
恩顧とかいう主たる側が御恩を進行形で果たせてない事を棚に上げて後世のやつがろくに調べないで訳知り顔で使う為の言葉嫌いだわぁ
無限の奉公求めるのはもはや主従どころか奴隷でもせんぞ

その上で、恩顧と呼ばれる勢はそれなりにしっかり報いてるな

739 :人間七七四年:2022/03/05(土) 15:23:59.19 ID:hy189sdR.net
秀吉恩顧といっても元から秀吉と関係ない連中は己の野望があるし、秀吉家臣はそっちはそっちで政争してるし…

740 :人間七七四年:2022/03/05(土) 15:51:05.12 ID:syhzzbao.net
そもそも豊臣恩顧などというのには昭和になって使い始めた歴史用語

741 :人間七七四年:2022/03/05(土) 23:45:41.50 ID:hW3cwydC.net
秀吉はいうほど家康や前田を信用してない
最近の研究だと家康ら五大老には何の権限もなかったことが明らかになってる
権限あったのは秀吉配下の五奉行だけ
五大老は京都常駐を命じられていただけの大大名

742 :人間七七四年:2022/03/06(日) 00:07:50.90 ID:66BZYooJ.net
なんのどの研究からだよ

743 :人間七七四年:2022/03/06(日) 06:31:21.31 ID:4YtgSJnv.net
結局家康は非道な簒奪者ていう
固定観念を守りたいんだよな

そりゃ秀吉生前は彼が唯一絶対の独裁者で
奉行はその手足として絶大な権勢を得ていた
それが秀吉死後の後継体制で脅かされて
ついに大乱を起こしたのが関ヶ原

744 :人間七七四年:2022/03/06(日) 08:32:06.66 ID:JSuRRe52.net
秀吉もアホだよ
自分が死んだ後の事を考えなかったんだから

745 :人間七七四年:2022/03/06(日) 09:21:15.86 ID:UIpsh/sr.net
正確には「五大老五奉行には何の力も無く、力があったのは徳川家康と前田利家のみ」ってのが正しいかな。
だから家康と利家を抜いた連中じゃ政なんか出来なかった。

746 :人間七七四年:2022/03/06(日) 11:03:14.63 ID:4YtgSJnv.net
秀吉は自分の死後家康が政権握る可能性も
十分認識してたと一連の遺言見ると思うけどな

それが本当の最晩年の、死ぬ一月前ぐらいから
急に家康への権力集中を妨げる内容の
「遺言」や起請文が出てくる

747 :人間七七四年:2022/03/06(日) 12:02:21.79 ID:RqzAT7TC.net
権力を集中してこそ諸大名へ統制がきく強力な政権になるというのに
赤の他人同士に分散させて相互牽制させようなんてお花畑に過ぎてまとまるものもまとまらず
船頭多くして山に登るで政権の威信を低下させるだけ
秀次一族を抹殺した時点で普通に目端の利く大名ならこの政権は終わったと思ったろうな

748 :人間七七四年:2022/03/06(日) 13:08:08.63 ID:CN3oOSgn.net
まあやった事は頼朝に近いからな
もっと吾妻鏡を読んで勉強しておればな

749 :人間七七四年:2022/03/06(日) 13:42:28.00 ID:qDbJdnf2.net
頼朝は外戚に力を集中させたらその外戚が自分の家から出た将軍まで始末するとは思わなかったってパターン

750 :人間七七四年:2022/03/06(日) 14:19:38.48 ID:EFOaDlwz.net
>>749
頼朝時代はそんなに力なかった定期

751 :人間七七四年:2022/03/06(日) 14:21:46.71 ID:66BZYooJ.net
>>746
起請文はともかく遺言でそんなものあったか?

752 :人間七七四年:2022/03/06(日) 15:41:58.62 ID:xUvVikdB.net
>>750
力がなかったから頼家を始末したんだけど

753 :人間七七四年:2022/03/07(月) 10:47:10.08 ID:3SZYPzVb.net
直筆遺言状が出たのと同日で合議制を確認する起請文が出てる。豊臣政権下だと御掟で大名小名問わず一切起請文を交わすことは出来ないからこれは明らかに御掟を超越した存在である秀吉の意思。
ただ、直筆遺言状の八月五日は正に危篤状態といって良い時期な上余りに唐突な合議制だからこれは秀吉の意思とは違う何者かによる策謀って可能性はかなり高いと思う。実際、この合議制によって豊臣は終わったようなもんだし。

754 :人間七七四年:2022/03/07(月) 10:50:48.31 ID:vaTW7HYi.net
だからあくまで確認できてるのは起請文で遺言からは確認できてないよな、同日にあったというだけで

755 :人間七七四年:2022/03/07(月) 14:02:44.51 ID:kAWOV6oF.net
合議制で運営されてた形跡も無いし
三成襲撃事件と似た感じ
後世のこじつけっぽい

756 :人間七七四年:2022/03/07(月) 14:20:28.88 ID:p9pz8EJ3.net
遺言で「いさいは五人のしゅ」に伝えてあると書いてあって、同日に合議制を起請文で確認してるから秀吉の意思は合議制だったと「見なされた」ってことなんでしょう。
秀吉はそれまで家康に天下を譲ろうとしてたけどここに来て急展開したことになる。これは「五人のしゅ(多分五奉行だろうけど)」の陰謀だとも言えるけど後々やたらと「太閤さまからの遺言」を主張する連中が出てくるから割と危篤状態で意識が朦朧としてた可能性もあるからなぁ。

757 :人間七七四年:2022/03/07(月) 18:38:23.00 ID:RzAyNCVP.net
利家にもちゃんと守役するように遺言にあるのも忘れないでほしい

758 :人間七七四年:2022/03/07(月) 21:10:19.59 ID:hVii7dLa.net
悪いが俺は合議制とはとってないかな
単に当時の基本的な意思決定である独裁に対して
相談しろと枷をかけてるに過ぎない
と言う理解だわ

759 :人間七七四年:2022/03/07(月) 21:14:24.34 ID:TizJh6C3.net
>>758
こいつがだれかは知らないが痛いレスだなw

760 :人間七七四年:2022/03/07(月) 22:12:13.57 ID:NxYV8sXQ.net
>>759
> こいつがだれかは知らないが

変えたつもりが変え切れてない文体で判る。
>>758は戦国板に粘着し続けてる例の荒らしだ。

761 :人間七七四年:2022/03/08(火) 05:34:40.82 ID:Ml+4up+y.net
合議制をとったのは良いとしても問題はそれが伏見徳川、大坂前田の二大政治体制と全く合致せんことよな。
十人衆は伏見に六人、大坂に四人いる。これで合議は煩わしい話になるし。

762 :人間七七四年:2022/03/08(火) 07:07:07.54 ID:v2dm4uFR.net
別のスレでの話の蒸し返しになるが
合議制というのは相談することじゃなくて
意思決定が合議によって決まる体制ね

五奉行五大老体制は一堂に会する仕組みですらない

763 :人間七七四年:2022/03/08(火) 13:57:35.49 ID:jroOI4u1.net
一堂に会しなくても合議は成立するが

764 :人間七七四年:2022/03/08(火) 14:19:22.74 ID:kraGk0EK.net
あっそ

で?具体的にどうやって成立させる仕組みなの?
実際にその仕組みがどのように運営するはずで
何が決定してたと史料から確認できるの?

765 :人間七七四年:2022/03/08(火) 14:40:50.30 ID:jroOI4u1.net
普通に署名でしょ

766 :人間七七四年:2022/03/08(火) 14:45:24.57 ID:Ml+4up+y.net
それで結局、家康が決めた事を他の連中が署名するだけっていう体制になっていったと

767 :人間七七四年:2022/03/08(火) 15:02:10.73 ID:VsPod+XB.net
>>764
盗将大権現さんが私的婚姻しようとしたら、前田利家が憤激したって状況証拠が?

盗将大権現さんが勝手に全て決めて良いなら、前田利家の方が僭越な行動になるよね
こういう状況証拠無視するのも詭弁よな

768 :人間七七四年:2022/03/08(火) 15:16:27.29 ID:p78lYaCB.net
実際僭越な行為だったんだろ、徳川の婚姻破棄もされなければだから

769 :人間七七四年:2022/03/08(火) 15:18:44.14 ID:p78lYaCB.net
まだ大坂伏見でならギリ連名署名もできようが、一人秀吉から言われて会津にいるしで合議前提としちゃあまりに無理のある話よな
そういう意味でもあの起請文だけが他の政権構想からあまりにも浮いてる

770 :人間七七四年:2022/03/08(火) 15:47:25.79 ID:VsPod+XB.net
>>768
前後の状況証拠を常識的な解釈で見れば多分こうなるぞ

前田「俺に話通さずに私的婚姻とか如何言う事だ説明を求める」
家康「そうだったっけ?なんか年取ると物忘れが」
前田「許せない」

という感じだから、婚約破棄以外に和解する事は有り得ないと思いますよ
利家生前に手打ちしたと見せかけたのなら婚約破棄するつもりだとの意思表示してるはずで

直後に利家脂肪死後葬式もしてない時期に七将蜂起ってながれでしてね
この流れは継続してるとみるほうが自然では?

771 :人間七七四年:2022/03/08(火) 15:50:42.17 ID:ShQaTaQM.net
つまり婚姻破棄されてないということは利家は激怒していなかったという話に

772 :人間七七四年:2022/03/08(火) 16:16:32.37 ID:YF2N4lAA.net
婚約破棄どころか利長の後見を家康に任せる形だから言ってる条件とてんでズレてるな

773 :人間七七四年:2022/03/08(火) 16:18:11.33 ID:YF2N4lAA.net
勝手な思い込み史観で自然とかちゃんちゃらおかしいにも程があるわな

774 :人間七七四年:2022/03/08(火) 16:26:00.15 ID:VsPod+XB.net
>>771
普通に考えると如何なるかって書いてるんだけど理解出来ないのか?

家康「考え直すから和解してくれない?」
利家「なら無理に戦にする事もないが」
暫くして利家死亡。

家康「邪魔ものが死んだか、あんな約束守る訳ないのに馬鹿が騙されやがる」
家康「有耶無耶にするための仕込みはしてんだよ、約束守らせるの現職の奉行や大老よな」

家康「俺の智謀にかなう奴は居ないんだぜ、俺天才」

775 :人間七七四年:2022/03/08(火) 16:39:45.81 ID:Ml+4up+y.net
前田家史料(利家公御代覚書)では利家は慶長四年三月八日に家康を大坂に呼んで利長の後見を依頼してる。これは同日付家康・宇喜多秀家起請文でも確認出来るので事実と思われる。
つまり利家は家康を敵視しておらずむしろ前田家を守る味方になると考えていたことになる。
利家からすると家康の縁辺なんてそんな問題行為では無かった(笠谷氏によると家康はこの問題で奉行衆を完全に屈服させたというから寧ろこっちを疑問視した可能性がある)。とはいえ利家には家康より危険な敵が居たことも確かなのだが。

776 :人間七七四年:2022/03/08(火) 16:41:45.34 ID:atuwhMBq.net
お前の自然は歪んだ思い込みで自然だと思ってるだけだろ例え話
そこら中からトンズラこいてないで問われた史料さっさと出せや

777 :人間七七四年:2022/03/08(火) 16:46:27.29 ID:3pzFz19h.net
無視しろよ

778 :人間七七四年:2022/03/08(火) 18:55:22.94 ID:lAwbjgug.net
>>767
会話できなさが凄いなw

誰が一人で勝手に決めていいって主張したんだよ
合議結果を政権の決定にする手順が決まってないて話

779 :人間七七四年:2022/03/08(火) 18:56:44.45 ID:lAwbjgug.net
>>770
蜂起?そんな大事何故一次史料に
記載がゼロなの?

780 :人間七七四年:2022/03/08(火) 18:58:40.64 ID:lAwbjgug.net
>>774
和解が成立し婚姻も破棄されてないのだから
「普通に考えると」婚姻は有効と言う和解条件

って話
憤慨したとか蜂起したとか史料の裏付けない
あなたの思い込みが「普通じゃない」てだけ

781 :人間七七四年:2022/03/09(水) 01:19:34.07 ID:BlNMauM7.net
>>780
だから直前まで開戦は時間の問題の睨み合いしてたんだぞ?
そして家康が勝手に国元から5000なり7000なりの増援を伏見に持つて来てた状況だからな

ここで家康の非法を咎めず和陸なら、徳川の増援に威圧されて無条件降伏も同じだぞ
私婚を完全破棄が条件じゃないとおかしな事に成ります
それ以外の条件で和議なら、抑々何のために問題にして睨み合いしてたか意味不明

782 :人間七七四年:2022/03/09(水) 01:30:20.76 ID:BlNMauM7.net
謀略の手口がきちんと一次資料に残ってるのって、チェザーレ.ボルジアのマジョ―ネの反乱
くらいじゃないのかな?

この事件はフィレンツェの外交官としてマキャベリが直接当人に頻繁に会ってたから騙しの手口が
非常に克明にわかります、直接取材してるしね
チェザーレが最優秀主演男優賞取れる程の名演技で、反乱した傭兵隊長を篭絡しようとしてる所が
良く分かりますよ

チェザーレが怖いのは最高級の微笑で篭絡しながらどんどん軍備を増強していき相手を威圧
していくんだよね
そしてマキャベリに本音を「俺の名誉をこれだけ傷付けながら許されるとか...」

783 :人間七七四年:2022/03/09(水) 01:31:59.96 ID:863L5kT2.net
>>781
和陸ワロタ
似てるけどどうすりゃこんな間違いできるんだ?

784 :人間七七四年:2022/03/09(水) 01:47:45.31 ID:O8XLT05s.net
またクソの役にも立たない例え話か、無駄な頭悪いコメントでスレ使うな

785 :人間七七四年:2022/03/09(水) 02:01:28.82 ID:O8XLT05s.net
話戻すか
結局8/5の起請文だけが他秀吉遺言で定めてる家康を政務、利家を後見の後釜に据える形にお膳立て整えてたのから変に浮いてると
んでこの時期の秀吉は意識不明瞭な事も多くて、意識不明瞭な秀吉に無理やり定めさせたあるいは秀吉自身が朦朧として支離滅裂になる指示を残したかもってのと
あくまで家康政務、利家後見の構想は変わらず付け加えじゃねってのとが今の話で出てる訳だ

786 :人間七七四年:2022/03/09(水) 08:37:16.64 ID:sTccrz5u.net
>>781
あなた自身が言ってるように「睨み合い」だった
前田自身も徳川より所領が近く味方する大名も多かった
なのになんで「威圧されて全面降伏」になるんだよ

あなたの考えるよな一方的に家康に非がある状況なら
前田に支持は集まりやすいし政治的妥協も不要
と考えるのが「普通」だろう

なのに何故かあなたは家康が一方的に悪いのに
前田を圧倒するほどの兵を集めて戦争準備して
それが支持されて支持を受けた
というおかしな話にしちゃってる

787 :人間七七四年:2022/03/09(水) 08:54:43.04 ID:sTccrz5u.net
>>785
そこよね
秀吉が弱りきってから急に奉行や他の大老と
相談しろって体制が文書化された

なのにその死後家康を糾弾するのにも
合議の席での弾劾ではなく利家からの糾明と
指示する大名(奉行含む)が参集しての
圧力という手段が取られてる

788 :人間七七四年:2022/03/09(水) 09:07:13.78 ID:sTccrz5u.net
秀吉の死後合議のはずが家康が専横を始めて
ついに忠臣三成は蟄居、やむなく挙兵
というような話で語られがちだけど
実際にはむしろ逆のことが起きてた

秀吉の死の直前に家康・利家への
政権移譲を制限する動きが突然表面化
次いで家康の失脚を目指す弾劾が起こり
利家がその矢面に立たされるが
両者の間で手打ちに至る
が、その後も兵乱の噂が絶えず
三成の隠居、沢山退去で一時落ち着く

789 :人間七七四年:2022/03/09(水) 10:54:15.37 ID:+iPmhEe4.net
>>787
御掟に反してると言って問題だと揉めた訳だが
その御掟、秀吉存命前提の記述な上、2項目にあるのは大名小名に関わらず誓紙の取り交わしの禁止でもし秀吉没後も効力があるなら奉行も大老も全員がアウトな内容

この御掟が秀吉が没する前に改変を指示を行ったとも聞かないし、元来政務執行役が婚姻を行うのに本来だと文句つける筋合いのものじゃないから、御掟引っ張り出してきて讒訴した訳でしょ

790 :人間七七四年:2022/03/09(水) 12:43:01.21 ID:zAYujMP4.net
実際のところ、家康が縁辺を進めたとして何が問題なんだろうか。確かに婚姻は同盟関係を意味するから重要な事項ではある。でもまがりなりにも豊臣政権筆頭の家康が他家と縁辺を進めたとしてもだから簒奪の意思があるとは言えない。
しかも仮に事前に通告してもどうして反対できようか?そんなことすりゃ徳川と敵対関係になるのは目にみえてる。余程の相手じゃないと反対なんかできんだろうに。
つまり元々賛成するしか無い結婚話が通告されなかっただけで謀反だ独裁だと騒ぐ方がおかしい気がする。

791 :人間七七四年:2022/03/09(水) 13:32:26.03 ID:CHQJPJiI.net
通告したのを奉行が握り潰しやがったってのも一応言われてたりはする、これは上杉家御年譜だから眉に唾つけた方がいい話ではあるが
伊達との婚姻は秀吉に遺言された上杉と伊達の仲直しの一環なのかねぇ、上杉に子供少ないから伊達から嫁を貰った忠輝を養子に出す形での

792 :人間七七四年:2022/03/09(水) 14:15:54.38 ID:VHjPgX0b.net
さらに言うと、家康直孫は秀頼と婚姻を約している。
家康自身も豊臣家と縁戚。
既に豊臣宗家と最高最強の婚姻関係を結んでおり、豊臣恩顧・子飼と縁辺を進めることなど些末な事。

793 :人間七七四年:2022/03/09(水) 14:31:02.30 ID:YffKDdN+.net
私婚問題自体が有ったのかどうか
徳川と他家の婚姻自体は有ったけど、それが原因で徳川と前田が揉めたというのが確かなのか
揉めた内容がよくわからない

794 :人間七七四年:2022/03/09(水) 15:36:06.53 ID:VHjPgX0b.net
白峰氏の次の論文はそれかも。
『家康私婚問題はなかった』

795 :人間七七四年:2022/03/09(水) 16:02:26.01 ID:zAYujMP4.net
むろん十人衆からすると「なんで一言言ってくれんのか」とは思ったろうけど家康に「すまんなんか人伝に頼んだからミスがあったみたいだわ」って言われたら「そうか次は気をつけてね」と返すしか無いし。実際言経卿記だと十九日に問い合わせがあって二十日には解決したって話だからそりゃそうだよなと。それで利家が怒ったとしたらかなり器量が小さいって話になる。
だからむしろ、これをネタに家康を蹴り落とそうとした奉行衆を家康が返り討ちにしたっていう俗説が真実味を帯びるんじゃないか。家康は理論整然と反論して逆に奉行衆を追い詰めてしまうんだけどその強い態度に利家が不信感を募らせた、ってなら有りえると思う。

796 :人間七七四年:2022/03/09(水) 16:47:04.32 ID:jBKjJJji.net
不信感というかなあなあの落とし所つけられるようにしてくれたとも取れそうね、それなら
元来仲裁と裁決する側の家康へ奉行が騒ぎ立てた形だから家康が正しかろうが当人による決着だと秀吉没後の不安定な政権だと波風立ちかねないし

797 :人間七七四年:2022/03/09(水) 17:33:47.84 ID:BlNMauM7.net
>>786
だから、あの時点で徳川が増援だしたのが現場の大名には意外だと思うよ

常識的に考えると、前田に私婚を咎められてるんだから仮に言い訳するんだとしても
相手を刺激する様な事はしない物でしょうが
使者が如何いうやりとりしてたとしても、あの時点で勝手に増援動かすのは開きなおりと
見られてもしかたない

それとさ、あの時点では伏見城には豊臣家の奉行と豊臣家の軍勢と城代が居ますよ
つまり、城ですらない伏見城下の徳川屋敷に軍勢を入れた訳
これが威圧じゃなかったら何が威圧なの?

798 :人間七七四年:2022/03/09(水) 17:48:50.03 ID:BlNMauM7.net
>>787
あれほど明確な遺言無視を、まさか家康がやるって事を想定してなかったからでは?

しかも行き成り三家と進め、伊達、福島、蜂須賀ですからね
史実だから疑問に思わないだけで、可成り大胆な事してますよ家康

799 :人間七七四年:2022/03/09(水) 18:38:59.94 ID:DQrBb4SB.net
内府ちがいの条々では派閥形成は非難してるけど婚姻とは言ってないのか

800 :人間七七四年:2022/03/09(水) 19:02:24.83 ID:fPaqw7TZ.net
つまり没直前の秀吉の意思がほんとに乗ってるのか怪しい遺言と、秀吉没後に機能してるかすら不明な御掟でイチャモンつけて正式な政権の後釜追い落とそうとしたのが奉行、特に過激にしてたのが三成ってなるわけだ、特に自分で家康にイチャモンつける用のその遺言も御掟も破ってる辺りマジたち悪いな

801 :人間七七四年:2022/03/09(水) 19:20:17.00 ID:VHjPgX0b.net
>>798
遺言では、秀吉無許可の婚姻が禁止されてるわけだけど、秀吉が死んでたら誰の許可を取るの?

802 :人間七七四年:2022/03/09(水) 19:40:17.70 ID:Us9YdRWT.net
結婚如きで一々許可を取るのも変な話だし、もっというとそれで家康の専横云々に繋げるのはかなり厳しい感じがするな

803 :人間七七四年:2022/03/09(水) 20:04:53.86 ID:sTccrz5u.net
>>797
お互いに兵を入れたから睨み合いになってる訳
なんで家康が一方的に兵を集めて威嚇した
って話になってんの?
奉行も利家の元に集まってるの知らんのかい?

>>798
その「明確な遺言無視」と言えるのか?
私婚禁止の遺言はなく御掟は他にも既に
家康だけでなく全ての奉行大老に破られてる
というのは他の方も指摘の通りだ

結局あなたは家康を悪質な簒奪者
と思い込みから史料にないことまで
脳内補完してしまってるんよ

804 :人間七七四年:2022/03/09(水) 20:14:02.31 ID:eRP9GMDf.net
>>802
この認識はさすがに草

805 :人間七七四年:2022/03/09(水) 20:16:43.11 ID:mG5doVjt.net
本多隆成氏はそもそも政権の後継である家康が秀吉亡き政権の意思決定の存在なんだから、その決定権自体に文句つけるのはおかしいよねって主張だね
この本多隆成説に対しての批判は研究者間ではどうなってんだろ

806 :人間七七四年:2022/03/09(水) 20:17:02.36 ID:sTccrz5u.net
>>789
家康排除の政争という目的が先に
私婚や遺言違反の問題化は
その手段では?と思うこともあるね

利家がまず家康に激怒したと言われること多いが
のちの経緯を観たら家康も利家も事を荒立てず
手打ちで済ませて決定的対立は避けた

それで治るはずのことが両者の意志を離れて
潤3月まで治らず大阪で騒動があった
つまり大阪に集まった諸将の中に鉾を納めず
家康排除に拘った連中がいたわけだ

それが結局三成中心の一派であって
だからこそ彼の隠居で決着したと
個人的には思ってる

807 :人間七七四年:2022/03/09(水) 21:08:23.38 ID:O8XLT05s.net
>>806
そういえばその利家が激怒ってのは出典なんだろ、様子見ても激怒どころか互いに互いの所通っていかに問題を大きくしないかに腐心してるよね

808 :人間七七四年:2022/03/09(水) 22:06:40.27 ID:sTccrz5u.net
そういう感情面についての記録は
どうしても残すものの主観になるしそもそも
感情の赴くまま行動してるわけでもなし
あまり意味がない気がするのよね

亜相公夜話とかだと見舞いの床に
刀を隠してたとかあって家康に対して
強い警戒を示してたと理解できるので
その辺から言われるのかなとは思うけど

809 :人間七七四年:2022/03/09(水) 22:11:52.74 ID:O8XLT05s.net
利家夜話かー、ありがとう

810 :人間七七四年:2022/03/09(水) 23:48:37.14 ID:BlNMauM7.net
>>799
大名の婚姻は実質的には人質交換なのは常識だと思うんですが?

あの時代の切り崩し工作と婚姻は切っても切れない関係に有るの知らないとは言わせませんよ?
騙し合いがデフォルトなので、お互い裏切らない保証としての人質交換でしょ

その前提で見ると、福島、蜂須賀って豊臣子飼いとみられる大名との婚姻を行き成りですから
大胆というかなんというか

811 :人間七七四年:2022/03/10(木) 00:00:38.56 ID:ai9Jxm29.net
>>803
時系列を見ていくとね、この私婚問題の直前に何があったかといいますと、秀頼の大阪城移動

家康は遺言で伏見に居ろって言われてますし、前田は輔役なので当然大阪城に居ます
つまり家康は秀頼から引き離された訳でして

812 :人間七七四年:2022/03/10(木) 00:12:17.84 ID:GVrBdzF2.net
政務を司るから政庁を任されて、その価値は秀吉没後も変わってないな
それこそ伏見に入った家康を公家らが天下殿になられ候や大慶としてる

813 :人間七七四年:2022/03/10(木) 00:15:16.98 ID:GVrBdzF2.net
豊臣家は秀吉の遺言をもって政務に携わらず、政権から離れた存在になってるし
あくまで家政の利家と公儀政権の家康って形だね

814 :人間七七四年:2022/03/10(木) 00:22:02.54 ID:ai9Jxm29.net
>>812
そうだよ、家康が国元から持って来た増援を勝手に伏見城に入れた事を当時の人から見て
徳川家による伏見城乗っ取りと世間の人は見た訳だ
まあこれは前田利家死後ですが、政変とみられる出来事だったという事

実際ここで徳川独裁が成立してますし

815 :人間七七四年:2022/03/10(木) 00:28:06.09 ID:GVrBdzF2.net
乗っ取りなんて誰も見てないな
人の意見すら歪めて読むならはなから人と喋ろうとしないで、荒らし君

816 :人間七七四年:2022/03/10(木) 00:30:54.85 ID:GVrBdzF2.net
そういえば乗っ取り乗っ取り言っててここのスレで奉行らの勧めで入ったのなど史料を用いた否定が行われてるのになお乗っ取り根拠皆無で呼ばわりして、デタラメ抜かしてた荒らしいたが、君か
まだ恥晒し足りないのか、みっともない

817 :人間七七四年:2022/03/10(木) 01:23:45.31 ID:uof3mu2Q.net
>>810
日本史上、最高権力の外戚になるという事が何を意味するかは常識だと思うんですが。

豊臣家縁戚の徳川家が、豊臣子飼との婚姻を約す事に何ら違和感を覚えませんが。

818 :人間七七四年:2022/03/10(木) 07:01:43.79 ID:+HM990wJ.net
>>816
横からですが、前もお尋ねした奉行の勧めという史料の出典教えて下さい

819 :人間七七四年:2022/03/10(木) 07:29:29.78 ID:x99GNTHq.net
婚姻関係を結んで派閥を形成した

秀吉が残した大老、奉行を勝手に罷免した

前田利長から人質を取った

上杉景勝に難癖を付けて会津征伐の軍を起こした

秀吉の遺命を無視して勝手に知行を与えた

秀吉の定めた伏見城の留守居を追い出して自分の家臣を入れた

北政所を大坂城西の丸から追い出して自分が入った

西の丸に本丸と同様の天守閣を建てた

自分と仲のいい諸大名の妻子を勝手に大坂から領国に返すことを許可した

五大老連名で出すべき命令を勝手に個人で出した

820 :人間七七四年:2022/03/10(木) 07:46:14.16 ID:lzRS+Sbs.net
>>811
だから?
遺言通り秀頼が大阪いるからと言って
家康が一方的に脅したと言う解釈は成り立たんよ

821 :人間七七四年:2022/03/10(木) 07:50:58.01 ID:lzRS+Sbs.net
>>814
伏見城に入るの自体は遺言通りだし
三成隠居に至る一連の騒動の際は家康は
伏見城下の自分の屋敷から
利家の勧めで向島城に移ってる

822 :人間七七四年:2022/03/10(木) 08:00:21.02 ID:lzRS+Sbs.net
>>819
私婚問題は根拠が不明瞭で実際そのまま許可された

勝手に罷免と言うが三成は豊臣恩顧大名の間で
吊し上げくらったのを家康仲裁で隠居にとどめた
利長が罷免されたのかどうかは微妙

前田利長の家康暗殺も奉行衆による密告

上杉景勝は実際旧領からの訴えや
戦争準備についてろくに申し開きせず

大阪城云々はなんで時系列変えたの?

823 :人間七七四年:2022/03/10(木) 09:11:30.31 ID:GVrBdzF2.net
ああ奉行じゃなく毛利の勧めだっけか
どちらにせよ、元来伏見に入らないといけない人間が城に入ってそれを豊臣家自体が問題視した様子もなくその後もつつがなく奉行は家康の下で仕事してるしで問題があったんだとするのはムズいよね

824 :人間七七四年:2022/03/10(木) 09:19:42.31 ID:GVrBdzF2.net
正直未だに客観性の欠片もない一方的なクーデターの言い訳である内府違いの条々で家康の行動が不当、奉行の行動が正当とかいうの意味がわからん
乱起こすんだからそりゃ白でも黒だと言い張って起こすわな、自分たちが今から豊臣家から人質奪ったり秀頼軟禁するんだから

825 :人間七七四年:2022/03/10(木) 09:50:40.89 ID:vMGS8aIK.net
人質とろうとしたのはあかんよなぁ
どんなに正当性訴えようが自らそれを否定するような心象を悪くするしかない卑怯で拙劣なやり方
武家の人質は服する証として自主的に差し出す形式と思うんだがそれを強奪同然だからな

826 :人間七七四年:2022/03/10(木) 11:06:27.31 ID:wymWCsPO.net
>>818
慶長四年閏三月以降の家康伏見入城は慶長年中卜斎記に記録がある。
それによると増田長盛ら三奉行が「向島にいるよりも、早く伏見の城に入っていただきたい」としきりに申し出てきた。大谷吉継が肝煎となって家康は伏見城に入ったとのこと。

827 :人間七七四年:2022/03/10(木) 11:56:48.07 ID:GVrBdzF2.net
>>826
そうじゃん、ありがとう
前回聞かれたのは大坂城に入城した際が奉行の勧めってのは何に書いてあるのかでこれは根拠がなかったって話だったけど伏見のは慶長年中卜斎記にあるんだ
寝ぼけて記憶ごっちゃになってたわ

確か大坂西の丸改築については義演准后日記にて淀が喜んだだか記述あった筈なんで豊臣家的にもありがたい話のようね

828 :人間七七四年:2022/03/10(木) 12:49:14.71 ID:eIaiR4hr.net
>>826
ありがとうございます

卜斎記は別の場所で一次史料ではないと批判を受けていましたが、他に史料がなければこれが根拠みたいですね

829 :人間七七四年:2022/03/10(木) 21:18:22.01 ID:lzRS+Sbs.net
政争である以上もとよりどちらが
良い悪いてものではないが
三成というか奉行のやりようは
いかにも不味いと言う印象

私婚問題は御掟に叛いて派閥を作ってる
ということを攻撃材料にしてる訳だけど
顕在化してない派閥を槍玉に上げる行為自体
政権を顕在化した派閥に分けてしまう

かつ弾劾を呼びかける際には
自分達も徒党を組む訳で
おまいう・・・てなるわな

830 :人間七七四年:2022/03/10(木) 21:29:45.90 ID:lzRS+Sbs.net
法秩序も政権を守るのであれば重要だが
明確に違反に問えるか微妙な案件で
弾劾に使われて無為に終わったのでは
政権の法秩序自体が問われてしまう

政権の中枢にいる人間が恣意的に扱い
しかもなんの効力もないとなっちゃうと
誰がその政権を信用するのか

政争そのものがむしろ豊臣政権の
限界を強調してしまった

831 :人間七七四年:2022/03/14(月) 01:50:48.95 ID:b1XOk1AJ.net
>>825
だね、前田脅迫して生母を人質に取ったの駄目だよね

更に当初大阪に送るはずが、拉致同然で江戸につれていった徳川

これくらいしないと天下取れないよね

832 :人間七七四年:2022/03/14(月) 02:26:45.83 ID:2MffIYlN.net
前田との交渉も奉行が入ってのもので、それが無理をしたものであると言いたいなら史料根拠持ってこいよ

833 :人間七七四年:2022/03/14(月) 02:27:47.90 ID:2MffIYlN.net
違う話に託けてネガティブキャンペーンしたがるようなやつがろくな根拠持ってくるとも思えんけどな

834 :人間七七四年:2022/03/14(月) 17:29:19.78 ID:b1XOk1AJ.net
寧ろ三成は、現実の政治がドロドロなの理解してないのが敗因だとおもうなあ

人質出さない大名の屋敷は、キャンプファイヤーでよいんですよ、迷う意味もない
信長にしろ秀吉にしろ、同じ状況なら普通に人質取ったと思いますよ

これから前線で殺し合いしようって大名が、人質出すの拒否なら「敵対行動」で焼き討ち
其の為に大阪に人質だしてるんだし「徳川に味方するならこうなるの覚悟してるよね」で良い

こういうの派手に一人くらい殺した方が逆に東軍大名の士気落とせるまである
細川屋敷の事件ポジティブに取らえるくらいじゃないと勝てない

835 :人間七七四年:2022/03/14(月) 17:43:44.50 ID:7If9/Unt.net
西軍こそ親豊臣を名乗っている以上、諸将の人質を殺害するなんて出来んよ。それでガラシャの自害で戦法を変えざるを得なくなった。
そもそも豊臣公儀に出した諸将の人質に手を出す事自体が豊臣への謀反に等しいのに。しかも内府違いの条々によると家康は親徳川派の諸将は人質無用で送り返してる=大坂に残っているのは親豊臣派の人質、なんだから尚の事ね。

836 :人間七七四年:2022/03/14(月) 18:57:30.08 ID:q8EYtam0.net
豊臣御為と名目上言いながら結局豊臣を害することをしてんのよな、西軍
人質を正しい手続きも踏まずにパクるわ正しい手続きで動いた政務の担当者を惣無事クソ喰らえな横紙破りで追い落とそうとするわ
それ見透かされた結果があれなんだろう

837 :人間七七四年:2022/03/14(月) 19:05:04.54 ID:TYDEloZ0.net
結局武家のトップはまず戦争に勝ってナンボ
内府違いの条々が西にいる大老奉行全員同意の下で出されて家康はかなりビビってたでしょ
流れが変わったのは岐阜城が落ちたからであって正当性とかの問題じゃない

838 :人間七七四年:2022/03/14(月) 19:16:09.59 ID:DCmYfl77.net
内府違ひの条々を出した時に離脱者がほとんど出なかった時点で西軍の思惑違いだったわけだが
ほぼ一丸で上杉放置して進軍してくるとは思ってなかった

東西両軍とも想定外で進行したのが関ヶ原
結局は公儀の大義がある徳川の勝ち

839 :人間七七四年:2022/03/14(月) 19:23:23.54 ID:CwlrN+R4.net
「信長や秀吉なら人質とってた」って、まんま司馬遼太郎の『関ヶ原』の受け売りで笑える
やっぱアンチ家康の経典は司馬遼太郎なのがよくわかるわ

交渉の結果でもなく相手の同意も得ず手前らの欲望のため一方的に人質にとろうなんて犯罪的な誘拐行為を
信長や秀吉がやったためしがあるのやら
少なくとも全盛期の秀吉ならそんなチンピラ的姑息な手法はとらなかったろう

840 :人間七七四年:2022/03/14(月) 20:13:37.06 ID:1rcBca+X.net
>>838
福島は単純に自領が気になったんだろ
実際清洲城に集結してから徳川が関東からいつまでも出て来なかったから福島達ブチ切れてんじゃん
ほんとか知らんが家康が発破かけてそれに発奮した福島達が岐阜城を落としたから家康もその気になって西に軍を進めてきた。そうじゃなかったらもっと長期化してたと思うよ

841 :人間七七四年:2022/03/14(月) 20:28:40.50 ID:q8EYtam0.net
家康が一時的に江戸から動かなかったのは情報の集積と伝達のためだね、これは動きながらだと伝令が混乱してしまう

842 :人間七七四年:2022/03/14(月) 20:31:10.14 ID:q8EYtam0.net
大老奉行全員同意でもないしね、前田も浅野も同意してなければなんなら豊臣からのお墨付きすら当たり前だがもらえてない
手続きちゃんと踏んで豊臣と朝廷からお墨付き貰った上で会津討伐の兵動かしたのとは正当性が随分違う

843 :人間七七四年:2022/03/14(月) 20:36:42.18 ID:XSJP31C9.net
>>842
石田浅野は失脚
前田上杉はいない
それ以外の畿内にいた奉行大老全員が家康を弾劾したというのは家康の想定外だったと思うよ。だから動けなかったわけで

844 :人間七七四年:2022/03/14(月) 20:39:09.45 ID:bJbr52R6.net
>>834
三成はドロドロなんてよーく理解してるでしょ
ドロドロそのものみたいな奴なんだし

845 :人間七七四年:2022/03/14(月) 20:40:54.83 ID:Sum/WbwN.net
戦に勝ってナンボはその通りだが、そのために実力と正当性での信用がなければろくすっぽ人も情報も集まらないわね
そういう意味では挙兵のタイミングとして京阪に自分たちより少勢が集まった段階での挙兵はそれがない中では上手いことした方

846 :人間七七四年:2022/03/14(月) 20:44:40.53 ID:Sum/WbwN.net
想定外はその通りだがビビって動けなかったは懐疑的かな、動かない間何もしなかった訳でなく結城勢は北の抑え、中山道の行軍は秀忠勢、福島勢は岐阜で家康自体も全国から来る情報処理に的確な処理してたし

847 :人間七七四年:2022/03/14(月) 21:18:28.54 ID:hS8X9UP0.net
信長は実は配下大名の妻子を城下に集める
人質政策ってやってないのよね
開城や恭順にあたっての人質はあるけど
城持ち、国持ちの大名の妻子たちは
安土ではなく各々の居城にいた

そもそもこの時の大名妻子については
死亡したガラシャが特別目立つだけで
それがどの程度影響したのかは微妙

というのも加藤嘉明藤堂高虎らの妻は
西軍が押さえたが関係なく東軍として行動
黒田長政や加藤清正は守備よく脱出させてて

兵力的にも単純に全部押さえる余裕がなかったし
諸大名もそれぞれの置かれた状況の方が
行動決定に影響してるというだけでなかろうか

848 :人間七七四年:2022/03/14(月) 21:38:51.19 ID:48Zk2gfO.net
ガラシャが死亡したので人質の扱いがゆるくなったというのは見かける
どちらにしても蜂起して敵方の身内が本拠近くで自由にさせとけば諜報やらでマズイ面もあるから一箇所に集めて管理するのは普通のことに感じられる

849 :人間七七四年:2022/03/14(月) 21:43:04.47 ID:DCmYfl77.net
関ヶ原については真実スレと史料スレがまだ残ってる

関ヶ原合戦の真実 Part12
https://kizuna.5ch.net/test/read.cgi/sengoku/1585651022/
関ヶ原合戦(慶長庚子争乱)関連史料スレ
https://kizuna.5ch.net/test/read.cgi/sengoku/1567939457/

850 :人間七七四年:2022/03/14(月) 21:43:37.88 ID:7If9/Unt.net
諸将が豊臣公儀への忠節の証として出した人質を己の為に使おうとした時点で西軍(と実は豊臣家)の人望は地に堕ちた。
現実、西軍に有利に働かなかったからね。
家康も輝元もかなりの長期戦になるとは思っていたけど、西軍主力隊が大垣まで間に合わなかった事と東軍攻撃隊の動きが素早かった事、そして西軍が烏合の衆だった事で家康の勝利が確定してしまった。

851 :人間七七四年:2022/03/14(月) 21:46:33.71 ID:uIecUSc/.net
>>849
お、スレ立てるぞおじさんか?
立てたら責任もって管理しなさい

852 :人間七七四年:2022/03/14(月) 21:51:05.35 ID:DCmYfl77.net
>>851
そんなおじさんいるのか
そういや真実スレは荒らされてたのをすっかり忘れてた

853 :人間七七四年:2022/03/14(月) 21:55:25.78 ID:uIecUSc/.net
>>852
違ったなら失礼しました
七将襲撃スレがおそらく一人を除いて良質なスレだったから立ててほしい
他力本願

854 :人間七七四年:2022/03/14(月) 22:01:49.27 ID:DCmYfl77.net
>>853
このスレで続きをするもんだと思ってた

855 :人間七七四年:2022/03/15(火) 00:23:37.48 ID:GoK6EYWY.net
このスレで続きで良いんでないかい
自分もこのスレで続きをするものだと考えていたし、幸いにもあの七将スレにいた人がいるってのは少なくとも判明したんだし
まあ言われてる良質さを損なわせてた一人もここにいるみたいだけれど
あのスレでの話はどこまで進んでいたっけ?

856 :人間七七四年:2022/03/15(火) 05:43:01.96 ID:FwfOKIC+.net
>>839
気に入らない言葉は、全部小説からにみえるんんですか
あの状況で、人質取るのは寧ろ当たり前だって書いてるだけなのですがね?
何だが、皮肉な事に余程司馬遼太郎読み込まれてるみたいで笑う

比叡山の焼き討ちだってやらなければ舐められてたってのが事実でしょ
カエサルだって親派の都市が離反したら普通に見せしめで略奪破壊してるからな

何事にも代償があり、様は大きさだけって事実理解してなかったといってるの

857 :人間七七四年:2022/03/15(火) 05:45:27.34 ID:DTjAd2xw.net
アンチ家康とかそういう発想が気持ち悪い
たまにニュース板に立ってるスレでも暴れてる家康狂信者ってお前だろ

858 :人間七七四年:2022/03/15(火) 06:07:38.47 ID:FwfOKIC+.net
ウクライナの戦況が興味深いと思うんですがね、予想外の出来事が士気に与える影響に
ついて考えるのに

当初東部二州の取り合いだと皆が予想してる状況で、プーチンが行き成りキエフ近郊の
空港占拠して行き成り首都制圧を企んだってのが今回の始まり
確かに行き成り首都制圧されたら、ウクライナ軍の士気は崩壊しただろうし全然違う展開に
なってたのが容易に想像出来るのがなんとも

しかし実際には、空港に攻め込んだ部隊が味方と離れてる事を冷静に見破った人が居て
深入りした部隊全滅「初日から戦死者多い理由」したらしい

これ即座に大統領が逃亡してたら、士気が落ちて反抗作戦とか出来たはずも無く
という訳で、相手の心を折るってのは意外と重要ですよ

859 :人間七七四年:2022/03/15(火) 07:33:53.45 ID:SR1pn3Dd.net
そりゃ首都陥落したら話は変わるわw
関ヶ原で言うと江戸が落ちるようなものだぞwww

860 :人間七七四年:2022/03/15(火) 09:06:07.96 ID:UA5LZldH.net
例え話荒らしじゃん、散々言われた史料と研究持ってきたんだろうな、さっさと出せよ、お前が言い出して溜まってるツケなんだから
どっかで必ず読んだんです〜、著者名も覚えてないけど〜って恥ずかしいことまた言いに来たのか?

861 :人間七七四年:2022/03/15(火) 10:23:03.53 ID:4uTkigo4.net
冷静に見破ったもなにも制空権維持されてる中で敵が無理やり空挺送り込んできたのを殲滅しただけだぞ
増援の空挺はヘリ落とされて全滅だし地上軍の支援もないんだから無駄死にだったな

862 :人間七七四年:2022/03/15(火) 11:32:54.35 ID:Z/UQRnrJ.net
家康も輝元も長期戦を予想して家康は関東から外交戦術を展開して来るべき決戦の為に布石を打っていたわけだけど、
ここで岐阜城が一夜にして陥落、東軍勝利が目前になるというサプライズが起きてまさかの短期決戦になった訳だが。
岐阜城は籠城戦に向かない城にも関わらず三成は大した援軍を送れてなかった。それは西軍主力部隊が集まってなかったかららしいけどこれが原因なら西軍の戦略予想がそもそも間違ってたのが敗因って話になりそう。
実は西軍こそ己の不利劣勢を悟って短期決戦に挑むべきだった。

863 :人間七七四年:2022/03/15(火) 12:43:28.55 ID:GP74ajB+.net
岐阜城って本当に籠城に向いてないのかな
この時は攻め手が元岐阜城主だったよね
大体攻め手が岐阜城に詳しい人ばっかりじゃない?

864 :人間七七四年:2022/03/15(火) 12:44:45.23 ID:emitMX0s.net
西軍の首脳連中は政争に負けて破れかぶれに相手を政権から引きずり下ろしたいっていう条件だけで共闘した連中(なんならそのうち玄以長盛らはかなり消極的、名義貸しのためだけに担ぎ出されたレベル)だし、その軍構成は畿内の挙兵に巻き込まれてなんかよくわからないけど味方しないと攻められかねないから味方したのばっか
東国の情報収集すらおぼつかない中、初戦の快進撃こそ奇跡的で後が当たり前に続かなかっただけ

865 :人間七七四年:2022/03/15(火) 12:49:08.80 ID:emitMX0s.net
岐阜城についての話は以前随分詰められてたから過去スレの岐阜城決戦案だかって名前のやつ見ればいい
基本的には岐阜城の眼下に平野が広がってて敵の機動が確認しやすいから迎撃しやすいって話で、そもそも守り手に必要な数が足りてなければいくら機動見えてても手が足りないよねって話だった筈

866 :人間七七四年:2022/03/15(火) 12:50:49.11 ID:Z/UQRnrJ.net
>>863
そりゃまぁ岐阜城って岩の上にあって井戸が無い、正確には湧き水が無いから貯めた雨水と周囲の川しか補給場所が無いっていう最悪の立地にあるし…
そんな岐阜城が難攻不落なのは見通しが最高で敵の侵攻予測を立てやすいのと道路が整備されていて濃尾から援軍が来やすいかららしい。だから自軍と同等以下の敵には滅法強い。
問題は万が一敵に囲まれると岐阜城自体は防衛機能が無いから渇き死ぬか討死にするかしかなくなる。更に岐阜城は大軍が入れる城じゃないから援軍頼み、逆言すると援軍さえ断てば恐るるに足らんって話になる。信長も三人衆を調略して援軍を絶って、電撃的に木曽川を渡って布陣して岐阜城落としてるし。で、それを東軍にそのままやられたのが関ヶ原なんだとか。

867 :人間七七四年:2022/03/15(火) 13:39:40.62 ID:s0acP5Pk.net
本丸に井戸が無いだけで井戸も湧水もあるよ。そもそも川に面してるから汲み放題だし

868 :人間七七四年:2022/03/15(火) 16:06:29.80 ID:FwfOKIC+.net
>>861
ほら、未だ半月しかたってないのに記憶改竄されてるでしょ、貴方の好きな一次資料
書いた人も同じ立場ですよ

初日の報道調べて見な、簡単に検索できるけど情報混乱し捲りで何が起きてるのか全然
分からない状況ですからね
兎も角初日の報道では電撃的にウクライナ空軍が無力化されたって情報が出回ってた
のは間違いないですよ
その上に、首都近郊の空港に敵の空挺が現れたって情報が出れば、普通は士気が崩れて
真面な抵抗とか出来ない

それが何とか成ったのは、大統領が逃げずキエフに健在な事を示して士気の崩壊を
防いだからでしょ
で冷静になってみると、「意外と敵少数だし後続の味方とも離れてる」という事で。

869 :人間七七四年:2022/03/15(火) 16:20:37.40 ID:FwfOKIC+.net
しばしば疑問に思うのは、歴史の中に居る人には神視点の情報など無いって事を
無視する奴が多すぎるって事でして

これだけ情報が瞬時に伝わる現代ですら、リアルタイムではあんなに混乱した情報が
とびかい何が真実なのか良く分からないのですよ?

関ヶ原戦役でも、「家康が暗殺された」とか「重病で寝込んでる」とか「既に暗殺されて影武者」とか
情報が出回ってたと思われ...(-_-;)
こういう状況だと、簡単に全体の情報掴める人などいませんよ

岐阜城の話だって西軍の方が数多いのですから、包囲中に後詰めが来てしまえば背後は
川なんですから東軍先鋒が全滅する事もあり得ましたよ
史実だから疑問に思わないだけで、包囲中に援軍が来てしまえばね

870 :人間七七四年:2022/03/15(火) 16:35:09.86 ID:emitMX0s.net
アホは思い込みだけで喋るのお手本

871 :人間七七四年:2022/03/15(火) 16:39:27.62 ID:emitMX0s.net
よくその誰が見ても恥ずかしい話で反論ができると思って書き込めたな、ドMなのか?
ドM拗らせるならちゃんと性癖に理解のある相手としな、まともな人にそれで絡んでも迷惑なだけだ
ここは異常性癖者やら荒らし甘やかす所ではない、問われた史料や研究出せない上に研究にも興味がないなら素直に主張引っ込めな

872 :人間七七四年:2022/03/15(火) 16:51:07.55 ID:O3reXtQk.net
神様視点じゃなきゃ結局分からないことがあるから僕は証明なしの思い込みで喋ります、って言い出したのか
史料と研究による証明で結論がたとえ間違ってたとしたらそこに至るまでの証明過程を見直していけばどこでどう間違えたのかの検証もできる、といったことすら分からないで、自分の思い込みから離れないならそもそも他人と議論する必要すらないじゃん
何のために書き込んでんの?よく物知ってるねー、って褒めてもらいたいだけ?

873 :人間七七四年:2022/03/15(火) 17:02:13.66 ID:Z/UQRnrJ.net
>>867
岐阜城は金華山の上にある。ここに水を運ぶのはかなり難しいし戦時では不可能って言っていい。試しに10キロの荷物背負って山登りしてごらん。ヘトヘトじゃすまないから。
人間は一日2.5リットルは水が要るっていうから10キロで4人分しかない、って問題もあるんだけどね。

874 :人間七七四年:2022/03/15(火) 17:31:29.81 ID:4uTkigo4.net
>>868
馬鹿だなあ
支援のない空挺なんてただの餌だぞ
プーチンもお前なみの知能なのかもな

875 :人間七七四年:2022/03/15(火) 18:31:49.48 ID:yUvfr+YP.net
>>868
あんた元々岐阜攻めじゃなく856で
人質焼き討ちを支持してたじゃん
だからそれとウクライナ関係ない言われただけだぞ

神視点どころかあなたは
自分の言ったこと自体忘れて
すぐ論点ずらすよね

876 :人間七七四年:2022/03/15(火) 18:33:18.38 ID:s0acP5Pk.net
>>873
麓の惣備えまで岐阜城だろ

877 :人間七七四年:2022/03/15(火) 18:44:15.71 ID:s0acP5Pk.net
30sの荷物を背負って峠だろうが20〜40q行軍してた当時の兵隊や陣夫が10sの水を短距離運んで何がどうだってんだもさっぱりだし基本的な知識が足りてないレベルやね

878 :人間七七四年:2022/03/15(火) 18:50:59.80 ID:yUvfr+YP.net
だいたい今「神視点」での話なんて誰がしてた?

俺の見る限りただ1人>>869ご本人だけだろ
史実で実質1日で落ちた岐阜城包囲戦で
ちょうどよく大軍が援軍に現れたら
東軍先鋒は壊滅がありえた?

神視点ならそうすべきだなwww

879 :人間七七四年:2022/03/15(火) 19:49:58.57 ID:j2qnwhuw.net
岐阜城は関ケ原終わってすぐに家康が廃城にしたのがすべてな気がする

880 :人間七七四年:2022/03/15(火) 20:41:59.96 ID:lwj7WWJ1.net
>>877
1キロ横に歩くよりも100メートル上に登る方が遥かに大変って事がわからんとはなぁ…山登りとかしてみ?すぐに分かるから。10キロの荷物持ちながらとか日頃から鍛えて無いと無理よ。
仮に千人分水を運ぶとすると250回往復する必要がある。しかも敵が目前にいるのに?余程忠誠心篤い連中を揃えてないと逃げられてしまう。そしてそこまでやって一日分の水しか無い。その絶望感と戦えるかというとね。それに東軍の池田輝政は岐阜城の主をやった経歴がある。岐阜城の弱点なんてとっくに知ってるから城を囲まれた時点で詰まされたと考えないといかん。

881 :人間七七四年:2022/03/15(火) 20:58:18.99 ID:3BEyvZgV.net
>>876
小田原城とか大坂城、伏見城、浜松城みたいな最初から防衛拠点として計画・整備された城ならそれは成り立つんだが
岐阜城は金華山が見晴らしが良いという利点のみで造られたから麓まで云々とかは言えない(何しろ井戸といった必要設備が置かれてない)。防衛能力は曲輪や砦に限定されてしまっている。だから大軍に包囲されると為す術が無い。籠城戦をして敵が根負けするまで粘るって戦術は使えない。それで岐阜城は六回も落城したって言われるのだな。
秀信が岐阜城に籠った時、戦力は三千から六千人だったという。対する東軍は三万以上。それで一日保たなかった。秀信がビビったんじゃなくて本丸以外を落とされてるから完敗よ。ちなみに鳥居元忠は伏見城で四万の西軍相手に千八百人で十日保たせた(7/19〜8/1)という。元忠と秀信の才能が違ったという意見もあるだろうけど、それより伏見城と岐阜城の防衛能力の違いが現れているのだろう。

882 :人間七七四年:2022/03/15(火) 22:09:39.11 ID:/guRplIL.net
岐阜城(稲葉山城)が一番活躍したのは織田信秀・朝倉連合軍を追い返したときかな
井戸が弱点と言われるが主因となって落城したのは関ヶ原のときくらいな気がする
とはいっても水の手を気にして野戦を決断したと言われるが、援軍など複数の要因の一つに過ぎないのでは

鉄砲の普及による戦術の変化や経済政策などもあって従来の山城は時代遅れになっていった

883 :人間七七四年:2022/03/15(火) 23:11:52.28 ID:s0acP5Pk.net
知識の無いのを屁理屈で誤魔化してるようだ相手にする価値はなかったな

884 :人間七七四年:2022/03/15(火) 23:37:38.83 ID:FwfOKIC+.net
>>878
だから、史実で一日で落ちたのは攻撃を予想してなかったからでしょ
911だって、予測してれば操縦席に鍵掛けるだけで防げますよ

あの時点で川を渡るのが博打で、そんな事するはずないって思ってただけだろ
西軍の方が大軍だから、包囲中に後詰め来たら詰むんだよ

885 :人間七七四年:2022/03/15(火) 23:45:28.97 ID:GoK6EYWY.net
西軍と東軍の情報収集の格差すら把握できてないまま何を語れると思ってんだこいつ

886 :人間七七四年:2022/03/15(火) 23:49:16.40 ID:GoK6EYWY.net
やたら知識ないのが妄言吐いてそれをネタにする形で荒れてるが、普通に七将の時みたいに史料研究重視でやればいいじゃん、持っても来れないアホは放っておいて
さすがに城の防衛なんかは史料というかは城郭研究だが、城郭研究もしてる研究者いるよね、あの辺りの研究から引用すればいいんじゃないの

887 :人間七七四年:2022/03/16(水) 07:53:51.70 ID:GBEVWRdw.net
>>882
信長が岐阜城(てか稲葉山城)落とした時も8/1に攻撃開始して14には城下を囲むと、15には斎藤は無血開城して撤退してる。籠城戦は出来ない城だったんじゃないか。

888 :人間七七四年:2022/03/16(水) 08:33:29.70 ID:aNbWJP9V.net
勝手に山のてっぺんにあるんだから難攻不落なんだろと創作者たちが難攻不落ってことにしてただけだったって感じか

889 :人間七七四年:2022/03/16(水) 09:25:43.69 ID:PBEIfUdM.net
>>885
麻雀牌が透けて相手に見える、鷲巣麻雀してるのか?

西軍の部隊が何処にどれだけ居るとか正確には分からないんだぞ、東軍視点では?

後情報ってのは、しばしば欺瞞情報で相手嵌めようとするから絶対はないんだぞ?
要するに、役満の振り込みに成りそうな捨て牌出来るかって事

890 :人間七七四年:2022/03/16(水) 09:35:04.42 ID:bKcGlF03.net
東軍がまずどの程度西軍の情報掴んでて、西軍がどの程度東軍の動向掴めていたのか、把握できてないんだな?
呆れた、具体的に語りたいなら最低限当時どの程度双方が情報を把握できていたのか調べろよ、無知晒してないで

891 :人間七七四年:2022/03/16(水) 09:49:37.96 ID:bKcGlF03.net
ろくすっぽ調べもしないで当時は情報が錯綜してたに違いないとか寝ぼけるのも大概にしろよ、語りたいなら最低限じゃあ徳川がどういった書状を受け取って情報把握に努めていて、西軍が福島のついてくれそうな態度に引っかかって動きが鈍くなっていたか、程度調べてから書けよ
全部分かる訳がないから好き勝手喋りますじゃなく、今史料研究からわかってる所までを前提に話すんだよ、雑な一般論で実際の事例との乖離を確認もしないで語ろうとすんな
ほんと自分の無知にすら気付けてない無知ほどたちの悪いのはないわ

892 :人間七七四年:2022/03/16(水) 10:09:08.19 ID:ZHi4keMH.net
アンチ家康の例え話は大体アンチ家康教祖の司馬遼太郎の経典程度までの知識しかなく
そこで頭が凝り固まって新しい知見や研究ははなから受け付けず
司馬遼太郎の独断と偏見から一歩も出ようとしない知的奴隷でしかない
例え話で持ち出す他国の事例もどうせ研究書じゃなく一般向けの本で詰め込んだだけだろ
孔子の言う「学而不思則罔、思而不学則殆」がこれほど当てはまる奴もいない

893 :人間七七四年:2022/03/16(水) 11:08:03.70 ID:GBEVWRdw.net
岐阜城は敵の侵攻をいち早く察知して渡河するところを攻撃し、迅速に濃尾方面から援軍を呼び寄せて叩く事が出来るから難攻不落の名城といえる。逆に言うと城それ自体の防御力は低いから援軍を絶たれて電撃的に攻撃されると弱い。
西軍は清洲城が東軍に属していて諜報ができなかったのと東軍は割れているという楽観的な予測から岐阜城攻撃の可能性を低く見てた可能性は高い。そこに計36000もの軍勢に攻めれられたんだから秀信からすると打って出て渡河妨害するしか戦術が立てられんわな。

894 :人間七七四年:2022/03/16(水) 18:25:45.67 ID:PBEIfUdM.net
>>890
現代ですら、リアルタイムでは普通に情報混乱してるんですよ?

ノルマンディー上陸作戦でも、直前まで上陸地点は別地点だとの欺瞞情報「カレーらしい」が
出回ってましたよ
ヒトラーのロシア侵攻も、保々完全な報告書がスターリンに上がってたのですが?

只、その時点ではドイツとロシア同盟関係ですし、イギリスは保々一国でドイツと交戦し
追い込まれてた状況でしてね
欺瞞情報で嵌める動機有りますし、スターリンがそう解釈しただけですよ

だから、東軍に情報が来てたとしても事実で有る保証なんかないんですよ
ウクライナだと初日ひたすら空軍が無力化された、壊滅したって報道されてましたよね

あれ信じて深入りした部隊は悲惨な事になってるんですが

895 :人間七七四年:2022/03/16(水) 18:56:35.85 ID:5etY+23H.net
当時東軍が収集できてる情報を把握しないまま一般論で語っても意味がないって言われてるの全く理解してないよな
ある程度の確度も把握してるに決まってんだろ
お前みたいに情報の信憑性の多寡が区別できない人間がデフォだと思うなよ
お前は世間一般の人間よりよほど劣った脳みそしかないんだよ

896 :人間七七四年:2022/03/16(水) 18:59:45.75 ID:5etY+23H.net
西軍が欺瞞作戦を行って情報をより錯綜させられてたと証明したいなら余計にその証明がいるな、ただただ錯綜した情報で東軍の行動が遅滞したというのにも証明がいる
お前だ出した例も戦後情報の突き合わせがあって初めて欺瞞作戦に踊らされた証明が成り立ってる訳だ
お前の絵空事のお人形ごっこよりまずは自分の仮説を裏付けるには何が必要なのかくらい考えてからしゃべれ、脳足りんめが

897 :人間七七四年:2022/03/16(水) 19:56:53.89 ID:5jlQ89vn.net
>>884
まさにそれがお前の批判した神視点そのものじゃねーかw

898 :人間七七四年:2022/03/16(水) 20:04:04.60 ID:PKwUC3uG.net
東軍は割と西軍の情報掴んでたけど、西軍は全く掴めてなかったんだよなぁ。
岐阜城に攻められることすら考えてなかったくさいし。

899 :人間七七四年:2022/03/16(水) 20:05:40.50 ID:5jlQ89vn.net
情報は錯綜してた筈と言ったその口で
正確な情報通りに西軍が動いてたら勝てるとかw

900 :人間七七四年:2022/03/16(水) 20:25:20.75 ID:5etY+23H.net
なんなら自分が学んだその情報こそが戦後の研究で証明されたことが由来なのにその恩恵も考えないで史料や研究の証明否定してるからな
自分で味噌もクソも区別つかないアホですって名乗ってるようなもんだわ、恥ずかしい頭だのう

901 :人間七七四年:2022/03/16(水) 20:41:12.12 ID:yyPYSh+Y.net
史料にはないけど自分の想像が正しいんだを楽しみたいなら
井沢元彦の本でも読んでてくれ

902 :人間七七四年:2022/03/16(水) 21:00:34.13 ID:bdH7cgpR.net
ワッチョイ導入されたらこの低能も共有NGで終わりなんだよな…

903 :人間七七四年:2022/03/16(水) 21:42:45.55 ID:Qn1AMN52.net
>>887
信長の稲葉山攻略って史料だとどこが詳しいんだろうか
よくある太閤記てきな流れしか印象にない

最近知ったのは西美濃の調略の前に東濃の調略が済んでいたっていう流れか
上記のとおりなら援軍が望めなくなって開城したように見える

904 :人間七七四年:2022/03/16(水) 22:24:50.99 ID:C/AvM63d.net
岐阜城の戦いの話ではないが、この時期西軍の情報収集の精度が極端に悪くなってるのは史料からも一目瞭然だな
特に東海以東の地域は8月に入ると西軍の通信はほぼ遮断されてるような状態

三成が真田に上杉への使者の護衛と真田領の通過の許可をお願いしてるけど、8月10日付の書状を最後に真田との通信が途切れていること
またこの8月10日付の書状は浅野家文書に伝来していることから浅野の手に落ちたことが分かること
景勝から輝元・三成らへの8月25日付書状も、真田家文書に伝来していることから真田信幸の手に落ちていて輝元らには届いてない

905 :人間七七四年:2022/03/16(水) 23:24:29.26 ID:DbBK2oR7.net
>>904
これこれ
西軍みてると民主党政権じみた感じを受ける
手口が稚拙な上にてんでばらばらに動く
担いだトップは野望だけは一人前なんだが腰が座っていない

906 :人間七七四年:2022/03/17(木) 00:07:33.15 ID:Atj6T/e0.net
三成「東軍はバラバラで家康も動けてないし、今誰が味方になるか吟味してるわ。来年には徳川討伐するわ!」とか真田に送ってたし。現実には徳川に調略されまくってて裏切りの連鎖だし。
実際岐阜城の戦いだと三成から送られてた援軍が軒並み裏切った竹ヶ鼻城から速攻で寝返った犬山城とか内通者続出だし。秀信からすりゃどうなってんのこのチームって感想だったろう。笑えないコントよ。

907 :人間七七四年:2022/03/17(木) 00:10:14.53 ID:qdgyJLqz.net
>>904
輝元は東に連絡網ある訳もないにも関わらず他西軍よりは多少情報収集できてるのは、徳川と連絡を密にしてる黒田官兵衛が仲いい吉川と(さっさと内府に頭下げたほうがいいよって意味を含めて)連絡しあってるからのようだね、書状的に

908 :人間七七四年:2022/03/17(木) 10:03:47.48 ID:Atj6T/e0.net
家康は後に「清洲城が西軍に落ちなかった事が勝因」と激賞したって逸話があったけど、清洲城といった重要拠点が東軍に与していた事で西軍の諜報網もカット出来たのだろうか

909 :人間七七四年:2022/03/17(木) 11:01:07.87 ID:f9W3IBaY.net
泥縄式の挙兵みたいなもんだし
諜報網なんて呼べるほどの組織はなかったんじゃない
時間的猶予があれば解決できるはずだけど

910 :人間七七四年:2022/03/17(木) 11:26:05.78 ID:qdgyJLqz.net
日頃の信用で出来上がるもんだしな、情報網

911 :人間七七四年:2022/03/17(木) 12:18:06.67 ID:aBqiUxNw.net
いくら兵数不利とはいえ岐阜城の防衛も出来なかったしなぁ
てか漸く送った援軍も数少な過ぎてむしろ東軍に押し込まれてるってのはどういうことなの…

912 :人間七七四年:2022/03/17(木) 13:12:46.21 ID:Sw/xE3BA.net
トランプ氏「プーチンは天才だ」発言 軌道修正も・・・(2022年2月28日)
://www.youtube.com/watch?v=Bc94fw_jflE&list=UUGCZAYq5Xxojl_tSXcVJhiQ
プーチン氏がバイデン氏に反論 原爆投下引き合いに(2021年3月19日)
://www.youtube.com/watch?v=8d7LN4RJU04&list=UUGCZAYq5Xxojl_tSXcVJhiQ
2003年 フセイン元大統領 拘束
://www.youtube.com/watch?v=Ss5nqGVPdbo&list=UUdWcNy9QTL1db2kSEwFfrcg
プーチン大統領に“100万ドル”懸賞金「生死問わず」…ロシア出身資産家がSNS投稿(2022年3月4日)
://www.youtube.com/watch?v=5953IPyoHjM&list=UUGCZAYq5Xxojl_tSXcVJhiQ

913 :人間七七四年:2022/03/17(木) 19:40:39.73 ID:bTn9rTuS.net
そもそも上杉討伐軍がそのまままとまって
進退してた事態が予想出来てなかったんかなと

四分五裂か互いに疑心暗鬼で動けないか
西軍のように地方の敵対大名の拠点を攻めてくか
という見方してたんじゃないの

なんせ西軍の総大将毛利自体が
地方で切り取り次第始めてたわけだし

914 :人間七七四年:2022/03/17(木) 20:48:50.00 ID:f9W3IBaY.net
一応表面上は西軍の予想通りになってはいるからなあ
家康は江戸を離れられない、討伐軍は(動揺して)尾張三河あたりまで帰ってくる
そこを説得だか説教だかして一旦領地に帰すってのが初期の予定だから
ただ討伐軍に井伊や本多といった家康の重臣が同行してて
家康の指示待ち状態だったというのは考えられないというか考えたくない事態ではある

915 :人間七七四年:2022/03/17(木) 20:52:12.81 ID:RBIpz75J.net
一見西軍の狙い通りに見えて実は全く違う話になっていたという。てか西軍には東軍と繋がってる裏切者が山ほど居たけど東軍にはいたっけ?なんか凄いマイナーな奴しか居なかった気がする

916 :人間七七四年:2022/03/17(木) 21:05:20.71 ID:p8JGfxH8.net
井伊は家康にそろそろ動いてくれないとやばいんですけどって泣き入れてんじゃん

917 :人間七七四年:2022/03/17(木) 22:08:32.87 ID:qdgyJLqz.net
離れられない理由が動揺でビビって動けないでなく、各方面から来る情報統括して指示するためだったっていうね

918 :人間七七四年:2022/03/17(木) 22:37:18.89 ID:e5xjBBWL.net
家康完璧超人聖人かよ

919 :人間七七四年:2022/03/17(木) 22:49:00.56 ID:XgFpOe8r.net
東照大権現を崇めよ

920 :人間七七四年:2022/03/17(木) 22:54:07.60 ID:qdgyJLqz.net
誰もんなこたぁ言ってない
わざと煽るようなマネするな

921 :人間七七四年:2022/03/17(木) 23:07:06.75 ID:oW2w8Fl/.net
この戦役での緻密さ、慎重さ、いざというときの大胆さは権現様といってよかろう
変なことに研究が進めば進むほど東軍必勝、快勝に傾くの面白い
勝った史実を知った上で史料をくちゃくちゃしてるわけでもないしね

922 :人間七七四年:2022/03/17(木) 23:08:56.38 ID:e5xjBBWL.net
煽っている自覚なかったのか
ビビっていたかなどの感情は史料からは断定できないで終わりだろう

923 :人間七七四年:2022/03/17(木) 23:13:04.61 ID:f9W3IBaY.net
秀吉の死後を何の裏付けもなく全部裏で家康が操ってたんだって言ってるのに比べたら全然マシだわな
あれこそ神格化の極致

924 :人間七七四年:2022/03/17(木) 23:14:21.74 ID:qdgyJLqz.net
少なくとも引きこもって何もしていなかったではなく、各地の情報を受け入れて指示をしててその指示も積極的な行動が多いって書けばいいのか?

925 :人間七七四年:2022/03/17(木) 23:32:45.65 ID:oW2w8Fl/.net
>>921
この戦役でも癇癪起こしてるけど、大坂の陣になるともっとヤバいのもポイントが高い
個々の行動は支離滅裂なんだが、最後はなんとかなる
老人は怖いよ

926 :人間七七四年:2022/03/17(木) 23:49:29.12 ID:VALjtIBv.net
大坂の陣でそんな癇癪起こしてたか?
なんか史料にそんな話あったか?
雑に老人にくくるし、ちょい語り口がアイツ臭い

927 :人間七七四年:2022/03/18(金) 00:04:55.85 ID:jA7VJHS5.net
>>926
史料を自分で読みなさい

928 :人間七七四年:2022/03/18(金) 00:12:56.53 ID:1pYms0tq.net
史料ある程度読んでるが、瞬間湯沸かし器的にキレることはあってもすぐ落ち着いて対処が変な行動を取ったというような史料は知らんな
読みなさいと言うなら読むからどの史料から癇癪起こして個々として支離滅裂と取れる部分があったのか、言ってくれや

929 :人間七七四年:2022/03/18(金) 00:22:04.81 ID:jA7VJHS5.net
>>928
駿府記とか諸士軍談がお薦めかな

930 :人間七七四年:2022/03/18(金) 00:36:04.22 ID:1pYms0tq.net
諸士軍談ってそんな史料的に信憑性高いもんだっけ?

931 :人間七七四年:2022/03/18(金) 01:30:45.65 ID:pzEcm8r2.net
>>921
盗将大権現のピカレスクな魅力炸裂ですよね、実は結講調べれば調べる程面白くは
あるんだよ
中々東海道に出てこなくて、東軍先鋒隊を焦らせる所とか。

あれ下手すれば東軍先鋒隊が動揺して崩壊しかねない博打なんですけど
こういう所、正に博打うちよな

932 :人間七七四年:2022/03/18(金) 01:40:16.28 ID:97PI6HFn.net
こういう史料も読まない出さないで妄想吐く荒らしが湧くから信憑性高い史料もとに喋った方がいいぞ
>>931
んで例え話荒らし、一昨日方々からバカにされて呆れられてるのに来たってことは自説を補うのに十分なだけの史料揃って来たんだろうな?
まさか恥も感じないで寝言ひりに来たんじゃあるまいな?

933 :人間七七四年:2022/03/18(金) 01:44:43.81 ID:97PI6HFn.net
僕は思いますそうとしか見えないとかいらないから、史料と研究出せよ?
あっ、それともまーた著書あったんだけど著者忘れちゃいました〜、今まで一度たりともまともな研究出したことないけど絶対ありました〜だとか
遺言に書いてます〜、どの遺言のどのか所かを聞かれても答えられませんけど〜
とかの頭悪い言い訳か関係ない例え話で話反らすのかい?

934 :人間七七四年:2022/03/18(金) 07:00:36.34 ID:g7tLaYlE.net
家康は関東に居ながら外交戦を展開してる。これは西軍も同じなんだけど家康と輝元・三成の違いは家康は主力を温存したのに対して輝元は西に振ってしまった。
だから家康が岐阜城を攻撃した時三成はろくな救援を送れなかった(この時大垣城には三成と宇喜多秀家の軍勢くらいしか使えるのが居なかった)
結果岐阜城は陥落、のみならず岐阜城救援隊を迎撃して押し込んだことで大垣城、佐和山城すら射程範囲に収めてみせた。で、ここで家康の外交戦が功を奏して小早川・毛利が東軍に降伏。戦争ってのは戦う前に勝敗が決してるってのは正しくこのことよ。

935 :人間七七四年:2022/03/18(金) 08:20:33.61 ID:mNaOvGwM.net
家康自体ももっと戦局が長引く想定が
あったからこその後方待機な訳でしょ

東軍先鋒が一丸で動くかどうか
脱落したり分裂したり(敗北したり)しないか
家康も懸念してたはずでそこは
西軍の希望的観測と一致してるんよね

936 :人間七七四年:2022/03/18(金) 08:25:30.06 ID:mNaOvGwM.net
情報戦については勝った東軍側の情報は残り
負けた方は失われる
戦後勝った方とのコネクションはアピールされ
負けた方と繋がってても隠される
という側面も加味する必要はあろうかと

その上で考えても元々政権担当者が指揮して
縦の指揮系統ある東軍と
呉越同舟で寄り集まったクーデター軍の西軍
という違いが大きいと思うんよね

同じ陣営に行ったら自動的に情報が共有される
というものじゃない
諜報を行うのは諸家の連絡を介してで
そして情報はタダじゃない

東軍は家康に情報渡して功績アピールする訳だが
西軍は奉行なの毛利なの?勝ったら戦後に
毛利が内府の位置につくの?他の人じゃないの?
てなるよね

937 :人間七七四年:2022/03/18(金) 08:43:31.99 ID:6j4U1PjX.net
皆長期戦、何なら秀吉統一前の分裂状態になると想定してたでしょ
家康だって内府ちがいの条々が出た時点で西と和睦して関東の大大名として戦力を温存する可能性も考慮してたはず
岐阜城が落ちるまではね

938 :人間七七四年:2022/03/18(金) 09:03:38.92 ID:97PI6HFn.net
岐阜城落ちる前からかなり積極的に攻勢に出るための指示出してるぞ、つか岐阜落ちる前から出陣は予定されてて荷駄が邪魔で動けないといった要因があったから岐阜城落城後になってる、これは書状に荷駄除けろといった指示出してたりがあるね
岐阜落ちたことで趨勢が決したのはその通りだけど、そこまでは日和り気味だったかといえばそうでもない

939 :人間七七四年:2022/03/18(金) 09:28:54.50 ID:7dM6zD5D.net
てか岐阜城は「気付いたら攻められてました」って城じゃないからね。見通しが良い岐阜城は攻めてくる敵軍がすぐ分かる。そこに軍を進めたのは大垣城に人が居ないことを見通してた可能性が高い。

940 :人間七七四年:2022/03/18(金) 09:31:56.31 ID:mNaOvGwM.net
「上洛戦を諦めてた」て話ではなく
あくまで東軍先鋒がコントロールできなくなる
「想定もしてた筈」という話ね
不確定要素としては畿内の西軍の趨勢のが
大きかったろうことももちろん

自分が大急ぎで上洛したら敵が強大、
上杉討伐軍の諸将も掌返しでは
下手したら取り返し付かないので

941 :人間七七四年:2022/03/18(金) 10:08:05.62 ID:pzEcm8r2.net
>>940
大軍が河を渡るって実は意外と大変なんですよね
渡河直後は陣形も整ってないし、河の両岸に味方が分断されてる事になる

近くに敵の大軍が居る状況なら、確実に狙われる訳で
正直、可成りの博打だと思うぞ、岐阜攻撃は

942 :人間七七四年:2022/03/18(金) 10:18:16.39 ID:MFXbF6nx.net
寝言言ってないで史料持ってきてからいっちょ前のこと語れや
お前に今物語る資格ねーぞ例え話

943 :人間七七四年:2022/03/18(金) 10:30:23.87 ID:7dM6zD5D.net
有名な逸話に「家康の出陣を要求する諸将に「お前たち東軍なら何故城の一つも落とさない?」と煽って岐阜城攻撃」ってのがあるけどこの逸話が本当なら家康は東軍諸将が裏切るとかは殆ど考えてなかったことになる。そうした事を疑心する奴は形ばかりの軍勢を出して勝機を失うってのが相場だもの。
つまり諸将も徳川軍が動かない理由を理解してたんじゃないか。西軍の書状で徳川軍の動きに触れてるものが多いから多分西軍の狙いを外すって思惑があったんだろう。西軍が徳川軍のみを追っているなら徳川軍が関東から動かなければ西軍は戦略を見誤る。その間隙を突いて電撃的に岐阜城を攻撃すると。しかも最悪に備えて岐阜城周辺の連中に調略も仕掛けてる。それが犬山城でここは秀信からの救援要請を黙殺、東軍に内通したわけだし。十重二十重の戦略図よ。

944 :人間七七四年:2022/03/18(金) 10:48:42.63 ID:LQFeEXFS.net
Yahoo知恵袋なんかでは史料や研究を駆使して家康に批判的な論陣はってるのいるんだけどね
剽窃でもいいからそういうのを援用すればまだ相手してもらえるだろうに
まあ例え話荒らしの知能ではまずそれらを読んで理解することすら無理だろうからすぐ馬脚を露わすだろうが

945 :人間七七四年:2022/03/18(金) 11:28:40.01 ID:mNaOvGwM.net
>>941
渡河の危険なんて当たり前のことを
なぜ急に主張したのか意図不明だが
普通に大軍より小規模な渡河の方が危険だし
渡河直後なら分断されず川向こうに全軍いるぞ

946 :人間七七四年:2022/03/18(金) 11:57:46.20 ID:0v/349Yz.net
なんかそれっぽい事を語りたがってるけど知識と論理的思考といった中身が伴ってないからずっと滑ってるのな、大概の人は麻疹みたいに中学生のいっときそういうことやって、周りから笑われたりしてむしろ痛くてみっともないだけだと恥じてちゃんと語りたいことについて調べる根拠を出すといった必要あるってのを学習するんだが
学習をそもそも投げ出してるやつはいつまでもこうなるんだなぁ

947 :人間七七四年:2022/03/18(金) 11:58:24.10 ID:UBHmS9fy.net
司馬小説からの俗説しか書いてないやつがいる

948 :人間七七四年:2022/03/18(金) 12:38:51.51 ID:jY8mb52b.net
>>942
横レスだけど、なんで
そんなに喧嘩腰なん?

949 :人間七七四年:2022/03/18(金) 12:40:37.12 ID:jY8mb52b.net
>>946
横レスだが、彼は中学生だぞ?
つまり今それを経験してるんだよ

950 :人間七七四年:2022/03/18(金) 12:53:01.90 ID:0ae/Ejaz.net
岐阜城落とせって逸話は福島たち東海道諸将への瀬踏みって解釈も見るけどな、逸話だからあてにはできないが

どちらにしても岐阜城陥落は東海道諸将の功績で、戦後正則が徳川家臣と揉めて殺害していたり服従していたとは言いづらいかなと

951 :人間七七四年:2022/03/18(金) 12:53:05.51 ID:0v/349Yz.net
何年中学生してんだよあいつ

952 :人間七七四年:2022/03/18(金) 13:00:35.72 ID:L2P43Gjs.net
50年くらいかな

953 :人間七七四年:2022/03/18(金) 13:07:05.71 ID:0v/349Yz.net
逸話をあったなかったかなんて語るのは、信憑性高い史料にないなら創作でしょって話で良いでしょ
んでましてその真偽不明の逸話から他への類推は論として飛躍しすぎと思う
普通に書状類からの解釈のがいいでしょ

954 :人間七七四年:2022/03/18(金) 13:19:57.74 ID:7dM6zD5D.net
>>945
だからこそ秀信は打って出た訳だけどそこは池田輝政、とっくにお見通しで福島正則と隊を二分して攻撃したので秀信にはどうしようも出来なかった(兵数で東軍圧倒的優位なので出来た)
問題は三成の対応で岐阜城からの救援要請を受けて出撃したは良いもののまるで戦闘にならん有様。ていうか本当なら岐阜城が攻撃される前に大垣城か犬山から兵を送っておくのがセオリーだったんだが…おそらく完全に見失っていたんだろうけど。

955 :人間七七四年:2022/03/18(金) 15:19:35.72 ID:QlcSi4oZ.net
独りでバトルやってるの楽しい?

956 :人間七七四年:2022/03/18(金) 17:48:44.75 ID:jY8mb52b.net
>>955
だから煽るなって

957 :人間七七四年:2022/03/18(金) 18:56:45.00 ID:zSScG8yI.net
さっさとワッチョイ来ねぇかな
毎回おんなじような手口の荒らしのIDをNGに入れてても日を跨ぐと出るせいで揉めてるし、自演だなんだの疑いも出るし

958 :人間七七四年:2022/03/18(金) 19:42:09.17 ID:tuu289Pl.net
荒らしにかまっている人はワッチョイ来ても嵐に構うんだろうなあ

959 :人間七七四年:2022/03/18(金) 20:12:01.30 ID:J1rJv96G.net
>>930
自分で読んで確かめてみたらいいじゃないの

960 :人間七七四年:2022/03/18(金) 20:23:10.83 ID:zSScG8yI.net
まあそもそも荒らすバカが悪いっちゃ悪いんだがね

961 :人間七七四年:2022/03/18(金) 21:08:09.01 ID:lFNw2cU2.net
次スレいくの、これ?

962 :人間七七四年:2022/03/18(金) 21:12:34.46 ID:L2P43Gjs.net
要らないでしょ

963 :人間七七四年:2022/03/18(金) 21:13:21.75 ID:J1rJv96G.net
>>953
この一次史料しか信じません!キリッってのも十分に第二の中二病だと思うけどなぁ
意識高い系というか
少なくとも史学の実態については無知だと分かる

964 :人間七七四年:2022/03/18(金) 21:48:01.44 ID:zSScG8yI.net
一次史料しか信じませんなんて言ってないよね、信憑性の高いかどうかって話を一次か二次かにすり替えるやつよくいるけど、バカ丸出しよ

965 :人間七七四年:2022/03/18(金) 21:59:01.68 ID:zSScG8yI.net
バカ丸出しは悪口が過ぎたが
史学の実態キリッて言いながら信憑性の多寡と一次史料二次史料の差異に気をつけてないのは単純に君が実態について無知を晒してしまってるんだぞ
煽るなら脇をちゃんと締めて煽れ

966 :人間七七四年:2022/03/18(金) 21:59:22.98 ID:g7tLaYlE.net
まぁ一次史料に無いからって理由で歴史の常識を疑う系の本が流行ったしそういう思想があるのは仕方ない。簡単に新説作れるし本書く立場からすると有難い話よ

967 :人間七七四年:2022/03/18(金) 22:08:55.22 ID:J1rJv96G.net
本がどうのって真面目に話してるのか?
研究者の最大の業績は論文だろ
一般書なんて余技にやるか、そういう専門になるかだけだ
そもそも自分でちゃんと史料読めとしかいいようがない

968 :人間七七四年:2022/03/18(金) 22:21:17.59 ID:zSScG8yI.net
論文がciniiなりで触れられるし学会誌も読んできゃいいとは思うが、まあ触れやすいのは一般書だとは思うよ
あと史料は前提知識がないと七将スレみたいに大揉めすることもあるしね、結局はバランスよ
根拠皆無で絡むよかよほど行儀のいいとは思うよ

969 :人間七七四年:2022/03/18(金) 22:54:14.60 ID:g7tLaYlE.net
で、話は関ヶ原に戻る訳だけど三成は七月三十日に真田昌幸に「上方の様子を聞き帰陣してる」と書いてる。ところが実際には諸将は家康の命令で西上、上洛の邪魔になる西軍拠点への攻撃を企図してた。これは果たして三成が情勢を読み間違えたのか、それとも偽装情報に踊らされたのか?その後も三成は東軍諸将に「理を説く」としてるけど…
八月五日に江戸に着いた家康はそこから一ヶ月で百通もの書状を送って攻撃指令や調略を行う。その頃には清洲城には三万五千もの兵が入って攻撃準備が整ってる。この時点で大垣城には三成と秀家の兵しか居ない(多分合計二万五千くらい)
もし清洲城から攻撃されたら大変危険なのは明らかなのにかなり悠長な戦争してる気がする。

970 :人間七七四年:2022/03/18(金) 23:23:57.50 ID:ygai3pbM.net
伏見落とした後に軍勢をあちこちに派遣しちゃってるからなあ
かといって伏見攻略後に急いで濃尾に軍勢差し向けるような情勢でもないし

971 :人間七七四年:2022/03/18(金) 23:29:13.49 ID:J1rJv96G.net
>>968
あそこでは一人だけおかしな解釈する人間がいただけと認識しているがねえ

972 :人間七七四年:2022/03/18(金) 23:49:48.62 ID:N/lydH/B.net
>>934
宇喜多は長島じゃね
大垣来たの陥落後だっつような

973 :人間七七四年:2022/03/18(金) 23:57:31.40 ID:UBHmS9fy.net
毛利も畿内に全力じゃなく四国九州にも兵を振り分けてるから会津征伐軍が空中分解する予定だったんじゃないの
本能寺の変の明智光秀の行動を少しマシにした程度の動きだわ

974 :人間七七四年:2022/03/19(土) 00:32:31.56 ID:aIoF9jds.net
光秀は信長信忠同時討ちという成功条件を満たしたんだから陰謀としては成功の部類でしょ
秀吉がそれを上回っただけで普通は総帥を失った織田家はお互い疑心暗鬼になって所領から動けなくなったり対峙中だった敵側に釘付けにされて動けなくなったりしてもう少し時間に余裕が出来たはず

975 :人間七七四年:2022/03/19(土) 01:13:25.92 ID:mhD7slWL.net
殺して成功ならクーデターではなく人殺しと同じだよ

976 :人間七七四年:2022/03/19(土) 08:36:41.67 ID:QH/FjEXL.net
>>973
実の所、あの時の状況を理知的に推測するなら11月に成って会津が雪で埋もれてから
盗将大権現の本隊が東海道に出て来ると成るよ

待てば安全に東海道に出られるのに、あの時期に博打打つ訳が無いと考えるのは普通
だと思いますよ
なら、待ち時間に近畿の平定進めて必勝の体制を築くと考えるのも良く分かる

実際、長良川渡河は役満直撃の可能性大の捨て牌通した様なものですもん、普通は近所に
西軍の軍勢が居ないと思っても出来ないよ
相手が拳銃見せて脅してる時に「ブラフだ弾は入ってない」と決めつけるの怖いだろ

東軍先鋒の渡河って、実際にはそういう感じだもんな、良くやったよ

977 :人間七七四年:2022/03/19(土) 08:39:27.71 ID:aIoF9jds.net
早々に江戸を出られるわけないんだよな
関東は上杉佐竹なんかに背後を脅かされてるし、清洲に先行した豊臣系大名が情勢次第でどう転ぶか分からない

978 :人間七七四年:2022/03/19(土) 08:45:00.66 ID:7as/IxEL.net
>>972
えぇ…じゃあこの時点で岐阜城を救援出来るのは石田三成・小西行長、島津らの計一万五千だけ?宇喜多秀家は一万くらいの兵を率いて行軍してた記録があるからこれがあれば岐阜城兵と足して三万八千、東軍の岐阜攻撃隊に匹敵する訳だけどそれが居ないとなると岐阜城救援は絶望的やんけ。
そうなるとやはり、西軍の見込みが甘いというか楽観的過ぎたのが敗因な気がするね。東軍が全て家康の指揮下にあるなら清洲城の軍勢はそのまま西上して家康上洛の露払いをするはずで、そうなると岐阜城がいのいちに狙われてもおかしくない。なら大垣城に最大兵力を集めておくべきだったのだが…

979 :人間七七四年:2022/03/19(土) 09:43:19.09 ID:KWJDDJ9b.net
そもそも清州の兵数をちゃんと認識できてたのか?

980 :人間七七四年:2022/03/19(土) 10:00:07.51 ID:7as/IxEL.net
真田宛書状で東軍諸将が帰陣してる云々とあるぐらいしか知らないので何とも言えんけど、少なくとも清洲城に兵が集まってることぐらいは掴んでる。島津義弘が本国及び大坂に出した書状(十七日付)で上方の兵が清洲に着いた、近々一戦があると伝えてるから(「だから兵隊送ってって言ったのになんか人が来ないんだけど?」が義弘の窮地を表してるやつ)
具体的兵数まで掴めてなくてもかなりの大軍だという危機感は持っていて然るべきだとは思う。いかに徳川本隊は動いてないと言っても福島や池田、藤堂らの軍勢なんだし。

981 :人間七七四年:2022/03/19(土) 10:26:58.35 ID:dn//uWaU.net
その間に徳永などの美濃の小領主が西軍方の城を数個落としたりしているから
手は足りなくなっていたんだろう

とは言っても九鬼守隆が帰ってきて以降伊勢湾の制海権が怪しくなったので
伊勢諸城も無視はできない様子がある

982 :人間七七四年:2022/03/19(土) 10:39:18.66 ID:sCrGJ1yt.net
そもそもの作戦が俺たちが挙兵したら会津討伐軍は瓦解する筈とかいう楽観にも程がある見通しでやってるからまぁ
その上で福島の西軍へつくかもという態度にもなんら疑いを持ってないしで見通しが異常に甘いのはその通り
東国情報をろくにも掴めてないんだからそこで危機感を持ってもおかしくはない筈だが、まあ間違った希望的観測でも決定的に否定される出来事が起きない限り縋りたいって所か

983 :人間七七四年:2022/03/19(土) 10:46:42.66 ID:sCrGJ1yt.net
だから話されることの多い東軍が早々に動く訳がないってのは、やたら甘い見積もりで挙兵した西軍視点だけからしたらその通りだけど
実際はそもそもその見積もり自体が大間違いで大きく秀康、秀忠、家康の3隊に分けた上で上杉や佐竹への牽制もしつつ西進する余裕は普通にある
西軍に視点を偏らせてるからありえないに見えるだけ

984 :人間七七四年:2022/03/19(土) 12:52:07.54 ID:0/MFj427.net
そら首都制圧されて家族とか屋敷とか
場合によっては領地も不当に押さえられてるんだから早く帰りたいわな
かといって西軍に与する気がないならもう武力行使しかない

985 :人間七七四年:2022/03/19(土) 13:02:26.95 ID:Bya6+6FJ.net
会津に従軍中だった桑名の氏家行広は領国に戻って中立を保とうとしたが周囲の状況で西軍に与することになった

986 :人間七七四年:2022/03/19(土) 13:55:01.24 ID:7as/IxEL.net
ただ西軍が真面目に人質をとったから諸将が言う事聞くと考えていたとは思えない、ていうか思いたくない。
諸将が人質を大坂城に出してるのは形の上では豊臣公儀への忠誠の証な訳でそれを実力で奪ったからこっちの言う事を聞くとは思えない。そんな情けない態度を取れるものだろうか…またそもそも家康は自分に親しい連中は人質を免除してる(内府違いの条々)のだから大坂城にいるのは家康と親しくない連中。そんな連中が豊臣公儀に差し出した人質を傷付けたらどれ程家康と仲悪くても敵対するだろう。つまり人質には触れない。そう考えて戦略からは除外するのが最適だと思うのだが。

987 :人間七七四年:2022/03/19(土) 14:18:42.58 ID:sCrGJ1yt.net
そもそも西軍の認知が割と歪んでるのでしょ、人質も含めて
ものすごく楽観的見通しからの挙兵ってのが現状研究から読み取れる西軍像かな
まあ政争で負けて燻ってたのが家康が会津征伐で動くって機会のために泥縄で考えた結果だからそうなるのもむべなるかな

988 :人間七七四年:2022/03/19(土) 17:55:25.99 ID:tRQTH/m4.net
自分達の大義を信じるあまり
皆味方すると思い込んだ
という見方をされがちだけど

政争に明け暮れた末に
内府を追い落とせるなら
皆協力する筈と思い込んだ
というのが近いのではないかと

何故なら首謀者達ならそうするし
実際そればかり考えて実行したから
というね

989 :人間七七四年:2022/03/19(土) 22:10:39.90 ID:DhF0FvD/.net
エコーチェンバー的なものがあの時代にもあったのかな

990 :人間七七四年:2022/03/20(日) 00:59:44.94 ID:i9fXSQ2y.net
岐阜城関連

岐阜市 史跡岐阜城跡保存管理計画書
http://www.city.gifu.lg.jp/secure/10437/4567.pdf
http://www.city.gifu.lg.jp/secure/10437/3-4567.pdf

山上部・山林部の分布調査では、金華山及び周辺の山の尾根線上に多数の遺構が存在すること
が明らかになりつつあり、その多くが絵図に描かれた砦と対応する。また絵図や文献の検討の結
果、江戸時代に尾張藩が管轄した範囲が戦国時代の直接の城域である可能性が高く、その大半が
現在の金華山国有林として受け継がれていることが判明した。城下町を取り囲む惣構の土塁はこ
の直接の城域に対応しており、城と町が一体として成立・機能していたことを示唆している。調
査成果から岐阜城の城域を最大限に捉えると金華山に瑞龍寺山、上加納山を含んだ山塊全体、西
側の岐阜城下町とそれを取り囲む惣構、東側の達目洞を含んだ範囲となる。


国史跡岐阜城跡で石垣が新たに見つかりました!
http://www.city.gifu.lg.jp/32568.htm
一部抜粋
<山城としての岐阜城の評価について>
・ これまでの岐阜城の概念(山上の詰城+山麓居館という二元的構造)を考え直させる大きな発見。

国史跡岐阜城跡 山上部の発掘調査で信長期に築かれた石垣を確認しました!
http://www.city.gifu.lg.jp/26193.htm

◎岐阜城跡で初めて鉄の矢じりを発見(2区)
 鉄鏃(てつぞく)の長さ14.6cm、幅2.0cm  
→慶長5年(1600)8月23日の関ヶ原の戦いの前哨戦で使用された可能性がある。
遺物は軒平瓦、飾り瓦、鉄鏃など コンテナ4箱、破片数約500点が出土

→中でも、今回発見した、裏門周辺における巨石列や石垣は、これまで謎に包まれていた裏門の構造解明につながる大発見

有識者の評価  中井 均 (なかい ひとし) 氏 (滋賀県立大学教授)
『稲葉城趾之図(いなばじょうしのず)』に記された裏門とほぼ一致するところで門跡と見られる遺構が検出されたことは、
絵図が極めて詳細に現地の遺構を確認しながら描いた城跡図であることが明らかとなったといえる。
巨石を用いた構造は大手にあたる一ノ門、二ノ門と同じ構造であり、
背面の城域を区画する重要な門であったことがわかる。
また、今回明らかとなった裏門付近には小石材を用いた石垣も発見されているが、
これは斎藤道三の稲葉山城の石垣と見られ、金華山には道三期の石垣も残されていることが判明した。
門遺構、道三期の石垣が同時に発見された意義は大きい。


歴史遺産と都市文化創造V――都市城壁(惣構)を町づくりにいかす
http://www.lit.osaka-cu.ac.jp/UCRC/wp-content/uploads/2006/03/0603hist-heri.pdf
近代岐阜忠節用水流域における都市形成に関する研究
http://library.jsce.or.jp/jsce/open/00063/2011/2011-04-0072.pdf
農林水産省東海農政局 木曽川水系土地改良調査管理事務所の案内
http://www.maff.go.jp/tokai/seibi/kensetu/kisocyou/html/pdf/014-99.pdf

上記より抜粋
忠節用水は古来、金華山麓に取入口を設けて、岐阜の旧称井ノ口村
の名を生んだといわれる農業用水である。天文3年(1543)の長良川の大
洪水により岐阜市忠節の地に取入口を移し、以来400余年幾多の変遷を
経て引水が続けられた。



関ヶ原当時の引水部や用水経路がいまいちよくわからないが、
惣構の水堀が用水兼用だったとするならば、非常用水源となりうるのではないだろうか。
また、水の手口という名称から、その麓、丸山の辺りが取水口じゃなかったのではないかと
思うがどうだろう?

991 :人間七七四年:2022/03/20(日) 01:11:01.85 ID:i9fXSQ2y.net
リンク切れてたので追加

国史跡 岐阜城跡
https://www.city.gifu.lg.jp/kankoubunka/bunkazai/1005557/index.html

令和3年度史跡岐阜城跡山上部発掘調査成果を発表しました!
https://www.city.gifu.lg.jp/kankoubunka/bunkazai/1005557/1014473.html

一ノ門の調査
一ノ門では令和2年度の調査で見つかった柱跡の対になる場所で礎石と見られる石材を確認しました。
また、岩盤を掘り込んだ大型の穴が見つかり、底から水が湧くことから井戸の可能性が考えられます。

992 :人間七七四年:2022/03/20(日) 02:05:41.15 ID:Z1pUYI+l.net
>>990 >>991
良いな。
文献などよりもこういうハードプルーフこそが歴史研究の主流となることを祈る。

993 :人間七七四年:2022/03/20(日) 02:57:11.93 ID:2yKwQkA2.net
これはこれでいいが文献史料軽視はろくでもねぇ
というかこういうのも史料文献上にある記述通りの遺構だから判明する、ってのもあるしな

994 :人間七七四年:2022/03/20(日) 07:16:30.34 ID:2+tHNRLK.net
>>990
だとすると秀信が打って出た理由もまた一つ加わった事になるね

995 :人間七七四年:2022/03/22(火) 04:55:06.27 ID:RB77YLfL.net
何にせよ援軍が期待できないとな

996 :人間七七四年:2022/03/22(火) 19:12:13.33 ID:r9T4KeeS.net
レスの勢いが止ったね

997 :人間七七四年:2022/03/22(火) 19:28:11.24 ID:h+jHYepg.net
うめ

998 :人間七七四年:2022/03/22(火) 19:54:11.06 ID:r9T4KeeS.net
豊臣恩顧大名や武将について考察する2

https://kizuna.5ch.net/test/read.cgi/sengoku/1647857157/l50

999 :人間七七四年:2022/03/22(火) 20:07:22.30 ID:zUbRvKEY.net


1000 :人間七七四年:2022/03/22(火) 20:07:30.53 ID:zUbRvKEY.net
1,000

1001 :2ch.net投稿限界:Over 1000 Thread
2ch.netからのレス数が1000に到達しました。

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