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石田三成の挙兵 ★4

1 :人間七七四年:2023/02/06(月) 08:04:26.30 ID:ZFAuy8AD.net
石田三成が上杉討伐で挙兵をしない、もしくは合戦
勃発後に挙兵していたらどうなっていたか。
※前スレ
石田三成の挙兵
https://kizuna.5ch.net/test/read.cgi/sengoku/1646589302/
石田三成の挙兵 ★2
https://kizuna.5ch.net/test/read.cgi/sengoku/1659567400/

石田三成の挙兵 ★3
https://kizuna.5ch.net/test/read.cgi/sengoku/1667713567/

2 :人間七七四年:2023/02/06(月) 08:35:15.70 ID:5LYhoNEy.net
いちおつ

3 :人間七七四年:2023/02/06(月) 11:48:41.83 ID:3gtJ8tcz.net
石田恥部少輔

4 :人間七七四年:2023/02/06(月) 15:03:46.82 ID:ZFAuy8AD.net
メンテ上げ

5 :人間七七四年:2023/02/06(月) 22:02:53.78 ID:CYokn080.net
たておつ

8月28日付け小早川宛て浅野、黒田書状
「政所様へ相つつき御馳走申さず候ては、叶わざる両人に候間」
内応を促す書状なのだが、これを以て笠谷氏は北政所と淀の対立が関ヶ原の要因の一つとしてる
どうなんだろうな
自動的に三成は淀派ってことになってしまうな

淀の親戚筋、京極の講和では北政所が淀に協力してるようにしか思えないんだが
ttps://clioimg.hi.u-tokyo.ac.jp/viewer/view/idata/T38/1600/17-7-3/41/0004?m=all&s=0004&n=20

6 :人間七七四年:2023/02/06(月) 23:15:16.52 ID:9hYc1XD/.net
>>5
笠谷氏はそういう見方をしてるんだな

その部分は
「政所様とは関係が深く、必ず馳走しなければならない立場の二人(長政・幸長)なればこそ(秀秋にも)このように言うのだ」

って感じの意味になるだろうけど、そのまま読めば単に秀秋とも関係の深い北政所を持ち出して誘ってるだけだと思ってた
ここから淀殿と対立してたとまで読み取るのは正直ちょっと厳しい感じもするな
他に二人の対立を仄めかすような史料でもあれば別なんだが

あと当該書状は高橋氏が偽文書だと指摘してたけど、誰かこれに反応した研究者はいるのかな

7 :人間七七四年:2023/02/06(月) 23:42:31.83 ID:CYokn080.net
>>6
ついつい買ってしまった論争関ヶ原合戦をパラパラめくっていたら目についたまでで、全体の論調はまだ知らない
偽書説もあるのか

8 :人間七七四年:2023/02/06(月) 23:57:36.55 ID:9hYc1XD/.net
>>7
去年Twitterで高橋氏が言ってるの見たな
根拠は分からんけど論文書くまでもないくらい一目瞭然で偽書だと分かると自信満々だったよ

9 :人間七七四年:2023/02/07(火) 01:07:35.51 ID:SW3++QO+.net
>>5
その辺は外野が勝手に担いで
派閥っぼくなってるだけじゃないかね

西軍蜂起が淀=豊臣の要請みたいな
なんら史料的裏付け取れない
結構無理矢理な見方に立たないと成立しなくね?

10 :人間七七四年:2023/02/07(火) 07:12:58.64 ID:c07YkfSy.net
前スレで、司馬懿のクーデターの考察をしましたが、別に政敵の曹爽は司馬懿を警戒してない
訳ではないんだよね。
只、クーデター起こすなら皇帝の確保が不可欠で、皇帝の曹芳の周りは曹爽派閥の者で固めて
居るので、司馬懿が不用意に動いても普通に謀反として処理できると甘く見てただけ。

まさか皇帝が先祖の墓参りにお供してる隙に、軍事クーデター起こして洛陽占領して皇太后担いで
現皇帝担いでる曹爽相手に挑むとは予想してないだけでな。
これってある意味、皇帝の曹芳も脅迫してるのな「逆らうなら、皇太后さまに別の皇帝指名してもらう」
とね

軍事的に優位建てば皇太后の命令であらたな皇帝指名してもらえばよいという屁理屈も
通るということですね
名目上の主君が居る勢力と軍事的に対立するって此処までの覚悟いるんだよ。

11 :人間七七四年:2023/02/07(火) 07:23:27.72 ID:c07YkfSy.net
西軍は複数の大老と奉行が同盟する形だし、名目上の主君の秀頼も確保してるので
普通に東軍は謀反の汚名恐れて瓦解するって予想だと思うよ。

家康が、この状況でも豊臣家担ぐと「豊臣家であって秀頼じゃない」いう行動を予想して
なかったんだと思います。

西軍は普通に大阪城に陣取ってるんだから軍事的に攻めれば秀頼戦死は普通にあり得る。
でも、それでも構わないって家康は決断したという事でしょ。

司馬懿が皇太后担いで、現皇帝が居る曹爽を攻める構えみせたのににてますね。

12 :人間七七四年:2023/02/07(火) 08:03:41.35 ID:e6qXoc1u.net
他の連中が古文書やら史料を調べて話をしてるのに
こいつときたら脳内妄想しかソースがない

大学生と小学生の会話みたいだな

13 :人間七七四年:2023/02/07(火) 08:19:49.81 ID:EEFophn3.net
西軍決起が豊臣の意思でないなら豊臣は徳川に救援要請してるはず。また大坂城天守閣に籠って停戦を命令する事だって出来た。仮に秀頼がこうした振舞いに及んでも名目上秀頼を君主に掲げてる西軍には打つ手が無い。秀頼を攻めればもれなく謀反人、明智光秀の二の舞になる。しかし豊臣は三成謀反は言っても奉行衆謀反とは伝えてなかった。
だから西軍としては正当性では徳川を圧倒して、後は調略で何とかなると思ってたんだろ。ところが反家康を押し過ぎて徳川と親しい連中が軒並み徳川に臣従したから目論見が外れた。

14 :人間七七四年:2023/02/07(火) 09:11:13.21 ID:B24pSmXK.net
「豊臣の意志」ってなんや?
幼児の意思のこと?淀の意志のこと?奉行の意志のこと?

15 :人間七七四年:2023/02/07(火) 11:51:05.23 ID:Br0pVzBP.net
そもそも関ヶ原で秀頼側近の長益が家康側に付いてる時点で豊臣の意志は怪しい訳で

16 :人間七七四年:2023/02/07(火) 12:25:15.23 ID:c07YkfSy.net
要するに、家康は豊臣家を担いでる「豊臣家大老だと主張」けど、秀頼を担いでるかというと
疑問な行動してる訳よな。

史実では前線に出て来なかったけど出陣の可能性はあったし関ヶ原後でも大阪城に籠城
する可能性はあった。
その場合でも、遠慮なく鉄砲でも弓でも討ちかけるよと。

後で、適当な奴を家康が豊臣家当主に任命すれば良い事だって考えだね。
どうせ飾り物って認識なんだから、北の政所の一族の誰か任命すれば良いと。
後、太閤の養子の誰かでも良いよね。

秀頼が戦死したとしても、適当な奴を豊臣家当主に任命して豊臣家大老を名乗ると。
寧ろ、秀頼が戦死した方がより飾り物の認識が強くなるから有難いくらいだと

17 :人間七七四年:2023/02/07(火) 12:31:01.29 ID:c07YkfSy.net
多分、三成が誤算してたのは徳川家康という男の本質なんでしょう。

三成は、如何しても自分の認識が豊臣家家臣だから「秀頼様が出てきたら戦えない」となる。
でも、家康は太閤が死んだ時点で自分が秀頼の家臣だなんて思ってない。

豊臣家は担ぐけど、秀頼なんて邪魔なら平気で殺せる。
太閤養子多いし、秀頼死んでも何の問題もないくらいの認識。
野戦で勝てば、その屁理屈も通せると。

18 :人間七七四年:2023/02/07(火) 12:34:29.47 ID:MRURELVk.net
>>14
広く言えば豊臣公儀の意思で狭く言えば秀頼とその保護者の意思で間違いない。豊臣公儀としては西軍に2大老(と上杉景勝)、三奉行(と石田三成)で東軍を圧倒しているから公儀として家康を追放した。だから家康は何も文句言えん。狭義には秀頼の意思でこれは西軍が「秀頼さまが家康をけしからんと言った」という書状出してる事からもわかる。つまり秀頼が家康支持の姿勢を出していたら西軍は瓦解してたかもしれない。ただそうした事実が無いのに家康が秀頼の意思を使っても西軍からそれって貴方の感想ですよね?って言われて詰む。

19 :人間七七四年:2023/02/07(火) 13:07:08.38 ID:zqbM5PR7.net
西軍の行動に秀頼周辺(豊臣家)の人物が何も言ってないから認められたっていうのは
秀吉死後の家康の行動も同様に認められたことになるぞ
特に三成の処遇は北政所と相談しながら決められたことだし
それらを家康の罪状に挙げて決起した西軍こそ豊臣の遺志に背いてるといえてしまう

20 :人間七七四年:2023/02/07(火) 14:11:41.01 ID:MM4mMHkg.net
三奉行達を、豊臣政権本体と見なすかによって評価別れるよな。
見なすなら、豊臣政権は天下に混乱を起こし治めることが出来なかった為、実権を失ったになるし、
見なさないなら、三奉行たちのクーデターを治めることが出来なかった。となるし。
家康を追い出したいにしても、もっとあとの時代の方がよかったと思うが、それなりに理由があったのかね。

21 :人間七七四年:2023/02/07(火) 15:29:39.49 ID:r23+f5uX.net
遺言覚書から窺える秀吉の構想では奉行などは替えのきく吏僚でしかなく政権本体とはとても思えない
むしろ秀頼と唯一直接縁戚関係ある家康こそが豊臣一門代表であり替えのきかない秀吉の代わり
少なくとも秀頼成人までの政権本体そのものだったと思う
それが認められない奉行や所領裁定問題を覆したい下心のある毛利が結託し秀吉の構想を踏みにじりぶち壊した

22 :人間七七四年:2023/02/07(火) 16:35:56.46 ID:8xF2DLWM.net
同意
あと守役の利家も発言権はあったと思う
他の五大老とは別物

23 :人間七七四年:2023/02/07(火) 17:06:52.74 ID:Br0pVzBP.net
利家の倅の利長は家康に見下されてたけどな、代替わりしたら利長に揺さぶり掛けて恭順させたし
家康は相手の力量(統率力)を見抜く力に関して言えば天才だわ

24 :人間七七四年:2023/02/07(火) 17:25:51.75 ID:YQxXboj/.net
そもそも利長は利家の頼みで家康が後見してたんだから下になるのは当たり前なんじゃ

25 :人間七七四年:2023/02/07(火) 17:57:25.30 ID:5gXOoAYe.net
前田家の態度を見極める為に素早く揺さぶりかけて様子見したのは流石よな
恭順しようが反発しようがそれは結果論で大した事ではない
まず速やかに前田にツバ付けるのが凄い
四大老vs家康の世界線すらあったわけやしな

26 :人間七七四年:2023/02/07(火) 18:30:21.67 ID:EB3TJJVY.net
家康の侍医・板坂ト斎記に「会津征伐の際に立ち寄った伏見城で家康が不気味にひとりで笑ってた」
って書いてるけど、家康ほどの男ならこの隙に反対勢力が何かやらかすくらいは読んでいたんじゃないのかな?

27 :人間七七四年:2023/02/07(火) 18:34:17.40 ID:qUPCox/0.net
>>19
結論から言うと当時の豊臣公儀からするとその理屈は半分正解で半分外れ。
当時の豊臣公儀は秀吉の遺志も秀頼の意向も関係無くただ「秀頼の居る大坂城を押さえた者が天下に号令出来る」という末期的存在。家康を追放した輝元及び三奉行に豊臣か何の文句を言う事も無かったことで完成してしまった。

28 :人間七七四年:2023/02/07(火) 18:43:35.94 ID:EB3TJJVY.net
秀頼って確か1600年では満7歳だよな
7歳で並み居る大人たちとやりあえは確かにきついけど、それでも評定に出たりとか
形だけの活動だけでもしてなかったのかな?

29 :人間七七四年:2023/02/07(火) 18:50:41.74 ID:1vNm6KSC.net
>>26
北日本の主要な諸侯(最上伊達南部)とは事前に打ち合わせ済、最大の懸念材料だった前田も揺さぶりを掛けたら恭順したからもう勝ったも同然だと思ってただろうな。景勝が北に引いた時点で獲物が網に掛かったようなもん。

30 :人間七七四年:2023/02/07(火) 19:29:52.38 ID:Z6s+fUOQ.net
>>26
ttps://dl.ndl.go.jp/ja/pid/1920433/1/27

「完爾」だからにこやかってことだわ
なんかあったら金銀をいつぶして鉄砲玉にせいって言っているから、伏見が攻められることはいくぶんか想定していたようだ

ちなみにこの右ページでは、大坂城西の丸への家康入城は「誰も不申候得共、政所御計ひ也」としているね
「豊臣の意志」ってなんなんですかね
この慶長四年の大坂入城で家康の権力基盤はぐっと高まる
と同時に、「一人一人倒されたらヤバい」という毛利や奉行の動きも出てくる

まあこれ以上は史学の範疇じゃないが、会津征伐で伏見に立ちよった家康はすこぶるご機嫌だった
金銀の弾なんて当たるわけないと思うから本気じゃないんだろうがw

31 :人間七七四年:2023/02/07(火) 20:02:11.69 ID:Z6s+fUOQ.net
>>28
ttps://clioimg.hi.u-tokyo.ac.jp/viewer/view/idata/T38/1600/17-6-3/8/0075?m=all&s=0074&n=20

奉行の要請で上坂した輝元は幼い秀頼のもとに児玉若狭と児玉喜(?)内と国司隼人の三人を「為御後見被成御付」とある
後見といってるが、監視のたぐいだ

秀頼の行動で自分の誕生日を祝う神楽奉納だなんだは確認できるが、なにか意志を示したかというと
戦後も、すぐに側近の大野兄弟が「秀頼様は幼いのでなにもしりません。わたくしども兄弟も秀吉様の御遺言を守ってます~」と家康に釈明して現状維持となった
まあ戦後の言い訳だが、これが公式見解

32 :人間七七四年:2023/02/07(火) 20:29:12.80 ID:Yzz/eaLm.net
>>31
児玉若狭元兼・国司隼人元蔵・児玉宮内元次だね
この三人が秀頼の世話(監視)やってたんだな

この時期に秀頼の意思なんて普通に考えてもあるわけないわな

33 :人間七七四年:2023/02/07(火) 20:38:32.23 ID:A/Ijr3M9.net
>>31
大野修理って関東へ流されて関ケ原のときは東軍にいなかったっけ

34 :人間七七四年:2023/02/07(火) 20:43:38.78 ID:Z6s+fUOQ.net
>>8
写真で見た限りでは偽書とは思わないけどなあ
もちろん花押がどうのの専門的なところは分からないんだが

それとは別に、あの書状が真だったとしても、あなたが言うように北政所、淀の対立とまで踏み込めないと思う
関ヶ原での「豊臣」は大坂を押さえられている以上、わずかに西軍寄りではあるが基本的には中立で、「厄介ごとを起こすな」ってのが真意だったんじゃないかね

35 :人間七七四年:2023/02/07(火) 20:51:30.08 ID:Z6s+fUOQ.net
>>32
ああ宮内か、ありがとう

36 :人間七七四年:2023/02/07(火) 20:53:33.79 ID:B24pSmXK.net
>>16
西軍が命の盾として主君を扱う可能性は確かにあったな

37 :人間七七四年:2023/02/07(火) 20:56:16.35 ID:B24pSmXK.net
>>18
では武力で秀頼の身柄を押さえた時点で
意のままにすることも隠蔽することも可能で
西軍蜂起と同時に意味を失ったわけだよ

「豊臣の意志」を大義名分にするのに
その意志を縛るようなことをしたら
なんの説得力もない
それが西軍が支持されなかった本質的な理由な

38 :人間七七四年:2023/02/07(火) 20:58:54.27 ID:OM2hw9kS.net
西軍とて支持自体はあったろう。実際問題、大老が二人に奉行が四人も従いていて豊臣軍筆頭に多数の兵を集めてた。
ところが徳川はそれ以上に強かったって話でして。

39 :人間七七四年:2023/02/07(火) 21:01:12.21 ID:Yzz/eaLm.net
>>34
花押も見た感じは当時長政と幸長が使用してる形だし、書中で使われてる表現も
特に怪しいところはないしどこら辺に問題あるのか自分もよく分からなかった

去年見たと言ったが確認したらツイート自体は2021年8月12日になってたわ
笠谷氏の本は2022年7月の刊行だし、少なくとも笠谷氏は当該書状を真として扱ってるってことだろうしね
現状他に疑義を呈してる研究者もいないようだしどうなんだろうな

40 :人間七七四年:2023/02/07(火) 21:26:59.87 ID:Z6s+fUOQ.net
>>39
ツイート見てきたよ
本を買えってことなんだなw

41 :人間七七四年:2023/02/07(火) 22:47:17.19 ID:JVytJH54.net
よく勘違いされるが、当時の家康は秀頼の立場を比較的尊重しており、物・人形のような扱いをすることを避けていた
そのため勝手に秀頼の意思を騙ったり、自分が公儀だと名乗ったり、抱きかかえて威張り散らすような真似をしなかった

家康の善意によって豊臣はかろうじて政権としての立場を保つことができたが
逆に西軍は秀頼を公然と物・人形の扱いをして軽んじる路線を取ってしまった
勝手に秀頼の意思を騙り、自らを公儀そのものと言い放ち、秀頼を無意味な傀儡に過ぎないことを見せつけたことで
豊臣の権威は崩壊して、かろうじて保っていた政権の体裁も失った

たとえ西軍を討伐しても西軍が生み出した豊臣軽視主義を取り除くことはできず
豊臣政権は西軍によって滅ぼされることになった

42 :人間七七四年:2023/02/07(火) 23:34:01.27 ID:SHq5fQRy.net
あんまり言われないけどいわゆる五大老五奉行の内で徳川に着いたのって事前に屈服させてた前田と浅野だけなんだよな
そこを考えると西軍が碌に支持されてなかった?というのにも疑問符が着く

43 :人間七七四年:2023/02/08(水) 00:22:37.71 ID:52ppB88O.net
>>17
むしろ逆で、三成にとっては秀頼なんてただの人形・傀儡としか思っていなかった
だから自分が勝手に思いついたことは全て秀頼の意思だとか豊臣の意思だとか主張してよいし
いざとなったら敵からの攻撃の盾として秀頼を人質にしてもいいんだと考えていた

三成がという男の本質が明らかになったので、東軍としてはとにかく三成を討伐しなくてはならないし
西軍の中にも三成の過激な思い上がりについていけなくなった者が出てきたというだけ

44 :人間七七四年:2023/02/08(水) 01:08:18.71 ID:qkiXUYXv.net
浅野は屈服させられてはないと思う
同じシンパシーを感じれる立ち位置だったと思うし長政は家康の友と言ってもいい存在だったと思う

45 :人間七七四年:2023/02/08(水) 02:09:23.75 ID:tV9YcTNr.net
浅野と大野の場合は奉行衆側の意向が強いんじゃないかな
大野なんて会津征伐のついでに家康が赦免してるし

46 :人間七七四年:2023/02/08(水) 07:03:26.53 ID:b2IeD9nD.net
西軍が公儀名乗ったのが東軍に対する影響のみを狙った戦略だったのだろうか?つまり時代劇みたく「秀頼を掲げれば東軍諸将は降伏する」なんて思っていたのだろうか。
というと多分これは副産物で主目標は西軍が公儀である事それ自体にあるんだと思う。秀吉が惣無事令を確立させてから大名は私闘を禁じられた。西軍が公儀を名乗る事で西軍諸将はフリーハンドを得る。それで西軍は自分達に味方した大名に弾劾状と命令書を送付した。まぁもしかしたら毛利輝元の領土欲を隠す為だったのかもしらんが。
ただこれらは敵が公儀より弱くなければ成立しない。そして徳川家康は豊臣公儀よりも強かった。

47 :人間七七四年:2023/02/08(水) 07:44:13.59 ID:ECvkLzhp.net
>>44
加賀征伐を徳川のゴリ押しと取るか前田の失態と取るかで分かれる気がする。加賀征伐の発端は徳川家康暗殺計画でこれは利長も関わっていた疑惑があるから加賀征伐に発展するのは自然。ただしこれを家康に通報したのは石田三成。
三成としては家康に恩を売って取り入りたい、自分を閑職に追い込んで悦に入ってる浅野長政をぎゃふんと言わせたい、てか長政を追い落として自分がそこに入りたい、って色々思惑あったんだろうが。

48 :人間七七四年:2023/02/08(水) 11:45:05.65 ID:THLAPG0H.net
浅野は幸長の時代でしょ

49 :人間七七四年:2023/02/08(水) 12:34:15.70 ID:ECvkLzhp.net
つまり長政にとって加賀征伐が家康の野心や三成の陰謀なら腹が立つかもしらんが、前田利長のミスなら叱られても仕方ないと自省したかもしれない。

50 :人間七七四年:2023/02/08(水) 13:06:40.99 ID:W8cB5aIf.net
前田は代替わりで家中のゴタゴタが治まってない
利家の意向もあって家康が利長の後見人になってるから加賀征伐は家中統制せいという脅しでもあるんじゃないか

宇喜多も毛利も上杉も島津も秀吉の死去で家中の乱れが表にでてくるんだよな

51 :人間七七四年:2023/02/08(水) 14:02:06.48 ID:d0uWqcaI.net
抑々、前田利家はあの儘大阪城に居座り帰国するなって遺言したという俗説があるよね
前田の総兵力は最大で25000だから、大阪に8000、国元に16000と分けろと。
大坂の兵力は利長が指揮し、国元は四男に指揮させろ。国元と大阪の兵は少しずつ入れ替えれば
問題ないとさ。

実際、この状況だと家康も動きようがないんじゃないでしょうか?
家康が強引に言いがかり付けて加賀征伐連呼出来たのは、畿内に前田の兵力がないからでね。
大阪城に8000の兵力が居座ってたら何も出来ないと思う。

まあ、帰国勧めときながら国元に到着帰った途端騒ぎだす家康の強引さを理解してなかった
んでしょうね。
家康の凄さは、普段は鈍いデブを演じながら相手が罠にかかったと思うとブレイクダンス
踊るデブに変貌する所。

52 :人間七七四年:2023/02/08(水) 14:06:42.26 ID:nMuOvjDY.net
それは無いんじゃないか。利家の末期の頼みで家康は利長の後見は引き受けた。でもそれは前田家全体の後見じゃないから前田家の統制は結局利長の務め。そんな時に大坂城に余計な軍勢置いておく理由は無いし本国の統制が取れなくなって内乱に発展する危険性すらある。普通に考えれば利長は家康の後見を受けているからつまり利長は大坂に居る必要が無く安心して国許に帰れるってのが利家の望みだろう。

53 :人間七七四年:2023/02/08(水) 14:09:07.58 ID:d0uWqcaI.net
家康の凄さって、機会が来たと思うと信じられないくらい素早く大胆な行動がすぐさま
出来る事。
普段の鈍重なのろまな亀にしか思えない男が、突然ゴキちゃんに変貌するんだから動きに
付いていけない奴が出るのも仕方なくないのかな。

三国志の司馬懿は、曹爽油断させる為に使者の前でぼけ老人の演技までやったと正史の
三国志にも書かれてますよね。
世の中、馬鹿の演技する奴程怖い物はないなと

54 :人間七七四年:2023/02/08(水) 14:15:08.54 ID:d0uWqcaI.net
>>52
前田利家の死の直前まで、大坂伏見の睨み合いしてた事を忘れてませんか。

家康が国元から持って来た増援の数は、諸説ありますが最低の説でも5000です。
これだけの兵力が伏見に居るという前提を忘れたらだめですよ。
家康が強引に加賀征伐連呼出来たのも、前田が帰国してしまえば畿内は事実上徳川軍に
占領されてるのと同じになりますからね。
他の大名は徳川軍が怖くて、止められない

55 :人間七七四年:2023/02/08(水) 15:29:51.31 ID:iqEdJOaW.net
また馬鹿が妄想並べてる

56 :人間七七四年:2023/02/08(水) 16:48:15.97 ID:CAx9Qp7t.net
家康は豊臣政権時執行部から蚊帳の外だった伊達細川池田辺りに支持されてたのが大きかったかと思う。

57 :人間七七四年:2023/02/08(水) 17:30:16.66 ID:EtKnVZH8.net
>>42
西軍の挙兵が想定よりはるかに大規模であることが発覚したのにも関わらず、
徳川を中心とした上杉征伐軍が崩壊しなかったのに対して、
西軍の方は徳川軍本隊が来た訳でもないのに、岐阜陥落した程度(影響大なのはそうだが)で
毛利さえも動揺して日和見を始めた事を考えると、西軍、というよりこの挙兵そのものが
反家康派以外の諸侯の強い支持の元に行われたとは考えにくいけどね

58 :人間七七四年:2023/02/08(水) 18:06:05.58 ID:ECvkLzhp.net
>>54
家康は利家と面会したその日に宇喜多秀家と「前田利長が徳川家康と心を合わせるなら私(秀家)も力添えします」っていう起請文を取り交わしてる。大西氏が指摘してたけどこの起請文は利家からの要請に応えた家康が約束を叶えたものでなんなら病に臥せる利家に披露された可能性がある。この事から利長は家康の後見を受けて大老入りしたという見解があってかなり適切だと思う。

59 :人間七七四年:2023/02/08(水) 18:08:49.76 ID:ECvkLzhp.net
岐阜失落は色々と大きな意味があるけどそれよかヤバいのは垂井までやられたこと。これはつまり大垣が孤立した事を意味してる。西軍はそもそも徳川軍は来ない事を前提に兵を四国・九州・伊勢に振っていた訳でこれが全く外れたとなると支持してようが動揺するだろう。だって負け確定みたいなもんだし。

60 :人間七七四年:2023/02/08(水) 19:12:37.83 ID:LRkMCtIx.net
輝元は慶長四年閏三月には家康に屈服してるよ
ttps://clioimg.hi.u-tokyo.ac.jp/viewer/view/idata/T38/1599/17-5-3/13/0024?m=all&s=0024
「然上は向後如何様之儀出来候共、対貴殿無表裏別心、如兄弟可申承候」
兄弟と言うが、要するに家康が兄ってことだ

ttps://clioimg.hi.u-tokyo.ac.jp/viewer/view/idata/T38/1599/17-5-3/15/0063?m=all&s=0063
そんな中でこれが具体的に何を指すのか知らないが、秀元が長老に弁明している
安国寺の強い力を示すとともに、毛利内部もバラバラだったということ

61 :人間七七四年:2023/02/08(水) 19:56:49.50 ID:LRkMCtIx.net
>>58
そもそも「越中殿種々御肝煎に付」、家康は和解してるんだけど
ttps://clioimg.hi.u-tokyo.ac.jp/viewer/view/idata/T38/1599/17-5-2/4/0046?m=all&s=0044&n=20

秀吉遺言にも秀忠と利長はでてくるから、そもそもそもそも別格でもある
これ以降は単なる想像だが、さっさと家康も利家も死んで二世コンビで秀頼成人まで支えてくれよって秀吉は思ってたんだろう

62 :人間七七四年:2023/02/08(水) 20:18:11.36 ID:D84XM5Wx.net
>>60
その慶長4年6月4日付安国寺恵瓊宛毛利秀元起請文は秀元の所領問題に関するものだと光成氏は言ってたな

家康が輝元に秀吉の遺命通りの領地分配を行うよう迫った
それに呼応して秀元は家康に接近し連携して動いていたことを輝元が怪しんだ
それで秀元はそれを否定し弁解のためこの起請文を提出したって流れ

63 :人間七七四年:2023/02/08(水) 20:48:19.16 ID:LRkMCtIx.net
>>62
なるほど
ありがとう

64 :人間七七四年:2023/02/08(水) 21:07:58.24 ID:LnTghSFN.net
ていうか家康が屈服させたと言うけど
定説は奉行である増田長盛による讒訴があり
その罪状は浅野長政や大野治長を使った家康暗殺

それを否定するような史料もないのに
家康の企てとか言われるの結構謎

上杉征伐の理由が堀家の訴えなの無視して
家康が強引に上杉を排除しようとした
とか言われるのと同様

65 :人間七七四年:2023/02/08(水) 21:41:57.29 ID:W8cB5aIf.net
江戸時代から二次資料で創作されてる

66 :人間七七四年:2023/02/08(水) 22:42:55.56 ID:jTgy55Of.net
利長は代替わり後に弟の利政が謀反企てようとしてた時点で統率力に疑問。後半は実質利常が運営の采配やってたし。
家康はそこを見抜いてたから揺さぶりかけたんかな。

67 :人間七七四年:2023/02/09(木) 07:04:49.44 ID:sT8HBJTd.net
利長謀反の根拠は二つあって、一つは家康暗殺計画。参加者に利長の血縁者が居たから必然的に利長も怪しいという話になる。二つめが帰国問題でどうも利長は帰国をかなり急いでいて手続きを怠っていたらしい。それで佐和山の三成が家康に通報したんだが、更に越後の堀秀治らも通報したんだと。
利長は景勝と親交があったらしく景勝と利長が同時に帰国した(上に景勝は越後侵略の行動をとってた)ことで堀一族が警戒して家康に通報した。んでこれが一つになって大騒動に発展した。

68 :人間七七四年:2023/02/09(木) 07:22:35.40 ID:0/wmgYY+.net
個人的には暗殺や謀反の類いの話はあんまり信用してない
ある事ない事をでっち上げて嫌いな奴やライバルをはめるの普通だしな
利長の謀反が本当なら流石に穏便には済まされないやろ

69 :人間七七四年:2023/02/09(木) 07:45:19.60 ID:iOM/ksC8.net
その意味でライバルを陥れようとしたのは
石田や増田ということになる

流れで言うと利家を担いで徳川を陥れようとして
それが果たせず利家が和解して死んでしまった
すると今度は徳川に対して利長が暗殺企んだと讒訴した

ことが政権首班の暗殺となると普通に殺し合い
改易か拒否すれば討伐は自然なわけで
その嫌疑をかけるのはそこまでの危機に陥れる行為

家康はそれを大老奉行の前田、浅野両家は
家中の死者も出さず減封もせずに治めた
なので前田浅野が奉行のクーデターに付かないの
むしろ当然なんよね

70 :人間七七四年:2023/02/09(木) 07:53:24.55 ID:1Bah4PWd.net
遺言覚書体制では前田も徳川同様奉行からしたら目の上の瘤だったもんな

71 :人間七七四年:2023/02/09(木) 07:55:55.26 ID:K2miinNN.net
この時代の動き見てると、単純に豊臣方と徳川方や、反徳川と徳川みたいな単純な対立軸ではないよな。むしろ誰かが隙あれば誰かを追い落とそうとしている、鎌倉殿~の時代に近いような。いろんな動きがあって面白い時代なのに、家康のタヌキが悪いとしか見ないとつまらなくなる。

72 :人間七七四年:2023/02/09(木) 08:37:16.00 ID:0/wmgYY+.net
正直そんなに利長が積極的に政務に口出しする気も無かったと思う
反徳川派の旗手と期待される立ち位置から一歩引くにもしがらみや体裁もあって難しいから家康と絵図を書いたとも思えるんよな (浅野なども

73 :人間七七四年:2023/02/09(木) 09:53:58.41 ID:rRJEA/SM.net
>>68
つか、徳川を討伐したいのなら殿中の暗殺とかいう手段取らなくても良いからね。
利長は大阪城に居て秀頼の太傅役なんだから、徳川家に謀反の企てありで堂々と徳川
討伐軍編成すれば良いだけの事。

で、利家死後の七将蜂起事件だけでも十分結び付けられるぞ。
相手は豊臣家の現職の奉行なのに、堂々と私兵動員して攻め込もうとしたというんだから
普通に政権に対する謀反認定されてもおかしくない行動ですからね。
こういう行動を堂々とするって事は、それを問題にさせないだけの大物が背後に付いてると
誰でも思う。

その気が有れば、徳川家黒幕認定で全国に動員令だしても良いくらいだし。

74 :人間七七四年:2023/02/09(木) 10:01:51.64 ID:rRJEA/SM.net
一言で言うと、事態が緊迫してるって現実を良く理解してなかったのだろう
平常性バイアスと言う奴ですね、目の前に危機が現れてるのに現実を否定してしまう現象。

韓国の地下鉄火災では、車内に煙が来てるのに逃げずに席に座ったままの乗客の姿が
動画に残ってます
明らかに異常事態で、すぐさま決断しないと命に関わるので、直ぐに決断しないと駄目なの
ですがね、当事者はそれを理解してない

利家の葬式すら行われてない段階で七将蜂起事件起きてるんだから決断すべき
状況で、あそこで全面対決の決断すべきだったと思います
あそこで対決逃げたから家康に追撃されただけだと思う

75 :人間七七四年:2023/02/09(木) 10:37:13.89 ID:LZO065Cm.net
当時の史料踏まえると「前田利長は上杉景勝と共謀して徳川家康を暗殺して領土拡大を図った。また加藤清正率いる反家康連合とも繋がっていて大規模軍事行動を起こす予定だった」って噂が流れていたらしい。なんじゃいその陰謀論は?って話だけど現実に景勝の領土的野心を目の当たりにしてる堀一族からすりゃ大問題。しかも景勝の野心は本当で軍備拡張に明け暮れてたし。巻き込まれた利長はアンラッキーだったけど家康に釈明してなんとかなった。

76 :人間七七四年:2023/02/09(木) 12:23:18.02 ID:Vubx3t1e.net
ID:rRJEA/SM
相変わらず知能が低いな

77 :人間七七四年:2023/02/09(木) 12:31:00.58 ID:k3QZuyIV.net
>>76
お前がな

78 :人間七七四年:2023/02/09(木) 12:46:00.72 ID:BDBm9oNp.net
IDカチャカチャ

79 :人間七七四年:2023/02/09(木) 12:53:48.17 ID:pCydf95n.net
三成だって襲撃されて黙ってはなかったろう。毛利輝元に使者送って兵を送るよう頼んでる。大坂担当の三成はそもそも兵を連れてなかったろうし伏見に命からがら逃げてきた後ってなると数百人居れば良い方で七将には勝てんから。ただ七将は一応訴訟に仮託してたし何より合わせて百万石っていう力がある。仮にこれ交渉失敗して内戦になったら割と大問題になる。輝元は火中の栗を拾う真似は出来ないと逃げたけど家康はこれを治めてみせた。正直これも家康の陰謀って訳じゃ無いかと。

80 :人間七七四年:2023/02/09(木) 16:33:48.81 ID:/RpMI0aD.net
>>72
関ヶ原後も優遇されてた(前田は伊達島津より、あさのは池田藤堂より扱いが上)辺り、それもあながち嘘じゃないかもな

81 :人間七七四年:2023/02/09(木) 18:16:09.21 ID:rKzqUjmx.net
家康が三成嫌ってたって史料は無いんだけど、三成が家康嫌ってたって一次史料も結構少ないんだよな。当たり前といえば当たり前なんだけど

82 :人間七七四年:2023/02/09(木) 19:09:52.13 ID:AYXfh86s.net
>>81
一次史料でその人嫌いって示すのどうやって表すのかな?

83 :人間七七四年:2023/02/09(木) 19:18:05.12 ID:rKzqUjmx.net
例えば三成と浅野長政がクソ仲悪いのは一次史料につまり書状に残ってるだろう?三成は宇都宮事件で長政の仕事を妨害しようとしてる。じゃあ三成と家康はっていえば仕事を妨害するとか書状でボロクソ言うとかそうした形跡が無い。

84 :人間七七四年:2023/02/09(木) 21:43:09.18 ID:yJQhqtbZ.net
>>83
あの書状は佐竹義重が上洛する際、宇都宮領に向かってる浅野の使者と道中鉢合わせしたら
面倒なことになるから気をつけろ、と三成は忠告してるだけで別に浅野の邪魔はしてないだろ

85 :人間七七四年:2023/02/09(木) 21:47:22.74 ID:KkIDTmJf.net
笠谷氏の書籍、なんか思ってるのと全然違った
まだ読みはじめだけど、ここの誤読妄想くんばりに想像で大事なところを断定し続けている
関ヶ原研究の先達が大所高所から最新研究を紹介してくれてるのかとばっかり
論証したいことは、まずは石田と大谷が謀反、この段階では誰もが家康寄りで、そこから強く説得して三奉行と淀を動かした「二段階論」とのこと

86 :人間七七四年:2023/02/09(木) 22:38:01.86 ID:KkIDTmJf.net
仲がいい悪いはどうでもいいんだが
笠谷氏本の参照史料を漁ってて笑った

戸田左門覚書ね
慶長三年、秀吉があの世に
その事実は秘されたが、たまたま当日、家康が登城しようとすると、三成が死んじゃったんで帰ってくださいと告げた
「内府公おほしめすは治部少日来さして御入懇もなきに今度の事申越懇志と仰られ浅野弾正は年来無二の御懇にて候処不申越常々の思召と相違にて候と御遺恨なり」
ttps://dl.ndl.go.jp/ja/pid/1182783/1/7

浅野がこの件で「機密ばらす方がやばいでしょ」って反論してるのが何かの聞き書きであった気がするが忘れた

87 :人間七七四年:2023/02/09(木) 23:32:02.28 ID:63nSvvAI.net
>>79
襲撃は後世の脚色で七将は三成を訴えただけなのに
三成は自分が訴えられたことにキレて訴訟相手の殺害を企てたというだけ
訴訟相手の殺害を企てたのだから、三成が奉行をクビになるのは当たり前のことだった

88 :人間七七四年:2023/02/10(金) 01:27:55.42 ID:hHZZbj1L.net
>>87
こんな風に極論的な偏向解釈で論を出せるんだから歴史って恐ろしいな
最近は新説出すためによく用いられてる手法かも知れないけど

89 :人間七七四年:2023/02/10(金) 08:22:35.36 ID:kOyPhUJX.net
ただの訴訟なら三成が大坂から逃げてる事の説明がつかないからね。当時は訴訟相手を武力で制圧してなんならその結果として相手が死んでも「訴訟」って言われてたってだけで。七将も別に穏便に家康に訴えたわけじゃないもの。訴状すら無いのに。

90 :人間七七四年:2023/02/10(金) 11:14:26.94 ID:UxWNvYmU.net
上杉景勝対徳川だけ対戦してたらどうなったの? 会津若松の地の利は景勝有利では?

91 :人間七七四年:2023/02/10(金) 11:17:13.72 ID:81OO/TRY.net
どうでもいいよ
スレチ

92 :人間七七四年:2023/02/10(金) 12:52:23.03 ID:GHjoEvqN.net
>>84
それは三成が長政に一言言えば済む問題なんじゃないか。それを取らずに佐竹が長政に捕まらないよう指示してるから三成と長政が仲悪いのは本当だったんだねっていう話に

93 :人間七七四年:2023/02/10(金) 21:38:20.25 ID:uIZrzqWg.net
長政は政宗とも揉めてたり、面倒臭そうな性格してそう

94 :人間七七四年:2023/02/10(金) 21:44:18.47 ID:vVOz8T91.net
それ言ったら政宗はあちこち揉めて
そっちの方が・・・

95 :人間七七四年:2023/02/11(土) 07:00:40.22 ID:kx/nHyvq.net
確か宇都宮の一件自体が浅野長政と石田三成の政治闘争の産物なんじゃなかったっけ?

96 :人間七七四年:2023/02/11(土) 09:35:31.59 ID:uPMDeZ9T.net
>>89
秀吉時代なら奉行を訴えることなんて事実上不可能だったことを考えれば
三成を訴えることができたというのは当時としては衝撃的なことだよ
ありえないはずのことが起きたのだから三成がパニックになるのも無理はない
パニックを起こして兵を集めたので、実際の訴訟を進める前に三成がクビになったというだけ

97 :人間七七四年:2023/02/11(土) 11:07:15.46 ID:eqogC0Z2.net
>>88
まあ、歴史は勝者が残すので可成り強引で無茶な記録でも勝てば残せる

かの有名な大賀弥四郎も、本当は大岡弥四郎だったという説が最近出て来てたり。
大体、弥四郎程度の身分で武田に内応して岡崎城献上はおかしいよな。

信康の暗黙の了解なしで動けるはずないでしょ

98 :人間七七四年:2023/02/11(土) 11:12:12.39 ID:eqogC0Z2.net
>>96
訴訟というか私兵動員して夜襲に近い事されたんだもんな

女子高生が学校から地下鉄で帰宅しようとしたら、モヒカンの集団に行き成り
レイプされようとしたような物。

これが前田利家の死の直後なんだから、盗将さんは凄い人

99 :人間七七四年:2023/02/11(土) 11:49:04.17 ID:W+BBUCpE.net
宇都宮国綱は秀吉の命で浅野長政の与力になったけど元々は佐竹一族と親しく(国綱の母も妻も佐竹氏に関係ある)その為佐竹取次の石田三成とも親しかった。
だから長政は自分の権力がある内に敵対勢力を排除しようとしたんだろう。佐竹氏も改易の沙汰が出たっていう辺りに長政の執念を感じる。長政は秀次事件で三成に讒訴されて危うく息子幸長が死に掛けたって言うからその仕返しだったのかもしれんが。

100 :人間七七四年:2023/02/11(土) 11:56:43.15 ID:fplkhfB0.net
>>92
両者が不仲だったことは別に否定してない
三成が浅野の検使を妨害する指示でもしてるならお前の言う通りだが、書中では
そんなこともなくただ見つからんように遠回りして来てねって言ってるだけで妨害はしてないよね

つーかいい加減IDコロコロやめろよ
自演もちょくちょくやってるし
ほんとにバレてないと思ってやってるのか?

101 :人間七七四年:2023/02/11(土) 12:28:33.14 ID:BOYsq/Dk.net
>>100
浅野長政が佐竹義宣を改易処分にしようとしてるのを妨害してるんだが?それは妨害には入らんの?

102 :人間七七四年:2023/02/11(土) 12:36:37.91 ID:fplkhfB0.net
>>101
入らないよ
で、なんでID変えたん?

103 :人間七七四年:2023/02/11(土) 12:53:08.16 ID:fplkhfB0.net
>>101
>三成は宇都宮事件で長政の仕事を妨害しようとしてる。

佐竹改易は秀吉から言われてるわけでもないのに浅野の「仕事」のはずなわけないでしょ

104 :人間七七四年:2023/02/11(土) 13:19:33.34 ID:uPMDeZ9T.net
>>98
訴訟に腹を立てた奉行が私兵動員して夜襲をする気だったというのは問題であり
本来なら三成はここで死刑にならなければいけないのに
役職解任のみで命が助かったことで奉行の暴走がエスカレートすることになってしまった
奉行を甘やかしたのはよくないことだった

105 :人間七七四年:2023/02/11(土) 13:57:30.98 ID:PiO16p9Y.net
要は三成も長政も取次で恩を売ったり縁組を通して
外様に自分の与党増やして派閥争いしてた
ってことなんよね

三成が取次して唾つけてた佐竹
その与力である宇都宮に長政が養子縁組を進め
国許で反対派が推進派を攻め滅ぼした

これ普通に惣無事違反なんで改易は当たり前で
宇都宮を与力にしてた佐竹に類が及ぶか問題になった
それを三成は「自分の取りなしでなしにした」
と恩を売ってるわけ

豊臣の奉行達は結構そんな感じで
勝手な婚姻禁止とか誓詞取り交わして徒党組むなとか
何も家康の手足を縛るためだけの規制ではなかった訳だ

106 :人間七七四年:2023/02/11(土) 15:09:01.80 ID:8MPf6eau.net
>>103
佐竹改易は秀吉からの命令って話じゃないの?梯弘人なる人物の提唱した説らしいが。
義重宛義宣書状にある「就之我等身上なとへも、上様より仰出之儀も御座候、冶少被入御念被仰分候間、身上相続候て満足仕候」とあることから秀吉は一旦佐竹を改易することにした。だが三成が秀吉を説得してこれは一旦取り下げになった。ただその為には佐竹氏の上洛と釈明が不可欠なので急いで上洛せねばならない、って話。

107 :人間七七四年:2023/02/11(土) 15:18:27.21 ID:8MPf6eau.net
そもそも佐竹が上洛するのは宇都宮事件の釈明なんだから宇都宮事件の検使である浅野氏がこれを拘束調査するのはある意味では当たり前。それを裏技的に抜けて直接秀吉に釈明して許して貰おうってのが三成のアイデアだったんだろう。
浅野が上洛を阻めるから「浅野には会うな」って忠告してるんだし。そうでなけりゃお役目ご苦労様ですれ違えたろう。

108 :人間七七四年:2023/02/11(土) 15:27:14.26 ID:fplkhfB0.net
>>106
そりゃ秀吉からの命令ってことになるのは当たり前、表向きはね
でもこの件は浅野主導で動いてたことであって、秀吉が浅野に命じて後に起こったことではないよね
秀吉にお伺いを立てた結果そういう許可が出たってことでしょ

それで浅野が動いたのを仕事と言ってもいいのか腑に落ちないところがあるが、
まあ正式に許可が出てたとしたらそれも仕事になるだろうし妨害したと言えるかもしれんが

で、なんでID変えたん?

109 :人間七七四年:2023/02/11(土) 19:03:25.38 ID:8kor/gn3.net
横からすまんが表向きはとかじゃなく
三成からアドバイスされてる
佐竹義宣自身が

上様より仰出之儀も御座候

と言ってるんだからその通りの認識なんだよ
浅野主導で上様の意志じゃないと言う話ではない

110 :人間七七四年:2023/02/11(土) 19:27:13.29 ID:fplkhfB0.net
>>109
認識としてはその文言通りだろうな
それは別に否定しないよ
浅野主導で進められたことだとしても浅野が命令出せるわけじゃないんだしそりゃ秀吉の命令だと言うわな

秀吉主導で佐竹改易を進めてた史料ってあるの?

111 :人間七七四年:2023/02/11(土) 19:32:52.77 ID:8kor/gn3.net
これがその史料そのものじゃん
逆に同時代史料で秀吉の意志じゃなく
浅野の意志だなんて史料こそなかろうよ

112 :人間七七四年:2023/02/11(土) 19:55:30.97 ID:fplkhfB0.net
>>111
秀吉が主導してたかどうかまでは分からんと思うが
まあ史料で見ると秀吉の命令ってのはその通りで、浅野が主導していたという一次史料がないのも事実
しかし浅野が宇都宮の取次やってたのは事実だし、研究者は宇都宮改易や佐竹改易は浅野が原因だと見てるよね

113 :人間七七四年:2023/02/11(土) 20:11:05.95 ID:xh+RjXRa.net
秀吉の命令とは秀吉の意思の表明でもある
少なくとも浅野の言い分を秀吉が支持した証拠

114 :人間七七四年:2023/02/11(土) 20:54:23.08 ID:8kor/gn3.net
もちろん石田が殊更に恩に着せるために
上様の意志を俺が覆してやったんだよ
と強調してると言う側面はあると思うよ

秀吉が決断したことを石田が覆せるか?
と考えると無理だろうし

石田が秀吉の意に逆らって自分の立場を
危うくしてまで佐竹を助けるか?
そう言う男なら「自分からは言えないから
軍役は無理だと相談してください」
なんて書状が残ったりしないだろうし

115 :人間七七四年:2023/02/11(土) 20:59:41.81 ID:8kor/gn3.net
石田三成というとずば抜けて優秀な実務家だけど
人間関係の配慮や政治の機微に疎いみたいな
人物像で語られるが

こういう書状みるとむしろ寝技上等で
うまいこと話を通しちゃう政治屋なんよね

116 :人間七七四年:2023/02/11(土) 21:07:35.29 ID:fplkhfB0.net
>>114
名護屋城博物館所蔵の天正20年7月下旬~8月初頭に比定される増田・大谷・石田連署状のこと言ってるのか?

当該書状は別に石田一人の意思って訳じゃないけどね
増田と大谷と相談した結果
「各以連判御註進申上候、可然御透ニ御披露候て可給候」
「所務申付静可申返候へハ、致相談得 御諚候事」って言ってるんでしょ

117 :人間七七四年:2023/02/11(土) 21:36:53.93 ID:8kor/gn3.net
>>116
その指摘の意図がわからんので確認させて
それは3人の意図だからどうだと言いたかったの?

三成は秀吉に直言できる男だけど
3人の相談だから直言しないことにした
という意味で言ってるの?

118 :人間七七四年:2023/02/11(土) 22:20:38.99 ID:fplkhfB0.net
>>117
当該書状は朝鮮から出されたもので、佐竹改易の時三成は国内にいたし状況が違う
佐竹の時は三成が対面して直言できる機会もあったと思うよ

佐竹改易の件に当該書状を例にとって挙げるのは適当ではないんじゃないかねってこと
仮に三成が直言したくとも、異国からなら秀吉に披露状と言う形で報告して
もらうのは対面して言えない以上は普通であり仕方のないことでもあるし
それを以て三成は秀吉に物が言えないと断定することも難しいよね

119 :人間七七四年:2023/02/11(土) 22:47:51.65 ID:PiO16p9Y.net
>>118
そうかな?
朝鮮での三成は自分の立場より
政権として正しい選択を優先するなら
役目として無理なものは無理と言うべき立場でしょ

連名ということはその認識は共有されてるわけで
3人は自分の役目、政権としての利益より
自分の立場を優先してるのは変わらない

直接会ってれば丸めこめるからと言う意味なら
確かではないがその可能性はあると思うけど

120 :人間七七四年:2023/02/11(土) 22:48:17.94 ID:PiO16p9Y.net
あすまんWi-Fi拾ったわ

121 :人間七七四年:2023/02/11(土) 23:24:14.94 ID:fplkhfB0.net
>>119
というか遠方から直言するという定義が難しいな
秀吉に直接書状を以て言えるわけもなく、となると言い回しが婉曲的過ぎるってことになるんだろうが

あなたの指摘通り対面して言うメリットは正にそこにあるんじゃないかな
まあ失敗して怒りに火を注ぐ可能性も勿論あるわけだけれど

朝鮮出兵は言うまでもなく完全に秀吉主導であり、宇都宮や佐竹の件は浅野が深く関与している
宇都宮の件は秀吉の意思が多少なりとも入っているとしても、その性質はだいぶ違うし単純に比較するのは難しい

言い方が適当でないかもしれんが、朝鮮出兵に関しては否定的な意見は
一切通らないが、佐竹の件なら話くらいは聞いてくれそうな感じはする
ここら辺は完全に想像で申し訳ないが

まあ朝鮮出兵に関しては実際当該書状でも「此已前其方にて御注進承候と令相違、何も国郡静謐不仕候」
と国内で受けていた報告と違うと三成等は述べてるし、早い段階から都合が悪い情報が隠蔽されていたのは事実だろう

122 :人間七七四年:2023/02/11(土) 23:36:31.00 ID:fplkhfB0.net
すまん途中送信してしまった

早い段階から都合が悪い情報が隠蔽されていたのは事実で、そういう物が言いにくい
空気が早くから現地でも日本国内でも醸成されていったってのもあるんだろう

123 :人間七七四年:2023/02/11(土) 23:37:10.45 ID:3fRfRuYW.net
オーバーロード2ならアインズ様(秀吉)に意見を述べてリザードマン(佐竹)を配下に加えるように進言したコキュートス(三成)って感じかな

124 :人間七七四年:2023/02/11(土) 23:45:31.50 ID:PiO16p9Y.net
>>121
醸成されたと言うと聞こえがいいね

側近が秀吉に嘘付く選択したわけだが
それを当事者の責任ではなく
やむを得なかった自然の成り行きのように
思わせることのできる表現だ

三成はそういうのうまかったんだろね
実際朝鮮役も有耶無耶で乗り切った

125 :人間七七四年:2023/02/12(日) 09:27:20.76 ID:oErnMr0G.net
宇都宮国綱は前々から長政に目をつけられていて慶長2年に秀吉に讒訴されて改易された。国綱も理由が分かってないので長政によるかなり入念な仕込みがあったのは確か。で、ついでに三成と仲の良い佐竹も巻き込んで訴えたから秀吉は佐竹も改易にした。だけど三成がこれを知って秀吉を説得してなんとか取り消した。ただこれは条件付きで佐竹義重の上洛が必須。だから急げと早飛脚まで出した、と。

126 :人間七七四年:2023/02/12(日) 09:59:39.83 ID:oErnMr0G.net
重要なのは三成は佐竹は救えたけど宇都宮は救えなかった。三成は国綱とも親しかったから救えたなら救ったろう。それが出来なかったのは国綱は浅野長政の与力でそれを撤回させるには長政の同意が必須で長政と険悪な三成には不可能だったから。それで取次で奏上可能な佐竹のみ救った。
とは言え佐竹も改易処分くらい掛けた。秀吉の意向とは思えないからこれも長政の訴えだったんだろう。それを三成は横槍入れて妨害した。だからこそ、浅野の検使団に佐竹上洛を見つかるわけにはいかなかったと。

127 :人間七七四年:2023/02/12(日) 17:38:30.30 ID:u04kIBll.net
宇都宮崩れは浅野主導。浅野は三成と親しい国綱と両者と関係のある佐竹を潰す為に活動してる。どっちが主目標だったかはわからんが。ただ郎党なら兎も角秀吉から与えられた与力に過ぎない宇都宮や何の関係も無い佐竹を改易する権利は浅野には無い。だから秀吉に奏上して秀吉の意思として改易命令を出して貰うしかない。三成だって指咥えて見てる訳にもいかないから取次してる佐竹に関しては奏上して抗弁して浅野の陰謀を妨害した。でも宇都宮改易までは防げなかった。

128 :人間七七四年:2023/02/12(日) 19:48:05.28 ID:ZJq5H2aH.net
浅野からしたら長重の養子入りの話を勧めた国綱側近を
芳賀高武が攻め滅ぼしたのって普通に問題行為じゃないの

129 :人間七七四年:2023/02/12(日) 22:48:38.45 ID:VYOA3qW2.net
秀吉にしてみれば北条征伐後の関東東北の大名は潰す方向で動いてたんじゃないの
臣従してくる大名は残すにしろ吊り橋効果的(潰すよ→勘弁してください→仕方がない→感謝しますのパターン)で恩で縛ったほうがいいしな
どのみち宇都宮の処世術がクソやったから潰されただけやろ

130 :人間七七四年:2023/02/12(日) 23:04:05.38 ID:u04kIBll.net
秀吉が余程愚かだったならあり得る。宇都宮が改易された慶長二年十月は朝鮮戦役の真っ只中、そんな最中に関東で紛争の種作ってたとなると相当のアホじゃないか?もしくは余程自信があったのか?どちらにせよ秀吉の為政者としての資質が問われる。

131 :人間七七四年:2023/02/13(月) 07:37:55.72 ID:6ZsI/pz0.net
>>125
理由不明とするけど芳賀高武による
今泉高光粛清は事実でないと考えてる?

132 :人間七七四年:2023/02/13(月) 08:38:43.96 ID:6lWBTDas.net
栃木県民だが地元の歴史上人物ことごとくgdgdすぎてつらい
那須与一と田中正造とU字工事くらいしかおらん

133 :人間七七四年:2023/02/13(月) 08:50:41.64 ID:6ZsI/pz0.net
どっちかというとそんな時期に
内乱起こしてたから取り潰されたんだよ
そこに手心を加える方が政権として問題

浅野家からの養子入れがきっかけでも
それは別に佐竹宇都宮を取り潰しなんて
目的にしていない

125,126は三成とその周辺に変に肩入れした
陰謀論的な考え方にハマってしまってるよ

134 :人間七七四年:2023/02/13(月) 09:06:28.11 ID:Lr8i9j3z.net
三成の婿の熊谷や福原らが朝鮮でやりたい放題してたのも問題なんだよな……
三成本人に問題がなくても親族がやりたい放題やってたし

135 :人間七七四年:2023/02/13(月) 09:33:54.58 ID:UZhRygqS.net
>>132
江戸時代以降も改易転封が多かったり何気に曰く付きな場所

136 :人間七七四年:2023/02/13(月) 10:23:08.42 ID:Lr8i9j3z.net
>>90
上杉軍の半分どころか3分の1もいなかった(しかも最上本隊は相手にせず支隊だけ)
最上軍相手に山形城どころか、その手前の長谷堂城すら落とせず死傷者ばかり出していた
弱小上杉軍がなんだって?

137 :人間七七四年:2023/02/13(月) 10:41:16.01 ID:hDsw+FkN.net
国綱が弟の結城朝勝に宛てた書状で「不斗様子を以身上相果候」とあって国綱には改易の過程が分かってない事が指摘されてる。弟にすら話せん事情があったのかもしれんが。
ただこれより重要なのは国綱は増田長盛・石田三成は前と変わらず懇意に接して貰っていると書いていて元取次の浅野長政が無視されてる。これが長政主導の証拠とされてる。

138 :人間七七四年:2023/02/13(月) 11:25:32.62 ID:hDsw+FkN.net
謎なのはなんで佐竹まで改易にされたのかってところ。確かに国綱は母が佐竹の女で縁は深い。深いけどその為に秀吉が改易を命じるか?国綱が浅野との縁組を拒絶したにしても内紛起こしたにしても些か重い。佐竹が宇都宮の一件に関わっていたって話も無いのに。

139 :人間七七四年:2023/02/13(月) 11:47:02.51 ID:QXYKi6l6.net
宇都宮家が長政の与力になったのは秀吉の命令なので
仮に不満があったとしても宇都宮崩れの前から取次である長政を蔑ろにして
(佐竹を介して?)三成と通じようとする態度だったとしたら
中央の統制という点から見て問題なのでは

140 :人間七七四年:2023/02/13(月) 12:03:51.03 ID:UZhRygqS.net
関ヶ原は前から三成と長政が対立していて、長政が家康に泣きついたから起こったと言う感じか。他も色々要因はあるけど主はそこっぽい。
>>72の通り初めから3人で描いてた絵なら、あながち間違いでも無さそう。

141 :人間七七四年:2023/02/13(月) 12:51:30.82 ID:hDsw+FkN.net
三成も秀次事件で元浅野祐筆を買収して浅野謀反の讒訴をした、って浅野家は記録してるからマジで不仲だったらしい。
宇都宮崩れで三成と親しい佐竹が巻き込まれてるのも浅野の仕業だろう。まさかに長政はそこまでする気が無かったけど秀吉が無理矢理改易にした、なんて都合の良い話があるはずも無く。そんで長政はこの後家康に接近して後ろ盾にしようとしてる。朝鮮撤退時長政と三成は博多に派遣されたけど長政は家康に直接状況報告してるし。だから家康は最新で詳細な戦況を知っていたフシがある。

142 :人間七七四年:2023/02/13(月) 14:30:04.82 ID:q+s/+1Qm.net
機会があれば互いの計画に干渉しようとしてるのか…

143 :人間七七四年:2023/02/13(月) 16:34:36.20 ID:UV5XLKff.net
明治維新もきっかけは幕政に介入したい斉昭が親藩と西国の外様を巻き込んで起こったようなもんだし大きな政変のきっかけは大体身内のくだらない内輪揉めから始まるんだな。
きっかけは三成vs長政の対立で五大老連中はその内輪揉めに乗っかったに過ぎない、

144 :人間七七四年:2023/02/13(月) 17:53:55.93 ID:Yq4UWgg0.net
戦国時代板の石田三成の挙兵スレの人にも、下記の記事を読んで欲しいので投稿しています
記事URLが現在規制中の為、●を入れていて直リンできていないので、開くの面倒だと思いますが
是非、読んでみて欲しいです
そしてこういう深刻な問題があるのだという事実を知って欲しい
ちなみに一枚目の記事は、創〇公●板で、内容は事実だというお墨付きを貰っています

【伏字 ■=ル、▲=ロ、〇=価、◎=会】

創価学会の実態はカ■トでテ▲組織
2023年2月5日
https://note.com/yamiw●oterasu/n/n2f955589964a

創〇学◎がクーデターを起こす危険性
2023年1月20日
https://note.com/yamiw●oterasu/n/n0f210c08c15d

※記事URLが規制対象の為、●を入れて回避していますので、閲覧時には●を除去して下さい

145 :人間七七四年:2023/02/13(月) 19:46:02.26 ID:zcNf3WuE.net
ttps://clioimg.hi.u-tokyo.ac.jp/viewer/view/idata/T38/1597/17-4-1/14/0039?m=all&s=0038&n=20

例の義重宛て書状の尚々書で「宇都宮改易について宮の荷物は一駄たりとも佐竹領国に送ったら曲事ですよって三成経由で仰せ付けられたんで、それ肝要ですよ」って書いてるのが示唆的だと思うな
血縁関係から連座しそうになったけど、許すかわりに宇都宮領内での財産は放棄しろって言っているように読める
国綱生母(佐竹義昭娘)絡みの財産かなあ

146 :人間七七四年:2023/02/13(月) 22:19:47.29 ID:C+WnGYKV.net
>>141
家康から話を持ち掛けたのか長政が泣きついたのかは知らんけど長政は家康に協力して貰って関ヶ原で目障りな三成一派を排除して貰う代わりに徳川政権で良いよと言う裏約束でもしたんかな?利家没後の利長切り崩し計画も2人が描いた絵と思えば納得出来る。
宇喜多は内部崩壊してガタガタ、毛利も内部で足並み揃ってない感じで怖いのは上杉だけ。(小早川と鍋島も裏で懐柔済)景勝が伊達最上の方に集中してくれたから、そら家康も勝ちを確信するわなと。

147 :人間七七四年:2023/02/14(火) 06:59:10.29 ID:9GIpKnOU.net
>>146
政変起こしたの奉行だし、ぶっちゃけ逆じゃないかと
奉行側が毛利の力利用して徳川や浅野等の失脚を目論んだら
しっぺ返し受けて破滅しただけなんじゃないか

148 :人間七七四年:2023/02/14(火) 07:04:40.71 ID:BVQaH2D9.net
西軍が奉行の軍なのか毛利の軍なのか判断難しい。史料上明らかに毛利の方が上位者だからもしかしたら奉行派自体が輝元の意思で作られた可能性もある。てか奉行の決起理由が「打倒徳川家康」なのに輝元が西国に軍振ってるのがあからさまにおかしい話だしなぁ。

149 :人間七七四年:2023/02/14(火) 08:46:56.96 ID:pRCDWki4.net
>>145
多分それもあるんだろうし、三成からすると長政が佐竹潰しをしようとしてるからそれを防ぐ為に一報入れたんじゃないか。本来そうした連絡は検使が行うべきだし。国綱母の遺品を佐竹が回収したらそれを理由に佐竹を改易出来るし。

150 :人間七七四年:2023/02/14(火) 12:20:34.89 ID:dxVCMLvb.net
どんな組織も派閥争いがあるけど増田長盛・石田三成筆頭の四人と新顔の浅野長政で仲悪いのは必然だったのかもしれない。にしてもなんか五奉行だと長政が筆頭みたく書かれることもあって秀吉は何を考えてそんな人事をしたんだか。

151 :人間七七四年:2023/02/14(火) 14:37:07.04 ID:nyPiKb6m.net
新顔の浅野長政って笑う所ですか?

152 :人間七七四年:2023/02/14(火) 15:20:17.41 ID:47wXVBBv.net
長吉と長政を別人物と思ってるとか?

153 :人間七七四年:2023/02/14(火) 15:41:07.03 ID:pRCDWki4.net
あれ?すまない。浅野長政って秀吉が死ぬ直前に五奉行入りしたんじゃなかったっけ?正確には長政を加えて五奉行にしたというか

154 :人間七七四年:2023/02/14(火) 18:05:57.22 ID:4CGkFuvx.net
佐竹改易計画が長政主導だとして家康は関ヶ原後佐竹を厳封で残したのについてどう長政と話を付けて納得させたのかは気になる。

155 :人間七七四年:2023/02/14(火) 18:38:22.39 ID:pRCDWki4.net
イエズス会報告書によると死期を悟った秀吉は四奉行に長政を加え五奉行として長政をその筆頭にした。問題はこの意図よ。増田長盛筆頭の四奉行がこれを快く思った筈がないもの。
これで長政が圧倒的な存在なら兎も角石高もそこまで高くなく、年齢は長盛よりも下、功績面も拮抗、ってなるとどうなっても争いが起きる。長盛達は秀吉が死んだら長政を追い落としに掛かるし長政もそれに対抗する為に家康に近付く。いっそ筆頭とか無く全員徳川の与力にしておけば、と思うのだがそうは出来なかった。何故だろう。

156 :人間七七四年:2023/02/14(火) 19:30:03.18 ID:BVQaH2D9.net
>>154
浅野が佐竹を潰そうとしたのは佐竹が憎いんじゃなくて佐竹が三成と親しいから潰してやろうとしただけでその三成が死刑確定の関ヶ原では気にしてなかった。
もしくは浅野にとって宇都宮国綱を潰す方が重要だったのか。

157 :人間七七四年:2023/02/14(火) 20:21:26.81 ID:NuMSZJpm.net
>>140
全然違うだろ
何言ってんだ?

関ヶ原前に増田らの讒訴によって
長政は家康暗殺の嫌疑をかけられて
隠居に追い込まれてる

それと堀家の訴えに端を欲する会津征伐も
その留守中の西軍挙兵も全く別の流れ

158 :人間七七四年:2023/02/14(火) 20:28:22.11 ID:NuMSZJpm.net
>>149
三成の書状の内容はおかしいんだよ

「上様の言い出した」佐竹の改易は
三成が言って無しになった
なら今更浅野が佐竹に会っても
佐竹潰しなんてできるわけない

159 :人間七七四年:2023/02/14(火) 20:29:15.75 ID:NuMSZJpm.net
>>153
そもそも死の直前まで五奉行なんてない

160 :人間七七四年:2023/02/14(火) 20:50:19.50 ID:Da/x9/pQ.net
>>158
原文読んだ?

161 :人間七七四年:2023/02/14(火) 21:19:16.21 ID:BVQaH2D9.net
佐竹改易は確かに三成が止めたけどそこには条件があって「佐竹義重が釈明に上洛する」こと。だから三成は可及的速やかに上洛してくれと義宣に伝えてる(完全に無罪なら上洛する必要が無い)
更に浅野の検使団とかち合うなと忠告してる。一刻を争う時に回り道してまでかわしてる。てことは浅野には佐竹を止める方法があった事になる。例えばこの上洛を謀反と訴えたり自分が担当だからまず自分に言えとゴネたりとか。多分秀吉の上意で佐竹上洛が決まったわけじゃないからなんだろう。

162 :人間七七四年:2023/02/14(火) 21:31:12.75 ID:NuMSZJpm.net
佐竹義宣書状よね?

これだと上洛が必要とは言ってるけど
上洛が秀吉のきめた存続の条件かはわからなくね?
またそうであるならなおさら上洛阻止は
秀吉の命を明確に背く行為となってしまう

163 :人間七七四年:2023/02/14(火) 21:43:39.20 ID:BHVzaxi5.net
>>156
佐竹を関東から北のド僻地に転封は家康なりの浅野への配慮とも言えるかもな。周りを最上伊達南部の東軍の真っ只中に囲まれて事実上の島流しみたいなもんだしな。

164 :人間七七四年:2023/02/14(火) 21:49:55.35 ID:Da/x9/pQ.net
>>162
妄想くんが条件とかいってるけど、あれは放置

ちゃんと書状を読めば条件は荷止めくらいなもので、上洛してよってのは社会人の常識みたいなものだよ

165 :人間七七四年:2023/02/14(火) 22:41:51.71 ID:BVQaH2D9.net
秀吉は確かに三成の説得で佐竹改易は撤回した。でもこれは公式ではなかった。仮に秀吉が佐竹に上洛を命じていたなら三成はこれを長政に伝えてる。そうすれば長政には何も出来ない。仮にこれを妨害したら謀反だから。それを三成は長政には伝えず、速やかに上洛せよただし浅野には見つかるな、という面倒な要請をしてる。つまり秀吉は条件に佐竹の上洛を求めたが、これを上意とはしなかったってことになる。
秀吉の思考回路は不明だけど秀吉は三成にも長政にも肩入れしなかったんだろう。

166 :人間七七四年:2023/02/14(火) 22:55:46.97 ID:i5IWJ7EF.net
秀吉は宇都宮家を浅野の与力にしてるんだから
浅野を蔑ろにすることはイコール秀吉を蔑ろにすることになるし
周辺に影響力のある有力地方大名の力は削いでおきたいだろう
宇都宮が浅野に付けられたのも佐竹の影響力低下を狙う意図もあったんじゃないか

167 :人間七七四年:2023/02/14(火) 23:13:36.16 ID:OFNREa9d.net
佐竹上洛が改易を免れる必須条件じゃなかってことだろ
書中の三成の言を信ずるなら既に佐竹の身上の保証は済んでるし、上洛は釈明の
ためと言うよりは無事に済んだ御礼のためのものくらいの意味だったんじゃないんかね

折角無事に収まってるのに浅野の検使と鉢合わせることにより、要らぬトラブル
に巻き込まれないようにねという注意喚起くらいのものだったんだろう

168 :人間七七四年:2023/02/14(火) 23:41:42.34 ID:Da/x9/pQ.net
>>165
君の思考回路こそ理解できないね
というか、史料読めない人がうじうじ考えても無駄だよ
それは単なる空想だから

169 :人間七七四年:2023/02/14(火) 23:47:31.81 ID:Da/x9/pQ.net
>>165
だいたい「上洛が条件」ってのはどこいった?
適当な妄想を書き込み、否定されると謎理論でごまかそうとする
いつもの手口だな

170 :人間七七四年:2023/02/15(水) 07:57:23.83 ID:qyj+EiLb.net
三成は佐竹の上洛をかなり急かしてる。浅野の検使が来ていて鉢合わせすると危険だと認識しているのにも関わらず。
つまり佐竹の上洛しかも至急の上洛が必要不可欠で仮にこれが遅れた場合、改易の沙汰が再び出る可能性があった。この時代処分が為政者の気分で変わる事は珍しいことじゃない。

171 :人間七七四年:2023/02/15(水) 08:14:42.21 ID:qyj+EiLb.net
佐竹の本領安堵が確定しているなら宇都宮の闕所が終了した後ゆっくりと上洛して礼を言えば良い。何も急ぐ必要は無い。
そこを急いで、しかして浅野とは会わないようしてるのだから理由がある。まぁ秀吉が恐ろしい気分屋で感謝が遅いというだけで沙汰を変えるから、って可能性もあるがこれは秀吉の為政者としての格を大分下げてしまうしなぁ。

172 :人間七七四年:2023/02/15(水) 08:18:14.88 ID:K5yZ4vln.net
>>164
だよね

もちろん上洛もせず領国に留まってたら
あらぬ疑い持たれる可能性はあるけど
「上洛しないと取り潰す」という話ではない
問題起きたけど不問に付すから挨拶に来い
という常識の範囲の話よね

「検視の浅野に出会うと妨害を受ける」
というのも脳内補完で根拠はない

173 :人間七七四年:2023/02/15(水) 08:31:29.27 ID:K5yZ4vln.net
条件というかそれ以前に
問題があったら直接会って誤解を解く
騒がせて穏便に済まされたら挨拶する
という常識の話

それを「改易撤回は上洛が条件」
「それを改易主導した浅野が妨害してる」
というのは妄想で脳内補完した陰謀論でしかない

んで誤解を解いたり、挨拶をする対象は誰か?
普通に考えたら関係している政権上層部全てと
関係を改善した方がよいに決まってる
でも三成は秀吉と自分のラインだけに礼を尽くし
浅野とは接触を持つなと指示をしている
ここをどう解釈するか

174 :人間七七四年:2023/02/15(水) 08:46:03.79 ID:K5yZ4vln.net
浅野が何が何でも佐竹を潰そうと躍起になってて
そのために秀吉に釈明するのを阻止するから

と考えるしかないのか?
それは違うし現実的ではないよ

早期上洛による釈明を求められてるのに
それを妨害したなら浅野の方がアウト
検視のために佐竹の足止めが必要でないなら
浅野には上洛を妨害する大義名分はない
大義名分もなく妨害するなら
政治的リスクは浅野の方に生じる

なのでこの指示の裏には他の要因があると見るべき
足止めして調べを受けると佐竹不利な証拠が
出かねなかったのかもしれないし
三成とその派閥に不利な証拠が出たのかもしれない
単純に三成が自派閥に取り込もうとする佐竹が
独力で浅野派閥と関係改善するのを避ける狙いかもしれない

いろんな可能性があるなかで
浅野の悪意以外の理由を無視するのは
正直バイアスがかかった見方だよ

175 :人間七七四年:2023/02/15(水) 09:00:20.07 ID:K5yZ4vln.net
「間に入る××さんと会うと面倒になるから
 俺が口聞くんでうちのトップに直接言いなよ」

これって本当露骨すぎるくらい露骨な
派閥争いムーブなんよ

××からしたら頭越しに動かれるわけだから
××との関係を薄くして恨まれる
なのでこの話に乗ると今回口聞いた人に
今後も頼ることになる
上司からも今回の話を解決したのは
担当の××じゃなく口聞きした人となり
評価が逆転する可能性もある

つまり三成は割とどうどうと派閥争いする人で
実際その後の動きを見るとそれで成功してるんよね
(長政の東国取次は減り石田は増える)

176 :人間七七四年:2023/02/15(水) 09:14:51.14 ID:6NOrHqfQ.net
検視の件は単純に検視と鉢合わせするのは話がややこしくなるリスクがあるから注意しろって事だろ

上洛の件は>>173の感じと思う

まぁ悪気があろうが無かろうが口利きが2人とか悪い展開にしかならん
典型的な、あちらを立てればこちらが立たず
社会人の初級編

177 :人間七七四年:2023/02/15(水) 09:53:14.41 ID:K5yZ4vln.net
まあ担当者を通した通常のラインより
有力者の口利きが効くというのは
今でも聞くし中世なら普通だったろう

ただこうして見ると豊臣政権の奉行の
派閥争いは割と明示的に残ってるし
つまり秀吉が重宝した三成の優秀さも
その類のものだろうとは思う

178 :人間七七四年:2023/02/15(水) 10:30:17.29 ID:qyj+EiLb.net
>>174
現状、秀吉が佐竹を上意で呼び出したって証拠は無い。つまり「佐竹義重が上洛して釈明したら無罪」ってのは秀吉の内意ではあるが豊臣公儀としての命令じゃないのよ。これは義宣書状で三成が浅野に佐竹上洛を伝えてないと書いてあることからも分かる。秀吉からの上意なら浅野に伝えねばならないだろう。伝えてないのは上意じゃないから。
だから浅野はこれを妨害出来る。例えば佐竹の上洛を「改易にされた佐竹が謀反した」って報告しても良いし「宇都宮の件は我々が検使だからまず我々に言え」と止めても良い。

179 :人間七七四年:2023/02/15(水) 10:41:17.27 ID:5ktOYlew.net
>>178
上意という証拠どころか
その内意が明確にあった証拠もない
挨拶行くのは単なる常識の範囲の話

しかも内意があったのであれば
浅野がそれを阻むの自体がアウト

180 :人間七七四年:2023/02/15(水) 10:46:45.60 ID:qyj+EiLb.net
秀吉の政治的姿勢は曖昧だけど少なくとも秀吉は佐竹を重要視していない。もし重要視してたら上意で佐竹上洛を命令するだろう。上洛命令を無視したら討伐なり改易なりする。それをしないで内意で命令してるのは佐竹がどうしようと構わんということ。それよりも重要視してたのは長政と三成の立場だったのかもしれない。

181 :人間七七四年:2023/02/15(水) 10:51:58.88 ID:qyj+EiLb.net
>>179
挨拶程度なら宇都宮の闕所が終わった後行くのが道理。秀吉にもその旨伝えて上洛スケジュールを組めば良いだけ。急ぐ必要は何も無い。それを急げ急げと言っている。つまり挨拶ではなくこの登城は釈明でしかも秀吉の命令だったことになる。これに遅れると佐竹にとって不都合な事が起きる、つまり改易になる。
これは上意じゃない。だから妨害された場合相手の責任は問えない。全てはそれを防げなかった三成と妨害に遭った佐竹が悪い事になる。浅野は宇都宮闕所の検使で佐竹はこれの関係者だから正当性は幾らでも作れるからね。

182 :人間七七四年:2023/02/15(水) 10:57:24.59 ID:5ktOYlew.net
だから内意で命令の根拠はなに?
そして秀吉の内意に浅野が背ける根拠なに?
正式のお役目である浅野の検視に
協力しちゃいけない根拠なに?

全部たった一つの書状の行間を
あなたが妄想で膨らませてるだけだよ

183 :人間七七四年:2023/02/15(水) 15:37:39.57 ID:JLtkkKxV.net
晩年の秀吉って宇喜多、毛利、上杉、佐竹、島津とかに内紛の火種をばらまきまくってるな
秀吉が死んでみんな爆発した感じ

184 :人間七七四年:2023/02/15(水) 16:56:37.25 ID:WNNTIlKw.net
秀吉の姿勢は不自然だけど考えられる理由はふたつ。ひとつは浅野長政と石田三成どちらかを優遇出来なかった。長政は宇都宮・那須衆・佐竹が改易相当と秀吉に上奏して秀吉はこれを認めてる。罪状はわからんけどそれなりに理は通ってた。でも佐竹取次の三成が佐竹の弁護をした。ここで三成の弁護を聞き入れて佐竹無罪、もしくは釈明の機会を公儀として与えたら長政のメンツが潰れる。改易を断行したら三成のメンツが潰れる。両方立てたかったら佐竹に非公式で上洛を命じて流れに任せるしかない。

185 :人間七七四年:2023/02/15(水) 17:27:31.58 ID:ht8/xHO8.net
>>184
なんか上洛の意味がわかってなさそう
面白そうやから上洛させる意味を聞いてみたい

186 :人間七七四年:2023/02/15(水) 18:01:57.56 ID:qyj+EiLb.net
>>182
そんなん常識で判断してくれとしか。もし佐竹の改易が完全に撤回されたなら急に上洛する理由が無い。しかもそれが検使の邪魔になるなら尚のことね。三成通じて問題無い時期にお礼に参上すると予定を組めば良い(こうした場合至急参上しないといけない慣習法があったなら別だけど)それを強行してるということは秀吉から命令が出ていたことを意味してる。しかしそれは公儀としての命令じゃなかったから三成は長政に佐竹上洛を伝えられなかった。伝えたら妨害されるからだろう。
故に長政は佐竹の上洛を妨げる権利がある。だって上意じゃないから。秀吉が公にしてない以上この内意は長政の捜査権を制約しない。だから三成は「検使とかち合うな」と言ってる。長政が佐竹の上洛を阻む事が出来ないならそもそも検使団への配慮は不要だからね。公儀として上洛を命令してない以上、長政が佐竹に何らかの捜査をする事を阻めない。

187 :人間七七四年:2023/02/15(水) 19:03:02.33 ID:wxV9fD+y.net
>>186
本当に当該書状読んだか?
「我等身上なとへも上様より仰出之義も御座候、治少被入御念被仰分候間、身上相続候て満足仕候」
もう処分なしって決まってるんですけど?
その上で、義重さんが速やかに上洛してねって石田から言われてます、神に誓って嘘じゃないですなんて書き添えてる

理由は「遥に無御登候間」
何年も上洛してないから一刻も早く上洛して仁義切ってと三成は勧めてると読めると思うが

かち合いについても大事なのは「弾正方に上洛を知られないように」という三成の内意であって、これはまあ情報戦の一種みたいなものだろ、出し抜きのような

なんにせよ読みもせずに妄想に妄想を積み上げても出てくるのは産廃だよ

188 :人間七七四年:2023/02/15(水) 19:09:08.23 ID:wxV9fD+y.net
>>184
「我等身上なとへも上様より仰出之義も御座候、治少被入御念被仰分候間、身上相続候て満足仕候」
現代語訳してもらっていいかな?

189 :人間七七四年:2023/02/15(水) 19:36:23.03 ID:5ktOYlew.net
>>186
あなたのそれは常識じゃなく先入観でしかないよ
まさにあなたのいう通り上意で言い出された改易が
撤回されたならそこまで急ぐ必要もなければ
浅野に会っても堂々としてればいい

なのに急ぎの上洛が必要な上に
コソコソ逃げ隠れしなきゃいけない
と言ってる石田の言いようはおかしい
矛盾してる

その矛盾を解決するためにあなたは
さらにおかしな状況を想定してる
書簡に書かれてもいない条件があっただの
浅野が躍起になって秀吉の意向を無視してでも
改易に持ち込もうとしてるだの

石田は間違ってない、おかしなことも言わない
という先入観からよりおかしな陰謀論を展開する
本末転倒だよ
石田は政敵の浅野を出し抜くために
自分に都合のいいことを言ってる
と考えても筋は通るのにその可能性は無視する

190 :人間七七四年:2023/02/15(水) 19:41:30.57 ID:IGOd10D0.net
三成贔屓といううより司馬信者っぽい

191 :人間七七四年:2023/02/15(水) 21:31:29.23 ID:5MwZuaTs.net
これだけ骨折りしてもらってるにも拘わらず
西軍に兵だすでもなく江戸を衝くわけでもなく東軍側領地を脅かすような動きすらできないのが佐竹さん

192 :人間七七四年:2023/02/15(水) 22:36:34.61 ID:KEeX8Ngn.net
>>191
常陸から兵出すってどこに出すのよ
宇都宮に結城秀康と2万の兵がいるのに

徳川領に出すとしても54万石ではせいぜい矢作にちょっかい出せる程度だと思う
江戸なんて絶対無理

193 :人間七七四年:2023/02/15(水) 22:38:24.87 ID:KEeX8Ngn.net
というか、岐阜城陥落の時点でほぼ西軍は詰んでるんだけど、岐阜城陥落情報は上杉や
佐竹にはいつ届いたんだろうか?

そのあたりの書状が確認できないんだけど、知ってる人います?

194 :人間七七四年:2023/02/16(木) 08:29:44.17 ID:8jltu5yS.net
義宣書状でも明らかだが三成と長政クッソ仲悪いからな。
佐竹は改易回避の為に至急上洛して釈明しないといけないのに三成はこれを浅野に伝えてない。会わないんだから伝えなくてもええやんなんてアスペ思考の筈も無い。
そもそも佐竹が改易になったこと自体が長政の策動の結果でその理由は佐竹と宇都宮が血族だったから、なんて話の筈もない。佐竹も宇都宮も三成と仲良しって考えればこっちが理由だろうさ。三成は義宣に「宇都宮領から荷物を通すなよ」って言ってるがこれも本来は検使が言うべき事じゃないか?

195 :人間七七四年:2023/02/16(木) 09:20:57.48 ID:kTCF/vlZ.net
違うよ

三成は派閥抗争の相手と接触されたら
都合悪いからあうなといってるんよ

赦免されてるのならそれを堂々示して
上洛すりゃいいのにその点隠してる
正式の検使に会うとまずいとしたら
赦免はまだで微妙な立場なのに
俺の口利きで赦免させたと嘘ついてる

いずれにしろ佐竹を助けるのは
自分の派閥に取り込むためで
口利きしたのは事実でも
自分に都合よくコントロールもしてる

なので失脚した時点で見限られるのは普通
義宣は西軍よりだったというのが事実なら
若い彼はあっさり手玉に取られたけど
老練な義重や家中はわかってたということ

196 :人間七七四年:2023/02/16(木) 09:32:43.51 ID:deSDUey1.net
傍目からだと考察じゃなく妄想の類になってて何の話をしてるかわからなくなる

197 :人間七七四年:2023/02/16(木) 10:50:33.90 ID:Nlj6nJ/Y.net
景勝は伏見城が落ちたことまでは知っていた可能性はあるけど岐阜城が落ちて西軍が詰みかけてることは知らなかった。
今のところ確認出来る景勝の認識が書かれた最後の書状は八月二十五日の宇喜多ら宛書状だけどここには西軍との連携は家康が動いたら我々も出ます程度の事しか書いてない。しかも結局景勝は動かなかった。

198 :人間七七四年:2023/02/16(木) 10:51:54.56 ID:BePJpdMP.net
史学関係は妄想癖の人間が一定数いるからね

199 :人間七七四年:2023/02/16(木) 12:13:24.59 ID:0YZ5pE9B.net
当人は一次資料から考察してるつもりがその実当事者の内面を勝手に断定する妄想ごっこになってるのはよくある話
このスレで三成が佐竹がと言い続けてるのはその典型

200 :人間七七四年:2023/02/16(木) 13:00:23.34 ID:sa/4+BL6.net
ゴミみたいな妄想はもうお腹いっぱいだわ

201 :人間七七四年:2023/02/16(木) 13:20:50.81 ID:8jltu5yS.net
そら三成が浅野の検使に気を遣ったとかいう妄想は酷いもんだからな。そんな珍説小説ですら見た事ないけど最近の流行りなのか?今のところ宇都宮崩れについては梯弘人氏の説がそのまま信じられてるか若しくは正体不明で触られてないかどっちかだろう。長政と三成は完全に敵対関係なのに気を遣う道理が無い。一次史料にも無いし二次史料にも無い。清廉潔白なアスペのバカな石田三成ってのは面白いけどそれだけだな

202 :人間七七四年:2023/02/16(木) 16:20:26.27 ID:wVbbiQWy.net
三成が西軍決起と無関係だったという証拠にもされるが三成は上杉とも佐竹とも真田とも連携とれてない。佐竹も真田も三成に書状を送ってから通信始まったらしく事前の共謀は出来なかったようだ。故に西軍の情報を通信する事も出来なかった。そりゃ徳川に囲まれてたらね。事前の準備無しには道は作れん。

203 :人間七七四年:2023/02/16(木) 19:27:27.21 ID:ieMJ+QiO.net
>>194
上でも既に指摘されてるけど「じしょうごねんをいれられおおせわけられそうろうあいだ、
しんじょうあいつづきそうらいてまんぞくつかまつりそうろう」を完全に無視してるのが凄いよね

単に史料読めなくて理解できないのか、自分の主張(妄想)ありきでわざと無視してるのか知らんけど

204 :人間七七四年:2023/02/16(木) 20:21:19.20 ID:0EemJ1gS.net
>>201
史料を語らないでもらえるか?
「我等身上なとへも上様より仰出之義も御座候、治少被入御念被仰分候間、身上相続候て満足仕候」
語りたいなら、はよ現代語訳して
一部は上の人が「よみくだし」wしてくれたんだからいけるでしょ

佐竹についてはお咎めなしが決定して満足している
もうここまでは確定
浅野避けについては両者の確執をうかがわせる記述、それ以上でも以下でもない
宇都宮改易の理由は不明(当該書状じゃ「御不奉公」だったかな)

はい、もうこの件は解散です

205 :人間七七四年:2023/02/16(木) 20:50:36.89 ID:0EemJ1gS.net
まあここは学問の場じゃないから妄想もいいけど、書いてあることを読めないんじゃどうしようもない

妄想としてあの書状を語るなら、義宣の焦りがすごい
神に誓って嘘じゃねーから、三成の勧め通りに一刻も早く上洛して!、今後のことは京都であなたに下知を得ますから(父に上洛強制)
荷止めについてもくどくど書いている(これについては佐竹義昭娘の財産だか遺産絡みと想定したが、違うかもね)

もう処分なしと決まってるのにこれ
それだけ秀吉が怖かったし、気まぐれだったんだろう
一言でいえば理不尽

206 :人間七七四年:2023/02/17(金) 02:33:35.94 ID:OP9FePek.net
>>202
露見したら一大事だから書状が残ってないだけ、ということはないのかな?
真田に宛てた三成書状に確か21日に使者が〜とあるから
使者の交換くらいはしてたんじゃ?

207 :人間七七四年:2023/02/17(金) 05:53:52.49 ID:1dzgDgIF.net
全国の協力を得られないと成功しないのは
石田だけでなく西軍全体がそうなんで
それを蜂起後に呼びかけてるのは
三成の参加が遅かった証拠とはならんでしょ

三成だけが書状や使者を送れるわけではないので
もっと早くから乱を準備してた首謀者が別にいるなら
もっと早くに呼びかけてるはず

それ自体がないので単に西軍蜂起自体が
内府の留守に突然持ち上がった計画
ってだけじゃないかな

208 :人間七七四年:2023/02/17(金) 10:21:42.32 ID:OP9FePek.net
関ヶ原は徳川VS豊臣でも、徳川VS石田でもない、といわれるけど
「言経卿記」に「9月26日に家康は大坂城に入城して「豊臣秀頼と」和睦した」
とあるから、わかる人にはわかってたんじゃないの?

徳川の天下簒奪であると

209 :人間七七四年:2023/02/17(金) 10:45:09.36 ID:8tbPgQZ3.net
なんでそれで天下簒奪になんの
外部からは豊臣家と徳川が敵対したように見えたという1つの例でしかない
またもしお望み通り敵対したのであればその結果勝利した家康は豊臣家を煮ようが焼こうが自儘にできることになる
なにしろ敵対したのだからもう君臣でも何でもない

210 :人間七七四年:2023/02/17(金) 10:50:03.01 ID:TnLDosK6.net
そら上方では豊臣が徳川追放した戦だと認識されてたからね
喧嘩売った挙句負けた、と

211 :人間七七四年:2023/02/17(金) 11:02:33.40 ID:ZAjOliBt.net
家康悪くないもん君延々とスレ伸ばし続けてたんだなw

212 :人間七七四年:2023/02/17(金) 12:08:31.28 ID:CWq2vyKu.net
>>206
確かに関ヶ原関係の書状はねつ造の疑惑が絶えないところではあるが、まず真田だけど七月三十日付三成書状で三成自身が挙兵を伝えなかった事を謝罪してるからまず事前連絡が無かった事がわかってる。昌幸は三成が西軍に参加していると聞いて慌てて西軍に合流してそれから三成に書状を送った。おそらくは三成が挙兵計画してる事を教えられなかったことを詰ったんだろう。ただ、この時の昌幸の行動が後に西軍を崩壊させてるんだが。

213 :人間七七四年:2023/02/17(金) 12:26:41.39 ID:681TjQ8k.net
>>210
豊臣が騒乱の巨大さに対して立場を鮮明にしなかったからな
そのせいで天下人としての威信を失い徳川が独立し他の大名たちも離れることになった
今川氏真が家康を積極支援せず独立させたのと同じ
朝廷が官位問題などで豊臣から心が離れてたのもまずかった

214 :人間七七四年:2023/02/17(金) 16:01:57.17 ID:ivT5phlH.net
>>210
西軍のプロパガンダはそれなりに成功してた
軍事行動も政治的駆け引きも失敗したが

まあ公家は突然兵隊に囲まれて
生殺与奪握られてるわけで
あえて違う見解を示しゃしないわな

215 :人間七七四年:2023/02/17(金) 19:43:18.28 ID:j6tBAE5A.net
秀頼のWikipedia

関ヶ原では秀頼の親衛隊である七手組の一部が西軍に参加したが、東西両軍とも「秀頼公のため」の戦いを大義としており、戦後に秀頼は家康を忠義者として労った。

この忠義者として労った、という部分の出展が分からない
少なくとも大日本史料を読むかぎりでは和睦して「会見した」と書いてある史料しかない

216 :人間七七四年:2023/02/17(金) 23:06:02.02 ID:TnLDosK6.net
>>204
梯弘人の論文にも書いてあるがそこの部分は「我々の身上(領土)にも上様(秀吉)から改易との仰せがありましたが、三成が入念に説得してくれたので、身上は相続となって満足です」
その後に「三成の内儀として、すぐに上洛しないといけませんが浅野長政の検使が来ているのでこれに会わないよう遥かに避けてください。早く上洛しないといけません」と続いてる。
読めばわかるが佐竹が置かれてる状況はかなりマズい。秀吉は佐竹を無罪にしたのではなく三成の取りなしで改易を撤回しただけ。完全に無罪なら検使が来てるこの時期に上洛を強行する理由が無いから秀吉は「佐竹義重が釈明に来るなら許す」といった条件を付けていたことになる。取りなしは成功してるから取り敢えず即改易は無くなってるが釈明が遅れると首がコロッと落ちる。

217 :人間七七四年:2023/02/18(土) 00:09:30.81 ID:rhnw1XKu.net
>>208
仮に秀吉時代に三成が秀吉の許可もなく勝手に家康に戦を仕掛けて
挙句に大惨敗して豊臣軍に回復不能な大損害を与えたとしたら
秀吉の面目は丸潰れされたことになる
そうなると三成や小西は改易の上で処刑確定となり
秀吉も三成が勝手にやったと逃げるわけにもいかないので和睦という形で納めるしかない

三成は秀頼が幼いことからなめて勝手な行動をしたが
豊臣家としては当主が秀吉でも秀頼でも変わらない対応をしただけと言える

218 :人間七七四年:2023/02/18(土) 09:43:08.23 ID:F2Uj/hm+.net
関ヶ原時点の公儀としては西軍の方が正当性はある。豊臣奉行と大老が多数参加して改易権も行使して豊臣軍まで動員してる。豊臣が西軍の指導者なのは明らかで否定は出来なかった。だから西軍が負けたら大人しく徳川に処罰されるべきだった。その方が大坂の陣みたいな死に恥は晒さずに済んだかもしれない。強い者の道具だと露見した以上誰が豊臣に従うだろうか。

219 :人間七七四年:2023/02/18(土) 10:54:13.07 ID:Ki3q78z7.net
西軍に正当性があり多数決で決まるなら拉致や脅迫で大名を参加させる必要がなく、上杉征伐軍からも多数の落伍者が出てる

220 :人間七七四年:2023/02/18(土) 10:59:15.59 ID:Ki3q78z7.net
西軍は豊臣本家が無力なのを見抜いて武力とプロパガンダで正当性を叫んで蜂起しただけ
今のプーチンロシアがロシア人保護を叫んで武力侵攻したのと同じ

221 :人間七七四年:2023/02/18(土) 11:51:42.11 ID:IcvYSmaX.net
西軍決起を首謀・主導していた毛利輝元はおそらく徳川家康をナメていて強敵とぶつかるって事が理解出来てなかったらしい。輝元にとってこの決起の目的は大坂と豊臣を押さえて惣無事令の名の下に毛利の権益を奪い返すことだった。言ってみれば公儀による惣無事令の否定。秀吉が作り上げた体制をその子供に破壊させた訳でまぁ中々なタマだ。

222 :人間七七四年:2023/02/18(土) 12:38:59.10 ID:qil2o+sE.net
250万石近い59才の内大臣を舐めるのか
テルは相当なバカだな

223 :人間七七四年:2023/02/18(土) 12:49:24.37 ID:IcvYSmaX.net
そりゃ言っちゃ悪いが所詮偉大な先代の威光以外取り柄が無かった男だからね輝元。打倒徳川叫んでおいて西国に兵を送ったらなんて思われるかわからなかったのよ。

224 :人間七七四年:2023/02/18(土) 13:07:29.23 ID:MBcD21hA.net
実際関ヶ原での一番の悪は輝元なんだよな
本来家康や秀秋なんて目じゃないくらい非難されて然るべきなのに
家康が後々豊臣を滅ぼしたって結果だけから遡及して免罪されてしまってる
司馬遼太郎も「関ヶ原」書くにあたって薄々気づいてたんだろうが
家康と秀秋を悪役にするため無能だが無類のお人好しなんて実像と全く違うキャラに捏造した

225 :人間七七四年:2023/02/18(土) 13:12:38.67 ID:rEoJixpS.net
そもそも家康と奉行が対等な存在ではないんだよな
奉行に豊臣の意思を代弁する資格はないとまではいわないけど
議決権が家康に10あるとしたら奉行はせいぜい1ってところだろう

226 :人間七七四年:2023/02/18(土) 13:49:09.63 ID:BaOo0dkE.net
>>203
相変わらずズレたこと言ってるね。誰もそんなところ問題にすらしてないよ?
問題になってるのは「佐竹が秀吉に許されたなら何故三成は検使が来てる時期に上洛を急ぐよう言ったのか?」ってことね。この答えは一つで佐竹は許されてなんかいない。執行が延期されてるだけ。もし無罪放免なら検使が終わる頃を見計らって上洛すればいい。そしてこれは三成一人の考えじゃ無い。一人でこんな事実行しても裏目に出るだけなので秀吉の命令なのは明らか。だから三成も義宣も早く速く上洛をとなってる。

227 :人間七七四年:2023/02/18(土) 14:14:38.29 ID:BaOo0dkE.net
こうした事態を招いたのは秀吉の態度に依る。秀吉は長政の進言を聞き入れたその一方で三成の取りなしを聞き入れて佐竹の改易を条件付で撤回してしかし上意で召し出しはしないという曖昧な態度をとってる。ただこれは秀吉の人事歴を見りゃ不思議じゃ無い。どうも秀吉には「対立する両者を競わせ、成功した方を採用する」っていう性癖があったらしい。新発田重家や文禄の役でも同じようなことをしてる。だから対立は重症化する。和戦両用といえば聞こえは良いが要は二股でトップがやるのはリスキー。それがそのまま豊臣家全体の家訓になったとすれば関ヶ原もあんな対応になるんだろう。

228 :人間七七四年:2023/02/18(土) 14:33:01.01 ID:K/gy+0VG.net
>>227
御託は読んでないがとりあえず
「我等身上なとへも上様より仰出之義も御座候、治少被入御念被仰分候間、身上相続候て満足仕候」
を訳してもらえますか?
なんでいっつも逃げるのよ

229 :人間七七四年:2023/02/18(土) 16:17:08.29 ID:jHPw7Jfq.net
>>226
ズレてるアホに言われたくないなあ
お前が一人で問題になってると思い込んでるだけで草
梯弘人氏の論文読んだけど秀吉が許してないなんてどこにも書いてないよね
お前が屁理屈こねて秀吉は撤回しただけであって無罪にしたわけじゃないとお得意の妄想で言ってるだけ

まるで内儀を秀吉の命令の如くとらえてるようだけどあくまで「治少御内儀にて候」だぞ
筆者も内々の指示・指導という形で三成は佐竹に関与していたと言ってるだろ
お前の都合よく改変するな、当該論文の筆者に失礼

230 :人間七七四年:2023/02/18(土) 19:23:04.19 ID:AdMfKp5m.net
>>226
許されたからゆっくり上洛するって考え方がよくわからない
普通は許す許されないに関わらず上洛するなら早いほうが心証も良いから早く上洛しろって単純な話だろ

231 :人間七七四年:2023/02/18(土) 20:13:16.63 ID:xT6ajbLA.net
>>226
そうであるなら所領の相続が許されたという
三成の言いようは嘘そのものだな

232 :人間七七四年:2023/02/18(土) 20:45:00.90 ID:BaOo0dkE.net
>>231
嘘では無いよ。「有無を言わさず改易」が「釈明にくれば無罪」になってる。「無罪だが釈明にこい」に変えてるだけ。これで釈明に行ったのに改易されたら三成の能力が問題視されたろうが実際は義重が上洛して釈明したから助かった。
問題なのは上洛を急かされてる事で三成がなんでここまで事を急がせてるのかはかなり重要。秀吉への取りなしが成功してたら急ぐ必要は皆無だからね。

233 :人間七七四年:2023/02/18(土) 20:46:57.22 ID:xT6ajbLA.net
>>232
相続が許されてないじゃん
釈明しないと許されないんでしょ?

日本語大丈夫か?

234 :人間七七四年:2023/02/18(土) 20:50:56.79 ID:BaOo0dkE.net
>>233
「上洛して釈明すれば許される」んだから許されてはいるぞ。しっかり考えて?宇都宮はそれすら許されなかった事を考えればかなりの温情だとわかる。ただしこれは秀吉からの上意では無い。上意で召し出したなら期限が切られるし浅野長政も妨害出来ない。それが無いので三成も焦ってる。これは完全に秀吉の機嫌次第で仮に長政が「佐竹謀反」と伝えたらまた改易、って可能性もある。秀吉からすりゃ、佐竹なんてその程度の存在でしかない。

235 :人間七七四年:2023/02/18(土) 21:00:17.62 ID:BaOo0dkE.net
>>230
状況を再確認すると、まず宇都宮国綱は改易。浅野長政が検使団を派遣している。そして三成は検使に会わないよう遥かに避けて上洛しろと言ってる。また、浅野長政に佐竹上洛を伝えていないとも書いてる。
検使団とトラブル起こしたく無いなら上洛日程を後ろ倒しにすれば良い。宇都宮改易が終わった後に上洛すれば何の問題も無く上洛できる。これについて三成が秀吉に入念に説明すれば良いだけ(秀吉がこれで嫌な顔するなら裏がある)また、それでも急ぎたいなら浅野長政に佐竹の上洛について伝えればよい。長政とて秀吉が無罪にした相手が謝意で上洛すると知ってしまえば何も出来なかろう。
ところが三成はこれらを一切行わずに義重を上洛させた。つまるところ佐竹の上洛は至急必要でしかも長政に知られるとマズかったことになる。謀反と報告されると思っていたのだろうさ。

236 :人間七七四年:2023/02/18(土) 21:03:01.96 ID:lX/CmseU.net
一次史料で考察してるつもりが妄想ごっこになってると上で言ってた人がいたけどまさにその通りだな

237 :人間七七四年:2023/02/18(土) 21:03:12.48 ID:Ki3q78z7.net
>>234
それは「上洛して釈明しない限り許されてはいない」ということだな

238 :人間七七四年:2023/02/18(土) 21:31:52.91 ID:Z19bYOUa.net
>>234
あなた日本語おかしいよ

「◯◯したら許される」なら
「◯◯するまで許されてない」
三成があなた並みに日本語下手でないなら
嘘ついてると判定せざる得ない

239 :人間七七四年:2023/02/19(日) 00:01:36.07 ID:EQPKcUnE.net
>>215
七手組が参加したのが秀頼からの指示ならともかく、
そうでないなら他の大名と同じく単なる個々人の判断だろ。
諸大名だって、七手組と同じく秀頼直属なんだし、
七手組が参加してるだけで重要視する意味がわからん。

240 :人間七七四年:2023/02/19(日) 00:07:32.45 ID:EQPKcUnE.net
七将襲撃事件って、三成の屋敷を包囲したっていうより、
豊臣公儀の政庁が置かれていた伏見城を包囲して
三成の公職追放を、筆頭大老で伏見の責任者である家康に
強訴した、「御所巻き」なんじゃないか?
室町幕府的にはよくあった事態だし、陰謀云々いうほどの
問題じゃないと思う。

241 :人間七七四年:2023/02/19(日) 00:22:08.13 ID:mGa8cxrh.net
>>239
諸大名を秀頼直属扱いしてるのに違和感大
七手組と諸大名が同類な訳がない

>>240
正確には三成襲撃未遂なのでどこまで意図を図るかは知らんけど少なくとも伏見城包囲とか有り得ないやろ

242 :人間七七四年:2023/02/19(日) 09:13:42.07 ID:Nzq3F3Ta.net
豊臣政権を担うはずだった奉行衆が武力蜂起する時点で豊臣家の権威は失墜して何でもありの状態
七手組が勝手な判断で奉行衆に合流することはありうる
豊臣譜代といっても豊臣家は実質秀吉一代限りだし譜代意識がどこまであるやら

243 :人間七七四年:2023/02/19(日) 09:38:35.07 ID:NRjS23RD.net
当時の訴訟としては敵、もしくは担当者を武力で囲んで判決を強要することもあった。公儀の法じゃないから下手すりゃ死人が出る。足利義輝が死んだのもこれだったとか言われてるから割と危険で三成が逃走したのもわからんでもない。

244 :人間七七四年:2023/02/19(日) 09:43:42.51 ID:hCJt9o98.net
>>239
そこだよね

正式な動員令とみなされるものがあったなら
全軍が西軍に参加していないとおかしい
そうなると戦後仕置きで豊臣旗本が
残らないくらいになっちゃうがそうはならない

245 :人間七七四年:2023/02/19(日) 10:13:31.74 ID:65PEn6xC.net
>>234
自分でも何言ってるか分かってなさそう

246 :人間七七四年:2023/02/19(日) 13:25:03.75 ID:KIgOcuEE.net
>>241
重要なのは豊臣家が諸大名だけでなく直属の七手組さえコントロール不可能な状況にまで落ちぶれたこと
奉行どころか七手組まで謀反に加わったことで豊臣政権は崩壊した

247 :人間七七四年:2023/02/19(日) 14:10:19.98 ID:zvQ1+pti.net
豊臣弓鉄炮組から秀頼馬廻衆まで西軍の支配下だからもう豊臣は戦国大名としては終わってる。

248 :人間七七四年:2023/02/19(日) 17:26:28.48 ID:GORFuA4C.net
>>237
それでも改易よりはマシなんだよなぁ

249 :人間七七四年:2023/02/19(日) 18:52:36.03 ID:M0kctBW3.net
>>247
わずか満7歳のガキにそれはかわいそうだ
秀吉が悪い
古くからの家臣といえば黒田や浅野がまだあの当時はいた
こいつらをもっと傍に置いて柱石にしてたら良かったのに、それをせずに
秀次まで抹殺した秀吉の責任

250 :人間七七四年:2023/02/19(日) 19:14:49.52 ID:60cJ0Ifd.net
豊臣秀吉が朝鮮に派兵した15万の大軍を日ノ本に温存させておけば、
徳川家康なんて怖くないし、脅威と思えば、即、徳川家康を蝦夷地や青ヶ島に追放処分することもできる。豊臣秀次、豊臣秀長、前田利家、小早川隆景、立花宗茂、加藤清正、真田昌幸、といった人物たちも、長生きできる可能性がある。

251 :人間七七四年:2023/02/19(日) 19:22:30.58 ID:M0kctBW3.net
>>250
秀長はさすがに無理だろ
朝鮮の前に死んだんだし
そもそも秀長がいたなら家康ではなく秀長が
筆頭大老というか秀頼の後見人だし

252 :人間七七四年:2023/02/19(日) 19:30:19.47 ID:60cJ0Ifd.net
結局は朝鮮に派兵したことが豊臣家に不運が舞い込んだってことだな。
15万の大軍で徳川家康討伐軍でも編成すればよかったのに。
一気に打ち倒せるだろう。
石田三成の頭脳があれば、将来、徳川家康が脅威になることは見抜いていただろうに


253 :人間七七四年:2023/02/19(日) 19:34:28.42 ID:Nzq3F3Ta.net
>>252
唐入りは秀吉の肝いりで絶対優先命令

>石田三成の頭脳があれば、将来、徳川家康が脅威になることは見抜いていただろうに
三成は秀吉の犬
秀吉晩年は秀吉を見限って毛利や他の奉行衆と徒党を組んだようだが

254 :人間七七四年:2023/02/19(日) 21:15:29.75 ID:f071/v9c.net
>>252
石田三成の頭脳?

岐阜城に対する対応と1600年9月12日付で増田長盛に宛てた書状で
三成がどれだけ馬鹿かよくわかるだろ

9月12日の書状で三成は恵瓊や正家に刈田をしようというが両名は聞いてくれないと
言ってる、と愚痴こぼしてる
でも、大柿にいた西軍がどこで刈田やるんだ?
大柿は西軍伊藤盛正の所領だし、近江はほとんど西軍
美濃でやるにしても垂井にまで東軍が来てるのにできるわけない
つまり三成は馬鹿ってこと

しょせん、三成は秀吉の手足として働くなら有能だけど、自分では何にもできない
官僚にすぎない

255 :人間七七四年:2023/02/19(日) 23:05:40.55 ID:DNRxc5yQ.net
三成の戦略も妙だが西軍の戦略もかなり奇妙。垂井まで取られてるから輸送路がかなり厳しい訳でこれで近江からの搬送ってのは余り現実的じゃないような気がする。三成の意見としては刈田で兵糧を大量に確保して大垣自体の生命力を増やそうとしたんじゃないか?仮に補給が乏しい中で更に補給路を潰されたら美濃方面軍は全滅じゃないか。

256 :人間七七四年:2023/02/19(日) 23:27:36.42 ID:hCJt9o98.net
三成としては味方の領土だとか
そもそも公儀の軍が天下治めるとか
もうなりふり構ってられないから
焦土作戦に出ようとしてるんかな

でもって流石にそれはできないって
他の諸将は反対してもうジリ貧なので
戦後の身の振り方を考えてたと

257 :人間七七四年:2023/02/19(日) 23:44:58.00 ID:K1dg+omL.net
苅田といってもせいぜい手持ちぶたさな時に数日分程の食糧確保と相手方への嫌がらせの効果ぐらいしかない
美濃あたりの一部を焦土作戦とか頭は大丈夫か?ってレベルの話

258 :人間七七四年:2023/02/20(月) 00:18:04.82 ID:3AMtax3p.net
東軍は朝鮮で疲弊していない東国大名の割合が多いことに加えて
豊臣家からの兵糧と軍資金があったので大丈夫だが
西軍は朝鮮で疲弊した西国大名の割合が東軍よりも多いうえに
豊臣家からの兵糧と軍資金がないので
既に西軍は自分で自分を維持できる状態ではなかった
金も食糧もなければ戦は継続できないし士気も保てない

259 :人間七七四年:2023/02/20(月) 07:00:02.62 ID:SysuR2C0.net
武士のトップってのはまず戦場で苦楽を共にしてさらに勝利し、子分共の土地を保証し、働きに応じて新しい土地を与えるところから始まる
共に戦って勝利した家康と戦場にすら出て来なかった秀頼じゃもうその時点でな

260 :人間七七四年:2023/02/20(月) 09:43:52.29 ID:qRplZDxV.net
だから秀次がいればって話になる
秀吉も家康を暫定天下人にするくらいなら太閤の権威ではっきり秀次を秀頼成人までの関白とし
秀頼が成人したら関白を譲るよう厳命すればよかったのに
それで内乱が起こったとしてもあくまで豊臣一族同士の争いなんだから豊臣の政権が続く目はまだあった

261 :人間七七四年:2023/02/20(月) 10:08:34.93 ID:8KieD39V.net
大坂城の資材は全部西軍が使ってたんじゃ?余裕はあっただろう

262 :人間七七四年:2023/02/20(月) 12:42:58.73 ID:0+lDea2U.net
豊臣家奉行が参加してるんだから大坂城の金も米も武器も全部西軍が押収してるんじゃないか?それを輝元が着服してたのかもしらんが

263 :人間七七四年:2023/02/20(月) 14:12:38.99 ID:GHiG7+JS.net
【ナマポ】 在日受給者の方が、ホームレスより多い
://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/okiraku/1612919788/l50
sssp://o.5ch.net/20jmu.png

264 :人間七七四年:2023/02/20(月) 16:56:08.86 ID:+VQpedE4.net
決戦関ヶ原2
江戸城の戦いが起こっていればなあ

265 :人間七七四年:2023/02/20(月) 19:08:06.11 ID:de+tLXyJ.net
上杉と伊達の連合軍が徳川を攻撃したらおもしろかったのに。

266 :人間七七四年:2023/02/20(月) 19:31:33.83 ID:RTd9Xh6Q.net
「豊臣」本体と周辺がどう考えていたかの史料がほぼない

ということで参考に
ttps://clioimg.hi.u-tokyo.ac.jp/viewer/view/idata/850/8500/02/1202/0126?m=all&s=0122&n=20
藩翰譜の小出秀政の記事
秀政は尾張中村出身で妻は大政所の妹
秀頼もり役を任され、要地岸和田を領していた人物
豊臣姓も許されていたらしい

事実部分でいえば会津征伐には病のため次男秀家を派遣
三成らが蜂起すると、西軍として丹後攻めに長男吉政を出すが、秀家の働きで関ヶ原後に本領安堵

エピソードでは、秀政は片桐とともに秀吉の死の床に呼ばれ、おれ唐入りで恨まれたから死んだら秀頼危ないよお
家康に任せれば家だけは続くだろから、軽挙妄動を許すなと遺言された
ところがさっそく秀吉死後には家康をなきものにする動きがあり、秀政は「力及はて」岸和田に病を称してこもる
丹後攻めも仕方なく従軍させた

このエピソードを信じるかはともかく、豊臣家本体や家政の中心人物はもう傍観してるしかなかった雰囲気は本当だったんじゃないかね

267 :人間七七四年:2023/02/20(月) 19:34:37.51 ID:vQ84YAsj.net
>>141
浅野の子飼いだった堀田正吉とかが家康に情報流してたりしてな
子供は親の功績?でスピード出世したし。

268 :人間七七四年:2023/02/20(月) 20:10:53.06 ID:wr1o+Xty.net
というか浅野長政が家康と連携するのは当たり前じゃね
梯氏の論文だと当たり前のように家康対策と言われているけど
浅野家と与力の配置を見るに家康と協力して東国に睨みを利かせる配置だと思う

269 :人間七七四年:2023/02/20(月) 22:01:52.73 ID:kwZf838Q.net
わからんけど両方の意図があっても矛盾は無いかと。家康が豊臣と仲良くやっていくなら長政もそれを手伝う。家康が刃向かうなら前線として戦う。長政が秀吉より家康を主人と思う事さえ無ければ何の問題も無いシステム。
ただ多分これが三成と長政の命運分けたっぽいんだよなぁ。長政はこうした関係上家康と親しかったけど三成は信幸発本多忠勝経由で家康と通信してた可能性があるみたいだし。

270 :人間七七四年:2023/02/20(月) 22:22:14.19 ID:wr1o+Xty.net
家康と敵対するなら甲斐の浅野と与力衆は家康に分断された形になるわけで
浅野を上野あたりに配置するとか信濃の大名を与力にするとかじゃないと

271 :人間七七四年:2023/02/20(月) 22:29:36.77 ID:sToRaCCm.net
>>269
どうだろうな
確かに信幸宛三成書状に忠勝が登場するものが二通あり、一通は信幸に忠勝宛の書状を届けるよう頼んだもの
もう一通は忠勝からの返書を見たので、もし何か忠勝からお尋ねが
あればすぐに返事することを信幸から伝えてくれというもの

内容は全く不明だし忠勝を通して家康と通信してた可能性もあるが、これだけじゃ何とも言えんね

272 :人間七七四年:2023/02/21(火) 05:26:55.67 ID:CCSJXgPD.net
ぬるぽ

273 :人間七七四年:2023/02/21(火) 05:28:13.30 ID:POjaQONB.net
ガッ

274 :人間七七四年:2023/02/21(火) 05:36:01.10 ID:CCSJXgPD.net
赤穂事件って吉良が大悪党という前提がないと
仇討ではなくただのテロなんだよな
殿中で浅野に斬り付けられ、翌年には武装した家臣たちに襲撃され討ち取られるとか・・・
幕閣内でも主君への忠義に感心して助命するか、
野盗同然の行いとして厳罰に処するかで大揉めになった

>>265
政宗は秀次切腹事件で秀吉から謀反への関与を疑われ、
伊予への減転封を命じられそうになったからな
そら必然的に徳川に近付くしかなくなるわけで

275 :人間七七四年:2023/02/21(火) 05:38:28.40 ID:CCSJXgPD.net
直江状とは

276 :人間七七四年:2023/02/21(火) 09:26:39.54 ID:gYXeNMsS.net
福島って改易されていたんだ

277 :人間七七四年:2023/02/21(火) 09:56:27.36 ID:cjxwA1Wb.net
>>275
後世の創作

278 :人間七七四年:2023/02/21(火) 10:19:39.81 ID:gYXeNMsS.net
>>277
決戦関ヶ原2

279 :人間七七四年:2023/02/21(火) 11:47:12.86 ID:plE3Rp2X.net
>>275
直江兼続って雑魚なのになんであんなに過大評価されてるの?
関ヶ原なんか特に酷い
25000の大軍で最上領に攻め込んで、わずか7000、しかも最上本隊とは
戦ってないから恐らくその半数以下の最上軍相手に大苦戦して
山形どころか長谷堂すら抜けない糞雑魚なのに

もし会津征伐やられてたら、上杉の大敗は明らかだっただろうな

280 :人間七七四年:2023/02/21(火) 11:58:18.37 ID:0XSuJ/w0.net
佐竹上杉伊達最上で江戸城攻略だ

281 :人間七七四年:2023/02/21(火) 12:20:26.29 ID:84EnK+op.net
ゲーム脳

282 :人間七七四年:2023/02/21(火) 13:17:42.87 ID:gYXeNMsS.net
>>281
関ヶ原2見ていないのですか

283 :人間七七四年:2023/02/21(火) 18:23:06.84 ID:pApB2VfS.net
>>280
誰が総大将になるわけ?

284 :人間七七四年:2023/02/21(火) 18:53:51.02 ID:hSJDQ6od.net
徳川家康の加賀討伐のとき、前田利長が望むところだなんて勢いで真田昌幸と組んで受けて立てば、どうなっていたかな。徳川家康の関八州と前田利長の加賀の
中継拠点に信州上田がありそうなんですよ。
例えば、前田家の兵力を真田家に貸して、真田昌幸が1万人の兵力を指揮したら、
徳川軍も大損害だろうか。

285 :人間七七四年:2023/02/21(火) 19:21:29.58 ID:c/hIJ5Qt.net
>>284
無関係の武将に1万人も兵力貸すわけねーだろ
というか真田が強いとか小説の話

286 :人間七七四年:2023/02/21(火) 19:24:57.51 ID:EXEA7qQ/.net
>>284
関ヶ原のもしもスレが残ってる

もし関ヶ原の戦いで西軍が勝っていたら・・・ [転載禁止](c)2ch.net
https://kizuna.5ch.net/test/read.cgi/sengoku/1426434880/

もし関ヶ原の戦いが長引いたらどうなっていた? [無断転載禁止]©2ch.net
https://kizuna.5ch.net/test/read.cgi/sengoku/1477646216/

もしも関ヶ原で家康が西軍に寝返ったら
https://kizuna.5ch.net/test/read.cgi/sengoku/1327407932/

もしも、関ヶ原で東軍が勝っていたら
https://kizuna.5ch.net/test/read.cgi/sengoku/1524431239/

287 :人間七七四年:2023/02/21(火) 19:35:24.52 ID:gYXeNMsS.net
>>283
上杉だろうが

野戦にもっていかれ
伊達政宗壊滅

288 :人間七七四年:2023/02/21(火) 19:46:02.75 ID:4Gg208Id.net
真田家と前田家が関係してたという話は聞かないから、その点は非現実的でした。真田家と関係していた家柄は、武田家、上杉家、北条家、徳川家、本多家、豊臣家、大谷家、石田家、伊達家、くらいしか思いつきませんね。

真田家は村上義清を破り、上杉謙信の白井城を落とし、沼田城では、北条の大軍を
4度退け、上田城では徳川の軍勢を2度退け、大坂の陣では冬の陣で勝っていたから、強いと信じたいです。

289 :人間七七四年:2023/02/21(火) 19:48:11.68 ID:c/hIJ5Qt.net
>>287
最上の先手すら抜けない上杉が伊達に勝つって何の冗談?

290 :人間七七四年:2023/02/21(火) 20:02:03.51 ID:kg/xQ40m.net
この時代になったら戦よりも根回し、切り崩しの方が大事

291 :人間七七四年:2023/02/21(火) 21:05:58.72 ID:c/hIJ5Qt.net
>>261
9月12日の書状知らないのか
あの書状で三成は長盛に「私は金を使い果たした
だから大坂にある金を使って助けてくれ」
なんて言ってるんだぞ

長盛はそれに応じなかったみたいだが

292 :人間七七四年:2023/02/21(火) 23:40:22.75 ID:dWw34/Pz.net
兵の強さ=士気の部分が大きいと思うが状況的に上杉の兵はやる気があると思えん

293 :人間七七四年:2023/02/22(水) 00:33:22.23 ID:UW654Fwl.net
>>291
それこそ大坂城の資材が西軍に使われてた証拠って事だよね?増田長盛が自分のカネを大坂城に持ち込んでいたとは思えんし。

294 :人間七七四年:2023/02/22(水) 01:40:40.10 ID:e08xrMbY.net
>>279
そりゃ歴史はその有り様を
明らかにする学問であると同時に
民集の娯楽だからだよ

だから創作もいくらでもあるし
その面白さが娯楽として支持を集める

295 :人間七七四年:2023/02/22(水) 01:44:41.35 ID:e08xrMbY.net
>>284
その段階で真田昌幸が信州で呼応しても
単に田舎で挙兵しただけで体制に何の影響もない

上方に常駐してる家康も本領の関東も
脅かすような戦力は持ってない

単に格好撃破されて終わり
だからこそ前田家は臣従の道を選んだ

296 :人間七七四年:2023/02/22(水) 09:23:12.41 ID:bU90Fyig.net
>>292
最上の士気が高すぎた
東軍勝利の情報で

297 :人間七七四年:2023/02/22(水) 09:29:50.14 ID:bU90Fyig.net
秀忠 真田上野に進軍
東軍先方 清洲に集結

東北連合軍 上杉佐竹伊達最上 宇都宮城を落とし江戸城に進軍

298 :人間七七四年:2023/02/22(水) 09:31:42.14 ID:bU90Fyig.net
家康は野戦に持ち込み伊達上杉と勝利
東北連合軍崩壊
家康軍3分の1に減る

299 :人間七七四年:2023/02/22(水) 09:32:47.27 ID:bU90Fyig.net
秀忠は江戸城攻めらているので急遽戻るが遅かった

300 :人間七七四年:2023/02/22(水) 09:40:58.01 ID:bU90Fyig.net
東軍先方岐阜城攻め
織田秀信は籠城

石田小西島津と対峙
鍋島長宗我部毛利安国寺長束 美濃に着陣(伊勢長島は江戸城攻めを聞きあっさり開城)

301 :人間七七四年:2023/02/22(水) 12:14:39.65 ID:2Z5MZaw3.net
三成もせめて重家が東軍に参加していたらもう少しやりようあったろうけどな

302 :人間七七四年:2023/02/22(水) 12:52:52.19 ID:bU90Fyig.net
岐阜城に援軍着陣し東軍動けず
金森 古田 竹中 筒井 稲葉 亀井 別所 三好
とどんどん西軍につく
一番の驚きは秀忠から上野を守り抜いた真田昌幸が大垣城に現れた

303 :人間七七四年:2023/02/22(水) 12:56:34.83 ID:bU90Fyig.net
木曽川を挟んで東軍先方と西軍のにらみ合い
家康は悩む
秀忠と合流したので出陣するべきか と

304 :人間七七四年:2023/02/22(水) 13:52:15.41 ID:caQaQfx1.net
なろう小説って出来がよかったのかと勘違いするレベルの妄想

305 :人間七七四年:2023/02/22(水) 14:12:11.46 ID:6n9MuONa.net
石田方西軍は東軍全体を一気に相手にするのではなく、
各隊を一隊づつおびき寄せ、各個包囲殲滅する戦法を編み出したほうがいいかもしれない。
まずは、東軍福島正則隊6000人を挑発しておびき出し、西軍宇喜多秀家隊17000千人で包囲殲滅する。
次は、東軍細川忠興隊5000人を攻撃目標にして、西軍石田三成隊7000人と西軍小西行長隊4000人で協力して、
夜の闇に紛れるか早朝の霧に紛れてもよいから、奇襲をかけて撃滅する。
東軍2隊が殲滅されたら、さすがに東軍内部でも動揺は走るだろうから、残るは
西軍島津義弘隊1500人と西軍大谷吉継隊1500人で東軍黒田長政隊5000人に攻撃目標を絞って、
まずは罠をかける。落とし穴、まきびし、鉄砲、弓矢、投石、伏兵、兵糧買い占め、などあらゆる戦術を駆使して、損害を負わせる。
怒った東軍黒田長政隊5000人は、わざと姿を現した西軍島津義弘隊1500人と西軍大谷吉継隊1500人に襲い掛かる。
だがこれは西軍の罠で、2隊が500人ずつ出して計1000人の別動隊が黒田長政隊の側面まで迂回して、
一気に突撃をかけ攻撃する。福島、細川、黒田の3隊が壊滅すれば、東軍は瓦解する。

306 :人間七七四年:2023/02/22(水) 14:13:51.27 ID:sDV3U7Ap.net
へー

307 :人間七七四年:2023/02/22(水) 17:43:58.75 ID:UW654Fwl.net
実際には西軍は美濃を軽視して西国から伊勢、北国に主力を割いて東軍の一点突破を許して負けた訳なんだけど、輝元がどうしてこの可能性を考えなかったのかはまるでわからん。
三成は美濃にあつめてくれって頼んでたらしいけど

308 :人間七七四年:2023/02/22(水) 17:59:14.81 ID:5tvS19uw.net
家康が孤立するという見立ては三成の書状からも窺えるので
三成に戦略眼があったというわけではなかろう
三成は濃尾方面の担当だから自分の手元に兵力を欲しがっただけではないかと
そうなれば調略もやりやすくなるわけだから

309 :人間七七四年:2023/02/22(水) 18:44:54.33 ID:5/jousEo.net
佐和山あたりで軍監でもしとけば勝てたかもな

310 :人間七七四年:2023/02/22(水) 19:00:28.01 ID:bU90Fyig.net
>>305
これははじめて聞いたパターン

311 :人間七七四年:2023/02/22(水) 20:13:59.43 ID:e08xrMbY.net
昔の光栄のゲームでそんなんあったなw

偽計とかそんな感じの知力必要なコマンドで
自分は一歩下がって元いた場所に
隣接する敵武将の部隊を引き込める
味方に囲まれた場所に引き込んで
一斉攻撃するのが有効みたいな

信長じゃなく三国志だったかも

312 :人間七七四年:2023/02/23(木) 01:02:58.38 ID:wnlvXS9C.net
>>307
輝元の目的は、東西両軍がにらみ合ってる間に毛利家の領地を増やして、
戦後の発言力を増やすことなんだから、そりゃ西国には戦力を送るだろ。
で、大坂周辺に東軍を残したまま美濃に戦力集中して大坂を攻められたら
元も子もないから、そりゃ周辺の東軍をすりつぶそうとするだろ。
関ヶ原の一日で決着がつくなんて誰も思わず、応仁の乱レベルの対立が
年単位で続くと思ってるんだから、計算が狂って当たり前。
上杉も伊達もみんな計算が狂ってる。

313 :人間七七四年:2023/02/23(木) 07:33:08.80 ID:S/8vqjOR.net
>>312
三成の催促に応じず大阪城から出なかったのは
出馬で西軍がすぐに勝ってしまうと見たからだろう

314 :人間七七四年:2023/02/23(木) 11:49:53.55 ID:wnlvXS9C.net
>>313
いや、その時期には四国でも九州でも負けて、広島本国が危なくなってるから、
もう幕引きに入ってる。
どうやって他人に責任を押し付けるか、考えてるところ。
東軍と戦うわけがない。

315 :人間七七四年:2023/02/23(木) 13:45:02.61 ID:BeyWshCX.net
>>314
なんの根拠もない空想

9月15日付け宍戸宛輝元書状
「美濃口之儀、是又丈夫申付、勝手案中候条、吉左右追々可申聞候、其方角之儀手強心遣肝要候也」

美濃方面は丈夫に申し付けて思い通りにいっているので、いい報告がおいおい届くでしょう
国許もよろしくね

ちなみに大津、田辺の開城を報じた書状ね
関ヶ原当日まで輝元は美濃方面は安泰で勝つと思ってたようですが

316 :人間七七四年:2023/02/23(木) 14:02:54.55 ID:wVAPTrly.net
西軍の首脳連中は豊臣の威光を振りかざした自分たちに日本中の大名がひれ伏すという
脳内がお花畑の世界に浸っているからな
妄想世界の中では美濃方面は安泰で勝つと思うだろうね

317 :人間七七四年:2023/02/23(木) 14:03:17.68 ID:oB4qEKzB.net
って言いながら和睦しようとしてるんだからほんと酷い

318 :人間七七四年:2023/02/23(木) 15:06:58.42 ID:zUTWn0pW.net
そもそも、大名諸侯が関ヶ原の戦いで東軍・西軍に分かれたのも、先の朝鮮派兵で疲れており、
豊臣家に対するなにかしかの反感が心底にあったのではとも思う。
そこを見越して、先ずは疲れを癒させることが先決だろう。
となれば、時が経過するのを待つしかない。
西暦1620年になるまで一切動かずに我慢して、
それから毛利家、宇喜多家、上杉家、前田家、の4大老と石田家、浅野家、増田家、長束家、前田家、の5奉行で
徳川討伐令を出しても遅くはないかもしれない。
1620年になれば、疲れも癒えて、豊臣家に尽くそうという意欲もわいてくるだろう。

319 :人間七七四年:2023/02/23(木) 15:10:35.14 ID:h1/5qZpm.net
坊や、ここは歴史難民板じゃないんだよ

320 :人間七七四年:2023/02/23(木) 15:18:48.79 ID:zUTWn0pW.net
ごめん。実は古文書や書状の崩し字も読めないし、この時代のことが書かれた本も読んでないから、詳しいことはわからないんだけど、ただ、石田三成は挙兵が早すぎたとしか思えない。朝鮮派兵で疲れているのに、今度はカリスマ性がない石田三成が味方に付けと誘ってくる。これじゃ大名諸侯も頭にくるだろうと思う。
これを解決するには時間の経過しかないと思う。

321 :人間七七四年:2023/02/23(木) 20:21:31.21 ID:F5ElgN7Q.net
>>314
一番早い輝元の撤兵命令は9月18日で本戦後のこと
15日以前にそう言った具体的な指示でも出てるならまだしもそんなことはない

9月18日付佐波広忠・椋梨景良等(阿波方面軍)宛毛利輝元書状
「先手之儀和平ニ相調、当手之人数悉無事ニ中途迄打入候、
然時者其元之儀不入事候間、早々此面可罷上候、其段阿州江も申入候」

先手の事は和平が調い、当手(南宮山)の軍勢は無事に途中まで退却した
なのでそちらの事(阿波占領)は不要となったので、早々に上方へ移動するように
この件は蜂須賀家政へも申し入れた

322 :人間七七四年:2023/02/23(木) 20:33:31.54 ID:7LWR8vjW.net
>>315
9月12日付石田三成書状で赤坂や垂井にまで東軍が
進出していたことを輝元は知らなかったのか?

323 :人間七七四年:2023/02/23(木) 20:34:59.66 ID:7LWR8vjW.net
>>321
9月14日に吉川広家、福原広俊が人質を差し出した時点で
毛利と徳川は和睦したんじゃないのか?

324 :人間七七四年:2023/02/23(木) 21:04:52.09 ID:BeyWshCX.net
>>322
ttps://clioimg.hi.u-tokyo.ac.jp/viewer/view/idata/T38/1600/17-7-3/37/0004?m=all&s=0004

上記はあくまで増田宛だからなあ
14日には大坂に届いたとして、どうなんかね
どっちにしろ輝元は楽観してた様子は先の書状で分かる

>>323
これは先手が勝手にやったことで、広家は釈明の長文書状をのちに出しているよ
14日夜に取り交わした密約を大坂の輝元が知るよしはこの時代にはない

325 :人間七七四年:2023/02/23(木) 21:25:55.84 ID:80wkKrmn.net
東軍が赤坂・垂井を占領したのは八月二十四、二十五日。関ヶ原は九月十四日夜からだから分かってない筈がないんだけどね。
ただ八月二十九日保科正光書状によると大垣城を包囲して付け城を普請して仕寄せてたら大垣城からの飛脚を捕らえ、内容は輝元への救援要請…って出来事があったらしく、もしかしたら輝元は大ピンチとは知っていたが具体的な脅威は何一つ分からんかった可能性はあるかも

326 :人間七七四年:2023/02/23(木) 21:56:25.72 ID:F5ElgN7Q.net
>>323
324の人が言ってる通り和睦の件は広家が9月17日に自ら認めたとされる
吉川広家自筆書状案(吉川家文書913号)にその顛末が述べられてる

簡単に言うと、本来なら輝元の確認を取った上で話を進めるべきだったが
時間もなく急を要すること故に吉川・福原両人で進めたと広家は釈明してる

9月19日付福原広俊宛毛利輝元書状
「拵之儀、廣家・御方才覚を以相調候段祝着候、悴家之つゝき此事候」
輝元も和睦の件は吉川・福原両人の才覚によるもので家が続いたなんて言ってるがね

正式にと言うなら9月22日付の輝元本人が提出した起請文三通(福島正則・黒田長政宛、井伊直政・本多忠勝宛、
池田輝政・井伊直政・本多忠勝宛)を以て正式な和睦ってことになるだろうな

327 :人間七七四年:2023/02/23(木) 21:57:03.91 ID:79VyKnyw.net
>>325
29日の保科書状はあれ正確性は大丈夫かな
西軍が2万とかおかしい記述があるし
いくら何でも西軍が2万は少なすぎる
保科本人がそれをおかしいと考えなかったのかと思いたくなる

328 :人間七七四年:2023/02/23(木) 22:16:47.15 ID:80wkKrmn.net
兵数に関しては正確な数を知る事が不可能な以上仕方が無い。
例えば九月十二日祖式宛吉川広家書状では「美濃の東軍は三万人、西軍はそれよりも多い」と書いてる。東西両方とも相手の正確な数を把握しかねてたんだろう。

329 :人間七七四年:2023/02/23(木) 22:20:02.15 ID:F5ElgN7Q.net
>>327
保科御事歴に所収されてる書状写だな
8月29日付の保科正光書状は二通ありいずれも家臣宛
この時保科は浜松城で在番していた

この書状に関して疑義を呈している研究者は聞いたことないな
白峰氏も著書で普通に引用してたよ
兵数に関しては結構ブレがあるんでその一点だけで偽書扱いするのは難しいと思う

330 :人間七七四年:2023/02/24(金) 06:40:36.65 ID:Y1AAI9u/.net
>>329
あの書状って確か毛利輝元が仮に後詰に来ても
多分破れるでしょうって書いていたよな
浜松にいた保科にそこまで言われてるんだから、
西軍最早末期的だよな

331 :人間七七四年:2023/02/24(金) 07:02:57.83 ID:iR39OY8v.net
東軍の圧倒的優位は間違いないけど輝元がどう認識してたかは別問題で、戦況を誤認していた、認識してたけど言えなかった、等々色んな可能性がある

332 :人間七七四年:2023/02/24(金) 07:35:38.14 ID:2RICY5yv.net
あえて逆に考えると東軍は諸大名を結集した状態から西軍決起を知り速やかに軍事行動に移せる強みがあったんだよな
西軍の思惑とすれば東軍が西上してこないほうが良いのに物事は反対方向で進んでいる
まぁ上杉征伐がそれなりに突発的で西軍決起がそれに乗っかる形だったから仕方がないかもしれんけど

333 :人間七七四年:2023/02/24(金) 10:27:24.77 ID:5YC5Rjuk.net
徳川対策を優先せず兵を伊勢四国九州に振った挙句割と長期戦になって兵を動かせなくなった。後、東軍は西軍の戦略を真田昌幸のおかげで知ってたらしく情報戦でも後手後手。

334 :人間七七四年:2023/02/24(金) 23:10:06.53 ID:+nwBX3j6.net
>>330
正確にはそういう言い方はしてないな
保科は後詰自体が難しいのではという見立てをしてる

・「御味方之人数着到七万之積御座候間、大形之事ニ而ハ後詰ハ難叶かと存候」
味方の軍勢の着到は目算で七万にはなるので、大方は後詰も難しいだろう

・「内府様御着馬ニ候ハんかと存候、内府様御馬さへ清須へ着候者、後詰之儀も存知寄間敷候」
後詰が来る前に家康は着馬するだろう
家康が清須まで来てしまえば敵も後詰は考えないだろう

335 :人間七七四年:2023/02/25(土) 05:07:04.82 ID:0xzXsN8l.net
>>333
真田昌幸のおかげ?
何言ってんだお前?

西軍の動きは佐々正孝書状でバレてたはずだが

336 :人間七七四年:2023/02/25(土) 07:04:22.26 ID:itbLqPYr.net
佐々の書状は東軍の認識していた情報が書いてあるだけで佐々がそれらを集めたって話じゃ無いんじゃないか?日付も遅いし。むしろ真田昌幸のミスの方が大きい。昌幸は真田一家全員の意思を確認せず全員西軍に与すると思い込んでいた。
その結果真田信幸が徳川に味方した事を掴めなかった。三成は七月晦日と八月五日に信幸にも書状を送ってるから東軍の情報源はこっちだろうって話がある。表裏比興の者も息子に裏切られるとは思ってなかったらしい。

337 :人間七七四年:2023/02/25(土) 10:04:41.67 ID:0xzXsN8l.net
>>334
というか輝元やはりバカだよな
四国に兵力向けて、東に向ける兵力が足りないんだから
四国なんか家康をどうにかしたらいつでも料理できるんだから
まずは美濃方面に傾注したらいいのに

338 :人間七七四年:2023/02/25(土) 11:47:49.78 ID:ONz1mgf8.net
輝元は余裕無くなって長宗我部に盛親飛び越えて命令してるから割と酷い。そんなんだから毛利は天下を狙うなって言われるんだぞ

339 :人間七七四年:2023/02/25(土) 13:45:52.05 ID:q8V5WkHQ.net
元就も元春も隆景も広家も秀吉も皆がアホだと思ってた毛利輝元とかいう男

340 :人間七七四年:2023/02/25(土) 18:11:36.47 ID:USwYpS+G.net
東軍は西軍の戦略を完全に掴んでいて結構強気だからね。岐阜城攻略戦の最中でも「あり得ないけどもし輝元が後詰にきたら押さえの兵を置いて大垣を落とします」とかかなりイケイケどんどんだったみたいだし。

341 :人間七七四年:2023/02/25(土) 19:16:14.37 ID:2CkEDPSt.net
>>338
お前如きが上から目線で
言うことじゃない
軍を指揮したことはあるのか?

342 :人間七七四年:2023/02/25(土) 19:26:26.07 ID:GxNpl9Gs.net
>>336
昌幸は信幸が東軍についたことを知らなかったって説は聞いたことないけど誰の主張なの?
会津征伐で昌幸と信繁は途中で上田に引き返し信幸はそのまま宇都宮まで
進軍してるし、流石に信幸が東軍につくことは把握してたでしょ
犬伏の別れや天明の別れみたいなものがあったかどうかは別にして

丸島氏は昌幸は敢えて信幸の動静を西軍首脳へ伝達せず隠していたと言ってる
沼田(信幸所領)経由で会津への通信が可能だと示すことで真田の価値を西軍首脳
へ知らしめ、恩賞を吊り上げるための駆け引きだったのではという主張

実際真田と西軍首脳との最後の通信となった8月10日付三成書状で
「信州之儀ハ不及申、甲州迄も貴所御仕置可在之旨、輝元をはしめ各被申候事候」
と昌幸は信濃に加え甲斐を含めた二ヶ国拝領の約束を取り付けてる

343 :人間七七四年:2023/02/25(土) 19:59:23.65 ID:8TDIk9QI.net
>>318
その間、秀吉遺命を順守して論功行賞しなければ、
諸大名の心はますます豊臣から離れる。
論功行賞を本格的に行えば、その主導者の徳川に
諸大名は感謝する。
時間が味方するとすれば、秀頼が諸大名を心服させる
青年に成長することだが、あの巨体以外取り柄の無い
秀頼では見放されるだけだろ、史実通どおりに。

344 :人間七七四年:2023/02/25(土) 23:44:10.14 ID:itbLqPYr.net
>>342
丸島氏の主張はかなり厳しいと思うぞ。何故なら信幸が裏切ってる事を知っていたら昌幸は「自分だけに書状を送れ」と言ってないとおかしい。そもそも沼田が会津との通信路なんてのは明らかなんで通信が可能云々は論ずるに値しないだろうし。唯一の解答は「信幸が東軍と知られたら真田一家の価値が皆無になるから知られたくなかった」なんだろうけどだとしたら昌幸は正に大戦犯よ。自身のミスを報告出来ずに西軍の最重要機密を裏切者に渡した訳で許される事じゃない。

345 :人間七七四年:2023/02/26(日) 01:07:23.03 ID:E2ipMkGq.net
>>344
8月6日の石田書状で「信幸どうなりました、心配です」とあるんだけど
7月30日の大谷書状の宛先はすでに昌幸と信繁なんだけど
信幸の女中を大坂で「改」たりしてますけど

信濃史料は貼れないから自分で読んでみろ
読まないし読めないし誤読するから「○○じゃないとおかしい」とかいう妄想の違法建築でゴミができあがるんだよ

346 :人間七七四年:2023/02/26(日) 08:48:01.10 ID:6BJC+FTV.net
信幸は七月には徳川方についてる。これは家康からの感状があるから確か。にも関わらず石田三成は七月三十日・八月五日と書状を信幸に送り沼田越えを依頼してる。この事から昌幸は信幸の背信を知らなかったと思われている。つまり昌幸は勝手に信繁と宇都宮から引き返してしまい信幸の意思を確認出来なかった。しかしなにせ真田信幸は「三成からの手紙を家康拝領の品として取っていた」なんて逸話が信じられてるくらい三成とは親しかった。ところが信幸は即座に徳川についてしかもこれを隠していた。それで三成・昌幸経由で流れてきた情報は全部家康に渡ってたのさ。

347 :人間七七四年:2023/02/26(日) 09:44:12.47 ID:6BJC+FTV.net
つまるところこんな話になる。まず真田一家は信幸が単独征伐軍に従軍し先行、その後ろから昌幸・信繁が進んでいた。そこで石田三成が反旗を翻したという一報が入る。昌幸はこれを聞いて宇都宮で信繁と反転して帰国、上方に参加を申し込む。つまり真田一家は意思疎通をする機会が無かった。にも関わらず昌幸は自分に従順で三成とも親しい信幸なら西軍に与すると思い込んでしまった。しかし信幸はこの状況を利用して徳川のスパイとして動いた。結果、西軍の初期情報は全て徳川に筒抜けになっていた。もし昌幸が信幸を疑っていたら三成の迂闊な動きを制していたろうが。

348 :人間七七四年:2023/02/26(日) 10:01:18.33 ID:KR75e3LA.net
なんで作り話ばっかりするの?

349 :人間七七四年:2023/02/26(日) 10:11:37.28 ID:Fk+mDnBT.net
なろう小説家になりたいんだよ

350 :人間七七四年:2023/02/26(日) 10:48:52.95 ID:Ys1dJ6Ox.net
>>344
なんだやっぱりいつものお前の妄想かw
丸島氏も平山氏もそんなこと言ってないしな
昌幸からしたら利用できるものはとことん利用するのは当たり前で、一々自分だけと通信しろなんて言うわけない

8月10日付三成書状で宛名から信幸の名前が消えて
「石玄事も済候へハ能候、不済候ハヽ、是又其方ゟ可被及御行候、越後ゟ之道明候へハ、会津へ之通用共ニ自由候事」
と越後経由で会津への通信に切り替えようとしてるので、三成もここで漸く信幸の動静を知ったんだろう

通信路が明らかだから論ずるに値しないってのも意味分からん
真田の周囲は全て東軍だし上方から会津への唯一の通信路を確保できることを考えれば真田の価値は十分あるでしょ

信幸が敵対したと三成が知ってもそれなら今度は越後経由でと言ってるのは
真田が楔になってるからこそ言えることで真田の評価は下がってないよね
現に三成は信幸の動静を知り得た上で二ヶ国の恩賞を約束してるだろ

351 :人間七七四年:2023/02/26(日) 11:32:49.72 ID:Ys1dJ6Ox.net
>>345
信濃史料の長國寺殿御事蹟稿所収の8月6日付三成書状読んで気付いたけど、歴代古案所収のものと微妙に違うんだな
歴代古案の方は追而書の「追啓、豆州儀如何候哉、無心許候」はない
内容はほぼ同じなんだけど写しだから微妙に文言が違うんだろうな

7月30日付大谷書状の「伊豆殿女中改候間、去年くたり候時、
左衛門佐方へくやミ候様子まてを證跡ニ申、無別儀候」の解釈も難しいな

信繁へお悔やみを言った時の様子を証拠として話したら問題にはならなかったってのがよく分からん
信幸の妻室改めがあった際に何か問題が発生し、大谷が機転を利かせて
問題をうまく回避したってことなんだろうが意味が取りにくい
まあその辺は当事者にしか分からんことなんだろうな

352 :人間七七四年:2023/02/26(日) 12:54:46.20 ID:czI1WXN5.net
髙橋陽介氏は東軍の把握してる情報が真田宛三成書状と殆ど同じだから真田昌幸が情報源と断じていたな。昌幸も三成も親友の信幸が東軍に与するとは思ってなかったらしい。七月三十日書状では西軍の長期戦略が、八月五日書状では西軍の兵力配置が解ってるから徳川としたら垂涎の情報だったんだろ。そりゃ岐阜城に兵を直行させるよ。

353 :人間七七四年:2023/02/26(日) 13:58:09.12 ID:KsDVNKAi.net
史料読んで先入観で行間埋めて
それを絶対視しちゃう人なんだな

結局それって自分の先入観を盲信してるだけなんだが

354 :人間七七四年:2023/02/26(日) 14:12:13.88 ID:czI1WXN5.net
>>342
信幸が西軍だから「会津との交信」をネタに恩賞交渉するのなら理屈は通る。問題は信幸が東軍だとなるとこれ昌幸とんでもないマヌケになっちまう。要は詐欺だからね。しかも恩賞を貰うには西軍が勝たないといけないのに昌幸は西軍を謀った事になる。昌幸の脳味噌は何が詰まってたのか?
信幸が東軍だと知っていたら七月三十日か若しくは八月五日に三成が信幸に書状送ってるのは明らかにおかしい。それが信幸にも送られてるということは昌幸も三成も信幸が徳川に属した事は知らなかったということになる。

355 :人間七七四年:2023/02/27(月) 15:11:42.29 ID:Ev5O6AkA.net
信幸が敵だと認識してたら三成も書状送らんだろ

356 :人間七七四年:2023/02/27(月) 18:13:54.44 ID:BUqqQnx+.net
というか8月の西軍は何してたんだ?
8月20日頃には尾張に東軍の大部隊がいるんだから、普通は岐阜城を起点に木曽川の守りを
徹底的に固めるしかないはず
岐阜城はあの地形だから野戦で負けて弱体化した兵力で落とされるのは仕方ない
しかし、8月24日頃には赤坂、垂井にまで進出されているのが理解できない

8月23日に岐阜城を落とされたのは仕方ない
しかし、大垣までは長良川に揖斐川もあるんだから、そこらで守りを固めたらまだ何とか
なるのに、西軍ってそのあたり何してたんだ?

357 :人間七七四年:2023/02/27(月) 20:03:18.94 ID:2J1sQRJB.net
>>356
信濃史料読んでたのでそこから言うと
真田に石田が報じているのは、福島正則をいま調略中で、成功したら三河まで進出する
もし失敗したら伊勢方面軍と尾張に進むといっている
これは8月10日付けだったかな

三成にとって、西軍につくかつかないかの一貫した判断基準は「人質を押さえているか」
あいつは妻子が大坂にいるから偽りじゃないだろうとか、逆に越後の堀は妻子が大坂に一人もいないから従わないとか
逆に東軍から寝返るものもいるんだとして、その根拠が「江戸で人質を取られて迷惑しているから」
あまり人物評はしたくないが、(ほかの報告も含めて)いくらなんでも楽観的に過ぎるし、支離滅裂でもある

358 :人間七七四年:2023/02/27(月) 21:54:10.14 ID:wc4y44HD.net
犬伏の別れは明治時代の名将言行録が初出でいつ真田一族が集まって話し合ったかはわからない。眞田記だと昌幸は耄碌した老人として描かれていて信幸に三成が信濃・駿河を安堵したから豊臣に味方せよと命令して信幸が不利を説くと腰抜けと罵り怒り心頭に発した信幸は徳川につく。その後、徳川に降伏勧告の使者として信幸が来ると昌幸は家康を刺殺しろと叫びこの父の姿に信幸は怒りを通り過ぎて憐れみの視線を送る。新東鑑だと信幸が昌幸を謀り父親と協力すると言いつつ徳川に内通する。

359 :人間七七四年:2023/02/27(月) 22:03:32.77 ID:wc4y44HD.net
ただこれは所詮軍記物で史料上は昌幸は三成の書状が来る前に西軍に参加してるし(昌幸が西軍から参加要請受けたのが七月十七日、三成の昌幸宛書状は七月三十日が初で恩賞提示は八月五日)、信幸が東軍に参加したのは七月二十四日前なので話し合う機会があったとも思えない。八月五日に三成は信幸にも書状を送って西軍の事情を伝えてしまってるので昌幸は少なくとも八月五日まで信幸が東軍に属してる事を知らなかった事になる。気付くのが遅い。

360 :人間七七四年:2023/02/27(月) 22:34:24.88 ID:LG7vJnlk.net
>>357
福島の調略云々は8月5日付書状だな

361 :人間七七四年:2023/02/28(火) 08:35:06.59 ID:6W/sX1px.net
>>353
自己紹介か?

362 :人間七七四年:2023/02/28(火) 10:25:48.41 ID:IiUUiwj+.net
柔軟性が無く言葉のキャッチボールが出来ない人間はダメ人間てことだろ
うちのオカンも先入観だけで話をすすめて人の意見を聞かずに愚痴ばかり言ってうんざりする

363 :人間七七四年:2023/02/28(火) 14:01:14.64 ID:5Px4duea.net
岐阜城が落ちたのは三成とはそこまで関係が無い。西軍の初期戦略が間違っていた事が主要因だからね。敢えて言うなら真田昌幸の能力を高く見積り過ぎていたくらい。東軍が四万五万の兵を集めてる最中に西軍は美濃に三万弱しか置かなかった。そりゃ負けますわ。

364 :人間七七四年:2023/02/28(火) 14:07:44.91 ID:dQT/buTq.net
いや岐阜城陥落は三成の調略失敗から直結してるでしょ

365 :人間七七四年:2023/02/28(火) 14:46:32.18 ID:qb7HXLKm.net
輝元も大坂三奉行も景勝とは事前に共謀とかしてない。だから西軍は景勝を頼りにせずに戦略を決めないといかんかった。それを大垣に一万五千、援軍が宇喜多一万と島津一千ってのが酷い。この戦力で東軍約五万と戦って勝てる訳が無い。

366 :人間七七四年:2023/02/28(火) 23:36:40.42 ID:1wWncijj.net
西国大名が東国に行くのだって金がかかるし移動も疲れるんだよ
ただでさえ朝鮮出兵で金も使い果たして兵も疲弊しているうえに
東軍と違って豊臣から軍資金も兵糧も貰っていないのだから
はっきり言って関ヶ原に行くのもしんどい

だいたい地理的に近い大名が前線で戦うのが当時の兵役の基本だろ
だから朝鮮出兵だって西国大名が前線を負担して東国大名は後方支援だったのに
何で関ヶ原まで毛利や島津やらが全軍出して前線を負担しなければいけないのか?
初期戦略とか以前に兵役ルールを守って公平な負担をしろという問題だよ

367 :人間七七四年:2023/02/28(火) 23:58:02.30 ID:hZikSvV7.net
8月5日付書状にあるように福島の調略に成功してたら西軍首脳の方針も変わって
三河方面に
押し出してた可能性は考えられるし、そうなれば当然その後の展開も変わっただろう

松井康之なんかは西軍からの要求や使者に対して
「然上ハ御状共此方ニ留置不入由申候て、一通も不残なけ返し、
重而人ヲ被越候ハヽ、討捨可申由申放、使返し申候事」
と、全く聞く耳持たず断固たる決意を示している

その点福島は「只今御理申半ニ候」とあるし、無下に追い返すのではなくまだ聞く耳持っているように見える
まあ三成が実情を隠してそう言ってるだけかもしれんが
いずれにせよ結局調略は失敗に終わってるし、仮にも三成は濃尾方面を担当してたわけで無関係はないわな

368 :人間七七四年:2023/03/01(水) 08:43:13.11 ID:sljvHtVw.net
岐阜陥落は石田の責任ではない。
石田は秀信を味方に引き入れ、次は福島と交渉していたところに東軍先発隊の清洲到着。
岐阜には援軍を送り、揖斐、長良方面には石田、小西、島津を配置。
大垣・岐阜・犬山のラインで後詰到着まで耐えるプラン。
しかし秀信が渡河迎撃に出て失敗。
兵力差も大きく岐阜失陥、長良・揖斐も突破される。

岐阜失陥の原因はそもそも兵力が少なかったことと、
秀信の渡河迎撃失敗による更なる兵力減少が原因。

369 :人間七七四年:2023/03/01(水) 08:53:45.39 ID:KwJuPG16.net
結局のところ西軍の蜂起は対徳川であって
大阪の秀頼押さえたら皆従うだろうという見通し
東軍大名たちに敵対された時点でもうダメなんよ

このスレ「三成の責任じゃない」「戦犯は××」
て定型に対して反論で進むこと多いけど
流石に東軍先鋒との交渉失敗の責任回避すふために
交渉失敗のために起こった不利な戦闘のせい
とするのは筋が悪いと思うよ

三成の送った援軍自体が裏切ってて
防衛プランが機能してないというのもあるが
それ以前に結果的に東軍先鋒になった軍勢を
軍事的に打倒するように動いてたわけじゃないもの

370 :人間七七四年:2023/03/01(水) 10:42:48.08 ID:kW9whMtz.net
>>368
福島と交渉すると同時に清洲包囲

371 :人間七七四年:2023/03/01(水) 11:02:22.97 ID:LpQ0EXyz.net
正直八月五日書状にある三成の戦略も怪しいけどね。何せ八月二十二日時点では大垣に一万五千、垂井に島津一千、そして宇喜多が一万、合わせて二万六千しかない。これで清洲を攻撃してなんとかなるのか?徳川はとっくに三万五千集めてなお拡大中なんだが…

372 :人間七七四年:2023/03/01(水) 11:26:52.80 ID:kW9whMtz.net
>>371
岡崎入で清洲そう攻め
武器米せしめる

これで西軍につく大名増えるかと
金森や古田など

373 :人間七七四年:2023/03/01(水) 11:33:30.73 ID:kW9whMtz.net
奥美濃が西軍につき
前田も焦る

福島むりでも田中寝返ってくれないか

374 :人間七七四年:2023/03/01(水) 11:34:39.07 ID:kW9whMtz.net
家康以上に書状をだし
甲賀忍者総動員

375 :人間七七四年:2023/03/01(水) 17:47:45.46 ID:zQmYazdt.net
>>368
三成に責任ないは無いだろ
前線における西軍の総司令官
もっといえば美濃方面の現地司令官だろ
それが責任ないとかどうかしてる
岐阜城には石田の手勢も入っていたのに

376 :人間七七四年:2023/03/01(水) 17:49:01.24 ID:zQmYazdt.net
>>372
意味わからん
岡崎に入れてるなら清須は落ちてるだろ
地理わかってるのか?

古田って伊勢の古田か?
あれは8月の時点で伊勢に戻って毛利と交戦してるだろ
時系列理解してるのか?

377 :人間七七四年:2023/03/01(水) 17:50:24.09 ID:zQmYazdt.net
>>373
前田は焦ってるどころか余裕だったみたいだがな
8月中旬の時点で青木一矩を東軍につけていたみたいだし
8月24日付だったか忘れたけど、家康に宛てた書状では
「指示あり次第、近江に攻め入る」なんてあったみたいだし

378 :人間七七四年:2023/03/01(水) 17:52:00.75 ID:zQmYazdt.net
>>371
8月5日付の書状に福島調略に関する部分なんかあったかな?
真田に確か数国恩賞を約束する文面はあったような気がするけど……

真田に数国なら、福島を寝返らせるなら何か国必要になるんだか
西軍の調略はその初期から破綻してるとしか思えない

379 :人間七七四年:2023/03/01(水) 18:07:07.75 ID:NwR5X/cw.net
八月五日真田昌幸・信幸・信繁宛石田三成書状
「福島左太只今御理り申し半ばに候。相済むに於ては、三州表へ打ち出すべく候。もし済まざるに於ては、清須へ勢州ヘ一所に成り候て行に及ぶべく候」
福島正則は説得中です。説得に成功したら三河を攻撃します。もし説得に応じなければ清洲を攻撃します。
って内容だろうし西軍としては福島正則に調略を掛けているつもりだったみたい。これなんかの逸話に残ってたけどそれだと長束正家らが秀頼の命と清洲城を開けるよう命令したが城代は拒絶、福島正則が戻るまで耐え家康に称されたんだとか。これが「御理り申し」なら三成は聞いた話を伝えてるだけって事だが。

380 :人間七七四年:2023/03/01(水) 18:48:37.74 ID:kW9whMtz.net
>>376
東軍先方隊が岡崎に入れば清洲
そう攻めを行う
と言う書状を福島だけではなく
先方東軍全員に送るの
それでも進軍するなら
清洲そう攻め

清洲が西軍に落ちると
天びん大名増えるし
更に田中が裏切るとか

381 :人間七七四年:2023/03/01(水) 19:01:19.29 ID:cG9whBO5.net
>>379
適当なこと言うな
「御理申」でも伝聞の意味にはならんわ
伝聞なら「御理申之由候」

「御理申」は同時代の書状でもよく使われる「御理申入」や「御理申上」と同義

382 :人間七七四年:2023/03/01(水) 19:06:10.57 ID:LpQ0EXyz.net
三成が書状で何書いていてもそれが真実かはわからんのが厄介。小説みたく三成が西軍総大将なら真実だろうが実際のところ三成は小物、所詮美濃の一司令官に過ぎん。西軍首脳部が美濃を軽視してると言うわけにはいかない。特にいの一番に三成の為に参加した昌幸には。最前線に立つ彼等には「これから徳川攻めますよ」と言うしか無い。例え西軍主力が美濃に居なかったとしても。

383 :人間七七四年:2023/03/01(水) 20:05:46.91 ID:4PLRjQD+.net
慶長5年9月12日付増田長盛宛石田三成書状だけど、あれ偽書の疑いはないの?
あまりに三成が馬鹿すぎて何か逆に偽作の可能性を感じる

味方とはいえ、増田に自身の金が無いと窮状を告白
長束と恵瓊に刈田を献策したとあるところ
東軍を20日以内に破るとかほざいてるところ(敵陣二十日のうちに取り候わんとある個所)

岐阜城が落ちて赤坂や垂井まで奪われてる時点でほとんど詰んでるのに、こんなこと言ってる
三成は池沼なんじゃないのかとすら思ってしまう

384 :人間七七四年:2023/03/01(水) 20:14:15.58 ID:kW9whMtz.net
>>383
研究者がどういってるのか知らないが
文言に不審な点はないと思うけどな
個人的な感覚で申し訳ないが三成特有のくどくどしい書状だと感じる
ほかの書状でもこっちは結果を知っている立場だからかもしれないが「こいつ、大丈夫か?」って内容が多々あるから不思議ではない

385 :人間七七四年:2023/03/01(水) 20:20:52.00 ID:cG9whBO5.net
>>383
白峰氏は偽書の可能性が高いと言ってるな
内容や文言に言及して不審な点を十数箇所挙げてる

中には「はいくん」(敗軍)や広島の「宮島」は当時使用されていない文言として
挙げてるが、宮島もはいくんも他書状での使用例はあったりと無理筋な点もある

他に挙げてる「遠慮深く」とか「ちゝミたる」なんて表現は管見では見たことないし怪しい文言だと思うが

386 :人間七七四年:2023/03/01(水) 21:12:54.37 ID:NwR5X/cw.net
>>381
史料として三成が正則を説得したものが残ってないからね。
上杉との連携の為に必要な真田の説得すらしてなかった三成が敵でもある正則には粉掛けてました、ってのは疑わしいし。
多分三成は意図的に自分と西軍首脳部の動きを分けてないってだけだろう。輝元や恵瓊がどれほどお気楽能天気でも三成に正則やその他東軍諸将を落とせると思う訳も無い。徳川関係無しにバチバチやりあってたのに。

387 :人間七七四年:2023/03/01(水) 21:21:47.90 ID:kW9whMtz.net
>>385
ttps://clioimg.hi.u-tokyo.ac.jp/viewer/view/idata/T38/1600/17-7-3/37/0004?m=all&s=0004

そうなのかあ
と思ってじっくり読み返した
遠慮深くは、石田がはっきりもの申してるのに長束、安国寺は言葉少な
ちちみたるは、味方の士気をさしてる箇所だな

そこまで不審とも言えないような
「人質○さねえからなめられるんだ」とか「とりあえず人質は宮島に送ったら?」とか、とにかく人質に執着してるのは一連の三成書状と同じ傾向だ
ま、単なる印象論で申し訳ないが

388 :人間七七四年:2023/03/01(水) 21:48:36.47 ID:cG9whBO5.net
>>386
史料云々の話ではなく文法的に見て明らかに伝聞ではない
誤読なのか都合のいいように曲解してるのか知らんけど、普通に読めば伝え聞いたとは読めない

389 :人間七七四年:2023/03/01(水) 21:57:48.22 ID:cG9whBO5.net
>>387
私の言葉足らずだったかもしれないが、はいくんとか宮島の部分は当時使用されていない
文言だから不審だと指摘してるだけで、白峰氏もその部分の内容に関しては何も言及してないよ

さっきはいくんに関しては使用例があると言ったが、自分が知ってる使用例は子供宛の書状なんで
成人男性に使用する文言としては不適当だから白峰氏も不審点として挙げた可能性はあるかも
(天正9年)7月29日付子供宛吉川経家自筆書状
「かミしゆの事、やかてはいくん候するまゝ、めてたき御さう申くたすへく候」

宮島の使用例も一応挙げておく
(天正9年)5月16日付重富新五郎宛吉川経家自筆書状
「屋形様従宮嶋御下向候者、則被仰達可然候、定而御礼儀等過分たるへく候」

390 :人間七七四年:2023/03/01(水) 22:36:00.49 ID:kW9whMtz.net
>>389
変なやつとIDかぶってるけど一応別人とまずご報告

そういうことですか
そしてあなたの言及した史料
よく見つけるし、どっちも経家というのもおもしろいな
そして時期的に悲しい気分にもなる

あまりここらの研究は知らないんだが
ttps://clioimg.hi.u-tokyo.ac.jp/viewer/view/idata/T38/1600/17-6-3/8/0040?m=all&s=0040
こっちこそ捏造だと思う
先書にもってのが真田宛一連書状と食い違うし、「秀頼公」って表現がね
一貫して「秀頼様」のはず

391 :人間七七四年:2023/03/01(水) 23:01:20.43 ID:cG9whBO5.net
>>390
一目で別人と分かるなw

続武者物語に収録されてる挟撃作戦の根拠として有名な書状だね
『徳川家康文書の研究』の著者として有名な中村孝也氏がその7月14日付
三成書状と6月30日付(どちらも兼続宛)は疑わしいと同書で指摘してるな

あなたの指摘通り偽書で間違いないだろうね

392 :人間七七四年:2023/03/01(水) 23:13:49.76 ID:O8UxtC2j.net
西軍って輝元が本当に勝手に秀頼を擁したと見るべきかな

9月15日付武井宗意・宮内休意宛村上父子、宍戸連署書状だけど、「秀頼様より加藤が内府に
同心したことはけしからぬので、毛利軍を伊予に派遣した」とあるんだけど

秀頼の名前が明確に使われてるんだけど……東軍って秀頼の名を明確に使ってた書状ってあった?

393 :人間七七四年:2023/03/01(水) 23:31:44.12 ID:cG9whBO5.net
>>392
西軍はその書状に限らず秀頼や公儀という文言を使いまくってるよ

東軍だとはっきり秀頼様のためにと言ってるのは管見ではこの二通
まだあるかもしれんがね

8月24日付浅野長政宛福島正則書状
「羽三左・左京殿談合いたし、秀頼様御為よきやうニ可仕候、於様子ハ可御心安候」

9月15日付中川秀成宛加藤清正起請文
「秀頼様御幼少ニ付而、大閤様御置目をそむき、内府公へ別心仕衆有之ニ付而、
大閤様御遺言を被相立、秀頼様御奉公可被成ニ付而、無二内府公へ可有御一味之旨、為其験人質被差越候」

394 :人間七七四年:2023/03/01(水) 23:41:56.49 ID:kW9whMtz.net
>>391
やっぱりそうだよなあ
あなたほど史料に準じてだったり研究に依拠して指摘することは私にゃできないが、匂うもんは匂う

まあ論文じゃない趣味板だから許してね

395 :人間七七四年:2023/03/02(木) 08:17:04.37 ID:ESjyxyd4.net
>>383
三成の言ってる事は従来の「関ヶ原」を念頭に置くと意味不明だけど史料に基づいて考えれば実は結構理に適ってる。
まず苅田云々は大垣城の絶望的状況から出てる。東軍は八月二十五日までに垂井まで進出してる。つまり大垣城は完全に包囲されつつありしかも街道を押さえられてあるから兵站が切れてた。だから大垣城は糧食がかなり乏しくなっていた。
それで三成は「苅田をして食糧をかき集めよう」と言ったけど正家らは近江から運ぶことにした。一見正家らが正しいように見えるけどもし兵站を完全に切られたら大垣は死ぬ。ってみると三成が言うように苅田してでも集めておく方が正しい。

396 :人間七七四年:2023/03/02(木) 09:51:22.25 ID:dfBEQtox.net
>>380
どんだけ西軍に都合のいい理屈なんだw

>>392
奉行が協力してるのは明らかだし
三成とも以前からツーカーでしょうよ

397 :人間七七四年:2023/03/02(木) 10:48:20.31 ID:rLu74OkV.net
詳しくないんで聞くんだけど
苅田って実際に稲穂を刈るわけ?

ただいきなり稲穂刈っても乾燥させて脱穀しないと食えないと思うんだけど
兵糧調達としての苅田ってのは比喩表現で、
近くの集落から備蓄米を徴発することを「苅田」って言ってるのかね

398 :人間七七四年:2023/03/02(木) 19:27:49.54 ID:7KRPJVk9.net
青田刈りの方がわかりやすいかもしれないが、実る前の稲を刈り取って相手に負担を強いる策

399 :人間七七四年:2023/03/02(木) 19:57:57.38 ID:lAuRxAUj.net
三成が人質を云々言うのは仕方ない。西軍は大坂城押さえて諸将の人質を制圧したわけだけどこれが何の役にも立ってない。西から徳川に転んだ奴は山程いるが東から西に転んだ奴は殆どいない。これじゃなんの為の人質かわからん。

ま、輝元は西国の人質をどう使うかに腐心していただけなんだけどさ。

400 :人間七七四年:2023/03/02(木) 20:05:47.89 ID:rLu74OkV.net
>>398
それは知ってる
田んぼを守れない領主を百姓が見限るから、籠城方を野戦に引きずり出すのに使うやつ

でも、美濃で青田刈りされても東軍痛くも痒くもなくない?
三成が領民からヘイト買うだけのような気がするんだけど

北条氏政の麦飯の話じゃないけど三成本気で籾食えると思ってないよな

401 :人間七七四年:2023/03/02(木) 20:13:50.50 ID:7KRPJVk9.net
>>400
私見だが後方に京大坂を抱えている西軍は補給が容易だと判断したんではないかと
清州城に兵糧が集積されているといっても、一時期九鬼嘉隆が東海道沿岸を荒らし回っていたりしていたので関東方面からの海路も万全ではなかったなど

なので苅田は青田刈りだと判断している、敵前で食料確保は考えづらい

402 :人間七七四年:2023/03/02(木) 20:16:41.97 ID:zEo3o+Fy.net
実質人質だが諸大名の妻子らの安全を担保するには西軍側で管理する必要もあったと言える
人質はあくまでも抑止力の以上も以下も無いから人質で言う事をきかせるのは考えられない
あと推察やけど両陣営とも政治的な立ち位置の違いはあるけれど殺しあいというより試合的な感じでもあったとも思う

403 :人間七七四年:2023/03/02(木) 20:37:20.47 ID:lAuRxAUj.net
戦国時代に敵前で食糧確保は例が無い訳じゃ無い。例えば朝鮮出兵では朝鮮で稲刈りつまり苅田をしたと記録(吉見家朝鮮陣日記)がある。これらが「戦国時代の兵站は現地調達が基本」論を生んだ。既に垂井まで取られた緊急事態、有能奉行の石田三成をしてかなり過激な手法を主張したんだろ。そりゃかなり危険な賭けだが仮に東軍が大垣と佐和山を繋ぐ線を潰したら大垣は落ちるんだから仕方ない。

404 :人間七七四年:2023/03/02(木) 21:06:35.91 ID:TVpssgld.net
旧暦の8月下旬なら早めではあるが
収穫期に入ってはいるよね
脱穀、籾摺りは自前でやる前提じゃないかね

405 :人間七七四年:2023/03/02(木) 21:18:26.74 ID:b3sk/lVo.net
>>392
>秀頼様より加藤が内府に同心したことはけしからぬので、

こんなものが臆面もなく書状に書かれるあたり
西軍ひいては豊臣というのがいかに異常な体制なのかが分かる
豊臣には法治主義という発想が欠片もなく完全な人治主義に突っ切っているんだよね
だから秀頼がけしからんと言った、が立派な大義名分になるという感覚が支配している
これなら法を整備して表向きでも手続きを通そうとする徳川の方がまだマシだよ
そこらへんが家康が勝利して三成たちが負けた根本的な理由なんだろう

406 :人間七七四年:2023/03/02(木) 21:47:38.01 ID:9NJJZGVt.net
多分三成としてはまず第一に大垣の兵糧確保、第二に万が一大垣が落ちても東軍が即座に進撃出来ないようにとの苅田、正家・恵瓊はそれは余りに苛烈なので近江からの運搬、って感じなんだろう。なんというか正家と恵瓊は人道的だがかなり中途半端な気がする。大垣は今西軍が押さえてはいるが負けたら東軍の手に落ちる。戦線縮小を考えるなら大垣周辺の米は刈り取っておくに限るし決戦志向なら尚の事。有利な立場なら正家の意見が正解だけど

407 :人間七七四年:2023/03/02(木) 23:34:38.52 ID:Ab1thjTH.net
少しは史料を読まんのかねえ
ttps://clioimg.hi.u-tokyo.ac.jp/viewer/view/idata/T38/1600/17-7-3/37/0006?m=all&s=0004&n=20
自軍の優位をひたすら人質だといっていた三成は会戦直前には「敵方之妻子五三人も成敗候はは、心中替可申」とまで逼迫しとるぞ

408 :人間七七四年:2023/03/03(金) 07:53:22.85 ID:HHKkuKPG.net
豊臣家に出してる人質を握ってるから大丈夫って…豊臣家を蔑ろにするの甚だしいな。
先の、真田昌幸の二国所領保証だって誰の指示で出してるのか。

自分たちは、豊臣家と一体であると西軍は考えていたのかもしれないけど。

409 :人間七七四年:2023/03/03(金) 08:14:15.10 ID:RqHbwN5+.net
そこだけ切り取ると完璧悪のテロリストだなw
ただ状況的にはなかなか謎な思考だね

合理的に考えたら人質で要求できるのは
人質より小さな対価だけ
すでに勝敗に家全体の存亡がかかってるので
人質で味方に付けられる状況は超えている

むしろ人質殺された大名家は確実敵に回るし
敵愾心を煽ってわざわざ敵の士気をあげるだけ
ってなる可能性さえある

410 :人間七七四年:2023/03/03(金) 08:14:25.61 ID:8YSSH+x2.net
実際逃げた妻子がいることからも西軍の統制下におかれることが何を意味するのかの認識はあったはずで
保護するためだったなんてのは西軍に都合いい解釈でしかないな

411 :人間七七四年:2023/03/03(金) 08:42:47.50 ID:eijMDnu9.net
西軍=豊臣公儀なんだから西軍に刃向かった大名の人質が処刑されるのはある程度正当性はある。豊臣家の崩壊とセットではあるんだけど(自家への人質を他人に私されたとなれば豊臣の人望は地に堕ちる)三成の言っている事も正しい。人質を殺せないとなると徳川はつけあがるし味方の士気も下がる。裏切りの連鎖が起こる可能性も否定できん。しかして輝元は人質を自分の都合の良いように使おうとしたからダメだった。

412 :人間七七四年:2023/03/03(金) 09:08:35.55 ID:mNQvIIv4.net
そりゃ妻子にしてみれば敵地よりも早く自領に戻りたいし西軍側からすれば放っておくのも色々と問題があるから保護せざるを得ないって話
たとえ人質を返す気があっても状況的に難しいのは事実でしょ

413 :人間七七四年:2023/03/03(金) 09:38:04.42 ID:Ppq4Bauj.net
たしか大垣城内で脱穀してる絵かなんかがあったような気がしたが。

てか文脈から苅田すればいくらでもある、って言ってるんだから食糧用の苅田でしょ、今回の件については。

414 :人間七七四年:2023/03/03(金) 09:52:00.01 ID:AGULdWMc.net
十二日の増田長盛宛書状で三成が一番気にしてるのは西軍の士気。毛利軍含めて士気が最低だったんだとか。実際この時まで兵力的には互角な訳で西軍の方から打って出てせめて垂井・赤坂を奪取しても良さそうなのに一切動けぬまま東軍に先手打たれて負けた。西軍は何を考えてたのか。大垣城を攻められる前提の戦略だったにしてもさ。

415 :人間七七四年:2023/03/03(金) 12:29:08.53 ID:2thnzr4Q.net
実際のところ9月入ってからは混乱してたんでしょ

元々指揮系統の曖昧な寄り合い所帯だけど
少数派の東軍攻めて勝ってるうちは
威勢よく進軍できた

けど東軍先鋒という大軍勢が相手になって
兵力が互角ということは攻勢出ても
勝てるかわからないってことで
相手には同規模以上の増援がくる
と考えたらそうそう動けないよ

416 :人間七七四年:2023/03/03(金) 12:57:55.12 ID:4AQaZSrT.net
>>414
そうか?
あの書状に宇喜多秀家(備前中納言)に関する記述があるけど
宇喜多秀家は士気が高いとか書いてなかったか?

417 :人間七七四年:2023/03/03(金) 13:15:52.07 ID:H2yhE6/h.net
無理で贅沢なんだが地理的には東美濃と三河あたりで中山道と東海道の蓋はしたいよな
清須が健在で岐阜も落ちればもう状況は好転しなさそう

418 :人間七七四年:2023/03/03(金) 13:42:22.26 ID:4AQaZSrT.net
>>417
その蓋が岐阜城だったんでは?
欲言えば清須も落として城内の兵糧や武具まで接収できれば完璧だけど

岐阜城が落ちたとなれば、大垣から松尾山にかけて防御線を固めるとかあるけど
赤坂や垂井まで落とされてるとなるとな……

佐和山に籠城して大坂や近江にいる西軍と後詰決戦するか
瀬田川に防御線を張って最後の決戦するかしかないと思う

419 :人間七七四年:2023/03/03(金) 13:49:33.67 ID:blfsYw9b.net
西軍の理想的展開としては徳川軍が来ない内に垂井・赤坂まで押し出して大垣城の安全を可能な限り確保することだったと思う。それが出来なかった原因は毛利軍の士気が低いのと長束正家と安国寺恵瓊が消極的だった事なんじゃ無いかな。そんなに徳川が怖いなら大垣も放棄して佐和山まで撤退すりゃ良かったろうにそれも出来なかった。こんなハンチクなやり方では東海一と言われた徳川家康に勝てん。

420 :人間七七四年:2023/03/03(金) 14:23:26.78 ID:4AQaZSrT.net
>>419
伏見城に半月もかけてる馬鹿な西軍だしな
しかも戦後処理のためか知らんが、伏見落城後に
三成が大垣城に入ったのは8月10日

もうここでどうしようもないわ
もし、伏見城を3日で落としていたら……

421 :人間七七四年:2023/03/03(金) 14:55:04.10 ID:sIANLiBs.net
伏見城は豊臣秀吉が威信をかけて建てた天下の名城、立て篭もるは歴戦の猛者三河侍鳥居元忠となると仕方ない。死兵は強い。1800しか居ないのにあんなに時間掛けてるのはホントアレだけど。

422 :人間七七四年:2023/03/03(金) 15:12:10.50 ID:ets1+oy8.net
武州忍城500を相手に1ヶ月攻めあぐねた男だぞ
褒めてやれw

423 :人間七七四年:2023/03/03(金) 15:47:11.10 ID:sIANLiBs.net
伏見城が中々落ちなかったのは城砦堅く士気軒高ってのもあるかもしれないけどもしかしたら西軍の指揮にも理由があるのかもしれない。西軍の頭領は誰?名目上は豊臣秀頼だけど秀頼自ら号令掛けた訳がない。実権有するは毛利輝元と三奉行。でも彼らが何考えて挙兵したのかは不透明。ってなると西軍諸将が「我も我も」と戦争に力が入るだろうか?まぁ割と本気だった島津は大打撃受けてるし宇喜多軍に毛利軍も投入して落ちなかったんだけど。

424 :人間七七四年:2023/03/03(金) 16:26:37.51 ID:cdJ/CuAy.net
>>420
伏見城なんか
忍者と小早川にまかせておけばいいんだよ
それよりいちにちも早く清洲制圧

425 :人間七七四年:2023/03/03(金) 17:05:05.90 ID:qGYV461G.net
関ケ原前後の徳川家康の身辺警護はどんなかんじだったのかな。
忍びに鉄砲持たせて、徳川家康を狙撃させたほうがはるかに安上がりな気もする。

426 :人間七七四年:2023/03/03(金) 17:12:48.21 ID:pbjCVScu.net
当時、暗殺された名のある武将がいたかよ?
小説脳なのか、ゲーム脳なのか

427 :人間七七四年:2023/03/03(金) 17:13:44.86 ID:4AQaZSrT.net
>>426
三村家親がいるぞ

428 :人間七七四年:2023/03/03(金) 17:15:27.16 ID:4AQaZSrT.net
>>421
1800はwikiの適当な数
8月2日付毛利輝元書状には関東2000とある

429 :人間七七四年:2023/03/03(金) 17:17:24.84 ID:4AQaZSrT.net
>>425
というか西軍が勝つならもうそれしかないんだよな
家康が急病死するか、暗殺するか
8月の時点でまともにやって勝てる気しないよ
結果知ってる未来人とはいえ

430 :人間七七四年:2023/03/03(金) 17:38:04.54 ID:sIANLiBs.net
実際のところ、暗殺は現実的じゃない。徳川家康は約三万の軍を連れて来てる。てことは家康の周りは徳川兵が十重二十重、どころか百重で固めてる。故に移動中を狙いたいが西軍は家康の移動を掴む手段が無い。しかも十四日から十五日朝は雨、若しくは霧で見通しが悪過ぎる。家康本陣の遥か手前で誰何されて殺されてしまう。そして決戦が僅か二時間で終わってるからその後狙うのも難しい。味方で無ければ敵と見做されて手柄狙いの雑兵に嬲り殺しにされるわい。

431 :人間七七四年:2023/03/03(金) 18:15:02.60 ID:4AQaZSrT.net
となると急病死しかないか
「当代記」だから事実かどうか不明だけど、家康は清州について風邪みたいな症状になってたってあるから
59歳でやはり移動はきついんだろうな

432 :人間七七四年:2023/03/03(金) 18:24:19.02 ID:tsUFIwIj.net
>>427
それ史実なん?

433 :人間七七四年:2023/03/03(金) 19:06:48.87 ID:cdJ/CuAy.net
戦国自衛隊でも勝てない関ヶ原家康
なんとかならんのか

434 :人間七七四年:2023/03/03(金) 19:11:05.87 ID:Pmn8L9Rq.net
>>416
その書状だと宇喜多、島津、小西の士気は高いとあるな
要するに西軍はやる気ある奴もいるしない奴もいてバラバラだったってことだろう

同じく9月12日付で吉川広家が国元の家臣に状況報告した書状でも
「味方人数ハはるはる多候、乍去いかニもかたまり不申候」
と、味方の人数は多いのにまとまっていないと言ってるし

435 :人間七七四年:2023/03/03(金) 19:18:17.43 ID:Pmn8L9Rq.net
>>428
8月5日付真田宛三成書状では「千八百余にてこもり候」とあるよ
兵数はどうしてもばらつきが出るしこれが正解ってのがないんでその辺はしょうがない

436 :人間七七四年:2023/03/03(金) 19:41:57.85 ID:d3i12Rh5.net
>>433
✕ 戦国自衛隊
○ GATE 
○ 日本国召喚
異世界ものの中でも戦国自衛隊は雑魚

437 :人間七七四年:2023/03/03(金) 19:58:56.09 ID:z7GgrnZD.net
1800が2000でもそこまで問題無いからねこれが2万とかなると話は別だけど

438 :人間七七四年:2023/03/03(金) 21:15:11.82 ID:RqHbwN5+.net
>>419
違うよ

それができなかったのは東軍先鋒の
豊臣恩顧の諸将への調略ができなかったから
それさえできてたら東海道は西軍側だった

それを狙ってたのに敵に回ったからもうダメ

439 :人間七七四年:2023/03/03(金) 22:12:54.95 ID:z7GgrnZD.net
西軍が東軍諸将の調略に本気だったのか。秀頼は徳川に親しい大名を処罰すると宣言してる。これで徳川と親しい東軍諸将を調略できるか?徳川と縁戚の福島正則、池田輝政は言うに及ばず家康に名誉回復してもらった黒田や浅野とかも西軍に味方せんだろ。

440 :人間七七四年:2023/03/03(金) 22:31:39.78 ID:cdJ/CuAy.net
>>439
秀頼が徳川に親しい大名は処罰すると宣言した根拠史料はなんですか?

441 :人間七七四年:2023/03/04(土) 07:32:37.82 ID:UjZ5ktj0.net
少し上に出てるけど加藤嘉明を「家康と親しいから」と改易してるじゃん。嘉明は改易だけど君なら許してあげるよ!なんて虫のいい話信じるアホは大名になれん。しかも四国は蜂須賀・生駒も改易されてるからね。嘉明一人の問題と受け取る奴はいない。

442 :人間七七四年:2023/03/04(土) 09:12:15.15 ID:bA1Opkyv.net
尾張小折城の生駒利豊は親子で秀信につくか
福島につくかで揉めてたんじゃないの?
結局利豊の主張で福島、東軍についたけど。

443 :人間七七四年:2023/03/04(土) 09:20:17.01 ID:m7dD4Dl/.net
そっちじゃなくて讃岐の生駒ですな

444 :人間七七四年:2023/03/04(土) 11:36:54.51 ID:8xPNXJEi.net
>>441
子供の秀頼が高度な政治判断をしてたとか信じれないけどな

>>439
調略すると言っても渡りをつけておくのが目的だろ
今後の状況次第で味方や中立に転ずる可能性は残しておくべき
甘い話は魅力的やからな

445 :人間七七四年:2023/03/04(土) 12:08:01.35 ID:iEA8HyC8.net
秀頼の名を騙って根回しもろくにしないで一方的に好き勝手し始めたら味方になるわけがない
簒奪間近の状況だ

446 :人間七七四年:2023/03/04(土) 12:33:59.10 ID:UjZ5ktj0.net
>>444
だからこそ厄介。君主の言葉に意味がないとするなら何を以て公儀とするのか。豊臣公儀はその政治機構が貧弱だった。確かに十人衆は合議で徳川家康を追放したんだけど家康に弁明の機会も何もなく衆を頼んでの強行。挙句に改易まで行ってる。これが秀頼の意思でないならつまり豊臣公儀とは大坂城を押さえた奴が天下人と言ってる様なもの。そんな訳で豊臣公儀はブッ壊れた。クーデターを傍観したのは拙かった。

447 :人間七七四年:2023/03/04(土) 14:57:30.39 ID:UjZ5ktj0.net
加藤嘉明が「家康と親しい」として攻められたその真相は阿波の蜂須賀、讃岐の生駒が改易されてそこに毛利軍が入りまた加藤領にも毛利軍が攻撃を加えている事から明らか。輝元の欲望が真相で秀頼云々はそれを公儀の名で覆ってるだけ。輝元が公儀の名で惣無事令を破壊した。しかしだから許されるって話でも無い。徳川に親しいという理由で改易されるとしたら徳川に親しい連中は皆家康に就く。就くしかない。これで東軍諸将を調略に掛けるのは絶望的だと思う。

448 :人間七七四年:2023/03/04(土) 20:04:59.93 ID:f+OWjvTM.net
家康と親しけりゃ改易というなら
それこそ清州の福島正則こそ
私婚問題の当事者だものね

蜂須賀加藤は問答無用で取り潰され
福島らには調略では一貫性がない

ましてその両者が同じ軍中にいるわけで
立派な大義名分は上べに見えちゃうし
調略される側からしても信用しにくいわな

449 :人間七七四年:2023/03/04(土) 22:07:55.07 ID:gfZvHTq+.net
三成が悪いってより西軍の調略戦略に問題がある気がする。東軍相手の調略に武断派とバチバチにやり合ってた石田三成を当てるのは間違ってるし六万から十万の軍勢を操れる徳川家康相手に三成をぶつけるのは明らかにミスチョイス。
もっとこう、居ないのか人材が。東軍諸将とも付き合いあっていざとなれば数万の軍勢を操れるって奴が。

450 :人間七七四年:2023/03/05(日) 03:53:13.91 ID:3VbS5Aid.net
高山右近

451 :人間七七四年:2023/03/05(日) 06:54:49.13 ID:/Q/0oL2B.net
>>449
でも奉行が自分らが中心となって合議による政権運営をしたいなら
それほどの大功績を他者に渡すこと自体がリスキーではあるよ
要は戦後の政権運営に口出しできる存在をわざわざ作るようなもんだし

452 :人間七七四年:2023/03/05(日) 09:04:42.68 ID:PM/GEApM.net
緒大名連合軍による遠征なんて
関ケ原以前の時点だと家康も信長もやってない
小田原文禄慶長と間近で下支えしてきた三成には多少の自負もあったんかな

453 :人間七七四年:2023/03/05(日) 11:12:50.63 ID:YtaqS88N.net
従来では生駒親正は生駒家の生存戦略で西軍に就いて関ヶ原後に高野山で出家したとされてる。多分親正が三中老の一人で三中老は三成の家来ってイメージが強いからじゃないかな。
対して光成氏は細川幽斎が西軍の降伏勧告に対して「西軍が雅楽殿、阿波殿と同じに扱うとか言ってきたけど絶対に降伏はしない」って書いてる事から生駒雅楽頭親正は関ヶ原の前に出家させられたとしてる。蜂須賀家政は出家させられて改易、領土は毛利に取られ蜂須賀軍は秀頼馬廻衆に編成されて北に送られた。生駒軍も同じ様な目に遭ってる。

454 :人間七七四年:2023/03/05(日) 13:18:19.86 ID:Qm4h3oDf.net
>>450
高山右近がどうしたん?

455 :人間七七四年:2023/03/05(日) 14:13:24.64 ID:/BrQxuxG.net
>>449
いや三成の責任でしょ
実際交渉の窓口は三成なんだから

見通し悪いなら早めにぶっちゃけて
次の手を打つなり、生き残り測るべき状況だし
彼の見通し自体が誤りだったなら
それはやはり彼の能力の問題だし

西軍挙兵自体が豊臣の威光でみんな従うべ的な
甘すぎる見通しだったのは確かだろうが
その中で三成は特に大役を果たしてた訳で

456 :人間七七四年:2023/03/05(日) 16:41:09.31 ID:6LDhqPfb.net
早めにぶっちゃけるも何も三成が大垣に着いたの八月十日とかじゃ無理でしょ

457 :人間七七四年:2023/03/05(日) 17:25:38.69 ID:jvsVCw1r.net
大垣入ってから急に調略始めた訳じゃないよ
8/5時点で経過報告してるんだから
もっと前から交渉は続いてる

458 :人間七七四年:2023/03/05(日) 17:39:54.73 ID:6LDhqPfb.net
そもそも三成が調略掛けてたのか?って点からね。三成は上杉や佐竹とも交友絶ってるような状況で西軍が決起してから漸く動いてるような状況。友人でこれなのに敵だった福島正則とかに調略掛ける事が出来るとは思えん。幾ら超有能奉行でもさぁ。調略掛ける相手が居るのか?三成と親しい家臣とか?誰なんだろう。

459 :人間七七四年:2023/03/05(日) 17:44:48.77 ID:jvsVCw1r.net
???じゃあここで散々話題になった書状は何?
実際にはやってもないことをアピールしてるってこと??

460 :人間七七四年:2023/03/05(日) 17:46:28.66 ID:dWj6iUNC.net
人間関係だけで調略する訳でもないやろ
見方がゲームっぽくて受け付けない

461 :人間七七四年:2023/03/05(日) 17:55:07.94 ID:6LDhqPfb.net
調略仕掛けたっていう書状そのものが無いからね。ゲームみたく「福島家に調略を仕掛けます」で仕掛けられるもんじゃない。三成と気脈を通ずる人間が居ないと不審者が来たで殺されて美濃尾張。もしくは露骨な時間稼ぎされるだけ。三成と正則が親友なら分かるけどこいつら敵同士で接点が無い訳で西軍が三成を調略担当にしたとしたらかなり人選ミスかと。まだ大谷吉継とかの方が良いんじゃないか。

462 :人間七七四年:2023/03/05(日) 18:15:19.42 ID:jvsVCw1r.net
そもそも石田も福島も秀吉子飼いの
長浜以来の小姓、馬廻であり奉行人でしょ

犬猿の仲とされることも多いけどその根拠は
後代の史料を膨らませたものではなかろうか?
(一次史料に詳しくないので断言はしないが)

463 :人間七七四年:2023/03/05(日) 18:16:16.03 ID:2M+8rWhM.net
>>461
読めないからないことになるんだな
無責任でいいね

464 :人間七七四年:2023/03/05(日) 18:16:17.43 ID:yMPO2csg.net
>>456
伏見城が落ちたのって8月1日だよな
9日間も何してたんだ石田?
戦後処理にしても時間がかかりすぎてる

465 :人間七七四年:2023/03/05(日) 18:17:45.57 ID:yMPO2csg.net
>>452
諸大名連合って
信長はやってるはずだが

信長の重臣はみんな大名になってるんだし
武田征伐とか松永、荒木征伐では既に大名連合だぞ?

466 :人間七七四年:2023/03/05(日) 18:19:17.27 ID:yMPO2csg.net
>>441
そもそも生駒や蜂須賀の改易は誰が決めたの?
所領宛行権は秀頼か、秀吉の遺言でその後見を任されてる家康だけ
しか持ってないはずだが

467 :人間七七四年:2023/03/05(日) 18:23:29.60 ID:yMPO2csg.net
>>449
直江兼続が名将とかあれ絶対後世の創作だよな
東北出羽の関ヶ原あれひどい

9月17日付で確か秋山に宛ててる直江書状では「江口父子を
討ち取り500人を撫で斬りにした。周辺を放火した」とか誇らしげに書いてるし

9月18日付上泉泰綱書状もほぼ同じ内容

上杉馬鹿だろ
こんな真似したら最上が必死で抵抗するとか考えなかったのか?
だから山形にも迫れず、その直前の長谷堂で大苦戦して撤退だし

468 :人間七七四年:2023/03/05(日) 19:18:51.47 ID:8vbCxoGd.net
>>465
史料を信じるなら、その理屈によれば秀頼が決めた事になってる。ただ阿波・讃岐を占領してるのも加藤領を攻撃してるのも毛利軍ってことを考えれば輝元が主犯だろうさ。大坂の奉行衆が輝元に与えた、ってのは虫が良過ぎる。

469 :人間七七四年:2023/03/05(日) 19:40:19.14 ID:/BrQxuxG.net
でも秀頼は西軍討伐令を発してないから
西軍は秀頼の命で動いてた理論なら
奉行は毛利を咎めてないから
奉行はその動きを支持してるとなる

というのはまあ皮肉だけど
奉行は悪くない、輝元のせい
というのはそれこそ虫が良すぎる

470 :人間七七四年:2023/03/05(日) 20:13:57.12 ID:8vbCxoGd.net
>>462
正則と三成はかなり険悪な仲だったのは間違いない。というのも正則は三成を襲撃、そして訴えた武断派メンバーなのが家康書状から明らかになってる。その後関係が改善された訳もなく。

471 :人間七七四年:2023/03/05(日) 20:40:24.24 ID:BBXPrUjN.net
七将の中でも面倒臭いのは清正、忠興、長政あたりで正則はそこまで問題児でもないからな
酒癖は悪いが何かしら人間関係で問題起こした有名な事とかあったんかね
三成との遺恨も史実ではそこまで大きいものでも無かったんやろ

472 :人間七七四年:2023/03/05(日) 21:23:52.71 ID:8vbCxoGd.net
三成は必ずしも事実を言ってないフシがあるからなぁ。八月五日真田昌幸・信幸・信繁宛石田三成書状だと「幽斎儀は一命を助け高野…」とあって田辺城が開城したかの如く書いてるけど確か田辺城が開城したのは関ヶ原直前の九月十三日だったはず。ただし大坂の三奉行が幽斎に提示した条件ではあるから三成は西軍全体の指針を恰も己がしたかのように見せていたのかもしれん。昌幸に見限られたくなかったのかもしれないが何というか滑稽な話よ。

473 :人間七七四年:2023/03/05(日) 21:30:34.23 ID:tjUuIrub.net
>>471
福島こそこいつらの中で一番の問題児だぞ
自分の息子が歳くってからできたもんだから、
それまで養子に迎えていた姉の子・正之をぶち殺して
その嫁だった家康の養女を自分の息子に再婚させようと
した鬼畜だし

というかこれ秀次事件のスモールバージョンだよな

474 :人間七七四年:2023/03/05(日) 22:11:58.14 ID:s3dejiT/.net
>>472
その辺は虚実織り交ぜてってことだろう

7月30日真田宛三成書状
「羽肥前儀も、對公儀毛頭無疎意覚悟ニ候」
前田利長は公儀に対して毛頭疎略なき覚悟だと伝えている

しかし8月5日付真田宛三成書状では
「羽肥前儀、母江戸へ遣故候か、未むさとしたる返事候、剰無二ニ上方へ御奉公と申、
羽柴五郎左へ手前へ人数を出候間、自越後越中へ人数可被出旨申越候、定相違有間敷候事」
と、利長は上方に奉公すると言いながら丹羽長重を攻めるため越中へ
出兵する旨の報告があったと、西軍に不利な情報も伝えている

先入観で三成の発言は全て嘘であると決めてかかることこそ危険

475 :人間七七四年:2023/03/05(日) 22:17:29.81 ID:8vbCxoGd.net
全て嘘というより完全に信用のおける史料じゃない。三成は自身を大物に見せようとしてるしまた後年の小説家が大物に仕立て上げたけど実際の三成はかなり小物。輝元と恵瓊、大坂三奉行からの指示を受けて動いてるだけ。福島正則云々も真実は大坂の三奉行が調略して失敗したら清洲を攻める指示が出る予定だったんだろう。

476 :人間七七四年:2023/03/05(日) 22:19:48.06 ID:s3dejiT/.net
>>474
訂正
「羽肥前儀、母江戸へ遣故候か、未むさとしたる返事候、剰無二ニ上方へ御奉公と申、
羽柴五郎左へ手前へ人数を出候間、自越後越中へ人数可被出旨申越候、定相違有間敷候事」
前田利長は上方に奉公すると言いながら、丹羽長重を攻めるため出兵する
ので、越後(堀秀治)からも越中へ兵を出すようにと要請があった

477 :人間七七四年:2023/03/05(日) 22:29:38.94 ID:s3dejiT/.net
>>475
大物だとか小物だとかそういうのはほんとどうでもいい
先入観ありきで史料を読んだり、行間埋めたりするのは良くないってこと

478 :人間七七四年:2023/03/05(日) 22:51:33.97 ID:YtaqS88N.net
そりゃ三成からすると言い訳せんといかんからな。
家康と決戦する!まずは清洲を攻める!って言いながら伊勢に六万、北国に三万、美濃は一万って舐めてんのか?って現代人だって思うし。三成の言ってる事と乖離した戦略って考えると三成より上位の存在が決めたんだろうが。それで大垣行って調べてみたら徳川は清洲に大軍送り込んでる気配あって必死に兵を送ってもらったけど間に合わない数も足りないで死に申したと。

479 :人間七七四年:2023/03/05(日) 23:06:13.51 ID:2M+8rWhM.net
>>475
頼むから史料を語らないでくれないか?
きみはまともに読めないんだから
「相続候て」
これ、ひらがなで訳してみて
きみはそうぞくそうろうて、と読んでるみたいだけどな
最低限の史料の取り扱いもできないのに史料を語るな

480 :人間七七四年:2023/03/05(日) 23:15:35.77 ID:2M+8rWhM.net
>>475
もう一つ
他の人も指摘していたが、研究者の主張を読み間違えて、結果的に研究者の名誉を棄損してることもな
どれだけ史料にも史学にも研究者にも失礼なことをしているか理解しているか?
言っても理解しないのも分かっているが、一応書いておく
崩し字読めなんて難しい要求はきみにはしないよ
読み下しだって誤読するんだから

481 :人間七七四年:2023/03/05(日) 23:29:44.59 ID:P7oAbEBW.net
秀信を味方につけることには成功してるんだから
三成的には調略の可能性は十分にあると思ってたんじゃない
会津征伐に参加した諸侯は続々と帰ってきて
家康は江戸から動けてないんだから表面上は想定通りになっている

482 :人間七七四年:2023/03/06(月) 07:44:33.39 ID:gSNBj+Py.net
秀信を味方に付けたのも三成じゃない可能性が高いからね。ていうか八月五日真田宛書状を読むと三成は秀信と事前に繋がってないし。

483 :人間七七四年:2023/03/06(月) 08:21:54.01 ID:gSNBj+Py.net
>>479
今議論されてるのは八月五日付真田宛石田三成書状なんだけどここに「相続」云々なんて書いてある?そんなに重要なことか?
「福島左太只今御理り申し半ばに候。相済むに於ては、三州表へ打ち出すべく候」の「相済む」を誤読したのかな?確かに頭の漢字は合ってるがね。
話の流れが読めない・わからないってのは機能性文盲の特徴らしい。なるほど、現代の言葉でこれでは確かに古代の言葉は読めまいよ。リアルな衝撃だ。他人をどうこう言う前に、まずは己を正し給え。

484 :人間七七四年:2023/03/06(月) 08:38:26.32 ID:X5YCx25q.net
人を抱き込む場合は色んなやり口があるからな
仲が良いよりもむしろ悪い人間から高く評価されて高待遇で迎えられるってのが人間一番嬉しいだろうしな

485 :人間七七四年:2023/03/06(月) 09:50:59.87 ID:O4mpPZOz.net
小西→高山に前田を調略してもらう
西軍北陸組

486 :人間七七四年:2023/03/06(月) 09:51:52.46 ID:z7nJcvuM.net
少なくとも三成が東軍先手衆に調略をかけたって事は無いだろう。東軍先手衆は福島正則筆頭に三成を忌み嫌って襲撃して追い落としを掛けたメンバーでその上徳川家康とも非常に親しい。三成から何か持ち掛けても鼻で笑う連中なのが分からないほど輝元も馬鹿じゃない。本気で調略を掛けたいなら大垣には別のもっと適切な人材を置くんじゃないか。

487 :人間七七四年:2023/03/06(月) 10:17:19.33 ID:RvGHok5K.net
>>486
>もっと適切な人材を置くんじゃないか。
誰のことだ?
史料から推測できる三成以上の人材とは?
妄想決めつけならいくらでも出てくるだろうが

488 :人間七七四年:2023/03/06(月) 12:51:51.24 ID:mWlrYoNG.net
更に言えば西軍がぶち上げた内府違いの条々に「秀吉の遺命に背いて縁辺を重ねた」とある事を考えると正則に西軍参加を呼び掛ける事が不可能だという結論になる。現代でもそうだが人間同士が結婚するなら必ず相手方が存在する。つまり西軍は福島正則も「秀吉の遺命に背いた」と言っているに等しい。内府違いの条々は西国に宛てられたもので正則には届いてないってことに賭けるのは賢明じゃない。余程正則と親密でかつこれらの事情を波風立たない様に解決出来る者じゃないと交渉にならない。少なくとも三成では不適格で西軍もそれはわかっていたろうさ。

489 :人間七七四年:2023/03/06(月) 13:08:14.62 ID:O4mpPZOz.net
>>487
田中だけでもなんとか調略できないか

490 :人間七七四年:2023/03/06(月) 13:33:19.20 ID:mWlrYoNG.net
>>487
求められる人材はまず福島正則らと同じ位からキャリアアップし、調略軍略に長け、そして徳川閥と親しいがしかし西軍への忠誠心が高い人物になる。色々居るだろうがおそらく最も適合するのは大谷吉継じゃなかろうか。吉継のキャリアの始まりは福島正則・加藤清正らと同じ秀吉馬廻衆。秀吉と柴田勝家の争いでは長浜城主柴田勝豊への調略を成功させたという。秀吉亡き後は家康と親しく家康と前田利家が険悪になった際には正則らと共に徳川邸を守護したという逸話もある。しかし宇喜多騒動の際に家康の些細な、そして迂闊な一言に激高して反家康派に転向したという。関ヶ原戦役でも多くの書状を出していてかなり行動的だった。

491 :人間七七四年:2023/03/06(月) 13:53:48.95 ID:mc8pfURU.net
>>470
襲撃があったと明らかになる史料て何?
発見したとしたらすぐ論文にすべき

492 :人間七七四年:2023/03/06(月) 14:04:16.11 ID:mc8pfURU.net
>>478
それはつまり西軍自体が
東軍先鋒の調略をしてないって解釈??

>>486
三成書状の見通しは実際は動いてないくせに
さも骨折りしてるかのように欺いてるってこと?
流石にそれはどうだろう?

493 :人間七七四年:2023/03/06(月) 14:16:09.70 ID:FdKTME2a.net
まぁ三成が襲撃された書き方はどうかと思うんよな
どこまでやる気か知らんけど少なくとも未遂なんよな

494 :人間七七四年:2023/03/06(月) 14:49:42.39 ID:VwTD1TV/.net
>>490
西軍側(政変起こした側)からは東軍の諸将に渡りをつけて脈診てる状態だろ
殴り合いする前に殴り合い後の落し所の筋道を立てとく行動

495 :人間七七四年:2023/03/06(月) 16:15:44.86 ID:WZF4jKw6.net
ただし、仮に大垣に大谷吉継が置かれたとしても正直西軍の敗北は変わらなかったとは思う。福島正則は井伊直政に対して「家康さまが来れない事は承知しました。となれば天下の戦は木曽川で決まります。お二方だけでも急いで来てください」と書状送ってるほど攻撃を急いでいて西軍の誘いなんか受ける事は無いだろう。となれば結局吉継は一万五千に宇喜多・島津を加えた二万六千程度の軍で東軍先手衆約五万と戦争する事になる。歴史は変わらないだろう。

496 :人間七七四年:2023/03/06(月) 17:52:41.96 ID:5VQG08AM.net
>>492
肝になるのは八月五日書状の「福島左太只今御理り申し半ばに候」の「御理申し半ば」が何を意味するかじゃなかろうか。
三成アイで見ると福島正則の交渉ゲージが50%だった、という意味で無いのならこれが意味する事は一つ。三成は何ら正則と交渉を行えていない。実際、何らかの交渉が行われた連中(前田利長とか)は交渉の中身が書いてあるのに正則には書いてない。つまり最大限好意的に解釈すると三成は正則に書状を送ったがその返事は返ってきていない。というか恐らく取次すら知らなかったんじゃないか。

497 :人間七七四年:2023/03/06(月) 19:48:53.09 ID:HAeGBEkh.net
>>488
前にも言ったけど内府ちかひは西国中心に出されたものではあるが、小野寺義道宛や
秋田実季宛の7月17日付三奉行連署状があるので西国のみというわけではないんだがな

これらは西国大名に宛てられたものと同様に「内府公御違之条々別帋ニ相見候」
とあるので、この三奉行連署状が内府ちかひに添えられた書状だということが分かる

>>495
その書状は福島ではない
黒田長政・徳永寿昌・奥平貞治三人による連署状
長政らが「とても内府様御馬きりきりと出不申、はか不参候間、何事も不入義候」
と、家康がすぐに出馬できないので上手く事が運ばないと言っており不満をあらわにしている

498 :人間七七四年:2023/03/06(月) 20:54:27.25 ID:mc8pfURU.net
>>496
それは不思議な解釈だな
どう読めば書状送ったけど
返事ないとなるんだろ

499 :人間七七四年:2023/03/06(月) 22:13:37.18 ID:pu9Dk9Dc.net
卜斎覚書によると金森は三成からの書状を封印を解かずに家康に差し出している
そういうケースはいくらかあったでしょう
何よりの忠誠の証になる

500 :人間七七四年:2023/03/07(火) 07:01:25.97 ID:JLCV5Eog.net
どちらにせよ三成から接触はしてるんだから調略は行われてるということにはなる
相手方がどうこうは関係ない

501 :人間七七四年:2023/03/07(火) 07:04:18.64 ID:UUv0VjT4.net
まず史料として現存してないから存在は不明だし、当の福島正則も無反応だからなぁ。

502 :人間七七四年:2023/03/07(火) 09:08:44.37 ID:JLCV5Eog.net
書状を出すなり交渉をしようとすること自体が調略の証
調略を行ったが無反応で上手くいってないということ
自分で書いてるやん

503 :人間七七四年:2023/03/07(火) 09:29:16.99 ID:b9MhE0uR.net
三成はどう考えても東軍相手の調略には不適格で何の成果も無くて当たり前。三成自身福島正則を味方に出来るとは思ってなかったろう。おそらくは清洲城を即座に攻めない事の言い訳なんだろうけど。
もしくは西軍自体が美濃方面を恐ろしく軽視していて福島正則含めて東軍は誰も攻めてこないとたかをくくっていたか。

504 :人間七七四年:2023/03/07(火) 13:35:55.97 ID:bAYzKskA.net
調略にも色んな形があって本気のもあれば形式的なのもあると思う
三成側からのは今直ぐに寝返りがどうこういったものでも無かったと思うけどな

505 :人間七七四年:2023/03/07(火) 13:48:41.86 ID:IGQmfMu7.net
逆に三成は調略は考えてなかったと思う。三成と親しいなら兎も角不倶戴天の敵。西軍が糾弾した家康の縁辺相手。三成の話なんて聞かないし西軍首脳部例えば豊臣秀頼の親書でも響かないだろう。ここまで敵なら叩いてから降伏を誘った方が良い。とはいえ輝元らは伊勢と北に兵の殆どを送ってしまって美濃は僅か一万五千。これじゃなー。即清洲攻撃が正解な気もするけど三成の指揮権じゃ出来なかったのかも。

506 :人間七七四年:2023/03/07(火) 16:28:42.93 ID:sKVKHFfv.net
>>505
もし輝元が祖父の元就並の謀才を持っていたら、
成功の有無以前に様々な謀略使って東軍を疑心暗鬼に
陥らせただろうな
元就はそういうのが得意技だったから

輝元はマジで何を考えているのか
四国に主力を向けて、9月12日に三成が増田に
「中国衆を松尾山に入れて下さい」とお願いしてるけど
その兵力が大坂にはいないし

507 :人間七七四年:2023/03/07(火) 16:38:19.62 ID:sKVKHFfv.net
>>491
多聞院日記慶長4年閏3月9日条
慶長見聞録
佐和山落城記

とか色々あるけど?

508 :人間七七四年:2023/03/07(火) 16:41:18.20 ID:sKVKHFfv.net
福島が三成を恨む理由が今一つわからんけど、浅野と加藤と蜂須賀と黒田は恨んでも仕方なくね?

蔚山城の戦いの際に三成の婿の福原と熊谷が秀吉に讒訴してるんだから
「追撃しなかったのが問題」とか、軍監頭おかしいだろ
蔚山城で籠城して疲弊してるのに、追撃する力などあるわけない

あと、秀吉って「追撃しなかった」ことを理由によく部下を処罰してるな
古くからの家臣の尾藤知宣もこれを理由に改易して殺してるし
秀吉ってある意味信長より酷いな

509 :人間七七四年:2023/03/07(火) 16:46:12.89 ID:U6vgXxkm.net
三成は何がなんでも東進したかったはず。っていうのも美濃方面の西軍諸勢力は無茶苦茶厳しい状況に置かれてる。ほぼ全方位敵な訳で。これ放っておいて各個撃破されたら、そうでなくても重圧に負けて東軍に降伏したら目も当てられない。
だから三成が調略を仕掛けるとなったら死に物狂いなはず。そうでないなら楽観的過ぎる。西軍の情報収集がイカれてたのかもしれんけど。

510 :人間七七四年:2023/03/07(火) 16:50:43.77 ID:U6vgXxkm.net
福島正則が三成を恨んでいたのも朝鮮出兵と関係あるのかもしれない。福島は外征軍五番組に入ってる(同組には蜂須賀や生駒の名前もある)三成のせいで外征がポシャったと思ったのかもしれん。

511 :人間七七四年:2023/03/07(火) 17:24:58.14 ID:sKVKHFfv.net
>>509
東進するのならできるだけ早くやらないと無理
伏見城なんか無視して8月1日までに清州城を落として
そこにある兵粮と武具を確保できたなら大成功

だけど史実は8月1日に伏見城落城、8月10日に大垣城に三成入城

もう詰んでる状態

これが信長や秀吉なら、あっという間に清州に出て、うまくいけば大井川のあたりまで進出してたかもな

512 :人間七七四年:2023/03/07(火) 17:26:09.53 ID:sKVKHFfv.net
>>510
熊谷と福原は三成の婿
人事がどう考えても三成に偏りすぎ
そして、秀吉はこれを何とも思わなかったのかと言いたい

513 :人間七七四年:2023/03/07(火) 18:05:03.26 ID:4yNhsNTx.net
三成は慶長の一件については知らなかったらしい。三成宛福原書状で「何の連絡もせず〜」みたいに書いてあるから。この時の三成は上杉の会津転封で大忙しで朝鮮の事は知らんかったんだとか。

まぁ何と言ったところで三成が何もせずに恩恵に預かった事実は変わらないんだが。それにその会津転封でも直江兼続が堀氏に喧嘩売ってた訳でもうね。

514 :人間七七四年:2023/03/07(火) 18:27:39.62 ID:x5jqQRXy.net
>>513
知らなかったでは済まん
自分の婿がやらかしたことだし
しかも、早川長政を改易してその所領を福原に与えるとか
秀吉も異常な裁定してるし
やはり晩年の秀吉は頭おかしいな

あと、直江の会津移封でよく「前領主が年貢を持っていくのは厳禁」とされている
とよくいわれるけど、上杉が移封されたのって1月だよね
1月だと年貢を取りたくても取れないはずなんだけど、この場合は直江は貯えをそのまま
会津に持って行ったということ?
このあたり詳しい人教えてください

515 :人間七七四年:2023/03/07(火) 19:47:23.84 ID:FTi7qsXm.net
三成と正則は犬猿の仲だったはず
という根拠って先入観と
同じ先入観をもとに編纂された
後世史料しかなくね?

七将の三成「襲撃」同様に
同時代史料をもとにしたら言えないかと

福島加藤ら所謂武断派と言われる諸将も
実は検地や代官の経験のある奉行人
特に石田福島は共に関白秀次自害後に
大出世してたりする

516 :sage:2023/03/07(火) 19:48:40.79 ID:YIi+0nyt.net
白峰旬が七将事件を武装襲撃でなく訴訟騒動だとする論考を出してるけど、
武装した(少なくとも帯刀はしてただろう)複数人の武士の行動が原因で
治部少丸に移動することになったんだとすれば、七将の目的が訴訟だった
にせよ武装襲撃事件と評しても違和感ない
正直、どっちでも良い話なんで論考前半の事件に言及してる諸史料まとめだけ
見て後半の考察自体は読んでないが

517 :人間七七四年:2023/03/07(火) 20:10:48.46 ID:FTi7qsXm.net
帯刀さえしてないのでなきゃ襲撃?
そりゃ酷い

518 :人間七七四年:2023/03/07(火) 20:19:52.96 ID:UUv0VjT4.net
白峰氏は秀吉の遺言をよく知らないんだろう。もしくは意図的に無視してるんじゃないか
「奉行共五人之内徳善院・長束大両人ハ一番二して残三人内壱人宛伏見城留守居候事」「大坂城、右奉行共内弐人宛留守居事」
伏見城には前田玄以・長束正家、そして増田長盛・石田三成・浅野長政の内から一人がつけ。残りの二人は大坂城に居るように。
これは十人衆の合意無しには変えられない。そして確か変更もされてないよね?
三成は大坂城から伏見城に移動したがこれは明確な遺言違反ということになる。三成が何故そんなチャレンジをしたのかを襲撃以外に求めるのは難しい。

519 :人間七七四年:2023/03/07(火) 20:58:07.93 ID:FTi7qsXm.net
それ言ったら十人衆体制なんて
遺言にもない御掟違反の徒党組んだ
誓詞交換で決まったもの
その時も襲撃あったの?てなる

さらにその遺言からして
奉行が在番すること決めてるだけで
三成が伏見に行くことは何も問題ない
どころか普通に考えたらむしろ
固定じゃないからいつか交代で伏見にも行く

それを持って「襲撃以外ない」というのは
まさに襲撃はあったはず
福島とは犬猿の仲だったはず
という先入観によるもの

520 :人間七七四年:2023/03/07(火) 21:00:26.60 ID:OWbfy1lp.net
現代の刑法でも凶器準備集合罪とかある訳で訴訟騒動とか言ってるのは流石に無理もありアホだと思うよ
なんだかパヨクっぽい思考

521 :人間七七四年:2023/03/07(火) 21:02:45.50 ID:hws/qKUn.net
>>518
また適当なことを
移動以前から伏見で騒動してるのに襲撃されて伏見に移るのか?
閏3月3日に利家が死んで次の日に三成は伏見に移ってるんだから政務としての移動と考えるけどな
少なくとも襲撃なんてされてない
史料出してくれ

それとは別件
白峰さんは家康書状「石田治部少輔、佐和山へ閉口ニ相定、明日可参候」を挙げて、「閉口は日ポ辞書だと口論に負けたになってるから襲撃じゃない」とも書いてるが、これは無関係だと思うな
「佐和山へ論争負けに決まり」って日本語としておかしい
「閉口にて佐和山へ」なら分かるが謹慎くらいの意味だろう

522 :人間七七四年:2023/03/07(火) 21:06:39.22 ID:OWbfy1lp.net
よく映画かなんかで三成が屋敷を脱出した後で七将が手勢を引き連れて屋敷を囲む描写の見過ぎでしょ
で福島は関ヶ原のキーパーソンなので門の前で悔しがる1シーンがあるのがお約束なので脳内に焼き付いてるんだろな
福島「おのれ三成めぇ~!」
わかります

523 :人間七七四年:2023/03/07(火) 21:14:03.05 ID:hws/qKUn.net
>>520
凶器準備集合罪で逮捕されたら襲撃してないじゃないか
騒ぎのなかでも三成は安全に伏見に移れているし、伏見城を軍勢が取り巻いたなんて一次史料見たことない
私戦行為だから明確な惣無事令違反だし

そもそも凶器を準備して集合してましたってはっきり示す根拠史料すらない

524 :人間七七四年:2023/03/07(火) 21:23:51.90 ID:OWbfy1lp.net
>>523
ワイは襲撃未遂だった派やからな

襲撃?してるわけがねーだろw

525 :人間七七四年:2023/03/07(火) 21:31:31.93 ID:sUi6VjQ5.net
>>520
三成が訴訟されたことに激怒して輝元らに連絡して兵を集めようとしたわけで
凶器準備集合罪に該当するのは三成の方だよ
だから三成は訴訟を進めるまでもなく奉行解任になった

526 :人間七七四年:2023/03/07(火) 21:34:51.72 ID:E6CKOBsV.net
襲撃については石田三成の家臣の子が書いた覚書の「佐和山落城記」で書かれてるから事実だと思いますがね

527 :人間七七四年:2023/03/07(火) 21:40:21.26 ID:E6CKOBsV.net
>>521
次の日に伏見に移ったとかは何が根拠ですか?
佐和山落城記では「三成、おどろへて」とあるから
明らかに七将に急襲されたんだと思いますが

528 :人間七七四年:2023/03/07(火) 21:52:23.82 ID:UUv0VjT4.net
>>521
伏見であったのは「雑説」ってだけでそれが何なのかは人の想像次第。そして政務という為には史料が残ってる筈だがそれが無い事が何を意味するか、だね。

529 :人間七七四年:2023/03/07(火) 22:13:24.25 ID:E6CKOBsV.net
そもそも三成は人の上に立てる器じゃない
フロイス日本史での三成評は酷い

「キリシタンの敵であり、嫉妬深く、野心家で傲慢であり、その他においても悪徳に満ちた
人物である」

アホの輝元
坊ちゃんの秀家
そしてこういう三成

西軍ってやばい人間の集まりとしか思えないんだけど

530 :人間七七四年:2023/03/07(火) 22:20:14.87 ID:UUv0VjT4.net
俗説だと武断派七将の下人、若しくは佐竹が三成に襲撃計画を伝えたことになってる。でも全く別の可能性もある。家康書状によると浅野長政が向島の家康に会いに来てる。長政も秀吉遺言で大坂から移動する事は出来ない。それがある時、姿が消えた、ってなると三成だって嫌な予感はしたろうさ。
面白いのは秀頼お膝元の大坂より伏見の方が安全と見たことかな。大坂は前田氏の力が強い。一連の背後に前田氏の力を感じたのか。それとも単に奉行衆がいるところに逃げ込んだのか。

531 :人間七七四年:2023/03/07(火) 22:51:46.33 ID:/kAFrLVX.net
>>527
言経卿記の慶長四年閏三月七日条
「石田治部少輔入道、去四日ニ大坂ヨリ伏見へ被行也云々、今日も騒動了」とある

532 :人間七七四年:2023/03/07(火) 23:50:25.37 ID:sUi6VjQ5.net
三成は被害妄想の激しい人間であり
これまでも秀次が鷹狩りをしているだけで謀反を企てていると叫んだり
如水が碁をしているだけで秀吉の命令に反逆していると叫んできた前科がある
そんな三成なら苦情や訴訟が入っただけで襲撃されたとか言い出すのは不思議ではない
そうやって被害妄想を爆発させ、兵を集めて加藤や福島を襲撃しようとしたため
奉行を解任されたというだけ

533 :人間七七四年:2023/03/08(水) 06:28:07.06 ID:7EhGyz6I.net
>>532
確かに、加藤光泰毒殺とか朝鮮和議偽装とか
問題のある行為が多いな

三成擁護者は常に無関係とか後世の創作とか
言ってるけど

534 :人間七七四年:2023/03/08(水) 07:45:36.43 ID:Rb7rgLRq.net
秀吉生前は側近として権勢をふるい
死後半年で罷免され
二年後に大いくさを仕掛け
負けて首謀者として処刑された

これがすべてだと思う
柴田勝家とだいたい同じ

535 :人間七七四年:2023/03/08(水) 10:40:59.40 ID:HXMSa9xG.net
白峰氏が見逃してる事の一つに訴訟と襲撃はどちらか一つしか選べない択一じゃない。これは両立する。
仮に七将が三成を襲撃して殺害したとしてその後無事に済むか?済まない。三成は腐っても豊臣奉行でそれを殺害すれば謀叛になる。武断派は徳川または前田の家臣では無いから誰も庇ってくれない。対して公儀に訴えたとして三成は排除すら出来ない。証拠は何も無い訳で徒労に終わる。三成を政治からあわよくばこの世から排除するには襲撃するしかない。

536 :人間七七四年:2023/03/08(水) 10:45:47.16 ID:HXMSa9xG.net
これを解決する為には三成襲撃と同時に家康に訴えてしまえば良い。三成を殺せたら「囲んだら自害した」「処刑の沙汰が出たと聞いた」だの言って誤魔化せば家康も強くは出てこないだろうし。そんなことして事態が悪化したら困るのは家康。もし三成が逃げたらそのまま訴訟に移る。家康が三成を庇おうにも七将と武力衝突は選ぶまい。

537 :人間七七四年:2023/03/08(水) 20:17:23.97 ID:BdsK1XQU.net
>>536
前提から結論まで支離滅裂すぎてじわる
「筆者の考えを述べよ」って設問だされたら絶対に正答しない自信がある

538 :人間七七四年:2023/03/08(水) 21:48:29.26 ID:TmJi77sM.net
>>530
遺言読んでないだろ
奉行は動けない訳じゃないぞ
どちらかに在番するのが決まってるので
むしろ移動は普通にある

539 :人間七七四年:2023/03/08(水) 21:49:34.61 ID:TmJi77sM.net
>>535
あなたが襲撃盲信してるだけじゃん
史料にはないけどあるったらあるんだいって

540 :人間七七四年:2023/03/08(水) 23:34:46.67 ID:YpReHJp1.net
>>536
囲碁将棋で言えばこの人っていつも勝手読みしてるんだよね
変に断定してどんどん妄想域に進むから話が噛み合わない

541 :人間七七四年:2023/03/09(木) 00:38:44.25 ID:dgvXC7xC.net
>>518
どこが遺言違反なの?

伏見→玄以・長束+一人
大坂→残りの二人
つまり固定されてるのは伏見の玄以・長束の二人だけ
浅野家文書の秀吉遺言でもこの二人は伏見に在番するよう言われてるので固定で間違いないだろう

他三人は大坂に居ることもありえるし、伏見に居ることもありえるので何も違反してないでしょ

542 :人間七七四年:2023/03/09(木) 06:37:34.48 ID:lZqkuo02.net
>>541
三成襲撃事件直前の五奉行の居所は前田玄以・長束正家・増田長盛が伏見、石田三成・浅野長政が大坂なのは史料上確定してる。三成と長政以外移動したって話は無いから。
長政は三成が襲撃される少し前に向島の徳川家康のところにきてる。多分七将の訴訟について説明にきてたんだろう(襲撃前に陳情に来ないと危ない)これも秀吉の遺言違反と言えるが訴訟という公的業務の為なら仕方ないのかもしれん。
三成は割とアウトで長政が居なくなったら大坂を守る唯一の奉行なのに伏見に移動してしまってる。結構危険な行動。

543 :人間七七四年:2023/03/09(木) 07:59:22.11 ID:Fk2hnuk1.net
>>534
わかりやすい
なんで大いくさを仕掛けたんだろうな
権勢を取り戻したかったんだろうか

544 :人間七七四年:2023/03/09(木) 08:02:31.06 ID:eLtc/H04.net
鍋島書状だかに弓槍持って走り回ってるとかあったやろ。
浅野幸長は伏見を包囲してるし、
強訴とか言えば聞こえはいいかもしれんが、
一揆とか襲撃未遂となんも変わらん。

545 :人間七七四年:2023/03/09(木) 08:22:56.76 ID:UCsUve38.net
在番することが決まってるのだから
むしろ固定してしまうならその方が違反

起きてもいない襲撃ありきで考えているから
襲撃で移動したとしか考えられないだけ
そういうのを先入観というんだよ

546 :人間七七四年:2023/03/09(木) 09:09:06.33 ID:UCsUve38.net
で直前の状況で言うと三成は前田利家を動かし
家康を弾劾する動きに連帯してる(私婚問題)
この時私婚問題の当事者である福島は別として
ほとんどの七将が三成と行動を共にしてる

この時の騒動こそまさに双方武装して集まり
一戦も辞さずの構えで互いに要求を通そうとしてた
(なので武器準備集合罪なんたらなら三成も)
が、結局家康利家兵を動かさず和解する

ところが利家方のいた大阪では両者和解後も
騒動がおさまらなかったことが記録されている
つまり前田家が矛を収めても集まった諸将のうちには
武装を解かず紛争継続を狙う(または警戒する)者がいた

それ自体が政権の安定を揺るがす重大事
その中での奉行の移動の理由が本当に
三成個人が狙われてるからとか
それしかないのか?というね

547 :人間七七四年:2023/03/09(木) 09:09:47.53 ID:UCsUve38.net
ちなみにこの間に七将が結成されてる訳だが
利家のもとで家康弾劾に動いた細川加藤浅野と
弾劾された側である福島が合流している
(史料によっては蜂須賀、藤堂らも加わり
 義演准后のいう「大名十人とやらん)

彼らは両巨頭の方針に従って和解を進めてた訳だね
武装解除を進めていたかは別として大筋では
政権トップの意向に沿って動く意思はあった

そしてその和解の過程で三成弾劾の動きが生じた訳だね

548 :人間七七四年:2023/03/09(木) 09:12:17.06 ID:UCsUve38.net
元々大名が武装して集まる事態は
家康弾劾のために起きていた
三成もその一人というか
なんなら主導する立場の一人だった

それが家康利家の和解後
彼の立場が変わった訳だね

549 :人間七七四年:2023/03/09(木) 09:51:13.37 ID:hpnSAvUU.net
>>538
言うほど普通にあったっけ?
秀吉の遺言体制が始まったのが1599年1月12日。前田利家が大坂、徳川家康が伏見に入って確立した。これが崩壊したのは同年閏三月十日。石田三成が佐和山に蟄居、替えの奉行も居ないので必然的に秀吉遺言体制は破壊された。
この間にあった移動というと利家の頼みで家康が大坂を訪れた時…が有名だけど他には何があったっけ?

550 :人間七七四年:2023/03/09(木) 10:10:51.93 ID:Bvph2cY4.net
>>169
微妙にちゃうで
・福島は現在調略中、もし成功すれば三河方面に打って出るし、ダメなら伊勢方面軍と合流して福島を攻める
・前田はこちらに味方すると言いながら、丹羽を攻めようとしているのは江戸にまつが人質としているからだろう
・上杉への使者の護衛を真田に頼みたいのでよろしく

信濃甲斐を進呈するはその通りやね

551 :人間七七四年:2023/03/09(木) 10:12:35.53 ID:Bvph2cY4.net
すまん誤爆した

552 :人間七七四年:2023/03/09(木) 16:01:34.16 ID:MS1TRqgT.net
>>549
遺言体制は1598年9月3日の時点で崩壊してるぞ
三成が輝元や三奉行と結託して家康を詰問し、
十人衆体制になった時点で終了している

553 :人間七七四年:2023/03/09(木) 18:23:54.05 ID:MS1TRqgT.net
「言経卿記」1599年閏3月10日条で「石田治部少輔入道事、無事早朝近江国佐和山
隠遁也云々、京・伏見方々悦喜」とあるんだけど、この悦喜って、三成失脚を喜んだ
という意味?

554 :人間七七四年:2023/03/09(木) 18:30:21.78 ID:FZQRHYPc.net
三成がクソ嫌われてた可能性もあるけどそれより平和裡に終わって良かったってことじゃない?七将は兵を率いて伏見に来てきて京・大坂は武装した兵士が入り乱れてた。誰もが戦争が起こると思ってたはず。それを家康が完全に平定した訳でそりゃ天下様と呼びたくもなるさね。

555 :人間七七四年:2023/03/09(木) 18:34:28.76 ID:C+FhXtal.net
>>553
とも取れるし大きな戦にならず無事に済んで喜んだとも取れるな
個人的にはこの度の騒動が無事に済んでと取るほうが自然だと思うが

556 :人間七七四年:2023/03/09(木) 20:01:12.49 ID:UCsUve38.net
>>549
だから遺言のどこに移動しちゃいけないなんて?
そもそも遺言体制なんて忠実に守られてない

遺言の文言上移動は普通にありえるだろ?
という話をしてるんだが何故
成立してない体制下で移動があったのか
という話にすり替えてしまった?

557 :人間七七四年:2023/03/09(木) 20:51:34.55 ID:lZqkuo02.net
そりゃあ「大坂には奉行が2人いろ」って言ってるのが守られてないんだから。少なくともこの遺言はまだ無効にはなってないからね。

558 :人間七七四年:2023/03/09(木) 22:10:32.22 ID:Jc5Gzc3R.net
三成は徒党を組むなを守ってないんだから
三成にとって遺言はどうでもいい

559 :人間七七四年:2023/03/09(木) 22:30:35.47 ID:lZqkuo02.net
別に三成は徒党組んでる事公表してないし。むしろそれが彼等が秀吉の遺言を重要視してる証なのでは?
完全に反故になって守る必要が無いならコソコソやる必要も無いし。反故にしたいと思っていたとしてもまだ公には出来なかったんだろう。

560 :人間七七四年:2023/03/09(木) 23:09:58.11 ID:Jc5Gzc3R.net
重要視してても絶対視はしてない
絶対視してたら徒党は組まない
行動原理として秀吉の遺言より自分の都合が優先されてるのは自明
自分にとって都合が良ければ遺言を利用するだろうが

561 :人間七七四年:2023/03/09(木) 23:17:09.13 ID:orVlMtjy.net
妄想誤読くんはどうしようもないから置いといて
反論する方も史料なり論文なりあげてくれないもんかね
ありんこの喧嘩見たくないんだよ

562 :人間七七四年:2023/03/10(金) 07:47:00.23 ID:C7pgGt7a.net
秀吉の遺言体制が成立したのは認められてたろ。利家が大坂に入って家康が伏見に入り始まった。なら大坂に奉行が2人いなければならん。増田長盛が伏見にいるなら三成と長政が大坂担当になる。

563 :人間七七四年:2023/03/10(金) 08:12:25.33 ID:W2sEMkgz.net
それは遺言無視して十人衆なんてものを
勝手に採用した体制をそう呼んでるってだけだろ

564 :人間七七四年:2023/03/10(金) 09:35:01.41 ID:C7pgGt7a.net
十人衆も秀吉の遺言って建前だし。てかそうでないと秀吉の遺言に背いたとか言われて激怒した家康がバカみたいだし…
利家が大坂に行ったのも家康が伏見に居たのも秀吉の遺言に依るし秀吉の遺言は守られていたんじゃないか。ただその期間は慶長五年の一月から閏三月までと無茶苦茶短い訳だけど。

565 :人間七七四年:2023/03/10(金) 09:44:23.31 ID:fJrou84s.net
要は各々都合で遺言無視したり
遺言あったことにしたりする体制よね
建前だけ遺言体制

566 :人間七七四年:2023/03/10(金) 12:57:31.38 ID:C7pgGt7a.net
三成らも秀吉の遺言は無視出来ない。だから十人衆合議で「十人衆の間なら起請文交わしても大丈夫」として自分達の行いが露見しても問題ないようにしたんだろうし。そうなると秀吉の遺言にある奉行衆の居所は変えられないはず。少なくとも変更された形跡は無かった気がするけどあったっけ?
実はこれは七将らも同じだったりするけど。

567 :人間七七四年:2023/03/10(金) 18:43:33.42 ID:bkR8Eqtf.net
増田長盛って慶長五年一月から何処にいたんだろ?
三成襲撃事件時は伏見にいたけど

568 :人間七七四年:2023/03/11(土) 13:27:00.80 ID:kXf/z7qm.net
>>565
遺言は法律ではないからな
現代で言うなら、法律で義務化しているわけではないけどお願いでマスク着用してくださいと同レベルのこと
秀吉の遺言というと特別な感じがしているだけで、あくまでもお願いでしかない
別に秀吉がこれを守れと法律を制定したわけでも何でもない

569 :人間七七四年:2023/03/11(土) 14:25:16.99 ID:ngu4gLID.net
>>567
政争恐いから逃げてたんじゃね?

570 :人間七七四年:2023/03/11(土) 14:30:04.38 ID:un4uTVvL.net
宇喜多秀家は関ヶ原の時は何してたんだ
1600年8月下旬に大垣にいたのはわかってる
美濃方面にいた西軍の中で大将格ってどう考えても中納言の秀家だと思うんだが
そういえば、秀家の書状って8月初旬に島津忠恒に出した書状以外に何かあった?

571 :人間七七四年:2023/03/11(土) 14:34:11.50 ID:YHB5Q89p.net
独裁者の言葉は法律と同義
独裁者は生きていればこそ
死んでどうなるかは生きてるうちに誰に何をやったかによる

572 :人間七七四年:2023/03/11(土) 14:40:38.93 ID:gaTRrUXj.net
清洲会議を経験してる秀吉がなんの強制力もない遺言や覚書をどれだけ残そうが
なんの保障にもならないってことは1番わかっていただろうな
だから最後の遺言は天下国家のことなど二の次三の次で
とにかく秀頼を殺さないでくれという哀願で終始してる
秀吉自身豊臣政権の継続はもう無理と思っていた何よりの証拠だと思う

573 :人間七七四年:2023/03/11(土) 14:54:21.30 ID:YHB5Q89p.net
ただ遺言に従ったほうが大義名分があることになるので当面は上手くいく
変更するならもそれなりの手間と時間をかける必要がある
無理に捻じ曲げようとすると壊れる
西軍が挙兵したことで豊臣政権は短命に終わった

574 :人間七七四年:2023/03/11(土) 15:27:03.56 ID:xSgwuAIn.net
>>568
だとすると家康の縁辺事件は前田利家のゴリ押し?

575 :人間七七四年:2023/03/11(土) 16:03:29.71 ID:DgcIDnqw.net
>>572
あれ切ないよね

576 :人間七七四年:2023/03/11(土) 17:14:27.71 ID:NGu8z2Dg.net
>>570
7月末~9月初頭の宇喜多秀家発給書状
この期間中家臣宛の知行宛行が一通あるが除外した

・7月29日付真田昌幸宛宇喜多秀家書状
・8月1日付島津忠恒宛毛利輝元・宇喜多秀家連署状
・8月1日付筑紫広門宛宇喜多秀家・毛利輝元・前田玄以・石田三成・増田長盛・長束正家連署状
・8月1日付蒔田広定宛宇喜多秀家・毛利輝元・前田玄以・石田三成・増田長盛・長束正家連署状
・8月1日付木下利房宛宇喜多秀家・毛利輝元・前田玄以・石田三成・増田長盛・長束正家連署状
・8月2日付真田昌幸宛宇喜多秀家・毛利輝元・前田玄以・石田三成・増田長盛・長束正家連署状
・8月4日付松井康之宛毛利輝元・宇喜多秀家連署状
・8月5日付川口宗勝宛毛利輝元・宇喜多秀家・前田玄以・石田三成・増田長盛・長束正家連署状
・8月5日付鈴木重朝宛毛利輝元・宇喜多秀家・前田玄以・石田三成・増田長盛・長束正家連署状
・8月27日付はやし村宛宇喜多秀家・島津義弘・小西行長・石田三成連署禁制
・9月5日付赤坂西圓寺宛宇喜多秀家・島津義弘・小西行長・石田三成連署禁制
・9月10日付家臣10名宛宇喜多秀家書状

まだあると思うが自分が知ってるのはこれくらい
8月19日付戸川達安宛明石守重書状に
「秀家事、伏見落城之後ハ大坂被罷下候、又此比ハ草津表被罷出在陣之事候」
と、伏見落とした後は大坂に戻り、8月19日の時点では草津に在陣していたとある
草津にいたのは恐らく長島城攻めのためだろう

577 :人間七七四年:2023/03/11(土) 18:48:47.32 ID:xlwVOM5P.net
上杉景勝は伊達政宗、最上義光を屈服させて、その兵力を合わせて関東に南下するつもりだった
とか言ってる学者がいるけど、これって正しいの?

もしその気があったなら、直江兼続が出羽畑谷で行なった行為は明らかにマイナスだと思うんだけど
あの残虐行為が逆に長谷堂城の城兵を死兵にさせてしまったわけだし
降伏しても殺されるなら最後まで戦うよな普通

578 :人間七七四年:2023/03/11(土) 19:14:46.75 ID:9oaHZzwm.net
>>568
主君の命を無視していい、背いていい
ってのはなんとも都合のいい理屈だねえ

579 :人間七七四年:2023/03/11(土) 19:14:58.57 ID:9oaHZzwm.net
>>568
主君の命を無視していい、背いていい
ってのはなんとも都合のいい理屈だねえ

580 :人間七七四年:2023/03/11(土) 19:23:59.27 ID:xlwVOM5P.net
そもそも秀吉の遺言を見る限りは家康と利家を両巨頭にして秀頼を恃むような体制にしてあり
三成とか輝元はおまけみたいな存在じゃないの?

秀吉にとって利家があんなに早くくたばるとは予想外だったのかも

581 :人間七七四年:2023/03/11(土) 20:04:47.09 ID:xZ4g1qMi.net
まあ強制力がないってのは単なる事実だわな
でもそれは筋として背いていいからってよりも
強制力を持たせるはずの家臣らが
揃って背く気でいるからってのが正しい

もちろん秀吉自身が耄碌して
空手形や朝令暮改を繰り返してた
という話もあるんでその都合もあろうが

それならそれでまず何を法制化するか
という部分をはっきりするべき官僚たちが
勝手な解釈で無視したり採用したり
政敵の追い落としに便利使いしていた訳で
そりゃ政権の威信そのものがなくなるわな

582 :人間七七四年:2023/03/11(土) 20:36:48.95 ID:sTTVMKiz.net
少なくとも秀頼成人までは家康も義理立てはしてたとは思う
二条城の会見が一つの節目で以降は完全に家康の庇護下から外れたと思う

583 :人間七七四年:2023/03/11(土) 21:46:32.53 ID:pnqiMy5e.net
秀頼が夭折していたら豊臣はどのみち断絶だったんだけどねえ
夭折せずに育ってしまったから……

584 :人間七七四年:2023/03/12(日) 00:11:01.35 ID:Sy0DC1Kl.net
夭折してたらそれこそ高台院系の木下家とかから
養子入れて存続したかもね

二条城の会見後も全然徳川は豊臣家を
庇護してたと思うけどな

585 :人間七七四年:2023/03/12(日) 02:29:24.99 ID:x/+rPtTc.net
どの時点でも木下家からの養子はあり得ないと思う

586 :人間七七四年:2023/03/12(日) 06:02:37.69 ID:1LyHbmsm.net
秀長の系統も絶えてるから政治上の判断で高台院の系統から来る可能性はある
血の存続じゃなくて家の存続だから

587 :人間七七四年:2023/03/12(日) 08:17:51.63 ID:wX8FXfYy.net
千姫が自分の実家から弟なり甥っ子なりを養子を迎えて存続、とか

588 :人間七七四年:2023/03/12(日) 08:18:37.94 ID:wX8FXfYy.net
養子を→養子に、ね

589 :人間七七四年:2023/03/12(日) 09:50:06.47 ID:p8hN5OMs.net
>>577
光成氏だったかなぁ。景勝は最上か伊達どちらかと和議を結ぶつもりはあっても両方と和議を結ぶつもりは無かったという説。それで負けてたら世話無いんだけど。

590 :人間七七四年:2023/03/12(日) 13:32:26.97 ID:67lTBfK2.net
>>581
まぁ法律ってそんなもんだし。守るべきものだけど背く者は止められない

591 :人間七七四年:2023/03/12(日) 17:55:31.28 ID:KYwrQ+YJ.net
>>577
恐らくだが9月3日付本庄繁長宛直江兼続書状辺りが根拠になってそうだな
伊達・最上との交渉が完璧にいけばそういう計画もあり得たんだろうが、
書状読む限りでは兼続も懐疑的で交渉が失敗した場合のことも想定してる

伊達に関しては
「関東出馬の際には政宗も同陣するだろうか。もしそうでなければ
伊達の家老を数人を出させて、三千でも五千でも出兵させる。
万一事が戦局が有利に展開しなくとも、関東が静かな内は伊達が背かないよう備えることが第一だ」

最上に関しては
「最上の件は政宗同様ずっと様子見をしていると聞いているので、交渉を継続することは聞き及んでいる。
手堅くいけば最上も思い通りになるだろう。万一上手くいかず最上が交渉を
引き延ばすようであれば、世間への聞こえも良くないので、一働き申し付ける。
もし政宗から手切れすると言ってきても、こちらから使者を遣わし和睦交渉を続けるのが尤だ」
また「奥口筋への出兵は最上との交渉の結果次第だ」とも言ってる

592 :人間七七四年:2023/03/12(日) 22:44:48.61 ID:0BLaEcfA.net
豊臣の天下統一後は全国の様々な情報が出回ってそうなんだがそれ込みでの上杉の目論みだったんだろうか
そうだとすれば関ヶ原以前にすでに豊臣政権が崩壊してる感じやね

593 :人間七七四年:2023/03/12(日) 23:40:14.42 ID:AsSRBpkL.net
>>590
存在しない法律に背くことはできない
秀吉が晩年に作ったものは法律でも何でもないことは東軍も西軍も認めているから
当時の誰も法律に背いていない
家康だって豊臣政権の法律に背いたわけでも何でもない

594 :人間七七四年:2023/03/13(月) 08:07:14.77 ID:c0X+Om6P.net
存在はしてるだろう。少なくとも文書になって残ってるし。

595 :人間七七四年:2023/03/13(月) 16:33:38.29 ID:h2KwdhMF.net
秀吉の遺言に従って秀頼・利家は大坂に、家康は伏見にいた訳で当然奉行衆もそれに従っていた。これに反すれば太閤の遺言に叛いたと言われるだろう。ただでさえ家康の縁辺に噛み付いたんだ。下手な隙は見せないだろう。

596 :人間七七四年:2023/03/13(月) 18:32:31.48 ID:RxrQwoGY.net
秀吉遺言

敬白天罰霊社起請文前書之事

奉対秀頼様御奉公之儀、太閤様御同前不可存疎意事
御法度、置目之儀、今迄如被仰付弥不可相背各相談之儀、多分可相付事
公儀御為致候上、対朋輩私之企遺恨不可及存分事
朋輩中、不可立徒党公事辺喧嘩口論之儀、自然雖有之、親子兄弟縁者親類知音、奏者
依怙贔屓不致如御法度可致覚悟事
御知行方之儀、秀頼様、御成人之上、為御分別不被仰付以前、不依誰御訴訟雖有之、
一切不可申次候、縦被下候共、拝領仕間敷事
対御奉公之衆、誰々讒言之仔細雖有之、同心不被申、何時直々申可届候、自然不相届儀承候者、
無隔心可令異見候、事依而同心無之共、遺恨存間敷候
公私共、以隠密被申聞儀、一切不可有他言事
此方一類、并家来之共、自然背御法度不相届族有之者、無隔心被申聞候者、可為祝着事

右之条々、若私曲、偏寄有之、忝茂此霊社、起請文御罰、深厚可蒙罷者也、依而前書如件

徳善院玄以法印殿
浅野弾正少弼殿
増田右衛門尉殿
石田治部少輔殿
長束大蔵大夫殿

597 :人間七七四年:2023/03/13(月) 19:41:34.62 ID:28E9yPHH.net
>>596
これの面白いところは秀頼が分別つくまで知行問題は棚上げ、しかも秀頼からたとえお前ら奉行に与えるといわれても断れってとこだね

598 :人間七七四年:2023/03/13(月) 19:42:07.25 ID:7QuhrwJe.net
しょせん家康も三成も秀吉の遺言に背いたことは変わらない

599 :人間七七四年:2023/03/13(月) 20:40:04.56 ID:28E9yPHH.net
ttps://clioimg.hi.u-tokyo.ac.jp/viewer/view/idata/T38/1598/17-4-3/6/0012?m=all&s=0012&n=20

ここに秀吉が没後に備えて命じた一連の体制に関する文書がある
一番目と二番目はうさんくさい
とくに最初のはいわゆる五奉行を「奉行」と明記している

秀吉の究極の遺言はこれでしょ
ttps://clioimg.hi.u-tokyo.ac.jp/viewer/view/idata/T38/1598/17-4-3/6/0019?m=all&s=0012&n=20
とにかく秀頼が成り立つならそれでいいと哀願してる

600 :人間七七四年:2023/03/13(月) 20:53:13.37 ID:168Tqg9Q.net
こうして見ると奉行自身の暴走や
権力争い、政権の私物化も
結構警戒されてんのよね

601 :人間七七四年:2023/03/13(月) 22:41:04.72 ID:y4t8UBZz.net
>>598
安倍がどんな遺言を残そうと個人の自由だが
現在の日本人が安倍の遺言に従う義務はない
百歩譲って安倍が作った法律に背いたことで逮捕される可能性はあるが
安倍が作った遺言に背いたことで逮捕されることは許されない

同様に当時の日本人が秀吉の遺言に従う義務もない
政治的配慮である程度尊重してやったというだけの話

602 :人間七七四年:2023/03/13(月) 22:45:26.03 ID:Kift4ZJE.net
例えがバカすぎて

603 :人間七七四年:2023/03/13(月) 22:48:23.91 ID:1JOn5DKz.net
安倍が何とか言ってる奴は池上裕子並の知恵遅れかな?
あの婆あも自分の著書で安倍政権が織田信長と同じだとか言ってて笑ったが
今の歴史家ってレベルが低すぎる

604 :人間七七四年:2023/03/13(月) 23:45:23.19 ID:jy7UAnaE.net
>>599
その秀頼のことを頼むと哀願してる秀吉書状は毛利家文書の写ししか伝わってないが原本を見てみたいもんだ

秀吉の絶筆は原本が現存する自筆書状だと6月17日付だが、この時点で筆跡はかなり弱々しくなってる
秀吉も追而書で「かへすかへすたゝのときの一まんに、此文ハむかい可申候」
と、この文は平常時つまり健康な時の一万通に匹敵すると言ってる
本文でも「われわれ十五日の間、めしをくい不申候て、めいわくいたし候、
昨日きなくさミにふしんはへ出候てから、なをなをやまいおもり候て、
いよいよしたいニよわり候」とかなり気弱になっている

哀願してる書状は死のニ週間前だしどうにかこうにか自力で書いたって感じなんだろうな

605 :人間七七四年:2023/03/14(火) 00:01:31.20 ID:OSDRWF2K.net
>>601
現代日本の首相と
封建時代の主君

同じと思ってるのが
絶望的にずれすぎてる
マジで大丈夫?社会生活送れる?

606 :人間七七四年:2023/03/14(火) 07:41:11.24 ID:usN/ZWdQ.net
まあ安倍は秀吉以下だけどね

607 :人間七七四年:2023/03/14(火) 08:02:41.19 ID:aLVbwbvw.net
ただでさえテメェの思い込みを長文で語る糞スレなのに政治的なイデオロギーまで持ち込むのかw

608 :人間七七四年:2023/03/14(火) 08:22:13.70 ID:D15ubayb.net
表向きは秀吉の遺命で動いてるからそれに背くことは許されない。まぁ誰が許さないかと言えば政敵が許さないんだけど。

609 :人間七七四年:2023/03/14(火) 12:54:03.06 ID:MCzTBmwT.net
>>606
バカはだまろうね

610 :人間七七四年:2023/03/14(火) 21:07:20.00 ID:KGETAno9.net
>>604
多田氏所蔵文書かい
本文を確認できなかったが、もう弱ってたんだね
「われわれ」と書いてるのが面白いな
「我等」は「われら」と勝手読みしてたわ

611 :人間七七四年:2023/03/14(火) 22:12:26.30 ID:jYcdTsE7.net
>>610
そう、多田厚隆氏所蔵だけど昭和10年代前半時点での話だから今の所有者は変わってるかもしれないね

豊太閤真蹟集には昭和10年代当時の所有者も載ってるけど
何点かは博物館に収められたりと所有者が変わってるみたいだ

例えば三井物産の創業に大きく貢献し、茶人としても有名な益田鈍翁が当時所有していた
おね宛の聚楽第が大方完成したことを伝える書状なんかは現在東京国立博物館に収蔵されてるね

612 :人間七七四年:2023/03/15(水) 08:08:36.73 ID:mmSdIKyJ.net
秀吉の遺言は公伝含めて無茶苦茶多いのがね。しかもそれらが全部法律と同じだから大変厄介だったろう。

613 :人間七七四年:2023/03/15(水) 17:03:36.16 ID:Z741Ai+O.net
家康は秀吉の遺言に叛いた謀反人だけどね

家康が実権を握るまではいい
江戸幕府で言うなら家継の下で実権を握る程度までなら許される
しかし天下を豊臣から奪った謀反人

614 :人間七七四年:2023/03/15(水) 17:47:00.09 ID:EyfLdKf/.net
家康を天下人にしたのはは権威失墜した豊臣と庇護者を求めた朝廷と諸大名
朝廷の意向が一番大きいんじゃないかな
徳川は朝廷における藤原家でもいいんだし
朝廷は秀頼がいない方がメチャクチャ都合がいい

615 :人間七七四年:2023/03/15(水) 18:34:33.52 ID:HqCtLVPe.net
天下は豊臣家の私物じゃない
愛惜の情も行き過ぎると現実を見ることができない贔屓の引き倒しになる

616 :人間七七四年:2023/03/15(水) 18:43:03.92 ID:FXR3YxHl.net
会津征伐の時に西軍が挙兵しなかったらどうなったん?上杉景勝やられた?和睦?
そのあと西軍が挙兵したら???
淀君さえいなければ…

617 :人間七七四年:2023/03/15(水) 18:43:04.27 ID:FXR3YxHl.net
会津征伐の時に西軍が挙兵しなかったらどうなったん?上杉景勝やられた?和睦?
そのあと西軍が挙兵したら???
淀君さえいなければ…

618 :人間七七四年:2023/03/15(水) 20:04:42.41 ID:PXedWd75.net
三成と上杉の間に共謀は無かったとするのが現在では有力視されてますよね?
真田昌幸宛石田三成書状で

では、直江兼続宛石田三成書状はどうなるのでしょうか?
日付不明ですが、確か6月18日に家康が伏見から出陣したこと、「我等も油断なく支度し、
来月初めには佐和山から大坂へ入るつもりである。毛利輝元、宇喜多秀家、
そのほかの無二の味方も揃いましたので安心してください」とあります

我等も油断なく支度し、とあることは、やはり共謀はあったのでは?

619 :人間七七四年:2023/03/15(水) 21:18:45.78 ID:8HkpMjjl.net
>>610
自分も気になって調べてみたが、我等の読みは「われら」でいいかと

(天正12年)4月11日付養徳院(池田恒興母)宛羽柴秀吉書状
「こんとハせう入おやこのき、中々申ハかりも御さなく候、それさま御ちからおとし御しうたん、すいりやう申候、
われわれもこゝもとへまかりいて、てきあひ十ちやう十五ちやうにとりあひ候うへにをいて、
おやこの人ふりよのき、われらちからおとし申候事、かすかきりも御さなく候」

「われわれ」と「われら」が分けて使われてるし、われわれ=我々、われら=我等でいいんじゃないかな
意味的には違いはなくどちらも私と同義だろうけど

620 :人間七七四年:2023/03/15(水) 21:42:23.74 ID:CbyU9mbs.net
>>618
ソースが悪名高い続武者物語なので贋作濃厚
とのこと

621 :人間七七四年:2023/03/15(水) 21:48:45.52 ID:ASf1b/BQ.net
家康は豊臣政権内の実権を握ろうとしたのに
それを阻止したい西軍首脳部は
政争のために法秩序を好き勝手し
挙句大規模な内戦状態をもたらした

それって武家政権である豊臣政権そのものの
存在意義を根底から揺るがす事態
長く続いた内戦状態に惣無事という
秩序で収めたからこそ支持されたわけで

622 :人間七七四年:2023/03/15(水) 21:53:32.75 ID:8HkpMjjl.net
>>618
日付は6月20日付で上の人も言ってるが続武者物語に収録されてる三成書状の写し
多くの研究者も引用しない偽書の可能性大の史料だな

623 :人間七七四年:2023/03/15(水) 22:23:01.94 ID:QLV0+m+P.net
>>619
どっちもあるのか
池田勝入討ち死に関する書状だね
一人称なのは間違いないよね

624 :人間七七四年:2023/03/15(水) 22:26:04.27 ID:CbyU9mbs.net
「上杉家康文書にも載ってない書状を1680年に国枝清軒は何処から手に入れたのか?」
「三成と上杉間の書状が他に残ってないのは何故か?」
「上杉と計画練ってるのに真田や佐竹と連絡してないのは何故か?」
ここら辺がウィークポイントなんじゃないかな。面白い話だとは思うんだけど。

625 :人間七七四年:2023/03/16(木) 13:30:09.01 ID:1WwlfahW.net
三成が三奉行や上杉と連携とれてないのはまだわかる。
なんで三奉行は上杉と連携とれてないのか

626 :人間七七四年:2023/03/16(木) 14:30:13.96 ID:wqqtcoRW.net
>>625
三奉行同士でもとれてないから

627 :人間七七四年:2023/03/16(木) 14:39:31.72 ID:tXznJcOS.net
西軍は会津征伐軍の諸侯が家康から離反するという前提で動いている
徳川単体で背後の上杉に備えつつ上方に割ける兵力はさほど多くはない
上杉と連携しなきゃ勝てないのに何やってんだというのは後知恵の産物

628 :人間七七四年:2023/03/16(木) 20:09:00.18 ID:qUkq/WZp.net
直江と石田は志を同じくする同志で
挙兵は二人の軍略家の深慮遠謀の結果

みたいなフィクションをもとに考えるから
おかしいと思うだけでしょ

直江と石田はそれぞれ家の都合や
野心に突き動かされているだけ
挙兵は短慮でしかなかった

というのが虚飾をはぎ取って
確実に言える事実のみ積み上げた姿
まあでもそう言うものだよ現実

629 :人間七七四年:2023/03/16(木) 20:25:25.08 ID:sop+Tcru.net
江戸時代、上杉家が全責任を直江兼続に押し付けたっていうからね。それで三成が家康打倒の話を兼続にすると兼続も景勝を殺して上杉家を乗っ取ろうという、って講談が出来た。それが司馬遼太郎の手で三成と兼続の義の話にすり替えられて現在に至ると。

630 :人間七七四年:2023/03/17(金) 08:10:35.32 ID:+e+vQjnu.net
家康に喧嘩売ってたのは景勝で兼続じゃない。にも関わらず主人の面子の為に兼続が悪人に。三成にしろ兼続にしろ哀れな話。

631 :人間七七四年:2023/03/17(金) 16:16:16.54 ID:hNUp8lYc.net
白峰氏は石田・毛利連合政権によって家康が豊臣政権からパージされたとし、その後に九月二十二日前田利長宛家康書状に「今すぐ大坂城に乗りかけ崩すべきだけど秀頼がいるから遠慮した」とあるからまだ秀頼が政治的に上位だった…と解釈してるけどそうなんかな。むしろ逆な気がする。
大坂に秀頼が居ることは明らかでそこに戦争すれば何が起こるかも自明。そんな事を書く必要は無いと思う。だから書いていると言うことは「今すぐ大坂城を攻めよう」と主張する連中が大多数いたんじゃないか。仮にその結果秀頼が死んだとしても不慮の事故で落ち着くし。

632 :人間七七四年:2023/03/17(金) 16:18:56.52 ID:FLw7iFmM.net
>>631
そもそも関ヶ原の前年に改易されていた福原直高と
熊谷直盛を大名に復帰させたのは誰なんだ
秀頼じゃないの? 所領執行権は秀頼に属するはずなんだし

633 :人間七七四年:2023/03/17(金) 19:00:35.74 ID:FLw7iFmM.net
>>629
それ講談じゃなくて石田軍記じゃなかった?
確かあれは直江が景勝を殺して関東管領に、石田が
家康と秀頼を殺して天下をとるというめちゃくちゃな
話になってた

634 :人間七七四年:2023/03/17(金) 19:30:16.38 ID:FLw7iFmM.net
>>625
上杉の取次って三成じゃなかった?

635 :人間七七四年:2023/03/17(金) 20:15:47.50 ID:woovtgSc.net
>>631
大勢が既に決した状況で家康、諸将含め大坂を攻めるつもりは毛頭なかったと思うがね
その書状の前段で「大坂も一両日中相澄可申候」と言っていて、ほぼ目処がついている状態なんだから今更攻める必要
なんか全くないし、実際その翌日に輝元は池田・井伊・本多へ起請文を提出し、西の丸を渡す旨を約している

秀頼を立てつつ輝元へは強い態度で臨むことを対外的(ここでは利長)にアピールするための発言だったと推察する

636 :人間七七四年:2023/03/17(金) 21:38:50.55 ID:7qn1eAsF.net
>>634
三成は襲撃事件後に上杉取次を辞めてる。豊臣公儀の奉行を謹慎してる身で取次とかやれる訳もないし。ただ西笑承兌が直江兼続に送った書状に「この件は増田長盛と大谷吉継が家康に繋いでるからまずはこの二人に話をしたほうがいい」と言っているのよね。だからこの2人と何らかの謀議をしてもおかしくはないしむしろやってなかったとしたら割と博打だったよねって。

637 :人間七七四年:2023/03/17(金) 21:49:27.80 ID:woovtgSc.net
>>635
訂正
輝元の起請文は9月22日付だから翌日ではなく利長宛書状と同日

638 :人間七七四年:2023/03/18(土) 09:44:29.03 ID:MNRGvs0T.net
石川数正なんで家康を裏切って秀吉に鞍替えしたの?

639 :人間七七四年:2023/03/18(土) 10:19:03.87 ID:b75k1ODb.net
途絶えることのないスレタイ読めないバカの出現

640 :人間七七四年:2023/03/18(土) 23:56:30.52 ID:4hBM3e7k.net
>>638
派閥争いに負けたから

641 :人間七七四年:2023/03/19(日) 07:49:15.28 ID:c4vFWVql.net
重家が家康と共に出撃していたら三成も身の振り方あったんだろうけどな。大坂で人質では。

642 :人間七七四年:2023/03/19(日) 13:53:42.31 ID:PMi0Khxq.net
まあ人質取られても東軍ついた大名はいるし
西軍についたテイで東軍が迫ったら
鞍替えした武将もいる

三成の場合西軍勢力の中に孤立してたからとか
人質取られてたからとか
仕方なく従ったってことではないよ

643 :人間七七四年:2023/03/19(日) 14:00:16.92 ID:vGlXsJ2J.net
嫡男を人質に取られてるのは割と痛くね?多分断ったら大谷吉継に殺されて終わってたろうし。

644 :人間七七四年:2023/03/19(日) 14:25:56.83 ID:PMi0Khxq.net
人質とってるから大丈夫だの
言うこときかすのに人質殺しゃいいんだとか
三成は言ってる側

言われてる側じゃないよ

645 :人間七七四年:2023/03/19(日) 15:07:33.41 ID:9hBtz+l6.net
人質が有効だったのは蜂須賀家
無効でむしろ悪影響になったのがガラシャ

646 :人間七七四年:2023/03/19(日) 16:29:00.98 ID:z61Fjf4G.net
蜂須賀の場合当主家政が捕縛されて西軍に従軍させられ嫡男至鎮は家康に従軍していた。生駒も当主親正が捕縛されて西軍に従軍させられ嫡男一正が家康に従軍していた。人質はどころか当主が捕まってるからどうしようもねぇ。ある意味では三成と同じだけど2人の場合嫡男が徳川についてるからなぁ…

647 :人間七七四年:2023/03/19(日) 20:30:25.40 ID:TuQip/cQ.net
>>643
三成には他に何人か男子がいる
本気で家のことを考えていたなら家康にその旨を
伝えて内通するんじゃないの?
実際、犬山城に籠城していた奴らは石川以外はみんな
家康に内通していたわけだし人質いて西軍につかざるを
得なかったって

648 :人間七七四年:2023/03/19(日) 20:31:19.77 ID:TuQip/cQ.net
>>646
そもそも人質とったら反感買うとか考えなかったのか西軍
ホントアホだよな

649 :人間七七四年:2023/03/19(日) 20:39:10.20 ID:Ksx7qBrB.net
というか西軍の人質作戦と三成は無関係じゃないの。三成が大坂に行くより先に大坂では人質の収容が始まってる。幾ら三成でもこの状況で人質を集めるなんて出来ないから大坂三奉行が主犯ってことになる。三奉行が大谷吉継と石田三成が謀反したって騒いだのもそれを理由に諸将の人質を確保する為なんだろ。三成からすると西軍が豊臣公儀な訳でこれに反してる連中こそおかしいから敢えて反対する事は無いんだろうが。

650 :人間七七四年:2023/03/19(日) 22:32:33.00 ID:jMevbAUl.net
三成は人から嫌われることを平然とやる性格らしいし

651 :人間七七四年:2023/03/19(日) 22:45:34.72 ID:foAihw+O.net
奉行は豊臣を蝕む癌細胞だからね
豊臣を守るためには腐った奉行を切除する必要があった

652 :人間七七四年:2023/03/19(日) 23:28:26.03 ID:5qlBtOcf.net
人質はあくまでも抑止力としてでしょ
人質取れば相手を無力化出来るとか無いから一定の役割は人質取った時点で達成してたと思う

653 :人間七七四年:2023/03/19(日) 23:44:11.08 ID:jMevbAUl.net
ガラシャ死なせちゃってから逆効果だって気づいて止めたんだろ?所詮その程度の覚悟の思いつき

654 :人間七七四年:2023/03/20(月) 00:12:30.57 ID:Yf0VbKGx.net
秀吉とその家臣は甲斐武田家とほとんど戦ってないからなあ……
逆に家康は武田と戦い続けた

信玄や勝頼が人質を酷い扱いばかりしてたから家康はそれを知ってたが
豊臣は武田とほとんどやってないから学んでなかったのかな

655 :人間七七四年:2023/03/20(月) 00:38:43.75 ID:lA3cLU3P.net
家康は本人が人質生活が長いからなぁ。

656 :人間七七四年:2023/03/20(月) 09:41:46.32 ID:jTFs7vmD.net
白峯氏とか自著で「毛利輝元が凡庸の際から戦時の際に開花した」とか言ってるけど
輝元の対応を見る限りは誤りが多すぎるような気がするのは自分だけかな?

もし輝元の中身が祖父の元就だったなら、元就があれほど東軍諸将に次々と謀略をかける
大舞台は無かったと思う。輝元は東軍諸将に何か働きかけとかしてたのかな?

輝元みたいな凡愚を立てた時点で西軍の敗北は決まってたと思うんだけど

657 :人間七七四年:2023/03/20(月) 09:45:06.54 ID:QwaLIDl+.net
>>650
いつ死ぬかわからない時代に
好かれるとか嫌われるとか
どうでもいいだろw

658 :人間七七四年:2023/03/20(月) 09:45:18.71 ID:nKdkJ4Dl.net
>>653
実は全く止めてないんだよねこれが。

659 :人間七七四年:2023/03/20(月) 10:10:12.00 ID:jTFs7vmD.net
>>657
いつ死ぬかわからない時代

それは関ヶ原の10年前くらいまでじゃないの?
少なくとも関ヶ原はむしろ「どうやって生きていくか
を模索する時代」だったと思う

660 :人間七七四年:2023/03/20(月) 11:30:51.14 ID:qeIHPGA7.net
面白いのは古今東西、今も昔もそこまで人間の普遍的な考え方は変わってないからな
後世からそれらしくその時代の考え方を論じても意味ないよ

661 :人間七七四年:2023/03/20(月) 11:45:07.53 ID:TibN6aR7.net
>>656
輝元の狙いは秀吉に奪われた四国・九州の権益奪還で打倒徳川とかはその為のお題目に過ぎん。だから東軍諸将への調略なんぞより西の諸将をどうしたもんかと暗躍してたのよ。

662 :人間七七四年:2023/03/20(月) 14:21:33.68 ID:kL7Wd3xk.net
だから打倒徳川を主目標としてみると輝元は変な動きをしているが、四国九州奪取を主目標としてみれば実に正しい戦略をとってる。全部徳川にぶっ潰された事を除けば。

663 :人間七七四年:2023/03/20(月) 14:33:02.27 ID:qeIHPGA7.net
輝元は一応はゴール枠内にシュートはしてるんだよ
遠くからの威力も無い止められるであろうシュートでもキーパー家康次第では天下取りゴールも有り得た
状況的には諸大名を従え東上中の家康だから東軍解散や東軍待機も命じれないが万に一つ血迷うと毛利のクーデターも成功した世界もあったんだよな

664 :人間七七四年:2023/03/20(月) 15:43:15.64 ID:fmyV4/kJ.net
大義無き挙兵をした時点で黄信号
会津征伐軍瓦解の前提を間違えた時点で赤信号
侵攻先の優先順位も間違えた時点で負け確定

東軍が自滅するしか勝ち筋が無い

665 :人間七七四年:2023/03/20(月) 16:50:55.58 ID:m1MwkRXJ.net
輝元ほど豊臣公儀を重くみた奴はいないぞ。何しろ大坂城押さえたら豊臣恩顧の諸将はたじろぎ動揺すると思ってたからね。そんな事が起きなかったのが冷酷だが。

666 :人間七七四年:2023/03/20(月) 17:54:33.66 ID:JzZwkDXa.net
秀吉遺言からすれば家康抜きの公儀なんて成立し得ないんで
西軍がこさえた物は、少なくとも秀吉遺言とは掛け離れたナニカだな

667 :人間七七四年:2023/03/20(月) 20:31:04.22 ID:dWBrGzIG.net
>>649
人質をあてにした戦略的見通しや
人質の活用を(要は殺すこと)を主張してる

668 :人間七七四年:2023/03/20(月) 20:47:41.66 ID:df5ytDbI.net
>>665
それ輝元じゃなくて奉行と宇喜多だと思うわ
輝元は「ま、これがうまくいけばそれはそれでよし。ダメでも西国を抑えれば
最低でも瀬戸内の覇者、あわよくば祖父からの悲願である博多制圧だ」程度だと思う

669 :人間七七四年:2023/03/20(月) 21:17:49.88 ID:4/oBupDG.net
>>667
九月十二日ならそんなこと言ってもおかしくない。だって岐阜城も裏切りで落ちてる訳だし他にも裏切者山ほど出てる訳で何の為の人質かわからんもの…人質を殺せないって事は自分達は豊臣公儀じゃありませんって言うようなもんじゃん

670 :人間七七四年:2023/03/20(月) 21:59:44.94 ID:tc0nX9q5.net
>>662
四国・九州に派兵したのは百歩譲って権益奪還と主張できても
五百しか兵がいない細川親父の田辺城に一万五千の兵を張り付けていたのは正しい戦略か?
考えもなく手あたり次第に兵を送ってたのが実態だろう

671 :人間七七四年:2023/03/20(月) 23:26:49.94 ID:OGgbk8lr.net
>>670
田辺城を攻めたことそれ自体は説明出来ると思う。三奉行は細川家を重視していて西軍に組み込もうとしてた。田辺城には僅かな兵しか居ないし後詰も来ないから囲めば落ちる。落ちたとしてどうなるかというと細川幽斎の書状に「奉行が蜂須賀家政・生駒親正と同じ様にすると言ってきた」と書いてある。この両名は軍団を奪われ西軍に組み込まれて出征させられてる。つまり幽斎が降伏したら「細川幽斎が西軍に参加した」とでも発表するつもりだったんだろう。
まぁ問題はあるわな。細川幽斎が降伏しなかったら西軍も打つ手が無い。力攻めしようにも幽斎は朝廷にも影響力あって出来ないし。

672 :人間七七四年:2023/03/20(月) 23:30:52.08 ID:7K6F9Kzd.net
大坂以東に41500動員した毛利がやる気ないとか言われても

673 :人間七七四年:2023/03/20(月) 23:48:38.29 ID:D51RODXZ.net
>>671
「勅使ニて雅楽殿・阿波殿並ニ被仕候様ニ」云々は幽斎の書状じゃない
中川秀成宛松井康之・有吉立行連署状だぞ

674 :人間七七四年:2023/03/21(火) 00:14:47.92 ID:2/79xF3v.net
忠興は私婚問題では前田と徳川の間を周旋し
七将襲撃事件では犯人の一味でもありと
奉行にとっては余計なことをしてくれてるだけではなく
西軍決起においてガラシャを死に至らしめてしまった以上
忠興とは和解のしようがないくらい関係性がこじれてるんだから
まあ細川は何とかしないといかんわな

675 :人間七七四年:2023/03/21(火) 08:37:43.82 ID:615jNnyr.net
>>673
あぁ、その中で報告されてたのか。すいません。

676 :人間七七四年:2023/03/21(火) 09:24:43.24 ID:sSEOIGNF.net
>>669
つまり三成は史料上の確認が遅れてるだけで
どっぷり西軍に参加してる主戦派筆頭

677 :人間七七四年:2023/03/21(火) 10:59:12.21 ID:mmVXqys8.net
>>672
41500も動員できるわけない
四国に派兵してるのに

そもそも毛利家は秀吉の遺命で秀元の処遇とか
内ゲバ一歩手前や所領移しなどをやってたから、
関ヶ原当時はそこまで動員兵力いたのか疑わしい
小早川隆景や穂井田元清ら有力者も死んでるし

678 :人間七七四年:2023/03/21(火) 11:04:42.66 ID:UlW5e8ao.net
実際兵は動いてたらしいけどやっぱり四国と九州。
ただ六万の軍勢で大坂城占拠していた割には毛利軍東に動いてはいなかったような。

679 :人間七七四年:2023/03/21(火) 11:41:07.41 ID:mmVXqys8.net
慶長5年9月12日付増田長盛宛石田三成書状では、松尾山の城に中国衆を入れてくれと三成が
言ってるから、毛利軍を派遣してくれと言ってるんだと思うが、ならばなぜ三成は輝元に書状を
送らなかったんだと思いたくなるな

というか、四国など家康さえ始末出来たらどうにでもできるのに、輝元は明らかに優先順位を間違っている

680 :人間七七四年:2023/03/21(火) 11:54:39.69 ID:UlW5e8ao.net
命令系統の問題でしょう
輝元>長盛>恵瓊=正家>その他
三成はその他カテゴリに属する単なる1地方司令に過ぎない。出来るのは精々昔のツテで長盛にお願いするくらいで後は基本恵瓊や正家のパシリよ。
まぁ輝元がもう降参考えてて切り捨てに掛かってた可能性もあるけど。

681 :人間七七四年:2023/03/21(火) 12:48:59.28 ID:ZBI2HHqQ.net
>>677
毛利総兵力:41500(大津攻城時での計算)
毛利秀就10000(所在地不明)
毛利秀元&吉川広家15000(南宮山)
安国寺恵瓊1500(南宮山)
毛利元康10000(大津)
毛利輝元5000(大坂)

682 :人間七七四年:2023/03/21(火) 13:25:11.69 ID:bPk5EWFn.net
増田に連絡してるから毛利には連絡してない
と言うことにはならないよ

三成が他の奉行や毛利に対して
命令する立場にないのは当然だが
軍隊の移動は率いる大将にだけ伝えれば
問題ないってものでもないのもまた当然でしょ

逆に言えば本来の序列に関わりなく
こんなこと口出してるってのは三成の
西軍蜂起における役割と積極性が窺える

683 :人間七七四年:2023/03/21(火) 15:25:47.08 ID:8On/mYSo.net
三成が輝元に宛てた書状があるならまだわかるけど「あるかもしれない」レベルだとなぁ…
多分三成は輝元に書状は送ってないと思う。何故ならそれなら増田長盛に充てる必要が無くなるし。輝元の代理人である恵瓊がいる以上その上に直接書状送付しても何にもならないしなぁ。

684 :人間七七四年:2023/03/21(火) 16:12:39.27 ID:bPk5EWFn.net
その認識が謎だわ
兵隊送れと一報に送れば済む?
他方でどこに迎え入れるか指示しないでいいと?
どう動くかの周知もなく互いに勝手で
意味不明なまま動いていると?

そんなわけないだろう

685 :人間七七四年:2023/03/21(火) 16:28:34.69 ID:Dxc0iXZk.net
三成には軍団の編成権が無い。美濃で人数苦しんでるのに大谷吉継が三万で北に行ってたりするのはそのせい。
だから「兵隊を送ってくれ」とお願いは出来ても具体的な手続きなんて取れないのよ。雇われだから。三成は恵瓊や正家の指揮下にあったけど非常に不満があった。でも軍団を編成出来ない以上何も出来ない。それで上位者で軍団の編成権を有する増田長盛に「お願い」してる。輝元に言わないのは越権も甚だしいからだろうか。まぁ恵瓊に拒否されてるしね。

686 :人間七七四年:2023/03/21(火) 16:57:30.98 ID:sSEOIGNF.net
このスレだったか忘れたがちょっと前に
「三成が西軍を率いた」というのは
文学的表現に過ぎないというのはその通りだね

でもその中でも東部へは政軍両面で
責任者に近い働きをしてはいるでしょう
機能したとは言い難いのかもだが
少なくとも本人はその気になって動いてる

687 :人間七七四年:2023/03/21(火) 17:21:50.60 ID:a1/wXoKp.net
昔から言われてることだろうけど西軍は典型的な「船頭多くして船山に登る」だな

688 :人間七七四年:2023/03/21(火) 17:49:07.76 ID:615jNnyr.net
美濃方面軍司令といっても輝元らに言われて与えられた仕事こなしてるだけだけどね三成
美濃の織田秀信が味方になったからって行かされて、少ない兵力で徳川に対峙させられて順当に負けた

689 :人間七七四年:2023/03/21(火) 19:50:49.37 ID:BIVmPkfQ.net
>>687
でも西軍に家康レベルのはっきりとしたリーダーを作っちゃうと
そいつが戦後に第二の家康と化してしまうリスクを抱えちゃうんじゃないか?
ある程度の指揮権を渡すだけでそういうリスクが発生しそうだし

690 :人間七七四年:2023/03/21(火) 22:00:33.70 ID:EDlu0A+l.net
>>679
この一連のクーデターが収束しちゃったら、絶対に毛利の好き勝手にはならないよ。
成功すれば毛利の権威は上がるだろうけど、宇喜多・上杉、奉行集と合議で
政権運営に当たる立場になるに過ぎない。
毛利家だけの利益になる行動なんて認められるわけがない。
ごり押しすれば今度は毛利が豊臣公儀(笑)から追討される

輝元が毛利家の所領を拡大しようとすれば、戦乱のどさくさの間に
既成事実にしちゃうしかない

691 :人間七七四年:2023/03/21(火) 23:00:09.69 ID:7h7lDSty.net
秀吉イデオロギー猛獣一派 備前中納言、石治少、長大、徳善、増右、小摂

692 :人間七七四年:2023/03/21(火) 23:13:23.95 ID:yOI1uXoO.net
大坂城を毛利が占拠してる訳で輝元を止められるビジョンが見えないが…

693 :人間七七四年:2023/03/21(火) 23:38:18.81 ID:sSEOIGNF.net
毛利が一連の軍事行動で占領した地域を
実効支配した場合石高だけで徳川余裕で超える
加えて博多から瀬戸内、大阪まで押さえてる

豊臣公儀とやらがどうこう言える状況じゃなくなるべ

694 :人間七七四年:2023/03/22(水) 10:12:14.67 ID:NuW1xkbL.net
毛利軍は九月十日に伊予に侵攻してる。岐阜城失落以前に作戦発動していたとしても岐阜城が落ちた時に事情が変わったと思わなかったのか。決戦を考えたら伊予は捨てて兵力を再編成しないといけないはずだが…しかも負けて損害出してるし。

695 :人間七七四年:2023/03/22(水) 12:13:33.36 ID:k3i0VmWb.net
九州四国で合計一万程度しか動員してないから来たところで、だな
幼少の秀就から一万没収して投入したほうが早い

696 :人間七七四年:2023/03/22(水) 12:35:12.77 ID:nVgh5ffB.net
負け確定してるのになお伊予を攻撃したのはまぁ百歩許してなんとか理解するにしても、
負けて大損害出してるあたりが最高に毛利。
しかもそれで「徳川に騙されて減封にされた!」って言い出す辺りが最高に毛利。

697 :人間七七四年:2023/03/22(水) 13:22:11.55 ID:oaBTT44Q.net
家康が腹をたてたのは「内府ちかいの条条」よりも瀬戸内沿岸の徳川方大名への侵犯行為ではあるまいか。

698 :人間七七四年:2023/03/22(水) 13:34:18.66 ID:nVgh5ffB.net
まああんだけやって「戦争するつもりは無かったんです三成に乗せられて〜」とか寝言は寝て言えと言われるだろうしむしろ許してやった家康が度量デカイ。

なのになんで大坂の陣で豊臣に加担しようとしたの毛利輝元さん

699 :人間七七四年:2023/03/22(水) 20:43:03.21 ID:H4oKPMMI.net
度量がどうこうというより家康としては
早期終結を優先した仕置きだわな

関ヶ原で改易されたのはごく小規模な家や
国許に戻れず抵抗の準備もできなかった家ばかり
毛利上杉島津佐竹と遠征が必要そうなとこは
交渉で減封や安堵になってる

政権を担う立場としては戦乱が続くこと自体が
自分中心の体制そのものの存在意義に関わる訳で

関ヶ原前も基本的にことを荒立てず納めてて
権力伸長のために戦乱が必要な奉行とは
そこが根本的に違うんだよ

700 :人間七七四年:2023/03/23(木) 00:23:35.58 ID:Qp04LcCY.net
毛利秀就は結城秀康の娘を娶ることとなり、萩城新築工場、江戸藩邸新築、福島への前借り年貢返済、江戸城手伝い普請などで、破産寸前の危機時期に陥りました

701 :人間七七四年:2023/03/23(木) 00:55:51.33 ID:aaahgc4y.net
側室は人質にカウントしないのかな
西軍蜂起の際に阿茶局や創作モノで大人気のお梶さんは大坂にいたのよね
家康の正室が亡くなってるから阿茶局が奥向きの一番手だったと思うんだけど

702 :人間七七四年:2023/03/23(木) 10:06:07.55 ID:Qu30oQBU.net
毛利軍が入ってきて親徳川派が追放された時に脱出したんじゃない?

703 :人間七七四年:2023/03/23(木) 14:29:35.82 ID:H/IOjWTe.net
秀忠の嫁と娘も畿内にいる
江戸から家康が大坂に単身赴任してたみたいなイメージだけど
1600年の徳川一族は秀忠が一人田舎行ってて家族みんな上方に住んでるのが実態

704 :人間七七四年:2023/03/23(木) 14:59:15.59 ID:Ngw2Z5b5.net
家康の側室や五郎太らは伏見にいたと記憶している宇喜多らが攻めてくる前に落としたが、警護役が勝手に伏見に戻り鳥居軍に加わって戦死したことが、却って不忠だとされていた。

705 :人間七七四年:2023/03/23(木) 17:49:26.52 ID:thjYPKoA.net
安国寺や長束が三成より上位者だという意見があるけど、にしてはこいつらの書状がほとんど
存在しないのはどういうことだろ?

三成は真田昌幸とか、増田長盛に宛てたのがあるけど、長束や安国寺って何かあった?
吉川広家が間接的に伊勢方面でのこいつらの動きを書いてるからわかるんだけど、こいつらが誰かに
宛てた書状って自分は見たことない
誰か詳しい人いたらお願いします

706 :人間七七四年:2023/03/23(木) 17:51:03.06 ID:thjYPKoA.net
>>696
伊予に戦略的価値なんてないだろうに
あの土地、何のメリットがある?
田舎でどうしようもない僻地
水軍を味方にするため島嶼部を抑えるとかなら
まだわかるけどさ

707 :人間七七四年:2023/03/23(木) 18:07:05.49 ID:H/IOjWTe.net
伊予と安芸を抑えるということは九州から日本海側までの地域と畿内との物流を支配できるということ
関八州250万石なんかメじゃなくなる

輝元がそこまで考えてたかどうかはしらんけど

708 :人間七七四年:2023/03/23(木) 18:07:37.66 ID:Qu30oQBU.net
輝元が西軍を決起させたのは毛利がかつて握っていた瀬戸内海権益を取り戻すため。伊予が敵だと危ないし伊予には親毛利勢力もいるしで攻撃した。

709 :人間七七四年:2023/03/23(木) 18:32:28.89 ID:thjYPKoA.net
>>707
それは東軍さえ始末出来たらいつでもできることじゃないかな
家康さえ討てれば、伊予どころか天下すら夢ではなくなる
前田利家はもういないから、事実上のナンバー2が毛利だし

710 :人間七七四年:2023/03/23(木) 19:23:29.35 ID:VKK6lpLg.net
家康を討つのに後方の安全が必要だったんだよ
西軍の家康が孤立するという史実と比べると楽観的な見立てでさえ
関東へ攻め込むのは勢力を再編した翌年の予定で
つまりそれくらい家康と対峙するのは恐れられていた
足止めを期待していた上杉でさえ最上や伊達を何とかしないと
戦端を開く結城がなかったんだから

711 :人間七七四年:2023/03/23(木) 19:49:12.41 ID:h4IszNxI.net
奉行の中での序列は署名順から
失脚前から三成は下位なので
失脚中の関ヶ原時点では確実に下

書状の研究は非常に重要で
そのことから三成が序列以上に
乱に対して主体的、積極的だったのがわかる

恵瓊は毛利の代理人と考えると微妙なとこ
ただ大名として三成より格上
とするのはちょっと無理あるかと

712 :人間七七四年:2023/03/23(木) 20:05:05.45 ID:y2I+hWeN.net
>>705
長束が連署してるものなら沢山ある
単独で発給した書状に限定するならこの時期伝存してるものはないと思う
増田や石田はあるんだけどね

安国寺は8月20日付で福原広俊、吉川広家と連署した書状が二通あるが、
毛利家中の揉め事(毛利秀元小姓と益田元祥家臣との喧嘩)に関連するもの
後は安濃津城合戦の首注文を増田と堅田元慶に出してるくらいかね

713 :人間七七四年:2023/03/23(木) 23:23:07.63 ID:sbWOhNDb.net
>>707
話はそれるが伊予側の来島海峡域は戦略的重要部だからWW2中にも島嶼部の山に戦艦の迎撃大砲を設置してたぐらいやしね
米軍が海峡を通過する事を想定してたのには引いたが
日帝は結構やる気があったの凄い

714 :人間七七四年:2023/03/24(金) 06:58:03.08 ID:LhV6JxVA.net
四国?そんなど田舎誰が欲しがるん?
って思われがちだけど割と重要な海運の要所。毛利氏も四国には大分入れ込んでいたけど秀吉に全没収された。それを取り戻す機会をずっと窺ってたんだとさ。

715 :人間七七四年:2023/03/24(金) 09:44:13.49 ID:4bw9ONM5.net
たいかう検地では伊予は30万石くらいだが、わしなら治山治水を活発化させ、50万石、いや、70万石にもしてみせよう。

716 :人間七七四年:2023/03/24(金) 10:12:15.08 ID:6yeCKBdU.net
西軍は対徳川を重視してない。伊勢に展開するにしても美濃があそこまで手薄なのはいくら何でも酷い。てことから考えるに輝元はこの戦争が長期化すると読んでいたんだろう。打倒家康と言ったって江戸城まで遠いし家康が野戦で出てくるとも思えない。家康を討てないんだから毛利領拡大を図る。っていうとそれっぽくはある。
ただ家康の方が遥かに遣り手で美濃を一撃で抜いた後、小早川秀秋を調略で落とすと大垣に集まった西軍勢力の退路を断たせて撃滅した。まぁ格が違ったんだよなぁ色々と。

717 :人間七七四年:2023/03/24(金) 20:01:00.69 ID:H7gn75yB.net
大谷吉継も割と熱心に活動してた気がする

718 :人間七七四年:2023/03/24(金) 21:08:17.44 ID:kkymOuX7.net
西軍が秀頼を担げば会津征伐軍は正当性を失い
諸将はそれぞれに国許に帰る
孤立した家康は遠征ができない

という想定だね
実際家康自身は東軍先鋒が岐阜を落とすまで
動けなかったのでまるっきり的外れとも言えない

東軍先鋒諸将が動揺して離散するどころか
結束を保ったまままとまった軍勢で
攻め上ったことが最初にして最大の誤算

719 :人間七七四年:2023/03/24(金) 23:46:49.44 ID:hM8a6CI7.net
後鳥羽や後醍醐が関東の敵対勢力を糾弾しても相手が孤立するどころか
逆に攻め上ってきて追い出された歴史は当時の人間でも知っていることなのに
はっきりいって誤算する方がどうかしている
西軍首謀者連中は天皇・上皇さえも超越した神にでもなったつもりか

720 :人間七七四年:2023/03/25(土) 00:03:28.69 ID:H3hRJ6Mw.net
政権の担い手として家康が支持されているという状況を認識できなかったから
家康相手に政争を仕掛けて逆に追いつめられクーデターを起こして負けたんだぞ
自分を過大評価して負けるあるいは相手を過小評価して負けるもしくはその両方というのは
失敗の理由としてはオーソドックスなものじゃないか

721 :人間七七四年:2023/03/25(土) 01:03:20.69 ID:MxNcP+gV.net
後世から家康を絶対視しすぎだろ
確かに家康は凄いが本当の凄さが出たのが関ヶ原だからな
史実ルート外も十分あり得た訳だしめちゃくちゃ叩くほど政治レベルでの毛利は駄目でもない
戦略戦術はゴミやったけど

722 :人間七七四年:2023/03/25(土) 06:04:00.72 ID:R67OSdQR.net
というか長期戦でないと勝てないのは
毛利だけじゃなく西軍全体の戦略がそう
毛利だけの責任とするのは無理がある

東軍先鋒が瓦解せず各個撃破か調略が通じず
岐阜落とされて大軍が押し寄せた時点で
見通しの効く連中は決戦回避や内応に動いてた

ジリ貧なのに好戦的に動いて負けた連中を
持ち上げるためにその辺を過小評価しすぎだよ

723 :人間七七四年:2023/03/25(土) 07:03:59.60 ID:dKv/q4+H.net
輝元からすると時間稼ぎで充分という発想はあったろう。徳川自体は上杉と同盟してる佐竹が怖くて動けないはずだったし。家康は西上にあたって兵隊を少数に分けて行軍させるという異質な戦略をとってる。白峰氏曰くこれは豊臣公儀に追放された自信の無さの表れ、らしいけど上杉や佐竹に西上を知られたくないっていう理由の方が大きいと思う。現に景勝は秀忠の西上は知ってたけど家康の西上には気付いてなかったはずだし。

724 :人間七七四年:2023/03/25(土) 10:42:57.40 ID:rGPCAj9l.net
>>711
首謀者・大谷吉継説がある
異説であるが自分は支持したい

武断派に嫌われている石田三成、小西行長はむしろ関わっていないほうがマシなのだ

725 :人間七七四年:2023/03/25(土) 10:47:08.93 ID:rGPCAj9l.net
空弁当だの問鉄砲だのと脚色された戦いではなく、実際の戦いはどうであったかを検証すべきだ

726 :人間七七四年:2023/03/25(土) 11:32:24.03 ID:fG4zXkEQ.net
それは迂闊であった。じゃが今、兵に弁当を与えておる最中なれば…

727 :人間七七四年:2023/03/25(土) 11:35:29.28 ID:VQXzFnJ1.net
徳川は大谷吉継が西軍に与した理由を「宇喜多騒動を家康家臣榊原康政と解決しようとしていたところ、康政が地元を疎かにしてしまい家康がこれを叱責した。それを吉継は不愉快に思った」としてる(康政に「領地を顧みずに騒動解決に夢中とはどういうことだ、そんなに礼金が欲しいのか」と叱責したところ何故かこれが吉継にも漏れて「家康の事を思って骨を折ってるのに礼金目当てと言うのか」とキレたらしい)
対して石田三成は「なんであいつ刃向かってきたん?」だからマジで理解不能だったようだ。

728 :人間七七四年:2023/03/25(土) 11:44:51.04 ID:qKoEmjua.net
>>727
単純に徳川が大谷吉継と石田三成の蜜月関係を
知らなかったんじゃないかね。

729 :人間七七四年:2023/03/25(土) 12:09:54.15 ID:Q3SGrHKc.net
家康が豊臣有力家臣の交友関係を把握してないって
そんなことあり得るだろうか

730 :人間七七四年:2023/03/25(土) 12:55:05.46 ID:VQXzFnJ1.net
知ってたかもしれないけどまさかそれで西軍に参加するとは思ってなかったかもしれん。時代劇なんかだと「三成が敵なのはわかるが吉継まで!?」って描かれたりするけど「吉継が敵なのはわかるが三成まで!?」だった可能性もあるのか。

731 :人間七七四年:2023/03/25(土) 15:40:02.21 ID:OkEpz0ZA.net
>>727
らしい、ってなんの史料なの

732 :人間七七四年:2023/03/25(土) 15:46:36.63 ID:X82BkeEz.net
>>728
そもそも大谷と石田の蜜月って何が根拠?
茶の話とか全て後世の話だぞ

三成吉継肯定派って、なぜか三成吉継に都合のいい話は
常山とか名将とか疑わしい後代の史料を用いるんだよな

733 :人間七七四年:2023/03/25(土) 15:50:44.36 ID:X82BkeEz.net
>>721
関ヶ原は完全な消化試合でしょ
徳川方の史料の「当代記」すら「小早川に脇坂に小川が裏切って
あっさり終わりました」とあるだけだし
まあ、小早川を事前にちゃんと調略したのはさすがは家康だが

そもそも関ヶ原の相手が石田三成とか家康ラッキーすぎるだろ
あれが信長か秀吉だったらと思うわ
慶長5年9月12日付書状で三成の奴、「敵が何を策しているのかわかりません」
とか書いてるし。三成は敵味方の動向に注意を全く払ってなかったのかよ
しかもこの書状ではこの日に軍議を開くとかあるし
8月24日に垂井を奪われて危機的な状況なのわかってたのか?

734 :人間七七四年:2023/03/25(土) 16:04:27.25 ID:5ewYdtEe.net
>>731
当代記と玉露叢。なにせ大谷吉継は事情聴取を受ける事なく戦死してる。その内心を徳川が知る由は無い。ただ徳川には心当たりがあってそれが宇喜多騒動だった、というお話。

735 :人間七七四年:2023/03/25(土) 16:16:19.56 ID:X82BkeEz.net
>>734
当代記にそんな記述あったか?

736 :人間七七四年:2023/03/25(土) 16:23:00.58 ID:MxNcP+gV.net
豊臣有力家臣の対軸の話なら加藤清正vs小西行長が根本的にある問題やからそこから見ないと始まらない気がする
それに乗る形で派閥みたいなものがあった感じやろ

737 :人間七七四年:2023/03/25(土) 16:29:44.85 ID:BKnLAGhS.net
>>730
家康としては七将襲撃事件で穏便な裁定を下してあげたのになんでって事じゃない?
加賀征伐の時期には失脚中の三成に代わって
家康の命令で吉継に石田家の兵を指揮させてるそうなので
程度の問題はあれど両者の関係性を知らない可能性は低いのでは

738 :人間七七四年:2023/03/25(土) 16:39:14.12 ID:VOQJi9cg.net
>>734
とりあえず当代記読んだら大谷は中納言の言い分を立てた、家康は家老の申し分に同じた
それで大谷が「批拠」を申し立てたとしかないんだが

玉露叢の当該部分も読んだが、到底信用できない

まだ価値のある卜斎記はこうしてるよ
ttps://clioimg.hi.u-tokyo.ac.jp/viewer/view/idata/T38/1599/17-6-1/20/0019?m=all&s=0018&n=20

739 :人間七七四年:2023/03/25(土) 16:51:01.41 ID:X82BkeEz.net
玉露叢は当代記より50年も後の史料だから後代史料じゃない?
常山とかよりはマシだけど

740 :人間七七四年:2023/03/25(土) 16:52:45.34 ID:X82BkeEz.net
当時のリアルタイムで、西軍挙兵の際に
「石田三成、大谷吉継謀反」とあるから、やはり仲が良いところはあったのかな?

どの書状も大抵は、石田と大谷だし

松井の書状が確か「毛利輝元」が加わっていたかな?

741 :人間七七四年:2023/03/25(土) 16:57:27.35 ID:X82BkeEz.net
>>736
加藤清正VS小西行長より、
蔚山における福原長高と熊谷直盛のほうが酷いんじゃないか?

しかもあの讒言で福原は讒言したやつを改易に追い込んで、自分が所領を得てるから酷すぎる

742 :人間七七四年:2023/03/25(土) 17:06:07.89 ID:1DgBMPwW.net
現実的な問題として大谷吉継の決起理由がわかる史料が無いからね。ただ「徳川としてはこうなんじゃないか」という話で。それよか全く覚えが無い石田三成の方が割と不気味ですよ。

743 :人間七七四年:2023/03/25(土) 17:16:25.16 ID:1DgBMPwW.net
>>732
何故か武功夜話では恋人関係とされる二人だけど一応他の史料だと宗湛日記では秀吉の勘気を蒙った吉継の為に三成が尽力してたことが残ってたりしてる。

744 :人間七七四年:2023/03/25(土) 17:28:41.33 ID:p6hsTUjG.net
三成の挙兵ってダチだと大谷くらいしか知らなかったんでしょ?兼続、義宣の動き鈍いもんね

745 :人間七七四年:2023/03/25(土) 18:12:07.63 ID:1CPG5Xte.net
>>733
東軍の動きはかなり不可解なのよね。8月24日に東軍は垂井まで占拠した。このまま次は大垣か佐和山攻めになるはず。
ところが東軍はそこで行動を止めて9月12日まで傍観してる。お陰で西軍は大垣方面に兵を集める事が出来た。でもなんでこんなことしてるんだろ?と思うのは当然といえば当然。
かといって打って出るのも難しい、厄介な局面を抱えていたのも事実なんだが。

746 :人間七七四年:2023/03/25(土) 19:00:35.80 ID:X82BkeEz.net
>>745
家康が小早川を調略してたからじゃないの?_
ついでに脇坂もやってたみたいだし

家康はこのとき、清須にまだ着いてない
着いたのは9月1日

しかも当代記では、家康は清須で病気になったとある
数日で回復したらしいけど、やはり60の爺さんに遠路はきついんだろうな

747 :人間七七四年:2023/03/25(土) 19:02:07.44 ID:X82BkeEz.net
問題は西軍がこういう東軍の動きをほとんどつかんでないこと
9月12日付三成書状で「東軍が何を考えてるかわからない」とあるから、全然つかんでないことが
丸わかり

東軍は佐々正孝とかに西軍の情報が筒抜けになってるのに、何やってるんだ

748 :人間七七四年:2023/03/25(土) 19:15:56.76 ID:dKv/q4+H.net
>>746
三成たちは知る術は無かったけど多分そう。実は割と家康もキツくて佐竹上杉が家康西上を知ったら攻めてくるってプレッシャーがある。だから一撃で仕留めないといけなかった。
とはいえ確かに三成は結構迂闊。

749 :人間七七四年:2023/03/25(土) 19:28:54.34 ID:X82BkeEz.net
>>748
佐竹は8月時点で常陸に引き篭もってる
上杉は伊達に城をいくつか奪われてたし、
そこまで不安視してたのかねえ

750 :人間七七四年:2023/03/26(日) 09:12:56.56 ID:cUHNV+6s.net
秀忠軍を堂々真田征伐に行かせておいて家康本隊は軍団を少数に分けて進軍させたっていうしかなり気にしてたんじゃないか?佐竹と上杉の関係はよく知れてる事だし。景勝書状にも「内府が西上したら自分は関東を攻撃する」ってある。佐竹領まで完全封鎖してたとはいえ念には念を入れて損は無い。

751 :人間七七四年:2023/03/26(日) 11:01:56.73 ID:0AoyUf6c.net
>>747
真田昌幸が息子信幸が東軍に属してる事を知らなかった結果三成が信幸にも西軍の資料送っちゃったからね。昌幸と三成の大ポカ。

752 :人間七七四年:2023/03/26(日) 16:12:28.94 ID:nh4CtrIS.net
岐阜城抜かれた後西軍が有効な動き出来なかったのが痛い

753 :人間七七四年:2023/03/27(月) 00:17:08.75 ID:i1OISNoJ.net
もう岐阜が落ちれば有効手段が無いんよな
東軍有利で選択権がある状態
関ヶ原も小早川問題込みで勝てる算段あったから会戦を選択した感じやしな
西軍は籠城持久戦がいいが東軍の大軍勢相手ではその辺りが無理だと判断したんだろうし
まぁ行動と言う点では西軍は頑張ったよ

754 :人間七七四年:2023/03/27(月) 12:38:26.64 ID:Nd/NNS05.net
やっぱ西軍の初期戦略が破綻していたのか。ていうか何故抜かれたらヤバい美濃が一番手薄なんだ…

755 :人間七七四年:2023/03/27(月) 15:37:55.49 ID:EaHf6EsV.net
抜かれて良い場所なんてないよ

実際抜かれたのが美濃だっただけで
全軍美濃に集結したところで
前田が南下したら挟み討ちで終わるだけだし

756 :人間七七四年:2023/03/27(月) 18:31:54.11 ID:MFl0x2B4.net
そこら辺の見通しも甘い。
結局北方戦線は岐阜が落ちたら撤収してるし。

757 :人間七七四年:2023/03/27(月) 21:28:17.85 ID:WNc7z0Vb.net
>>756
でもその辺突き詰めてくと、「これ挙兵しないのが正解やん…」になる
見通しが甘いからこそ、西軍が挙兵したって考えた方がいい位に思える
少なくとも見通しが出来てたなら毛利は挙兵に乗らないだろう

758 :人間七七四年:2023/03/27(月) 21:36:08.20 ID:i1OISNoJ.net
シュレディンガーの西軍

759 :人間七七四年:2023/03/27(月) 21:45:06.60 ID:QErcJIlQ.net
>>753
岐阜が落ちたのがいけないのではなく、その直後に
赤坂や垂井まで進出されているのが酷すぎる

もし、岐阜城までで済んでいたなら、長良川と揖斐川を
2本の防衛ラインにして西に残存する西軍が来るまで持久戦も
可能だったと思う

赤坂と垂井を奪われてる時点でもう大垣も詰んでる
あと考えられる方策としては、大垣を放棄して佐和山撤退(追撃覚悟で)
佐和山で後詰決戦やるか、瀬田川を防衛ラインにして最後の決戦やるかしかない

760 :人間七七四年:2023/03/27(月) 21:47:38.41 ID:QErcJIlQ.net
>>755
利長にそんな冒険できるかな?
確かに8月24日の書状だったか、
家康に「いつでも指示あり次第南下します」
とか言ってるけど

761 :人間七七四年:2023/03/27(月) 23:35:28.11 ID:fGU7QLD6.net
前田は突出する必要はない
家康との連絡路が確保出来てる限り北から圧力をかけるだけで武功になる
西軍は正面戦力が揃えられないかぎり決戦するか崩壊するしかない

762 :人間七七四年:2023/03/27(月) 23:42:19.90 ID:JQ7m9EmP.net
>>760
利長としては別に博打でも何でもないよ

そんなピンポイントのタイミングでなくても
美濃で対陣中あるいは岐阜や清洲を攻めてる最中に
背後に現れるだけでもう西軍は大ピンチだよ

なので北陸道からの進軍への備えは
数万単位でやはり必要になる

763 :人間七七四年:2023/03/28(火) 08:21:00.16 ID:KIIev5j8.net
>>758
笑わせるなw

764 :人間七七四年:2023/03/28(火) 13:39:10.85 ID:NIIdNOBJ.net
大谷吉継の作戦で後退したとか言われてる利長だけど実際は自国の西軍勢力を潰し切りにいっただけとかいう

765 :人間七七四年:2023/03/29(水) 01:06:45.53 ID:Wkog5Ze9.net
物産問屋美濃屋、越前屋が手を回して物資は押さえてある。

766 :人間七七四年:2023/03/29(水) 09:13:23.92 ID:Fijx8Ldm.net
公儀名乗れば解決すると西軍が考えていたとは考え難いんだけどなぁ…徳川と縁戚の連中が反徳川連合に与するとは思えんし豊臣譜代って訳でも無いから秀頼の威光とか何の役にも立たないし。何かもう一つら見落とされてる勝ち目があったのかもしれんが。

767 :人間七七四年:2023/03/29(水) 09:23:05.14 ID:B3aEcC8P.net
オレには奉行らはライバル蹴落とす
権力ゲームを繰り返すうちに
トップ蹴落とすチャンス作れば皆乗ると
思い込んでしまったように見えるかな

司馬遼太郎とかは全部家康の陰謀で手の内
みたいに描いてそれを止めるためとしてるけど
一次史料的にはむしろ受け身だし

768 :人間七七四年:2023/03/29(水) 09:41:03.67 ID:mKiAisez.net
非主流派のクーデターなんだから始めから確実な勝算までは計算してないでしょ
やってみないと分からんことばかりだから現実は

769 :人間七七四年:2023/03/29(水) 18:08:12.54 ID:HlIjihcj.net
輝元の野望に付き合ったのが運の尽きだが三奉行に拒否できたかどうか

770 :人間七七四年:2023/03/29(水) 20:21:28.52 ID:xC9KogdO.net
その一年も前に三成がクーデターそそのかしてるからなあ

771 :人間七七四年:2023/03/29(水) 22:27:44.83 ID:PlfQr1o6.net
>>769
輝元の野望というけど、そもそもこいつの野心に火をつけたのって
1598年8月28日の起請文が原因じゃないの?

「もし今度定められた5人の奉行のうち、秀頼様への謀反ではなくても、増田長盛・石田三成・前田玄以・長束正家の意見に同意しない者があれば、私(輝元)はこの4者に同意して、秀頼様へ奉公する」

これって奉行が絶対正義みたいな起請文なんだけど……
しかもこれだと前田利家や宇喜多秀家も敵に回してるとしか……

772 :人間七七四年:2023/03/29(水) 23:03:17.90 ID:L9crTw8v.net
増田長盛・石田三成・前田玄以・長束正家と小西行長は豊臣が抱える癌細胞だからな
こいつらは謀略を繰り返して豊臣を滅茶苦茶に破壊した
なんとか関ヶ原で癌細胞を切除したけどあまりにも遅すぎた

773 :人間七七四年:2023/03/30(木) 06:26:06.29 ID:+ihuU5zN.net
>>771
関ヶ原首謀者たちの目指すものが
端的に示されてる史料がそれだよな

要は自分たちの思い通りになる政権を目指してた

774 :人間七七四年:2023/03/30(木) 06:39:04.19 ID:ukd1CoT0.net
石田三成を賛美する史料は大抵、後代の江戸時代中期に成立したものが多い……

775 :人間七七四年:2023/03/30(木) 08:31:57.52 ID:+Qplpe1B.net
>>775
そもそも石田の名誉回復がなされたのって、江戸時代になってからだろ
豊臣家や政権の方で、公的に石田の名誉を回復するような事してた記録なんてあるの?

776 :人間七七四年:2023/03/30(木) 11:51:23.57 ID:wLWuwlxE.net
実際あの起請文草案は本物なのか?起請文それ自体が見つかってないから何とも言えんものではあるが。

777 :人間七七四年:2023/03/30(木) 15:12:29.98 ID:lQOQYM8T.net
石田三成が、通説どおりの考えだったとした場合に、
毛利とか他の奉行たちが、自分たちのことを優先した
行動を取ったことは、誤算だったのかな。
それも承知の上だったのかな。ら

778 :人間七七四年:2023/03/31(金) 16:57:03.27 ID:ya+QXn3y.net
>>777
そもそも三成が自分優先してるんだけど
まさか三成が豊臣政権に忠義を尽くしたとでも?

勿論、家康も豊臣に忠義は尽くしていない
関が原に勝った後、確か秋田実季だったか
10月13日の書状で「家康に奉公する」とか書いてるから、
明らかに天下人の地位を簒奪しているけどな

779 :人間七七四年:2023/03/31(金) 19:27:16.02 ID:hdMmAur9.net
関ケ原で豊臣家の無力さが知れ渡ったからな
西軍が悪い

780 :人間七七四年:2023/04/01(土) 07:43:31.23 ID:R86P/Lib.net
本来なら奉行連中の謀反など家康がいなくても豊臣家が単独で鎮圧すべきなんだよ
ところが豊臣家は三成ごときにびびって震えているだけで何もできなかった
豊臣家の無能・無力が白日のもとにさらされたわけ
諸大名が豊臣家を見限って家康に奉公しようとするのは当たり前だろ

781 :人間七七四年:2023/04/01(土) 09:09:05.94 ID:KRvFs3TG.net
関ヶ原は豊臣vs徳川の戦争なんだから勝った徳川に奉公するのは当然といえば当然

782 :人間七七四年:2023/04/01(土) 12:26:24.99 ID:hlqlwibB.net
先鋒福島はそんなつもりはなかったろ

783 :人間七七四年:2023/04/01(土) 12:55:08.66 ID:sjx9Hmfb.net
司馬遼太郎のせいで三成憎しの猪武者みたく思われてるけど史料での福島正則は結構冷静だぞ。家康が来れなくなったと知ったら軍監の井伊・本多に作戦を開始したいから至急来てくれと書状送ったり岐阜城攻略戦では池田輝政らと軍議を重ねて要地の竹ヶ鼻城を落としたり。それに対して正則は豊臣には書状送ったりしてない。おそらく正則も輝政も西軍が糾弾する「徳川と勝手に縁辺に及んだ」大名だから実は豊臣の意思とかどうでもよかった可能性がある。

784 :人間七七四年:2023/04/01(土) 13:29:03.94 ID:QEu9Q0jd.net
>>783
それ福島の書状じゃないぞ
黒田長政・徳永寿昌・奥平貞治連署状だぞ
「然者天下之勝負、川越ニ相究候間、御両所急御越候て、今一往御談合候て尤ニ存候、
御人数ハ被為置、御自身迄片時もはやく御出専用存候」

785 :人間七七四年:2023/04/01(土) 14:32:21.31 ID:2jTAxBYO.net
福島正則
福島原発
福島瑞穂
クソイメージ悪い 福島って産廃の代名詞

786 :人間七七四年:2023/04/01(土) 16:56:06.64 ID:kvgPYLuH.net
CHATGPTで聞いたらとんでも回答

豊臣秀頼は秀吉の実子でしょうか。秀頼の実父は誰でしょうか?

豊臣秀頼は豊臣秀吉の養子であり、実父は明智光秀とされています。秀吉には男子がおらず、秀頼を養子とすることで、
豊臣家の血統を継がせることを望んだと言われています

787 :人間七七四年:2023/04/01(土) 18:43:57.90 ID:+sQdNPWJ.net
かわいい顔に騙されないで

788 :人間七七四年:2023/04/02(日) 16:06:18.54 ID:09BPVwuN.net
最近、石田と上杉の共謀説が否定されていますが、それは正しいのでしょうか?

例えばこの真田宛石田三成書状

「此方より3人使者を遣わし〜」から始まり、「右の内1人は貴老返事次第案内者を〜」とあり、
連絡をとりあっていたと考えるべきでは?

789 :人間七七四年:2023/04/02(日) 16:15:54.40 ID:09BPVwuN.net
真田昌幸宛石田三成書状

「内府、会津佐竹を敵に仕られ、僅かに3、4万の人数を持ち、分国15の城を抱き、廿日路上らる事、成る物に候や」
「主の人数1万、上方勢2万ばかり語らい上り候とも、尾三の間にて討ち取るべき儀、誠に天の与へに候。然れば、会津、佐竹、貴殿は関東へ
袴着けて乱入あるべしと存じ候」

790 :人間七七四年:2023/04/02(日) 16:43:07.22 ID:LAqEbCrG.net
>>788
時期の問題
通説で言われるように早い時期からの共謀はなかったってこと
ちかひの条々が出されて以降は上杉と連絡取ろうとしてるし普通に連携しようとしてたでしょ

あと「自此方三人使者遣候…」云々の部分は、真田からも護衛を出して沼田経由で会津へ書状が無事届くよう
依頼しているものであって、それ以前に石田と上杉が通信していたことを証明するものではない

791 :人間七七四年:2023/04/04(火) 12:46:50.99 ID:1ZajaudT.net
徳川と戦争するなら上杉との連携は必須。特に石田三成にとっては。三成と仲の良い真田・佐竹は最前線に置かれる訳で黙っていたら圧殺されてしまう。上杉との連絡路は沼田越えと佐竹経由とあったけど沼田は真田信幸に塞がれ、佐竹は徳川に塞がれて進退窮まった挙句岐阜城落とされた

792 :人間七七四年:2023/04/04(火) 17:56:57.32 ID:2G6BySlT.net
上方と会津の連絡線の長さから連携が有効になるのは長期戦の場合のみ
しかも連絡線が確立できたわけでもない

連携どうこう言う前に負けたのが史実の西軍

793 :人間七七四年:2023/04/04(火) 20:19:07.62 ID:KE2r0Goa.net
上杉が南下しなかったから西軍が負けた
というのは結構無茶な話

先の大戦ナチスドイツがアメリカ本土に
攻め込んでたら日本は負けなかったくらいの話

794 :人間七七四年:2023/04/04(火) 22:21:14.39 ID:MYgAXjV/.net
そもそも直江が2万も率いて2000の最上(最上本隊は無傷)に負けてるんですけど……
これで家康の軍勢に勝てるとでも?

795 :人間七七四年:2023/04/04(火) 23:45:15.33 ID:cWXQcnTX.net
直江の過大評価感は異常

796 :人間七七四年:2023/04/05(水) 01:38:37.30 ID:dKu1fh+I.net
兼続の家は断絶したから景勝の無能まで全部兼続のせいにされてる感

797 :人間七七四年:2023/04/05(水) 03:42:01.06 ID:h/9riz/W.net
関ヶ原に代表される一連の争乱は別に天下分け目というほど拮抗してなくて
負けた側が負けるべくしてあっさり負けたワンサイドゲームだったというのがどうやら実情
というには後世に与えた影響が大き過ぎるから後々あれだけ劇的な創作捏造がてんこ盛りされたんだろうな

798 :人間七七四年:2023/04/05(水) 04:54:00.87 ID:dKu1fh+I.net
関ヶ原より大坂の陣だろうな
そもそも本能寺こそ日本の行く末を大きく変えた事件だが

799 :人間七七四年:2023/04/05(水) 07:42:45.17 ID:z8o0bn+h.net
>>794
そこで躓くまでは全勝だろ

800 :人間七七四年:2023/04/05(水) 08:02:15.28 ID:EDejiGcE.net
城攻めに時間がかかることなんて極普通のことだし、関ヶ原の敗戦を聞いての撤退戦で
被害を最小限に止めているのだから実質上杉の勝ちやろ

801 :人間七七四年:2023/04/05(水) 08:31:05.96 ID:PpVc+Z3N.net
最初から三成と共謀していたならともかく、当初は東軍本体と一人で戦う気だったのだから
別に関ヶ原の敗戦を聞いたところで撤退戦をする必要などないのに
急にビビりだして慌てて撤退する方が情けない
実質でも名目的にも上杉の完敗だよ
結局は会津征伐前の態度もただのハッタリに過ぎなかった

802 :人間七七四年:2023/04/05(水) 13:45:49.70 ID:tBZP3hd/.net
史料的に見て上杉の情報は伏見陥落以後途絶えてるはず(佐竹の書状的に)
つまり景勝からすりゃ伏見落としてイケイケで押してた西軍が突如壊滅して降伏しましたって訳でパニックになってもおかしくない。

803 :人間七七四年:2023/04/05(水) 16:42:15.77 ID:fF8a8JAr.net
秀吉の死後、家康は秀頼に対する謀反の疑いをかけては自分に服従させていったわけで
家康に勝てないのは明らかなのよね

804 :人間七七四年:2023/04/05(水) 18:46:11.93 ID:n4u4JZ7e.net
>>800
庄内方面から進行していた部隊が取り残されて志村が追い詰めて降伏
ひと月で酒田以外の庄内地方が最上に侵略されてたよ

805 :人間七七四年:2023/04/05(水) 19:45:46.93 ID:DcIUCO/9.net
西軍蜂起が無くても史実通りの120→30万石で落着してたような気がする

806 :人間七七四年:2023/04/05(水) 21:10:29.02 ID:ufT8m1to.net
上杉のムーブの意図がわからん
腰砕けした毛利のほうがまだわかる
どういう見通しでおっぱじめたんだ

807 :人間七七四年:2023/04/05(水) 21:30:40.63 ID:nQ4Okde1.net
割とマジで面子の問題
親家康派の重臣を内通者扱いして追い出しておきながら
土下座謝罪なんてしようもんなら下手したら主従の首が飛ぶ

808 :人間七七四年:2023/04/05(水) 22:19:39.21 ID:qMFAYOqr.net
景勝は本気で謀反を考えていたと思われてる。根拠はまず神指城でこの城の普請は豊臣公儀公認でその為に大量の資源が投入されてる。なのに全く出来てない。そして国境沿いの城砦が整備されてる。つまり神指城を目眩しに戦争準備を進めてた。次に景勝は実は上洛を呑んでる。ただそれを反故にして時間稼ぎしてる。これだけやってて謀反する気はありませんでしたは苦しい。本気で越後が欲しかったんだろう。

809 :人間七七四年:2023/04/05(水) 22:37:07.76 ID:b2RltrJ5.net
>>801
そのような前後の状況がわかってるのだから
最初から滅ぶ覚悟で徹底抗戦など見込んでなかった
と考えるのが自然と思うがなあ

一戦の覚悟見せつつ土下座外交の腹はあったんだよ
最初から土下座では面目立たん
対外的にはともかく内部にそう考えるものがいたら
弱腰では統制自体不能になりかねない

豊臣政権の過去の事例からしても
富山四国九州では家の保存には
成功してるわけだしね

810 :人間七七四年:2023/04/06(木) 08:30:46.87 ID:CdG0IBPv.net
>>806
西軍がそんな簡単に負けるとは
思ってなかったんじゃないかな

811 :人間七七四年:2023/04/06(木) 09:38:01.02 ID:Ehp7C6+X.net
>>806
面子重視の戦国時代の名残

812 :人間七七四年:2023/04/06(木) 11:59:59.32 ID:W4+sCcpn.net
征伐軍を招いた時点で改易か減封は免れないんだから家中統制も含めて景勝の失策

運良く西軍が挙兵してくれたから、あわよくばで最上領を攻め込んだけど苦戦したあげく撤兵するはめになったと

ここらへんのグダグダは御館の乱から新発田の反乱、秀吉への臣従の流れのグダグダと同じ

景勝は昔から見た目の態度だけは立派だったようだが秀吉の下でも中身はまったく成長してない

813 :人間七七四年:2023/04/06(木) 12:34:41.73 ID:HSQ/L0t0.net
西軍で全体の絵を描いてたやつはいたのかどうか
上杉がきっかけを作って、徳川が離れたタイミングで毛利が兵連れて上方へ入るとこまで

上杉と三成の連携は否定されてるんだよね?

814 :人間七七四年:2023/04/06(木) 13:51:36.95 ID:CdG0IBPv.net
>>813
うん

815 :人間七七四年:2023/04/06(木) 16:38:16.38 ID:OeREdbzK.net
ぜーんぶ秀吉が悪い
そんなに秀頼の行末が気になるなら朝鮮出兵の前に家康を潰せっての

816 :人間七七四年:2023/04/06(木) 18:12:04.55 ID:eMxjE/n0.net
>>813
慶長5年6月18日付の直江兼続宛石田三成書状が
上杉文書にあるんだけど、なぜか偽書として否定されている

817 :人間七七四年:2023/04/06(木) 19:19:16.86 ID:pon750oa.net
>>816
上杉家文書じゃないよ
『続武者物語』所収の文書で日付は6月20日付

1680年成立の編纂物で、同書は史料的裏付けが取れないエピソードが多数掲載
されており、信が置けない史料という評価になってるから扱う研究者もいない

818 :人間七七四年:2023/04/06(木) 21:12:48.94 ID:HSQ/L0t0.net
1、前田家が徳川に人質を出した等を見て、このまま家康の軍門に下るを良しとせず乾坤一擲で決戦を企図した。西軍の決起を知りむしろびっくり。

2、三成か毛利か三奉行か、じつは密約があった。会津征伐軍が上方を出払うとすかさず奉行と毛利が秀頼を抑えて家康を糾弾し東西から挟み撃ち。

3、確約はないが家康が上方を離れれば何かがおきるという確信があった。上杉単独で全国を敵に回すことはないという確かな手応えを掴んだゆえに対決を決断した。

どれが近いと思う?

819 :人間七七四年:2023/04/06(木) 23:21:25.19 ID:nqu1P5i7.net
1はあり得んだろ
そもそも芳春院が江戸に赴いたのは慶長5年の会津征伐の前後だよ
加賀征伐の中止=芳春院の江戸行きではない

2は密約があったにしては、6月とかの書状が全く確認できない

3かな
ありえるとしたら

黒田如水が吉川広家に宛てた書状で「早く乱が来ないかな」とか言ってるし、上杉も何らかの
手ごたえを感じていた可能性はある

820 :人間七七四年:2023/04/07(金) 00:12:48.94 ID:IK/1ZO8A.net
>>819
もしかして慶長3年9月15日付吉川広家宛黒田如水書状の
「我等事ハ上様へのふそくもなく候、世上ふのあしき殿にて候、然共かやう時ハ
仕合成申候、はやくハ乱申ましく候、其御心得候て可然存候」のこと?

それなら「私は上様への不足はありませんが、世間では評判の悪い殿です。
しかしこのような時は首尾よくいくもので、世の中早くには乱れないものです。
そうお心得なさってよろしいでしょう」
という感じの意味になるし乱を望むような意味ではない

他の広家宛の如水書状でもそういう意味合いの書状はないと思うが

821 :人間七七四年:2023/04/07(金) 02:13:11.12 ID:nbXiek7O.net
結局は金吾次第だな
金吾がやっぱ西かな〜って思ったら西が勝った

822 :人間七七四年:2023/04/07(金) 06:40:49.15 ID:YCK6Q1p3.net
>>821
小早川秀秋が寝返らなくても、垂井と赤坂を落とされた
時点で西軍の勝ち目は乏しい

823 :人間七七四年:2023/04/07(金) 06:52:46.68 ID:3QHOKscC.net
>>818
どれも的外れだと思う

単に家中統制が取れてなくて
移封に不満の家臣が所領に残ったり
租税を諦めずに取り立ててしまった

でも移封直後に秀吉が死んだため
政権も弱体化すると読んで舐めた態度
討伐来たけど家中の手前今更あと引けない

てだけじゃないかと
100万石あっても大人しく従ってたら
あっさり改易は豊臣政権では前例あるので
抗うポーズは取って譲歩の機会をねらってた
というのもあると思う

824 :人間七七四年:2023/04/07(金) 06:59:15.19 ID:zwtPpH1p.net
謙信の頃からずっと古臭い体制のままだからな上杉って
家臣共は自分の土地の都合でくっついてるだけで、信長以来の大名鉢植え化の流れになんて従うわけもない

825 :人間七七四年:2023/04/07(金) 07:39:00.17 ID:3QHOKscC.net
家臣からしたら「自分の所領から離れろ?」
「せっかく育った収穫に手をつけるな?」
「ふざけんな所領と年貢を守るために
 殿様に従ってきたんだろが」
て話

826 :人間七七四年:2023/04/07(金) 09:52:12.49 ID:aT7f/Hwq.net
傍目から見ればどんだけ辺鄙で不便な場所に見えても、
故郷だから、住み慣れた土地だからとかいう理由で離れようとしない人って
今でさえ一定数はいるからな、当時ならもっと多くてもおかしくはない
織豊系の大名は地方に赴任するって感覚に近いのかもしれんね、所領の大きい代官的な
だから別地方に転封される事への意識がいわゆる土着した大名と根本的に違うのかも
家康は織田と長年同盟してた事もあって、その辺の意識切り替えが主従共々関東転封の時に
うまくできたんだろうな

827 :人間七七四年:2023/04/07(金) 11:10:19.55 ID:zwtPpH1p.net
中世の武士の契約関係がそれだからな
武士は自分の土地を保証してもらうために実力者に力を貸す。利害関係によっては平気で陣営を乗り替える
長い年月で土地所有権は複雑な契約でモザイク状に広がっていて、それを整理し始めたのが信長で全国に広げたのが秀吉

828 :人間七七四年:2023/04/07(金) 11:39:12.03 ID:SG9GCYNu.net
乃至政彦は「姿は無いとしても反家康勢力の存在は明らかで(景勝が)反旗を翻せばそれらが立ち上がると踏んでいた」としてたな。それは上杉謙信の戦略だったから景勝としても憧れというか合理性はあったんだと。ただそれが徳川家康には通用しなかっただけで。

829 :人間七七四年:2023/04/07(金) 19:00:56.17 ID:jZFTTxYk.net
>>827
自身に従属しない土豪とかの権利を認めなかったから
結果的に納め先が減ったというだけのことで
信長も秀吉も意図的に整理なんてしてないよ

830 :人間七七四年:2023/04/07(金) 20:55:19.11 ID:3QHOKscC.net
>>828
それは後世の編纂物やフィクションから
ロマンで固めた考察に思えるな

831 :人間七七四年:2023/04/07(金) 21:08:53.10 ID:gBaZcjUj.net
ただそれくらいしか景勝には展望無かったとも思う。
石田三成とは奉行退任後に書状の行き来が無くて絶交状態とか言われてるし、前田利長は友人だけど家康と親しい、奉行の連中とも繋がってない…ってなると「俺が戦争したら誰かが立ち上がるだろ!」ってくらいしか残ってない…

832 :人間七七四年:2023/04/07(金) 23:09:01.70 ID:zwtPpH1p.net
>>829
領土の交換とか付け替えとかしてんじゃん

833 :人間七七四年:2023/04/07(金) 23:19:59.18 ID:SLCkPAgZ.net
新興勢力の織田は家臣に褒美を与え味方勢力に便宜を図らないといけないから敵対勢力から削っていくしかない
結果的に既得権益の剥奪や再構成になるわな
それが頻繁に行われて鉢植え大名ばかりの織豊系の中央武士と土着が多い地方武士とじゃ価値観に隔たりがあるんだろう

834 :人間七七四年:2023/04/07(金) 23:24:41.80 ID:SLCkPAgZ.net
転封で成功した徳川家康と拒否して大幅減封くらった織田信雄という直近の前例があるんだから景勝の選択肢なんて無い
景勝の場合は転封したけど家臣団の説得に失敗したケースになるのかな

835 :人間七七四年:2023/04/07(金) 23:31:07.19 ID:CWMpjPYb.net
古今東西、領地が右肩上がりでどんどん増えると新しい支配地は褒美も兼ねて信頼出来る配下に治めさせるのは普通だろ
どの家でも織豊ぐらい所領が増えると鉢替えぐらいはやると思うけどな

836 :人間七七四年:2023/04/07(金) 23:37:06.09 ID:i/fd/E65.net
会津征伐で作為を疑うなら上杉より奉行の方じゃないかな
上杉を助けたいなら仲裁に積極的に動くべきなのに
家康をなだめるだけで中途半端な姿勢に見える
穿った見方をすれば家康が秀頼と離れる事態を望んでいたかのような動き

837 :人間七七四年:2023/04/08(土) 07:03:32.10 ID:ZV6A1Fdj.net
基本的には823だろうけど
奉行が握り潰すの期待した部分もあるかもね

秀吉の死後訴えられてたけど
問題化するのは三成失脚後
家康政権が本格始動してから

その前の十人衆体制だと
家康は訴訟受けないことになってて
家康弾劾、三成弾劾でそれどこじゃなかった

838 :人間七七四年:2023/04/08(土) 11:40:31.13 ID:zySbUQJq.net
偽書を疑われているけど奉行衆が家康に宛てた諫止状に「今出陣すると秀頼さまが見捨てられたようになる」とある。この奇妙な言い回しは三奉行が決起した時に「家康が秀頼さまを見捨てたから我々が立ち上がった」という書いてる事を考えると結構示唆的。三奉行は諫止する様に見せ掛けて実はアリバイ作りをしてたのかもしれない。それでもかなりギャンブルだけど。

839 :人間七七四年:2023/04/08(土) 12:40:13.85 ID:xtYj2LXz.net
偽書だからそれっぽい言い回しが後付でいくらでも盛れたということもある
創作による陰謀論なんて昔から変わらない

840 :人間七七四年:2023/04/08(土) 13:02:02.97 ID:xkFuVBgL.net
>>832
それ、「土地所有権の整理」とは関係ないよね
領土の交換とか別に信長が始めたことでもないし

841 :人間七七四年:2023/04/08(土) 13:59:56.11 ID:0YD02i9W.net
別に先駆的な信長だけがはじめたとか
そういう主張をしてる人はいないと思うぞ

信長秀吉の政権内部で大規模な国替が進んで
結果的にそれが中世的な国人の支配から
近世的な支配体制への転換を加速させた
というのは事実だろう

842 :人間七七四年:2023/04/08(土) 14:19:41.75 ID:/53fYFSM.net
年次未詳ながら書中から慶長5年5月26日付と分かる浅野幸長が父長政に宛てた書状には
「秀頼様・御袋様より、内府様御下候儀御留有度と、御奉行衆為御使就被仰付候、
内府様へ奉行衆被参候へハ、御機嫌悪被成于今不被申出候、政所様明日廿七日秀頼様為御見廻、
大坂へ被成御下候ハヽ、是も御内儀者内府様御留有度由ニとの御下と申候事」と報告している

この時浅野幸長は大坂にいて、二日前の24日には家康に面会していると書中でも述べている
なので会津征伐を止めようとして奉行が使者として家康のもとに遣わされたことは間違いないな
家康は機嫌が悪くなって奉行衆は会津征伐の件を言い出せずにいて、
北政所まで引っ張り出して止めようとしてると書かれてる

ただ古今消息集所収の所謂三中老・三奉行連署状は研究者が指摘するように、宛先がこの当時
上杉の取次の榊原康政ではなく井伊直政になっていたりと偽書と見る研究者がほとんど

843 :人間七七四年:2023/04/08(土) 14:23:48.49 ID:0YD02i9W.net
>>838
それを真書とすると「マッチポンプじゃねーか」てなるが
蜂起の時の文言から逆算して作られたと考えるべきだろうね

いずれにしろ政権として命令に従わないから討伐という
手順を踏んだ行動を秀頼を見捨てた云々とするのは
支持されにくいちょっと苦しい理屈

844 :人間七七四年:2023/04/08(土) 14:55:25.75 ID:otJtjO8e.net
凄く厄介なのは三奉行に征伐を止める理由が無いことなのよね。史料的に三奉行が反家康決起を狙ってたのは明らかでその為の策だとすれば、三奉行は征伐をして貰いたかったはず。
だからこの書状の意義は将来の大義名分の伏線であれば良くて本気で止めようとしたわけじゃ無いとすれば筋が通る。ていうかこれ聞き入れられたら三奉行の計画は水泡に帰す訳でむしろ絶対に聞き入れられない様にしてたのかも。

845 :人間七七四年:2023/04/08(土) 16:24:30.87 ID:xkFuVBgL.net
>>841
>>827の信長秀吉に「整理」する意思があったという主張に対して
意図的なもんじゃないよ、と指摘したという流れだからね

846 :人間七七四年:2023/04/08(土) 16:39:02.28 ID:Z4dLd0Hh.net
>>843
まぁ西軍自体が野心から出来た存在だから大義名分がその場凌ぎなのは仕方が無い。
とは言え西軍の主張は戦国時代からすればそこまで無茶苦茶じゃない。例えば城が落とされた時、時々人々は守れなかった事を非難する。高天神城とかがそれ。攻撃した方より守れなかった事が悪いって論理は時々有効だった。だから秀頼を見捨てたから我々が拾ったのだ、というのは西軍が負けるまでは論理的だったのよ。

847 :人間七七四年:2023/04/08(土) 17:11:43.43 ID:aLI8L4uL.net
>>846
でもその理屈だと秀頼を盛り立てる義務や責任は家康一人に帰属することになり
他の大老奉行にはないかのようなことになり
家康の特権的地位を逆説的に認めることになるからやはり奇妙な論理になる

848 :人間七七四年:2023/04/08(土) 17:20:00.33 ID:m+BkrmnE.net
だからろくに支持されなかったんちゃうん?

論理的におかしくはないぞ
我田引水極まりないけど

うんそりゃ支持されないわ

849 :人間七七四年:2023/04/08(土) 18:16:32.16 ID:TA3pQ0Z4.net
西軍はこれから大坂城に毛利軍を引き込んでクーデターするんだけど重要なのは如何にして「家康が居ない内に大坂を占拠した」感を脱色するか。これは難問だったはず。何せ現実こいつら火事場泥棒な訳であるはずも無い大義を作らんといけない。それで考え抜いた先が「家康は秀頼さまを見捨てて会津征伐を強行した」「我々は止めたのに」ってのは妥当なゴールだと思う。これ以上は無いでしょう元々無理筋なのに。

850 :人間七七四年:2023/04/08(土) 18:27:16.72 ID:TA3pQ0Z4.net
それで三奉行が内心早く征伐に行けと思っていたとするなら井伊直政に書状を送るのはそんなにおかしな事じゃないと思う。だって仮に正当な取次に書状送って征伐が延期になったりしたら面倒じゃん?重要なのは「奉行は止めた」「家康は聞かなかった」の2点でそれが正当な手続き踏んでたかなんて西軍は気にはしないさ。
喩えるなら宿題を先生じゃなくて事務員に渡したようなもん。それで期限を守らなかったと言われたら「出したのにそっちが拒否した」とゴネる。ガキの言い分だが時折そんな理屈を捏ねる連中は出てくるもの。都合の良いところだけ切り貼りする気だったんだろう。

851 :人間七七四年:2023/04/08(土) 19:58:17.26 ID:xtYj2LXz.net
>>850
>喩えるなら宿題を先生じゃなくて事務員に渡したようなもん。それで期限を守らなかったと言われたら「出したのにそっちが拒否した」とゴネる。
関ケ原の場合は校長が全校集会で周知した校則を事務員がひっくり返すようなものだ
例え話が下手すぎる

家康は会津征伐のセレモニーとして朝廷と秀頼への挨拶をやって激励を受けてる
実績がなく無力な秀頼の格上げのために世間に周知してる

852 :人間七七四年:2023/04/08(土) 20:28:28.92 ID:mJLvtZ1l.net
石田三成は忠臣
すべて家康の野心と野望によるもの

三成は自らを犠牲にして豊臣を守ろうとした大忠臣
それは水戸光圀すら認めている
家康は孫からも非難されている悪逆非道

853 :人間七七四年:2023/04/08(土) 23:14:47.07 ID:Tkx6nQmw.net
三成は自分が謀反人と自覚していない謀反人だからな
謀反を起こして豊臣を破壊しているけど、本人は確信犯で忠孝を尽くしていると思い込んでいる
組織にとって最も迷惑な存在なのが三成みたいな奴だよ

854 :人間七七四年:2023/04/09(日) 01:39:14.57 ID:rpovlaod.net
家康の会津征伐を秀頼見捨てた暴走とするなら
秀頼自身が謁見拒否するか
その場で中止を求めるかせんとね

せめて挙兵後に会津征伐に反対だったと
秀頼からはっきり表明してれば説得力も違ったろうが

855 :人間七七四年:2023/04/09(日) 02:57:59.60 ID:nmYi1NSa.net
>>827
> 長い年月で土地所有権は複雑な契約でモザイク状に広がっていて、それを整理し始めたのが
 
実力=暴力の優越によってそれを明確な意志の下に実行した先駆事例は太田道灌の史料に確認できる(武蔵國笹目郷等)。
正しくはこれが全国的に進行して行く工程群の総体を「戦国時代」と呼称するのであって、
織田豊臣はむしろその完成終焉の工程に当たる。
少なくとも「始め」ではない。

856 :人間七七四年:2023/04/09(日) 03:19:48.55 ID:nmYi1NSa.net
誤解を防ぐ為に附言する。
道灌の事例を生んだ構造、即ち「享徳ノ乱」は軍政動向から見て当初からこの工程に突入していたと考えられる。
一般に「享徳ノ乱」こそが戦国時代の幕開けと云われる所以だ。
あくまでも明確な文書で確認できる早い例が道灌であると理解されたい。
 

857 :人間七七四年:2023/04/09(日) 21:08:49.99 ID:RwUo9JBO.net
>>852
三成はやってる感を演出する天才だからね
奉行として10年以上誰よりも政権中枢部で活動していたにもかかわらず
三成には豊臣を守った実績など何一つない
何もやっていないけど、命をかけて豊臣を守っていたかのような錯覚を与えることができる
こういった演出の才能は加藤・福島にはないものであり
三成は戦の才能はないけど詐欺師としては不世出の天才だった

858 :人間七七四年:2023/04/09(日) 21:26:03.91 ID:X126xOEn.net
>>850
ttps://clioimg.hi.u-tokyo.ac.jp/viewer/view/idata/T38/1600/17-6-2/4/0102?m=all&s=0102

「今度直江所行不相届儀、御腹立御尤に存候」
「誠に田舎人にて御座候」(御座候は多用されている)
「太閤様」(当時の主流は「大」閤)

ざっと見ても不審な記述がたくさんあるもの、扱う必要あるんですか?

859 :人間七七四年:2023/04/09(日) 22:07:32.14 ID:M8Bc4f19.net
三成よか三奉行の方が割と肝。なんでこいつらは輝元と繋がってしまったんだか

860 :人間七七四年:2023/04/10(月) 08:19:39.19 ID:i8qUGlOm.net
三成が豊臣守ろうとしたって錯覚を植え付けたの
三成じゃなく昭和平成の作家やテレビドラマだろ?

同時代からは重要人物だから機嫌損ねるなとか
気を遣われてはいるけど何が功績なのかは伺えないし
豊臣を守ってる存在と見做されてたと取るのも難しい

861 :人間七七四年:2023/04/10(月) 09:14:26.30 ID:mbwdGXXe.net
>>860
当時は毛利と徳川の争いと思われてたのかね

862 :人間七七四年:2023/04/10(月) 09:18:43.95 ID:mbwdGXXe.net
ここの人達がわかってる関ヶ原の実相を
一般の人が知ることはないだろうね

一般の人は小説とかドラマでしか
戦国時代を知らないだろうし

863 :人間七七四年:2023/04/10(月) 09:32:30.29 ID:Weh12KG5.net
結局後々徳川が豊臣を滅ぼしたって結果から逆算して
三成奉行毛利上杉の行動が全て免罪され正当化され家康の行動の全てが裏に野心ありと決めつけられてるということ
本能寺の変で一番得したのが秀吉だから黒幕は秀吉だって議論と本質的には同レベルだと思うんだが
複雑な政情を子供でも分かりやすい善悪二元論で物語化したから人口に膾炙しちゃったんだよな

864 :人間七七四年:2023/04/10(月) 11:12:31.95 ID:gE+7DHlG.net
>>860
日本史の錯覚系の大半は江戸時代に作られた物語を司馬遼太郎が加工して小説にしたせいという事実

865 :人間七七四年:2023/04/10(月) 11:33:30.51 ID:TK6Ozr//.net
まあ秀吉のやったことの方が残虐悪辣だったし家康なんてかわいいもんだ

866 :人間七七四年:2023/04/10(月) 13:05:08.54 ID:z/2q85ET.net
関ヶ原はよくある公儀が二つ産まれての内乱なので場所によって受け方が違う。
東軍つまり徳川にとっては序盤は石田三成と大谷吉継の謀反、それが三奉行と毛利輝元・宇喜多秀家も含んだ大規模反乱というもの。
上方、西軍支配地域では豊臣が徳川を追放して戦争を仕掛けたと受け取ってる。豊臣公儀が声明だしてるからねそう受け取るのは仕方ない。
四国・九州では輝元が主犯でそれに三奉行が与してるという見方をしてる。四国・九州には豊臣公儀軍が来てるけど実質は毛利軍だから輝元の領土的野心が事の発端との見方。

867 :人間七七四年:2023/04/10(月) 17:10:34.39 ID:3Fgx2iOY.net
>>866
その受け方というのは西軍のプロパガンダが行われた場所と内容だろ
実際には利害と立場と上方情勢への理解度で各勢力の動き方が違っている
細川幽斎、黒田如水、鍋島直茂あたりは流石は古強者という動き方

868 :人間七七四年:2023/04/10(月) 17:37:11.55 ID:JyaFE6G2.net
大義名分なんて基本プロパガンダだし。秀頼含め豊臣が西軍に協力してたから尚の事西軍の大義名分は信じられた。特に上方だと。ただ大義名分で戦争してる訳じゃないんで戦力・戦略・戦術で圧倒する徳川に負けたってだけで。

869 :人間七七四年:2023/04/10(月) 20:51:51.73 ID:i8qUGlOm.net
誰が何を発信したかはある程度明確に残っても
それを誰がどう受け取ったかは
全く別の話だから難しいよな

一つ無視できないと思うのは主張が支持されたなら
支持した連中はそれなりに動きを見せたろうて事

上方伊東でもわざわざ矢面に立った
織田秀信や真田昌幸は支持する立場を取った
逆に抗戦した大名たちははっきり不支持
内通した連中は表立っては反対できなかったが
東軍近付くの待って動いた

遠国にいた黒田でも毛利入城には
社交辞令的に祝ってるけど
九州上陸した大友は撃退してる

870 :人間七七四年:2023/04/10(月) 21:17:07.07 ID:gegQ5ZPC.net
>>869
如水は書状の冒頭で輝元の大坂入城はめでたいと言いつつ、後段では長政の人質は輝元ではなく広家が
預かってくれと頼んだり、家康上洛の際は広家の肝煎りで輝元が無事済むよう力添え頼むと言ってるしな

本心から祝ってる訳じゃないのは一目瞭然だし、明らかに社交辞令だな

871 :人間七七四年:2023/04/10(月) 21:30:00.88 ID:z/2q85ET.net
東軍には東軍の、西軍には西軍の大義名分があるから一概にどっちが正しいとかは断言出来ない。仮に西軍が勝っていたら徳川家康は勝手し過ぎて秀頼に討たれたって言われてたろう。ただ家康を相手にするのに輝元や三奉行ではお話にならんかったというのは真実なんだが。佐竹や上杉が活発に反家康運動出来ないならおしまいだった。

872 :人間七七四年:2023/04/10(月) 21:48:47.51 ID:3Fgx2iOY.net
西軍は遠国で連絡のつかない上杉佐竹を当てにするほど馬鹿ではない
ただ会津征伐軍がバラバラになると思ってたことは上杉佐竹を当てにするのと同程度の馬鹿ではある

873 :人間七七四年:2023/04/10(月) 21:55:47.63 ID:yuHUnkgh.net
大義名分など勝ったらどうにでもなる

家康は明らかな天下簒奪者
慶長5年10月13日付戸沢宛秋田書状で「家康に奉公」とある時点で
天下簒奪者であることは明らかである
もし三成が勝って、「毛利に奉公」とか「三成に奉公」とかになったと思う?
家康は逆臣である

874 :人間七七四年:2023/04/11(火) 00:04:40.01 ID:jlV/l7WA.net
当時広く簒奪者と見做されていたなら
朝廷も征夷大将軍与えないし
長く続く政権にはならなかったよ

今のあなたが自分の価値観として
簒奪者と非難するのは自由だけどね

875 :人間七七四年:2023/04/11(火) 03:56:16.22 ID:74Hk+mri.net
家康批判する人は秀吉が織田家を蔑ろにしたのはスルーなんだよな
ヤクザで言えば信長ー秀吉は親子の関係
秀吉ー家康は兄弟分の関係
似て非なるものなんだよな

876 :人間七七四年:2023/04/11(火) 08:40:05.59 ID:nbyCisJv.net
朝廷は強い武士に擦り寄るだけだからな。光秀だって京都の治安を依頼されてるし
秀吉は信長の息子を養子にもらってるからな。織田の一門に準ずる位置にいたと言えなくもない

877 :人間七七四年:2023/04/11(火) 08:52:19.98 ID:WxsrxYkj.net
さすがに光秀に治安維持を命じた勅使と
将軍宣下を同列には語らないだろ

それいうなら関ヶ原の時は
秀頼にも毛利にも何も与えてない
ってのもあるわけで

878 :人間七七四年:2023/04/11(火) 09:23:32.35 ID:DM5AUQBX.net
というか朝廷からすれば早く豊臣を滅ぼさないといけないので関ヶ原は本当にありがたい話だった疑惑もある

879 :人間七七四年:2023/04/11(火) 09:58:12.73 ID:hSeKM/wM.net
関白は五摂家の争いに乗じて騙し取ったもので五摂家からしたら奪還したかったろうし
全くの私的都合で官位叙任停止させて朝議も開けないほどの大迷惑かけてる
明との和平交渉では侵略した豊臣の看板では都合が悪くて過去友好的だった源氏将軍にすげ替える必要があった

家康は以上の豊臣のやらかしを解決したんで逆臣どころか日本国にとって大忠臣だよ
これらのことはもっと知られるべきだと思う

880 :人間七七四年:2023/04/11(火) 16:48:12.29 ID:tq51iDuT.net
>>847
西軍の主張はかなり無茶苦茶だけどこの慶長六月に大坂に居る大老は家康一人になってる。前田利長・上杉景勝はとっくに帰国、毛利輝元と宇喜多秀家は六月八日には大坂を発ってる。こう見ると西軍の主張もギリギリ成立すると思ってたんだろう。

881 :人間七七四年:2023/04/11(火) 17:15:27.93 ID:jlV/l7WA.net
多分奉行と毛利の認識では自分たちが主導した
十人衆体制はすでに瓦解して今は家康体制

というか十人衆体制というと大層だけど
奉行大老が家康利家の寡頭制に待ったをかけた物で
待ったをかけた側の奉行らからして
家康吊し上げるための準備程度の認識だったんだろう

882 :人間七七四年:2023/04/11(火) 19:40:41.12 ID:aiJ4YHf8.net
>>873
その書状全文読んだか?
後段で秋田実季は「内府様ハ偏ニ秀頼様被成御守立候儀にて無御存候哉」と言ってる
その上で追而書で「内府様へ無二御奉公尤候」と言ってるんだぞ

883 :人間七七四年:2023/04/11(火) 19:49:39.69 ID:WxsrxYkj.net
三成が豊臣公儀側で家康は簒奪者

って結論ありきで斜め読みしちゃうと
他の読み方はできなくなるわな

884 :人間七七四年:2023/04/11(火) 23:59:22.80 ID:/INkrScj.net
ここでいう簒奪だのどうのはもうけっこう
史学じゃなくて印象論だから
小説板でやってくれ

885 :人間七七四年:2023/04/12(水) 02:51:19.13 ID:8wziaLuf.net
家康叩かないでくん延々とやってたんだな。凄え執念

886 :人間七七四年:2023/04/12(水) 06:36:05.04 ID:e88OVgf4.net
家康叩いてる人が少数派なんじゃないの?

887 :人間七七四年:2023/04/12(水) 09:13:37.59 ID:0nFob2DG.net
盗商大権現とか書いてた造語症の人が頑張ってるんじゃね

888 :人間七七四年:2023/04/12(水) 12:50:27.33 ID:N/omKqF6.net
家康が関白になったなら簒奪だがなったのは征夷大将軍。だから簒奪では無いんですねぇ。
だから家康は秀吉の遺言を守ってちゃーんと秀頼に豊臣公儀は返した。もう輝元と三奉行らに破壊された豊臣公儀を。

889 :人間七七四年:2023/04/12(水) 15:53:28.67 ID:LzGAlfEx.net
輝元に恣にされた時点で豊臣公儀は終わってた

890 :人間七七四年:2023/04/12(水) 18:53:24.44 ID:C2mq47ey.net
定義と言葉遊び次第で何とでも言える話をなんでこんな延々と続けてるの?
ものは言いようって言葉も知らずに自分だけの定義に押し込んで語ってる事に気づかないんだろうか

891 :人間七七四年:2023/04/12(水) 19:13:44.40 ID:TrQ7jaZ8.net
石田三成が勝利したら豊臣政権は続いた
家康が勝って政権を奪われた

892 :人間七七四年:2023/04/12(水) 19:42:57.18 ID:LzGAlfEx.net
西軍が勝ってたら毛利公儀が成立してただけなんだよな

893 :人間七七四年:2023/04/12(水) 20:36:53.59 ID:5RyD6nR6.net
毛利家中にどれほどの人材がいた設定なんだ?

894 :人間七七四年:2023/04/12(水) 20:45:13.85 ID:AaAH7xSZ.net
成立せんだろ
宇喜多とかが毛利の下につくの?

895 :人間七七四年:2023/04/12(水) 20:58:58.24 ID:LnF4fxwO.net
家康に勝つ能力を持った輝元と毛利家に逆らえるわけがないやろ

896 :人間七七四年:2023/04/12(水) 21:01:51.29 ID:AaAH7xSZ.net
その場合別に輝元単独で勝ったわけじゃなかろう

897 :人間七七四年:2023/04/12(水) 22:09:57.46 ID:Dm/QB+EO.net
当時毛利が占領したとこ実効支配したら
宇喜多だろうが奉行だろうが
あっさり黙らせる巨大な戦国大名になる

898 :人間七七四年:2023/04/12(水) 23:09:38.94 ID:N/omKqF6.net
既に大坂城は輝元が実効支配してるんだぞ。そこから「秀頼の命令」で西軍が動いてる。豊臣が最初から毛利と組んでいて徳川追い落としを図ったなら兎も角、軍事力で黙らしていたなら徳川が消えたら次は豊臣の番よ。誰が止められるんだ?

899 :人間七七四年:2023/04/12(水) 23:14:54.01 ID:ryGKzsR6.net
>>898
家康ですらいきなり秀頼を殺すなり大坂城を奪うなりできなかったのに
輝元でそれができるとでも?

しかも奉行も宇喜多もいる状態で?

900 :人間七七四年:2023/04/12(水) 23:23:31.47 ID:BIQOjfJY.net
徳川じゃないか? 関ヶ原で東軍が負けても、徳川が滅ぶわけじゃない。
秀忠軍は健在なんだし、関東と西国でにらみ合いになるだろう。

901 :人間七七四年:2023/04/12(水) 23:45:41.39 ID:AhWDTAfE.net
秀吉死後特に関係性を深めてきた毛利と奉行がそんなに直ぐ反目し合うとは考え難いな
毛利と奉行をとにかく否定したい思いが先行し過ぎじゃないか?

902 :人間七七四年:2023/04/12(水) 23:54:13.08 ID:RW9eEJSN.net
九州の松井康之に秀頼の命で大友義統に領地を与えた旨を伝えてるのは増田前田ら奉行衆
あたかも輝元が大阪城を全て独占したかのように語るのは言い過ぎだな
寧ろ大友支援などを連携して行ってる姿勢が窺える

903 :人間七七四年:2023/04/12(水) 23:57:40.00 ID:N/omKqF6.net
家康は秀吉から豊臣公儀と秀頼を任された立場。義理の祖父でもあるから立場的にも個人的にも「秀頼殺すわ」とは言えなかった。秀頼が明確に反逆してきても一度許してるのは家康の人柄が良かったからだろうけど。対して輝元にはそんなもの一切無い。必要とあれば部下を冷酷に処分する男って事を考えれば西軍が勝てばもう秀頼の生命は風前の灯。輝元の都合の良い人形として生きていくしか無い。僅かでも逆らえば殺す。秀頼を守れる大名はいない訳だし。

904 :人間七七四年:2023/04/13(木) 00:14:15.75 ID:6gIBO9yY.net
>>901
それは家康との対抗上まとまらざるを得なかっただけで
船頭多くして船山に上るを地で行って負けてるから
仮に勝てたとしても早々に不協和音は出てきたと思う
気に入らない奴をパージして潰すが成功してる状況なら尚更

905 :人間七七四年:2023/04/13(木) 07:34:41.53 ID:x1uBicJM.net
>>899
そんなことする必要皆無だろ

「秀頼が言っている」と毛利が言えばOK
それが西軍の手口じゃないか

そしてそれができるのは実際に
大阪城を占拠してる者
つまり毛利

奉行や宇喜多がそれ止めたいなら
毛利を追い出さないといけないけど
無理だろ普通に考えて

906 :人間七七四年:2023/04/13(木) 07:35:55.63 ID:x1uBicJM.net
>>901
その通りだね
毛利独裁とそれに従う奉行が
敵対者を潰す政権が続く

西軍大名の中にも潰されるの出るし
奉行も追放者出るだろうけど

907 :人間七七四年:2023/04/13(木) 08:26:09.38 ID:huhLsz4N.net
>>905
>「秀頼が言っている」と毛利が言えばOK

それでは毛利幕府にはならないだろ
茶々をどう黙らせるんだ?

908 :人間七七四年:2023/04/13(木) 09:41:59.91 ID:uXuc4fXS.net
茶々なんて問題にもならん。毛利軍の大坂占拠を止めることもできん女では毛利兵にすら勝てん。

909 :人間七七四年:2023/04/13(木) 15:17:08.06 ID:fmenlIXv.net
頭悪い子っているよね

910 :人間七七四年:2023/04/13(木) 16:55:08.79 ID:5wQ+1nuW.net
淀にそんな影響力あったら大坂の陣の時もうちょい良い終わり方が出来たろうな

911 :人間七七四年:2023/04/13(木) 17:18:13.24 ID:9frCkXKV.net
毛利軍は既に大坂城守護となってる訳で戦後引き上げていくとは考え難い。じゃあ徳川が弱体化もしくは滅亡したとして豊臣にこれを退ける力があるか?って考えると。無茶苦茶厳しい。だって現に防げていないんだから。三成含めた奉行衆が身体張って助けてくれるなんてのも期待薄。

912 :人間七七四年:2023/04/13(木) 17:41:22.27 ID:lMGqRs95.net
もうただの妄想の域に入ってない?
毎回ID変えてるのも謎だし。
文末に句点付け続けてるのはわざとやってるの?

913 :人間七七四年:2023/04/13(木) 18:05:22.86 ID:o2YsURI/.net
機能性文盲さんが来てるじゃん。議論の内容は「もし史実と違って西軍が勝ったらどうなったか」なんだから妄想云々言う事自体間違ってる。だって史実じゃないんだから。で、西軍決起以降に秀頼さまが仰ったで四国九州を制圧しようとした輝元が徳川に勝った後に秀頼に天下を返す?んな訳ないよねって話し。おわかり?

914 :人間七七四年:2023/04/13(木) 18:42:01.60 ID:NUYruzBV.net
というか輝元は広島から大坂城へ向かう当日に「中国しめ候て一つかね(一束)に仕度候、今はかみ(髪)をときみたしたる様に候、家中肝心にて候」と家臣宛てに愚痴こぼしてるレベルだからなあ

ttps://clioimg.hi.u-tokyo.ac.jp/viewer/view/idata/T38/1600/17-6-3/8/0061?m=all&s=0048&n=20

国許がこんななのによく上坂決めたなってレベルじゃないか
そりゃ大坂城を動けんわ
輝元が勝ったらというIFに意味を見いだしがたい

915 :人間七七四年:2023/04/13(木) 20:03:38.45 ID:TM3gS5uJ.net
>>914
その書状は萩藩閥閲録所収のものだけど白峰氏は慶長5年5月15日に比定してるな

「とかく以来一大事候、関東存分成候ハヽ、万心遣まて候、就其安国寺ハ可出陣と被申候」
とかく以後は一大事だ、関東(会津)が家康の思うままになれば万事において心配だ
それにつき安国寺は(会津に)出陣することになるだろうと申している

「内府下向候て罷下候事たるへく候」
家康は関東へ下向する予定である

家康が会津征伐に向かうのは6月16日
当該書状は安国寺の会津征伐になるであろう見通しが述べられてることや、
家康がまだ下向前であることが明らかだし、5月15日付でほぼ間違いないだろう

916 :人間七七四年:2023/04/13(木) 20:16:40.72 ID:BFCiv1Zq.net
>>907
茶々が何を言っても大阪城占拠してるんだから
その外には伝わらないよw

あと毛利幕府wとやらはどこから出てきたんだよ?
そんなん言ってるのあんただけだぞ
俺は906で言ってる豊臣は一切何の影響力もない
毛利独裁の傀儡政権になるって意見だが?

917 :人間七七四年:2023/04/13(木) 20:17:42.59 ID:BFCiv1Zq.net
>>912
妄想の域?
自分の論争相手はID変えてるだけで一人だという
そのあなたの考え方のことなら本当に妄想だな

918 :人間七七四年:2023/04/13(木) 20:26:04.78 ID:NUYruzBV.net
>>915
大日本史料の比定に引っ張られて意味が取りにくいとこあったのそれか
ありがとう
あと、関係ないけど「増右内意にもなにと成共」下向ってのは、奉行が会津征伐反対していたことが一次史料に示されてて面白いと思った

919 :人間七七四年:2023/04/13(木) 20:38:57.01 ID:CdRW1jtb.net
とにかく家康は悪くないもんて言いたいんだよね

920 :人間七七四年:2023/04/13(木) 20:52:35.73 ID:i+di/LNx.net
そらそうだろう。刃向かってきた奴を返り討ちにしただけ。どこに何の問題がある?

921 :人間七七四年:2023/04/13(木) 21:12:55.83 ID:5wQ+1nuW.net
仮に輝元が関ヶ原で勝てていたなら自身の求心力もそれなりに高まるんじゃないか

922 :人間七七四年:2023/04/13(木) 21:20:19.72 ID:q8XMPFk3.net
毛利オタの夜郎自大が迷惑すぎる

923 :人間七七四年:2023/04/13(木) 21:29:08.47 ID:TM3gS5uJ.net
>>918
「増右内意ニも、なにと成共内府可被申様可仕之由被申候、内府下向候て罷下候事たるへく候」
この部分は、増田の内意にも何があっても内府が言われる通りに
行動するよう申された、そして内府は(関東へ)下向するつもりだ

という感じの意味になると思うんで、少なくとも増田に関しては
内府の意向に沿って行動すべきだと5月半ばの時点では言ってるな

924 :人間七七四年:2023/04/13(木) 21:30:37.53 ID:gFZDzHUq.net
西軍が勝ったら毛利の天下は確定。そもそも大坂を押さえているのは毛利軍で豊臣に異見をする度胸は無い。徳川を打ち負かした相手に誰が戦争吹っかける?奉行衆は論外、景勝は越後領さえ貰えれば満足。残るのはせいぜい宇喜多秀家か?
だが既に豊臣は輝元の人形。逆らえば討伐命令が出るだけよ。関ヶ原ですら人形なのにその後なら発言権があるってのは楽観的過ぎるし輝元が天下を豊臣に返してくれるなんてのに期待するのは楽観通り越してアホ

925 :人間七七四年:2023/04/13(木) 21:38:05.68 ID:NUYruzBV.net
>>923
あれっと思って見返したら大日本史料所収の文書だと「内府可被申様可仕之由被申候」が抜けてる

926 :人間七七四年:2023/04/13(木) 21:58:17.34 ID:rir1Q0PB.net
秀頼の命として諸将に書状を送っていた奉行衆の存在は無かった事にしてるのか?
あたかも輝元が独裁的に大阪城を占拠してたかのように語ってるが実際は奉行と協力しながら行動している
輝元が独裁者として秀頼を傀儡に君臨出来ると思うなら奉行衆となんで敵対して政権から引き摺り下ろせるのか説明しなきゃ
奉行の存在を都合よく無かったことにして輝元は圧倒的な独裁者だ!と言っても説得力に欠けてしまうな

927 :人間七七四年:2023/04/13(木) 22:11:07.17 ID:Lq5+8sdw.net
西軍が勝利したという仮定なら別におかしくはないでしょ
毛利が四国と九州で確保した領域をわが物としたなら
関が原前の徳川に超える存在になりかねないし
論功行賞でそれを取り上げようとするならそこでまず第一ラウンドが始まりかねない

928 :人間七七四年:2023/04/13(木) 22:55:08.07 ID:TM3gS5uJ.net
>>925
ほんとだ
確かに大日本史料の方はその文言が抜けてるな

萩藩閥閲録の該当部分のスクショ
https://i.imgur.com/mwf3pGX.jpg

929 :人間七七四年:2023/04/13(木) 22:59:19.42 ID:7fArvN71.net
>>926
輝元の所業を考えてみよう。輝元は大坂を押さえたらすぐに元取次の蜂須賀家政を捕縛して改易してる。そして関ヶ原で負けたら全責任を三成と恵瓊に押し付けて逃げた。当然三奉行の弁護なんてしてない。つまり輝元は己が野望の為なら他人を使い捨てにする事を躊躇わない梟雄。そんな輝元が大坂を実効支配してる。誰が文句を言える?三奉行が文句を付けるとも思えないしな

930 :人間七七四年:2023/04/13(木) 23:26:18.76 ID:AJn2fRoc.net
ID:9frCkXKV
ID:o2YsURI/
ID:gFZDzHUq
ID:7fArvN71

これ同一人物でしょ
文体に特徴あり過ぎて流石にこれを別人認定は厳しいわ
わざと飛行機飛ばしてIDコロコロしてんるじゃなきゃ外でWi-Fi拾いながら書き込んでるとかじゃね

931 :人間七七四年:2023/04/14(金) 06:13:20.94 ID:c9bwH/PQ.net
この板はあるキチガイが住み着いてる時しかスレが伸びない板なんだが

932 :人間七七四年:2023/04/14(金) 07:58:56.84 ID:d96Zb7wv.net
>>926
それは単に豊臣公儀の体裁を整えての行動だから
そして戦後毛利の支配領域が確定してしまえば
誰も毛利に逆らえないくらいの力関係になる

そうなれば体裁整えるためだけの奉行は
毛利にとってそれ以上何の意味もなくっちゃう
なのにあくまで奉行主導にこだわるなら
毛利にとっての価値は無になり排除される
「秀頼がけしからんと言った」ことにしたら可能

新しく体裁を整えるだけであれば
別の奉行を任じてもいいし
「秀頼が毛利に全権任せると言った」
ことにして仕舞えばいい

933 :人間七七四年:2023/04/14(金) 09:11:33.59 ID:QfUrAnTI.net
>>919
実際悪くないからね

934 :人間七七四年:2023/04/14(金) 09:17:30.76 ID:QfUrAnTI.net
>>930
お前の思い込みだ

935 :人間七七四年:2023/04/14(金) 09:38:47.66 ID:pW9el5+O.net
>>930
誤読妄想君だから相手にしないが吉

936 :人間七七四年:2023/04/14(金) 09:42:26.53 ID:TaoseFYt.net
可哀想に…機能性文盲だけでなく被害妄想まで.

937 :人間七七四年:2023/04/14(金) 10:39:41.10 ID:LpEYSaoT.net
一部の狂人がID変えながら同じ事のたまうのが戦国版の実態だからな
そんな状態で議論なんて出来る筈もなく過疎っていくのは当然と言うか
このスレもIDの数の割には同じような書き込みしか無いからね

938 :人間七七四年:2023/04/14(金) 12:07:08.59 ID:xbrDi2Q0.net
>>934
早速反応してて草
しかもご丁寧に短文で文体変えてきてるのもわかりやすくていいね
自演て楽しいの?

939 :人間七七四年:2023/04/14(金) 12:55:47.21 ID:s9HhgBpx.net
被害妄想患者が来とるやん。怖いなー

940 :人間七七四年:2023/04/14(金) 14:17:22.04 ID:QfUrAnTI.net
>>937
戦国バンじゃなくて
戦国イタやで

941 :人間七七四年:2023/04/14(金) 17:54:09.47 ID:y4MgXu8O.net
家康が反逆者、簒奪者なのは事実だからなあ
ただ、豊臣も信望を失っていたというべきなのかなあ

秋田実季書状だけでなく、藤堂高虎宛黒田如水書状でも、「家康への奉公」の文面があった
奉公の対象を奪った家康は悪だが、その悪を抑えられなかった豊臣の力のなさも問題なのか……

942 :人間七七四年:2023/04/14(金) 18:26:36.47 ID:56ujSdRm.net
いいとか悪いとか善悪二元論でしか話せないのが典型的な宗教信者なんだよな
豊臣びいきは本当こういうのが多い

943 :人間七七四年:2023/04/14(金) 18:47:36.33 ID:c9bwH/PQ.net
家康は織田にはとことん義理を果たしてきたけど豊臣はなんとも思ってなさそうなんだよな

944 :人間七七四年:2023/04/14(金) 18:59:59.90 ID:aVGynnrT.net
豊臣秀吉が織田秀信をどう遇したか見よ。そうすればわかるだろう。

945 :人間七七四年:2023/04/14(金) 19:12:55.46 ID:NZHHPU5B.net
日本では朝廷から統治を任される形を取るから徳川が簒奪や反逆などと言われる所以は無いんやけどな
天下も豊臣の私物でもないわけだし

946 :人間七七四年:2023/04/14(金) 19:24:52.26 ID:y4MgXu8O.net
>>944
官位はたかだか15万石で中納言
十分に取り立ててるやん

家康は秀頼は殺し、氏真は高家のみ

947 :人間七七四年:2023/04/14(金) 19:27:52.44 ID:H5jTmkuU.net
秀頼も所詮数十万石で右大臣。それに満足していればね…

948 :人間七七四年:2023/04/14(金) 20:08:46.05 ID:BzyTRont.net
>>941
その黒田如水書状だけど読んでみたわ
ttps://clioimg.hi.u-tokyo.ac.jp/viewer/view/idata/T38/1600/18-1-1/45/0056?m=all&s=0056

「加主計(加藤清正)拙者(如水)事は、今度切取候分内府様以御取成を、秀頼様より拝領仕の様に井兵(井伊直政)被仰談御肝煎頼存候」

清正と如水が九州で切り取った領土について、家康の取り成しで秀頼から拝領できるように直政にアプローチしてくれー、て内容

他の人も秋田書状だかで以前指摘してたが豊臣の力が衰えたという文脈で取り上げるのは不適じゃないかね
少なくとも如水は秀頼から知行宛行されるという認識なんだから

ここらへんの力関係はよく知らんが、そもそも悪だのなんだのはねえ

949 :人間七七四年:2023/04/14(金) 20:11:45.50 ID:BzyTRont.net
>>941
あ、当該箇所は次のページの後半ね

950 :人間七七四年:2023/04/14(金) 20:13:55.20 ID:lt3CGOun.net
若年では務め果たせないから領地没収な、が秀頼に返ってくるのいいよね

951 :人間七七四年:2023/04/14(金) 20:47:24.71 ID:LpEYSaoT.net
如水は輝元が大阪入城した時もめでたいと書状に残してたり西軍とも微妙に歩み寄るようなスタンス見せてるんだよな
家康御勝手になり残念と早期決着を嘆いてるし、どうにも二心あり気だったのが当時の資料からも伺える

952 :人間七七四年:2023/04/14(金) 20:58:28.29 ID:BzyTRont.net
>>951
上に挙げた史料は九月十六日付
前日に関ヶ原でなにがあったか知らなかったことになる
それまでの中央の戦況をどこまで如水が把握してたかは知らんが、この時点では家康に秀頼取り成しを依頼してたってことになる
そもそも家康と秀頼が対立している認識じゃなさそう

953 :人間七七四年:2023/04/14(金) 21:09:13.75 ID:GKa2KvKH.net
>>941
豊臣政権のトップは家康なんだから
奉公するのは当たり前じゃん

954 :人間七七四年:2023/04/14(金) 22:00:29.72 ID:7IZt9qmw.net
>>941
秋田実季書状全文読んでみた?善悪とかはどうでもいいけど、
一部分だけ切り取って都合よく解釈するのは適当ではないな

大意は、小野寺義道が別心したことに対して、秋田実季は小野寺領と隣接する戸沢政盛に度々出兵するよう要請したが未だに出兵がない

そこで「内府様ハ偏ニ秀頼様被成御守立候儀にて無御存候哉」と、内府様は偏に
秀頼様
を守り立てられているのをあなた(戸沢)はご存知ないのでしょうかと問いかけている

その上で再度急ぎ小野寺領に侵攻することを促し、追而書で「猶以此時ニ候条、内府様へ無二御奉公尤候」
大事なのは今この時なので、内府様々へ無二にご奉公するべきだと言ってる

955 :人間七七四年:2023/04/14(金) 22:20:10.38 ID:7IZt9qmw.net
>>948
8月25日付黒田長政宛井伊直政書状では
「内府次㐧何方へ成共御行候ハん由候、此節ニ御座候間、何分ニも被入御精、
又御手ニ可入所ハ、なにほとも御手ニ被入候へと可被仰遣候」

と、家康からは既に切り取り次第の許可を得てるから、後は秀頼から
正式に拝領されるよう藤堂に井伊へ念押しを頼んだというわけだな

956 :人間七七四年:2023/04/14(金) 22:56:39.62 ID:yNcmTQKB.net
結局切り取り次第は空手形に終わったがもし実現すれば黒田や加藤は大大名に名を連ね得るだけの領地を切り取ってたな
関ヶ原が長引けば如水清正とその他九州連合は大勢力と化してただろうから家康も心中穏やかでは無かったのか

957 :人間七七四年:2023/04/14(金) 23:02:15.15 ID:Ha35UhbK.net
もしも西軍が勝ったらは不確定要素が多すぎて別スレでやる内容

すでにスレが立ってるのでこっちでやれ

もし関ヶ原の戦いで西軍が勝っていたら・・・ [転載禁止](c)2ch.net
https://kizuna.5ch.net/test/read.cgi/sengoku/1426434880/

958 :人間七七四年:2023/04/14(金) 23:21:26.44 ID:BzyTRont.net
>>955
なるほど念押しなんだね
しかしまあ、家康のお墨付き(書状じゃないけど)があってもなお秀頼からの拝領にこだわるというか、当たり前と思ってるのか
やっぱり朝廷の動きなんか見てもそうだけど、世間も当事者も豊臣公儀と関係ない争いと思ってたのかねえ
豊臣家(北政所、淀)が積極的に動いたのも京極和平くらいしかないし

959 :人間七七四年:2023/04/15(土) 08:00:10.02 ID:VKG3IAqQ.net
「世間」も「当事者」も主語デカすぎなんよ
事態の受け取り方はそれぞれ

ただ白峰氏のいう「西軍挙兵で徳川が豊臣公儀であることは否定された」とか
ここで一部言われてる「豊臣公儀vs簒奪者家康の構図だった」とかは
これらのやりとりからは受け取れない

西軍のプロパガンダとしてそのように主張されてはいたが
西軍の諸将やその勢力圏内の公家の一部はともかく
地方の東軍諸将までそれを支持したとは言えない
(あるいは認識を共有してたとは言えない)

960 :人間七七四年:2023/04/15(土) 09:47:52.78 ID:Os+OAuFb.net
西軍はもとより東軍も豊臣がどうのとかは考えてすらいないと思うぞ。本当に秀頼の意思を重視してたら豊臣にお伺い立てるか家康に秀頼のお墨付きを確認するだろう。ところが東軍はそうした事なく戦争に臨んでる。西軍が決起した時点で秀頼は死んだのよ。後はどうすれば自分に利があるかの話しで公儀云々は瑣末事

961 :人間七七四年:2023/04/15(土) 10:32:11.15 ID:kbMhqbsJ.net
はい、妄想君はスルーでお願いします

962 :人間七七四年:2023/04/15(土) 10:32:11.66 ID:40jVarV6.net
>>946
織田は城なし大名だったけど城持ち待遇だったんだよな
信雄の子孫らしくバンバンやらかしてたけど改易はされなかった

963 :人間七七四年:2023/04/15(土) 11:14:26.60 ID:rmrCj7Nz.net
>>959
そら東軍諸将が西軍の主張を支持する訳ないだろ。「秀頼さまが徳川家康は勝手して許せんので討伐します」って言ってるのを徳川と親しい連中が受け入れる筈もない。徳川と縁戚にある池田輝政や福島正則は勿論、家康にくっ付いて九州取次の役目を貰った寺沢や念願の土地をもらった森なんかもいる。東軍に支持されてないからなんてのは何の意味も持たんだろ

964 :人間七七四年:2023/04/15(土) 12:37:06.74 ID:G1vHvC0s.net
西軍の主張が広く支持されていたのに徳川があっさり勝ち幕府を開いたのは豊臣の天下が西軍挙兵前から既に世間からは見放されていたから

965 :人間七七四年:2023/04/15(土) 12:51:02.82 ID:a284xpc3.net
上方だと豊臣秀頼が徳川家康に戦争吹っかけたと受け取っていたけどそりゃ正しい。西軍が豊臣の意思に反していたら大坂城でまず戦争になる。それが全く無いんだからそう見る。じゃあそれで戦争の趨勢が決まるかと言えばそんな訳も無いわな。勝てば官軍で勝った方の正当性が支持されるというだけ。徳川が勝ったのは家康の戦術眼とカリスマ性が高かったからで正当性があったからじゃない

966 :人間七七四年:2023/04/15(土) 13:20:19.80 ID:VKG3IAqQ.net
>>960

>>963
その通りで多数を占める東軍として生き残った大名たちは
その西軍の主張は単なるプロパガンダだと理解してたってこと

967 :人間七七四年:2023/04/15(土) 13:24:39.84 ID:VKG3IAqQ.net
>>965
東軍諸将は会津征伐に向かった
徳川が公儀と受け取ってたけどそりゃ正しい
東軍が豊臣の意思に反していたら
出征前に大阪城でまず戦争になる
それが全くないんだからそう見える

ってのも言えてしまうじゃん

西軍が正しいと西軍は言ってる
東軍が正しいと東軍は言ってる
それぞれ支持する立場の者たちがいた

それが歴史的に公平なものの見方であって
あなたが今更どちらが正当と考えるかは
まったく史学的ではない単なるあなた個人の感想

968 :人間七七四年:2023/04/15(土) 13:36:20.62 ID:idiZnKCT.net
主語がでかいといわれりゃそうかもね
じゃあと
三藐院関白記
ttps://clioimg.hi.u-tokyo.ac.jp/viewer/view/idata/T38/1601/18-2-3/1/0077?m=all&s=0077

「正月二十九日戊辰、秀頼馬太刀にて礼申了、秀頼の御左座に中納言秀忠卿(徳川秀忠)御後見。西丸内府へ御礼、此時内府煩(病気)、中納言殿名代、中納言殿へと父子への礼、馬太刀二つつ也、取次は三左衛門(池田輝政)一人也、秀頼にてこそ三左衛門にてあるへけれ、ここにては本田榊原大久保なとたるへき事也」

こいつは関ヶ原翌年の朝廷からの年始恒例の礼
これの著者、近衛信尹は秀吉にひどい目に遭わされたのにこの認識だから面白い

ttps://clioimg.hi.u-tokyo.ac.jp/viewer/view/idata/T38/1601/18-2-3/1/0060?m=all&s=0060
その前に輝政が「大坂中納言(秀頼)」の名代で年始恒例の参内してる

徳川の力が強まったともとれるし、あくまで秀頼の権威は大切ともとれる
いろいろあるねえ

969 :人間七七四年:2023/04/15(土) 13:59:10.78 ID:ysizaVkC.net
>>941
全然事実じゃなくて草

970 :人間七七四年:2023/04/15(土) 15:35:15.86 ID:3YK7CMMC.net
>>967
それが西軍の主張な訳じゃん。徳川家康は大坂城を占拠していて会津征伐を強行した。だから豊臣が戦争したと。筋は通ってる。家康が大坂城に入ったのは会津征伐よりも前になるからアレコレ言い出すと長くなるけど。重要なのはここで東軍が「これは本当なのか」と調査してないところ。もし秀頼を第一に考えていたら家康含めて東軍は調査してるはず。ところが実際にその様な史料は無く東軍は家康の指揮で動いてる。とどのつまり、秀頼を当主と思ってる奴は東にも西にも居ない。東は徳川家康、西は毛利輝元が当主で勝った方が公儀になる

971 :人間七七四年:2023/04/15(土) 15:40:27.34 ID:9GUu2GuK.net
改行しろよ

972 :人間七七四年:2023/04/15(土) 15:42:32.02 ID:G1vHvC0s.net
>>970
増田と前田玄以が東軍に内通してる状況なんだが
調査どころか内部通報を受けてる

ついでに状況不利と見るや毛利が内密で和睦交渉を始めるし西軍内部はバラバラよ

973 :人間七七四年:2023/04/15(土) 15:59:56.57 ID:jvWX0OS+.net
なんで一々ID変えるんやろ
別人装って自説を擁護したいのかたまたま変わっちゃってるのかよくわからんね

974 :人間七七四年:2023/04/15(土) 16:09:35.25 ID:6dEwJ8ON.net
バレバレだし偽装するつもりもないんじゃね?
妄想君の相手しても会話にならず無駄だから放置に限る

975 :人間七七四年:2023/04/15(土) 16:55:17.54 ID:K9Drzd1N.net
>>972
増田長盛なんて内通した内に入らんだろ。石田三成と大谷吉継の動きがおかしいって言ってるだけでその日のうちに毛利軍呼び寄せてるんだぜ?それで内通面は間抜面。他になんかあったっけ?

976 :人間七七四年:2023/04/15(土) 17:39:08.81 ID:idiZnKCT.net
会津征伐で朝廷と秀頼から家康に公戦の資格を授けたことは前に史料あげた
取り消された形跡はないが、かといって西軍にはなんら授権されていない
如水は家康の取り成しで「秀頼」からの知行拝領を欲した

豊臣公儀の権威は厳然とあったようだ
で、家康は正月の取り次ぎの件で朝廷から反感買ったり、ものごと単純じゃないわ

977 :人間七七四年:2023/04/15(土) 17:41:03.33 ID:65/RiNRI.net
まあよくわからんが家康が絶対正義って言いたいんだろ?このスレは

978 :人間七七四年:2023/04/15(土) 18:34:53.92 ID:mnq/eWLw.net
どちらが絶対とか言い切る奴は歴史とか考察するのに向かないやろ
生きてるのがしんどそう

979 :人間七七四年:2023/04/15(土) 18:47:03.31 ID:ysizaVkC.net
>>973
そもそも同一人物というのが
お前の思い込みじゃねーの🤷🏻‍♂

980 :人間七七四年:2023/04/15(土) 18:48:23.65 ID:ysizaVkC.net
>>977
世の中に絶対なんてものは
ないんだよ🙅🏻

981 :人間七七四年:2023/04/15(土) 19:17:30.81 ID:tbyP0gdm.net
>>970
いきなり大坂城を占拠した連中の主張を調査しないから駄目だっていうが、そもそも豊臣宗家からそれに関して公式の通達かなんかあったの?

982 :人間七七四年:2023/04/15(土) 19:35:48.67 ID:VKG3IAqQ.net
>>970
調査?そんなの必要ないじゃん

だって東軍は元々秀頼の信任を受けて行動してる
それが完全に翻ってるんだから普通に考えたら
西軍の主張が嘘ってことになる
それが東軍なの立場だ

何せ西軍が「秀頼が言ってる」
と主張する文書はあっても
秀頼が直接発信したものはない

なのに調査などしたらそれこそ
元々信任受けてたというのは何?て話

983 :人間七七四年:2023/04/15(土) 20:10:35.35 ID:9BFj9cIb.net
>>972
増田長盛が徳川に出した書状って七月十二日以外何があるんだ?

984 :人間七七四年:2023/04/15(土) 21:25:20.69 ID:6yl4/L1+.net
もしやこのスレ、同じ数人がID変えながら同じこと言い続けてるだけ?

985 :人間七七四年:2023/04/15(土) 21:43:36.94 ID:CxIAQsKw.net
増田長盛が徳川に内通してた説は否定されてる

986 :人間七七四年:2023/04/16(日) 00:05:12.28 ID:LkYou6k+.net
前田玄以は?

987 :人間七七四年:2023/04/16(日) 02:04:23.89 ID:qmHG/NTE.net
連投君が頃合いをみて次スレ立てて下さい
無理なら誰かにお願いして下さいね

988 :人間七七四年:2023/04/16(日) 11:00:15.89 ID:HFfVusfV.net
三奉行が家康に書状送ったのは大坂城の人質を収容するアリバイ作りだろう。書状が送られた七月十二日は三奉行が輝元に上洛を要請した日、そして三奉行が人質を集め出した日である。仮に三成・吉継の謀反一報が無かったとすると三奉行が諸将の人質を収容する題目は「家康が言った」か「秀頼が言った」しかない。これは何方とも不自然極まりない。大坂城の親徳川派諸将は怪しんで家康に通報するし伏見の徳川軍が秀頼守護を理由に大坂城を固めかねない
だが三成が謀反したなら話が変わる。三奉行は家康の為に諸将の人質を「保護」する事ができる。親徳川派諸将も怪しまない。だから家康は三奉行の裏切りに気付けなかった

989 :人間七七四年:2023/04/16(日) 16:52:44.06 ID:5tHaAIbA.net
家康の謀反は明らかだぞ
「舜旧記」慶長5年7月15日条で「天下への謀逆」が「露見」したとある
家康の軍事行動は豊臣氏への反逆行為に他ならない

他にも慶長5年8月日付不明付で榊原康政が書状で
「別心の衆」が「天下之仕置」をしていることを認めている
徳川四天王の1人が認めるくらいだから、家康はれっきとした反逆者である
ただ、戦争に勝って大義名分を手に入れて簒奪しただけ

990 :人間七七四年:2023/04/16(日) 17:01:55.11 ID:XXnSaniU.net
徳川四天王なんか後世の後付け

991 :人間七七四年:2023/04/16(日) 17:29:57.53 ID:5tHaAIbA.net
家康が卑劣な点は、慶長5年9月22日付の前田利長書状で
「秀頼様の御座所だから攻めるのを遠慮した」
とかほざいてるところ
既に毛利輝元を調略してるのに何言ってるんだか
白々しいにもほどがある

992 :人間七七四年:2023/04/16(日) 18:04:14.21 ID:h9J//yzy.net
誰かは知らんけど豊臣を攻めるべしって声があったんだろう。西軍決起に豊臣が関与していない可能性は無く寧ろその主導者って事もありえた。ならこの際纏めて潰してしまえって声が徳川や東軍諸将から出ても全くおかしくない。蜂須賀とか生駒とかブチギレだろうし

993 :人間七七四年:2023/04/16(日) 18:14:18.43 ID:5tHaAIbA.net
>>992
前田利長の書状では家康が
「すぐに大坂城を乗りかけて攻め崩すべき」
とまで言ってます
つまり家康こそ大坂城を攻めようとしていた首謀者
そのあとに恩着せがましく「御座所だから〜」
となっています

最悪の卑怯者
簒奪者家康

994 :人間七七四年:2023/04/16(日) 18:17:55.60 ID:fq875cKF.net
>>989
舜旧記7月15日条
「謀逆露顕、伏見城内府家康軍兵楯籠」
大日本史料にある注釈だと「徳川氏の諸臣等変を聞き皆伏見城に拠る」とある
伏見に籠城したことが謀逆ではなく、変の方を謀逆と読む方が自然だと思うが

榊原の書状は8月24日付遠藤慶隆宛の書状のことか?それなら前にも書いたけど、
「此度別心之衆始終天下之仕置可被成候哉」
この度別心の衆は始終天下の仕置きができるだろうか
天下の仕置きをしているとは言っておらず、「できるだろうか」と反語表現になってるし認めていたとは思えんけど

>>991
同日付で輝元は池田・井伊・本多へ起請文を提出し西の丸を渡す旨を約しているし、ほぼ目処はついてる状況なのはその通り
前にも述べたが、秀頼を立てつつ輝元へは強い態度で臨むことを対外的にアピールするための発言だったのではないかと思うけどね

995 :人間七七四年:2023/04/16(日) 18:30:50.24 ID:fq875cKF.net
>>993
あなたが家康嫌いなのはよくわかったけど、せめて斜め読みせず全文読んでからにした方がいいよ
一部分だけ切り取って読むからそういう偏った解釈になるんだよ

御書中之通得其意候、先書如申入候、悉討果一篇申付候間、可被成御満足与令推量候、
大坂も一両日中相澄可申候、即乗懸雖可責崩候、秀頼様御座所ニ而候間、致遠慮候、恐々謹言、

全文乗せるけど前段に「大坂も一両日中相澄可申候」とあるのに攻める必要なんか全くないよね
輝元への対処に関しての対外的なアピールであることは一目瞭然だと思うけど

996 :人間七七四年:2023/04/16(日) 21:39:31.25 ID:hK6sLLQZ.net
>>994
白峰氏が「豊臣公儀への反逆」となんの解釈も披露せず断定しちゃったからね
ID:5tHaAIbAは愉快犯だろうし、全文読む気もないのか読む能力もないのか

997 :人間七七四年:2023/04/17(月) 17:05:44.86 ID:eOQ2fwPe.net
歴史あるスレなので立てといた
家康嫌いの連投君は戦国考察よりもスレ立てから勉強してください

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https://kizuna.5ch.net/test/read.cgi/sengoku/1681718599/

998 :人間七七四年:2023/04/17(月) 17:07:41.04 ID:OCJxbFpg.net
家康悪くないもん君の一人言スレ

999 :人間七七四年:2023/04/17(月) 18:31:02.28 ID:/IKI9MCH.net


1000 :人間七七四年:2023/04/17(月) 18:31:09.53 ID:/IKI9MCH.net
ume

1001 :2ch.net投稿限界:Over 1000 Thread
2ch.netからのレス数が1000に到達しました。

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