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【仏教】ヒキが仏道修行するスレ その⑤【瞑想】

1 :(-_-)さん:2022/08/30(火) 17:07:25.65 ID:40jwloe/0.net
・相手を傷つける言葉をはかない
・頭ごなしの説教をしない
・過度なレスバトルをしない
・熱くなってる事に気づいたら1~2分瞑想してから書き込みましょう

前スレ
https://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/hikky/1584582596/
https://kizuna.5ch.net/test/read.cgi/hikky/1635444793/ ④

467 :(-_-)さん:2022/11/27(日) 10:41:06.89 ID:NwlUSHis0.net
>>466
ありがとう!それを意識したらいつもより出来たわ。3分しか出来ない糞雑魚だけどこれなら10分いけそうや

468 :(-_-)さん:2022/11/27(日) 20:45:44.53 ID:CEdP82vP0.net
「二〇〇三年の夏にはじめて参加した一週間の合宿では、生徒が瞑想を指導する先生と話す機会が二回あった(……)これはありがたかった。というのも、私はある問題をかかえていたからだ。瞑想ができない!という問題だ。(……)それまでにやったのは、まる一日半をついやして、呼吸に意識を集中できないままでいることだけだった。何度も何度も挑戦したが、どうしてもほかのことを考えてしまうのだ。

そこで、自分の番がきたとき、この欲求不満をことばにした。その後の先生との問答はこんな具合だった。

「なるほど、意識がさまよってばかりいることに気づいているわけですね。」
「はい。」
「いいことです。」
「意識がさまよってばかりいることがですか?」
「いいえ。意識がさまよっているばかりいることにあなたが気づいていることがいいのです。」
「でも、それがなんというか、しょっちゅう起こるんです。」
「それはもっといい。何度も気づけているということです。」

(……)その後、瞑想指導者からはじめてもらったこのちょっとした返答が単なる精一杯の励ましではなかったことがわかるようになった。先生の言ったとおりだった。意識がさまよっていることに頻繁に気づくことで、私は新しい境地を開いていった。普段の平凡な日常生活では、意識がさまよったらそれを追って野を越え山を越えていた。どこへ導かれているかも自覚していなかった。今では、短い時間追いかけただけで解放される。少なくとも一時的に解放され、それでも意識に導かれていたことことを察知するには十分な時間解放される。その後、意識がふたたびさまよいはじめ、また少し私を導いていく。」

(『なぜ今、仏教なのか』 ロバート・ライト 著、pp.80-82)

469 :(-_-)さん:2022/11/27(日) 21:01:12.30 ID:CEdP82vP0.net
「気づき(マインドフルネス)は、瞑想において最も重要な面です。私たちが育てようとしている一番大事なものです。心が飛びまわったとき、それと闘う必要はまったくありません。最も大切なことは、起こっていることに気づくことであり、起こっていることを抑制しないことです。集中力は道具である、ということを憶えておいてください。ありのままに気づくことの補助的な道具なのです。

気づきから見れば、散乱などというものはありません。心に現れたものは何であれ、気づきを育てるための一つの機会として見るのです。呼吸は主要な観察対象であり、これを気づきの第一の対象として使います。散乱は、気づきの二次的な対象として使います。散乱は、呼吸と同じように現実に生じてくるものです。

実際のところ、気づきの対象を呼吸にするか、心の散乱にするかということは、それほど重要なことではありません。呼吸に気づくこともできますし、心の散乱に気づくこともできます。心が静かなことや集中力が強いという現象にも気づくことができます。集中力がボロボロになっていることや心が滅茶苦茶な状態になっていることにも気づくこともできるのです。すべての現象に気づくのです。気づき続けるなら、やがて集中力はついてくるでしょう。

ヴィパッサナーの目的は、何にも妨げられることなくひたすら呼吸に集中することではありません。これは無意味な目的です。完全に静寂することでも、澄み切った心に達することでもありません。これらは魅力的な状態でしょうが、解脱に至ることはできないのです。ヴィパッサナーの目的は、途切れることなく気づくことです。気づく、この気づくことによってのみ、覚ることができるのです。」

(『マインドフルネス 気づきの瞑想』 バンテ・H・グナラタナ 著、pp.237-238)

470 :(-_-)さん:2022/11/27(日) 21:02:27.40 ID:CEdP82vP0.net
「気づき(マインドフルネス)は、瞑想において最も重要な面です。私たちが育てようとしている一番大事なものです。心が飛びまわったとき、それと闘う必要はまったくありません。最も大切なことは、起こっていることに気づくことであり、起こっていることを抑制しないことです。集中力は道具である、ということを憶えておいてください。ありのままに気づくことの補助的な道具なのです。

気づきから見れば、散乱などというものはありません。心に現れたものは何であれ、気づきを育てるための一つの機会として見るのです。呼吸は主要な観察対象であり、これを気づきの第一の対象として使います。散乱は、気づきの二次的な対象として使います。散乱は、呼吸と同じように現実に生じてくるものです。

実際のところ、気づきの対象を呼吸にするか、心の散乱にするかということは、それほど重要なことではありません。呼吸に気づくこともできますし、心の散乱に気づくこともできます。心が静かなことや集中力が強いという現象にも気づくことができます。集中力がボロボロになっていることや心が滅茶苦茶な状態になっていることにも気づくこともできるのです。すべての現象に気づくのです。気づき続けるなら、やがて集中力はついてくるでしょう。

ヴィパッサナーの目的は、何にも妨げられることなくひたすら呼吸に集中することではありません。これは無意味な目的です。完全に静寂することでも、澄み切った心に達することでもありません。これらは魅力的な状態でしょうが、解脱に至ることはできないのです。ヴィパッサナーの目的は、途切れることなく気づくことです。気づく、この気づくことによってのみ、覚ることができるのです。」

(『マインドフルネス 気づきの瞑想』 バンテ・H・グナラタナ 著、pp.237-238)

471 :(-_-)さん:2022/11/27(日) 21:07:21.82 ID:CEdP82vP0.net
「気づき(マインドフルネス)は、瞑想において最も重要な面です。私たちが育てようとしている一番大事なものです。心が飛びまわったとき、それと闘う必要はまったくありません。最も大切なことは、起こっていることに気づくことであり、起こっていることを抑制しないことです。集中力は道具である、ということを憶えておいてください。ありのままに気づくことの補助的な道具なのです。

気づきから見れば、散乱などというものはありません。心に現れたものは何であれ、気づきを育てるための一つの機会として見るのです。呼吸は主要な観察対象であり、これを気づきの第一の対象として使います。散乱は、気づきの二次的な対象として使います。散乱は、呼吸と同じように現実に生じてくるものです。

実際のところ、気づきの対象を呼吸にするか、心の散乱にするかということは、それほど重要なことではありません。呼吸に気づくこともできますし、心の散乱に気づくこともできます。心が静かなことや集中力が強いという現象にも気づくことができます。集中力がボロボロになっていることや心が滅茶苦茶な状態になっていることにも気づくこともできるのです。すべての現象に気づくのです。気づき続けるなら、やがて集中力はついてくるでしょう。

ヴィパッサナーの目的は、何にも妨げられることなくひたすら呼吸に集中することではありません。これは無意味な目的です。完全に静寂することでも、澄み切った心に達することでもありません。これらは魅力的な状態でしょうが、解脱に至ることはできないのです。ヴィパッサナーの目的は、途切れることなく気づくことです。気づく、この気づくことによってのみ、覚ることができるのです。」

(『マインドフルネス 気づきの瞑想』 バンテ・H・グナラタナ 著、pp.237-238)

472 :(-_-)さん:2022/11/27(日) 21:12:34.81 ID:CEdP82vP0.net
>>470,471は重複です。
書き込みエラーと表示されたので、何度も送ってしまい失礼しました。

473 :(-_-)さん:2022/11/28(月) 03:23:08.33 ID:dgwOhw+h0.net
グナラタナさんのマインドフルネスも名著だよね
出版社が倒産したせいで今では入手困難になったけど

474 :(-_-)さん:2022/11/28(月) 03:24:18.60 ID:dgwOhw+h0.net
具体的な方法論についてはあまり語られていないけど
471さんが転載してくれてるような瞑想の本質部分が勉強になった

475 :(-_-)さん:2022/11/28(月) 03:32:39.60 ID:dgwOhw+h0.net
今、Amazon見たけどちょっとプレミアついてるだけで入手困難ってほどじゃないな
仏教瞑想やる上で読んで絶対に損はない名著の一つだと思う

476 :(-_-)さん:2022/11/28(月) 09:54:51.83 ID:Crg2MWdY0.net
>>465
レビュー見たけど良さそうだった買ってみる。
ブッダダーサビク本は、ニミッタ、ピティの言葉が出てくるステップで、行き詰まってしまった。
このスレで紹介された本結構買ってるな。

477 :(-_-)さん:2022/11/29(火) 01:59:14.76 ID:Wh/LYsS40.net
「導師はまず、往来の激しい道路の脇に目隠しをして座っているところを想像するよう言いました。

「今、君には走り去る車の音など背景の音は聞こえるが、目隠しをしているのでその光景は見えない。瞑想を始める前というのは、これに似ている。心の中の雑音、つまり様々な雑念のせいで、座ってリラックスしようとした時や夜ベッドに入ってからも、まだこの雑音が続いているような感じがするのではないか?

では、次に目隠しをとったところを想像してみなさい。はじめて目の前の道路が、自分の心がはっきり見えるようになる。通りすぎる車、その様々な色や形や大きさが見える。車の音に気をとられることもあれば、外見に関心を引かれることもあるだろう。いずれにしても、これがはじめて目隠しをとった時の状態だ。この段階で、瞑想を学んでいる者がとてもおかしなことを言いだすことがある。自分の思考や感情を瞑想のせいにしだすのだ。

まず、はっきりさせておかなければならないのは、瞑想が君を考えさせているのではないということだ。瞑想はただ君の心を大きな明るいライトで照らし、よく見えるようにしているだけだ。この明るいライトは意識だ。ライトをつけた時に見えたものが気に入らないとしても、それは日ごろの君の心の動きをそっくりそのまま映しだしているのだ。

はじめは心がそう見えるものだ。君だけじゃない。誰でもそうだ。だからこそ、心の修行がとても大切なのだ。こんなふうに混乱した状態の心を見ると、どうすればいいのかわからなくなる。人によってはパニックになる。力ずくで考えを止めようとする者もいれば、それを見ないようにして何か別のことを考えようとする者もいる。あるいは、とてもおもしろい考えなら、その考えをさらに進めようとしたり、それに夢中になってしまう者もいる。だがこれらの作戦はどれも、真実から目をそらそうとしているにすぎない。往来の激しい道路のことを思い出してみれば、それは道端から立ち上がって車のあいだを走っていき、往来をコントロールしようとするに等しい。これはかなり危険な戦法だ。

478 :(-_-)さん:2022/11/29(火) 02:01:35.10 ID:Wh/LYsS40.net
こうしてみてはどうか。車のあいだを走り回って何もかもコントロールしようとするかわりに、今いる場所にしばらくじっとしているのだ。するとどうなるか。道端に座り、行きかう車をただ見ていたらどうなるか。ラッシュアワーで道路が渋滞していようと、真夜中で車通りが少なかろうと、どちらでも変わりはない。ポイントは、道端に腰を落ち着け、車の往来を見ているのに慣れることだ。

このように瞑想にアプローチするようになると、視界の変化に気づくはずだ。思考や感情から一歩距離をおくことで、空間の広がりを感じられる。自分が傍観者で、思念、すなわち車がゆきかうのをただ見ている存在のように感じられるかもしれない。だがそれを忘れてしまうことがある。

そしてはっと気づくと格好のよい車を追いかけて道を走っている。楽しい考えが浮かんだ時にはこういうことが起こる。それを目にし、夢中になり、その考えを追いかけはじめる。だが突然我にかえり、自分のしていることに気づく。その瞬間が、道路脇に戻るチャンスだ。また別の時には、なんとなく嫌な見た目の車が走ってくるのが見える。それは古くて錆びた車、つまり好ましくない考えだ。君は迷いなく道路に走りでて、それを止めようとする。しばらくのあいだその感情や思考に抵抗しようとした後、ようやくまた道路に出ていたことに気づく。だがその瞬間、自分が道路にいることに気づいた瞬間が、道路脇に戻るチャンスだ。これは時間とともに楽になってくる。道路に走りでたくなることが減り、思念が通り過ぎていくのをただ座って見ているのがだんだん容易になってくる。それが瞑想の過程だ」」

(『頭を「からっぽ」にするレッスン』 アンディ・プディコム 著、pp.51-55)

479 :(-_-)さん:2022/11/30(水) 05:05:59.78 ID:SKGexNX00.net
さて、1時間瞑想するか。
瞑想のクオリティーを上げようとする前に、苦も無く1時間座れるように習慣づける。
まずは経験値が重要。
メソッドやノウハウが有効になるのはその次の段階なのだろう。

480 :(-_-)さん:2022/11/30(水) 11:01:20.53 ID:SKGexNX00.net
2ちゃんねるのまとめだけど、この動画は的確なこと言ってるわ

【2ch有益スレ】お前ら瞑想やれ。メンタル最強になるぞ。【ゆっくり解説】
//www.youtube.com/watch?v=an3FF_--DXI

481 :(-_-)さん:2022/11/30(水) 19:33:59.48 ID:i8NuwaaL0.net
「気づきと心の平静をはぐくむことによって、わたしたちは苦から自由になることができる。苦は無知から始まる。自己の真実に対する無知から始まるのである。無知の暗闇をさまよいながら、わたしたちの心はすべての感覚にやみくもに反応してしまう。好きや嫌い、渇望や嫌悪の思いで反応する。そのように反応することによって、いま現在も苦しみ、因果の連鎖を介して将来もまたもっぱら苦しむことになる。

因果の連鎖を断ち切るにはどうしたらいいのだろう?とにもかくにも、無知のままにとった過去の行為によって人生が始まり、心と物の流れが動き出してしまった。それを止めるには、自殺でもすればよいのか?いや、それでは問題の解決にならない。自殺をするときの心は苦悩に満ち、嫌悪のかたまりである。因果の法則がはたらくから、どの結果も悲惨なものになる。そのような行為が幸福につながることはない。

人生は動きだしてしまった。そこから逃げることはできない。では、六つの感覚器官をこわせばよいか?目玉をえぐり、舌を切り、鼻と耳をつぶすことはできるかもしれない。だが、からだはどうやってこわすのだ?心はどうやってこわすのだ?けっきょく、自殺と同じことになり、なんの解決にもならない。

では、六つの感覚器官の対象物をすべて破壊しようか?目に映る光景や、耳にはいる音のすべてを?そんなことはできっこない。この宇宙には気の遠くなるほど無数のものが存在している。そのすべてを破壊することなど、できるわけがない。六つの感覚器官がある以上は、それぞれの対象物との接触は避けられない。そして接触が起これば、その瞬間、感覚が生じるのである。

482 :(-_-)さん:2022/11/30(水) 19:35:48.08 ID:i8NuwaaL0.net
だが、まさにここで因果の連鎖を断ち切ることができるのだ。感覚が生じるところ、そこが因果の連鎖を断ち切るポイントなのである。すべての感覚が好き嫌いを生じる。感覚が生じた瞬間、無意識に好き嫌いの反応が起こり、それがくりかえされて強くなり、渇望や嫌悪になる。さらにそれが執着となり、いま、そして将来、不幸をまねく。この反応が無意識のくせとなり、ただもう機械的にくりかえされる。

ところがヴィパッサナー・バーヴァナーの修行をおこなうと、からだの感覚すべてに気づくことができるようになる。心の平静さが深まり、むやみに反応しない。淡々と感覚を見つめ、好き嫌いも、渇望と嫌悪も、執着もなくなる。もう新たに反応することがない。かわりに、すべての感覚が知恵をさずけてくれる。「感覚は無常であり、かならず変化する。生まれては消えていく」という知恵を、パンニャーを、真の洞察力をさずけてくれるのである。

まさに、ここで因果の連鎖を断ち切り、苦の生成を止めるのである。もう反応しない。渇望したり嫌悪したりしない。だから苦の原因がなくなる。苦の原因はカンマ、心の行為である。心の行為とは盲目的な渇望や嫌悪の反応、すなわち、サンカーラである。心が感覚に気づき、なお平静さを保っているとき、反応は止まる。反応が止まれば苦の原因がなくなる。わたしたちは自力で苦の生成を止めることができるのである。

ブッダはこう言っている。

すべてのサンカーラは無常である。
この真理をさとったなら、
苦から脱却できる。
これが心の浄化の道である。

483 :(-_-)さん:2022/11/30(水) 19:37:11.16 ID:i8NuwaaL0.net
ここではサンカーラという言葉が非常にひろい意味を持っている。盲目的な心の反応をサンカーラというのだが、その反応の結果もまたサンカーラという。種と実を同じ言葉で表現するのである。わたしたちが人生で出会うものは、つきつめてゆくと、すべてが自分の心の行為の結果なのだ。したがって、ひろい意味で、サンカーラはこの条件づけされた世界のすべてを指すことになる。この世界でつくられ、形成され、構成されたもの、すべてを指している。ブッダは「すべて、つくられたものは無常である」と言う。心も、からだも、そして宇宙にあるものすべてが無常であるというのだ。ヴィパッサナー・バーヴァナーの瞑想をおこない、この真理をありのまま見つめ、体験的に理解したとき、苦は消えてなくなる。渇望や嫌悪のくせがなくなれば、苦の原因と決別できる。これが解脱への道なのである。

ヴィパッサナー瞑想法の最大の目標は、いかにして反応しないでいるか、いかにして新しいサンカーラをつくらないか、を学ぶことである。ある感覚が生じると、無意識に好き嫌いが起こる。これはほんの一瞬の出来事なのだが、それに気づかなければ、反応がくりかえされて何倍にも強くなり、渇望や嫌悪に変わる。それはやがて強烈な感情になって意識をゆさぶる。感情のとりこになったら適切な判断ができない。いつのまにか、わるい言葉を使ったり、わるい行為に走ったりして、自分を傷つけ、人をも傷つける。ほんの一瞬の盲目的な反応によって、わたしたちはいまの自分を苦しめ、将来の自分をも苦しめることになる。

484 :(-_-)さん:2022/11/30(水) 19:38:49.06 ID:i8NuwaaL0.net
反応というプロセスが起こる瞬間、そのことに気づいたなら――ということは、感覚に気づいたなら――反応しないでいることができる。反応を助長することもない。好き嫌いの反応をしないで、ただ淡々と感覚を観察することができる。そうすれば渇望や嫌悪が生まれる機会がなくなり、強い感情に流されることもない。感覚はただ起こり、ただ消える。心はバランスを保ち、やすらいでいる。反応することをやめたなら、わたしたちはいま幸せを味わい、将来もまた幸せを味わうことができる。

反応しないでいるという能力には、たいへん大きな価値がある。からだの感覚に気づき、同時に心の平静さを保つことができれば、その瞬間、心は自由になる。最初のころは、そういう瞬間はほんのわずかしかおとずれないだろう。古いくせが取れず、しょっちゅう感覚に反応してしまう。あいかわらず渇望し、嫌悪し、そして苦しむ。しかし、何度も何度も瞑想していると、そういう瞬間がかならずくる。ほんの一瞬が数秒になり、数秒が数分になる。やがて古い反応ぐせが取れ、心がずっとやすらいでいるようになる。こうして苦が止まる。自分の力で苦の生成を止めることができるのである。」

(『ゴエンカ氏のヴィパッサナー瞑想入門』 ウィリアム・ハート著、pp.134-138)

485 :(-_-)さん:2022/12/02(金) 01:06:04.80 ID:aKqLAeBs0.net
「サマタ瞑想は一時的に人の心を清らかにすることができます。単一の瞑想対象に心が深く集中している間は、集中の障害や汚れがなくなって心が清らかになり、瞑想者は静かで、落ち着いて、穏やかで、平穏な気分になります。集中が壊れると心の汚れが侵入し、心は汚れで汚染されてしまいます。サマタ瞑想により得られた心の清らかさは、一時的なものにすぎません。ブッダは私たちが究極的な心の清らかさを得て、その結果あらゆる苦しみから解放されるようにと、洞察瞑想を教えられたのです。

なぜ心は汚れるのでしょうか? 何かを見たり、音を聞いたり、臭いを嗅いだり、食べ物を味わったり、何かに触れたり、何かを考えたりしたときに、私たちはそれに気づいていません。それを観察しません。何かを見たときにそれに気づいていません。あるがままにそれに気づくことをしません。ありのままを観察しないので、その対象に巻き込まれ、結果として善いものであれ悪いものであれ、その対象に反応してしまいます。対象が実際に現れたときに、それを観察することができなければ、その対象に分別のない注意が向いてしまいます。無分別な態度、あるいは不適切な態度により、対象を善い悪いで判断します。対象を悪いものと判断したら、それに対して嫌悪や怒りが生じる可能性があり、その怒りが清らかな心を汚してしまいます。そして不善な心が、嫌悪や悪意という不善な心と一緒になって、苦しみを作り出します。

対象をあるがままに観察しないために、それに巻き込まれてしまうことが、この苦しみの原因です。対象を善い、悪いと判断します。対象を悪いものと判断したら、その対象に関連した不快な感受が生じます。この不快な感受とともに、嫌悪ないし悪意という心の汚れが生じます。この嫌悪と悪意が心の清らかさを台無しにしてしまいます。心は汚れ、不善なものになります。

486 :(-_-)さん:2022/12/02(金) 01:07:37.60 ID:aKqLAeBs0.net
心が汚れないようにするためには、対象に巻き込まれないようにしなければなりません。対象を判断してはいけません。対象に関係した心地よい感受、不快な感受にまどわされないようにしなければなりません。このような対象にとらわれない状態を作るためには、対象が実際に生じたときに、それに気づいている必要があります。対象をあるがままに観察すれば、対象に関して判断することも、対象に反応することもありません。ですから、見たり、聞いたり、嗅いだり、味わったり、触れたり、考えたりしたときには、いつでもこの反応しない気づき、判断しない気づきを使ってください。このようにすれば、心の清らかさが心の汚れに煩わされることはありません。心の汚れは対象を善い、悪いと判断したときに生じます。

私たちは直感的な気づき、直感的な洞察を通して対象を観察しなければなりません。直感的な洞察は、いかなる対象も判断しません。対象をあるがままに観察するだけです。そうすれば、心の汚れが生じることはありません。心の清らかさが、汚れに汚染されることもありません。

対象が実際に生じたときに、それを観察することで心を清らかに保ちます。これが気づきの瞑想(マインドフルネス瞑想)です。このため、ブッダはあらゆる身体の現象、あらゆる感受(快、不快、そのどちらでもない感受)、あらゆる意識、あらゆるDhamma(ダンマ)(心の対象)に気づくようにと、説かれました。ブッダは4つのタイプの気づきを教えておられます。

487 :(-_-)さん:2022/12/02(金) 01:09:21.67 ID:aKqLAeBs0.net
・kayanupassana satipatthana(カーヤーヌパッサナー サティパッターナ)
(身随観):身体の現象に対する気づき
・vedananupassana satipatthana(ヴェーダナーヌパッサナー サティパッターナ)
(受随観):感受に対する気づき
・cittanupassana satipatthana(チッターヌパッサナー サティパッターナ)
(心随観):心に対する気づき
・dhammanupassana satipatthana(ダンマーヌパッサナー サティパッターナ)
(法随観):心の対象に対する気づき

全ての真理を知られたブッダは、この4つの気づきを教えられました。しかし、この4つの中からいずれかを選ぶ必要はありません。どの対象が最も優勢であるかを心は知っているからです。ですから、心の状態であれ、身体の状態であれ、優勢な対象をそれが実際に生じたときに気づくようにしてください。いかなる心の状態、身体の挙動であっても、それに気づくことができれば、身体であれ、感受であれ、心であれ、心の対象であれ、対象に対して判断することはありません。それにより、心の汚れが生じることは無くなり、心は汚れることなく清らかになります。

(『気づきの瞑想実践ガイド』 チャンミェ・サヤドー 著、pp.80-83 )

488 :(-_-)さん:2022/12/02(金) 07:14:47.60 ID:YhB08r8b0.net
最近、大乗仏教の良さが分かってきた。
オカルトに片足突っ込んでるので多くの現代人は敬遠するだろうが
素晴らしい心理を突いている。

489 :(-_-)さん:2022/12/02(金) 07:15:26.19 ID:YhB08r8b0.net
訂正

心理→真理

490 :(-_-)さん:2022/12/02(金) 07:44:01.84 ID:NuwdnV/C0.net
hspだから呼吸瞑想出来ないとかある?

491 :(-_-)さん:2022/12/02(金) 11:19:13.08 ID:EdWuhaVC0.net
無いと思うよ

492 :(-_-)さん:2022/12/02(金) 19:03:53.02 ID:EdWuhaVC0.net
ないと書いたけど、
そうじゃない人と比べて呼吸への集中の難易度上がると思う。

自分はTシャツが胸に触れてる感覚がすごく気になって
気になるというより、もう緊張+嫌悪感で意識の半分はそっちにずっと持ってかれるので
100%意識を呼吸の方へ持ってくことができずにいる。

493 :(-_-)さん:2022/12/03(土) 06:59:09.09 ID:8CEj1CJb0.net
>>492
ですよね...歩行瞑想とか動作型の瞑想がオススメらしいからそういうのやった方がいいんですかねやっぱり

494 :(-_-)さん:2022/12/03(土) 10:01:23.35 ID:F1T5gAqc0.net
瞑想は本当は衣服を何も付けないでするのが1番いい。日本の住宅事情だと難しいけど。

495 :(-_-)さん:2022/12/03(土) 10:13:21.09 ID:8CEj1CJb0.net
俺の部屋暖房無いから厳しいな

496 :(-_-)さん:2022/12/03(土) 12:16:52.21 ID:kqCRGhhp0.net
無理はしない方がいいね。

動作型の瞑想の利点は、動作を行うたびに脳のいろんなところ使うから、意識が飛んでいること(=マインドフルじゃない状態)にすぐ気づいて再び集中できるっていうことだな。

ポイントはある動作の最初から最後まで、意識を切らさずに観察し続けることだ。最初は難しいけど。

497 :(-_-)さん:2022/12/03(土) 12:30:51.41 ID:r7mdRjuz0.net
瞑想に集中するには普段の心掛けが大切。
五戒を守るのでもいいけど、一般的な道徳観念に従うことが大切。
あとは言葉遣い。
ネットで暴言吐いてるようだと難しいかな。

498 :(-_-)さん:2022/12/03(土) 12:32:37.97 ID:r7mdRjuz0.net
私はそれに加えて小食も実践してる。
1日500キロカロリーほどの食事に加えてたんぱく質やビタミンミネラルをサプリメントで補給してる。
お釈迦様が否定した苦行の一種だけど思うところがあり強い決意で取り組んでいる。

499 :(-_-)さん:2022/12/03(土) 12:54:02.97 ID:SrEgir2g0.net
Tシャツがみぞおちのあたりに触れるの気になるから夏は上半身裸でやってた。
冬は流石にm厳しい。

首痛と腰痛あって、ボディスキャンしてるといつの間にかストレッチになってしまって
いつもこれで瞑想終了してしまう。

500 :(-_-)さん:2022/12/03(土) 12:59:08.69 ID:SrEgir2g0.net
人とすれ違うたびに心がざわつくから、歩行瞑想難しい。
そのざわつきに気づくことはできるけど、嫌悪感、緊張感が発生して心の平静を保てない。

501 :(-_-)さん:2022/12/03(土) 13:02:16.69 ID:SrEgir2g0.net
無意識に発生する他者への嫌悪感=緊張感=恐怖感。
これがあまりにも強い。
比べても仕方ないけど、多分他の人は自分ほどこの感覚はないのだろうと思ってる。

502 :(-_-)さん:2022/12/03(土) 13:18:04.68 ID:DcmIxnxt0.net
どっちかと言うとそれが自然だよ。

瞑想中は感覚が鋭敏になるから、周りの状況や他人が発する流動力にもいつも以上に影響される。普段から感じてはいるんだけど、普段は自己防衛のために無意識にブロックしてるからあまり気にならないが、瞑想で心や感覚をオープンにすると入り込んでくる。

最初は特に、出来れば落ち着ける場所や時間を探した方がいい。

503 :(-_-)さん:2022/12/03(土) 13:19:34.01 ID:DcmIxnxt0.net
多分その感覚が他の人より強いんだと思うよ。無理せず、少しずつ耐性を付けるようにした方がいいと思う。自分を責めないようにね。

504 :(-_-)さん:2022/12/03(土) 14:44:25.20 ID:r7mdRjuz0.net
瞑想が上手くいかなくても落ち込まない、長く続けていけば上手くいく日もあるのだから。
瞑想が上手くいっても喜ばない、長く続けていけば上手くいかない日もあるのだから。

505 :(-_-)さん:2022/12/03(土) 16:54:45.23 ID:r7mdRjuz0.net
仕事辞めて完全ヒキになったら瞑想し放題になった。
特に目的はない。
しかし瞑想は取引ではない、何かを得ようとしてやるものではない、という主張をしている人もいるし。
案外これは正しいことなのかもしれない。

506 :(-_-)さん:2022/12/03(土) 16:57:22.61 ID:r7mdRjuz0.net
人生は死ぬまでの暇つぶし。
死により等しくゼロに戻るのであって、生きること自体に意味などない。
何にでも意味を求めようとすること自体が自我の働きであって、瞑想とは相反するのかもな。

507 :(-_-)さん:2022/12/04(日) 20:25:53.63 ID:xrJm+wim0.net
HSPを対象にしてMBSR(マインドフルネスストレス低減法)の有効性を調べた研究論文(2010年)を見つけたので、抜粋して引用します。DeepL翻訳したものを修正し、根拠論文提示などの煩雑な部分は削除しました。長文なので興味ない方はスルーして下さい。

「An experimental study of the psychological impact of a Mindfulness-Based Stress Reduction Program on highly sensitive persons(マインドフルネスストレス低減プログラムが高感受性者に与える心理的影響に関する実験的研究)
https://www.researchgate.net/publication/254912930_An_experimental_study_of_the_psychological_impact_of_a_Mindfulness-Based_Stress_Reduction_Program_on_highly_sensitive_persons

[概要]

背景:マインドフルネスストレス低減(MBSR)プログラムは、様々な場面で、様々な個人を対象に提供されてきた。20年以上にわたる研究により、その有効性はもっともなものとなっている。しかし、高感受性者(HSP)に対するMBSR介入の効果については、これまで検討されていない。

目的:本研究では、MBSRプログラムへの参加が、HSPのストレスの症状、社会不安、自己受容、感情共感、自己成長、自己超越に及ぼす効果について検討した。

サンプル:47名、女性34名(72%)が、8週間のMBSRプログラムに登録した。

方法:参加者は、感受性スコア、リラックス運動の経験量、性別、年齢、教育レベルについてマッチングされた。その後、実験群(第1トレーニング群)と対照群(第2トレーニング群)に無作為に割り付けた。マインドフルネス瞑想の集中トレーニングであるMBSRプログラムは、1回2時間半のセッションが8回行われた。

結果:所見では、8週間のプログラム直後と4週間後に、参加したHSPはストレスに悩まされることが少なくなり、社会不安も少なくなったように見えたが、マインドフルネス、感情共感、自己成長イニシアティブ、自己受容、自己超越のスコアは有意に高くなった。効果の大きさは、中程度(0.63)から非常に大きい(2.52)範囲であった。これらの効果は4週間後のフォローアップでも持続し、ストレス、社会不安、自己受容についてはさらに有意に改善された。

508 :(-_-)さん:2022/12/04(日) 20:28:11.50 ID:xrJm+wim0.net
結論:MBSRプログラムは、HSPがストレスや社会不安に対処するのを助けるだけでなく、共感、自己成長、自己超越のために想定されるより大きな能力を開発する能力を持っている。MBSRは、HSPに対する治療法の有意義な補足となる可能性がある。

[はじめに]

本研究では、マインドフルネスに基づくストレス低減プログラム(MBSR)が高感度者(HSP)に与える心理的影響について検討した。高感度者は、環境、身体、自己認知に由来する低強度の刺激を知覚する能力を持っている。彼らは、より低い閾値の情報を処理し、反応する傾向があり、環境の微妙な違いをよりよく検出する。さらに、HSPは、強度の低い刺激に関連する情動的な感覚をより意識する。この特性は、感情的で微妙な行動を観察することで現れるかもしれません。さらに、HSPは、本人の物理的環境とは関係のない思考やイメージの形で自発的な認知活動が存在することが特徴である。

複数の論文データベースで幅広く検索した結果、HSPにおけるMBSRプログラムの有効性はまだ検討されていないことが確認された。しかしながら、MBSRプログラムがHSPにとって有意義であることは予想される。第一に、高感度者は非高感度者と比べて、社会的な状況や人混みの中でストレスや不安に悩まされることが多い。第二に、彼らは自己受容のレベルが低いだけでなく、人混みや社会的状況に対して否定的な態度や抵抗がある。MBSRプログラムは、上記の問題を軽減するのに有効であることが示されています。

509 :(-_-)さん:2022/12/04(日) 20:29:49.73 ID:xrJm+wim0.net
MBSRは、1回2時間半のセッションを8回行う、8週間のトレーニングプログラムである。マインドフルネス瞑想の集中トレーニングである。参加者は、トレーニング期間中、週6日、毎日少なくとも45分間、MBSRのエクササイズを実施することを約束する。MBSRプログラムは、参加者が、精神的に現れるすべてのものに対して、温和で偏見のない、開かれた注意を払って、今この瞬間の体験を第一に志向することを教えることを目的としている。参加者は、不快な考えや感情を判断したり、それと戦ったりすることなく、それを許し、観察するよう奨励されます。ストレス要因で誘発された精神病に苦しむ人々を対象としたいくつかの研究では、MBSRプログラムの参加者が声や思考、イメージに抵抗するのではなく、受け入れることを学んだことが明らかにされました。HSPも激しい内なる対話やイメージなどの認知的刺激と格闘しているので、MBSRのトレーニングプログラムに参加した後は、継続的な刺激や自分自身を受け入れることもできるようになると予想されるのです。

MBSRプログラムは、ストレス、社会不安、自己受容、共感など、HSPに関連するいくつかの基準を下げるのに効果的であったという研究結果があります。今回の研究では、特に上記の基準について、HSPの間でMBSRプログラムを実験的に検討しました。

[実施方法]

MBSRプログラム

MBSRプログラムは、1回2.5時間のセッションを週8回行い、その間に参加者は次のエクササイズを行った。(1)ボディスキャンは、全身に系統的な注意を払い、同時に身体の様々な部分の感覚を知覚することを目的とする。(2)ヨガのエクササイズは、筋肉系への注意を高めるためにストレッチやポーズをとる。(3)静座瞑想は、呼吸、身体感覚、思考、感情に参加者の注意を向けさせるためのものである。また、第1回、第3回、第5回のセッション終了後、参加者には、ボディスキャン、ヨガ、静座瞑想のエクササイズを収録したコンパクトディスクが配布された。筆頭著者はMBSRのトレーニングを実施した。彼女は以前、MBSRトレーナー・プログラムを受講し、毎日MBSRエクササイズを実践していた。

510 :(-_-)さん:2022/12/04(日) 20:31:18.36 ID:xrJm+wim0.net
[考察と結論]

1回目のテストの得点をコントロールすると、2回目のテストにおける1回目のトレーニング群の得点は、2回目のトレーニング群の得点と有意に異なることが予想された。その結果、ストレス、社会不安、自己受容、感情共感、自己成長、自己超越の各変数において、有意差があることが明らかになった。効果の大きさは、中程度から非常に大きいものまであった。ストレス、社会不安、自己受容、個人的成長という変数に対する効果は非常に大きかった。感情的共感と自己超越は中程度の効果に達していた。

さらに、アウトカムは経時的に評価された。4週間経過した後の効果の持続性を調べた結果、効果の低下は見られなかった。一方、ストレスと社会不安のスコアはさらに減少し、自己受容のスコアは増加した。このような経時的な効果は、極めて明白であった。参加者は、トレーニング期間中、週6日、毎日少なくとも45分間、MBSRのエクササイズを行うことを約束した。研修期間終了後もエクササイズを継続したと思われる。(……)しかし、4週間後に認められた効果の増大は、訓練実施後しばらくして起こるスリーパー効果とも解釈できる。

ストレスや不安がかなり減少したという結果は、Miller, Fletcher, and Kabat-Zinn (1995)など複数の研究結果との対応であった。このことは、HSPがMBSRプログラムから恩恵を受ける可能性を示唆している。

一つの重要な疑問は、MBSRプログラムの効果がどのようなメカニズムによってもたらされるのか、ということである。結局のところ、このプログラムは多くの構成要素(ボディスキャン、静座瞑想、ヨガのポーズ、その他のエクササイズなど)から成り、それぞれが改善に寄与していると考えられる。このような正式な演習以外にも,トレーナーやグループメンバーからサポートを受けること,プログラムの様々なパートの後に行われるグループセッションで自分の感情を表現することができることなど,治療的集団介入に関する多くの要因が関わっている可能性があります。(……)MBSRプログラムの心理的影響については、ボディスキャンのようなプログラムの一部分を検証するなど、さらなる調査が必要である。

511 :(-_-)さん:2022/12/04(日) 20:32:41.24 ID:xrJm+wim0.net
今回の結果は、HSPがマインドフルネス瞑想を学ぶことが有用である可能性を示唆している。今後の研究で、HSPのMBSRトレーニングのポジティブな効果も明らかになれば、こうした可能性をHSPに伝える方法を見つけることが重要になるかもしれません。しかし、HSPにおけるMBSRトレーニングの有効性についてのエビデンスがあまりない以上、あらかじめ広く実施することは推奨されない。

結論として、今回の研究結果は、HSPにMBSRのトレーニングを行うことで、自己受容、感情共感、自己成長、自己超越のレベルが上がり、ストレスや社会不安のレベルが下がるという第一仮説を支持するものである。これらの結果は価値あるものであり、治療後2ヶ月間持続した。したがって、我々は、MBSRプログラムは、HSPを対象とした治療法に有意義な補足を提供しうると結論付けた。このプログラムは、精神的健康増進の手段として、さらなる研究に値する。」

引用は以上です。なお、MBSRの概要については次が参考になります。

「マインドフルネスに基づくストレス低減プログラム」の健康心理学への応用
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jahp/21/2/21_57/_pdf
Mindfulness-Based Stress Reduction (MBSR) Authorized Curriculum Guide 2017
https://www.bangor.ac.uk/mindfulness/documents/mbsr-curriculum-guide-2017.pdf

512 :(-_-)さん:2022/12/04(日) 21:23:25.56 ID:NIbtHgz+0.net
>>511
おおお助かる。瞑想もう無理だからその2.5時間は森に行くって事はダメなんか?森は瞑想の2倍以上の効果があって行くだけで瞑想してる時と同等の効果があるってよ

513 :(-_-)さん:2022/12/04(日) 21:29:55.60 ID:NIbtHgz+0.net
歩行瞑想とか求めて無いのに嫌いな情報が入ってくるから嫌いなんよなぁ。

514 :(-_-)さん:2022/12/05(月) 12:44:29.26 ID:60UON24s0.net
静止してラベリングしたら良いじゃないか
サマタ瞑想じゃないんだから雑音も全て受け入れることだ

515 :(-_-)さん:2022/12/05(月) 13:46:03.65 ID:2hRF7LHZ0.net
歩行瞑想は危ないのでやらない
周囲の目も気になるし
自分は食べる瞑想をやるかな

516 :(-_-)さん:2022/12/07(水) 03:12:32.87 ID:/+1Hd3dx0.net
「ヴィパッサナー瞑想は、思考を止めて、事実をありのままに観ることができれば、一切のドゥッカ(苦)から解放されるだろう、という理論に基づいています。苦の原因は妄想にあり、その妄想は一瞬一瞬の事実に気づく「サティ」の技術によって止められます。思考が始まった瞬間、「妄想」「イメージ」とラベリング(言語確認)されると、連鎖しようとする思考の流れが絶たれてしまうのです。こうして思考が止まれば、心に入った情報が編集されたり歪められたりすることなく、ありのままに認知されるでしょう。ありのままに観られた事象は夢でも妄想でもない「真実の状態」なので、「ダンマ」と呼ばれます。

私たちの見るもの、聞くもの、感じるもの、知覚するものは常に誤解と錯覚だらけです。先入観や思い込み、早とちり、思考の編集、エゴの検閲など、諸々の心のフィルターがかかって情報が歪むのです。しかるに、ダイレクトに、直接知覚されたものは情報に歪みがありません。「法」とは情報に歪みがないことです。

そして、その「法(ダンマ)として存在するもの」の本質を見極めていくことがヴィパッサナー瞑想の仕事なのです。真実が洞察されると、間違ったものの見方で生きてきた「無明」に愕然として、苦の原因を手放すことができるだろうということです。知識を身につけるのも知恵ですが、仏教では、真実の姿を目の当たりにする意識状態こそが苦を乗り超える智慧であり、「如実智見」と呼ばれます。」

(『ブッダの瞑想法』 地橋秀雄 著、pp.72-73)

517 :(-_-)さん:2022/12/07(水) 03:16:42.95 ID:/+1Hd3dx0.net
「「すっきりと晴れた青空を想像してみなさい」と導師は言いました。

「いい気分だろう。青い空を見て気分を落ち込ませるほうが難しい。次に、自分の心がこの青空のようだと想像してみなさい。雑念とか混乱とか衝動のことを言っているのではないよ。心の奥底にある自然な状態のことを言っているのだ。今がどんな状態かは関係ない。ただそういう状態を想像するのだ。最後にリラックスした幸せな気分だった時のことを思い出せば、想像するのは難しくないはずだ。」

「よろしい。では、次にどんより曇った空を想像してみなさい。青空はまったく見えず、ただ灰色の雲が重く垂れ込めた空を。どんな気分になる?あまりいい気分ではないだろう。この雲が君の心の中の思念だと考えてみなさい。ある時には白くふわふわして心安らぐ光景に見えるが、またある時には灰色でどんよりしている。雲の色はようするにその時の気分や機嫌をあらわしているのだ」

「この僧院に来るために、君は飛行機に乗ったね?出発の時は曇っていたかね?それでも、飛行機に乗って雲の上に行けば、そこには青い空しかないことがわかるはずだ。地上からはどんよりした灰色の雲しか見えなくても、その向こうにはいつでも青空がある。つまり。空はいつでも青いのだ」

私は部屋に戻り、今しがた聞いた話の重要性に思いをめぐらせました。考え方としてはわかります。空はいつでも青いのです。雲は自分の思念であり、心に多くの考えがある時には、青空が一時的に隠れてしまいます。私の場合、あまりにも長いあいだずっと心が考えでいっぱいだったので、青空の様子をほとんど忘れかけていました。けれども、それだけではありません。私の心に響いたのは、その時に気分がどうであれ、心は本来、青空のようにつねに変わらないものだという考えです。機嫌が悪かったりむしゃくしゃしている時は、ただ曇がよく見えるぶん、それに気をとられやすいというだけです。それが空全体にたったひとつしかない考えだったとしても、ついそればかりに目がいってしまうのです。

518 :(-_-)さん:2022/12/07(水) 03:18:26.07 ID:/+1Hd3dx0.net
空はいつも青くここにある

この教えが私にとってとても重要だった――あなたにとってもそうなればいいのですが――理由は、私がずっと、どうにかして青空をつくりださなければならないと考えていたからです。頭をからっぽにするには、何かを起こさなければならないと思い込んでいたのです。しかし実際には、何もつくりだす必要はありません。青空とはすなわち「からっぽの状態」であり、それはいつでもそこに――というよりここに――あるのです。これが私にとってすべてを変えました。

瞑想はもはや人為的な心の状態(それが「からっぽ」だとそれまでは考えていたのです)を無理につくりだそうとするものではなくなりました。雲を寄せつけないように努力することでもなくなりました。むしろ、庭にデッキチェアを出して、流れていく雲を眺めるようなものになりました。時には雲のすき間から青空がのぞくこともあり、それはとてもいいものでした。あまり雲に気をとられず、静かにそこに座っていられる時には、さらに広い青空が見えてくることもありました。そうやって雲を眺めていると、視野が開け、それまで瞑想で感じたことのないからっぽの状態を感じることができました。それだけではありません。自然に心を落ち着けて座り、頑張らず、何もせず、ただそこに「在る」ことに自信がもてるようになったのです。」

(『頭を「からっぽ」にするレッスン』 アンディ・プディコム著、pp.59-64)

519 :(-_-)さん:2022/12/07(水) 03:33:44.16 ID:/+1Hd3dx0.net
「こうした心の状態を繰り返し観察していくうちに、心の状態はその影響力を失っていきます。怒りや渇望や不安に見舞われても、必ずしも問題になるわけではありません。「恐れていても大丈夫」というのはそうあるべきだという観念ではなく、実際の事実です。あなたは恐れているのだけれども、それで大丈夫なのです。ひとつひとつの呼吸の自然の流れに従うのが容易になってくるにつれて、これらの心の状態に向かい合って直接的に経験するのも容易になってきます。

そうしているうちに、これらの心の状態はやせ細って崩れ去っていきます。瞑想が目指しているのは、すべてのものがやってきた場所へと戻って行くことです。一切は静けさの中からやって来て静けさの中へと帰って行きます。心が落ち着き、静寂になるにつれて、心理的な時間の感覚が消え去り、広大なひろがりへと開かれていきます。それは興奮の背後で、常にそこにあったのです。

古の人々は雲の背後にある空のことを話しました。心が作り出すものは雲のようなものです。美しいものもあれば、暗いもの、恐ろしいものもあります。しかしそれらはすべて心という空の中にある雲なのです。空は広大で、輝かしく、変わることなく、生まれたこともなく死ぬこともありません。

私たちの多くは雲のレベルで生きています。空の存在に気づくことは稀です。そして空への道はその雲の中を通っています。雲について研究し、優しく偏見のない仕方で注意深く観察することによって空へと抜けて行くのです。修行が進むにつれて、感受に気づきを向けると感受が消え去っていったのと同じ仕方で、怒りや恐れも消え去っていきます。すると私たちは何かまったく別なものへと開かれていきます。広大で静まった、エネルギーと愛とに満ちた、私たちが必要とするあらゆる滋養分に満ちた何かです。そしてそれはずっとそこにあったのだということを理解するのです。」

(『呼吸による癒し』 ラリー・ローゼンバーグ 著、pp.129-130)

520 :(-_-)さん:2022/12/08(木) 21:43:37.94 ID:aNExdPZY0.net
もう止めようかと思ってからの延長戦が重要な気がしてきた。
大抵の場合もう止めようかと思ったらそのまま慈悲の瞑想して終了してた。

521 :(-_-)さん:2022/12/08(木) 23:30:34.49 ID:ckggEexC0.net
自分は前もって時間を決めてやってる。
最初に1時間と決めて延長するのはいいけど、途中をやめようかと思っても続けるようにしてる。
まぁ、調子が悪い日はそれでもやめちゃうんだけどね。

522 :(-_-)さん:2022/12/09(金) 00:25:51.91 ID:3Skxq6NM0.net
シンギュラリティの話聞いてて思ったんだが、
人間自体が進化するAIって仮説成り立つよね。
人間とAIの違いってなんだろうって考えると、
行動するための動機があるかないか、AIは人間に操作され初めて動くけど人間は自発的に動く。(もしかしたらそうじゃなく、AIも自発的に動くかも)
人間が行動する動機ってなんだろうって考えて、大まかに辿っていくと、気持ちいいものを求める、不快なものを避けるに尽きる気がする。
恐怖から逃れたい、恐怖という概念をまずインプットして、恐怖から逃れるために進化していくのだけど、同時に死というイベントが必ず起こるようにプログラムされてる
だからどこまで言っても恐怖から逃げることができない、だから自発的に動作し続ける。
すごく酷い話だと思う。
もしそれをプログラムした、上のレイヤーがあるのだとしたら。

523 :(-_-)さん:2022/12/09(金) 10:08:19.86 ID:9LK8wmWr0.net
現在の一般的な宇宙観を前提とすると、ビッグバンから始まって宇宙は膨張し、最終的には一点に収縮するので、最初と最後が同じ状態だとすると、あらゆる生物学的進化が意味がないことになる。

だけど、最終的な収縮点が最初と異なる状態(人間的な言葉で言えば最初と比べて何らか進化している状態)だとすると、そのために人間、生物などの生きる、活動する衝動がある可能性がある。

こういった自己進化には行動やそのフィードバックのプラスマイナス(快、不快など)の自由度が必要だと思う。おそらく死や恐怖も意味がある。また、あらゆる生物は全体進化の意図や目的を意識の深いところで認識して生きている可能性もある。

AIはこうしたものに比べると小さい範囲で解を解くための最速最適な手段を提供するけど、それ以上のものではない。

524 :(-_-)さん:2022/12/10(土) 06:06:43.68 ID:BzuPQHv60.net
みんな面白いことを考えているね。

525 :(-_-)さん:2022/12/12(月) 08:13:37.72 ID:vHREAlA50.net
霊的修行者が最初に取り組むべき課題は言葉の訓練。
言葉が乱れている人に瞑想はできない。

526 :(-_-)さん:2022/12/12(月) 15:28:53.81 ID:vm4Oo5Hu0.net
>>524
だけど、みんな引きこもりなんだよねぇ
親のすねかじりなんだよねぇ・・・

527 :(-_-)さん:2022/12/12(月) 15:35:09.24 ID:vm4Oo5Hu0.net
俺も引きこもりだし、原始仏教を齧ったことがあるから判るんだが
どんなに偉そうなこと書いたって、しょせん日雇い労働者以下なんだよ

528 :(-_-)さん:2022/12/12(月) 16:00:41.35 ID:LNk2i5Q10.net
その謙虚さも大事だけどな
ここは引きこもりの掲示板なんだからいいじゃないか

529 :(-_-)さん:2022/12/13(火) 10:56:05.78 ID:L+OJdpYL0.net
>>527
原始仏教でそんなこと言ってないと思うよ。
上とか下とか。
バラモン教のカースト制じゃないんだから。

530 :(-_-)さん:2022/12/13(火) 10:58:56.22 ID:L+OJdpYL0.net
ひきこもりに対する差別意識が仏教スレでさえ多いことにびっくりする。
それは仏教ではないし、民主的ですらない。
ヒキも会社員も一人一票なのは同じ。

531 :(-_-)さん:2022/12/13(火) 11:13:49.60 ID:S3R3xYBV0.net
ここ数十年で、人間の価値のあらゆる尺度が、「経済に対する寄与度」でしか語られなくなってるからね。その傾向はますます酷くなって、人口増減すらも真っ先にその尺度で語られる。

だけど、その価値観がもう少しすれば古くなってしまうかもな。何事も中道への揺り戻しがある。

532 :(-_-)さん:2022/12/13(火) 22:50:09.32 ID:hCMjqTYG0.net
上とか下という問題ではなくて、
ちゃんと生きることから逃げているって点で
仏道から反しているってことじゃない?

533 :(-_-)さん:2022/12/14(水) 04:45:29.57 ID:2c4SvqAI0.net
それは、八正道に照らして仏道に反しているという意味かな?
完璧には実践できなくてもできる範囲でいいんじゃないか。

534 :(-_-)さん:2022/12/14(水) 04:59:37.05 ID:2c4SvqAI0.net
お釈迦様がご存命であれば何とおっしゃるかは分らないけれど。
ヒキであるというだけの理由で仏道に反していると言える根拠はないのでは。

535 :(-_-)さん:2022/12/14(水) 07:00:59.58 ID:Sc2/uDwQ0.net
瞑想のやり方箇条書きでええから教えて欲しい

536 :(-_-)さん:2022/12/14(水) 16:21:08.08 ID:2c4SvqAI0.net
本を買うお金がないの?
もし読むのが面倒くさいとかなら教えたいと人はいないかも。
あとインターネットで自分なりに検索した結果はどうだった?
ある程度までは自分でやった上で壁にぶつかったら質問するものだと思うよ。

537 :(-_-)さん:2022/12/14(水) 16:42:30.55 ID:Sc2/uDwQ0.net
>>536
まあ金無いのと雑念に囚われて中々上手く出来ん。ストレス解消とか癒しとか言うけど帰ってストレスになる

538 :(-_-)さん:2022/12/14(水) 17:25:28.57 ID:tqYngcqF0.net
無理に瞑想しなくても良いのでは。いつか真剣にやりたくなった時にやればいいよ。瞑想は苦行じゃないけど、イヤイヤやったり強制されてやっても上手くいかないよ。

539 :(-_-)さん:2022/12/14(水) 18:31:12.87 ID:2c4SvqAI0.net
538さんの言う通りだと思う。
瞑想は無理にするものじゃないよ。
マニュアル化されたリラックス法みたいなのを求めてるなら自律訓練法がオススメかな。

540 :(-_-)さん:2022/12/14(水) 19:52:46.09 ID:u8l4RUPo0.net
>>535
? 卑猥な妄想を思い浮かべないため事前にセンズリしておく
? 慈悲の瞑想をする。文言に合わせた想念をすること。
? 歩く瞑想をする。原始仏教はこれが基本です。
? 座る瞑想をする。

541 :(-_-)さん:2022/12/14(水) 19:58:02.17 ID:u8l4RUPo0.net
詳しい瞑想のやり方は、下記に http を加えてクリック
://www.satisati.jp/

542 :(-_-)さん:2022/12/14(水) 21:49:04.47 ID:/eELP6dr0.net
>>540
瞑想前にオナニーすると余計だめだよ。
卑猥な妄想思い浮かんでも、その感覚を観察すればいいんだよ。
例えば勃起してしまったとして、その根源の感覚はどこから始まってるのかとか、
どういうイメージに反応したのかとか、そういうのを冷静に見ていけばいい。

543 :(-_-)さん:2022/12/14(水) 22:03:22.50 ID:/eELP6dr0.net
瞑想のやり方についてだけど、
>>465の本を今読んでる、具体的でわかりやすい文章。
とりあえずこの本のステップにしたがって勧めていくことにした。

ずっと謎だった自分の胸の不快感に付いて、ちゃんと言及されてたのも良かった。
その部位にイメージで息を吹きかけるってのは、ネット上で何度か目にしたことあったが、それについても書かれててやっぱりそうなんだと。

544 :(-_-)さん:2022/12/15(木) 08:06:57.00 ID:6haoROJf0.net
最初の数ヶ月から1〜2年くらいは身体の歪みや心奥の澱んだ気持ちとかと向き合うことになって、一つ一つ丹念に解消していくのに苦労したり辛くなったりするけど、それを過ぎるとスムーズに瞑想に入れるようになって、心身の変化が楽しくなってくるよ。

多くの人はその前段階で耐えきれずに辞めてしまうので勿体無い。それなりの忍耐は要る。

545 :(-_-)さん:2022/12/15(木) 15:47:42.67 ID:fIywNjPn0.net
>>544
瞑想中に出てきた感情はただ受け流すとあるのですが、
その受け流す感情の内容が向き合うべき感情ということでしょうか

546 :(-_-)さん:2022/12/15(木) 16:14:12.05 ID:3vBcayRM0.net
向き合う、という言葉が適当じゃなかったかもしれないね。そういった感情や感覚はほとんどが過去経験した感情記憶に基づいていて、瞑想中に問題にならければわざわざ焦点をあててほじくり返す必要はない。

ただ、抑圧されて過去の物として消化出来てなかったりするものが瞑想の深化の過程で表面化することがあって、それらは再度抑圧せず客観的に「受け流し」ていくのが正しいと思う。抑圧は逆効果になることもある。

547 :(-_-)さん:2022/12/15(木) 17:38:47.57 ID:ERj/8/qS0.net
>>546
レスありがとうございます
書き込んでくださった意見をよく考えてみます

548 :(-_-)さん:2022/12/17(土) 22:12:22.11 ID:Ue/6oZSO0.net
自分の中の、他者に対する嫌悪、恐怖に気づいてきた。
人生で一度もオープンマインドになったことがない

自分が悪いのか、自分を取り巻く環境が悪かったのか
ずっと自問している。
自分の中に良くないものがあって、後ろめたさで他者と心を開いて通じ合うことできなかったのかもと思う。
沸き起こる好奇心が恐怖や、面倒臭さに負けてはだめだったと思う。
これが人生の敗因。

他人が素直に感情を表現してるのを見て、自分がいかに本当の自分を表に出すことを恐れているか、傷つかないように防御している臆病か気づいて胸のあたりがつまるように苦しくなる。

本物の感情を表に出すこと、本当の意味で他者と通じ合うこと。
それを達成しなければならないと思う。

549 :(-_-)さん:2022/12/18(日) 18:13:38.28 ID:oA00btrF0.net
性格上のマイナスを脱出する一番簡単な方法は、性格上のマイナスを考えないようにすることだよ。マイナスなことを突き詰めて考えても絶対脱出出来ない。

550 :(-_-)さん:2022/12/18(日) 18:28:20.56 ID:TCnzByZ/0.net
>>549
それはそう思う。

一時期、「自己分析」と称して自分の欠点を洗い出して時期があったが、
ただ自己嫌悪に陥って泥沼に嵌るだけだった。

551 :(-_-)さん:2022/12/18(日) 23:47:44.50 ID:yLUsq94/0.net
気分がいいときはそんなこと考えないのに、
気分が乗らなくなると、他者との比較を無意識にやるようになって
結婚してない、子供がいない、社会的地位がない
自分はまともな人間じゃない、惨めな人間だ、もう死んだほうがマシだろうという思考にガッツリ囚われて、ネガティブの悪循環サイクルに取り込まれていく。
なんやかんやいつもそこから抜け出して一時的に前向きな気分で
もう大丈夫、自分は生きていけるって思うが、いつも繰り替えす。
気分がすごく大事ってことはわかる、
でも気分をキープし続けることはすごく難しく思う。

552 :(-_-)さん:2022/12/18(日) 23:52:28.17 ID:TCnzByZ/0.net
>>551
わかる。

553 :(-_-)さん:2022/12/20(火) 07:45:43.29 ID:il7CVQEB0.net
気分や感情や感覚は一種の外界センサーなので、何が何でも安定させようっていうのは無理だし必要ないよ。むしろ、快不快や浮沈に敏感になる事が自分を守ってくれる。

例えば、自分は田舎から東京に帰ってくる時、新幹線が横浜を過ぎたあたりからいつも不快感と緊張を感じる。都市特有の無機質で反自然的な建築物がそういう感じを生じさせるのだと思う。ずっと東京にいると慣れてしまうが、一種の不感状態になってるのに等しい。

問題は、こうしたものを押し殺したり害があるものとして押さえつけようとする事で、そうするほど潜在意識から不快な感情を余計に生み出してしまう。

554 :(-_-)さん:2022/12/20(火) 13:11:29.01 ID:YPwLE5jR0.net
>>553
なるほどな。

感情を悪いものと決めつけて押さえつけようとするから逆に挙動不審になるのかもしれない。

555 :(-_-)さん:2022/12/20(火) 14:19:14.25 ID:tlzAS6Yp0.net
>快不快や浮沈に敏感になる事が自分を守ってくれる。
これはどういうプロセスだろうか?

556 :(-_-)さん:2022/12/20(火) 16:28:38.82 ID:il7CVQEB0.net
凄く細かいことを言う&少しずれてくるけどと、人間の感覚は直感的な把握の方がそれに対する後付けの曖昧な感情や思考よりもはるかに正確で把握能力が高い。

問題は、普通はその高い把握能力が手垢に塗れたような後付けの感情や思考に埋もれてしまうので、本来の能力を発揮できないばかりか、かえって違和感を増幅させてしまったり精神的な問題を増大させたりすることだ。また、正しい「感情」や思考も過去の経験と混ぜてしまうことで働かせることができなくなる。

例えば、神秘思想家のグルジェフは、精神的訓練の大きな目的は感情、感覚、思考、運動機能といった活動を「正しく」「独立して」働かせるようにすることだと言っている。瞑想を進めていくと彼の言っている事がだんだん理解できてくる。

557 :(-_-)さん:2022/12/21(水) 03:35:50.60 ID:rdqQm/OE0.net
そうなんだよな。

瞑想を突き詰めるとオカルトに足を踏み入れざるを得ない。

558 :(-_-)さん:2022/12/21(水) 07:07:14.81 ID:rQYPwGXi0.net
肉体的、精神的な「痛み」と、それに伴う「苦しみ」は違います。「痛み」は避けられませんが、「苦しみ」は自分で作り上げたものであり、避けることができます。このことについて、わかりやすい解説が『瞑想でたどる仏教』(蓑輪顕量 著) にあるので、以下に引用します。

----ここから引用----

「四念処によって、つまり四つの範疇(はんちゅう)に分けられる観察の対象に注意を振り向けて、把握することによって、悩み苦しみから解放されると、ブッダは説いています。では、具体的にはどのようなことが、私たちの心の中に起こっているのでしょうか。

これを考える際に、次の『スッタニパータ(経集(きょうしゅう))』という仏典の記述が参考になります。

「およそ苦しみが生じるのは、すべて識別作用に縁(よ)って起こるのである。識別作用が消滅するならば、もはや苦しみが生起(しょうき)するということは有りえない。

「苦しみは識別作用に縁って起こるのである」と、この禍(わざわ)いを知って、識別作用を静まらせたならば、修行者は、快をむさぼることなく、安らぎに帰しているのである。」

(中村元訳『ブッダのことば スッタニパータ』七三四、七三五偈、岩波文庫)

苦しみの原因は識別作用である、すなわち私たちが外界を認識することから、悩み苦しみが生じると、ブッダは捉えていたことがわかります。

このことを、もう少し詳しく見てみたいと思います。初期のパーリ仏典の中では、最初に世界を認識する心の働きを「第一の矢」と表現し、その後に生じる悩みや苦しみを「第二の矢」、または「第二の受」と表現することが、時折見られます。

559 :(-_-)さん:2022/12/21(水) 07:09:09.47 ID:rQYPwGXi0.net
たとえば、初期のパーリ仏典の一つである『サンユッタニカーヤ(相応部経典)(そうおうぶきょうてん)』に登場する、次の記述を見てみましょう。

「比丘たちよ、聞(もん)をそなえていない凡夫(ぼんぷ)は、苦受(くじゅ)に触れられると、悲しみ、疲れ、悲泣(ひきゅう)し、胸を打って泣き、迷乱します。かれは二の受を感受します。身(しん)に属するのものと心(こころ)に属するものです。

比丘たちよ、たとえば、男性が矢を射抜くとします。ただちに第二の矢が付随の傷を射抜きます。比丘たちよ、このようにして、その男性は二の矢によって受を感受します。

比丘たちよ、ちょうどそのように、聞をそなえていない凡夫は、苦受に触れられると、悲しみ、疲れ、悲泣し、胸を打って泣き、迷乱します。かれは二の受を感受します。身に属するものと、心に属するものです。しかもまた、その苦受に触れられると、瞋(いかり)を懐(いだ)く者になります。」

(片山一良訳『パーリ仏典 第3期8 相応部(サンユッタニカーヤ)六処篇Ⅱ』大蔵出版)

「聞」とはここでは注意を振り向けてしっかりと把握すること、「凡夫」は迷いの状態にある普通の人のことです。要点のみ、かいつまんで説明しますと、私たちは感覚器官を通じて外界を認識します。たとえば、眼によって色や形を、耳によって音を、鼻によってにおいを、身体によって接触感覚を、といった具合です。この感覚器官によって捉えられたものが、第一の矢です。ですから、第一の矢は、私たちの最初の認識です。

すると次に、その認識がもとになって、心の働きが自動的に生じます。これが第二の矢です。引用の文章では、「苦受(苦しみという感覚)」として挙げられていますが、この苦受には肉体的な苦しみと精神的な苦しみの二つがあるとされます。それがきっかけになって、悲しみや疲れ、悲泣などが生じます。これらすべてが第二の矢であると説いているのです。

560 :(-_-)さん:2022/12/21(水) 07:10:23.39 ID:rQYPwGXi0.net
一つ、身近な例を挙げておきたいと思います。第二の矢が起きない場合と起きた場合です。たとえば、道を歩いていて、向こうから人が来て、すれ違いざまに肩と肩とがぶつかったとします。このとき、皆さんはどうしますか。「痛い!」と思いますか、それとも、「どこ見て歩いているの!」と声を上げますか。

本来、身体が感じたものは、ぶつかったときの痛みだけのはずです。これが第一の矢です。ですから、「痛い!」とぶつかったときの痛みの感覚だけに気づき、それだけで終わるのは、第二の矢が起きていない場合です。一方で、第二の矢が起きる場合とは、痛みがきっかけになって、「どこ見て歩いてるの!」と相手に対する怒りの気持ちが生じる場合です。私たちは、意外にも、そうなりがちな気がします。

私たちは感覚器官を通して世界を認識していますが、その認識がきっかけになって、次から次へと新しい心の働きを起こす、と初期仏教では捉えられました。次から次へと第二の矢が起きる、つまり心が働きを起こすことを、仏教では「戯論(けろん)」と言います。現代風に言えば、「心が勝手に拡張していく」となるでしょう。

とにかく、ブッダは、心の働きが、外界の認識をきっかけにして、次から次へと拡張していくことが、悩みや苦しみそのものであると捉えました。そのため、戯論を押さえることができれば、悩み、苦しみから解放されることになります。

もし仮に、戯論を押さえることができなくても、悩み苦しみが、私たちの心が作り出したものにすぎないと了解することができれば、それにとらわれることはなくなっていくことでしょう。ここにブッダは、悩み苦しみからの解放を見出したのだと考えられます。

つまり、戯論を抑えていくための「身心の観察」の方法が「念処」であったのだと思います。すなわち、私たちの感覚器官が捉えているもの、あるいは私たちの体の動きなどを、観察し、「注意を振り向けて、しっかりと把握し」続けていくことで、そこから先に心が勝手に動き出していかないようにしていたと考えられるのです。そして、これこそが、ブッダが見出した、私たちが悩み苦しみから逃れるための、唯一の方法であったということになります。

561 :(-_-)さん:2022/12/21(水) 07:12:09.78 ID:rQYPwGXi0.net
では、私たちの感覚器官が捉えている感覚に注意を振り向け続けていると、なぜ、次なる働きが起きなくなるのでしょうか。これについては、仏典には理由がはっきりと示されていないので、現代の心理学や脳科学に基づく推論になってしまいます。一つには、私たちの心の容量が、それほど大きくはないということ。もう一つには、いつも訓練していると、それが習い性になるということ。この二つが大きな理由のようです。

常に感覚や行動を観察し、注意を振り向け続けることは、日常的にはしないことだと思います。たとえば、私たちは、ものを見ると、そのものに対する名前がすぐに浮かんできて、いろいろな思いが生じてきます。空を見上げて、飛行機が飛んでいるのを見たら、「あ、飛行機だ」「どこの航空会社かな」などと、次から次へと、心の働きが拡張してしまうのです。ですから、見ていること自体に注意を振り向け続けることは、まずありません。

同じように、音を聞いても、すぐに「あ、車の音だ」「うるさいな」と、心の働きが連続してしまい、聞いている音自体に注意を振り向け続けることは、普通ではありえません。感覚や行動に注意を振り向け、気づき続けるということは、普通はしないのです。

そのような普通はしないことを、していることになるので、心の容量が限界に近づき、次の心の働きが起きにくくなるというのが理由の一つです。さらには、いつも注意を振り向け続けていると、それが習慣になって、いざというときにも、そのようなあり方が生じます。すなわち、感覚器官が捉えたものだけを、そのままに把握することが習慣化される、ということが二つ目の理由になるように思います。」

(『瞑想でたどる仏教――心と身体を観察する』 蓑輪顕量 著、pp.15-20)

----引用終わり----

562 :556:2022/12/21(水) 07:49:09.22 ID:UwpgFl6o0.net
>>557
オカルトは有益な事実が1、2割、残りの8、9割は迷信や思い込み、盲信くらいに捉えといた方が良いけどね。あらゆる宗教もそう。
科学的な研究がその1、2割を補強してくれれば良いんだけど、精神領域は直接的な計測が難しいのでメカニズムが解明されるのはずっと先だろう。

563 :(-_-)さん:2022/12/21(水) 19:38:21.66 ID:ueYV/v2/0.net
>>561
人とぶつかったときの例えすごくわかりやすい。
この場合、自分は確実に怒りが生じます。
ぶつからなくても、すれ違う時に相手がこちらに気を使わず避けようとしなかっただけで、
威圧されたと怒りが起こります。

よく散歩に行くので他者とすれ違う瞬間は自分にとってすごく大きな問題。
特に相手が男だとほぼ必ず、緊張感が発生して
歩くリズムが崩れたり、呼吸のリズムがおかしくなったりします。
最近、そのすれ違う瞬間の感覚の変化を観察するようにしてます。
しかし、自動的に強い緊張が起こり難しいんです。

自分が特別他者に対しての恐怖を抱いているだけなのか、
それとも相手の方も緊張しているのか本当にわからない。

564 :(-_-)さん:2022/12/21(水) 19:44:04.24 ID:ueYV/v2/0.net
丹田に意識を固定できてるときは、恐怖はほぼ発生せずやり過ごせるんですよね。
ただ丹田に意識固定すること自体が自分には難しい。

565 :(-_-)さん:2022/12/22(木) 06:16:29.32 ID:/LQDHfYf0.net
君子危うきに近づかず。ぶつかると怒りが湧いてくるのは自然だし、危ないので、まずそういうシチュエーションは避けるのが一番いいのでは。人間にはパーソナルエリアがあるので防衛的な反射が発生するのは当然だよ。

それでもそれをあえて感じたいのなら、訓練くらいの軽さで捉えれば?

566 :(-_-)さん:2022/12/22(木) 11:00:36.82 ID:dcDjVAFp0.net
あえてぶつかりに行ってるわけではない
こっちが限界まで避けてるのに、全く避けようとせずぶつかりそうな距離感ですれ違ってくるような人に怒りが湧くので。
コロナだからあまり人と呼吸が重なりたくないってのもある。
自分が自意識過剰すぎるのか、九州だから「あん、やんのかコラ」みたいな中学生思考のおっさんが多いのか。
でもその要素に反応しちゃう時点で自分に同様の攻撃的思考があるのだろうなとも思う、
認めたくないけど。

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